明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



大覚禅師こと蘭渓道隆師は、着彩を残しおおよそ完成としたい。完成させるのが惜しいような、初めての気分である。線描画から立体像を作るのは、創作の余地があるので楽だが、迫真の描写でありながら、陰影のない頂相を立体化する難しさ。人間の顔についてのデータの記憶量がものをいうことが判った。 日本人にとって陰影は説明である、と画家の方がいうのを聞いたが、それから立体を起こし、それをまた陰影を排除した画に変える。こうして書くと、一体私は何ををやっている、と思うが、こうせずにはいられない事情が私にはあるはずなのである。蘭渓道隆を人間大に拡大した時、それが判明するのではないか?ただの酔狂で数ヶ月かけて、こんな面倒なことをする訳はないだろう。ヘソ下三寸に居るもう一人の私は、常にこうして私をどこかに連れて行くが、出来れば早く解明し、最初から緻密な計算に基づいて制作して来ました。という顔をしたい。

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