四方源太郎日記(京都府議会議員・綾部市選挙区)

これからの綾部のために、さらなる「挑戦」を!

味方町納涼祭

2010年08月14日 | 家族

 午前中、小源太と涼子を連れて、まりこさんの事務所開きに参加。友人代表として、飛び入りで一言ご挨拶させていただいた。
Dscf9999 Dscf0007  午後は、家族サービスで福知山に行った。

 初めてヤマダデンキに行き、高校野球に見入っていたら、「テレビお探しですか?」と声をかけられ、「いえ、テレビを観ているんです」と答えたら、キョトンとしておられた。
 関東一高と遊学館の試合で、11対4と勝負はついていたが、最終回の遊学館の攻撃で1アウト1・2塁というチャンスだった。2アウト1・3塁になり、観るのをやめた。

 ヒマラヤでは、小源太がダーッと走っていくので何かと思ったが、テントの中に入って遊んでいた。ヒマラヤでの遊び方をよく知っているようだ。

 本屋さんで立ち読みした後、ゲームセンターへ。
Dscf0031 Dscf0034  夜は、お招きをいただいて、味方町の納涼祭へ。
 同級生の菱田くんや有川くんもいて、水野さんも後から家族で来ておられた。たくさん知り合いの方がおられて、いろいろ食べ物や飲み物をいただいた。

 味方町の方々に交じって、カラオケまで唄わせていただいた。
Dscf0096 Dscf0141  途中、ビンゴがあったり、綾部踊りもあった。保存会の方々が来られて、本格的に踊った。
Dscf0210 Dscf0155  安藤さんも保存会メンバーとして踊りに来ておられた。
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 最後の花火は、大阪まで仕入れに行かれたそうで、結構立派だった。大阪まで行くと安く買えるらしい。


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お盆

2010年08月13日 | 家族

 今朝でラジオ体操は終わりだった。盆前で終わるんだなあと気がついた。小源太は“シャボン玉”をもらって、喜んでいた。

 小源太は雨で休みの日以外は、すべて遅刻せずに参加できた。小学生でも皆勤賞はあまりいなかったので、よく頑張った。

 会社で仕事をしていたら、来客あり。選挙に関する相談事で、調整と打ち合わせに動く。

 夕方、お盆のお墓参りに行った。
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放駒新理事長と横綱・大乃国

2010年08月12日 | 選挙

 選挙関係で、いろんな来客や訪問。
 綾部市議選はあと1週間少しに迫ってきた。8月22日告示、29日投開票です。期日前投票なども活用して、ぜひご投票をよろしくお願いします。

 日本相撲協会の理事長に放駒親方が就任されることになった。
 放駒部屋で一番有名な力士は、横綱・大乃国。千代の富士の連勝をストップさせた横綱だ。

 当時、ガチンコ横綱と呼ばれ、八百長に参加しないと言われていた。
 八百長に参加する力士から疎まれたのか、包囲され成績は上がらなかったが、僕は一番好感を持っている横綱だ。今では“スイーツ横綱”としても能力を発揮しておられる。

 その大乃国の親方なので、新理事長として角界刷新していただけるのではないかと期待している。


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推薦

2010年08月11日 | 選挙

 自民党の参院会長に中曽根弘文氏が選出された。

 参院幹事長の谷川秀善氏との争いで、得票は同数となり、抽選での勝利だったそうだ。全国の自民党員が“安堵”したのではないか。自民党は、まだまだ天に見捨てられていないと感じるような結果だった。

 谷川氏のことはよく知らないが、マスコミとの受け答えがあれではダメだ。安定与党時代ならいざ知らず、政権奪還を目指すためには、もっと丁寧に低姿勢で話していかなければならない。

 参院民主党が選挙で惨敗しながら、本来、責任をとるべき、輿石という“古株”を降ろせなかったが、参院自民党は勝ってなお、改革を進めた。

 夜は、決起集会二ヶ所を回る。これで、ひと回りした。味方の情勢はなんとなくつかめてきた。

 あやべ市民新聞に『山崎ぜんや後援会だより 6号』を折り込ませていただいた。山崎市長の後援会が推薦する12名も発表されている。
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ラジオ体操今昔

2010年08月10日 | 教育・子育て

 毎朝のラジオ体操に行っていて、僕らが子どもの頃とは違うことがある。ラジオ体操が終わると、子ども達がすぐに帰ってしまう。

 僕らの頃は、ラジオ体操の後に遊ぶのが楽しみで、みんなで野球をしたり、かくれんぼをしたり、ドッチボールをしたりしていた。
 公会堂が午前中、開放されていて、みんなでマンガを読んだり、宿題をしたりもしていた。

 小学校低学年の頃は、高学年のお兄ちゃん、お姉ちゃんに遊んでもらうと、いつもと違うスゴイことができたりして楽しかった。

 自分が高学年になると、低学年の子にバットを振り方やボールの投げ方を教えて、みんなで野球をしていた。
 “ことり”とかいうルールがあって、小さい子はアウトにならないし、ホームインしても得点にもならないという方法で、戦力にならない小さい子も一緒に交じって遊べるように子ども達が工夫していた。

 小源太がこのまま高学年になると、低学年の子と遊ぶのを面倒くさがるのではないかと心配だ。

 社会全体のコミニュケーション能力が低下していくことも心配だ。これは並松だけのことなのだろうか?


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無責任談話

2010年08月09日 | 論評・研究

 日韓併合100年を迎え、1995年の「村山首相談話」を踏襲して、菅首相が「痛切な反省とおわび」を表明するそうだ。

 先には、「政治家としての評価は後世の歴史家にゆだねる」と豪語していた菅首相が、自ら“歴史家”になろうとしている。

 つい先月言っていたことをどんどん翻す菅首相が、100年前のことについて、何を言おうというのか?

 夜TVタックルを観ていたら、民主党代議士が「菅首相ではダメだ」と広言していた。
 世論調査の支持率は下がったとは言え、まだまだあるのに、そんないい加減なことを選んだ国会議員がテレビで言うようでは無責任極まりない。

 僕は自民党に政権奪還させたいと思っているが、敵失での奪還では自民党が本当に壊れてしまう。
 自民党は、自ら立ち直って、国民の信頼を得られるような政権を作らなくてはならない。
 民主党は衆院選のマニフェストで勝ったのだから、それを軸にした政策協議を行い、根本的にマニフェスト不履行を悟るのならば、解散総選挙しかないだろう。

 今のままでは、日本は外国にバカにされ、国益を損なうばかりだ。それならそれで、変な“談話”を閣議決定などしないことだ。


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運転手として

2010年08月08日 | 選挙

 今朝も、小源太の自転車練習を兼ねて、並松の上の方へ新聞配りに行った。ようやく自分の受け持ち分を終わらせることができた。

 午後は、山崎市長と後援会長の浩平さんの運転手として、各地の決起集会を回る。

 軽自動車の後ろに二人乗っていただいているのだが、“日産MOCO”は内部が広いので、結構乗れるものだなあと思った。
 ただし、坂道にさしかかると、40キロ以上はなかなか出ない。前に乗っていた軽自動車は、こんな暑い日にはクーラーも効かなかったが、“MOCO”はクーラーも結構効く。

 夜21時半頃に戻って、会社で少し仕事をした。


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納涼祭

2010年08月07日 | 家族

 午前中、山崎市長の後援会だよりを配るついでに、小源太の自転車練習に行った。

 午後は来客など。

 夕方、福知山市文化協会会長の日比野さんからお電話をいただき、『デフ・パペットシアター・ひとみ』という人形劇団の渉外の方を紹介された。綾部まで来られるというので、駅まで迎えに行って、お話を聞いた。

 この人形劇団は「聾者と聴者が共につくる」ということをテーマに掲げておられ、劇団員には聾者もおられるそうだ。『ひょっこりひょうたん島』の関係者が立ち上げられた劇団らしい。

 今は『はこ/BOXES じいちゃんのオルゴール♪』という演目で全国を回っておられる。演劇よりも安いものの、そこそこの上演料がかかるため、そう簡単にはできないが、また一つのネタとして覚えておきますとお伝えした。

 様々なワークショップもしておられるそうで、そちらならまだ安いなので、何かの機会にお願いできるかもしれないと思った。

 夜は、井倉と上延の納涼祭へ、小源太と涼子を自転車の前と後ろに乗せて連れて行った。
Dscf9892 Dscf9898 Dscf9900  大勢の地元の方で賑わっていた。
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暑い

2010年08月06日 | 政治活動

 本当にふーっとなるような暑さだ。
 15時すぎから、まだ配れていなかった『太陽の会』の機関紙を配りに、寺町・上野方面へ行った。
 暑すぎて、ほとんど人が歩いていない。汗ばかり出て、熱射病になりそうだ。


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つかまり立ち

2010年08月05日 | 家族

 朝から、とろけるような陽射しだ。7時からのラジオ体操も、日陰でやらなければ暑いし、まぶしい。

 夜に、綾部幼稚園の学校評議員の皆さんと懇親会を行った。
 先月の会議で話が盛り上がったので、ぜひ場所を変えて、幼稚園教育のことについて、じっくり話しましょうということになり、公民館長さんや主任児童委員さん方と貴重な機会を持たせていただいた。

 家に帰ったら、温二郎がつかまり立ちをしかけていた。あと数ヶ月で歩き出すのだろう。

 涼子は言葉がどんどん話せるようになっている。
 ⅰPADに音声検索の機能のあるグーグルを入れてあって、小源太が「イナヅマイレブン」と言って、アニメの動画を探し出しては観ている。
 涼子も「アン・マン・マーン」と言って、アンパンマンを検索しようとするのだが、なぜか「ウー」という検索結果にしかならず、台湾のウーさんというモデルの水着姿の写真しか出てこずに悔しがっている。

 小源太はドラえもんの四次元ポケットに興味があって、「四次元って、どういうこと?」と聞いてくるが、それはこっちが聞きたいくらいだ。
 子どもの頃に、母にそういうことを聞くと、「簡単に教えたら勉強にならないから、自分で辞書を引きなさい」と言われていたことを思い出す。


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綾に賢き

2010年08月04日 | 歴史の探求

 京都から送ってもらって、朝9時頃に綾部に戻ってきた。

 午前中は打ち合わせ、午後から夜にかけて、葬儀や会議に出席。

 聖地エルサレムからの子ども達が、久しぶりに綾部を訪ねてくれたからか、綾部の“聖地性”に関する話題が身の回りに増えてきた気がする。

 あやべ市民新聞のコラムに「眼から鱗が落ちた」と高崎社長が書いておられたが、先日の市制60周年記念講演会での藻谷さんの話もそんな感じのする内容だった。

 先月、黒住教本部を訪ねたとき、祝詞が「かけまくも綾に賢き…(神様の名前が続く)」で始まった。これまで綾部でしか祝詞を聞いたことがなかったので、綾部だから「綾に賢き…」と言っているのかなと思っていた。

 黒住教の職員の方に確認したら、これは全国で同じように言う祝詞の決まり文句らしい。

 綾部の歴史には、きっと何かがある。仕組まれているので、いずれ目に見えるように分かるようになるだろう。
 今すぐ分かろうとするならば、目を閉じて、耳を澄ましてみると、それが入ってくるような気がする。

コメント (3)
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関西丹水会

2010年08月03日 | 政治活動

 午前中、FMいかるに暑中広告の収録に行った。フロンティアと清山荘の暑中挨拶が、お盆に僕の声で流れます。

 夕方16時半、京都で開催された二ノ湯先生の夏祭りに行った。綾部から行きたいという方があったので、ご一緒させていただいた。

 19時から、京都駅前で別の会合に参加。
 丹水会青年部の関西支部をつくろうという声掛けで、数人が集まって相談した。

 元々、丹水会は首都圏在住の丹波・丹後出身者が集う会で、洋伯父が世話役をしていて、僕も東京にいた頃に事務局をしていた。

 うちの親戚のグンゼ社長であった遠藤源太郎さんの息子さんで、オムロンに勤めておられる隆さんが、「もっと若い者を集めようよ」と発案され、丹水会青年部は20代~50代を中心に、今も毎月集まりが継続されている。
 山崎市長が東京におられる頃は、丹水会青年部の幹事をしておられて、僕も知り合いの若者が進学や就職で上京する際には、丹水会青年部を紹介して面倒をみてもらっていた。

 首都圏と違って、京都は綾部に近いので、集まりが広がるかは未知数だが、徐々にやっていこうということになった。

 この打ち合わせ会に、京都在住の同級生を誘って、来てもらっていた。昔、東京で一緒に選挙を手伝いに行ってもらったこともあるのだが、その後、就職などで離れて、直接会ったのは約10年ぶりだった。

 本当は今日中に帰るつもりだったのだが、翌朝、仕事で宮津に行くから送ってくれると言うので、家に泊めてもらうことにした。

 いろいろ厳しく指摘してくれて、綾部を離れていても、親元から入ってくる情報を得て、僕の選挙のことを心配してくれているのがよく分かった。


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平和とは… 命とは…

2010年08月02日 | 家族

 数日前に発覚した3歳と1歳の子ども二人が、置き去りにされて亡くなった事件のことを考えるたびに、やりきれない思いになる。

 うちの涼子と温二郎と同じ年頃の姉弟だったので、その状況を想像するのが恐ろしい。

 涼子は温二郎の世話を焼き、可愛がっているので、きっと亡くなった子ども達もそうだったのだろう。

 なんで、日本人はこんなにも人の死に無関心になってしまったのだろう。戦争をしていないことを誇っても、こんなことで命を落とさなければならない幼子がいるのなら、日本は全く平和ではない。

 公務員が立ち入り調査を臆するのなら、NPOに委託してもらえばいい。僕らがドアを壊して飛び込んで行きたい。ドアは弁償できるが、命は取り返しがつかない。

 今日の市民新聞に、昨日の平和塔での合唱イベントに小源太と涼子が参加していたと記事掲載していただいていた。

 綾部から世界に訴えるのは、子どもが子どもでいられること。それが“平和”ではないかと思う。


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綾部市の還暦

2010年08月01日 | 家族

 朝8時、小源太と涼子を連れて、紫水ヶ丘の平和塔へ行った。今日、8月1日は綾部市が市になった誕生日であり、今年は60才、還暦を迎える。

 市制施行60周年を記念して、市民合唱団の方々が朝8時から平和塔で市歌を歌おうという企画をされた。
Dscf9816 Dscf9819  涼子は2才で最年少、子どもは他に力ちゃんのところのサキちゃんと三人だった。
 引っ込み思案の涼子だが、サキちゃんには幼稚園などでも可愛がってもらっているので、今日は友達のように話しかけながら遊んでいて、可笑しかった。
Dscf9826  午後は、綾部市制施行60周年の記念式典に参加した。

 父も功労者表彰を受けていた。
Dscf9837 Dscf9840  式典後は記念講演会があり、政策投資銀行で山崎市長の後輩であった藻谷さんという研究員の方が、軽妙に綾部市の現状と未来について語られた。

 綾部市が京都市や首都圏に比べても、まったく劣ることがなく、むしろ住みやすさを追求していくには最高の条件が整っていることを数字を挙げて説明していただき、よく理解ができた。

 講演の中で、これから先20年の人口動態の話があり、僕たち30代後半の団塊ジュニアが“無責任世代”になるか、“責任世代”になるかによって、綾部市の未来が決まっていくように感じた。

 四方市政が築いた財産を基に、山崎市政がそれを実らせていく努力をすれば、綾部市は本当に素晴らしい町になるという確信が得られる講演だった。

 今日の講演は、今後も「あの講演」と伝えられるだろう重要な意味を持つ講演だったと思う。

 会社に戻ったら、共産党のビラが入っていた。相も変らぬ、マイナス思考・独善的な内容だった。

 「住んで良かった・綾部」の実現のためにも、今月の市議選では、山崎市長としっかり連携して市政に取り組んでいただける議員さん方を選び出さなければならないという決意も新たにした。

 「反対のための反対」は“緊張”ではなく、“堕落”の始まりだと思う。


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