平山郁夫さんが亡くなられました。シルクロードの絵が有名で画壇の頂点の人というくらいしか知りませんでしたが、広島で原爆に会われていたとは知りませんでした。
窓に息を吹きかけ、指で絵を描くのは幼子だけとは限らない。描きたい、描く、という衝動が指を絵筆に変えたのだろう。平山郁夫さんは新幹線の窓に不動明王を描いている◆1977年(昭和52年)8月、広島市で原爆忌の供養式に参列して東京に帰るときのことで、当時47歳である。その2年後に発表された『広島生変図』では町を焼き尽くす業火の渦巻くなかに、憤怒の形相も荒々しい不動明王が不死鳥のように立つ◆15歳で被爆し、以後20年間、広島に帰らなかった。絵の題材に困ったときも、原爆は描かなかった。〈生き残った私に後ろめたさがあったのだろう〉と、本紙連載「自作を語る」にある◆被爆体験が平和の祈りとなって新幹線車中の指先からほとばしるまで32年という歳月を要したことが、その人の心身が背負いつづけた苦しみの重さを物語る。唐僧玄奘を描いた『仏教伝来』をはじめとしてシルクロードや仏教を題材に、雄大にして叙情あふれる数々の作品を残し、平山さんが79歳で亡くなった◆画集をひらく。平山さんの色と言っていいだろう。月明かりの沙漠(さばく)の夜空、群青が目にしみる。
それであれば下記のことなどご存知だったのでしょうか。
頂門の一針より
知らなかった「シルクロードの核汚染」 毛馬 一三
「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏の卓見「シルクロードの核汚染」を読み、驚愕した。それは、札幌医科大学・高田純教授がNHKに出した公開質問状に一節に、こう記されているという内容のことだった。
<高田教授は、核爆発災害研究の専門科学者として、世界の核被災地を調査してきたが、中国共産党がシルクロードの要所であった楼蘭遺跡周辺での総威力22メガトンの核を爆発させ、世界最悪の災害発生を確認した。
その総核爆発は、広島の核の1375発分。現地では 100万人以上のウイグル人たちが死傷したという。(伊勢雅臣「シルクロードの裏側」より。http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/)
しかもNHKはその事実をよく調べもせず、1980年3月に現地入りして撮影し、『シルクロード』を放送。それを見て、27万の日本人がシルクロード入りし、知らずに放射能を浴びて帰ってきた>というのだ。・・・以下略
きっとこんなこと知らなかったのでしょうね。知らずにシルクロードに魅せられて何度も訪れたのであれば知らず内に放射能を浴びてしまっていたのではないでしょうか。それで寿命を縮められたなんてことがあったのかもしれません。
もしこのことを知っていればきっとシルクロードへ行くこともなかったのじゃないでしょうか。そうすれば代表的な作品も生まれなかったのかもしれません。なんと言う皮肉なのでしょうか。
中国を信頼もしていたのでしょうがその人をも騙して利用した中国の恐ろしさを感じずにはいられません。
知らずに逝かれたことがせめてもの慰めなのかもしれません。それにしても罪な国ですね。
何とも腹立たしい!