(イラクの首都バグダッドのシナク橋で、治安部隊と衝突する反政府デモの参加者ら(2020年10月25日撮影)【10月26日 AFP】)
【発生から1年 再開した抗議デモ】
イラクでは、昨年10月1日、失業や公共サービスの不足、横行する汚職などの問題を解消できない政府に対する若者主体の抗議デモが発生しましたが、その矛先はイラク政府に多大な影響力を行使するイランにも向けられていました。
中部のシーア派聖地カルバラでイラン領事館、南部のイスラム教シーア派聖地ナジャフにあるイラン領事館がデモ隊の襲撃を受け放火される事態にも。
拡大する抗議デモを受けて、今年5月には政権が崩壊し、新たにカディミ氏が首相に。
その後、コロナの影響で下火にはなっていましたが、抗議デモ発生から1年を迎えた今年10月から再燃しています。
****イラク首都でデモ、治安部隊と衝突 反政府デモ開始から1年****
腐敗し隣国イランの影響を受けているとしてイラクの支配層の排除を要求する一連のデモが始まってから1年となったイラクの首都バグダッドで25日、数千人規模の抗議デモが行われ、治安部隊とデモ参加者が衝突した。
警察は投石するデモ隊に催涙ガス弾を発射し、政府の主要機関や議会、米大使館などが集まり、厳重な警備で一般市民の立ち入りが禁止されている市中心部のグリーンゾーンに続く橋をデモ隊が渡るのを放水銃やバリケードなどで阻止した。警察と医療関係筋によると、警官とデモ隊およそ50人が軽傷を負った。
この日は南部のバスラ、ナジャフ、ナシリヤでも平穏なデモが行われた。
一連のデモが始まった2019年10月以降、イラク各地で起きた治安部隊との衝突でこれまでに約600人が死亡、約3万人が負傷した。デモはイラクと関係の深いイランの対米関係が悪化したことでその勢いを弱め、さらに新型コロナウイルスの感染拡大の影響でほとんど行われなくなっていた。
5月にムスタファ・カディミ首相が就任したが、大きな改革は成し遂げられていない。世界銀行の報告書によると、石油輸出国機構加盟国で第2位の産油国であるイラクでは若者の3人に1人が失業している。 【10月26日 AFP】
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【宗派にとらわれない抗議デモ 弾圧するイラン系シーア派民兵組織】
イラクの混乱と言えば、これまではイランが支援する多数派のシーア派、ISを生んだ少数派スンニ派、さらには分離独立を求めるクルド人勢力といった勢力間の抗争というのが「お決まりの構図」でしたが、1年を迎えた抗議デモは、こうした従来からの構図にとらわれない、経済低迷・腐敗汚職などに対する抗議活動となっています。
****イラク、宗派超えた反政府デモ 低迷する経済・汚職に抗議****
中東のイラクで過去1年あまり、失業や汚職問題に抗議する反政府デモが続いている。治安部隊の弾圧にもコロナ禍にも屈しない「宗派対立を克服した抗議運動」は、長い混迷から抜け出す希望となるか。
「腐敗した国会はいらない!」「勾留中のデモ参加者を解放せよ」
10月25日、イラクの首都バグダッド。10~30代の若者らが街中に集まり、国民の団結の象徴として国旗を掲げながら訴えた。各地の都市でもデモがあった模様だ。昨年10月にデモが始まって1年がすぎ、抗議のボルテージが再び高まっている。
背景には、汚職がはびこる政治や就職難、停電が頻発するような公共サービスの貧弱さなどがある。デモは非暴力・非武装を原則としながら、国民の6割超を占めるイスラム教のシーア派、3割のスンニ派、キリスト教徒などから宗派の枠を超えて参加者を集めている。
イラクはかつて、スンニ派が支配層を占めたフセイン政権が長く権力を握ったが、2003年にイラク戦争で崩壊し、シーア派が権力を掌握した。
反発する一部のスンニ派の支援で過激派組織「イスラム国」(IS)が台頭するなど、長い間、宗派対立による混迷が続いてきた。現在は、IS討伐で存在感を高めた親イラン系シーア派の武装組織「人民動員隊(PMF)」が国会にも多くの議員を送り込み、影響力を増す。
一方、汚職がはびこって経済は低迷し、人々の暮らしの改善にも展望が見いだしにくいままだ。嫌気が差した若者世代が宗派を超えて手を結び、デモにつながった。
昨年には治安部隊などによる弾圧で多数の犠牲者が出たが、デモは収まらず、当時のアブドルマハディ首相は退陣に追い込まれた。現在は国家情報機関トップだったムスタファ・カディミ氏が首相の座にある。
現政権がデモ隊への実力行使を抑えたこともあり、新型コロナウイルス対策で外出禁止令が出された3月中旬以降も、デモは規模を縮小しながら続いた。バグダッドでデモの参加者が集まるタハリール広場付近には多くのテントが張られ、「外出しない」座り込み形式で開かれてきた。
■失業中の若者「目的は一緒」
バグダッドでのデモに繰り返し参加してきた一人が無職のハリス・サイディさん(32)だ。自身はスンニ派だが、「宗派はデモでは関係ない。失業や汚職をなくし、安心して暮らせる国にする目的はみんな一緒だから」。デモを通じてシーア派、キリスト教徒など多くの友達ができたという。
国内の失業率は、今年5月時点の政府発表で13・8%、若者世代(15~29歳)は27%に達する。石油資源に頼る経済構造のもと、政府機関や国営企業など公共部門以外には雇用の受け皿が乏しく、政府も手を打てていない。
サイディさんは13年、大学でコンピューター科学を専攻して卒業した。政府機関で働きたかったが、就職には「賄賂が約1万ドル(約105万円)必要だ、といわれた」。仕方なく、まずお金をためようとアイスクリーム店で働いたが、人間関係から2年で退職した。
いまも実家で元軍人の父親の年金を頼りにして暮らす。昼夜が逆転した生活でオンラインゲームをしながら、「僕は家族の重荷だ」と気分がふさぐことも多い。そんな生活のなかでデモに参加し、スローガンを叫んでいると「自分もこの国の一員だ」と生気がみなぎるのを感じるという。
■連帯、混迷抜け出す希望か
デモの参加者は政府への抗議とともに、PMFの存在にも警戒を強める。PMFは総勢10万人以上のメンバーがいるとされ、国軍や警察組織がカバーできない治安維持を担っているとされる。
イラク各地に独自の検問所をつくり、そこから得る通行料収入が権益の一つだ。昨年10月から今年2月、治安部隊はデモ隊鎮圧に一部で実弾を使い、約540人を殺害したが、治安部隊にPMFメンバーが含まれ、殺害に関与した疑いが指摘される。
カディミ政権はPMFの影響力拡大を懸念し、6月には米関連施設攻撃への関与の疑いでPMFの有力戦闘団のメンバー十数人を逮捕するなど強硬姿勢をみせる。
イラン、米国の双方を公式訪問し、両国ともに良好な関係を保ちつつ、国内ではPMFなど親イラン勢力の影響力を弱め、経済再建へ改革を進めたい思惑がある。総選挙を来年6月に前倒しして、議会構成も刷新したい考えだ。
しかしPMFの犯行とみられる、米国大使館などを狙ったロケット弾攻撃などが繰り返され、政権は揺さぶられてきた。新型コロナの感染者数も最近は1日当たり2千~5千人と高止まりし、雇用情勢の深刻化も政権への不満を高めている。総選挙まで政権を維持できるかも見通せない。
イラクの政治アナリストのマフムード・カリル氏は「イラクでは宗派対立と、対立を利用する政治家が利益を得る構図が続いた。今回のデモは初めて『宗派対立はNO』と明確に訴えており、現状を変える可能性がある。カディミ政権が結果を出すまでデモは収まらないだろう」と指摘する。【11月4日 朝日】
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【イラン・シーア派民兵組織の影響力排除を目指すカディミ首相】
上記記事にもあるように、カディミ首相は政権発足以来、イランとの決定的対立は避けながらも、イランが影響力を持つシーア派民兵組織「人民動員部隊」(PMU)(注:上記記事ではPMFと略されていますが、他の記事に合わせて「PMU」と表記します)の国内政治への影響力、デモ隊などへの無差別な暴力行使を排除し、イランの影響力も縮小させたいという姿勢をとっています。
こうした姿勢には、今年1月に、イラン革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のソレイマニ司令官がバグダッドで米軍に殺害されたことも関係していると思われます。
****イラン影響力低下か イラク新政権、関連民兵組織摘発 ソレイマニ司令官殺害半年****
今年1月3日にイラン革命防衛隊の精鋭「コッズ部隊」のソレイマニ司令官が米軍に殺害された事件から、7月で半年となる。
作戦現場となった隣国イラクでは、5月に就任したカディミ首相の政権下でイランの影響力が弱まるなど変化が起きている。
ただ、石油価格下落や新型コロナウイルスの感染拡大などの課題も抱え、イラクが国内の安定化を実現できるかは不透明だ。
イスラム教シーア派大国イランは近年、国民の6割がシーア派の隣国イラクにも影響力を強めている。特にソレイマニ氏は中東各地のシーア派武装勢力を支援する中心人物だった。
ソレイマニ氏は1月3日、イラク・バグダッド国際空港付近で米軍無人機に攻撃されて死亡したが、この時はイラクのシーア派民兵組織「人民動員部隊」(PMU)のアルムハンディス副司令官も一緒に殺害された。このPMUこそが、イラク国内で親イランの代表的組織だった。
こうした中、5月に誕生したイラクのカディミ政権はイランの影響力排除に動き出している。
イラクでは近年、豊富な石油資源で生じる富が国民に行き渡らず、経済難が深刻化。親イラン政治家による腐敗などに怒った国民が大規模な反政府デモを度々起こしており、反イラン感情も高まっている。カディミ政権はPMUをイラク政府の指揮下に収めることを目指しているとされる。
一方のイラン側も従来ほどイラクに浸透できなくなる可能性がある。(中略)
ただ、親イラン勢力によるとみられる「かく乱」の動きは収まっていない。カディミ政権が6月11日に米政府とテレビ会議方式で戦略対話を実施して以降、在イラク米大使館付近を狙ったロケット弾攻撃などが相次いだ。これに対し、イラク当局は同25日、米関連施設への攻撃を実行した疑いで親イラン民兵組織のメンバー13人を逮捕した。
イラクの今後について、エジプトのイラク専門家、ジャッシム・ムサウィ氏は「イランによる介入は多くの場合、イラク政府がそれを許したり求めたりした時に起きてきた。カディミ政権の誕生で国内の安定がすぐ実現するとは思えないが、(安定に向けた)出発点にはなるだろう」と指摘している。【6月27日 毎日】
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****イラク新首相手堅い船出も、武装組織統制が急務****
(中略)Jerus alem Post 紙 エディターで中東問題専門家のSeth J. Frantzmanは、Foreign Policy(電子版)に6月16日付けで掲載された論説において、上記の2つの措置を評価するとともに、人民動員隊(PMU)など様々な武装組織に対する中央の統制を強めることがイラクの安定のための必要条件であると指摘している。フランツマンの指摘は、まさにその通りであろう。
PMUは2019年に国軍の一部となったものの、多くの下部組織を抱え、それぞれが様々な政治勢力、宗教、部族と関係を持っており、国との関係は複雑である。クルドはペシュメルガと呼ばれる独自の治安部隊を持っており、組織上は地方政府の傘下にあるが、10を超える部隊が主要政党KDP、PUKとリンクしている。
内務省傘下には「連邦警察」と呼ばれる武装警察がある他、緊急対応部隊もある。これらに加えて、幾つかの部族組織や民兵組織がある。こうした組織は、中枢の統治機能を持たず、目的も様々である。
フランツマンによれば、そのことが次の2つの問題を提起する。第1に、これらの一部部隊がデモ隊や米軍に対する攻撃など多くの事件に関与している。第2に、ほとんどの部隊組織が特定の宗派、部族、政治に忠誠を誓っており、中央政府にとって問題となる。
フランツマンは、「カディミは地域の民兵組織の力を縮小させる必要がある。多層な指導体制を中央政府の権威が届くようにもっと正式な体制に変えることにより、PMUへの統制を高める必要がある」「中央政府は、宗派グループなどではなく、地方政府に依存するようにすべきである。地方政府についてもPMUなどではなく警察や国軍への依存を強めるよう仕向ける必要がある」と指摘する。
そうなることが望ましい。様々な武装組織の乱立は、イラク社会に長年根差してきたものなので、すぐに解消されることはないだろうが、イラクの安定のために中央の統制強化は不可欠である。
イラクは資源豊富な国であり、今必要とされていることは国の安定化である。多くの武装組織が割拠する今のイラクの統治は不可能に近い。(後略)【7月7日 WEDGE】
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【対イラン・PMUでは首相とデモ隊は共通の立場】
カディミ首相がその影響力を排除しようとしているシーア派民兵組織PMUは、冒頭の抗議デモ弾圧の中核ともなっていますが、その内情は必ずしも一枚岩ではなく複雑なようです。
イラン、PMUの影響力と対峙するという点では、カディミ首相と若者らの抗議デモは共闘関係にあるとも言えます。
****イラクの民兵による暴力が向かわせる危険な道****
(中略)若者が主体となったこのデモは、抜本的な政治改革、特にガバナンスの透明性と説明責任を要求していた。
デモ参加者はイラク人民動員部隊(PMU)の民兵に容赦なく狙われ、600人が死亡、2万6000人が負傷した。
2019年11月のアヤトラ・アリー・シスターニの批判により、アーディル・アブドルマフディ首相の政権は崩壊した。
パンデミックによる落ち着きの後、現在デモ隊はバグダッドに戻り、10月1日には昨年の死者の肖像画を掲げて抗議活動を再開した。現在デモ隊は、ムスタファ・アル・カディミ新首相の支持を得ている。
新首相は、国民の団結と若者による犠牲を祈念する博物館、劇場、図書館の設置と、抗議活動で亡くなった人々の記念碑を設置することを約束した。
イラクが直面している大きな問題は、PMUの一部である、様々なシーア派民兵の活動に関連している。PMUは現在、政府を支持する「穏健派」と、様々なターゲットに対して暴力を振るう「過激派」に分かれている。
困難な国家状況に抗議するシーア派の若者、身代金や殺人のために誘拐されたスンニ派、クルド人の政党、そしてとりわけ米国の外交および軍事目標など、様々なターゲットに対して暴力を振るっている。
国の復興に対するこの脅威は、普段は寡黙な(イラク・シーア派最高の宗教的権威である)アル・シスターニの介入を促した。先月、彼はイラク政府に対し、排他的な支配圏を主張する「特定のグループがイラクを分裂させる」ことを止めるように呼びかけた。
これは民兵の行動に対する明らかな攻撃であった。シスターニはまた、違法な武器の没収、汚職に対する処罰、そして被害を受けた人々の正義を守るための治安サービスの強化を要求した。(中略)
ここにきて、PMU間の分裂が明らかになってきた。PMUのファリフ・アル・ファヤド代表は、すべての攻撃を非難し、組織は国軍の下にある合法的な治安部隊であると断言した。
氏はファター派のトップ、ハディ・アル・アミリ氏の支持を受けており、最近の米英施設への攻撃を批判し、すべての外国公館の保護を要求した。PMUに所属していた4つの民兵組織が離脱し、国軍への参加を求めている。(中略)
しかし、過激派民兵は動じない。アサイブ・アフル・ハックのスポークスマンは、米国大使館への攻撃を正当化し、建物は「占領軍の軍事基地」であると述べた。(中略)
アル・カディミ氏を取り巻く新たな治安当局と、シーア派議会一派の一部とそれを支持する民兵との間では、対立が生じているようだ。
腐敗した国会の外では、アル・カディミ首相はかなりの支持を得ており、改革された政治体制では、来年6月に予定されている選挙で民衆の支持を得られるはずである。しかし、選挙までの道のりは危険な沼地の上の綱渡りになるだろう。【10月28日 ARAB NEWS】
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直近のニュースとしては下記も。“大きな混乱はみられず、政府当局とデモ当事者の間で何らかの協議が進展したものと予想される”【同下】とも。
****バグダッドでデモ隊の拠点を撤去、「グリーン・ゾーン」も一部開放****
AP通信(10月31日付)によると、イラク治安部隊は同日、政権への抗議デモの拠点となっていたバグダッド市内中心部のタハリール広場から、デモ隊の座り込み用のテントなどを撤去したと発表した。
また、同広場から、首相府や国民議会をはじめとした政府機関や各国大使館などが立地する「グリーン・ゾーン」につながるティグリス川架橋「ジュムフリヤ橋」などの封鎖も解除したとした。
デモが拡大した2019年10月以降、タハリール広場はデモ隊によって占拠、ティグリス川架橋は治安部隊によって封鎖されており、いずれも一般市民に開放されるのは1年ぶりとなる。
27日にはイラクのムスタファ・アル・カディミ首相が「グリーン・ゾーン」をまたぐ通行の一部再開を関係機関に指示したと報じられていた。
同区域は旧米軍管理領域で、2003年のイラク戦争以降、治安部隊により立ち入りが厳しく制限されてきた。2018年11月に15年ぶりに一般通行が一部で許可されたが、政府への抗議デモが継続する中であらためて封鎖されていた。
市中心部にある同区域の遮断は市民にとって大きな交通上の制約となっており、再開を歓迎する声が現地でも聞かれている。(後略)【11月4日 JETRO】
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対イラン・PMUで同じ立場にたつカディミ首相とデモ隊の間で、正常化に向けた協議がなされた結果と思われます。
カディミ首相の思惑どおりにイラン・PMUの影響力を排除できるかはいまだ不透明ですが、イラクの今後にとっては重要な一歩でしょう。