菅首相の「日米韓一致協力の北への対抗」は万が一の全面戦争を共に戦う可能性への言及となっているのか

2010-11-30 09:09:37 | Weblog

 韓国の李明博大統領が29日(2010年11月)午前、北朝鮮からの砲撃に対する大統領としての対応姿勢を示す国民向けの特別談話をテレビを通じで発表した。談話の全文を知りたいのだが、調べた限り全文を載せている記事は見当たらなかった。

 《北朝鮮砲撃:李大統領「北の挑発には相応の代償を」》朝鮮日報/ 2010/11/29 11:55:05)

 〈李大統領は29日午前10時、大統領府の春秋館(記者会見室)で「延坪島砲撃に関する国民への談話」を発表、今回の砲撃で殉職したソ・ジョンウ下士(二等軍曹に相当)とムン・グァンウク一等兵、民間人犠牲者二人に哀悼の意を表し、こうした犠牲が無駄にならないよう最善を尽くすとの強い意思を表明した。〉――

 李明博大統領「大統領として、国民の生命と財産を守れなかった責任を痛感する。(北朝鮮が)民間人に対し軍事攻撃を行うことは、戦時でも厳格に禁止されている反人倫的な犯罪行為。砲弾が落ちたわずか十数メートル離れた場所では、生徒たちが授業を受けていた。若い命さえ眼中にない北朝鮮政権の残酷さに憤りを禁じ得ない」

  李明博大統領「今や、北朝鮮が自ら軍事的冒険主義と核を放棄することは期待できないことが分かった。どのような脅威と挑発にも退かずに対抗する勇気だけが『真の平和』をもたらすだろう。これまで北朝鮮政権を擁護してきた人々も今、北の真の姿を悟った。わたしは、韓国国民と共に断じて退かない。今後政府がすべきことは確実に行う」

 李明博大統領「北の挑発行為には必ず相応の代償を支払わせるようにする」

 李明博大統領「(韓国軍を)軍隊らしい軍隊にする」

 李明博大統領「今は百の言葉より行動で示す時。政府と軍を信じ、力を合わせてほしい」――

 「軍事的冒険主義と核を放棄することは期待できない」、平和的な交渉の通じない「北の真の姿を悟った」。そのような北に対抗するために「(韓国軍を)軍隊らしい軍隊」とし、軍事力を以ってして韓国の平和を守る強い決意を示した。

 「どのような脅威と挑発にも退かずに対抗する」、「わたしは、韓国国民と共に断じて退かない」、「北の挑発行為には必ず相応の代償を支払わせるようにする」、「今は百の言葉より行動で示す時」などの目には目を、歯には歯をの軍事力を以ってして対抗する軍事力の行使意志は特に北朝鮮のような先軍政治を掲げた軍事独裁国家をして相手以上の目には目を、歯には歯をの軍事力を以ってして反撃する軍事力の行使意志を相互作用的に誘発し、その相互誘発が全面戦争という万が一の不測の事態に発展しない保証は全面否定し難い想定事態となるはずである。

 李明博大統領にしてもこのような談話を発表するからには万が一の全面戦争の可能性を計算入にれていたはずだ。単に北朝鮮の軍事的挑発行為を阻止できると考えて談話を発表したわけではなく、軍事的挑発に対しては軍事的な対抗措置を実際行動に移す意志を固めた上での発表であろうから、当然、万が一の全面戦争への発展の恐れが頭にあったはずであり、なければならない。
 
 だから、「軍隊らしい軍隊にする」と言った。「軍隊らしい軍隊」とは防御力と攻撃力をバランスよく両立させた軍隊のことを言うはずで、片方が欠けた軍隊のことは言わないはずだ。単発的な軍事的挑発行為を阻止するだけなら、防御力の整備のみとなって、「軍隊らしい軍隊にする」と言わなくてもいいはずであろう。

 もし李明博大統領の頭に全面戦争への発展の可能性への思いが一かけらもなかったとしたら、談話のすべてが単なる見せ掛けの言葉と化す。大統領が全面戦争への恐れを頭に入れながら、北朝鮮の軍事的挑発に対して軍事力を以って対抗する意志を国民に示したはずだから、韓国軍は大統領の意志を体現して行動することになる。

 そのような意志を持った韓国軍による北朝鮮の軍事的挑発に対抗する軍事的行動が相手の軍事的対抗をより強く誘発して相互発展していく確率はこれまでの抑制的姿勢であったときとはかなり異なる高さを見せる危険性をも抱えるはずである。

 また、軍事挑発に対する軍事的対抗の相互誘発による全面戦争のケースだけではなく、誤認による全面戦争のケースも考えなければならない。

 28日(2010年11月)午後3時頃、韓国軍の一部隊が北朝鮮の砲撃を受けた非常事態に対応する訓練を行っていたところ、砲兵が模擬訓練を実際の戦闘と勘違いして発射した砲弾が南北軍事境界線から約200メートル南側に落下している。

 《韓国軍誤射:訓練を実際の戦闘と勘違い》朝鮮日報/2010/11/29 08:41:02)

 記事は書いている。〈一歩間違えば南北間の軍事的な衝突につながる可能性もあった。〉――

 たった一発の砲弾が境界線を越えて北朝鮮側に落下した場合、指導者の意を体しているがゆえに過剰反応しやすい北朝鮮軍による過剰反応の応戦が同じく指導者の意を体しているがゆえに同様に過剰反応しやすい韓国軍による応戦を呼び、その過剰な相互誘発による全面戦争への発展である。

 過剰反応しやすい状況は軍隊だけではなく、当然と言えば当然だが、住民も同じ症状を持つに至る。 

 〈突然砲声が聞こえたため、近くの住民たちは北朝鮮による砲撃だと思い、軍部隊や官公庁へ電話で問い合わせるなど、一時大騒ぎになったという。〉

 韓国側も北朝鮮が過剰反応する場合もあることを考えてのことだろう、少々手間取ったが、北朝鮮側に砲撃ではないことを知らせる通知を行っている。

 〈国防部は、事故発生から1時間40分後の午後4時40分ごろ、軍の通信回線を通じて北朝鮮側に対し、「訓練中に意図せずして発生した誤射事故だ」という通知文を送った。〉――

 何も起こらなかったからいいものの、常に万が一を考える危機管理行動に則って直ちに北朝鮮側に通知すべきだったろう。

 この場合は無事に済んだが、誤認による突発的戦闘を常に阻止できるとは限らない。今後共、韓国軍も北朝鮮軍もそれぞれの政府共々神経をピリピリさせて対峙することになる。またその神経をピリピリさせた対峙自体が全面戦争を誘発しかねない危険値となりかねない。

 第2次朝鮮戦争が勃発した場合、日本は傍観者の立場に佇んでいられるわけではない。菅首相が「日米韓3カ国が一致協力して北の無謀、非道な行動に断固対抗していく」と宣言している以上、一方の当事者としてその場に立たなければならない。当然、日本政府は李明博大統領と同様に国家安全保障上の危機管理からすると、万が一の全面戦争を計算に入れた行動を予定に入れていなければならないはずだ。

 全面戦争が勃発した場合でも、日本攻撃に向けた北朝鮮のミサイルや通常の攻撃は米軍の力を借りるなら、より対抗しやすいが、約18万人存在するという特殊部隊が日本国内に侵入した場合、ゲリラ同様の神出鬼没の活動をするゆえにより対策が困難であるとテレビで日本の軍事専門家なのか、話していたが、北朝鮮が保有する高速の小型艇で真夜中の暗闇に紛れて人海戦術の形で日本全国ありとあらゆる場所から上陸すべく押し寄せた場合、そのうちの相当数は撃退できたとしても、何隻かが撃退できなかった場合の特殊部隊員の上陸によって想定し得る人質を取った上での立てこもりや東京や大阪といった大都市市街地での国内撹乱を狙った無数の通行人をターゲットとした同時多発的な無差別発砲に対抗する危機管理も予定スケジュールに入れておかなければならないはずだ。

 既に上陸して一般市民に紛れて日本人として偽装生活を送っている可能性も否定できない。

 かつて北朝鮮の高速小型艇が日本の海上保安庁の巡視船に追跡され攻撃を受けると、証拠を残さない意図からだろう、自爆して船を沈めたが、特殊部隊員が狂信的にまで金正日崇拝を刷り込まれていて自身の命を金正日に捧げる気でいたなら、その破壊行為は陰惨を極めるだろうことも危機管理としなければならない。

 菅首相はどのような対抗策を想定しているのだろうか。

 李明博大統領が談話を発表したのと同じ29日午前(2010年11月)、時間的にどちらが後先か分からないが、菅首相は衆院議員会館で開催の超党派の日韓議員連盟(渡部恒三会長)と韓国の韓日議員連盟(李相得会長)の第34回合同総会で来賓として挨拶している。

 《北砲撃に「断固対抗」=日韓・韓日議連が合同総会-菅首相》時事ドットコム/2010/11/29-11:53)

 菅首相(北朝鮮砲撃を)「許し難い蛮行だ。日米韓3カ国が一致協力して北の無謀、非道な行動に断固対抗していく」

 23日午後2時半頃の北朝鮮砲撃を受けて24日に設置した全閣僚出席の対策本部初会合でも菅首相は「一般市民が生活している地域への攻撃で、許し難い蛮行だ」(Doshin Web)と、同じ「許し難い蛮行だ」を使っている。当分同じ非難言葉を使いまわすのかもしれない。

 そして昨29日(2010年11月)午後の与野党党首会談。周辺事態法の適用についての話が出たという。党首会談後の菅首相の29日の記者会見。《「適切な時期に沖縄にうかがう」29日の菅首相》asahi.com/2010年11月29日22時7分)

 〈【与野党党首会談】

 ――先ほど2回目の与野党党首会談が行われました。総理はこの場でどのような話をされたのでしょうか。また、党首会談の出席者から「総理から周辺事態法の適用を検討しているとの発言があった」と話をしていますが、実際に総理は検討しているのか。

 「周辺事態法について、ある方から話題に出ました。しかし私がその法律の適用を検討していることは全くありません」 〉――

 ご存知のように「周辺事態法」とは『周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律』のことで、第1条は次のように記している。

 「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態に対応して」云々と。

 日本に対する武力攻撃が想定された場合の日本側の備え、危機管理を定めた法律ということだが、この危機管理は「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(以下「日米安保条約」という。)の効果的な運用に寄与し、我が国の平和及び安全の確保に資することを目的とする」と第1条の後半で述べているように米軍に対する協力体制に限定した日本の平和維持活動となっている。

 その方法は後方地域支援、後方地域捜索救助活動、船舶検査活動等の対応措置で、第2条2項で、「対応措置の実施は、武力による威嚇又は武力の行使に当たるものであってはならない」と武力行使を禁じている。これは憲法9条の武力の不行使に則った規定であろう。

 そしてこの法律の適用は国会の承認を必要としている。

 菅首相は李明博大統領のようには万が一の偶発的全面戦争を計算には入れていないようだ。危機管理とは最悪の事態を想定して、そのことに備える体制を整えることを言うはずだが、ここで言う最悪の事態とは全面戦争を措いて他にはないはずだから、「私がその法律の適用を検討していることは全くありません」ではなく、「いつ如何なるときでも適用できるように準備はしておかなければなりません」と言うべきで、国会承認が必要である以上、野党とその検討に早急に入らなければならないはずだ。
 
 もし与野党の同意を得たなら、いつ起こるかわからない最悪の事態が発生しない前に直ちに自衛隊に対して後方地域支援、後方地域捜索救助活動、船舶検査活動等がいつでも開始できるように準備を整えるよう、その方面の臨戦態勢を指示すべきだろう。

 今から備えると言うことである。それが危機管理というものであろう。

 菅首相の「許し難い蛮行だ」も、「日米韓3カ国が一致協力して北の無謀、非道な行動に断固対抗していく」も、立場上、そう言わざるを得ないための単なる言葉に過ぎないようだ。

 菅首相の北朝鮮非難の言葉と日本の対応策を示した発言が心底からの言葉なら、「許し難い蛮行」がそのまま全面戦争となる場合も可能性としては否定できないことであり、そうなった場合、「日米韓3カ国が一致協力して北の無謀、非道な行動に断固対抗していく」は全面戦争に対する「一致協力」の「断固対抗」へと変化することになる。

 北朝鮮特殊部隊の上陸や日本国土に向けたミサイル発射等を想定した場合、周辺事態法のみで追いつかないケースも今から考えておかなければならない。

 だが、そういった危機管理を一切感じさせない、「日米韓3カ国が一致協力して北の無謀、非道な行動に断固対抗していく」の発言以後の菅首相の行動となっている。



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前原外相の「審議拒否は税金泥棒」は盗人猛々しい、次の問責のターゲットとなり得る言いがかり

2010-11-29 07:37:26 | Weblog

 前原誠司なる政治家が如何に自己都合な男か、ご都合主義者であるかを知らしめたいがためにのみこの記事を書いた。

 但し、解釈はそれぞれによって違い、解釈の違いに応じて前原誠司なる政治家に対して抱く人格はそれぞれに異なる。

 《前原氏、「審議拒否は税金泥棒」=自民批判、政府・民主で相次ぐ》時事ドットコム/2010/11/27-20:26)

 27日に横浜市内で開催の民主党衆院議員のパーティーでの挨拶。仙谷官房長官と馬淵夫国交相の問責決議可決後の対応で、自民党が今後の国会審議を拒否する構えを見せていることについて。

 前原外相「出てこなかったら、あの人たちは税金泥棒だ。国会の審議に出てこなくて、日本の停滞をさらに助長させるのかということをわれわれは言い続ける」

 岡田幹事長(三重県川越町で記者会見)「審議拒否はやめて、一本でも多く(法案を)成立させることに協力してほしい」

 枝野幹事長代理(山口県周南市で記者団に)「問責決議には法的拘束力がなく、2人とも衆院で信任されたばかりなので、直接の影響があってはおかしい。党、内閣結束して一歩一歩実績を積み重ねることで、この状況を脱出するために努力したい」

 自民党石原伸晃幹事長(石川県小松市で講演)「国民に代わって、一番近々の民意が示された。2人が出てくる(国会の)委員会には、われわれは出ていって議論することはできない」――

 昨28日(2010年11月)の日曜日、フジテレビの「親報道2001」が民主党の過去の問責決議案可決と同時に行った審議拒否を早速取り上げていた。

 1998年10月16日、防衛庁額賀福志郎長官に対する防衛庁背任事件の監督責任を問う問責決議案が日本の政治史上初の可決を受ける。
 
 野党民主党、辞任を求めるも拒否に会い、審議拒否に出る。

 民主党代表菅直人、1998年10月18日に「報道2000」に出演。

 菅代表「あの、一つの院が正式に、イー、ま、大臣ですね、エー、不適任だと、いうことを決めたっていうのは、これ、大変重いですからね、ま、当然、あのー、辞任ということになる、べきだと思います」

 これだけのことを言うのに次の言葉を探すために、イー、エー、ま、あのーを入れなければならない。出演が決まったとき、言うべきことの概略を前以て用意していたはずだが、具体化する以前の抽象的な政策概念を喋るときはさも確約的に一段と高い声で滔々と一席ぶつ。その落差が激しい。

 額賀防衛庁長官に対する問責案は10月16日に可決。11月20日に辞任。1カ月以上、野党民主党は審議拒否を貫いた。前原外相の言葉を使うと、「税金泥棒」を貫いた。前原外相もその当時は「税金泥棒」の一味であったはずだ。一味だったその前原外相が今度は攻守所を変えて野党に対して「税金泥棒」呼ばわりをする。

 これはウソつきが他人をウソつき呼ばわりをする言いがかりとも言える。言いがかりとは非難のための口実のことを言う。

 野党の問責可決後の審議拒否は政権を追いつめるための一つの方策であろう。当然、政権は守りに入る。前原外相の「税金泥棒」呼ばわりは菅内閣を守ろうとする発言となるが、菅内閣を守るために「税金泥棒」という一種の罵声とも言える言いがかりを使った。

 そのセンスが今度は問われることになる。一議員が国会でヤジを飛ばすのとは違う。外務大臣として菅内閣の閣僚の一人を占めている。いくら国会外の発言だとしても、自分たちも同じ人格を演じてきたことに反して、「税金泥棒」と呼ぶことを正しいとすることは閣僚としての資質の欠格性を示すことになるはずだ。当然、問責決議ターゲットの資格を得たことになる。
 
 民主党は麻生政権を追いつめるために2009年7月13日にその他の野党と内閣不信任決議案を衆院、首相問責決議案を参院に提出し、審議拒否に入っている。いわば前原外相の言う議員から「税金泥棒」に職を変えた。

 麻生首相はこの事態を受けて同じ7月13日に12月21日衆院を解散、8月18日公示、同30日投開票の日程で総選挙を実施すると正式に表明している。

 政権を追いつめる審議拒否宣言だったわけである。

 菅首相は菅代表だった当時、問責案可決は閣僚「不適任」の大変重い決定であり、「辞任」が相当の対応だと主張したが、野党時代と首相として立場を変えた場合の責任の違いから過去・現在の発言・行動の食い違いはあり得るとする自らがつくったルールに則ってのことなのだろう、仙谷官房長官と馬淵国交相に対しては「不適任」ならぬ「適任」のハンコを押して問責案可決を大変軽い決定に貶め、両者共続投を相当の対応とする姿勢でいる。

 前原外相の自身もかつて同じ人格を演じてきたにも関わらず、健忘症からか、自己都合のご都合主義が先走るあまりか、野党に「税金泥棒」の着ぐるみをすっぽりとかぶせて、逆に自身を正しい場所に立たせようとしている。

 菅首相の立場上の責任の違いを正当化の口実に過去の主張を平気で消去する。

 信用のなさだけが残りはしないだろうか。

 自民党は仙谷官房長官と馬淵国交相が所管する委員会の審議のみ拒否、他は出席する方針だと「YOMIURI ONLINE」が伝えている。

 最後に産経デジタルのニュース・ブログポータルサイト「イザ」《民主党、華麗なる審議拒否の歴史》 2010/11/28 13:06)と題して、野党時代の審議拒否の数々を伝えている。いわば数々の民主党版「税金泥棒」を伝えている。参考までに。


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菅首相発言、支持率「1%になっても辞めない」と「政府専用機を用意する」を読み解く

2010-11-28 09:05:40 | Weblog

 我が日本の偉大なる菅首相が27日(2010年11月)、これも偉大な政治家だった鳩山前首相と東京都内の中華料理店で世界に影響を与える約1時間半の会談を持ったという。これは菅首相からの呼びかけで、会談時間1時間半は菅・胡錦涛横浜日中首脳会談の22分と比較して4倍強の長さに亘ったのだから、世界に影響を与えるだけではなく、さぞかし日本国家の今後についての、あるいは緊張状態にある朝鮮半島情勢等々についての重要、且つ貴重な意見交換に費やされたに違いない。

 先ずは《菅首相:「支持率1%になっても辞めない」…鳩山氏と会食》毎日jp/2010年11月27日 21時36分)から見てみる。

 菅首相(支持率が)「1%になっても辞めない」

 記事はこの発言を、政権維持に向け意欲を強調したものだとしているが、単純な解釈に従うなら、支持率30%以下の危険水域突入やその他の菅首相を取り巻く環境の厳しさを振り払う強い反発心が働いた積極的な政権維持意欲の提示と受け取れもするが、皮肉な解釈に立つなら、指導力がないの、外交オンチだの、安全保障意識がなっていないのと周囲から散々責め立てられ、世論調査でも責め立てられ、逆に依怙地になった政権維持意欲だと受け取れないこともない。

 記事は菅首相と鳩山前首相が日本と世界について熱い会話を交わしたことについては、あるいはそんな事実はなかったからなのか、一切触れていない。その代わり二つの憶測で埋めている。一つは、菅首相が鳩山前首相に対して仙谷由人官房長官、馬淵澄夫国土交通相の問責決議が可決され、〈政権運営が厳しさを増す中、協力を求めたとみられる。〉とする憶測。二つ目は、その協力要請に対して鳩山前首相が菅首相に対して、〈「非小沢」路線を修正する内閣改造などが念頭に〉、〈挙党態勢を構築するよう促した〉とする憶測。

 菅首相は政治の話とは別にスイス・チューリヒで国際サッカー連盟(FIFA)12月開催理事会で2022年サッカーワールドカップ日本招致の活動を要請したという。

 菅首相「政府専用機を用意する」

 鳩山前首相「あまり期待しないでほしい」

 記事は、鳩山首相は〈消極的な姿勢を示した。〉で結んでいる。

 このサッカーワールドカップ日本招致活動要請は、《菅首相「支持率1%でも辞めない」=鳩山氏と会談》時事ドットコム/2010/11/27-19:13)では、最終プレゼンテーションへの出席要請となっていて、二人の遣り取りは上記「毎日jp」よりもほんの少し詳しくなっている。

 菅首相「政府専用機を用意する」

 鳩山首相「あまり期待しないでほしい。・・・・あなたが出席したらいい」

 この発言に対して菅首相は、〈北朝鮮による韓国砲撃を受け、28日から米韓合同軍事演習が始まることを挙げ、出席は困難との考えを示した。〉と書いて、記事を結んでいる。

 先ず、「1%になっても辞めない」がどんな逆境に立たされようとも政権を維持するんだといった全うな強い決意を示した政権維持意欲なのか、散々悪く言われて却って依怙地になって政権にしがみついてやるといった政権維持意欲なのかである。

 大体が全うな強い決意を常に提示可能な政治家なら、尖閣沖中国漁船衝突事件に端を発した領土問題で毅然とした態度を取れただろうし、事件以降の日中首脳会談、ロシアのメドベージェフ大統領の国後島訪問後の横浜日ロ首脳会談の成果を謳い上げはするが、具体的な会談内容を隠すといったことはしなかっただろう。全うな強い決意を常に常に必要とするゆえにその逆説である指導力がないなどと言われることもないだろう。

 指導力がないの一事で以って、「1%になっても辞めない」が積極的な政権維持意欲からの発言ではなく、尻に火がついて依怙地になった「1%になっても辞めない」だと分かる。

 指導力のない首相の「1%になっても辞めない」はそもそもからして滑稽な倒錯でしかない。不貞腐れ、依怙地と取らずに、何と取ったらいいだろうか。辞めてやるもんか、誰にも渡さないぞの「1%」に違いない。

 「1%になっても辞めない」を考えることよりも、如何に指導力を発揮できる首相となれるかを考えるべきだろう。情けない話だが、判断を置くべき場所さえ間違えている。言うべき言葉ではないということである。

 「1%になっても辞めない」は「5年後は評価されると確信」に対応させた発言であろう。《「5年後は評価されると確信」=尖閣沖衝突、政府批判に反論-菅首相》時事ドットコム/2010/11/08-21:27)

 米CNNテレビのインタビューに応じた発言だという。

 菅首相(尖閣諸島について)「わが国固有の領土だと歴史的にも国際的にも認められた」

 だが、中国は依然として中国固有の領土だと主張している。

 菅首相「外交上の問題、特に領土問題はその国の国民の感情を強く刺激するものだ。5年、10年後に振り返ったときに、自分の内閣が冷静に対応したことはきちんと評価されると確信している」

 菅首相「少なくとも(衆院議員の残り任期の)3年間、しっかりとした政策を進めることで国民から支持を頂きたいし、頂けると思う」――

 「外交上の問題、特に領土問題はその国の国民の感情を強く刺激するものだ」は、一時的な感情からの評価で、今後を見据えた冷静な判断に立った評価ではないとして現況の世論調査を否定する発言であろう。

 公平、合理的に考えるなら、現在の評価を正しくないとするなら、「5年、10年後」の評価も正しくないとすることができる。

 現在の評価は現在の状況を踏まえた評価であって、その評価が正しい正しくないは関係なしに物事はその評価の影響を受けて動く以上、いわば現在の評価に関連付けられた行動となる以上、その動きの影響がなくなった「5年、10年後」の評価に替えるというのは奇麗事に過ぎない。

 菅首相が現在の評価に何ら影響を受けないというなら話は別であるが、「1%になっても辞めない」という発言自体が既に影響を受けた行動となっている。鳩山前首相と会って政権運営の協力を求めたと記事が書いていることも、現在の評価に影響を受けた要請であるはずだ。

 参議院の野党による問責決議案提出・可決も国民が参議院選挙で与えた評価と世論調査で示した政権に対する現在の評価が影響した動きであって、菅内閣はこの動きに影響を受けた政権運営を行うことになるが、「5年、10年後」の評価とは関係しない動きであろう。

 それを「5年、10年後」の評価に待つとする。

 状況の変化が政治行動に違いを与えることを証明する記事がある。《中国、ダライ・ラマと会談で貿易削減の報復?》CNN/2010.11.04 Thu posted at: 19:45)

 ドイツ大学の「ダライ・ラマ効果」と題した研究報告書からの引用で、〈中国が分裂主義者として非難するチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世と会談した外国首脳の所属国は会談後2年間の対中貿易で平均8.1%の輸出減少を被って〉いたという。

 報告書の結論は、〈中国は対外貿易で政治的判断に大きな意味を持たせ、外交政策遂行の手段にもしている〉となっている。

 報告書は中国の胡錦濤(フー・チンタオ)国家主席が就任した2002年以降の期間を対象としているが、国連のデータを用いて1991年から2008年までの間の中国の貿易相手だった159カ国・地域の輸出動向を調査、ダライ・ラマと大統領、首相、国王、女王やローマ法王が会見した後、その指導者の所属国による対中輸出は必ず減少していることが判明。一方、下位の政府幹部などがダライ・ラマと会った場合は影響が出ていなかったという。

 但し、中国指導部は貿易問題での処罰が政治的な生き残りにつながる可能性を高める場合、経済的、政治的なコストを負うこともためらわない姿勢を取っているが、「ダライ・ラマ効果」は永続的なものでなく、首脳との会談後から平均2年で転換しているという。

 その理由として、〈ダライ・ラマとの会見に絡む対中輸出削減は短期的に中国経済の成長を損ね、長期的には貿易相手国が中国を回避しかねない可能性がある〉からだとの中国の経済問題専門家の見方を伝えている。

 要するにダライ・ラマと会談した国に対する評価を対中輸出削減という懲罰を以って表現するものの、平均2年後には中国経済への打撃という状況の変化を踏まえて懲罰の評価を変えるに至るが、平均2年後の評価が正しいことを以って、当初の懲罰という評価を正しいとすることはできまい。

 例え日中関係が尖閣問題で悪化したとしても、日中相互の政治・経済に悪影響を与える程の長期間に亘ることは相互の国益を損なうこととなる関係上、「5年、10年後」を待たずして関係修復を果たすだろうことは上記「CNN」記事を待たなくても予定調和と看做すことができるはずである。

 それを以て菅内閣の成果だと言い換えることもできるが、状況の変化を無視する牽強付会に過ぎないはずだ。

 「5年、10年後」の評価に期待するから、「3年間」は政権を維持したいという欲求が出てくる。

 この欲求が「石にかじりついても頑張る」というそれぞれが相互対応し合った発言ともなる。《「石にかじりついても頑張る」=首相、政権運営で決意-衆院予算委》時事ドットコム/2010/11/08-09:46)

 11月8日の衆院予算委員会。

 菅首相「わたし自身どこまで頑張りきれるか分からないが、物事が進んでいる限りは石にかじりついても頑張りたい」

 菅首相「政権を担当したら4年間の衆院の任期を一つのめどとして一方の政党が頑張ってみる。4年後に(衆院)解散・総選挙で継続するかしないか国民の信を問うという考え方がこれから政治的な慣例になっていくことが望ましい」

 同じ民主党の近藤洋介議員への答弁だと言うから、お互いにヨイショし合ったのだろう。

 菅首相の頭には「政治は結果責任」という認識が一切入っていない。「4年間の衆院の任期」が「一つのめど」となるかどうかはあくまでも自身の政治行動の結果が決めることであって、自らの責任の成果次第の任期なのだから、任期を先に持ってくるのではなく、自らに与えられ立場上の責任を如何に果たすか、いわば自身が主張する政治を如何に運営・展開するか、如何に指導力を発揮するかの考えを先に持ってくるべきだが、後先を逆とすることができる判断能力は指導者の資質とは決して言えない。

 4年間の衆院任期と首相の任期を一致させ、4年間は解散はないとした場合、その4年間はどのような失政も許されることになるばかりか、その4年間、国民の判断は遮断されることにもなる。4年任期の大統領制を取るアメリカの場合でも途中の2年後に上院・下院の選挙によって、大統領は評価を受け、その評価に影響されることになる。

 要するに任期は自身の能力がつくり出す政治の結果として後からついてくるものでありながら、そのように位置づけることも価値づけることもできずに先に持ってきたということは4年は首相の職にとどまりたいという自身の都合だけを言っている発言に過ぎないということであろう。

 かくまでも欠格した合理的認識能力とその欠格性に対応して同じく欠格した指導力から見ると、「1%になっても辞めない」は支持率低空飛行を受けて依怙地になってしがみつこうとした「1%になっても辞めない」としか解釈しようがない。

 次に国際サッカー連盟スイス・チューリヒ12月開催理事会のサッカーワールドカップ日本招致最終プレゼンテーションへの出席要請について。

 菅首相「政府専用機を用意する」

 わざわざ政府専用機を飛ばすべき政治活動に入るのだろうか。招致は最終プレゼンテーションのみで決まるわけのものではない。各施設や施設までの交通の便、国民の招致意識等を国際サッカー連盟の委員が直接視察したりして総合判断で決める招致であろう。飛行機で乗り込もうと客船で乗り込もうとヨットで乗り込もうと何ら評価に影響しない最終プレゼンテーションのはずである。

 いわば政府専用機ではなくても済むフライトのはずだが、それを政府専用機とする。金賢姫元死刑囚を日本に招請したときのチャーター機の費用は政府関係者の話として1千万円かかった(asahi.com)とされているが、さらに遠方のスイス・チューリヒとなると、1千万円以上はかかるはずである。政権運営のスローガンの一つとして掲げていたムダ遣い削減を菅首相自らが破ることになるのではないのか。

 それを敢えて「政府専用機を用意する」ということは、鳩山前首相が代表選で小沢元代表を支持したり、尖閣問題では、「なぜホットラインを使って温家宝首相と直接話し合わなかったのか」と言ったり、菅首相が掲げる「最小不幸社会」を母校東大駒場キャンパスの講演で、「最小と不幸でイメージが暗くなるんだよね」(スポーツ報知)と批判したりしている関係を、政権運営の協力を要請する形で味方につける関係に変えるべく、「政府専用機」で歓心を買おうとした菅首相にとっての一大サービスとしか見ることができない。

 プレゼンテーションに与える効果は何ら違いはないが、政府専用機で乗り込むのと一般の民間機で乗り込むのとでは乗り込む本人に対しては桁違いの虚栄心を与えるだろうからである。そのための一フライト1千万円以上の「政府専用機」ということでなければ、その金額の生半可ではないことの説明がつかない。

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菅内閣の現在の惨状は菅首相提唱の「熟議の民主主義」の効果なのか

2010-11-27 10:09:30 | Weblog

 いずれの世論調査でも菅内閣の支持率が政権維持の「危険水域」とされる30%遥か下を行く超低空飛行を余儀なくされている。その超低空飛行下での法務大臣の失言が内閣を追い込み、辞任という形式を取らせた更迭、さらに失言や職務責任の不徹底等を問う内閣の要である官房長官と国土交通大臣に対する昨夜(2010年11月26日)の問責決議案提出・可決と菅内閣は2010年6月発足から改造内閣を経て散々の惨状を呈することとなった。

 大方のマスコミはこの原因を菅首相自身の指導力不足に帰しているが、事実としてある資質上の欠落ではあっても、それを補うべき数の力を欠いていることが現状演出の決定的な要因であろう。断るまでもなく、民主主義は数の政治でもあるからだ。

 勿論、数を獲得するにはリーダーの指導力が絶対条件となる。いわば数と指導力は相互補完関係にあり、相互対応し合っていると言える。菅首相の場合、リーダーシップ不足に対応して数をも欠いているということになる。

 リーダーシップを欠いていることが原因となって数を欠き、数を欠いていることが原因となって、リーダーシップをますます欠くという悪循環の状態にある。

 7月(2010年)の参議院で民主党が大敗、数を失ったのは消費税増税発言を不用意に行った菅首相の指導力不足に大きな責任があるはずである。鳩山前内閣の30%切った支持率から菅内閣発足による60%前後のV字回復と言われた支持率を背景に参院選を勝利に導く方策を描くのも菅首相の指導力にかかる責任事項であったが、指導力がないばっかりにその責任を果たすことができず、数を大量に失うこととなった。

 いわば参院選を契機として菅首相の指導力と参議院の数(=議席)は等しく対応し合ったと言える。菅首相の指導力が生み出した参院選の議席だと言い換えることもできる。逆に言うと、この少数を占めたことが、野党をして参議院で提出する問責決議案の有効性を保証する多数を占めさることとなった。

 これも断るまでもなく、問責決議案の提出・可決は参議院で野党が多数を占めることが絶対条件となるからだが、如何に数の確保が大切かを物語っている。

 菅首相は参院選大敗、参議院で数の力を失うと、失った数を補うべく「熟議の民主主義」を持ち出した。この提唱は菅首相自身の政治的創造性に負う提案ではあっても、政治的創造性は指導力の絶対要件である。数と指導力が相互補完関係にあり、相互対応し合っていることと同様に政治的創造性と指導力は相互補完関係にあり、相互対応し合っているはずである。指導力は政治的創造性に負い、政治的創造性は指導力によって生かされる相互補完関係にある。

 逆説するなら、政治的創造性から指導力を測ることができ、指導力から政治的創造性を測ることができる。菅首相が元来から指導力を欠いている政治家なら、あるいは指導力が期待できない政治家であるなら、政治的創造性を欠く、あるいは期待できない政治家と言えることになる。

 であるなら、いくら「熟議の民主主義」を提唱しようと、失った数を補うことはできない相談と化す。何よりも相互補完関係にある政治的想像性と指導力が必要となるからだ。 

 今年9月1日(2010年)の民主党中央代表選挙管理委員会主催の民主党代表選での菅首相と小沢元代表との共同記者会見で菅首相は次のように発言している。

 菅候補 「参議院の結果については私自身の責任論も含め、反省をしてまいりました。その上で、ねじれという状況になったことについて、私は一般的には厳しい状況でありまけれども、ある意味では天の配剤ではないかとも同時に思っております」

 参議院で数を失ったことを「天の配剤」だとする政治的創造性は素晴らしい。

 さらに菅首相は次のように言っている。

 菅候補 「ねじれという状況は、逆に言えば、そうした与党、野党が同意しなければ物事が進まない。逆に言えば合意をしたものだけが法律として成立をするわけすから、そういうより難しい問題も合意すれば超えていけると、そういう可能性が出てきたと言えるわけであります」

 数を失った状況での「合意」は新たな数の形成を意味する。数の形成なくして「合意」は成り立たない。参議院の数の喪失を「天の配剤」として、そもそもの数の力(そもそもの議席数)を恃まない「合意」を可能とする参院過半数形成の数を形成する「可能性が出てきた」と、参院選大敗を逆にチャンスと看做している。

 なかなかの勇気ある発言だが、菅首相が望む経緯を辿るにはやはり相互に補完し合う指導力と政治的創造性が絶対必要条件となるが、多分、自身にはその両方の資質があると自負していたのだろう。自負していなければ、「天の配剤」などと決して言えない。

 翌9月2日の日本記者クラブ主催の民主党代表選討論会では、数について次のように発言している。

 菅首相「私は金と数ということを、あまりにも重視する政治こそが古い政治だと。そうではなくて、お金がなくても、志と努力と能力のある人はどんどん国会議員にも、政治にも参加できると。そして、数の前に中身の議論をしっかりすると。その中で合意形成ができてくると、そういう政治こそが新しい政治で、今、日本に必要となっている政治は、その新しい政治だと、こう思ってます」

 前の日に発言した「天の配剤」論と、そもそもの数を頼まず、新たな数を形成することを意味する「合意」論を前提とした「金と数ということを、あまりにも重視する政治こそが古い政治だ」の主張であろう。

 民主党代表選の有楽町で行った9月11日の街頭演説。

 菅首相「採決をすれば、すべてが進むわけではない。与野党でしっかりと話をして、その中で『よし、わかった、ここまではいっしょにやろう、しかしこの部分は自分たちの言うことも聞いてくれ』そういう熟議の民主主義こそが、しっかり議論する民主主義こそが、私は本物のリーダーシップを生み出す条件だと考えている」

 この「熟議の民主主義」にしても、そもそもの数(そもそもの議席数)を恃まず、「合意」を可能とする参院過半数形成の数を新たに形成する道具立てとして持ち出したものであろう。その実効ある展開を経て新たな数の形成となる、「よし、わかった、ここまではいっしょにやろう、しかしこの部分は自分たちの言うことも聞いてくれ」という「合意」成功のカギが「本物のリーダーシップ」だと言っている。

 だが、菅内閣は2010年6月の発足から約5ヶ月、早くも行き詰まってしまった。参院選大敗を「天の配剤」として、そもそもの数を恃まない「熟議の民主主義」を掲げて「合意」に必要な新たな数の獲得を目指しながら、「熟議の民主主義」が行われた気配もない。

 参院選で失った数は失った数のままにとどまっている。失う代償として与えた野党の参院多数が問責決議案の提出・可決を可能とした。柳田法務大臣の辞任を可能としたのも政権が参議院で失った数であり、失った分を獲得した野党の数であろう。

 民主主義が数の政治でもあること、数の力に対する認識が菅首相は甘いだけではなく、自身の指導力、政治的創造性に対する認識を欠いて、「天の配剤」だ、「熟議の民主主義」だと持ち出したようにしか思えない。

 公明党が菅政権と連携意思を覗かせているが、「熟議の民主主義」を条件とした連携ではなく、単に政権党の一翼を担いたい政党としての利害からなのは、菅内閣の支持率が現在程に低下する前は協力意思を露にし、支持率が低下すると距離を取るといった姿勢に現れている。

 所詮、「金と数ということを、あまりにも重視する政治こそが古い政治だ」や、「熟議の民主主義」は自身が言ったとおりには何も変えることができていないのだから、参院選を大敗して数を失った言い訳の効果はあったとしても、実質的には奇麗事で終わっている。

 何もかも政治的創造性も指導力も最初から持ち合わせていなかったことが原因の菅内閣の現在の惨状としか言いようがない。

 菅内閣が現在以上に壊れかかったなら、公明党にしても世論の反発に対する警戒感と、共に沈没しかねない恐れから、逆の政党利害が働いて、協力とは正反対の姿勢を取ることになるに違いない。

 参院選大敗後、自身の政治的創造性と指導力を省みて続投か辞任かの決定基準とすべきで、「首相がコロコロ代るのは良くない」を基準とすべきではなかったのだろうが、「コロコロ」を基準とする合理的判断能力の欠如が自身の政治的創造性と指導力を省みることを阻んだのだろう。今以てその資格もないのに、「石にかじりついても4年はやりたい」てなことを言っている。

 最後に何度かブログに書いていることだが、数は自政党の政策の優位性を訴えて獲得するものであり、獲得した数の力を背景に優位性あると訴えた政策の実現を目指すのが政権担当である。だが、菅首相の言う「熟議の民主主義」は数の力の優位性を喪失することによって他党の数を頼りにする必要上、その代償として政策の妥協を図ることが強いられるゆえに自らの政策の優位性を相対的に失うことを意味する。

 このことを菅首相は理解せず、参院選大敗以後政権維持だけを目的としていたから、「熟議」「熟議」だと振り回すことができたのだろう。


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菅首相は常に危機管理を問われるということが頭に入っていなかった

2010-11-26 08:36:01 | Weblog

 昨日(2010年11月25日)のブログ記事で菅首相指示の朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止が無償化に強硬反対の自民党と姿勢を同じにすることができることから、無償化についての追及を国会で受けなくて済むメリットがあり、そのことを狙った自民党に対する阿(おもね)りではないかと書いたが、昨日自民党の山本一太議員から、一旦停止の理由を逆に追及され、菅首相は「北朝鮮による砲撃の中で総合的に考えて指示した」としか答えることができず、山本議員から、答えになっていない、ブレている、一貫性がない、定見がないと散々に批判されていた。

 理由にもならない理由で以て制裁にもならないことを制裁として持ち出したのだから、一旦停止から完全停止へと持っていきたい何らかの作為があったはずだが、再開について追及を受けて「推移をみて判断する」と答弁したことから判断すると、制裁にならないまま、何のための一旦停止だったんだと疑問を投げかけられながらの再開というブレを再び見せるかもしれない。

 菅首相昨25日(2010年11月)の参院予算委員会でも官邸でのぶら下がり記者会見でも、北朝鮮砲撃事件に対して「迅速な対応がしっかり取れてきた」と、自身の初動対応に間違いがないことを言っている。

 予算委員会で初動の遅れ、危機管理の甘さを問い質した野党の激しい追及への否定であり、自身の行動を正しいとする肯定となっている。

 菅首相が言っているとおりだとは多くが信用していないに違いない。11月13日の横浜APECでの22分間の胡錦涛国家主席との日中首脳会談で、菅首相は「日中の首脳会談は、尖閣列島は我が国固有の領土であって、この地域に領土問題は存在しないという基本的立場を明確に伝えた」と言っているが、胡錦涛主席が菅首相が伝えた日本側の基本的な立場を受け入れたのか、反論したのかの反応を一切伝えていない。

 この菅首相の無発言は福山官房副長官の発言と相互対応し合っている。

 福山官房副長官(胡主席の反応を含め、会談の詳細について)「外交上の理由から差し控えたい」(asahi.com

 つまり両者とも秘密にして置くという点で姿勢を一致させ、その秘密を守り合うこととなった。

 菅首相が明らかにしたことは、「戦略的互恵関係を確認し合い、改めて私の就任時の6月に戻すという、そういうことを実現することができた」と完全な関係修復への確約であった。

 だが、国民に隠さなければならない秘密を抱えた確約なるものは真の確約とは言えず、矛盾以外の何ものでもない。領土問題を腫れ物として扱い、そのような扱いの上に戦略的互恵関係を築いていく方策を優先させたということなのだろう。

 腫れ物として扱ったなら、「尖閣列島は我が国固有の領土であって、この地域に領土問題は存在しないという基本的立場を明確に伝えた」などと自身に都合がいいことだけを言うべきではないだろう。「領土問題では中国は中国の立場を変えなかったが、戦略的互恵関係を築いていくという点では合意することができた」と事実を言うべきだろう。

 隠すということはそこに何らかのウソがあるということに他ならない。ウソを行うことと言い換えることもできるはずだ。だが、日ロ首脳会談でも抱えたウソを当の会談相手であるメドベージェフ大統領によって暴露させられることとなった。

 菅首相は日ロ首脳会談でメドベージェフ大統領に対して、「大統領の国後島訪問は我が国の立場、日本国民の感情から受け入れられない」と抗議したと言い、「ロシアとは領土問題の解決と経済協力について、2つのフィールドで話し合おうということで合意した」と会談後に明らかにしていたが、メドベージェフ大統領は会談後に自身のツイッターに「日本の首相に会い、解決できない論争より経済協力の方が有益だと伝えた」(47NEWS)と投稿している。

 メドベージェフ大統領は領土問題についての話し合いを「解決できない論争」だと看做し、そのような論争への拒絶反応を会談で示した。この拒絶反応は菅首相が言う「合意」とは言えない代物であるにも関わらず、「2つのフィールド」の一つに入れて菅首相は「合意した」とした。

 メドベージェフ大統領のツイッターの発言を補強するロシア側の立場を伝えている記事がある。「asahi.com」が紹介している。《北方領土「方針転換、2島返還交渉しない」ロシア紙報道》(010年11月16日7時17分)

 ロシアの有力紙コメルサントの11月15日付の記事で、横浜APECロシア代表団の消息筋の話としての報道となっている。〈ロシアは北方領土をめぐる交渉方針を転換し、歯舞・色丹の2島引き渡しを明記した1956年の日ソ共同宣言に基づいた交渉はもう行わない、と報じた。〉としている。

 さらに伝えている。〈領土問題は今年、決定的に行き詰まったと指摘。同筋は、プーチン政権時代は日ソ共同宣言に基づいて平和条約締結後に2島を引き渡す用意があったが、今はロシアの立場は変わったとし、表向きは同宣言を拒否していなくても、もう協議する余地はないとしている。〉

 消息筋「日本側はこの問題をある種アニメ的に見ている。我々がまず2島を、さらに4島すべてを引き渡したいと考えたようだが、これらの島はロシア領というのが今の我々の立場だ」

 会談で展開された会話の事実を隠して国民の目に秘密とし、領土問題の話し合いがさも進むかのようなウソの発表で以て誤魔化した。

 首相就任前の発言と異なる主義主張や行動が明示していたことだが、菅首相は既に“オオカミ首相”の人物像をほぼ確立しつつある。自らが築いてきた“オオカミ首相”像なのである。この人物像を確立することとなった前科・前例に照らすと、北朝鮮砲撃事件に対する初動対応が「迅速な対応がしっかり取れてきた」は端からなかなかに信用できない。

 初動対応不信の野党追及の材料となった菅首相の行動を見てみる。

 菅首相は最初砲撃を「報道で知った」と発言している。報道で知った後、3時半頃、秘書官が連絡してきたと。だが、この「報道で知った」を翌24日になって、総理サイドが「外交ルートを通じて担当秘書官から午後3時半ごろ一報が入り、総理がテレビをつけたらニュースでやっていた」(TBS)と訂正している。

 以後、この訂正の線に添って菅首相は国会でも記者会見でも発言している。

 23日の記者会見で菅首相は次のように発言しているのである。

 菅首相「報道で、北朝鮮が韓国の島に砲撃を加え、それに対して韓国軍も応戦したという報道があり、私にも、3時半ごろに秘書官を通して連絡がありました。公邸におりましたので公邸でいろいろ情報を聞いておりましたが、先ほど官邸に移って関係者を集めて官房長官とも連絡を取り、官房長官にも来てもらいました」(asahi.com

 もし秘書官の第一報が事実なら、例えそれが直接の伝達であろうと電話による伝達であろうと、報道を第一報とする記憶間違いを起す神経の緩みを発症していたわけではあるまい。第一報に対しては第二報に対してよりもより強い驚きの感情が伴ったはずで、その驚きの強さに対応してより強い記憶として頭に残るはずだからだ。

 同じウソをつくなら、報道で知ったことを秘書官の連絡で知ったことにすべきだったろう。

 このウソの経緯から窺うことができる事実は、菅首相は立場上、常に危機管理が問われるということを頭に入れていなかったという事実である。頭に入れていたなら、報道で知ろうが何で知ろうが、以後迅速な行動を取ることができたはずである。

 野党時代、地震や豪雨災害等で自民党政権の危機管理とその初動対応を常に追及してきたはずである。民主党政権になってからも口蹄疫問題や尖閣問題で危機管理とその初動対応の追及を受けてきた。だが、何ら学習できず、国民の生命財産を守ることを目的とした危機管理対応が政権担当能力の一つとして大きく占めていることを記憶していなかった。

 菅首相は砲撃から1時間半後の3時半頃秘書官から第一報を受けたのち、4時半過ぎから公邸で民主党の斎藤勁国対委員長代理と30分以上会談している。

 相手は代理の立場で国会対策を役目としている人物である。当然、話題は国会対策についてと受け止めるのが常識である。野党から国会でこの点を追及されると、砲撃事件について話し合ったと言っている。

 だが、常に危機管理が問われる立場にあるという政権担当上の危機感を頭に入れていなかったことは確実であることからすると、この危機管理意識のなさの延長上の国対委員長代理との会談と見るべきであろう。

 北朝鮮の砲撃を受けて民主党の与野党を超えて対応する必要があるとの呼びかけで24日午後4時から国会内で与野党党首会談が開催されている。野党側が対応遅れを批判すると、菅首相は「休日だったので集まるのが遅れた」(テレビ朝日)と釈明したという。

 災害・事故は曜日を選ばずに発生する。このことは一般的常識であろう。野党がこの釈明にどう批判したかしなかったのか記事は書いていないが、理由にならない理由を挙げて釈明したということにとどまらず、常に危機管理が問われる立場にあるという政権担当責任者の常識を頭に入れていなかったばかりか、一般常識さえ一般常識としていない危機管理意識しか備えていなかったことを示している。 

 「休日だったので集まるのが遅れた」やその他の非常識のすべては基本に据えておかなければならない常に危機管理が問われる立場にあるという政権担当上の危機感を頭に入れていなかった非常識から派生的に発生することとなっている諸々の非常識であろう。

 この非常識のメカニズムが他の閣僚の今回の危機管理態度にも及んでいる。

 以上見てきたことからして、菅首相の「迅速な対応がしっかり取れてきた」のこの肯定は事実に反して国民を誤魔化し、自己の危機管理対応無能力を正当化するだけの肯定に過ぎないと断言して間違いないと言える。


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朝鮮学校高校無償化プロセス停止は果して北朝鮮に対する有効な制裁となり得るのか

2010-11-25 09:07:22 | Weblog

高校無償化見送りは自民党に対する阿(おもね)りではないのか

 23日(2010年11月)の北朝鮮による韓国大延坪島(テヨンピョンド)への砲撃を理由として菅政府は朝鮮学校無償化に対する従来の容認姿勢を転換、停止させる方針を示した。《朝鮮学校無償化、当面対象外に 官房長官「手続き停止」》asahi.com/2010年11月24日14時14分)

 24日午前の記者会見――

 仙谷官房長官「昨日、今日の事態のなかで、現在進めているプロセスを一旦停止するという方向に動くと考えている」

 仙谷官房長官「現時点では制裁的意味合いではない。朝鮮半島(情勢)が緊張してくる中、現時点では手続きを停止することが望ましい」

 所管大臣の高木文科相の24日午前の衆院文部科学委員会での発言――

 高木文科相「今回の事態は正常な教育、平和を揺るがす根底にかかわる問題。重大な決意で臨まなければならない」

 記事は解説している。〈政府はこれまで、朝鮮学校への制度適用について「政治、外交上の問題は配慮しない」との見解を国会で示していた。現在、文科省が10校ある朝鮮学校(高校段階)から適用申請を受け付けている段階で、締め切りは今月30日。教員数や授業時数など外形的な基準を満たしているかどうかの個別審査を経て、10校すべてが対象となる見通しだった。 〉――

 仙谷官房長官は「制裁的意味合いではない」と言っているが、ではどんな意味合いからのプロセスの一旦停止なのだろうか。「昨日、今日の事態のなかで」と北朝鮮の国際ルールの通じない、テロ行為に等しい砲撃と韓国が受けた衝撃を取り上げた上での「停止」発言である。

 また高木文科相も「今回の事態」を適用判断の理由としている。「制裁的意味合い」のプロセスの一旦停止以外の何ものでもあるまい。

 だが、砲撃の主体は北朝鮮国家、金正日独裁政権である。朝鮮学校生でもないし、朝鮮総連でもない。改めて北朝鮮国家の危険性、金正日独裁政権の危険性を世界に知らしめたが、その危険性を北朝鮮学校生がそっくり体しているわけでもないし、朝鮮総連がそのまま体しているわけでもない。北朝鮮国家、金正日独裁政権の問題であろう。

 この関係を無視して、朝鮮学校を持ち出し、高校無償化のプロセスの一旦停止を言い出す。

 果して朝鮮学校生をターゲットとした無償化プロセスの一旦停止によって北朝鮮に対する直接的な制裁となり得るのだろうか。自国民を飢餓・餓死に陥れても痛みも痒みも感じず、自身の独裁権力維持のために核兵器や長距離ミサイルの開発に国家予算を集中的に注ぎ込む権力者にとって、プロセスの一旦停止は同じように痛みも痒みも感じない、何ら実害を与えはしない制裁ではないだろうか。

 制裁としての意味を持つのかということである。

 北朝鮮に対する心理的な意味合いの制裁だと言うなら、北朝鮮に対して心理的な効果を持たせることができたとしても、プロセスの一旦停止は、砲撃を行ったのは北朝鮮の独裁国家権力であったにも関わらず、朝鮮学校生をターゲットとした実害を朝鮮学校生のみに与える制裁となる。北朝鮮には実害は何ら届かない。

 その謂われはどこにあるのだろうか。

 朝鮮学校に対するこの高校無償化プロセスの一旦停止は菅首相自身の指示によるものだと本人自らが24日の記者会見で明らかにしている

 《朝鮮学校無償化「私がプロセス停止指示」24日の菅首相》asahi.com/2010年11月24日20時47分)

 記者「朝鮮学校の無償化について、仙谷官房長官は『プロセスを停止する」と発言され、無償化を見直す可能性を示唆された。制裁的な意味合いとして、見直す考えはあるか」

 菅首相「私のほうから、文科大臣に対して、こういう状況の中で、プロセスを停止してほしいという指示を出しました」

 記者「今後の取り扱いについては」

 菅首相「こういう状況の中で、停止をしたということです」

 菅首相の答弁は記者の「制裁的な意味合いとして、見直す考えはあるか」の質問を否定も肯定もせずにそのまま受け継ぐ形となっているから、「制裁的な意味合い」を前提とした“プロセスの停止”であることを意味する。
 
 日本も含めて世界は北朝鮮に対して輸出入禁止や金融取引停止等の経済制裁を課しているが、それでも核開発の動きを止める気配を示さないし、今回韓国を砲撃までしている。経済制裁が北朝鮮の危険な動きを停止させる力を持っていなかった。

 当然、心理的な意味合いを持たせた制裁など役に立とうはずはない。北朝鮮に対する制裁に代えてただ単に朝鮮高校生をターゲットとした制裁で終わることになったという事実だけが残るのは十二分に予想できる。

 言い替えるなら、例え心理的な意味合いを持たせた制裁だとしても、意味のない対北朝鮮制裁であり、意味のない対朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止となると言うことである。

 菅首相も仙谷官房長官もこういったことを何ら認識せずに方針立てたプロセスの一旦停止だったのだろうか。

 もしそうだとしたら、その認識能力を疑わざるを得ない。従来から政権を担当するだけの認識能力を保持していないと見ていたが、例え実質的に心理的な意味合いの制裁だとしても、砲撃自体は何ら関係のない朝鮮学校生までを巻き込み、実害の部分ではすべて引き受けさせることとなるプロセスの一旦停止とするのは政権担当能力云々を超えて、余りにも認識の浅い非道な仕打ちとなる。

 菅首相ならそれができると言えばそれまでだが、いくらなんでもそこまで無思慮でないだろう。砲撃にしても、そのままエスカレートするとは誰も見ていなかった。金正日からその息子への父子権力継承の過程で、あるいは経済状況次第で不測の事態が起こり得る危険要素はあっても、今回の危機は一旦は鎮まると大方が予測していた。

 この状況で最初に打ち出したアクションが意味もメリットも何ら予想し得ない朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止である。認識能力が浅いと言う以上にどこかが狂っている。
 
 だが、朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止によってメリットを見い出すことができる事柄が一つある。無償化プロセスの一旦停止によって朝鮮学校無償化に強硬に反対している自民党と立場を同じくすることができるというメリットである。

 危険水域まで達した内閣支持率、ねじれ国会、閣僚の失言による辞任、野党の問責決議案を武器とした攻勢、政権が立ち行かなくなりそうなところまで行き詰まった逆境に立たされている状況下で朝鮮学校からの無償化適用申請受付締切り日が11月30日、臨時国会会期は12月3日ということなら、当然、予想される国会を場とした自民党からの激しい追及に答弁のブレや言い間違い、言葉のつまり等で少しでも立ち往生した場面を見せた場合、閣僚に対する問責決議案提出が増えることになり、行き詰まった状況が益々行き詰まることになる。

 少なくとも無償化プロセスの一旦停止によって予想されている追及が回避可能となる。皮肉な言い方をすると、無償化プロセスの一旦停止が追及回避の有り難い見返りを菅内閣に与えることになる。

 もしこれが実際に追求回避の見返りを目的としたワイロ紛いのプレゼントだとしたら、菅内閣は自民党に阿(おもね)たことになる。節度を投げ捨てた阿諛追従の行動に出たということである。

 朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止が北朝鮮に対する心理的な意味合いでも実際的な意味合いでも制裁足り得ないことを考えると、残る答えはどうしても無償化プロセスの一旦停止によって無償化反対の自民党と無償化を行わないという同調姿勢を取ろうとしているとしか見えない。

 どちらの推測が正しく、どちらの推測も正しくなくても、砲撃を仕出かした国家権力とは無関係の朝鮮学校生を巻き込むことに変わりはない。朝鮮学校を生贄とした無償化プロセスの一旦停止だと間違いなく言える。

 日本政府は北朝鮮の核実験のときも北朝鮮の魚雷攻撃による韓国哨戒艦沈没事件のときも日本独自の経済制裁と共に国連安保理を舞台とした制裁活動に韓国やアメリカ共に積極的に動いてきたが、今回はまだその動きを見せていない。

 韓国は砲撃が国連憲章や朝鮮戦争の休戦協定に違反するとして国連安全保障理事会への付託を検討すると表明している。

 国連安保理の最終判断が実質的効果を持たなくても、判断の事実は残る。

 菅首相は国連安保理に判断を委ねる前に朝鮮学校無償化プロセスの一旦停止に素早く動いた。余りにも素早く。



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素人考/韓国・北朝鮮砲撃戦が全面戦争に発展した場合の推移

2010-11-24 08:50:47 | Weblog

全面戦争へと発展する可能性は殆んどないと思うが発展した場合の推移を、誰もが考えることかもしれないが、自分なりに考えてみた。

 外務省幹部1「今のところこれ以上事態が拡大する状況にはないようだ」
 
 外務省幹部2「明らかな示威行動だ」(以上下出asahi.com

 要するに何らかのデモンストレーションで終わると見ている。尤も外務省はメドベージェフロシア大統領の国後島訪問を読み切れていなかったから、その情報収集能力と情報解読能力はあまり期待できない。

 23日(2010年11月)午後2時半過ぎ、北朝鮮が北朝鮮領土から十数キロの距離にある黄海上の2000人近い住民が住む韓国領大延坪(ヨンピョン)島に向けて2度に亘って砲撃。韓国軍が応戦、韓国軍兵士2名死亡 住民3人が負傷したという。

 北朝鮮が住民が住む場所に砲撃したのは初めてだというが、最初にして最後という保証はない。その根拠の一つとして北朝鮮側発表の韓国軍が最初に攻撃したという発表を挙げることができる。自らの悪事を捏造して正義だとすることができる国家権力は正義だと捏造し得るゆえにどのような悪事を行うことにも抵抗を感じなくなるからだ。ウソつきがウソをつくことに抵抗を感じないように。

 このような権力意志のもと、日本人拉致、韓国人拉致、その他の拉致が行われたはずである。

 あくまでも仮定の話だが、全面戦争に発展した場合、在韓米軍が韓国軍と共に戦闘状態に入るのは勿論、在日米軍基地はかつての朝鮮戦争当時のように出撃基地・兵站基地の役目を担うはずである。短日月に北朝鮮軍を壊滅させるためにである。短日月の北朝鮮軍壊滅は韓国国土保全と韓国民生命保全及びその生活保全に関係していく。

 1950年6月から1953年7月休戦までの朝鮮戦争では在日米軍基地は出撃基地・兵站基地・補修基地の役目を担った。この3年間の朝鮮戦争で、米軍から発注を受けることとなった大量の物資・生産・サービス等の朝鮮特需によって日本の鉱工業生産は一気に戦前の水準にまで回復、高度経済成長のスタートを切るキッカケとなった。

 現在“世界の”と形容詞が冠せられてるトヨタは当時労働争議――いわゆるストばかり起していて、経営悪化状態にあったが、以後世界のトヨタに向けて発進していくスタートラインを築くことができた。

 HP《朝鮮戦争とトヨタ (H15年8月3週号)》に次のような一文が載っている。

 朝鮮戦争の〈この消耗戦で、日本の戦後経済は一挙に拡大した。倒産しかけて、創業社長が退陣したトヨタは、石田社長の時代になるが、トヨタも朝鮮戦争の恩恵を受けた例にもれない。

「文芸春秋」に「ザ・ハウス・オブ・トヨタ」が連載されているが、今月9月号に、丁度、朝鮮戦争の時期のトヨタのことが書いてある。当時の石田社長の言ったこととして、次のような談話が載っている。

「この数ヶ月、ワシは夢を見ているようだ。トラックも四輪駆動車もろくに塗装もせずとも、羽が生えている鳥みたいに(韓国の米軍基地を目指して)飛んでいく。中国の義勇兵がプサンまで攻め込んできたときは、値段もへったくれもなかったで。よこせ、よこせの矢のような催促じゃった。ワシも長いこと商売をやってきたが、あの時ほどボロ儲けしたことはなかったわ。戦争直後のときも(豊田自動)織機は信じられないくらい儲けたが、今度はケタが違う。」

トヨタはこの儲けを最新生産設備購入にかけた。後のトヨタ生産方式成功の裏に、この多大の生産設備投資があったこと忘れてはならない。

歴史は偉大である。〉

 トヨタは朝鮮特需で得た利益を最新生産設備購入に振り向けただけではない。当時の各種米国自動車の最新技術とそのノウハウを手に入れた。
 
 「Wikipedia/朝鮮特需」にも日本の各産業が米国技術とノウハウを手に入れたことが書いてある。

 朝鮮戦争によって〈再び産業立国になる上で重要な技術とノウハウを手に入れただけでなく、多くの雇用と外貨を確保することが出来たと言われている。これは、それまでの日本の工場生産において品質管理的手法が取り入れられておらず、とにかく数を生産すれば良いという風潮があったため不良品がそのまま出荷されるということは珍しいことではなかった。

 実際に太平洋戦争末期には工程管理という思想は一部では取り入れられつつあったが、それも不十分なものであり、工員個人の技術力により製品の品質が左右される状態は戦後もそのままであった。しかし不良品を受け取る米軍としてはたまったものではないため直接的に日本の各工場へアメリカの技術者が出向いて品質管理や工程管理の指導を行ったことにより効率的な量産が行われるようになったのである。そういう意味では日本の産業界の工場生産においては大転換期であり、戦後の高度経済成長の礎となったことは間違いない。〉――

 現在、海外に生産基地を移転した日本の企業が現地に日本人技術者を派遣、現地従業員に技術指導を行う光景が朝鮮戦争当時の日本でアメリカ人技術者相手に逆の立場で行われていた。

 日本の保守派の立場の人間が戦後日本の発展は靖国神社に祀られている戦争で命を落とした英霊たちの国を思う気持が礎となったといったことを言っているが、具体性のない丸きりの精神論に過ぎない。

 だが、今後韓国と北朝鮮が全面戦争に発展した場合、かつての朝鮮特需のような経済的僥倖を手に入れる可能性は低い。もし日本の米軍基地が出撃基地・兵站基地となった場合、出撃基地・兵站基地を叩くのが戦争勝利の鉄則である以上、現在日本を直接攻撃可能なミサイルを保持することとなっている北朝鮮は在日米軍基地を直接的な攻撃目標としない保証は限りなく小さいからだ。

 いわば韓国と北朝鮮が全面戦争に発展した場合、日本も無傷では済まないのではないだろうか。

 そのとき自衛隊はどうするかである。憲法上は専守防衛を鉄則として、ミサイル撃墜に務め、攻撃は米軍の役割としなければならない。
 
 平成22年(2010年)版 防衛白書の冒頭、現防衛相の北沢俊美が「平成22年版防衛白書の刊行に寄せて」の一文を載せている。

 〈昨年9月、政権交代という大きな歴史的転換がありました。これに伴い、防衛に関わる事項についてもいくつかの見直しを行いました。一方、今後とも、日本国憲法の下、専守防衛に徹し、他国に脅威を与えるような軍事大国とならないとの基本理念に従い、日米安保体制を堅持するとともに、文民統制を確保し、非核三原則を守りつつ、節度ある防衛力を自主的に整備するという、防衛政策の基本については、維持していきます。〉――

 この「今後とも」以下が日本の防衛の原則である以上、韓国と北朝鮮の万が一の全面戦争にも適用させれることになる。

 一方で攻撃されたなら、攻撃国の敵基地攻撃も専守防衛の範囲に入るとする主張もある。平成16年版「防衛白書」を引用した、いささか古いHP専守防衛下の敵地攻撃能力をめぐって ――弾道ミサイル脅威への1つの対応――》に敵基地攻撃について書いてある。

 〈はじめに

日本の防衛政策の基本をなす考え方は、専守防衛である。防衛白書の説明を引用すれば、専守防衛とは、「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する自衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢」ということになる。

「受動的」である以上、敵を自国に迎え撃つことが前提となるわけだが、実際には、専守防衛に基づく日本の防衛政策の中にも、敵地を攻撃する発想が皆無なわけではない。「日米防衛協力のための指針(いわゆるガイドライン)」では、必要な場合には米軍がそうした任務を遂行すると定められてきた。また、現時点で自衛隊はそのための能力を有していないが、「他に適当な手段のない場合」においては、「座して死を待つ」のではなく、一定の制限の下で攻撃的行動を行うことは、法理論上は認められていると解釈されてきた。〉――

 防衛省は北朝鮮が日本に対してミサイル攻撃をしてきた場合の防衛について既にシュミレーションしているはずだが、官僚に任せるのではなく、政治家が国民の目に見える形で議論し、最終的な防衛方法は国民の判断に委ねるべきだろう。勿論その結果に対する責任は政治家と国民が共に負うことになる。

 全面戦争の結果、北朝鮮の金正日独裁政権が崩壊し、南北統一へと進まざるを得なくなったとき、多分戦争中から北朝鮮国民が難民となって中国や日本、韓国に殺到することになることが既に予想されている。

 その負担を国際的責任として日本は引き受けなければならないことも予定表に入れておかなければならない。当然、財政の負担を伴うが、財政負担はこれだけで終わらない。

 南北統一のコストに韓国一国では負担仕切れない場合の日本やその他の先進国の負担である。コストがどのくらいかかるか、それを伝える最近の記事がある。《朝鮮半島の統一、実現に必要なコストは250兆円》ロイター/2010年 09月 14日 15:47)

 9月14日(2010年)公表の全国経済人連合会(全経連)がエコノミスト20人に実施した調査を纏めたリポート。

 南北統一コスト――約3500兆ウォン(約250兆円)
 
 最大のコスト要因は南北間の経済格差を埋めるための取り組みになるとの見方が約半数を占めたという。

 全経連「南北間格差を長期的に最小にするためのコストが、統一の初期コストより大きくなるとみられる」

 これは〈2008年の平均年収の比較で、韓国が約1万9230ドル(約161万円)であるのに対して北朝鮮は約1065ドル(約8万9000円)〉という約18倍の差を埋めるコストだとしている。

 統一時期は、〈向こう5年以内に朝鮮半島の統一が実現すると考える回答者は1人もいなかったが、約半数は10─20年以内には統一があり得ると考えていることも分かった。〉としている。

 韓国政府も統一を予想してだろう、韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領が先月(8月)、将来の南北統一に向けた資金を確保するため「統一税」の導入を提案したという。

 全経連「韓国経済に与えるショックは短期的には大きいが、長期的には統一はポジティブだ」――

 だが、この「10─20年以内」の統一は万が一の不測の事態を予定に入れた予測ではあるまい。不測の事態を考慮した場合、好むと好まざるとに関係なしに否応もない統一を迫られる事態が生じない保証はない。1年以内ということもあるし、2年以内ということもある。

 この南北統一コスト約3500兆ウォン(約250兆円)は韓国の2010年予測の実質国内総生産(GDP)1000兆ウォン(約76兆円)の3倍強に当たる。

 日本の平成22年度一般会計予算が約92兆円、同特別会計予算の純計額が約176.4兆円と比較しても、統一コストの約3500兆ウォン(約250兆円)がどのくらいの膨大な金額か理解できる。

 とても韓国一国で担うことができる金額ではない。南北統一によって韓国自体が不安定化した場合、北東アジアの不安定化に発展しない保証はない。統一コストにしても国際平和のために日本を含めた先進各国が分担し合うことになるにちがいない。その財政負担を国民は覚悟しなければならない。

 かつての朝鮮戦争のときのようにいいことだけで終わらないということである。但し金正日独裁政権が崩壊した場合、拉致問題解決は進展する可能性が生じる。日本にとってのメリットは北朝鮮の脅威が取り除かれることと拉致解決進展への期待ぐらいかもしれない。 

 政府は砲撃戦を受けて直ちに対策を講じた。《政府が情報連絡室を設置 収集と分析急ぐ》asahi.com/2010年11月23日21時10分)

 昨23日夜、菅首相が首相官邸で仙谷由人官房長官や北沢俊美防衛相らによる関係閣僚会合を開き、北朝鮮と韓国の砲撃戦への対応を協議。次の指示を行う。


(1)北朝鮮の今後の動向について情報収集に努める
(2)韓国、米国などと緊密に連携する
(3)不測の事態に備えて国民の安心安全の確保に万全を期し、陸海空自衛隊の情報収集態勢を強化
   する

 前原外相「今回の事態は極めて遺憾だ。北朝鮮による挑発的行動はこの地域の平和と安定を損なうものであり、速やかに中止することを求める」

 記事は書いている。〈今回の局地的衝突が拡大して在韓、在日米軍が出動するような事態になれば、日本の自衛隊になんらかの協力が要請される可能性もある。〉――

 対して北沢防衛相。

 北沢防衛相「万全の態勢をとる」

 この「万全の態勢」が北朝鮮の日本攻撃を想定した「万全の態勢」なのかどうか分からないが、想定した「万全の態勢」だったとしても、専守防衛の範囲内の「万全の態勢」であろう。

 菅首相の指示にある「不測の事態に備えて」にしても、どの範囲までの「不測の事態」なのか、具体的な詳細を明らかにしていない。不測の事態が起きてからでは遅い。国の防衛、国の安全保障について国民と共に議論する時期にきているのではないだろうか。日本の政治と外交が自立するためにも必要なはずだ。

 但し、この自立が軍事大国になることであってはならない。軍事大国にならなければ、政治と外交を国際的に機能させることができないと言うのは政治的想像力(創造力)を欠いた政治家が言うことであろう。


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柳田辞任会見と那覇地検中国人船長釈放記者会見から見る“ハチの一刺し”

2010-11-23 09:15:37 | Weblog

マスコミは柳田法務大臣の辞任は事実上の更迭、詰め腹を切らされたと解釈しているが、菅首相はあくまでも柳田法務大臣の自発的な辞任だとしている。

 22日(2010年11月)午後、大相撲ファンなら、早く終えろとヤキモキしていた時間、自民党の丸川珠代議員が菅首相に対して柳田辞任に関して質問していた。(途中から)
 
丸川議員「ようやく柳田大臣が辞任しました。しかしこの辞任の経緯は極めて不思議です。昨日の夜まで、やらなきゃいけないことがあると言って、続投宣言をしていた。カメラの前で堂々としていたのが、今朝になったら、コロッとやめるとおっしゃった。

 コロコロと簡単に変わるのは民主党のDNAなんでしょうか。鳩山前総理は辞めると言って、辞めるのをやめた。菅総理大臣は消費税10%と言って抱きついたかと思ったら、突然過ぎた(?)。古くは前原さんが代表だったときの、永田メール事件。民主党政権は平気でウソをるくDNAがあるのじゃないかと思いますが、正直申し上げて、菅総理、あなたはこの法務大臣を、辞めてよかったと思いますか。それとも続けて欲しかったと思いますか」

 菅首相「先程、オ、経緯を申し上げましたが、最終的にはご本人の判断で、エー、辞表を提出されました。私は、アー、この席でも申し上げましたように、エー、柳田、ア、さんには、十分、アー、法務大臣を務める、ウ、能力があるというふうに思って、エー、任命をいたしました、アー、が、今回はご本人が、ア、予算、補正予算に対してですね、エー…、迷惑をかけることは、ア、思うところではないということで、エー、自らの判断として、辞表を出されましたので、ア、私もそれを受け止め、受け取りました」

 丸川議員「もう一度伺いますが、柳田さんに法務大臣を続けて欲しかったと思っているのか、それとも辞めて貰いたかったと思っているのか、どちらですか」

 菅首相「この間、アー、私は、柳田、アー、法務大臣、前法務大臣に、エ-、これからも頑張りたいと、言われておりましたし、エー、その中で、ま、色々と野党のみなさんからの、激しい、ま、色んな、アー、議論や、色んな主張もありまして、予算案についてですね、色々影響が、アー、出てきそうだという状況の中で、エー、ご本人が最終的に、判断をされて、エー、辞表を出されましたので、エー、それを受け止めたと言うことであります」

 丸川議員「じゃあ、何で柳田法務大臣、官邸にお呼びになったんですか」

 菅首相「(委員長に向かって)ちょっと静かにしてもらいたい。ちょっと静かにしてもらいたい。先日来、あるいはもっと前からですね、色々と、この場でも、野党のみなさんからも色々と厳しい意見もいただいておりました。シ、しかし、それに対しては私は先程来申し上げておりますように、ご本人が反省してですね、エー、これからも頑張るという姿勢で、エ、望まれ、私も、オー、そうして貰いたいということを申し上げてきました。

 ま、しかし、イー…、色々状況は、アー、なかなか、アー、厳しさが増している中で、エー、今日、オー、朝、私の方から、アー、柳田大臣に、一度、オー、官邸にお出ましをいただきたいということで、お出でをいただいて、話をする中で、エー、最終的にはご本人が、アー、そうした、形で、エー、辞表を提出されたということであります」

 こういった調子で辞任は柳田法相による自発的辞任だと押し通し続けるが、この間の答弁を見ただけで、ただ回りくどいだけのことで、如何に合理的判断能力に欠けた会話術であるかが分かろうというものである。

 「あくまでも自発的辞任です」のみで片付ける、あるいは、「本人の判断による辞表提出です」、このあと、丸川議員がなぜ慰留しなかったのか追及したが、「慰留はしなかったのは本人の意志が固く、却って慰留したのでは本人の意志を無駄にすると思って慰留しなかった」程度で簡潔に片付ければいいものを、アー、ウー、エーを入れて、回りくどく長々と答弁する。

 このことの典型箇所が、「柳田、アー、法務大臣、前法務大臣に」と、正確を期しても始まらないことにわざわざ「前法務大臣」と言い直しているところに特に現れている。野党の追及を簡潔にふてぶてしくかわすだけの力量を持ち合わせていないから、必要でもないことをバカ丁寧で替えることになる。

 大体が言葉を整える目的からではなく、次の言葉を探す目的でアー、ウー、エーが無闇入る途切れ途切れの苦し紛れな答弁はスムーズに次の言葉が出てこないということなのだから、事実どおりのことを話していない疑いが濃い。

 菅首相が法相辞任は自発的辞任だとしているのに対して柳田法相の辞任記者会見はそうとはなっていない。(動画から冒頭部分を参考引用。)

 《柳田法相が辞任を表明 ノーカット動画》日テレNEWS24/2010年11月22日 20:26)

 柳田法相「(記者に)よろしいですか。いい?

 おはようございます。エー、急にお集まりをいただきまして、ありがとうございます。エー、今朝8時に、官邸に参りまして、エー、総理、そして、エー、官房長官、エー、そして私、エー、お話をさせていただきました。エー、総理の方から、エー、この補正予算、国民生活を考えると、エー、何と言っても、速やかに通さなければならないと、エー、お話がありました。

 エー、私の、広島での、不用意な、発言が、色んなところで、エー、影響をして、参りまして、エー、補正についても、みなさんにもご存知のように障害になりつつ、なってきたと、エー、いうことを考えて、エー、補正を速やかに通すべく、エー、私の方から、エー、身を引かせていただきますと、エー、いうことで、辞意を総理にお伝えさせていただきました。

 エー、総理の方からは、エー、この辞意を受け取っていただきました。エー、書類については、その場で、エー、書かせていただきました。以上です」(以下の記者からの質問と回答は省略)

 柳田法相の「エー」は言葉を選ぼうとする意志からの「エー」であろう。

 柳田法相は発言の最後の方で、「私の方から身を引かせていただきますということで、辞意を総理にお伝えさせていただきました」と、自発的辞任であるかのように言っているが、最初のところで、「総理の方からこの補正予算、国民生活を考えると、何と言っても速やかに通さなければならないとお話がありました」と言っていることからすると、首相側が第一番に補正予算案通過を最優先利害としていたことが分かる。

 その最優先利害の実現条件が、実現のための交換条件と表現してもいいが、法相辞任であったということであろう。それが、「補正を速やかに通すべく私の方から身を引かせていただきますということで、辞意を総理にお伝えさせていただきました」と言っている言葉に表れている。

 このことは辞任が不適切発言から問われることになった法相としての資質・適格性そのこと自体を理由としたものではなく、そのことが影響を及ぼすこととなった補正予算案の国会通過問題となっている経緯からも窺うことができる。
 
 辞任が本人の自発的意思だと全面的に持っていって吹きすさぶ暴風雨から雨粒一つ濡れずに事勿れに凌ぎたい菅首相からしたら、「総理の方からこの補正予算、国民生活を考えると、何と言っても速やかに通さなければならないとお話がありました」は言って欲しくない内幕暴露に相当するはずである。

 だが、柳田法相は婉曲的な言いまわしで敢えて言った。

 翻って、那覇地検の中国人船長釈放記者会見を改めて見てみる。

 鈴木亨次席検事「衝突された巡視船の損傷の程度が航行ができなくなるほどではなく、けが人も出ていない。船長は一船員であり、衝突に計画性が認められない」

 鈴木亨次席検事「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でないと判断した」(以上asahi.com

 他にも政治介入を疑わせる要因はあったとしても、政治介入疑惑の最大の根拠は「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でないと判断した」の次席検事の発言であり、この発言に基づいた野党の追及が国会で続き、国民もこの発言から政治介入を疑って、結果として菅内閣の支持率を下げせしめたことからすると、菅首相側からしたら、決して言って欲しくない発言であったはずである。

 だが、次席検事は言った。こちらは検察にふさわしくない政治判断となっている。

 上の立場にある者が言って欲しくないことを下の立場の者が敢えて言うこの構図から誰もが考えることは、上に対して何らかの不満があり、その不満の仕返しを上に対する抗議の意思に替えて報いるということであろう。

 あるいは上の立場にある者が下の立場の者に言って欲しくない事柄を抱えているということはそれが秘密にしておきたい事柄であって、下の者にとってはその秘密の存在を間接的に示唆することで抗議の代わりとするということであるはずである。

 柳田法務大臣の方は自発的な辞任の意思はなかったが、補正予算と国民生活を楯に因果を吹き込まれ、自発的辞任の形にされたことへの不満であり、那覇地検の方は、多分内閣の方から逮捕せよとの指示があり、逮捕した中国人船長を国内法に従って粛々と起訴に持ち込み、裁判所の判断を仰ぐ予定でいたが、今度は釈放せよとの指示があって、検察側に一切の決定とその責任を押し付ける形で処分保留のままでの釈放に持っていかざるを得なかったことの不満があった。

 あくまでも状況証拠に過ぎないが、上の立場にある者が言って欲しくないことを下の立場の者が敢えて言うことの抗議は下の者の上の者に対する可能な限りのささやかな抵抗に相当することを考えると、抵抗の形とした発言から否定し難い事実が浮かんでくるはずである。

 1976年に発覚した田中角栄のロッキード事件でロッキード社からの5億円の金銭授受の橋渡し役を務めた田中角栄の秘書官の榎本敏夫は裁判で全面否認したが、1981年に離婚した妻の榎本三恵子が検察側証人として出廷、二人の発言の中でカネを受け取っていたことを認めていたと証言、有罪の決定的要因となったが、後に記者団に彼女が話した「ハチは1度刺したら死ぬ。私もその覚悟」は女の恨みを晴らす象徴的言葉として「ハチの一刺し」という流行語となった。そのイキサツは多くが知るところであろうが、柳田法相と那覇地検が上の立場にある者が下の立場の者に言って欲しくないことを敢えて言った抗議、あるいは抵抗には共通した心理としてあった、「ハチの一刺し」ではなかったろうか。

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柳田法相、「法を犯して話すことはできない」を楯に事実を隠すこともできる

2010-11-22 10:25:36 | Weblog

 柳田法相が今月11月14日(2010年)、地元広島市で開催の大臣就任任祝賀会で、多分上々機嫌の気分全開状態にあったのかも知れない、そこでの発言が国会軽視に当たると辞任要求、本人は拒否、菅首相も辞任必要なしと擁護の姿勢。自民党は今日22日(2010年11月)、参議院に法相に対する問責決議案を提出する姿勢でいる。

 但し柳田法相は問責決議案が可決されても辞任しないと言明。

 (この記事を校正しているとき、テレビで柳田法相が辞任を決意、これから記者会見を開く予定と伝えていた。)

 問題となった発言箇所。

 《法相の14日の広島市発言要旨》47NEWS/2010/11/17 16:36 【共同通信】)

 柳田法相「法相はいいですね。(国会答弁では)二つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』。これはいい文句ですよ。これがいいんです。分からなかったらこれを言う。だいぶ(この答弁で)切り抜けてまいりましたけど、実際の話、しゃべれない。あとは『法と証拠に基づいて適切にやっております』。まあ何回使ったことか。使うたびに野党からは攻められる。「政治家としての答えじゃないじゃないか」とさんざん怒られている。ただ法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です。『法を守って私は答弁しています』と言ったら『そんな答弁はけしからん。政治家だからもっとしゃべれ』と言われる。そうは言ってもしゃべれないものはしゃべれない」

 「これはいい文句ですよ。これがいいんです。分からなかったらこれを言う」、「まあ何回使ったことか」とは大分ふざけた話だ。

 野党から攻められても、「そうは言ってもしゃべれないものはしゃべれない」は野党を小馬鹿にした上での開き直りであろう。

 言ってよい冗談と言って悪い冗談がある。もし職務に真摯に取り組んでいたなら、こういった発言は飛び出さなかったに違いない。

 但し柳田法相は、「ただ法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」、「しゃべれないものはしゃべれない」と自己の答弁態度を堂々と自己擁護している。

 だが、この「ただ法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」は、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」「法と証拠に基づいて適切にやっております」のふざけた、不謹慎極まりない発言をしたあとの、そのような発言を受け継ぎ、発した「ただ法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」である。

 いわば不謹慎でふざけた意識を連続させていた中での発言――茶化した発言と看做さざるを得ず、「二つ覚えておけばいいんです」としたふざけた発言を法に従った正当な答弁だと茶化して正当化する魂胆からの「法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」だとしなければ、前後の脈絡に整合性を与えることはできないはずである。

 逆説するなら、茶化しの正当化を楯とした「個別の事案についてはお答えを差し控えます」「法と証拠に基づいて適切にやっております」の茶化しであり、その点で、当然のこととして一体性を備えていた一連の発言ということであろう。

 次のようにも言える。 「法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」だとからかいながら偽った。

 柳田法相の国会答弁で問題となっていたのは尖閣事件の中国人船長処分保留のままの釈放への政治介入の有無に関する答弁であった。勿論、政治介入なしが菅内閣一致の姿勢であり、一致した答弁であった。

 だが、このことに関した自身の一連の国会答弁から得た教訓を柳田法相は、「法相はいいですね。(国会答弁では)二つ覚えておけばいいんですから」云々と、その程度だとした。

 いわばその程度の答弁で野党の質問を片付けてきた。植木等の「サラリーマンは気楽なもんだよ」の『スーダラ節』ではないが、「法務大臣は気楽なもんだよ」といわば歌った。その正当化に「法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」を持ってきたということであろう。

 もし真摯な気持で「法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」という姿勢を持ち、その姿勢を前提として答弁に臨んでいたなら、決して「二つ覚えておけばいい」といった軽々しい態度を示すことできなかったろう。

 例え茶化しであっても、ではなぜ、「個別の事案についてはお答えを差し控えます」「法と証拠に基づいて適切にやっております」の正当化の口実に「法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」を持ち出したのだろうか。

 この「法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」を唯一正当性ある発言とすることができるのは、中国人船長処分保留のままの釈放関わる野党質問への答弁についてのみである。

 それを茶化しに使ったということは正当性と正当化の狭間で何らかの事実を隠しているからであろう。政治介入があったのではないかとする野党の疑いの上に立った執拗な追及に対して疑いと事実の危ういバランスを保ちつつ事実を隠しおおす答弁を果たし得ていて、「法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」とつい茶化す気になった。

 真摯な態度で常に答弁に当たっていたなら、「二つ覚えておけばいい」といった軽々しい態度を取ることできなかったの同じく、中国人船長処分保留のままの釈放に何ら事実を隠していなかったなら、「法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」と茶化しに使うことはできなかっただろう。

 いわば国会答弁で事実を隠してきた成功体験が大臣就任祝賀会の席で、アルコールを嗜んでいたなら、酔いも手伝った気分全開の気の緩みから、「法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」と茶化すこととなった。

 この証拠の一つを国会答弁から見ることができる。既に新聞記事となっているが、10月14日(2010年)の参議院予算委員会。質問者は自民党の山本一太議員。

 山本一太「検察が、この中国人船長の釈放を、決めた理由、その判断の基準は何なんでしょうか」

 柳田「エー、少々お時間を貰いまして、詳しくお話をさせてもらいたいと思います。エー、私が釈放を決める前に(議場内からどよめきが起きる)、あー、すみません、すみません(と手を振る)。エー、(笑いながら)刑事、検事当局が(委員長「ご静粛にお願いします」)検事当局が釈放を決める前にも、折々に色んな報道を、エー、聞いておりました。その上で釈放に当たって、エー、釈放に当たって、そのときにも刑事局長から説明を受けました。・・・・」

 中国人船長の釈放に関して政治介入は一切なかったが事実なら、あるいはそこに政治介入があったとする事実を一切隠していなかったなら、柳田法相にとっては自身が釈放を決めるという事実にしても存在しなかったことになるのだから、存在しなかった事実に忠実に即した発言が出て然るべきであるが、事実とは正反対の言葉を口にした。
 
 このことを単なる言い間違いで片付けていいものだろうか。この1ヵ月後の大臣就任祝賀会でのふざけた、軽率極まりない茶化し発言である。前者の事実を反映させた後者の事実であるべきであり、例え後者が冗談であっても、冗談の中に前者の事実は事実として反射するはずだから、後者の茶化しの事実と相互反映した前者の「私が釈放を決める前に」の発言であり、急いで取り消すことで事実を隠しおおすことができた成功体験の大いなる一つと見るべきだろう。

 「法相が法を犯してしゃべることはできないという当たり前の話です」を正当化理由の楯として、いくらでも事実を隠すことができるということである。

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社会保障費圧縮のための全国民対象の健康履歴導入を

2010-11-21 06:28:26 | Weblog

 平成20年度に年金、医療、福祉等で支払われた社会保障給付費が過去最高を更新したと11月12日(2010年)の報道が伝えていた。《社会保障給付費 過去最高を更新》NHK/10年11月12日 16時49分)

 前年の平成19年度も過去最高で、2兆6500億円余りの増加、率にして+3%近く、94兆848億円と記録を伸ばしている。この約2兆6500億円の増加は消費税1%分の税収が約2兆円だそうだから、1%税収以上の負担となる。

 尤もこの過去最高の更新は毎年過去最高の更新を繰返していて、その流れを受け継いだ過去最高だというから、今後とも過去最高の更新が年々繰返されていく傾向を示すことになる。

 世代別では当然と言うべきか、平成20年度分94兆848億円のうち、高齢者への支払いが全体の7割近くを占める65兆3597億円と圧倒的金額となっている。

 当然このことは部門別統計を見ても、高齢者がより関与する年金、医療、介護の分野の社会保障給付費にも現れることにる。
 
▽年金――49兆5443億円(全体の半分以上)
▽医療――29兆6117億円
▽介護や失業給付などを含む「福祉その他」――14兆9289億円

 国立社会保障・人口問題研究所「今回の社会保障給付費の伸びは高齢化の進展に加え、雇用情勢の悪化によって、失業給付を受ける人が増えたことも要因だ」

 菅首相は消費税を増税して社会保障関連の予算にまわして介護や医療分野に集中的に予算を投じてそこに雇用を生み、雇用が生れれば、働いて税金を払うことになって税収が増え、財政再建にもつながり、景気が回復していくと言っていたが、消費税発言が災いした参院選大敗以降、余程懲りたのか消費税に関しては殆んど発言しなくなった。だが、景気対策を述べる段になると、何を財源とするのか触れぬままに介護・医療分野に予算を投じて雇用を増やし、そこに税源が生れるといったことは機会あるごとに滔々と喋りまくっている。

 2008年1月15日にブログ《医療給付費・医療費の差別化を》に、自身の健康を自己管理させて、先天性・後天性に関わらず体質や遺伝からの難病を除いて、本人の不注意や不摂生が原因の病院治療の場合の自己負担額を増やし、自己管理できた者の負担を軽くする方向に持っていく。そのためにはすべての健康診断と病院治療歴を一生を通して記録し、管理できていたかいなかったかを審査して、治療費支払いの参考とするといったことを書いた。

 健康の「自己管理」とは自己責任制をいう。自己の責任に任せる。

 今後の少子高齢化の進行、無闇発行できなくなった国債、先進国中最悪の財政赤字と緊急を要する財政再建化等を考えると、消費税を増税するだけではなく、年々過去最高を更新していく天井知らずの社会保障給付費を本人負担に頼るだけではない抑制策を講じる必要があるはずで、再度この記事で健康の自己管理に応じた治療費の自己負担制によって社会保障関連の経費を削減する方法としてどうだろうか書いてみることにした。

 先ず暴飲暴食等の不摂生から発症した病気の治療、不注意から負った怪我の治療等に対しては個人負担を増やすとする法律による取り決めのもと、1歳未満の乳幼児健康診査に始まって、幼稚園・保育園の定期健康診断(実施していないなら、実施する)、小中高大学の定期診断(大学は実施していなけば、実施すべきであろう)、そして会社に於ける定期健康診断、さらに個人的にかかった病院の治療の際も、例え指の治療であっても、血液検査と飲酒量、喫煙量、現在心がけている健康法等の問診を行い、それらを記録して、国民一人ひとりの健康履歴をつくり上げていき、そこから逆に不摂生や不注意による病気かどうか判断して、治療費に差別化を図っていく。

 飲酒量や喫煙量、あるいは何ら健康維持を図っていないといった生活習慣に加えて健康診断や血液検査から不摂生な生活を送っていると判断できる患者に対しては、その患者が大きな病気を起す前に、もし大きな病気を起した場合は自己負担がかなりの額になると医者が注意することも生活習慣病の抑制につながるはずである。

 生活習慣病の抑制は医療給付費や介護給付費の抑制にもつながっていく。国民の健康増進にも勿論のことつながっていくはずである。

 不摂生や不注意による治療は自己負担額が増えるとする取り決めだけで、国民はそのことを意識することになり、生活習慣病の抑制や自動車事故等の抑制につながり、その反動として健康の増進に向かうはずである。

 健康履歴を管理するためには国民総背番号制の導入が必要となる。

 勿論、健康履歴制度の導入によって役所の仕事が増え、その経費が必要となるが、生活習慣病等の自己責任に関わる病気に対する自己負担額増額による社会保障給付費の抑制と健康を自己管理するための個々の投資による経済効果も期待でき、差引きプラスが見込めると思うがどうだろうか。

 また健康自己管理(=生活習慣病抑制)のススメは年間3万人を超える自殺者の抑制効果ともなるはずである。

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