沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

琉球王の碑

2006-08-30 | 琉球・首里城
首里城の守礼門の傍に、1522年に建立された石碑が2つあった。
戦争で焼失していたが、このたび関係者のご尽力により、首里杜館前広場に再建されたと聞いて、行って見ました。

こちらは、国王頌徳碑(こくおう・しょうとく・ひ)。
漢文で書いてあります。当時は東アジア地域の共通語は漢文だったそうです。
王などの位の高い人物が死ぬと、身近な家臣も殉職する風習は世界で多く見られます。日本でも明治まで続いたそうです。

第3代琉球王の尚真尚真王は、自分の母が亡くなったときに、「殉死の風習は人間の行うべき道ではないとして禁止を宣言」しました。
この碑は、そうした王の仁徳を称えたものです。


こちらは、眞珠湊(まだま・みなと)碑文(ひもん)です。
当時の日本は応仁の乱があった頃で、統治が乱れており、倭寇とよばれる海賊が財産や人をさらったので恐れられていました。
尚真国王は、もし倭寇が那覇港に襲来したら、首里城から直ぐに軍を送れるよう那覇港まで軍用道路をつくったそうです。
この碑文はそのことを称えています。
こちらは、ひらがなを交えて書かれています。

琉球王国の政治の一端を垣間見ることが出来る碑です。
また、琉球王国が、中国と日本の両方の影響を受けていたことが伺えるものです。