家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

講師 熊倉功夫氏

2011-06-24 10:15:55 | Weblog
静岡文化芸術大学学長熊倉功夫氏の話を聴いた。

花鳥風月という分類により森羅万象を説明する。

東北大震災により各地で自粛となった花見について語る。

「確かに飲んだり喰ったりするだけであれば良くない。だが本来のその意味を知れば悪くはない」

桜の「さ」は神の名前。

「くら」は坐で居ますところという意味だ。

桜の木の下で「さ」という神のお越しを歓迎することで今年の豊作を約束してもらうというものだ。

意味が分かっていれば、おおいに飲み陽気に神をもてなすことは震災後だから、むしろ必要なことだった。

訳が分からずに形だけ残っているものの多いことに気付かされた。

日本人は不足の美、思いが届かないことの美を見つけた。

「わび」という言葉で、それを悲観せずに前向きに考える。

いつまでも美しいままではなく移ろっていくところが美しい。

月も影一つない満月よりも雨が降って見えない月を見るほうが、はるかに美しい。

儚い危なっかしいもの。

それが人生。

ささやかな中に美を見つけていく。

日本人の美学を教わり同感した。

あまりに多くのことを考えたため、まとまりがなくなってしまった。

思い通りにならないのが人生。

これだけ知っていれば、もうそれだけで強く生きていけそうな気がする。