家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

軽トラデエド

2005-12-29 11:14:15 | Weblog
軽トラックで東京に行ってきた。
友人KU氏のお手伝いだ。
KU氏は顔が広く東京の某放送局で使用していたテレコをいただけるということになった。ただし、そのテレコはプロ用のため一台が机ほどの大きさがある。当初私の乗用車で行くものだと思っていたのだがKU氏の軽トラで行くことになったのだ。
東名で事故渋滞があったが約束の13時には目的地に到着できた。
出発時刻、バイパスと高速道路の利用、トイレ休憩の長さ、すべてが正解だった。
某放送局で荷物を積み込んだ。プロ用テレコ2台。金額にして約300万円。
KU氏はお礼を述べて「みかん1箱」を渡した。
「いやぁ、ありがとうございます」と放送局関係者
プロ用テレコ2台=みかん1箱
という計算式が成り立った瞬間であった。
「あれぇ、パンクしているぞ」左後輪が仕事放棄していた。
手際よくタイヤ交換を済ませ帰路に着いた。
東京という街は活気にあふれ高級外車があちこちに見られる。
ランボルギーニ、フェラーリ、ロールスロイス。
わが街にも走っているベンツが実はAMGだったり、VR6のマーク(つまり6気筒)モデルだったりする。
KU氏は車に全く興味がなく私の説明を聞いて
「へーぇ、そんなにすごいの?」と上の空で答えながら、のんびり発進のんびり走行を繰り返した。
私は、そんなマイペースなKU氏が誇らしかった。私なら東京風運転をしてしまいそうだからだ。
しかし直進するとすぐに首都高速の橋脚があり
「左か右か?はいっ決めてっ!」というような二者択一を迫られる場面では「そこ右!」というような私の指図がありがたかったようだ。
遅い昼食をとるために港北サービスエリアに入った。
KU氏は積んできていたガソリンを手動ポンプで注入し始めた。隣に駐車した男性が降りてきてドアロックを確かめてから去っていった。
こんなところでガソリンを注入している人物をほとんど見かけないし、軽トラックの荷台で色違いの毛布に包まれている物体やら我々の風体などを総合判断して
「泥棒、浮浪者」など、良からぬことばかりが浮かんだに違いない。
真っ暗になってKU氏の自宅に無事プロ用テレコ2台を下ろし終えた。
私は軽い虚脱感と狭い助手席での固まった姿勢に疲労を感じていた。
しかしKU氏は往復運転にもめげず、ダッシュボードに乗せてあるみかんを剥いては口の中に放り込み話をする。信号で止まるとエンジンを切り魔法瓶に入れてきた、ぬるい麦茶を魔法瓶の蓋に注いで呑む。
「青だよ。走って」という私の掛け声がなければ話しこむ。
その後我が家で夕食を共にし私の疲労は増し彼は益々元気になって分かれた。
私と彼とのいろいろな違いが我々をお互いに惹きつけてきたのであろう。