鳩山法相「私の友人の友人がアルカイダ」・講演で発言、後に修正(日経/07.10.30)
鳩山邦夫法相は29日、日本外国特派員協会で講演し、「私の友人の友人がアルカイダ。何度も日本に来ていたようだ。(2002年10月の)バリ島の中心部の爆破事件に絡んでいたが、『中心部は爆破するから近づかないように』というアドバイスを受けていた」などと述べた。
爆破事件を事前に知っていたとも受け取れる発言だけに、鳩山法相は記者団の要請に応じる形で講演後に急きょ記者会見。趣味であるチョウ研究の仲間からの伝聞とした上で「(爆破予告の話はこの仲間から)3、4カ月後に聞いた」と修正し「(発言は)舌足らずで反省している」と釈明した。
「友人の友人がアルカイダ」と述べた点については「アルカイダ本体であるとは聞いていない。過激派グループに協力している人かもしれない。断定的なことを言える状況ではなかった」と修正したが、「確かめたわけではないが、(予告の電話が)仲間にあったのは間違いない事実と思っている」と強調した。(21:21)
人前で話すことではなく、公安当局とかに通報して、以後の様子を見守る問題だと気づかないところが凄い。
鳩山法相、アルカイダ発言を陳謝(07.10.30/11:11・日刊スポーツ)
鳩山邦夫法相は30日午前、「友人の友人がアルカイダ」などと発言したことに関し、閣議前の懇談の席で福田康夫首相に「首相まで(記者から)質問を受けることになり、心配をかけて申し訳ない」と陳謝した。首相は「そうした事柄(テロなど)を防止する役目だから、しっかりやってください」と諭した。
ただ、鳩山氏は閣議後の記者会見で「知り合いの知り合い(がアルカイダに関連する)ということは間違いない」と重ねて説明。「国際的な信用を落としかねない」との質問に対しては、「事実を言ってはいかんということか。国際的な信用にかかわるとは思わない」と反論した。
町村信孝官房長官も閣議に先立ち、鳩山氏に対し発言は「軽率だ」などと注意した。町村氏はその後の会見で「いかにもテロリストを日本の法相が知っているという誤った印象を与えたのは遺憾だ」と強調した。
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バーなどで酒を飲んで気の大きくなった男が、「オレは誰それを知っている」と組関係の名前や地方議員の名前を出して、如何にも自分が顔の広い人間であるか思わせようと自慢げな態度を取っている場面に出くわすことがあるが(最近はカネがなくてとんとバーといった飲食店に出入りすることはなくなったが)、それが事実だとしても、自己評価を高めるために他人の名声や職業、あるいは地位との結びつきを利用する。それは自分自身がそのような名声や職業、あるいは地位を持っていいないことの裏返し行為であって、そのことに気づかない幼稚な精神年齢がそうさせている自己評価宣伝であろう。
多分鳩山邦夫は親譲りの資産(カネ)と、同じく親譲りの二世議員としての知名度以外にこれが日本の国務大臣の資質だと誇れる政治的創造性をこれといって持っていないことと、日本人の間では親譲りの資産(カネ)と二世議員としての知名度だけで顔を大きくしていられるが、日本外国特派員協会という外国人の間では政治家が発する「言葉」こそが政治的創造性の証明・政治家の条件となることから、ついアルカイダの人に恐怖心を抱かせる凄さを借用して、「友人の友人がアルカイダ」だ、凄いだろうと自己評価を高めようとしたのではないだろうか。
勿論政治的創造性のかけらも持たないことの裏返し行為から出た精神年齢が幼稚な人間でなければできない自己評価宣伝に過ぎない。
本人はマスコミの「国際的な信用を落としかねない」との批判に、「事実を言ってはいかんということか。国際的な信用にかかわるとは思わない」と自己正当化に視野を固定させているが、日本の国務大臣の言葉の程度(=政治的創造性の程度)はこの程度なのかと外国人特派員たちの軽蔑を誘ったことは間違いないだろう。当然、その軽蔑は「国際的な信用」に関わっていく。
尤も日本の一国務大臣如きの「国際的な信用」など今更ながらに問題にされることはないかもしれない。安倍前首相が首相職を無責任に投げ出したとき、一国務大臣を超えた日本の首相の「国際的な信用」を既に落としているのである。
少々時間のトウが立った記事だが、首相辞任、海外でも酷評 (07.9.14『朝日』朝刊)
生ける屍、翼が短かったタカ、日本流のハラキリ・・・・。安倍首相の辞意表明を受けた海外主要メディアの報道ぶりはいささか辛口だった。
13日付米紙ワシントン・ポストは、安倍首相が7月末の参院選で惨敗して以来、「生ける屍だった」と酷評。ニューヨーク・タイムズは「闘う政治家」と自らを表現したが、「明らかに闘う度胸は持っていなかった」と戦意喪失の様を紹介。タイミングも「不可解だ」としている。
英フィナンシャル・タイムズは1面のほか特集面で就任から退陣までを伝えた。東京在住の外資系ヘッジファンド社長の「武士道ではない、臆病者(チキン)だ」との談話を使い、参院選直後にやめるべきだったと指摘。インディペンデント紙はスローガンの「美しい国」と国民の生活に即した関心との「格差」などから「『権力のおごり』の教科書だ」と批評した。
イタリアの有力紙レプブリカは小泉首相と比較し「前任者がもたらした進歩をすべて無駄にした」と酷評。「若い才能と目されていたのに、彼の政府はへまと素人的振る舞いにさいなまれていた」とした。
ドイツの経済紙ハンデルスブラットは、就任当初は中国や韓国との関係改善などに取り組んだが成果がなかったとし、「政権は風に揺れる竹のようにいつも外因になびていた」と表現した。
「日本流のハラキリ」の見出しで、アルゼンチンのニュースサイト「ウルヘンテ24」は「スキャンダルで5人の閣僚が辞任や自殺をし、首相は351日の間、ひ弱な政権を守るのに必死だった」などとこき下ろした。
また英BBCのスペイン語版サイトは「翼が短かったタカ」との記事を掲載。その政治姿勢と任期の短さをあらわした。
韓国紙はほぼ全紙が1面で辞任を伝え、「運もなかったが、危機管理、内閣統率はどうしようもない水準との評価を受けた」(朝鮮日報)、「最後までちゃんと判断できなかった」(中央日報)と評した。就任直後に中韓を訪れ、アジア外交の立て直しを図ったが、積極的に評価する論調はほとんどなかった。
中国では新華社通信が「安倍政権が国民の支持を失い、自民党内でも求心力がなくなったため」と論評。「タカ派、麻生氏が後任へ」(英字チャイナ・デイリー)などと早くも「ポスト安倍」に関心が集まっている。同紙は麻生太郎自民党幹事長が外相時代に「中国脅威論」を強調して日中関係を悪化させたと指摘。人民日報系の国際報道紙・環球時報も「知名度は高いが、失言が多い民族主義者」と警戒を示した。
ロシアの主要紙コメルサントは「日本は政治的カオス(混乱状態)に入った」と報じた。ブレーミャ・ノボスチェイ紙で日本専門家のクナーゼ元外務次官は「麻生氏ら後継候補は古い形の政治家。小泉前首相のように意外性を得意としないので、日ロ関係でも特に政策変更はないだろう」との見方を示した。
一方で、台湾では安倍首相を「親台派」とする見方が一般的で、論調は惜しむ声が圧倒的。対日窓口「亜東関係協会」の羅福全会長はコメントを発表し、「安倍首相の下で日台関係は(72年の)断行以来、最高の状態になった」と称賛した。
香港紙「明報」は社説で、安倍首相が靖国参拝問題でアジア諸国に配慮を見せた点を高く評価したが、「それが安倍政権が放った唯一の輝きだったとも言える」とした。
北朝鮮も報道
北朝鮮の朝鮮中央放送と平壌放送は13日午後5時の定時ニュースで始めて安倍首相の退陣について報じた。論評は加えていない。ラジオプレス(RP)が伝えた。安倍首相が12日に行った退陣会見の発言を引用。「安部政権はわずか1年で幕を下ろすことになった」とした。(ソウル)
「翼が短かったタカ」とは的を得た優れた批評ではあるが、日本の総理大臣が失った「国際的な信用」と比較したなら、鳩山邦夫の「国際的な信用」など、相手にされない分、高が知れていると言わざるを得ない。まさしく「国際的な信用にかかわるとは思わない」である。あなたは正しい。
昨日(07年10月29日)の衆院テロ特別対策委守屋武昌証人喚問の冒頭部分をNHK中継から。委員長深谷隆司自民党衆議員。
先ずは誰が国会で証人喚問を受けてもいいように(身のまわりにはそのような大層な人物はタダの一人としていないが)、その備えに委員長による証人への注意事項から。
深谷委員長「証人に証人を求める前に証人に申し上げておきます。昭和22年法律第22号議員に於ける証人の宣誓及び証言等に関する法律によって、証人に証言を求める場合にはその前に宣誓をさせなけれならないことになっております。宣誓方が証言を拒むことのできるのは先ず証人、証人配偶者、三親等内の血族、もしくは二親等内の姻族、またはこれらの親族関係がある者、および証人の後継人、後見監督人、または補佐人とする者が刑事訴追を受け、または有罪判決と受ける恐れのあるときであります。証人が宣誓または証言を拒むときはその事由を示さなければならないことになっております。証人が正当な理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは1年以下の禁固または10万円以下の罰金に処せられ、また宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは3月以上10年以下の懲役に処せられることになっております。以上のことをご承知置きいただきたいと思います」
次に宣誓書の読み上げ。
深谷委員長「では守屋クン、宣誓書を朗読してください」
守屋クン「宣誓書、良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、また何事も付け加えないことを誓います。平成19年10月29日守屋武昌」
「良心に従って述べ」る資格ある者は良心を持っている者に限るのはごく当然のことなのだから、精神分析医とかの多くの識者に先ず良心を持っているかどうか判定させ、持っていると確認できた場合に限って宣誓を行わせ、良心を持っていないと判定されたなら、宣誓なしで証言台に立たせるべきであろう。良心に従って真実を述べないと最初から分かっていて手間が省けると思うが。
深谷「宣誓書に署名・捺印してください」
次に深谷委員長による総括質問と守屋証人の答弁。質問によって証人喚問を受けるに至ったかの経緯が明らかとなり、答弁の進行に応じてそれぞれの問題に証人がどう対応しようと策を練っていたか、そのシナリオを予め用意していたことが明らかとなる。判明している事実に関して罰則問題でより差し障りの少ない事柄――いわばゴルフ接待や飲食接待に関しては可能な範囲で明確に答え、便宜供与や口利き、記録改竄といった罰則がより重くなるか、あるいは自身の名誉や評判をより著しく傷つけることとなる事案に関しては否定する。それ以降の各党の議員の質問はそのような姿勢を崩せるかどうかにかかっているが、部分的に新たな疑惑を浮き立たせることはできはしたが、今日の『朝日』朝刊でも伝えているように、「装備品調達での便宜一切ない」、CXエンジンに関しては「随意契約で、との発言していない」と喚問時間内に証人が予定していたガードを崩せたとは言い難い。
深谷「それではこれより証人に対して証言を求めます。まず委員長より委員会を代表いたしまして、総括的にお尋ねをして、その後(NHKの解説のアナウンサーの声とダブって聞き取り不能)・・・・・。
それでは私からお尋ねいたします。現在当委員会では日本の国際貢献という最重大な、重要な審議を行っている最中でございます。日本の国益に関わる最も大事な審議の際にこのような喚問で時間を浪費したくない、というのが委員長の正直な気持であります。あなたの過去の行動を過去の行動を問うために、こうして時間を割かなければならないということに対して、あなたはどのような責任を感じておられるのか、先ず伺いたいと思います――」
「委員長より委員会を代表」してと言いながら、「このような喚問で時間を浪費したくない」と委員長個人の感情を述べる矛盾を平気で犯すことができるのは日本人だからだろうか。ゴマカシの上に日本の政治・政策が成り立っているとしたら、それを無視して国際貢献が先だとは言えない。逆説するなら、「国際貢献」や「国民のため」を名目としたなら、どのようなゴマカシの政治・政策も許されることになる。試合に勝ちさえすれば、亀田式のボクシングも許されることになる。
深谷「その前にもう一つ、あなたは守屋武昌クンですか?」
日本的儀式の始まり。証人喚問の中継を見るたびに、この儀式はどうにかならないと思っているが、個人的感情に過ぎないのだろうか。
守屋「委員長」と挙手。
深谷「どうぞ」
守屋「守屋武昌でございます」
深谷「生年月日、住所、職業をお述べください」
守屋(挙手してから答える)「えー、昭和19年9月23日生まれでございます。住所は新宿区・・・・・でございます。えー、誕生日は昭和19年9月23日でございます」と言い着席。
生年月日と誕生日は違うと思ったのだろうか。
深谷「職業は?」
守屋「無職でございます」
深谷「引き続いてただ今私が申し上げた、このような時間を浪費することになった結果になったことについて、あなたの責任をどういうふうに感じておられるか、お伺いしたと思います」
悪印象を与えないよう、しおらしさを装った答弁に決まっているのに、聞くバカ。
守屋、挙手。深谷「守屋証人」
守屋「ええ、私の不祥事に関しましては、ええ、国民のみなさまと私がおりました防衛省の職員に対して大変申し訳なく思っております。それから、テロ対策特措法という大変重要な法律を継続するか否かという審議を進める上でですね、私のこの不祥事問題が大きな障害となっておりますことを、防衛省の事務次官のポストにあったものとして、痛切に責任を感じております。この委員会で私の接待疑惑に対しまして誠実にお答えしましてですね、エー、ことで委員会の審理が円滑に進むよう、願うばかりでございます」
政治家・官僚の「国民のみなさま」言葉が如何に当てにならないか前々から言っていることだが、「国民のみなさま」をウソ偽りない心底からの言葉とさせるためには「国民のみなさま」と同様に政治方便となっている政治家・官僚の「国民のために」を彼らの言葉に頼るのではなく、国民自身が闘い取るべき利益とすることだろう。闘い取ったとき、政治家・官僚は「国民のために」と同様に「国民のみなさま」を口先だけの言葉とすることができなくなる。
守屋武昌は「良心に従って」と宣誓したとおりに、良心に従って正直にゴルフ・飲食の「接待疑惑」に関してのみ「誠実にお答えしましてですね」と約束したとおりに「良心に従って」「誠実に」果たすことになる。可能な限りという限定つきではあるが。
ゴルフ接待問題
深谷「防衛省と巨額取引のある商社・山田洋行の元専務から、あなたは5年で実に100数十回というゴルフの接待を受けた、あるいは飲食の接待を受けたと言われてます。過日の防衛省の事情聴取であなたは、そのような記憶があるとおっしゃったようでありますけれども、そのような記憶があるといった程度の、回数でないと思うんですね。一体、5年間で何回ぐらいゴルフを行ったのか。飲食の接待は何回か、その場所、支払い方法はどうなっているのか、明確にお答えいただきたいと思います。
守屋、挙手。
深谷「守屋証人」
守屋「ええ、ゴルフにつきましては週末の土曜日曜に行くことが多かったわけでございまして、えー、双方の都合のいい日ということでありますと、多い月で月4回、双方の都合がつかないときは月1回、ということもございました。それで、まあ、喧嘩して半年ぐらいやらなかったこともございましてですね、そういうことで、トータルいたしますとですね、やはり、年20回以上、30回というようなところでございますけれども、5年間ということに限ってみれば、私は100回は超えていたのではないかと思っているところでございます」
「5年間ということに限ってみれば」、非常に記憶がいい。各質問者はここでそのことを押さえておかなければならない。「5年間」以内のことで記憶にない、あるいは記憶が曖昧だと答弁したなら、ゴルフでは覚えている記憶の賞味期間がこの場合は通用しないのはなぜなのか追及すべきだろう。
「双方の都合がつかないときは月1回、ということもございました。それで、まあ、喧嘩して半年ぐらいやらなかったこともございましてですね」という答弁から窺うことのできる事実はどんなものだろう。
守屋側は防衛省の天皇と言われていたことが証明するように防衛省の権力者として取引先業者に対して「喧嘩」ができる立場に位置しているが、山田洋行側はゴルフに関してだけではなく、如何なる喧嘩も商取引に響く危険性を考慮すると、「喧嘩」できない、じっと我慢して従う立場に立たされていたはずである。元専務が都合がつかなければ、いくらでも代理人を立てて、接待要求に応じることができる。相手が夫人同伴でなければ、美人の若い女性ゴルフ経験者を代理人に仕立てれば、守屋にしても鼻の下を伸ばして喜んだことだろう。常識的には先ず考えれらない「双方の都合がつかないときは月1回」であり、「喧嘩して半年ぐらいやらなかった」である。追及価値のある発言であろう。
深谷「回数、5年間で100何十回、と言うんですか。もう一回その点お答えください」
守屋「あの、100何十回とか、あの、かということでございますけれども、まあ、具体的には何回行ったかってことにつきましては、あのー、まあ5年間に亘ることでございますんで、正確に、あの、その数を私としては申し上げることはできないのは残念でございますけれども、100回を越えていたと、そういうふうに考えております」
深谷「半分は夫婦で一緒に行かれたということですが、本当しょうか?」
守屋「まあ、あのー、記憶が曖昧、はっきりしませんけれども、まあ夫婦で行くことが、宮崎さんとやる場合は多かったわけでございますが、半分以上は夫婦で行っていたと思っております」
「記憶が曖昧」と言いつつ、「半分以上は夫婦で行っていた」としっかりした記憶を示している。「5年間ということに限ってみれば」、記憶がしっかりしていることを証明している。また「夫婦で行くことが、宮崎さんとやる場合は多かった」と言うことは、単独で行った場合は必ずしも相手が元専務とは限らないと言うことで、女性の当て馬もいた可能性が生じる。ボクシングの亀田家の対戦相手ではないが、プレーにわざと負けて守屋に花を持たせる相手だったなら、当て馬という表現から女性の「かませ犬」と表現変更も可能となる。
深谷「そのときに佐浦丈政、松本明子といったような、本名を使わないで偽名を使ったというふうに言われておりますが、それは事実でしょうか」
守屋「事実でございます」
深谷「偽名を使ったということは法律に反するとか、あるいは防衛省の倫理規定法に反するとか、そういう認識があったと受け止めていいんでしょうか、守屋証人」
守屋「これはあの、私が官房長になったときにですね、あるとき、宮崎さんの方からタグを、タグって言うのはゴルフのバッグにつける名前でございますが、渡されまして、これからご夫婦、この名前でやっていただきませんかと、いうことで、えー、始めたものでございまして、私の方から、そういう名前でやったというわけではございません。タダ、あの、まあ、利益関係者とゴルフをやるっていうのは、あの、そういうタグをつけるとかつけないとかって以前の問題でございまして、私としましては、大変不適切な行為だったと、顧み返して不適切な行為だったと考えているところでございます」
ここには明らかにウソがある。偽名を使うには使うについての目的がある。なぜ偽名を使わなければならないのかとその目的に疑問を示さずに言われるままに従ったとしたら、ゴルフ接待を行うことも受けることも不正行為であるという事実を認識していて、その不正を露見させない目的の名前の偽装だと承知しつつ阿吽の呼吸で従ったということだろう。
いわばその時点で既に「不適切な行為」だと認識していたわけで、当時を「顧み返して」気づいた事柄だとするのはウソ以外の何ものでもない。
備品調達での便宜
深谷「偽名を使ったということは事実だということですが。これだけの数の招待を受けるということ、言い換えれば、先方の思惑というのは誰が見ても明らかだろうと私共は思うんですね。そこであなたと山田洋行に対して装備品の調達なんかに関わる契約などで具体的に便宜を図ったことがあるかどうかお答えいただきたいと思います」
守屋「一切ございません」
接待は一種の投資である。投資は見返りとして短期的、中期的、長期的、いずれかの利益回収を目的としている。「便宜供与」が何も見込めなかったなら、誰が接待などの投資を行うだろうか。
CXエンジン随意契約問題
深谷「あなたが事務次官であった本年7月に次期輸送機CXのエンジン調達をめぐって部下は一般入札手続きについて説明したニュースがあるが、あなたは株式会社ミライズと随意契約をすればいいと発言したと言われていますが、それは事実でしょうか?」
守屋「そういう発言はいたしておりません」
深谷「防衛省幹部の天下り先として、山田洋行は積極的に対応していると聞いております。あなたは防衛省在任中、OBの天下りに関与したことはありますか?」
守屋「一度もありません」
備品調達疑惑に関してもCXエンジンに関してもゴルフ接待で使った口数から比べたら、何とも素っ気のない言葉数である。否定のシナリオに従った否定だからなのだろう。
口利き疑惑
深谷「オーナー側と対立した元専務は新しい防衛商社日本ミライズを創立いたしました。しかし資金繰りに困って、本年6月、大手企業系列会社の経営者への陳情に際して、何とそのとき現職次官のあなたが同席して口添えしたと言われておりますが、もしそうだとしたら、許しがたい行為だと思いますが、事実は如何でしょうか?」
守屋「その席に同席した事実はございません。そのような話し合いが行われたときに同席した事実はございません」
深谷「そのような話し合いが行われたときに同席したことはないという意味はどういう意味でしょうか?」
守屋「あのー、その方と会ったのは私の記憶では本年の6月中旬でございまして、夕方、あの、6時過ぎだったと思います。けれども、電話がありましてですね、いま、その人と飲んでいるから、飲みに来ないかというお誘いを受けました。その人は私もその店でよく知っている経済人でございまして、なかなか私どもに得られないお話をしていただくということで、大変ウマがあっていたわけでわけですが、暫く会っておりませんでしたので、その方とお話できると、いうことで、お会いしたことがございます。そのことは申し上げております。その席で、あの、私共は、その報道で言われているような融資の話をしたと言うことは一切ございません。そういうことです」
深谷委員長が突っ込んで聞くから、多くなった言葉数ということなのだろう。
給油量隠蔽疑惑
深谷「次に、海上自衛隊の補給艦が「ときわ」からアメリカ補給艦ベガスへの給油量を誤ったという件について伺いたいと思います。平成15年2月25日に行われ給油量について、海上幕僚監部防衛部運用課はパソコン入力の際、別の艦と取り違えて実際は80万ガロンでありますのに、20万ガロンと入力し、これを5月8日、石川統合幕僚会議議長がそのまま記者会見で述べたのであります。さらに、担当部局である防衛局防衛政策課がその会見内容によって、応答要領を作って、結果に於いて、担当大臣が誤った報告を行うという大きな問題を引き起こしてしまったんであります。当時の担当防衛局長が守屋さん、あなたであります。あなたの、オー、今振返ってですね、応答要領内容は当時、確認したのか、そしてあなたが了解して大臣に回したのか、その事実を聞かせてください」
ここからが重要。今の若い女性の話し言葉のように、それ程ひどくはないが、単語の語尾を伸ばす言い方となる。元々日本語は単語の語尾が母音で終わるから、それが余韻として残る場合があるが、最初の方の答弁と比べて聞いてはっきりと分かる程に語尾を伸ばして母音化させている。
守屋「当時イあのーオ、統幕長のオ記者会見でエアメリカのオ補給艦にイ20万トン給油したと、いうことをオ記者会見でエ統幕――、統合幕僚長がア報告した、という、ことをオ、私は、あの国会がア、あー、帰ってきてからア部下ア、あー、からその話をオ聞いていて、承知したと言う経緯がございます。でエ、えー、その件につきましてはア、あのー、そのように20万トン、いう、あのー、給油、いや、20万ガロン、が、給油された、と、いうことで、あのー、海幕の報告を、あの、そのように、あの、受け取って、あの、以後、業務に対応したと、いうことがございます。」
深谷「あのー、この記者会見の前の5月6日、2日前です。(深谷委員長が最初に「あのー」と言い出したとき、守屋クンの語尾跳ね上がりが伝染してしまったのかと咄嗟に心配したが、そうでなくて一安心)アメリカ空軍のキティホーク率いるモヒット司令官がアメリカのアメリカ補給艦を経由して間接的に80万ガロンの燃料を受けた、ということを述べて、報道されてるんですね。そのことを知らなかったんでしょうか?」
守屋「ええ、あのオ・・・・、統合幕僚長のオ記者会見がアその発言を受けてエ、あのオ、行われたというのは、承知しております」
深谷「そのときに即座に対応していればよかったのに、そのときはどのような対応だったのか、調査したり、何らかの対応を指示したとか、そういう事実はありますか?」
守屋、暫く考えてから立ち上がる)
深谷「守屋証人」
守屋「あのオ、私がア対応しましたのはアキティホークがア、あー、イラクでの作戦を終えてエ帰ってきたときにイ、あの、館長が、あー、インタビュうーでエ日本の給油はア大変、あの、オー、役に立ったと、いうことで、あたかもオそのイラク戦争にイ使われたというふうなア、あー趣旨に取られる発言をしたア、あー、ことがございました。それでエ、えー、私はア当時のオ日本大使館の、あの公使にですね、これはア、あのー、テロ対策特措法に基づくウ油の使用に疑惑を及ぼす可能性があるんで、そういうことをないっていうことをアメリカ政府として、きちっと言って欲しいと、いうことをオ担当公使に、あの、申し上げましてエ担当公使は早速動いてエアメリカ側としてエ、えー、日本から、貰ったア油をオ目的外使用することはないという、あの言葉をオ私共にイ送ってきたということを承知しております。で、その後オ、このオー、えー、80万ガロンと、いう数字がアあの出てきた、ということを承知しておりましてエ、そのときにイええ、その日本のオ補給艦から、あのオ・・・、アメリカ補給艦がに対してエ渡した、あの補給量はア20万ガロンだと、いうことをオ、お、統合幕僚議長がア会議でエ申し上げた、ということを承知しているわけであります」
15分の時間が経過して、総括質問は終了う。各議員の質問に移る。
文字で書くとたどたどしい言い方に見えるが、実際はもう少しスムーズな言い方で、語尾が伸びていること自体は全般部分にはない言い方である。
声紋の研究者に聞かせて鑑定させたなら、面白い結果が出てくるのではないだろうか。限りなく胡散臭い総括質問に対する守屋答弁であったが、防衛省で天皇の地位にまで上り詰めた大物である。一筋縄でいかないことを証明した証人喚問ではなかったろうか。バケの皮を剥ぐには真相を徹底的に突き止めようとするのかどうかの検察の態度如何にかかっている。政治家・官僚を庇う気持を少しでも持ったなら、あるいは何らかの圧力に屈するといったことがあったなら、適当なところで捜査打ち切りとなるに違いない。
血液製剤フィブリノゲンを投与されてC型肝炎に感染した患者名や医療機関名等の資料は製薬会社から報告がなく、存在しないとしていながら、実名、イニシャル、医療機関名、医師名といった患者特定につながる418人分の情報を02年の時点で既に製薬会社から報告を受けていた厚労省がその資料が倉庫から見つかったと5年後の現在に至って公表した。
厚労省からの天下りが絡んだ製薬会社の利益擁護と自身の薬事政策の不備・怠慢等が絡んだ自己保身が隠蔽を余儀なくさせたが、隠しきれずに公表に及んだといったところだろう。
このような最初に隠蔽ありの体質は自己保身とそのための企業擁護を自己利益確保の優先値していることから生じている構図がもたらしているに違いない。そのことが例え生きている状態で患者の命を狭める、あるいは奪い取る、「命の生き剥がし」につながる重大な不利益へ撥ね返ろうとお構いなしなのは、薬害エイズやチッソ水俣病、アスベスト対策で既に見てきている国の姿である。
日本経済のバブル崩壊後、どの金融機関も自己資本保全を絶対優先として借金取立ての冷酷な「貸し剥がし」を行ったが、その冷酷さとは比べものにならない冷酷無惨な「命の引き剥がし」である。
元々感染力が弱い上に有効な治療薬が開発されて完治する病気となり、1950年代には在宅治療が世界の主流といった状況を無視して1996年まで強制隔離政策を続けてきた日本のハンセン病対策にしても患者の命を狭めたままで平然としていられる「命の生き剥がし」に等しい国の政策と言える。
あるいは1961年に殆どの国が使用禁止としたのに対してその後9ヶ月も禁止措置を取らずに先天的障害児を多発させることになったサリドマイド薬害にしても、1935年に副作用報告がありながら、それを放置して製薬会社の生産・販売を許可し続け、運動障害や視覚障害等の被害を拡大させることとなったキノホルム(胃腸薬)を薬害原因としたスモン病にしても、患者に「命の生き剥がし」を強いた国の政策に入る。
【スモン】「〔Sbacute myelo-optico-neuropathy(亜急性脊髄視神経症)の頭文字をとったもの。〕下痢の治療剤キノホルムが原因と考えられている神経障害。難病に指定されている。スモン病。」(『大辞林』三省堂)
以前ブ当ログその他に書いたことだが、このような「命の生き剥がし」は権威主義を本質的構造とした国民の生命・福祉よりも国家を優先させる国家主義を発症原因としているゆえに当然のこととして日本の歴史・文化・伝統としている「命の生き剥がし」である。
これは国家の位置にある日本人がすることとは限らない。権威主義が絡んでいるゆえに自己を絶対的上位に置いた場合、どのような立場にいようとも下位の者に対して発症させかねない衝動であろう。
大正12年(1923)の関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺は自己の人種的地位を絶対的上位に置いていたからこそできた国民も加わった朝鮮人・中国人に対する残虐な「命の生き剥がし」であり、一般国民だろうと関係なく発症させることを証拠立てている。
戦争中の日本軍兵士のアジア人に対する虐殺・虐待も自己の上位性を力とした「命の引き剥がし」であったろう。
ソ連の満州侵攻時、撤退を余儀なくされた日本の関東軍は開拓民を置き去りにしたまま撤退、開拓民に多大な犠牲を生じせしめたことと、そのことが原因となった中国残留孤児問題も軍の自己保身優先からの国民を犠牲とした国民に対する「命の生き剥がし」行為と言える。
天皇の軍隊・関東軍は開拓民に対する「命の生き剥がし」だけではなく、ソ連軍に捕らえられた日本兵捕虜の即時送還を国際法に基づいて求めることはせずに、逆に<帰国までの間「極力貴軍の経営に協力する如く御使い願い度いと思います」>(93、7.6『朝日』≪旧満州捕虜のシベリア使役 関東軍司令部から申し出≫と「役務賠償」の生贄に利用する目的の「命の生き剥がし」を将兵に対して行っている。そう申し出たご褒美に自身の身の安全を保証してもらう自己保身からのゴマすりだったに違いない。
(【役務賠償】「えきむばいしょう・労力を提供することによって相手国に与えた損害を賠償すること」(『大辞林』三省堂)
天皇の大日本帝国軍隊は各戦地でも撤退時に足手まといになるからといった理由で民間人保護を放棄し、見殺しにする「生き剥がし」を平然とやらかしている。沖縄での軍の命令による嬰児殺し、フィリッピン中部セブ島での児童殺害等々の「命の生き剥がし」である。
≪比で敗走中の旧日本軍 日本人の子21人殺害≫(1993.8.14『朝日』)
<【マニラ13日=共同】第二次大戦末期の1945年にフィリッピン中部セブ島で、旧日本軍部隊が敗走中、同行していた日本の民間人の子ども少なくとも21人を足手まといになるとして虐殺したことが明らかになった。フィリッピン国立公文書館に保存されていた太平洋米軍司令部戦争犯罪局による終戦直後の調査記録による。
記録によると、虐殺を行ったのは南方軍直属の野戦貨物廠(しょう)の部隊。虐殺は4月15日ごろにセブ市に近いティエンサンと5月26日ごろその北方の山間部で二度にわたって行われた。
一回目は10歳以下の子ども11人が対象となり兵士が野営近くの洞穴に子どもだけを集め、毒物を混ぜたミルクを飲ませて殺し、遺体を付近に埋めた。二回目は対象を13歳以下に引き上げ、さらに10人以上を毒物と銃剣によって殺した。部隊司令官らは「子どもたちに泣き声を上げられたりすると敵に所在地を知られるため」などと殺害理由について供述している。
犠牲者の親は、戦前に九州や沖縄などからセブ島や南パラオ諸島に移り住み、当時セブ市に集まっていた人たち。長女ら子ども3人を殺された福岡県出身の手島初子さん(当時35)は米軍の調べに対し「子どもを殺せとの命令に、とっさに子どもを隠そうとしたが間に合わなかった」などと証言。他の親たちも「(指揮官を)殺してほしい」などの思いを伝えている。>
幼児・子どもに対する日本軍のこのような「命の引き剥がし」の発覚は氷山の一角に過ぎないに違いない。
日本軍は大本営の作戦を受けて硫黄島や沖縄の戦闘、その他の戦闘でも援軍を送らない、物資を補給しないなどの兵士を見殺し・犬死させる「命の生き剥がし」を行っている。沖縄の戦闘では嬰児だけではなく住民に集団自決を強制する「命の生き剥がし」を行い、自分たちは助かって戦後も生き永らえた者もいるだろう。
こう見てくると、国家による国民に対する「命の生き剥がし」が如何に日本国家の歴史・伝統・文化となっている「命の生き剥がし」であるかが分かる。国技・お家芸としている「生き剥がし」だと表現することもできる。
権威主義が絡んでいるゆえに自己を絶対的上位に置いた場合、下位の者に対して発症させやすい衝動だと既に述べたが、日本人が基本的に権威主義を思考様式・行動様式としている以上、立場を変えれば、日本人の誰もが主役を演じかねない「命の生き剥がし」であって、そのことに留意しなければならない。上の命令だから断れないと、国民のことは考えることができずに資料の一部を隠す、あるいは数値をほんの少し改竄する追従(ついじゅう)を行っただけでも、そのことが「命の引き剥がし」の共犯行為とならない保証はない。
立場を変えれば誰でもやることだからと、政治家・官僚の「命の引き剥がし」犯罪が相対化されて罪が軽くなるわけのものではない。国の力を背景とした「命の引き剥がし」犯罪なのである。今後同じことの繰返しを阻止するためにも重大な犯罪と位置づけ、重い罰則で処理しなければならない。
今朝10月27日(07年)の『朝日』朝刊≪防衛内局も給油量把握 「隠蔽」有無が焦点≫から、実際の給油量80万ガロンが20万ガロンの数値へと姿を変え、公にされるに至ったか、各報道を通じて既に周知の事実となっていることだと思うが、改めてその経緯を箇条書きにして見てみる。
①03年2月25日海上自衛隊補給艦がインド洋上で米補給艦へ80万ガロン
補給する。
②03年2月26日、現地部隊から燃料の受領証を含む正確な情報を本国の
防衛省海上幕僚監部運用課と需品課へ報告。
③海上幕僚監部運用課が80万ガロンを20万ガロンと取り違えて、集
計表に転記。
④海上幕僚監部防衛課が集計表を元に石川亨統合幕僚会議議長に20万ガロ
ンと伝え、03年5月8日の記者会見で「給油量は20万ガロン」と発表。
⑤この数値を元に内局の防衛政策課が応答要領を作成、03年5月9日の会
見で当時の福田官房長官が「約20万ガロン」を根拠にイラク作戦への
転用を否定。
⑥防衛省が07年10月22日に海上幕僚監部の需品課などが給油量の誤りに気
づきながら上司や内局に報告しなかったと報告書で発表。
⑦6日後の07年10月26日に、内局にも正しい給油量が記載された資料が渡
っていたことを明らかにする。
⑧石破防衛相「物品管理上の記録としてファイルに保管したが、応答要領
の担当者が参照することはなかった」として意図的隠蔽ではないと釈
明。
「海上幕僚監部の需品課などが給油量の誤りに気づきながら上司や内局に報告しなかった」と言っているが、「需品課」はいつ・どこで・どうして気づいたのだろう。このことが問題となるのではないだろうか。
ごく普通に考えたなら、03年5月8日の石川亨統合幕僚会議議長の記者会見での発言か、翌日03年5月9日の福田官房長官のぶら下がりなのか正式なのか判らないが、「会見」で給油量を「20万ガロン」と口にしたとき、あるいはその後の短い時間内に気づいたのではないだろうか。例えそれぞれの発言の現場に居合わせなくても、新聞・テレビがその情報の重要性に応じて継続的に報道するのだから、運用課・需品課が全スタッフ共々部署ごとに外国に移動していて、日本からのすべての情報に接する機会がなかったということならともかく、そんなことはあろうはずがないから、いずれかの時点で「20万ガロン」化していることに気づいたはずであるし、気づかなければならない立場にあったはずである。
単に集計表を作成する役目のみではあっても、運用課にしても需品課にしても、作戦に関わる当事者に列しているのである。現地部隊から報告を受けた「80万ガロン」という数値は記憶しておかなければならないだろうし、例え失念していたとしても、世間に公表された時点で、思い出さなければならない「80万ガロン」という数字でなければならない。
ことさらになぜならと説明するまでもなく、その集計表にある数値を基に統合幕僚会議議長にしても内閣官房長官にしても、あるいは防衛大臣や総理大臣にしても経緯の一部か全体を把握し、その把握内容に従った態度を取ることになるからである。
いわば事は運用課や需品課の集計のみの問題で終わらない。
とすると、少なくとも石川亨統合幕僚会議議長と福田官房長官の会見を新聞・テレビが報道した時点で給油量の誤りに気づかなければならなかったのだから、直ちに誤りを「上司や内局に報告しなかった」ことは重大な誤りを放置したことになり、既にそのこと自体が隠蔽行為に当たる。
果たして運用課や需品課といった一部局が隠蔽行為を犯すだろうか。誤りであることが露見したなら、責任は自分たちのところにまわってくるのである。
「給油量の誤りに気づきながら上司や内局に報告しなかった」ことが事実なら、背負い切れない責任となるが、上層部で「80万ガロン」を「20万ガロン」として「イラク作戦への転用」否定の根拠とすべく偽装したが、偽装し切れずに責任を運用課や需品課にツケまわしたと言うことなら、背負い切れる責任となる。
「内局にも正しい給油量が記載された資料が渡っていた」にも関わらず、「物品管理上の記録としてファイルに保管したが、応答要領の担当者が参照することはなかった」と石破防衛相は弁明しているが、内局は中身も改めず、機械的に報告を受領したのだろうか。中身を改めていたとしたら、「応答要領の担当者が参照することはなかった」とても「20万ガロン」という数字が公表された時点でその誤りに気づいたはずであるし、それを正さなかったということなら、運用課・需品課と同様に隠蔽を図ったことになる。
誰一人、責任者の立場にある者にしても中身を改めない機械的な受領ということなら、職務を果たしているとは言えないその責任を問わなければならない。
まずは「需品課」はいつ・どこで・どうして気づいたのか、民主党は追及すべきで、次いでなぜ「上司や内局に報告しなかった」のかを問い質すべきだろう。
テストの成績も大事だが、人間の現実の姿を教える教育を
今年(07年)4月24日に行われた小学6年生と中学3年生を対象とした全国学力テストの結果が10月24日に文科省によって公表された。
<今回のテストは、学力低下の指摘を受け、自治体や学校、児童生徒の課題を明確にし、改善に役立てるため、4月24日に実施された。>(07.10.25/読売新聞≪全国学力テスト結果公表、基本知識あるも応用力に課題≫)ということだが、経済協力開発機構(OECD)の国際学習到達度調査(PISA)で00年調査では日本8位が03年調査では14位に下落した「読解力」の獲得レベルを調査する目的も一つとしていたらしい。
そのために「基礎的知識」を問うA問題、「知識の活用」、いわば「読解力」を見るB問題とに分けたのだろう。
「読解力」とは文科省HPによると、「自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力」と出ている。
日本の官僚の文章らしく、言っていることが簡単には頭に入らない欲張った難しい言い回しとなっている。要する情報を読み解いて、それを自らが思考し、行動する知恵に応用して自らの活動の力としていく、「読解と応用」を併せた能力のことであろう。それを「知識の活用」でどの程度か計ったわけである。
ここで言う「知恵」とは単なる知識ではなく、「事に当たって適切に判断し、処置する能力」(『大辞林』三省堂)を言う。
テストの結果は上記『読売』記事の見出しが既に示しているが、<全問題中、何問正解したかを示す平均正答率を教科別に見ると、小学校の国語A、算数Aはともに82%だったのに対し、国語Bは63%、算数Bは64%にとどまった。
中学校でも、国語Aの82%、数学Aの73%に比べ、国語Bは72%、数学Bは61%だった。表現力や思考力を十分身につけていない子供が多い実情が明確になり、経済協力開発機構(OECD)の「国際学習到達度調査(PISA)」などと同じ傾向が出た。>(同『読売』記事)と解説している。
ここで問題としているのは生徒の学力テストの結果そのものではない。学力テストの成績が将来的な果実とする学歴の問題である。今回の学力ストでは<経済的な理由で国や自治体などから学用品代や修学旅行費などの就学援助を受けている児童生徒の割合の高い学校の方が、低い学校より平均正答率が低い傾向が見られた。>(同『読売』)と解説している。教育の機会にしても市場経済下にあるのだから当然のことで、親の経済力が子供の学力に直接的に影響することの正直な反映であろう。家が貧しくて塾に通うカネもない、部屋の間取りも子どもが勉強するスペースも満足にないでは、「学用品代や修学旅行費など」を援助されても焼け石に水と化す。
当然のこととして就学援助を受けている児童生徒は劣る成績の反映として、将来的な果実たる学歴の獲得に少なからず影響するに違いない。
「基礎的知識」と「知識の活用」との、あるいはOECDとかが問題とする「読解力」との比率がどうであろうと、あるいは暗記力でも片付く「基礎的知識」が「知識の活用」・「読解力」を補って十分に優秀で、本人の全体的な成績を助けていたとしても、そうでなくても、テストの全体的な成績次第で東大や京大、東北大の学歴を果実とすることができる。すべての出発点は全体的なテストの点数によって決定される。生活態度は普通でありさえすればいい。問題行動を起こさなければいいと言うわけである。
各省の現在の事務次官は文部科学事務次官が東北大卒以外はすべて東大卒となっている。防衛省前事務次官であった我らが守屋武昌は残念ながら東大卒ではなく、現在の文部科学省事務次官と同じ東北大卒である。地位を利用して不正に甘い汁を吸ったその優れた能力の発揮という点で、日本ではそれ以上の学歴はない東大卒になぞらえてもいい優秀さである。
守屋武昌だけではなく、他の事務次官も、またその他幹部も省内で得た地位に比例する地位と待遇を得て天下っていき、守屋的スケールではなくても、それ相応の甘い汁を吸うことになるだろう。そしてすべての出発点は学校のテストの成績である。それが大学という学歴の果実を生み、天下りの果実を最終的に保証する。
小・中・高校のテストの成績に応じたグレードの大学学歴を果実とするが、しかし学歴という果実は人間の生き方まで保証しないことを守屋武昌の犯罪は教えている。談合や口利き、その他で不正な利益を私腹している国会議員・県知事等の政治家、あるいは中央官僚、地方役人にしても、その殆どが例え東大卒・京大卒でなくても優秀な大学卒の学歴を果実としているはずであるのに、生きる姿まで保証していない。
社会的に高い地位に就いた人間ほど、学歴がその人間の生き方を保証する果実とならなければならないはずだが、現実に保証しない逆の状況にあるとしたら、学歴にふさわしい生き方を求めることも教育の目的の一つにしなければならないのではないだろうか。
こう言うと、単細胞にも「さらに道徳教育の充実を図れ」とか「道徳教育を教科とせよ」と言い出す者が出てくるが、どのような道徳も人間の利害・欲望(権力欲・金銭欲・名誉欲・色欲etc)には敵わない。その証拠としてそれぞれが人間は如何に生きるべきかの言い諭し、あるいは道徳の集大成となっている孔子の『論語』もキリスト教の『聖書』も仏教の『聖典』もイスラム教の『コーラン』も一般的には役に立っていないことを挙げることができる。
『論語』・『聖書』・『聖典』・『コーラン』が役に立っていないのに、安部前首相が如何に意欲を燃やした道徳教育であろうと、教育再生会議の面々がどう逆立ちして道徳の教科化を目論もうと、結果は知れている。ああしろ、こうしろといった指示・命令のお題目を並べるだけで終わるだろう。
どう生きるかは人それぞれの自覚に任せるしかない。学校教育ができることは現実社会で見せている無数にある人間の生きる姿・形を教えて、どう生きるかのサンプルとすることぐらいだろう。善悪取り混ぜて世の中にある様々な生きる姿を学ぶ過程で、学ぶ者は否応もなしに現在の自分の姿と、あるいは将来の自分の姿を予想して比較対照するだろうから、自他の省察能力を自然と育むことになる。生きる姿に関わる自他の省察は生き方に関わる情報を自他の姿から読み解いて、それを自らが思考し、行動する知恵に応用して自らの活動の力としていく、「読解と応用」を併せた能力へと発展していく機会とならないはずはない。役に立たない人間もいるだろうが。
道徳を言うなら、特に将来的に悪い姿に向かわない教訓とするために悪い生き方をサンプルとして教えることが有効であろう。守屋武昌的生き方を教科書として、生き方の教育とする。あるいはコロッケや羊羹、鶏肉の燻製を偽造したミートソープ社の社長やその他の経営者の騙しの手口から、露見して最初は言い逃れや責任逃れする姿、それができなくなって偽装・インチキを認め謝罪の頭を下げる。それだけで済まずに中には逮捕されるに至る姿等を教えるのは教育効果があるに違いない。
他者の姿を学び、自己の姿を眺める。自己の姿を省み、どのような生き方をしているか肝に命ずる。自他の省察は自覚行為でもある。常に自他の姿に対する自覚を促す。
2007年10月23日の『読売』インターネット記事の天下りの抜け道となる部分の箇条書き。
①守屋武昌・前防衛次官(63)にゴルフ接待を繰り返していた航空・防衛分
野の専門商社「山田洋行」(東京)が、多い時で十数人の防衛省OBを顧
問などとして受け入れていた。
②自衛隊法によると、隊員は、自分が辞めるまでの5年間に防衛省と一定額
以上の取引があった企業には、辞めて2年以内は原則として就職できない
。ただ、退職前の5年間に本人がその企業との契約業務に携わっていなけ
れば、防衛相(省移行前は防衛長官)らの承認を受けた上で就職すること
が可能
③別の会社を経た後、同社に就職した例もある。
④現職職員の家族、親族も採用している。
「退職前の5年間に本人がその企業との契約業務に携わっていなければ、防衛相(省移行前は防衛長官)らの承認を受けた上で就職することが可能」とするなら、その人間が退職以後も契約業務に関わる省員に影響力を行使し得る地位や立場を現役時代に確保していた場合、あるいは影響力を行使し得る別の省員を介してその省員の影響力で契約業務に関わる省員に圧力をかけることができる間接性を利用し得る力を有していた場合、上記規定はいくらでも抜け道とすることができる。
「別の会社を経た後、同社に就職」も、抜け道へと限りなく変更可能な規定であろう。
「現職職員の家族、親族も採用」は縁故採用であるなら、その情実性を如何ようにも利用できるし、縁故採用でなかったとしても、必要・機会に応じて情実化し得ることとなって、抜け道の有効な方法とすることが可能となる。
渡辺喜美が安倍内閣時代に政治資金規正法に触れて引責辞任した佐田行革相の跡を継いだ就任時に「愛の構造改革をやっていく」と宣言した大見得に添ってどのような新人材バンクを目論み、天下り規制をどう図ろうとも、あるいは「公務員に誇りとやる気を持って働いてもらう必要がある」と公務員の意識改革にどう期待しようと、自分の利益を図るために如何ようにも抜け道をつくるもので、それを完全に防ぐことは不可能だろう。
法律によって不正な天下りを防げないとなったなら、天下りして得た地位を不正に利用して不正な利益を得たことが発覚した場合は厳しく罰するしか手はないだろう。現在のそのような官僚・公務員の類の涜職(とくしょく)(「公務員などが職務を乱用して非行をなし、またその地位を利用して利をはかること」『大辞林』三省堂)は懲戒免職か、不正取得した額に相当する返還要求が最大の罰則で、懲戒免職を受けたとしても、職務上築いた人間関係を腐れ縁にそれ相応の職・地位を手に入れるだろうから、痛くも痒くも屁とも感じない懲戒免職となって、結果として割に合う不正としてしまう。
となれば、痛くも痒くも屁とも感じさせるために懲戒免職や返金だけではなく、それが一般常識からして到底許せない過度の涜職を犯した場合は前々から言っていたことだが、10年20年の禁固刑に処する懲罰を与えて割に合わないと後悔させ、他の者に対する割に合わないことの戒めとする。そういった報復主義への発想転換が必要ではないだろうか。
好きなだけやりなさい。その代わり報復としての罰則は厳しいですよをルールとする。例えば市役所に支払いにきた国民保険料を受け取った職員が着服した場合、それが1万円であっても、報復として懲戒免職及び返金と併せて1年間の禁固刑に処する。そしてその手の罰則には時効を設けない。どれ程にカネに卑しい人間であっても、カネに狡い人間であっても、不正を働く前から割に合わないことを悟るに違いない。
当然不正な私腹金額が一般生活者の生活費と比較してかけ離れて高額な場合や、不正な地位利用が過度の場合は、最近では守屋武昌防衛省前事務次官犯罪がこれに相当するが(飲食やゴルフの接待、その他で支払わずに済んだ金額を合計すれば高額になるはずである)、取得金額や地位利用の程度に応じて10年20年の禁固刑は当然の報復としなければならない。
それでも借金でにっちもさっちもいかなくくなったとかで不正を働く人間は跡を絶たないだろう。例えそうであっても、一つ一つ厳罰で対処する報復以外に方法はないのではないか。
1992年に東京佐川急便の渡辺広康前社長ら経営陣が、広域暴力団稲川会の石井進元会長の関連会社などに巨額の融資・債務保証し、逮捕された事件の捜査の過程で自民党の金丸信元副総裁に5億円が渡ったことが発覚。東京地検は政治資金規正法違反に当たるとして略式起訴し、金丸元副総裁は罰金20万円を支払ったことと、1993年にゼネコン各社などから寄せられた献金を税務申告せずに金融割引債を購入し、所得税法違反で逮捕されたが、99年3月、脳梗塞のため死去、控訴は棄却された事件で、「『5億円』受取って、『罰金20万円』とは、〝3日やったら、やめられない〟乞食どころか、永久にやめられないおいしさである。だからこその政治家・官僚たちの乞食行為なのだろう」と以前当ブログに書き、「機会あるごとに口にしていた『国家・国民のため』なる言葉は、自己権力欲充足とその維持、そのことを強力に可能とするカネに対する妄執をカモフラージュする勿体づけ(スローガン)に過ぎなっかったということなのだろう」と批判したが、政治家・官僚の不正・犯罪の止むことない永続性はやはり罰則が軽く、割りに合わせてしまっていることが大きな理由になっているに違いない。
割に合わないと思い報せる思い切った報復主義こそが政治家・官僚の不正・犯罪を有効に律する方法だと思うのだが。
参考までに『読売』のインターネット記事を掲載。
≪防衛元幹部、山田洋行に大量天下り…営業に同行し顔つなぎ 前防衛次官問題≫
<守屋武昌・前防衛次官(63)にゴルフ接待を繰り返していた航空・防衛分野の専門商社「山田洋行」(東京)が、多い時で十数人の防衛省OBを顧問などとして受け入れていたことが分かった。
OBはいずれも元幹部級で、社員の営業活動の仲介などをしているという。防衛省と同社の親密な関係が浮き彫りになった。
自衛隊法によると、隊員は、自分が辞めるまでの5年間に防衛省と一定額以上の取引があった企業には、辞めて2年以内は原則として就職できない。ただ、退職前の5年間に本人がその企業との契約業務に携わっていなければ、防衛相(省移行前は防衛長官)らの承認を受けた上で就職することが可能だ。
防衛省によると、承認を受けて同社に就職したのは、2000年からこれまでに4人。1佐や将官といった幹部級で、同省が求人や求職をあっせん・仲介していた。3人は陸上自衛隊出身、1人は航空自衛隊出身で、陸自出身の3人は、守屋氏が次官に就任した03年8月以降に就職していた。
別の会社を経た後、同社に就職した例もあり、関係者によると、04年ごろは十数人、最近も7~8人が顧問などとして働いている。年収は多い人で700万~800万円という。また、現職職員の家族、親族も採用している。
山田洋行関係者によると、顧問として就職するOBは、防衛省時代の階級に応じ、社長相談役と営業顧問に分けられる。営業担当者に、装備品の専門的な知識を教えたり、誰に営業活動をすればよいか助言したりする。同省への営業活動に同行し、元部下に営業担当者を紹介するなど「顔つなぎ」も重要な役割という。
顧問の1人は「紹介するだけ」と言うが、OBは元幹部ばかりで、現役の自衛隊幹部は「大先輩が来れば会わないわけにはいかない」と影響力を認める。
他の大手企業にも毎年多くの防衛省OBが就職しているが、山田洋行の社員数は120人程度で、別の自衛隊幹部は「この程度の社員数の会社としては受け入れ人数が多い」と話す。>
「asahi.com」(07.10.22/11:42)の記事≪薬害肝炎で実名2人、イニシャル116人把握 厚労省≫)が<厚生労働省と製薬会社が、血液製剤でC型肝炎に感染した患者を把握しながら本人に知らせなかった問題>に関して伝えている内容をほぼ時系列で並べてみる。
①厚労省は02年、旧三菱ウェルファーマ(現田辺三菱製薬)から血液製剤フ
ィブリ ノゲン投与後の肝炎発症などの副作用症例418人の報告を受けて
いた。
②厚労省は今月18日(07年10月)の民主党のヒヤリングで「患者の名前や医
療機関 名については製薬会社から報告がなく、資料もない」と説明。
③ところが、翌19日夜、実名などの記された資料が厚労省の倉庫から見つか
った。ファイル8冊分で、特定につながる情報が黒塗りで消された資料と
、消されてい ない資料の2種類。両方とも「厚労省が提出を求めた
ものだった」
④3日後の22日(07年10月)になって、感染の疑いがある患者2人の実名
、116 人のイニシャルが書かれた資料を02年時点で持っていたとする調査
結果を公表。
⑤実名、イニシャル、医療機関名、医師名といった患者特定につながる情報
などが あるのは計165人。
⑥うち9人は薬害C型肝炎訴訟の原告の可能性が高いが、国は2人につい
て血 液製剤の投与を認めていなかった。この2人のうち1人は大阪
訴訟の原告と みられる。
⑦舛添厚労相はイニシャルや医療機関名を公表する考えを示しており、検査
や治療 を呼びかける方針。
⑨厚労省医薬食品局の中沢一隆総務課長は会見で「当時の肝炎問題の調査
チー ムが解散し、今の担当者が知らなかった」と話した。
患者の訴えは今日の『朝日』朝刊(07.10.23)の関連記事見出しの活字にそのまま現れている。≪肝炎訴訟原告 「治療機会奪われた」 国の対応「悪意だ」≫
症状が悪化していて先月半ばから肝硬変で入院中だという「418人リスト」の1人と分かった大阪訴訟原告の40代女性は代理人を通じて、「早期治療の機会を奪われたことは残念で仕方ありません」と語ったと言う。
上記箇条書き⑥番の国が血液製剤の投与を認めていなかった内の1人である。しかも厚生省側は「当時の肝炎問題の調査チームが解散し、今の担当者が知らなかった」と、「知らなかった」で済まない事柄なのだとの問題意識さえ持てないまま責任を他人事とする幸せ人間を演じている。今世紀最大の幸せ者としてギネスブックに登録すべきではないだろうか。
大阪訴訟原告の40代女性に関して上記記事は次のように伝えている。<86年の出産時、東海地方の産婦人科医院で、止血剤として旧ミドリ十字の血液製剤「フィブリノゲン」を投与され、急性肝炎を発症した。だが、弁護団によると、肝硬変や肝がんに進行する恐れについて、医師は何も言わなかった。女性は「峠を越えれば直る」と思っていたと言う。
報道などで疑いを持ち、弁護団に相談したのは04年。製薬会社からは何の連絡もなかった。国は「証拠がない」と、投与事実さえ認めてこなかった。
「418人リスト」はフィブリノゲン投与後に急性肝炎などを発症した事例の一覧。厚労省が02年、ミドリ十字の事業を引き継いだ旧三菱ファーマ(現田辺三菱製薬)から受けて公表した。発症日や症状などだけで患者の個人情報はなかったが、女性は「102A」とされた症例が、自分と酷似していることに気づいて同社に情報開示を請求。同社側は先月、女性が「102A」だったと認めた。
製薬会社側が患者の個人情報を把握している事実が明かになり、今回の問題の引き金になった。・・・・・>
個人の福祉に貢献すべき国・企業(製薬会社)はその使命を裏切って、肝心要の「患者の個人情報」の開示を最後の最後に持ってきている。国の使命とそれを果たすべき責任、企業の使命とそれを果たすべき責任に関わる意識をすべて欠いているからできる裏切りであろう。
「読売」のインターネット記事≪薬害肝炎報告、イニシャル116人・実名2人…厚労省公表 9人、訴訟原告か≫(07.10.22日)も後段で大阪訴訟原告の40代女性患者の訴えを伝えている。
<《「患者見殺し」「隠ぺい」厚労省に原告ら怒り》
「国は患者を見殺しにするのか」「隠ぺいとしかいいようがない」。薬害肝炎を巡り、厚生労働省が患者を特定できる情報を得ながら当事者に伝えていなかった問題で、同省が調査結果を発表した22日、国と裁判で争っている原告らは口々に怒りの声を上げた。止血剤としてフィブリノゲンを投与されたこと自体を知らない患者は多いとみられ、同省の対応に批判の声が強まりそうだ。
大阪訴訟原告団代表の桑田智子さん(47)は「企業の利益を優先して、国民の命を守ろうとしないなら、厚生労働省の存在意義なんてない。この隠ぺい体質が、薬害が繰り返される原因」と同省の対応に憤りを隠さない。さらに「少しでも早く、国や企業が患者に感染を知らせていれば、早期に治療を受けられた人も多いはず。命に直結する情報を隠してまで、国は何を守ろうとしているのか」と厳しく批判した。
また、東京訴訟原告の女性(56)は「私自身も15年間、フィブリノゲンを投与されたことを知らなかった」と体験を語る。その上で、「国が知らせていないことで、今も感染に気付かず、病院にかかっていない人もいると思う。命の問題だから、徹底的に調査して早急に公表してほしい」と話した。>
患者は「企業の利益を優先して、国民の命を守ろうとしないなら」と言っているが、事実その通りなのは水俣病や薬害エイズ、アスベスト対策等と今回の問題が同じことの繰返しであることが証明している。
1980年代初頭、当時の厚生省が血友病患者等への輸入非加熱製剤の輸血を通したエイズ感染の危険性を把握していながら、原料とする外国からの輸入血の輸入禁止措置もミドリ十字等の製薬会社の製造・販売の禁止措置も取らなかったのは患者の生命よりも製薬会社の利益を優先させたからであり、厚生省からの天下りを社長に迎えていたミドリ十字が危険情報を自らも入手していながら、安全な加熱製剤が発売された1986年1月以降も「国内血で製造しているので安全」と偽って国内血と輸入血の混合製品を販売し続けてエイズウイルスを拡大させたのも厚生省と同じ歩調を取って自らの企業利益を優先させ、患者の生命を軽視したからこそできた見事な成果であろう。その成果は同時に企業としての使命とそれを果たすべき責任に対する自らの裏切りという逆説をも果たすものであることは断るまでもない。その同じことの繰返しと言うわけなのである。
企業優先・個人生命軽視は水俣病原因特定にも物の見事に現れている。有機水銀に侵された魚介類を通して身体の麻痺や言語障害を起こす水俣病にしても、1956(昭和31)年に熊本大学医学部が原因を水俣市にある新日本窒素(現在名=チッソ)水俣工場の排水中に含まれる有機水銀が魚介類を介して人体に入り、中毒を起こしたものと結論づけたが、政府はそれを無視して問題を放置、9年後の1965(昭和40)年に新潟県で第2の水俣病(新潟水俣病)が発生、昭和電工鹿瀬工場からの阿賀野川への排水を原因として流域住民に多数の水銀中毒患者を発生させて初めて、水俣病を公害と認定している。熊本大学医学部の原因究明から遅れること12年の1968(昭和43)年9月になってからのことである。
県と国は患者認定には厳しい規制を設けながら、住民への補償と不況が重なって経営危機に陥った窒素に対して合計3000億円にも達する巨額の資金援助を行っているのも、「企業の利益を優先して、国民の命を守ろうとしない」姿勢がそのまま現れた構図としてあるものであろう。
アスベストの欧米と比較した対策の大幅な遅れについても同じことが言える。旧環境庁が<89年工場外への石綿の飛散を防ごうと基準を決めた大気汚染防止法改正の際>、<「石綿製造工場は中小企業が多い。産業保護の観点からも問題がある」>(05年8月27日の『朝日』朝刊≪時々刻々アスベスト対策検証 責任曖昧 救済も難問 関係省庁、なすり合い≫)と旧通産省の幹部から反対される経緯があったとのことだが、これも企業側に立った姿勢――国・企業の個人の福祉に貢献すべき使命・責任を自ら裏切る企業優先・個人生命軽視と言える。
企業優先・個人生命軽視の態度は国家主義志向の体質によって発揮可能となる。国家主義とは「国家をすべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え、個人の権利・自由をこれに従属させる思想」(『大辞林』三省堂)を言う。
国家の経営はある種の人間の集団によって行われる。国家を経営する自分たち人間集団(政治家・官僚)とそれに組する特定の企業・特定の個人を「すべてに優先する至高の存在あるいは目標と考え」、その利益のみを図り、国民一人一人の生命を存在づける「個人の権利・自由をこれに従属させる」国家主義の思想を血とし肉としているからこそ平然として同じことの繰返しをやってのけることができる国による企業優先・個人生命軽視であり、その止むことのない同じことの繰返しによって国の形にまでなっているということなのである。
政府が国家及び企業優先・国民の生命軽視の犯罪を犯すたびにその懲罰として政権交代を選択していたなら、政府は否応もなしに国家及び企業優先の国家主義の態度から国民の生命優先・個人優先の態度に改めざるを得なくなっただろうが、そうしてこなかった国民にも責任のある「企業の利益を優先して、国民の命を守ろうとしない」国の態度であり、企業の態度でもあろう。
舛添厚労相はイニシャルや医療機関名を公表する考えを示しており、検査や治療を呼びかける方針ということだが、そうしないとただでさえ参議院は与野党逆転の状況にあり、いつ国民の氾濫を招いて衆議員も与野党逆転を誘い込まないとも限らないからこその国民よりの態度であって、如何に政権交代が有効か教えている。
だが、「公表」を抑えることでも国民の怒りを鎮め衆議員与野党逆転を防ぐ方法があることを上記記事≪肝炎訴訟原告 「治療機会奪われた」 国の対応「悪意だ」≫の後段内容<厚労省、開示なお二の足>が暗に示唆している。
<桝添厚労相は21日夜、「イニシャルでも医師の名前でも本人を特定できる可能性があれば公表する」と意気込んだが、22日には「プライバシーを保護しながらどうやるかはケース・バイ・ケース」とした。「感染を隠して暮らしている人もいる」というのが理由だ。>と「公表」に条件をつける態度変更を行っている。
「プライバシーの保護」を口実に世間に公表しないことによって患者本人にも知らせない方法を取る、これまでもしてきたような隠蔽も可能となるだけではなく、逆に患者本人にのみ秘密裏に知らせて、世間に対しての隠蔽も可能となる。そのメリットは報道の形で取り上げ不可能とすることでマスコミに対する隠蔽が可能となり、かつての大本営発表が事実をゴマカシたように厚労省の犯罪を最小限に薄めるゴマカシが可能となり、国民世論の鎮静を手に入れることが可能となる。そうすることによって政府にしても衆議員与野党逆転へと向けた打撃をもろにかぶる危険性を少なからず避けることができるメリットをつくり出すことができる。
いわば桝添は政権維持にとって障害となるかもしれないと洗いざらぶちまけることの危険性に気づいたか、誰かに教えられたかしたのだろう。もしそうであるなら、結果として今まで示してきた個人優先の態度は単なるポーズで、政権維持のために国家優先・企業優先の態度、個人の生命軽視の態度へとその他大勢に右へ倣えすることを意味することとなる。
超党派の議員でつくる「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=島村宜伸・元農相)のメンバー67人が18日(07年10月)、靖国神社を参拝したと「読売」インターネット記事に出ている。。
<同神社の秋季例大祭に合わせた恒例行事で、自民党の尾辻参院議員会長ら同党議員を中心に、民主党、無所属議員の計67人(衆院49人、参院18人)が参加した。西川京子厚生労働副大臣、加藤勝信、戸井田徹両内閣府政務官、秋元司防衛政務官、山谷えり子首相補佐官も参拝した。
島村氏は参拝後の記者会見で、福田首相が近隣諸国との関係を重視して靖国神社に参拝しない意向を示していることについて「自分たちの意思で参拝することに何ら臆するものはない。残念だ」と述べた。>(07.10.18/11:2『読売』≪超党派の国会議員67人、秋例大祭で靖国神社を参拝≫)
「自分たちの意思で参拝することに何ら臆するものはない」
大いに結構、毛だらけ、ネコ灰だらけ。だが、わざわざそう宣言しなければならないところに、参拝に意識的にならざるを得ないところがあるのだろう。
多分、「あなた方は誉れある大日本帝国軍隊兵士として天皇陛下のために自存自衛の戦争を戦い、お国のために戦って、尊い命を落とされた。ここに万感の思いを込めてご冥福をお祈りし、尊崇の念を表します」とでも言って手を合わせたのだろう。
「今の日本はあなたがたが全身全霊で示されたのと同じように自分の命に代えてまで国を守ろうとする気概を持った若者がいなくなった。いや、尊い命を捧げたあなた方を顕彰することさえ忘れたしまって人間がいる」と付け加えたかもしれない。「嘆かわしいことだ。こんなことでは美しい日本は滅びる」と。全体的な人間の営みに関して言うなら、元々美しい日本など存在したことはないのに。
「国家の人間でありながら、中国・韓国に臆して参拝しない人間は福田だ」とさらに付け加え、内心罵った国会議員もいたかもしれない。「臆」したと言うことなら、戦前型国家主義者であることを裏切って直接の参拝を控えた前首相の安倍晋三だって同じであろう。
まあ、侵略戦争ではなく、自存自衛の戦争としておこう。しかし自存自衛の戦争とはならなかった。植民地解放・大東亜共栄と言いながら、アジアの多くの人間を犠牲にし、国のためを優先して自軍の兵士の多くを犬死の生贄とした。
会社を救うための借金だと言っても、会社を救うことにならなければ、借金は無意味化する。会社が倒産し、借金が残ったなら、その責任は問われなければならない。
このことは「政治は結果がすべて」だと多くの政治家が言っていることからも証明できる。戦争も政治、あるいは外交の一つの手段である。当然戦争も「結果がすべて」でなければならない。結果に対して責任を負うと言うことである。
自存自衛の戦争が結果として自存自衛にならなければ、そのような戦争を計画し、遂行した者の責任は免れることはできない。戦争の結果に対して責任を取ろうとする姿があったなら、なぜ無謀な戦争を仕掛けることになったかを徹底的に検証することによって責任を開始させなければならない。
検証の当然の結果として、あの戦争は国民が「尊い命を捧げされられた」戦争でもあり、戦争の名のもとに国家が国民の「尊い生命を犠牲にした」戦争でもあったことが判明して、「尊い生命を捧げた」の検証のみでは国家の責任を無罪放免とするだけの一方通行で終わる。
いや、それだけではない。あの戦争で命を落とした日本の兵士や国民は自存自衛の戦争にはならなかった日本の無謀で愚かな戦争の被害者でもあると同時にアジアの国々に対する加害者でもあったのだから、「天皇陛下のために、お国のために尊い命を捧げた」と顕彰するのみでは、国家の責任を無罪放免とするだけでなく合理性を欠いた一国主義的倒錯行為と化す。
このことは例えA級戦犯を分祀したとしても変わらない。10月07日(07年)の「asahi.com」が<日本遺族会会長である自民党の古賀誠選対委員長は6日、津市で講演し、「靖国神社が戦没者追悼の唯一の施設ということを基本に、国民すべてが、天皇陛下を含み、英霊の御霊(みたま)にお参りできる施設として残すべきだ」と述べ、改めて「A級戦犯分祀(ぶんし)論」を唱えた。古賀氏は「A級戦犯だけに責任があるとは決して言わないが、多くの戦没者の遺族を出してしまった。時の指導者の中で責任を取ってもらうのは一つの考え方だ」と強調した。
この問題をめぐり、日本遺族会は古賀氏の提案を受け、今年5月から合祀(ごうし)の経緯を検証する勉強会を開いている。>(≪靖国神社分祀、改めて主張 古賀遺族会会長≫)と伝えているが、結果に対する責任を含めた戦争を検証する責任を果たさないどのような「追悼」も、また追悼の対象者が誰であれ、戦前の日本国家の責任(自存自衛の戦争とならなかったばかりか侵略戦争とさせた責任)を除去する(=無罪放免とする)もので、戦死者を「天皇のため・お国のために戦った」と献身行為、あるいは奉仕行為と位置づけることができるのも、国家の責任の除去を隠された条件としているからに他ならない。
そのような国家責任除去の構図が戦死者から犠牲者及び加害者の要素を隠蔽するウソを生じさせることとなっている。
アジアの国民に対しては加害者でもあった位置づけを欠くからこそ、「英霊」なる顕彰が可能となる。
島村宜伸以下の67人の日本の国会議員が「天皇陛下のために戦い、お国のために戦って、尊い命を犠牲にした。ご冥福をお祈りし、尊崇の念を表します」とのみ顕彰できるのは戦争及び国家の責任を検証しない姿勢でいられる無責任のゆえからに他ならない。
容疑は<国から受注した中国の遺棄化学兵器の処理事業で約9000万円を流用していた≫(07.10.17『朝日』夕刊≪PCI関係先を捜索 東京地検 国事業で流用容疑)中国遺棄兵器処理)いうもので、<特捜部は、巨額の国費が投じられる事業を舞台に行われた不正経理の実態解明を目指す。>(同記事)と伝えている。
記事の最後に《ODAからむ不正次々》と題して<海外での建設コンサルタント業務を手がけるPCIをめぐっては、過去に政府の途上国援助(ODA)事業で不正経理が次々と発覚している。>とその前科ふりを解説している。箇条書きにしてみると、
①00年、中米コスタリカではPCIが共同事業体を組み、同国の農業開発計画
事業を受注。同国の政府機関「国土地理院」に測量などを下請け発注したが、
約1800万円が使途不明になっていることが判明。
②国際協力機構(JICA)の調査で、使途不明金のうち約500万円分は
PCI側が架空の人物のサインを使った領収書を作成し、流用していた。
③06年3月までの間に、JICAから計18カ月間の指名停止処分を受け
ている。
④会計検査院の調査で06年、ODAをJICAから請け負ったPCIが
、16カ国で実施した20事業で、契約書や領収書を偽造して経費を水増しした
り、架空の契約をしたりしていた疑いがあることが発覚。水増しなどの総額
は計1億4千万円だったと指摘されている。
⑤06年の汚泥・し尿処理施設工事の入札をめぐる談合事件では、大阪地
検特捜部が、独占禁止法違反(不当な取引制限)容疑で、グループ会社「パシ
フィックコンサルタンツ」の中国支社(広島市)を捜索している。
いわば悪質な累犯常習者だということなのだろう。
記事の内容に限って言えば、00年の中米コスタリカの農業開発計画事業での不正経理が最初で、<16カ国で実施した20事業で、契約書や領収書を偽造して経費を水増ししたり、架空の契約をしたり>の経緯を踏み、そのことに関連してのことだろう、<06年3月までの間に、JICAから計18カ月間の指名停止処分を受け>、今回の中国遺棄兵器処理事業での約9000万円を不正流用へと見事なまでに美しい歴史を刻んでいる。
安倍内閣が発足したのは06年9月26日。安倍首相が自ら掲げていた国家像「美しい国、日本」を内外に発信する「美しい国づくり」企画会議(平山郁夫座長)を安倍首相の下に設置したのは07年4月。ところが07年9月12日に辞意表明、そして辞任記者会見へと続き、内閣を無責任不法投棄(国会で所信表明演説をした直後の辞任だから、不法投棄にも等しいだろう)、それを受けて設置していた「美しい国づくり」企画会議の廃止を9月21日に政府は決定している。
安倍内閣が1年の短命。「美しい国づくり」企画会議はその半分の6ヶ月の短命である。しかし安倍首相は首相になる前に「美しい国へ」と題した自著を06年7月20日に第一刷発行している。「美しい国、日本」は前々から持論としていた国家像であり、その本格的な実現に向けて「美しい国づくり」企画会議を正式に発足させた。そのプロジェクトを安倍内閣時代の首相官邸HPから見てみると、
①美しい国づくりプロジェクトでは、私たち日本人の暮らしや仕事の中に
息づいている、本来持っている良さや「薫り豊かな」もの、途絶えては
いけないもの、失われつつあるもの、これから創っていくべき美しいも
のがあることを踏まえながら、皆さんと一緒に、一人ひとりが日本"らし
さ"を見つめなおすことから始める。
②これからの私たちの成長や活力の"糧"として、日本 "ならでは"の
感性、知恵、工夫、そして行動に気づき
共有し、そのことを日々の暮らしや仕事の中で磨き上げ、創り出してい
くことで、「美しい国、日本」を築いていくことを目指す。
③その具体化の第一弾として、<あなたが思う、日本"らしさ"、日本"
ならでは"のものとして推薦できる「美しい日本の粋」>を
平成19年4月20日(金)~6月22日(金)の募集期間で公募。
要するに日本人の心の中に息づいているとしている「日本"らしさ"」を再発見して、「日本"らしさ"」が請合っている「日本"ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動」を把え直し、それを行動基準とすることで「美しい国、日本」へ持っていくという一大計画なのだろう。
そして「日本"らしさ"」、「日本"ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動」は「美しい日本の粋」に最も象徴的に集約されているゆえに、まずは「美しい日本の粋」の再認識から取り掛かると言うことなのだろう。
安倍前首相が「日本"らしさ"」、「日本"ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動」に最重要の価値を置き、「美しい国、日本」をあるべき国家の目標として「美しい日本の粋」を公募している足元で、「薫り豊かな」「日本"らしさ"」、「日本"ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動」を爪の垢ともせずに「ODAからむ不正次々」が止むことなく繰り広げられていた。
「ODAからむ不正」は上記『朝日』夕刊記事内の事例に限られているわけではなく、ほんの一例に過ぎない。07年10月17日の「毎日jp」の≪<ODA>無償の施設工事、7割が落札率99%以上≫は次のように伝えている。
<政府開発援助(ODA)の無償資金協力の施設建設工事で、03~06年度に成立した入札166件のうち7割近い112件が落札率99%以上だったことが会計検査院の調べで分かった。同90%未満の入札はわずか15件で、成立しなかった100件についても予定価格すれすれの金額で価格交渉が成立する不落随意契約で、割高な契約になっていた。検査院は外務省、独立行政法人国際協力機構(JICA)に、競争性と透明性を確保するよう一層の努力を求めた。
参議院からの検査要請で、検査院は03~06年度のODAの無償資金協力、技術協力を巡る建設工事や資機材調達の入札契約について調査、17日に結果を参院に報告した。
検査院によると、4年間に入札された266件のうち成立は166件だった。平均落札率は96.81%で、落札率が99%以上だったのは、アフガニスタンの空港ターミナル建設(05年度)など112件。最高はマダガスカルの国道建設(03年度)の99.99%だった。
入札参加社数が少ないほど、落札率がつり上がる実態も浮かんだ。1社のみ参加の29件の平均落札率は99.31%、2社参加の48件は97.98%。一方、最大の5社が参加したカンボジアの村落飲料水供給事業(06年度)の落札率は62.16%だった。
不落随契も割高な契約となり、ガーナの幹線道路改修計画(04年度)の場合、予定価格約35億円を約1億円引き上げて、ようやく交渉が成立した。
無償資金協力はODAの一環で、途上国の開発に必要なインフラ施設の建設や資機材の購入に必要な資金を日本が無償で援助するもの。事業の主体は途上国側だが、日本会計法令を基にしたガイドラインに従って入札、契約などが行われる。
外務省報道課は「競争性などを向上させるよう、より一層努力していきたい」とコメントした。【斎藤良太】>
PCIが上の契約にどれ程関わっているか。落札率が95%を越える入札は確信犯的談合だと通説になっているが、談合だとすると、誰が談合によって利益を得ていたのか。「不落随意契約」にしても、より高値にするために各社が談合して最初の入札は不成立に持っていくということもするだろう。
また不正は「ODA」だけの問題ではなく、政治家のカネにまつわる不正、役人・官僚の類の談合、収賄、企業の偽装や偽造、脱税、その他・その他、不正は尽きることなく日本の社会を覆い尽くしている。
譬えて言うと、国立劇場とかの立派な舞台で安倍晋三が自らの主演でドラマ「美しい国、日本」を熱演していたが、舞台真下の客席の観客は談合の新たな手口、その他の悪巧みやカネ儲けの話、税金をうまく誤魔化す方法、愛人の自慢、女をうまく口説く方法などを好き勝手に話し合うばかりで、安倍信三が演ずる「日本の『薫り豊かな』」な息遣いには(思い込みに過ぎないということもあるが)毛程も関心を持たず、当然爪の垢ともせず、主役の安倍晋三が張り上げる「規律」だとか「凛とした」だとかのセリフも柳に風で、劇場空間を覆っていたのはただ単に二項対立の世界(美しさへの思い込みと人間の現実の姿)に過ぎなかったということではないだろうか。
安倍首相は自らの演技、自らが練り上げたドラマの展開にのみ目を奪われて最後の最後まで観客を惹きつける力を持たないことに気づきもせずに「美しい国、日本」が日本人の規律を律する最善のドラマであり、素晴らしい国家像へとつながっていくと信じて演じていた。――
「美しい国、日本」に無関心なのは客席だけではない。政府は<「わが国の良さ、素晴らしさを国民が再認識する機会を作った」と意義を強調>(≪美しい国づくり:企画会議に4900万円 2回で解散≫07.10.17/毎日jp)しているが、舞台で安倍晋三が熱演しているすぐ背後の舞台裏でも、舞台を裏から支える役目を担っていた、いわば「わが国の良さ、素晴らしさを国民が再認識する機会」づくりを実務面から担っていた企画会議のスタッフ自らが、熱演を嘲笑うかのように「美しい国づくり」企画会議を半年の間に2回開催しただけで経費を5千万円近くもかける、ドラマの趣旨を何ら理解していない、趣旨に真っ向から反する浪費を演じていた。<経費の内訳は、職員9人の人件費約1600万円▽事務所費約3100万円▽通信・交通費約200万円。一方で同会議の実績は、日本特有の生活様式や気質を問うアンケートだけだった。>(同記事)と伝えている。
安倍首相が「美しい国、日本」を理想の国家像として掲げた以上、社会のありとあらゆる不正と正面から対決しなければならなかったにも関わらず、現実の社会を動かす力とはなっていない、それゆえに幻想でしかない「『香り豊かな』日本"らしさ"」、「日本 "ならでは"の感性、知恵、工夫、そして行動」に価値を置いて、それを追い求める裸の王様を演じるに至り、結果として社会の不正の前に「美しい国、日本」はスローガンで始まり、スローガンで終わった。その程度の安倍式「美しい国、日本」だったということなのだろう。
上記「毎日」記事を参考までに引用。
<安倍晋三前首相の肝いりで設置された政府の「『美しい国づくり』企画会議」に約4900万円の国費が投じられたことが、政府が16日に閣議決定した答弁書で明らかになった。同会議は日本画家の平山郁夫氏ら有識者12人を集めて4月に発足したが、2回会合を開いただけで、目立った成果もなく9月に解散した。
喜納昌吉参院議員(民主)の質問主意書に答えた。それによると、同会議を運営するために内閣官房が支出した経費の内訳は、職員9人の人件費約1600万円▽事務所費約3100万円▽通信・交通費約200万円。一方で同会議の実績は、日本特有の生活様式や気質を問うアンケートだけだった。
答弁書は「わが国の良さ、素晴らしさを国民が再認識する機会を作った」と意義を強調したが、政権を投げ出した代償は高いものとなった。【坂口裕彦】>
プロ野球パリーグのクライマックスシリーズ最終戦は日ハムがロッテを6-2で下し、対戦成績3勝2敗でリーグ優勝に続いて制覇、日本シリーズにコマを進めることになった。
昨夜(18日)7時からはNHKのニュース、朝日テレビの日ハム対ロッテ、日テレの中日対巨人とチャンネルを切り替えるのに忙しかった。NHKのニュースは早々に切り上げ、日テレと朝日テレビの間を行ったり来たり。但し日ハムが決着を決めた瞬間から、じっくりと朝日テレビに腰を落ち着ける。
婚期で退団(いや違う、婚期がきたから退団するのではなく、今シーズン限りの「今季」で退団)、帰国するヒルマン監督の胴上げ、場内パレード。それが終わるとそれまでベンチに控えていたロッテがバレンタイン監督を先頭にグラウンドに現れ、外野席の引き上げずに日ハムの優勝を祝福していたロッテ応援団の前に行き、バレンタイン監督は帽子を取って一礼、多分1年間の応援に感謝を示したのだろう、その後両チームの監督・選手はお互いに近づき合い、入れ替わり立ち代り肩を抱き合ったり、握手したりしてお互いの健闘をにこやかに讃え合う。
解説だかアナウンサーだかがこんなことは初めてのことではないかと言っていた。つい何日か前に世界フライ級タイトル戦の終盤でセコンドの父親が劣勢を撥ね返す最後手段として「タマを打ったらええ」、兄貴が「肘でいいから目に入れろ」と反則を指示したと言われていることに関して父親の史郎が記者会見で「最後はポイントも取られてるから悔いのないように戦えと。あとはどうとらえられようがそっち側の自由やけど、おれらは言うてません」(07.10.8/サンスポ≪【BOX】父・史郎氏、報道陣ににらみ一発…反則指示否定≫)と正直なまでの開き直りの否定。そう指示したことがどこでどう間違えたのか、あるいは単に忠実に実行しようとした結果なのか、プロセスまがいに対戦ボクサーの世界チャンピオンを抱え上げ、「悔いのないように」リングに落とすという前代未聞の手段を選ばない離れ業をやってのけた見事なボクシングテクニックを評価されて自分たちが反則3点も加えられて大差で敗者の判定を下されると、ボクシングでは対戦後の通例のセレモニーとなっている相手選手と抱き合い、あるいはグラブを合わせて相互の健闘を讃え合うこともせずにさっさとリングを降りて退場していったシーンを見たばかりだが、それとは違う敗者ロッテの選手も交えた和やか、和気藹々の健闘の讃え合いであった。
肩を抱き合い、あるいは握手し合って健闘を讃え合うついでにロッテ選手は日ハム選手の耳元に、日ハム選手はロッテ選手の耳元に、例えばサブロー、倉崎、福浦などがダルヒッシュやマイケル中村、森本などの耳元に「来シーズンはロッテに来いよ。その方が未来が開けるぜ」と囁きかけ、ダヒッシュ、マイケル中村、森本も負けずにサブロー、倉崎、福浦の耳元に「いや、そっちこそ來シーズンは日ハムに来るべきだ。プロ野球の未来を超えて日本の未来が開ける」とお互いにスカウトし合ったのではないだろうか。そんな勘繰りもした交歓風景だった。
そのとき、「もし移籍する気があるなら、いい女を世話するぜ。欲しいだけ裏カネも用意するぜ」と、女やカネをエサとするのは政治家や官僚、役人の世界の話で、彼らはそんなことは口にもしないに違いない。
尤も西武ライオンズが球団創立から05年6月のプロ野球12球団倫理行動宣言前までの27年間にも亘って行っていたアマチュア選手に対してヒモつきとする目的の金銭供与、さらにアマチュア野球の監督や関係者への謝礼金、選手に対して契約前に契約金や報酬金の前渡し、海外渡航費の餞別金など、他の球団もやっていなかったとは言えない黒い金権慣行に選手自身も知らぬ間に蝕まれ、馴染んでいたとしたら、冗談が冗談と見せかけて本心がチラリと覗いた一言となりかねない。
例えそういった冗談が交されたとしても、冗談で終わる冗談なのは分かり切っていることなのだから、「いい女を世話をする、裏ガネカネを用意する」はブラックユーモアと受け止めるべきで、そういったことを勘繰ること自体が悪い我が冗談、悪質な我が妄想に決まっている。
日ハムの優勝だけではなく、セリーグのクライマックスシリーズ第1戦で中日が巨人に先勝したことに気をよくして、つい余計なことまで勘繰ってしまったチャンネル替えに忙しい昨夜だった。テレビ・新聞で連日のように報道されている役人・官僚・政治家の蔓延状態の金権慣行にもついつい影響されていたのかもしれない。我が冗談・我が妄想を批判する前に、政治家・官僚・役人の類の金権体質・金権慣行を批判・非難してもらいたい。