幼いころや若い時の自分個人のことをブログで記述することをできるだけ避けるようにしてきたが、節目を迎える本日、少しだけ述べてみたい。生命を授かり最初の記憶は、母のおなかが大きく今にも破裂しそうで怖かったこと、これは2歳11カ月のこと。3歳3ヶ月の松阪大火の時は、乳母車に乗せてもらい、祖母と兄姉で祖父の実家に避難したこと。5歳のときには、幼稚園の一休さんの遊戯出演後、写真を撮ることを嫌い逃げ回ったこと。小中学と体が小さく、いつもコンプレックスを感じていたこと。商売を継ぐことが決まり、いやな珠算を習いに行ったのだが、2年間で能力一級試験に合格、南勢地区大会で個人優勝。卓球では県大会団体2位。空白の高校時代を経て、初めて家から離れた下宿生活。それなりに我慢や辛抱を自ら求めた。大学も企業も自分の思っていたものとは、殆ど異なっていた。自分にとって厳しいものではあったが、時間がたつにつれて自分なりに努力もし、慣れて生きていくコツみたいなものを得ることができた。37年間+アルファーの企業時代は、組織や上司に恵まれたし、思い切りやるとなれば支援もしていただき、その当時の経済環境に恵まれ年を重ねていった。しかしその期間、経験しなかったことや周りへの配慮対応不備が、今でも自分にとって、いろいろと影響を与えているようである。でも、前向きに、日々努力すれば成果は得られるということだけは確実に頭に刻み込まれた。勿論、この世ではそのことの実行ができないことが多いが、それにもめげず、反省しながら、今一度正しい志を持って、前に進む、このことしかないのではないかと思っている。まだ途中ではあるが、ひとまず終えるとともに、亡き両親、祖父母や先祖に感謝を申し上げたい。