家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

2006-06-14 08:16:30 | Weblog
蛍を見に行った。

暮れなずむ景色に闇が恋しい。

せせらぎの音とカエルの合唱が聞こえる。眠りに就く前の感謝の祈りか。

見え始めた暗がりの中の青白い光の明滅は淡い。

だが単なる交尾目的の信号とは思いたくなくなる。

はかなさがロマンティックであり幻想的でもあるからだろう。

小川に密集した草の中で光る。
大きな木から垂れた枝にとまって光る。
空中を浮遊しながら光る。

弱弱しい光だとは思うが、それでも50メートル先の地点からでも視認できる伝達力を持っている。

隣人の顔が判別できないほど暗くなると一点の光は自己顕示力を増す。

それが同時に10も光ると、私の視覚は刺激から感激という域に達する。

自然の中に生きている生物としての私は身体のどこかに充足感を蘇えらせ人間の作り出した便利という不自然な世界に戻って行くのをしばし拒んだ。