家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

週に2回の葬儀

2018-05-23 16:38:30 | Weblog
妻の側のおばさんが亡くなった。

93歳だ。

町田市まで行くことになった。

通夜は5時からということで予約したホテルに3時に到着すればよい。

高速道路は使わずに国道を走っていった。

沼津で早めの昼食とし箱根に向かった。

ここで箱根ターンパイクを走り芦ノ湖の見える場所で休憩をとった。

その後は西湘バイパスを走り海を見ての走行となった。

茅ヶ崎からは圏央道。

相模原愛川で下りてホテルには、ちょうど3時にチェックインした。

葬儀式場は、まるで妻のいとこ会であった。

通夜会場ではあっても、お互いに懐かしむ昔話に花が咲いていた。

私は、まるで門外漢というわけでもなく、そこそこの居場所は確保できていた。

帰宅して3日目に次の葬儀の知らせを受け取った。

今度は私の側のおばさんだった。

92歳で事前に入居していた施設側から、そろそろ準備を、と言われていたらしい。

私の側のいとこは人数が少なく父側の親戚とは、あまり付き合いもなかったので「誰かわからない人」が続出だが私も知りたいとも思わない。

1週間に2会の葬儀出席であったが疲労感が残った。

「人疲れ」とでも言おうか。

いろいろな人や家族の様子を見る。

意外な一面を見ることもあった。

何かしら実りのようなものを感じもした。

学歴は、もう関係のない年齢になっている。

燃え尽き症候群ではないかと思える人もいる。

自分に問いかけた。

生き生きしているか。

今を楽しんでいるか。

家族が楽しそうか。

自分を見る鏡という意味もある葬儀。

亡くなった人が私に会わせてくれる親戚。

坊さんの読経を静かに聞けない子供。

これが居て世代交代だと感じる。

慌ただしく過ぎていった時間とオカネ。

この先しばらくは、そっとしておいて欲しい。