小泉首相・安倍官房長官は隠れヒズボラ支持者?

2006-08-31 13:04:53 | Weblog

 ヒズボラはイスラエルの侵略に対して聖なる戦いを挑み、多くのイスラム戦士を失うことになったが、歴史的な勝利を収めた。我々は彼ら殉教者を悼もう。

 「イスラムのために戦い、尊い命を捧げたヒズボラの戦士たちにアラーの栄光を!!」
 「ジハード(聖戦)に殉じて、尊い命を犠牲にし、アラーの神の下に召された殉教者たちに死後の栄光を!!」

 「お国のために戦い、尊い命を捧げた戦没者たち感謝と慰霊の誠を!!」
 「お国に殉じて、尊い命を犠牲にし、神として祀られ、戦後日本の礎となった英霊たちに悼みと顕彰を!!」

 「一国の指導者が国のために犠牲となった戦没者に感謝と慰霊の誠を捧げるのは当然の行為である。万が一にもイスラムのために生き戦って殉教者となったイスラムの戦士にヒズボラとヒズボラを支持するレバノン市民がアラーの栄光を捧げるという、靖国の英霊に対するのと同じ構図を否定したなら、我々の慰霊と顕彰は正当性を失う。ヒズボラが単なるテロ集団でしかないと穿鑿したなら、戦前の日本がテロ集団と同類の軍国主義国家でしかなかったという穿鑿を受けることになる。ヒズボラがどのようなスローガンを掲げて戦闘行為をやらかそうとテロ行為に過ぎないと否定したなら、日本の戦争が侵略戦争でしかなかったと同じ否定を受ける。それぞれの集団及び国の姿は無視して、戦い・殉じたというプロセスだけを相互に讃え合おう。自らのプロセスを肯定するために!!日本を肯定するために!!」

 かくして小泉首相と安倍官房長官は隠れヒズボラ支持者となったとさ・・・・。

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派閥は永遠の生命を持ち続ける

2006-08-30 19:08:33 | Weblog

 06年8月11日の朝日新聞朝刊に派閥に関する記事が二つ出ている。一つは社説の「自民総裁選 派閥の哀れな末路」、もう一つは「自民‘06 総裁選 『鉄の結束』今は昔」との見出し。見出しだけで、従来の派閥の姿が力を失ったとする内容だと分かる。

 社説の「自民総裁選 派閥の哀れな末路」は自民党総裁選に向けた安倍支持が他派閥をも巻き込んで雪崩現象を起こしている状況から、「『数は力』。派閥の離合集散で総裁を決めた、かつての自民党の派閥力学が復活したかのように見えなくもない」が「実際はまったく逆のメカニズムが働いている。派閥のリーダーや有力議員が手を上げようにも、あるいは別の候補を推そうにも派閥の議員たちを従わせる力がもはやない」と、派閥力学がその有効性を失い、派閥としての磁力を失った姿を伝えている。

 安倍支持の雪崩現象を引き起こしているメカニズムは「理念や政策より主流派にいたいという思惑」であったり、「早く安倍氏に擦り寄って、よいポストにありつきたいという『勝ち馬』に乗る心理」であったりするとしている。その様子を「あるベテラン議員」の感想を借りて、「結局、みんなおいしいご飯が食べたい、うまい酒が飲みたい、ということだ」と解説している。

 そして結論として「安倍氏への雪崩現象は、弱体化した果ての派閥の末路を鮮やかに見せている」と伝えているが、「末路」(「①一生涯の末。人生の終わり②物事の衰えたすえ」『大辞林』三省堂)という言葉を使っている以上は、派閥の終焉を意味していなければならない。

 果して派閥は瓦解したのだろうか。『小泉壊革 5年の軌跡(上) 派閥解体冷徹貫く』と題した06年4月18日『朝日』朝刊記事では、「自民党内に派閥という『政党』がひしめく姿は消えた」と断定もしている。

 しかしである。「理念や政策より主流派にいたいという思惑」、「擦り寄って、よいポストにありつきたいという『勝ち馬』に乗る心理」、「結局、みんなおいしいご飯が食べたい、うまい酒が飲みたい」といった政治家の態度傾向は何も今に始まった光景ではなく、以前からあり、既に歴史・伝統・文化となっている派閥行動ではないだろうか。

 もう一つの「自民‘06 総裁選 『鉄の結束』今は昔」は、かつての田中派・竹下派の流れを汲む津島派の防衛庁長官額賀氏と山崎派領袖の山崎氏の不出馬を把えて、「額賀氏の後ろ盾になるはずだったかつての最強派閥は結束力を失い、『戦う集団』ではなくなっていた」原因が派閥所属議員の「主流派志向」であり、「山崎氏は安倍官房長官と明確な対立軸を掲げようと試みたが、主流派を目指す足元の動きを抑え切れなかった」と同じ線上の「主流派志向」を出馬断念の原因に挙げている。これらのことを以て、派閥がかつて結束力を喪失し、派閥としての体裁が取れなくなっていると見ている。

 だが派閥の求心力を形成する、安倍候補に十分に対抗できるだけの候補者を自派閥に抱えていないこと、支持する形で担ぎ上げてもいい目ぼしい候補者が他派閥にもいない情けない状況にあること、各候補がスタートラインに勢揃いする前から安倍ランナーが遥か先を走っている一人勝ちの状況にあることなどが結束力を失わせて浮き足立たしめ、ならばと、「理念や政策より主流派にいたいという思惑」、「擦り寄って、よいポストにありつきたいという『勝ち馬』に乗る心理」、「結局、みんなおいしいご飯が食べたい、うまい酒が飲みたい」といった利害が露出することとなって安倍支持に向けた逆の遠心力が働いたと見ることもできる。

 いわば派閥という集団自体が「派閥のリーダーや有力議員が手を上げようにも、あるいは別の候補を推そうにも派閥の議員たちを従わせる力がもはやない」のではなく、「派閥の議員たちを従わせる」だけの「力」を持った魅力ある「リーダーや有力議員」を自派閥だけではなく、他派閥にも不在であることが派閥が持つべき凝集性(=足並み)を目下のところ失わせている一時的状況にあるということではないだろうか。

 もし福田康夫が津島派に所属していたなら、山崎派やその他の他派閥を吸収して、安倍候補と優劣つけがたい対抗馬となり、両陣営からの人事をエサに一本釣りといった切り崩しが展開された可能性も考えることができる。だが現実は他派閥には不幸なことであるが、安倍候補と同じ森派所属である。

 暴力団にしても組長の権威と威令が行き届いていて、鉄の結束を誇っている組もあれば、子分たちが陰で好き勝手なことをしていて、親分がそれとなく耳にしても、苦々しく思うだけで統制を取ることもできない組もあれば、親分とは飾りでしかなく、幹部が牛耳っているといった組もある。

 要するに派閥の結束力も求心力もコマ次第だと言うことである。額賀氏にしても山崎氏にしても後から追いかけるにはコマ不足は否めないということではないだろうか。神輿として担ぐべき人材次第で、担ぐ力が入る場合と入らない場合があるし、担ぐだけの人材が不在の場合は、力の発揮どころを失って味わうことになる淋しい思いを他処の神輿を担いで自己存在を示す。同じ担ぐなら、世間から拍手もされ、ご祝儀(=閣僚ポスト)も期待できるような担ぎ甲斐のある人材がいいに決まっているのは世の常だろう。

 津島派や山崎派の足の乱れとは正反対に、安倍氏に「政策提言」して認められると、いち早く派閥として安倍支持を表明した伊吹派に関しては「派内では、人事への厚遇を求めて、『主流派』への復帰願望が強かった」と「政策提言」を支持表明の口実とした猟官レベルの派閥行動であること、「さらに所属の参院議員14人中9人が来年夏に改選を迎えるため、世論調査で支持率の高い安倍氏に選挙の『顔』としての期待も高かった」と、派閥維持のための派閥利害からの支持であると、記事の全体的なトーンとなっている派閥崩壊とは裏腹の「鉄の結束」とまでは行かなくても、一致団結して主流派入りに向けた乱れのない元来の派閥の姿を伝えている。

 尤もこれも主流派に向けた動きだから一致団結が可能で、逆にこれまでのしがらみで派閥上層部が谷垣支持だ、麻生支持だと動いたら、〝一致団結〟はたちまち崩壊の憂き目を見るのは目に見えている。貧乏くじを引くと分かっているからである。損だ得だといった自己利害が噴き出すのがオチだろう。元々領袖に力がないから、小派閥なのである。

 さらに言えば、伊吹派といった小派閥であっても、ベッカムやペ・ヨンジョンといったイケメンで、その上たっぷりとユーモアがあり、頭の回転の利く若手でも現れ、ミーハーやオバサンたちといった無視できないパーセンテージの有権者から人気を博したなら、大派閥にこれといった総裁候補が不在である場合は、逆の雪崩現象が起きる可能性も生じる。特に次の総選挙で自民党は議席を大幅に失うと予測されている状況にあった場合は、派閥の数の力で大派閥候補が総理・総裁に納まったとしても、政権を失ったなら意味を失うことになる。数の力を上回って〝選挙の顔〟が先ず第一番に優先される事態が生じることになるだろう。

要するに派閥が集団として力を持つには数の力は重要な要素ではあるが、その時々の状況に応じて相対化を受ける比較要素に過ぎず、すべてを決定する唯一絶対の要素としての姿を取る場合もあれば、取らない場合もある従属変数に過ぎないということである。

 そして現在は世論調査で高い支持を受けている安倍候補が所属する森派にとってはまさに数は力であるが、これといった総裁候補を抱えていない他派閥にとっては意味もない数でしかないといった状況にあるということだろう。

※【猟官】(りょうかん)「官職をあさること。官職に就こ
      うと人々が争うこと。
【猟官制】「公務員の任用を党派的情実により行う政治慣
      行。スポイルズシステム」(『大辞林』)

 山崎氏不出馬の原因を成している「主流派志向」の具体的な事情が「00年、当時の森内閣の不信任案に同調しようとした『加藤の乱』で山崎派は一致した行動を取った。その結束が崩れた背景には、昨年秋の人事がある。郵政政局で小泉氏を支えたはずなのに、山崎派に閣僚ポストはゼロ。入閣待ちの議員を中心に高まった不満は、安倍支持に向かった」と解説している。

 山崎派の「主流派志向」にしても、人事期待――猟官レベルの支持を内容としているということであろう。逆説すると、〝政策支持〟ではないということである。但し政策支持ではなくても、人事に釣られて、人事のために政策のすべてに賛成の態度を示して従うだろう。安倍長期政権となれば、一次内閣で入閣できなくても、主流派に属して政策支持の貢献に務めれば、いつかは順番が回ってくる。

 8月26日(06年)の夜のNHKニュースが、「安倍氏を支持する中堅・若手議員らが作る『再チャレンジ支援議員連盟』が『派閥の枠組みを超えた支援態勢を目指すべきだ』として独自に選挙対策本部を立ち上げることにした」ことと、「石原前国土交通大臣や佐田衆議院議院運営委員長ら党内の中堅議員8人が、25日夜会合を開き、来週中に安倍氏を支援するグループを新たに立ち上げ、活動を始めることで合意」したことを伝えた上、世代間の対立と主導権争いの懸念、さらに一体感維持の可否について言及していた。

 また毎日新聞のインターネット記事(06.8.23.20:12)が、「自民党の『無派閥新人議員の会』(小野次郎代表幹事、37人)は23日の総会で、党総裁選対応について協議し、安倍晋三官房長官を支持する意見が大勢を占め」、「来週の総会で、会として正式に安倍氏支持を表明するかを話し合う。23日の総会には19人が出席した」と伝えている。

 こういった動きの続きとして8月30日の『朝日』朝刊は、「自民党の新人衆院議員の有志が29日、党総裁選に向けて安倍官房長官を『激励する会』を国会内で開いた」と報じている。「小泉チルドレンと呼ばれる新人の多くが安倍氏を支持することが鮮明になった」という。

 「一方、派閥に属していない『無派閥新人議員の会』(小野次郎代表幹事、37人)は同日の総会で会として安倍氏支持すを打ち出すかどうかを協議した。小野氏らは安倍支持が大勢の党内情勢を踏まえ、『まとまった行動をとるべきだ』との考えだったが、『派閥と同じように安倍氏支持を打ち出すのは結局、無派閥という派閥ととられる』(牧原秀樹氏)」等の反対意見もあって、結論を先送りした。
 ただ、牧原氏がこの後開かれた『激励する会』であいさつするなど、異論を唱えた議員が必ずしも『非安倍』というわけではなく、新人議員の安部支持は変わりそうにない」(同記事)と伝えている。

 まさに安倍一色の雪崩現象である。だが、伊吹派はもとより、「再チャレンジ支援議員連盟」にしても、「石原前国土交通大臣や佐田衆議院議院運営委員長ら党内の中堅議員8人」にしても、仲間を募り、派を組んでの行動である。また「無派閥新人議員の会」にしても、「会」という集団を組み、その上メンバーの資格を共通の政策としているのではなく、政策とは無関係の「新人」に限定している以上、「無派閥」とは名ばかりの派閥そのものである。「無派閥という派閥ととられる」(牧原秀樹氏)などは奇麗事に過ぎない。その上安倍官房長官を「激励する会」で挨拶までしている。将来有望な、なかなかしたたかな新人である。「会」全体での支持となると、自分の支持が目立たなくなるということなのだろうか。

 〝派内派〟とか〝党内党〟と言った言葉があるが、派閥を異にする議員との連携であるなら、それぞれが〝派外派〟を組もうとしていると言えなくもない。石原前国土交通大臣など中堅議員にしても、たった8人であっても立派な集団行動であり、派の形成に当たるだろう。「無派閥新人議員の会」にしても、会として安倍支持を打ち出さずに所属議員がそれぞれに安倍支持で動いたとしても、他の派閥と連携して主流派を形成することになり、〝派外派〟を組むことになる。

 額賀擁立を断念した第2派閥津島派は自主投票を決めたが、「安倍氏の選挙対策本部にパイプ役として所属議員5人を送ることを決定。久間章生総務会長は、『安倍氏支持色の強い自主投票』だと語った」(asahi.com/06. 8.24. (木) 21: 29)というから、所属議員すべてでなないにしても、一定の派(=集団)を組んだ共同行動であろう。

 そもそもからして派閥とは政策集団ではない。政策集団であるなら、すべての議員がすべての政策で考えが一致するとは限らないだろうから、政策ごとにメンバーの移動、もしくは変化があって然るべきだが、派閥はほぼ固定化している。

 派閥が政策集団でないことは、福田康夫元官房長官が総裁選立候補を断念したあと、所属する自民党最大派閥の森「派の一人として安倍氏を支持する」と表明していることが最も象徴的に証拠立てている。派閥が政策集団なら、アジア政策及び靖国神社参拝問題とそのことに関わる歴史認識で相互に考えを異にする安倍氏と福田氏が同じ派閥に所属することは許されないだろう。派閥が政策集団でないからこそ、同居も許されるし、自身が立候補しないとなれば、政策が異なる安倍氏を支持することもできる。

 また、派閥の弊害がかしましく言われると派閥を解消して政策集団に衣替えする歴史を繰返してきたが、元のモクアミでいつの間にか元の派閥の姿に戻るが、このことも派閥が政策集団でないことを証明する一つの事例であろう。

 派閥は議員の身分を保証し、人事を約束することを目的とした利害集団でしかない。そのような利害集団だからこそ、人事によって結束という状況も起きれば、逆に足並みの乱れといった状況も起こり得る。派全体で主流派に属すことができる状況にあれば問題はないが、そうでなければ、人事決定権から自派閥を遠くに置くこととなり、結束か否かの決定要素が人事と連動する関係から、足並みに乱れが生じることになる。

 一つの派閥に所属したままで、他派閥の有力議員を総裁選で支持する。このことも派閥が政策集団でないことの証明と、支持が必ずしも政策を理由としていない証明となり得る光景であろう。

 派閥が政策集団ではなく、議員の身分を保証し、人事を約束することを目的とした利害集団でしかないとすれば、「理念や政策より主流派にいたいという思惑」、「擦り寄って、よいポストにありつきたいという『勝ち馬』に乗る心理」、「結局、みんなおいしいご飯が食べたい、うまい酒が飲みたい」といった風潮は批判事項に当たらない、ごく当然な傾向ということになる。

 無派閥ならいざ知らず、無派閥であっても「会」と名乗る集団に所属しながら、所属する派閥、もしくは会のメンバーであることを辞めて他派閥の総裁候補を支持するといったことをせず、派閥や会に所属したままで支持する。片足は自派閥もしくは会に置き、もう一方の足を主流派という名の二次的且つ比較上位の派閥に置く。最上位は勿論総裁派閥か、総裁を決めるのに最も力のあった派閥――かつての中曽根首相や宮沢首相、森首領をつくった田中派とその流れを汲む竹下派に当たる――といったところなのは言うまでもない。

 もし議員一人一人が自己の身分維持と政策・立案に関して自律した行動を取れるなら、身分維持と人事に関する利害集団でしかない派閥という集団を必要としなくなるだろう。議員の身分を最初に獲得するそもそもからして派閥の世話になる。首相が選挙の有力な顔ともなれば、勢い首相を抱える派閥が選挙のたびに数を増やす。新人として議員を目指す者としたら、政策云々よりも、より手っ取り早く安全確実に当選を図るからだ。当選と当選で得た議員の身分を維持するために派閥に所属してその世話になる関係とは派閥に従属する位置に自己を置くことを意味する。

 最初の選挙のときからそのことに何の疑問も持たずに自然体でできるのは、上が下を従わせ、下が上に従う権威主義性を自らの行動様式にしているからに他ならない。疑問を持つとしたら、どの派閥に属したら自分にとって有利か、損か得かを考えるときぐらいだろう。

 そもそもからして従属する関係に慣れている。一旦一つの派閥に従属・依存しながら、その派閥を離れて他派閥に席を移すと、余程の正当化の理由がなければ、一宿一飯の恩義を忘れた忘恩の徒、あるいは裏切り者と取られて、自己の経歴と評判を傷つけかねない危険を冒すことになる。離れるには離れるだけの条件を必要とする。

 自民党武部幹事長が9月の幹事長退任後に新人議員ら30人を対象に選挙指導などを行う「選挙塾」を立ち上げるとの考えを明らかにしたと昨夜(06.8.29)の日本テレビで報道していたが、「所属する山崎派会長の山崎前副総裁とは、総裁選挙への対応などをめぐって対立しており、新グループ立ち上げの布石ではないかとの憶測も呼んでいる」という。

 小泉首相のもとで党幹事長として働き、新人議員に影響力を及ぼすことのできる有利な状況を手に入れることができた。そういった本人の単細胞とは関係ない偶然の幸運が所属派閥と袂を分かつことを可能とする条件となっている。

 そういった条件に恵まれずに派閥を離れた場合の危険を避けるために結果として一つの派閥に籍を置いたまま、他の派閥の候補を支持するといった純粋に〝独自行動〟とは言えない二股的な独自行動を取ることになる。

 政治家の多くが権威主義から自由にならない限り自律行動を取ることは不可能で、派閥に従属・依存することから逃れられず、身分維持に関しても政策・立案に関しても自らの才能と才覚に拠って立つことはできず、自派閥が人事や有利な立場を保証しなければ、それらの決定権を握っている他派閥に求めて右往左往することになる。

 いわば力ある集団や力ある個人(今までは小泉首相、これからは安倍首相)に依存することによって自己を成り立たせる権威主義的行動様式から離れられない間は派閥はその生命力を失わずに存在し続けるということである。例え「鉄の結束」を失ったり、足並みが乱れることはあっても、閣僚ポスト獲得といった人事問題や身分維持に関して所属派閥に魅力ある利益が期待できない場合に限った限定的現象であって、それは派閥が利害集団であることの必然性から生じる付随事項と言えるだろう。

 勿論離合集散という現象も、合従連衡という現象もそのときどきの状況に応じて発現するだろうが、構成メンバーを変えるだけのことで、派閥はその利害集団としての姿を変えることなく、何らかの形と人数で存続し続けるに違いない。

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安倍天皇とその翼賛体制

2006-08-28 17:12:40 | Weblog

 毎日新聞のインターネット記事(06.8.26.18:41)に次のような記事が載っていた。

 「自民党の中川秀直政調会長は26日、青森県弘前市内で講演し、党総裁選で優位に立つ安倍晋三官房長官が次期首相に就任することを念頭に、『首相指名では賛成するが、実際の政策に反対ということは許されない』と述べたうえで、『公約をリーダーが実行し、(政府の)経済財政諮問会議や党が支える。個別議員の拒否権発動はあり得ない』と強調し、昨年の『郵政解散』と同様、総裁選で支持する以上首相への造反は許されないとの考えを示した」

 見込み違いといった可能性さえ許さないらしい。見込み違いにも様々な等級があるだろう。ちょっとした見込み違いから飛んでもない見込み違いまで。現在森派会長として頑張っている「日本は神の国」発言では名を残した森前首相は最大級の見込み違いの見本であった。その上と言ったら、女性問題で69日しか持たなかった宇野内閣(1989.6~1989.8)が超最大級の見込み違いとして挙げることができる。安倍晋三内閣が見込み違いとならない保証は現時点ではないとは言えない。

 総裁といった党の代表を決定する選挙で落選することになる対立候補に投票した議員であっても、国会に於ける首班指名選挙では党代表に投票する慣習となっている。特に政権第一党は政策面でどれ程反対であっても、政権維持を最優先条件とするのが一般的であろう。

 いわば「首班指名で賛成」と「実際の政策に反対」は必ずしも矛盾した行為となっているわけではない。

 安部支持表明が「党所属国会議員票(403票)のうち7割超の300票台を獲得する勢いで、独走状態が鮮明」(2006/08/25付 西日本新聞朝刊)という数の獲得(=数の力)が総裁選とそれに続く一般的には党一体となる首班指名投票に関しては確実な当選保証となり、首相就任後の政策遂行に於いてもその実現に目に見えて強力な数の力となるはずであるが、中川秀直をして「首相指名で賛成したなら、実際の政策で反対であっても支持しなければならない」と言わしめている状況は、一つは総裁選での対立候補投票者とのその後の融和の困難さを見越しているといったことがあるからに違いない。特にアジア関連の外交政策の違いが及ぼす対立感情の行方が気がかりになるところだろう。

 二つとして政策支持ではなく、大勢順応支持が無視できない数で存在していると見ているということもあるだろう。大勢順応支持者は自党の党首が首班に指名されることで政権と同時に政権党の議員としての地位が当面安泰だとしたとして、形成を見るに敏だから、野党民主党の今後の趨勢次第で呼応しないとは限らない党内反対派の動きにどちらについたら自己に有利か損得計算して便乗に丸印をつけない保証はないからだろう。

 だが、首班指名支持と政策支持を強制的に一致・固定させることで上記事態のような「個別議員の拒否権発動」――いわゆる造反を防ぐことができる。郵政民営化法案採決のときのようなドタバタを演じずに済む。

その反面、そのような支持の一致・固定の強制は自由であるべき反対意見を抑え込む絶対制約ともなり得る両刃の剣の側面を持つ。絶対制約と化したとき、「個別議員の拒否権発動はあり得ない」絶対集団体制を唯一可能とする条件となる。これを以て翼賛体制欲求と言わずして、他に何と表現したらいいのだろうか。中川秀直は安倍翼賛体制を欲したのである。これは小泉翼賛体制を引き継ぐ安倍翼賛体制願望であろう。

 安倍翼賛体制とは安倍晋三自身を天皇とすることでもある。周囲の反対は許さない絶対命令者とすることであろう。

 翼賛体制下で政策に支持できない場合は言論の自由を自ら封印する沈黙の自己規制によって、黙って見守る以外に道はない。政策に相当部分違いがある場合は、意見を言う気持さえ起こらないといった無気力を誘発しかねない。政策支持ではなくても、寄らば大樹の陰議員や安倍権勢に取り入って人事や人事に伴う利権目当ての大勢順応派議員は当初から言いなりとなるだろうから、沈黙を守る議員共々、結果として従属するだけの体制――頭数としてのみ認められる体制となりかねない。そこには自由、民主主義、基本的人権は存在しない。いや、存在することを許さない。そのことが翼賛体制の翼賛体制たる所以でもあろう。

 安倍天皇は自由、民主主義、基本的人権という価値観を共有する日米豪インドの4カ国による「戦略対話」を提唱している。自身の政権運営に関してはそれらの理念、もしくは権利の発揮を許さないならば、「戦略対話」提唱の条件としている「自由、民主主義、基本的人権」は単に外交利益上の口実でしかないことが露見することとなる。そのような矛盾が生じるとしたら、それは安倍氏自身がそれらの理念・権利を実際には自己精神化していないからで、単に時代に合わせて必要なときに必要に応じて谺させているに過ぎないからということになる。

 いわば中国とうまくいっていたら、自由、民主主義、基本的人権などと口にしないし、うまくいっていないから口にしているというだけのことになる。実際にも日本が最大の援助国となっている独裁国家ミャンマーに対しては、少なくともうるさくは言っていない。

 中川秀直は森前首相の側近であり、2000年7月の第2次森内閣で国務大臣内閣官房長官兼沖縄開発庁長官に就任している。愛人問題や右翼との会食問題で就任3ヶ月で辞任失職、だが2002年自民党国対委員長として復権、2005年10月に党の政策調査と政策立案を担当というものの、小泉政策を丸受け実現する役目の政調会長に就任している。それ程に小泉首相に近い要職者である。

 小泉首相と共にポスト小泉に安倍晋三で共同歩調を取っている人物の安倍晋三の意を汲んだか、意を受けたか、「反対ということは許されない」発言であることを十分に考えなければならない。中川発言以後、それを即座に否定する安倍発言を聞かない。安倍容認の中川発言と見るべきかもしれない。

 となれば、安倍氏が口にする自由、民主主義、基本的人権は実際問題としても十分に疑ってかかる必要がある。そもそもからして「国を愛せ」などという人間の自由、民主主義、基本的人権は信用できない。まずは〝愛することができる国〟づくりを政治家は心がけるべきだろう。愛せない女を周囲からいくら「愛せ」と言われても、愛せないものは愛せないのと同じである。

 自由、民主主義、基本的人権が口先だけの方便と言うことなら、安倍晋三は天皇となる資格は完璧なまでに持っていることになる。安倍翼賛体制も非現実的なことではない。

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安倍晋三が言う「美しい国」のモデルは?

2006-08-27 07:06:25 | Weblog

 安倍晋三は言う。「日本を美しい国にしていく」

 現在、日本が美しい国ではないから、美しくする必要が生じているということだろう。今の日本の国がどう美しくないのか、その美しくない姿をどう変えて、これこれこのような美しい日本にしていくというそれぞれの具体的な説明があって、初めて「日本を美しい国にしていく」という政策立案が目に見えてくる。その是非も判断可能となる。

 『美しい国』という書名の自著があるとのことだが、そこにどう書いてあるか知らないが、知りたければ書いてあるから読めとは言えないだろう。知りたいすべての人間は読めということになったら、一種のファシズムとなる。テレビで「美しい国にする」と喋っている以上、どう美しくないのか、それをどう美しくしていくのか、時・場所を同じくしたテレビ上で責任上機会あるごとに説明すべきである。それが日本の政治をリードしていくべく目指している政治家としての説明責任と言うべきものだろう。
 
 説明がなければ、空理空論を弄ぶ類と化す。

 「日本を美しい国」としなければならない現在の〝美しくない日本〟は戦後自民党政治がその殆どに関わって自らの手でつくり上げてきた日本であろう。現時点ではその最終場面を小泉構造改革も手を貸して〝美しくなさ〟を補強した。「格差社会」日本も〝美しくない〟日本の一つであろう。

 補強したと言って悪ければ、少なくとも小泉構造改革は〝美しくない〟日本を「美しい国」に戻すに力不足だった。いや、何ら役に立たなかった。そこで安倍晋三は、ならばと自分が総理総裁になったなら、この〝美しくない〟日本を「美しい国」にしようと思い立ったというプロセスでなければならない。

 だが、安倍晋三は〝美しくない〟日本を「美しい国」に戻すに何ら役に立たなかった小泉構造改革のメンバーの一員として重要な位置に加わっていたのである。言ってみれば「美しい国」とするに無能であった面々の一人であった。別の言い方をするなら、無能という点に関して同じ穴のムジナだったのである。

 その人間が総理総裁になった暁には「日本を美しい国にする」と、例えマイクに向かって片手をハイルヒトラー式に斜め上に伸ばし、高らかに宣言したとしても、信用できるだろうか。

 それとも自らが所属する政党が戦後60年かかって〝美しくない日本〟をつくり上げてきたとは認めがたく、戦後の時代そのものがアメリカ主導でつくられた日本国憲法や教育基本法を出発点として〝美しくない日本〟を少しずつ積み上げてきたと見て、その〝美しくなさ〟を否定・排除するために戦後の時代そのものを否定・排除しようとしているのだろうか。戦後の否定・排除は戦前の肯定、そこに「美しい日本」を見ているのだろうか。

 安倍晋三は改憲論者である。但し、時代及び世界情勢が大きく変わり、現憲法が現状に即さなくなったからとする改憲意志からではなく、日本人自らの手で制定した憲法の必要性を前面に出して訴えていることから、日本人が自らの手で制定することに重点を置いた改憲意志からの改正論者であろう。それは教育基本法に於いても、同じく日本人自らの手でつくることを訴えている。

 言ってみれば、現憲法にしても現教育基本法にしても、日本人が自らの手(=自らの考え・思想)でつくったものではない点で否定し、それが改正意志へとつながっている。日本人以外の思想が関与していることへの否定でもあろう。

 そのあまりの日本人自身の思想への拘泥とその裏返しである日本人以外の思想への否定は排外主義、明治維新前後の傾向で言うと、攘夷思想にも通じる民族主義、もしくは国家主義の態度から出ている意識としてあるものであろう。

 となると、日本人自らの手(=自らの考え・思想)でつくるべしと執心している改正憲法と改正教育基本法の双方に等しく規定すべく謀っている「愛国心」思想は民族主義意識、もしくは国家主義意識から発した欲求と言うことになる。

安倍晋三が民族主義人間、もしくは国家主義人間であるなら、彼が戦前の日本を「美しい国」のモデルとしても不思議はないことになる。当然の志向であり、当然の戦前回帰であろう。靖国神社の参拝を通して、戦前の「お国のために戦った」日本人戦死者を顕彰することで、戦死者の奉仕対象である戦前の「お国」日本を、奉仕することを正義としたから対象自体をも正義とする置き換えで正当化してもいるのだから。

 このことは戦前の「お国」がどんな内容の国だったのか問わないことによって証明されている。

 「美しい国」のモデルが戦前の日本だから、簡単には説明できないのもかもしれない。戦前的な民族主義者、もしくは国家主義者だと自らを告白するようなことは誰もしないだろうから。

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自民党総裁候補安倍晋三の〝公〟意識教育の正体

2006-08-25 06:03:34 | Weblog

 安倍官房長官は今年9月の総裁選に向けて憲法改正と教育改革に重点を置いた公約を掲げた。教育改革の一つに「『公』意識の育成」と、その具体化の方法としてだろう「奉仕活動の必修化」を項目に入れている(06.8.23.『朝日』朝刊)。

 民主党前代表の前原氏も「公の精神」という言葉で同じ政策を掲げていた。「耐震強度偽装問題は「『官』の責任放棄、『民』の倫理観低下」を象徴している。それは小泉政権による『短絡的な競争原理、表面的な効率化』の押しつけがもたらしたものだ。
 『官であれ民であれ、守らなければならない「公の精神」が急速に失われつつある』
 『民主党は公の精神を追求する。このことが自民党等の根本的な違いである』」(<政態◆拝◆見>05.12.20.『朝日』朝刊)

 前原氏が言うように「公の精神」とは「官であれ民であれ、守らなければならない」道徳観・倫理性だとすると、「公の精神」とは〝おおやけの精神〟=公共心を意味することになる。〝公共心〟(=「公共の精神」)とは社会全体の利益のために尽くそうとする精神を言うはずである。「公の精神」などと言わずに、なぜもっと素直に分かりやすく〝公共心〟と言わなかったのだろうか。

 当然自民党総裁候補の安倍晋三にしても、同じことが言える。なぜ素直に〝公共心〟の育成と言わずに、勿体づけるかのように〝公意識〟の育成などと言う必要があるのだろうか。

 果して前原氏も安倍氏も〝公〟を公共心と同じ意味で使っているのだろうか。同じ意味で使っているなら、回りくどくなくずばりと〝公共心〟と表現するだけで片付く。〝公共心〟という言葉を使わないのは、〝公〟を公共(社会全体に関すること)として使っていないからではないか。そこに〝国意識〟を紛れ込ませているから、〝公〟なる表現となっているのではないだろうか。それとも政治家らしくただ単に気取って公共心を「公の精神」とか「公意識」とか表現しているのだろうか。

 前原氏以前の5年前の2005年には「神の国」の首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が将来的には満18歳のすべての国民は1年間とする「奉仕活動の義務化」を議論していた。但し「奉仕活動を全員が行うようにする」とする項目を掲げはしたが、1年間の義務化に関しては世論の反対にあって、中間報告案から「義務化」の言葉が外されている。

 今年(06年)6月に国会の会期切れで次国会への先送りとなった自民党教育基本法改正案は、現行法が「個人の権利尊重に偏りすぎている」と批判し、「公共の精神を尊ぶ」べしとする公共心の育成の必要性を前文に明記した。にも関わらず、安倍総裁候補となると、「公意識」である。

 唯一はっきりしていることは、安倍氏の「公意識」の育成も、意識育成の具体的手段である「奉仕活動の必修化」も自身の発案ではなく、与野党とも、その保守層に属する政治家は「奉仕活動」を重要手段として〝公〟なる道徳性を植えつけ国民を教化たい衝動を従来から抱えていたのであり、衝動所持者の一人として政権を獲得した場合には具体的に政策化しようという安倍官房長官の姿勢だということが分かる。

 公共心と言ってくれるならいたって理解可能だが、「公の精神」あるいは「公意識」となると、今ひとつ具体的にどのような態度傾向を言うのか不明である。政治家の口から頻繁に飛び出す言葉であるが、具体的な説明がないものだから、言葉の抽象性にとどまるのみである。それとも誰にでも理解できる内容で説明するだけの力がないからなのか、国家意識を滲ませているから、説明しにくいということなのだろうか。

 では、〝公〟という言葉自体は正確に何を意味する単語なのだろうか。〝公〟が保守系好みの国民教化衝動となっている事実から復古趣味への疑いを発生せしめ、その連想から、彼らの時代感覚にふさわしいと思える大正6年初版発行という古い時代の『大字典』(啓成社)で調べてみた。
 
【公】読み「コウ」――最初に太字で「オオヤケ」との意味づけがあり、続いて細字で「タヒラカ、平等、タダシ、通ズ、私ナシ、共同、ヤクショ、ツトメ、官府、朝廷、政府」と進み、太字に戻って「オカミ」、細字に戻って「世間、衆人、表ムキ」太字「キミ」、細字「天子、諸侯、主君、對手の敬稱、五等爵の首位、夫の兄、夫の姉、鐘ニ通ズ」となっている。

 これらの意味解釈の中で支配層以外に属する言葉は「世間、衆人」の二つのみである。「夫の兄、夫の姉」は一見すると一般社会に属する言葉に見えるが、「公(きみ)」は「君(きみ)」と同義語として使う場合があるから、上層階級の「夫の兄、夫の姉」を「きみ」と指したのではないだろうか。

 あとはすべて支配層に属する言葉となっている。特に太字で強調している意味言葉の「オオヤケ、オカミ、キミ」の三文字を総体的に関連づけると、「オカミ、キミ」の二文字から「オオヤケ」にしても明らかに支配層の中でも政治権力層を指す言葉となる。

 「對手の敬稱」として封建時代に「公(こう)はどちらに住んでおられるのか」といったふうに使用したようだが、ごく一般的な市民ではなく、武士とかの身分の高い人間が相互に使い合う言葉であろう。

 参考のために「おおやけ【公】」の意味を国語辞書(『大辞林』三省堂)で引いてみると、「①政治や行政に携わる組織・機関。国・政府・地方公共団体など。古くは朝廷・幕府などを指す。②個人ではなく、組織あるいは広く世間一般の人に関わっていること。『土地を――の用に供する』『市長としての――の任務』③事柄が外部に表れ出ること。表ざた、表向き④天皇。また、皇后や中宮」となっていて、直接的な地位関連の意味言葉は①と④のみで、特に最初の①に持ってきている意味づけから判断すると、やはり一般社会を指すというよりも、国家機関とそれに準ずる組織、いわば政治支配層を指す言葉であることが分かる。

 首相の靖国参拝でよく公人か私人かで問題になるが、公人とは〝公〟の人のことで、支配者層の者に使うべき言葉であろう。

 となると、〝公の精神〟にしても、〝公意識〟にしても、厳密に言うなら、一般社会の精神・意識ではなく、天皇や皇族、国会議員や官僚、地方議員・地方役人、それに警察官や国公立教育機関の教師も含めなければならないだろう、そういった広い意味での公職に就いている者が担わなければならない意識・精神(=倫理・道徳性)であって、その内容としなければならない姿勢が『大字典』で言うところの「タヒラカ、平等、タダシ、通ズ、私ナシ、共同」と言うことだろう。

 「通ズ」は断るまでもなく無闇やたらと異性と通じたり、悪徳政治家や悪徳官僚が悪徳事業者と、あるいは悪徳警官と暴力団や悪徳経営者と気脈を通じて悪事を働く「通ズ」ではなく、職務上の知識・情報に精通していることを言うはずである。

 「私ナシ、共同」は説明するまでもなく誰もが備えていなければならない道徳性であるが、特に支配社会層の人間がより多く備えていなければならないはずで、そのことに反して最も欠けている性格要素ではないだろうか。、

 以上見てきたように〝公〟が支配社会層を指すとするなら、安倍官房長官が目指している「公意識の育成」は本来は公職に就いている者に求め、常に自覚させておかなければならない〝意識〟であって、〝公〟向け(支配層向け、あるいは公職者向け)に涵養しなければならない意識・精神(=道徳律・倫理性)となる。またそうでなければならない。

 いわば政治家を目指す者、官僚試験を受けようとする者、警察官になろうとする者、教師になろうとする者、地方役人を目指す者などを対象に教育すれば片付く〝公意識〟である。一般道徳として涵養していくというなら、わざわざ〝公〟と名づけ、条件づける必要はまったくない。それを名づけ、条件づけた上で、公職に就くかどうかも分からない生徒にまで広げて〝公〟向け(支配層向け、あるいは公職者向け)の意識・精神(=道徳律・倫理性)を教え込もうとしている。

 日本の政治家・官僚以下の公職者すべてが備え担っている〝公意識〟をすべての国民に備えてほしいから、学校教育の授業に取り入れると言うなら、ウソ偽りを働くことになる。日本の公職者がどこから見ても〝公意識〟を体現しているとは到底思えないからだ。

 公共心の育成は従来的に学校教育の重点項目としているだろうから、それが機能していないと言うなら、より効果的な授業方法へと改革を求めるとするか、改革への提言を行うとするかで自らの教育に関わる政策を理解させることができる。

 そうはせず、公職者となることで発揮すべき意識・精神(=道徳感・倫理性)である〝公意識〟を、あるいは単なる公共心の育成なら事新しくわざわざ頭に〝公〟とつける必要もないにも関わらず、〝公〟と頭につけた上で学校教育としてすべての生徒が身につけるべき学習項目とすることができるとしたら、〝公〟向けの道徳律・倫理性の教育とすることによって、「公意識」教育は可能となる。

 公共心教育に屋上屋を架すことになっても問題にすることもないし、公職者になるかどうかも分からない生徒への学習項目とする正当性も出てくるし、頭に〝公〟と名づけ、〝公〟と条件化する必要性も出てくる。

 〝公〟向けの道徳律・倫理性の教育とはそっくりそのまま〝公〟への従属を示すものだろう。親兄弟といった家族のため、家のため、地域のため、社会のためと段階を踏んだ公共心教育を通して、最終的には国のための〝公意識〟を植えつけて、国を中心とさせ、国民をその周辺に置く従属である。

 いわば安倍官房長官やその類の国家主義者的政治家が言う〝公意識〟の実体は、社会全体のための利益を謳いながら、それが国を指す全体であって、そのための利益となることを要求する〝公〟を中心とした意識の育成ということなのだろう。

 このことは「奉仕活動の必修化」が如実に証明している。「奉仕活動」の最終最大対象が〝公〟(=国家)そのものであろうから。また憲法改正案や改正教育基本法改正案に盛り込もうとしている「愛国心の涵養」欲求とも連動する国を中心としてそこに誘導し、国家意識に取り込もうとする従属要求であろう。

 安倍官房長官やその同類政治家の〝公意識〟と名づけた国家への従属要求は、靖国神社の戦死者の国家への奉仕を意味する「国のために」を重要価値観としているように、参拝行為を通しても既に国民に発信されていたと見るべきではないだろうか。それを教育現場にまで広げようと意図していると言うことだろう。

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日本人を眺めつつの勝手に気紛れな草刈

2006-08-23 04:30:39 | Weblog

 私が住んでいる市営団地と県営団地が5棟ずつ建て並ぶ南西側に幅10メートルか15メートル程度だと思うが、ちょっとした川がある。左岸が土手になっていて、土手の川の反対側の一段低くなった場所にかなり大きくなった桜が200~250メートル程の並木をなしていて、季節になると見事な花を咲かせる。枝が川岸まで差しかけていて、夏は日陰をつくり、暑さしのぎの格好の場所となっていて、桜の季節だけではない散歩道ともなっている。

 自治会で年に1回6月に一斉に川の草刈りを行うのだが、次の年になると葦やススキ、その他の雑草が人の背丈ほどに生い茂ってしまう。6月の草刈りだから、桜の季節は右岸も左岸も枯れた雑草が汚らしく鬱蒼としているだけではなく、土手の道も人が歩く真ん中は踏まれて草は生えていないが、左右から膝の高さ程に伸びた雑草が迫っていて道幅を狭くし、折角の桜の満開を損なう景色となっていた。

 定期的な草刈りでは左岸側が我々の管轄区域で、右岸はよその自治会の管轄となっている。一昨年働くのがいやになって仕事をやめ、細々とした年金生活に入った。仕事に時間を取られていた分パソコンに向かう時間が増えたから、時間の余裕ができたわけではないが、時間の配分が自由になったこともあって、気紛れを起こして市営団地側の左岸のコンクリートブロックの隙間から伸びている雑草を取り除くことから始めて、傾斜した右岸の根元に土が堆積して雑草を生やし汚く見えたから、その土を除いて、水の流れが岸の根元に沿って流れるようにし、1ヶ月に一度ずつ中州と岸の草を草刈機で刈ることにした。岸は溜まっていた土を取り除くと、ブロック自体に隙間が殆どなく、雑草はまばらにしか生えないから、さして大変ではない。中州は午前中一杯かかる程に生える。

 市営団地と県営団地の間に道路があって、そのまま橋につながっている。市営団地に住む人間として自分の領域は橋までだと思っていたが、県営団地側の土手の雑草の方がひどい状態なので、今年に入って桜の季節に間に合わせようと右岸と土手の道と右岸側の州の雑草を刈り出した。傾斜した岸は途中までコンクリートブロックになっていて、雑草はたいして生えていないのだが、そこから先がコンクリート製の石を雨水が浸透するように隙間をこしらえて並べた岸となっていたから、葦やススキが石の上にまで土を集めて直径1メートルもある塊となって密生しているような状態になっていた。草刈機の刃では根元に土や小石が挟まっていて取り除ききれず、つるはしを使って根こそぎ取るのに午前中だけの仕事で1週間ほどかかった。桜の季節、左岸だけが見違えるほどにきれいになった。

 桜の満開時に花の下を散歩しながら、土手状態の右岸は雑草が生え放題に生えていて、桜との対照が何とも不似合いであったが、6月の一斉草刈りを待って、それから1ヶ月に一度のペースで草刈りをやりだすことにした。現在2回目の草刈に入ったのだが、7月の1回目は午前中だけで3日かかったのが、暑さのせいでなかなか前に進まない。1時間に5分程度の休憩が30分ごとに5~10分程度となったのだから、当然と言えば当然である。

 右岸の草刈を始めるについては、自治会一斉の草刈りの後、ガードレールの外のアスファルトの上まで土が20~30センチ程はみ出していて、草を刈った跡が残っている。通勤路となっていて、車の交通量がかなり多いものだから、草を刈るごとにガードレールの外に出るのは面倒だから、アスファルトの上の土を取り除くことにしたが、午前中だけで5日かかった。

 通りがかりの自転車に乗った70恰好の男性がいつもなら草が道路にまではみ出している上に穂先が道路側に垂れるものだから、道が余計に狭くなって自動車とすれ違うときギリギリまで寄けても、すぐ脇をスピードを落とさずに走っていってヒヤッとさせられることが多い、アスファルトの土を取って雑草が生えないようにしてくれるだけでも助かると言っていた。車を運転している方は余裕があると見てそれなりのスピードで走っていくのだろうが、すぐ脇を通られる人間としたら、ギリギリのところを走っていくように思うのだろう。

 上が決めたことはやるが、決められていないことはやらないという日本人の上に従う権威性が、折角桜並木を200~250メートルも抱えているのだから、草刈は開花前に変えようといった(これもささやかな改革のはずだが)発想を許さず、1年に1度、6月の第1日曜日と決められると、それを当たり前のことして10年20年と守る。さらに草刈りだからと草を刈るだけのことはするが、土が道路側にアスファルトの上まではみ出して雑草を生やしているから、土を取り除こうといった発想も持たない。そう、上から言われていないことは決してしないからだ。

 コンクリート製の石を積んだ浸透式の岸の雑草は手で抜くことにした。機械で刈ると、根が残るからすぐに生えて、石垣の折角の幾何学模様を短時間に損なってしまう。8月初旬に石垣の雑草に取り掛かっていたとき、いきなり頭の上から「ボランティアですか」と声をかけられた。60歳前後の少々太った、と言うよりも恰幅のよさを思わせる女性だった。
 
 私は「ボランティアじゃない」とつい険しい声になって言い返していた。女性の物言いが上の者が下の者に向かって問い質すような口調に聞こえたからだ。小学校の校長か教頭、あるいは保育園の園長といった経験者が部下に使っている言葉遣いのようだった。無視して草を抜き続けていると、「ご苦労様」といって立ち去っていった。「ご苦労様」も上の者が下の者に向かって言う声の調子がした。

 普通なら、いきなり「ボランティアですか」と聞きはしない。「大変ですね」といった言葉から入るのではないだろうか。

 よく「ボランティアか」と聞かれるが、「ボランティアじゃない、勝手にやってることだから」と答えることにしている。「ボランティアです」なんて言ったら、おこがましいことになってしまう。

 「仕事は何をしているんですか?」
 「細々とした国民年金暮らしだから」
 「ああ――」
 それで納得した顔になる。時間があり余っているからできるんだと思うのだろう。しかし年金暮らしで時間が余っている人間がすべて自分に関係ない場所の草刈をするとは限らないと考えるだけの客観性がないから、簡単に納得顔になれる。

 「誰にもできることじゃないのだから、こういった人を市で表彰しないのかしら」といったことを言う者も結構いる。
 「表彰と言うことになったら、即やめることにする」と答えることにしている。表彰を貰って片付くほど草刈りは簡単ではない。自分たちがしないこと、あるいはしようとしないことを表彰を貰わせることで片付け、しないこと・しようとしないことの埋め合わせとする気持があるように思えるのだが、邪推だろうか。

 「誰がが市に言ってやらなければ、市は知らないでしょうから」
 「誰がが」ではなく、誰もいなければ自分でという気持ちは起こさない。この手の他人頼みも言われたことはするが、言われないことはしない権威性からの他人頼みだろう。いわば言われないことでも自分からするといった発想はない。

 かくして草刈りをしながら、日本人の自分が日本人をつくづくと眺めることになる。日本人を意識せざるを得ない日々を送っているからでもあるのだが。

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戦争は「国のために」に戦うものではない

2006-08-22 07:02:30 | Weblog

 合理的精神の欠如が「国のため」の戦争を可能とし、戦没者を神・英霊とすることができる

 自由・平等とか民主主義、人権といった理念を擁護するため、あるいは獲得するために戦うものである。そのような理念こそが人間を最も人間らしく存在させる価値観として機能するからである。人間の精神生命をより十全な状態で発揮せしめ、人間を様々な抑圧から解放した状態に置く諸要素だからである。断るまでもなく、自由・平等、民主主義、人権の否定は人間存在に対する抑圧要因としてしか働かない。

 〝国〟あるいは〝国家〟は戦争を行う理念足りえない。〝国〟あるいは〝国家〟は如何なる理念にも相当しないからである。何らかの理念を体現している〝国〟あるいは〝国家〟であっても、体制を秩序づける基本原理を不変のものとすることができるとは限らず、理念を普遍的価値として常に約束する恒常性を備えているわけではないからである。

 日本の中国及びインドシナからの全面撤退・中華民国国民政府以外の政府の否認・三国同盟の否認等を要求するハル・ノート(1941.11)を日本がアメリカの対日最後通牒と見なして決定した新たな侵略である南方進出に欧米植民地からのアジア解放を初期理念とした大東亜共栄圏構想を前面に押し出したが、その段階理念たる〝共存共栄・八紘一宇〟の否定の具体化そのものであった傀儡植民地である満州国及び武力侵略を続けていた中国をも大東亜に含む地域構想だったのだから、看板に偽りありの欺瞞に満ちた二律背反性を当初から構造としていた。いわば侵略を隠し、正当化するスローガンとして打ち出した理念に過ぎなかったのだから、占領地域で欧米帝国主義以上の収奪と人権抑圧が行われたというのも欺瞞に満ちた二律背反性の当然の成果としてあった結末であろう。

 またアジア解放に始まって〝共存共栄・八紘一宇〟を戦争の理念として掲げながら、「天皇陛下のために・お国のために」と〝大東亜〟全体ではなく、天皇と日本のみに限った忠誠と使命(=命の捧げ)を要求したのだから、如何に自らを頂点に置いた自国中心、日本中心だったかを証明している。実体的にも日本の支配下にアジアを置こうと計画し、実行に移された〝アジア解放〟であり、〝大東亜共栄〟がその正真正銘の正体だった。

 アジア解放にしても〝共存共栄〟にしても〝八紘一宇〟にしても、自由・平等、民主主義、あるいは人権の保障を担保する構造でなければ、真の理念足り得ない。日本という国自体が、それらを国民に担保していなかったのだから、アジアに実現できようがなく、言葉だけの矛盾に満ちたキレイゴトに過ぎなかった。

 裏表ない理念の実現を掲げた戦争はその勝利を手段とした理念の具体化を報奨とすることができるが、領土や物質的・経済的国益を満たす目的の戦争は上記プロセスを踏むことができない。日本の国家権力が国民に対して神の地位、英霊を報奨として天皇及び国に向けた命の捧げを求めたのは戦争を正当化できるだけのウソ偽りのない理念を持たなかったからだろう。いわば単なる物質的自国欲からの戦争だったから、なるはずもない神となることを約束し、英霊となるといった超越的存在を最大限の報奨として用意しなければならなかった。

 国民がそれを信じ、天皇及び国によって与えられた目標に向かって邁進できたのは客観的合理精神をものの見事に欠いていたからだろう。

 もしも靖国の戦没者を神・英霊だと信じることができるなら、爆薬を身体に巻きつけて死に赴くイスラム原理主義者たちの自爆テロがアラーのもとで最高の場所を与えられる勝利の殉教であり、自らを超越的存在とするジハードであることを類似概念として信じ、エールを送ることをしなければならない。

 また戦争だけではなく、国家や国家権力者を絶対とする如何なる国家行為も国民を抑圧する方向に向かう。国民の絶対性を並立不可能なものとして排除することによって国家及び国家権力の絶対性を成り立たせ得るからである。いわば国民の存在条件を犠牲とすることによって国家の絶対性は可能となる。戦前の日本及び現在の北朝鮮がそのことを証明している。

小泉首相にしても安倍官房長官にしてもアメリカが体現している、勿論それぞれに矛盾を抱えてはいるが、自由・平等、民主主義、市場経済、法の支配、人間の尊厳及び人権といった価値観を人類共通の普遍的な価値観とし、その共有自体を誇らしいこととしているが、その一方で靖国神社の戦没者に関しては「国のために戦った」、「国に殉じた」と、兵士の〝戦った〟あるいは〝殉じた〟行為を肯定することを通して、「国」を肯定する相互肯定を今以て行っているが、戦前の日本は自由・平等、民主主義、市場経済、公正な法の支配、人間の尊厳及び人権を体現していなかった「国」である。

 一方でアメリカが体現している価値観を共有する「国」だとして日本を誇り、その一方でそれら価値観を基本原理としていなかった戦前の「国」を肯定視野に入れている。二人の頭の中は便利に仕上がっているらしく、相容れない二つの「国」――過去と現在を断絶させることもせずに背中合わせに仲良く連続的に共存共栄させることができるようだ。合理性を備えた普通の感覚では不可能な共存共栄を可能としている。日本の政治家ならではの合理性をクスリとしない、状況に応じて態度を変えることのできる思考回路が疑念もなしにそう仕向けているとしか考えることができない。

 「あの戦争が侵略戦争であったなら、靖国の英霊は浮かばれない」という言説をよく耳にするが、英霊が浮かぶ・浮かばれないを条件として戦争の性格が決定されるわけのものではない。信じた事柄に裏切られると言うことも、信じるという行為自体が間違った選択だっということも世の中にはいくらでも存在する。存在した事実とその経緯を以て判断されるべき戦争の性格であって、英霊の立場を決定要因とするのは単なる感傷でしかなく、日本人が如何に合理的思考能力、あるいは客観的認識性を欠いているかの証明であろう。

 人間が如何なる形の死を以ても神・英霊なる超越的存在と化すはずもなく、合理精神が発展途上の人間でなければ成り立たたせ得ない産物でしかない。

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東条の孫娘の思考限界に見る日本人の思考限界

2006-08-20 02:56:22 | Weblog

 朝日新聞夕刊に『ニッポン人・脈・記』なる記事が連載されている。現在「戦争 未完の裁き」の項目に進み、その⑦記事目「東条、最後も天皇の軍人 孫『死をもって国にわびた』」が8月17日(06年)夕刊に掲載されている。

 一部省略して引用してみる。

「日米開戦時の天皇の側近、内大臣木戸幸一を国会図書館が67年、6回にわたってインタビューした。木戸は東京裁判で終身刑。30年後まで公表しない約束だった速記録が、ひ孫の木戸寛孝(36)の手元にある。『あのとき、なぜ東条英機を首相に選んだか、しゃべってるんですよ』
 日本の中国への果てしない侵略。米国は日本の撤兵を求め、くず鉄や石油を次々と禁輸した。陸相東条は『撤兵すれば戦果が水泡に帰する』と抵抗、41年9月6日の御前会議は『自存自衛のため10月下旬までに戦争準備』を決める。破局の第一歩だった。
 だが、天皇は『戦争より外交』を望んだ。首相近衛は行き詰まって内閣を投げ出す。当時の憲法では天皇が首相を選ぶ。後継は?木戸は『東条って人は陛下の命というと本当に一生懸命になってやる人でね』と語っている。  
 「開戦論となえる東条ならば開戦論を抑えられる」と木戸は東条を推し、近衛も『逆説的名案だね』と同調した。策士、策におぼれるとはこのことかもしれない。
 首相になった東条は確かに戦争回避の努力を続けた。が、いわゆるハル・ノートで米国から『即時撤兵』要求を突きつけられ、『挙国一体必勝の確信』をもって『聖慮を安んじ奉る』と開戦に走った。
     (中略)
 『生きて虜囚の辱めを受けず』という戦陣訓をつくったのは東条だ。
     (中略)
 東条の孫娘東条由布子(67)は『おじいちゃまはお国のために死んだのよ。世の中の人がどんなことを言っても、おじいちゃまは立派だったのよ』と聞いて育った。『東条ら7名、A級戦犯絞首刑』を知ったのは、学校の社会科の教科書でだった。
 東条は東京裁判の被告席で『自衛戦争だった。自分の責任』と主張した。だが、天皇について問われて『日本臣民が陛下の御意志に反して、あれこれすることはありえない』と一旦答えた。天皇の戦争責任という問題が生じないか。
 キーナン検事『戦争を行えというのは天皇の意志だったか』
 東条『私の進言によってしぶしぶご同意になったというのが事実でしょう。最後の一瞬に至るまで陛下はご希望を持っておられた』
 東条は天皇を弁護。最後まで天皇制の一本気な軍人官僚を演じた。『キーナンは祖父に死に場所を与えてくれた。歴史の濁流の中で手を広げて踏ん張ったのが東条だったろう』と由布子。
 『陛下に背いた開戦』によって、東条が絞首刑になったのは48年12月23日。訴追されなかった天皇は軍服を脱ぎ、地方を巡航し、生物研究の顕微鏡を覗いて、それから40年を生きた。
 東条の最後の気持は?
 『東京裁判は不当だけれど、死をもって国にわびることは100%満足していたと思いますよ』
 靖国神社に祀られることは?
 『汚れた俗世間の人間が神様の神格を剥奪したりできますか。でも、東条がいやであるなら、どうぞ心の中で分けて拝んでもらってもいいんですよ」
 由布子は東条を語りながら、目の見えない人のガイドヘルパーなど福祉の日々である」

* * * * * * * *

 「『おじいちゃまはお国のために死んだのよ。世の中の人がどんなことを言っても、おじいちゃまは立派だったのよ』と聞いて育った。」

 家族としては当然の思いであろう。しかし既にここで思考の限界に侵されている。身内である自分、もしくは自分たちから見た東条英機であるばかりか、身内であるゆえに免罪化したい衝動に添った東条英機論という二重の限界を抱えている。そして67歳になってもなお孫娘の東条由布子も同じ線上の思考の限界に侵されたままでいる。
 
 日本の多くの政治家の歴史認識の着地点が「お国のために戦った」で思考停止しているのと同じであり、その原因が日本という身内に拘り、そこから出れないでいる思考の限界に対応する認識回路を示すものだろう。

 確かに「お国のために死んだ」。しかし東条の頭の中にあった「お国」とは〝天皇の国〟のことであり、天皇に戦争の責任が及ぶことを避けることを最優先の目的とした〝天皇の国〟を守るための「死」であったろう。そういった意味では確かに「立派だった」と言える。そして家族も孫娘も東条英機同様に「お国」を優先させて、何ら疑うことを知らないでいる。彼らの目には戦争の被害にあった日本国民は勿論、外国人はなおさら見えていないに違いない。

 また東条の「日本臣民が陛下の御意志に反して、あれこれすることはありえない」という主張だが、東条には二種類の「日本臣民」があったはずである。一般国民のみを指す「日本臣民」と一般国民の上に置いた自分たち国家指導者を主として指す「日本臣民」とである。一般国民のみを「日本臣民」とした場合、「日本臣民」を遥か下に見ていたことだろう。つまり自分たちを天皇の下に位置させながら、「日本臣民」に対しては遥か上に見ていた。それは当然権威主義の構造からきているが、自分たちを言葉上「日本臣民」と表現しても、一般国民の上に置いている関係から、「日本臣民」であるという意識は薄かったのではないだろうか。

 そこから「陛下の御意志に反して、あれこれすることはありえない」「日本臣民」とは一般国民を指した「日本臣民」であると解釈すれば、理解可能となる。国民には天皇を絶対とさせていたのだから、「あれこれすることはありえない」をタテマエとして述べることができる。そのタテマエを前提として、天皇の名のもとに国を動かし、国民を動かしてきた。

 だが、自分たちを天皇の下に置いていたのは一般国民である「日本臣民」を統治する便利・直截な装置として天皇を最上位に置いておく必要があったからであって、最上位に置いている関係から形式上天皇に対して常に恭しい態度を取っていたとしても、取りつつ自分たちの権力意志を天皇を通して「聖慮」に変える「あれこれすること」があり、そういった権力構造になっていたから、「しぶしぶご同意」といった弁護のための韜晦も可能となる。

 このことは説明するまでもなく、天皇対国民と天皇対直接的国家指導者と権力関係が二重構造となっていたからである。当然自分たちを「日本臣民」とする意識は薄かったはずである。

 「私の進言によってしぶしぶご同意になった」としても、天皇は統帥権者として、さらに最終決定権者としての責任を負う。

 「汚れた俗世間の人間が神様の神格を剥奪したりできますか」には恐れ入る。

 確かに人間一人一人の姿を洗い出せば、「汚れた俗世間の人間」に過ぎない。どのような権力者であっても、権力がその人間を立派に見せるのであって、一個の人間として解剖したなら、欲望や野心や煩悩・損得勘定が渦巻き、猥雑で、矮小な生きものばかりだろう。そのような生きものが軍人であって、戦死し、靖国神社に祀られたら、誰でも一律に神となる。元々は「汚れた俗世間の人間」でありながらである。そこに何ら合理性も整合性もない。

 そのような元々は「汚れた俗世間の人間」を昭和殉難者として靖国神社に祀る。勝てぬ戦争を計画し、無様で醜い敗戦を招いたA級戦犯が〝昭和殉難者〟なら、空襲や外地で軍の保護もなく死んでいった一般国民は何と呼べばいいのだろうか。そもそも「殉難」なる言葉は「国家・宗教や公共の利益のために一身を犠牲にすること」(『大辞林』三省堂)を言う。国家・国民に不利益を与えて、何が〝殉難〟なのか。難に殉じて、難を福に変えて初めて殉難と言える。難を不幸に変えるのは犯罪行為でしかない。例え自存自衛の戦争を目的としたとしても、それを実現する責任と能力を果たさなかった。

 それぞれの生きた歴史を問わない。残虐行為を働こうと、愚かしい指揮で部隊を壊滅させようと、国を過とうと、責任を問わない。そのくせ他人が責任を問うと、〝不当な裁判〟だと言う。その合理性・整合性にしても日本人ならではのものだろう。

 一人一人の歴史を問わないことは、全体としての日本の歴史を問わないことに対応している。全体としての日本の歴史を問えば、必然的に主たる関係者一人一人の歴史を問わなければならなくなるからだ。戦死したからと、一律に神とすることなどできなくなるだろう。一律に神とすることで無答責とすることが可能となる。いわば神とすること・英霊とすることは無責任性のなせるワザであろう。

 責任を問わない・取らないは日本人性としてある。上が下を従わせ・下が上に従う権威主義的行動様式は相互従属の関係(=相互に自律していない関係)にあり、その非自律性が自らを一個の行動者(独立した個人)と規定できないからだ。独立した個人であることによって、他から押し付けられたり求められたりするのではない、自らによって自らを律する主体的な責任意識が生じる。

 人間はどう死のうと神にも仏にもなれない。元々はたいした生きものではないからだ。東条の孫娘由布子が言うように「汚れた俗世間の人間」であることから抜け出ることはできないからだ。「国のために戦って死んだ」からと言って神・英霊とするのは、国のために戦わすための方便に過ぎない。それを信じるような合理精神の欠如が、天皇は現人神だと言われて疑いもせず信じることができたのであり、アメリカとの戦争の勝利を疑いもせず信じることができ、神風が最後に吹いて、日本に勝利をもたらすという非合理な特別意識を信じることができたのだろう。

 「由布子は東条を語りながら、目の見えない人のガイドヘルパーなど福祉の日々である」

 身内として祖父を正当化したい思いがその証明として自己を献身的な行動に向かわせているということもある。その献身性によって、あの人の祖父だから、悪い人であるわけがないと思わせたい無意識の同一化願望が働いてのことである。

 もし孫娘由布子が東条の罪を認め、その償いに少しでも世間の役に立とうという気持で「福祉の日々」を送っているとしたら、正真正銘信じることはできるだろう。もし「裁判は不備があったが、祖父はあのように裁かれても仕方がなかったと思います」と言ったなら、やはり信じることのできる「福祉の日々」となるだろう。

 愚かしい無残な「歴史の濁流」を自らつくり出した国家指導者をいくら身内からの思いであっても、「歴史の濁流の中で手を広げて踏ん張ったのが東条だったろう」などと美化しているようでは、「福祉の日々」にしても東条英機をも美化するための自己美化行為にしか受け取れない。

 「東条は天皇を弁護。最後まで天皇制の一本気な軍人官僚を演じた」と記事は解説しているが、軍部を代表する現役の陸軍大将であって日本の首相であり、内相と陸相を兼ねた立場で「陛下に背いた」か陛下に押し付けたか知らないが、いずれにしても「開戦」を指揮した人間である、このことと「天皇制の一本気な軍人官僚」とどういう関係があるのだろうか。「一本気」とは褒め言葉に当たる。身内の合理性を持たないどうしようもない身びいき論を紹介して、どれ程の意味があるのか疑わしいだけではなく、全体のトーンが感傷的、軽薄で、なおかつ歴史を簡略化しすぎ、危険な内容の記事となっている。

 「天皇は『戦争より外交』を望んだ。首相近衛は行き詰まって内閣を投げ出す」とさも簡単に書いているが、第3次近衛内閣の陸軍大臣だった東条英機自身が米国の日本軍の中国、仏印からの全面撤退の要求に対して「『撤兵すれば戦果が水泡に帰する』と抵抗」して対英米開戦論を展開して近衛内閣崩壊のきっかけをつくったのである。そして近衛が投げ出した内閣を引き受け、「最後まで天皇制の一本気な軍人官僚を演じた」ことなどどうでもいい日本の破局を演出した。

 いわば東条の「戦争回避の努力」とは「撤兵すれば戦果が水泡に帰する」とする、関東軍参謀長出身者らしく中国で得た領土・権益を確保したままの条件付き「戦争回避」であって、正真正銘の「戦争回避」であろうはずはなく、ハル・ノートの「『即時撤兵』要求」に対して中国での権益保全というキーワードを抹消しない限り有名無実化する「戦争回避」(=「開戦」)であったのは当然の結末だったろう。そして44年アメリカ軍が占領したあと、B-29の日本本土爆撃の基地となったサイパン島陥落直後の44(昭和19)年7月18日にその責任を取って辞職しているが、泥沼化した戦局は手の施しようもなくなっていた。

 戦後60余年経過した一風景として東条英機の67歳の孫娘由布子にスポットを当てて「福祉の日々」に色彩を与えようとしたのかもしれないが、そのテーマが結果として67歳の孫娘の東条身びいき感情に正当性を与えてその罪薄めに手を貸すこととなり、その補強として「最後まで天皇制の一本気な軍人官僚を演じた」と持ち上げとなる感傷的なコメントを必要としたということだろうか。

 東条が言う「私の進言によってしぶしぶご同意になったというのが事実でしょう。最後の一瞬に至るまで陛下はご希望を持っておられた」とする「『戦争より外交』を望んだ」天皇の様子をHP<沖縄戦関連の昭和天皇発言>で見てみると、

 ――近衛文麿が1945(昭和20)年2月14日に天皇に「戦局ノ見透シニツキ考フルニ、最悪ナル事態ハ遺憾ナガラ最早必至ナリト存ゼラル」と上奏文を提出し、「最悪ノ事態必至ノ前提ノ下ニ論ズレバ、勝利ノ見込ナキ戦争ヲ之以上継続スルコトハ全ク共産党ノ手ニ乗ルモノト云フベク、従ッテ国体護持ノ立場ヨリスレバ、一日モ速ニ戦争終結ノ方途ヲ講ズベキモノナリト確信ス」と「戦争終結」の決意を求めているが、天皇はその後の近衛とのやりとりで、「もう一度、戦果をあげてからでないとなかなか話は難しいと思う」と近衛の提案を斥けている。その「戦果」とは沖縄戦での勝算をいう。同じHPから。

「近衛 沖縄で勝てるという目算がありますか。
 天皇 統帥部は今度こそ大丈夫だといっている。
 近衛 彼らのいうことで今まで一度でも当ったことがありま
    すか。
 天皇 今度は確信があるようだ。
  (戒能通孝「群衆-日本の現実」-『戒能通孝著作集1』)」

 見事に外れた「沖縄で勝てるという目算」はコスト・採算を時間をかけて算定しながら、赤字経営となる官のズサン計画の現在につながるが、何よりも天皇の軍部任せの態度である。それは軍部の意志が天皇の意志を支配していたことの証明――「日本臣民」を統治する便利・直截な装置として天皇を最上位に置いていたことの証明であろう。東条にしても自らの権力意思を通すために天皇を利用してきたはずである。「最後まで天皇制の一本気な軍人官僚」などといった解釈は意味もない持ち上げ以外の何ものでもない。

 沖縄戦(1945.4.1~6.23)での無残な敗北後、約1ヵ月後のポツダム宣言(対日降伏勧告)の黙殺(1945.7.28)。その9日後の広島原爆投下(1945.8.6)、その3日後の8月9日の長崎原爆投下、5日後の8月14日のポツダム宣言無条件受諾と慌ただしいばかりの展開を経て、8月15日を翌日に迎えている。

 因みにポツダム宣言の日本降伏条件のくだりに戦争犯罪人の処罰が含まれている。それをも含めた〝無条件受諾〟である。

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オモテの顔・ウラの顔で読み解く日本の社会

2006-08-18 01:43:24 | Weblog

 トヨタ自動車が「09年までに始まる裁判員制度で、裁判員に選任された社員が仕事を休む場合に備え」、「『裁判員休暇』を創設する方針を固めた」と06年8月4日の『朝日』夕刊に出ている。

 「04年に成立した『裁判員の参加する刑事裁判に関する法律』は裁判員の任務のために仕事を休んだという理由での解雇、昇給・昇進面での不利益な扱いを禁止する。しかし裁判員が会社を休んだ場合、有給か無給か、年次有給休暇を使うのか、特別休暇扱いかなどの定めはなく、企業はそれぞれ判断を求められている」ことに対してトヨタの「制度は、裁判員に選ばれた社員の負担を最も軽くする類型で」ある上に「最終的に裁判員に選ばれなかったが、候補者として裁判所での選任手続きに参加した社員にも、裁判員休暇を適用する考え。裁判員には裁判所から日当が出るが、それとは別に会社の給与も保証される仕組み」(同記事)という至れり尽くせりの制度らしい。低迷している世界最大の自動車会社GMを尻目に躍進し続けるさすが世界のトヨタである。社会貢献を優先して、企業が嫌う収益に直接反映しないコスト負担を問題としない。北米トヨタ日本人社長のセクハラ問題やリコール車不祥事での企業イメージダウンを補って余りあるイメージアップ策となることは間違いない。

 当然、「裁判員制度への対応を検討している他の企業へも影響を与えそうだ」(同記事)ということになるが、最初のランナーが余りにいいスタートを切ると、途中での息切れは期待できない最優秀のランナーだから、二番手以下がついていくのが大変となる。

 但しトヨタのそのような社会貢献政策を可能としているコスト負担(=犠牲)の余裕はトヨタ本体のみによってつくり出されているわけではない。下請企業や非正規社員を最大限のコスト抑制(=犠牲)の状況に置いて、そのコスト抑制(=犠牲)の提供を受けて得た〝余裕〟が振り向け可能としている社会貢献政策でもあろう。

 コスト抑制といえば聞こえはよいが、常識的コストに対する払わずに済ませる形の一種のピンハネであって、そのような利益構図は暴力団の上納金(=犠牲)制度が傘下の組や組員が現物を渡すのに対して、ピンハネで引いた分計上されることになる上納金(=犠牲)制度と言えなくもない。

 〝偽装請負〟なるものもコスト抑制策の一つだろう。一般的には〝請負〟とは、一定金額で下請会社に出した業務を下請会社がその金額内で人事管理まで含めた業務の一切を自らの責任で行うことを言うが、下請会社は業務の遂行方法次第で業務コストを下げれば自社の利益が増大するし、その逆の場合は足を出して赤字となるといったこともある。大体が下請コストはギリギリで出すのが一般的で、ギリギリの条件下で利益を少しでも上げるとなると、常套手段は手抜きということになりかねない。発注先によるその唯一有効な防御策は下請単価に余裕を持たせることだが、企業のグローバル化が進み、世界を相手とした競争の激化で他に対する利益に余裕を持たせる、その余裕さえなく、ギリギリが通例化し、手抜きの危険を恒常的に抱えることになる。 

 偽装請負は下請会社は一切業務に関係せず、関係するだけのノウハウもないのだから当然の成り行きなのだが、労働者を派遣するだけで、指揮・監督に関わる業務は発注先が行う業務形態である。派遣と請負の違いを『朝日』の記事(06.8.2.朝刊)の『キーワード』は「派遣はメーカーが業務に必要な労働者の数を伝え、一定期間働かせる仕組み。メーカーは使用者責任を負い、製造業では1年で労働者に直接雇用を申し込む義務が生じる(07年から3年に延長)。一方、請負はメーカーが請負会社に業務を丸ごと任せる契約で、メ-カーは労働者の使用者責任を負わず、直接雇用義務も生じない。このため請負労働者の雇用は派遣に比べ不安定になりがちだ。メーカーが請負会社に労働者の数を指定するなど指示・管理すれば違法な『偽装請負』となる」と解説している。

 つまり偽装請負のメリットは下請会社に派遣労働者の元々安い人件費の一部ピンハネ分のみを利益として与えるだけで済む点と、業務は発注先が指揮・監督して手抜きがないよう品質管理が可能となる点である。

 企業は大手になる程雇用機会の創出や自社製品の優秀さ、提供テレビ番組やテレビコマーシャル、あるいは何かしらかの社会貢献などで自らの企業イメージと知名度を高め、それを社会的にオモテの顔としているが、世間からは見えない末端のところではなりふり構わないコスト削減の経営を実態的なウラの顔とし、そのウラの顔がオモテの顔を支える仕組みとなっているとも言える。

 尤も偽装は製造業にはびこっている偽装請負だけではなく、耐震偽装あり、食品の産地偽装あり、粉飾決算の偽装もあり、公共土木工事での丸投げ等の偽装請負もあり、小泉政権の財政削減にしても、一種のなりふり構わないコスト削減追求であって、誰にでもチャンスを与える規制緩和の競争社会をオモテの顔としていたが、格差社会をウラの顔としていた偽装に過ぎなかった。コスト削減と偽装は運命共同体の関係にあるようだ。

 松下電器産業のプラズマテレビをつくる「松下プラズマディスプレイ(MPDP)」茨木工場が偽装請負で大阪労働局から是正指導を受け、一旦は請負労働者全員を派遣契約に切り替えたが、多分コスト計算が合わなくなるからだろう、元の請負契約に戻して、逆に「松下社員を『技術指導』の名目で、1年間の期限付きで複数の請負会社に出向させ」(06.8.1.『朝日』朝刊)る新手を編み出したそうだが、「大阪労働局は『前例のない請負形態なので、調査して実態を確認した上で適正かどうか判断したい』」(同記事)としているらしい。

 出向といっても、形式的なもので、労働実態は何も変わらない。今までと同じ場所で同じ請負作業員に同じ指示を出す。紙切れの中だけで出向という形を取ったに過ぎない。「出向社員の給与や社会保険料は松下側が請負料金を割り増す形で実質的に肩代わりしている」(同記事)というから、やり方次第でウラの顔もますます巧妙になっていく。

 地上げが猖獗を極めたバブル時代、地上げした土地の値段をさらに上げるために契約書だけの売買取引で二、三の中小の不動産屋を順次値上げさせて通過させた後、二倍程度に値上がったところで買い戻すといった土地転しなる偽装取引が流行ったが、本質のところで偽装請負と変わらない大手不動産会社もやらかしていた巧妙なウラの姿といったところだろう。

 「松下プラズマディスプレイ(MPDP)」茨木工場の偽装請負報道の前日の『朝日』朝刊(06.7.31)は『偽装請負 製造大手で横行』という見出しで、一般化している様子を伝えている。書き出し部分を引用してみると、「大手製造業の工場で『偽装請負』と呼ばれる違法な労働形態が広がっている。この3年で労働局から違法と認定された企業の中には、キャノン、日立製作所など日本を代表する企業の名前もある。メーカーにとっては、外部から受け入れた労働者を低賃金で、安全責任もあいまいなまま使える上、要らなくなったら簡単にクビが切れる好都合な仕組みだ。『労働力の使い捨て』ともいえる実態がものづくりの現場に大規模に定着した」

 偽装請負が「この3年で」広がりを見せたような報道になっているが、似たような労働形態はバブル時代以前から存在した。社長以下幹部社員が本社からの出向だったり、天下りだったりする本社の分身そのものの子会社が期間付きの契約で直接採用した期間工という名の契約社員やパート従業員、さらに人材派遣会社からも掻き集めて、子会社が業務請負という形で製造の末端を担うのだが、指揮・管理は子会社社員が行うから問題はないものの、本社社員とは収入格差をつけたコスト抑制要員であり、景気が悪化して在庫が溜まろうものなら、まず期間工とパートから整理していく、本社の指示がなければできない本社の社員を安全地帯に置いた子会社と一心同体の本社の経営調整弁の役目を果たす存在であることに変わりはなかった。

 バブルが弾けて、パート・期間工が整理されていく状況にあっても、現実離れした学者や知識人がテレビや新聞で「日本の雇用形態は終身雇用・年功序列の家族的もので――」とその素晴しさを依然として謳っていたが、終身雇用・年功序列の家族的雇用形態は正社員のみを安全地帯に置く、正社員限定の制度であって、最初から最後までパート・期間工には無縁のパラダイスに過ぎなかった。子会社だけではなく親会社の責任にまで及ぶ期間工・パートには〝非家族的〟な労災隠しも当時からあった。

 いわば期間工・パートのコスト抑制の非年功序列と契約期間が切れればいつでもクビを切ることができる非終身雇用という二つの犠牲があって、正社員の終身雇用・年功序列のパラダイスは支えられていた。期間工・パートの雇用形態に於けるウラの顔と正社員の雇用形態に於けるオモテの顔を日本の企業及び日本の社会は持ち続けて現在に至っているのであるが、以前はオモテの顔だけを素晴しい姿として取り沙汰していたに過ぎない。日本の失われた10年と韓国や台湾、中国の追い上げで国際競争が激化してなお一層なりふりかまずに要られなくなった分、正社員の年功序列と終身雇用のオモテの顔まで切り崩して、対応的にウラの顔に於ける雇用形態の巧妙化と過剰な賃金抑圧にまで進んだといったところだろう。

 最近の朝日新聞は(1紙しかとっていないから、だけか分からないが)企業のウラの顔を立て続けに報道している。「松下プラズマディスプレイ(MPDP)」茨木工場の偽装請負と請負会社への正社員の出向問題を取り上げた8月1日の翌日の8月2日の朝刊は同じ会社の尼崎工場が「県内在住の派遣労働者を新規採用したとして、県の雇用補助金を2億円以上を受け取った後まもなく、補助対象外の請負への切り替えを進めていることが分かった」と、確信犯的なウラの顔を報じている。

 「尼崎工場は昨年9月」「生産を開始した時点で、松下プラズマディスプレイは尼崎工場の派遣を1年以内にすべて請け負いに切り替える計画を作り、派遣元に伝えていた。派遣労働者を1年以上使えば直接雇用を申し込むことが法律で義務づけられているからと見られている」(同記事)というから、人材派遣会社との間に前以て合意させていたごくごく計画的なウラの顔でしか為しえない補助金の流用であろう。

 参考のために引用すると、「兵庫県は、県内在住の正社員や派遣労働者らを新たに採用した進出企業に対し、1人当たり60万円~120万円を交付する雇用助成制度を02年度に導入した。直接雇用ではない派遣まで対象にする制度は全国的に珍しい。請負は対象外になっている」

 「請負への切り替え」に協力した派遣元は何がしかの協力金(=口止め料)を手にしただろうか、すべてはウラの顔を持ってして行わなければならない事柄である。

 松下の茨木工場では偽装請負を内部告発した請負会社社員が期限6ヶ月の期間工として雇われることになったが、期限内で再雇用を拒否された上、その6ヶ月間窓をシートで覆い衝立で狭く仕切った部屋で一人隔離された状態で仕事をさせられたとして損害賠償を求める提訴を行っている(06.8.6.『朝日』朝刊)。どのような判決が出るかで結果は違ってくるが、経緯だけ見ると、〝松下〟というオモテの顔からではとても想像できない時代劇の悪家老・悪代官同様のなかなかなアコギな人権抑圧に見える。

 各労働局の是正勧告を受けて、請負労働者や派遣労働者を直接雇用する企業が出てきた。但しほんの一部で、トヨタ系部品会社は「請負労働者約200人のうち3分の1程度」(06.8.6.『朝日』朝刊)というから、70人前後でしかない。

 日本経団連会長でもある御手洗富士夫が会長のキャノンは「グループ全体で2万人以上いる請負や派遣労働者のうち、数百人を正社員に採用する方針」(06.7.31.『朝日』夕刊)だというが、「数百人」が最大の999人であっても20分の1に過ぎず、残る1万9001人の身分がそのままなら、偽装請負の〝偽装〟に終わりかねない。

 尤も全員の正社員への切り替えは不可能で、人件コスト抑制(=労働者側の犠牲)のタガが外れて国際競争力を失えば、再び日は沈む、失われた10年どころではなくなる。日本のモノづくり技術の優秀さも、そういったウラの顔を必要とした条件付きで成り立っている優秀さでしかない。

 06年8月13日の『朝日』朝刊はトヨタ系の部品メーカーの請負労働者の労災隠しを伝えている。記事は「偽装請負背景に」と伝えている。偽装請負隠しの労災隠しという二重の隠蔽である。これも世界のトヨタというオモテの顔からは想像できないなかなかのウラの顔ではないか。

 8月8日(06年)『朝日』夕刊は、失われた10年で就職受難時代をモロに受けた「派遣やアルバイトなど非正社員が多い20代で所得格差が広がっている」ことを伝える『労働経済白書』の調査を載せている。「20代では年収150万未満の人が増えて、2割を超える半面、500万円以上の人も増加。また正社員も成果主義の影響で賃金の差が広がり、40代後半では最も高い層と低い層の月給差が30万を超えた」

 格差が学歴や年齢、男女の性別に関係なく同じスタートラインに立たせる公平・公正なルールをチャンスとした末の「成果」であるなら仕方がない。学齢その他で手に入る「成果」が最初から決められている末の格差が殆どではないだろうか。

 収入格差は結婚にも影響している。総務省が5年おきに行っている「就業構造基本調査」の2002年、1997年および1992年の個票データの使用許可を受け、特別集計したという労働政策研究所の2005年調査によると、「親元に子どもとして同居している者が7 割前後と多く、結婚している者は少なかった。年齢別に個人年収と配偶関係を見ると、男性では収入が高い者ほど結婚しているという傾向が明らかであり、既婚率が50%を越えるのは、20代後半では年収500万円以上、30代前半では年収300万円以上であった。晩婚化、非婚化の進展と求職者・無業者・フリーターの増加とは明らかに関連している」としている。

 企業のオモテの顔からしたら、結婚というチャンスに寄与しているように見えるが(テレビにしても寄与しているドラマが殆どである)、それは正社員に限ってのことで、同じように使用している請負や派遣従業員には給与を抑制していることで逆に結婚のチャンスを奪う役目をウラの顔として間接的に行っているとも言える。非婚化・晩婚化、その結果の少子化に向けた社会貢献をも果たしているわけである。会社に少子化対策として託児所制度をスタートさせたといった報道はアイロニー化する。

 親の収入が高い程子どもの学歴が高いという調査結果があるが、それを裏返すと、親の収入が低い程子供の学歴は低いというウラの顔を現実としているということでもある。労働政策研究所の調査と併せると、収入にしても結婚にしても学歴が決定要因となり、学歴の決定要因は親のカネということだろう。別の言葉で表現すると、学歴を変数として学歴が高くなる程収入(カネ)を呼び込み、学歴が低くなる程貧しさを呼ぶ2極連鎖が社会に形成されているということだろう。
 
 8月14日(06年)の『朝日』夕刊に「日本経団連の御手洗富士夫会長(キャノン会長)は13日、大分市内で製造業の現場で横行する『偽装請負』の解消を目指し、経団連で対策を検討する方針を明らかにした」と出ている。

 御手洗会長は「請負会社の従業員の能力を発注企業の指導なしで請け負える水準まで向上させる対策が必要との見方を示した」としているが、それはごく簡単である。請負従業員を指揮・監督する発注企業の社員に相当するリーダーを請負会社に於いて育成させ、時折り研修と称して発注企業内で教育させれば、意思疎通の効いたロボットのように動くようになるだろう。だが、発注企業の指揮・監督を離れて偽装が偽装でなくなる、あるいは違法が違法でなくなるだけの話で、その他大勢の請負従業員が競争力維持のためのコスト抑制要員であり、請負契約を短期間の更新制にすることで企業の経営状況に応じてその人数に調整が簡単に効く発注企業本体の安全弁の役割を担うウラの顔を持ち続けることに変わりはない。企業はその犠牲を必要としている。正社員と請負従業員、あるいは派遣従業員との収入格差は企業に於いて絶対条件なのである。絶対条件が崩れたとき、競争力を失って、企業の経営自体が怪しくなる。

 御手洗会長の提案には単に偽装を偽装でなくす方向の意志しか見えない。オモテの人間にとっての都合であろう。派遣や請負も含めて、絶対多数の社員が結婚し、結婚生活を維持できる収入の保障の創造以外に根本的解決はないはずだが、それは企業益に反し、ひいては国益にも反する解決方法となるということだろう。かくして企業にしても社会にしてもオモテの顔とウラの顔を持ち続ける。どちらの側に身を置くかである。オモテを目指して学歴獲得競争がなお激化する。それも親のカネが当てになるかどうかにかかっている。

 06年8月17日の『朝日』朝刊は、「外国の労働者を国内に受け入れ、技術などを習得してもらう」1993年に制度化した外国人研修・技能実習制度を悪用して、「最低賃金以下で残業させるケース」(県規定の半分強の残業代)や「栽培学ぶはずが掃除・靴磨き・性暴力」といった不正・犯罪の犠牲となっているケースを紹介している。いわば雇用者側は「制度」とは名ばかりで、安価で汎用的に使役できる労働力として利用し、「研修生の7割近く」を占める中国人にしても「中国の約20倍とされる日本の賃金水準を期待して来日」が主で、本来の目的である「技能移転が形骸化」しているという。

 と言うよりも、「外国人研修・技能実習制度」自体が最初から「技能移転」を目的としながら、それを名目とした国内の3K労働力不足を補う低賃金の外国人労働力獲得の〝偽装〟でしかなかったということではないだろうか。現実にそのような姿で推移しているということは、その意識があったことの当然の証明(=形骸化)に思える。

 記事は法務省の「不正認定件数は、03年が92件、04年が210件、05年が180件、06年(7月末現在)は125件」と紹介しているが、『朝日』は千葉県の水産加工協同組合が組合加盟会社が被雇用者に対して直接支払うべき賃金を組合を通して支払う仕組みにして中国人技能実習生600人分を中間搾取したとする記事を8年前の1998年6月27日に載せている。その額は「数億円が中間搾取されていた疑いが強まっている」と伝えているが、外国の地に於ける事情の暗さと相手の弱い足元を見たこういった雇用に於けるウラの顔は上記発覚から「03年92件」へと何もなくつながるはずもなく、発覚を見ずにウラの顔を蔓延させていたに違いない。

 『経団連企業行動憲章』はオモテの顔用に社会に向けて次のように謳っている。

 「企業は、単に公正な競争を通じて利潤を追求するという経済的主体ではなく、広く社会にとって有用な存在でなければならない」

 安倍氏の言う「日本を再チャレンジ可能な社会にしていく」という政策が正社員と非正社員の収入格差を解決する方策をも含まなければ、オモテの顔向けで終わるだろう。「再チャレンジ」どころか、日本の社会に非婚化・晩婚化・低所得生活を放置・固定化する不作為を為すことになるからだ。人気取りのオモテの顔に過ぎないのは最初から分かっていることだが。

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最後の最後に開き直ったか小泉8・15参拝

2006-08-17 03:21:34 | Weblog

 8月15日(06年)の小泉首相の靖国参拝後の記者会見要旨を06年8月15日付『朝日』新聞夕刊で見てみる。

 「過去5年間の私の靖国参拝に対する批判は3点に要約される。一つは中国、韓国が不愉快な思いをしているから、やめろという意見。私は日中、日韓友好論者だ。一つの意見の違いがあると首脳会談を行わないことがいいのかどうか。私を批判する方は、つきつめれば中国、韓国が不快に思うことはやるなということだ。もし、私が一つの問題で不愉快な思いをしたから中国韓国と首脳会談を行わない、と言ったらどちらを批判するか。
 もう一つは、A級戦犯が合祀されているから行っちゃあいかんという議論。私は特定の人に対して参拝しているんじゃない。一部で許せない人がいるから、圧倒的多数の戦没者の方々に対して哀悼の念を持って参拝するのがなぜ悪いのか。私はA級戦犯のために行っているんじゃない。
 第3点は憲法違反だから、参拝しちゃいかんと。憲法第19条、思想及び良心の自由はこれを侵してはならない。これをどう考えるか。まさに心の問題だ。
    (中略)
 ――靖国に合祀されているA級戦犯の戦争責任をどう考えるか
 戦争の責任を取って戦犯として刑を受けているわけでしょ。ご本人たちも認めているし、それはあると思うが、それとこれとは別だ。特定の人のために参拝しているんじゃない。戦没者全体に対して哀悼の念を表するために参拝している」――

 私は中国・韓国の抗議とか政教分離に抵触するとか、A級戦犯が合祀されているとかの理由ではなく、靖国神社の存在そのものに反対している。靖国思想は明治の薩長藩閥を権力主体とし天皇制を冠した全体主義、あるいは国家主義(明治以前は将軍を支配主体とした封建制を前身とし、大正・昭和の軍国主義は権力主体が軍部に移った全体主義、あるいは国家主義の一変形に過ぎない)が生み出した戦前の思想であり、戦後もそれをそっくりと遺産としているからである。

 全体主義にしても国家主義にしても、国家を絶対とし、国民を国家に従属させる思想である。三省堂出版の『大辞林』で見てみると、

 【全体主義】――「個人は全体を構成する部分であるとし、個人の一切の活動は、全体の成長・発展のために行われなければならないという思想または体制。そこでは国家・民族が優先し、個人の自由・権利が無視される。」
 
 【国家主義】――「国家をすべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え、個人の自由・権利をこれに従属させる思想」

 これは日本民族が行動・思考様式としている上が下を従わせ・下が上に従う権威主義性がより強い形を取った国家体制であって、軍部を頂点としたより極端・過激な権威主義的権力表現が軍国主義であろう。

 何度でも言っていることで、以前言ったことと重複することになるが、中国・韓国の抗議は靖国の戦没者が日本にとっては「国に殉じて亡くなった」、あるいは「国のために尊い命を捧げた」戦死者であっても、中国・韓国から見れば自分たちに対するに戦争加害者であり、A級戦犯は中国侵略、韓国植民地化に深く関わり、連なった戦争犯罪者であって、「戦争の責任を取って戦犯として刑を受けている」としても、歴史の事実は事実として残り、例え戦後に時を移してもその歴史性を担わなければならないはずだが、戦没者遺族、あるいは小泉首相を初めとする安倍晋三といった日本の政治家を含めた関係者の担っている歴史性が戦没者の亡くなるに至った歴史の全体的経緯を省いて、「国に殉じて亡くなった」、あるいは「国のために戦って尊い命を捧げた」という結果性のみに事実の殆どを収斂させた歴史性となっている、そのことを問題としているのだろう。

 言葉を替えて言うと、歴史性が「国に殉じて亡くなった」・「尊い命を捧げた」という結果の一点のみにとどまっている。あるいはそういった歴史性だけで、それ以外の歴史性を思考停止させている。

 参拝行為は、それが「個人の心情」から発した性質のものであったとしても、あるいは「心の問題」からのものであっても、単に「国に殉じて戦死した元兵士を悼む」ことだけでは終わらない歴史性の表現行為でなければならない。いや常に歴史性を担った表現行為でなければならない。戦後に時代を変えたとしても、歴史の連続性と相互関連性を失うわけではないからだ。

 ということは、歴史に無知な人間ならいざ知らず、参拝するからには、歴史性に無知であってはならないことになる。 

 逆説するなら、無知を動機とする以外は、誰もその歴史性からは逃れられないということである。こうも言える。歴史性を反映しない「個人の心情」、「心の問題」からの参拝だとしたら、歴史に対する無知表現でしかない。

 まさか、歴史性の無知表現から発した「個人の心情」、「心の問題」からの参拝ではないはずである。

 ではなぜ日本人の多くの歴史性が靖国神社参拝の周辺でとどまっているのだろうか。「国に殉じて亡くなった」・「尊い命を捧げた」だけの歴史性として、そこで思考停止させているのだろうか。

 日本人戦死者の命が「尊い」ものなら、日本の戦争に関わって命を落とした、あるいは落とさせられた中国人、朝鮮人、その他のアジアの人間、あるいは日本民間人の命も「尊い」はずである。靖国神社参拝の線上で戦没者を「尊い命を落とした」と語るとき、戦没者の命だけが「尊い命」だったようにどうしようもなく聞こえるのはなぜなのだろうか。

 それはやはり戦争の歴史を靖国神社のみに収斂させているからだろう。収斂させた歴史性しか担っていないから、靖国神社にいわゆる祀られている戦死者の命しか「尊い」とすることができず、戦争を戦った相手国の兵士・民間人の命まで心に入れる客観性を持てないのだろう。

 戦没者を祀る参拝でありながら、国家と戦没者の関係性は「国に殉じて亡くなられた」としても、「国のために戦って尊い命を捧げた」としても、それらの言葉が象徴しているように国家を目標とした行為であって、当然国家を主体とし、戦没者を従の関係に置いている。靖国神社は国家と個人の関係をそういうふうに装置する空間・場となっている。いわば靖国神社が戦前の全体主義、あるいは国家主義をそのまま受け継いでいることから可能としている関係性であろう。

 遺族・関係者は靖国神社に於いては戦没者を祀りながら、「国に殉じて亡くなられた」あるいは、「国のために戦って尊い命を捧げた」と戦没者の戦死行為(=戦争行為)を肯定・顕彰しながら、そうすることで戦前の国家をも肯定・顕彰しているのである。戦前の国家否定を条件としたなら、〝殉じる〟行為も〝命を捧げる〟行為も二律背反を犯すこととなり靖国参拝は成立しなくなる。

 大体が「顕彰」とは「隠れた功績・善行などを讃えて広く世間に知らせること」(『大辞林』・三省堂)であるが、戦没者の多くは残忍行為、あるいは残虐行為の直接的、あるいは間接的実行者か加担者、傍観者のいずれかに位置していただろうから、そう言って悪いなら、少なくとも加害者の立場にいたのだから、「顕彰」とは厳密に言うなら、独善的な倒錯行為でしかない。日本の戦争の目的・性格――その歴史性を考えずに顕彰できる感性は他に思いを巡らす客観的感性を持たないからこそできるワザであろう。日本の政治家の参拝にそのことをつくづくと感じたとしても、不思議はないはずである。

 以下も別の場所で言ったことだが、「国に殉じ」たという言葉一つを取り上げるだけで、如何に国家を主体とし、個人を国家に従属させた位置に置いているか分かる。〝殉じる〟という言葉の意味は、「主人や恩人の死んだ後、その後を追って死ぬ」ことであったり、「任務や信念のなどのために命を投げ出す」(『大辞林』・三省堂)ことであるように、命を捧げる対象への絶対視を条件として成り立つ行為である。

 いわば「殉じた」とは、天皇や国家への絶対視を前提として成り立たせた〝命の捧げ〟なのである。 これは天皇と国家を絶対的存在として上に置いて自己を下に置く主体・客体の関係性を示すものであろう。 

 国家を上に置き、その国家を優越的存在と見る〝国家絶対視〟に戦前と戦後のありようを収斂させていくと、韓国を植民地化して韓国国民を武力で弾圧し、中国と直接戦った内と外との戦争でありながら、それらを省いて「お国のために」のみ戦った日本だけの戦争と転化させることが可能となり、そのような〝国家絶対視〟 の意識のメカニズムを受けて、それと同じ文脈で、自国兵士の戦死のみを視野に入れて、 そこにどのような戦争行為があったのかを無視し、省いて「殉じた」とすることができる。

 いわば靖国神社こそがそのような〝国家絶対視〟の欲求を解放する大事な空間であって、解放の儀式が戦没者追悼=参拝なのである。そうであるがゆえに儀式空間である靖国神社を失うわけには行かず、そこから靖国神社以外の国立であろうとなかろうと、如何なる追悼施設建設にも反対の意志が生じてくる。全体主義者たちにとっては、あるいは国家主義者たちにとっては、国家絶対視、あるいは国家優越性を表現できない空間は何ら価値を見い出せないからである。

 日本の多くの政治家が民主主義を口にしながら、自由・平等・人権を口にしながら、靖国神社という空間に立つと、戦前の軍国主義者のように強い姿勢を示すまでには至らないだろうが、意識の底にDNAのように埋め込まれた国家を上に置き、個人を下に置く全体主義、あるいは国家主義が頭をもたげ、自分自身を国家の側に置くベクトルから国家主義的意志に否応もなしに絡め取られて、自分が偉大な政治家になったような力を感じ取ることができるのだろう。

 靖国神社が戦前の国家主義を体液とした国家と共にある空間を「国に殉じた」や「国のために」という「国」をパスワードとして戦後も引き継いでいるからであり、民族性としている権威主義性に於ける上が下を従わせ・下が上に従う関係性と感応し合って、自己を上の人間=国家の側の人間と実感し得るからだろう。逆に自己を権威主義的な下の位置に置く人間は上に対して自己を卑下した位置、あるいは無条件に従属する位置に置きがちとなる。首相が参拝したからといって無闇ありがたがる遺族や関係者がそれに当たるだろう。

 首相の参拝によって歴史の事実が変わるわけではないのだが、最初からそこに目を向けていなくて、「国に殉じた」、「国のために尊い命を捧げた」で思考停止しているから、その「国」を代表する総理大臣の参拝ということで改めて戦死の正当化の糧とすることができるからだろう。

 上の人間の国家主義的精神への感応は伊勢神宮参拝に於いても靖国参拝と同様に発揮されるに違いない。伊勢神宮が天皇を最高権威として祀る空間であり、天皇の権威を実感しつつそれに準ずる権威主義的な位置に自分を置くことができるからだ。

例え戦争を起こすことがあっても、国のために戦うのではなく、国民それぞれが自分や家族、親戚や友人が抑圧を受けることなく自由に口が利け、自由に動き回ることができ、就きたいと思う職業に少なくとも自由にチャレンジできる機会が与えられ、飢えることのない生活を守る、直接的にはそういった権利の保全のために戦うべきである。なぜなら、個人を国家に従属させずに独立した個人として行動させことができるからでである。

 最後に小泉首相の記者会見での主張を見てみる。

 中国・韓国の小泉首相参拝に対する抗議をそれが歴史認識の問題であるにも関わらず、そのことに焦点を合わせることができずに「不愉快な思い」という感情反応に帰着させる短絡化神経は自身が知の人間であるよりも感情の人間であることからきているのだろう。単に「不愉快」・愉快の感情問題ではないのは言うまでもないことである。戦争全体で2000万人にのぼる死者を出しているといわれている。日本の兵士・軍属が240万、国内外の民間人が70~80万、合わせて310万前後。それだけでも凄い数であるのに、その5~6倍に相当する日本人以外の死者を出しているのである。そういった全体をも把えて細部に入っていかなければならないはずだが、小泉首相の頭の中にあるのは靖国神社に祀られている戦没者だけである。「二度と戦争を起こさないという誓いで参拝している」という正当化の言い草が如何に口先だけの口実に過ぎないか分かろうというものである。

 「もし、私が一つの問題で不愉快な思いをしたから中国韓国と首脳会談を行わない、と言ったらどちらを批判するか」と言っている点に関しても、「不愉快な思い」の内容にもよるし、そういった感情で片付けられるかどうかの問題の性格にもよる。重要な問題となっている事柄に譬えにならない譬えを持ち出す合理性の欠落、その情緒的反応性は政治家が見せてもいい性格なのだろうか。これで5年も日本の首相がよく務まったものだと思うが、大体が日本の首相と言うのはこの程度だということなら納得もできる。

 「(A級戦犯といった)特定の人のために参拝しているんじゃない。戦没者全体に対して哀悼の念を表するために参拝している」

 「全体」といいながら、その「全体」が相も変わらず日本だけ、靖国神社の戦没者だけのごく狭い内向きの「全体」であって、その視野狭窄にしても日本人性としている権威主義が自己が所属する集団を守備範囲として上と下の関係性で考えたり、行動したりする性格のものであることからきているのだろう。前後・左右への水平方向の視野を欠いているということである。

 個々の政策に個別に目を向けることができるが、それら政策のすべてを有機的に結び付けて一つの世界を成し、それを以て目指すべき社会の全体像として提示できないから、一つ一つの政策は見えるが、どういう社会に導こうとしているのか分からないという批判を受ける。これも権威主義が上と下に目を向ける習慣を要求しても、左右・前後への習慣を欠いていることからよく言われる縦割り、あるいはセクショナリズムを事とすることはあっても、その裏返しとして全体を把えたり、全体的に構築したりする創造性を欠如させているということなのだろう。

 小泉首相は8月15日参拝を公約した時点で、中曽根元首相が中国・韓国の抗議を受けて一度の公式参拝で中止している〝歴史〟を認識もできず、参拝によって引き起こされるだろう波紋の全体像を描くことができなかったのではないだろうか。その苛立ちの反動が逆に首相をして意固地にさせ、在任最後の年に8月15日の参拝を決意させたといったことも考えられる。テレビでの記者会見で見せた表情はいつになく強張ったものになっていた。そこで語った「いつ行っても批判される。いつも同じだから、公約したように8月15日が適切だと考えた」という言葉にしても、論理性からは程遠い感情的な言い回しとなっている。そういった感情的な強迫観念が8月15日の参拝を感情に支配されて事を行う開き直りに見せてしまったということもある。

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