家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

電傘

2014-11-23 17:55:27 | Weblog
森町で催されている「町並みと蔵展」で電傘を購入した。

ある骨董店に入るとご主人が誰に喋るとはなしに

「これは○○円で買ったけど○○円で売るよ」という。

しかも2個ずつがペアになっている、その4個とも。

「買う」と即決したが口には出せない。

だってお金も持っていないし。

町並み展の端にある店でコロッケを買っていた妻が私のいるところに追いついた。

妻には小声で安価な価格を伝えてあるが彼女は、さらに、その上を望む。

「これいくらになります?」

「それじゃあ1000円お引きします」とご主人がいうので飛び上がりたいほど嬉しかった。

嬉しくて歩きながら受け取った袋を空中でグルグル回したくなった。

買った物は車の中に入れておいて、いろいろ用を足してから夕方帰宅した。

荷物を車から降ろし、あちらこちらに片付けた。

さていよいよ一番嬉しい瞬間だ。

買ってきた電傘を見ながらイッパイやることにした。

袋から出し新聞紙を解く。

「いやあ、やっぱりきれいだなぁ」と感激する。

「あれっ」新聞紙の包が3個しかない。

2個を一つに包んだのかな?

やはり1個もらい忘れてきたことが発覚した。

この期に及んで気がついても、もう店も閉まっているし店の電話番号も聞いてない。

明日直接店に出向くしか選択肢はなかった。

一気に脳みその中にイロイロな思いが渦巻く。

開けたビールの栓だが、たいして美味しくないことになってしまった。

翌日早々に、その店に行く。

昨日包んで、そのままになってしまった包を私に渡して

「やれやれ」という感じで本当に困ってしまっていた胸の内を吐き出した。

ご主人は私たちを追いかけて観光客の中を必死で探し回ったという。

奥さんは直接それらを包んだため、たいへん責任を感じてしまったようだ。

二人で互いに責任を感じて取りに来てくれて渡すことを願っていたのだ。

売り手も直接店に私が出向くしか選択肢がないことが辛かったのだ。

買った側よりも売った側のほうが、さらに気をもむ出来事だったことを知った。

私も「機嫌が悪くなって猫に当たってしまいました」と正直に伝えた。

こうして入手した電傘だが今のところ、どの傘と交換するか決めていない。

少し贅沢なのだが何せ安価なものだから、とりあえず買っておいた。

4個で1個分以下の値段だった。