家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

柿は秋の行動の元

2014-11-10 08:24:44 | Weblog
干し柿を作るのは、もう何年も前からの我が家の習わしだ。

その恒例になっているものの中でも新たなものと、そのままのものとがある。

近所の知り合いから干し柿の干し方の画期的な方法を教わった。

ただし彼の干す柿は長野の市田柿。

我が家は山梨の甲州百目。

大きさの差があって彼の方法は使えない。

やはり今まで通りT字型に残してくれた枝にヒモを括りつけて吊るすことになる。

皮を剥いてから消毒をする方法も違う。

山梨県の増穂にある望月農園に柿を買いにゆく。

望月農園では主品目であるラ.フランスを買うと共に何個も食べさせてもらい、さらに妻の趣味の染用としてクルミの殻をもらってきた。

また妻の友人とのランチも柿の買い出しと同じくらい大切なものだ。

お互いに尽きない話をランチタイムで終わらせるのは難しいものだ。

さて我が家に集めた渋柿の皮をむくのは妻そしてそれを干す場所を作るのが私だ。

取り外し可能で干しやすく外しやすいものにする。

干し柿を作るのは、ある時期だけだし雨が降ったら取り込む必要がある。

ベランダに置いてある縁台を利用することにした。

高すぎず低すぎず長すぎず短すぎず。

我が家にあった頃合というものを理解して作るのは楽しい。

比較的温暖な気候なので、ともするとカビてしまう。

だがいつもは邪魔くさい風が、この時期だけはありがたい。

ベランダにきちんと並んだ柿を食べたいヒヨドリが電線に止まって「ピーヨピーヨ」と鳴いている。

いちおうヒヨドリには、つつきにくい位置に柿を並べたつもりだ。

麿ちんが番をしてくれれば「家族全員で作る干し柿」となるのだが別の場所で高イビキ。

出来上がる干し柿を待っていてくれる母がいなくなってしまったことは大きくやる気を削ぐ。

だが毎年柿太りする私たち夫婦の習わしは続く。