いよいよ、今週は第62回伊勢神宮式年遷宮である。20年に1度で1300年も続く我が国の最大の神道国民イベント。高校時代まで、ほんの近くでいながら、恥ずかしながら殆ど知らなかったし、20年、40年前も無関心極まりない生き方をしていた。
話は違うが、今年の年賀状のあて名書きは手書きをやめてパソコン出力にしようと思っている。先日から、少し考えてきたが、手元にあるオフィスのソフトでのあて名書きも自分の意向とは異なる活用限界があり不満ではあるが、何とかフォーマットや住所録の活用にも目途がついた。一度、作製方法が分かれば翌年以降が大変有益になることは間違いない。
そういう中、ふと、遷宮における8年間における準備で、木曽の山奥から、斧で樹齢200年の檜を神木として切りだす儀式(三つ紐切り)、木曽から一宮、桑名をゆっくりと巡り伊勢まで多くの沿道の人たちから手を合わされながら到着し、その後も五十鈴川を地元の幼子からお年寄りまでがお木曳きで伊勢神宮まで神木を責任を持って届ける。全くそれが、当たり前のように行われ、必死の思いで、唄を歌い、声をからしながらの姿に、人間の尊いものを思い浮かべる。そのほかにも、イネ、海の幸、装束、刀剣等などの捧げものその一つ一つの万全たる準備に心がこもり、どうぞ、遷宮が無事に終わりますようにとの願いがひしひしと伝わる。方や、我が年賀状のあて名書きは昨年までの手書きによる、その人物を浮かべこの1年を振り返るといったこともなくなり、時間的な効率を追求するパソコン出力。『う~~ん、まだまだだなあ・・・。』と。そして、遷宮を思い日本人に神が与えてくれた人間的ないにしえのこころやかたちをどのようにして、受け継いでいくかを考えていかねばならないと思った次第である。
話は違うが、今年の年賀状のあて名書きは手書きをやめてパソコン出力にしようと思っている。先日から、少し考えてきたが、手元にあるオフィスのソフトでのあて名書きも自分の意向とは異なる活用限界があり不満ではあるが、何とかフォーマットや住所録の活用にも目途がついた。一度、作製方法が分かれば翌年以降が大変有益になることは間違いない。
そういう中、ふと、遷宮における8年間における準備で、木曽の山奥から、斧で樹齢200年の檜を神木として切りだす儀式(三つ紐切り)、木曽から一宮、桑名をゆっくりと巡り伊勢まで多くの沿道の人たちから手を合わされながら到着し、その後も五十鈴川を地元の幼子からお年寄りまでがお木曳きで伊勢神宮まで神木を責任を持って届ける。全くそれが、当たり前のように行われ、必死の思いで、唄を歌い、声をからしながらの姿に、人間の尊いものを思い浮かべる。そのほかにも、イネ、海の幸、装束、刀剣等などの捧げものその一つ一つの万全たる準備に心がこもり、どうぞ、遷宮が無事に終わりますようにとの願いがひしひしと伝わる。方や、我が年賀状のあて名書きは昨年までの手書きによる、その人物を浮かべこの1年を振り返るといったこともなくなり、時間的な効率を追求するパソコン出力。『う~~ん、まだまだだなあ・・・。』と。そして、遷宮を思い日本人に神が与えてくれた人間的ないにしえのこころやかたちをどのようにして、受け継いでいくかを考えていかねばならないと思った次第である。