コンビニやスーパーのレジ袋は環境問題の象徴のように非難を浴びていますが、単身赴任時代には私も随分お世話になりました。買い物を入れて帰った袋を取っておき、それにゴミを入れてマンションのゴミ捨て場に出すのに都合が良くて重宝したものです。
今も、タバコの吸殻やゴミを拾って歩くのにあのレジ袋が丁度いい大きさで重宝しています。
その所為もあって、レジ袋の廃止を諸手を上げて賛成とは言い難い気持ちがあるのです。その上、レジ袋の節約なんか原油の利用料からすれば誤差の範囲で何の役にも立たないと言う説もあったりするので尚の事悩みます。参照:武田邦彦 (中部大学)
間伐材で作られていた割り箸を悪者にして日本の箸製造業が壊滅し、日本の山林が荒れたあげく、丸太から製造される中国からの輸入に取って代られてしまったという何とも間抜けな話もあります。
そこには、一つの現象だけを見て、物事の善悪を決め付ける怖さがあります。
しかしながら、反対し難いレジ袋が道端に散乱していたり、私の通勤途中の運河に浮かんでいるのを見たりすると、やはり廃止もありかなと思えて来ます。
この部屋でも何度も書いているタバコのフィルターやペットボトルなど捨てられても何時までも劣化しないものはなるべく使わないようにすると言う考え方もあるのじゃないでしょうか。もちろん、一番悪いのはそれを使う人たちのマナーなのですが、これを教育で根本から解決するのが最良の方法ではあるが、不可能に近いものがあるようです。そうであるなら、その原因となる物を作らないのも一つの解決方法ではないでしょうか。
ということで、レジ袋廃止に消極的に賛成します。もちろん、ペットボトルやタバコのフィルターも含まれます。やるなら分解性にするべき。
やはり問題は人間か!