司馬遼太郎さんが書いた「このくにのかたち」のタイトルをみるとかなり日本に絶望していたんじゃないかなと思います。人が「このくに」とか「この会社」とか言い出したときは、それに希望が持てなくなった時ではないかと思います。と第68話で書きました。
あれから10年経って私の絶望感は益々深くなりどうしても「我国」とは言えず「この国」と言ってしまいます。
そんな「この国」についての面白い説がありました。
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皆さんはこの平成の時代になって、「我が国」と言う言葉を良く聞かれるようになられたでしょうか。それとも「この国」と言う言を良く聞かれるようになられたでしょうか。
恐らく「我が国」と言う言葉を聞くことは皆無に等しく、殆どその言葉は「この国」と言う言葉に置き換えられて語られているのが平成の時代の一つの特色ではないでしょうか。
ここまで言えば賢明な多くの読者の方はこの「この国」と言う言葉を誰が流行らせたのかを御存じかと思いますが、それは司馬遼太郎氏です。司馬氏の小説では「坂の上の雲」を初めとして、「この国」と言う言葉が連発され、それに影響された戦後の日本の多くの知識人達が「我が国」では無く、「この国」と言う言葉を使うようになったと言われています。(このことに反論のあられる方は伊勢さんまで御連絡下さい。)
そして平成の現代では「この国」と言う言い方が一般の日本国民にまで広がり、それはあの「新しい歴史教科書をつくる会」の中心におられた有名な保守派の方も同じで、無法松はかってこの方の講演で「この国」の言葉が何回連発されるのかを数えたところ10回は超えておられました。その間、「我が国」と言う言葉遣いは1度も無法松の記憶に無く、やはり、保守派と言っても全共闘世代の人間は駄目だと思ったものでした。なぜ駄目かと言うと、「この国」と言う言葉遣いには祖国に対する責任・絆・忠義・愛着・帰属意識などが感じられないからです。
「この国」と言う言葉遣いには良く言えば自分は日本と言う国を客観的に見ることができると言う思い上がった意識が感じられ、悪く言えば、自分は日本と言う愚かな国の人間では無く、日本人であることから逃避したいと言う深層心理を感じるからであります。このように感じるのは何も無法松だけでは無いと思います。・・・以下略
成る程、思い上がった意識ですか。そうかもしれませんね。私も、「この国」と言うときには絶望感だけでなくどことなく「自分は日本と言う愚かな国の人間では無く、日本人であることから逃避したいと言う深層心理」があるのかもしれません。
今回の選挙でも私は民主党を選ぶことはできませんでしたが、かといって自民党も選べず、白紙投票をしてしまいました。そして、現在の民主党の無茶苦茶さを見ながら、こんな奴らを選んだ人達に「あんた達が選んだんだから思い知るんだな」なんてどちらかといえば思い上がった気持ちで見ているようです。
実際に、どう考えても人類の歴史始まって以来、我々団塊の世代が生まれ育った戦後の日本ほど恵まれた時代は殆ど無かったと言えるる。そんな素晴らしい国に生まれ育って「この国」としか言いたく無くなってしまったのが余りにも悲しい。
そして、一段と「この国」としか言いたくない気持ちが増しています。こころから「我が国」と言える日のくることを期待したいものです。
もう無理なのか!