昨夜、家人と一緒に、NHKBSの『神様の赤ん坊』を観た。若い時に、子供を宿したがおろしてしまい、20年が経過。あれ程、愛しあったのだが、今の暮らしもたんたんとすぎて行く中、うまく心が通わない若いカップルが赤ん坊を電車に置き去りにする。電車の車掌の40代の主人公は、必死で置き去りにした若い女性を追う。主人公の妻も探す。若い女性は、教会で優しくさとされ、赤ん坊を探しに行く。そして、無事赤ん坊がそのカップルに手渡たされる。このドラマに含まれているそれぞれの思いが、よく表現されており、良いドラマであった。新たな生きる何かを教えてもらえるようなドラマであった。それは人生にとって大切な大事な・・である。
日に三度の食事、洗濯、掃除(部屋、浴室、庭)、片づけもの、買い物、近所のお付き合いなど家事というものはいくらでもあるようで、大変な労力が必要である。それを365日当たり前のようになされ、定年がないと言えば、よほど家人任せかといえば、成程、ほとんどそうであった。これではいけないと思い、これからは、時間の余裕ができるので、お手伝い程度するが、それが本当に長続きしない。なぜか?。やはり、家族の仕事の位置づけでなく、家人の仕事と思っているところが問題なのかもしれない。しからば、この家事そのものの価値をどう見出すかであり、この仕事も生活していくためにやらねばならないことである。それであれば、どちらかと言えば得意の仕事の効率化を考えて改善や今後に向けての抱負みたいなものを思えば面白いではないかと思う今日この頃である。