日大アメフト反則問題:「潰してこい」の指示が相手選手の身体を潰してこいという意味を与え得ることも可能

2019-02-06 09:52:11 | スポーツ
 

 安倍晋三、不正統計アベノミクス偽装 実質賃金目減りの野党追及に

 「経済の実態を表しているのは総雇用者所得で、名目でも実質でもプラスになっている」

 カネ持ちもビンボー人も含めた「総雇用者所得」 中低所得層の収入の指標足り得ない
 実質賃金が見るべき状況に達していないのは物価のプラス率とドッコイドッコイだから
 どう転んでも、「実感なき景気」を答としている点、何も変わっていない。安倍晋三、一流のゴマカシ
 

 2018年5月6日の日大と関西学院大のアメフト試合で悪質な反則プレーが行なわれ、相手選手が右膝の軟骨損傷と腰の打撲で全治3週間の怪我を負い、この反則プレーが日大監督とコーチの指示によるものとの疑いが出て、相手選手の父親が大阪府警察に被害届を提出、その後日大の監督とコーチを傷害の疑いで警視庁に告訴した。

 対して警視庁は反則行為を指示したとされた前の監督やコーチについて反則行為の明確な指示は確認できなかったとして刑事責任は問えないと判断、立件は見送られる見通しとなったと、昨日―2019年2月5日のマスコミが一斉に伝えた。警視庁は試合の映像を場面ごとに分析、監督が指示した反則が指示通りに行なわれるかを注視していたとされていたことなどが確認できなかったことを根拠に刑事責任は問えないと判断したようだ。

 2018年5月23日に日大アメフト部の内田前監督と当時は現職だった井上コーチが「記者会見」(2018年5月24日6時0分 スポーツ報知)を開いている。反則を指示したのかどうかについて言及した箇所のみを拾ってみる。

 井上コーチ「内田監督からボクにQB(クォーターバック)を怪我させてこいという指示はございませんでした。私は宮川選手に対してQBを潰してこいと言ったのは真実です」

 記者「宮川選手(怪我させた日大選手)の会見で『潰してくる、と監督に言いに行け』とあった。宮川選手がウソをついているのか」

 井上コーチ「私が宮川選手に言ったのは、昨日の会見の通り。彼に対する思いはあるが、実際に僕がQBを潰してこいと言った経緯がある。2日前からも試合形式の練習に入れていないというのがあった。彼を試合に出そうと思って、『QBを潰してきます』と監督に言って覚悟を決めてほしいと、そういう気持ちで僕は彼に『QBを潰してこい』と言った」

 まず最初にQB(クォーターバック)について「Wikipedia」の解説に頼ると、攻撃の選手にプレーを指示する攻撃側のリーダーの役目を負うポジションであり、殆どのプレーコールで攻撃の起点となる「司令塔」のポジションであって、クォーターバックの出来がチームの結果に大きく左右する。従って、クォーターバックはチームスポーツにおいて、最も栄光と注目が集まるポジションであると紹介してる。

 要するにそのチームにとって欠かすことのできない中心選手ということになる。

 井上コーチは最初に「怪我させてこい」との指示は否定、「QBを潰してこい」と言ったことは事実として認めている。

 また、怪我をさせてこいと指示を受けたとしている宮川選手は真実を話すとして日本記者クラブで記者会見を開いている。その場で、「井上コーチから、『潰してくる、と監督に言いに行け』言われた」と発言。対して井上コーチは「『QBを潰してきます』と監督に言って覚悟を決めてほしいと、そういう気持ちで僕は彼に『QBを潰してこい』と言った」と、宮川選手の記者会見発言を否定している。

 先ず最初の問題は、「潰してこい」が「怪我させてこい」の指示となるかどうかという点。勿論、警視庁は指示とはならないと見たことになる。

 宮川選手が記者会見で井上コーチに指示されたとしている事実と、井上コーチが、その指示を否定している事実のいずれが真の事実かという点が次の問題となる。

 記者「怪我させることを指示したのか」

 井上コーチ「怪我をさせることを目的としては正直言ってない。ただ、『QBを潰してこい』と言ったのは確か。怪我をさせる目的ではない。思いっ切りそれくらいの気持ちで行ってこいと、その意味で言った」

 井上コーチはここでは「潰してこい」は「思い切って戦ってこい」の意味だとしている。

 記者「『相手QBと知り合いか』、『定期戦がなくなってもいい』、『秋の定期戦に出られなければ得』だと言ったか」

 井上コーチ「友達か、というのは言った。あと得か損かとか、そういう話はしていない。定期戦がなくなってもいいだろうということも彼には言っていない」

 宮川選手が記者会見で井上コーチから、「相手QBと知り合いか」とか、「定期戦がなくなってもいい」、あるいは「秋の定期戦に出られなければ得」だと言われた。だから、中心選手であるその選手を秋の定期戦に出られないように悪質な反則行為を仕掛けて怪我をさせ、秋の定期戦で自チームが有利に戦えるように持っていこうとしたということになる。

 「相手QBと知り合いか」と聞いたのが事実としたなら、知り合いの場合は反則行為に手加減が出ることを恐れて聞いたとする解釈も可能となる。

 「定期戦がなくなってもいい」は反則行為が問題になって、日大が秋の定期戦に出られなくなってもいい、兎に角やってこいと宮川選手を反則行為に追い詰めるための言葉、あるいはやらざるを得ないように仕向ける言葉だとしたなら、この発言にしても成り立つ。

 では、宮川選手が日本記者クラブの会見で、「井上コーチから、『潰してくる、と監督に言いに行け』言われた」と発言しているのに対して井上コーチが「『QBを潰してきます』と監督に言って覚悟を決めてほしいと、そういう気持ちで僕は彼に『QBを潰してこい』と言った」としていることの事実性を考えてみる。

 「『QBを潰してきます』と監督に言って覚悟を決めてほしい」の「ほしい」は"監督に言う"という行為に伴う「覚悟」への要求であり、"監督に言う"という行為がなければ成り立たない「覚悟」であるのに対して「そういう気持ちで」以下は行為を伴わない、いわば気持ちだけの「覚悟」への要求であって、前後の脈絡に関連性は存在しない。

 いわば前段の「覚悟」への要求は行為への要求ともなっていて、その覚悟を否定して、気持ちだけの「覚悟」への要求に変えている。このゴマカシから言って、井上コーチが言っていることは疑わしい。

 では、最初の問題点、「潰してこい」が「怪我させてこい」の指示となるかどうかという点。

 例え偶発的な反則であっても、レフリーや相手チームの選手や監督、あるいは観客が衆人環視の役を担っていて、反則と知られないで済ます確率はセロに近い。知られなかった例があったとしても、偶然の出来事であろう。

 但し偶発的な反則を装うことで、意図的反則であることは隠すことができる。この反則問題でも、宮川選手が記者会見で監督とコーチから指示があったと証言したことによって意図的反則であることが判明した。

 相撲やボクシングといった個人競技で、師匠なりセコンドなりが、「潰してこい」と指示した場合、一対一のフェアプレーをタテマエとした衆人環視下で、その指示を偶発的な反則を装って相手の身体に怪我や打撃を与える行為に変えることは不可能に近い。当然、「潰してこい」はフェアプレーの形で徹底的に相手を打ち負かせてこいという意味しか取りようがない。

 また、団体競技であっても、自チームの全員に対して相手チームを「潰してこい」と指示した場合は、全体対全体の形を取ることになり、「自チーム全体で相手チームを徹底的にやっつけてこい」という意味を示すことになる。自チームの一人ひとりが全体となって相手チームの誰かを標的に偶発的な反則を装った意図的反則行為で怪我を負わせるといった形式は取りようがない。

 だが、自チームの少人数が承知していることであっても、自チームの誰か一人を特定して、あるいは二人程度を特定して、多くのメンバーには内緒で、相手チームの中心選手一人を標的に「潰してこい」と指示した場合の個人対個人の形での「潰してこい」は、その状況から言っても、「動きを止めろ」といった文脈の指示ではないことからも、指示された選手が偶発的な反則を装った意図的反則行為で相手を怪我をさせてこいと言われたと受け取ったとしても、あり得る話となる。

 ましてや宮川選手が記者会見で証言しているように井上コーチが「相手QBと知り合いか」とか、「定期戦がなくなってもいい」、あるいは「秋の定期戦に出られなければ得」等々のことを事実言っていたとしたら、これらとの文脈の繋がりから、「潰してこい」を相手の身体に反則行為をしてでも打撃を与えてこいと言われたと解釈したとしても、一点の合理性もないと否定し去ることはできない。

 「潰してこい」の指示が言葉通りに意図的反則行為で相手選手の身体を潰してこいという意味だと取り得ることもあり得るということである。

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白鵬千秋楽変化、スポーツライター玉木正之の「相撲は美しくなければならない」は人間知らずの無理難題

2016-03-30 08:55:56 | スポーツ

 3月29日TBS放送の昼のワイドショー「ひるおび!」が大相撲春場所千秋楽の白鵬の対日馬富士戦での変化を取り上げていた。白鵬の名古屋場所以来4場所ぶり36回目の優勝がかかった日馬富士との横綱同士の対戦で白鵬は右手を突き出して正面から低く当たっていく姿勢を見せながら、相手が突っかかってくるのを見て咄嗟に左に体をかわすと、日馬富士は突っかかった勢いのまま一直線に土俵外に飛び出してしまった。

 全く呆気ない幕切れであった。

 この変化に場内のファンから、「勝てば何でもええんか」、「恥を知れ」、「変わって勝ってうれしいんか」等々の罵声が飛んだとマスコミは伝えている。

 私は白鵬の変化に人間のある種の弱さを見た気がした。年齢的な体力の衰えへの自覚と万全ではなくなった自らの強さへの確信、新しい強い力の出現への恐れ等々が勝負に抱く自らの力の確実性を蝕み、相撲の内容よりもともかく優勝すること、優勝回数を重ねることを選ぶという守りに入ったのではないかと。
  
 勿論、推測が当たっているとは限らない。だが、幾ら能力優れた者でも、人間である以上、肯定的評価の感情のみに支配されているわけではなく、否定的評価の感情を常に背中合わせさせている。

 若い年齢にある強くて勢いのある者は否定的評価の感情を抑え、肯定的評価の感情をより前面に出すコントロールをよりよくし得ることができて、強さと若さと勢いを維持しているのであって、否定的評価の感情が皆無というわけではなく、常に両方の感情を併せ持っている。

 それが年齢に応じた体力の衰えと共に肯定的評価の感情と否定的評価の感情をそれぞれにコントロールする力が弱まって、思うようにそれができなくなって両者が拮抗していく過程で、あるいは逆転していく過程で否応もなしに守りに入っていくことになる。

 そして守りに入っていく中で一つでも優勝を重ねようとそれでも努力する。あるいは最後の力を振り絞る。優勝する力を失ったと自覚した時が引退の時となる。

 白鵬にしたら千秋楽最後の一番、横綱同士の対戦で変化して優勝を決めたことは不本意であったとしても、肯定的評価の感情と否定的評価の感情――強気と弱気それぞれをコントロールする力が弱まっている中で咄嗟に選択した一手が否定的評価を受ける変化であったとしても、兎に角勝って優勝回数を重ねる守りを優先させたということではないだろうか。

 ところが29日の「ひるおび!」でスポーツライター玉木正之が白鵬の変化を強い口調で批判していた。

 玉木正之「格闘技的には勝ち負けであるが、相撲というのは単なる格闘技とかスポーツと違って、美しさを求める。そういう意味では(白鵬の変化は)美しくなかった。横綱の取る相撲ではない」

 要するに玉木正之は横綱は人間が併せ持つ肯定的評価の感情と否定的評価の感情を年齢や体力の衰えに無関係に完璧にコントロールし得て、自身の意志を常に肯定的評価の感情のみで成り立たせることができる存在――完璧な人間でなければならないと規定していることになる。

 そのような存在がどこに存在するのだろうか。

 どう見ても、人間とはどのような生き物なのか、そのことを知らないままに完璧さを求める無理難題に見えて仕方がない。

 白鵬の変化に「勝てば何でもええんか」、「恥を知れ」、「変わって勝ってうれしいんか」等々の罵声を飛ばした相撲ファンにしても言葉では表現していなくても、人間とは常に完璧な生きものではないにも関わらず、白鵬に横綱としてこうあるべきだとの固定観念を一歩も譲らずに完璧な人間性を求めたことになる。

 弱気や迷い等の否定的評価の感情をも抱えた人間であるにも関わらず、そのことに目を向けることができないことも無理難題を強いる一因となる。

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