家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

療養中

2009-10-01 08:33:10 | Weblog
友人O氏が久しぶりにやってきた。

聞けば今自宅で療養中だという。

詳しい話を聞いたら肺がんのため患部摘出手術を受けたということだ。

ファイルを持っていて O氏の病気 手術 入院 支払い 果ては病室で食べた物まで全てのことが見事に分かるようになっていた。

これは遺伝的宿命を共にするO氏の子孫には宝物だと思う。

話の途中から私は大きな声で笑うようになっていた。

それはO氏が助かったからなのは、もちろんなのだがO氏なら何度何の病気になっても負けないであろうと感じたからだ。

そして私自身の病気や死への恐怖感も遠のくのを感じたからだ。

O氏は「心構えが出来ている」つまり頭の中が非常にすっきり片付けられている。

ずっと以前からO氏に「オレの弔辞を書いておいて欲しい」と言われている。

私もバカ正直に「分かりました」と言って書いてある。

実はO氏が来る以前、同級生T君がやってきていた。

T君は病院内で心筋梗塞になりかけ即手術が出来て命をとりとめたという強運の持ち主なのだ。

だがT君の口から出てくるのは「死にかけた」ということだけであった。

病気の理解も乏しく生への感謝もなかったし、また生活を変えたという新しい出直しもなかった。

ただ死への恐怖を語るのみに終始して見苦しかった。

そこへいくと友人O氏は現状の全てをよく理解し今後の希望に燃えてもいる。

私より年上なので私が見習いたいと思う良い例だ。

手術室に入る前に一応「さようなら」と家族に告げたという。

そんなさわやかな最期でありたいと願う。

O氏がそんなことになっているとは知らずノーテンキなブログの内容をメールしていた。

だが「楽しみにしていたよ」と言ってくれた。

結局また私が励まされた。

まだまだ逝きそうもないので弔辞は今後何度も書き直しの必要がありそうだ。