現在ブログは1週間に1度、月曜日に投稿と決めていることから、書きたいことがいくつか溜まってきたため、今回は二つのテーマを一度に取り上げることにした。最初のテーマは参院選に関わる安倍晋三と各野党代表の論戦。
NHK日曜討論「参院選特集7党に問う」(2019年7月7日)(冒頭発言のみ) NHK小郷知子キャスター「選挙戦で各党は何を重点に訴えていくのか、30秒ずつでお願いしたいと思います。」 安倍晋三「この選挙で問われているのは政治の安定か、あるいは混迷か、であります。参議院選挙は政権選択の選挙ではありませんが、政治を安定させるか、あるいは不安定化させるか、を決める選挙でもあります。 10年前、自民党は選挙に惨敗し、政治は不安定になり、その後、経済は低迷し、総理大臣はゴロゴロ変わった。あの時代に逆戻りする訳にはいかない。強く訴えていきたいと思います」 枝野幸男「この選挙で暮らしの安心を取り戻す第一歩を踏み出したいと思っています。残念ながら、この6年で非正規雇用は300万人増えて、働く方の5人に2人に達しています。年収200万円以下のワーキングプアと呼ばれるような皆さんも、1100万人に達しています。 こうした中で消費を冷えこませる、消費増税はできない。年金だけで暮らせていけない、そうした老後に対してしっかりと手当をしていく、生活を応援するための選挙にしていかなければならない。そこに向けて頑張って参ります」 玉木雄一郎「国民民主党として初めて迎える国政選挙ですから、我々にとってはデビュー戦です。我々の考え方、提案する改革する中道政党だということをしっかり訴えたいと思います。 その上で政権の安定ではなくて、国民の生活の安定をしっかり確保することが大事で、そのための政策として家計第1の経済政策、これを打ち出しております。アベノミクスの最大の弱点は消費が伸びないこと。その好循環の起点を企業ではなくて、家計、消費を軸とした好循環をまわしていく。この政策をしっかりと訴えていきたいと思っております」 山口那津男「先ず政治の安定がなければ、国益も、また国民の生活も守れません。それと並んで重要なことは、国民の声を聞くということであります。国民から見て、声が届いていないということでは、政治に信頼は得られません。 公明党は小さな声を聞く力、を訴えたいと思います。公明党は国会議員、また都道府県の議員、市町村の議員、いつも連携をして、政策を実現する。この小さな声を受け止めて、政策実現ができる力がある。これを訴えたいと思います」 志位和夫「『暮らし向きに希望を』と訴えて選挙を戦います。消費税10%をストップさせ、そして富裕層と大企業に応分の負担を求めてまいります。それから7兆円もの年金削減をやめさせて、低年金の底上げを図っています。最低賃金1500円。あと8時間働けば、普通に暮らせる社会を創ります。それから高過ぎる国民健康料を下げまして、暮らしを支える社会保障にしていきます。 学費については直ちに半分、ゼロを目指します。そしてジェンダー平等社会を目指す選挙にしてきたいと思います」 松井一郎「我々は地方の政治家が、集団で集まり、国政政党を作りました。そして、大阪に於いては増税することなく、教育無償化は8年前から実行してきております。今、この消費税増税が10月に迫ってますが、増税しなくても教育無償化は実現できる。実行してきたからこそ言えると思います。先ずは永田町で先ず国会議員が身を切る改革を実現をすることが増税の前にやるべきことは、これを徹底的に訴えていきたいと思っています」 吉川元「争点、二つあると思います。一つは企業がどれだけ儲かっても、国民の皆さんは生活が良くなったと実感できない。あるいは生活が苦しいと感じる今の経済財政政策、これを根本的に変えていかなければならないというふうに考えております。 年金の問題、そして消費税の問題、しっかりと伝えていきたいと思いますし、また併せて憲法を、我々は老舗の護憲政党として憲法をしっかり守って行くことを訴えていきたいと思います。憲法を生かす。そして支え合う社会の実現に向けて、選挙戦を戦い抜きます」 |
安倍晋三は「政治の安定」を常々訴えてきた。通常国会閉会を受けた2019年6月26日の「記者会見」(首相官邸サイト)では次のように述べている。
安倍晋三「決められない政治、不安定な政治の下で、総理大臣は、毎年のようにころころと代わりました。そのきっかけをつくったのは、私の責任であります。12年前、夏の参院選で、自民党は歴史的な惨敗を喫した。国会ではねじれが生じ、混乱が続く中、あの民主党政権が誕生しました。悔やんでも、悔やみ切れない。12年前の深い反省が、今の私の政権運営の基盤になっています。新しい令和の時代を迎え、あの混迷の政治には二度と逆戻りをさせてはならない。来るべき参議院選挙、最大の争点は、安定した政治の下で新しい時代への改革を前に進めるのか、それとも、再びあの混迷の時代へと逆戻りするのかであります」
2019年7月3日の日本記者クラブでの「参院選7党党首討論会」でも、同じようなことを発言している。
安倍晋三「(「政治の安定」と書いたボードをテーブルに立てて)我が党の主張は『政治の安定』を訴えていきたい」
「政治の安定」こそ、自らの政治遂行の必須の土台だと主張している。だが、安倍晋三は2012年12月の政権奪還以来、6年半もの間、今日まで一貫して「安倍一強」と言われる強固な「政治の安定」をつくり出し、その「政治の安定」に守られて、内政・外交に亘って強力な政治を推し進めてきた。そして内政面に於ける最大の成果は「格差拡大」である。
日銀の異次元の金融緩和によって株高・円安の経済環境をつくり出して、過去最大のGDP560兆円、企業純利益60兆円といった国家の果実・企業の果実を生み出した一方で
景気回復や所得向上の実感がない国民が7、80%も占めているという格差である。残りの2、30%は、その多くは大企業や株利益に依存している国民であろう。
いわば「安倍政権6年半の政治の安定」は国家や企業、特に大企業に役立ったが、一般国民には役立たなかった。一般国民に果実をもたらしたかどうかの点で言うと、不作そのもので、回されるべき果実は見る程のことはなかった。
いくら有効求人倍率が上がろうと、高卒・大卒の就職内定率が上がろうと、雇用が増えようと、終局のところ、自分たちの利益は国家や企業の餌食となり、吸い取られて、得るべき果実を極小化されていく。だからこその、アベノミクス景気の実感のなさでなくてはならない。
「政治の安定」が特に大企業・富裕層以外に役立たなかったにも関わらず、参院選で「政治の安定」を訴え、「あの混迷の政治には二度と逆戻りをさせてはならない」と言い募る。この無知・鈍感さは如何ともし難い。
山口那津男にしても、「先ず政治の安定がなければ、国益も、また国民の生活も守れません」と言っているが、安倍政権の政治の安定は一般国民の生活を守ってこなかった。
「政治の安定」がより平等な国民の幸福に役立たなければ、このことをいくら訴えても意味はないことになる。安倍晋三は意味もないことを訴えていることになる。
「日曜討論」で立憲民主党枝野幸男が「この選挙で暮らしの安心を取り戻す第一歩を踏み出したいと思っています」と訴えていることも、国民民主党の玉木雄一郎が「政権の安定ではなくて、国民の生活の安定をしっかり確保することが大事」、あるいは「家計第1の経済政策」と訴えていることも、共産党の志位和夫が「『暮らし向きに希望を』と訴えて選挙を戦います」と強調していることも、社民党の吉川元が、「企業がどれだけ儲かっても、国民の皆さんは生活が良くなったと実感できない。あるいは生活が苦しいと感じる今の経済財政政策、これを根本的に変えていかなければならないというふうに考えております」と訴えていることも、この6年半の安倍政権がアベノミクスの成果としている一般国民の生活の現状を指摘しているそれぞれの言葉であり、そうである以上、「安倍政権6年半の政治の安定」が一般国民の生活にもたらし、自らが成果としていることに対する言い替え・同義語であろう。
なぜ言い替え・同義語を用いずに「安倍政権6年半の政治の安定は一般国民の生活、幸福に役立たなかった」と直接的に批判し、「だから、暮らしの安心を取り戻すとか、国民の生活の安定をしっかり確保することとか、暮らし向きに希望をとか訴えなければならない」と言わなかったのだろう。ただ自分たちの政治スローガンを訴えるよりも、安倍晋三掲げる政治スローガンを否定した上でそうした方が、自分たちの政治スローガンはより生きてくるはずだ。
そうしないから、安倍晋三に一般国民には役に立ってもいない「安倍政権6年半の政治の安定」を棚に上げさせて、「政治の安定か、混迷か」、あるいは「あの混迷の政治には二度と逆戻りをさせてはならない」などといつまでも好き放題に口にさせることになる。要するに野党代表たちが無能だから、その結果として好き放題に言わせていることになる。その好き放題が公示早々の各マスコミの世論調査で、与党過半数・改憲勢力維持といった安倍晋三有利の選挙情勢を招いているはずだ。
一般国民の幸福に役立たない「政治の安定」とは格差への貢献を内実としていることからの一般国民の生活の現状に過ぎないことを安倍晋三の眼前に突きつけてこそ、選挙を白熱させることができる。それができていないから、NHKが2019年6月28日から3日間行った世論調査で、参院選挙に「必ず行く」が49%、「行くつもりでいる」が30%という結果が出てくる。
野党に投票しようという熱気が全体的な投票行動となっていたなら、「必ず行く」は80%前後となっていなければならない。実際の投票率が下がるとしても、民主党が政権交代を果たした2009年の総選挙では小選挙区、比例区共に投票率は69.3%と、70%近くあった。その熱気がないからこそ、既に書いたように公示早々の各マスコミの世論調査で、与党過半数・改憲勢力維持といった結果が示されることになる。
安倍晋三は番組の最後に「我々は大変に厳しい、きのう選挙情勢分析したんですが、非常に厳しいんです。大変厳しい中で全力を尽くしていきたいたいと思います」と発言している。与党優勢の早々の世論調査に安心して、与党支持の有権者が人任せにして棄権する可能性の芽を前以って摘む必要性からの発言だろう。なかなか抜目がないが、この抜け目のなさの10分の1でも、野党代表たちは安倍晋三の爪の垢を煎じて飲み、学んだ方がいい。
次のテーマは大阪城エレベータ発言。「G20大阪サミット 夕食会挨拶」(首相官邸サイト/2019年6月28日)
安倍晋三「皆様、改めてようこそ大阪にいらっしゃいました。ここ大阪は、4世紀頃に仁徳(にんとく)天皇により都に定められ、その後商業の町として発展してきました。大阪のシンボルである大阪城は、最初に16世紀に築城されました。石垣全体や、車列が通った大手門は、17世紀始めのものです。150年前の明治維新の混乱で、大阪城の大半は焼失しましたが、天守閣は今から約90年前に16世紀のものが忠実に復元されました。しかし、一つだけ大きなミスを犯してしまいました。エレベーターまで付けてしまいました」
大阪城に関する発言はこれのみとなっている。最初に築城されたの16世紀。石垣全体や車列が通った大手門は17世紀の築造当事の姿を残している。150年前の明治維新の混乱で大阪城の大半は焼失。天守閣は約90年前の1928年(昭和3年)に16世紀の姿が忠実に復元された。エレベーターまで付けたのは大きなミスだった。いわば16世紀のままの姿で復元すべきだった。
つまり、築城当事の姿に近づけて「復元」という形を取る以上、近代の産物であるエレベーターなる動力は必要なかった、が誰だどう見ようと、あるいはどう読もうと、結論となる。
この発言が野党が障害者や高齢者への配慮を欠く発言だと批判、ネット上でも同じ趣旨の批判が渦巻いた。
安倍晋三はこの発言について釈明している。但し自身の口からではなく、自民党幹事長代行萩生田光一の口を通してである。萩生田光一は2019年7月2日、自民党本部で安倍晋三と会談、その際、釈明を伝え聞いたのだろう。「NHK NEWS WEB」(2019年7月2日 13時34分)記事からオーム役の萩生田光一の発言を見てみる。
萩生田光一「日本は文化財などの復元にも大きな力を持っており、限りなく同じものをつくったが、当時はエレベーターはなかったということを言いたかった。決して、エレベーターが必要ないとか、バリアフリーの社会に異論を唱えるとか、そうした発言ではない。
取りようによっては、障害者やお年寄りに不自由があってもしかたがないと聞こえるような発言をしたことは遺憾だ」
確かに「バリアフリーの社会に異論を唱えるとか」の発言では決してない。但し「限りなく同じものをつくったが、当時はエレベーターはなかった」との意味を持たせた発言でも決してない。そのような発言なら、「エレベーターまで付けたのは大きなミスだった」と、失敗そのものを指摘する「ミス」という言葉は使わない。「エレベーターが必要ないとかの発言ではないが、エレベーターまで付けたのは大きなミスだった」とした場合、果たして前後の脈絡は繋がるだろうか。「大きなミス」とする以上、「必要ない」の意味を取る。
要するに萩生田光一の口を通して言わせた安倍晋三の釈明は自身の発言を誤魔化すマヤカシ以外の何ものでもない。
また、安倍晋三は「取りようによっては、障害者やお年寄りに不自由があってもしかたがないと聞こえるような発言をしたことは遺憾だ」と萩生田光一の口を使って言わせているが、あるいは萩生田光一は恐山のイタコのように安倍晋三の口寄せを行っているが、「取りようによって」という言葉の意味は「解釈次第」の意味であって、その解釈の責任は解釈の主体に帰せられる。
つまり安倍晋三自身は「障害者やお年寄りに不自由があってもしかたがないと聞こえるような発言をしたわけではないが、そのように聞いた者がいたとしたら、遺憾だ」と、そのように解釈した側に責任を置いて、自身に責任は置いていない釈明を行っている。だから、「遺憾だ」と言うことができる。
だが、実際には「聞こえるような発言」では決してなく、そのままに聞こえる発言なのだから、マヤカシそのものを働く誤魔化しに過ぎない。
伝統とは昔のままではなく、人間の生活の変化に応じて生じた伝統と生活の間の不都合を修正して、生活の都合に合わせていく側面を持っている。いわば生活の都合の変化に伝統を合わせざるを得ない場合がある。そのことまで考えることができずに、伝統一辺倒に拘る無知な視野狭窄が言わせた大坂城エレベーター発言でなくて、何であろう。
無知なだけではない。表に出て自身の口で釈明するのではなく、忠実な飼い犬のポチである萩生田光一を使って釈明したことは卑怯そのものの振る舞いで、自身の真意を隠して、別の真意に作り変える卑怯を併せると、二重、三重の意味で卑怯な人間に仕上がっているとしか言いようがない。
このような信用が置けない安倍晋三なる政治家が首相を務める与党を参院選で投票の対象にする。