政治家の意図を忖度するマスコミかどうかは「イスラム国」の呼称変更がリトマス試験紙となる

2015-01-31 09:07:22 | 政治



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       《1月27日小沢一郎、山本太郎両代表共同記者会見・質疑》    


 昨日1月30日の衆院予算委で維新の党の柿沢未途が「イスラム国」の呼称について言論への介入と見られなねない余計な質問を行った。

 柿沢未途「『イスラム国』という呼称は恰も承認された国家と認めているかのようだ。狂信的暴力集団と一般のイスラム教徒が同一視されかねない。国民に大きな影響を与えるマスメディアの皆さんが様々な注釈をつけた上で、『イスラム国』という呼称を今も使い続けている。

 政府が直接要請するということは余りいいことだと思わないけど、しかしこの場でISIL(アイシル)呼称で統一していくのが望ましいという意思表示はできると思う」

 安倍晋三「委員がご指摘のように『イスラム国』と言えば、まるで国として存在しているかの如くの印象を与えるし、いわば国として国際社会から認められている、あるいはまた、イスラムという名前を使っておりますので、イスラムの代表であるが如き印象を与えて、イスラムの人々にとってはここは極めて不快な話になっているわけでございまして、政府としてはISIL(アイシル)という呼称を使っているところです。

 マスメディアもそうした意味に於いては大変影響力があるでしょうから、只今柿沢委員がご指摘になって点も踏まえて、検討される可能性もあるのではないかと、このように思います」

 二人の頭の中はどうなっているのだろう。「イスラム国」を「承認された国家と認めている」マスコミが存在するとでも考えているのだろうか。「まるで国として存在しているかの如くの印象を与える」報道が果たして存在するとでも言うのだろうか。

 「狂信的暴力集団と一般のイスラム教徒が同一視されかねない」だと?「イスラムという名前を使っておりますので、イスラムの代表であるが如き印象を与えている」だと?

 もし日本人の大多数が北朝鮮の金正恩独裁権力集団と一般朝鮮人国民を同一視しているようなら、そのような心配を大々的に始めろと言いたい。

 マスメディアが発信する情報の受け手である一般国民にしても、彼らが起こしているテロ活動や今回の人質事件についても報道内容と共に頭に入れるはずだから、一般のイスラム教徒と誰が同一視すると言うのだろう。

 勿論中には混同している者も存在するだろう。だが、それは勉強不足や解釈不足、あるいは解釈未消化、更には無関心から起きている、あくまでも情報の受け手の錯誤であって、情報の受け手の勉強不足か解釈不足の錯誤の代表例として柿沢未途と安倍晋三が言っていること自体の錯誤を一番に押すことができる。

 安倍晋三の、多くの元従軍慰安婦が日本軍の強制連行を証言していながら、「吉田証言」に基づいた朝日新聞の誤報のみを以って強制連行の歴史的事実は存在しなかった、日本の恥じを世界に広めたと主張していることも、情報の受け手の錯誤の典型例として挙げることができる。

 情報の受け手の錯誤は多くの報道に付き纏う。だが、それを殆どの情報の受け手の問題であるが如くに、「狂信的暴力集団と一般のイスラム教徒が同一視されかねない」と柿沢未途か言い、「イスラムという名前を使っておりますので、イスラムの代表であるが如き印象を与える」と安倍晋三が言うのは、逆に国民を愚弄していることになる。

 安倍晋三がもし懸命な首相であったなら、「同一視したり誤解したりするのは、一部の勉強不足や解釈不足から起きていることではないでしょうか」と一蹴しなければならなかった。

 なぜなら、マスコミが呼称を統一するよう、一国の首相にそう仕向ける意思表示を求め、それに対して一国の首相が検討する意思を示すことは大きな問題を含んでいるからだ。
  
 団体や何かを主催する会の正式名称、あるいは法律の正式名称が長くて、それを略して伝える呼称が様々に存在して混乱しているから、それを統一しようというのは理解できる。どう呼び習わすかの単なる略称の問題に過ぎないからだ。

 だが、略称に人それぞれの解釈が含まれていた場合、解釈は思想や主義・主張に関係する。そこまで変えろというのは言論に対する政治介入となる。

 例えば従軍慰安婦をセックススレイブ、あるいは性奴隷と呼び習わすのは、そう呼称するにふさわしいとの思想、あるいは主義・主張を込めているからこその解釈であって、セックススレイブ、あるいは性奴隷と呼び習わすのは日本の名誉を傷つけるからといって、従軍慰安婦に呼び名を統一しようとすることは思想の変更、あるいは主義・主張の変更を迫ることになって、言論の自由を侵すことになる。

 正式名称が長過ぎる法律の場合でも、それを悪法と見て、「××悪法」と呼び習わしたとしても、そう呼び習わす人の思想、あるいは主義・主張が関係していることで、悪法という言葉をつけることはふさわしくないと禁止することはできない。

 日本のマスコミの多くが「イスラム国」と呼称しているのは評議会を設置し、支配地域を区分けして知事を任命したりして国家を擬し、自らを「イスラム国」と呼んでいることから、自分たちもその解釈に立って、国家そのものと区別してカギ括弧付き等で「イスラム国」と呼称しているはずだ。

 もし日本のマスコミが国会でこのような質疑が行われたことを以って思想や主義・主張に関係する自分たちの解釈を捨てて政府が唱える呼称に統一したとしたら、国家権力の意思を忖度して自ら言論の自由の精神そのものを曲げることになる。

 2001年に安倍晋三と中川昭一がNHKの番組に介入して内容を変更させたとする裁判で高裁は政治介入はなかったとしたものの、「NHK幹部が政治家の意図を忖度した」と判決を下し、最高裁はこの忖度について触れなかったのだから、“政治家の意図忖度”の判決は决定したことになる。

 安倍晋三自身は政治的介入を否定しているが、安倍晋三や中川昭一側から何らかの働きかけがなければ、NHKは政治家の意図を忖度などしない。

 昨年12月14日の総選挙前の211月20日、「自由民主党 筆頭副幹事長 萩生田光一/報道局長 福井 照」の差出し人名で在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに、《選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い》と題する文書を送付して、こうして欲しいという指示を事細かに出して選挙報道の公正中立求めたことに対して報道の現場が萎縮した雰囲気に支配されたとしていることも、“政治家の意図忖度”からの、少なくとも言論の自由を狭める自己規制の力が働いたということでなければならないはずだ。

 もし自分たちが決めた「イスラム国」の呼称を自分たちの思想や主義・主張に関係する解釈として貫かずに、この質疑を機会に安倍晋三が言う呼称に自分たちから統一するようなことが生じたなら、政治家の意図を忖度して、自ら言論の自由の精神そのものを曲げることになる自己規制を発動させたことになる。

 要するに政治家の意図を忖度するマスコミかどうかは呼称を変更するかどうかがリトマス試験紙となるということである

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安倍晋三の戦闘の実態抜きの自衛隊海外派遣論は「自衛隊安全神話」に立った単細胞な安保法制に過ぎない

2015-01-30 09:51:21 | 政治


 ――最悪なのは安倍晋三の自衛隊海外派遣論には自衛隊員も日本国民であるという認識が些かも存在しないことである――

 昨日2015年1月29日、衆議院予算委員会質疑で小川淳也民主党議員が今回の「イスラム国」の邦人人質事件に絡めて安倍内閣が進めようとしている自衛隊の海外派遣について質問した。安倍晋三の答弁は戦闘の実態抜きの派遣論となっていて、その結果、「自衛隊安全神話」とも言うべき奇妙な骨格を持たせた議論となっていた。勿論、安倍晋三は頭がいいから、そんなことに気づきもしない。

 戦闘の実態抜きと言うことは自衛隊員の生命の安全に対する視点を欠いていると言うことに他ならない。安倍晋三が自身が考えている安全保障法制を「国民の命と幸せを守るための法制」だと言っているが、その「国民」の中に自衛隊員を入れていない。だから、戦闘の実態抜きの派遣論となる。

 小川淳也「自衛隊の活動領域は明らかに広がるのですね。広がらないのであれば、法的安定性をわざわざ変える必要はありません。

 いずれにせよ、7月1日の(集団的自衛権行使容認の)閣議決定に照らして言えば、相手国、領域国の同意に基づけば、邦人救出などの警察的な活動に自衛隊を送る可能性に言及しておられます。今回の事案〈邦人人質事件)はまさに少なくとも検討対象になる一つのケーススタディとなるかもしれない。

 あるいは最終的には集団的自衛権ですが、我が国が直接的な攻撃がなくても、武力攻撃に及ぶ可能性がある。紛争や戦争に巻き込まれる可能性もある。そこのリスクを総理は国民にきちんと説明してきたかと、いうことに関して私は甚(はなは)不満に思っています。

 勿論、政策的には私は慎重な立場ですし、賛否はそれぞれ議論しなければ。しかし賛否を議論する前に総理はこの重大な安全保障政策の転換に当たって、そのリスクを国民に説明し、いわば覚悟を求めるということを併せて行うことが、事この政策に関して、この過程に於いて内閣総理大臣の最大の務めだと思いますが、この点如何でしょうか」

 安倍晋三「まあ、リスクという話を中心にされているわけであります。我々が進めている安全保障法制はまさに国民の命と幸せを守るための法制であります。

 それはしっかりと法制を定めて、自衛隊が活動しなければ、国民に大きな被害がある、ということであります。つまりそこにこそ問題があるわけであります。

 では、それは放置していれば理屈が合うのかという問題があります。例えば、邦人の救出について言及をされました。海外に住む日本人は150万人いるわけであります。更に年1800万人の日本人が海外に出ているわけであります。これらの邦人が救出された際にですね、領域国の同意がある場合は自衛隊の持てる能力を活かしてその救出に対して対応できるようにすることは国の、私は責任であろうと、こう思うわけであります。

 えー、今の段階に於いてはですね、えー、自衛隊は輸送はできますが、救出のためには武器の使用ができないということになっているわけでございますが、邦人が人質になっていて、そこにいわば救出のために輸送に行ってですね、その地域の皆さんの軍事力、あるいは警察力に協力して貰って攻撃を受け・・・・、救出するのはですね、救出そのものをするのは、この地域の方々にお願いしなければならない。

 例えば日本人だけが、これは人質になっていて、例えこちらの装備の方が上回っていたとしても、ま、それ(使用)はできないというのが、我々はそれはおかしいだろということであります。

 つまりそこはですね、例えばそれを可能にする、ということも含めて、ちゃんと議論をしていこうということであります。受入国が同意をしているかいないかということも重要な事であります。

 えー、先般アルジェリアであった事故が、出来事があったわけでございますが、ああした際にですね、ああした際に、当事国が救出のオペレーションを行ったわけでございます。しかし英国等々、他の国々はですね、自分たちの国の国民対しては自分たちでオペレーションをして、またあるいはアルジェリアと協力してオペレーションしようと、当然、考えるわけで、ま、ございますが、日本はそんときに本当に、これはもう私も、その段階ではお願いしたわけでございます。

 お願いするだけになるわけでございまして、更にそういった危険なオペレーション、例え日本人のみを助ける場合であっても、そうなってくる(お願いするだけになる〉ということであります。

 そこでは日本人も一緒に行ってくれよと言われても、行けないということになって、果たして責任を果たせるか、と言うことについては我々立法府の人間としても、まあ、北朝鮮の拉致のこともありますが(よく聞こえなかったが)、考えていく必要があるのではないかと申し上げているわけでございます。

 であるならば、そこでリスクをは何かということであるます。いわば火事が起こってもですね、そこへ消防士が入っていくのは、これはリスクであります。でも、この消防士が火事のときに家に入って救出をしないのであれば、救出されない人は、これは命を落とすということになるのではないかと、このように思うわけであります。

 全体として考えれば、そういう時にこそ、いわば消防士は、これは危険を顧みない行為でありますが、救出に向かっていく。勿論、安全を確保する上に於いて最大限の安全を確保すると言うのは当然のことだろうと、このように思います。

 行動する自衛官に於いても、そうでございます。自衛官、まさに事に当って危険を顧みず、任務を全うするために全力を尽くしていく、こういう趣旨の宣誓をするわけでございます。

 勿論、安全確保のために全力を尽くす。こうした仕事をする上に於いて全力、安全確保について全力を尽くすのは当然のことであろうとこのように思うわけで、ま、ございます。

 リスクを恐れたらですね、何もしないで、何もしないということは、果たしてそれでいいのかと言うことについては、常にこれは考えていかなければならないわけでありますし、私は決してそれでいいとは考えていないわけでございます」

 小川淳也「総理のおっしゃるその『国民の命と幸せ』、非常に美しい言葉です。それから消防士の譬えも出されましたが、恐らく皆さんは命がけで出動をしていらっしゃる。しかし消防士の例で言えば、これは他国の火事に消防士を派遣するということですか。集団的自衛権を行使すると言うことはですね。

 そうしたことも含めて、やはり無キズでは済まない。総理のおっしゃる積極的平和主義は国民に対して、あるいは自衛隊員に対して無キズでは済まない。そのことを凄まじいと言いますか、そうした覚悟を十分に国民に求めることから、この議論をスタートしなければならない、ということを是非、今後、この議論は本格t的なことは今国会後半でありますが、今回の事態、直接関連を置くことはどうかと思いますが、色々なことを考えさせられる事案でありました。

 そういう意味で少し押さえさせて頂きたいと思います」〈以上)

 小川淳也は「安全保障政策の転換に当たって、そのリスクを国民に説明し、いわば覚悟を求める」ことを安倍晋三に求めた。そしてこの件の質問を畳むとき、「積極的平和主義は国民に対して、あるいは自衛隊員に対して無キズでは済まない」という表現で両者の生命の危険、あるいは生命の犠牲が起こり得る危険性に触れていることから考えると、最初に言及した「国民」の中に自衛隊員も入れていたことになるのだから、海外邦人救出のために海外派遣した自衛隊部隊が戦闘に巻き込まれた場合の自衛隊員の生命の安全に対する危険のケースについてもっと追及すべきだった。

 決してあり得ないとは断言できない自衛隊員の生命の安全の危険が海外邦人の生命の安全の危険に直結するのだから、安倍晋三が邦人救出の場合、どの程度の戦闘を考えているかが何よりも問題となる。

 だが、安倍晋三の答弁は自衛隊員と海外邦人の生命の安全が直結しているにも関わらず、終始一貫して海外邦人のみを国民とした、その生命のみに視点を当てた安保法制論となっていた。自衛隊員の生命の安全に視点を当てていなかった。

 この点を答弁から具体的に見てみる。

 自衛隊海外派遣の根拠を「自衛隊が活動しなければ、国民に大きな被害がある」ことに置いている。そして後の方で消防士の火災出動を例にして、「救出されない人は、これは命を落とすということになるのではないか」と言って、自衛隊の活動が常に国民の生命の安全を保証することに限定している。

 これを以て「自衛隊安全神話」だと言わなければ、他に言い様があるだろうか。米軍にしても英軍にしても、敵兵の攻撃を受けて進退を失った自軍部隊救出に向かったものの、救出に失敗して。犠牲者まで出して撤退を余儀なくされたり、共々全滅したりする例はいくらでもあるはずである。

 と言うことは、それが領域国の同意を得た派遣であり、領域国の「軍事力、あるいは警察力に協力して貰っ」た活動であったとしても、自衛隊員と保護すべき海外邦人の生命の安全を常に保証する活動とならないケースもあり得るということになる。

 だからこそ、小川淳也は安倍晋三に「リスクを総理は国民にきちんと説明」せよと求め、国民と自衛隊員共々に「無キズでは済まない」という覚悟を十分に求めることから、「この議論をスタートしなければならない」ということを言ったはずだ。

 いわば決して「自衛隊安全神話」でないことの認識に立った安全保障法制でなければならないということであるはずだ。

 大体が自衛隊の海外邦人救出派遣活動を消防士の火災出動に擬(なぞら)えること自体、その認識能力・頭の程度を疑わないわけにはいかない。「イスラム国」、ボコ・ハラム、アルカイダ、その他のイスラム過激派集団を海外邦人に危害を及ぼす、あるいは生命の安全を脅かす邪悪な敵対者として安保法制の視野の先に収めなければならないにも関わらず、火事で家の中に取り残された住民の救出に向かう消防士の活動に擬(なぞら)えて何とも思わない。

 戦闘行為抜きの「自衛隊安全神話」に立った安保法制論だから、こういったトンチンカンな説明となる。

 このことは自衛隊は「安全確保のために全力を尽くす」、あるいは「安全確保について全力を尽くすのは当然」と言っているところにも現れている。「安全確保について全力を尽くす」から、自衛隊の活動は安全だという物言いとなっているからだが、常に安全という保証はなく、安全確保をさせてくれない戦闘もあるという認識を持つことができない。常に無キズで済むような論理展開――「自衛隊安全神話」に支配された発言となっている。

 邦人保護に向かっても、武器の使用ができなければ「例えこちらの装備の方が上回っていたとしても、ま、それ(使用)はできないのはおかしい」と言っているところも戦闘の実態抜きとなっている。言葉にあり得ることを想定しなければならない戦闘の影さえも窺うことができない。

 「こちらの装備の方が上回っていたとして」も、邦人保護を常に有効とするとは限らないというリスク管理が些かもない。戦前の対米戦で日本の艦船数や航空機数が敵勢力に優っていたとしても、作戦の拙劣さから撃退されたり、全滅させられたりした例は数あるはずである。

 もう一度言う。「イスラム国」、ボコ・ハラム、アルカイダ、その他のイスラム過激派集団を敵対者として想定しなければならない自衛隊の海外派遣活動である。答弁全体が如何に海外派遣の自衛隊活動の危険性を認識していないかが分かる。危険だから、やめろと言っているのではない。国民にも自衛隊員にも、決して無キズで終わるとは限らない数々の危険性の存在を説明し、無キズでなかった場合は内閣が責任を負うことを宣言することから始めて、国民の納得を得た上で法制を進めるべきではないかと言うことである。

 勿論、集団的自衛権行使そのものは国民全体の納得を得るために憲法改正という手続きを前提に容認する道を選択すべきであろう。

 2013年1月16日に発生したテロ集団によるアルジェリア天然ガス精製プラント襲撃と日本人を含めた多人数の人質拘束事件を、「先般アルジェリアであった事故が、出来事が」と表現していることにも、自衛隊海外派遣を戦闘抜きの派遣論、「自衛隊安全神話」に対応した認識の現れそのものであろう。

 アルジェリア政府はテロリストと交渉せずの姿勢を貫き、テロ集団の要求に対して何ら交渉もせず、英米その他の協力や仲介を断って、アルジェリア軍単独で武力制圧の攻撃に向かい、日本人人質10人を含む様々な国籍の40人前後の犠牲者を出した。

 いわば日本にしてもアメリカにしても英国にしても、アルジェリア政府がテロリストと交渉せずの姿勢を貫いたために自国民保護に終始無力であった。

 多くの犠牲者を出していながら、それを事故と言い、出来事と言う単細胞には呆れるばかりだが、海外派遣した自衛隊が遭遇するかもしれない危険性を何ら認識していないことに対応した軽い表現であり、「自衛隊安全神話」にマッチさせた物言いということなのだろう。

 いわば交渉当事国のテロ集団に対する姿勢によってテロ集団に拘束・人質とされた自国民保護に無力であるケースも生じる。だが、以後の発言にそのような認識を些かも見ることができない。

 単に戦闘抜きの考えに立った自衛隊派遣に拘っているだけである。

 このような単細胞の自衛隊最高指揮官に日本の安全保障を任せることができるだろうか。答は否!である。

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日本政府は事実後藤さん解放をヨルダン政府に協力要請しているのか、殺害されるのを待っているのではないか

2015-01-29 10:33:56 | 政治


 題名の理由は簡単である。囚われの身となっている後藤さんの命は尊いし、釈放されるべきであるし、釈放されることを期待する。

 だが、日本政府が「イスラム国」の要求に応じた場合、「イスラム国」にとって日本は要求に応じる国の一つとなって、同じような要求の必要を新たに感じたとき、再び日本人を人質としない保証はなくなるからである。外国で拘束されている「イスラム国」のテロリストは他にもいるはずで、その釈放に日本人を利用する危険性は否定できない。

 「イスラム国」が後藤健二さん(とみられる男性)を使って「私には24時間しかない」とする動画をネット上に投稿して日本政府に要求したことは自爆テロに失敗してヨルダンに収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚と後藤さんとの1対1の人質交換である。

 但しヨルダンは昨年12月、アメリカ主導の「イスラム国」空爆作戦に参加したヨルダン軍戦闘機がシリア北部で墜落して、パイロットが「イスラム国」に拘束され、人質となっているという事情を抱えている。

 当然、サジダ死刑囚を釈放する場合について世論が様々に渦巻くことになる。サジダ死刑囚を釈放するなら、日本人の人質との交換よりも空軍パイロットとの人質交換を優先すべきだという声。後藤さんをも交えた2対1の人質交換の声。最後にテロリストの釈放は新たなテロを招くとして「妥協すべきでない」とする意見も根強いとマスコミは伝えている。

 ヨルダン政府内では日本政府からの要請を受けて2対1の人質交換の話も出ていると伝えているマスコミ記事もある。

 これが事実とすると、日本政府は「イスラム国」の要求に応じて、ヨルダン政府にサジタ死刑囚の解放との交換で後藤さんの解放を求めていることになる。

 二人の殺害予告から湯川遥菜さん殺害を結末とした2億ドルの要求に結果的に応じなかったことになるにも関わらず、外国政府が関わることになる釈放に関しては「イスラム国」の要求に応じること自体、奇異なことである。

 サジダ・リシャウィ死刑囚は「イスラム国」の前身となったテロ組織「イラクのアルカイダ」のメンバーだった夫と共に偽造したパスポートを使ってイラクからヨルダンに入って、ヨルダンの首都アンマンでホテル爆弾テロ事件が連続して発生していた当時の2005年11月、同じくホテルの爆破を夫と共に目論んだものの、夫は自爆に成功したが、彼女が身に着けていた爆弾は爆発せず、人混みに紛れて逃走したものの、4日後に捕らえられたという。

 このホテルでは爆破時900人が出席した結婚披露宴が行われていて、新郎新婦両方の父親を含めて60人が死亡したという。

 また彼女は2006年にアメリカ軍の空爆で殺害されたアルカイダ系国際テロ組織のナンバー3のザルカウィ容疑者の側近の、兄妹なのか、弟姉なのか分からないが、“きょうだい”だという。

 いわばテロ組織の地位の高い幹部の由緒ある血を引き、自らも自爆テロ実行犯だったという経歴の点から言っても、長年敵側に囚われの身であったという点から言っても(不思議なことに真っ当な存在でない程刑務所に長くいると箔がつくことになる)、十分に箔をつけた存在としてのカリスマ性を備える資格があることになる。

 後は「イスラム国」中枢部が彼女の存在をどのように利用するかである。テロリストたちの士気を高める象徴的な存在に祭り上げることもできるし、ヨルダン政府の不当性を身を以て体験した存在として、敵に対して憎悪を煽る装置とすることもできるし、敵の虐げに耐えた者として偶像視させ、見習いの対象とすることもできる。

 戦前の大日本帝国軍隊が個々の兵士を鼓舞するためにありもしない美談を様々にデッチ上げたように、以上の仕掛けでテロリストたちが鼓舞され、新たなテロに力を与えない保証はない。

 あるいは自爆テロに一度失敗した者として、新たな大規模テロを以って名誉回復のチャンスを与えるという名目のもと、あるいは名誉回復のチャンスを与えて欲しいと自らが申し出て、自爆テロを計画、決行に移す危険性も排除できない。

 後藤さんの「私には24時間しかない」とする動画がネット上に配信されてから、もし日本政府がヨルダン政府にサジタ死刑囚の解放との交換で後藤さんの解放を実際に要請していたとしたら、ヨルダン政府は配信の日本時間1月27日午後11時前後から24時間経過の日本時間1月28日午後11時前後以内に後藤さんの釈放に関わる何らかのアクションを起こさなければならないことになる。

 その時間切れの3時間前に当たる1月28日午後1時(日本時間1月28日午後8時)過ぎ、ヨルダン国営テレビが、同国のモマニ・メディア担当相が、「イスラム国」に拘束中のムアーズ・カサースベ中尉が解放されれば、サジダ・リシャウィ死刑囚を釈放する用意があると述べた」と報じたと「asahi.com」記事が伝えている。

 但し後藤さんについての言及はなかったという。

 だが、別の報道によると、ヨルダンのジュデ外相がアメリカのCNNテレビのインタビューで、後藤さんの解放も含めて「イスラム国」側と交渉をしていることを認めたと伝えている。

 これは果たして事実なのだろうか。

 既に触れたように釈放されたサジタ死刑囚が新たな、より危険なテロリストとして甦る危険性、あるいはカリスマ的存在に祭り上げられてテロ活動の士気鼓舞の象徴的存在となった場合の危険性はより多くの新たな人命の犠牲を次の場面とするリスクをこれから先抱えることになって、人命の犠牲が現実化したとき、その責任に安倍晋三は内閣が耐えることができると考えているだろうか。

 今朝、1月29日の衆議院予算員会で安倍晋三は「イスラム国」の邦人拘束について答弁している。

 安倍晋三「テロを恐れる余り、テロの威しに屈するようなことがあれば、日本人に対するさらなるテロの誘発を生み、卑劣な暴力を行使する者の意図が罷り通る世界になってしまうわけでありまして、このようなことは断じてあってはならないと思います」――

 この発言は後藤さんとの人質交換でサジタ死刑囚が釈放されたなら、テロの脅しに屈したことになって、日本人に対するさらなるテロの誘発を生むとの言い替えに過ぎない。ときにはテロ組織と交渉することもあり得ると読み取ることができる者がいるだろうか。

 もし日本政府のヨルダン政府に対する人質交換を手段とした後藤さん救出要請が形式的なもので、日本人の人質に無関係に自国パイロットの救出を進めて欲しいと申し出ていたとしたら、ヨルダンのジュデ外相がアメリカのCNNテレビのインタビューで述べた後藤さんの解放も含めた交渉だとしていることにしても、日本政府との申し合わせ通りの見せかけに過ぎないことになり、日本政府の後藤さん救出努力は「イスラム国」の殺害を待つ形で終わりを告げることになる。

 このような場面を以って以後の如何なるリスクからも安倍晋三自身の進退ばかりか、内閣そのものを救うことになる。

 勿論、すべては安倍内閣の動きを見た一つの解釈に過ぎない。だが、安倍晋三や内閣の動きを見ていると、早期解放に向けて努力していますというところを見せるための国民騙しのアリバイ作りにしか見えない。

 湯川遥菜さんが生存していた当時でも、二人が殺害される形で幕を降ろすのを期待していたのではないだろうか。内閣にとっては「解放に内閣一丸となって努力したが、残念な結末となってしまった」と言えば済むことで、何ら以後のリスクを負わないで済む、一番無難な、後腐れのない幕引きとなるからである。

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安倍晋三は二邦人拘束で判明、リスクを恐れないこととリスクに備えることの違いに気づかない底なしの大バカ

2015-01-28 09:57:14 | 政治


 第189回通常国会が2015年1月26日に召集。安倍晋三の所信表明演説は行われなかった。与党絶対安定多数の奢りからだろう。参院与野党逆転状況だったり、衆院与野党勢力伯仲の状況にあったりしたら、野党に対して腰を低くして相対するだろうからである。

 状況の変化に関係なしに一貫した態度を取らずにその時々の状況に応じて態度を変える。軽い人間のすることだ。

 翌1月27日、前日の26日に行われた麻生太郎の平成26年度補正予算の財政演説に対する代表質問という形で安倍晋三にその政治姿勢を問い質す変則的な質疑が衆議院本会議で行われた。民主党の前原誠司が「イスラム国」の人質事件に関わる安倍晋三のリスク管理について追及している。



 前原誠司「『イスラム国』を主張するテロ集団ISIL(アイシル)への対応と中東情勢について伺います。1月20日、ISILによって拘束された湯川遥菜さん後藤健二さんの殺害予告がインターネット動画で配信され、その後湯川さんが殺害された主旨の動画が流されました。事実だとすれば、許し難い暴挙であり、強い憤りを禁じ得ません。

 政府が今、どのような交渉をしているかを問う時期ではありません。人命最優先、そしてテロには屈しない日本としての毅然とした態度を示しながら、政府にはあらゆる努力を行った上で、人質の救出に全力を挙げることを強く求めます。

 もとより、人の命が関わる問題に与野党の違いはありません。政府の懸命な努力に対してできる限りのサポートを行います。

 但し野党第一党として、日本国民の生命と安全を守るため、今後のためにどうしても伺わなければならないことについて伺います。

 湯川さんが拘束されたのは昨年の8月。また11月にはISIL側から後藤さんのご家族に約20億円の身代金を要求するメールが届いたと言われています。他国に於ける自国民保護は国家の大切な仕事の一つであります。湯川さんの拘束が発覚したあと、現地対策本部を設置したと承知をしておりますが、他に報道されている日本人はいないでしょうか。

 同時にこれまでの数カ月、お二人の解放に向けて政府は何を行ってきたのかお答え下さい。

 安倍総理はエジプトでISILと戦う周辺各国に総額で2億ドル支援すると発表し、これが結果として犯行声明に引用されました。イラクのアルカイダを起源とし、現在ある国境を無視し、テロ、殺戮、略奪を繰返すことで新たな国家を建設しようとするISILを到底認めることはあり得ません。

 しかし現に二人の日本人が拘束され、パリではイスラム過激派による許し難い悲惨なテロが新年早々にあったばかりです。ISILと対峙する国々は自国治安レベルを引き上げて警戒を強めている状況にあります。そのタイミングで、ISILと戦う周辺各国に対して支援表明するリスクについてどのように想定していたのか、総理に伺います。

 また戦闘に加わっていない避難民に対する人道支援である日本の中東支援をテロ集団は捻じ曲げて犯行の理由としていますが、テロ集団の意図についてもどう分析しているのかについてもお答え下さい」

 安倍晋三「ISILが拘束する他の日本人の有無、及び邦人人質事件への政府の対応についてお尋ねがありました。ISILによる卑劣なテロは言語道断の暴挙であり、強く非難する。

 湯川遥菜さんのご家族のご心痛は察するに余りあり、言葉もありません。現在、映像が公開された二人の他に人質となっている日本人の情報には接しておりません。

 昨年8月及び11月にそれぞれの行方不明事案発生を把握した直後に官邸に連絡室、外務省に対策室を立ち上げると共に、ヨルダンに於いて現地対策本部を立ち上げ、あらゆるルートや人脈(?)を通じて情報収集や協力要請を行ってまいりました。

 今月20日に湯川遥菜さん、後藤健二さんの両名が拘束された動画を確認した直後に官邸に対策、外務省に緊急対策本部を設置すると共に、中山外務副大臣をヨルダンに派遣し、両名の解放のため最大限の努力をしてまいりました。極めて厳しい状況でありますが、政府としては後藤健二さんの早期解放に向けて全力を挙げてまいります。

 (首相官邸サイトに〈本日(1月20日)15時00分、シリアにおける邦人拘束事案に関し、総理官邸内危機管理センターに、官邸対策室を設置した。〉とある。)

 ISILと戦う周辺各国への支援を表明するリスクについてお尋ねがありました。中東地域の平和と安定は我が国にとりエネルギー安全保障や国際的課題への貢献等の観点から極めて重要です。私の中東訪問の際に1千万人以上の避難民の命を救うため周辺各国に対して人道支援を表明致しましたが、これは国際社会の一員として当然の責務を果たしたものであります。

 リスクを恐れる余り、そのようなテロリストの威しに屈すると、周辺国への人道支援はおよそできなくなってしまいます。我が国は決してテロに屈することはありません。今後共日本ならではの人道支援を積極的に推進してまいります。

 テロ集団の意図についてお尋ねがありました。そもそもテロ集団の意図がどうあれ、彼らの行動については全く正当性がありません。その上で彼らの意図の分析についてこの場で申し上げることは適当ではないと思います」
 

 この両者の遣り取りと他の報道から、政府が湯川遥菜さんと後藤健二さんの拘束情報を把握してから、以後の事態の推移を時系列で振返ってみる。

 2014年8月、湯川遥菜さん行方不明事案発生を把握、首相官邸に連絡室、外務省に対策室を設置。ヨルダンに現地対策本部設置。

 2014年11月初旬、後藤さんの妻の携帯電話に約20億円の身代金を要求するメール。

 2014年11月、後藤健二さん行方不明事案発生を把握、首相官邸に連絡室、外務省に対策室を設置。ヨルダンに現地対策本部設置。

          警察が単発殺人事件だと思ったのが連続殺人事件と判明して、「××連続殺人事件捜査本部」と看板を掛け替えるように両名分の連絡室と対策室を設置した
          ということなのだろう。

          後藤健二さん関する設置は後藤さんの妻へのメールを政府が知らされて拘束を知ったことによる対応ということであるはずだ。

 2015年1月17日、安倍晋三、訪問中のエジプトで開催した日エジプト経済合同委員会で、「中東政策スピーチ」を行う。

 2015年1月20日、両名の拘束動画を確認後、首相官邸・危機管理センターに官邸対策室を設置、外務省に緊急対策本部を設置。中山外務副大臣をヨルダンに派遣。

 確かに連絡室設置だ、対策本部設置だといった規則に則って行う機械的な危機管理対応に不手際はない。多分、完璧にこなしたのだろう。

 但しリスク管理(=危機管理)とは、対策を議論したり、指示したり、情報を収集する場を物理的に用意すればいいわけではないことは断るまでもない。リスク管理の本質は効果ある対策を創造する思考力と、実行する決断力にあるはずだ。

 いわば安倍晋三以下、湯川遥菜さん、後藤健二さん、日本人両名の「イスラム国」拘束からの早期解放のための効果ある対策を創造し、実行することを担った。 

 この役割の遂行こそが、国民の生命・財産を守るということであろう。

 安倍晋三はこの役割を担いつつ2015年1月16日、エジプトを訪問。まさか外遊の間は役割を肩から降ろしていいと勝手に決めていたわけではあるまい。どこにいようと、政府トップの立場で自身も担っている役割を、最低限、少しでも心に留めていなければならなかったはずである。

 翌日の2015年1月17日、日エジプト経済合同委員会で中東政策スピーチ行った。イスラム国を身近にしたエジプトでのスピーチであり、役割を心に留めながらの発言でなければならなかった。

 安倍晋三「中東の安定は、世界にとって、もちろん日本にとって、言うまでもなく平和と繁栄の土台です。テロや大量破壊兵器を当地で広がるに任せたら、国際社会に与える損失は計り知れません。

   ・・・・・・・・・・

 イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」――

 イスラム国を身近にしてテロの脅威を肌に感じていたはずだが、中東に於けるテロの根絶と大量破壊兵器の拡散阻止を訴え、「イスラム国」そのものの脅威の食い止めを呼びかけ、そのための総額2億ドルの支援だと宣言した。

 果たしてこの箇所の発言が2名の日本人解放というリスク管理上の役割を担った、あるいはその役割を少しでも心に留めた発言と言うことができるだろうか。

 小沢一郎「生活の党と山本太郎となかまたち」代表が1月25日のNHK「日曜討論」で、「安倍さんが,わざわざ中東まで行って『イスラム国』にとっては宣戦布告と言える記者会見をした」と批判したが、日本人2名を拘束して、身代金を要求している最中の「イスラム国」がこの個所の安倍発言を以って彼らに対する宣戦布告と見做したとしても不思議はない。

 いわば身代金要求に応じないで、「イスラム国に対する十字軍に進んで参加した」という表現で逆に宣戦布告で応じたと見做した。

 そこで「イスラム国」は強攻策に出ることになったはずだ。1月20日近辺で釈放条件として2億ドルの要求と、要求に応じない場合は72時間の期限を設けた殺害予告の動画をネット上に配信した。

 首相官邸と外務省は規則に則って物理的な行動を実行に移すリスク管理については卒なく発揮することはできたが、効果ある対策を創造する思考力と実行する決断力等のインテリジェンスの面でのリスク管理能力を欠いていた。

 もし安倍晋三一人が欠いているなら、周囲が注意すれば、それなりのリスク管理ができたが、全員が欠いていたから、こういった結果を招いたということなのだろう。

 安倍晋三が一国のリーダーでありながら、そのリーダイにふさわしくなく決定的にリスク管理を欠いている証拠が今回の代表質問での次の遣り取りに如実に見て取ることができる。

 前原政治は次のように質問した。「ISILと対峙する国々は自国治安レベルを引き上げて警戒を強めている状況にあります。そのタイミングで、ISILと戦う周辺各国に対して支援表明するリスクについてどのように想定していたのか、総理に伺います」

 この発言を言い替えると、二邦人解放に関わるリスク管理上の役割をどう想定し、どの程度踏まえて発言したのか、いわばどの程度心に留めていたかを尋ねた。

 対して安倍晋三は、「リスクを恐れる余り、そのようなテロリストの威しに屈すると、周辺国への人道支援はおよそできなくなってしまいます。我が国は決してテロに屈することはありません」と答弁した。

 この答弁は自身の役割を二邦人解放というリスク管理上の役割を脇に置いて、テロリストの脅しに屈しない周辺国への人道支援のみにに置いた発言ということになる。リスクを恐れないこととリスクに備えること(=リスク管理)の違いに気づいていなからこそ口にすることができる発言である。

 なぜなら、リスクに十二分に備えた上でリスクを恐れない行動や発言を順番としなければならないからだ。

 だが、リスクに何も備えずにリスクを恐れない人道支援表明を行った。そしてその後の経緯がこのことを証明している。

 もし攻守交代させていたなら、いわば二邦人解放というリスク管理上の役割を少しでも心に留めておくことを最初の順番に持ってきていたなら、こういった発言にはならなかっただろうし、心に留めていなかった以上、「湯川遥菜さんのご家族のご心痛は察するに余りあり、言葉もありません」は単に儀礼的に発した形だけの言葉でしかないことになる。

 安倍晋三はリスクを恐れないこととリスクに備えることの違いに気づかない底なしの大バカだとしか言い様がない。

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1月25日NHK「日曜討論」安倍晋三の邦人救出自衛隊派遣発言に見る矛盾と考えの甘さ

2015-01-27 09:39:56 | 政治


 1月25日(2015年)日曜日のNHK「日曜討論」で、安倍晋三が「イスラム国」が後藤健二さん解放の交換条件にヨルダンに拘束されている女性テロリストの釈放を要求したことについて、ヨルダンと連携・協力しながら対応に当っていきたいと事勿れなことを言ってから、今国会で控えている安全保障法制の整備に関連付けて自衛隊の海外邦人救出について次のように発言した。

 安倍晋三「現在ですね、政府の中に於いて法案の作成を精力的に進めている状況であります。えー、今回の法整備は切れ目のない安全保障法制を構築をしている。それによって国民の命と幸せな暮らしを守り抜いていくということです。

 例えばこのように海外で邦人が危害があったとき、その邦人を救出する。自衛隊が救出するための法律。えー、現在、そのために自衛隊が持てる力を十分に活かすことができません。

 そうしたことを含めて、そうした法制も含めて、えー、今回、法整備を先ず進めてまいります」――

 「政府の中に於いて法案の作成を精力的に進めている状況であります」とは次の記事が紹介していることに当たる。

 〈過激派組織「イスラム国」による日本人人質事件のようなケースが起きた場合に、作成中の新しい安保法案で自衛隊に何ができるのか、政府が検討作業〉を開始し、メディアや野党に問われた場合の想定問答集を作成したと、関係筋の話として、《人質事件に自衛隊派遣可能か、政府が新安保法制の想定問答集=関係筋》ロイター/2015年 01月 23日 18:00)が伝えている。  

 先ず自衛隊派遣の可能前提条件。

 「領域国の同意に基づく邦人救出などの警察的な行動」とする。
 「武力行使が伴わないこと」

 「国家に準じる組織が当該地域に存在しないこと」

 この「国家に準じる組織」について、〈日本人2人を拘束した今回のイスラム国が「国家に準じる組織」かどうかについては、現時点で「政府として判断していない」としている。〉と記事は解説している。

 自衛隊派遣の可能前提条件として「警察的な行動」に限定することと、「武力行使が伴わないこと」はイコールの条件となる。

 このことは安倍晋三が常々言い、2015年1月20日の首相官邸での内外記者会見で、「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する、いわゆる『海外派遣』は、一般に憲法上許されないものと考えており、この考え方には一切変更はありません」と言っていることと合致する。

 つまり海外で身の危険の迫る危難に遭遇した邦人救出に関しても武力を行使せず、「警察的な行動」に限って許されるとする安全保障法制の整備内容ということになる。

 果して武力行使を伴わない、警察的な活動で邦人救出の役目を十二分に果たすことができると考えているのだろうか。

 一般的な犯罪を除いて(この場合は現地当該国の警察が解決に当たる。)本国に影響を及ぼす緊急事態に関しての海外在住邦人が遭遇する危難には二種類がある。

 一つは今回のようにテロ集団、その他に人質とされる例と、戦闘、あるいは戦争が突発して砲撃やミサイル着弾、銃撃戦等に見舞われて日就生活が破られ、生命・財産共に昼夜危険な状態に曝される場合である。

 但し後者の場合は身体そのものを拘束されているわけではないから、移動手段や周囲の状況との関係に影響されるが、危険な状況の合間を縫って当地の日本大使館に避難したり、危険区域から安全地帯に避難することも可能で、このことは難民の存在が証明しているが、比較的行動が自由であるはずである。

 このように比較的安全な場所に避難している邦人を安全な隣国や、あるいは危険を完全に払拭できる日本に帰還させるために派遣された自衛隊が武力行使を伴わずにそれら邦人を保護することは十分に可能であろう。

 だが、保護した場所から最寄りの港なり空港なりに、あるいは隣国避難のために陸路を取るにしても、移動の間、敵部隊から攻撃を受けない絶対的な保証があるのだろうか。

 2013年1月16日に発生したテロ集団によるアルジェリア人質拘束事件ではアルジェリア軍は人質とは交渉しないの姿勢の元、人命よりも制圧を優先させて、武装勢力が人質を乗せて逃走を謀った車両にヘリから攻撃を加え、人質諸共に武装勢力全員を殺している。

 テロ集団や敵勢力が他国軍隊が車列を組んで戦闘地外へ移動することを果たしてやすやすと見逃してくれるだろうか。戦闘地外への移動は逃走と見做し、戦闘地内への移動は、それが自国民保護を目的としていたとしても、邪魔者の存在と見做されるはずだ。

 いわば武力行使を伴わない警察的な行動を絶対的な予定調和とした邦人保護のための自衛隊海外派遣は、あるときは成功したとしても、常に成功するとは限らない危機管理に基づかなければならないはずだから、想定不可能だということである。

 だが、安倍晋三は一方で、「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する、いわゆる『海外派遣』は、一般に憲法上許されないものと考えており、この考え方には一切変更はありません」と言いながら、「日曜討論」では、今回のテロ集団による邦人人質・身代金要求事件を例にして、自衛隊を派遣して邦人救出を謀ることのできる安全保障法制の整備を進めていると、常に武力行使せずにさも救出可能なようなことを言っている。

 特にテロ集団、その他に人質とされた場合の邦人救出は、それが「国家に準じる組織」ではなかったとしても、支配地域に人質を確保しているはずだから(それとも支配地域外の確保を期待しているのだろうか。)、敵勢力の中に飛び込むことになって、武力行使を伴わない警察的な行動での救出は困難を極めることになる。

 当然、救出を成功させるためには人質が監禁されている場所の周辺に配置されている敵勢力の武力迄含めて、それに優る武力の行使を自衛隊は必要としないわけにはいかない。

 成功しなかった場合、武力行使を伴わない警察的な行動を想定していながら、激しい戦闘の果てにミイラ取りがミイラとなって新たな人質に加えられる皮肉な結果も想定しなければならない。

 人質となるということはまだ生きていることの証明となるが、そこに戦闘が介在した結果なら、人質とすることはできない状態にさせられた自衛隊員が存在することになる。断るまでもなく戦死である。

 最悪の危機管理として戦死者を出すことも想定しなければならない。

 安倍晋三やその他が考えている法整備は運用面で想定しなければならない実際との間に矛盾があってはならないはずだが、安倍晋三の発言や政府が考えている新しい安全保障整備に関わる報道を見る限り、矛盾を見ない訳にはいかないし、考えが甘過ぎるように見える。

 安倍晋三やその他のホンネは「自衛隊が持てる力を十分に活かす」だけの武力を装備させて、その武力を無制限に思う存分に発揮させて邦人保護に向かわせたいと考えているが、憲法9条との兼ね合いで許されないことから生じている苦肉の法整備であり、矛盾ということなのだろう。

 運用時に矛盾が露わとなって派遣した自衛隊に却って自衛隊員の犠牲、その他の被害が出るなら、一内閣の憲法解釈による閣議決定ではなく、正々堂々と憲法を改正して、運用面での矛盾を限りなく払拭した法整備に取り組むべきだろう。

 1月24日にツイッターに投稿した文章である。

 〈集団的自衛権行使は国民自身に選択させるべき重大事案。国家権力と言えども、国民に断りなしに日本国憲法の規定外のことを決定する権利はない。国民がノーなら、国家もノー。国民がイエスとした場合のみ、国家はイエスとすることができる。安倍晋三はこのことを理解するだけの頭を持ち合わせていない。〉

 憲法改正で国民の選択を受けよということである。

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安倍晋三の2015年1月25日NHK「日曜討論」での「戦後70年談話」発言、どう読む?

2015-01-26 09:29:07 | 政治
 
 先ず画面に「村山談話」と「小泉談話」の中核をなす文言が画像で示されている。

 戦後50年村山談話

 植民地支配と侵略によって・・・・・とりわけアジアの諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました・・・・・痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持を表明いたします。

 戦後60年小泉談話

植民地支配と侵略によって・・・・・とりわけアジアの諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました・・・・・痛切な反省心からのお詫びの気持を表明する・・・・・
 

 中川緑アナウンサー「戦後50年のときに発表された村山談話、戦後60年のときの小泉談話と共にですね、赤く示した文字のところですが、『植民地支配と侵略』、『痛切な反省』、『心からのお詫び』。こういった同じ文言が盛り込まれております。

 新たな総理大臣談話でも、こうした文言を引き継いでいくお考えでしょうか」

 安倍晋三「あのー、50年によって村山談話。そして、えー、60年の小泉談話ですね。えー、安倍政権として、ま、歴代の、こうした談話を全体として受け継いでいく考えについては既に何回も申し上げているとおりであります。

 えー、そして今回、70年を迎えるに当ってですね、今示して頂いた色んな、えー、今まで重ねてきた文言を使うかどうかということではなくて、安倍政権は安倍政権として、えー、この70年を迎えて、どう考えているんだ、という観点からですね、えー、談話を出したい。

 えー、それは先の大戦に対する痛切な反省、と同時に戦後70年、我々は自由と民主主義を守り、えー、人権を尊重し、法を尊ぶ国をつくってきました。

 そしてアジアを始め世界の発展にも大きな貢献をしてきた、この日本の70年の歩み、更には日本はこれから世界に対してどのような貢献をしていくのか、どのような地域をつくっていこうとしているのか、どのような世界をつくっていこうとしているのか、日本の未来に対する意思をですね、しっかりと書き込んでいきたいと思っています。

 ですから、今までのスタイルをそのまま、えー、下敷きとして置きながら、書いていくという考えはですね、今まで使った言葉を使わなかった、あるいは新しい言葉が入った、という、ま、そういう、ま、細々(こまごま)とした、あー、議論になっていくわけでありますが、えー、そうした議論とならないように、むしろ、えー、今までの勿論、閣議決定は全体として私たちは継承していくということははっきりと申し上げております。

 その上に於いて、70年の談話は70年の談話として新たに出したいと、そのように思っています」

 島田アナウンサー「必ずしも先程のようなキーワードを同じように使うことはないと――」

 安倍晋三「それはそういうことではございません」

 「安倍晋三戦後70年談話」についての発言は以上である。

 安倍晋三は結論として、「今までのスタイルをそのまま下敷きとして置きながら、書くことはしない」と言い、「今まで使った言葉を使わなかった、新しい言葉が入ったといった細々とした議論とならない」書き方をすると、言葉の使い方を問題視としている。

 と言うことは、安倍晋三が「全体として受け継ぐ」と言っていることは、「村山談話」や「小泉談話」がそこに込めている精神を「全体として受け継ぐ」と言うことではない。 

 もし精神を受け継ぐなら、戦前の日本の戦争を「植民地支配と侵略」だと歴史認識した精神をも受け継がなければならない。

 受け継がずに言葉の使い方の問題に帰していることから察するに、「全体として受け継ぐ」とは、50年の談話、60年の談話という形式自体を「全体として受け継ぐ」という答としかならない。

 つまり「安倍晋三戦後70年談話」は「村山談話」や「小泉談話」の精神とは異なった、自分自身の精神を込めるということであろう。

 ではどのような精神かと言うと、「自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を尊ぶ国」の姿を取ってアジアと世界の発展に貢献してきた戦後70年の日本の歩みと今後共アジアを含めた世界の発展に貢献していく日本の将来の歩むべき姿を書き込んでいくことになると言って、戦後から未来にかけた日本姿を描くことにに特にウエイトを置いている。

 従来の談話の精神を受け継がない、いわば戦前と戦後を平面上に置いて併立させないそのような構造の談話は戦後から未来の日本の姿を力点として戦前の日本の姿に相対化の力を加えることになる。

 相対化の程度に応じて戦前の負の歴史は戦後から未来の正の歴史のオブラートに包まれていく試みを受けることになる。

 安倍晋三の談話の第一段階の狙いはここにあるはずだ。

 この狙いは既に前々から分かっていた。

 《【単刀直言】安倍晋三元首相 尖閣「国が購入すべき」 維新の会、石原新党と も「連携できる」 憲法96条改正で衆参ダブル選も》MSN産経/2012.5.11 21:34)

 2012年5月11日のインタビュー記事である。

 安倍晋三「自民党も下野してずいぶん歯がゆい思いをしてきたが、ムダではなかったと思ってるんですよ。

 例えば先日まとめた憲法改正草案は平成17年の新憲法草案よりはるかに良くなったでしょう。前文に『日本国は国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家』と記し、国防軍も明記した。やはり与党時代は現行憲法に縛られ、あらかじめ変な抑制を効かせちゃうんだな…。

 それにかつて自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ」――

 政権復帰したら、日本国憲法の「しがらみを捨てて再スタートできる」と言い、「もう村山談話や河野談話に縛られることもない」と言っている。

 この精神を凝縮させて「安倍晋三戦後70年談話」の狙いとなった。

 日本国憲法の「しがらみを捨てて再スタートできる」は、安倍晋三が元々日本国憲法を占領軍が作った占領軍憲法だと否定しているから、当然の物言いとなる。

 だが、ブログに何度も書いているように、日本の戦後の「自由と民主主義」、「人権と法の尊重」はまさしく占領軍がつくった(実際には多くの日本人が関わって作成された)
「日本国憲法」が育んだ価値観である。

 一方で「日本国憲法」を否定していながら、戦後の日本が世界に向けて発揮してきた偉大な価値観だと宣伝する。

 日本国憲法が謳っている「自由と民主主義」、「人権と法の尊重」迄否定していないと言うだろうが、占領軍主導の「日本国憲法」なくして育み得なかった戦後の価値観であるはずである。

 安倍晋三の「日本国憲法」を否定しながら、「自由と民主主義」、「人権と法の尊重」等の価値観だけをつまみ食いするこのような矛盾した精神構造は、談話に関しては「村山談話」、「小泉談話」の精神を否定、戦後と未来の日本にのみ価値を置こうとする矛盾した精神構造と相互対応している。

 両者間のベースとなっている精神は戦前の負の歴史を限りなく抹消しようとするご都合主義である。戦前の日本の「植民地支配と侵略」を歴史の事実は事実として置いておこうとはしない。

 このような談話が日本国民の多くから受け入れられたら、その意識が歴史を変えていくことになる。先ずは国民の要望として現れ、教科書検定の新たな検定基準となり、歴史教科書が書き換えられていって、ついには日本の正統な歴史となっていく。

 戦前の歴史に対する抹消願望が最終的に歴史改竄の姿を取る。

 だからこそ、安倍晋三は歴史修正主義者と言われる。

 改竄によって完膚なき日本民族と日本国家の完成を迎える。戦前の負の歴史の改竄は戦前の日本と戦後の日本に一貫性を持たせることになって、偉大な歴史の連続性を形造ることになる。ここに安倍晋三の最終目的がある。

 NHK「日曜討論」の「安倍晋三戦後70年談話」に関わる安倍晋三の発言をみなさんはどう読んだのだろか。

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安倍晋三の太鼓持ち橋本五郎が1/24「ウェークアップ!ぷらす」で邦人拘束誘因の安倍発言を批判するなと

2015-01-25 07:47:43 | 政治


 2015年1月24日土曜日の日テレ「ウェークアップ!ぷらす」 で、シラッとした顔でそう言った。

 橋本五郎「非常に違和感があるのは日本国内でも、安倍総理大臣が表明した、あー、それが原因でこうなったと、それに対して強い批判があったんですね。

 これはしかし、口実にしたんであって、そもそもこういうことは許されるのかっていう基本に立ち返らないと、何だかそれを如何にも認めているかのようなね、国内の、国会議員でさえも、そんな発言するっていうのは、非常に違和感がありますねえ」

 辛坊「まあ、2億ドルの日本の支援は人道支援であって、そんなことは、もう、(政府は)説明するって言ってますが、そんなことは分かっている話で、それは口実でやっているだけだという、それは正しい見方だと思います」

 【太鼓持ち】「人にへつらい、機嫌を取る者」

 要するに安倍晋三のお太鼓持ち橋本五郎は「イスラム国」の日本人拘束の身代金要求は安倍晋三の発言を口実にしたに過ぎない行為なのだから、その発言を批判するのは彼らの行為を認めているかのようになるから批判はするな、口を閉ざせと言っている。

 ツイッターでも同様の批判を目にした。

 〈テロが起きた際、自国の宰相を批判するメッセージを国民が大量に発する事は人質を取ったテロリスト側がどう思うか冷静に考えるべきだ。〉

 まさか「イスラム国」が外国人を拘束し、身代金を要求する行為を認めている者は余程の「イスラム国」支持者でなければ、いないだろう。また、安倍晋三の結果的に邦人拘束の誘因となった発言を批判したからといって、テロ集団の行為を認めることにもならない。

 安倍晋三のお太鼓持ち橋本五郎はテロ集団は安倍晋三の発言を「口実にした」に過ぎないと安倍晋三を擁護しているが、言葉に口実を与えるだけの隙があったということである。

 その隙がなければ、誰も批判しない。

 安倍晋三のお太鼓持ち橋本五郎が「国会議員でさえも、そんな発言をしている」と批判している当の本人に当たるかどうかは分からないが、民主党の大野元裕参院議員が1月24日のTBS番組で「人道支援はやるべきだが、やり方、言い方は、悪意で待っている人たちにいい口実を与えた」と批判したと「産経ニュース」が伝えている。

 事実、その通りであるはずだ。

 もしその発言への批判がテロ集団を利することになるからといって口を閉ざしていたなら、安倍晋三や菅官房長官、その他は“言葉の隙”に気づかないままに過ごすか、あるいは気づいていたとしても、人道支援の正当性を訴え続けることで“言葉の隙”が存在していたことを誤魔化してしまうかすることになる。

 後者の場合は誤魔化し通すことによって、恰も最初から“言葉の隙”など存在しなかったかのように自分たちを信じ込ませてしまうことも起こり得る。

 前者の場合であっても、後者の場合であっても、これは恐ろしいことである。一国のリーダーや、あるいは国家権力の中枢に位置する者たちが自分たちの言葉が意図して発信していたこととは異なる意図しない何かを発信していたことに気づかないでいることは認識能力とか判断能力の問題に行き着く。

 資質上、欠いていてはならない能力でありながら、欠いていることになるからなのは断るまでもない。

 意図しない何かを発信してしまったことに後になって気づいたとしても、それを誤魔化してしまうということは今度は自身に対するのと他者(=周囲の者や国民)に対して欺瞞作用を及ぼしたことに行き着く。

 ここから進んで誤魔化しなどはなかった、自分は間違っていなかった、正しかったと自分で自分を信じ込ませた場合、自覚性の放棄につながる。このことに慣れると、自身を常に正しい存在だと思い込む危険性が待ち構えることになりかねない。

 批判がテロ集団を利することになるからと一国のリーダーやその他の資質の欠格性に口を閉ざす不利益と、少しでも自覚させようとして口を閉ざさずに批判することによってテロ集団を利することになった場合の不利益と、どちらがより大きな不利益と言えるのだろうか。

 前者の方の不利益が大きいと見做している者こそが批判しているのであって、批判することによって、““言葉の隙”を、あるいはその資質の欠格性を否応もなしに気づかせるべきだし、安倍晋三に身代金要求の口実を与えることになった責任を自覚させた上で、2人の解放(今朝7時のNHKニュースが、後藤健二さんが湯川遥菜さんの写真を持ち、「湯川遥菜さんが殺された」とする音声を流した動画がネット上に流されたと報道している。)に当たらせるべきだろう。

 誤魔化しの上には誤魔化ししか築くことはできない。

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安倍晋三の自衛隊の戦闘行為を否定しながら、無理矢理集団的自衛権行使に持っていく支離滅裂な論理性の実態

2015-01-24 09:17:47 | Weblog
                                             
 最初に集団的自衛権武力行使の新3要件を挙げておく。

 自衛の措置としての武力行使の新3要件(2014年7月1日閣議 決定)

①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること

②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと

③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと


 要するに「国家存立」と「国民存立」が「根底から覆される明白な危険」が生じた場合は集団的自衛権行使は容認されるというわけである。この「国民存立」なる概念には日本に関しては日本国憲法が規定している基本的人権、その他の権利に基づいた「国民の生命、自由及び幸福追求の権利」に関わる保障が組み込まれていて、それらを基盤とした「国民存立」であることは断るまでもない。

 北朝鮮の国家権力が保障する「国民存立」とは明らかに条件が異なる。

 安倍晋三が集団的自衛権行使のケースを説明するとき、常にこの3要件、特に最初の「国家存立」と「国民存立」の危機を条件として持ち出す。

 以前ブログに取り上げたが、昨年末の総選挙前の2014年12月1日の日本記者クラブでの発言から、安倍晋三の考えを見てみる。

 《日本記者クラブ8党8党首討論会》(2014年12月1日)  

 安倍晋三「集団的自衛権につきましては、これはわれわれ、先般、7 月1 日に閣議決定を行ったところでありまして、一部容認をいたしました。しかし、その際、われわれは厳しい3 要件をつけたわけでありまして、その3 要件とは、『我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること』ということがちゃんと入っているわけでございまして、事実上、先ほど山口代表が示されたように、他国のいわゆる一般的な集団的自衛権全部を認めることとは違うわけでございまして、そのままにしておきますと、まさにわが国が大変な状況になってくるという状況において行う。集団的自衛権という武力行使においては、そういう歯どめがしっかりとかかっているわけであります。

 来年、法整備を行うわけでありますが、当然、自衛隊を動かしていくときには国会の承認というのは当然必要になってくるだろうと、このように考えております」


 ここに地理的要件が絡んでくる。 

 「国家存立」と「国民存立」が脅かされたとき、脅かす原因を成している事態の沈静化のために自衛隊はどの地域にまで出動が許されるのか。

 これもよく知られていることだが、安倍晋三は一つの例としてペルシャ湾に機雷が敷設されて石油の輸送がストップした場合を3要件に当てはまる事例としている。

 同じく2014年12月1日の日本記者クラブでの発言から見てみる。

 安倍晋三「これは個別の状況、世界的な状況で判断をしなければいけません。ホルムズ海峡が完全に封鎖をされているという状況になれば、これはもう大変なことになって、油価は相当暴騰するということを考えなければいけないわけでありますし、経済的なパニックが起こる危険性というのは世界的にあるわけでありまして、そこでこの3要件とどう当てはまるかということを判断していくことになります。3要件に当てはまる可能性は私はあるとは思います」

  
 ホルムズ海峡がテロ集団や敵対国によって機雷敷設等で完全に封鎖され、石油の輸送がストップした場合は3要件に該当すると発言している。

 当然、そういった状況になったとき、自衛隊がホルムズ海峡迄出動して、米軍等と共に、あるいは単独で機雷除去の作業を行い、タンカーの安全な通行を可能としなければならない。

 但し安倍晋三は自衛隊を出動させる場合の戦況にも条件をつけている。再度日本記者クラブの発言から見てみる。

 安倍晋三「戦闘行為が行われているところに、普通、掃海艇は行きません。掃海艇というのは木でできていますから、そもそも戦闘行為が行われているところに行ったら一発でやられてしまうわけであります。

 そこで、通常は、停戦が完全に行われている状況で、停戦が行われた後、行きますが、しかし、事実上の停戦が行われていても、実際に停戦がなされていなければ、要するに国際法上、機雷を掃海することは集団的自衛権の行使に当たりますから、そういう状況、これはなかなか起こり得ないのですが、想定外ということは許されませんから、そういうときのために、事実上、今回閣議決定を行っている、ということであります。

 事実上、戦闘行為はほとんど行われていませんが、完全な停戦合意は国際条約として結ばれていないという状況というのはあり得るわけでありまして、数カ月間、その間も、しかし、しっかりとやっていかなければいけないという考えでありますが、当然その間、その決定するうえにおいては、三要件に適合しているかどうか、そのうえにおいてさらに国会で判断もいただくことになります」


 論理立った説明が行われていない。危険な臭いを少しでも消そうとするゴマカシの意識を働かせているから、こういった意味がはっきりしないくどくどしい言い方になるのだろう。

 安倍晋三は四つの状況を挙げている。

 ①「戦闘行為が行われている」状況。

 ②「停戦が完全に行われている状況」

 ③「事実上の停戦が行われていても、実際に停戦がなされていない」状況」

 ④「戦闘行為は殆ど行われていないが、完全な停戦合意は国際条約として結ばれていないという状況。

 ①の状況の場合は、自衛隊は出動させない。②の状況の場合は自衛隊を出動させる。③の状況の場合は出動させるとも出動させないとも明言せずに、「そういうときのために、事実上、今回閣議決定を行っている、ということであります」と言っている。

 明言しないところに誤魔化そうとする意識を見ることができる。

 2014年7月1日の閣議決定を見てみる。

 《国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について》 http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/anpohosei.pdf

 (ア)我が国の支援対象となる他国軍隊が「現に戦闘行為を行っている現場」では、支援活動は実施しない。

 (イ)仮に、状況変化により、我が国が支援活動を実施している場所が「現に戦闘行為を行っている現場」となる場合には、直ちにそこで実施している支援活動を休止又は中断する。


 ③の「事実上の停戦が行われていても、実際に停戦がなされていない」状況とは、戦闘が現に行われている状況のことだから、「(ア)」の状況に該当させることができるはずである。

 そして④の「戦闘行為は殆ど行われていないが、完全な停戦合意は国際条約として結ばれていないという状況」についても明言がないが、「(イ)」の状況に該当させることもができるはずである。

 要するに停戦合意が国際条約として結ばれていようがいまいが、戦闘が現在進行形の地域には自衛隊を派遣せず、戦闘が過去形の地域のみか未来形の地域(戦闘が将来発生の可能性のある地域)に派遣する。過去形が覆って現在進行形化した場合は、一時撤退か完全撤退させる。

 このことは未来形に関しても同じである。

 これらのことを全てひっくるめて言い替えると、自衛隊に戦闘行為をさせないと言っていることになる。戦闘行為の否定である。

 安倍晋三はシリアでの邦人拘束を受けて訪問先イスラエルで行った内外記者会見でも、このことを裏付ける発言を行っている。
  

 《安倍晋三内外記者会見》首相官邸/2015年1月20日)
 
 古谷日本テレビ記者「少し話題は変わりますが、今月末に開会されます通常国会では安全保障法制が最大のテーマになると予想されますが、総理は、いみじくもヨルダンのアブドッラー国王に対して、「現在作業を進行中だ」とお話されていました。この鍵を握る与党協議はいつから再開されるかとお考えなのか。

 また、公明党の中には集団的自衛権の行使に地理的制約を課すべきだという考えもあるようです。正に、地理的な範囲を広げれば、それだけテロや戦争に日本が巻き込まれる可能性が増えると言えるかもしれません。この論点について、どのようにお考えでしょうか。よろしくお願いします」

 安倍晋三「政府としては、先の閣議決定に基づきまして、安全保障法制の速やかな整備に向けて、精力的に現在準備を進めているところであります。また、自民党と公明党は、新たな連立政権合意の中で、安全保障関連法案を速やかに成立させると改めて確認をしています。

 政府としては、引き続き、部内で十分な検討を行った上で、与党と御相談したいと考えておりますが、与党間の協議については、政府の立場として、コメントすることは差し控えさせていただきたいと思います。

 集団的自衛権の行使については、「新3要件」が判断基準であります。これは国会等でも再三お話をしてきている通りでありまして、武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する、いわゆる『海外派遣』は、一般に憲法上許されないものと考えており、この考え方には一切変更はありません」


 「武力行使の目的をもって武装した」自衛隊の派遣は行わない。つまり自衛隊に戦闘行為は行わせないと、自衛隊の戦闘行為を否定している。

 であるなら、「国家存立」と「国民存立」が「根底から覆される明白な危険」が生じたとしても、1991年6月5日から9月11日まで行ったペルシャ湾の機雷除去の根拠を自衛隊法の84条の2、「海上自衛隊は、防衛大臣の命を受け、海上における機雷その他の爆発性の危険物の除去及びこれらの処理を行うものとする」の規定に置いて海上自衛隊の通常業務としたように、機雷除去ばかりか、如何なる自衛隊派遣も集団的自衛権行使とは無縁の通常業務とすることができるはずである。

 個別的自衛権の発動すら必要ないことになる。

 ところが安倍晋三は集団的自衛権の行使が必要だと矛盾した言っている。その例の一つを2014年5月28日の国会答弁から見てみる。

 《第186回国会 衆議院予算委員会 第16号》衆議院)  

 安倍晋三「例えば、機雷によってホルムズ海峡が封鎖された場合、ここを通るいわばタンカー等によって日本のエネルギーは供給されているわけであります。つまり、海洋国家である日本が海洋の航行を脅かされたときに、これは、死活的な利益が失われると言ってもいいんだろう。国民の命を守る上において、平和な暮らしを守る上において、重大な影響があります。

 そして、我が国の商船隊の九五%は外国船籍でございまして、当然、外国船舶が攻撃を受けた場合に個別的自衛権の行使で対処することはできないということは、今までの議論の積み重ねによって明々白々であるわけでございます。

 そこで、今委員が御指摘になったように、機雷が敷設され、危険に遭う可能性が高い中、各国が協力して機雷掃海を行っているにもかかわらず、その能力に秀でる我が国が機雷掃海をできなくてもよいのか、各国が共同で我が国の船舶を含む船舶の護衛を行っているのに、そして、その船舶はまさに日本のエネルギーを供給しているものであるにもかかわらず、我が国が護衛に参加しなくていいのかという課題であります」


 集団的自衛権とはある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利を言う以上、その行使はそのような条件下で武力を行使することを言う。

 集団的自衛を目的に地理的制約もなく自衛隊を出動・派遣するということは「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する」ということに他ならない。

 いわば安倍晋三が憲法違反だと言っていることを行うことを意味する。

 そして一方で、安倍晋三は自衛隊の戦闘行為を否定し、尚且つ記者会見で、「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する、いわゆる『海外派遣』は、一般に憲法上許されないものと考えており、この考え方には一切変更はありません」と集団的自衛に関わる武力行使を憲法違反だと否定している。

 では、何のための安倍晋三の集団的自衛権行使渇望なのだろう。

 安倍晋三のこの支離滅裂な論理で成り立たせている集団的自衛権行使容認論に整然とした論理を与えるとしたら、自衛隊の戦闘行為の否定は国民向けの架空の説明に過ぎず、「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する、いわゆる『海外派遣』」を実態とした集団的自衛権を想定しているとすることしかできない。

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安倍晋三のエジプトでのスピーチの言葉の軽さが招いた邦人人質とそのことに今以て気づかない軽い認識能力

2015-01-23 09:10:04 | 政治


 安倍晋三がエジプトを訪問、日エジプト経済合同委員会で「中東政策スピーチ」を行ったのは1月17日だと首相官邸サイトに何の断りもなく書いてあるから、日本時間なのだろう。  

 演題を「中東政策スピーチ」としてあるから、安倍内閣の中東政策のお披露目を行ったことになる。

 このスピーチについては既に一度ブログに取り上げているが、安倍晋三はここで「中庸が最善」(不偏・中正であること)なる高尚な哲学を、多分、素晴らしい政治家になったような気分に浸っていたのだろう、披露した。

 そしてこのような高尚な哲学の必要性を次の点に置いた。

 安倍晋三「この叡智(「中庸が最善」)がなぜ今脚光を浴びるべきだと考えるのか。それは、現下の中東地域を取り巻く過激主義の伸張や秩序の動揺に対する危機感からであります。

 中東の安定は、世界にとって、もちろん日本にとって、言うまでもなく平和と繁栄の土台です。テロや大量破壊兵器を当地で広がるに任せたら、国際社会に与える損失は計り知れません」――

 要するにエジプト政府と反対勢力、イスラエルとパレスチナ、アフガニスタン政府とタリバン、シリアのアサド政権と反アサド勢力、その他中東の政府と、その政府と対立するアルカイダだとかボコ・ハラムといった過激派集団とかが「中庸が最善」なる哲学で和解して、それぞれが治安と秩序を回復することで「テロや大量破壊兵器」の根絶を図ろうと呼びかけた。

 それぞれの相互の利害が全く以って相容れない様相で鋭く対立させて複雑に絡み合い、早々には簡単に解(ほど)くことはできない故に、特にそれぞれ過激派集団からしたら薬にもしないし、聞く耳を持つ可能性があるとは思えない(事実、持たなかったから拘束日本人の身代金を要求した)「中庸が最善」の哲学であるにも関わらず、「先の大戦後、日本は、自由と民主主義、人権と法の支配を重んじる国をつくり、ひたすら平和国家としての道を歩み、今日にいたります」とさも日本の戦後の歩みが模範になるかのように呼びかけた。

 この安易な考え、楽観主義、いわゆる言葉の軽さは、「エジプトが安定すれば、中東は大きく発展し、繁栄するでしょう」と言っている言葉にも現れている。エジプトに渦巻いている利害とイスラエルとパレスチナが掲げている利害、アフガニスタンやシリアに於ける利害、その他様々な利害は内容も質も異にするはずである。

 そして「中庸が最善」という哲学の具体化を担わせる資金提供の申し出を行っている。

 安倍晋三「ここで私は再び、お約束します。日本政府は、中東全体を視野に入れ、人道支援、インフラ整備など非軍事の分野で、25億ドル相当の支援を、新たに実施いたします」

 25億ドルのうちの2億ドルの使い途を次のようにスピーチしている。
 
 安倍晋三「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」――

 ここで初めて「ISIL」(「イスラム国」)を名指しして、中東の「脅威」は「ISILがもたらす」との趣旨で、邪悪な敵、邪悪な存在と位置づけ、その脅威の阻止を主導する国の一つに日本がなることを宣言した。

 例えそれが人道支援を目的にしていても、結果を招いている原因を断つことを本質的な意図としている。安倍晋三はそのように発言した。

 このことは「ISILと闘う周辺各国」への支援だとわざわざ断っているところにも現れている。

 これが「イスラム国」に対する宣戦布告に相当する。少なくとも「イスラム国」はそう受け取った。

 だから、「イスラム国」は日本人人質に対してそれぞれ1億ドルずつ、合計2億ドルを身代金として要求した。

 身代金要求の動画での「イスラム国」の発言を見れば、宣戦布告と受け取ったことが簡単に理解できる。
 
 「日本の総理大臣へ。

 日本はイスラム国から8500キロ以上も離れたところにあるが、イスラム国に対する十字軍に進んで参加した。我々の女性と子どもを殺害し、イスラム教徒の家を破壊するために1億ドルを支援した。

 だから、この日本人の男の解放には1億ドルかかる。それから、日本は、イスラム国の拡大を防ごうと、さらに1億ドルを支援した。よって、この別の男の解放にはさらに1億ドルかかる。
 
 日本国民へ。日本政府はイスラム国に対抗するために愚かな決断をした。2人の命を救うため、政府に2億ドルを払う賢い決断をさせるために圧力をかける時間はあと72時間だ。さもなければ、このナイフが悪夢になる」――

 安倍晋三が「イスラム国」を邪悪な敵、邪悪な存在として名指ししたことを「イスラム国に対する十字軍に進んで参加した」と見做された。その上、「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援」を、「我々の女性と子どもを殺害し、イスラム教徒の家を破壊する」行為だと解釈された。

 「中庸が最善」なる高尚な哲学は高尚過ぎて全く以って聞く耳を持っていなかったのである。

 そして人道支援が「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止める」ことを目的としたことを、「日本は、イスラム国の拡大を防ごうと、さらに1億ドルを支援した」こととされた。

 勿論、このような解釈を「イスラム国」が勝手に意図をねじ曲げた読み間違いに過ぎないと非難できる。だが、「イスラム国」と同じように宣戦布告、もしくはそれに近い内容と解釈したと思われる二人の国家指導者がいる。

 一人はアブドラ・ヨルダン国王。《殺害警告、首相を直撃=各国首脳の懸念的中》時事ドットコム/2015/01/20-22:30)  

 パレスチナのエルサレムに滞在中の安倍晋三に現地時間の1月20日午前7時50分頃事件の一報が入り、〈首相に同行していた中山泰秀外務副大臣は現地での政府対応の指揮を執るため、ヨルダンのアンマンに急きょ飛んだ。首相が18日に同国のアブドラ国王と会談した際、日本人の人質事件など不測の事態を想定した国王から、情報提供や人質救出を含め「何でもやるから言ってほしい」と申し出を受けていたためだ。〉と記事は書いている。

 安倍晋三がエジプトで「中東政策スピーチ」を行ったのは1月17日。同じ17日にヨルダンを訪問、翌1月18日に国王と首脳会談を行っている。 

 ヨルダン国王が「日本人の人質事件など不測の事態を想定した」のは「中東政策スピーチ」を受けてからだろう。前々から想定していたなら、外交ルートを通じて中東訪問前に警告を発していたはずだからだ。

 安倍晋三のスピーチの中の文言が「イスラム国」に対する宣戦布告と取った。少なくとも刺激したと懸念したからこそ、「不測の事態を想定した」。

 記事はもう一人、ネタニヤフ・イスラエル首相を挙げているが、次の記事に譲る。
 
 《ネタニヤフ氏「日本もテロに巻き込まれる恐れ」》YOMIURI ONLINE/2015年01月19日 12時36分)    

 安倍晋三がイスラエル訪問したのは1月18日。翌1月19日(現地時間1月18日)にネタニヤフ首相と会談。

 安倍晋三「卑劣なテロは、いかなる理由でも許されない。国際社会と緊密に協力し、テロとの戦いに引き続き取り組む」

 勇ましき宣言を行った。

 ネタニヤフ首相「世界的にテロの動きに直面している。日本も巻き込まれる可能性があり、注意しなければいけない」――

 安倍晋三の「中東政策スピーチ」を関心を持って聞いていたはずだから、「日本も巻き込まれる可能性」はスピーチとは決して無関係とは言えない。もしイスラエルから前以て外交ルートを通して「日本も巻き込まれる可能性」を伝えられていたら、ここでの発言も、「中東政策スピーチ」での発言も、もう少し違った文言を使ったはずだ。

 ネタニヤフ首相が最低限、スピーチの文言に懸念を持ち、「日本も巻き込まれる可能性」を伝えたと読んだとしても、さ程無理はないはずだ。

 確かに人道支援を目的としている。だが、安倍晋三は中東の治安を悪化させ、秩序を乱して平和を損なっている、そのような結果を招いている原因と目した「イスラム国」、あるいは他のテロ集団を断つことを本質的な意図とした人道支援に位置づけていたのである。

 勿論、その意図が間違っていると言うわけではないし、言うつもりもない。

 結果的に「イスラム国」に対する宣戦布告となっていたことを一国の指導者として認識しなければならないし、認識するだけの頭を持たなければならないはずだ。

 にも関わらず、2人の早期解放の協力を得るための各国首脳との電話会談や閣僚の会談等を通じて支援はあくまでも人道目的だとする発信を行っている。

 1月22日御前の記者会見。

 菅官房長官「関係諸国、さらには部族や宗教の代表者の方々に対して、ありとあらゆる手段を行使しながら、日本が表明した支援は、難民、避難民、そうした中東の人々の生活の向上のための支援であり、非軍事支援であるということを積極的に発信している。

 犯人が主張するような、イスラム世界の人々を殺傷することでは全くないということを発信し、厳しい状況だが、人質の早期解放に向けて最大限努力しているところであり、日本としては、テロに屈することなく、国際社会によるテロへの取り組みに貢献していきたい」(NHK NEWS WEB)――

 1月22日の安倍・アボット豪首相殿電話会談。

 安倍晋三「人命を盾に脅迫することは許しがたい行為で、強い憤りを覚えている。私が先の中東訪問の際に表明した2億ドルの支援は、難民支援をはじめ非軍事の分野でできるかぎりの貢献を行うためのものだ。日本はテロに屈することなく、国際社会によるテロとの戦いに貢献していく」(NHK NEWS WEB)――

 当然のことを言うが、自分の発言がどのような影響を与えるか、一国の首相は認識しながら発言しなければならない。だからこそ、一国の首相の発言は重いと言われる。だが、重いはずの発言を軽くしたことを満足に理解できない程度の低い認識能力を現在、曝け出している。

 「イスラム国」が安倍晋三のスピーチを悪意ある受け止め方で捻じ曲げて解釈したものだと批判したとしても、ここが「イスラム国に対する十字軍に進んで参加した」こと(=宣戦布告)を宣言する文言だと指摘されたなら、反論できない言葉使いをしていることは間違いはない。

 多分、「テロとの戦い」を宣言することで勇ましいところ、強い首相であることを見せたかったのだろう。各支援が間接的にテロとの戦いに役立つなら、間接的な目的は隠して、生活の安定、生活の向上といった直接的な目的だけに言及してもよかったはずだ。支援の着実な具体化が間接的な目的を実現していくことになるはずだからである。

 だが、勇ましいところ、強い首相であることを見せようとしたことが却って災いとなった。

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安倍晋三は「テロに屈しない」を言うなら、「人命第一」を言うな。後者を言うなら、前者を言うな

2015-01-22 09:59:27 | 政治

 先ず最初に私自身の立場を明らかにしておかなければならない。「人命第一」の考えは取らない。

 その理由は「人命第一」が「人命第一」とならないからだ。今回の場合、2人の日本人が救出されたとしても、日本人の「人命第一」にはなるが、世界の人々の「人命第一」には決してならないからだ。

 テロに屈してテロ集団と取り引きをし、2億ドルを渡して2人の日本人を救出したとしても、その資金を元手に敵対する中東の国々の多くの市民を男女別なく、また老若別なく殺害したり、あるいは欧米の旅行者やジャーナリストを誘拐して殺害したりしたら、出発点の「人命第一」が禍(わざわい)の原因を成立させることになる。

 日本人だけ助かればいいとしたら、国際協調時代に於ける一国平和主義という自国ご都合主義の倒錯に迷い込むことになる。

 「イスラム国」は宗教少数派の信徒の女性や少女、少年を多数連れ去って、奴隷として売買の対象としたり、戦闘員、支持者らの強制的結婚相手、性的暴行や虐待の対象としているという。

 例え生かされた状態に置かれていても、基本的人権や自由及び幸福追求の権利を保障された、ごくごく自然な人間らしい状態で生かされているわけではなく、厳密な意味での「人命第一」を犠牲にした精神的奴隷状態を強いられているはずで、一人二人の「人命第一」が多くの「人命第一」の犠牲につながっていくだろう連鎖の現状を考えると、出発点の「人命第一」を断ち切り、犠牲にする決断を論理的なな答としなければならなくなる。

 イスラム過激派「ボコ・ハラム」は14、5歳の少女に「天国に行くには自爆テロを起こさなければならない。拒否すれば射殺する」と脅迫して爆弾を身体に装着させて人混みに行かせて自爆させ、少女の人命諸共に多くの人々の人命を犠牲にしている。

 何事もそうであるが、戦争にしてもテロにしても第一番は資金=カネを元手とする。カネが豊富なら、その豊富さに応じて強力な武器を大量に手に入れることができるし、優秀な人材を多人数集めることができる。

 テロ集団が人質を獲って身代金を要求して、その要求に「人命第一」の人道主義から応じた場合、その身代金がテロの新たな資金となって、新たなテロを生み出し、身代金を支払わせた人質の人数に数倍する、あるいは数十倍する犠牲者を出していく構図は否応もなしに身代金支払いに応じた「人命第一」とその人道主義そのものが導き出し、生み出した構図となる。

 テロの世界に於いては最終的には出発点の「人命第一」とその人道主義は否定される。

 この構図に気づいているのか気づいていないのか、気づいていて国民を欺くためにか、安倍晋三は「テロに屈しない」と言って、テロ集団と取引しないかのよう姿勢を見せているが、その一方で、「人命第一」と言って、テロ集団との取引に応ずるかのような姿勢を示している。少なくとも交渉自体はするかのような姿勢を見せている。

 だが、相手の要求が身代金の支払いであり、それをテロの新たな資金とする考えである以上、「人命第一」の実現は身代金支払いとイコールとしなければならないはずで、両方を言うことは明らかに「二つの命題が互いに矛盾し合う」という意味での二律背反の姿勢に他ならない。

 国民を欺くための詭弁でないとしたら、安倍晋三は自己矛盾を露呈していることになる。

 《安倍晋三内外記者会見》首相官邸/2015年1月20日)   

 「イスラム国」の邦人拘束を受けた訪問先イスラエルでの内外記者会見。

 ベイカー・エルサレム・ロイター通信支局長「過去にこうした状況で第3国がこの地域で身代金を支払うといったことがあった。そうしたやり方は今回の問題を解決する上で検討されうるか」

 安倍晋三「先ず、今回の事案については、我々人命第一に考え、各国の協力も得ながら情報収集に当たっております。今後も、人命を確保する上において、全力で取り組んでいく考えであります。いずれにせよ、国際社会は決してテロには屈してはならない、とこう考えております」――

 「日本は」とは直接的に言わずに、間接的な物言いを用いてテロには屈しない意志を示している。

 シリアにおける邦人殺害予告事案に関する関係閣僚会議》首相官邸/2014年年1月21日)  

 安倍晋三(冒頭挨拶)「昨日、ISILにより発出されたとみられる動画に映っている2名の男性については、行方が分からなくなっている日本人である可能性が高いことが確認されました。人命を盾にとって脅迫することは、許しがたいテロ行為であり、強い憤りを覚えます。

 改めて、2人の日本人に危害を加えることのないよう、そして直ちに解放するよう強く要求します。政府として、引き続き、人命第一で対応に全力を尽くしてまいります。厳しい時間との闘いの中で、徹底した情報戦を展開していく必要があります。

 私が昨日、パレスチナのアッバース大統領に直接協力を要請するとともに、急きょアブドッラー・ヨルダン国王、エルシーシ・エジプト大統領、エルドワン・トルコ大統領にも電話で協力を要請いたしました。ヨルダンには、中山外務副大臣を派遣しており、これまでの地球儀俯瞰外交で培ってきた中東各国との信頼関係、あらゆるチャンネルルートを最大限生かしながら、政府を挙げて手段を尽くしていく考えであります。

 いずれにせよ、我が国がテロに屈することはありません。国際社会と手を携え、この卑劣なテロとの戦いに万全を期してまいります。閣僚各位にあっては、引き続き、強いリーダーシップを発揮して、刻一刻変化する状況に臨機応変かつ全力で当たっていただきたいと思います」――

 ここでは「我が国がテロに屈することはありません」と、直接的に自国の姿勢を示している。イスラエルでの内外記者会見では動画で人質事件を知らされたばかりだから、テロ集団を刺激しないようにという配慮があったために間接的な物言いとなったのだろうか。

 「テロに屈しない」とは、直接的にテロと戦わなくても、広い意味としてはテロと戦う国への各種支援提供等を通して間接的にテロと戦うことをも含む。

 もし「人命第一」を言うなら、当然最優先の“第一”は人命であって、テロとの戦いではないばかりか、間接的なテロとの戦いをも放棄しなければならない。

 なぜなら、再び日本人が拘束されて身代金を再び要求されない保証はないからだ。常なる「人命第一」最優先主義は如何なる形でのテロとの戦いも放棄してこそ、成り立つ。

 だが、これも国際協調時代に於ける一国平和主義という自国ご都合主義の倒錯を選択することになる。

 「テロに屈しない」と言うなら、最優先の“第一”は様々な形でのテロとの戦いであって、人命ではなくなる。

 双方共に“第一”とすることは論理矛盾そのものであろう。

 双方共に追求して、二律背反とはならない論理的は方法を国民に説明すべきだろう。国際社会を裏切ることなく、国民を裏切ることのない二律併立の方法である。

 表向きは「人命第一」を追求している姿勢を演じながら、実際は陰の交渉でテロに屈しない姿勢を取り続けて、犠牲が明らかになってから、「人命第一」を貫くことができなかったことを「あらゆる手を尽くしたが、残念な結果になった」では、国民を欺き、愚弄したことになる。

 国家主義者がよく使う手ではあるが。

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