(インドネシア・アチェ州で執行された公開むち打ち刑の様子(2019年3月20日撮影)【3月21日 AFP】)
【“17歳の女子体操選手”の事件 コーチ側謝罪で和解】
下記は12月5日ブログ“インドネシア ジョコ政権のイスラムへの“すり寄り”現象 いまだに続く「処女検査」”で紹介した記事。
****「非処女」で代表漏れ、インドネシア女性選手の悲劇****
フィリピンのマニラ首都圏周辺一帯のルソン島で11月30日から12日間の予定で東南アジア諸国による国際競技大会「東南アジア競技大会(SEA GAME)」が始まり、各国のアスリートによる熱戦が続いている。(中略)
しかしその一方でインドネシアではメダル競争や選手の活躍とは別の話題がニュースとなっている。それは17歳の女子体操選手が大会直前の合宿から強制排除される事件が起きたからである。
女子選手の母親などによると強制排除の理由は女子選手が「処女でなかったから」というもの。これは「体操競技とは無関係の選手の極めて個人的なことであり、事実とすれば許されることではない」としてマスコミを中心に強い関心を集め、青年スポーツ省、インドネシア国立スポーツ委員会、体操競技協会や女子選手の出身地の州知事、政府与党関係者まで巻き込んだ論争に発展する事態となっているのだ。
「結婚前の性交はタブー」というイスラム教の規範
当該選手を大会選手枠から外した体操競技のコーチは「強制帰国は素行に問題があり、競技への集中力が欠けていたため」として「処女か処女でないか」が理由ではないと主張している。
しかし青年スポーツ省は「事実関係を調査してもし処女性が強制排除の理由であれば、人権問題であり放置できない」との立場を示している。
女子選手は地元に帰還してから病院での医学的検査を受けた結果「処女である」との診断が下された。
だがインドネシア国内ではいまだに「17歳の非処女は国際競技大会に出場する資格がないのか」との主張と、インドネシアの圧倒的多数を占めるイスラム教の「結婚前の性交は禁忌」との規範に照らして「やむを得ない」との考え方が対立。国民の間にイスラム教の規範に基づく考え方が根強いことも示している。
過去にはオリンピックでバドミントンや重量挙げでメダルを獲得したこともある東南アジア域内きってのスポーツ大国インドネシアが今、女子選手の「処女性」を巡って揺れ動いているのだ。(中略)
圧倒的多数のイスラム教の規範が優先
インドネシアは世界第4位、約2億6000万人の人口のうち88%をイスラム教徒が占める世界で最も多くのイスラム教徒が住む国である。
しかしながら宗教、民族、文化、言語などの多様性を認めることで統一国家を維持するため、マレーシアやブルネイなどと異なりイスラム教を国教とは規定しておらず、少数派であるキリスト教、ヒンズー教、仏教なども等しく認めている。
しかし、近年イスラム保守派や急進派が圧倒的多数を背景に「イスラム教規範を半ば強制したり、暗黙の優先がまかり通ったりと宗教的少数派には厳しい状況」が生まれつつあるのも事実。
インドネシアでは警察や軍隊に入隊を希望する未婚の女子は女医が2本指を膣内に挿入する形での「処女検査」が国際的人権団体やキリスト教組織の強い反対にも関わらず現在も続けられているといわれている。
警察官の場合は「法を執行する職務の警察官が未婚で性体験を有するようではその資格がない」というのが処女検査の根拠とされているが、これも婚前交渉を禁忌とみなすイスラム教の影響が深く関係している。
国立スポーツ協会、体操協会、青年スポーツ省はいずれも処女が理由の排除をこれまでのところ否定しているが、コーチとのやりとりで実際に何があったのか「詳細な調査を行いたい」としている。
しかし当面は841人の大選手団を派遣し56競技中52競技にエントリーして熱戦を繰り広げている大会が開催中であることから「現在はフィリピンでの競技の支援に専念したい」としており、本格的な調査は大会閉幕後になりそうだ。【12月5日 大塚 智彦氏 JBpress】
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インドネシアにおける“近年イスラム保守派や急進派が圧倒的多数を背景に「イスラム教規範を半ば強制したり、暗黙の優先がまかり通ったりと宗教的少数派には厳しい状況」が生まれつつある”という流れの一つの事例として取り上げましたが、少し流れが変わってきたとの指摘が。
まず、上記“17歳の女子体操選手”の件については、コーチ側が謝罪する形で取りあえずの決着がはかられたとのこと。
****「非処女で代表漏れ」の女性選手、コーチと和解****
(中略)インドネシア・スポーツ協会、体操競技連盟、青年スポーツ省、東ジャワ州政府まで巻き込んだ騒ぎとなったが、多くの関係者が「SEA GAME開催中は競技に専念する選手のバックアップに徹したい」としたため、大会終了後に詳しい調査と対応を行うということで、ひとまず休戦状態となっていた。
コーチと和解してすでに練習再開
そして12月11日にSEA GAMEが終了したことを受けて問題への対応を関係者が協議。若い女子選手の選手生命を最優先にした結果、強制排除した体操競技のコーチ陣がSASさんに対して正式に謝罪することになったという。(中略)
イスラム規範優先に警鐘も
今回の一件は和解が成立したことで「落着」したものの、合宿から強制排除された「本人の素行に問題があった」とされる夜間の男子選手との外出問題や、そもそも「若い独身の女性選手に処女性を求めるというイスラム教優先の社会規範」などの根本的な問題は解決されていない。
SASさんのケースは病院での検査で「処女膜が残っていたこと」から処女であると判断されているが、地元メディアの中には「処女膜が残っていても必ずしも性交未体験とは限らない」などと伝えたところや「17歳の高校生が非処女であってはならない」と指摘するイスラム教組織もある。
さらに合宿中の夜間に男子選手と遊びに外出することの妥当性、倫理性といった問題も事実関係が明らかにされていないこともあり、報道などで大騒ぎになったためにコーチの謝罪で「手を打った」というのが真相とみられている。
イスラム教徒が人口2億6000万人の88%を占めるという世界最大のイスラム教徒人口を擁するインドネシアでは、近年イスラム保守派や急進派の存在感が強まり、イスラム教の規範が社会の最優先となる事態が続いていた。
ところが10月23日に発足したジョコ・ウィドド大統領による第2期政権は、イスラム穏健派である大統領の強い意向を反映して、保守派・急進派の影響力を弱める穏健派の動きが活発化している。
イスラム教を国教とせずにキリスト教、ヒンズー教、仏教なども等しく認めた「多様性の中の統一」と「寛容性」を国是として掲げるインドネシアの価値観、アイデンティティーが問われようとしている中で、今回のSASさんのケースは問題の根本的解決には踏み込むまでには至らなかったものの、一人の女子アスリートの選手生命を絶つことなくとりあえず丸く収めたという点で融通無碍なインドネシア流解決が図られたということになるだろう。【12月21日 大塚 智彦氏 JB Press】
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【穏健なイスラム教徒が保守的思想や急進的行動へと振れていた振り子を引き戻そうとしている】
イスラム的価値観重視の風潮のなかで起きた騒動でしたが、問題は“17歳の女子体操選”の話にとどまらず、上記のような形で「和解」がなされた背景として、“ジョコ・ウィドド大統領による第2期政権は、イスラム穏健派である大統領の強い意向を反映して、保守派・急進派の影響力を弱める穏健派の動きが活発化している”という点です。
12月5日ブログでは、急進的イスラム主義勢力に支援されたプラボウォ氏の国防相就任を、インドネシアにおけるイスラム主義台頭がもたらしたものとして扱いましたが、逆にプラボウォ氏の国防相就任で、台頭するイスラム急進派を穏健派が牽制する方向に潮目が変わったとの指摘が。
****台頭するイスラム急進派を牽制、穏健派ジョコ大統領*****
世界最大のイスラム教徒人口を抱えるインドネシアにおいて今、イスラム教を巡る駆け引きが活発化している。
イスラム教徒の間で、保守的で、時に急進的ともいうべき「イスラム化」を担ってきたグループや一派に対し、穏健なイスラム教徒が一斉に反発し、保守的思想や急進的行動へと振れていた振り子を引き戻そうとしているのだ。
その旗振り役となっている人物こそ、再選を果たし10月23日に第2期内閣を発足させたジョコ・ウィドド大統領である。さらに、前面に立って陣頭指揮しているのが元国軍副司令官で新内閣の宗教相に抜擢されたファフルル・ラジ氏だ。
イスラム教穏健派と、急成長・台頭した保守派・急進派の対峙は2018年から始まった大統領選で一気に表面化し、瞬く間にインドネシア全土に拡大した。
しかし保守派・急進派の守護神に祭り上げられていた大統領候補のプラボウォ・スビアント氏が2019年の投票で惜敗したばかりか、選挙中に散々非難、中傷、こき下ろした対立候補のジョコ・ウィドド氏が大統領として発足させた第2期新内閣で、プラボウォ氏自身が国防相として入閣したことで完全に潮目が変わった。
「緑狩り」旋風への危惧
こうした動きについて、インドネシア研究家で立命館大学国際関係学部の本名純教授は12月6日にジャカルタで行った講演「第2期ジョコウィ政権の政治〜展望と課題」の中で、「今後インドネシアでは緑狩りが強まる」との見方を示した。
「緑」はイスラム教徒を示す色だ。そこで、スカルノ政権末期の1960年代後半にインドネシアに吹き荒れた共産党員への弾圧「赤狩り」になぞらえ、イスラム教保守派・急進派の切り崩し=「緑狩り」が強まるとの見方を示したものだ。
実際に10月のジョコ・ウィドド第2期政権発足を受けて、宗教省がイスラム教徒の女性が目以外を覆う「ニカブ」の着用を女性公務員に禁止すると言い出したり、聖典「コーラン」の勉強会を許可制にしようとしたり、モスクに警察官を派遣して宗教指導者の説教を監視しようとするような、「反・急進派」的な動きが始まっていると本名教授は指摘する。(中略)
イスラム学校の教育内容に介入
さらに12月4日には、宗教省が全国に点在するイスラム教学校(マドラサ)の教育カリキュラム(指導要領)の見直し指示を省令として出したことが明らかになった。
地元紙「ジャカルタ・ポスト」などの報道によると、高校生に当たるマドラサ12学年のイスラム教に関する指導要領の中で、「カリフ制」と「ジハード(聖戦)」を対象にした見直しが指示されたという。(中略)
こうした宗教省のイスラム教保守派・急進派への牽制の動きに対し一部宗教団体からは「学校教育への国家権力の介入である」との批判も出ている。これに対し国会からは「イスラム教徒の急進的な動きを抑制するには必要な措置」と宗教省の指示を歓迎する声もある。
宗教省は「カリフ制、ジハードに関してカリキュラムから完全に排除せよという指示ではなく、あくまでより広い視点からの指導が必要ということである」として見直しの正当性を訴えている。
報道・表現の自由の制限もやむなし
こうしたイスラム教の保守的・急進的傾向に対するジョコ・ウィドド政権の「より穏健で多様性を認めたイスラム教」への軌道修正は、10月23日の第2期政権発足直後から始動している。
背景には、国是である「多様性の中の統一」や「宗教的寛容を含めた寛容性」といったインドネシアのアイデンティティーが、保守派や急進派の台頭で危機に直面しているとの認識がある。
宗教的少数者、性的少数者、民族的少数者へのいわれなき差別と圧倒的多数のイスラム教徒、それも保守的・急進的なイスラム教徒への忖度などが堂々とまかり通っていたのが最近のインドネシアだった。
ただ、そうした「巻き返し」政策の強力な推進と同時に、公務員や治安当局者などによる政府批判の禁止も打ち出しており、イスラム教保守・急進思想の持ち主、政府に批判的であることなどを公務員の人事に反映される危険性も指摘されている。
特に中央政府、地方政府の公務員はインターネットのSNSで国家5原則である「パンチャシラ」や国家統一などを批判することが禁じられたことは、「言論、表現の自由への制限であり民主主義の逆行である」との批判を招いている。
本名教授も「何をもってラジカル(急進派)と判断するかによって、例えば公務員によるライバル蹴落としに利用される懸念もある」と指摘、「政府批判=ラジカル」との短絡的関係づけは、かつての「政府批判=共産主義の赤」と同じような思想統制・排除に繋がる危険をはらんでいる。
自身は穏健なイスラム教徒であるジョコ・ウィドド大統領は、憲法の再選規定で次の大統領選には出馬できないため任期は2024年までとなる。
これまでの第1期で5年間推進してきたインフラ整備や外資導入、所得格差改善などの経済政策は、2期目も継続しながら、さらに人材育成や環境対策、投資環境改善、雇用創出、地域格差是正などに取り組む姿勢を示している。
一方で、第1期政権で露呈したイスラム教の政治化や保守派・急進派の勢力拡大と存在感誇示は大統領選を通じてインドネシアの二極分断化を招くこととなり、ジョコ・ウィドド大統領にとっては「宗教リスク」を痛感する結果となった。
その点を踏まえ、これからの第2期政権では「穏健なイスラムの復権」と「イスラム教以外の宗教への配慮などによる多様性の実現」を大きな課題として推し進めようとしているわけだ。
第2期内閣で宗教相に元国軍副司令官の軍人出身者を抜擢したり、内務相に前国家警察長官ティト・カルナファン氏を起用したり、イスラム保守派・急進派のシンボルでジョコ・ウィドド大統領の最大のライバルであったプラボウォ氏を国防相としていわば自陣に取り込んだ大きな理由はそこにある。
ジョコ・ウィドド大統領は2045年という建国100年には「世界5位の経済大国」を目指すという大きなビジョンを描いている。その目標達成のためには、表現や報道の自由を多少犠牲にしてでも穏健なイスラム教徒を中心にした「多様で寛容なアイデンティティーの確立」という難しい課題へも果敢に取り組もうとしている。【12月20日 大塚 智彦氏 JB Press】
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「今後インドネシアでは緑狩りが強まる」・・・・これまでのイスラム主義台頭の流れからすると「本当だろうか?」と、俄かには信じがたいところもありますが、世界最大のイスラム国家であるインドネシアが国是であった「多様性の中の統一」や「宗教的寛容を含めた寛容性」を取り戻す方向で動くということであれば、歓迎すべきことでしょう。(表現や報道の自由といった微妙な問題はありますが)