団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★正伝 出光佐三 ──日本を愛した経営者の真髄

2021年07月09日 | 日本的経営の崩壊

 80年代に戦前に育った経営者が一線を退き、戦後育ちの自虐史観に犯された経営者が後を継いで、今の日本の堕落を齎したと言っても間違いはないでしょう。

  その戦前育ちの経営者の代表と言えば本田宗一郎さんでしょうが、出光佐三さんは従業員を大事にする経営では一番でしょう。

  その出光さんの評伝を新しく書いてくれた本が出たようです。宮崎さんが書評で取り上げてくれています。

  この経営者が劣化した時代に警鐘を鳴らす意味でもタイムリーな本じゃないでしょうか。
  非正規社員や外国人労働者を使い日本経済をここまで劣化させた今の経営者に是非読んで貰いたいものです。

  「宮崎正弘の国際情勢解題」より   令和三年(2021)6月30日(水曜日)
 通巻第6967号  
    
  書評

 終戦二日目に出光佐三は社員への訓辞を書いた
  「大東亜戦争は『消えた』のであり、勝負は決していない」

 奥本康大『正伝 出光佐三  ──日本を愛した経営者の真髄』(展転社)

 『海賊と呼ばれた男』という映画を見た。五年ほど前だった。試写会だったか劇場だったかの記憶はない。
 映画は劇的なシーンを重ねて盛り上げているのだが、セットがみすぼらしくて、ずばり感動が薄かった。主演者の下手な演 技もさりながら、評者(宮崎)が学生時代に、感動して二回読んだ出光佐三本人の『日本人にかえれ』の読後感とすごく違う のである。もっとも映画も原作本も主人公の名前は違ううえ、原作を読んでもいないので、映画の話はこれくらいで措く。
 本書を読んで、その違和感の原因が得心できた。
 出光佐三の先祖は宇佐神社宮司だった。大家族であり、苦学して神戸の高校にすすんで、丁稚奉公にでて社会を学んだ。
 若くして油をあつかう会社を立ち上げた。その無名の青年がひたすらがむしゃらに働く日常をじっと監察していた素封家 は、その不屈の精神に惚れこみ、ポンと現在の価格に換算して一億円を佐三にあたえた。その恩人は日田翁。「返せとも言わ ないし、利息も不要。やりたいことをやってみればええが」。
 その頃、資源産業の現場を執拗に精密にみて廻っていた佐三は「あと五十年で石炭は廃れる」と予測した。三井三池炭鉱全 盛、飛ぶ鳥を落とす勢いの頃である。
 型破りの行動力を伴って、官庁と軍を説き伏せ、或る時点から出光は海外へ商圏を急拡大した。昭和十二年には多額納税者 入りし、国会議員にもなった。
 ところが海外への商圏拡大は仇となった。敗戦で抱え込んだ借金は、現在の物価価値に換算して500億円強だった。
不可抗力とはいえ、人生万事、波瀾万丈。

 なにも海賊的行為をしたわけではなく、日本精神、とりわけ教育勅語に則った社員教育をなし、ひとりの首も切らずに戦後 はラジオ修理などもやりながら耐えた。家族のような絆で社員は結ばれていた。
 社員の入社式で佐三の訓辞は『卒業証書を捨てよ』だった。だから、本書の奥付で奥本氏は肩書き学校名のところを「卒業 証書は捨てました」と書いているのだ。そう、この本の著者は出光OBである。
 石原慎太郎が出光佐三をモデルにした小説は『挑戦』である。
これも学生時代に読んでいるが、国際カルテルであるメジャーの徹底的な妨害にもめげずに、イランから自社タンカーで石油 輸入に賭けた男の情熱、灼熱をテーマにした愛国的な作品だった。
 戦後の日の丸タンカーのことは年配者なら昨日のことのように覚えている。日章丸、英国の妨害、訴訟に怯まず、出光は 堂々と民族資本としてイランから石油を輸入した。カルテル、メジャーの國際支配の壁をぶち破った快挙は、GHQ時代の閉 塞感を吹き飛ばした。
 昭和天皇陛下は出光佐三を追悼して御製をおつくりになった

  国のため ひとよつらぬき 尽くしたる きみまた去りぬ さびしと思ふ

 出光佐三の希望により、分骨された骨を収納した墓は尊敬した鈴木大拙が眠る同じ寺、鎌倉東慶寺にある。
 本書は海賊という歪んだイメージを正した正伝である。

  出光が作った映画も宮崎さんのメルマガに投稿されていました。こちらは宮崎さんも評価されています。

 


  それにしても、とうとうアメリカから外国人労働者問題を指摘された今、日本の経営者達に反省して貰いたいものです。
  動画は出光興産によって削除されたようです。残念です。
  

是非、日本的経営を取戻せ!

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