友人が定年退職するにあたり退任記念展というものを静岡文化芸術大学のギャラリーで催している。
初日には私の年配の友人と顔を出し二日後に妻と行った。
2度目の時、ふと作品に黒く影が気になった。
ギャラリーは天井からライトが当たっている。
当然作品には影ができている。
「おっ、この影がいいな」と直感して写真を撮っていった。
するとある作品には上から見た部分と影、そしてその裏側、さらにそれを支える脚の部分という構成になっていて色々な角度からの見方があるなと思った。
影は光の当たるときしか出ない。
むしろ光の当たらない部分の方が当たる部分よりも多い。
そんなことを考えたら次に自分自身のことが気になり始めた。
自分自身の見え方とは、どういうものなのだろう。
光の当たる部分と影はどれで裏側とか支える部分はどれなのかな。
そう考えていたら本人が顔を出してくれた。
彼に今考えていたようなことを告げると、大した返事はなく、この作品を作るにあたっての苦労話をし始めた。
「俺の話はどうなんだよ」と思うと彼の記念展のチラシの中に充分彼の考え方として書かれていた。
ごあいさつ
心象風景をテーマに作品を制作しています。
子供のころに見た武蔵野の風景であったり、旅先で出会った風景であったり、高速道路を運転しているときにふと視界の端を通り過ぎた風景であったり。それらの景色が原点となり、感性を刺激し、断片的に自分の中に記憶されていきます。
作品を制作するということは、この蓄積された感性の断片を確認していくようなものかもしれません。
心象風景として広がる感性の原野を少しずつ形にしていくのが私の作品であり、その多くは俯瞰された風景です。
その風景を大好きな鉄を使って表現しています。作品をとおして「鉄」の温かみや柔らかさを感じていただければ、幸いです。
とね。
教授というお堅い仕事はもうこれまでにして元来の芸術家(変人)らしく生きてくださいよ、と思う。
退任後の初作品が見てみたいと感じている。