家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

モーガンのトランクルーム

2009-10-07 11:01:07 | Weblog
先日バッテリーにブースターケーブルをつなげる時にO氏は素晴らしい改造をしてあった。

それを真似してみた。

モーガンは狭いトランクルームのその下にバッテリーが入っている。

トランクルームは92センチ×46センチのパネルで区切られている。

そのパネルの上に物を置き、その下にはバッテリーやフュエルポンプなどがある。

そのパネルを外さないとバッテリーに触ることは出来ない。

で、そのパネルを外すとなると、けっこう大変なのだ。

そのパネルを外さずにバッテリーに触るにはパネルを2分割して後ろ側を固定し前半の、更に2分割した部分を開くようにする。

蝶番で固定された前側2枚は一旦山になって開き最終的には折りたたんで置くことも出来る。

これなら「ササッ」と作業出来そうだ。

ただこのパネルが薄い合板で出来ている。

その薄い合板を分割してしまうのだから強度がかなり落ちる。

重い物は乗せられないなと感じた。

通常このトランクルームに乗せる物といったら屋根と窓くらいだから大丈夫だと思うが。

それでもダメなら、元のパネルに戻すという手もある。

元々ほとんど開く必要のない部分という造りになっているのだろう。

バッテリーもエンジンルームに入れてくれてあれば問題ないのに。

雨のモーガン

2009-10-05 08:39:25 | Weblog
雨は西から東に向かって上がり我々は西から東に向かって走る。

だからいつまで経っても雨からは開放されない。

普通の車のような快適さはないが、屋根を張ってあるので雨に直接当たることはない。

またお体裁のようなワイパーも、まあまあ効いている。

しかしエアコンなどないので窓が曇るし何故か右足が濡れるのである。

100円ショップで購入したてのトランクカバーは走り始めて30分後には破れていたと後ろを走ってきたO氏から聞いた。

道の駅でO氏のバッテリーが上がった。

私のモーガンからブースターケーブルをつなげば良いのだが、それには全ての荷物を降ろし、その下の板を外さなくてはならない。

雨の中それは難しい。

その点O氏のモーガンは長年の経験からバッテリーにケーブルをつなぎ易くするように改造されていた。

これはすぐにでも真似すべき点であった。

雨が止んで屋根を外すと爽快な気分になった。

モーガンは直接外の空気に接することが重要である事を実感した。

だが今までのように、やたらと雨を避けるのではなく「雨でも困らない」と思うようになった。

精神的な大きな進歩と言えよう。

細かな改造でもっともっと雨が気楽になる要素が有る。

それもモーガンの楽しみのひとつと言えるかもしれない。

モーガン雨仕様

2009-10-03 05:38:04 | Weblog
今日はMECJ清里ミーティングの日だ。

天気予報では雨のち曇り。

モーガンを雨使用にした。

トップを久しぶりに張った。

張りかたを忘れているほど久しぶりだ。

ワイパーも付けた。

トランクは木と革で作られている。

これもカバーしないといけない。

「ひょっとして」と思いついてサイズを測ってみた。

ほぼエアコン室外機用と同じだ。

100円ショップで購入してきた。

被せてみるとピッタリだった。

しかも下にヒモが付いていてしばることができる。

完璧な100円だった。

さてこれで雨が降っても走れる。

ただ今雨は降っていない。

しかし空は雲が立ち込めていて、いつ降り出してもおかしくはない。


倒れたコナラ

2009-10-02 07:51:22 | Weblog
雨戸を開けているときに気が付いた。

コナラが倒れてミカンの木にもたれかかっていた。

以前からこのコナラが枯れていたことは承知していた。

夏になっても葉を一枚も付けなかったからだ。

そのうち切り倒そうと考えていたが木の方から倒れてくれた。

枯れているとはいえ、なかなかの重さだ。

枝を切り落として少しずつ移動した。

切り口を見るとやはり虫の穴がたくさん空いている。

枯れた原因は虫とみてよさそうだ、

倒れた原因は分からない。

風?動物の体当たり?

それとも自らの意思?


療養中

2009-10-01 08:33:10 | Weblog
友人O氏が久しぶりにやってきた。

聞けば今自宅で療養中だという。

詳しい話を聞いたら肺がんのため患部摘出手術を受けたということだ。

ファイルを持っていて O氏の病気 手術 入院 支払い 果ては病室で食べた物まで全てのことが見事に分かるようになっていた。

これは遺伝的宿命を共にするO氏の子孫には宝物だと思う。

話の途中から私は大きな声で笑うようになっていた。

それはO氏が助かったからなのは、もちろんなのだがO氏なら何度何の病気になっても負けないであろうと感じたからだ。

そして私自身の病気や死への恐怖感も遠のくのを感じたからだ。

O氏は「心構えが出来ている」つまり頭の中が非常にすっきり片付けられている。

ずっと以前からO氏に「オレの弔辞を書いておいて欲しい」と言われている。

私もバカ正直に「分かりました」と言って書いてある。

実はO氏が来る以前、同級生T君がやってきていた。

T君は病院内で心筋梗塞になりかけ即手術が出来て命をとりとめたという強運の持ち主なのだ。

だがT君の口から出てくるのは「死にかけた」ということだけであった。

病気の理解も乏しく生への感謝もなかったし、また生活を変えたという新しい出直しもなかった。

ただ死への恐怖を語るのみに終始して見苦しかった。

そこへいくと友人O氏は現状の全てをよく理解し今後の希望に燃えてもいる。

私より年上なので私が見習いたいと思う良い例だ。

手術室に入る前に一応「さようなら」と家族に告げたという。

そんなさわやかな最期でありたいと願う。

O氏がそんなことになっているとは知らずノーテンキなブログの内容をメールしていた。

だが「楽しみにしていたよ」と言ってくれた。

結局また私が励まされた。

まだまだ逝きそうもないので弔辞は今後何度も書き直しの必要がありそうだ。