京都から送ってもらって、朝9時頃に綾部に戻ってきた。
午前中は打ち合わせ、午後から夜にかけて、葬儀や会議に出席。
聖地エルサレムからの子ども達が、久しぶりに綾部を訪ねてくれたからか、綾部の“聖地性”に関する話題が身の回りに増えてきた気がする。
あやべ市民新聞のコラムに「眼から鱗が落ちた」と高崎社長が書いておられたが、先日の市制60周年記念講演会での藻谷さんの話もそんな感じのする内容だった。
先月、黒住教本部を訪ねたとき、祝詞が「かけまくも綾に賢き…(神様の名前が続く)」で始まった。これまで綾部でしか祝詞を聞いたことがなかったので、綾部だから「綾に賢き…」と言っているのかなと思っていた。
黒住教の職員の方に確認したら、これは全国で同じように言う祝詞の決まり文句らしい。
綾部の歴史には、きっと何かがある。仕組まれているので、いずれ目に見えるように分かるようになるだろう。
今すぐ分かろうとするならば、目を閉じて、耳を澄ましてみると、それが入ってくるような気がする。