2013年7月9日(火) 6時52分
人生で最も影響力のある人物の一人で、親戚の従兄弟が病院で亡くなった。
小さい時から、我々幼い兄妹のことを自分の兄妹のように思い、いろんなことを教えてくれた従兄弟が遂に逝ってしまった。
母の実家の長男で11歳も年上の従兄弟は、背が高く男らしく頼もしかった。山男で一人で冬山に登り、高下駄をはき、自宅にいるときは、着物を羽織っていたと記憶している。頭がよく、電気や機械に精通し何かが故障すると製品を分解し、テスターで調べ、半田を持って修理していた。小さい時の遊びは、火薬を詰めたロケットを田んぼ向けて飛ばした。その瞬間の衝撃が子供ながらにすごいものを作る人がわれらの親戚でいることに誇りを感じていた。
学生時代や社会人になっても自分の兄妹を見るように面倒を見てくれた。就職先を決めるときに、我が父親に「これからはコンピュータの時代です。」と推奨してくれたこと。結婚を決めるときのアドバイス。限りなく思い起こされます。明日、お通夜、あさって告別式。なんとも無念の言葉しかないです。
人生で最も影響力のある人物の一人で、親戚の従兄弟が病院で亡くなった。
小さい時から、我々幼い兄妹のことを自分の兄妹のように思い、いろんなことを教えてくれた従兄弟が遂に逝ってしまった。
母の実家の長男で11歳も年上の従兄弟は、背が高く男らしく頼もしかった。山男で一人で冬山に登り、高下駄をはき、自宅にいるときは、着物を羽織っていたと記憶している。頭がよく、電気や機械に精通し何かが故障すると製品を分解し、テスターで調べ、半田を持って修理していた。小さい時の遊びは、火薬を詰めたロケットを田んぼ向けて飛ばした。その瞬間の衝撃が子供ながらにすごいものを作る人がわれらの親戚でいることに誇りを感じていた。
学生時代や社会人になっても自分の兄妹を見るように面倒を見てくれた。就職先を決めるときに、我が父親に「これからはコンピュータの時代です。」と推奨してくれたこと。結婚を決めるときのアドバイス。限りなく思い起こされます。明日、お通夜、あさって告別式。なんとも無念の言葉しかないです。