家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

時代劇を視るようになった

2019-08-14 08:30:44 | Weblog
最近気がついたことがある。

TVを見ていて言葉が聞き取りにくい。

クーラーが鳴っていたり扇風機の音が響いていて聴き辛いのかと思った。

翌朝起きてTVを付けると昨夜は、かなり大きな音量になっていたと確認する。

だがそれは少し前のことであって最近は、かなりの音量にしても聞き取れない。そこで字幕を視ることにした。

もちろん日本語での放送にでもだ。

すると音量は下げて、しかも聞き取れるようになった。

たとえばNHKの「おしん」などは山形弁から佐賀弁が多く出てくる。

そんな時にも分かりやすくなった。

耳の機能の低下がはっきりし始めた。

母方は耳の遠くなった年寄りが多かったから、そちらからの遺伝だと思う。

もう一つ、時代劇が自分の視るTV番組の中に入ってきた。

最近は「新選組血風録」や「雲霧仁左衛門」が楽しみになった。

これは自分の年齢によって、そうなってきたとは思わない。

たしかに今までは、あまりにも単純なストーリーの時代劇を避けてきた。

今も単純なものは好きではないが時代劇というだけで毛嫌いはしない。

少し歴史の知識が増えたこともあるかも知れない。

池波正太郎作のものを視ると衣装や食べ物や家具など、あらゆるものに気が配られている。

先日骨董市に行ってみたら日本刀が多く展示されていた。

「これで命をかけて戦っていたのか」と怖くなり当時の人たちの真剣さが伝わってきた。

生死は今と比べものにならないくらい身近なものであったろう。

また歩くしかなかった時代だから、どこまででも歩いていくことが普通であった。

当時の人間が現れたら、現代は、とてつもなくずるく生きているように感じるだろうなと思う。

今YOUTUBEでグルダを聴きながら文章を書いている。

ありがたいことだと感じている。

また妻の欲しかった楽譜を自宅のパソコンで購入ダウンロードし自宅のプリンターで印刷して渡した。

便利な時代だ。

残念なことに、この時代に真剣に生きていくというのは、どういう生活をすればよいのかが分からない。