家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

音から逃げた

2006-06-02 09:28:30 | Weblog
隣接する小学校の運動会があった。
朝から気忙しい音楽がこだまし駆けつける父兄の車の音がひっきりない。
たまらず郊外のショッピングセンターに避難した。

駐車場から一歩入れば空調が効きさわやかだ。
しかしここも音に関しては喧しいといえる。
館内全体に音楽が垂れ流され、それにテナント毎の音楽が合流する。
子供服屋さんとアジアングッズの店では当然流す音楽は変わってくる。
隣の店の音楽にかき消されてしまうことは許されない。
客引きを担っている音楽はボリュームが落とされることはない。

エスカレーター脇のベンチに腰掛けた。
「エスカレーターにお乗りの際は足元に充分お気をつけください。黄色い線の内側に・・・・。お子様連れのお客様は・・・・・。エスカレーターにお乗り・・・・・・」
何度も何度も注意事項は止むことなく告げられている。

館内の最も喧しい場所は子供たちの遊び場のゲームセンターである。
店の外に置かれたTV画面からアニメの映像と共に子供の声で「ねぇねぇ遊ぼうよ」という誘いが聞こえてくる。
中に入ると、いろいろな大きさのTV画面があり、それぞれからそれぞれの音が、結構な音量で放出されている。
パンチやキックの効果音。レーシングカーの排気音。銃撃戦の音。怪物をやっつける電子銃の音。
まるで滝壺に居るときのように音の出所が多すぎて特定できない。
身体をすっぽり音に囲まれて逃げられず、あちこちから音が体の中に攻め込んで来るような気がして恐怖心すら覚えた。

実際の滝壺では恐怖どころか大いなる安らぎを感じるのに。
オーケストラのフルボリュームは鳥肌が立つほど感激するのに。
耳が拒否した音は暴力だ。