雪月花で金澤英明トリオを聴いた。
初めに金澤さんからドラムス石若駿が1992年生まれだと紹介があった。
まだ若干17歳。
この一言で私の耳はドラムスの音に注意を注ぐようになった。
だがその意識を途中で止めた。
「年齢なんか関係ない」と気付いたと言ってもいい。
熟年ベーシスト 青年ピアニスト 少年ドラマー が音楽をやるってだけだ。
3人がそれぞれバラバラに演奏しているようで、ある瞬間「ピタッ」と合う。
それが謎のように思えた。
拍数を数えているようでもないし、だいいちソロ演奏がどの程度続くかも分からないようだし。
また目を瞑って演奏したりしているから合図を見ているわけでもない。
謎は最後まで謎のままだった。
ピアノとベースが同じ旋律を引きドラムスがそれと同じリズムを刻む。
すると、とても良い感じに充たされる。
「単純なサウンドが心地良いなぁ」となる。
だがやがて次々に混沌の世界に入り込み私の頭の中が「ワー」となってきた頃を見計らって元のメロディーに戻される。
やはり彼らの意図して引き起こす心地良さに辿りつくのだ。
聴衆は、まんまとトリオに手玉に取られているわけだ。
乗せられに来ているのだから、それが最高の喜びというものだが。
少年の叩くドラムスは、激しくもあり、それがしつこくも感じた。
若さというより演奏家自身の性質(たち)によるのだろうと思う。
ドラムスが雨を降らせたり嵐を起こしたりして状況を作り出しピアノがあれやこれやの言葉で説明してくれる。
ピアノがいくら歯切れよく、たくさん喋ろうと最後は爺さんの「おれの言うことを聴け」とゆっくりと、どすの利いた声での喋りが彼らを圧倒する。
金澤氏のベースはどっしりとした「この家の主(あるじ)的」とでもいうような音であったのだ。
弓を使った長い言葉も、はたまた指先で弾かれ、はかなく消えゆく短い言葉も長く生きてきた重みがあった。
この爺さん、エネルギーに満ち、そのうえ弦の上を両手の指が飛び回るほど軽やかな身体能力も併せ持つのだ。
このとんでもない爺さんにサインしてもらった。
4/16発売予定の最新アルバムの何と「チラシ」に。
CDを買ったわけでもないのに快くスラスラと書いてくれた。
初めに金澤さんからドラムス石若駿が1992年生まれだと紹介があった。
まだ若干17歳。
この一言で私の耳はドラムスの音に注意を注ぐようになった。
だがその意識を途中で止めた。
「年齢なんか関係ない」と気付いたと言ってもいい。
熟年ベーシスト 青年ピアニスト 少年ドラマー が音楽をやるってだけだ。
3人がそれぞれバラバラに演奏しているようで、ある瞬間「ピタッ」と合う。
それが謎のように思えた。
拍数を数えているようでもないし、だいいちソロ演奏がどの程度続くかも分からないようだし。
また目を瞑って演奏したりしているから合図を見ているわけでもない。
謎は最後まで謎のままだった。
ピアノとベースが同じ旋律を引きドラムスがそれと同じリズムを刻む。
すると、とても良い感じに充たされる。
「単純なサウンドが心地良いなぁ」となる。
だがやがて次々に混沌の世界に入り込み私の頭の中が「ワー」となってきた頃を見計らって元のメロディーに戻される。
やはり彼らの意図して引き起こす心地良さに辿りつくのだ。
聴衆は、まんまとトリオに手玉に取られているわけだ。
乗せられに来ているのだから、それが最高の喜びというものだが。
少年の叩くドラムスは、激しくもあり、それがしつこくも感じた。
若さというより演奏家自身の性質(たち)によるのだろうと思う。
ドラムスが雨を降らせたり嵐を起こしたりして状況を作り出しピアノがあれやこれやの言葉で説明してくれる。
ピアノがいくら歯切れよく、たくさん喋ろうと最後は爺さんの「おれの言うことを聴け」とゆっくりと、どすの利いた声での喋りが彼らを圧倒する。
金澤氏のベースはどっしりとした「この家の主(あるじ)的」とでもいうような音であったのだ。
弓を使った長い言葉も、はたまた指先で弾かれ、はかなく消えゆく短い言葉も長く生きてきた重みがあった。
この爺さん、エネルギーに満ち、そのうえ弦の上を両手の指が飛び回るほど軽やかな身体能力も併せ持つのだ。
このとんでもない爺さんにサインしてもらった。
4/16発売予定の最新アルバムの何と「チラシ」に。
CDを買ったわけでもないのに快くスラスラと書いてくれた。
ベーシストがこの評論を目にすれば
握手を求めて来るに違いありません。
たいへん良かったと感じました。
非凡な才能の持ち主たちの演奏ですので、それはそれはすごいものでした。
読後「何者?」と言ったそうです。
このライブでその主催者に会って、その話を聞かされました。正直言って、どう書いたか覚えていませんでした。それは金澤氏も同様でした。
帰宅してから以前の感想文を読み返してみました。
近いうちに、載せてみますかね、このブログに。