(アルメニアの首都エレバンにある政府庁舎前で、係争地ナゴルノカラバフをめぐる停戦に抗議するデモ参加者を拘束する警察(2020年11月11日撮影)【11月12日 AFP】)
【「筆舌に尽くし難いほどつらい」(パシニャン首相) アルメニアの事実上の敗北で停戦合意】
アゼルバイジャン領内に飛び地的に存在するアルメニア人居住地域ナゴルノカラバフを実効支配するアルメニアと、これを自国領として奪還したいアゼルバイジャンの紛争は、トルコの支援を受けるアゼルバイジャン、ロシアと軍事同盟関係にあるアルメニアという構図の中で戦われましたが、結局、ロシア仲介のもと、軍事的に勝るアゼルバイジャン側が一定に領土回復を果たす形で停戦合意に至ったことは周知のとおり。
同地域をめぐっては、多数派のアルメニア系住民がアルメニアへの帰属変更を求めてアゼルバイジャンと対立し、以前も3万人以上が死亡する紛争に発展。ロシアの支援を受けたアルメニア側が実効支配を確立した状態で1994年に停戦となった経緯があります。
小規模な衝突はその後もありましたが、今年9月27日発生の戦闘は1994年の停戦後で最大規模となり、ロシアは双方で約5000人の死者が出たとみているようです。
今回衝突では、戦闘拡大を回避したいロシアなどによる何度かの停戦合意にも関わらず、終始優位に戦いを進めていたリベンジを狙うアゼルバイジャンですが、戦局を決定づけたのは要衝シュシャをアゼルバイジャン側が奪還したことでした。
****ナゴルノカラバフ第2の都市、アゼルバイジャンが奪還 要衝、アルメニアに痛手****
アルメニア人勢力が実効支配するアゼルバイジャンのナゴルノカラバフ周辺で続く戦闘で、アルメニア人勢力は9日、カラバフ第2の都市シュシャ(アルメニア語でシュシ)を奪取されたことを明らかにした。インタファクス通信などが伝えた。
同市はカラバフ中心部とアルメニア本国をつなぐ要衝で、アルメニア側にとって大きな痛手となる。
インタファクス通信などによると、シュシャの奪還は8日にアゼルバイジャンのアリエフ大統領が発表。アルメニア人勢力の報道担当者も9日にフェイスブックで認め、同市から約10キロ離れたカラバフの中心都市にも敵軍が迫っていると明らかにした。
アルメニア人勢力を支援するアルメニアのパシニャン首相は直後に「シュシを巡る戦闘は続いている」と訴えたが、アゼルバイジャンは市内の映像を公表し、同市の奪取をアピールしている。
シュシャはカラバフ中心部とアルメニア本国をつなぐ補給路の途中にある要害で、1990年代の紛争でも激戦地となった。
以前はアゼルバイジャン系住民が多かったが、90年代に避難を余儀なくされており、アリエフ政権が奪還を目指していた。重要拠点の陥落にアルメニアの野党からはパシニャン氏の退陣を求める声が出ている。
9月27日に始まった今回の紛争では、アゼルバイジャン軍がナゴルノカラバフ周辺のアルメニア人勢力支配地域への攻勢を強め、10月末以降はカラバフ内部での戦闘も激化し、住民がアルメニアに避難する動きが続いている。
両国と関係の深いロシアなどが停戦を呼びかけているが、9日にはアルメニアに駐留するロシア軍のヘリコプターをアゼルバイジャン軍が誤って撃墜し、謝罪する事態も発生。和平が見通せない状況が続いている。【11月10日 毎日】
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要衝シュシャ(シュシ)の陥落で、このまま戦闘を続ければカラバフ全域が奪還される事態に陥ったアルメニア側は、大幅に譲歩する「事実上の敗北」で停戦合意を余儀なくされました。
****ナゴルノ紛争、完全停戦で合意=アルメニア、事実上敗北****
ロシアのプーチン大統領は10日、係争地ナゴルノカラバフをめぐり軍事衝突を続けてきたアゼルバイジャンとアルメニアが現地時間10日午前1時(日本時間同6時)からの完全停戦で合意したと発表した。
プーチン氏とアゼルバイジャンのアリエフ大統領、アルメニアのパシニャン首相が停戦に関する共同声明に署名した。
ロシアのメディアによれば、共同声明にはアルメニアが占領地をアゼルバイジャンに返還することなどが盛り込まれており、劣勢だったアルメニアが事実上敗北したと受け取れる内容。アリエフ氏は10日、合意は「事実上アルメニアの降伏だ」と主張した。
一方、パシニャン氏はフェイスブックに「私個人やわが国民にとって筆舌に尽くし難いほどつらい」と書き込んだ。アルメニアからの報道では合意に憤った市民が政府庁舎に侵入するなど混乱が起きた。【11月10日 時事】
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【ロシアもトルコを意識しながら「苦渋の決断」】
両国ともに旧ソ連の国ですが、ロシアは宗教的にも近いアルメニアと軍事同盟関係にあるだけでなく、アゼルバイジャンとも密接な関係を有しています。
****南コーカサス地方の地政学****
ロシアはアルメニアに軍事基地を置いており、両国は旧ソ連国の軍事協約、集団安全保障条約(CSTO)に加盟している。
CSTOでは、アルメニアが攻撃を受けた場合はロシアが軍事支援を送ることになっているが、ナゴルノ・カラバフ地方を含む、アルメニアが実効支配しているアゼルバイジャン領には適用されない。
一方で、ロシア派CSTO非加盟のアゼルバイジャンとも良好な関係を築いており、北大西洋条約機構(NATO)加盟国のトルコもこれを後押ししている。
ロシアはアルメニアにもアゼルバイジャンにも武器を輸出している。【11月10日 BBC】
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今回も停戦は両国と関係が深いロシア仲介によるものですが、停戦合意を維持するためにロシア軍が派兵されています。
****アルメニアとアゼルバイジャンが停戦合意 ロシアが仲介****
(中略)アゼルバイジャンはナゴルノ・カラバフのうち、今回の戦闘で制圧した地域を保持する。一方でアルメニアは、向こう数週間をかけて、進攻した複数の地域から撤退することに合意した。
ロシアのウラジミール・プーチン大統領はテレビ演説で、ロシアの平和維持軍が前線警備に当たると説明。ロシア国防相も、ロシア兵1960人を派遣すると認めている。すでにウリャノフスクの空軍基地から平和維持軍や戦闘員を乗せた軍用機がカラバフへ向かったという報道もある。
また、プーチン氏と会見に臨んだアゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領によると、トルコも平和維持プロセスに参加する。
合意ではこのほか、捕虜の交換や、「全ての経済と運輸の接触が再開される」ことが決まった。(後略)【前出 11月10日 BBC】
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ロシアからすると今回停戦は、アゼルバイジャン同じイスラム教で、ともにアルメニアと対立関係にあるトルコを強く意識したものと指摘されています。
****ナゴルノ停戦合意 トルコに押された露の「苦渋の決断」****
ナゴルノカラバフ紛争をめぐるアルメニアとアゼルバイジャンの10日の停戦合意は、ロシアを後ろ盾とするアルメニア側が、トルコの支援を受けるアゼルバイジャンに大幅な譲歩をする内容だった。
停戦合意を仲介したロシアは、戦闘を放置すればアゼルバイジャン側がナゴルノカラバフ自治州の全域を掌握しかねないと判断し、事実上のアルメニア敗北を容認した。
10日の停戦合意は、アゼルバイジャンが9月末以降の戦闘で奪還したナゴルノカラバフ自治州内の領域を、引き続き支配下に置くことを認めた。さらに、今回の戦闘以前にアルメニアが実効支配していた自治州周辺の多くの地域を、アゼルバイジャンに返還するとした。
分断される自治州とアルメニア本国には幅5キロの回廊を維持する。ロシアは約2000人の停戦監視部隊を前線地帯に投入した。(中略)
アルメニアのパシニャン首相は「停戦は軍が提案した。苦渋の決断だった」と説明した。
ロシアにとっても「苦渋の決断」だったのは明白だ。アルメニアは露主導の集団安全保障条約機構(CSTO)の加盟国で、ロシアにはアルメニアの防衛義務がある。
だが、ロシアはアルメニア本土に戦闘が及ばない限りは介入しない方針をとり、アゼルバイジャン側の猛攻に手を打てなかった。アゼルバイジャンを軍事支援するトルコとの直接衝突を警戒した。
アルメニアの首都エレバンでは10日、停戦に抗議する数千人が暴徒化し、議会庁舎を占拠。停戦合意の破棄やパシニャン首相の退陣を要求した。野党も合意破棄に向けた手続きを始めると表明した。
アルメニアはナゴルノカラバフ紛争でのロシアの庇護(ひご)を期待してきただけに、今後、国民の怒りがロシアに向けられる可能性もある。
今回の停戦合意は自治州の帰属問題には全く触れておらず、本質的な紛争解決は先送りされている。
衝突が再燃する可能性はなお残る上、露停戦監視部隊に死傷者が出るなどすればロシアが自ら参戦する展開も考えられる。
アゼルバイジャンはトルコを停戦監視に参加させるべきだと強く主張しており、ロシアの出方が注視される。【11月11日 産経】
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アゼルバイジャンの後ろ盾トルコは、今後への表立った関与を検討しているようです。
****トルコ、アゼルバイジャンを祝福=停戦への関与検討―ナゴルノカラバフ****
アナトリア通信などによると、トルコのエルドアン大統領は10日、アゼルバイジャンのアリエフ大統領と電話で会談し、アゼルバイジャンがアルメニアとの係争地ナゴルノカラバフをめぐる軍事衝突で「勝利」したことを祝福した。その上で両首脳は、停戦維持に向けたトルコの協力について意見交換した。
停戦をめぐっては、ロシアが現地に平和維持部隊を派遣する方針。アゼルバイジャンは後ろ盾のトルコが停戦維持に協力することを求めており、トルコも関与する方向で検討している。【11月10日 時事】
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シリア、リビアに続いてナゴルノカラバフ・・・トルコ・エルドアン大統領の軍事介入をいとわない積極姿勢、「新オスマン主義」全開といった感も。
【ユダヤ人にも似た苦難の歴史を経験してきたアルメニア人 それだけに今回の結末への怒りも】
一方、おさまらないのが「敗北」となったアルメニア。
****ナゴルノ停戦にアルメニア国民激怒、首相辞任求め抗議デモ****
アルメニアの首都エレバンでは11日、ニコル・パシニャン首相が係争地ナゴルノカラバフの広域でアゼルバイジャンの支配を認める内容の停戦に合意したことを受け、数千人規模の抗議デモが行われた。
パシニャン氏は10日未明、ロシアの仲介でアゼルバイジャンとの完全停戦に合意したと発表。約1か月半にわたって死者1400人以上、避難民数万人を出した激しい戦闘に終止符が打たれた。ロシアは11日、ナゴルノカラバフに平和維持部隊400人以上を派遣した。
アゼルバイジャンでは停戦合意に喜びの声が上がったが、アルメニア側では怒りが沸騰。政府庁舎にデモ隊が突入する騒ぎとなった。
人々はパシニャン首相を「裏切り者」と呼んで辞任を要求している。デモに参加した学生は、「私たちの歴史、文化、精神が失われるのと同じだ。言うまでもなく、殺されたり負傷したりした大勢の同胞の犠牲も無駄になった」と訴えた。
警察によると、抗議デモでは著名な野党指導者を含む135人が一時身柄を拘束された。 【11月12日 AFP】
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素人的には、周囲をアゼルバイジャンの囲まれたナゴルノカラバフを死守するのは、圧倒的軍事力かロシアの介入でもなければ難しい・・・と思いますが、国民の思いはまた別物でしょうか。
アルメニア人というのは、苦難の歴史、世界に散らばって暮らす多数の人々、祖国との強いつながり・・・ユダヤ人とも似たところがあります。
****ナゴルノ紛争の当事国、アルメニアはどんな国? アルメニア人とユダヤ人の共通点****
(中略)アルメニアの歴史は古く、紀元前3世紀ごろに始まったといわれています。宗教はキリスト教ですが、独自のアルメニア使徒教会をもち、4世紀にはキリスト教を世界で初めて国教としました。(中略)
一方で、本来の地域である中央アジアと東トルコにおけるアルメニア人の環境は悲劇的でした。1915年から1923年の間のオスマン帝国終焉の時代、アルメニア人に対する組織的な大量殺人と民族の追放が行われました。
アルメニア人は彼らの離散の地エルサレムに逃げてきました。この期間のアルメニア人に対する大量殺人と追放による死者は信じられないくらい多く、約150万人が犠牲になった「アルメニア・ジェノサイド」として知られています。
この大量虐殺は20世紀になって初めての虐殺とされています。加害者のトルコはこの情報が広がって巨額の賠償責任が生じることをおそれてこの事件を否定しており、トルコではこの件を話題にすることはできません。
大量虐殺から逃れてきたアルメニア人は、自分たちの生活を聖地で立て直しました。エルサレム旧市街のユダヤ人、キリスト教、イスラム教の各信者が住んでいる地区に隣接したアルメニア人地区やベツレヘム、さらにイスラエル国内の港町ヤッフォやハイファにもアルメニア人コミュニティーがあります。
アルメニア人は世界に交易ネットワークをもっており、エルサレムでも家具や香辛料を世界各地から集めて販売しています。また独自の芸術的な伝統品、とくに冒頭で紹介した青と白で彩られた手作りタイルも有名です。アルメニア人はまた、1857年にエルサレムに写真を最初に紹介しました。
アルメニア人の宗教はキリスト教だと書きましたが、圧倒的多数はアルメニア使徒教会の信者です。カトリック教会や東方正教会とは少し異なる立場をとっています。また使徒教会という名前の通り、使徒たちの伝道によって伝えられたと言われています。
これはアルメニア人の誇りです。アルメニア人はエルサレムやヤッフォに独自の教会を建てました。またエルサレム旧市街にあるイエスがはりつけになったといわれる場所に立っている聖墳墓教会やベツレヘムの聖誕教会などキリスト教各派が聖地とする教会で、カトリック教会・東方正教会と共にアルメニア使徒教会も中心となって共同管理しています。
大量虐殺がアルメニア人のトラウマの歴史になっているせいか、そのコミュニティーは秘密的です。(中略)
興味深いことに、アルメニア人とユダヤ人は多くの共通点を持っています。
世界がグローバル化してひとつになるずっと以前から、アルメニア人はユダヤ人のように世界を旅していました。自分の国も帰る国もない時代です。この地球上でいろいろな場所にユダヤ人とアルメニア人のコミュニティーがあります。そして離散の地でも民族と家族の強い団結を保っています。
二つの民族は自分たちの文化と宗教のアイデンティティーを失うことなく、他民族と交易のルートをつくることができます。
民族の離散「ディアスポラ」の文学のほとんどは、世界の異なる地域にある民族グループの現状に言及したものですが、ユダヤ人とアルメニア人の事例をもとにしたものだといっていいでしょう。
二つの民族が独自の祖国を得たのは最近です。イスラエルは1948年、アルメニアは1991年。ところが、この二つの民族が一番多く住んでいるのは祖国ではなく、実は米国ともいわれています。(中略)
世界を見渡した時、アルメニア人は強い「離散した結びつき」を維持しており、母国との連帯感も持っている。そして、経済的には成功しているイメージがあるかもしれません。
最も有名な「アルメニア人離散家族」は、米国ロサンゼルスの超セレブファミリー・カーダシアン家でしょう。とくにテレビショーの「カーダシアン家のお騒がせセレブライフ」という番組は、14年間も人気です。エンタメ産業や洋服デザインなどのビジネスの分野で顕著な活躍をしている一方、有名人とのスキャンダルもあり、米国では知らない人はいないほどだそうです。
「ディアスポラ(離散)」という運命に見舞われた民族は多くはありませんが、この悲劇に直面したユダヤ人とアルメニア人は、宗教こそ違えども民族と家族の「絆」で結びついてきました。(後略)【10月27日 AERAdot.】
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「アルメニア・ジェノサイド」をめぐるトルコとの対立は、韓国と日本の関係を連想させるものもあります。
アルメニアを旅行したことはありませんが、以前イランに行ったとき、イランに点在するアルメニア人関連施設を訪問した際、その強烈なアイデンティティの主張を展示物に感じたことがあります。
それだけに、今回の敗北、ナゴルノカラバフの一部喪失というのは、アルメニア国民には耐えがたいものがあるのでしょう。