23日㈬、京都新聞に「舞鶴市長のみ呼ばず」「遠方理由に内閣府」という見出しで、先週の土曜日に谷公一防災大臣が福知山市に来られた際に、昨年、維新の推薦を受けて当選した舞鶴市長だけは招かれなかった、それは「遠いから」という理由で呼ばなかったことを内閣府が認めたという記事が載ったので、何人かの方から「四方府議は行っていたのか?どういうことなのか?」と事情の問い合わせや怒りの連絡があった。
舞鶴市長が「遠方」という理由で呼ばれなかったことは疑問だ。西脇知事は京都市から駆けつけているし、綾部市からも山崎市長が行って、それぞれ谷大臣や知事に災害対策を要望している。(私は広域振興局長から連絡をもらったが、先約があったため行けなかった)舞鶴市長に声がかからなかったということは、舞鶴市選出の府議にも声をかけなかったということだろうか?
今回、災害救助法の指定が綾部市、福知山市、舞鶴市の3市に出ているため、当然、舞鶴市にも声をかけるべきだっただろう。その上で「遠方」のために市長が行くか、行かないかは舞鶴市が判断すべきことだと思う。
国の役人がそういうバランスを欠いた行為を自らの意思でするとは考えにくいので、国会議員からの何らかの働きかけがあったのではないかと思う。もし、それがなかったのだとすれば、自民党の国会議員は今回の間違った判断をした内閣府の役人に厳しい処分を求めるべきだ。そうでないと我々、末端の自民党議員も批判にさらされる。
災害で被害を受けて困っておられる方に、公平に支援の手を差しのべるのは当たり前。思想信条、政党支持の有無など関係ない。他人の困り事につけ込むのは、人間としてあるまじき行為だ。
午後は志賀郷の金河内公民館に集合し、農業の被災状況を現地調査した。
志賀郷でも特に内久井、金河内、坊口で農業被害が大きく、「志賀郷北部地区では非常に心が折れています」「枠にとらわれない支援をお願いします」「途方に暮れており、現在の心境や不安を話だけでも聴きに来てほしい」と一昨日の夜、連絡があった。
そのために昨日、京都府の小瀬康行農林水産部長や綾部市の大島順彦農林商工部長に電話を入れて、今後の復旧支援の制度や予算の見通しについて話を聴いておいた。
内久井から順番に見て行ったが、たしかに「心が折れる」とおっしゃるのはよく分かった。皆さん、5年前の7月豪雨から5つ年を取り、経営の状況も苦しくなっておられる。「前回と同じようには自己負担ができない」と嘆いておられた。
鳥獣柵が壊れて、鹿に入られ、小豆が全滅したとのこと。今年は日照りで、小豆の出来が悪く、その中でも出来が良かった内久井の畑がやられると出荷に大きく影響するそうだ。
金河内や坊口でもあちこちで畦畔が崩れたり、田んぼに土砂が流入していた。これが復旧しなければ、来年の田植えはできない。
坊口では下の広大な農地を潤している川が埋まったり、ため池が大きく埋まり、このままでは水がなくて農地が維持できなくなるとも困っておられた。
被害調査の後、志賀郷北部農産㈱の事務所で、今後の災害復旧について説明した。
まずは今、京都府と綾部市は国に対して、「激甚災害」として指定をしてほしいと要望している。激甚指定を受けると補助率がかさ上げされ、90%以上の補助が出ることになる。
私は京都府や綾部市には、さらにこれに上乗せをして、個人負担ができる限り、少なくなるようにしてほしいとお願いしている。そうでなければ、農業を継続しようとする心が折れてしまう、と。
激甚指定の国の決定にはまだ1ヵ月ほどはかかるものと思われるが、稲刈りのためなど、災害査定前に事前着工が必要な場合は手続きを踏めば可能なので、綾部市農政課に相談してほしい。
農林災害として認定されるのは40万円以上の被害だけなので、それ以下のものは京都府の地域交響プロジェクト被災地支援プログラム(30万円まで100%補助)を活用してほしい。この事業は事前申請は必要なく、事後報告だけでOKになる予定だが、今取り掛かる場合は事前、作業中、事後の様子を写真に残しておいてほしい。
これは土砂の除去や運搬を業者丸投げはできないが、業者にユンボやダンプを持って来てもらって、除去や運搬をしてもらい、その対価(重機等のレンタル費、オペレーター人件費、燃料費、資材費など)を支払うことは可能なので、どんどん使ってほしい。分からないことがあれば、連絡いただければ私から担当課に確認したり、できるように掛け合う。
地域交響プロジェクト被災地支援プログラムの事業期間が「9月30日まで」となっているが、これでは農繁期と重なり、農村部の人が動けないと言われ、そういえばそうだなと、その場から京都府文化生活部に電話をかけた。部長、課長は不在だったので、担当の文化生活総務課の参事に伝え、「12月末までこれを延長できないか、部長、課長と相談してほしい」とお願いした。
今シーズンの災害がこれで終わるという保証もなく、まだまだ気が抜けない。政治、行政ができることには限りもあるが、寄り添う心には限りがない。
同じ気持ちになって怒り、求め、少しでも個人負担を少なく復旧できるように、京都府や綾部市には優しい気持ちでの支援を求めていきたい。