菅直人の福島原発事故対応、人柄にふさわしいご都合主義・責任逃れの自己プラス評価

2012-02-29 11:25:45 | Weblog

 東電力福島第一原発事故検証を進めてきた民間の事故調査委員会が昨2月28日(2012年)報告書を公表した。報告書は400ページを超える量だそうだが、民間事故調のHPには非売品として限定部数作成、マスコミ等に配って在庫払底状態、その上で次のように書いている。

 〈「国民の視点からの検証」という報告書の性質上、広く皆さまにお読み頂きたく思っておりますので、なるべくお求めやすい価格での出版や、ウェブでの公開など、様々な方法を現在検討中です。〉・・・・

 今回の原発事故は被害地域を超えて全国的に国民生活に重大な影響を及ぼし、被災住民の自分事(じぶんごと)に劣らない他人事(ひとごと――自分に関係ない事)ではないことを教訓とした。

 脱原発の動きは多分に他人事ではないことの教訓が衝き動かした切迫感からの現況としてあるはずだ。

 国民のこの原発事故は他人事ではないとする強い関心に応えるためにも、また民間事故調の事故調査が「国民の視点からの検証」であるなら、どのような検証結果なのか、原発に対するあるべき危機管理の有り様を学習し、自らの視点とするためにも、「お求めやすい価格」云々は別にして、活字の形としたその情報を簡単に入手できるよう、記者会見と同時併行でWEB等で広く公表すべきだが、そこまでの発想はなかったようだ。

 事故調は菅政権の事故対応を「稚拙で泥縄的な危機管理」と総括し、危機管理を的確・機動的に機能させる能力の欠如を指弾しているらしい。

 対して菅前首相は昨28日夜、コメントを発表している。こういった対応は素早いようだ。《菅前首相“評価ありがたい”》”(NHK NEWS WEB/2012年2月28日 20時4分)

 勿論、「稚拙で泥縄的な危機管理」という評価に対して、「ありがたい」と感謝したわけではない。

 菅直人「今回の原発事故で最も深刻だったのは、3月15日未明からの『東電撤退』を巡る動きだったと考えている。これに関して、私が『東電撤退』を拒否し、政府と東電の統合対策本部を設置したことを公平に評価し、『今回の危機対応における1つのターニングポイント』などと結論づけたことは、大変ありがたい。

 今回の調査報告をはじめとする、さまざまな調査、検証を踏まえ、私としても再発防止にあらゆる力を尽くしていきたい」

 昨夕のNHK「ニュースウオッチ9」でも、菅首相が3月15日に東電本店に政府・東電統合対策本部を設置、情報を一元化したことが事故対応のあり方を大きく改善させたと評価していると報告書の内容を伝え、同時にこの点についての細野豪志首相補佐官(当時)の菅評価を紹介している。

 細野「菅さん以外の人がやっていて、あそこで統合対策室をつくると言い切れるかどうかは分かりません。東京電力から受けていた情報は極めて限定されていましたし、メリットは計り知れなかったと思います」

 絶賛状態である。

 だがである。福島原発事故を受けて3月11日午後7時3分に原子力緊急事態宣言を発出、原子力災害対策本部を首相官邸に設置以後、早い段階で東電との間に設けなければならなかった意思決定一元化・情報一元化の機関であったはずだ。

 だが、そういった手配はしていなかった。細野が「東京電力から受けていた情報は極めて限定されていました」と言っているのと同じく、菅もまた3月12日指揮官自らの福島原発視察の正当化の抗弁として、「首相が陣頭指揮を執るのは例外だ。今回は一般的には多分、例外になるから、やらざるを得なかった。つまりは、野党も国会で『将たる者はあそこ(官邸執務室)に座るべきだ』と言っていたが、黙って座っていても何にも情報が来ない。陣頭指揮が一般的にいいのか悪いのかではなく、私は必要だと思ってやった」(時事ドットコム)と言っているが、情報不足を前にして直ちに東電との間の意思決定一元化・情報一元化を図る動きに出なかった。

 代わり直ちに率先して行ったことが上記発言で言っている福島原発事故現場の視察である。

 大体が「黙って座っていても何にも情報が来ない」状況が何を意味するのか、あるいは自身がそう言うことの矛盾にさえ気づいていない。

 亡くなった親父から散々に「馬鹿は死んでも直らない」とお叱りを受けた身としては「バカ」という言葉はあまり使いたくないが、私のバカを上回るバカとしか言いようがない。

 「黙って座っていても何にも情報が来ない」状況を裏返すと、陣頭指揮の指揮官でありながら、情報を上げる能力・人を使う能力を欠いていたことの反映としてある状況のはずだ。

 直ちに東電との間に意思決定一元化・情報一元化の機関・組織を設ける考えも浮かばなかったのだから、当然の情報を上げる能力・人を使う能力の欠如ということなのだろう。

 情報を上げることもできない指揮官の指導性とは無能そのもの、倒錯そのものを意味するはずだ。

 いずれにしても管は「黙って座っていても何にも情報が来ない」状況を補うために震災発生翌日の3月12日朝、視察を敢行した。

 管は昨年の9月になって、視察について次のように話している。《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2011/09/17-19:58)

 菅直人「吉田昌郎所長と会って直接状況を聞き、話をすることができた。ここでやっとコミュニケーションのパイプがつながったという思いだった」

 国会答弁では何度も次のように発言している。

 菅直人「現場の状況把握は極めて重要だと考えた。第一原発で指揮をとっている人の話を聞いたことは、その後の判断に役だった」

 「コミュニケーションのパイプがつながった」も、一時的な判断に役立ったことで終わったのではなく、「その後の判断に役だった」も共に意思疎通を継続的に図ることができたことを意味し、意思決定一元化・情報一元化の実現を言うはずだ。

 だが、視察による意思決定一元化・情報一元化に関しては事実に反し、何ら役に立たなかったばかりか、意思決定一元化・情報一元化は3月15日政府・東電統合対策本部設置まで待たなければならなかった。

 このあまりにも遅すぎる対応を民間事故調は高く評価した。

 政府・東電統合対策本部設置のキッカケは周知のように清水東電社長からの事故現場からの撤退申し入れである。東電側は原発事故に直接当たる作業員を残した一部撤退であって、全面撤退は申し入れてはいないと否定していたが、民間事故調は「十分な根拠がない」と疑問視し、逆に東電本店に乗り込んで撤退はあり得ないと強く求めたことを「結果的に東電に強い覚悟を迫った」(毎日jp)と、政府・東電統合対策本部設置と同様に評価している。

 この点も、だがである。

 既にブログに取り上げているが、9月17日付の《菅前首相インタビュー要旨》時事ドットコム/2011/09/17-19:58)を見ると、違った様相が浮かんでくる。

 記者「東電は『撤退したい』と言ってきたのか」

 菅前首相「経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに「東電が現場から撤退したいという話があります』と伝えに来たので、『とんでもない話だ』と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。

 社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う」

 菅が清水東電社長を官邸に呼んだのは2011年3月15日午前4時過ぎ。

 この1時間半過ぎの3月15日午前5時半過ぎに東京・内幸町の東電本店に乗り込み、「撤退なんてあり得ない!」と怒鳴った末に統合対策本部設置を決めている。

 管は一国のリーダーの務めとして、あるいは原子力災害対策本部長の務めとして清水東電社長を官邸を呼んだその場でなぜ撤退はとんでもない話だ、あり得ないということを伝え、相手を承知させることができなかったのだろうか。 

 「社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って」、1時間半後に東電本店に乗り込んだ。

 要するに指揮官にあるまじく、あるいは天下の首相でありながら、否定も肯定もしない曖昧な態度を取らせただけで、相手を納得させるだけの力量を備えていなかった。

 この逆説は如何ともし難いが、東電本店に乗り込んで、乗り込んだ勢いで怒鳴ることによって初めて相手を納得させることができた。怪我の功名だったということではないのか。

 昨夕のNHK「ニュースウオッチ9」でも細野が証言している。

 細野「最高指揮官が大きな声を出すと、反論できない人が多い」

 勿論この言葉は東電に乗り込んでいった際の結果オーライを言っているのではなく、一般的な意思疎通の点での弊害として言っている言葉である。

 客観的に見て正しいことを言う場合は結果オーライで反論できなくてもさして問題は起きないかもしれない。だが、番組が民間事故調の報告として「菅総理の強い自己主張は関係者を萎縮させることが多く、混乱や摩擦の原因となったとしている」と伝えていることは弊害の方が上回っていた意思疎通能力、情報伝達と情報収集能力の持ち主であったことを物語っている。

 その結果としてあった「黙って座っていても何にも情報が来ない」状況であったという側面もあったはずである。

 多分、民間事故調の報告書の中で菅評価は政府・東電統合対策本部設置の一箇所のみだったのだろう。他にあれば、菅は自己正当化のためにコメントで取り上げたはずだ。

 民間事故調の報告書が菅政権の全体的な事故対応を「稚拙で泥縄的な危機管理」と総括している以上、功罪の差引き計算をしたなら、功罪相半ばとするならまだしも、功少なく、罪多しの状況にあるはずだが、その唯一の功(=評価)を以てして(私自身から言わせれば、既に触れたように怪我の功名、結果オーライに過ぎないが)罪との逆転を図って総体的にプラスだとする自己評価はご都合主義・責任逃れの意識を含んでいるはずだ。

 あるいは管のことだから、ご都合主義・責任逃れの意志そのものを含んだコメントであったかもしれない。

 このことは菅直人なる人間は何かマズイことが起きると、自らが責任を引き取るのではなく、部下に当たる人間に責任を押しつけるという評判を取っているが、このような人物像にも表れている都合主義であり、責任逃れであろう。

 このような性格を裏返すと、常に自分をプラスの評価に置こうとする意思の働きを発動させているということになる。

 最後にNHK「ニュースウオッチ9」が取り上げていた民間事故調の有識者委員の一人で、旧日本軍の失敗の原因を分析をした著書があるという野中郁次郎一橋大学名誉教授のコメントを書き記してみる。

 野中名誉教授「極めて限られた関係性の中で、内向きな、まさに危機管理をやったなあと。

 いくらマニアルを整備しても限界があります。多様な人々の知を触発する。そして参画させる、組織の総合力を機動的に発揮するっていうリーダーがやっぱ欠けていたと思います」

 広く意見を聞けと言っている。広く意見を聞く耳、聞く度量を持てということなのだろう。だが、怒鳴り、自分の意見を押し通そうとするばかりだったから、周りが萎縮し、諦め、自分からは進んで意見を言わなくなり、例え意見を求められたとしても、害のない、当たり障りのない意見しか言わなくなった。

 基本的には組織を機能させる能力を持ち合わせていなかった。そんな人間が資格も資質もなく一国のリーダー、首相となった。

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2月26日日曜日朝日テレビ「報道ステーションSUNDAY」からフランスの留年制度を見てみる

2012-02-28 12:58:53 | Weblog

 2月26日(2012年)日曜日、朝日テレビの「報道ステーションSUNDAY」で橋下大阪市長が導入を考えている小中学生留年制度を取り上げていた。

 2月26日(2012年)当ブログ記事――《橋下大阪市長流「留年」教育論の単細胞・見当違いな機械性 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》の中で「NHK NEWS WEB」記事からの引用として、矢野大阪市教育委員長が「フランスでは小学校で留年する制度を取り入れてきたが、子どもにとっては逆効果で、学力への意欲をそいでしまった。学力に課題のある子どもには個別に対応して、学力を上げるようにしている」と橋下市長留年制度反対の発言をしていたことについて、〈フランスではどういった理由で逆効果なのか、学力への意欲を殺いだのか、矢野教育委員長が説明したのかしなかったのか、説明したが、記事が取り上げなかったのかは分からないが、何も触れていない。〉と書いたが、番組がフランスの留年制度に触れていた。

 番組を視聴した方もたくさんいるかも知れないが、記録しておくためにブログにして見ることにした。但し橋下大阪市長の留年制度導入は教育評論家の尾木直樹氏のインタビュー記事が発端だということで、尾木氏をゲストに呼んでいることから、留年制度を遣り取りした箇所をついでに取り上げて見ることにした。

 2月22日大阪市役所記者会見。

 橋下市長「分からないまま、そのまま、おー、授業を、朝から晩まで、席に座らせるなんて、そんなの拷問以外の何ものでもないんですよ」

 2月20日読売新聞夕刊 大阪版――尾木氏インタビュー記事。

 尾木氏の言葉「橋本さんの動きを見ていると、新しいものがない。小学校で九九ができなければ、留年させても、子どもの力をつけてもらうというのを橋本さんが出してきたなら、僕は大喝采しますよ」

 2月22日市教育委員会との会合。

 橋下市長「あのー、尾木さんが言っていたように、ある程度のところまでは絶対にもう、意地でも、あの、そこまでは、あのー、レベルを上げてですね、で、元のクラスに戻して上げる」

 2月22日尾木氏のブログ。

 尾木氏のブログの言葉「インタビュー記事にひょいと飛び乗りした大阪市の橋本さん。小学校での留年を検討なんて発信したものだから、このブログにまで反対意見が――」

 「学校教育法施行規則 第57条」――〈高等学校に入学することのできる者は,中学校若しくはこれに準ずる学校を卒業した者若しくは中等教育学校の前期課程を修了した者又は文部科学大臣の定めるところにより,これと同等以上の学力があると認められた者とする。〉を取り上げ、小中学校でも校長が成績などを理由に事実上留年させることは可能だが、殆ど例がないと指摘し、「橋下氏が言う授業についていけない子どもの立ち場に立った教育と何か」と番組は問う。

 現在の対応は習熟度別授業。

 習熟度別授業導入校

 全国の公立小学校――91.0%
 全国の公立中学校――92.6%

 2月23日大阪市役所記者会見。 

 橋下市長「習熟度別授業は時間数って言うものが限られたものになっていますしね。もっと徹底して、あのー、分からない子どもに対しては、分かるように教える」

 ここでフランスの留年制度を取り上げている。

 半田俊介記者(パリで)「ヨーロッパでは留年制度を取り入れている国はたくさんあるんですが、中でもフランスは義務教育のうちから高い留年率となっていることで知られています」

 「OECD(経済協力開発機構」調査。

 ○15歳になるまでに36.9%の子どもたちが留年を経験。

 フランスは6歳から16歳までが義務教育期間。留年経験者へのインタビュー。

 小学校4年生時に留年経験の女の子「最初はすごく厭で泣いたけど、あとは大丈夫だった。留年してよかった。その時にしていなくても、あとでしていたと思うから」

 中学時に留年経験の20代見当の若者「中学の時に留年して、凄く辛かった。それで勉強しなくなって、うまくいかなかった」

 フランスでは勉強は学校でするものと考えられていて、放課後はそれ以外の活動を義務づけられていて、「書くことを伴う宿題」は法律で禁じられているとのこと。フランス教育関係者へのインタビュー。

 リュック・フェリー元教育大臣「(低学年は)読み書きを習い、ごく基本的なことを学習する時ですが、その時に十分に学習することが出来なかった子どもを留年させるのは非常に有効だと私は考えている。

 先ず小さい子どもたちですから、それ程キズつきません。それに不可欠な基礎知識を得ていない子どもをそのまま進級させるのは過ちだと思っています」

 低学年の子どもはたいしてキズつくことはないからと、低学年限定の留年制度肯定論者となっている。

 日本の橋本市長が留年制度導入を提案したことについて――

 リュック・フェリー元教育大臣「お勧めしません」

 低学年限定なら導入可とすべきを、否定し、軽快に笑うが、この理由が後で分かる。

 解説「しかし低学年以上の留年は効果がないという調査結果が数多く出されていて、コストが掛かる留年は見直すべきだとしている」
 
 「低学年以上の留年は効果がない」ということなら、低学年での留年は一時的な効果にとどまることになる。

 低学年時の留年者と高学年時の留年者は多くが異なると言うことなら、高学年時の留年が例え学ぶ内容が難しくなっていくことが原因だとしても、低学年時の学習理解は絶対的な評価ではないことになって、教師の判断能力の問題となってくる。

 教育問題を専門とする女性社会学者。

 マリー・ドリュ=ベラ パリ政治学院教授「教師は留年した子どもを信用しない傾向にあります。そして子どもはヤル気を削がれ、『友達がいなくなった』、『自分はバカだ』と言っています」

 リュック・フェリー元教育大臣とは違って、キズつけることになるからと留年制度否定論者の姿を取っている。

 解説「今月、OECDは義務教育の留年はコストが掛かる上、教育上の利点は僅かだとして廃止を求める提言をまとめている」

 要するにリュック・フェリー元教育大臣の低学年限定の留年制度肯定論は個人的なものか、少数意見化していて、社会全体としてはその効果に疑問を持ち出しているために橋本市長の提案は「お勧めできません」ということなのだろう。

 フランスでは廃止になるかもしれないが、橋下市長は大いに進めてくださいと嗾けたら面白かったろうに。

 斎藤泰雄国立教育政策研究所「明治の初めに日本が近代的な学校制度を導入して以来、約30年に亘って実は小学校で『試験進級制度』。従って留年者も大量に出るという時代がありました。

 教育の質が実はバラバラだったっていう、カリキュラムとかですね、教科書っていうものも実は全国で統一されておりませんでした。例え学校に子どもが通ったとしても、本当のどの程度の学力が身についているのか、その不安を解消するための方法として、実は使われたのが『試験進級制度』と――」

 解説「師範学校卒業の教師が育つなど、教育環境が整備されたことを受けて、1900年(明治33年)試験進級制度は廃止、以来日本の義務教育で成績の良し悪しによって留年することはなくなった」

 斎藤泰雄国立教育政策研究所「今なぜ100年以上も経った昔の制度を復活させなければならないのかと。1年遅れるということのデメリットは、(留年の)そのメリットでカバーできないことになると思う」

 解説「教育に競争原理を導入する一方で、子どもには手厚い教育を求める橋下市長、それは両立するのだろうか」

 2月24日大阪市役所。

 橋下市長「競争原理という言葉を世の中は勘違いしているし、あのー、競争というのは自立を促す、うー、環境の一番重要な要素でしてね、できる子はしっかりドンドン伸びていけばいい。

 しかし分からない子どもはしっかりサポートする。それによって個々人がお互いに切磋琢磨をして、えー、何も相手方を蹴落とすというわけじゃないですから」

 あなたは成績が悪いから、留年させることにします、最初から学び直しなさいと教師に言われて、教師に言われたとおりに言われた教えを理解しょうとするのは受け身の暗記式知識受容(=受動的知識受容)であって、その受動性から脱して自分から進んで学ぶ積極性(=主体性)を持ち得なければ、いくら競争原理を課そうと自立を促すことにはならない。

 このことは留年しない生徒にも言えることだが、自立は主体性なくして育たない。主体性のない競争は機械的な成績競争となる。あるいは競争のための競争、競争が自己目的化する。優れた成績を残すアスリートでありながら、あるいは優れた成績で有名大学を卒業しながら、世に名を留めてから犯罪に走ったりして社会から脱落していくのは競争から社会人として自立を学ぶことができなかった者で、競争を自己目的化させていたと疑うことができる。

 長野メインキャスター「留年生に関して尾木さんの提案に橋下市長が乗った形でしたよね。これ、最初に聞いたとき、どうでした」

 尾木直樹「チョービックリした。本人も知らなかったんですよ、記事も知らなかったの。だから、何が起きたのかと思ってね」

 長野メインキャスター「やっぱりちょっと違うんですか」

 尾木直樹「全然違いますよ。今の表現で言うと、手厚い方の、あのー、主張しいる方だし、橋下さんは競争は大事だと今もおっしゃってますよね。

 だから、それと相反している。全く対立している構図です。人間的に対立してるんじゃないですよ。あの理論として違う考えなんです」

 要するに競争原理を導入しない形の留年制度ということなのだろうか。

 長野キャスター「今尾木さんが一番反応したのは、競争は自立を促す形みたいな・・・」

 尾木直樹「これは全く心理学的にもあり得ない。脳科学的にもあり得ないことで、橋下さん、お話に行くわよ」

 富川悠太サブキャスター「橋下さんがおっしゃってる留年と尾木さんがおっしゃってる留年のニュアンスが違うんですか」
 
 尾木直樹「全く違うと思いますよ。どう違うかと言うと、僕の場合はそのね、日本の場合は、橋下さんはそこは言ってるんですよ。学年で上がっていくでしょ、6段階で。ステップアップして、ステップアップしていかないんだ。

 とにかく時間さえアップしていけば、卒業できると。で、学力が身についているだろうかということは殆ど気にしていなんです。だから、九九ができなくても、卒業していくんですよ、

 で、そういう子たちが橋下さんも言っているようにグレるとか、いろいろな状況になっていきますから、きちっとね、習得主義という考えがあるんですよ。

 日本は学年主義なの。学年が上がっていくだけ。だけれども、多くの国が把えているのは習得主義というので、習得したかどうかというのを卒業の段階で大事にしていこうって考えで。だから、学力をどういうふうに収得させるかというところへ僕は重点を置くべきだと」

 この習得主義の方法論として「小学校で九九ができなければ、留年させても、子どもの力をつけてもらうというのを橋本さんが出してきたなら、僕は大喝采しますよ」とインタビューで述べたのではないのだろうか。
 
 中には必要と考えている学力(私自身はみなが言う学力なるものは創造的発想に即応できない暗記学力に過ぎないと思っているが)を習得していない子がいる。そういった子をどう習得させるのかの方法論の一つとして留年制度が考えられていて、尾木氏自身も「小学校で九九ができなければ、留年させても」といった発言につながったはずだ。

 長野メインキャスター「そんな中で橋下さんは科目だけでもいいんだとおっしゃっていますよね」

 尾木直樹「そうなんですよ。だから、ここら辺がね。橋下さんこういうふうに言ってるんですよ(フリップを立てる)」

 ○科目別の留年
 ○グレる

 尾木直樹「非常にね、理解できますよね。科目別の留年と。

 留年というと、年齢が一つ下のところへ行くと、これはあり得ないですよ。OECDが勧告を出したくらいですから。やめなさいっていうのが。

 それはもう(調査の)成果はきちっと受け止めなければいけなくって。科目別に、例えば7月だけ下の学年に行ってくるとか、あるいは橋下さんが言っているのは特別教室みたいなのをつくって、そこへ行って勉強して、例えば九九をマスターして戻ってくるとか、ヨーロッパでやってるんですよ。スモールクラスとか、色々な言い方をしながらね。

 ただ、そういう柔軟な体制を取っていかなければいけないってことですね」

 「例えば7月だけ下の学年に行ってくる」にしても、屈辱と受け止める生徒が出ない保証はないし、1カ月不足分を学習し直して元のクラスに戻ることができたとしても、そのクラスは不足がない分、さらに先に進んでいて、戻ってきた生徒はついていけないという問題が起きないだろうか。

 長野メインキャスター「合わせれば6年で卒業するんだと。ただ、柔軟に、きちっと自分が足りないと思っているところを学年を自由に移動できる――」

 尾木直樹「そうですねえ。これももっと時間があれば、説明できるんですが。日本みたいに一学年ずつクラス分けされていて、しかも一人の教師が同じ教科書を使って、今、習熟度別っていうのが出てきていますけれども、そんなんので40人見られる訳がないですよ」

 留年制度を論じる番組だが、留年制度に黒白をつけないままに少人数学級に議論を変えている。何のために、「小学校で九九ができなければ、留年させても、子どもの力をつけてもらうというのを橋本さんが出してきたなら、僕は大喝采しますよ」と言ったのだろう。

 長野キャスター「子どもがグレるのを避けるためにもそういうふうな・・・(聞き取れない)」

 橋下市長が掲げている学校選択制や学区撤廃、校長公募問題に移る。

 長野女史も尾木氏が留年制度論から少人数学級論に豹変したものだから、つなげようがなくて、後の言葉を飲み込んでしまったのかもしれない。

 少人数学級であっても、習熟度別併用の少人数学級となった場合、必要とする暗記学力を獲得できないまま小学生の場合は6段階、中学生の場合は3段階自動的・機械的に、あるいはトコロテン式にステップアップして、従来と変わらないまま卒業ということもあり得る。

 暗記学力習得に卓越した者で親にカネがある場合は大学に学び、よりよい会社に就職でき、それなりに生きる力を身につけていくだろうが、暗記学力習得に不得手な者が単に習熟度別併用の少人数学級で他の生徒よりも低レベルの暗記学力を細々と学んだとしても、社会を生き抜いていく力を身につけることができるのだろうか。>

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「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」の野田首相、沖縄を何も理解していない訪問の矛盾

2012-02-27 10:46:53 | Weblog

 野田首相が昨2月26日(2012年)、就任後初めて沖縄県を訪問。糸満市の国立沖縄戦没者墓苑、ひめゆりの塔を訪れ、犠牲者を追悼。そして豊見城市にある旧日本海軍司令部の壕を視察、大田實司令官らが祭られている慰霊の塔に祈りを捧げたという。

 各WEB記事から発言を拾ってみる。

 野田首相「きょう訪問した場所は、沖縄の歴史をたどるという目的で選んだ。先人たちの沖縄に対する思いを引き継ぐという思いで訪れ、改めて戦争の悲惨さと平和の尊さをかみしめた

 国立沖縄戦没者墓苑、ひめゆりの塔、旧日本海軍司令部の壕、大田實司令官らが祭られている慰霊の塔訪問は、「先人たちの沖縄に対する思いを引き継ぐという思いで訪れ」た。

 だが、現在の沖縄県民の戦前から戦後の今に至る「沖縄に対する思いを引き継」いでいるかというと、引き継いではいないはずだ。

 現在の沖縄県民の「沖縄に対する思いを引き継」いでいないなら、「先人たちの沖縄に対する思いを引き継」いでいたとしても意味はない。

 過去から現在、さらに将来に亘る引き継ぎの連続性があって初めて、「引き継ぐ」は真正な思いと言える。普天間の辺野古移設を実現させるためのリップサービスといったところなのだろう。

 野田首相(27日の仲井真知事との会談について)「これまでの経緯を踏まえて、まずはおわびをし、そのうえで、抑止力を維持しながら、基地負担の軽減を早期に図るという説明をしたい。また、普天間基地の危険性を除去しなければならないなかで、名護市辺野古についても言及させてもらうなど、包括的な政府としての取り組みを説明し、理解を得る努力をしたい」

 現在の沖縄県民の「思い」を裏切る辺野古移設意志表明の発言となっている

 大田實司令官らが祭られている慰霊の塔訪問の理由は次の記事に書いてある。《首相が初の沖縄訪問 反対押し切り自ら決断 「お詫び」作戦で事態打開?》MSN産経/2012.2.26 22:38)

 大田実海軍少将(死後に中将)は沖縄特別根拠地隊司令官の肩書きで紹介している。

 野田首相「大田司令官は敵が迫る中で沖縄の苦しみを伝え『後世に特別の御高配を』とメッセージを残した。沖縄返還運動に尽力した末次一郎先生の沖縄への思いも引き継いでいきたい」

 「沖縄返還運動に尽力した末次一郎先生の沖縄への思いも引き継いでいきたい」と言うなら、戦争と沖縄返還後も米軍基地に苦しめられてきた沖縄から普天間を国外・県外移設に「尽力」してもよさそうだが、真逆の方向に動いている。

 記事は大田司令官のメッセージの内容を伝えている。自決1週間前の昭和20年6月6日、大本営海軍次官宛てに送った電文だそうだ。

 「沖縄県民かく戦えり。県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」

 この思いも受け継ぐということなのだろうが、普天間の県内辺野古移設が「後世特別の御高配」に合致するとでも思っているのだろうか。
 
 この程度の「先人たちの沖縄に対する思いを引き継ぐ」としかなっていない。

 沖縄戦(1945年3月26日~1945年6月20日)を振り返ってみる。

 「Wikipedia」によると、米国軍兵士は54万8000人に対して日本軍兵士は5分の1弱の11万6400人。

 圧倒的な兵力の差と全体的な戦況の当然の帰趨なのだろう、米軍戦死者・行方不明者1万2520人に対して日本軍戦死者・行方不明者9万4136人(沖縄県出身軍人・軍属を含む)、沖縄住民死者9万4000人の軍民ほぼ拮抗した合計19万人近く。

 そして集団自決死者数は、〈研究者の中には計1000人以上との見方もあり、これは沖縄戦における住民死者94000人の1%強にあたる。〉(Wikipedia)と書いている。

 日本軍は既に制空権も制海権も失い、敗色濃厚な戦況下にあった。米軍側から言うと、兵器輸送にしても物資輸送にしても少しぐらいの犠牲はあっても、思いのままにできた。それが日本軍兵士11万6400人に対して54万8000人の米国軍派遣兵士数に象徴的に現れた。

 54万8000人の上陸を阻止する軍事力を既に失っていたのである。

 このことはまた戦死者・行方不明者の双方の差となって現れた。

 大体が当時の日本は石油を80%近くも米国からの輸入に頼っていた。国力の差は如何ともし難いものがあり、米軍の日本本土上陸一歩手前の沖縄戦を前にして戦線の縮小を重ね、消耗を強いられてきた日本軍からしたら、依然として存在する圧倒的な物量の差は勝敗の帰趨を最初から目に見える形で示していたはずである。

 さらに集団自決というものが軍がその場の戦闘で例え敗れたとしても、一旦退却して態勢を立て直すといった余裕がもはやない、あるいは援軍が来て戦局を盛り返す機会がもはや考えられない孤立無援の後がない戦況を前にして発生するものであることからしても、沖縄戦のみならず、国家の命運が逃げ場のない場所に追い詰められていく状況にあったのであって、例え兵士であっても沖縄戦全体を通して、「かく戦えり」といった勇ましさは心理的にも実際の戦闘の場面でも終始一貫、貫くことはできなかったはずである。

 ましてや沖縄県民からしたら、例え「お国のために」、「天皇陛下のために」と思ったとしても、「かく戦えり」といった充実感を貫くことなどができただろうか。

 このことは現在でも引き継いでいる沖縄戦に対する多くの沖縄県民の感情が証明している。

 だが、大田司令官は――「沖縄県民かく戦えり」とすることで沖縄戦自体を優れた戦闘だったとすることができる。

 まさか従の立場にある沖縄県民は立派に戦ったが、主たる立場にある日本軍兵士は立派に戦えなかったとしたなら、主従逆転の矛盾が生じる。従たる沖縄県民が立派に戦ったということは主たる兵士はそれ以上に立派に戦ったことを予定調和とする。

 いわば大田司令官は「沖縄県民かく戦えり」とすることで、そこに兵士の活躍も含めることができて、そのように仕向けた沖縄特別根拠地隊司令官としての自身の評価を例え敗れたとして高めることができる。潔く自決した元も評価を高めたに違いない。

 要するに大日本帝国軍隊所属幹部将校の視点に立った評価だということである。

 決して沖縄県民の思いとしてあった「かく戦えり」ではなかったはずだ。
 
 そして沖縄県を訪問した野田首相が大田實司令官を祀ってある「慰霊の塔」を訪れて祈りを捧げ、この電文を取り上げたということは野田首相自身が過去から現在に至る沖縄に対する理解もなく、大日本帝国軍隊と同じ視点に立って沖縄を見ていたことを物語っているはずだ。

 記事は書いている。〈大田少将が千葉県出身ということもあり、首相はこの電文への思い入れが強い。故小渕恵三元首相も電文を胸に沖縄サミットを決め、県民の心をつかんだ。これに「あやかりたい」と考えているフシもある。〉

 果たしてこの電文がかつて沖縄県民の心を掴んだのだろうか。

 そもそもからして戦争はA級戦犯とその一党が主役を演じて仕掛け、日本を無残な敗戦に追い込み、多くの犠牲者を出した。

 だが、野田首相は「A級戦犯と呼ばれた人たちは戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破たんしている」という思想の持ち主であり、戦争仕掛け人A級戦犯を擁護し、彼らの味方となっている。

 このことからも、沖縄の「思い」は何も理解していないことが証明できる。

 当然、A級戦犯を戦争犯罪人ではないとしている野田首相が彼らが仕掛けた戦争で悲惨な苦痛や残酷な運命を見舞われることとなった沖縄を訪問して、「先人たちの沖縄に対する思いを引き継ぐ」と言うこと自体、既に矛盾していることと言える。

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橋下大阪市長流「留年」教育論の単細胞・見当違いな機械性

2012-02-26 11:24:14 | Weblog

 橋下徹大阪市長が市長選で大量票を与えた大阪市民の支持を強力なバックとして新機軸の政策を自信たっぷりに次々と打ち出している。

 今回は目標の学力レベル未達の小中学生の留年である。2月22日夜、市の教育委員らと意見交換し、小学校や中学校の義務教育で学力が追いつかない児童・生徒について、留年させることも含めて検討するよう求めたと、《橋下市長“義務教育の留年検討を”》NHK NEWS WEB/2012年2月23日 4時1分)が伝えている。

 尤もこの“留年教育”、東京都に対する対抗心から打ち出した政策なのかもしれない。東京都教委は高校の場合、単位が取れないと、取れない科目に関しては留年して1級下の後輩生徒と同じ教室で学ぶ学年制度を嫌って退学する生徒が多いことから、単位が取れなくても進級させて、それが卒業時まで続いた場合、そのような生徒のみを集めて単位不足の科目のみを後輩と顔を合わせないで済むように学校以外の場所を確保、補習や個別授業を受けさせるサテライト方式(本拠地となる場所や施設から離れた場所に設けられた施設で、本拠地に準じる機能を提供する方式/『Weblio辞書』)で学ばせ、単位を取らせた上で卒業させる制度の導入を考えているという。

 《東京都教委:単位取れなくても進級 全日制高校で導入へ》
毎日jp/2012年2月15日 16時5分)

 〈ほとんどの全日制高校は、学年ごとに教育課程が決められ、修得できない教科があると留年することになる「学年制」だ。「単位制」は学年の区分がなく、決められた単位を取得すれば卒業できる。88年に全国の定時制・通信制課程で導入され、93年から全日制でも導入可能となった。

 都教委によると、都立高校では、進学重視の学校や普通科目と専門科目の双方を学ぶ総合学科など13戸うで単位制が取り入れられているが、今回は中退防止のため「3年間での卒業にこだわらない」学校を想定した。〉

 08年春全日制都立高入学生徒――4万66人
 3年で卒業          ――3万6424人
 留年生徒          ――113人
 中途退学生徒        ――2212人(入学者の5.5%)

 10年中途退学生徒     ――1879人
 「退学後、何もしていない」 ――約24%(13年前調査+約6ポイント)
 退学理由          ――留年して後輩と同学年になり、学校が嫌になるケースが多い
               とのこと。

 但し問題点もあるという。〈卒業できない生徒を「3年生」に据え置くことで、生徒が大幅に増える学校が生じる可能性もある。都教委は今後、これに対応する教諭数や経費などの検討を進める方針だ。〉と解決策を模索する姿を伝えている。

 バリバリ、イケイケドンドンのバイタリティ溢れる橋本徹市長からしたら、そんなふうに至り尽くせリ一辺倒では甘やかすばかりで、社会を逞しく生き抜く力を身につけさせることはできない。だったら、小中学生の頃から留年の挫折を経験させてさせて世の中は甘くないこと、厳しさを教え込み、学力をしっかりと身につけさせたなら、社会を生き抜く逞しさも身につくだろうし、高校に入ってから留年しないで済むではないかと考えたのかもしれない。

 橋下大阪市長は元々は成績のよい児童・生徒はその成績をドンドン伸ばしていく方式の小中学校学力別クラス編成導入論者である。その上、東京に対する対抗心は、多分、橋下市長の中では強迫観念化しているように見える。東京が高校生留年ノーなら、大阪は小中学校から留年イエスだとばかりに対抗心を燃やしたのかもしれない。

 だとしても、留年は学力に関して、と言うよりもテストの成績に関して小中学生の頃から彼らを現在以上の競争社会に曝すことになる。

 最初の「NHK NEWS WEB」記事に戻ってみる。

 橋下市長の小学校や中学校の義務教育で学力が追いつかない児童・生徒については留年させることが必要だとする主張に対して――

 矢野大阪市教育委員長「フランスでは小学校で留年する制度を取り入れてきたが、子どもにとっては逆効果で、学力への意欲をそいでしまった。学力に課題のある子どもには個別に対応して、学力を上げるようにしている」

 橋下市長「学年を落とすのが難しいなら、学力の追いついていない子どもを一定期間集めて、特別学級を設け、集中的に指導するとか、学校ごとに習熟度別の指導を行ってもらいたい」

 フランスではどういった理由で逆効果なのか、学力への意欲を殺いだのか、矢野教育委員長が説明したのかしなかったのか、説明したが、記事が取り上げなかったのかは分からないが、何も触れていない。

 橋下市長は留年撤回かというと、そうではなく、先ずは習熟度別指導等の対策を行った上で、将来的には留年も含めて検討するよう求めたと記事は書いている。

 大阪府の全国学力テストの最低水準を受けて、教育日本一を目指すと誓った負けず嫌いの橋下市長である、尻を叩き、厳しさをルールとして植えつける姿勢でいる手前、小中学校留年制度を簡単に撤回するとは思えない。

 橋下市長のこの小中学校留年教育政策に対する政府の見解を見てみる。《森副大臣 義務教育の留年に理解》NHK NEWS WEB/2012年2月23日 21時16分)

 森ゆうこ副文科相「文部科学省で、留年はだめだとはしておらず、今の制度の中でも、総合的な判断で、そういう措置がなされることはある。

 子どもたちがしっかりと学力を身につけることについて問題提起をし、検討していただくことは、非常に意義があることだ。市長の真意は、目標とする習熟度に、子どもを到達させるということであり、そういう意味では、文部科学省と目指す方向は同じではないかと思う」

 《「制度上は校長判断」 橋下市長意欲の小中学生留年で平野文科相》MSN産経/2012.2.24 12:35)

 2月24日(2012年)記者会見。

 平野博文文科相「現行制度では、子供の状況によって、もっと学ぶ機会を与えた方がいいと校長が判断した場合に実施するものだ。

 本人が学びたいと考えている場合もあるだろう。だが、ほとんど実施がなかったのも事実だ」

 《小中学生留年 政府などに慎重意見》NHK NEWS WEB/2012年2月25日 4時55分)

 平野博文文科相(2月24日記者会見)「昔から病気で長い間休んだ場合に留年するということはあり、その一環だと思う。今のルールでも学校長の判断でできることだ」

 政府or民主党内1「病気による留年と学力不足の留年を混同すべきでなく、乱暴な議論だ」

 政府or民主党内2「集団生活の中で社会性を身につけることも大事で、学力だけが教育ではない」

 政府or民主党内3「飛び級ならともかく留年は理解されない」

 記事。〈民主党の最大の支持組織である連合のほか、野党側にも慎重な意見があり、今後、議論になることも予想されます。〉・・・・・

 「学力だけが教育ではない」と反対意見を述べているのはまさにそのとおりだが、“小中学生留年”教育制度は逆に学力だけを教育と見做している思想が成り立たせ可能としている教育観に基づいていると言える。

 「学力」と言えば聞こえはいいが、実質的には詰め込みの暗記知識を問うテストの成績が実態の能力に過ぎない。

 社会が、言ってみればバカでもチョンでも学校教育に「学力」を求めるのは詰め込みの暗記知識を問うテストの成績だという認識もなく、いわば真の学力ではない見せかけに過ぎない学力を絶対的な価値観としているからに他ならない。

 ここでちょっと断っておくが、以前「バカでもチョンでも」という言葉を使ったら、「チョン」とは韓国・朝鮮人を侮蔑的に指す言葉で、差別語に当たると注意を受けたが、「ちょん」とは江戸時代からある俗語で、「一人前以下であること」と『大辞林』(三省堂)に出ている。

 学校社会も一般社会でも学校の生徒がスポーツで全国的に好成績、あるいは最優秀な成績を上げるとその才能を大騒ぎして誉めそやすが、本質のところでは国語や数学や物理等々の成績――学力を、それが例え詰め込みの暗記知識を問うテストの成績に過ぎなくても、人間の価値を計る尺度としている。

 いわば、いつも言っていることだが、価値観の多様化の時代だと言いながら、詰め込みの暗記知識を問うテストの成績――学力を相変わらず唯一最上の価値観とし、それを以て人間の価値としているということである。

 このような教育観――学力唯一最上価値観が橋下大阪市長をして、習熟度別指導(=学力別クラス編成導入)や“留年教育制度”を選択させることになっている。

 もし橋下市長が学力唯一最上価値観に囚われていなかったなら、テストの成績にそれ程拘ることはないだろう。テストの成績に拘らなければ、、習熟度別指導(=学力別クラス編成導入)や“留年教育制度”といった発想は出てこない。

 価値観の多様化の時代だと言うなら、学校社会に於いてもテストの成績を唯一最上の価値とせずに児童・生徒が発揮可能とする価値観の多様性を認め、一般社会の多様な価値観に合わせるべきである。

 多様な価値観という点で学校だけが取り残されている。
  
 2002年2月10日アップロード、2006年10月2日再アップロードの《「市民ひとりひとり」第128弾「中学校構造改革(提案)」》と、この中の内容の一部を取り上げて、2008年11月18日当ブログ記事――《日本の教育/暗記教育の従属性を排して、自発性教育への転換を - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で学校社会への一般社会と同様の多様な価値観の導入を書いた

 ここで一例を上げると、マンガが好きな子どもがいたら、集めて、人数が少なければ学区を越えて集めて、例え通学が遠くなっても自分が好きなことには苦にはならないだろうから、マンガ科を設ける。マンガを書く技術だけを教えるのではなく、海外各国のマンガやマンガの歴史を学ばせて、そういったことを通して一般常識を植えつける方法等を提案した。

 最近良く例に上げるのがお笑いタレントやテレビタレントである。テレビのクイズ番組で試す彼らの学力は例外はあるが、小学生レベルの学力さえ備えていないタレントがかなり多く占めていて、学校での学力(=成績)はさもありなんと思わせる程度の低さだが、しかしタレントとして社会を逞しく生き抜いていく力、高い報酬を得る力は決して学校社会で学んだ学力(=成績)によるものではないことは確かで、逆に橋下大阪市長が唯一最上の価値を与え、絶対的としている学校社会の学力(=成績)が最上のものではないことを教えている。

 橋下大阪市長にしてもこの現象を見ているはずだが、学校教育と結びつける認識にまで至っていない。

 だからこそ、橋下市長は、また橋下市長だけではなく、価値観の多様性を求めずに詰め込みの暗記知識を問うテストの成績に過ぎない学校学力を唯一最上の価値として拘り、追い求める人間が跡を絶たない。

 社団法人「日本数学会」が2011年4月から7月にかけて全国の国公立と私立の48大学、大学生約6000人を対象にテスト形式の「大学生数学基本調査」を行ったところ、論理を正確に解釈する能力――論理的思考力に問題があることが分かったという。

 《数学 基本理解しない大学生も》NHK NEWS WEB/2012年2月24日 18時41分)

 (詳しくは《「大学生数学基本調査」に基づく数学教育への提言》(社団法人 日本数学会/2012年2月21日)へ。)
 
 論理的思考力欠如の理由は――

 ○調査を受けた大学生はいわゆる「ゆとり教育」世代で、学ぶ内容と時間が少なかったこと
 ○学力試験のある一般入試を経ている学生は半数に過ぎないことを挙げている。

 新井紀子国立情報学研究所教授「論理的な力を養う数学はすべての基本となり、日本の科学技術を支え、交渉力も育てます。学校で数学や記述問題にもっと取り組んでほしい」

 論理的思考力欠如は「ゆとり教育」世代で、学ぶ内容と時間が少なかったからだとしているが、考える力だとか言語力、判断能力といった論理的思考欠如が喧しく言われ出したのは日本の教育が伝統としてきた詰め込み教育の反省に立って1972年に日教組が「ゆとり教育」と「学校5日制」を提起した頃であって、2002年度から学校週5日制完全実施と授業時間縮減、学習内容3割削減のゆとり教育を導入、いわゆる「総合学習」の授業が取り入れられた。

 この経緯を裏返すと、ゆとり教育・「総合学習」以前は学校は思考力、言語力、判断能力といった論理的思考能力を身につける教育はしてこなかったということであり、当然の経緯として子どもたちは論理的思考能力を欠如したままの状態で放置されてきた。単に頭に詰め込んだ暗記知識をテストの設問に当てはめる成績のみで学力を判断され、それを以て唯一最上の人間価値とされてきた。

 だが、学校教師自体が幾世代にも亘って暗記式の詰め込み教育で教育される制度を伝統としてきたことから思考力、言語力、判断能力といった論理的思考能力を欠いていたために子どもたちに教え、受け継がることができなかった。

 また、日本の教育が暗記式の詰め込み教育となっている以上、学校週5日制と授業時間縮減、学習内容3割削減はそのまま暗記する時間、つめ込む時間と暗記内容・詰め込み内容の減少につながっていくのだから、詰め込みの暗記学力(暗記式の詰め込み学力と逆であってもいい。)は当然低下することになる。

 これは当たり前のことで、前以ってこのことを予定調和としていなければならなかったはずだが、論理的思考能力を身につけさせることもできない、学力も低下したということでどっちつかず状態に陥った。

 「ゆとり教育」が論理的思考能力欠如の原因では決してない。

 日本の暗記教育は暗記教育であるがゆえに元々生徒に考えさせるプロセスを省いていたのだから、思考能力が満足につくはずはない。授業時間を増やし、教科書の教える内容を増やして、尻を叩いてせっせと詰め込み、せっせと暗記させれば、暗記学力は身につき、詰め込みの暗記知識を問うテストの成績は確実に上がるだろう。

 上がったとしても、そのような教育に応えることができる生徒だけのことで、そのような教育についていけない多くの生徒の低学力だ、中途退学だ、留年だといった問題が片付くわけではない。

 また新井紀子国立情報学研究所教授が「論理的な力を養う数学はすべての基本」と言っているが、数学のみが論理的思考を養うわけではないはずだ。

 論理とは理(ことわり)を論ずる能力のことを言うはずで、理(ことわり)とはこれこれこうだから、こうである、あるいはこうなるという根拠と結末、あるいは原因と結果それぞれ見い出して、その筋道を提示し、論証することを意味するのだと思う。

 この過程に於ける解釈、分析、相対化、関連づけ等は常に数学が基本となるわけではない。社会的時相を分析等を通してその根拠と結末、あるいは原因と結果の筋道を提示し、論証する訓練を行うことで論理的思考能力は養えるはずだ。

 また価値観の多様性の観点から言うと、数学が不得手で、数学を自らの価値とし得なくても、他の分野を自らの価値とすることによって生きる力を身につけることはできる。

 学校はその手助けをすべきであって、テストの成績を唯一最上の価値観として、子どもたちをその価値観にのみ閉じ込めることではないはずだ。

 以上見てきたことからすると、橋下市長の詰め込みの暗記学力を問うに過ぎないテストの成績が悪い小中学生は留年させるといった発想は価値観の多様化時代に反するだけではなく、単細胞・見当違いな機械的教育論に過ぎないと言える。

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細野原発担当相の国会事故調委員長との面会・接触をテレビドラマ的犯罪心理学から勘繰る

2012-02-25 12:08:43 | Weblog

 国会に設置した「国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会」(以下「国会事故調」)の設置法である「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法」が中立・公正な原発事故原因究明を目的に調査対象等の「利害関係者と面会、文書の送付その他の方法により接触すること」を禁じているにも関わらず、調査対象となっている細野豪志原発事故担当相が2月20日(2012年)、国会事故調の黒川清委員長と面会し、接触、「調査の中立性確保」の点で疑問があると批判が起きている。

 細野原発担当相の方は原子力規制庁や原子力安全調査委員会の設置を盛り込んだ原子力組織改革法案の説明を理由に面会・接触したそうだ。

 事故調が批判を受けて急遽HPに経緯を掲載したということから、インターネットを調べてみた。
 

 国会 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会

新着情報 2012年02月21日(火)
細野環境・原発担当相が国会事故調に原子力組織改革法(案)を説明。 黒川委員長、新組織で原発事故再発防止が可能なのか疑問点を表明。
2月20日、細野豪志環境大臣・原発担当大臣及び原子力安全規制 組織等改革準備室からの申し入れにより、国会事故調は、原子力組織 制度改革法(案)について、細野豪志環境大臣・原発担当相から説明を受けました。

黒川委員長からは、当委員会における過去の参考人聴取等でこれまでに判明した主な問題点を伝えると同時に、政府が法案提出によって4月発足を見込んでいる原子力規制庁、原子力安全調査委員会(仮称)の新組織が、今回の原発事故の原因について十分に考慮されたものなのか、また、この新組織によって事故の再発防止は本当に可能であるのか、などの疑問点を伝えました。

 面会・接触は細野原発担当相の方から申し入れた。

 先ず最初に黒川委員長の側から4月発足方針の原子力規制庁、原子力安全調査委員会(仮称)の新組織に関わる疑問点を伝えたとしている点を取り上げてみる。

 政府及び関係組織の福島原発事故対応を調査・検証する国会事故調が政府の新組織に関わる疑問点を、いくら原子力発電行政に関係している法案であり、組織だからといって、関与する役目を担っているのだろうかと奇異に感じた。余計な口出しではないかと。

 だが、設置法を調べて驚いた。 

 東京電力福島原子力発電所事故調査委員会法

(2011年10月7日法律第112号)
 
 第一章 目的及び設置

第一条  平成23年3三月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う原子力発電所の事故の直接又は間接の原因及び当該事故に伴い発生した被害の直接又は間接の原因並びに関係行政機関その他関係者が当該事故に対し講じた措置及び当該被害の軽減のために講じた措置の内容、当該措置が講じられるまでの経緯並びに当該措置の効果を究明し、又は検証するための調査並びにこれまでの原子力に関する政策の決定又は了解及びその経緯その他の事項についての調査を適確に行うとともに、これらの調査の結果に基づき、原子力に関する基本的な政策及び当該政策に関する事項を所掌する行政組織の在り方の見直しを含む原子力発電所の事故の防止及び原子力発電所の事故に伴い発生する被害の軽減のため講ずべき施策又は措置について提言を行い、もって国会による原子力に関する立法及び行政の監視に関する機能の充実強化に資するため、国会に、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会を置く。

 事故の調査・検証だけではなく、原子力に関わる行政組織の在り方の見直しや今後の事故発生を見通した施策又は措置についての提言と国会による原子力に関する立法及び行政の監視に関する機能の充実強化に資することをも自らの役目と規定している。

 何となく欲張り過ぎているような印象を受けたが、「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会は、委員長及び委員9人をもって組織する」としている各メンバー共、優れた知見の持ち主なのだろう。事故の調査・検証を行うと同時に行政組織の在り方の見直しや提言、監視機能の充実強化も同時に行い得る優れた能力を備えているに違いない。

 だとしても、4月1日の原子力規制庁の設置発足と原子力安全調査委員会設置等を盛り込んだ原子力安全確保法案は国会提出中であり、主として国会で審議すべき問題のはずで、細野原発担当相がわざわざ自分から申し入れて自己利害者として「中立性」を疑われることはしなくてもいい常識は備えていたはずだ。

 また、その手の常識は備えていなければならなかった。

 参考までに国会事故調メンバーの経歴を挙げておく。 

委員長 黒川清 (医学博士、東京大学名誉教授、元日本学術会議会長 東京大学医学部卒業)

委員

石橋克彦 (地震学者、神戸大学名誉教授 東京大学理学部地球物理学科卒業の地震学者)

大島賢三 (独立行政法人国際協力機構顧問、元国際連合大使 東京大学法学部卒)

崎山比早子 (医学博士、元放射線医学総合研究所主任研究官 千葉大医学部卒業 マサチューセッツ工科大学研究員 千葉大学院医学研究科修了)

櫻井正史 (弁護士、元名古屋高等検察庁検事長、元防衛省防衛監察監)

田中耕一 (化学者、株式会社島津製作所フェロー 東北大学工学部卒、ノーベル化学賞受章者)

田中三彦 (科学ジャーナリスト 翻訳家 科学評論家 元原子炉製造技術者)

野村修也 (中央大学大学院法務研究科教授、弁護士 中央大学大学院法学研究科博士前期課程修了 中央大学大学院法学研究科博士後期課程中退・法学者)

蜂須賀禮子 (福島県大熊町商工会会長)

横山禎徳 (社会システム・デザイナー、東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム企画・推進責任者)(以上)

 次に黒川委員長は先ず最初に、当委員会における過去の参考人聴取等でこれまでに判明した主な問題点を伝えた。

 国会事故調は2011年12月19日の第1回委員会から2012年2月15日第4回委員会を開催、開催毎の会議録をHPに公表、中間報告も行なっているが、細野原発担当相は招致を受けた参考人の中にその名前はまだ出ていない。

 いわば取調べ前の身であるが、第4回会議で細野とより頻繁な交渉があったはずの班目原子力安全委員会委員長や寺坂前原子力安全・保安院長、木村原子力安全・保安院参与、安生(あんじょう)東京電力福島原子力発電所事故調査委員会事務局長が参考人招致されているが、ここでも細野の名前は出ていない。

 これまでの4回の会議を通して責任に触れるような取り上げ方で名前は一切出ていないということである。

 会議録の中で細野原発担当相の名前が1箇所のみ出てくる場面がある。 

 ○委員長(黒川清君) もうお一人ということなんだけど、もし差し支えなければ、私、ちょっと聞かせていただいてよろしいでしょうか。

去年、もう今年、この一か月ちょっとですけれども、中間貯蔵地その他の問題があって、もちろん一番の避難はいろいろあるんだけれども、第一原発のすぐ横ですから、すごく最初の退避も大変だったと思います。政府では、中間貯蔵施設について双葉町を候補と考えている一つだと思いますが、細野大臣あるいは野田総理の方からもどうでしょうかという要請もあったやには聞きますが、それについて町長の御意見をちょっとお聞かせいただければと思います。

○参考人(井戸川克隆福島県双葉町長) これは大変大事な重要な問題ですね。

まず一つは、理由付けですね。なぜ、先ほども申し上げましたけど、裁判では無主物ということの取扱いをしてしまったものを引き受けるものになるんだろうということですね。その引き受けた結果、子孫、やがての子孫がそれについて迷惑が起きないだろうかと。なぜ(帰宅が)30年だと。30年ともう言い切っちゃっているんですが、30年の計算式が欲しいと。

それから、最終処分場の明記がなければならない。持ってきたものは全部持って出すということもまだ言われていません。ある高官によりますと、持ってきたもので高度処理して、やがて車一台ぐらいしか持ち出さないんだという言葉も聞いていますけれども、これはとんでもない心外な話でありますので、我々が引き受けるための定義付け、これが大事であります。

そして、持ち出すところの最終処分場、これ全世界でまだ解決されていません。そんなに簡単に済む問題ではありませんので、まずこれも明記してもらわなくちゃならない。東京電力の責任というのも明記されておりません。これも明記する必要がありますね。いろいろまだまだ、そこまで行くには一気には行かないというふうに私は考えております。

いっときの思いでやってしまって、人形峠のように地域の住民が国を相手取って裁判をした事例があります。国は一審で敗訴して、その後ずっと上告して最高裁まで行ったということは、地域の住民に対して人形峠のウラン鉱石を取るためにお願いをしてやったはずですけれども、最後は裁判で争うような形になってしまうと。この問題も放置できませんので、まだまだいろいろ問題はあります。こういう問題を解決しないと、何か造れという意見もありますけれども、それは簡単ですね、だけど、お金だけでやってしまうと今までの原子力発電所と同じくなってしまいますから、よくよく慎重に検討しないといけません。

 もし事故対応に関して自身にこれといった瑕疵はない、取り立てて非難を受けるような意図的な情報隠蔽も情報操作も行っていない、ウソも隠しもなく事実を事実として情報公開してきた、国民に何ら恥じることはないという自負を持っていたなら、国会事故調のHPを窺うまでもなく、参考人招致を受けるときが来るまで静かに待てば済むはずだ。

 ではなぜ細野原発担当相自身は事故調査・検証の利害関係者の一人でありながら、利害関係者の国会事故調メンバーとの面会・接触が制限されていることを知らないはずはないのに、自分から申し入れて黒川委員長を面会・接触、中立性を疑われるような行動に出たのだろうか。

 この手の常識を弁えていなかったという弁解は通用しない。弁えていなかったなら、原発担当相としての資格を失う。

 もし不都合なことを隠していたり、事実を変えたりする情報隠蔽や情報操作を行なっていたとしたら、隠している事実が細野の名前付きでいつ出るか、いつ出るかという不安を抱えることになるだろう、あるいは出ないまま、隠しおおせるだろうかという不安に曝されることになり、責任問題に波及しない形で名前が出ることを確認しないことには不安は止むことはないに違いない。

 いわば何も名前が出ないよりも、あなたは無罪ですという確証を与える名前の出方を待ち望んでいたとしたら。

 テレビの犯罪ドラマでは、逮捕を逃れている犯罪者が新聞・テレビの報道に釘付けになるのは容疑者が特定されているかどうかを確かめるためであり、特定されていたなら、次に隠れている場所が特定されているかどうか、いわば捜査の手がどこまで伸びているかどうかを確かめるためであって、新聞・テレビが何も伝えていないと捜査の進展状況を確認しようがなくなって却って不安に居たたまらなくなるといった犯罪者の心理が十八番となっている。

 しかし責任に波及するような形であってもなくても、1回以外は名前は出てこない。

 逮捕を逃れている犯罪者が新聞・テレビの報道が何もないと警察やマスコミが何かを隠しているのではないと疑い出す犯罪者の心理をテレビの犯罪ドラマでは映し出すことがあるが、細野も国会事故調が細野の参考人招致まで何かを隠していて、参考人招致のときに一気にぶっつけてくるのではないのかと疑ったとしたら。

 面会・接触が条件付きで厳しく制限されているにも関わらず、不安を抑えきれなくなって、直接知ろうとして、原子力規制庁設置法案の説明を理由に自分から申し入れて、黒川委員長に面会・接触した。そして委員長から当委員会における過去の参考人聴取等でこれまでに判明した主な問題点を伝えられた。

 細野原発担当相が完全な安心を得たのかどうか、不安を残したままなのかどうかまでは分からない。

 そう言えば、テレビの犯罪ドラマでは犯人が社会的有力者で、警察幹部に知り合いがいる場合、その幹部を通して捜査情報を得ようと策す場面に時折りお目にかかる。

 
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橋下徹大阪市長の“普天間県外”、前回同様言うだけ番長で終わらないことを望む

2012-02-24 12:52:41 | Weblog

 言うだけ番長の前原誠司民主党政調会長が昨2月23日(2012年)、産経新聞が前原を「言うだけ番長」と呼び習わしていることにペンの暴力だと抗議、自身の記者会見に産経新聞の記者の入室を拒否したという。

 勿論、「言うだけ番長」は前原誠司に対する蔑称である。尊称であるはずがない。記者会見の場に入室を断ったということはそれだけ苛立っていたことの証明となる。我慢できなくなったことに対する報復行為が記者会見出入り禁止というわけである。

 本人は「言うだけ番長」の蔑称に実体はないと見たから、報復行動に出た。実体があると見たなら、とても恥ずかしくなって政治家をやっていられなくなるに違いない。

 だが、2011年民主党代表選では世論支持はダントツの1位だったが、その高支持率に反して1回目投票で極貧支持率の野田候補の下につけて3位。野田・前原連合、野田勝利でやっと生き残ることができた経緯は「言うだけ番長」を実体と見做している勢力が党内に存在していたことの証明であり、そのことも影響したはずだ。

 「言うだけ番長」とは言葉通りには行動しない有言不実行、あるいは言いっ放しの有言放置を正体とする。2009年9月民主党が政権を取り、国交相と北方担当相に就任、同年10月に北方担当相として根室を訪問、納沙布岬から対岸の北方四島を視察、次のように発言した。

 前原国交相「歴史的に見ても国際法的に見ても(北方領土は)日本固有の領土。終戦間際のどさくさにまぎれて不法占拠されたもの。やはり四島の返還を求めていかなければならない」

 だが、ロシアから「不法占拠」発言が挑発的だと抗議を受け、党内からも批判されると、「不法占拠」を封印、次のように表現を変えたことも「言うだけ番長」であることを証明している。2010年11月の衆院外務委員会での発言。

 前原国交相「北方領土は我が国固有の領土であるけれども、管轄権を事実上行使できない状況が続いている」

 「不法占拠」だと大筒の花火を勇ましく打ち上げたものの、大空にヒュルヒュルと炎の尾を引いて上がりはしたが、期待に反して空の闇を照らさないままに暗い虚空に飲み込まれて、自身の発言自体を自ら空虚なものとした。

 正真正銘の言うだけ番長を演じたのである。

 橋下徹大阪市長が代表を務める地域政党大阪維新の会が次期衆院選の公約にあたる維新版「船中八策」に米軍普天間飛行場の県外移設を盛り込む方針を固めたと、《橋下市長の維新の会「普天間県外移設」を公約に》YOMIURI ONLINE/2012年2月23日14時38分)が伝えている。

 維新の会2月14日公表の総選挙用公約に当たる「維新版・船中八策」たたき台の「外交・防衛」分野の政策のうち普天間移設問題は、普天間飛行場代替施設を辺野古岬とその隣接地域に移設するとした「2006年在日米軍再編ロードマップの履行」及び「同時に日本全体で沖縄負担の軽減を図る更なるロードマップの作成着手」となっている。

 いわば現在の民主党の日米合意に基づく普天間の辺野古移設と沖縄の負担軽減と同じスタンスを取る。

 だが、これを改めて、「米軍再編のロードマップの履行」を削除、「普天間は県外で分散移設」との文言を加える方向で検討していると記事は書いている。

 2月23日の大阪市役所での報道陣向け発言。

 橋下市長「維新の会が基地問題に見解を出すのなら、礼儀として沖縄県にあいさつにいかないといけない」

 2月26日までの纏める予定の「船中八策」の骨子は意見集約に時間がかかることから3月上旬にずれ込む見通しを述べた上で、骨子がまとまって時点で橋下市長と幹事長の松井一郎大阪府知事が沖縄県を訪問し、県側に伝える方針だという。

 記事は2月14日公表からほぼ10日して普天間県内移設から県外移設へと政策転換した理由は書いてないが、橋下氏は2年3カ月前の大阪府知事時代に普天間県外移設に関しては一度「言うだけ番長」を決め込む前科を犯している。

 2009年11月30日朝、記者団に普天間飛行場の移設先として関西国際空港への受入れを検討することを表明、次のように発言している。《在日米軍再編:普天間移設 移設先「関空も検討」 橋下・大阪府知事「個人的見解」》毎日jp/2009年11月30日)

 橋下大阪府知事「あくまで個人的な意見だが、政府から正式に話があれば、基本的に(議論を)受け入れる方向で検討していきたい」

 記事。〈政府からの要請は「正式にはない」としながらも、嘉手納基地の騒音軽減対策としての訓練の一部受け入れも視野に、関空の軍民共用化や神戸空港の活用も検討事項に挙げた。〉・・・・・

 基地問題にしても原子力発電所設置・稼働・再稼働等の問題にしても首長たる知事が都道府県民の意向をリード、その全体的意向に基づいて最終判断する義務と責任を負う。当然、「個人的意見」で済ますことは許されないはずであるし、政府から正式に話がなくても、適地かどうか判断した上で自分から提案してもいいはずだ。

 当然、「大阪府知事として受入れることを検討したい。受入れに向けて府民を説得したい」と言うべきだったろう。

 当時鳩山首相は普天間の「国外最低でも県外」を模索して四苦八苦と迷走を繰返していた。対して橋下府知事は関空受入れは政府からの要請が前提だとする姿勢を崩さなかった。

 いわば言葉を発するものの、自分から手を上げることはしなかった。しかも自らの権限が及ばない神戸空港に話を通してあるわけでもないのに負担を負わせる仲間に勝手に引きずり込もうとしたのは大阪府のみの問題とする覚悟がなかったからではなかったか。

 最初から腰の引けた「言うだけ番長」だったのかもしれない。

 なぜ鳩山首相は関空を移設検討対象としなかったのだろうか。

 橋本府知事は6日後の12月6日、ジャパンラグビートップリーグの公式戦が開かれている近鉄花園ラグビー場(東大阪市)を訪れて、観客に向かって普天間基地問題について呼びかけている。

 《橋下知事、普天間問題について「ワン・フォー・オール オール・フォー・ワン」》MSN産経/2009.12.6 20:01)

 ラグビー場訪問の初期的目的は府内の小学校の運動場を芝生化するために必要な募金を呼びかけるためだったという。

 橋下府知事「ラグビー精神で一番好きなのが、『One For All All For One』。1人はみんなのために、みんなは1人のためにとの思いで、やっていたが、『沖縄は日本のために 日本は沖縄のために』。沖縄が孤立している。全国で沖縄の基地問題を考えましょう」

 基地問題に関しては今日まで沖縄の持ち出しとなっている。「沖縄は日本のために 日本は沖縄のために」ではなく、「日本は沖縄のためにが日本のため」とすることで初めてまともなバランスに向かう取っ掛かりとなるはずだ。

 この6日後の「全国で沖縄の基地問題を考えましょう」の発言は6日以前の発言からの後退を示す。関空という地元である特定空間への受入れから「全国」という全体空間へと拡散させているからだ。

 この後退は翌7日に明らかになる。米軍普天間飛行場の一部機能の関西空港への移転可能性について報道陣に次のように発言している。《普天間移設「国の権限。僕が動くことではない」…橋下知事》YOMIURI ONLINE/2009年12月7日)

 橋下府知事「(防衛政策は)国の権限。僕が動くことではない」 

 その上で、府として具体的な検討や国への提案を行う考えがないことを明らかにしたという。

 いわば自分自身は動かないことを宣言した。

 防衛政策は国の権限であっても、仲井真沖縄県知事は普天間の県外移設に向けて自分から動いている。県知事が動く問題ではないとしたなら、防衛問題に関して県知事は国の言うがまま、国に言われるがままの支配下に置かれた存在と化す。

 橋下府知事「国から提案があれば、積極的に議論に参加したい」

 発言の経緯からすると、関空受入れに向けた具体的な議論ではなく、議論のみの積極的参加ということなのだろう。

 鳩山首相は日米合意の期限とした翌年5月末が近づくと基地そのものの県外移設を断念、せめて訓練を沖縄から県外に移すべく、5月27日(2010年)を開催日とした「沖縄の負担を分かち合う」ための全国知事会議を要請した。だが、4割近い18知事が欠席。既に鳩山首相は重さを失っていた。

 《天間移設:首相に知事冷ややか 負担分散理解は大阪のみ》毎日jp/2010年5月27日 21時58分)

 森田健作千葉県知事「なぜ、今、この時に全国の知事を招集したのか」

 鳩山首相は日米合意5月末4日前の全国知事会議開催である。4日間で何が決まるというわけなのだろう。

 鳩山首相「『将来的に訓練なら引き受けるぞ』との気持ちを示していただくことで(沖縄県名護市)辺野古(付近への普天間移設)を少しでも実施することに役立つのではないか、と思った。

 皆様方のふるさとで『ここなら可能だぞ』という話をいただければ誠にありがたい。

 (訓練県外移転を)すぐに理解いただけると思わないが、これから具体的に提案したい」

 仲井真知事「(沖縄県民は)国民として負うべき応分の負担をはるかに超えている」
 
 三村申吾青森県知事「現状を超える基地機能強化は容認できない」

 橋下大阪府知事「基地を負担してないので真っ先に汗をかかないといけない。できる限りのことはしたい」

 記事は発言した11知事の中で首相に理解を示したのは橋下知事のみだとしているが、橋下知事が言っている「できる限り」は関空を除いた「できる限り」であって、既に「言うだけ番長」と化していたのである。

 「維新版・船中八策」たたき台の今回の「米軍再編のロードマップの履行」削除、「普天間は県外で分散移設」への方針転換は「基地を負担してないので真っ先に汗をかかないといけない」という思いに再び駆られたのかもしれない。

 だが、たたき台には「関空」という文字が入っていない。たたき台の「日本全体で沖縄負担の軽減を図る更なるロードマップの作成着手」の「日本全体で」の文言と考え併せると、大阪府を除いた「日本全体で」汗をかくということなのかもしれない。

 そもそもからして普天間基地の県外移設を自ら引き受ける自治体首長は皆無だった。一地方自治体の首長が自らが統括する地域に引き受けるならともかく、他の自治体の首長に米軍基地の負担をお願いして、誰が快く引き受けるだろうか。 

 普天間問題のこの構造は県外を考える場合、自らの自治体に引き受ける首長が出てこない限り県外は実現しないことを示している。

 この構造を理解ぜずに「普天間は県外で分散移設」を公約とすることも、「日本全体で沖縄負担の軽減を図る更なるロードマップの作成着手」を公約とすることも、「言うだけ番長」を最初から宿命としていることになる。

 橋下大阪市長が「言うだけ番長」で終わらないためには関空を軍民共用として普天間の移設を引き受けるか、大阪府内に関空同様の海洋埋め立てによる新基地建設を行うかいずれかの方法しかないだろうか。

 参考までに、参考までに、2009年12月6日当ブログ記事――《橋下府知事の「公務員から厳重抗議なんて言われたくはない」の独裁性 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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民主党の「最低保障年金」に見る“持続可能性”の実体

2012-02-23 13:13:23 | Weblog

 昨日2012年2月22日の衆院予算委員会。

 自民党鴨下議員は「マクロ経済スライド」がきちんと機能すれが、現行制度の改善で給付が少なくなる面があるが、持続可能であるという趣旨に添って追及する。

 鴨下議員「少子高齢化社会に今みなさんがやっている制度設計は効くんですか」

 岡田副総理「最低保障年金と所得比例年金があるが、所得比例の部分は保険料を払っていただくんですが、頂いた保険料で年金を払っていくのだが、一対一対応にはなり得ない。そこは調整していかなければならない」


 いただいた保険料で年金を払っても、頂いた保険料と「一対一の対応」以下になる。いわば頂いた保険料以下の年金額に目減りすると言っている。

 これは“持続可能性性違反”ではないだろうか。「社会保障と税の一体改革」については散々に「持続可能性性」を言ってきたのである。

 いや、「持続可能性」を根拠に民主党は自らの社会保障制度改革案を正当化し、消費税増税を正当化してきた。

 この点、“正当化違反”とも言える。

 野田首相自身も散々に言っている。

 野田首相「持続可能な社会保障制度を再構築する」

 野田首相「もちろん、一体改革は、単に財源と給付のつじつまを合わせるために行うものではありません。『社会保障を持続可能で安心できるものにしてほしい』という国民の切なる願いを叶(かな)えるためのものです」

 「国民の切なる願い」と受け止めておきながら、「叶える」という約束をウソにすることになる。

 野田首相「持続可能な社会保障制度を実現するには、給付に見合った負担が必要です」

 まさに消費税増税の正当性を持続可能な社会保障制度実現に置いている。
 
 まだまだ例を挙げることができるが、いくら例を挙げても、言っている持続可能性が保証できないということなら、挙げても意味はない。

 また、「一対一対応にはなり得ない」といったことはどのくらいの減額か具体的に言うべきを、「そこは調整していかなければならない」というだけで具体的姿は曖昧にしている。だから、どのような贈答品も必ず返して決して受け取らない姿勢を崩さないところに現れている一般生活慣習に関しては原理主義者だが、政治に関してはご都合主義者だと看做す所以である。

 鴨下議員「何を言っているのかよく分からない。

  (中略)

 少子高齢化にみなさんの制度は現行制度と比べてどれだけ優位性があるんですか?」

 岡田副総理「先ず(2065年に10%+)7.1%という最低保障年金の一番強くした場合であって、試算として計画したが、それを採用すると決めているわけではありません。

 最低保障年金を非常に小さくすれば、現行案でも3%を上げざるを得ないということですから、それと同程度ですが、それ以下で済むケースもあるということでございます。現行案で一元化することのメリット、最低保障年金を充実することのメリット。そういうメリットがあるということで抜本改革についてのご提言をしているわけで、少子高齢化の限界を超えるという、そういうプラスがあるかというと、私は必ずしもそういうことにはならないというふうに思っています

 民主党の年金制度抜本改革は様々なメリットがあるが、「少子高齢化の限界を超える」メリットは必ずしも保証できないと言っている。

 このことも「持続可能性」の否定であり、「持続可能性」を根拠にして消費税増税を正当化してきたことに対する“持続可能性違反”に当たる。

 国立社会保障・人口問題研究所が日本の人口は2060年には約4000万人少ない8674万人になると予測しているのである。少子高齢化の進行による現役世代の相対的減少を考えた場合、岡田副総理が言っているデメリットは抜本改革のメリットを差し引いて、マイナスに向かうことにならないだろうか。

 生産年齢(15~64歳)人口は2060年には4418万人。老年(65歳以上)人口は2060年には3464万人と予測。まさに肩車社会の出現である。

 鴨下議員「現行制度もみなさんが考える制度も、少子高齢化について同じ圧力を受けるわけですね。

 その解決策として新しい民主党案というのか、意義があるっていうふうに私は思いませんね」

 同日午後の衆院予算委で同じ自民党の田村憲久議員が民主党が最低保障年金制度を採用した場合、どのくらいの消費税増税が必要か試算した『最低保障年金の支給範囲』)2065年度の姿』のフリップを出して、「最低保障年金は1人7万円」と言っていたことが7万円がカッコ付きで記載、その下に5.8(単位万円)となっていることを問い質した。

 小宮山厚労相「新しい年金制度でも一定のマクロ経済スライドに近いものを掛けていかなければなりません。5万8千円というのはですね、2065年度の時点でそうなるということです。

 この場合はみなし運用利回りでマクロ経済スライドに近いものを掛けた試算でございますので、そうなるとピークのときの2065年にはこれが5万8千円になるということでございます」

 「マクロ経済スライド」とは、「年金の被保険者(加入者)の減少や平均寿命の延び、更に社会の経済状況を考慮して年金の給付金額を変動させる制度のこと」(Wikipedia)だそうで、「みなし運用利回り」は「マクロ経済スライドに近いもの」だと言っている。

 インターネットで調べたところ、「みなし運用利回り」とは加入者拠出の年金保険料の積立金を株や国債で運用したように看做して、利子がついたように帳簿に記録する利回りのことだそうで、実際に利子がつかないが、ついたように帳簿に記録、みなし運用利回り込みの過去の保険料拠出総額に基づいて年金受給開始時点で平均余命を勘案しながら、年々の年金受給額を決めていく方式だそうだ。

 利子がつかないにもかかわらず利子がついたように看做す、利子不足分を消費税で賄うということなのだろうか。

 この小宮山発言に対して田村議員は、最低7万円の年金を保障すると言っていながら、実質的価値が6万円弱になるのは詐欺としか言いようがないと批判。

 小宮山厚労相「それはですね、今制度設計をしていますので、どのような率で割り戻して現在価値を表示するか、それは色々と仕組み方、様々な方法がございますので、それを今検討しているところでございます」

 田村議員「どっちにしても割り戻さないと持たないということを先程岡田大臣がおっしゃられましたから、マクロ経済スライドとは言わないけれども、何らかの減額率を掛けなければ年金はやはり均衡しないんだとさっきおっしゃっていられましたので、5万8千円かどうか分らないけれども、しかし減るのは確かだと。

 減る金額を少なくしようと思うと、消費税を上げなければならない。こういうレトリックにはまっていくというわけでございまして、まあまあ、大変なウソをついて来られたんだなあということが改めて分かりました」

 岡田副総理「委員、こういうところの議論は、テレビ入ってますし、ウソだとか詐欺だとかそういう言い方はなるべく控えられた方が私はいいんだろうと思うんですね。国民もやっぱり深い、真摯な議論を求めているというふうに思います。

 例えば委員が先程おっしゃいました所得代替率50%、これは確かにみなさんが前提としておられている数字でございます。さっき鴨下議員も言われたように、これは守りたいけども、しかしそれだって絶対持続できるかどうかというのは状況によって分からないわけで、これは鴨下委員も言われたとおりでありますから、一方的に我々はなかなか意見が言えない、答える立場ですから、是非、深い、国民の立場に立った議論をお願いします」

 何を言っているのだろう。相手がウソだ、詐欺だと言ったなら、ウソではないこと、詐欺ではないことを立証し、相手を納得させる反論を試みさえすればいいことで、テレビが入っている云々は関係ないことであろう。

 国民が求めているのは政府の言っていることが事実かどうかの一点であるはずである。事実かどうかの判定は嘘でないこと、詐欺でないことの証明に尽きる。

 だが、言っていることは事実です、詐欺でもウソでもありませの証明を果たすことができないでいる。

 田村議員「真面目に議論してください。我々は所得代替率を守ると言ってるんです。守らなくなった時には、守れませんでしたと頭を下げて、解散しなければならないんだと思います。

 でも、7万円と言っていて、元から出てきた試算が5万8千円じゃあ、これを騙したっていう話しじゃあ・・・・(思いとどまる)。いや、7万円にしたかったけど、できなかったと。それは少子化が進んだという話になればね、そのときにはですね、すみません、7万円と言いましたけど、5万8千円になりましたって言うなら分かりますよ。

 しかし今の現状で7万円と言っていて、それが7万円じゃあなくなっちゃうんですから、これは全く以って齟齬が生じている。

 (後略)」――

 質問時間切れだが、小宮山厚労相が手を上げていたため、委員長が答弁を求めるかと聞く。田村議員が「じゃあ」と言って、答弁を求める。

 小宮山厚労相(顔を赤らめた抗議の強い口調で)「これはですね、この試算を公表する時に申し上げましたように調査会の幹部が頭の整理、ブレーンストーミングをするためにやったもので、こういう形で制度設計をやると決めたわけではございませんので、先程おっしゃった問題点を協議しようという点は私どももしたいと思いますが、これからの制度は5万8千円と決めたわけではございません」

 いくら「頭の整理、ブレーンストーミング」のための試算であったとしても、民主党が考える「最低保障年金」制度の2065年度実施計画に基づいて試算し、出てきた設計図であって、「最低保障年金」制度に基づいた試算である以上、その試算の制約を幾ばくかは受けるはずだ。

 だからこそ、先程の場面で、「5万8千円というのはですね、2065年度の時点でそうなるということです」と議論の俎上に載せることができた。

 何ら制約を受けないということになったなら、「最低保障年金」制度を何のために試算の基礎としたのか、「最低保障年金」制度そのものの意味を失うし、何よりも議論の対象とすることができなくなる。

 「こういう形で制度設計をやると決めたわけではございません」と言いつつ議論するのはカネと時間のムダであろう。

 また、「先程おっしゃった問題点を協議しようという点は私どももしたいと思います」と言っていることも、あくまでも民主党が政権与党である以上、民主党が出した「最低保障年金」制度の適否が中心となるはずで、その中心なくして協議は成り立たない。

 小宮山厚労相の答弁は、一体何を言っているんだろうと思う程のゴマカシ・詭弁に満ちた答弁となっている。

 菅前首相も言っていたことだが、現在野田首相を筆頭に言っている民主党の社会保障制度「持続可能性」の実体とはこの程度だということである。

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国民愚弄の記者会見頻度「野田首相が最高」

2012-02-22 12:43:00 | Weblog

 昨2月21日(2012年)マスコミ各社が野田首相の記者会見頻度を尋ねる赤澤亮正(りょうせい)自民党議員の質問主意書に対して政府が21日午前の閣議で答弁書を決定したとするニュースを伝えていた。

 最初に当たり前のことを断っておくが、首相の記者会見とは首相の国民に対する政策説明の主たる手段である。

 衆議員HP「衆議院質問本文情報」で調べたところ、質問件名「野田内閣総理大臣の記者会見に関する質問主意書」、提出者名「赤澤亮正」、会派名「自由民主党・無所属の会」、質問主意書提出年月日「平成24年 2月13日」、「内閣転送年月日」、「平成24年2月15日」、経過状況「内閣転送」の情報のみで、質問主意書の内容も答弁書の内容も未記載状態のままとなっている。

 提出が2月13日で、閣議決定が2月21日と言うことは提出から決定まで8日後見当ということになる。

 質問主意書と答弁書の両方が記載されている最後のものは「新党大地・真民主」浅野貴博議員の平成24年2月2日提出、質問件名「二月七日の『北方領土の日』における返還要求大会に対する政府の関与等に関する質問主意書」で、野田内閣が閣議で答弁書を決定したのが提出から8日後の二月十日、そして横路孝弘衆議院議長の答弁書受領年月日が同じ日の「平成24年 2月10日」

 8日後見当の閣議決定が慣習となっているのかどうか調べれば分るが、問題はHPに記載されるまでの時間である。2月3日提出の木村太郎自由民主党・無所属の会派所属議員の「今季の豪雪による教育現場に係わる対策に関する質問主意書」は内閣転送年月日が2月8日、8日後見当の閣議決定とすると、2月16日頃に閣議決定しているはずだが、昨日で5日経過しているにも関わらず、質問主意書の内容はHPに記載されているが、答弁書の内容は未記載のままとなっている。

 マスコミには閣議決定当日に答弁書の内容が伝わるが、木村太郎議員の質問書に対する政府の答弁書を例に取ると、その内容に接するには少なくとも5日以上は待たされることになる。

 民主党は情報通信に関して「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部」を立ち上げている。機械的な機器の面で情報通信速度が高度だというだけでは「高度情報通信ネットワーク社会」とは言えない。単にハコモノが立派だと言えるのみである。必要とする情報を社会が広範囲に速く詳細に共有でき、社会の側がその情報を何らかの形で活用することによって初めて「高度情報通信ネットワーク社会」と言えるはずだ。

 当然、情報伝達と共有の間に滞留も部分的独占の不平等もあってはならないはずだが、適正な機能発揮に程遠い「高度」とは言えない状況にあるように思えてならない。

 各記事から窺うと、野田首相の記者会見回数(=国民に対する政策説明回数)の少なさを尋ねた質問主意書であって、対して答弁書は記者会見回数(=国民に対する政策説明回数)は歴代首相の中で野田首相が一番多いとする内容のようである。

 次の記事から、どういうことなのか見てみる。

 《会見頻度「野田首相が最高」=橋本内閣以降で比較-政府答弁書》(時事ドットコム/2012/02/21-12:11)

 野田首相就任昨年9月2日から今月13日までの記者会見数は来日した外国要人との共同記者会見を除き9回。約18日に1回の頻度。菅前首相が約24日に1回。

 答弁書一部内容「頻度は、(最近)10人の首相の中では、野田佳彦首相が最も高くなっている。

 野田首相は、国民に対し首相の考え方を示すべき時に(会見を)行っている。

 (ぶら下がり取材に応じない理由に関して)記者会見などで、しっかりと丁寧に受け答えを行い、国民に考えを伝えたい」
 
 記事解説。〈野田首相の在任日数は13日時点で165日。長期政権だった小泉純一郎氏は「約58日に1回」で10人中9番目だが、平日は原則1日2回のぶら下がり取材に応じており、会見頻度だけで「国民への発信度合い」を判断するのは困難との見方も出そうだ。〉・・・・

 問題は「発信度合い」よりも、国民との間の“情報共有可能性”であろう。いくら「発信度合い」を2倍3倍に増やしても、尽くした言葉が満足に伝わらず、“情報共有可能性”が低かったなら、「発信度合い」は無意味化する。

 険悪な関係に至った夫婦は“情報共有可能性”という点で限りなく阻害状態に陥る。夫が何を話しても相手はその情報を受け付けまいとするだろうし、妻が何を話しても、夫の腹立ちを高めるだけで、情報共有に拒絶反応を示して、“情報共有可能性”は絶望的となる。

 また“情報共有可能性”は情報伝達手段に負うよりも、人間が自ら発する言葉を用いた情報伝達能力に負う。

 いわば自分の言葉を第三者に理解させるには「発信度合い」(=国民に対する政策説明回数)でもなく、テレビやラジオ、新聞といった情報媒体を使った情報伝達手段でもなく、偏に自身の言葉が可能とする理解(=情報共有)だということになる。

 テレビの同じお笑い番組に出ているお笑いタレントでありながら、ファンや視聴者との間で“情報共有可能性”に違いが出てくるのはお笑いをつくり出す言葉の能力の違いによるのと同じことである。

 勿論、ヒトラーの自らの言葉を巧みに用いた巧みな演説がドイツ国民を魅了したことからも分かるように、その言葉が常に正しいとは限らない。正しくない言葉も往々にして第三者を理解させる。
 
 男が女を、女が男を騙すことができるのはこのためである。

 成功した振込め詐欺もこのことを証明している。

 記事は最後に最近の首相の記者会見頻度を載せている。参考までに引用。

     (在任日数)(会見数) (頻度)
橋本龍太郎  932日   19回  約49日に1回
小渕恵三   616日   11回   56日に1回
森喜朗    387日     5回  約77日に1回
小泉純一郎  1980日   34回  約58日に1回
安倍晋三   366日     7回  約52日に1回
福田康夫   365日     9回  約41日に1回
麻生太郎   358日   10回  約36日に1回
鳩山由紀夫  266日     5回  約53日に1回
菅直人    452日   19回  約24日に1回
野田佳彦   165日     9回  約18日に1回

(注)敬称略。野田首相は2月13日現在。会見数は首相官邸で行ったものに限る。来日した外国要人との共同会見は除く(以上)

 記者会見の頻度を野田首相から数えて歴代「10人の首相」を取り上げて比較し、最も頻度が高いと自身を一番に置いた。記者会見の回数に関して自身を一番立派だとしたのである。

 だが、「発信度合い」(=国民に対する政策説明回数)よりも、“情報共有可能性”がより重要であることからすると、単に頻度を基準とした機械的な自他の比較は創造力のお粗末さをもまた証明することになる。

 また頻度を基準とした機械的な自他の比較は時代時代の政治全体に対する国民の関心の度合い、各政策や諸問題に抱く個別的な政治的関心の強弱を無視することによって可能となる。

 自社さ連立政権の村山内閣が所得税を減税して消費税率を3%から5%に引き上げる「所得税法及び消費税法の一部を改正する法律」(平成6年法律第109号)を1994年〈平成6年〉11月に国会成立させ、2年後の1996年〈平成8年〉6月に橋本内閣が5%実施を閣議決定している。

 当然、村山内閣から実施に至る橋本内閣に於ける消費税に対する国民の政治的関心は高まっていたはずだ。

 だが、現在再び消費税5%から10%への引き上げを既定路線としている野田内閣に対する政治的関心を社会保障制度の破綻状況や国家財政の当時以上の悪化状況等を併せ考えると、当時の政治的関心と同等に扱っていいものだろうか。

 現在の生活と将来の生活に対する不安は当時と比べ物にならないくらいに強いはずで、国民の政治的関心はより高まっていると見なければならない。当然、国民のそのような政治的関心の高まりに対応して政治の側からの情報発信(=国民に対する政策説明)は記者会見等を通じて“情報共有可能性”の機能を持たせて行われなければならない。

 だが、各マスコミの世論調査によると、野田首相の説明不足を指摘する国民が半数以上を占めているばかりか、最悪8割を超えていて、“情報共有可能性”が機能していないことを示している。

 このことと、「支持政党なし」、あるいは「無党派」と言われる層が50%前後から、60、70%近くに及んでいる状況は国民の政治的関心の高まりに反して政治が国民の期待に応えていないことの反動としてある政治不信という逆説性の現象としてある無党派状況であるはずだ。

 元々政治に無関心なら、政治不信は起きない。政治に無関心からの無党派層と政治に関心がありながら政治不信を核とした無党派層は似て非なるものである。

 最近の無党派層の増加部分は政治不信に発した動向と見るべきだろう。

 当然、野田首相は国政を担っている責任者として政治不信を溶解して“情報共有可能性”を機能させる情報発信(=国民に対する政策説明)に心がけなければならないはずだ。

 では、その心がけが効果を上げているかというと、特に野田内閣に於いて重要な政策となっている消費税増税を含めた「社会保障と税の一体改革」が世論調査に現れているように国民の理解を得られていない、説明不足だとして「全国対話集会」と謳って、関係閣僚を動員、全国各地で開催していることは“情報共有可能性”の効果を上げていなかったことの証明以外の何ものでもない。

 いわば記者会見にしてもその他の情報発信にしても国民との間に“情報共有可能性”を機能させるに至っていないにも関わらず、野田首相は歴代首相の記者会見頻度を機械的に比較して、その頻度は自身が最も高い看做して、それで良しとしている。

 このように時代時代の国民の政治的関心の対象や関心の度合いの違い、国民との間の“情報共有可能性”の状況を抜きに単に歴代首相の記者会見の回数(=国民に対する政策説明回数)との比較で自身の記者会見に問題なしとするのは国民愚弄の態度なくしてはできない記者会見頻度ではないだろうか。

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安倍晋三の田中防衛相人事評価と鈴木善幸元首相等自民党人事の文化・伝統・歴史

2012-02-21 11:04:26 | Weblog

 安倍元首相が最近ちょくちょくテレビに顔を出すようになった。自民党内外で次期首相として安倍待望論が僅かながら渦巻いているかのように聞く。産経新聞とフジテレビ合同世論調査の「今の首相にふさわしい政治家」ではトップの岡田副総理10・4%に対して安倍晋三が5・2%の7位につけていることも待望論の一つの現われなのかもしれない。

 自民党からはもう一人5・4%で石破茂が5位につけている。

 この二人に対するこの評価は谷垣現自民党総裁の不人気の裏返し現象なのは間違いない。谷垣総裁は1・0%で順位外扱いとなっている。

 安倍元首相は昨2月20日(2012年)の朝日テレビ「ビートたけしのTVタックル」にも出演していた。首相退陣の頃と比べて、晴々とした顔の表情を見せている。

 田中防衛相の資質を取り上げ、お笑い混じりに批判するコーナーというわけではないだろうが、政治評論家だという屋山太郎がビデオ出演で田中防衛相をのっけから嘲笑の餌にした。

 屋山太郎「役に立たないよ。立つわけないよ。あの、ボーッとしてさ。コンビニかなんかの買物がちょうどだよ。

 野田さんの人を見る目がなさ過ぎるね。人事ってのは首相の専権事項だから、この人入れてくれと言われて、ポンスケをポコンとか入れるとかね、あれはまずいよね」

 渡辺周防衛副大臣も出演していた。副大臣として大臣の答弁不足、知識不足のフォローに四苦八苦している様子について司会の阿川佐和子が尋ねた。

 阿川佐和子司会「ホントにねー、ご心中お察し申し上げます。大変ですねえ」

 渡辺副大臣「(屋山が)あんなふうに言われますけども、田中大臣って、本当に支えたくなる人なんですね。いや、あの、ホント。人柄もいいですしね。

 もう本当に真面目で、ひたむき、一生懸命にやってて、何か周りが支えたくなる方(かた)なんです」

 衆議員委員会の場面が映し出されて、秘書官だかが大臣席に座っている田中防衛相に背後から何かメモ用紙を渡す。その内容をフリップにして画面に示す。

 「この薬は1日1回です。

 また良くならない場合は別の薬もあるので相談してくださいとのことです。

 昼食は何を注文しましょう。

 1.サンドイッチ
 2.おにぎり
 3.カレー
 4.定食
 5.カツ丼

 評論家の三宅久之が記者が詰めている2階席から性能のいい望遠レンズ付きのカメラで撮るから、小さな字でもバッチリと撮ってしまうと解説した。

 渡辺副大臣「風邪をお引きになってから、委員会と医務室を行ったり来たりしていたから、体調のことでご相談になったんだと思います」

 テレビに出演している間もフォローを続けなければならない。

 安倍晋三「最初から渡辺さんが大臣になれば良かったんんですよ。渡辺さんとか長島(昭久)さんとかね。東(祥三)さんとか。立派な人たちは一杯いるんですよ。何で田中さんなんかなって思うんですよ。

 あのー、防衛庁を防衛省に昇格させたんです。安倍内閣のときにね。まさに田中さんみたいな人が大臣にならないように(出演者が一斉に笑い声を立てる)、えー、防衛庁を防衛省に昇格させたんですね。

 防衛大臣というのはですね、例えば、えー、自衛官は任命宣誓するんですね。『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託に応える』と宣誓する。つまり、『命の危険を顧みずに国を守る』

 いわば公務員として唯一、私は職務に命を賭けます、ということを誓うんですよ。その指示を出すのがね、防衛大臣ですよね。つまり、その人がシロウトだったらですね、これは死んでも死にきれないし、士気が低下しますよね」

 国防の直接的な動機・目的が士気を左右するのであって、防衛大臣の資質が与える士気を上回るはずだし、上回らなければならない。戦場での直接の指揮官がシロウトでは困るが、文民上の指揮官がシロウトだから戦う気が出ないからと銃を放棄することが許されるわけではない。

 防衛大臣のために戦うのではなく、国民の生命・財産を守ることを目的に戦うからだ。

 またこういったこと以前に与野党共々政治が国民の負託に応えていないのに自衛官の「国民の負託に応える」云々を言っても始まらないはずだ。

 安倍晋三は相変わらず認識能力を欠いたトンチンカンなことを言っている。

 阿川佐和子司会「田中さんとはね、自民党でご一緒の時代がおありで、あの頃からあんな感じの方だったんですか」

 安倍晋三「例えばですね、あの、自民党に防衛部会とか国分部会ありますよ。私、田中さん、1回も見たことがないです。1回も見たことありませんよ。

 ですから、奥さんに対して防衛能力を・・・(笑い声で聞き取れない)

 ないというのは政策的に最初から分かってるんだから、さっき言った人たちがね、ベストいるんだから――」

 笑い声で聞き取れなかった箇所は、田中真紀子夫人の手厳しい小言に対しては隠忍自重の防衛能力の知識を磨いているが、日本の防衛能力に対する知識は全然ないとかの世間に流布している笑い話を披露したのかもしれない。

 安倍内閣のときに田中さんみたいな人が大臣にならないように防衛庁を防衛省に昇格させたと言っている。だが、防衛大臣人事だけの問題ではあるまい。

 大体が派閥人事、参院枠人事、女性枠人事、順送り人事、論功行賞人事、年功序列人事等々、各利害に基づいて政治能力とは無関係に多岐に亘る人事を決めてきたのが自民党という組織であり、そのような人事を自民党の伝統として、文化として、歴史として戦後延々と引き継いできた前科を省みた場合、民主党の大臣人事を嘲笑の対象とする資格はあるまい。

 自民党の場合、大臣人事だけではない。肝心の総理大臣人事にしても、森喜朗第85代内閣総理大臣は自民党の5人組によって密室で決められているし、15代遡る鈴木善幸第70代 内閣総理大臣の場合は総理としての資質そのものが問われた。

 安倍晋三の言葉を借りるなら、「自民党は鈴木善幸さんみたいな人が総理大臣にならないようにはなっていなかった」ということになる。

 オランダ出身のジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏がその著書『日本/権力構造の謎』(上)で鈴木善行首相について、既に多くが引用していて周知の事実となっていることだが、次のように書いていることを改めて取り上げてみる。

 (p260)〈自民党内の争い、官僚と族議員 

 ・・・・・

 指導者不在の好例

 鈴木善幸は、戦後の日本の中でも前例がないほど、決定回避という日本的な技量に磨きのかかった人物だった。田中が首相だった当時、鈴木は透明人間に近い目につかない存在だったのだが、自民党の幹部間の秩序を保つのに一役果たしたので、田中は彼を首相に選んだ。党内の秩序を保つには派閥間および派閥内部の力関係の変化をきわめて敏感にとらえ、間に入って巧妙にとりなす技量が必要となる。日本の評論家が一致して見るとおり、鈴木はこの技量にたしかに長けていたのだが、それに反比例して、彼には物事を決定するという人間的な衝動に欠けていた。彼の徹底した政治的な受身の姿勢も、記録破りだった。〉――

 (p261)〈鈴木首相につけられたあだ名の一つに「テープレコーダー」というのがある。どうしても出席しなければならない会合があると、それに先立ち、用意した答を間違いなく言えるよう、官僚の指導のもとに丸暗記したからだ。そのうちに、訪日する外国の高官や報道関係者に鈴木をできるだけ合わせないように官僚は工夫をこらすようになった。鈴木の欧州訪問に際しては、誤解を減らすことが目的であると発表した以上、欧州の特派員との記者会見に出席せざるをえなかった。その記者会見の三週間以前に、筆者のもとに外務省から電話が入り、鈴木首相に質問したいか、その場合何を聞きたいかとたずねられた。しばらく後、「混乱を避けるため」あるジャーナリストの質問に首相が答えたすぐ後に著者が質問するよう指示された。ところが、その後さらに、記者会見までに二度、質問者として選ばれた七人の特派員の質問順変更の通知が来た。記者会見当日、鈴木はゆったりと腰掛け、なかば目を閉じたまま丸暗記した答を暗唱したのだが、中に意地悪く質問を変えた特派員には、とんちんかんな答が返ってきた。

 “記者会見”のやま場は、最後の場面だった。ドイツ人の記者がごくていねいな言葉づかいで、首相にこうたずねると場内に静かな賛同のどよめきが起こった。

 今日の記者会見は自然な質疑応答らしく見せかけてはいるが、その実、事前にお膳立てされたものである、集まった約五〇人のヨーロッパの新聞・テレビ記者は、各々質問できると思って来た、このことを首相はご存じであろうか。訪欧の目的は相互理解を深めるためなのに残念だと思わないか。

 質問の通訳は完璧だったが、首相はその記者が外務省に前もって提出させられたもとの質問に答えたのだった。〉・・・・・

 日本の政治の質を世界に向かって曝した。

 鈴木善幸当時と時間が経過し、時代も進んだ。このことに併行して政治の質も向上したはずだ。

 だが、代々の首相はもとより、多くの閣僚が官僚答弁に頼らずに役目のすべてをこなすことはできない実態にさほどの変化はない。田中防衛相を擁護するつもりは毛頭ないが、中には官僚におんぶされて卒なくこなしているといった閣僚も散見する。

 国会質疑で質問者が前以て提出する質問通告を断ちがたく存続させていることと、質問通告だけでは足りずに答弁に立つ間際に背後の秘書官から答弁を書き連ねたメモを受け取る閣僚の少なくない存在がこのことを証明している。

 安倍晋三は自民党の長い時代に亘って築いてきた各人事に関わる伝統・文化・歴史を振り返ったなら、田中防衛相を嘲笑の餌食とする資格はないはずだが、自らを省みることができずにケロッとして批判した。

 菅仮免と同様、自己検証の認識能力を欠いているからこそ可能としている嘲笑である。

 こういった嘲笑はもし自民党が政権党に返り咲いたなら、ブーメランとなって安倍晋三や自民党そのものに降りかかってくるに違いない。

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菅直人の発言に見る自己省察精神に則った検証意識欠如

2012-02-20 09:46:28 | Weblog

 菅前首相にあっては相変わらず自分の原発事故対応は間違っていなかったとする自己正当化の文脈での発言が続いている。

 正当化できない事柄を自己正当化することによって責任回避を図ることができる。

 実際の災害発生事態に即応してリアルタイムで危機管理対応していくことと未発生だが、可能性として想定し得る危険事態に備えて最善とし得る危機管理を構築することと同じ危機管理であっても、似て非なるものである。

 前者は既に起きていることに対する危機管理であり、後者は未だ起きていないことに対する危機管理である。

 このことは誰でも承知していることであろう。

 一例を上げると、東日本大震災の津波による福島原発事故発災以降の政府と東電の事故対応・危機管理は実際の発生事態に即応したリアルタイムの危機管理対応に当たるが、菅前首相が首相として福島原発事故対応に当っていた当時、今後30年間87%の東海地震発生確率論に立って中電の浜岡原発停止要請を行い、中電は首相の言葉は重いとして要請に従い、全原子炉を停止したが、これはあくまでも可能性として想定した危険事態に対する後者の危機管理に当たる。

 だが、菅前総理は両者を混同させて自身の首相としての福島原発事故対応を相変わらず正当化しようとしている。

 その執拗さは実際には事故対応を満足に機能させることができなかった裏返し意識てあるものだろう。

 一国のリーダーを務め、福島原発事故という危機管理に対応した人間の認識能力とは思えない。

 《【放射能漏れ】菅前首相「事故の拡大原因は、ほとんど震災前にあった」》MSN産経/2012.2.18 20:47)

 2月18日(2012年)の栃木県佐野市内の会合。

 菅前首相「事故が大きくなったほとんどの原因は、東日本大震災が発生した昨年3月11日の前にあった。

 (全電源喪失の想定をしていなかった経緯に触れて)担当部局は『反対運動が起きるから考えないでおこう』と準備しなかった。

 4号機の使用済み核燃料がメルトダウンを起こせば、栃木も東京も避難しなければならなかった
 
 確かに全電源喪失を想定していなかった1990年原子力安全委員会決定の「発電用軽水型原子炉施設に関する安全設計審査指針」に欠陥があったことは国の責任に関わる重大事項だが、3月11日事故発生以降の国の原発事故に対する危機管理対応も、果たして十分に機能していたかどうかが問題となっているのであり、3月11日以前と以降を分けて検証しなければならないにも関わらず、事故拡大の殆どの原因は昨年3月11日以前のこととして、3月11日以降の危機管理を問題外としている。

 ここにあるのは自己正当化のために責任回避を策す狡猾さ以外の何ものでもないだろう。

 「4号機の使用済み核燃料がメルトダウンを起こせば、栃木も東京も避難しなければならなかった」と言っていることも自己正当化のための責任回避の文脈で語られている。

 この発言はブログに既に書いているが、菅前首相が近藤原子力委員会委員長に指示、作成させた、いわゆる「原発事故最悪シナリオ」の内容に基づいた発言で、あくまでも今後の可能性として想定し得る最悪の危険事態として取り上げた「4号機の使用済み核燃料」のメルトダウンであって、「栃木も東京も避難」にしても4号機使用済み核燃料メルトダウンと同列にある想定上の可能性に過ぎない。

 その可能性たるや、これも既にブログに書いているが、2月7日(2012年)の参院予算委で細野原発事故担当相が住民避難に関して、「最悪のことを想定しても当面の20キロというところに関しては妥当だという、そういう結果を出したことに関しては、若干ホッとしました」と答弁していることからも分かるように政府の避難指示に関しては様々に問題点があったとしても、「当面の20キロ」という範囲指定に関しては妥当としているのである。

 いわば「原発事故最悪シナリオ」を以てしても「当面の20キロ」という避難指示は妥当だとしていた。

 それをさも4号機使用済み核燃料メルトダウンが確率の高い危険事態であったかのように言い、避難範囲に「栃木も東京も」加えて、実際の推移と対比させたケタ違いの危険性を描こうとしている。

 その意図たるや、可能性として想定し得るケタ違いの危険事態を持ち出して、逆に可能想定事態と比較にならない実際の推移で済んだことを以って自身の危機管理に正当性を与えようする情報コントロールにあるはずだ。

 このことは実際の発生事態に即応してリアルタイムで行う危機管理対応と今後可能性として想定し得る危険事態に最善の方法で備える危機管理とを混同させることによって可能となる。

 両者を厳密に別々のものとして扱っていたなら、細野が国会答弁で「原発事故最悪シナリオ」を以てしても妥当だとした「当面の20キロ」を超えて、そのシナリオを無視して「栃木も東京も」と勝手に避難範囲を想定することは許されなかったはずだ。

 いわば「栃木も東京も」は備えとして想定していても、「4号機の使用済み核燃料がメルトダウンを起こせば」といった想定上の仮定を持ち出して、「栃木も東京も」が現実にあり得たかのように言うのは誤魔化しに過ぎないということである。

 もし菅前首相に自身の原発事故対応と震災対応は正しかったのだろうかと自らに問う自己省察精神に則った検証意識があったなら、可能性としての危険事態と現実に起きている危機事態を混同させて責任回避からの自己正当化を図るようなことはしなかったに違いない。

 自己省察精神に則った検証意識の欠如は次の発言にも見ることができる。《橋下市長との連携模索は「人気頼り」菅前首相が疑問視》MSN産経/2012.2.18 21:51)

 上記記事と同じ2月18日(2012年)の栃木県佐野市内の会合での発言。橋下徹大阪市長らとの連携を模索する既成政党に疑問を呈したものだという。

 菅前首相「(政界は)人気のある人にぶら下がろうとする動きが激しい。人気頼りで、新しい原子力行政や社会保障と税の問題などに取り組めるのか」

 だがである。2009年総選挙大勝の「人気頼り」でマニフェストに掲げた子ども手当だ、高速道路無料化だとか新しい政策に取り組んだものの、財源問題でつまずき、2010年参院選では管の愚かさから頼みの「人気」を失い、大敗して数を失ってねじれ現象を招き、政治そのものを停滞させてしまっている。

 自分たちも演じてきた「人気頼り」であり、その「人気」を政策に取り組む力とすることができないままに無力化してしまった。

 人のことは言えないはずだが、言えないはずの人のことを言う。自己省察精神に則った検証意識がないからこそであり、そもそもの認識能力にどこか狂いがあるからだろう。

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