戦後50年村山談話 植民地支配と侵略によって・・・・・とりわけアジアの諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました・・・・・痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持を表明いたします。 |
戦後60年小泉談話 植民地支配と侵略によって・・・・・とりわけアジアの諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました・・・・・痛切な反省と心からのお詫びの気持を表明する・・・・・ |
中川緑アナウンサー「戦後50年のときに発表された村山談話、戦後60年のときの小泉談話と共にですね、赤く示した文字のところですが、『植民地支配と侵略』、『痛切な反省』、『心からのお詫び』。こういった同じ文言が盛り込まれております。
新たな総理大臣談話でも、こうした文言を引き継いでいくお考えでしょうか」
安倍晋三「あのー、50年によって村山談話。そして、えー、60年の小泉談話ですね。えー、安倍政権として、ま、歴代の、こうした談話を全体として受け継いでいく考えについては既に何回も申し上げているとおりであります。
えー、そして今回、70年を迎えるに当ってですね、今示して頂いた色んな、えー、今まで重ねてきた文言を使うかどうかということではなくて、安倍政権は安倍政権として、えー、この70年を迎えて、どう考えているんだ、という観点からですね、えー、談話を出したい。
えー、それは先の大戦に対する痛切な反省、と同時に戦後70年、我々は自由と民主主義を守り、えー、人権を尊重し、法を尊ぶ国をつくってきました。
そしてアジアを始め世界の発展にも大きな貢献をしてきた、この日本の70年の歩み、更には日本はこれから世界に対してどのような貢献をしていくのか、どのような地域をつくっていこうとしているのか、どのような世界をつくっていこうとしているのか、日本の未来に対する意思をですね、しっかりと書き込んでいきたいと思っています。
ですから、今までのスタイルをそのまま、えー、下敷きとして置きながら、書いていくという考えはですね、今まで使った言葉を使わなかった、あるいは新しい言葉が入った、という、ま、そういう、ま、細々(こまごま)とした、あー、議論になっていくわけでありますが、えー、そうした議論とならないように、むしろ、えー、今までの勿論、閣議決定は全体として私たちは継承していくということははっきりと申し上げております。
その上に於いて、70年の談話は70年の談話として新たに出したいと、そのように思っています」
島田アナウンサー「必ずしも先程のようなキーワードを同じように使うことはないと――」
安倍晋三「それはそういうことではございません」
「安倍晋三戦後70年談話」についての発言は以上である。
安倍晋三は結論として、「今までのスタイルをそのまま下敷きとして置きながら、書くことはしない」と言い、「今まで使った言葉を使わなかった、新しい言葉が入ったといった細々とした議論とならない」書き方をすると、言葉の使い方を問題視としている。
と言うことは、安倍晋三が「全体として受け継ぐ」と言っていることは、「村山談話」や「小泉談話」がそこに込めている精神を「全体として受け継ぐ」と言うことではない。
もし精神を受け継ぐなら、戦前の日本の戦争を「植民地支配と侵略」だと歴史認識した精神をも受け継がなければならない。
受け継がずに言葉の使い方の問題に帰していることから察するに、「全体として受け継ぐ」とは、50年の談話、60年の談話という形式自体を「全体として受け継ぐ」という答としかならない。
つまり「安倍晋三戦後70年談話」は「村山談話」や「小泉談話」の精神とは異なった、自分自身の精神を込めるということであろう。
ではどのような精神かと言うと、「自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を尊ぶ国」の姿を取ってアジアと世界の発展に貢献してきた戦後70年の日本の歩みと今後共アジアを含めた世界の発展に貢献していく日本の将来の歩むべき姿を書き込んでいくことになると言って、戦後から未来にかけた日本姿を描くことにに特にウエイトを置いている。
従来の談話の精神を受け継がない、いわば戦前と戦後を平面上に置いて併立させないそのような構造の談話は戦後から未来の日本の姿を力点として戦前の日本の姿に相対化の力を加えることになる。
相対化の程度に応じて戦前の負の歴史は戦後から未来の正の歴史のオブラートに包まれていく試みを受けることになる。
安倍晋三の談話の第一段階の狙いはここにあるはずだ。
この狙いは既に前々から分かっていた。
《【単刀直言】安倍晋三元首相 尖閣「国が購入すべき」 維新の会、石原新党と も「連携できる」 憲法96条改正で衆参ダブル選も》(MSN産経/2012.5.11 21:34)
2012年5月11日のインタビュー記事である。
安倍晋三「自民党も下野してずいぶん歯がゆい思いをしてきたが、ムダではなかったと思ってるんですよ。
例えば先日まとめた憲法改正草案は平成17年の新憲法草案よりはるかに良くなったでしょう。前文に『日本国は国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家』と記し、国防軍も明記した。やはり与党時代は現行憲法に縛られ、あらかじめ変な抑制を効かせちゃうんだな…。
それにかつて自民党は歴代政府の政府答弁や法解釈などをずっと引きずってきたが、政権復帰したらそんなしがらみを捨てて再スタートできる。もう村山談話や河野談話に縛られることもない。これは大きいですよ」――
政権復帰したら、日本国憲法の「しがらみを捨てて再スタートできる」と言い、「もう村山談話や河野談話に縛られることもない」と言っている。
この精神を凝縮させて「安倍晋三戦後70年談話」の狙いとなった。
日本国憲法の「しがらみを捨てて再スタートできる」は、安倍晋三が元々日本国憲法を占領軍が作った占領軍憲法だと否定しているから、当然の物言いとなる。
だが、ブログに何度も書いているように、日本の戦後の「自由と民主主義」、「人権と法の尊重」はまさしく占領軍がつくった(実際には多くの日本人が関わって作成された)
「日本国憲法」が育んだ価値観である。
一方で「日本国憲法」を否定していながら、戦後の日本が世界に向けて発揮してきた偉大な価値観だと宣伝する。
日本国憲法が謳っている「自由と民主主義」、「人権と法の尊重」迄否定していないと言うだろうが、占領軍主導の「日本国憲法」なくして育み得なかった戦後の価値観であるはずである。
安倍晋三の「日本国憲法」を否定しながら、「自由と民主主義」、「人権と法の尊重」等の価値観だけをつまみ食いするこのような矛盾した精神構造は、談話に関しては「村山談話」、「小泉談話」の精神を否定、戦後と未来の日本にのみ価値を置こうとする矛盾した精神構造と相互対応している。
両者間のベースとなっている精神は戦前の負の歴史を限りなく抹消しようとするご都合主義である。戦前の日本の「植民地支配と侵略」を歴史の事実は事実として置いておこうとはしない。
このような談話が日本国民の多くから受け入れられたら、その意識が歴史を変えていくことになる。先ずは国民の要望として現れ、教科書検定の新たな検定基準となり、歴史教科書が書き換えられていって、ついには日本の正統な歴史となっていく。
戦前の歴史に対する抹消願望が最終的に歴史改竄の姿を取る。
だからこそ、安倍晋三は歴史修正主義者と言われる。
改竄によって完膚なき日本民族と日本国家の完成を迎える。戦前の負の歴史の改竄は戦前の日本と戦後の日本に一貫性を持たせることになって、偉大な歴史の連続性を形造ることになる。ここに安倍晋三の最終目的がある。
NHK「日曜討論」の「安倍晋三戦後70年談話」に関わる安倍晋三の発言をみなさんはどう読んだのだろか。
自衛の措置としての武力行使の新3要件(2014年7月1日閣議 決定) |
要するに「国家存立」と「国民存立」が「根底から覆される明白な危険」が生じた場合は集団的自衛権行使は容認されるというわけである。この「国民存立」なる概念には日本に関しては日本国憲法が規定している基本的人権、その他の権利に基づいた「国民の生命、自由及び幸福追求の権利」に関わる保障が組み込まれていて、それらを基盤とした「国民存立」であることは断るまでもない。
北朝鮮の国家権力が保障する「国民存立」とは明らかに条件が異なる。
安倍晋三が集団的自衛権行使のケースを説明するとき、常にこの3要件、特に最初の「国家存立」と「国民存立」の危機を条件として持ち出す。
以前ブログに取り上げたが、昨年末の総選挙前の2014年12月1日の日本記者クラブでの発言から、安倍晋三の考えを見てみる。
《日本記者クラブ8党8党首討論会》(2014年12月1日) |
ここに地理的要件が絡んでくる。
「国家存立」と「国民存立」が脅かされたとき、脅かす原因を成している事態の沈静化のために自衛隊はどの地域にまで出動が許されるのか。
これもよく知られていることだが、安倍晋三は一つの例としてペルシャ湾に機雷が敷設されて石油の輸送がストップした場合を3要件に当てはまる事例としている。
同じく2014年12月1日の日本記者クラブでの発言から見てみる。
安倍晋三「これは個別の状況、世界的な状況で判断をしなければいけません。ホルムズ海峡が完全に封鎖をされているという状況になれば、これはもう大変なことになって、油価は相当暴騰するということを考えなければいけないわけでありますし、経済的なパニックが起こる危険性というのは世界的にあるわけでありまして、そこでこの3要件とどう当てはまるかということを判断していくことになります。3要件に当てはまる可能性は私はあるとは思います」 |
ホルムズ海峡がテロ集団や敵対国によって機雷敷設等で完全に封鎖され、石油の輸送がストップした場合は3要件に該当すると発言している。
当然、そういった状況になったとき、自衛隊がホルムズ海峡迄出動して、米軍等と共に、あるいは単独で機雷除去の作業を行い、タンカーの安全な通行を可能としなければならない。
但し安倍晋三は自衛隊を出動させる場合の戦況にも条件をつけている。再度日本記者クラブの発言から見てみる。
安倍晋三「戦闘行為が行われているところに、普通、掃海艇は行きません。掃海艇というのは木でできていますから、そもそも戦闘行為が行われているところに行ったら一発でやられてしまうわけであります。 |
論理立った説明が行われていない。危険な臭いを少しでも消そうとするゴマカシの意識を働かせているから、こういった意味がはっきりしないくどくどしい言い方になるのだろう。
安倍晋三は四つの状況を挙げている。
①「戦闘行為が行われている」状況。
②「停戦が完全に行われている状況」
③「事実上の停戦が行われていても、実際に停戦がなされていない」状況」
④「戦闘行為は殆ど行われていないが、完全な停戦合意は国際条約として結ばれていないという状況。
①の状況の場合は、自衛隊は出動させない。②の状況の場合は自衛隊を出動させる。③の状況の場合は出動させるとも出動させないとも明言せずに、「そういうときのために、事実上、今回閣議決定を行っている、ということであります」と言っている。
明言しないところに誤魔化そうとする意識を見ることができる。
2014年7月1日の閣議決定を見てみる。
《国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について》 http://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/anpohosei.pdf |
③の「事実上の停戦が行われていても、実際に停戦がなされていない」状況とは、戦闘が現に行われている状況のことだから、「(ア)」の状況に該当させることができるはずである。
そして④の「戦闘行為は殆ど行われていないが、完全な停戦合意は国際条約として結ばれていないという状況」についても明言がないが、「(イ)」の状況に該当させることもができるはずである。
要するに停戦合意が国際条約として結ばれていようがいまいが、戦闘が現在進行形の地域には自衛隊を派遣せず、戦闘が過去形の地域のみか未来形の地域(戦闘が将来発生の可能性のある地域)に派遣する。過去形が覆って現在進行形化した場合は、一時撤退か完全撤退させる。
このことは未来形に関しても同じである。
これらのことを全てひっくるめて言い替えると、自衛隊に戦闘行為をさせないと言っていることになる。戦闘行為の否定である。
安倍晋三はシリアでの邦人拘束を受けて訪問先イスラエルで行った内外記者会見でも、このことを裏付ける発言を行っている。
《安倍晋三内外記者会見》(首相官邸/2015年1月20日) |
「武力行使の目的をもって武装した」自衛隊の派遣は行わない。つまり自衛隊に戦闘行為は行わせないと、自衛隊の戦闘行為を否定している。
であるなら、「国家存立」と「国民存立」が「根底から覆される明白な危険」が生じたとしても、1991年6月5日から9月11日まで行ったペルシャ湾の機雷除去の根拠を自衛隊法の84条の2、「海上自衛隊は、防衛大臣の命を受け、海上における機雷その他の爆発性の危険物の除去及びこれらの処理を行うものとする」の規定に置いて海上自衛隊の通常業務としたように、機雷除去ばかりか、如何なる自衛隊派遣も集団的自衛権行使とは無縁の通常業務とすることができるはずである。
個別的自衛権の発動すら必要ないことになる。
ところが安倍晋三は集団的自衛権の行使が必要だと矛盾した言っている。その例の一つを2014年5月28日の国会答弁から見てみる。
《第186回国会 衆議院予算委員会 第16号》(衆議院) |
集団的自衛権とはある国家が武力攻撃を受けた場合に直接に攻撃を受けていない第三国が協力して共同で防衛を行う国際法上の権利を言う以上、その行使はそのような条件下で武力を行使することを言う。
集団的自衛を目的に地理的制約もなく自衛隊を出動・派遣するということは「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する」ということに他ならない。
いわば安倍晋三が憲法違反だと言っていることを行うことを意味する。
そして一方で、安倍晋三は自衛隊の戦闘行為を否定し、尚且つ記者会見で、「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する、いわゆる『海外派遣』は、一般に憲法上許されないものと考えており、この考え方には一切変更はありません」と集団的自衛に関わる武力行使を憲法違反だと否定している。
では、何のための安倍晋三の集団的自衛権行使渇望なのだろう。
安倍晋三のこの支離滅裂な論理で成り立たせている集団的自衛権行使容認論に整然とした論理を与えるとしたら、自衛隊の戦闘行為の否定は国民向けの架空の説明に過ぎず、「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土・領海・領空へ派遣する、いわゆる『海外派遣』」を実態とした集団的自衛権を想定しているとすることしかできない。