名古屋入管ウィシュマ・サンダマリさん死亡はおとなしくさせるために薬の過剰投与で眠らせていたことからの手遅れか(2)

2021-09-27 09:21:40 | 事件
 では、看守勤務者たちが彼女にどう接していたのか、事実を偽る女性として色眼鏡をかけ、懲らしめの感情で接するようなことはなかったのかを見るために日を追って、「5本件の検討に先立つ事実関係の整理」(36ページ)の中の「1 医療的対応等の経過」(36ページ)、さらにその中の「(1) 1月中旬以降,3月3日までの医療的対応等の経過」(36ページ)の主なところを纏めてみる。

 「1月中旬以降」は2021年「1月18日(月)」が初日となっている。彼女は食欲不振、吐き気、食後の胃痛,便秘、下肢のしびれ等を訴えていた。令和2年(2020年)12月16日に「支援者から病気になれば仮釈放してもらえる旨言われたことがあり,その頃から心身の不調を訴えている」との物言いで「詐病・仮病」の類いだと疑われ始めてからほぼ30日を超えている。この間に「詐病・仮病」の類いが嘘偽りのない心身の不調に変化していなかっただろうか。だが、名古屋入管がウィシュマ・サンダマリさんの心身の不調を「詐病・仮病」の類いだと見ていることが「調査報告書」に現れたのは死の2日前の2021年3月4日の精神科の受診日だから、少なくとも彼女の死亡の日まで「詐病・仮病」の類いだと延々と疑い続けていたことになる。

 彼女の食欲不振、吐き気等々の訴えに対して庁内診療室の甲医師(内科・呼吸器内科・アレルギー科)によって1月21日にX線検査,血液検査,心電図検査及び尿検査を受けることになった。2020年1月25日に血液検査のための採血が実施された。(検査結果は別紙8のとおり。)と書いてあるが、「省略」処分となっている。

 1月26日に胸部X線撮影と尿検査が実施された (検査結果は別紙9のとおり。)。

 〈甲医師は,X線検査結果に問題はないこと, 食事や水分を摂取すること,尿の混濁等があったため再度尿検査をすることなどを伝えた。〉

 甲医師の診察は何の異常もなしだった。入管は看守勤務者共々、彼女の心身の不調を「詐病・仮病」の類いだと益々疑いを濃くしたに違いない。

 だが、〈A氏は,この日の夜,流し台に嘔吐しており,嘔吐物には血が混じっていた。〉

 嘔吐は演出できるが、嘔吐物に血を混入させることはできるだろうか。

 2021年1月18日から死亡の2021年3月6日に向かってウィシュマ・サンダマリさんは体調を益々悪化させていった。

 1月28日(木)、A氏が胸の痛みを訴えたため,看守勤務者がA氏のバイタルチェックをしたが各数値に異常はなく,救急常備薬の救心(動悸,息切れ等効能を有する生薬製剤)をA氏に服用させた。〉

 バイタルチェックとはネットで調べてみると、人間の健康状態を客観的に数値化し観察する為に行うもので、体温、脈拍、血圧、呼吸、これらを総称してバイタルサイン(生命のサイン=生命の兆候)と言い、機器等を使って計測することを一般的にバイタルチェックと呼ぶと出ている。

 要するに体温、脈拍、血圧、呼吸を計ることは「生命のサイン=生命の兆候」を確認することを意味することになる。勿論、「兆候」には様々な段階があることになるが、段階に応じた生きている証と言うこともできる。

 医師の診断とは別に入管の方は1月28日の出来事も「詐病・仮病」の類いを疑う材料になったはずである。

 2月18日 (木)

 A氏は,庁内診療室において,甲医師の診療を受けた。甲医師は,消化器内科(2月5日)や整形外科(2月16日)での診療結果等を踏まえても,A氏について,器質的疾患がはっきりとしないため,ストレスから自律神経のバランスが崩れ,食欲不振,吐き気又はしびれの症状が出た可能性を疑い,外部医療機関(精神科)での受診を指示した。

 「器質的疾患」をネットで調べてみると、「臓器そのものに炎症や癌などがあり、その結果として様々な症状が出現する病気や病態のこと」と出ていた。甲医師は器質的疾患は見当たらないから、ストレスが主原因の食欲不振や吐き気や痺れではないかと見立てた。

 では、ストレスを引き起こしている原因は何なのか。体調不良、人間関係、将来的不安等々が考えられるが、看守勤務者の方は「詐病・仮病」の類いだと疑っていたから、このような取り扱いがウィシュマ・サンダマリさんのストレスの一つとなっていたと考えられないこともない。あるいは令和3年(2021年)1月4日に日本人支援者を身元保証人として仮放免許可申請を行っている。だが、2月16日に彼女に不許可処分が通知された。この思うようにいかないことが少なくないストレスになっていたと考えることもできるが、6日後の2月22日に2回目の仮釈放申請を行っている。許可されるだろうか、許可されないだろうか、あれこれ考えて悩んだり、今度も許可されないかも知れないとマイナス思考に陥るのもストレスを溜めることになるが、今度は許可されるかもしれないと希望も抱くはずで、希望がストレスをある程度和らげてくれることも考えることができる。

 但し彼女の2021年3月6日の死亡によって2回目の仮放免許可申請に対する判断はなされることはなかった。

 1月28日以降の彼女の体調の変化を「医療的対応等の経過」の中の「(1) 1月中旬以降,3月3日までの医療的対応等の経過」(36ページ)から見ていくことにする。

 ○2021年2月3日(水)

A氏の摂食状況,健康状態の推移を踏まえ,A氏に対し,OS-1(経口補水液)の供与が開始された。

A氏は,繰り返し嘔吐をしていたほか,看守勤務者に対し,胃や腹部の痛み,体の痛み及び発熱を訴えるなどした。

A氏は,同日午後の支援者との面会の際などには,看守勤務者に自力で歩行できない旨訴え,車椅子で移動した。なお,A氏は,この頃から自力では歩けないなどと訴えるようになり,移動の際に,車椅子を利用したり,看守勤務者の介助を受けるようになった。

 〈同日午後の支援者との面会の際などには,看守勤務者に自力で歩行できない旨訴え,車椅子で移動した。〉の文言からは彼女が仮釈放を手に入れるために支援者の指示で歩けるのに車椅子を使ったり、看守勤務者の介助を必要とする振りを装った「詐病・仮病」の類いだと看守勤務者たちが疑っていた節を窺うことができる。

 ここで「詐病」と見られているケースについてネット記事を参考に検討してみる。「病気なのに『仮病』と疑われてしまう ‐ 医師が語る診断の難しいケースとは」(マイナビニュース/2019/06/24 14:19)

 書籍『仮病の見抜き方』の著者医療法人社団永生会南多摩病院の國松淳和医師のセミナーからの抜粋記事である。

 「病気なのに仮病と言われ続けた人」は、〈実際に病気に起因する症状があったが、病気を特定できなかったために仮病と言われてしまった人〉であり、「身体の症状はあるが、身体の病気ではない人」は、〈症状を意図的に作って詐病しようとしている人と、症状を無意識に作り出してしまっている人に分けられる。後者の場合は、治療に精神科の協力が必要になるが、症状は身体に現れているので内科で診ることになるという。〉と出ている。

 「身体の症状はあるが」と言っていることを「身体の症状を訴えている」ケースと言い換えた方が理解しやすい。「身体の症状を訴えているが、身体の病気ではない人」は実際の詐病の場合と、「症状を無意識に作り出してしまっている」場合があり、後者の場合は無意識に作り出した症状が身体に現れることになるから、治療の必要が生じるとの説明である。

 無意識に作り出した症状が身体に現れる症状を「身体化」ということをネットから探し出した。「身体症状症」(MSDマニュアル家庭版/最終査読/改訂年月 2018年7月)に「身体化」とは「心理的な要因が身体的な症状として表出される現象」のことと出ている。さらに〈身体症状症は、かつて用いられていたいくつかの診断名(身体化障害、心気症、疼痛障害、鑑別不能型身体表現性障害、その他の関連症群など)に置き換わるものですと説明している。要するに「身体症状症」とは「心理的な要因が身体的な症状として現れた病」ということになる。

 次のネットページ、「(13)身体化障害」
(一般社団法人 小児心身医学会)が「身体化障害」を簡単明瞭に説明している。

 「身体化障害とは、器質的な病変の存在が証明されないにもかかわらず、多彩な身体症状を長期にわたり訴える疾患です。」

 当然のことだが、最初に取り上げた記事の、「無意識に作り出した症状が身体に現れて、その症状を訴えることになるが、身体の病気ではない場合のこと」の言い換えとなる。まさにウィシュマ・サンダマリさんの様々な症状の訴えは以上の説明に当てはめることもできる。詐病かも知れないし、体のどこも悪いところはないが、ストレスから様々な症状を訴えることになっていたかもしれない。彼女を診察した外部病院の精神科医師が傷病名を「身体化障害あるいは詐病の疑い」としたのは診断がどちらともつきかねなかったということなのだろう。

 だが、身体化障害と詐病とは大きな違いがあり、周囲の人間の見る目・扱う態度にも大きな違いが生じることになるのだから、医師は他の医師の力も借りて、身体化障害なのか、詐病なのか、はっきりと区別すべきではなかっただろうか。ウィシュマ・サンダマリさんの日を追うにつれての症状の訴えには詐病とはとても思えないものがあるからである。

 ○2月16日(火)

A氏は,庁内診療室の非常勤の医師(整形外科)の乙医師による診療を受け,頭,首など,全身のしびれを訴え,食事が食べられず吐いてしまうこと, 眠れないことを話した。

乙医師は,A氏の手足について動作確認等を行ったが,両手両足ともに動かせる状態であるため,A氏の訴える全身のしびれ等は整形外科的な疾患によるものではないと判断し,A氏に精神科の受診を勧めた。

 整形外科の乙医師はストレス性の症状だと見たから、精神科の受診を勧めたのだろう。

 ○2月19日(金)

名古屋局の担当職員が,丁病院(総合病院)精神科にA氏の受診を申し込んだところ,3月4日であれば診療可能であるとの回答があり,同日の受診が決定した(82逃走防止等の観点から,受診の直前まで被収容者本人には外部医療機関の受診を告知しないこととしており,A氏本人に対しては受診直前に告知する予定であった。)。 

なお,甲医師の指示によりA氏の精神科受診が決定したことは,名古屋局幹部や処遇部門職員にも共有された。

 医師からストレス性の体調不良を診断されたのである。いくらルールで告知不可となっていたとしても、被収容者は外出できるだけでも気分転換となって、ストレス解消になるし、楽しみにして待つということもストレス解消に役立つのだから、病院及び受診日を特定せずに「3月に入れば、予約できた病院で診て貰うことができるから」ぐらいは伝えることができなかったのだろうか。彼女に対する親切心があれば、できたはずだが、精神科受診決定を名古屋局幹部や処遇部門職員が情報共有していながら、
ルールを優先させたのは入管ぐるみで彼女に対する親切心がなかったからで、なかった理由は「詐病・仮病」の類いと疑っていたからと見ることができる。にも関わらず、本人が体調不良を申し出た場合は受診させなければならなかった。受診させなければ、支援者に何を言うか分からないし、支援者が直接入管上層部に伝えた場合、上層部にしても「詐病・仮病」の類いと疑っていたとしても、支援者が外部に喋りでもした場合、入管の責任として降り掛かってくる恐れがあることから、担当職員に「なぜ適当に病院に連れて行かなかったんだ」と叱責しなければならないことになりかねないから、診断させることになったといったところか。

 ○2月22日(月)

A氏は,看護師に対し,食べたい気持ちはあるが食べられない旨を述べ,栄養剤の服用を希望したことから,栄養剤処方のため,急遽,甲医師の診療が行われた。甲医師は,A氏の訴える症状等を踏まえ,栄養の摂取を補うために栄養剤を処方することとし,イノラス配合経腸用液(経腸栄養剤)を処方し,たくさん飲みすぎないようにとの注意をした。なお,A氏は,この頃から,ベッド上で仰向けの状態から上体を起こして座位の姿勢をとる際に看守勤務者らの介助を求めることが多くなった。

 〈A氏は,この頃から,ベッド上で仰向けの状態から上体を起こして座位の姿勢をとる際に看守勤務者らの介助を求めることが多くなった。〉。入所当時の健康状態と比較して33歳の若さに反して相当に体力が衰えていると考えなければならないが、仮釈放欲しさの「詐病・仮病」の類いと疑っていて、彼女の体力の衰えを衰えと見ていなかった可能性を窺うことができる。当然、身体化障害(身体症状症)と見ることもなかった。身体化障害の疑いが出てきたのは3月4日、死の2日前の名古屋市内の丁病院の精神科を受診した際が初めてである。そして身体化障害のその症状は既にかなり進行した状態にあった。

 ○2月23日(火・祝日)

A氏は, 体調不良を訴えて嘔吐するなどし,看守勤務者に対し,「私死ぬ。」「病院持って行って。お願い。」 「私,病院点滴お願い。」「救急車呼んで。」 などと言い,外部医療機関で診療を受け,点滴をしてもらいたい旨を訴えた。これに対し,看守勤務者は,上司に話をしている,上司が了解すれば病院に行く,今すぐに病院に行くのは難しい,病院に行くことが決まったらすぐに知らせるなどと答えてA氏をなだめた(83-看守勤務者は,調査チームの聴取に対し,今すぐに病院に行くのは難しいなどと応答した理由について,A氏は救急車による緊急搬送が必要な状態とは思われず,外部医療機関の受診は,緊急搬送でない限り,庁内医師の診療・指示に従っていたこと,さらに3月4日に丁病院精神科の受診についても,逃走防止等の観点から,受診の直前まで被収容者本人には告知しないこととしていたためである旨述べている。)。

A氏は,看守勤務者がトイレへの移動を介助しようとしたのに対し,「私,何もしたくない。」などと言い移動に応じず,おむつを着用して就寝した。

なお,A氏は,この頃から,飲食の際に,看守勤務者や他の被収容者にスプーンで食べ物を口に運んでもらうなど,食事の際の介助を受けることが多くなった。

 先ず、〈外部医療機関の受診は,緊急搬送でない限り,庁内医師の診療・指示に従っていた〉が事実だとしても、〈A氏は救急車による緊急搬送が必要な状態とは思われず〉としていたことは、看守勤務者が緊急搬送は必要ないと判断して、「庁内医師の診療・指示」を仰がなかったことになる。要するに仰ぐ仰がないも看守勤務者の判断一つでということで、「詐病・仮病」の類いと疑っていたことの影響を受けることになる。

 尤も「イ 評価と要改善点」(68ページ)に、〈週2回・各2時間勤務の非常勤内科等医師しか確保・配置〉していないことが出ているから、緊急搬送以外の緊急性を要する治療が発生した場合は急患としての扱いを各外部病院に電話で当たっていたはずで、これも「詐病・仮病」の類いと疑っていたことの影響を受けかねない。「詐病・仮病」に対する懲らしめの感情を芽生えさせて彼女の診察の要望を言葉巧みに断っていなかった保証はない。

 それを〈外部医療機関の受診は,緊急搬送でない限り,庁内医師の診療・指示に従っていた〉のみとするのは「死人に口なし」で、検証のしようがないからだろう。緊急搬送以外の緊急性を要する治療が発生したこともない、急患としての扱いを各外部病院に電話で当たったこともないと主張するなら、主張してほしい。記録を消去していない限り、外部病院への緊急治療通院の記録は残っているはずだからだ。

 トイレへの移動も、食事も、介助を受けるまでになっていた。これも仮釈放を認めさせるための演技、病気のフリと疑っていたはずだ。だが、介助しなければ、支援者に何を訴えられるか知れたものではない。支援者から外部に漏れる危険性は阻止しなければならない。で、仕方なく「詐病・仮病」の類いに付き合っていた。

 ○2月24日(水)

A氏は,看守勤務者に対し,病院に連れて行ってほしい,採尿及び点滴をしてほしい,なぜ自分だけ病院に行けないのかなどと訴えたが,看守勤務者は,病院に行きたいと希望していることは把握している,医師に話しておく,病院に行くことが決まったら知らせるなどと答えた。

看護師は,A氏の意欲の向上,食欲や体力の回復を図るため,同日から,各平日に,1回当たり30分程度のリハビリテーション(深呼吸・腹式呼吸,左右上肢運動,背中・下肢のマッサージ,各関節の屈曲・伸展等)を行い,その際にA氏の体調確認を行うこととした。

(リハビリテーションの計画は別紙6(46頁)のとおり。)。A氏がベッドに寝たままの状態で看護師によるリハビリテーションが行われたが,A氏は,両側膝関節や足関節は屈曲 ・伸展に痛みを訴え,また,両手は開閉がスムーズにできず,他力で指を伸ばすと痛みを訴えるなどした。看護師は,A氏は機能障害でないから,おむつの使用は控えるよう看守勤務者に指示した。

 外部病院の受診が決まっていながら、それを隠して彼女のストレスを高めておいて、一方で1回当たり30分程度のリハビリテーションを行なうことの矛盾したことを看護師は行なっていた。

 リハビリテーションで彼女の〈両側膝関節や足関節は屈曲 ・伸展に痛みを訴え,また,両手は開閉がスムーズにできず,他力で指を伸ばすと痛みを訴えるなどした。〉ことは明らかに体を動かしている様々な器官のうちの何らかの機能を痛めていることによって起きている「機能障害」であるが、看護師は「機能障害でない」としている。「詐病・仮病」の類いと疑っているから、「機能障害でない」と言えたはずだ。「詐病・仮病」の類いだと言いたかった言葉を飲み込んだか。当然、看護師のリハビリテーションは彼女の症状の訴えに対してしなければならない義務感からの機械的な対応だった疑いが出てくる。

 ○2月25日(木)

A氏がベッドに寝たままの状態で看護師によるリハビリテーションが行われた。A氏は,両側膝関節や足関節は屈曲・伸展に痛みを訴え,また,両手は開閉がスムーズにできず,他力で指を伸(83―看守勤務者は,調査チームの聴取に対し,今すぐに病院に行くのは難しいなどと応答した理由について,A氏は救急車による緊急搬 送が必要な状態とは思われず,外部医療機関の受診は,緊急搬送でない限り,庁内医師の診療・指示に従っていたこと,さらに,3月4日に丁病院精神科の受診についても,逃走防止等の観点か ら,受診の直前まで被収容者本人には告知しないこととしていたためである旨述べている 。)ばすと痛みを訴えるなどした。

A氏が官給食をパンに変更してほしい旨の申出をしたが,看護師は,パンは誤嚥の可能性があり,これまでどおりかゆ食が妥当である旨をA氏に説明した。

A氏は,看守勤務者に対し,病院に連れて行ってほしい,なぜ病院に連れて行かないのかなどと訴えたが,看守勤務者は,受診する病院を探しており,まだ行く予定が決まっていないなどと答えた。

 ここでも2月23日と同じように〈外部医療機関の受診は,緊急搬送でない限り,庁内医師の診療・指示に従っていた〉ことと逃走防止の観点を挙げて、診察日を知らせ
ないでいる。看護師でありながら、このことがウィシュマ・サンダマリさんにストレスを与えてはいないだろうかと考える機転が起きないのは「詐病・仮病」の類いと疑っていたからだろう。ストレス負荷防止への配慮があったなら、「3月に入れば、診て貰えることになっているが、向こうの都合で日がはっきりしない。はっきりし次第、教えてあげるから」と安心させる言葉を伝えることができるのだが、何しろ「詐病・仮病」の類いと疑っいるから、彼女の安心を配慮する言葉は出てこない。

 看護師の発言。「パンは誤嚥の可能性がある」。だが、誤嚥防止策としてパン粥にしたり牛乳やミルクティーにつけて食べることがネットで紹介されている。看護師が知らないはずはない。相手の要望に簡単に応えることができることを応えないのは相手に逆にストレス与える要因となる。だが、誤嚥防止の方法を採らずに願いを断った。「詐病・仮病」に対する懲らしめの感情が選択させた嫌がらせということか。

 ○2月26日(金)

午前5時15分頃,A氏は, ベッド上で自ら起き上がろうとした際,バランスを崩してベッドから床に落下した。看守勤務者2名がA氏の居室に入室し,2名でA氏の体を持ち上げてベッド上に移動させようとしたが, 持ち上げることができず,対応可能な看守勤務者が増える午前8時頃に改めて対応しようと考え,Aに対し,朝まで我慢して毛布を掛けて床に寝ていてほしい旨を述べ,A氏は,床に寝ている旨返答した。その後,A氏は,数回にわたりインターフォンを介するなどして看守勤務者に寒いなどと申し立てたが,看守勤務者は,入室はできない,もうしばらく待ってほしい旨返答した。午前8時前頃,看守勤務者3名がA氏の居室に入室し,看守勤務者1名がA氏の上半身を,看守勤務者2名がA氏の足をそれぞれ持ち上げて,A氏を床からベッ ドに移動させた。

看護師によるリハビリテーションが行われ,A氏は,看護師によって手足等を動かされた際,顔をしかめ,痛みを伴う様子をみせた。A氏は,看護師に対し,2月からあまり眠れない,耳の中から海の音が聞こえる旨を述べた。また,A氏は,看護師との間で,おむつをしないこと,一人でトイレに移動する気持ちを持ち,看守勤務者に協力してもらってトイレに移動すること,イノラス配合経腸用液 (経腸栄養剤)を飲むこと,便秘なので新ビオフェルミンS錠 (整腸剤)を飲んだり,ヨーグルトを食べたりすることを約束した。

 ウィシュマ・サンダマリさんの心身の不調を「詐病・仮病」の類いと疑っていたことを証明する一文となっている。彼女がベッドから落ちたが、持ち上げることができず、ベッド上に移動させることができなかった。彼女の令和3年(2021年)2月23日の体重は65.5キログラムである。看守勤務者2名は特に断りがないから、女性ということになる。女性2人がかりでも、体重65.5キログラムの体を果たして持ち上げることができなかったのだろうか。持ち上げる演技をしただけで、ベッドに戻す気がなかったとしたら、「詐病・仮病」の類いと同じく、フリをしただけとなる。 

 持ち上げることがでなかったを事実としよう。椅子に座ると、人の体重の約85%の重さの負荷がかかると言われている。持ち上げた場合、腰から下の体重が少しかかるとして90%と考えたとしても、65.5キログラムの×90パーセント≒59キロ。床に両足を着けた状態で一人ずつ左右から彼女の脇の下に腕を回して、上体だけを持ち上げれば、59キロ/2=29.5キロを一人30キロとしても、持ち上げることができないとするのは難しい。上体を持ち上げて、ベッドの端に座らせれば(ベッドの高さはマットの高さを入れても、50~60センチのはず)、あとは一人がベッドに上がって背中を後ろに傾けて、それを支え、もう一人が両足をベッドの中央に向けて尻を支点に回転させて踵をベッドの中央に持っていき、次に彼女の後ろに回って、二人で再び両脇を持ち上げて、尻をベッドの中央に持っていけば、寝かせつけることはできる。

 試みたけれども、やはり重たくでできなかったというなら、ベッドを寝かせつける場所とは反対の方向に通路を塞がない程度に少しずらしてマットを使っているなら、マットを、布団だけなら、布団を床に敷いて、両脇を持ち上げるのと同じ要領を用いれば、マットか布団の上に寝かせつけることができて、掛け布団をかければ、彼女に何回も寒い思いをさせずに済んだはずである。

 ちょっと気を回せばできることをしなかった。「詐病・仮病」の類いと疑っていたのは事実であって、少しぐらい寒い思いをさせてやれと懲らしめの態度が働いたと見ることができる。

 また、彼女が「寒い」と申し立てたが、看守勤務者は「入室はできない,もうしばらく待ってほしい」と返答したと言うが、真夜中に入室者が自殺を図った、入室者同士が喧嘩をおっぱじめたといったときも、「入室はできない,もうしばらく待ってほしい」と朝8時近くになるまで待つのだろうか。「調査報告書」の5ページには「看守勤務者の職務は,見張り勤務における被収容者の動静監視」と出ている。24時間勤務でありながら、24時間の動静に応じた対応ができなければ、「監視」の役目を果たすことはできない。

 以上の矛盾を考えると、どうにかすればベッドに戻すことができたはずだが、床に寝間着姿で寝かっせ放しにしておいたことに準じた、「寒い」の申立をも無視した扱いだったを答としなければ、この矛盾を解くことはできない。解けない以上、2月26日のこの一文は尤もらしく取り繕った「死人口なし」の作文と見なければならなくなる。

 ○2月27日(土)

A氏は,ベッド上で上体を起こそうとした際に臀部から床に落ちたため,看守勤務者2名がA氏の居室に入室し,A氏の体を持ち上げてベッド上に移動させた。
  
A氏は,看守勤務者2名に対し,「点滴だけお願い。」などと言ったが,同2名は居室の入口付近でA氏のいた方向とは別方向を向いて作業をしており,これに対する回答はされなかった。
 
なお,A氏は,この頃から,ベッド上で座位の姿勢が維持できないため,看守勤務者がA氏の背後に置いた買い物かごや丸めた毛布などに寄り掛かって姿勢を維持するようになった。

 この看守勤務者2名も断りがないから女性であるはず。この日の看守勤務者2名は彼女を持ち上げてベッド上に移動させることができた。この女性看守勤務者は2月26日と違って、力があったというのだろうか。力があって、持ち上げることができたなら、2月26日の看守勤務者が余程の非力ではなく、普通に力があれば、両脇を抱えた上体から先にベッドに座らせる遣り方でベッド上に移動させることができたはずである。だが、しなかった。放置したと考えると、一番理解し安い。当然、そこには懲らしめの感情が存在しなければならない。

 ○3月1日(月)

A氏が,ベッド上に座位の状態でいたところ,急に上体が傾き,手から床に転落した。看守勤務者2名が居室に駆け付けたところ,A氏は,目まいがして倒れた,顔を打ったなどと説明した。A氏の体を確認したが特に外傷は見当たらなかったため,看守勤務者らは,A氏を持ち上げて,ベッド上に移動させた。

看護師によるリハビリテーションが行われ,A氏は,2月からあまり眠れない,頭の中が電気工事しているみたい,騒がしい,目もぼんやりしているなどの症状を訴えた。また,A氏がイチジク浣腸の使用を希望したことから,これを使用し,A氏はトイレで用便をしたが,排便はごく少量だった。

なお,A氏がカフェオレを飲む際に,上手く嚥下できずに鼻から噴出してしまったのを見て,看守勤務者1名が「鼻から牛乳や。」と言ったことがあった。

 この日も女性看守勤務者2名で彼女の体を持ち上げることができて、ベッドに戻した。ベッドからの転落も、「詐病・仮病」の類いと疑っていたが、昼間のことだから(リハビリテーションが行われている)、放置しておくわけにいかず、ベッドに戻したということか。

 ネットで調べたところ、座位の姿勢を保つことができない病気とは姿勢保持障害(身体のバランスがとりにくくなる)、パーキンソン病、脳血管系の障害等だと出ていた。3度目のベッドからの転落だから、重大な病気を疑っていい場面だが、看守勤務者は看護師に知らせたとも書いてない。「詐病・仮病」の類いと疑っていなければ、看護師に知らせないなどということはできないことだろう。

 「なお,A氏がカフェオレを飲む際に,上手く嚥下できずに鼻から噴出してしまったのを見て,看守勤務者1名が『鼻から牛乳や。』と言ったことがあった。」

 「『鼻から牛乳や。』と言った」看守勤務者も女性である。喉に通したはずの水分が鼻から飛び出た場合、むせたり、喉の奥にツーンとしたかなりの痛みが走って、嫌な感覚が残り、すぐには元の状態に戻らない。言った看守が普通の感性の持ち主なら、ウィシュマ・サンダマリさんの病態を考慮して、先ずはカフェオレを鼻から噴き出した事態そのものを、「大丈夫?」とか、「どうしたの?」とか言って心配するはずだが、心身の不調を「詐病・仮病」の類いと見ているから、「鼻から牛乳や」と笑いのネタにすることができた。この言葉には嘲笑のみで、気遣いの一カケラも窺うことはできないのは当然なのだろう。彼女は病気のフリをしているだけなのだからと看守勤務者たちは見ていて、カフェオレを鼻から吹き出す失敗を「ざまあみろ」とか、「バチが当たった」と内心では痛快に思っていたに違いない。

 「3月4日」は既に触れているが、外部病院精神科の受診。この際、詐病又は身体化障害 と診断されて、〈幻聴,不眠,嘔気に効果のあるクエチアピン錠100ミリグラム (抗精神病薬)及びニトラゼパム錠5ミリグラム (睡眠誘導剤,抗けいれん剤)を処方〉されている。翌日3月5日は死の前日である。

 ○3月5日(金)

A氏は,ぐったりとしてベッドに横たわった状態で,自力で体を動かすことはほとんどなく,看守勤務者らの問い掛けに対しても「あー。」 とか「うー。」などとの声を発するだけの場合も多くなっていた。

このようなA氏の状態について,看守勤務者らは,3月4日に外部病院(精神科)で処方された薬の影響と認識していた。

なお,3月5日に勤務した看守勤務者の一人は,調査チームの聴取に対し,精神科で処方された薬を服用させることについて,「過剰投与になったら怖いので,土日に入ることもあり,当日の箱長 (看守勤務者中の最上位の者)がリハビリに来た看護師に尋ねたところ,看護師からは『こういう薬は継続して飲ませる必要がある。』 との回答だったと聞いた。」 旨を述べている。

同日(3月5日)のA氏に対する主な対応状況は,以下のとおりである。

〔午前7時52分頃~〕

看守勤務者2名がA氏の居室に入室し,バイタルチェックを行ったが,血圧及び脈拍は測定できず,看守勤務者は,血圧等測定表の血圧欄には,「脱力して測定できず。」 と記載した。 A氏の手足を曲げ伸ばして反応を確認すると,A氏は,「ああ。」などと声を上げて反応したが,朝食や飲料の摂取を促しても,A氏は,「ああ。」などと反応するのみで,摂取の意思を示さず,看守勤務者が目の前で手を何度も振るなどしたのに対しても,反応しなかった。

〔午前8時57分頃~〕

看守勤務者が点呼のためにA氏の居室に入室し,A氏の名を呼ぶと,A氏は,「あう,あう。」 どと言って反応を示した。〔午前9時18分頃~〕

看守勤務者らがA氏の居室に入室し,A氏に対し,着替えやトイレに行くことなどを促したが,A氏は,看守勤務者が繰り返し問いかけたのに対しても,「あー。」 「あーあー。」などと声を発するのみで,意思表示がはっきりしない状況であった。他方で,A氏をトイレに移動させるため体を動かそうとしたのに対し,A氏は,「やーやー。」などと言って拒んだ。着替えについては,A氏が嫌がる様子を示さなかったため,看守勤務者らがズボン及び下着を着替えさせた。A氏には,衣服の交換に合わせて体を動かすなどの反応はなかった。

なお, 看守勤務者がA氏に何を食べたいかを尋ね,A氏が聴き取り困難な「アロ・・・」 といった声を発したのに対し,看守勤務者1名が「アロンアルファ?」と聞き返すことがあった。〔午前10時41分頃~〕

看守勤務者がA氏の居室に入室し,仰向けの状態のA氏の背中を押して上体を起こし,A氏の背後に布団を積んでA氏を寄りかからせて座位の姿勢にした。A氏は,首に力が入っていない様子で,顔が天井を向き,倒れてしまうことがあった。また,頭部や頸部に力が入っていない様子で,頭部がぐらつくため,看守勤務者が頭部を手で支えるなどした。

A氏は,看守勤務者の介助(スプーンでかゆをすくって,そのスプーンを口元に運ぶ。)を受けて,官給食の朝食のかゆ2口を食べた。また,A氏は,OS-1を看守勤務者に飲ませてもらい摂取した。A氏は,看守勤務者が口に入れたOS-1を,すぐに吐き出すこともあった。この際,A氏が,看守勤務者に,「担当さん。」「座りたい。」などと発言することもあった一方,看守勤務者の問いかけ等に反応しないこともあった。

〔午前11時1分頃~〕

A氏は,看守勤務者に頭を支えてもらった状態で,処方薬(メコバラミン錠(末梢性神経障害治療剤),ナウゼリンOD錠(消化管運動改善剤)及び救急常備薬の新ビオフェルミンS錠 (整腸剤)を看守勤務者に口内に飲み物とともに入れてもらい服用した。この際に,支援者らの面会申出があり,看守勤務者がA氏に対し,面会者が来ている旨を伝えたが,A氏が反応を示さなかったため,面会は実施されなかった。看守勤務者がA氏の背中に触れたときには,A氏が「いたーい,背中いたーい。」などと反応することがあった。

〔午後2時30分頃~午後2時58分頃〕

看護師がA氏の居室に入室し,A氏に対して,リハビリテーションが実施された。 看護師は,リハビリテーションを行いながら,A氏に問いかけるなどしており,A氏は,看護師らに対し,「座りたい。」「担当さーん,お腹すいた。」などと述べることもあったが,その他は問いかけに頷くことが多く,発する声は小さかった。A氏の様子は,体の力が抜けているような状況であり,常時首を動かしていた。看護師が,深呼吸や腹式呼吸をA氏に行わせようとしたが,しっかり行うことができず,手足のストレッチをするために看護師がA氏の手足に触れたり,動かしたりなどすると,A氏は顔をしかめて,「あー。」「あー,足。」などと声を発した。A氏は,マッサージの途中から目が閉じていき,声を掛けられると目を開くような状況であった。

なお,看護師は,看守勤務者から,A氏の血圧を測定できないことがあった旨伝えられたため,手動の測定器を使用して血圧及び脈拍を測定した。その結果は,血圧98ミリメートル・エイチ・ジー/60ミリメートル・エイチ・ジー脈拍112拍/分 (実測)であった。

〔午後3時8分頃~〕

看守勤務者がA氏の居室に入室し,1名がA氏の首の後部に手を回し,もう1名がA氏の背中を押して,A氏の上体を起こした。A氏は,背後の買い物かごと毛布で作られた背もたれに寄り掛かって座位の姿勢となったが,首が安定せず,看守勤務者1名がA氏の頭部を背後から支えた。その状態で,A氏は,看守勤務の介助 (スプーンでかゆをすくって,そのスプーンを口元に運ぶ。)を受けて,官給食の昼食のかゆ10分の1程度を食べ,看守勤務者にOS-1を飲ませてもらった。食事をしている際に,看守勤務者がA氏に声掛けを繰り返したが,A氏が声を出すことはほとんどなく,反応もわずかであった。なお, 食事の途中で,看守勤務者がA氏の頭部を支えるのを止めた後は,A氏が自力で首の安定を保っていた。

〔午後3時29分頃~〕

A氏は,看守勤務者の介助を受け,処方薬 (イノラス配合経腸用液 (経腸栄養剤),メコバラミン錠 (末梢性神経障害治療剤) 及び救急常備薬の新ビオフェルミンS錠(整腸剤))を服用した。A氏は,食事の際と同様の状態で,看守勤務者に薬と飲み物を口内に入れてもらい薬を服用した。看守勤務者からの問いかけに対し,「薬。」などと言葉を発することもあった。〔午後6時5分頃~午後6時20分頃〕

処遇部門は,この頃までに,以後のA氏の健康状態を勘案しつつ仮放免を検討することを決め(詳細は後記第5の3参照),まずは仮放免の可能性に言及しながら体調回復への意欲の増進を図るという方針の下,A氏の居室内で看守勤務者2名 (男性1名 (3月5日の看守責任者) 及び女性1名)がA氏と面接した。

看守責任者は,A氏に対し,「今日は病院行く前とどう。」,「仮放免なったらどこ行くの。」「A氏は,今体がとても悪いでしょ。外で出てS1氏,S2氏, 仮放免行(な)ったらよくなる。」などと問いかけたのに対し,A氏は,「悪くなりそう。」,「S2氏。」,「うん。」などと答えるなどしたが,途中で眠ってしまい,声掛けにも反応しなくなった。しかし,看守勤務者らが退出する前に,A氏から,「担当さん。」などと呼び掛けがあり,看守勤務者は,OS-1を飲みたいかとA氏に確認した後,A氏の上体を起こし,OS-1を入れたコップをA氏の口元に近づけてA氏に飲ませた。

〔午後7時37分頃〕

A氏は,看守勤務者の介助(薬と飲み物を口に入れてもらう。)により,処方薬(メコバラミン錠(末梢性神経障害治療剤),ランソプラゾールOD錠 (消化性潰瘍治療薬),ナウゼリンOD錠(消化管運動改善剤)及び救急常備薬の新ビオフェルミンS錠(整腸剤))を服用した。A氏は,看守勤務者からの問いかけに言葉を発して反応することはなかったが,口を開けるなどの動きはあった。

〔午後7時19分頃~〕 

A氏は,看守勤務者2名の介助(スプーンですくって,そのスプーンを口元に運ぶ。)を受けて,かゆ(スプーン3口程度)及び自費購入のピーナッツバター(スプーン1口程度)をOS-1とともに摂取した。A氏は,看守勤務者から摂取するものを聞かれると,「あー。」「あー。」や「うん。」 などと声を発したり,首を振ったりするなどして意思表示をした。

〔午後9時30分頃~〕

A氏は,看守勤務者の介助(薬と飲み物を口に入れてもらう。)により,処方薬のクエチアピン錠(抗精神病薬)及びニトラゼパム錠 (睡眠誘導剤) 各1錠を服用した。

 先ずウィシュマ・サンダマリさんこと〈A氏は,ぐったりとしてベッドに横たわった状態で,自力で体を動かすことはほとんどなく,看守勤務者らの問い掛けに対しても「あー。」 とか「うー。」などとの声を発するだけの場合も多くなっていた。

このようなA氏の状態について,看守勤務者らは,3月4日に外部病院(精神科)で処方された薬の影響と認識していた。〉

 そしてこのような状態がほぼ1日続いた。彼女は昨夜の薬剤服用によって、いわば意識混濁状態にあった。ところが食事の介助のために上体を起こすのはまだしも(仰向けに寝かせたまま肩と頭を何か宛てがい物をして一定程度高めた状態でも介助はできる)、「午後2時30分頃~午後2時58分頃」にリハビリテーションを実施したことは〈〈A氏は,ぐったりとしてベッドに横たわった状態で,自力で体を動かすことはほとんどなく,看守勤務者らの問い掛けに対しても「あー。」 とか「うー。」などとの声を発するだけの場合も多くなっていた。〉彼女の状態に反して奇怪な行動に映る。そしてリハビリテーションを実施したものの、〈手足のストレッチをするために看護師がA氏の手足に触れたり,動かしたりなどすると,A氏は顔をしかめて,「あー。」「あー,足。」などと声を発した。A氏は,マッサージの途中から目が閉じていき,声を掛けられると目を開くような状況であった。〉

 マッサージならまだ理解できるが、薬剤で意識混濁状態にあるのに手足のストレッチは何のためにしたのだろう。

 3月4日は〈看守勤務者は,同日から,丁病院で処方されたクエチアピン錠(抗精神病薬)及びニトラゼパム錠(睡眠誘導剤)各1錠を就寝前にA氏に服用させた。〉と書いてあるのみで、時間は書いてないが、処方は日1回,就寝前に各1錠服用となっている。3月5日は「午後9時30分頃~」に、〈A氏は,看守勤務者の介助(薬と飲み物を口に入れてもらう。)により,処方薬のクエチアピン錠(抗精神病薬)100ミリグラム及びニトラゼパム錠5ミリグラム(睡眠誘導剤)各1錠を服用した。〉となっているから、3月4日の服用も同じ頃の時間帯と見る。

《名古屋入管ウィシュマ・サンダマリさん死亡はおとなしくさせるために薬の過剰投与で眠らせていたことからの手遅れか(3)》に続く

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登戸通り魔殺人:動機解明は伯父夫婦が川崎市からどのようなアドバイスを受けて、どのような内容の手紙を51歳甥に渡したのかによる

2019-06-10 11:26:25 | 事件
 西暦2019年5月28日朝、川崎市の登戸駅付近の路上で小学校のスクールバスを待っていた児童や保護者ら20名が僅か十数秒の間に包丁で相次いで刺されて、小学校児童1名と付近にたまたま居合わせた男性1名が死亡、犯人は51歳の男で、犯行直後に自殺し、自らを死人に口なしにした。それが歪んだ心理からの犯行であったとしても、相当な決意を秘めた決行だったことを窺うことができる。

 犯人は4本の包丁を用意し、そのうちの刃渡り30センチの2本の柳刃包丁で犯行を決行した。犯行現場に背負ってきたが、犯行直前に近くのコンビニ駐車場に放置したリュックの中には刃渡り約25センチの文化包丁と刃渡り約20センチの刺し身包丁が入っていたという。

 刃渡りが最も長い柳刃包丁を凶器として選んだことと一連の犯行が僅か十数秒の間に決行されたところにも殺意の強さが現れている。

 この事件について西暦2019年6月3に当ブログに《登戸通り魔事件は野田小4虐待死が児相の対応不足が一因と同じく、川崎市の対応不足が一因 包丁購入者に氏名・住所等記入の義務付けを - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》と題してエントリーしたが、言葉不足・読み取り不足があったために改めてブログ記事に取り上げて見ることにした。

 51歳の犯人は幼少期に両親が離婚し、小学校入学前後に父親の兄に当たる伯父に引き取られたという。その部屋にはテレビやゲーム機はあったが、パソコンやスマートフォンはなく、包丁が入っていた空き箱4つの他に1冊のノートと過去の大量殺人に関する事例などを集めた雑誌2冊など、合わせて数十点の関係資料が押収された。ノートには動機につながる記述はなかったという。遺留品から動機を窺わせる痕跡を見つけることができず、その上本人が死人に口なしとなったために動機解明が難航しているという。

 犯人は長い間引きこもり状態だったというが、複雑な生い立ちが引きこもりの一因となったのかもしれない。川崎市精神保健福祉センターの男性担当者は記者会見で「(引きこもりが)長い期間だろうなあということは想像しますが、お話からしてですね、昨日や今日に始まったことではない。多分、10年単位でしょうね、長期って」と、その期間の長さを説明している。

 この発言から窺うことができる事実は叔父夫婦から相談を受けたものの、引きこもりがいつ頃から始まったのか、一度も確認しなかったということである。つまり川崎市精神保健福祉センターは引きこもり相談を業務の一つにしていながら、長期に亘る引きこもりの深刻さにまともに向き合わなかった。「いい大人が、引きこもりとは何だ」と思っていたのかもしれない。

 いずれにしても犯人は長期の引きこもり状態にあった。但し引きこもりにも色々なタイプがある。引きこもりの後ろめたさを抱えていながら、引きこもりから抜け出せないイライラを家族に対して暴力という形で発散させる引きこもりもあれば、自分の部屋に閉じ込もった鬱々を過ごすタイプ等々あるはずだ。犯人のタイプについて川崎市健康福祉局の職員が「暴力をふるったり暴れたりすることはないが、コミュニケーションがまったくない。伯父夫婦と顔を合わせないように台所を使う時間やお風呂に入る時間を分けるルールを作っていた」と説明している。

 要するに暴力を振るうわけでもないし、直接的に迷惑を掛けるわけでもなく、引きこもりという状況に自身を一応は調和させていただけではなく、自身の引きこもりと伯父伯母との生活をそれなりに調和させていたことになる。

 2019年3月内閣府発表の《2018年度生活状況に関する調査》が40~64歳人口の推定引きこもり人数を挙げている。40~64歳の男女5千人に訪問調査。

 「ふだんどのくらい外出しますか」の質問に対する答として――

 「5.趣味の用事のときだけ外出する」が(準ひきこもり)

 「6.近所のコンビニなどには出かける」が(狭義の引きこもり)

 「7.自室からは出るが、家からは出ない」」が(狭義の引きこもり)

 「8.自室からほとんど出ない」が(狭義の引きこもり)

  5+6+7+8が(広義のひきこもり)と定義して、60~64歳が17%、〈総務省 「人口推計」(2018年)によれば、 40~64歳人口は4,235万人なので、 広義のひきこもりの推計数は61.3万人となる。〉と記している。

 驚きの推計数だが、この人数を見ると、引きこもりを相談業務の一つとしている川崎市精神保健福祉センターが「いい大人が、引きこもりと何だ」と思うことはないはずだし、当然、長期に亘る引きこもりの深刻さに対してもまともに向き合わなければならないはずだが、その様子が見えない矛盾はどのような理由からなのだろうか。

 40~64歳人口のうちの広義のひきこもりの推計数61.3万人のうちの一人、51歳の男を引きこもりという内に籠もった世界から通り魔殺人という外の世界に駆り出すことになった。この二つの世界の余りにもかけ離れている距離が男にどのような心境の変化を与えたのか窺うことは難しく、その難しさが動機解明の困難さに繋がっているのかもしれない。もし籠もった世界の内側で完結させた犯罪なら、加害者と被害者の距離の狭さが感情面からの軋轢という答を導き出し易くする可能性が生じる。

 被害者にとっては余りにも不条理過ぎる巻き添えだが、単なる感情面の軋轢といったことでは推し量ることができない屈折した心理が本人の中では臨界点に達した末の犯行に思える。

 叔父夫婦とその親族が本人について川崎市精神保健福祉センターに相談していたことと相談から犯行に至る経緯と本人に関わる伯父伯母の説明、川崎市の説明を列記してみる。

 2017年11月~2019年1月 川崎市精神保健福祉センターは叔父や叔母とその親族から面談と電話による相談を14回受けた。その一つなのだろう、「介
        護サービスを導入したいんだけども、同居している御本人について、介護サービスを導入することで、どのような反応があるのかとい
        うことが心配される」(川崎市の説明)
 2018年6月~ 川崎市は家族の状況を確認した上で訪問介護サービスを開始。
 2019年1月 叔父と叔母は川崎市精神保健福祉センターから手紙の遣り取りでのコミュニケーションを勧められて、本人の部屋の前に手紙を置く。 
        数日後、岩崎はドア越しに叔母に対して「自分のことはちゃんとやっている。食事、洗濯を自分でやってるのに引きこもりとは何だ」と、言い
        返した。

        川崎市精神保健福祉センターは本人と一度も接触を試みなかった。その理由を伯父と叔母から容疑者を余り刺激したくないという意向を示され
        たことと、「人に会いたくないという人に無理に介入することはいいことではない。親族側が言いたがらないことを言わせることも信頼関係の
        構築につながらない」と述べている理由による。
 2019年2月 4本所持していた包丁のうち犯行に使った2本の刃渡り30センチの柳刃包丁2本は東京都町田市内の大型量販店で購入していた可能性が捜査
        によって明らかにされる。
 2019年5月28日 通り魔殺人を凶行。

 犯行後に報道上に現れたこの他の事実は伯父夫婦には犯人と同年代の長男と長女がいて、本人は地元の公立小と公立中学校に通ったが、長男と長女は通り魔の的となったカリタス小に通っていたという。この差別は本人に"自分は他所の子"ということを意識させて、屈折した心理形成の一つの要因になった可能性は捨てきれない。

 動機解明に欠かすことができないことは過去の大量殺人に関する事例などを集めた雑誌2冊をいつ購入したかであるはずだが、警察の捜査が進んでいないのだろう、どのマスコミも購入時期を伝えていない。購入が川崎市精神保健福祉センターが叔父夫婦に本人とのコミュニケーションの方法を手紙の遣り取りで行うよう勧めて、叔父夫婦がそうしたところ、「自分のことはちゃんとやっている。食事、洗濯を自分でやってるのに引きこもりとは何だ」と反発した2019年1月から、1カ月後に刃渡り30センチの2本の柳刃包丁を用意したと見られている2019年2月前後の間であるなら、あるいは2019年1月以降から犯行を決行した2019年5月28日よりもかなり前であるなら、犯行決行前の大量殺人計画の準備の一環と見ることができる。

 万が一、雑誌購入が手紙を出した2019年1月以前であったとしても、一旦は大量殺人計画を思い立ったが、実行に移さずにいたとしたら、眠らせていた計画の目を覚ましたのはやはり手紙以外に考えつくことはできなくなる。何しろ、手紙を出した翌月には凶器に使う柳刃包丁は準備しているのである。

 川崎市精神保健福祉センターは本人と一度も接触を試みなかった理由を、既に上に挙げているように伯父と叔母から容疑者を余り刺激したくないという意向を示されたことと、「人に会いたくないという人に無理に介入することはいいことではない。親族側が言いたがらないことを言わせることも信頼関係の構築につながらない」という川崎市精神保健福祉センター側の論理に基づいた措置であった。

 だが、本人とのコミュニケーションの方法として川崎市精神保健福祉センターに勧められて手紙を本人の部屋の前に置いたところ、数日して本人からドア越しに「自分のことはちゃんとやっている。食事、洗濯を自分でやってるのに引きこもりとは何だ」と言い返され、結果的に本人を刺激してしまった。

 と言うことは、本人の引きこもりに触れたことになる。その結果の「引きこもりとは何だ」という反応であり、(この部分、6月10日午後1時20分加筆) 刺激してしまったということは、それが意図していないことであったとしても、川崎市精神保健福祉センターは「無理に介入することはいいことではない」と言っていることに反しして無理に介入したことと同じになる。

 となると、警察は川崎市精神保健福祉センターが本人と叔父夫婦とのコミュニケーションの方法としてどのような内容の、引きこもりに触れた(この部分、6月10日午後1時20分加筆)手紙を書いて渡すよう、アドバイスしたのか、事情聴取しなければならないし、そのアドバイスを受けて、どのような内容の手紙を書いたのか、叔父夫婦に対しても事情聴取しなければならなくなる。

 簡単に分かることが未だにマスコミ報道に現れず、マスコミは動機解明が困難を極めていると伝えるのみだから、警察は手紙については重要視していないのかも知れない。それとも警察は本人がそれまでは自身と引きこもりを調和させ、さらに自身の引きこもりと叔父夫婦との生活も一応は調和させていた(川崎市健康福祉局「暴力をふるったり暴れたりすることはないが、コミュニケーションがまったくない。伯父夫婦と顔を合わせないように台所を使う時間やお風呂に入る時間を分けるルールを作っていた」)にも関わらず、その殻を破って、通り魔殺人という外の世界に駆り出すことになった起点が本人とのコミュニケーションの方法として川崎市精神保健福祉センターに勧められた手紙を出したこと以外にあると見ているのだろうか。

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心愛さん虐待死は父親を直接的な加害者とし、大人としての責任不履行の母親や児相・市教育委・学校教師による共同殺人そのもの

2019-02-05 13:46:35 | 事件
 

 安倍晋三:2019年1月28日通常国会施政方針演説

 「五年連続で今世紀最高水準の賃上げが行われました」

 「今世紀最高水準賃上げ」結果のアベノミクス成果とは経済界の尻を叩いて賃上げさせ、実感なき景気を実現させたことを言う。
 統計不正で実質賃金下げとなったら、その可能性大だが、見た目は堂々のハリボテ景気そのもの。


 2019年1月24日、千葉県野田市立小4年生10歳の栗原心愛(みあ)さんが自宅浴室で父親に殺害された。傷害容疑で逮捕された父親は「当日の午前10時から生活態度のしつけをした。抵抗されたので、浴室で冷水のシャワーをかけたら様子が急変した」と警察に対して供述したと言う。その後の取調べで継続的な虐待が判明した。

 安倍晋三が2019年1月28日の通常国会施政方針演説で、虐待から「子どもたちの命を守るのは、私たち大人全員の責任です」と宣(のたまわ)った。では、安倍晋三自身が一国の首相としてその責任をどれ程に心に留どめていたかと言うと、演説で例に上げた虐待死が約1年前の2018年3月2日の父親の継続的な暴行を受け、搬送先の病院で5歳の幼さで死亡した少女の例であって、4日前の事件ではなかった。

 いわば4日前に継続的に繰り返されている悲劇が既に起きているにも関わらず、約1年前の例を取り上げて、「あのような悲劇を二度と繰り返してはなりません」などと、跡を絶たない継続性を無視できる神経から見た責任感は薄っぺらさしか見えてこない。

 いずれにしても「子どもたちの命を守るのは、私たち大人全員の責任」であるなら、再び虐待死が起き以上、周囲の大人たちが自らに与えられている責任を与えられたとおりに果たさなかったことになる。大人の立場からの責任の履行という観点から、今回の虐待死をマスコミ報道に頼って見ることにする。

 父親は約10年前、沖縄出身の母親と結婚、沖縄に在住。心愛さんが生まれた数年後に一度離婚、2017年頃に再婚。その頃から母親は父親から家庭内暴力(DV)を受けているとの情報が行政に寄せられていた。

 2017年7月、母親の親族から在住地の沖縄県糸満市に「妻が夫から暴力を受けている。子ども(心愛さん)も恫喝)されている」と相談があった。内容は母親が殴られたり、叩かれたりの暴行や、「お前は無能だ。何もできないバカだ」といった暴言を受けているというものや親族や友人との連絡を禁じられているというものだった。

 電話やお金の使い方も細かく管理されていた。糸満市は母親への聞き取りを試みたが、次女(1)が低体重で生まれた後の入院で、DVの有無を確認できなかった。その後、一家は糸満市から千葉県野田市に引っ越す。

 父親は約10年程度の離婚期間後の再婚の頃から母親への家庭内暴力が始まった。離婚期間内の妻の男関係を疑っての家庭内暴力の可能性が高い。その間、妻は離婚した夫に対して何の義理立てもなく、夫は手が届かなくなった存在の行動を縛るどのような権利も持たない。児童相談所には児童、保護者等に対して心理療法、カウンセリング等の指導を行う心理療法担当の職員を置いているそうだが、市が女性から家庭内暴力の相談を受けた場合、その夫に対してカウンセリングを行ない得る心理療法士を適宜手配できる体制を整えて置くべきだろう。

 勿論、全てに役立つ保証はないが、力だけは尽くすべきだろう。

 いずれにしても糸満市は相談に訪れた母親の親族の情報源は妻からと考えるべきで、確認のために親族に情報源を問うか、そう考えなかったとしても、情報源を尋ねることを手続き上の義務としなければれならなかった。

 ところが、糸満市は母親への聞き取りを試みたが、次女(1)が低体重で生まれた後の入院で、DVの有無を確認できなかった――としても、聞き取り可能な別の機会を設けて、DVなのか、DVでないのか、明確に確認すべきだった。

 勿論、母親の親族が母親に直接的に頼まれたわけではなく、察して市に相談したということもある。どちらの事例であっても、市の母親への聞き取りの結果、市が父親と接触することになった場合に母親への聞き取りが知られることを恐れて、母親がDVを隠すということもある。

 当然、一度でDVが確認できなかったからと言って、それだけで片付けてしまうのではなく、市が市民を守る義務を負っている以上、様々な事例を考えて、警察が行う自宅周辺への聞き込み等まで行なって、DVの有無いずれかを明確にするところにまで踏み込まなければならなかった。

 ところが、DVが行なわれているとも確認できず、行なわれていないとも確認できない不明確な結果に終わることになった聞き取りを試みたでけで、幕引きを行っている。

 糸満市の職員は大人としての責任を誰一人満足に果たさなかった。このことが父親の10歳の自分の娘に対する虐待とその結果のその子の虐待死の一つの遠因となっている可能性は決して否定できない。

 2017年に10歳の女の子は小学校の担任に「父からいじめを受けている」と自ら相談した。小学校の聞き取りに対して「お父さんから背中や首を叩かれたり、顔をグーで叩かれたことがある。『てめえ早く宿題をやれよ』と言われたこともある」と訴えたという。

 小学校は野田市に相談したのか、市の担当部署が柏児童相談所に虐待の疑いがあると連絡、一昨年―2017年11月から12月にかけて心愛さんを一時保護した。その際、心愛さんの右頬にあざがあり「夜、お母さんがいない時にたたかれることがある。優しい時もあるが怒るとこわい」と話していた。

 柏児童相談所は一時保護の期間中、両親と8回に亘って面談。父親は「咳き込んだときに抱きかかえるなどしたことはあるが虐待は思い当たらない」と話した。

 児童相談所は10歳の女の子の全身を右頬のあざ以外に虐待の痕跡があるかどうか調べたのだろうか。例え一時保護の際には右頬のあざ以外に虐待の痕跡が確認できなかったとしても、右頬のあざと父親の「虐待は思い当たらない」との釈明との食い違いをどう解釈したのだろうか。10歳の女の子の言い分を事実と見たのか、父親の釈明を事実でないと見たのか、あるいは逆に娘の言い分を事実でないと見て、父親の釈明を事実と見たのか。

 この際、母親も父親からDVを受けていたから、下手なことは口にできない制約下にあって、当たり障りのないことしか話さなかった可能性がある。児相はこういった母親の状況や心理をも観察して、虐待の有無の判断材料にしなければならない。

 児童相談所が記者会見で「虐待は思い当たらない」とした父親の釈明を紹介したことと、2017年11月に保護して状況が改善されたとの理由で1ヶ月後の12月に保護を解除したところを見ると、父親の釈明により正当性を置いていたことを窺うことができる。

 心愛さんは保護解除後、一旦親族の家で暮らし、去年3月から両親の元に戻された。但し児童相談所は通っている学校に虐待の兆候がないか様子を観察するよう求めたものの、自宅訪問は一度もせず、両親との面談も行っていなかった。もし10歳の女の子の言い分により正当性を置く解釈を施していたなら、保護解除後の自宅訪問なし、面談なしで済ますことができただろうか。

 もしできたとしたら、児童相談所の職員を廃業した方がいい。

 また、児童相談所であるなら、子どもに対する虐待にしても、妻に対する虐待にしても、両者に対して自身を支配者とすることができる快適さ――自身を偉大な人間とすることができる快適さが習慣性を与え、一時的な改善が当てにならない、再発しやすいということに留意しなければならない。

 このことに留意していたなら、一時保護解除後の対応も自ずと違ってくるが、留意したと窺うことができる対応を見ることはできない。

 柏児童相談所の二瓶一嗣所長が記者会見で次のように述べている。

 「一時保護を解除したことはその時点では妥当な判断だと思っているが、子どもの命を守ることを使命としているので、お亡くなりになったことは断腸の思いだ。変化に気付くための対応が不足していた」(NHK NEWS WEB

 すべきことをせずに、「変化に気付くための対応が不足していた」とは物は言いようである。一時保護解除を妥当な判断とした。そしてそのような判断を導き出すことになる前段階での様々な場面での様々な解釈如何によって、その後の対応が不足したり、十分であったりする。

 つまり妥当な判断としたことにその後の対応を全て寄りかからせてはならないということである。寄りかからせることができるなら、この世に万が一という事態は存在しないことになる。

 妥当な判断を導き出すことになる前段階での様々な解釈にしても、常に正しいという保証はない。そのような不確かさに基づいてその後の対応を決めなければならなかったのだが、そうしなかった。再発の可能性への留意もなかった。

 児童相談所にしても、役目として負っている大人としての責任を満足に果たしていなかった。
 2019年1月に入って、父親は学校に対し「娘は妻の実家がある沖縄に行っていて、1月一杯は休ませる」と連絡、心愛さんはそのとおりに学校を欠席することになった。学校は父親の虐待歴を考えずに、また、虐待というものの習慣性も考えずに素直に父親の申し出を受入れ、沖縄の親戚に確認することもしなかった。

 このとき確認していたなら、救えた命となっていた可能性は出てくる。危機管理は常に最悪の事態の想定をスタートとしなければならない。

 心愛さんが学校を休んでいる間、隣のアパートに住む40代の女性が「ほぼ毎日のように女の子の泣き声と、男性の『うるさいんだよお前は』といった声が聞こえていましたが、ここ2週間ほどはその回数が増えて、声も大きくなった気がしました。怖さもあって、何もすることができず心苦しいです」(NHK NEWS WEB)と証言しているという。

 ある児童に対する虐待の疑いが出てきたとき、その習慣性を考慮して、児童相談所の対応だけではなく、警察は隣近所の住人をより確かな情報源として確保、聞き込み等の接触を図った場合は虐待加害者に見咎められ、一悶着を起こされかねない危険性から、電話連絡で秘密裏に情報収集を図る必要があるのではないだろうか。
 少なくとも今回の場合はそのような措置を取っていなかった。
 心愛さん死亡確認の1月24日の2日後の1月26日に小学校では保護者会が開かれ、その後、校長が記者会見に応じている。
 「心愛さんは非常に頑張り屋で学級委員長を務めていました。誰とでも仲よく付き合って、とても笑顔が優しい印象を持っています。毎朝、登校してきた時に元気にあいさつをしてくれました。大切な子どもの命が奪われ悲しい気持ちでいっぱいです」(NHK NEWS WEB

 学校自体が学校社会に生きる大人としての責任を果たしてもいないのに「大切な子どもの命が奪われ悲しい気持ちでいっぱいです」と言うことができる。

 小学校では2017年11月にいじめに関するアンケートが行なわれた。アンケート上部欄外には「このアンケートは、みなさんが、いじめのないたのしいがっこうせいかつができるようにするためのものです。ひみつをまもりますので、しょうじきにこたえてください」と記されているという。

 それから約3ヶ月後の一時保護解除後の昨年―2018年1月、父親が小学校を訪れ「娘に暴力は振るっていない」とか「人の子どもを一時保護といって勝手に連れて行くのはおかしい」などと抗議した。

 と言うことは、学校が父親にアンケートのことを知らせたか、学校が児相に連絡、児相が父親に知らせたか、いずれかでなければ、アンケートのことを知りようがない。
 
 父親は抗議のあと、アンケートの回答を見せるよう強く要求した。学校は「個人情報なので本人の同意もない中、父親でも見せることはできない」と拒否。

 3日後に父親が心愛さんの同意を取ったとする書類を持って市の教育委員会を訪れた。教育委員会がアンケートのコピーを渡したのは同意書があるということではなかった。児童相談所にも渡すことについて相談もしていなかった。

 2019年1月31日の記者会見で次のように述べている。NHK NEWS WEBの動画から。

 担当者1「誠に申し訳ございませんでした。アンケート結果を見せろ、閲覧させろ、コピーを写せというような要求がありました。学校の先生、教育委員会の職員とも、父の威圧的で執拗な態度に恐怖を感じた」

 担当者2「正しいのかという部分も迷いながら、最終的に要求に屈してしまった。危機感というところまでは至ってなかっと記憶しています。心に引っかかりながら、仕方なく渡してしまったと記憶しております」

 担当者1は「恐怖を感じた」中に自分たちだけではなく、学校の先生まで入れている。市教委は大抵市役所や区役所内にあって、学校とは場所を別にしている。学校の先生まで加えることで、自分達の罪を薄める薄汚い心理が働いた可能性を疑うことができる。

 担当者2が言っている「危機感というところまでは至ってなかっと記憶しています」は、虐待死に至るところまでの危機感は考えなかったということだろう。だが、父親が市教委を訪れたのは2018年1月である。それから父親に殺されるまでの約1年間、何の手も打っていなかった。この大人としての責任の欠如は底なしで、如何ともし難く、大人であることの資格を失う。

 いくら娘の同意書を持っていても、アンケートの写しを見せろと要求すること自体、それが紳士的な態度を以ってして行なわれたとしても異常であるのに、相手に恐怖心を抱かせる程の恫喝的な態度を取った。

 つまり父親はアンケートに自分に都合のいいことは書いてないことを察していた。その内心の怒りが恫喝的な態度となって現われ、写しを見せた場合の父親の娘に向かう怒りとなり、暴力となることを考えなかったとしたら、その感性や想像力は大人の資格を失うだけではなく、教育行政を担う資格を失う。

 昨日―1月4日、父親の虐待を止めなかったとして母親が傷害の疑いで県警に逮捕されたという。

 つまり母親も大人としての責任を自ら考えず、自ら果たすこともしなかった。

 警察が傍観の罪として逮捕するなら、虐待防止法に強姦罪ならぬ傍観罪を設けるべきであろう。近親者だけではなく、学校教師や児童相談所職員も、深刻に捉えず、満足な対応を取らずに子どもを死なせてしまった場合、傍観罪に問われる可能性も出てくる。

 千葉県野田市小4女子児童虐待死は父親を直接的な加害者とし、大人としての責任は果たさなかった母親や児相・市教育委・学校教師による共同殺人そのものである。

 心愛さんは自己主張のしっかりした生まれつきを持っているようだ。自己主張が強いということではない。強いだけと言うと、義務は満足に果たしていないことになる。自己主張がしっかりとしているから、学校のアンケートが無記名であっても、自分の名前を書き、学校に虐待を訴えることができた。

 自己主張が娘よりも劣るゆえに、勤め先では何も自己主張できないのだろう、娘の生まれつきの自己主張に嫉妬し、嫌い、虐待となって現われたのかもしれない。

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横審委員長北村正任の白鵬取り口苦言 他の処分に便乗した正当性あるが如くの批判は卑怯者のすること

2017-12-22 10:11:01 | 事件

 日本相撲協会理事長(八角親方)の諮問機関である横綱審議委員会の臨時会議が12月20日(2017年)開催されて暴力事件を起こした日馬富士に対して引退勧告、その場に居合わせながら暴力を停めることができなかったとして横綱白鵬と鶴竜に対してはそれぞれ減給の懲戒処分を下した。

 このことは横綱日馬富士と白鵬と鶴竜それぞれの立場上の責任不履行と彼らの責任不履行に対する横綱審議委員会の処分に関わる判断の提示という経緯を取っていて、処分の提示によって一つの決着を成立させていることになる。

 つまり日本相撲協会及び横綱審議委員会側からすると、一部世間も加わって問題としたのは暴力事件に関わる横綱日馬富士と白鵬と鶴竜それぞれの態度であり、どう処分するかの処分内容であった。

 当然、横綱審議委員会の処分内容の妥当性が日本相撲協会にとっても世間にとっても問題となる。

 それ以外を問題としたわけでもないし、問題となったわけでもない。そしてこの問題は処分発表で一つの決着を見た。

 ところが、処分発表の記者会見の中で横綱審議委員会委員長の北村正任(東大法学部卒・新聞記者出身76歳)が白鵬の取り口に苦言を呈したとマスコミが伝えていた。

 会見からその発言を抜粋してみる。「横審会見全文」日刊スポーツ/2017年12月20日12時39分)   

 北村正任「(貴乃花親方の暴力事件以後の言動に一言物申してから)「それから、もう1つは、この間(かん)に委員会宛てに、あるいは私個人宛てに、相当の量の投書があります。

 その投書の大部分は、白鵬の取り口についての批判でありました。張り手、かち上げ…これが15日間のうちの10日以上もあるというような、このような取り口は横綱のものとは到底、言えないだろう、美しくない、見たくないという意見でした。

 このことは横審のメンバーがいろいろな会合などで相撲の話をするときに、ほとんどの人がそう言っているということでありました。白鵬自身の自覚をうながすか…こういうことであろうと思いますが、そのことに向けて協会としても、工夫、努力してほしいと。こういう話がありました」

 白鵬の取り口は暴力事件及びその処分とは全く関係のない別個の問題であって、そうである以上、張り手その他が「横綱のものとは到底、言えない」と言うことなら、別の機会に横綱審議委員会で議論し、横綱らしくないで纏まった場合、横綱審議委員会の正式な意見として日本相撲協会理事長に提出、日本相撲協会が横綱審議委員会からこのような意見の提出があり、日本相撲協会にしても同意見で賛成多数になったからと白鵬に自覚なりを促すべきだろう。

 あるいは今後のことまで考えて白鵬個人の問題とせずに横綱になった場合は張り手等の横綱らしくない手は禁止すると取り決める、あるいは横綱になる前に癖がついてしまうと横綱になってから注意していてもつい使ってしまうということがあるから、相撲の手から外す等の正式の取り決めを行ってから、いずれかの方法を発表すべき問題であろう。

 正式な決定にまで持っていかずに単に「相当の量の投書」があった、横審のメンバーの「ほとんどの人がそう言っている」からと、「横綱のものとは到底、言えない」を正式に決められた意見であるかのように持ち出して暴力事件とは無関係・別個の問題を暴力事件処分の記者会見で公表する形で批判する。

 この筋違いは甚だしい。

 大体が記者会見の場で一つの決着が付いた自分たちが正当とした処分のその正当性に便乗して処分とは関係のない事柄までさも正当性あるかのようにここぞとばかりに批判するのは卑怯者のすることである。

 別個の問題は別個として区別するだけの合理的な目を持ち合わせていないから、暴力事件をあってはならない事態だ、暴力の根絶だと表面的な指摘に終わるのみで、暴力の根がどこにあるのか見通すことができない。

 学校の部活動同様に大相撲でも力士の先輩・後輩の上下関係が上を絶対とし、下を上の絶対に対する従属を絶対と位置づけている権威主義にこそ目をつけて、それを正していかなければ暴力の根絶は難しいのだが、その構図に目を向けることさえできない。

 先輩後輩の関係は別にして、後輩が先輩に対してざっくばらんに自分の考えを言い、先輩がそれに応えてざっくばらんに自分の考えを言う権威主義とは正反対の対等な双方向の関係を築くことができれば、双方がそれぞれの態度・考えが正しいか間違っているか議論することになって、先輩の後輩に対する“指導”という一方的な形を取らずに済むばかりか、議論の習慣が双方の判断能力の向上と常識の発達を促していくことになって、そのことが人間としての成長を双方共に自ずともたらしていくことになる。

 だが、先輩は後輩に対して絶対者として君臨しているから、先輩を不愉快にする後輩のちょっとした態度や言葉遣いに侮辱されたと受け止めて腹を立て、後輩に対して先輩が許されている“指導”という形で手を出して、受けた不愉快を晴らそうとすることになる。

 後輩の先輩に対する敬意は必要だが、敬意が絶対と従属の上下関係と表裏の構図を取ることは許されない。

 先輩と後輩の間でこのような関係を築くことができていない大相撲界は時代遅れの世界にとどまっていると言わざるを得ないばかりか、現在もこのような世界を放置している親方衆や横綱審議委員会の怠慢は大きなものがある。

 北村正任は白鵬の張り手、かち上げの取り口を「横綱のものとは到底、言えない」と批判しているが、白鵬は言ってみれば、強い外国人横綱として日本人力士全員を敵に回して戦い、強さの点で彼らの上に君臨している。

 だが、敵に回されている日本人力士全員のうち誰一人として白鵬の強さを凌ぐ者が出てこない。日本人力士が寄ってたかって戦いを挑みながら、君臨を打ち破ることができない。

 その原因を白鵬の張り手やかち上げに置くとしたら、格闘技の一種であることに変わりはない大相撲の正当性を見い出すことができるだろうか。

 横綱らしくない取り口だと言う前に白鵬の張り手やかち上げを勝負に効果のない取り口とすることが先決ではないのか。効果がなければ、白鵬は自ずと使わないようになる。

 それができないのは日本人力士が不甲斐ないからではないのか。当然、日本人力士の不甲斐なさを批判せずに白鵬の取り口のみを批判するのは不公平ということになる。

 問題点を問題としない横綱暴力事件の処分、暴力事件とは別の問題である上に問題点に目を向けない白鵬の取り口だけを批判する横綱審議委員会委員やそれらを黙って受容する日本相撲協会の親方衆の意識の変革が先決問題ということになる。
 
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電通:女性社員過労死から見える権威主義をムチとした封建時代さながらの自律性なき上下社会

2016-11-05 10:29:18 | 事件

 電通で思い出すのは小泉政権時代に行った各政策に関して住民の意見を聞き、それに閣僚が答える対話集会のタウンミーティングであるが、小泉内閣は「国民対話」と銘打っていた。

 その集会開催は一般競争入札ではあったが、当初は電通一社のみが契約会社となっていて、空港又は駅で閣僚を迎える係の報酬経費が1万5千円、会場入り口で閣僚を出迎えて、エレベーターまで案内する係の経費が4万円、エレベーターを動かして目的の階にまで案内する係の経費が1万5千円、エレベーターから控え室まで誘導する係の経費が5千円といったふうに一連の役目を一人が行って一人分の報酬経費とするのではなく、役目を一つ一つに小分けして、小分けしたそれぞれの役目に要した時間から計算すると常識外の経費をつけて、まるで随意契約の体を成していたカラクリとなっていたことである。

 要するに表向きは競争入札であったとしても、談合という手続きを経なければ、こういった常識外の法外な値をつけることはできない。談合が随意契約の形式を許すことになる。

 しかも2003年12月に岐阜県で開催したタウンミーティングでは会場入り口で閣僚を出迎えてエレベーターまで案内する係は一人ではなく、8人の人間を雇って行い、一人頭4万円✕8人=32万円の報酬としていたという。8人の人間に出迎えられた大臣は大名のような気分になったのではないだろうか。

 タウンミーティングの集会開催は内閣府が主催した。内閣府の役人が無知だったから常識外れの経費に気づかなかったのか、天下りとかの何らかのキックバックがあったから、気づかぬ振りをしていたのか、いずれかであろうが、少なくとも電通という広告会社はデタラメな金儲けをするインチキ会社だなという印象を持った。

 その電通が今度は2015年に入社9カ月の24歳女性社員の過労自殺を出して労災認定され、マスコミと世間を賑わすことになった。しかも今回が初めてではなく、1991年にも入社2年目の社員が過労自殺している。

 この件について「Wikipedia」が次のように記述している。

 〈遺族は、会社に強いられた長時間労働により鬱病を発生したことが原因であるとして、会社に損害賠償請求を起こした。これは、過労に対する安全配慮義務を求めた最初の事例とされ、この訴訟をきっかけとして過労死を理由にした企業への損害賠償請求が繰り返されるようになったといわれる。2000年、この裁判は同社が遺族に1億6800万円の賠償金を支払うことで結審した。〉

 皮肉な言い方とすると、電通は企業一般に対して過労に対する安全配慮を義務づける先駆けの会社となった。にも関わらず、先駆けにふさわしくなく労働環境を改善できずに同じ過ちを繰返すことになった。

 労働環境の改善に何ら努力していなかったことが2016年11月3日付「NHK NEWS WEB」記事、《電通社員過労自殺 残業時間を過少申告し削減か》を読むと十分に理解できる。   

 入社9カ月の24歳女性社員の2015年10月の所定外残業時間は69.9時間、11月は69.5時間で、労働組合との協定の上限となる70時間内に収まっていたが、本社ビルのゲートを通った入退館の時間を基に計算した残業時間は月100時間を超えていて、この過酷な残業時間が労災認定の決め手となったという。

 いわば彼女は実際の残業時間よりも申告する残業時間を協定内の残業時間に収めることができるように減らしていた。

 電通は一人ごとに長時間労働を課すという搾取と労働時間を削るという搾取、二重の搾取を行っていた。

 しかもこの搾取は彼女一人に対してではなく、一般的に常態化していた。

 先ず限られた時間内に多くの仕事をやることが評価に繋がるという空気があった。と言うことは、評価を餌に、あるいは評価を鞭として、会社側がそういう空気をつくっていたことになる。

 それが行き過ぎた効率至上主義に姿を変えていた。

 だから、残業時間をあまりつけないよう上から指導する部署も現れることになった。

 社員の1人は次のように証言している。

 「残業時間を協定で決められた時間内に抑えろということはたびたび言われていたが、残業が多い人だと確実にそれ以上働いているし、私自身、上限を超えたことがある。限られた時間で多くの仕事をやることが評価につながるので、残業時間を減らすことは往々にして行われていた」

 結果、社員の方から働いた時間の一部を「自己啓発」に充てたといった理由で申告し、残業時間を意図的に減らすケースが生じることになった。

 このような電通内に於ける上司と部下の人間関係は明らかに上が下を言いなりに従わせ、下が上に言いなりに従う支配と従属の権威主義を力学として、その関係性によって仕事を動かしていることになる。

 いわば上司・部下共に自律性を欠いた関係を築いていた。

 具体的に言うと、上司は部下が自ら学んで自ら成長していくことも、あるいは逆に何も学ばず、成長していかなかろうと自身の問題として任せることができなかった。

 部下の方も自らの学びと自らの成長に任せることができなかった。

 このような自律性の欠如は上記記事が伝えている電通の中興の祖と言われている4代目社長の吉田秀雄が65年前の昭和26年に考案した10項からなる「鬼十則」に現れている。

 1.仕事は自ら「創る」べきで、与えられるべきでない。
 2.仕事とは、先手先手と「働き掛け」ていくことで、受け身でやるものではない。
 3.「大きな仕事」と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
 4.「難しい仕事」を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
 5.取り組んだら「放すな」、殺されても放すな、目的完遂までは……。
 6.周囲を「引きずり回せ」、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
 7.「計画」を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
 8.「自信」を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
 9.頭は常に「全回転」、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
 10.「摩擦を怖れるな」、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。

 こういったことは上から教えられることではなく、向上心を糧に自分から考え、学んでいくことであろう。電通という難関を突破している以上、誰もが向上心を持って入社しているはずだ。向上心が積極性という姿を取り、難題への挑戦や計画性や仕事への執念を生み出していく。

 だが、会社は社員の自分から考え、学んでいく向上心に任せることができずに手取り足取りするように社員はこうあるべきだと上が指示しなければならない。社員は上の指示に従う。

 例えそこに向上心が存在したとしとも、自分から考え、学んでいく自律性を持たせた性格のものではなく、上司に尻を叩かれて、その指示する目標を達成する非自律的な向上心に姿を変えていることになる。

 そういった向上心だから、いわば自分から考え、学んでいく性格を持たせた向上心ではないから、一つの仕事に長時間の労働が必要になり、会社は効率を求めるために自発的という形を取らせて残業時間を削らせることになる。

 「鬼十則」は65年前の昭和26年に考案したと言うが、戦後間もなくの頃で、封建時代の家父長制に代表される権威主義の人間関係がまだまだ強かった時代である。その頃につくった権威主義性を色濃く滲ませた規則を現在も使っている。

 封建時代さながらに人をこき使うに便利であっても、社員それぞれが自律して相互に自由に力を発揮しなければならない時代の規則としては時代錯誤も甚だしい。

 頭に「鬼」という字を当てていること自体が如何にも象徴的である。何でも言いなりに聞けという権威主義性を含意している。

 いわば電通は上下社会を構造とした古臭い権威主義性を現在も引きずっていて、現代化することができなかった。

 自殺した女性社員は入社9カ月でその犠牲となった。

 多分会社側は、自殺するのは負け犬のすることだぐらいに思っているに違いない。

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高畑裕太のことはどうでもいいが、示談成立後の弁護人のこのコメントはアンフェアそのもの

2016-09-11 11:25:45 | 事件

 高畑逮捕のことはその容疑と共にテレビの報道番組で知った。

 第一印象は、「バカだな、この男は、バカな真似をして」とバカが二つついた。母親が常々、「女性問題と覚醒剤には気をつけるんだよ。その日まで築き上げた経歴を一瞬にしてフイにしてしまう。私にだって影響してくるんだからね」と注意していなかったのだろうか。

 母親がざっくばらんな性格のようだから、「女が欲しくなってどうしても我慢できなくなったなら、売春が合法の外国に行って処理してくるんだね」ぐらいは言えたと思うのだが、言ってなかったのか、言ったにも関わらず、事件を起こしてしまったのだろうか。

 アジアの売春合法国なら日帰りはできるはずだ。問題は食欲が食べ溜めできないように性欲もいわゆる“やり溜め”が効かないことだろう。時間が許す限り回数をこなして性欲処理に励んだとしても、若くて性欲が強いと、帰りの飛行機の中で若くて美しくてセクシーなキャビンアテンダントが歩いているときのお尻の揺れを見ただけで、たちまち性欲をムラムラさせてしまうといったこともあるだろうけれども、性欲処理に外国まで出かけること自体が問題を起こしてはいけないという警戒心、あるいは自制心を機能させていることを意味して、決してバカな真似はしないはずだ。

 逮捕はテレビの報道だけで、どうでもいいことだから、その事件を伝える記事を覗くことはなかった。だが、高畑裕太が不起訴処分となり、警察から釈放後、高畑の弁護人がコメントを出したのを知って、ネット上から逮捕時の記事を覗いてみることにした。

 大方のマスコミは、女優・高畑淳子(61)の長男で、俳優・高畑裕太容疑者(22)=東京都渋谷区=が2016年8月23日、前橋市内のホテルで40代の従業員女性に性的暴行を加え、怪我をさせたなどとして強姦致傷容疑で群馬県警に逮捕されたといった書き方をして、この事件を伝えている。

 具体的には前橋市内のホテルで「アメニティグッズを持ってきてほしい」とフロントに連絡し、部屋にきた40代の従業員女性の手を無理矢理つかみ、室内に引き入れて性的暴行を加え、怪我をさせたというもの。

 対して酒を飲んでいた高畑裕太は警察の取り調べに「女性を見て欲求が抑えられなかった」と供述したと伝えている。

 性欲を抑えている男が酒を呑むと、その抑えが効かなくなってくる。逆に酒は時と場合に於いて性欲を高める役目もするから、始末に悪い。

 いずれにしても警察は男女それぞれの供述に基づいて相手の合意を得ない力づくの性行為だと判断して、強姦致傷と言う容疑で逮捕することになった。

 勿論、どのような犯罪行為も程度の違いというものがある。凶悪なものから悪質なもの、ほんの出来心からのもの、軽微なもの等々、それぞれに差があるはずだ。

 だが、相手の合意を得ない力づくでやり遂げた一方的な性行為をほんの出来心からとか、軽微な犯罪とすることはできないだろう。相手の意思や人権を無視しているのだから、悪質以上のものがあるはずだ。

 群馬県警に逮捕されたのは8月23日、群馬県警前橋署から釈放されたのが9月9日午後。逮捕日と釈放日を加えると、18日間勾留されていたことになる。

 逮捕から勾留までの流れを、「逮捕された人はどうなるのですか」庶民の弁護士 伊東良徳)なるサイトからピックアップしてみる。    

 警察は容疑者逮捕後、比較的簡単な供述調書を作った上で48時間(2日間)以内に一旦検察庁に連れいく。検察庁は24時間以内に容疑者の短時間の取り調べと、裁判所への勾留請求を行う。

 容疑者は検察の勾留請求後に裁判所に連れて行かれ、裁判所は容疑者に対して容疑事実について本当にやったのかどうか、何か言い分があるのかといった勾留質問を行う。

 裁判所はこの勾留質問後に10日間の勾留をするかどうかを判断し、勾留する場合、勾留状を発布。警察は取調べが10日間の勾留でも足りない場合、検察庁を通して裁判所に勾留延長を請求し、認められた場合更に10日間の勾留延長を行うことができる。

 高畑裕太の逮捕から釈放までの拘留期間が18日だと言うことは弁護人がどの時点で高畑裕太と接触したのか不明だが、テレビや映画では容疑者逮捕前の警察の捜査(聞き込み)時点で参考人として聴取を求められた際や犯罪現場に居合わせて事情聴取を受ける際などに弁護士の立会いがなければ何も喋らないと弁護士を呼ぶよう請求すると、弁護士がやってくるといったことがあるから、早い時期に弁護人と接触したのかもしれないが、高畑裕太は強姦致傷の容疑事実を警察だけではなく、検察庁でも認め、裁判所でも認めたことを意味することになる。

 取調べが10日間で済まずに勾留延長されることになったのは起訴に持っていくために容疑事実を固める持間がかかったのか、あるいは弁護人から示談の申し出があって、示談成立に手間取ったのか、多分、後者ではないだろうか。

 いずれにしても示談が成立して不起訴処分で釈放されることになった。釈放を受けて高畑裕太の弁護人がコメントを発表した。その全文を9月9日付「asahi.com」記事から見てみる。
 
 今回、高畑裕太さんが不起訴・釈放となりました。

 これには、被害者とされた女性との示談成立が考慮されたことは事実と思います。しかし、ご存じのとおり、強姦致傷罪は被害者の告訴がなくても起訴できる重大犯罪であり、悪質性が低いとか、犯罪の成立が疑わしいなどの事情がない限り、起訴は免れません。お金を払えば勘弁してもらえるなどという簡単なものではありません。

 一般論として、当初は、合意のもとに性行為が始まっても、強姦になる場合があります。すなわち、途中で、女性の方が拒否した場合に、その後の態様によっては強姦罪になる場合もあります。

 このような場合には、男性の方に、女性の拒否の意思が伝わったかどうかという問題があります。伝わっていなければ、故意がないので犯罪にはなりません。もっとも、このようなタイプではなく、当初から、脅迫や暴力を用いて女性が抵抗できない状態にして、無理矢理性行為を行うタイプの事件があり、これは明らかに強姦罪が成立します。違法性の顕著な悪質な強姦罪と言えます。

 私どもは、高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません。

 しかしながら、知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような、電話で「部屋に歯ブラシを持ってきて」と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております。つまり、先ほど述べたような、違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります。以上のこともあり、不起訴という結論に至ったと考えております。

 要するに強姦致傷罪というのはお金を払えば勘弁してもらえるなどという簡単な犯罪ではなく、脅迫や暴力を用いて女性が抵抗できない状態にして無理矢理性行為を行う違法性の顕著な悪質な事件の場合もあるが、高畑裕太の場合は示談が成立程の事件性なのだから、そういった悪質性は勿論あるはずはなく、起訴されて裁判になっていれば、無罪の主張をしたと思われた事件に過ぎないと、さも無罪を勝ち取れるかのような言い回しで高畑裕太の名誉を守ろうとしている。

 但し他の関係者の話を聞くことができなかったから、事実関係は解明できていないことを前提とした根拠に過ぎない。

 いわば他の証言もなしに高畑裕太の証言のみで、「高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高」いと強姦を合意の性行為に持っていこうとしている。

 だとすると、警察で強姦致傷の事実を認め、その他検察庁のみならず裁判所でも認めた事実はどうなるのだろうか。

 大体が合意の有無、強行性の有無は裁判でこそシロクロを争うべき問題で、そうである以上、多分カネを使ったであろう示談成立後に口にすべき合意の可能性や強行性の否定性ではないはずだ。

 なぜなら、例え可能性の範囲内であっても、弁護人が容疑者の利益を守る自分たちの立場のみでそうであろうと予測することは許されないからだ。

 「合意のもとに性行為が始まっても、強姦になる場合があります。すなわち、途中で、女性の方が拒否した場合に、その後の態様によっては強姦罪になる場合もあります。

 このような場合には、男性の方に、女性の拒否の意思が伝わったかどうかという問題があります。伝わっていなければ、故意がないので犯罪にはなりません」と言っていることも高畑裕太を無罪に誘導する弁護士特有のレトリックに過ぎない。

 女性の拒否の意思が伝わっていながら、性的な満足感を得ることのみに気がまわって無理やり行為を続けて目的を果たしたのが事実であっても、弁護士の入れ知恵でいくらでも伝わっていなかったと事実をすり替えることができるからだ。

 あるいは弁護士の入れ知恵がなくても、罪逃れの強い意識が自ずと悪知恵を働かすことになって、伝わっていた事実をいなかった事実に変えることもできる。

 当然、このようなことも検察と弁護士の尋問を混じえた被告・原告双方の証言に基づいた裁判の遣り取りで決着をつけてこそ、その決着を表に出せるのであって、裁判もやらずに示談交渉が成立したことを全ての根拠にして高畑裕太には強姦の事実がなかったかのような印象づけを行うのはアンフェアとしか言い様がない。

 もし裁判になっていたら、マスコミはもっと騒いでいたろう。裁判の遣り取りを逐一報道されるばかりか、判決文がすべての事実となって活字や電波となって日本中に広まり、ネットにいつまでも残ることになる。

 そういったことを恐れて、裁判を回避したかったからこその示談でもあったはずだ。にも関わらず、裁判でなければ欠着がつかないことを自分たちで好きなように決着をつけている。悪質な情報操作のうちに入る。

 示談は金額に納得して承諾するという場合がある。弁護人が「初犯だから、たいした罪に問うことはできない、例え有罪になっても執行猶予付きだと思う。但し彼も将来ある身だから」と言うだけで、それ以外は余分なことを言わずとも、後はカネが金額に応じて物を言ってくれる。

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アイドル女性ストーカー事件:警察の最悪の事態も最悪に近い事態も想定でない危機管理という逆説の滑稽さ

2016-05-23 13:19:58 | 事件


 5月21日午後5時過ぎ、アイドル活動をしている20歳の女性がライブ活動をするために東京都小金井市本町のそのハウスのある建物の敷地内で27歳のファンの男に首や胸などを20カ所以上刺された。

 病院に搬送されたが、意識不明の重体に陥っているという。

 男は現行犯逮捕された。

 以下、各マスコミ記事を纏めてみる。

 犯行の動機はプレゼントした腕時計などが送り返されてきたため、その理由を問い質すためにライブハウスに向かう彼女の後をつけて問い質したところ、曖昧な答だったためにカッとなり、用意していた刃渡り8.2センチの折り畳式ナイフで何回も刺した。

 尾行の様子はJR武蔵小金井駅周辺から現場付近まで一定の距離を置いて歩いてつけていく様子が防犯カメラに写っていたという。

 しかしこの凶行は必ずしも予期できない出来事ではなかったようだ。

 女性のブログやツイッターに男からの執拗な書き込みが続いていた。女性は5月9日、武蔵野署を訪れて男の名前や住所を伝えて、その書き込みをやめさせて欲しいと相談した。

 武蔵野署は書き込みが本人かどうか調査し、確認すると対応、但し確認できたのかどうか、本人に接触していなかった。 

 女性は事件前日の5月20日、武蔵野署に翌5月21日のイベントについて伝えたという。

 と言うことは、万が一の事態を予想していたことになる。

 対して武蔵野署は会場を管轄する小金井署に「女性から110番があれば対応するように」と依頼したという。

 要するに110番があってからの対応のみを決めていた。それで十分と考えていたのだろう。

 当然、ライブ会場には警察官を派遣していなかった。

 このような対応を決めたことに合理的な根拠がなければならない。

 女性が5月9日に武蔵野署を訪れて男の名前や住所を伝えて、女性のブログやツイッターへの執拗な書き込みをやめさせて欲しいと相談し、警察が調査・確認を約束してから、凶行に及ぶまで12日経っている。

 警察は確認が取れたのだろうか。ツイッターは本名を名乗っている場合と名乗らずに自分の好きな言葉や自身を他の物に譬える等の場合がある。ネットを調べてみると、5月21日午後5時過ぎに事件が起き、その夜テレビなどが事件を伝えてから、ネット利用者が検索をかけて見つけ出したのだろう。

 どのようなアカウント名であるかということと5月23日朝の時点で刺された女性との関連でかなりの数の記事が紹介されている。

 アカウント名は現代歌人の和歌の、その名前の歌集まで出版されている一節を使用している。

 つまり2日か3日そこらで見つけ出した。実際には数時間で見つけ出すことができたのかもしれない。

 と言うことなら、警察にしても女性から5月9日の日に男の名前と住所を知らされているのだから、男の書き込みの正確な文言を聞き出していさえすれば、例えアカウント名に本名を名乗っていなくても、時間がかかったとしても何日かで男のツイッターに辿り着くことができたはずだ。

 あるいは書き込みがどれ程の危険性があるかを捜査するためとTwitter Japanに問い合わせれば、元々公開されているツイッターなのだから、もっと手っ取り早く知ることができるのではないだろうか。

 当然、女性の相談からストーカーを疑って、男のツイッターを監視しなければならない。

 果たして監視していたのだろうか。

 5月3日が最後のツイートとなっていて、「震災とかテロとか、関係ない人たちの幸せな暮らしのつぶやきを見ると、嬉しいね。下衆な人間らしくて嬉しいね笑」と書いている。

 関係ない人たちであっても、震災とかテロを真剣に考える人間もいる。だが、人間はそのような状況に置かれなければ、そのことを四六時中考えることはできない。テロや震災の状況下で一日中生活しているわけではないからだ。自身が置かれている状況に応じて考えたり悩んだりする生き物である。

 本人にしても4月27日に刺すことになる女性への返信で、「井上直久さん28日から5/4まで東武百貨店池袋店6階美術画廊で新作発表の個展です。16歳の時に17万円の版画を買って以来、200万以上買ってる作家さん。暇潰しに見に行ってみ?」と、「震災とかテロとか、関係ない」ことを呟いている。

 こういった人間の限定された存在性を思い遣ることもできずに一緒くたに「下衆な人間」と蔑む。

 余程自分が不幸な状況に置かれていて、その反動からか、そうでない人間――社会一般を恨んでいる節がある。

 これは危険な兆候の一つであろう。

 そして5月1日からそれ以前の日付けで、刺すことになった女性に対して『全部返せ』と伝えてね(・ω・)ノまだ返してもらってないものがあるんで、一部しか返って来てないんで、全部返してくださいm(__)m」、「『全部返せ』と伝えてください。『全部返せ』それだけです」、「名前くらい書きなよ。詐欺かと思ったじゃん。お菓子とかお花も返すん?そのうち送られてくるんかな〜。楽しみにしてますね(●^ー^●)時間もお金も返す気なら、ほんまもんの悪意だね。素敵すぎて嬉しいね」と続けて綴っている。

 相手の女性がプレゼントを望んだわけでもないし、二人が様々な物をプレゼントし合うことを許し合っている関係になっているわけでもないし、少なくとも相手がプレゼントし合うことを許し合う関係を望んでいるわけでもないのに時計やその他をプレゼントして、時計を送り返されたからといって、相手が受け取っていいフアンなのか、受け取ってはいけないフアンなのか判断しての返却なのだと考える冷静さを失っていたとしても、相手の女性へのツイートで「時間もお金も返す気なら、ほんまもんの悪意だね。素敵すぎて嬉しいね」と、返却を皮肉っぽい屈折した感情で悪意とのみ解釈している。
 
 当然ここにも恨みの感情がある。それが一過性で消えていく感情なのか、エスカレートしていって、恨みが憎しみに変わっていく感情なのか見極めなければならない。

 プレゼントした物を「時計だけではなく、全部返して下さい」と一度だけ相手のツイッターかブログに書けば済むものを、相手の女性のブログも含めて何度も書き込む執拗さからは後者の疑いが強い。

 4月27日の女性へのツイート 。「今回は何もプレゼント貰えなかったのかな(´-ω-`)yでもまあ欲しくないものを貰ってもまったく嬉しくないよな!(相手の女性は)欲しいものは自分で手に入れたいタイプの人だから、勝手に変なものを渡されても迷惑なだけなんだよな。何も貰えなくて良かったね」

 本心を偽りながら、偽りを恨みの感情で満たしている。4月27日の時点で既に恨みの感情の頭をもたげさせていた。そして全部返させることに拘って、執拗に同じ書き込みを続けた。

 ここに僅かながらだが、エスカレートを見ないわけにはいかない。

 2月3日のツイートは本人の性格が顕著に現れている例の一つであろう。「僕が見ている世界と同じ世界を彼女は見ているのだという過敏な自意識もだらしない程にまた空虚」

 その証明ができないから、「空虚」なのだろうが、どんなに親しい関係にある男女であっても、見ている世界を同じと見ることも欲することも一種の強要であり、自身の見ている世界に相手の女性を独占して、自身と同じ世界を見させようとする自己中心以外の何ものも窺うことができない。

 この自己中心は断るまでもなく、他者存在性の無視によって成り立っている。独占欲そのものが他者存在を無視しなけば、成り立たない。

 他者は他者として尊重することができずに自己中心的で独占欲があり、恨みの感情に取り憑かれやすく、女性のブログやツイッターに執拗な書き込みが続ける。

 例えツイッター等の言葉の表面に現れなくても、その内心に一過性ではなく、十分にエスカレートさせていく余地を見なければならなかったはずだ。

 女性が万が一の事態を予想して武蔵野署にイベントがあることを伝えた以上、最近の若者が簡単に殺意を抱き、簡単に人を殺してしまう社会的傾向をも考え併せて、110番があってからの対応ではなく、イベント会場に一人や二人の警官を張り込ませる方法をなぜ取らなかったのだろう。

 刺された女性自身が最悪か最悪に近い事態を想定して警察に知らせておきながら、警察自体が最悪に近い事態も最悪の事態も想定できなかった、その危機管理という逆説は余りにも滑稽に過ぎる。

 危機管理とは最悪の事態を想定して、想定した最悪の事態が起きないよう、その予防に前以て備えることを言うが、そのためには例え空振りになろうと過剰に反応することが求められる。

 だが、今回のストーカー事件では過剰な反応どころか、110番があるまで待つという最悪の事態想定から程遠い、危機管理とは言えない“ぬるい”危機管理ととなっていた。

 これまでも三鷹ストーカー事件、館林ストーカー殺人事件、市川市ストーカー事件等々、警察は相談を受けていながら、満足に危機管理を機能させることができず、多くの若い女性を犠牲にしてきた。

 ストーカーに関わる危機管理について何も学習していなかったことになる。何度同じことを繰返すのだろうか。

 (青文字個所、5月23日13:19加筆)

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島根県邑南町女子大生落石死亡 週2回のパトロールを実施と言うが、それで県の怠慢・不作為を免れ得るか

2016-05-08 06:27:02 | 事件


 昨日の「ブログ」で5月4日午後に起きた島根県邑南町(おおなんちょう)の県道での直径約1メートルの落石が軽乗用車に直撃、助手席に乗車していた18歳の女子大生が死亡した事故を取り上げて、20年前の調査で550メートルに亘って落石危険箇所と指定したものの、そのうち500メートルは落石防止ネットを張る対策を取ったが、今回の落石地点を含む残り50メートルは危険性は低いと判断、対策を取らなかった、その調査以来、県道を管理する島根県が点検・調査を一度も行っていなかった怠慢・不作為による殺人に相当、できるものなら、殺人罪で起訴すべきだと書いた。 

 根拠は「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた島根県土木部長の記者会見の発言である。

 冨樫篤英島根県土木部部長「20年の間に浮石が発生し、大事故につながってしまった。今後は1度の調査・対策で終わりではなく、どう継続的に点検を行えるか、態勢を考えていかないといけない」

 どう読んでも、20年前の調査一度きりとしか読むことはできない。

 ところが、昨日の午後になって、島根県が落石防止ネットを張るなどの落石防止対策を取っていなかった事故の現場となった50メートル区間で島根県は週2回のパトロールを実施していたという記事に出会った。

 事実パトロールを実施して危険性を点検・調査していたなら、不可抗力の自然現象ということになって、ブログでの批判は見当違いも甚だしく、謝罪しなければならない。

 但しどのような内容の、どの程度のパトロールであったかによって、対策に対する姿勢が違ってくる。記事を参考までに全文引用して、自分なりに精査してみたいと思う。文飾は当方。

 《島根の女子大生落石死、地元観測史上最大の強風が原因か 2日前現場点検も危険性把握できず》産経ニュース/2016.5.6 19:10)  

 〈島根県邑南町(おおなんちょう)戸河内で、県道脇の斜面から落下した岩が軽乗用車にぶつかり、山口市平井の大学1年、栗原優奈さん(18)が死亡した事故で、島根県は6日、強風がきっかけで岩が落下した可能性があるとの見方を示し、第三者委員会を発足させ、専門家に調査を依頼すると発表した。
 県によると、強風で木が揺さぶられ、根元にあった石が不安定になって落下した可能性があるという。松江地方気象台によると、事故発生直後の4日午後4時8分に同町淀原で、この地点としては観測史上最高の最大瞬間風速24・2メートルを観測した。

 県は6日、記者会見を開き「お悔やみを申し上げる。申し訳ありませんでした」と謝罪した。現場付近では、週2回のパトロールを実施。最後に確認したのは2日だったが、危険性は把握できなかったという。

 冨樫篤英土木部長は「当時の調査は問題なかったが、経過観察が甘かった」と話した。今後、県は第三者委員会を立ち上げ、原因や再発防止について検討する。〉――

 この記事の紹介には矛盾がある。

 〈現場付近では、週2回のパトロールを実施〉していたが、冨樫土木部長は(落石危険箇所と指定した20年前の)「当時の調査は問題なかったが、経過観察が甘かった」と言っている。

 週2回のパトロールを以てしても「経過観察が甘かった」、その程度のパトロールだと矛盾したことを言っていることになる。

 この矛盾は週2回のパトロールを満足な「経過観察」のうちに入れていないことによって解くこととができる。

 ここで思い出したのが屋根にサイレンをつけたライトバン形式の黄色く塗った道路点検用のパトロール車である。高速で走らせる東名高速道などでは小さな落下物でも車が衝突したり、乗り上げたりした場合、大きな事故につながる危険性があることから、2人1組でパトロール車を定期的に走らせて路面に落下物がないか観察し、落下物があったなら、車を路肩に停めて、通行車両に気をつけながら、その落下物を拾って、荷台に乗せ、再び走らせて落下物がないか探す役目である。

 勿論、道路に停車した故障車を見かけたりした場合にも対応する。

 落石危険箇所の一般道路を走らせる場合でも、主として下(=路面)を見て走らせ、何も落下していなければ、そのことの報告だけで何も対策を打たないが、落下している土砂や石の量や落下範囲によって、その規模が大したことがなければ、上(=山の斜面)に何も問題は起きていないと判断し、その量も多く、範囲も広ければ、上(=山の斜面)で崩落が起きていると判断して、その時点で初めて車を停めて、上(=山の斜面)を直接目で見て確かめ、片側通行にするか、あるいは落下箇所をカラーコンで囲うだけにするかの対策を打つ、そういった内容のパトロールではないのではないだろうか。

  要するに直接山に登って調査・点検することは20年前の調査以来、一度もなかったのではないか。

 そうとでも判断しな限り、上記記事が書いている〈週2回のパトロール〉と言っていることは、主としてこのような下(=路面)だけを見て走るパトロール車の道路点検のことを指していて、道路の状況によって上(=山の斜面)を見て、落石の危険性を観察する点検のことでなければ、週2回のパトロールを実施していながら、「経過観察が甘かった」と土木部長が反省しなければならなかった矛盾に整合性を見い出すことはできない。

 いずれにしても第三者委員会を発足させて専門家に調査を依頼すると言うことだから、いずれは事実が明らかになるだろうが、新聞記事を読む限り、週2回のパトロールによって島根県の怠慢・不作為を拭い去ることができたとはとても思えない。



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熊谷署管内連続6人殺人事件は警察の大失態の謗(そし)りを免れることはできない

2015-09-19 10:12:25 | 事件



      「生活の党と山本太郎となかまたち」

      《9月19日 山本代表ぶら下り記者会見動画 党HP掲載ご案内》    

      山本太郎代表は9月19日、参議院本会議で安保法が可決・成立したことを受け、記者団の質問に答えま
      した。安保法はルール違反に基づいて可決・成立され、かつ国民のためのものではないと痛烈に批判。
      「本当に悔しい。ひっくり返すしかない」と述べました。

 事件の経緯を「NHK NEWS WEB」記事と、その他から見てみる。 

 当該記事は《警察が説明した事件の経緯》となっている。経緯の正確性の責任を警察に預けたとったところか。

 9月13日の午後1時半頃
  熊谷市内の消防署から「外国人が片言の日本語を話しているが意味が分からない」という連絡。
  警察官が熊谷警察署に連行・事情聴取。

  「ペルーに帰りたい。神奈川に姉がいる」

  本人の求めに応じ、警察官1人が立ち会って玄関先でタバコを吸わせていたところ、男は警察署の前の国道を横
  断し、走り去る。
  午後5時頃と午後5時半頃警察署の近くで住居侵入事件が相次いで2件発生。警察は警察犬による捜索や聞き込み
  捜査を開始。

 翌9月14日
  熊谷市見晴町の田崎稔さんの宅で田崎さんと妻の美佐枝さん夫婦の殺害遺体を発見。

 9月15日
  熊谷署は9月13日に起きた、住居侵入事件で男の逮捕状を取る。

 9月16日午後4時半頃
  未明に同容疑者の手配書を全国の警察に配布。但し市民への注意喚起は限定的。
  熊谷市石原の住宅で1人暮らしの白石和代さんとみられる女性が浴室で血を流して死亡しているのを発見。

  警察官の現場周辺の聞き込み捜査で加藤美和子さんの家のインターフォンを鳴らしても応答が無く、住宅の裏に回ると、ペルー人の男が刃物を持って2階の窓枠に足をかけて
  いるのを発見。警察官の説得中、男は自分の腕を刃物で何度か刺し、2階から飛び降り、その場で身柄を確保。

  住宅内を捜査、1階と2階のクローゼットの中で加藤美和子さん、小学生の美咲さんと春花さんとみられる3人の遺体を発見。

  飛び降りた男は「かなり重症で意識がない」

  阿波拓洋埼玉県警察本部刑事部長(記者会見)「現段階では必要な捜査を行っていたと考える」(以上)

 上記記事は消防署から通報があって熊谷警察署に連行・事情聴取の際、〈本人の求めに応じ、警察官1人が立ち会って玄関先でたばこを吸わせていたところ、男は警察署の前の国道を横断し、走り去りました。〉と記述しているのは警察の説明がそうなっていたからだろう。

 だが、この説明を鵜呑みにすると、1人の警察官が立ち会っていた目の前を国道を横断し走り去ったことになる。つまり、その警察官は走り去るのを単に眺めていた。

 実際は目を離した隙に逃走したということではないのだろうか。ペルー人にしても目の前に警察官がいるのにいきなりその場を離れるとなると、直ちに制止行動に入られるのを覚悟しなければならない。

 勿論、制止を振り切って逃げることもできるが、そうした場合、事の重大さはかなり違ってくる。制止を振り切られて、警察はそのままにはしないだろうからである。

 警察は自らの常識として制止を振り切ってまで逃げるのは知られたくはない後ろ暗い秘密を抱えているからであり、それが犯罪そのものか、犯罪の可能性を疑うことができる出来事のいずれかと考えて、否応もなしに追跡行動に入らなければならない。

 だが、警察はペルー人が国道を横断し、走り去るに任せた。

 警察がここで取った行動を素直に受け入れることは難しい。

 別の「NHK NEWS WEB」記事が金高警察庁長官の9月17日の記者会見での発言を伝えている。

 金高警察庁長官「非常に重い結果となり、これを教訓として、同じような事案を防ぐことができないかという観点からよく見てみたい。

 (事情聴取時の警察の対応について)自らの意思で立ち去ったもので、この時点では男が犯罪に関与した事実は認められず、その意思に反して警察署に身柄をとどめる根拠は無かった」――

 前段の発言は今後の参考にするといった趣旨となっている。

 後段は、前の「NHK NEWS WEB」記事が、〈本人の求めに応じ、警察官1人が立ち会って玄関先でたばこを吸わせていたところ、男は警察署の前の国道を横断し、走り去りました。〉と書いていることを、「自らの意思で立ち去ったもの」としている。

 だとすると、立ち会いの警察官が本人の意思で立ち去るのを許可したことになる。

 但し「自らの意思で立ち去った」際、署に〈現金3417円入りの黒革の二つ折り財布と健康保険証、在留カード、パスポートなどの所持品を同署に置き忘れていた。〉と「毎日jp」記事は伝えている。 

 要するに所持品検査をして持ち物全部をテーブルに出させたのだろう。

 と言うことは、財布やパスポートなど、本人にとって大切に所持していなければならない物を署に置きっ放しにしたまま、何も持たずに熊谷署から「自らの意思で立ち去った」ことになる。

 ところが、上記記事は、〈署員が目を離したすきに署から逃げた。〉となっている。

 金高警察庁長官の発言との食い違いはどう説明したらいいのだろうか。

 どうも逃走したと表現した方が正しい状況に見える。

 もし大事なものまで置きっ放しにして逃走したということなら、警察の常識としてそれらの大事なもの以上に警察に知られたら困る重大な秘密を抱えていて、逃走を手段としてでもそれを守る必要性に迫られていたと、当たっているいないは別として疑わなければならないはずだ。

 当然、直ちに捜索に入らなければならなかった。熊谷署に所持品を全て提出して、財布も持たずに逃げたのだから、先ずは熊谷署を起点に周辺一帯を捜索範囲として目撃証言を求める一方、普通の乗客のフリをしてタクシーに乗り、カネを持たないことから運転手を威して移動することも考えて、熊谷署周辺でタクシーを捕まえた客がいないか、タクシー会社の無線配車センターに問い合わせるといったことは捜査の定石であるはずだ。

 このようにすべきであることは、次の「NHK NEWS WEB」記事が書いている事件の経緯が証明する。  

 9月13日午後3時頃に熊谷署から逃走している。 

 9月13日午後5時半頃、9月16日午後4時半頃に死亡が確認された加藤さんの自宅から歩いて5分程の距離にある住宅街を犬の散歩をしていた男性が自宅の前で外国人とみられる男に声をかけられ、「カネ、カネ」と言葉をかけてきた。男性が「カネはない」と言うと10メートル程離れた住宅の駐車場に座り込んだ。男性は警察に通報。警察官6、7人がパトカーで駆けつけたが、男は逃走後であった。

 その後警察は周辺を徹底的に捜索したと言うが、本人を確認することも、犯罪を防ぐこともできなかった。

 最初の「NHK NEWS WEB」記事が事件経緯として伝えていた、〈熊谷署は9月13日に起きた、住居侵入事件で男の逮捕状を取る。〉とあるのは、上記件に関してであろう。

 人相を聞いて、パスポートの写真と一致したから、その名前で逮捕状を取った。住居侵入がカネ目的であったのは財布を熊谷署に置きっ放しにして逃走した無一文の関係からだと容易に想像がつく。

 このときは口でカネを要求するだけで、乱暴な力づくの態度は取らなかったが、相手がカタコトの日本語しか話すことができないという不満足な意思疎通能力を考えた場合、ちょっとした行き違いや一度失敗した焦りから、あるいはカネを要求された側が悲鳴を上げたりして異常なまでに恐怖を感じた態度を見せた場合、そのような態度に却って驚いたり、激怒したりして過剰反応する形でどう凶暴な態度を取らない保証はないと考えなければならなかったはずだ。

 当然、カネを持たないことからタクシーの運転手を威して遠方への逃走を謀ったり、あるいはカネを必要としていたことを確認している以上、タクシー代を踏み倒すだけではなく、売上金を奪おうとして運転手に危害を加えたりすることへの予防措置の手配をする一方で警察犬を使った捜索に加えて、家の中にまで入り込んでカネを要求するだけではなく、カネを持たないということは外出中の人間が空腹を満たすための当り前の方法を失っている状況にあることから、持間の経過と共に家の中にまで入り込んで食べ物を要求する危険性が高まることを想定して周辺一帯の住宅を一軒一軒訪ねて、住人の安否確認するだけの配慮は必要だったはずだ。

 だが、そういった危機管理の想像力を働かすことができなかった。

 働かすことができ、午後5時頃と午後5時半頃警察署の近くで住居侵入事件が相次いで2件発生以降、書いてきたような危機管理を実施していたなら、異郷の地に生きる30歳のペルー人を殺人の犯罪から救うことができたかもしれない。

 このことをも含めて、大失態の謗(そし)りは免れることはできないはずだ。

 阿波拓洋埼玉県警察本部刑事部長が記者会見で言っているように、「現段階では必要な捜査を行っていた」とは到底見えない。

 
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