民主党生活重視政策そのものが成長戦略

2009-07-31 03:21:56 | Weblog

 今月7月27日に民主党が8月18日公示、8月30日投票の衆議院選挙に向けたマニフェスト(政権公約)を発表した。その要旨の主なところを7月27日付「時事ドットコム」記事――《民主マニフェストの要旨》から拾ってみる。

 〈5原則〉

 ▽原則1 官僚丸投げの政治から政治家主導の政治へ
 ▽原則2 政府と与党を使い分ける二元体制から、内閣の下の政策決定に一元化へ
 ▽原則3 各省の縦割りの省益から官邸主導の国益へ
 ▽原則4 タテ型の利権社会からヨコ型のきずなの社会へ
 ▽原則5 中央集権から地域主権へ。

 【五つの約束】

 〈約束1〉無駄遣い
   国の総予算207兆円を全面組み替え。税金の無駄遣いと天下りを根絶。議員の世襲と企
   業・団体献金は禁止し、衆院定数を80削減。

 【各論】
  ▽特別会計は必要不可欠なもの以外廃止
  ▽独立行政法人は全廃も含めて抜本的見直し
  ▽霞が関の天下り団体となっている公益法人は原則廃止
  ▽随意契約、指名競争入札を実施する場合は徹底的な情報公開を義務付け
  ▽国家公務員の総人件費を2割削減
  ▽参院定数は衆院に準じて削減
  ▽役割を終えた租税特別措置は廃止し、必要なものは恒久措置に切り替え。
 
 〈約束2〉子育て・教育
   中学卒業まで1人当たり年31万2000円の「子ども手当」を支給。高校は実質無償化し、大学
   は奨学金を大幅に拡充。
  
 【各論】
  ▽出産時に55万円まで助成
  ▽公立高校生のいる世帯に授業料相当額を助成
  ▽私立高校生のいる世帯に年額12万円(低所得世帯は24万円)を助成
  ▽大学生などに希望者全員が受けられる奨学金制度を創設
  ▽生活保護の母子加算を復活
  ▽教員養成課程を6年制とする。
 
 〈約束3〉年金・医療
   「年金通帳」で消えない年金。年金制度を一元化し、月額7万円の最低保障年金を実現。後
   期高齢者医療制度は廃止し、医師の数を1.5倍にする。

 【各論】
  ▽「消えた年金」問題への対応を国家プロジェクトと位置付け、2年間集中的に取り組む
  ▽年金制度を一元化し、所得比例年金最低保障年金を創設する法律を2013年までに成立
  ▽社会保険庁は国税庁と統合して「歳入庁」とする
  ▽社会保障費2200億円の削減方針は撤回
  ▽医療従事者の増員に努める医療機関の診療報酬を増額
  ▽介護労働者の賃金を月額4万円引き上げ。

 〈約束4〉地域主権
   「地域主権」を確立し、第一歩として、地方の自主財源を大幅に増やす。農業の戸別所得補
   償制度を創設。高速道路の無料化、郵政事業の抜本見直しで地域を元気にする。

 【各論】
  ▽国から地方への「ひもつき補助金」廃止。地方が自由に使える一括交付金化
  ▽国の出先機関を原則廃止
  ▽国直轄事業の負担金制度廃止
  ▽自動車関連諸税の暫定税率廃止
  ▽将来的にガソリン税、軽油引取税は「地球温暖化対策税(仮称)」として一本化、自動車重
   量税は自動車税と一本化、自動車取得税は廃止
  ▽畜産・酪農業、漁業にも所得補償制度導入
  ▽森林管理・環境保全直接支払制度導入
  ▽郵政株式売却凍結法を成立させ、郵政事業の4分社化を見直す。

 〈約束5〉雇用・経済
   中小企業の法人税率を11%に引き下げ。月額10万円の手当付き職業訓練制度により、求職者
   を支援。地球温暖化対策を強力に推進し、新産業を育てる。        

 【各論】
  ▽「中小企業いじめ防止法」を制定
  ▽原則、製造現場への派遣を禁止
  ▽最低賃金の全国平均1000円を目指す
  ▽温室効果ガス排出量は2020年までに1990年比25%減、2050年までに60%超減を目標とする。
   (以上)――

 対して自民党閣僚から、前々からの繰返しに過ぎないのだが、バラマキだとが財源が不明だとか、成長戦略を欠いているだとかの批判が飛び出た。政権喪失の現実味が相当に濃厚となって、心中穏やかでないのだろう。麻生首相を筆頭に各閣僚が言葉でケチをつけて国民に理解させようと躍起になっているが、どれもこれも何を喋ろうと、自民党は既に言葉の信用を失っている。自民党政治の結果としてある今ある社会の惨憺たる現状が自民党政治が発するすべての言葉を既に胡散臭いものとしていることの証明としてある言葉の信用喪失なのだが、いくら信用を失っていても、残されている武器は言葉しかないから、犬の遠吠えとしかならない批判を続けることになる。お目出度いことに信用を失っている言葉を発して信用させようとする自分たちの滑稽な倒錯に気づかない。

 自民党政治が言葉の信用を失っていることの最も象徴的出来事が麻生首相の各種失言であろう。決して麻生首相の失言が自民党政治の言葉の信用喪失をつくり出しているわけではない。麻生首相が自民党政治の言葉の信用喪失と響き合わせて失言を繰返すことで、全体としての言葉の信用喪失になお一層の拍車をかけているに過ぎない。

 当然麻生首相の責任は重いが、麻生一人だけの責任ではない。安倍・福田共政権は1年と維持できずに投げ出して自民党政治の言葉の信用喪失に磨きをかけている。

 安倍・福田両内閣の閣僚や自民党議員も十分に手を貸した。それぞれに「選挙の顔」として支持に向けた雪崩現象まで演じて総理・総裁に選んでおきながら、支持率が低迷すると、これでは選挙が戦えないと手のひらを返したように今度は支持離れの雪崩現象を見事に演じた無節操も自民党政治の言葉の信用喪失に力を与えたはずだ。

 最たる言葉の信用喪失は年金問題解決の政治舞台で見せた、元々果たされないことの代名詞と称される公約のタバコの吸殻を捨てるように捨てた無責任なポイ捨てに見ることができる。

 07年5月30日の小沢・安倍党首討論で安倍首相は該当者不明の年金記録5000万件の調査を1年以内に目途を付ける方針を表明した。具体的には――

 (1)標準的な受給開始年齢の60歳に達している記録2880万件と受給者3000万人を1年間で照合。
   受給年齢に達していない被保険者も1年以内にすべて調査する。

 (2)領収書や記録がないケースは第3者委員会で検討する。

 5月30日の党首討論で「1年以内」を公約とした。07年5月31日を起点とすると、期限は08年5月30日となるのは国会議員なら誰でも計算できたはずた。ましてや総理大臣たる安倍晋三には「晋三」が「心臓」という名前でなくても終点がどこにあるかを理解していたはずである。

 「わたしは政府の責任者だから大きな責任を感じている」と党首討論で責任を果たす強い決意まで述べていたのである。

 「わたしは政府の責任者だから・・・・」――、何という勇ましい言葉か。

 そして自らの政治力によって与野党逆転を演出せしめた07年7月29日の参議院選挙前の7月5日に当時の安倍首相は記者会見で次のように公約している。

 「来年の3月までに、に於いて、いわば照合を行います」

 「最後のお一人に至るまで、みなさまの年金の記録をチェックして・・・・、責任政党はできないことは言いません。しかし言ったことは必ず実行してまいります」(以上TBS

 「1年以内に名寄せを行い、突き合せを行う。そんな1年以内にできるわけないだろう、そんな批判が野党からもありました。私はさらに専門家にこの突き合せ、前倒しできないか、精査させました。そして結果、前倒しでそれが可能なことが明らかになったわけでございます」(日テレNEWS24

 07年5月30日の小沢民主党代表代表に約束した公約――「年金記録の1年以内の照合」が「08年の3月まで」と明確にリミットを切ったわけである。

 ところが約4カ月後の07年8月27日に政権を投げ出して、あっさりと「1年以内」の公約をポイ捨てて、自民党政治の言葉の信用喪失に総理・総裁として足跡の残る大きな貢献を果たした。

 さらに07年12月に入って、「1年以内の照合」が不可能だと分かると、安部に代る福田首相及び各閣僚共、元々見るべき実質を備えていなかった言葉の信用性をさらに裏切り、壊す方向に恥も外聞も捨てて舵を切った。

 桝添(記者会見)「ここまでひどいというのは想定しておりませんでした。・・・・最初うまくいくかなあっと思って5合目ぐらいまでかなり順調でありました。そっから先、こうなったときに、こんなひどい岩山と言い、その、アイスバーンがあったのかっていう・・・・」

 桝添「無いものは無いってことを分かる作業を3月までやるってことですから、それを着実にやってます」

 桝添「3月末までにすべての問題を片付けると言った覚えはないんです」

 ――女性記者「じゃあ、それはいつまでですか?」

 桝添「エンドレスです。それでできないこともありますよ。恐らく他の方が大臣になってやられたって、あの、結果は同じだと思います。無いものは無い」(以上日テレNEWS24

 「無いものは無い」と開き直った桝添。この男の正体がここにあることを忘れてはならない。

 07年8月27日の安倍改造内閣で厚生労働大臣に任命された翌日の記者会見では次のように述べていたにも関わらずである。

 桝添「公約の最後の1人、最後の1円まで確実にやるぞ、ということで取り組んでいきたい」(TBS

 町村官房長官(12月11日の記者会見)「最後の1人まで、最後の1円まで、これを全部3月にやると言ったわけではないわけでありまして、えー、選挙ですから、年度内にすべてと、まあ、縮めて言ってしまったわけですけれども」(同日テレNEWS24

 参議院選挙用に国民に大盤振舞いした言葉のご馳走に過ぎない、約束として発信した言葉ではないと言うのだから、言葉が備えるべき信用性など最初から縁なき邪魔者だったのだろう。

 福田(07年12月11日夜の官邸)「まあ、『解決する』というように言ったかなあ――。名寄せすると、まあ、それをですね、来年の3月までにやると、ようなことを言ったかもしれませんけどね。そのあともずっと引き続き努力していくと、ま、いうことになりますよ」

 10月3日の国会答弁では次のように言っていながらである。
 
 福田首相「平成20年3までを目途に5000万件の年金記録について名寄せを実施すると共に・・・・」(TBS

 「Wikipedia」によると、安倍晋三はこう言っている。

 安倍「今になって(参院選の)選挙演説の『最後の一人までチェックして支払います』が公約違反と言われるけど、俺は一言も三月までに支払うとは言ってない」
 
 それぞれが『狼と少年』の「少年」を演じて言葉の信用喪失を積み上げてきた結果、癌で摘出手術を受けたために身体の器官を喪失した人間のように自民党政治は言葉の信用性を喪失した身体となったのである。当時小沢民主党代表が記者会で言っている。

 小沢「まさに国民に対して、を冒涜する、責任を回避するいい加減な、無責任な言い草ではないかと思います」

 自民党の誰が何を喋ろうとも、もはや誰からも信用されなくなった『狼と少年』の「少年」と化したのである。どう足掻いて批判しようが、誰が耳を傾けるだろうか。だが、政権の座からずり落ちそうになっている今、すっかり余裕を失って、何か言わなければ不安なのだろう、民主党がマニフェストを発表すると、誰にも信用されない言葉でここぞとばかりに一斉にこき下ろしにかかった。

 与謝野財務・金融相「これだけ色々約束したわけですから、財政は破たん状態になる。タダにするものいっぱい、差し上げるものもいっぱい。税金の話は一切触りません。成長戦略も見えてこない。財政の状況はさらに悪くなるだろうと思う」

 (「子ども手当」について)「うれしい側面だけを表に出している。誰が本当に負担するのかということについて触れられていない」

 河村官房長官「マクロ経済に対する視点がない。成長戦略を持ってない。外交、安保政策が明確でない」

 林経済財政相「ばらまき色が強いという印象。財源をどこから持ってくるのか不明瞭だ。・・・政権担当能力に疑問符をつけざるを得ない」

 麻生首相「財源がきわめてあいまいだと思います。・・・(「子ども手当」「高校の無料化」等)何兆円かかります?5兆数億円かかると記憶しています。前は、(予算を)組み替えたら何となく財源が出てくる話を言っておられたが、無責任。聞こえのよいばらまきの話はきわめて危ない」(以上日テレNEWS24記事)

 一番言葉の信用性とは縁をなくしている麻生太郎がそのことを棚上げにして批判する。

 甘利行革担当相「一言で言いますと、ポピュリズムの極みですね。サービスの大安売りですけれども、こんなことを続けていけばですね、いずれ日本も閉店になりますね。・・・閉店セールをやっているみたいで」

 野田聖子消費者行政担当相「甘い言葉には裏があると」(以上FNN記事)

 そのくせ自民党は05年の郵政民営化選挙で掲げたマニフェスト(政権公約)の実現度を自己評価している。「毎日jp」記事によると、郵政民営化や公務員制度改革など計120項目のうち「達成」のA評価が55項目、「取り組み中」のB評価が65項目で、「未着手」のC評価はゼロ。

 細田幹事長「民主党内には、郵政改革以外は何もやっていないという人もいるようだが、公約の背骨の部分はしっかりとやっている」(同毎日jp) 
 
 骨組み(=骨格)が出来上がっただけでは家は完成したとは言えない。骨組み(=骨格)は家を家として支える大事な要素だが、壁や床、屋根、そして生活備品が備わって、初めて家としての形が完成する。

 確かに自民党政治は三位一体改革、地方分権改革、公務員改革、公益法人改革、医療や介護等の社会保障関係の改革、子育て関連の改革等、自民党政治が行うべき骨組み(=骨格)の部分は掲げ、先ずは細田が言う「背骨」の構築にかかった。

 だが、家の骨組み(=骨格)は人間の骨組み(=骨格)と同様に「背骨」のみで出来上がっているわけではない。「背骨」の構築から出発して全体の骨組み(=骨格)の構築へと進み、壁や床、屋根の取り付け、そしてバスタブや流し台、その他の生活備品を備えて家を家として完成させなければ、建築の約束を果たしたとは言えない。

 それぞれに改革に取り掛かったものの、地方は財政面でも経済面でも疲弊し、過疎化地域も増加し、地方の首長からの地方分権推進の声は喧騒を極め、公務員改革も公益法人改革も見るべき成果を上げずに先送りされて天下りは野放し、ムダ遣いは改まらないまま、医療、介護、出産・育児等の福祉問題も国民の満足を満たしていない。

 要するに05年総選挙以降の自民党のどの内閣も改革だとして公約を掲げたものの、どの改革も扱いかねたのである。扱いかねた結果の改革の先送りであり、不備・未完成であろう。マニフェスト自己評価を「『達成』のA評価が55項目」としているが、住民が安心し、尚且つ満足して住める家として完成した政策がどこにあるというのだろうか。

 多くの国民が生活の不安を言い、将来の不安を訴えていることから判断しても、細田の「公約の背骨の部分はしっかりとやっている」は体裁のいいゴマカシに過ぎないことが分かる。細田自体が言葉の信用を失っている自民党政治家の主たる一人なのである。何を言っても信用されないというのに「背骨」だけで公約を果たしたとする狡猾なすり替えをやらかしている。

 麻生内閣は自らの景気対策を成果としているが、他人から借金して得たカネをさも自分のカネのように見せかけた親父から「いくらでも小遣いをやるから好きなものを買ってこい、銀行からカネを借りる担保がなくてもいくらでも借りれるようにしてやるから、好きなだけ借りてきて、好きなだけ使えばいい」と言われた子供たちが言われたとおりにすれば、少しぐらいはカネとモノが動いて経済は活性化する。これと似たような方法で赤字国債の借金をして予算をバラ撒き、低金利で融資を受けることができるように仕向けたのだから、僅かばかりのハッピーエンドは約束されようというもので、誇る程でもない、その程度の成果でしかないだろう。

 政治や社会の改革という面から見た場合、自民党は政治の責任を果たしてこなかったのである。そのこと自体が言葉の信用を自ら損なうことだが、責任を果たさないまま、責任逃れに終始するから、尚一層のこと言葉の信用を失っていき、今では誰からも信用されなくなっている。

 言葉の信用を自ら失墜させた自民党が民主党のマニフェストにケチをつけるべく、何を言っても始まらない。政策の財源を予算の組替やムダ遣いの根絶等で賄うとする民主党の言葉が信用できるかどうか、実際にやらせみて見守るしかないだろう。

 「子ども手当」や「高校の無料化」、そして「高速道路無料化」に関して特に財源が不透明だと見ているようだが、「子ども手当」と「高校の無料化」については利益を受けた者が30歳以上程度から収入比率で受けた利益の一部を何らかの税の形で国庫に収める還元を行うことにすれば、ある程度の財源は将来的には循環することになるのではないだろうか。

 社会から支援を受けて、応分に社会に返すことで、財源の一部を循環させる。

 1人当たり月2万6千円の「子ども手当」の財源は現在の配偶者控除と扶養控除を見直して充てるということだが、この方式だと子どものいない家庭では負担増となるということだが、国からの手当による受益者が子ども、あるいは高校生から大人に成長したあと利益の将来的還元を行うことで、子どものいない家庭が受けることができなかった利益と配偶者控除と扶養控除見直によって受ける負担をある程度相殺するバランスをつくり出すことにつながらないだろうか。

 民主党が〈配布した資料では、給与収入500万円の世帯で増収額は子ども1人で年間13.4万円、2人で同42.7万円。子どもがいない65歳未満の専業主婦世帯のうち納税世帯では税額が若干増えるとしたが、その割合は全世帯の4%未満と明記。給与収入500万円の世帯の減収額は同3.8万円と試算〉(asahi.com)してあるという。

 「子ども手当」や「高校の無料化」、「高速道路無料化」、あるいは「最低賃金全国平均1000円」政策等によって手に入れることになるに違いない各家庭の親たちの生活上の経費負担の軽減=生活の余裕が何らかの消費に向かった場合、当然GDPに占める個人消費の割合を押し上げるだろうし、個人消費の増加は外需を補う内需拡大につながりもするはずである。

 07年3月4日の『朝日』朝刊記事――《最低賃金時給1000円に引き上げた場合GDPが1.3兆円増加 労働総研試算》はその経済効果を次のように伝えている。

 〈最低賃金を全国一律で時給1000円に引き上げたら、消費の活性化などで国内総生産(GDP)が0・27%、約1・3兆円増加するとの試算を民間シンクタンクの労働運動総合研究所(労働総研)がまとめた。

 試算によると、時給1000円未満で働く労働者683万人の賃金を一律で1000円に引き上げた場合、企業が負担する賃金の支払額は2兆1857億円増える。だが、所得が増える分、家計の消費支出も1兆3234億円増えるため、企業の生産拡大などでGDPを1兆3517億円押し上げる経済波及効果があるとした。

 一方、年収1500万~2千万の高所得者の賃金を同じ支払い総額分上げた場合、消費支出は7545億円増にとどまる。労働総研代表理事牧野富夫・日本大学経済学部長は「低所得者の賃上げの方が景気刺激策としては有効」と話す。

 消費の内訳を見ると、低所得者層では食料品や繊維製品など中小・零細企業が多い産業分野にまわる傾向が強く、最低賃金上げの恩恵は中小企業の方が大きいと分析している。〉――

 最低賃金一律1000円がもたらすと見ている「低所得者の賃上げの方が景気刺激策としては有効」、あるいは「最低賃金上げの恩恵は中小企業の方が大きい」とする影響を「子ども手当」や「高校の無料化」、「高速道路無料化」が親に与える生活上の余裕からの個人消費にも適用可能のはずで、最低賃金一律1000円と同様にGDPを押し上げもするだろう。

 民主党がマニフェストに掲げた生活重視の政策が個人消費という形の内需拡大を形成し、それぞれにGDPを押し上げることになったら、政府歳入も増えることになる。歳入が増えると言うことは断るまでもなく、各種政策の財源へとつながっていく。

 いわば民主党の生活重視政策そのものが成長戦略を描いていると言える。自民党の成長戦略がないという批判は、そもそもからして言葉の信用を失っているのだから、その批判の言葉自体が信用がないばかりか、まるきり当らない批判ということになる。

 もしこの生活重視→個人消費の拡大→GDPの押し上げ→歳入増→内需型経済構造への転換という循環がうまくいったなら、例え高齢化による医療費の負担が消費税増税を迫っても、食品に限っては現状維持の税率で済ますことができるのではないだろうか。

 もし済ますことができれば、その分、よりおいしい食品の消費に向かった場合、消費税としての歳入は期待できなくても、スーパー等の売り上げ増につながって、別の形での歳入増につながると思うのだが、どんなものだろうか。

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自民党長期政権の思い上がり・何様化の絶対値を小泉進次郎立候補の神奈川11区横須賀に見る

2009-07-29 08:52:13 | Weblog

〈衆院選に神奈川11区から出馬する議員秘書、小泉進次郎氏(28)が対立候補の握手を無視した動画が「YouTube(ユーチューブ)」へ投稿され批判のコメントが殺到していることについて、進次郎氏が初めて取材に応じ〉たと7月26日の「msn産経」記事――《小泉進次郎氏、YouTube「握手無視」動画で
初めて釈明 「有権者とふれ合いたかった」》
が伝えている。どのような釈明かというと――

 「(対立候補とよりも)有権者とふれ合いたかった。ひんしゅくを買ったとしたら大変残念」――――

 対立候補と励まし合いの握手をするシーンも絵になる。通行人から次々と握手を求められるシーンも絵になる。だが、知名度もジバンもカンバンも優位に立っていて余裕ある態度を見せることができる立場にありながら、小泉進次郎は前者を無視し、後者の絵をより大切にしたというわけである。

 YouTubeの動画を見てみた。記事に書いてあるとおりにネクタイにスーツ、上に法被を着た若武者小泉進次郎が商店街の左右に暖簾を風になびかせた祭りの縁台が並ぶ通りで同じ法被を着た、麻生好みの普段は働いていて納税している高齢者で街の有力者なのか(麻生の人間価値観からしたら、高額納税者程立派な人間と言うことになるのだろう。)、と出会って物怖じしない態度で握手、高齢者は空いている方の手で進次郎の右肩を軽く激励する仕草で叩き、手を握ったまま並んで歩き出す。高齢者が何か話しかけている。そして左手で進次郎の右首を握り、誰に紹介したのか、高々と持ち上げてみせる。ボクシングのレフリーが勝者の片手を持ち上げて観衆に向かって勝利を知らせるように。にっこりと笑う進次郎。山車が練り歩いていて、笛や太鼓の音が賑やかに聞こえる。

 その後すぐに進次郎は高齢者と離れて一人歩き出す。その背後から「いざ・・・」何とかと身体の前と後ろに大書した幅広のたすきをかけた(多分「いざ政権交代」と書いてあったのか)民主党立候補者横粂勝仁(27)が背後から近づくと、明るいねずみ色のスーツ姿の40代前後の男が二人の間に入り込んできて、三人で縦列状態で歩く形になる。

 (後で横粂勝仁氏のブログを調べてアクセスしたら、ブログ題名が『いざ開国!』となっていた。)

 最初単なる通行人かと思ったが、進次郎が通行人と握手するために立ち止まると、その男も立ち止まり、歩き出すと男も歩き出す。時折左右に目を配る。目を配りつつ、明らかに進次郎の背後に立つと同時に横粂氏の前に立ちはだかる姿勢を取っている。横粂勝仁が男の脇をよけて近づこうとしても、さりげなく身体を移動させて、横粂氏の前に立ち、それ以上近づけないようにした。横粂氏から進次郎をガードする役目を果たしているのは明らかであった。

 進次郎の方も自分をガードする男を間に置きながら横粂勝仁を常に背中に位置させるように意識的に前を向く姿勢でいた。要するに横粂勝仁に目を向けないで済むような身体の向きを取っていた。

 進次郎が支持者と握手している間、横粂氏は両手を前で握って終わるのをおとなしく待っている。脇にドラッグストアの薬剤師が着るような裾長の白衣を着た男が民主党と書いた幟を持って立っている。
 
 進次郎をガードしている男が携帯をポケットから取り出して時間を調べたのか、眺めている間に横粂氏が再度近づこうとすると、その方向に身体を動かして、軽く手を広げて遮る姿勢を取るが、男が動いたのとは逆の方向から進次郎に握手を求める手を差し出すと、男が身体の動きを元に戻してなお遮ろうとする。横粂勝仁はボクサーが左フックを出すと見せかけて素早く右ストレートを放つように男の動きの逆を突いてその脇からにっこりと笑って手を差し出したが、進次郎は無視してそのまま歩く。男は何事も起こらなかったように静かに進次郎の後についていく。

 その後、進次郎が若い女性と握手したり、笑顔で話したりしている間も男は進次郎のすぐ後ろに立っている。・・・・・・・

 動画は明らかに進次郎の「(対立候補とよりも)有権者とふれ合いたかった。ひんしゅくを買ったとしたら大変残念」とする釈明が真っ赤なウソであることを教えている。横粂勝仁と握手するほんの僅かな時間を取るのが不可能であったわけではない。ガードする男を後ろに連れて誰とも握手も会話もせずに歩いているだけの時間もあった。不可能どころか、男にガードさせて横粂勝仁を近づけさせまいとしていたのである。しようと思えば、自分の方から近づいていって、対立候補に健闘を讃え合う握手を求めることもできたはずである。

 にも関わらず、「(対立候補とよりも)有権者とふれ合いたかった。ひんしゅくを買ったとしたら大変残念」と釈明する。

 この時点で小泉進次郎は既に麻生太郎クラスの政治家に成長を見せていたと言える。“釈明”とは体のいい話で、麻生が得意としてよく使うゴマカシを働かせた狡猾な言い逃れに過ぎないからだ。小泉純一郎と麻生太郎とは政策的に相反していながら、小泉純一郎の血を引く小泉進次郎が麻生太郎と同じ穴のムジナを早くも演じていた。

 この倒錯も見事だが、その成長が間違いなく麻生太郎の上に麻生太郎を築く成長となるのだろうことも、日本の政治にとっては素晴らしいプラスとなる倒錯と言える。

 言い逃れは責任を取らない姿勢を背中合わせとする。まだ政治家になっていないのに、小泉純一郎というサラブレッドの血を引いているからなのか、血を引いている上に金持の生活が育むこととなったのか、既に心身共に大物の政治家の風貌を見せている小泉進次郎である。物怖じ一つ見せず、ガードする男を従えて街頭活動をする。既に何様といった大物振りを見せていた。

 政治家に必須のハッタリ・言い逃れといった資質の点で、小泉進次郎から較べたら、横粂勝仁などひよこ同然でしかない。

 昨28日夕方の民放テレビが神奈川11区の様子を取り上げていて、偶然に目にしたが、いつの日の撮影か分からなかったが、夏祭りの街頭に支持者集めに出かけていた小泉進次郎と横粂勝仁を別々に撮影していた。

 横粂氏が法被を着た祭り参加者に近づくと、

 「何で民主党が来るんだよ。ここは自民党なんだよ」

 邪険に言う声が聞こえた。

 そうここは小泉王国。出入りを許されるのは自民党支持者のみ、民主党は出入り禁止。そういった意識を持った人間が多数を占めている。

 それが小泉家が世襲で長年に亘って議席を独占してきた結果芽生えさせることとなった縄張り意識だとは気づかない。小泉絶対意識、あるいは自民党絶対意識だとは気づかない。小泉や自民党を絶対と位置づける権威主義に知らず知らずうちに侵され、そのように位置づける自分たちをも絶対だと見る自己絶対化に同時に侵されているから、「何で民主党が来るんだよ。ここは自民党なんだよ」という自己絶対化の反作用としての他者排除意識に自ずと衝き動かされることになる。自己の何様化であると同時に他者に対する卑小化である。

 小泉王国を築くことによって生じせしめたこの思い上がった何様化は日本の中の神奈川11区という土地に限られた自尊現象ではなく、自民党が戦後から現在に至るまで政権をほぼ独占して長期政権を築くことによって培うこととなった全国レベルの現象としてある思い上がり・何様化であろう。

 長期政権そのものがではなく、長期政権が培養することとなった思い上がりや何様化が権力の腐敗を呼び寄せる。

 小泉進次郎は政治風土と化している小泉王国の悪弊、小泉絶対化・自民党絶対化の空気、自己何様化の空気をその空気の源流たる当事者の近親者として吸って育たなかったということはあるまい。支持者たちの「何で民主党が来るんだよ。ここは自民党なんだよ」という他者排除の意識を肌に触れずに日々を過ごしてこなかったわけはない。

 自身もそのような空気や意識に感化されていたからこそできた対立候補者の握手の求めに対する見て見ぬ振りの拒絶であり、ガードをする者を使ってまでしてできた遮りであろう。

 小泉進次郎と比較したなら、知名度もカバンもジバンも遥かに劣る横粂勝仁が小泉進次郎に戦い勝って当選したなら、世襲や長期政権で築いてきた自民党の思い上がり・何様化を打ち破って無化する決定的に象徴的な出来事となるが、民主党が衆議院選に勝利したとしても、神奈川11区に関しては大いに期待はするが、実現しない出来事かもしれない。それ程にも横須賀という街中を覆っている小泉絶対化・自民党絶対化の思い上がり・何様化と見るからだ。

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麻生「高齢者は働くことしか才能がない」は十分に舌の足りた発言

2009-07-28 07:20:54 | Weblog

 

 「毎日jp」記事が要旨の形で発言の内容を詳しく取り上げていたから、改めて麻生太郎の「働くことしか才能がない」を参考引用してみる。

 《麻生首相:高齢者「働くしかない」発言 首相発言の要旨》(2009年7月26日)

 〈麻生太郎首相の25日の高齢者に関する発言要旨は次の通
 り。

  日本は65歳以上の人たちが元気。65歳以上の人たちで、
 働ける健康な人、いわゆる介護を必要としない人は実に8
 割を超えている。

 元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違い働くことしか才能がないと思ってください。働くということに絶対の能力がある。80過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら青年会議所の間ぐらい。そのころから訓練しとかないと。60過ぎて、80過ぎて手習いなんて遅い。

 働ける才能をもっと使い、その人たちが働けるようになれば、その人たちは納税者になる。税金を受け取る方ではない。行って来いで、日本の社会保障は違ったものになる。どうしてそういう発想にならんのか。明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会。これが日本の目指す方向だ。活力ある高齢化社会の創造に成功したら、世界中、日本を見習う。〉――

 野党の間に批判が起きている首相発言を河村官房長官は昨27日の午前11時過ぎの記者会見で擁護している。「NHK」の動画で見てみる。

 河村官房長官「総理の本意は、こういうことです、と。元気のある、高齢社会をつくる。高齢者のみなさんの雇用の場をつくっていく。その前段の話が飛んでおりまして(ここが問題だとばかりに失笑気味に軽く笑いを洩らす)、『働くしか才能がない』と(再び失笑気味に軽く笑いを洩らす)、いう言い方になったようです。自分の思いはむしろ、その働く人たち、働きたいと思っている人たちに対して、その、敬意を払っているちかー(ママ)、褒め言葉。舌足らずであったことを認めて、おられるようです。そういう誤解を招いた――と、(自分で二、三回頷く)思います。非常に残念なことで――」

 果して「舌足らず」が生じせしめた失言なのだろうか。

 麻生が言ったことは前段・中段・後段の3段落に分けることができる。

 前段

 「日本は65歳以上の人たちが元気。65歳以上の人たちで、働ける健康な人、いわゆる介護を必要としない人は実に8割を超えている」

 中段

 「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違い働くことしか才能がないと思ってください。働くということに絶対の能力がある。80過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら青年会議所の間ぐらい。そのころから訓練しとかないと。60過ぎて、80過ぎて手習いなんて遅い。」

 後段

 「働ける才能をもっと使い、その人たちが働けるようになれば、その人たちは納税者になる。税金を受け取る方ではない。行って来いで、日本の社会保障は違ったものになる。どうしてそういう発想にならんのか。明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会。これが日本の目指す方向だ。活力ある高齢化社会の創造に成功したら、世界中、日本を見習う。」――

 河村官房長官が釈明した「総理の本意」が「元気のある、高齢社会をつくる。高齢者のみなさんの雇用の場をつくっていく」ことにあったとすると、後段のみで「舌足らず」どころか、舌は足り過ぎるくらいに足りる。一見バラ色に見える高齢化社会を描いて余りあるからだ。何しろ、「世界中、日本を見習う」ような高齢化社会を謳って見せたのだから。

 後段にも問題点はあるが、一番の問題は中段にある。

 くどくなるが、再度中段部分の発言を取り上げてみる。

 「元気な高齢者をいかに使うか。この人たちは皆さんと違い働くことしか才能がないと思ってください。働くということに絶対の能力がある。80過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら青年会議所の間ぐらい。そのころから訓練しとかないと。60過ぎて、80過ぎて手習いなんて遅い。」――

 この中段部分は「明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会」づくりがなぜ必要なのか、その最初の理由を述べたものであろう。

 「この人たちは皆さんと違い働くことしか才能がない」からだと、その理由を挙げている。「働くことしか才能がない」から、河村官房長官が釈明しているように、「高齢者のみなさんの雇用の場をつくっていく」というわけである。

 その「才能」たるや、青年会議所のメンバーと比較した「才能」だということは、青年会議所のメンバーがしているような頭脳労働を言っているのではなく、肉体労働を指して言っている「働くことしか才能がない」であろう。

 いわばここで既に一段蔑んでいる。麻生太郎は頭脳労働者を上に置き、肉体労働者を下に置く労働差別主義者の姿をここで見せたのである。労働を種類によって上下に価値づける、あるいは権威づける権威主義者の顔を曝したというわけである。

 元々「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と自民族を優越的に権威づけている権威主義者だから、労働の種類で人間を価値づける権威主義者であったとしても、不思議はない。逆に当然の姿と言える。 

 高齢者の労働を一段蔑んでいながら、「働くということに絶対の能力がある」という評価は決して「敬意を払っている褒め言葉」とは言えない蔑視言葉そのものであろう。その上、「80過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら青年会議所の間ぐらい。そのころから訓練しとかないと。60過ぎて、80過ぎて手習いなんて遅い。」と、ナチスが占領ポーランド人を労働者としか看做さず、強制労働に駆り立てた程酷くはないが、高齢者を労働の世界に押し込め、趣味に生きることを断念させようと強制意志を働かせている。

 要するに麻生太郎が描く「明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会」とは立派にも高齢者が働くだけの世界だと見ているのである。だから、元会社経営者の血がそうさせるのか、「元気な高齢者をいかに使うか」という使役の観点からのみ高齢者を把えることになる。

 このような観点に高齢者蔑視が存在しないと言えるだろうか。

 麻生太郎が後段で描いている「明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会」を一見バラ色に見える、問題点があるがと指摘したが、高齢者を働かすことで「その人たちは納税者になる」というところに麻生の最終的な意図が見えるからである。

 麻生は総理大臣として財政構築の責任者の立場に立っている。その人間が「働ける才能をもっと使い、その人たちが働けるようになれば、その人たちは納税者になる」と言っている。

 いわば高齢者を税収を生み出す対象と見立て、その労働を税収を増やす便宜としてのみ把握しているということだろう。生き甲斐を考えての提案ではない。税金を払うための労働に従事させようと言うことだから、一種の強制労働観がここにある。働かすことによって生じる国の側の実利のみを考えていると言わざるを得ない。

 結果として「その人たちは納税者になる」と言っているのでは決してない。高齢者の生き方を労働に限定して言っているのだから、「納税者になる」ことを意図させた言葉であろう。

 労働に生き甲斐を見い出すのもよし、蓄えを元手に若いときから憧れていた田舎暮らしを始めて、ちょっとした趣味の菜園を拵え、採り立ての瑞々しい野菜を自給自足する、精神的にも肉体的にも健康なのんびりとした生活を送ることを生き甲斐とするのもよし。どのような暮らしを以って生き甲斐とするかは、高齢者それぞれが決める選択事項であろう。

 そのことに反して麻生太郎は「働くことしか才能がない」と決めつけ、最終的には「その人たちは納税者になる」と意図して、税収を増やす観点から、「80過ぎて遊びを覚えても遅い」、「60過ぎて、80過ぎて手習いなんて遅い」と他の生き甲斐を排除し、労働のみに駆り立てる強制労働意志を働かせている。

 それが「世界中、日本を見習う」「日本の目指す」「活力ある高齢化社会」だと言う。

 労働だけが高齢者の文化ではない。ボランティア、その他の趣味に生きる、その他の生き甲斐を持つのも文化である。高齢者の世界が労働だけの文化、あるいは労働が圧倒的確率で占める文化だとしたら、逆に空恐ろしいことではないか。

 小賢しさだけが目につく麻生の“高齢化社会観”と言わざるを得ない。

 麻生本人が弁解しているように、決して「舌足らず」ということではない。「高齢者は働くことしか才能がない」などは一言も二言も多い余分な言葉であり、麻生の「意図が正しく伝わっていない」というゴマカシの弁解を含めて、二枚舌、三枚舌、四枚舌――責任逃れと言い訳に関しては舌が多過ぎる人間に出来上がっているだけのことでしかない。こういった点にこそ、麻生の人間性が現れていると断言できる。
 
 麻生は自分の意図がどこにあったかゴマカシの言い訳を謀った上、「ぜひそういうところを(報道で)取り上げてもらいたかった」(時事ドットコム)とマスコミへ責任転嫁まで謀っているが、卑劣としか言いようがない。

 小賢しい上に卑劣ということなら、救いようがないではないか。

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麻生「高齢者蔑視」・細田「国民蔑視」発言

2009-07-26 10:38:07 | Weblog

 イライラ症の自由民主党細田幹事長が24日(09年7月)夕方、きっと支持率が一向に上がらないことにイライラが過ぎてヒステリーを起こしたのだろう、ヒステリックな雰囲気が日常普段から顔に隠しようもなくも現れている細田幹事長である、記者団の質問に次のように答えたと言う。

 「(麻生首相は)なんか字が読めないらしいですねなんて言って、それだけで楽しんじゃってる。ブレたらしいですねなんて、そんな大したことないんだよ、それは。役員人事だろうが、閣僚人事だろうが、そんなことどうでもいいことでしょう。だけど、そのことの方が面白いんだ、みんな。それは日本国の程度を表しています。そりゃしょうがない。そんなことを嘆いてもしょうがない。それは程度かもしれない。国民の程度かもしれないしね」(FNN記事)

 麻生首相の失言がここのところ休火山状態の無事安泰を示していたというのに、代わって党幹事長が失言してどうするんだと思っていたら、その失言に歩調を合わせるようにご本尊の麻生総理大臣が横浜市内で開かれた日本青年会議所(JC)の会合で高齢者参加型の素晴らしい国家像をご披露に及んだ。

 「TBS」動画のアナウンサーの解説によると、「『日本は高齢者:85歳以上の人たちが元気で、介護を必要としない人たちは実に8割を超えている』と指摘した上で」の発言だとしている。

 「TBS」動画の前半部分の欠けたところを「FNN」動画で補って記すと――

 「この日本と言う国はー、高齢者、いわゆる65歳以上の人たちがァー、(顔を前に突き出して得意気な表情で言い切る。)元気。その元気なー、高齢者を、如何に使うか。この人たちはみなさんと違って、働くことしか才能がないと思ってください!(得意気な表情で断言し、そうでしょうといった顔で聴衆の同意を窺う間を置く。)

 80歳を過ぎて、遊びを覚えても遅い!働く才能を使って、その人たちが働けるようにすれば、その人たちは納税者になるんだよ(いいアイデアだとばかりにしたり顔で自分で頷く)」(TBS

 7月25日付「時事ドットコム」記事――《高齢者は「働くしか才能がない」=遊び覚えても遅い-首相発言》によると、「その人たちは納税者になるんだよ」の後が、「明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会が、日本の目指す方向だ」となっている。

 要するに今後日本が目指すべき方向として高齢者を働かせることで「明るい高齢化社会、活力ある高齢化社会」とする、そのような高齢者参加型社会を以て新しい国家像としたい考えを述べたということなのだろう。


 7月25日付「データマックス」記事――《「高齢者は働くことしか才能がない」 麻生首相暴言への怒り》から詳しく報じている麻生の発言を拾ってみると――

 「高齢者、いわゆる65歳以上の人たちが元気。全人口の約20%が65歳以上、その65歳以上の人たちは元気に働ける。介護を必要としない人たちは実に8割を超えている」

 「元気な高齢者をいかに使うか、この人たちは皆さん(青年会議所のメンバー)と違って、働くことしか才能がないと思って下さい。働くということに絶対の能力がある。80過ぎて遊びを覚えても遅い。遊びを覚えるなら『青年会議所の間』くらいだ。そのころから訓練しておかないと、60過ぎて80過ぎて手習いなんて遅い。働ける才能を使ってその人たちが働けるようになれば納税者になる。税金を受け取る方ではなく、納税者になる。日本の社会保障は、全く変わったものになる。どうしてそういう発想にならないのか」――

 但し「介護を必要としない人たちは実に8割を超えている」部分に関して、上記記事は「(注:介護を必要としない人が8割を超えているという認識は間違いである。介護を受けたくても受けられない高齢者は数え切れない)」と批判している。記事の冒頭も、「明らかな暴言である。総選挙を前に、麻生首相から、高齢者へのいたわりも、感謝のかけらもない発言が飛び出した」と手厳しい。

 記事は次のように解説している。
 
 〈「高齢者は働くことしか才能がない」という発言は麻生首相の本音だろう。だとすれば、高齢者の尊厳を踏みにじるものでしかない。多くの高齢者は、家庭や会社、地域社会を守るため懸命に働き、戦後の日本を支えてきた。気付いてみれば趣味や遊びとは無縁のうちに年金をもらう年齢になっていたというケースは多い。かつて首相が会頭を務めた日本青年会議所の方々のように、余裕のある人生を送れるのはごく一握りではないのか。
 
 国を支えてきた高齢者に向かって「60の手習いなどムダ!もっと働いて税金を納めろ」という麻生首相の発言は、多くの高齢者だけでなく国民をも冒涜するものだ。高齢者へのいたわりや、社会を支えてもらってきたことへの感謝の念も皆無。

 選挙を前に金持ちボンボンの本性があらわになったということだろうが、絶対に許される発言ではない。総選挙に臨む自民党の総裁が発した全国民への暴言に、怒りの声があがるのは必至である。(秋月)〉――

 日本青年会議所の年齢資格は20~40歳だそうだ。「遊びを覚え」るのはこの年齢の間に限ると言うことになる。麻生の頭の中ではどのような「遊び」を置いているのだろうか、ちょっと覗いてみたい。

 先ず立派な細田失言から見てみる。

 「(麻生首相は)なんか字が読めないらしいですねなんて言って、それだけで楽しんじゃってる。ブレたらしいですねなんて、そんな大したことないんだよ、それは。役員人事だろうが、閣僚人事だろうが、そんなことどうでもいいことでしょう。だけど、そのことの方が面白いんだ、みんな。それは日本国の程度を表しています。そりゃしょうがない。そんなことを嘆いてもしょうがない。それは程度かもしれない。国民の程度かもしれないしね」――

 「字が読めないことも、ブレることも、役員人事だろうが、閣僚人事だろうが、そんなこと大したことではない、どうでもいいことなのに、国民は面白がっている。日本国の程度・国民の程度の表れだ」と言っている。

 日本国民の政治意識の低さをイライラと嘆いたということなのだろう。細田がおっしゃるように日本国民の政治意識の低さが事実とするなら、一国の政治の質・内容は国民の政治意識を反映して成り立つと言われていることからすると、麻生政治も「日本国の程度・国民の程度」に合わせた政治と言うことになって、お互い様となるが、細田は賢くも、こういった事情には疎かったらしい。

 細田がおっしゃるように日本国民の政治意識の低さが事実とするなら、2005年9月の小泉郵政選挙では自民党が郵政民営化賛成派と反対派が分裂して選挙前の予想は自民党敗北を伝えていたが、小泉演出・マスコミ大協賛の「小泉刺客劇場」の実話に基づかないフィクションに国民は「そのことの方が面白いんだ」と感動・感激雨霰(あめあられ)で自民党は歴史的大勝利の296議席を招き寄せ、公明党の31議席を合わせて衆議院定数480人のうち、絶対安定多数の320議席を超える327議席に達した選挙結果は「日本国の程度・国民の程度」のお陰を蒙った国民からのプレゼントだったということになり、そのことを言わずに麻生の支持率の低空飛行・国民不人気に関してのみ「日本国の程度・国民の程度」を言うのは図々しいばかりの片手落ちではないのか。

 参議院が与野党逆転状況にあっても麻生政権がどうにか持っているのは郵政選挙で獲得した「日本国の程度・国民の程度」のお陰を蒙った衆議院与党絶対安定多数の恩恵があるからで、細田も麻生も逆に「日本国の程度・国民の程度」に感謝しなければならないだろう。

 自己に有利となる「日本国の程度・国民の程度」は黙っていて、不利となる「日本国の程度・国民の程度」はケチをつける。こういうのをご都合主義と言う。“薄汚い”ご都合主義だと、“薄汚い”という形容詞をつけるべきだろう。

 「日本国の程度・国民の程度」が事実なら、麻生も細田もそのような「日本国の程度・国民の程度」を受けて国会議員・選良に選出されたのである。となると、麻生も細田も国民と同じ穴のムジナ、同列生き物であって、そのことを弁えずに「日本国の程度・国民の程度」だと国民だけのことを言う。国民だけを批判する。これ程の薄汚い「国民蔑視」はないだろう。

 「日本国の程度・国民の程度」よりも遥かに低い細田の「程度」ではないだろうか。

 幹事長が幹事長なら、首相も首相と言わざるを得ない。

 「この日本と言う国はー、高齢者、いわゆる65歳以上の人たちがァー、元気。その元気なー、高齢者を、如何に使うか。この人たちはみなさんと違って、働くことしか才能がないと思ってください!

 80歳を過ぎて、遊びを覚えても遅い!働く才能を使って、その人たちが働けるようにすれば、その人たちは納税者になるんだよ(いいアイデアだとばかりに自分で頷く)」(TBS

 「この人たちは皆さんと違って、働くことしか才能がない」とは何という差別観だろうか。働くこと以外は才能がない――無能だと言っているのだから。

 なお悪いことに高齢者は「働くことしか才能がない」と自身の意見を客観的に述べただけではない。「働くことしか才能がないと思ってください」と不特定多数の他者に同調を求めた時点で、自身の考えに従わせるべく比較絶対的に正しい意見だとの押し付けを生じさせている。

 自分だけが差別するのではなく、他者に対して差別の同調、差別の強要を行ったのである。

 いわば「この人たちはみなさんとは違って」とすることで、麻生の中では高齢者を下に置いていたのは明らかである。上に置いた「皆さん」は働く以外にも才能を持っている上に、同じ働くでも、頭を使う上等な人種ということでなければ「皆さんと違って」が生じないことになる。

 悪く言うと、高齢者をバカ扱いしているということではないだろうか。「80歳過ぎて遊びを覚えても遅い」――いわば「80歳」まで働かせて、それから「遊びを覚えても遅い」から、生涯働き蜂で全うせよと言っている。

 麻生の政治思想が正しいとするなら、「働くことしか才能がない」にも関わらず、リタイヤして年金や貯えを原資に自分なりの趣味の世界に生きている人間は間違った人生・間違った老後を送っているということになる。

 使途が道路建設限定の道路特定財源が道路建設推進キャンペーンのミュージカルに使われていたことが昨年問題となったことがある。上演回数が95回で総額5億7000万円の支出だったそうだが、上演する劇団とはすべて随意契約で一回の上演が600万円にも上ると「asahi.com」が伝えていた。

 記事によるとミュージカルの題名は「みちぶしん」、 縄文期から現代へと時をめぐりながら、人と道のかかわりの物語をオムニバス風につづった内容だという。

 「みちぶしん」(道普請)のミュージカルだから、作業着姿でツルハシをふるい、晴れ晴れとした表情で高らかに合唱するそうだ。

 但し「道普請」の「道」は「未知」という文字を当て、日本の未知を創り出す道路建設だと、誰が考えたか、道路建設=正義を表現させている。

「道路を造れ。道路を造れ。おれたちみんなの生きる道だ。車の走れる道路を造れ。日本の明日をつくる道だ」

「トンネルが通らなかったら、山に囲まれた地域は発展できない。日本中の山里は過疎で人がいなくなってしまう」

 「山川を越え、暮らしをつなぐ。道は大地のパーツ」

 「道路走って世界を開く。道路は新しい時代をつくる」とフィナーレへと持っていく。

 この例を高齢者は「働くことしか才能がない」からと高齢者を働かすべく高齢者労働従事のキャンペーンを行うとしたら、次のような歌になるのではないだろうか。

 「高齢者は働け、高齢者は働け。おれたち日本人みんなが生きる道だ。高齢者が80歳まで働く社会をつくれ、日本の明日を築く道だ」

 「高齢者が働かなかったら、日本は発展できない。高齢者まで働かせて、納税者に仕立て、国の税金を増やさなければ、国の発展はない。その間に麻生太郎は帝国ホテルの高級バーで高級ブランデーを嗜んでいる。日本が発展する道だ」・・・・

 日本人は権威主義を行動様式・思考様式としている。麻生の考えが正しいとして国民の大勢意見となった場合、政府の音頭取りに従わずに自分の趣味に従って老後を過ごそうとする高齢者は労働者にあるまじき考えだと戦前で言えば、非国民、国賊扱いを受け、高齢者としては肩身の狭い思いに囚われて大勢順応の世間に合わせて無理やり働くといった風潮が生じかねない。
 
 大体が、どう生きようと、働こうが働くまいが、個人の選択事項であって、コストの面、技術の観点から高齢者の採用を考えるかどうかは各企業に任せる、それに応じるかどうかも高齢者個人に任せるべきことであろう。

 また年金暮らしであっても、大事な消費者である。消費することで個人消費に貢献する役割まで失っているわけではない。政府の愚かしい社会保障政策のために、それぞれが財布の紐を締めてGDPの6割を占める個人消費に貢献度が少なくなっているだけのことで、このような社会情勢をこそ、麻生は考えるべきだろう。

 高齢者の医療費の伸びが莫大な額となると言うなら、過労死や自殺者の数から見たら、働くことが健康につながる保証はない日本社会となっていることを考慮して、別途考えるべきだろう。

 麻生は25日夜の仙台市の講演で、「一部だけ切り取られて伝えられているが、わたしが言いたいのは、元気な高齢者の働く場を作ることが、活力ある明るい高齢化社会だということであり、誤解を与えた」などと釈明したことを「NHK」テレビが伝えていたが、動画で確かに言っていた「この人たちはみなさんと違って、働くことしか才能がないと思ってください」や「「80歳を過ぎて、遊びを覚えても遅い!」、「遊びを覚えるなら『青年会議所の間』くらいだ」といった肝心要の高齢者を小馬鹿にした差別発言を隠して、「元気な高齢者の働く場を作ることが、活力ある明るい高齢化社会だ」との趣旨で発言したことだと奇麗事にする薄汚いゴマカシを働かせている。

 このようなゴマカシに頭を使う首相を国民は必要としているだろうか。退場を願いたいと思っている国民の方が多いのは既に世論調査が示している。

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麻生が名づけた「安心社会実現選挙」は民主党の勝利でつなげるべし(1)

2009-07-24 15:26:33 | Weblog


 09年7月21日、麻生首相は衆議院本会議で解散が決まった後の記者会見で次のように述べた。

 「私は、皆様の生活を守るため、景気の回復と安心社会の実現をお約束します。今度の総選挙は、安心社会実現選挙であります。国民に問うのは、政党の責任力です。この約束ができなければ、責任を取ります」

 いくら選挙を「安心社会実現選挙」と名づけたとしても、自民党勝利で「安心社会実現」が約束されるわけではない。尤も民主党が勝利したとしても、確実に約束されるとは限らない。

 だが、現在の老後不安・雇用不安・子育て不安・医療不安等々の“不安社会”をつくり上げたのは自民党政治であることを忘れてはならない。麻生首相は自民党政治の“不安社会”建設プロジェクトに党役員、重要閣僚として加わり、“不安社会”建設に辣腕を振るってきた。

 その麻生太郎が自民党政治のトップに立った。当然のこととして自民党政治の“不安社会”建設プロジェクトはますます加速することになる。

 そもそもからして老後不安・雇用不安・子育て不安・医療不安等々を複合的に抱えた今の“不安社会”は自民党政治が族益・省益・大企業益を優先擁護、そのおこぼれを一般国民・一般生活者におすそ分けする利益配分形式がこれまでは経済発展のお陰を蒙っておこぼれもそれ相応に増やすことができたために大きな破綻もなく維持できていたが、低成長時代に入っても族益・省益・大企業益優先擁護のスタイルを変えることなく維持、そのため一般国民・一般生活者へのおすそ分けが極端に減ったことで皺寄せとなって現れた社会の矛盾であって、政権担当維持が危なくなって「安心社会実現」などと一般国民の生活に目を配る姿勢を示しているが、自民党の利益配分のスタイルは本質的には何一つ変わっていないことに留意しなければならない。

 このことを象徴する出来事がある。

 昨7月23日日の「asahi.com」記事――《首相自ら異例の団体回り 経団連は自民・民主両にらみ》が伝えているが、麻生首相は22日、〈衆院選での支持を求めて業界団体行脚を始めた。首相自ら団体側に出向くのは極めて異例。〉だと伝えている。

 但し日本経団連側は〈これまで公言してきた「自民支持」を明言しないなど、自民党との距離を微妙に修正し始めた〉と、民主政権獲得の場合にも備える様子見の状況を示しているということだが、このことは麻生首相の「団体回り」の効果自体も微妙であることを教えている。

 都議選で自民党各候補者の事務所を1箇所だけ残してすべて回って候補者を激励したそうだが、そのことと同じく、殆ど効果がないといった結果も予想される。

 また例え効果が出たとしても、族益・省益・大企業益優先擁護のおこぼれがそれ相応に一般国民に滴(したた)り落ちていった時代は企業の支持が従業員の支持、いわば国民の支持に直結もしたが、企業が企業自体の利益と従業員の利益を別個に考え、企業の利益を最優先、そのためには従業員の利益を無視・切り捨てる姿勢を取り始めたことにより従業員(=国民)の方も企業の利益と従業員の利益は必ずしも一致するとは限らないことを学習、企業の立場とは別個に自分たちの利益を考えるようになった結果、企業の政党支持が利益配分と同様に従業員の政党支持につながる保証はなくなっている。

 いわば企業側が今までどおりに企業の利益を優先擁護する政党を選択しても、国民は企業の選択とは別個に国民の利益優先擁護を掲げる政党を選択することになるだろう。

 また国民の利益の優先擁護を掲げる政党が彼らの支持を得て、族益・省益・大企業益優先擁護の自民党に対抗するだけの力を備えてきたことも、国民が企業等の上からの指示に従うのではなく、自らの意思で政党を選択する裁量が広かったことも彼らに力を与えている。

 こういった政党選択の状況を踏まえるなら、麻生首相は一般国民の支持こそを必要としなければならないはずで、記者会見で冒頭述べている「日本を守り、国民の暮らしを守るのは、どちらの政党か、どの政党か、政治の責任を明らかにするためであります」とした宣言との整合性を図るためにも先ずは国民の前に立って政策を訴えるべきを、愚かにもそのことに気づかずに解散後早々に企業回りを優先させ、国民への訴えは後回しにする考え違いを犯している。

 これは麻生首相とも言えども、自民党政治が本質的な血としている族益・省益・大企業益優先擁護に全身染まっていて、「国民の暮らしを守る」は口先だけだからこそ犯している考え違いであろう。

 自民党政治は族益・省益・大企業益優先擁護の政治では決してないと反論し、その証拠として高度経済成長時代に一億総中流社会を築いたこと挙げるかもしれないが、アメリカの経済発展にリードされた世界の経済成長の世界の中の一国として日本も恩恵を受けた高度経済発展であって、国民もおこぼれに授かることができた、低所得者が存在しないではなかった一億総中流社会であって、自民党政治自らが全面的につくり上げた一億総中流と言うわけではない。

 また日本の高度経済成長のそもそもの土台が朝鮮戦争特需であって、戦争で瀕死の打撃を受けた日本の経済がその特需で息を吹き返し、ベトナム戦争特需で加速させていった幸運を忘れてはならない。

 一国の政治は高度経済成長時代ではなく、低成長時代、もしくは不況時代にこそ、その真価が試される。経済発展による税収の伸びをいいことに赤字国債まで発行して族益・省益・大企業益優先擁護のために予算をバラ撒く政治を押し通してきたなら、経済成長が止まったとき、たちまち行き詰まる。行き詰まっても族益・省益・大企業益優先擁護を政治体質としているから、その方面に向けたバラ撒きから抜け切れず、結果として国民生活に向けたサービスを縮小、その予算を削ることになる。

 こういった経緯はこれまでの自民党政治で実際に見てきたことであろう。

 自民党政治が族益・省益・大企業益優先擁護を本質的体質としていることは上記「asahi.com」記事――《首相自ら異例の団体回り 経団連は自民・民主両にらみ》からも窺うことができる。

 〈経団連が自民、民主両党を対象に実施した昨年の政策評価では、最高のA評価は自民の10項目に対し民主はゼロ。政策評価を基に会員企業・団体が行う献金も、07年は自民に約29億円だが民主には8千万円と圧倒的な差があった。 〉――

 このことは自民党政治が大企業の経営に利益を与える政治となっていることからの「10項目」の「A評価」であり、その見返りとして「約29億円」の献金となって現れたということを如実に物語っている。

 裏返して言うなら、自民党は大企業の利益に添う政策を掲げることで「10項目」の「A評価」を受け、そのご褒美として、いい子、いい子と「約29億円」の献金を貰うことができたと言える。

 上記記事は最後のところで、総選挙民主党優位の状況受けた経団連の最近の動きを次のように伝えている。

 〈民主党との関係強化を狙って、今月9日には御手洗会長らが岡田克也幹事長と意見交換。各政党にマニフェスト(政権公約)に盛り込むべき内容を要望するなど、自民党ありきではなく政策本位で選択する立場を打ち出している。(冨田佳志、安川嘉泰、田伏潤) 〉――

 もし民主党が政権を取って、政治資金をせしめるために大企業が気に入る政策に走るようになったなら、自民党と同じく、国民の支持を失うに違いない。

 麻生が記者会見での冒頭発言の後の記者との質疑の中で選挙後の獲得議席数によって公明以外の政党と連携の考えはあるのかと質問されて、理念と政策が一致しない数合わせはしないと答えて、その姿勢に則って自公連立を果たしてきたと答え、その一例を次のように述べていることにも、「国民生活優先の政治」ではない姿が現れている。

 「我々は、ここに国旗を掲げてありますけれども、少なくとも国旗国歌法というのを通したときも、自公によって、あの国旗国歌法は国会を通過した。それが、我々のやってきた実績の一つです」

 両院議員懇談会でも「自由民主党は真の保守党です。私たちは理念のもとに集まった同志であります。(背後の壁を左右振返って)ここに国旗が掲げてありますが、当然のこととして国旗を掲げている政党がどこにありますか」と言って国旗掲揚を誇っているが、今でこそ選挙方便上「国民生活優先の政治」を掲げてはいるものの、「国旗国歌法」は「国民生活」とは直接関係のない、そこから離れた場所で、しかも国旗掲揚も国歌斉唱も形式で済ませることができる、そのことに反して国家主義者たちにとっては最も自己表現の活躍対象となる、国家の側から国民を国家意識培養の方向に持っていって国の形を国家主義許容の方向で整えようとする法律であって、それを「我々のやってきた実績の一つです」と誇ること自体にも国家優先・国民生活後回しの姿勢を見ることができる。

 国家が国家主義の立場から国民を統治しようと意志した場合、国の形を偉大らしげに装うことを忘れてはならない。国旗も国家もそのような装置の一つとなり得るということである。

 官僚組織や政界、大企業といった社会の上層を築いてから、社会の下層に向けて手を差し伸べる上から目線の政治は、その国が民主的体制を取っている限り、いわば独裁国家でない限り、もはや時代的に通用しない政治手法となっていることを忘れてはならない。

 これからの時代は一般国民の利益を優先させる政策が企業経営にコストとして跳ね返っても、企業の国際競争力を失わせない政治を創造して凌いでいく国家経営が必要となるのではないだろうか。

 自民党政治が族益・省益・大企業益優先擁護を歴史とし、伝統とし、文化としていることを踏まえると、21日夕方の解散後の麻生記者会見はウソのちりばめが露わとなる。

 冒頭部分の「私は、就任以来、景気を回復させ、国民生活を守ることを最優先に取り組んでまいりました」も見せ掛けの言葉と化す。当然、「私の不用意な発言のために、国民の皆様に不信を与え、政治に対する信頼を損なわせました。深く反省をいたしております」の謝罪も、「自民党内の結束の乱れについてであります。私が至らなかったため、国民の皆様に不信感を与えました。総裁として、心からおわびを申し上げるところです」の謝罪も、ウソをちりばめた謝罪に過ぎないと見なければならない。

 「謙虚に反省し、自由民主党に期待を寄せてくださる皆様の思いを大切にして、責任を全うしてまいります。今回の総選挙に際し、国民の皆様と3つの約束をさせていただきます」として掲げた「景気最優先」、「安心社会の実現」、「政治責任」も色眼鏡をかけて見なければならない。

 日本の戦後経済発展が朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需等を発火薬としてアメリカの経済発展のロケットに乗った他力本願の発展であったように、現在もなお他力本願の外需型経済の構造を取っていて中国やアメリカの景気回復を頼りとしている以上、麻生がいくら「私は、政局より政策を優先し、自民党・公明党とともに、経済政策に専念してきました。はなはだ異例のことではありますが、半年余りの間に、4度の予算編成を行いました。お陰様でその結果が、ようやく景気回復の兆しとして見えてきたところです。7,050円まで下がっていた株価は、今日は9,600円台まで回復をしております。企業の業績の見通しもよくなりつつあります」と自画自賛しようが、これは日本より一足早い中国の景気回復による中国向け外需の助けも借りた「ようやく景気回復の兆しとして見えてきた」といった状況であり、続けて言っている「しかしながら、中小企業の業績や雇用情勢などは依然として悪く、いまだ道半ばにあります」は中国だけではなく、アメリカの確かな景気回復を見ない限り、解消できない「道半ば」であろう。

 外需頼みと言うことなら、既に触れたようにあくまでも必要事項は中国・アメリカの「確かな景気回復」であって、いくら何を約束しようが、「確かな景気回復を実現するまでは、総理・総裁の任務を投げ出すわけにはまいりません」は不必要事項となる。

 「2つ目の約束」として「安心社会の実現」を掲げ、「私たちの生活には、雇用や子育ての不安、年金や医療の不安、格差の拡大など、多くの不安がつきまとっています」と言っているが、すべて自民党政治が族益・省益・大企業益優先擁護を歴史とし、伝統とし、文化としていることからつくり出した「雇用や子育ての不安、年金や医療の不安、格差の拡大」等々であって、つくり出した張本人の主たる一人から「私が目指す安心社会とは、子どもたちに夢を、若者に希望を、そして高齢者には安心を、であります」と言われても
俄かには信用できない。

 大体がこれまで戦後長きに亘って大企業には利益を、官僚には天下りの夢を、自民党議員に献金の安心を与えてきた自民党政治なのである。そのことを隠して、何を信用しろと言うのだろうか。

 選挙に負けたくないから、「従業員を解雇しない企業に対し助成する」とか、「失業しても、雇用保険が支給されない方々に対しては、職業訓練の拡充や訓練期間中の生活保障を行」う、あるいは「パートやアルバイトの人たちの待遇を改善」、「妊婦健診を無料にする助成」の少子化対策、「小学校に上がる前の幼児教育を無償にする」と様々に手を打っているのだろうが、アメリカの自動車産業が大型車製造の長い年月をかけた優秀なノウハウを持っていたとしても、時代が必要とする小型車製造のノウハウがなく、一朝一夕に獲得することができずに敗退したように、族益・省益・大企業益優先擁護の政治を歴史とし、伝統とし、文化としてきた自民党には戦後から現在に至る長い年月をかけて築いてきた族益・省益・大企業益優先擁護の政治ノウハウはあっても、国民生活優先の政治ノウハウを持たない以上、また日本の官僚にしても自民党べったりの共同歩調を取ってきた彼らの歴史・文化・伝統からすると同じように国民生活優先の政治ノウハウを持つはずもなく(だから社会保障費の削減や国の指示を受けて詳しく調査もせずに生活保護を打ち切ったり、支給を断ったりして自殺者を出すことができる)、そのような国民生活優先の政治技術の一朝一夕の獲得は期待不可能で、アメリカの自動車産業のように一度歴史から退場して貰って、脱官僚政治を目指す、これまでの族益・省益・大企業益優先擁護の自民党政治を反面教材とする民主党、その他の野党に期待するしかないのではないだろか。

 もしこの指摘が妥当性を持つなら、麻生が記者会見で述べているいいとこだらけは信用しないことから出発しなければならない。

 「安心社会の実現」の後に続けて、「私は、景気が回復した後、社会保障と少子化に充てるための消費税率引上げを含む抜本的な税制改革をお願いすると申し上げました。国民の皆様に負担をお願いする以上、大胆な行政改革を行います」と掲げた「国会議員の削減、公務員の削減や天下りとわたりの廃止、行政の無駄を根絶」にしても何十年の前から指摘されていたものの、自民党が族益・省益・大企業益優先擁護の政治を体質としていることが原因して満足に解決できずに現在も引きずっている弊害であって、麻生内閣にしても満足に解決できずに先送りする伝統をただ踏襲するだけだろう。

 そんな麻生内閣に何が期待できるだろうか。「増税は、だれにとっても嫌なことです。しかし、これ以上に私たちの世代の借金を子や孫に先送りすることはできないと思います。政治の責任を果たすためには、選挙のマイナスになることでも申し上げなければなりません。それが政治の責任だと思います」と偉そうに言っているが、「国民の暮らしを守る」を真性の事実とするなら、「国会議員の削減、公務員の削減や天下りとわたりの廃止、行政の無駄を根絶」を先に持ってきて、これらを満足に解決済みとしてから、財政の不足分の消費税増税へと持っていくのが「国民の暮らしを守る」に添う優先順位のはずである。

 「国会議員の削減、公務員の削減や天下りとわたりの廃止、行政の無駄」のいずれの一つでも未解決のまま野放し状態にして消費税増税を事実化した場合、そのことで余裕を生じせしめることとなる政府歳入にしても、循環する景気次第で余裕が継続していく保証はなく、「行政の無駄」だけがこれまでと同様に野放し状態で延々と残ることになって、その状態のまま再度、「増税は、だれにとっても嫌なことです。しかし、これ以上に私たちの世代の借金を子や孫に先送りすることはできないと思います。政治の責任を果たすためには、選挙のマイナスになることでも申し上げなければなりません。それが政治の責任だと思います」云々と尤もらしげな御託を並べて「国民の暮らしを守る」は放置したまま再度消費税を上げる悪循環に陥らない保証はない。

 民主党が言っているように、「国会議員の削減、公務員の削減や天下りとわたりの廃止、行政の無駄の根絶」を確実実行してから、消費税増税に関わるべきで、そのことを以って初めて、「政治の責任」とすべきであろう。

 となると、政権は「民主党には、任せられない」として、「民主党は政権交代を主張しておられます。しかし、景気対策、福祉の財源、日本の安全保障、いずれをとっても自民・公明両党の案に反対するだけで、具体的な政策が見えてきません。

 町工場の資金繰りの支援や仕事を打ち切られた人たちへの生活支援など、極めて緊急を要した予算にさえ反対し、国会の審議を引き延ばしました。若い世代の保険料の負担を抑えるための年金改革法にも反対したのです。

 子ども手当に5兆円、高速道路の無料化に2兆円など、財源の裏打ちのないケタ違いのバラマキ政策であります。予算を組み替えれば、何十兆円もわいて出てくるような夢物語。国連決議に従って、北朝鮮の貨物を検査する、そういう法案についても審議に応じず、廃案にしてしまいました。この結果に一番喜んでいるのは、北朝鮮ではないでしょうか。

 財源を伴わない空論に、日本の経済を任せるわけにはいきません。安全保障政策のまとまっていない政党に、日本の安全を委ねるわけにはいかないのです。日本の未来に責任が持てるのは、私の信じる自由民主党だけです。

 今回の総選挙は、どの政党が政権を担うのにふさわしいのか、国民の皆様に判断をしていただく大切な機会です」と「任せられない」理由を並べているが、「行政の無駄の根絶」等と「消費税増税」の優先順位から見ても分かるように自民党政治が族益・省益・大企業益優先擁護の政治ノウハウしか持たないゆえに「国民生活優先の政治」が期待不可能と言うことなら、そのような自民党政治を反面教材としている民主党と野党連合に一度政権を任せてみる価値は十分にあると言うもので、民主党と野党連合に向けたこのような価値期待は既に世論調査や街の声に現れている。

 麻生はもし総選挙で自民党が敗北した場合の正当な理由に自身の人格面や政治資質面の欠格を隠して、「選挙のマイナスになることでも申し上げなければなりません」とした消費税増税提起に持っていこうとしているのではないのだろうか。「党内の反対を押し切って、俺は消費税増税を提起した。選挙には負けたが、政治の責任は果たした」と。きっとそうこじつけることで自己正当化と選挙敗北を正当化するように思えてならない。

 そして「3つ目の約束」を記者会見の「おわりに」の項で述べている。

 「私は、皆様の生活を守るため、景気の回復と安心社会の実現をお約束します。今度の総選挙は、安心社会実現選挙であります。国民に問うのは、政党の責任力です。この約束ができなければ、責任を取ります。これが、3つ目の約束であります。

 政治の責任を果たす。重ねて申し上げます。子どもたちに夢を、若者に希望を、そして高齢者に安心を。そのために、私は、私の信じる自由民主党の先頭に立って、命をかけて戦うことを皆さん方にお誓いを申し上げます。

 ありがとうございました」――

 どうも「命をかけて戦う」という言葉に出会うと、厭な気分にさせられる。満足に責任も取れない人間が「命をかけて戦う」ことなどできようはずがないのに、「命をかけて戦う」と言う。責任のない人間程、「命をかけて戦う」言うのではないだろうか。

 麻生が名づけた「安心社会実現選挙」は民主党の勝利でつなげるべし(2)に続く

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麻生が名づけた「安心社会実現選挙」は民主党の勝利でつなげるべし(2)

2009-07-24 15:15:25 | Weblog

 首相官邸HPから「麻生記者会見」を参考引用――

麻生内閣総理大臣記者会見

【麻生総理冒頭発言】

(はじめに)

 麻生太郎です。

 私は、本日、衆議院を解散して、国民の皆様に信を問う決意をいたしました。日本を守り、国民の暮らしを守るのは、どちらの政党か、どの政党か、政治の責任を明らかにするためであります。

1 反省とおわび

 私は、就任以来、景気を回復させ、国民生活を守ることを最優先に取り組んでまいりました。その間、私の不用意な発言のために、国民の皆様に不信を与え、政治に対する信頼を損なわせました。深く反省をいたしております。

 また、自民党内の結束の乱れについてであります。私が至らなかったため、国民の皆様に不信感を与えました。総裁として、心からおわびを申し上げるところです。

 謙虚に反省し、自由民主党に期待を寄せてくださる皆様の思いを大切にして、責任を全うしてまいります。今回の総選挙に際し、国民の皆様と3つの約束をさせていただきます。

2 景気最優先

 私が、昨年9月24日、内閣総理大臣に就任をした当時、世界は、百年に一度、そう言われた金融・経済危機に見舞われました。アメリカ発の世界同時不況から、皆さんの暮らしを守るのが政治の最優先の課題になったと存じます。

 私は、政局より政策を優先し、自民党・公明党とともに、経済政策に専念してきました。はなはだ異例のことではありますが、半年余りの間に、4度の予算編成を行いました。お陰様でその結果が、ようやく景気回復の兆しとして見えてきたところです。7,050円まで下がっていた株価は、今日は9,600円台まで回復をしております。企業の業績の見通しもよくなりつつあります。

 しかしながら、中小企業の業績や雇用情勢などは依然として悪く、いまだ道半ばにあります。

 経済対策、この一点にかけてきた私にとりましては、確かな景気回復を実現するまでは、総理・総裁の任務を投げ出すわけにはまいりません。日本経済立て直しには、全治3年。したがって、景気最優先。日本の経済を必ず回復させます。これが、1つ目のお約束です。

3 安心社会の実現

 2つ目の約束は、安心社会の実現です。私たちの生活には、雇用や子育ての不安、年金や医療の不安、格差の拡大など、多くの不安がつきまとっています。

 私が目指す安心社会とは、子どもたちに夢を、若者に希望を、そして高齢者には安心を、であります。

 雇用に不安のない社会、老後に不安のない社会、子育てに不安のない社会、それを実現する政策を加速します。行き過ぎた市場原理主義からは決別します。

 特に、雇用については、従業員を解雇しない企業に対し助成するということで、今、月平均で約240万人の雇用を守っております。また、失業しても、雇用保険が支給されない方々に対しては、職業訓練の拡充や訓練期間中の生活保障を行います。更に、パートやアルバイトの人たちの待遇を改善します。

少子化については、妊婦健診を無料にする助成を行いました。更に、小学校に上がる前の幼児教育を無償にすることにも取り組みます。
   
4 責任

 そのためには、財源が必要です。

 私は、景気が回復した後、社会保障と少子化に充てるための消費税率引上げを含む抜本的な税制改革をお願いすると申し上げました。国民の皆様に負担をお願いする以上、大胆な行政改革を行います。

 国会議員の削減、公務員の削減や天下りとわたりの廃止、行政の無駄を根絶します。増税は、だれにとっても嫌なことです。しかし、これ以上に私たちの世代の借金を子や孫に先送りすることはできないと思います。政治の責任を果たすためには、選挙のマイナスになることでも申し上げなければなりません。それが政治の責任だと思います。

5 民主党には、任せられない

 他方、民主党は政権交代を主張しておられます。しかし、景気対策、福祉の財源、日本の安全保障、いずれをとっても自民・公明両党の案に反対するだけで、具体的な政策が見えてきません。

 町工場の資金繰りの支援や仕事を打ち切られた人たちへの生活支援など、極めて緊急を要した予算にさえ反対し、国会の審議を引き延ばしました。若い世代の保険料の負担を抑えるための年金改革法にも反対したのです。

 子ども手当に5兆円、高速道路の無料化に2兆円など、財源の裏打ちのないケタ違いのバラマキ政策であります。予算を組み替えれば、何十兆円もわいて出てくるような夢物語。国連決議に従って、北朝鮮の貨物を検査する、そういう法案についても審議に応じず、廃案にしてしまいました。この結果に一番喜んでいるのは、北朝鮮ではないでしょうか。

 財源を伴わない空論に、日本の経済を任せるわけにはいきません。安全保障政策のまとまっていない政党に、日本の安全を委ねるわけにはいかないのです。日本の未来に責任が持てるのは、私の信じる自由民主党だけです。

 今回の総選挙は、どの政党が政権を担うのにふさわしいのか、国民の皆様に判断をしていただく大切な機会です。

(おわりに)

 私は、皆様の生活を守るため、景気の回復と安心社会の実現をお約束します。今度の総選挙は、安心社会実現選挙であります。国民に問うのは、政党の責任力です。この約束ができなければ、責任を取ります。これが、3つ目の約束であります。

 政治の責任を果たす。重ねて申し上げます。子どもたちに夢を、若者に希望を、そして高齢者に安心を。そのために、私は、私の信じる自由民主党の先頭に立って、命をかけて戦うことを皆さん方にお誓いを申し上げます。

 ありがとうございました。

【質疑応答】

(問)
 総理に2点お伺いします。まず、総理は就任以来、これまで衆議院を解散する機会は何度かあったと思いますが、本日この時期になぜ衆議院を解散されたのか、その理由をお聞かせください。

 また、この時期の総選挙は、与党にとっては厳しいという見方が強いですけれども、総理は一番に何を訴えて、どのようにして選挙戦を戦うお考えでしょうか。併せてお聞かせください。 

(麻生総理)

 解散の時期につきましては、私が衆議院の任期が余すところ1年である時期に内閣総理大臣に就任をいたしました。就任以来、いつ解散して信を問うか。それと、経済・金融危機に見舞われた日本を立て直すために、景気対策、経済対策を最優先しなければならない。この2つをずっと考えてきました。

 こうした中で、4度にわたります経済対策の裏打ちとなる、予算案、また関連法案、更には他の重要法案を成立させることができました。その結果、景気は底を打ち、株価や企業の業績などにも明るさが見え始めてきております。

 さまざまな御批判もありましたけれども、政局よりは政策を優先してきたこと、間違っていなかったと、そう思っております。このため、国民の皆様方には、これまでの成果、経済対策の成果を評価していただき、引き続き、この景気回復の基調を、より確かなものにするための経済運営を、是非任せていただけるかどうかを問うために解散を決断したところです。

 選挙についてのお話もありましたが、厳しい選挙になることは覚悟しております。しかし、勝つためには、我々は国民一人ひとりに、愚直なまでに政策を訴えるしかないと思っております。

 国民の皆さんにとりましては、国民の暮らしに責任を持てるのはどの政党か。それを判断していただきたいと思っております。自由民主党と他党との政策の違いを見ていただきたい。目指すべき日本の姿、具体的な政策、そしてその財源、私どもは具体的には景気最優先、安心社会の実現、安全保障、その点において、我々は他の政党には任せられない、そう思っております。日本の政策に日本に責任を持てることができるのは自由民主党、私はそう思ってこの選挙を戦い抜きたいと思っております。

(問)

 先ほど総理の方から自民党内の結束の乱れについて、総裁として心からおわび申し上げるというお話がありましたけれども、自民党内では麻生総理では選挙は戦えないという声も根強くあるようです。そうした中で、党内をどう結束させて選挙に望まれるお考えなのでしょうか。

 もう一点、自民党内ではこれに関連して、独自にマニフェストを示して選挙を戦おうとする動きがあります。こうした動きに対して、どういうふうに対処していくお考えでしょうか。  

(麻生総理)

 本日、自由民主党のすべての国会議員を対象に両院議員懇談会を開催させていただきました。いろいろ御意見をいただいた中で、私に対する批判というものは謙虚に受け止めます。

 しかし、今こそ党が一つになって国民に訴えるべきときである。自民党の底力を発揮すべきときではないかとの御意見が多数を占め、党の団結が確認できたと、そう思っております。

 今後は、私を始め、自民党自身も改めるべきは改め、真の国民政党として開かれた国民政党として生まれ変わった覚悟で、国民のための政策実行に邁進してまいりたいと思っております。

 議論がいろいろ出る。いいことだと思っている。しかし、いったん決まった以上、団結して戦ってきたのが自民党の歴史、自民党は一致団結して戦わない限りは、選挙は勝てません。その先頭に立って戦い抜く覚悟です。

 マニフェストについても御質問がありましたが、候補者個人が選挙公報などを通じて意見をおっしゃることは可能です。しかし、党が一致して戦わなければならないときに、この選挙を独自のマニフェストで勝ち抜くことはできないと存じます。

 なお、公職選挙法というのがありますが、選挙運動のために配布できる党の公約、いわゆるマニフェストは1種類と決められております。党の決めた公約と違うものであれば、それは党の公約、マニフェストとは言えないということだと思っております。

(問)

 安全保障政策でお伺いしたいんですが、1点その前に、もし、今回の衆院選で勝敗ラインを総理の方でお考えのものがあったら、それを聞かせてください。

 それと、安全保障政策ですけれども、先ほども民主党の安全保障政策に総理は疑問を抱かれましたが、インド洋での給油継続などは、民主党が政権を取った場合には続けるといったような現実的な路線も民主党は出してきているようですが、あるいは日米同盟も基軸でいくといった感じで、大きな違いはないようにも見えるんですが、そこら辺はどうお考えでしょうか。

(麻生総理)

 まず、日本を守るという点についてはテロ対策、また、海賊への対処のための自衛艦の派遣、反対するだけで代案を出されたという記憶がありません。

 北朝鮮の貨物検査法については、審議にも応じず廃案にされた。民主党の政策は、私はこの安全保障に関しましては、極めて無責任、不安を感じるのは当然だと思っております。

 今、政権を取ったら変わるというんだったら、なぜ今はやらないんですか。なぜ今ならできないんですか。それは反対するためにだけ反対していたということを自ら言っているようなことになりはしないか。今の御発言を私は民主党の公式な発表というものを聞いておりませんので、私はあなたの御意見が本当かどうかわかりません。しかし、向こうがそう言っておるというあなたのおっしゃる話が正しいとする上で申し上げるなら、今のが答えです。

 2つ目のどれくらいが勝敗ラインか、私どもは公認候補の全員当選を目指すのは当然です。しかし、今、この段階で、どれくらいが勝敗ラインかは、今、解散総選挙が始まったばかりでもあり、今からみんなが戦う、その決意をしているときに、勝敗ラインを私の口から申し上げるのは、いかがなものか。慎むべきことだと、私自身はそう思っております。

(問)

 総理は、今後、党が一致結束して選挙に臨まなければいけないとおっしゃっているんですけれども、解散後も離党表明をする議員がいるなど、党内に動揺が引き続き続いています。本当に一致結束して、この選挙に臨むことができるとお考えでしょうか。

(麻生総理)

 自民党の結束については、皆さん方にもオープンにさせていただいた上で、両院議員懇談会の場の雰囲気を見ていただいたと存じます。多くの御意見をいただき、そのおかげで党の団結が確認できたと、私自身はそう思っております。

 今後、自民党として改めるべきことは改める、私自身も含めてそう申し上げたところですが、我々は我々がやってきた政策に自信を持ち、そして、我々が目指すべき日本の未来というものにつきましても、自信を持って私どもはやっていかなければなりません。

 今、離党された方がおられるというお話ですが、私どもは一致団結という状況というものは、今日の両院議員総会に代わる両院議員懇談会、あの場でも改めて確認をさせていただいた上での話で、私どもはその点に関しては今後一致団結して戦っていけるものだと、そう思っております。

(問)

 総理に、先ほど勝敗ラインについて、すべての候補者が当選することを目指すというお話がありましたが、自民党の幹部からは、既に自公で過半数を維持するというのが大前提だという目標が出されていますけれども、その自公で過半数が取れなかった場合の総裁としての責任について、どのようにお考えになっているのかというのが1点。

 もう一点は、選挙後の獲得議席数によって、自民、公明以外の政党と政治の安定ということを目標にした場合に、何らかの形で政策理念が一致するグループと連携を図る考えがおありかどうか、お伺いしたいと思います。

(麻生総理)

 我々は政治をやっております。したがって、基本は理念。理念、政策、これが一番肝心なところです。数合わせだけしているつもりはありませんし、理念というものはお互いにきちんとした政権の中にあって、お互いに意見を交換し、きちんとした意見を、きちんと詰め合わせた上で、我々は自公連立政権というのをやってきたと思っております。

 我々は、ここに国旗を掲げてありますけれども、少なくとも国旗国歌法というのを通したときも、自公によって、あの国旗国歌法は国会を通過した。それが、我々のやってきた実績の一つです。

 勝敗ラインにつきましては、先ほど申し上げたとおりであって、今、仮定の質問に安易にお答えするべきではないと思いますし、むやみにこれぐらいが勝敗ラインなどと、どなたが言われたか知りませんけれども、そういったことを今の段階で安易に言うのは軽率だと思います。

(問)

 今までもあった御質問ですが、やはり与党で過半数を割った場合の責任の取り方を明らかにしないのは、いかがなものかと思いますが、その点が1点と。それから、総理のお話の中にもありました、消費増税なんですけれども、2011年に景気回復ということを前提に、消費増税について国民にお願いするというのは、自民党のマニフェストにはっきり書き込むというお考えでよろしいのかどうか。この点を確認させてください。

(麻生総理)

 選挙で負けた話を前提にしての質問ということに、私が安易に答えることができるとお思いでしょうか。選挙を今から戦うんですよ。私どもは、その心構えがなくて、選挙戦などというものは戦えるものではないと思っています。自分のこれまでの選挙を戦った経験で、皆、力の限り必死になって、あらん限りの力を振り絞ってやるのが選挙です。私はそう思って選挙を戦ってきたつもりです。

 したがって、まだ、解散されたばかり、公示・告示にもなっていない段階で、今からどうする、こうするというのは、私どもとしてお答えするところではありません。

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両院議員懇談会議論の欺瞞を暴く(1)

2009-07-23 10:34:39 | Weblog

 両院議員懇談会の動画を「日テレNEWS24」からダウンロードして文字に起こしてみた。テレビ各局のニュースで所々見ていて、みんないい加減なことを言っているなと思ったから、その発言の一部始終を点検したくなった。感想は( )青文字で途中途中に入れてみた。

 麻生が入場してきて、着席する。

 司会「先生方、お集まり頂きまして誠に有難うございます。これより、両院議員による懇談会を開催させて頂きたいと思います。ご承知のとおり、総理は本日衆議院を解散し、8月18日公示、8月30日投票で、衆議員選挙を履行されます。つきましては、麻生総理、より、今後の国政の運営に臨む基本方針をお聞きし、率直な意見交換を通じて、自由民主党の結束と総選挙必勝への態勢を強固にしたいと考えておりますので、よろしくお願いを申し上げます。(拍手)

 それでは先ず細田幹事長より、ご挨拶をお願い申し上げます」

 細田(なぜかいつもカマキリを思い出してしまう。声を大きくして喋る)「皆様、お早うございます。先程お話がございましたように、えー、麻生内閣は本日、解散を閣議で決定致しました。そして、午後1時の本会議に於きまして、えー、正式に衆議院は解散されるわけであります。そうして、午後の閣議によりまして、日程が確定するわけでありますが、8月30日の投票日に向けて、あと40日間の戦いとなることが内定しているわけでございます。

 思えば4年前、今まで我々の任期1千4百十日を、を――、かけて、色々な法案、成立に努力して参りました。郵政民営化の実際の、おー、手続きを進め、勿論法律も通した上で、民営化が着々と進んでいるほか、教育基本法も改正し、そうして憲法改正手続法を制定し、あるいは健康保険法も、おー、改正し、その他各議員の各位のご努力・まご研鑽によりまして、様々な法案・法令が、条例が、成立いたしているわけでございます。

 えー、海外に於ける日本の海賊対策でありますとか、あるいはアフガンの、給油活動にしましても、おー、そうでございますし、このほか、北朝鮮のミサイル、核開発等、非常に日本の安全保障を脅かす、問題等々、山積しているわけでございます。そして、このような大変なときに、えー、解散、解散が行われるわけでございますから、あー、残念ながら、国民世論がですね、えー、我が自由民主党の実績を、評価するのみでなく、これに対する、ま、批判も高めているわけでございます。内容的に今、それぞれに申し上げることは、控えますが、(控えずに具体的に申し上げたら、滅入ってしまうだろう。)やっぱり、もうちょっと、行政改革が足りないんじゃないか、政治改革が足ら、たりないんじゃないのか、あー、政策的な面で、ええ、医療・年金等、社会保障改革、もっとやってくれ。そういう、この経済危機の中で、大きな要請が出ているわけであります。(国民目線だ、安心・安全を守る、安心実現社会などと言いながら、国民生活の面で不足があったと自己暴露している。いわば政権政党としての体を成していなかった。)それが大きく国民世論としても、おー、動いているわけでございます。

 しかし、我々は政権政党として、自公連立政権を確立し、そうして、先程申し上げたような、各種の法案をつくり上げ、そして政権を運営し、景気回復のため、全力を上げている。その姿は、私は、みなさま方のお陰であると、思いますし、そして麻生総理を先頭にですね、これからも頑張っていかなければならないものと、考えております。何卒よろしくお願い申し上げ、冒頭のご挨拶とさせていただきます。(より一段と声を張り上げ)本日は誠に有難うございます。よろしくお願い申し上げます」

 (国民生活にどのようなメリットを与えたのか、利益となったのかの中味を問わずに、したという行為の表面的事実だけを並べ立て、事実の中味となる実際を言わない。為したことの表面だけをいう態度はハコモノ主義だからだろう。法律や政策の形だけを評価するハコモノ主義からきている。

 私が言う「ハコモノ主義」とは、つくった法律や建築物等の見栄え、豪華な外観、カネのかけ具合等のみを評価の対象とし、国民の精神面をも含めた生活向上、文化の向上等に貢献する中味・精神は評価の対象としない、名前や表面の形だけで価値づけることを言う。)


 司会「細田幹事長、有難うございました。それでは次に私共自由民主党総裁、麻生太郎総裁、お願いいたします」

 麻生太郎「本日、衆議院をー、解散しー、総選挙にィー、臨むに当たりましてー、私のー、決意とー、覚悟をー、申し述べさせていただきたいと存じます。

 (言葉に中味がないから、表面的な言葉遣いに気取りを入れる。言ったことは実行する、実行できないことは言わないという誠実な姿勢、それが信頼感を生むのであって、麻生にはそれがゼロに等しいから、勢い言葉遣いを飾り立てる。ことさら低音にして重々しさを演出、ことさら語尾を伸ばして、さも説得力があるかのように装う。中味のない外観のみの飾り立てだから、結果、重々しさは相手に伝わりようがない。)

 先ずー、冒頭ー、反省とー、お詫びをー、申し上げなければならないと存じます。一つはー、私のー、個人についてであります。(最初、「故人」と言ったように聞こえた。総選挙の結果、総理・総裁でなくなるから、自分のことを「故人」と言ったのだと。)私のー、発言やー、またー、ぶれた、と、言われる言葉がー、国民のー、方々にー、政治に対する不安、不信を与えー、結果としてー、自由民主党のー、支持率の低下にー、つながった。深く反省を致しております。(頭を下げる)

 (麻生は狡猾にも「ぶれた発言」とは言っていない。「ぶれた、と、言われる言葉」と言っている。他人が(多分マスコミが)そう言っている「言葉」として位置づけている。自分は記者会見のたびに「ぶれてはいません、言っていることはいつでも同じです」とぶれを否定しているのと同様に、ここでも「ぶれ」を否定しているのである。)

 もう一つは、地方選挙についてであります。東京ー、都議選始めー、一連のー、地方選挙に於きまして、我々はー、多くの党員・党友始め、支援者の方々にー、多大なお力添えをー、頂きながらー、残念ながらー、所期の目的を果たせませんでした。残念ながらー、多くの方々にー、多大のー、ご迷惑をー、かけることになった。ここに改めて、お詫びを申し上げる次第であります。

 (この会場に集まっている議員は麻生に迷惑をかけられた実際の犠牲者とはまだなっていないから、後付の謝罪であっても、痛もみも痒みも実感としてさして感じないかもしれないが、都議選で落選の憂き目を味わわされた、特に古手の自民都議は後付の謝罪などは役には立たない、「多大のご迷惑をかけることになった」の一言で謝られても失った地位は戻りはしないと、腹の腸(わた)が煮えくり返る思いであろうが、自民党に籍を置く利害から言うと、自民党に総選挙を勝ってもらわなければ、次の都議選も危ないことになる。麻生の無責任を言い立てるばかりでいるわけにはいかず、痛し痒しといったところだろう。

 麻生から言うと、こういった落選都議たちの複雑な心情を理解できるだけの理解力は持ち合わせていなかった。例え地方選挙であっても、麻生の人気・不人気が影響することを心得なければならないにも関わらず、「国政と地方選挙とは異なる」と逃げることができたのも、当事者たちへの影響を心底考えることができなかったからだろう。国政のみならず、地方選挙にも影響する程にも責任が重いのだという自覚がないから、当事者たちへの影響も地方選挙は国政とは異なると逃げることもできた。麻生にあったのは、地方選挙敗北によって蒙らざるを得ない自己に向けられる責任論のみで、それを避けるために国政と地方選挙を別物に仕立てたのだろう。しかも語尾をことさらに伸ばして言葉遣いをカッコーよく見せる気取りを忘れない方向に意識を重点的に用いた中での謝罪なのだから、どの程度の謝罪か、分かろうと言うものである。)


 私にー、対する評価や、またー、自由ー民主党内のー、結束の乱れが、よくないー、影響を与えたことは否めないと存じます。党内をー、纏め、切れなかったー、私のー、力不足について、申し上げなく(ママ)思っているところであります。

 (「思っているところであります」は行為の現在進行形を示す言葉であろう。ちょうど今「思っている」という意味になるはずである。いわばかねてから「思っていた」わけではないことになる。かねてから「力不足について、申し上げたいと思ってい」たなら、「思っているところであります」などと言うはずはない。「力不足について、申し上げ」なければなりませんと直截に反省の気持を前面に出すに違いない。気持ちが籠もっていないから、「申し上げたく思っているところであります」と言うところを「申し上げなく思っているところであります」と間違える。多分、「申し上げなければなりません」と言うべく予定していたのが、そう言ってしまうと「力不足」を認めることになる、心底「力不足」だなどとは思っていないから、急遽変えて、「申し上げなく思っているところであります」と、現在のところは思っているという現在進行家の形にしてしまったのではないのか。

 悪いのは麻生という政治家の能力を理解できない国民であり、自民党内の反麻生勢力の面々ということなのだろう。)


 これらのー、選挙でもー、示されましたー、国民のー、気持、民意、批判、我々はそれを紳士に受け止めー、謙虚に反省しー、出直さなければならないと、決意を新たに致しております。(そうだの声と拍手)

 私はー、本日ー、衆議院を解散してー、有権者のー、みなさま方にー、その信をー、問いたいと存じます。問われるべきはー、日本を守る。そしてー、国民のー、生活を守る。その責任を果たす。それにふさわしいー、政党はー、どの党か。そのー、政治のー、責任をー、明らかにするために、で、あります。

 私はー、昨年9月のー、にじゅー2日、第23代自由民主党ー、総裁にー、選任をしていただきました。そのときに前後してー、アメリカ発世界同時不況がー、起きております。日本もー、そのー、枠外ではー、ありませんでした。私はー、政局より、政策、解散・総選挙よりはー、経済対策・景気対策。そう確信してー、このー、半年あまりの間にー、4度のー、予算編成をー、行いました。

 お陰様でー、その成果がー、少しずつではありますけどもー、見えつつあります。しかし、まだ道半ばであります。小企業ー、小規模企業ー、またー、雇用の問題、我々には、まだまだ解決しなければならない問題がー、残っております。

 経済対策、一本でー、これまでー、やってきたー、私としましてはー、経済ー、回復、景気ー、回復が、確かなものになるまで、総理・総裁の職務をー、投げ出すことはできません。全治3年とー、申し上げました。私はー、景気ー、最優先、必ずー、日本の景気をー、回復させます。

 (かねがね言っている、「日本の景気は底を打った」とする評価とは違う。要するに自己の景気政策を誇るときは「景気は底を打った」とし、職務の継続性を訴えるときは、成果は少しで、景気政策は「まだ道半ば」とする、ご都合主義からの使い分けではないだろうか。)

 もう一つ。重要なー、政治の責任はー、安心社会の実現であります。私たちのー、生活は、私たちの周りはー、雇用、またー、老後、医療、年金、子育て、多くのー、不安、いうものにー、我々は囲まれております。私が目指すー、安心社会は、子どもにー、夢を、若者に希望をー、そしてー、高齢者には安心を、であります。雇用に不安のない社会。老後にー、安心が持てるー、社会。子どもと、幸運に育てることが安心してできる社会。それを実現するための政策をー、獲得します。

 (「多くの不安いうものに我々は囲まれて」いるから、「雇用に不安のない社会。老後にー、安心が持てるー、社会。子どもと、幸運に育てることが安心してできる社会」を目指すと言っているが、麻生が言っている“安心社会”はすべて現実社会を裏返した「社会」に過ぎない。いわば自民党政治が実現できなかった「社会」の実現を自民党政治が訴えているという倒錯した構図を取っている。

 いわば一見、不安のない“安心社会”を目指すんだ、それが国政を担う者の責任だと言っているふうに聞こえるが、国民の多くが各種不安に囲まれることとなったのは自民党政治の成果としてある現在ある不安状況のはずなのだから、実際は「安心社会の実現」という「政治の責任」を自民党政治は果たしてこなかった。そして麻生はそのような自民党政治の重要な一翼を担ってきた共犯者でありながら、どこが間違っていたのか総括も謝罪もせずに隠して、「安心社会の実現」を言っているに過ぎない。戦前、戦争遂行の積極的な協力者でありながら、戦後自己総括もせずに戦争のない日本を訴えるのと同じく、選挙のためという自己利害からの狡猾な“安心社会”追求にしか見えない。)


 行過ぎた、市場原理主義からは、決別します。社会保障予算のー、無理な削減はやめます。さらにー、徹底したー、行政改革であります。国会議員の削減、公務員の削減、天下り・渡りの廃止。行政のー、ムダをー、根絶しなければなりません。官僚のー、特権はー、許しません。同時にー、自由民主党の、改革もー、疎かにすることはできないと存じます。

 国民からー、厳しい目をー、向けられておりますー、いわゆる国会議員の、世襲ー、候補者につきましても、特別扱いはしません。総裁としてー、党改革実行本部のー、方針を踏まえ、党とー、国会のー、改革をー、進めて参ります。

 (ここで麻生が言っていることのすべての横行を自民党は許し、野放しにしてきた。昨日今日始まったことではなく、自民党が結党以来少ずつ育んできて、にっちもさっちもいかなくなった弊害であろう。許し、野放しにしてきた弊害だから、現在も横行している。見逃してきた責任を言わないのは、国民の目が厳しくなって弊害の是正に動かないと選挙に不利な条件となるから、是正が単に選挙必要上の便宜的性格のものだからだろう。

 また「行過ぎた、市場原理主義から」の「決別」は、すべての悪を「行過ぎた市場原理主義」に置き換えて、自民党政治の悪に免罪を与えることで、加担してきた麻生自身の悪をも免罪しようとする意図からの「決別」に過ぎないだろう。)


 民主党はー、政権交代をー、主張しておられます。しかし、景気対策、福祉の財源、安全保障対策、政策。いずれも取ってもー、自民党に反対するだけで、具体的な政策が見えません。(「そうだ」の声)

 財源を伴わない空理空論。こういった者に日本の経済は任せることはできません。まて、また、安全保障政策のー、まとまっていない政党に、日本の安全保障を委ねるなどと言うことは、断固できません。

 (巨額の赤字国債で財源を補い、先進国の中でも最悪の財政赤字とした自民党政治に財源云々する資格はない。いわば自民党政治は「財源を伴」った実理実論だと言いたいだろうが、その財源の多くが赤字国債等の借金で賄っているなら、空理空論と五十歩百歩で、健全な国家経営とは決して言えない。)

 日本の未来っ、というものに責任を持ってー、取り組める政党ー、それは私が信じる自由民主党だけであります。今回のー、総選挙はー、どの党が、責任を持って、日本のー、未来、というものを、判断し、そして運営していけるか、それにふさわしい政党なのか、それを国民に選んで頂く、大切な機会であります。

 (少なくとも現時点での世論調査を通じた国民の判断は「日本の未来っ、というものに責任を持ってー、取り組める政党ー、それは」麻生太郎が「信じる自由民主党」ではなく、「信じ」ないと言っている民主党となっている。麻生太郎のこの評価の隔たりを日本を総理大臣として統治し、国民の安心安全を言うなら、自ら説明すべきだが、説明する責任さえ果たさない。そんな総理大臣にこそ、日本を任せるわけにはいかない。「日本の未来」にしても任せられない。)

 自由民主党はー、真の、保守党です。私たちはー、理念のもとに、集まった同志であります。(背後の壁を左右振返る。)ここに国旗が掲げてありますが、当然のこととしてー、国旗を掲げている政党がどこにありますか。

 (「真の保守党」の象徴として「国旗」を持ち出したのだろうか。「保守党」なのは国民の多くが知っていることなのだから、唐突に「保守党」を持ち出した印象が強く、何のためなのか、真意を測りかねる。「国旗を掲げている」から、立派な政党だとは限らない。

 大体が保守の人間、特に国家主義者たちは日の丸に日本民族優越性を象徴させている。麻生にしても「「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにはない」と日本民族を優越的に把えている自民族優越主義者だから、日の丸をただの国の国旗ではない、優れた民族である日本という国の国旗――民族優越の象徴をそこに置いているに違いない。

 と言うことなら、自由民主党が唯一の「国旗を掲げている政党」だとしても、それを以て立派とは言えないどころか、逆に愚かしい自慢に過ぎなくなる。

 日の丸が世界の中の日本という狭い範囲に限った象徴ではなく、自由とか人権、民主主義といった世界的に普遍的な価値観・理想を象徴し、それらを以って日本という国を代弁させる意匠としてあるなら、どの政党も「当然のこととして」掲げるだろう。

 だが、如何せん、そうなってはいない。日本人の多くが日本民族の優越性を日の丸に置いている。少なくとも意識の底では日の丸に日本民族の優越性を見ている。そこから抜け出れないと、日の丸は当り前の国旗とはならないだろう。)
 

 昭和30年11月ー、自由民主党がー、結党して以来、半年、半世紀あまりがー、経っております。この間ー、多くのー、危機、困難にー、我々はー、直面をしました。しかし、そのつど、総裁の下、一致団結してー、戦ってきたー、長い、歴史がー、自由民主党にはあります。(「そうだ」)

 そしてー、自由民主党にはー、党内のー、自由、闊達な論議を大切にしております。しかし、一旦ー、結論が出た後は、一致団結してー、外と戦ってきたのが、我々の長い伝統ではなかったでしょうか。今こそ、今こそ、そのー、歴史とー、伝統にー、培った力強さ、我々は実践してみようじゃありませんか。

 (総理・総裁が自ら「一致団結」を何度も言わなければならない状況は党組織に一致団結がなく、不一致混乱していることを物語っていて、その裏返しとしてある要請なのは間違いないが、最初に「党内を纏め切れなかった力不足」に自ら言及しているものの、実際には「力不足」だと認識していないことからすると矛盾する「一致団結」の要請となる。その矛盾にも気づいていない麻生太郎といったところなのだろう。)

 途轍もない自由民主党の底力を、目立つと共に発揮して、このー、国難、このー、難しい局面を、みなさま方のー、先頭に立って、立ち向かう。必ずー、これをー、戦い抜いてみせるー、決意を申し上げ、みなさま方のご理解をご協力を、お願い申し上げます」

 司会「麻生総裁、力強い決意のご開陳、本当に有難うございました。それでは意見交換に移らせて頂きたいと思います。発現のある方は挙手をして頂きたいと思います。ええー、順次、こちらから、指名をさせて頂きます」

  両院議員懇談会議論の欺瞞を暴く(2)に続く



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両院議員懇談会議論の欺瞞を暴く(2)

2009-07-23 10:22:51 | Weblog

 

(小学校の教室の小学生よろしくそれぞれ手を上げる。中には小学校の教室の生徒よろしく、「ハイ、ハイ」と言って司会の注意を惹く。)

 司会「一番最初に手を上げた方」

 (司会に我先に指差されようとして司会の方にだけ視線を向けて手を上げたのだから、誰が「最初に手を上げた」のか分かろうはずはないのに、「一番最初に手を上げた方」と聞く自らの不合理性に司会は気づかない。)

 司会「じゃあ、原田さん」

 原田(その場に立ち上がってマイクを受取り)「ええー、じゃあ、最初、最初に指名を頂きまして、本当に有難うございます。(かなり大声を出す)私は今まで、麻生総裁を懸命に支えてきましたし、前回の総裁選挙に於いても、前々回の総裁選に於いても、麻生総裁を支持して参りました。そしてー、麻生総裁が全力を上げてー、景気対策やってこられた。それは高く評価されてもいいと思っております。そしてー、ただ今のー、麻生総理の発言はー、誠に心強いものでありました。

 しかし(ここから絶叫調で激しく詰る様子を見せる。)なぜー、こんなに心強い決意があるんであるならば、堂々と両院議員総会開かないんでしょうか。ここは私は納得できませんっ。これは懇話会じゃないんでしょうか。私はー、それがー、やっぱり開かれた、自民党であります。自由な議論をすべきであります。我々は、(司会「静粛に願います」)断固としてー、民主党に勝たなければなりません。そのためにはー、開かれた自民党、そして、自由な議論を断固として、やっていただかなければならないと思います。みなさんのご理解を、お願い申し上げたいと思います」

 司会「それでは、立ち上がられた西川さん、西川京子さん」

 西川「有難うございます。・・・・協会の(?)西川でございます。今のご意見、わたしはジューブンに開かれているじゃありませんか。今回の両院議員懇談会は、麻生総理の決断で、公開にしてくれ、麻生総理の、まさにこれは決断です。覚悟ですよ。どこの、名称なんか、どっちだっていいじゃないですか。みなさん、マスコミの公開の場で、ギリギリ議論が行われています。

 みなさん、先程、麻生総裁が大事な、大事な、民主党と、自民党との違いをおっしゃいました。安全保障の問題、、一番大事です。その中で実は、あの全英オープンに3連勝で出場した石川亮君が今一番印象に残っていることって何ですかって言ったら、北朝鮮のミサイルですって言ったんですよ。17歳の少年でさえ、今一番、そういう国家意識持っている。

 そのときにこの安全保障の問題で、確固たる、国を守るということを党、、党内一致してやっている政党は、どっちなんですか。この相手を利するような、ことを党内で、まあ、一致団結して、戦いの前に、戦わないでどうするんですか。ナンセンスですっ!」

 (自民党の「開かれた政党」と言うキャッチフレーズは外から見ると、その時々の都合で開いたり開かなかったりの「開かれた政党」に過ぎない。民主党、その他の野党に対抗する言葉として使うか、「開かれた党だから、色々な意見があって当り前」といったふうに内閣が党内の批判を問題視しない方便として使うかすることからも分かるように、絶対的・普遍的に開かれているわけではなく、常に相手次第で変える比較相対的な「開かれている」に過ぎない。

 両院議員懇談会が一旦は非公開と決めたものの、当日になって急遽公開としたのは、麻生総理の「決断」でも「英断」でもない。「開かれた党と言っている手前、非公開は矛盾するのではないか」とマスコミから批判が出た場合、今後の支持率や選挙に影響すると計算したことからの公開「決断」でしかないだろう。

 7月22日の「日刊スポーツ」記事――《麻生首相懇談会で謝罪、涙…うわべの結束》は、〈麻生氏が当初作成した懇談会の演説文は、民主党の安保政策批判で始まり、陳謝は半ばにあった。しかし周辺が「まず謝罪から入るべき」と進言。河村建夫官房長官には「声涙ともに下る演説が必要です」と迫られた。「おれは、そういうのは苦手なんだよ」と照れてみせたが、自然と涙ぐむほど追いつめられていた可能性もある。〉と、演出からの「謝罪」であることを暴露しているが、心の底からの「謝罪」ではなく、演出だからこそ、「ぶれた、と、言われる言葉」だと他人が言っていることとすることができるのであって、非公開を公開とした決定も不本意な演出だと間違いなく断言できるに違いない。

 大体が議論と呼べる程の実のある言葉を紡ぎ出しているわけでもない。「一致団結」だとか、「自由民主党の底力」だとか、「決意を新たにする」とか、勇ましいだけの精神主義的な抽象語を並べ立てているに過ぎない。内容を伴った政治の話、政策を材料に議論を交わしているわけではない。いわば「開かれている」が形式で終わっている。単なるハコモノと化している。)


 司会「有難うございました。それでは最前列で手を上げられた大村先生、どうぞ」

 大村秀章(黒の太縁眼鏡――なぜか大村昆を思い出すと言ったら、大村昆に失礼になるか)「えー、ご発言の機会を頂きまして、有難うございました。ええー、発言でした。緊張しています。私は今日、ここ、40分前に来て、一番乗りで参りました。今日は一言、申し上げさせて頂きたいと思いました。

 先程ですね、麻生総理・総裁のご発言、これまでの地方選、色んな経過の総括と、そして決意を頂きました。心から敬意を表したいというふうに思っております。この開かれた場での、両院議員懇談会、そしてマスコミオープン、(一段と声を張り上げ)そいう中で、我々自民党が、開かれた議論の中で、この戦いを臨んでいくことを、素晴らしいことだというふうに思います。

 どうか麻生総裁、裂帛の気合、気迫、渾身の力を込めて、みなさん、敵はあくまでも(と背後を振返り)、あのポピ、ポピュリズムの政党である、野党民主党でございます。この民主党を打ち砕かなければ、日本は前に向かいません。日本がこうなると分かって、絶対に渡せません。そのことをですね、是非お願いしたいと思います。そして、この会場を出たらですね、みなさん、戦いは民主党なんです。一致結束・一致団結、そして日本を支えてきた自民党の矜持を持って、この戦いを戦い抜いていこうじゃありませんか。(殆ど叫ばんばかりに)麻生総理、お願いいたします。有難うございました」

 (政治だけが国を支えるわけではない。国民も国を支えている。外国も貿易、その他の金融や株等の取引き、あるいは外交政策で日本を支えている。日本の経済は殆ど外需によって支えられてきた。権威主義の血に染まっているから、自民党だけが日本を支えてきたと自己過信の錯覚を犯す。

 大村秀章は両院議員総会開催の署名集めに対して賛同者の一人として名を連ねている。呼びかけ人の加藤紘一や中川秀直、武部勤といった面々を見れば、反麻生派が策した会合と分かるはずで、いわば一度は反麻生の立場に連なった。であるにも関わらず、「裂帛の気合、気迫、渾身の力」を麻生に期待する。何という君子豹変、迎合、阿諛追従。この人東大を出ているというが、東大出の人間にはこれが君子豹変にも迎合にも阿諛追従にも当らないのかもしれない。)


 司会「じゃあ、一番後ろの高市さん」

 高市「どうもありがとうございます。ええー、私はー、政治というものを、国家経営だと考えますと、麻生総理は、ですね、えー、日本国株式会社の経営には成功されてると、そう思います。その実は、評価を致します。ま、しかし、自民党株式会社と、いうことになりますと、ま、暫く経営に手を抜かれていた感があるんじゃないかと、残念ながら、思います。

 あの、それはですね、やっぱり私は次の、選挙までの自民党候補者が、ええ、自民党候補であることを堂々と打ち出して、やっぱり国民に対してですね、公党として責任の持てる未来へのビジョンを打ち出していく、えーそういう姿勢で、みんなで、戦いたい、そう願っております。

 まあ、是非ともあのー、今ですね、ライバル社がええー、はっきり言って粗悪品を、弁舌巧みに消費者に売りつけて回っている。そういう状況なんですね。ところが、ま、私たちは、今売っている製品は、かなり品質はいいんだけども、ちょっと、ええ、時代遅れも、あのー、売り切っちゃった商品でございますんでね、これから夏の商戦に向けて、それなりにですね、ええ、みなさんのと、ええ、喜んで、(「ご静粛に」の司会の声。)頂ける、商品を持って、ええー、回りたい、そんな思いです。

 (例え「売り切っちゃった商品」であっても、「かなり品質はいいんだけども」「時代遅れ」とは自己否定の政策となる。「開かれた場」と言いながら、この程度の言葉しか交わすことができない。もう少しまともな比喩がありそうなものだが、思いつくだけの頭が元々ないのだろう。)

 経営者として、自民党株式会社の経営者として、ええー、有権者に知らしめる、ええー、イチオシ商品をどう考えておられるのか、つまりマニフェスをできるだけ早く、簡潔でいいものを打ち出していただきたい。そして党の改革方針、どうなされるかっていうことも、お示し頂けたら、うれしく思います。有難うございました」

 (どこが「日本国株式会社の経営には成功されてる」と言うのだろうか。麻生は格差社会をつくり出す同類として位置してきたのである。予算や税金のムダ遣いとなるハコモノ行政も放置してきた。また一般国民の利害を代弁する立場に立っていないから、子育て関連の政策が進まない、雇用関係の政策が中途半端、逆に公務員の利害を守ることになる公務員改革を先送りすることができることにもなる。教育格差や地方格差、収入格差、年金問題等の「粗悪品を、弁舌巧みに」国民に売りつけてきたのは自由民主党そのものであろう。)

 司会「目が合いましたので、稲田さん」

 稲田(かなり甲高いヒステリックな調子の声で、)「総理が麻生政権の政策は間違っていなかった。これは国民の自民党に対する信頼が揺らいでおります。一週間、有権者と対話を致しまして、永田町の争議は一体何なんだと。自民党は何をガタガタやってるんだと、いう声であります。署名する意志もなく一言もない人の署名が出る。鳩山幽霊献金の批判できますか?それから、総括するだけで、麻生降しと思わなかった。(一段とヒステリックに叫ぶ)ホームルームじゃないんですよ。

 それから、署名を撤回した人たち、その人たちの取り下げ書をどうして取って、公表しないんだ、執行部はどうして勝負しないんだと、いうことでありました。

 (どこまで自分の言葉か有権者の言葉か、支離滅裂。もう少し論理的に話せないものなのか。公開の場での議論だと言っても、中味のない話ばかりなら、公開は形式で終わる。まさしくハコモノで終わることになる。)

 それからまた、党のマニフェストと違うもので戦う。これがどうして党の看板で戦うんですか。党はご提起あるべきじゃないんでしょうか。今、私たちがやるべきことは、立党の精神に立ち戻ることです。立党の精神に立ち戻って、真の保守政党であるという、そういった旗をですね、立ち上げて、それで戦うことではないでしょうか。総理は今回、解散の後の記者会見で、グダグダ言うのではなくて、美麗(美しく立派なこと)を、美麗を、美麗をおっしゃってください。自民党の立党の精神に立ち戻って、その原点を、そして自民党自身がですね、国民政党として生める、生まれ変わる。そういった選挙をしてください。以上です」

 (麻生に「美麗」な発言を求めながら、「グダグダ言う」といった品がいいとは言えない言葉遣いをする。ただただ恐れ入る。)

 司会「それでは女性にちょっと優しかったんで、それでは稲葉先生」

 稲葉「私、私は、この懇談会、あるいは両院議員総会を開いて頂きたい、との願いを込めて、署名をした一人でありますし、署名を求める世話人もやりました。私の真意が麻生総理・総裁から、全議員に対して、本当の心情をお話いただきたい、ただその一心であります。

 今日こうやって、しかもテレビ・新聞の公開の場で、場所を設けていただいたことは、大変結構な話であります。私たちはこれから、今日、今から、総理・総裁を先頭に、全員が一丸となって、40日後の、8月30日を目指さなければならないんです。その間、みなさん、一緒に総理を先頭に、相手に切り込もうじゃないですか。その決議を求めます。以上です」

 (選良と言われる国会議員なのだから、もう少し中味のある格調高いことが言えないものなのだろうかと思うのだが、ないものねだりなのだろうか。)

 司会「有難うございました。平井さんどうぞ、平井さんどうぞ」

 平井(体育会系体格と容貌の持主)「ハイ、(マイクの調子を見てどうするんだと言いたいが)あー、あ、平井卓也です。平井卓也です。あの、我々に問われているのは、保守政党としての、覚悟と自民党が結束できるかどうか。今こそ、我々の底力、結束力でこの難局に立ち向かって行こうではありませんか。(最後に一言叫ぶ)恩返し(と聞こえるが、何を言っているのか意味不明)」

 司会「渡辺先生」

 渡辺「いよいよですね、日本が復活できるかどうかのときが来たんです。もうねえ、グタグタ言っている時間はないんです。もう今日、今日を境にして、心を一つにして、戦おうじゃないですか。特にここを一歩外に出て、党内の悪口を言うのはもうやめましょう。ここは一枚岩となって、我々が勝たなければ、日本はよくならない。その自信を持って、戦いましょう」

 (自民党が勝ち続けて、政治組織や官僚組織の腐敗が始まった。)

 司会「関さん、関さん」

 関「有難うございます。えー、神戸の関でございます。あの、私、あのここ2、3日ずっと、あの地元の有権者の声を聞いてまいりました。その声を率直に申し上げます。有権者の声、民主党が政権を取ったら、鳩山党首は社民党と政権を組むと明言されております。そのときに今、例えば、日教組が文部科学大臣になるんですか。そのような質問が出始めております。やはり日本はこの保守の国として、今までの伝統や、親を大切にする、ここ、する心。そして勤勉を重んじる心、そのような心を大事にする政党として、国民はホントーは自民党が大好きなんだと思うんです。それに応えるために、本当に我々は左系統に政権を渡しちゃいけない。それを国民は物凄く不安がっています。マイクを持っていない左手を上に突き出して)それに応えていきましょう!」

 (関が描く国民が「物凄く不安がってい」る光景は世論調査が示している国民の姿と正反対に違う。それとも「物凄く不安がってい」る故の民主党支持、鳩山支持だとでも言うのだろうか。 「覚悟」や「決意」を言うんだったら、一度下野し、政策を切磋琢磨して、その切磋琢磨した政策を掲げて再度政権に挑戦する「覚悟」と「決意」であろう。

 お互いがそういう姿勢を持つことで、日本の政治は向上していく。ところが自民党は政権を失いかねない土壇場に立たされて、「覚悟」や「決意」は口先だけで、全員して浮き足立っている。)


 最前列に着席していた古賀誠が指名を受けずにマイクを握って立ち上がり、背後に着席していた議員たちの方に振り向く。

 古賀「一言、あの、発言を、お許しください。まず、地方選挙の総括につきまして、総裁からも、誠に謙虚な、誠実なお詫びがありました。選対委員長と致しましましても、私の足らざるところを、みなさんにお許し頂きたいと思います。(頭を下げる)そこで、総理・総裁のご挨拶の中で、国を守る、国民の暮らしを守ると、おっしゃいました。それは我が国が平和でなければならないことであります。是非一つ、自由民主党が、戦後、歴史の中で、どういう大きな役割を果たしてきたか、私たちはもう一度、自由民主党の、歴史を教訓としたいと思います。悠久の日本の国で、僅か60有余年ですよ。60有余年前に250万の命が、あの愚かな戦争で、失ったんですよ。ヒロシマやナガサキで、また、多くの命を失いました。

 私たちはその歴史を教訓として、自由民主党は平和を貫いてきたんです。是非一つ、自由民主党だから、平和を確立することができた。民主党で、平和を約束、政党ということが言えますか?今の民主党で、みなさん方の意見はここでしっかりと一致しているのであります。

 さあ、今日から政局という戦場に行きましょう。しかし、その戦場は多くの後援会、暖かな支持者たちの人が待ってくれている戦場なんです。寒風や(?)酷寒の地ではないんです。勇気を持って、自信を持って、我が自由民主党しか、平和を約束できなかった党はないんです。頑張りましょう、頑張りましょう」

 (言葉巧みに信者を集めるいかがわしい宗教家の風情で静かに淡々と、最後に熱く語りかけて自分の言葉をさも意味ある言葉であるかのように仕上げた。先ず第一に、多くの国民をして自民党を嘲ることとなった古賀の東国原宮崎県知事に対する衆議員選挙出馬要請の茶番劇を謝罪すべきを、謝罪せずに巧妙に隠している。まるでそんなことはなかったような古賀の語り口となっている。

 一知事の人気を取り込んで、票を稼ごうとしたさもしい根性一つだけ見ても信用の置けない人間と言える。

 「250万の命が、あの愚かな戦争で、失ったんですよ。ヒロシマやナガサキで、また、多くの命を失いました」と言っているが、一方で古賀誠は日本遺族会会長として、靖国神社の戦没者を「お国のために戦って尊い命を国に捧げた」英霊として権威づけ、支えている。

 「あの愚かな戦争」と言いながら、そのような戦争での戦死を国のために役立った、役立てたと顕彰する欺瞞を働かせている。

 日中戦争・太平洋戦争共に「お国のために」ならなかった戦争であるはずで、そのような戦争を戦って死んだ兵士を「お国のために戦って尊い命をお国に捧げた」と権威づける矛盾を多くの日本人が犯している。「お国のために戦って尊い命をお国に捧げた」と権威づけることが許されるのは、戦った戦争が「お国のために」なる正義の戦争でなければならないはずである。最初に日本という国、日本人という民族を絶対とする矛盾を最初に置いているから、いつまで経っても戦争を検証も総括もできないでいる。

 また、平和とは戦争のない状態のみを言うのではない。極度の生活不安はその者の心に平和な気持を約束しないだろう。様々な社会の矛盾・格差をつくり出しておきながら、「自由民主党は平和を貫いてきた」、「自由民主党だから、平和を確立することができた」などと平気で言う。

 医師不足が原因で病院を盥回しにされて、直る病気を治すことができずに命を落とした人間にとって、平和を奪われたも同然であろう。

 戦争がない状態だけを平和だと言って、国民一人ひとりの平和を奪う社会の矛盾に目をつぶることができるのは、古賀誠が戦没者遺族を選挙の票の利害でのみ見ているからだろう。そこに利用価値を置いているからだ。

 さらに言うなら、時代時代を生きる人間にとって、「悠久」なる時間も歴史も存在しない。当然悠久な時間と歴史を備えた「悠久なる日本の国」は存在しない。誰もが限りある現在という歴史を、あるいは現在という時代を生きるに過ぎない。

 それを「悠久なる日本の国」として存在させるのは、日本という国、日本という民族に優越性を置いているからだろう。国民の生活の姿ではなく、国の姿を上位に置いて優先させる意識があるから、国を「悠久なるもの」と価値づけることができる。「悠久なるもの」と崇めることができる。)


 司会「麻生総理、総括をお願いします。」(拍手)

 麻生「数多くのー、ご意見を頂き、まことに有難うございました。このー、会合のー、中でー、自由民主党のー、結束がー、未だ乱れたままであるという、状態は我々としてはー、残念でありますよ。断固避けなければならぬとー、選挙のためにー、そう強く思っております。正直なところでございます。しかしー、お陰様を持ってー、今ー、古賀先生のー、ご意見などなど、異論は勿論ありましょう。当然です。しかしー、我々としてはー、この開かれた形でー、ここにー、一致結束がー、出来上がったと、私はそう見ております。有難うございました。(一礼。感極まったのか、目にうっすらと涙。)

 私の願いは一つ、であります。是非ー、ここにお見えのー、衆議院議員のー、立候補予定者はー、全員、揃ってー、帰ってきて頂くことであります。そのために我々はー、一致団結してー、戦う以外にありません。(「そうだ、そうだ」の声)

 是非ー、私の願いが、叶われますため、みなさまのー、お力添えをー、重ねてー、お願い申し上げ、総括とさせていただきます。有難うございました」

 (麻生降しの目立った障害もなく、滞りなく総括に辿り着けた安心からか、ますます快調に声を低音に響かせ、、ますます快調に語尾を小気味よげに伸ばして、麻生の独壇場と化した。麻生がうっすらと目に涙を見せたのは、自身の喋りの才能に自ら酔い、独壇場を演じている自身に感激して感極まった涙に違いない。自信過剰の麻生太郎なのだから。

 それにしても「両院議員懇談会」と銘打っていても、何とも狭い世界の出来事に見えることか。選挙で当選できるかできないかの利害のみで動いているから、狭い世界に右往左往することになるのだろう。このことも欺瞞だと指摘できる姿の曝しであろう。)


 司会「(絶叫調で)麻生総裁のもとで結束を胸に、それではみなさん、解散本会議に臨もうではありませんか。なお本会議終了後は改めて両院のみなさんには衆参代議士会を行わせていただいております十四会議室に於いて、お集まりいただきたいと思います。若林両院議長のもと、両院決起集会を開催し・・・・」

 女子アナの纏めの解説が始まり、聞き取れなくなる。

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逃げてばかりの麻生太郎

2009-07-21 05:15:34 | Weblog

 

 〈麻生首相(自民党総裁)は20日夜、党本部で細田幹事長や保利政調会長、河村官房長官らと会談し、21日の衆院解散に先だって行う自民党両院議員懇談会は原則、非公開とすることを確認した。〉と7月20日23時14分の「YOMIURI ONLINE」が伝えている。

 その理由を記事は〈首相に批判的な議員から懇談会の公開を求める声が出ているが、執行部としては、党内の混乱を印象づけることになりかねないと判断したと見られる。〉と解説している。

 同じ内容の「時事ドットコム」記事は、〈出席者の一部からは公開を主張する意見も出たが、東京都議選など地方選の連敗で首相の責任を追及する意見が相次ぐことも予想され、混乱を露呈させるのは得策でないと判断した。〉としている。

 選挙の顔を麻生から代えるべきだと主張する党内勢力が開催要件に足る人数の議員署名を集めて公開が原則で議決権を有した「両院議員総会」の開催を求めたのに対して、それを阻止すべく党執行部との間で攻防を繰り広げていたとき、麻生首相はどういう会合であっても出席して「この種の話から、話を聞く気がないとか逃げるとか、そういうつもりは全くありません」と大見得を切った。

 「逃げる」気がないなら、麻生内閣の唯一の横綱麻生太郎なのだから、「両院議員総会でいいでしょう」と受けて立つべきを、超低空飛行の支持率低迷で負け越してばかりいるボロボロの横綱に落ちぶれたらしく、自分から受けて立つことをしなかったこと自体が既に“逃げている姿勢”を示すものだが、自分からは動かずに執行部任せで自分の地位安泰保証付きの議決権を持たない、しかも非公開とする両院議員懇談会開催へ持っていったことも、“逃げている”ことになるだろう。

 両院議員懇談会開催が決定すると、麻生太郎は再び大見得を切った。

 「私自身の所信も述べたい。逃げるつもりは全くありません」

 もう横綱としての成績を残せないのだから潔く引退すべきだと迫る党内勢力が両院議員懇談会の非公開から公開への変更を求めたのに対して、上記両記事が伝えているように昨日夜に党本部で麻生を交えて党執行部が話し合い、非公開とすることを決定したと言うわけである。

 公開を拒否して非公開へ持っていったことも攻める姿勢とは正反対の“逃げる姿勢”からの決定であろう。

 「逃げるつもりは全くありません」と言っていながら、それは例の如くに口先だけのことで、実際は逃げているに過ぎない。解散を逃げ、党内抗争からも逃げている。

 「党内の混乱を印象づける」とか「混乱を露呈させるのは得策でない」といった判断からだとしているが、それを収めることができるかどうかは麻生のリーダーシップ一つにかかっているはずだが、国民が自分を必要とするか否かは既に世論調査が示していて、その意思表示と同時にリーダーシップ自体も力を失って既にメッキが剥がれて効き目がなくなっているから、混乱を収める方向に進むのではなく、非公開で隠す方向に逃げるしかないのだろう。

 都議選でも、選挙前の予想が自民不利と出ていたことに対して、「国政と地方の選挙は違う」と責任を自分が負うことからも逃げてていた。19・20日に複数のマスコミが行った世論調査でも麻生内閣はさらに支持率を下げているが、地方選挙の勝敗に対する責任回避も支持率のさらなる低下につながったに違いない。

 世論が非公開を民主的と把えると思っているのだろうか。保身だけを考えるから、責任意識を置き去りにすることになって、何事も事勿れに終始することになる。国民の目を気にする余裕も失ってしまったらしい。

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民主党教育政策の「公立高無償化」を生徒の思考能力・活用力につなげる

2009-07-20 12:37:52 | Weblog

 

 7月20日の「asahi.com」記事――《民主、来年度から「公立高無償化」 学費分12万円支給》が、〈民主党は、総選挙で政権交代が実現した場合、来年度からすべての国公立高校生の保護者に授業料相当額として年間12万円を支給し、事実上無償化する方針を固めた。〉と記事の出だしで述べている。

 さらに続けて、〈私立高生の保護者にも同額を支給し、年収500万円以下なら倍の24万円程度とする。高校進学率が98%まで達する中、学費を公的に負担すべきだと判断したといい、マニフェスト(政権公約)に盛り込む考えだ。 〉とのこと。

 無償化の理由は、〈かねて高校無償化を主張していたが、不況が深刻になり、高校進学を断念したり、入ったものの中退したりする生徒が〉増加していることを挙げ、支給対象を〈多くの企業が業績を落とし、収入が減って不安が広がっており、所得制限をかけず支給するよう判断した。〉と高校進学児がいる全家庭としている。 

 定額給付金の麻生太郎のぶれを学習しているから、いや所得制限を設けよう、元の所得制限無しにしようといったぶれは見せずに、このまま進むに違いない。

 財源は〈実現には年間約4500億円の追加予算が必要と試算しており、国の事業の無駄を洗い出し、不要と判断したものを廃止・縮小することで財源の確保は可能としてい〉て、〈優先課題に位置づけ〉ているという。

 この財源確保策に対して記事は、〈同党は一方で、高速道路無料化、ガソリン税などの暫定税率撤廃といった「目玉政策」も来年度から実施する方針だ。これらに7兆円程度を見込んでおり、全体の予算編成の中で本当に財源が確保できるか、現段階では不透明だ。 〉と財源確保の不確実性を指摘している。

 さらに、〈中学生までの子どもがいる家庭に対し、月2万6千円の「子ども手当」を支給する方針で、政権公約では来年度に半額支給からスタートさせるとしているが、その財源確保策として配偶者控除を廃止するため、妻が専業主婦で子どものいない65歳未満の世帯は負担増となる。〉こと、〈親の年収が400万円以下の学生に生活費相当額の奨学金を貸すなどの奨学金拡充、幼稚園や保育園の無償化推進なども検討しているが、教育・子育て支援は一方で子どものいない世帯の負担増にもつながり、議論になりそうだ。 〉と問題点を指摘している。

 そして最後に教育の質を高める方策としての民主党の主たる教育政策を紹介している。

 1.教員の質を高めるため大学の教員養成課程を医歯薬系並みの6年制とし、教育実習を
   1年間に大幅延長する

 2.学校の風通しをよくするため保護者や住民らが参加する「学校理事会制度」を創設す
   る

   ――(以上参考引用)

 「教員の質を高めるため大学の教員養成課程を医歯薬系並みの6年制とし、教育実習を1年間に大幅延長する」は税金のムダ遣いで終わるだけのことだろうし、「学校の風通しをよくするため保護者や住民らが参加する『学校理事会制度』を創設する」にしても今言われている教師の質・教育の質を高めることにさして役には立たないに違いない。

 これまでも何度も「教員の質」が問題となっている。断るまでもなく教師の質は当然教育の質に深く関係していく。

 日教組による激しい反対闘争があったものの、当時の文部省が1958年4月から教員勤務評定を実施したのは学校教師の尻を叩く意味合いがあったからだろうし、1997年に議員立法によって小学校及び中学校の教諭の普通免許状授与に係る教育職員免許法の特例等に関する法律を制定、新規に教員の普通免許状の授与を受けようとする場合は介護等の体験を義務付けたのも、介護経験を人間を学ぶ機会とし、そのことを通して教員の質の向上を図ろうとしたからだろうし、それまで1度取得したなら無期限に有効であった教員免許が安倍内閣時代(06年9月26日~07年8月27日)の2009年4月からの導入の「免許状更新講習規則」によって更新期限を10年としたのも、教師の質の問題を古くて新しい課題としていたからだろう。

 また独立行政法人「教員研修センター」がどのくらいの予算を国が補助しているのかいないのか、文科省等からの天下りが何人いるのかいないのか知らないが、採用5年次研修とか教職10年目研修を行っていることも教員の質・教育の質の問題が関わっているからだろうし、さらに幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び特別支援学校の新任校長(校長就任2年目まで)を対象とした「中堅教員研修」まで行っているが、長としての人事管理の問題だけではなく、教育とは何かの教育観の影響を少なからず受けて形成される下に位置している者たちの教員の質、教育の質への関与までを考えて実施する研修だろうから、研修対象者自体の教員としての質・教員として持っている教育の質の向上をも対象とした研修であろう。

 いわば、あの手この手の政策を行って教員の質・教育の質の向上を図ってているが、そうしなければならないのは問題解決とはいかず、今以て教員の質・教育の質を永遠の課題としているからだろう。

 1958年の第2次岸内閣のときの8月に文部省令によって小・中学校の道徳教育の義務化を図ったが、当時の小学校1年生は09年の現在、51歳となる。教師となった者たちの中には教頭もしくは校長に昇進した者もいるだろう。だが、現在も教師・生徒も含めて道徳の問題は解決できない課題として突きつけられている。

 また51歳以下の教師は道徳教育を受けてきたはずだし、大学の教師過程でも道徳を学んだはずだし、採用後5年経過すれば研修も受けるはずだが、教師の性犯罪・ハレンチ行為は跡を絶たない。

 性犯罪・ハレンチ行為に縁のない教師であっても、多くの教師が教室が荒れている問題に無縁ではないだろう。このような教師の質の問題は深く関連していく教育の質の問題も含めて、道徳教育が殆ど役に立っていなかったことの証明としてある現象であろう。

 そこで国家主義者たちは役に立たないと先を見通す目も持たず、「愛国心教育」を持ち出した。学校教育の一環として位置づけた「道徳教育」にしても教師採用後の研修も全体としては役に立っていない、その原因を探らないままの「愛国心教育」だから、名目が仰々しいだけで終わる「愛国心教育」に過ぎないだろう。

 一つ一つが役に立っていたなら民主党が今さらながらに「教員の質を高めるため大学の教員養成課程を医歯薬系並みの6年制とし、教育実習を1年間に大幅延長する」といった教育政策を持ち出す必要はない。

 だが、持ち出した。しかしこれは生徒時代に行う「道徳教育」や教師になるべく受ける大学教育、そして採用後の「教員研修」と同質の教育に過ぎない。現状の教育が役に立っていないのだから、単に時間延長を図るだけの同質の教育を掲げても役に立つはずがない。

 そもそもからして日本の学校教育が教師が教えた知識をその教えの形式を忠実に守って生徒が咀嚼もなく、いわば自分の考えを入れた解釈を行って自分なりの知識とするプロセスを経ないまま頭に暗記する、考えることをしない知識授受を相互に行う教育を受けるだけだから、そのような生徒が教師を目指して教師としての大学教育を受けたとしても、似たような知識授受を積み重ねるだけだから、教師試験を受けて学校に採用されたとしても、生徒を教えるに際して当然自分が受けた知識授受の形式に従って生徒を教えることになるから、折角大学教育まで受けながら、教師も生徒共々考えることをしない知識に従って考えることをしない行動を取ることになる。

 だからこそ現在、「考える力の育み」が叫ばれているのだろう。それを「思考力」と言おうが、「活用力」と呼ぼうが、すべては「考える力」がなければ成り立たない能力である。

 だが、日本の学校生徒の「考える力」の不足、「思考力」・「活用力」欠如は教師(=大人)の「考える力」の不足、「思考力」・「活用力」欠如を受けたその反映に過ぎない。

 日本の教育は教師になる生徒だけではなく、すべての生徒が受けているから、日本の大人自体が「考える力」の不足、「思考能力」・「活用力」欠如を受けていると言える。

 もし教師やその他の大人が「考える力」を持っていたなら、学校では生徒はその影響を自然と受けるだろうし、家でも子どもたちは親の考える力の影響を受けて自らも考える力を養うだろうから、家庭での親の教育力を問題とすることもなかったろう。

 学校教師が自分の頭で考える習慣を持ち、その習慣が与えることとなる「考える力」、「思考力」・「活用力」を保持していたなら、学校教師として採用後、生徒を教えながら、教育とは何か、子どもとは何かを自ら考え、考えながら多くを学んでいくはずである。

 このような自分で考え、自分で学ぶというプロセスは採用後の研修に取って代わる自己研修となるはずだが、そのようなプロセスを欠いているから、いつまで経って上から公的な研修を与え続けなければならない。

 この上から公的な研修を与えるというシステム自体も日本の学校教育が知識を上から与え、下がそれをただ受取るシステムとなっていることに相互関連する形式であろう。

 よく使う例だが、誰が言ったのか、「日本人は人から言われたことは卒なくこなすが、自分から考えて行動しない」という行動形式=思考形式も、日本の教育が考えるプロセスを欠く暗記形式の知識授受となっていることの反映を受けた行動性と言える。

 日本の教育が暗記教育形式から脱してこそ初めて一人ひとりが自ら考える力を持ち、教師となった者は教えながら自分で考えて自分なりの教育方法を学び取り、学び取っていけば当然のこととして各種研修を必要としなくなる。生徒たちも自分の考えを入れた学びを行うことで、友人関係からも教師との関係からも、親やその他の大人の関係からも人間というもの、その良い面・悪い面をも学んでいき、その学びを他人と響き合わせることによって自前であることから脱して、より普遍性を持った優れた道徳教育となるはずである。

 親の収入が子どもの学歴に影響して、収入の差によって教育格差を生じせしめている反面政策として教育の機会均等をより平等に図るための「公立高無償化」は必要な政策であろうが、学習指導要領で「思考力」や「活用力」を言っているなら、単に国が資金面で支援するだけでは「思考力」や「活用力」の育みに影響を与えるとは思えない。

 大体がせめて高校の学歴だけは身につけさせたい・身につけたいという学歴主義からの高校進学が多いことも事実である。「公立高無償化」が単に学歴を身につけるためだけの進学の後押ししない保証はない。

 そうならないためには、教育の機会均等を目的とした「高校無償化」と「思考力」や「活用力」の育成を関連付けさせる政策をも伴うべきではないだろうか。

 考えられる方策はいくつかあると思うが、私なりに考えた方法は国の支援の生徒の側からの反対給付として、年に何回か論文を書かせることを義務付けたらどうだろうか。

 論文の材料は自由とする。体育系部活に所属していて、野球部に所属する生徒は野球をテーマとした論文でもいいし、野球も高校野球は勿論、日本のプロ野球やアメリカの大リーグであっても構わない。野球をやっていたとしても、絵画や音楽に興味がある者は絵画・音楽をテーマにしてもいい。論文の材料もテーマも生徒それぞれの自己選択に任せる。

 勿論、審査がなければ、日本の暗記教育がその場その場のテストの回答に必要な分だけ暗記しただけで終わる傾向に応じて、ただ単に書く必要が生じたから書いたというだけで終わる内容の乏しい論文が氾濫することになりかねない。

 但しすべての生徒のすべての論文に目を通すとなると、その時間と人間は膨大な量が必要となって、現実的ではない。論文はパソコンで書かせて、論文の表紙にテーマを書き入れる。それぞれの学校でそれをテーマ別に仕分けて、学校名を書いてそれを国が運営するコメント欄を供えたHPに仕分けたテーマ別に投稿する。論文それぞれにアクセスカウンターを備えていたなら、アクセス数が分かることになるだろう。

 論文を書いた生徒のうち、その出来と同時に他人の論文の出来も気にかかる場合はそのHPにアクセスして目を通すだろうし、読めばコメント欄に感想を書くことも生じる。

 高校生ではなくても、興味を持ったンターネットサーファーがアクセスし、希望のテーマの論文を読むとすると、面白い論文に出会えば興味が湧き、コメント欄に感想を書き込みか、学校に読んだ感想をメールする読者も出るてくるだろう。掲示板に投稿する読者も出る化も知れない。評価は口コミで広がる。

 評判の多さ・大きさ、アクセス数の多さで、それぞれの学校の生徒の論文作成能力(=思考力=活用力)が判断できることになる。いわば批評は読者の評価に任せる。

 それぞれの学校の教師も時間が余っているとき、自校の生徒の論文の出来具合が気にならない教師ばかりではあるまい。アクセスして読めば、見るべき内容の論文は生徒にその評価を伝えることになるだろう。そうすることによってまた教師と生徒の人間関係が何らかの形で発展することになる。

 インターネットの情報をコピー&ペーストしただけの論文で誤魔化す生徒も出るだろうが、HP化した情報とすることによっていつかは誰かの目に留まり、盗作の指摘を受けるに違いない。そのことが問題となれば、盗作は減るだろう。

 少なくとも400字詰め原稿1枚以上の字数を義務付ける。

 この方法が有効かどうかは分からないが、支援を与えるだけで終わらずに「思考力」・「活用力」の獲得につながる支援とすべきは誰にも異論はあるまい。

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