民進党・共産党・社民党・生活の党野党4党提出安全保障関連法廃止法案の与党審議拒否方針は民意無視と驕り

2016-03-31 09:44:04 | 政治

 民進党・共産党・社民党・生活の党の野党4党が共同で提出している安全保障関連法を廃止するための法案の取扱いを自民・公明両党の幹事長と国会対策委員長が会談して協議、審議には応じない方針で一致したと「NHK NEWS WEB/2016年」記事が伝えている。 
 
 佐藤自民党国会対策委員長「安全保障関連法は、先の通常国会で衆・参両院の特別委員会で216時間に及ぶ審議を行った。野党の法案は決着がついている議論を蒸し返すだけのもので、審議を行う必要はない」

 対して民進党側。記者会見で次のように発言している。

 山井国会対策委員長代理「「国民の不安に真摯(しんし)に応えるのが国会であり、昨日法律が施行されたなかで、廃止法案の審議を行わないことを与党が決めたのは、国民に対してあまりにも不誠実だ。もし安倍総理大臣が、法律を重要、かつ、正しいと確信しているのならば、堂々ともう一度、審議すべきだし、審議を拒否することは、問題点が明らかになって、参議院選挙などの争点になったら、負けてしまうことへの不安の裏返しだ」

 通常国会衆・参両院特別委員会で216時間に及ぶ審議を行い、賛成多数で成立し、決着がついたのだから、これ以上の審議の必要はないと言っている。

 民進党側は廃止法案は国民の意向も含まれているのだから、一つの法案として審議すべきであり、審議を行わないのは国民に対して不誠実だと言っている。 

 与党側が指摘している成立を成し遂げた賛成多数はあくまでも選挙で得た多数派形成の議席を根拠としている。だが、選挙は新安保法制の政策一つを争点として戦い、その政策のみで獲得した議席ではない。

 自公与党は2014年総選挙で絶対安定多数の議席を獲得したが、安倍晋三は選挙結果を受けた記者会見の冒頭で次のように述べている。 

 安倍晋三「今回の総選挙は、アベノミクスを成功させるため、来年の消費税2%さらなる引き上げを1年半延期するという税制上の大きな変更について国民に信を問う解散でありました。いわば『アベノミクス解散』であったと思います」

 いわば消費税増税延期にアベノミクスの経済政策の成否を賭け、そのことを真正面に掲げて争点とした選挙であった。

 決して安保法制を争点として真正面から掲げた選挙ではなかった。

 但し記者との質疑で次のように安保法制に触れている。

 安倍晋三「先ず安全保障法制についてですが、今回の選挙はアベノミクス解散でもありましたが、7月1日の閣議決定を踏まえた選挙でもありました。そのことも我々、しっかりと公約に明記しています。

 また街頭演説においても、あるいは数多くのテレビの討論会でもその必要性、日本の国土、そして領空、領海を守っていく、国民の命と安全な国民の幸せな暮らしを守っていくための法整備の必要性、閣議決定をもとにした法整備の必要性ですね、集団的自衛権の一部容認を含めた閣議決定に基づく法整備、これを来年の通常国会で行っていく、これを訴えて来たわけです。

 このことにおいてもご支持を頂いた。当然、約束したことを実行していく。これは当然、政党、政権としての使命だと思う。来年の通常国会のしかるべき時に法案を提出していきたい。そして成立を果たしていきたいと考えています」

 安倍晋三は抜け抜けと総選挙で安保法制に関しても「ご支持を頂いた」と言っているが、安保法制に関してはあくまでもウラ争点としていたに過ぎなかった。

 人間は利害の生き物である。その生き物たるや、経済・生活を最大の利害としている。生活が成り立たなくなれば、日本の安全保障などどうても良くなる。身近の生きるか死ぬかが最も大切な利害となる。

 2013年参議院選挙も、憲法改正や原発政策を争点に加えていたものの、アベノミクスの成果・先行きが最大の争点であった。その結果、自公合わせて過半数を上回る135議席を獲得することができた。

 安倍晋三は人間が経済・生活を最大の利害としている生き物であることを巧妙に利用した。

 当然、現在の議席が安保法制に関わる民意のそのものを代表しているとは厳密には言うことができるわけではないのだから、このような議席を以ってして安保法制を成立させたからと言って、そこに全ての正当性を置くことはできない。

 しかも衆院の現在の議席は2014年12月の総選挙時のものであり、参院の議席は2013年7月のものであり、いずれも安保法制が成立する前の議席であって、成立イコール民意とすることはできない。

 安保法制成立後の民意はそのことだけを問う世論調査により良く現れることになる。

 安全保障関連法が2015年9月19日未明に成立したことを受けた「朝日新聞社」の9月19、20両日の安保関連法に賛否を問う世論調査。     

 「賛成」30%
 「反対」51%

 同じ9月19、20両日の「産経・FNN合同世論調査」 

 「集団的自衛権の行使を限定的に可能にする安全保障関連法の成立について」

 「評価しない」56・7%
 「評価する」38・3%だった。

 「日本の安全と平和を維持するための安保法制整備について」、

 「必要」69・4%
 「必要ではない」24・5%

 後者の「必要」は集団的自衛権行使を抜いた安保法制の整備についての態度も混じっていることになる。

 現在も集団的自衛権行使に対する反対の民意は根強い。

 このような民を受けた民進党・共産党・社民党・生活の党の安全保障関連法廃止法案であるはずである。どこに審議拒否をする理由があるのだろうか。山井国会対策委員長代理の主張は尤もということになる。

 拒否は民意を無視する態度に他ならない。多数派の議席の上に胡座をかいた驕りがそうさせるに違いない。

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白鵬千秋楽変化、スポーツライター玉木正之の「相撲は美しくなければならない」は人間知らずの無理難題

2016-03-30 08:55:56 | スポーツ

 3月29日TBS放送の昼のワイドショー「ひるおび!」が大相撲春場所千秋楽の白鵬の対日馬富士戦での変化を取り上げていた。白鵬の名古屋場所以来4場所ぶり36回目の優勝がかかった日馬富士との横綱同士の対戦で白鵬は右手を突き出して正面から低く当たっていく姿勢を見せながら、相手が突っかかってくるのを見て咄嗟に左に体をかわすと、日馬富士は突っかかった勢いのまま一直線に土俵外に飛び出してしまった。

 全く呆気ない幕切れであった。

 この変化に場内のファンから、「勝てば何でもええんか」、「恥を知れ」、「変わって勝ってうれしいんか」等々の罵声が飛んだとマスコミは伝えている。

 私は白鵬の変化に人間のある種の弱さを見た気がした。年齢的な体力の衰えへの自覚と万全ではなくなった自らの強さへの確信、新しい強い力の出現への恐れ等々が勝負に抱く自らの力の確実性を蝕み、相撲の内容よりもともかく優勝すること、優勝回数を重ねることを選ぶという守りに入ったのではないかと。
  
 勿論、推測が当たっているとは限らない。だが、幾ら能力優れた者でも、人間である以上、肯定的評価の感情のみに支配されているわけではなく、否定的評価の感情を常に背中合わせさせている。

 若い年齢にある強くて勢いのある者は否定的評価の感情を抑え、肯定的評価の感情をより前面に出すコントロールをよりよくし得ることができて、強さと若さと勢いを維持しているのであって、否定的評価の感情が皆無というわけではなく、常に両方の感情を併せ持っている。

 それが年齢に応じた体力の衰えと共に肯定的評価の感情と否定的評価の感情をそれぞれにコントロールする力が弱まって、思うようにそれができなくなって両者が拮抗していく過程で、あるいは逆転していく過程で否応もなしに守りに入っていくことになる。

 そして守りに入っていく中で一つでも優勝を重ねようとそれでも努力する。あるいは最後の力を振り絞る。優勝する力を失ったと自覚した時が引退の時となる。

 白鵬にしたら千秋楽最後の一番、横綱同士の対戦で変化して優勝を決めたことは不本意であったとしても、肯定的評価の感情と否定的評価の感情――強気と弱気それぞれをコントロールする力が弱まっている中で咄嗟に選択した一手が否定的評価を受ける変化であったとしても、兎に角勝って優勝回数を重ねる守りを優先させたということではないだろうか。

 ところが29日の「ひるおび!」でスポーツライター玉木正之が白鵬の変化を強い口調で批判していた。

 玉木正之「格闘技的には勝ち負けであるが、相撲というのは単なる格闘技とかスポーツと違って、美しさを求める。そういう意味では(白鵬の変化は)美しくなかった。横綱の取る相撲ではない」

 要するに玉木正之は横綱は人間が併せ持つ肯定的評価の感情と否定的評価の感情を年齢や体力の衰えに無関係に完璧にコントロールし得て、自身の意志を常に肯定的評価の感情のみで成り立たせることができる存在――完璧な人間でなければならないと規定していることになる。

 そのような存在がどこに存在するのだろうか。

 どう見ても、人間とはどのような生き物なのか、そのことを知らないままに完璧さを求める無理難題に見えて仕方がない。

 白鵬の変化に「勝てば何でもええんか」、「恥を知れ」、「変わって勝ってうれしいんか」等々の罵声を飛ばした相撲ファンにしても言葉では表現していなくても、人間とは常に完璧な生きものではないにも関わらず、白鵬に横綱としてこうあるべきだとの固定観念を一歩も譲らずに完璧な人間性を求めたことになる。

 弱気や迷い等の否定的評価の感情をも抱えた人間であるにも関わらず、そのことに目を向けることができないことも無理難題を強いる一因となる。

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3/28参院予算委民進党結党後質問トップバッター安井美沙子は才媛なのか、間抜けか皆さんの判断を乞う

2016-03-29 10:29:34 | 政治
 

 安井美沙子のプロフィールを「Wikipedia」で見てみた。

 先ず50歳。〈日本の政治家、コンサルタント。「政策プロデューサー」の肩書を持つ。地域活性学会、行政経営フォーラム所属。民主党所属の参議院議員(1期)。青山会(旧樽床伸二グループ)に参加していた。〉

 〈東京都出身。東洋英和女学院中学部・高等部を経て、上智大学法学部を中退後、渡米しニューヨーク大学ジャーナリズム学部に編入し卒業。同大卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社し、コンサルタントとして企業の経営戦略などを手掛ける。ミスミ(現ミスミグループ本社)勤務の後、1996年にコンサルタントとして独立。以後、岩手県「食と農の研究会」委員、大阪市役所市政改革本部調査員、橋下徹知事時代に大阪府特別参与等を歴任。〉等々。

 安井美沙子は会派名は元のまま(民主党・新緑風会)だがと断った上で、「民進党の安井美沙子です」と言って、民進党のトップバッターとして質問を始めた。

 安井美沙子「民進党は『自由・共生・未来への責任』を結党理念としております。『共生に触れても』、(脳科学者の)茂木(健一郎)さんは『共生の精神がなければ日本の経済成長はない。共生ということが実は最大の経済成長の政策だ』ともおっしゃいました。

 安倍政権の1億総活躍も方向性は同じだと思うのですけど、民進党結成及び茂木さんのメッセージについての感想、総理おっしゃってください」

 なぜここで一発かまさなかったのだろう。

 「安倍政権の1億総活躍も一見同じ方向性に見えますが、格差の中の共生、いわば格差を認めさせた共生の強制であって、民進党が目指すより平等を基本構造とした共生とは似ても似つかぬものです」と。

 安井美沙子は安倍政権にエールを送って、新党へのエールを求めたに過ぎない。

 安倍晋三「今の、新たに民進党としてスタートされました。祝意を申し上げたいと思います。民主主義に於いてはですね、政党間が切磋琢磨して政策を鍛え合い、そしてそのことによって国民の負託に応えていくことが求められているんだろうと思います。

 我々もですね、民進党に負けないようにしっかりと、えー、胸を引き締めて頑張っていきたいと、こう考えております。

 そしてまた、共生ということにつきましてはですね、共に支え合って、そして同じ空間、同じ環境をですね、共に生きながら、共に支え合い、そして活躍していくことが求められているんだろうと思うところでございまして、私たちが進めている経済政策に於きましても、すべての方々が力を発揮していく社会を作るということにつきましては同じ方向性ではないかと、このように考えております」」

 言葉に詰まって、「えー」と考えて、「気持を引き締めて」と言うところを「胸を引き締めて」となったようだ。

 但し、こういった答弁がどれ程に意味があり、どれ程に役に立つというのだろうか。民進党の共生理念と安倍晋三の1億総活躍社会を含めた経済政策は同じ方向性だエールを送られた。

 安倍晋三の共生は、本人は触れたくないから、触れようとはしないだろうが、格差の中の共生を実態としている。だが、民主党とは同じだと認知した。有り難いことではないか。

 安井美沙子はどうも政策を対峙させていることを忘れているようだ。

 安井美沙子「総理からお祝いのお言葉を頂きまして有り難うございます。そして共生社会についても建設的なご意見を頂きまして本当に有り難うございます」

 政権交代を目指す以上、本来なら他党からは嫌悪・忌避される新党結成でなければ結成の意味はない。だが、安倍晋三は余裕のある態度でエールを送った。民進党を警戒する程の相手とは見ていない証拠である。

 安井美沙子はそのことに気づかずに安倍晋三のエールに素直に感謝した。この他愛(たわい)のなさは何を物語るのだろうか。

 安井美沙子「ところで共生や1億総活躍からはかなりかけ離れた自民党議員の言動が目立ちます。先ず巫女のくせに発言。『自民党のことは余り好きではない』と言われ、『巫女のくせに何だと思った、私の世話を焼いた巫女さんが二十歳(はたち)くらいだった、投票は初めてと言うことだから、一つ口説いてやろうと思った』

 これ、何でしょうか。政治家の公での発言としては看過できません。女性としても聞き捨てならない発言です。神社関係者にも大変失礼だと思いますが、総理は御党(おんとう)の議員に対して何か注意やご指導されたのでしょうか」

 安井美沙子は大西英男のこの発言が何を意味するのか理解していないようだ。巫女のどの党を支持するか否かの思想・信条の自由を認めず、相手を若い女と見て侮ったからだろう、肉体関係を結んで相手の思想・信条を自身の思想・信条に取り替えようと、少なくとも意志した点で基本的人権の侵害に触れるだけではなく、国会議員という立場上、余りにも卑しく、深く品性に関わる問題でもあるはずである。

 当然、神社関係者とかの個別的なことではなく、男女区別なく、また老若区別なく人間の存在性全般に対する基本的人権の侵害に関係する不遜な挑戦と見なければならない。

 それを単に日常行為に於ける失礼だとか、失礼でないとかの問題に、あるいは看過できない程度の問題に貶めた。

 安倍晋三「私は神道政治連盟(国会)議員懇談会の会長をしております。この観点からもですね、日頃よく神主の方々にも、あるいは巫女さんたちともお話をさせて頂く機会があるわけでございますが、あー、永らく日本の伝統、そしてまたあるいは様々な事柄に対して常に手を合わせながら考えていく、祈っていくという謙虚な姿勢に我々は学ぶところが多いとこう思っている次第でございますが、常に敬意を表してきたところでございます。

 こういう誤解を受けるような発言をしたということは残念であろうと、残念であるわけでございますが、本人も訂正をした、訂正をし、謝罪したということを承知しております」

 前段の神道に関係した政治団体の会長をしていて、神社の神主が手を合わせる姿勢に学ぶとか学ばないとかは安倍晋三自身の問題で、中西英男の巫女発言に関係しない。

 関係もないことを長々と答弁して誤魔化すのは安倍晋三の得意技に過ぎない。

 また、後段の「こういう誤解を受けるような発言をしたということは残念であろうと」と言っている「残念であろうと」は中西英男の心情を思い遣った安倍晋三自身の主観である。いわば「残念」の主語を中西英男に置いている。

 意味は「中西英男は自身の発言が誤解を受けることになって残念に思っているだろう」となる。

 だが、途中でマズイと気づいたのだろう。そこで「(誤解を受けるような発言をしたということは)残念であるわけでございますが」と咄嗟に「残念」の主語を自身に置き換えた。

 但し「残念」の主語が誰であろうと、中西英男の「巫女発言」は誤解に過ぎないとしている点に変わりはない。つまりマスコミが伝えている発言と異なる発言をしたのだが、マスコミが間違った報道をしたために誤解を受けることになったという安倍晋三の趣旨となる。

 誤解であるなら、訂正も謝罪も必要ないことになるが、大西英男は訂正と謝罪のコメントを出した。

 この矛盾はどう説明するのだろうか。

 矛盾を解くとしたら、マスコミ報道が事実であり、その事実に応えた中西英男の訂正と謝罪のコメントだとしなければならない。前者を虚偽とすると、後者は成り立たなくなる。

 中西英男の巫女発言は既に触れたように巫女の思想・信条の自由を認めない基本的人権の否定と、尚且つ肉体関係を結んで相手の思想・信条をどうこう少なくとも意志した人間の存在性全般に対する不遜な挑戦という国会議員の品性に関わる問題とするなら、「訂正をし、謝罪した」からと言って、許される問題ではない。

 謝って済むなら、警察は要らないと同じである。

 当然、安井美沙子はこの点を突かなければならない。

 安井美沙子「ハイ、また別の御党議員はJA関係者に対し暴力を振るったということが報道されて・・・(と、加工食品の原産地表示についてJA全農などからのヒアリング実施会合後、農業政策を巡ってJA関係者と口論になり、相手の腹部を拳で殴った山田俊男自民党参議院議員(69)の暴力事件を取り上げ)こちらの議員には総理は何らかの指導や注意をされたでしょうか」

 中西英男の巫女発言を日常行為に於ける失礼だとか、失礼でないとかの問題と見ていたからだろう、謝って済むなら、警察は要らないをあっさり通してしまった。

 安倍晋三「報道は承知しておりますが、事実関係は承知しておりませんので、コメントのしようがないということでございます」

 安井美沙子「ハイ、こうした事例が増えているような気がします。事実関係を確認された次第、必ずやご注意されて頂きたいと思います。

 こういったことは御党だけの問題にとどまらず、国民の政治不信・政治離れに繋がることでありますので、引き締めて頂きたいとおもいます」

 以上の質問は打ち切って、消費税増税を先送りするというマスコミ報道の真偽に質問を移すが、あっさりと否定される。

 山田俊男が農協関係者に暴力を振るったのは3月18日である。この参議院質疑は3月28日。10日も経過していながら、自民党総裁でもある安倍晋三は所属議員の暴力事件を報道で知りながら、その情報のみにとどめて、事実関係は調べもしなかったし、誰かに指示して調べさせることもしなかった。

 果たしてこの点を突かなくてよかったのだろうか。

 参議院で民進党結党後のトップバッターを務めながら、しかも渡米してニューヨーク大学ジャーナリズム学部に卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社、コンサルタントとして企業の経営戦略などを手掛ける才媛でありながら、その優れた能力を今回の質疑に発揮したと見ることができるのだろうか。

 それもとも能力への期待を裏切って、間抜けな質問に終止したと見るべきだろうか。

 皆さんの判断を乞うしかない。

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岡田代表民進党結党挨拶、国民の信頼回復のラストチャンスではなく、政権交代可能性実現のそれとした不可解

2016-03-28 08:57:22 | 政治

 民主党と維新の党が合流した民進党が2016年3月27日結党大会を開いて岡田克也代表が挨拶したとマスコミが伝えているから、民進党のHPにアクセスしてみた。

 挨拶の内容がどこにも載っていない。但し「動画」は載っていた。文字情報でも伝える丁寧さを欠いていて、どこかマヌケている。
  
 挨拶全文を探したところ、「asahi.com」が伝えていたが、断言調になっている。断言調と丁寧語では随分印象が異なる。動画の発言の丁寧語に替えてここに載せることにした。    

 岡田克也「今日は歴史的な日です。日本の将来が我々にかかっています。自由、共生、未来への責任。この三つの言葉を結党の理念として、覚悟を持って新進党……民進党、スタートさせましょう。失礼しました。

 結党宣言にあったように戦後70年、今日本は時代の大きな分岐点にあります。ここで絶対に道を誤ってはならない。その危機感を我々は共有しなければなりません。安倍政権のもと、表現の自由、知る権利といった憲法の保障する基本的な権利すら脅かされ、憲法の根幹である平和主義がないがしろにされています。

 格差が拡大し、国民、とりわけ子ども、若者が将来に希望が持てない状態です。民進党は安倍政権の暴走を止めなければなりません。困難を乗り越え、一人一人が大切にされ、安心して生活できる社会。そして平和な日本を強い決意を持って実現しなければなりません。

 我々は政権・与党として、十分な期待に応えられなかったこと。大事な時に結束できなかったこと。離合集散を繰り返したことを深く反省します。そのうえで不屈の精神で挑戦しなければなりません。民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスであるという認識を持たなければならない。その認識を共有し、力強く前に進もうではありませんか。

 私が政治家になって、それ以前と大きく認識を変えたことが一つあります。地域で生活する普通の人々の素晴らしさです。座談会やミニ集会で多くの人々と対話してきました。出会いがありました。自分だけではなく、地域全体のことを考える人々。今だけではなく、日本の将来、若い世代のことを思い、責任を果たすという強い思いを持った人々。それらの素晴らしい人々がある限り、日本は大丈夫だと。日本の将来は明るい。そう私は確信している。国民が持つこういう素晴らしさを引き出すことこそ、我々民進党の役割です。

 先ず国民の声に耳を傾けましょう。国民と正直に率直に語りませんか。そして双方向で対話しましょう。国民と共に進む。国民と共に進む。これが民進党です。

 夏の参院選挙、危機感を共有する多くの国民と共に戦い抜き、期待に応えましょう。ここで政治の流れを変える。私は代表としてすべて責任を負い、必ず結果を出す。安倍政権が衆参同時選挙をやるというなら、受けて立とうじゃありませんか。

 日本の政治を国民の手に取り戻すために、全党一丸となって国政選挙を勝ち抜きましょう。自公対国民の良識の戦いに勝利しましょう。今日をスタートに国民と共に素晴らしい日本をつくっていくことを誓い合おうじゃありませんか。

 ありがとうございました」(以上)

 岡田克也は「先ず国民の声に耳を傾けましょう。国民と正直に率直に語りませんか。そして双方向で対話しましょう。国民と共に進む。国民と共に進む。これが民進党です」と党の役割を訴えている。

 だが、実際には国民の声に耳を傾けていない。

 このことは「我々は政権・与党として、十分な期待に応えられなかったこと。大事な時に結束できなかったこと。離合集散を繰り返したことを深く反省します。そのうえで不屈の精神で挑戦しなければなりません。民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスであるという認識を持たなければならない。その認識を共有し、力強く前に進もうではありませんか」と言っているところに現れている。

 「民進党は、日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスだという認識を持たなければならない」と言っている意味は、「民進党の結党は政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスである」、あるいは「民進党は政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスの政党である」と言うことであろう。
 
 確かに政権担当の失敗、国民の期待を大きく裏切ったことについて反省の念を示している。だとしたら、民進党結党を「政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンス」とするのではなく、国民の信頼を再び取り戻すことができるかどうかのラストチャンス――取り戻すことができるかどうかの瀬戸際としなければならないはずだ。

 政権交代であろうと何であろうと、全ては民進党に対する国民の信頼にかかっているからだ。

 政権獲得は国民の信頼の上に成り立つ。国民の信頼を取り戻し得て初めて政権交代可能な政治を実現するためのチャンスが訪れ、それをラストチャンスとすることなく、継続的なチャンスとしなければならない。

 だが、反省はするものの、国民の信頼回復への視点を欠き、いきなり結党を政権交代可能な政治実現のラストチャンスとする。

 つまり自分たちの政権獲得欲求のみを前面に押し出して、国民を自分たちのその欲求の背景に退けている。国民の声に耳を傾けていないのと同然である。

 もし政権交代可能な政治実現の訴えをではなく、国民の信頼回復に主眼を置いた挨拶になっていたなら、「地域で生活する普通の人々」がいくら「素晴らし」くても、あるいは「それらの素晴らしい人々がある限り、日本は大丈夫だと」確信していたとしても、そのような「人々」が民進党と信頼関係で結びついた存在となっていなければ意味のないことに気づくはずで、違った訴え方になっていたはずだ。

 事実、世論調査を見る限り、そのような存在の多くは民進党にではなく、安倍自民党に信頼を寄せた関係にあることが分かる。

 「ロイター」が2016年3月27日付で伝えている3月26、27両日実施の「共同世論調査」を見てみる。      

 「民進党に期待するか」

 「期待する」26・1%
 「期待しない」67・8%

 「政党支持率」
 
 「民進党」8・0% <(2月調査「民主党」9・3%+「維新の党」1・2%)

 国民の民進党に対する信頼がこの程度であるにも関わらず、あるいはこの程度の信頼回復にとどまっているにも関わらず、更に国民の民進党に対する政権交代への期待は国民の民進党に対する信頼に対応する要素であるにも関わらず、信頼回復を差し置いて「日本に政権交代可能な政治を実現するためのラストチャンスだ」と大上段に構えた。

 何という不可解な挨拶だろうか。決して国民の声に耳を傾けた挨拶とは言えない。

 結党大会で信頼回復以外の何を訴えようとも、綱領に何を掲げようとも、一にもに二にもなく“信頼回復”の実を上げなければ、政権交代の可能性に近づくチャンスを手にすることはできない。

 いわば結党を第一歩とするのではなく、結党を契機とした国民の信頼回復を第一歩としなければならない。

 だが、挨拶からはそういったことが伝わってこなかった。

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安倍晋三の一億総活躍国民会議、長時間労働の是正は言うが、その原因がどこにあるのか気づいていない

2016-03-27 10:03:44 | 政治

 安倍晋三が2016年3月25日、首相官邸で第6回一億総活躍国民会議を開催、有識者の議論後の締め括りに発言している。

安倍晋三「第一に、長時間労働の是正であります。長時間労働は、仕事と子育てなどの家庭生活の両立を困難にし、少子化の原因や女性の活躍を阻む原因となっています。戦後の高度経済成長期以来浸透してきた『睡眠時間が少ないことを自慢し、超多忙なことが生産的だ』といった価値観でありますが、これは段々ですが、そうでもない、生産性もないという雰囲気が、この3年間で大分変わり始めているのではないかと思います。

 私はまだ若いサラリーマンの頃、こういう価値観があって、8時くらいに帰ろうとするともう帰るの、という雰囲気があったわけですが、企業側に聞いたところ、政府が全体の労働時間の抑制や働き方を変えていくことについて、旗振り役を期待しているかということについて期待している人が90%ということは、皆帰るのだったら帰りたいということに変わり始めている。やっとそういう雰囲気に変わり始めたので、ここは、正に我々が更に背中を押していくことが大切であろうと思います。

  先ず、法規制の執行を早急に強化をします。時間外労働を労使で合意する、いわゆる36協定において、健康確保に望ましくない長い労働時間を設定した事業者に対しては、指導強化を図ります。また、関係省庁が連携して、下請などの取引条件にも踏み込んで長時間労働を是正する仕組みを作ります。これらの執行強化について、厚生労働大臣におかれては、経済産業大臣、加藤大臣の協力の下、具体策を早急に取りまとめ、直ちに実行に移していただくよう、お願いをいたします。

 労働基準法の改正につきまして、多様な議論がありました。これについては、現在提出中の労働基準法改正法案に加えて、36協定における時間外労働規制の在り方について再検討を行うこととします」(首相官邸HP)  

 言っていることは戦後の高度経済成長期、実際は戦前も同じで、日本の労働形態に於ける伝統と文化となっていたのだが、長時間労働が勤勉さを示す美徳とされていた。だが、「この3年間で」この美徳が崩れつつある。長時間労働が必ずしも生産性を上げる要因となっていないということであろう。

 事実日本は先進国中、長時間労働に関しては優秀な生徒であることを示すものの、逆に生産性に限っては最低の成績しか上げ得ない生徒でとどまっている。

 つまり生産量を上げるために労働時間の長時間化を必要としているが、その長時間であることが逆に一人当たり・1時間当たりの生産性を下げる要因となっている。

 《日本の生産性の動向2014年版》(公益財団法人日本生産性本部/2014年12月18日)によると、〈2013年の目本の労働生産性(就業者1人当たり名目付加価値)は、73、270ドル(758万円/購買力平価(PPP)換算)。順位をみるとOECD加盟34カ国中第22位で前年と変わらず、主要先進フカ国では1994年から20年連続で最下位となっている。

 就業1時間当たりでみた目本の労働生産性は41.3ドル(4、272円)。英国(46.6ドル)やアイスランド(43.8ドル)とほぼ同水準であった。OECD加盟34カ国の中では第20位となっている。〉   

 アメリカの前者が3位、後者が4位と比較すると、どれ程低いか理解できる。

 だから、少子化の改善のためにも女性の社会進出を図るためにも、あるいは女性の活躍の場を広げるためにもを長時間労働を是正して、生産性を上げなければならないということであろう。

 果たして上首尾に進むだろうか

 既に触れたように日本に於ける長時間労働と生産性は常に相互に関連性を持って推移してきた。その中身が長時間労働の割には生産性は低く、逆に生産性が低い割には長時間労働となっているという関係性である。

 安倍晋三の好きな言葉で言うと、この関係は“ファクト”であり、ファクトである以上、一般的には労働時間を短くすれば、短縮化に比例して生産性はなお低くなることになる。

 確かに残業時間を廃止することで逆に生産性が上がったといった会社は存在するが、あくまでも労働体制を比較的に自由に変え得るサービス業を主体とした第3次産業に於いてであって、労働形態が固定化されている第1次産業の個人経営が多くを占める農業・漁業、第2次産業の製造業等の長時間労働と低い生産性がより深く関連し合っている現場では逆に労働時間の短時間化は生産性低下に直接影響してくることになる。

 当然、日本の労働慣習である長時間労働が生産量の増加には役立っていても、なぜ生産性向上に直結していないのか、その阻害要因となっているのか、その原因を突きとめない限り、単に長時間労働を是正しますでは済まないことになるが、そこまで考えない安倍晋三となっている。

 但し安倍晋三は生産性向上の阻害要因の一端を示している。 

 「企業側に聞いたところ、政府が全体の労働時間の抑制や働き方を変えていくことについて、旗振り役を期待しているかということについて期待している人が90%ということは、皆帰るのだったら帰りたいということに変わり始めている。やっとそういう雰囲気に変わり始めたので、ここは、正に我々が更に背中を押していくことが大切であろうと思います」云々。

 労働時間の短縮化と働き方の改善に向けて政府の旗振り役を期待している企業が90%も存在する。

 このことは何を意味しているかと言うと、企業の判断を含めた行動性が集団主義を構造として成り立たせているということである。政府が旗を振って決めてくれれば、各企業は一団となって決めたとおりに一斉に右へ倣えができると、企業が集団主義性に支配されていることを自ら証明していることになる。

 このことをそのまま裏返すと、企業毎に長時間労働が生産性向上に繋がらず、逆にその阻害要因となっていることを自ら解決すべきとする主体性の発揮・自律性の発揮を自らに期待せずに政府に期待していることの暴露となる。

 この企業の非主体性・非自律性は企業の構成員(全従業員)の非主体性・非自律性の反映であり、相互性を成している。どちらかが反するということはあり得ない。

 企業構成員の非主体性・非自律性の反映である、90%も占める日本企業の非主体性・非自律性こそが、このことを原因として労働者一人ひとりの生産性が低いために生産量を上げるために長時間労働を必要とするが、長時間労働によって生産量は上げることができるものの、生産性に関しては何も変わらない、あるいは長持間労働になる程、労働のマンネリ化・機械的労働化から生産性がより低くなる悪循環を招いている要因の正体だということであろう。

 と言うことは、日本人の集団主義を構成している非主体性・非自律性を改めて、欧米の個人主義が構成している主体性と自律性を獲得しない限り、いくら政府が旗振り役を務めたとしても、長時間労働の機械的な短縮化はそのまま機械的な生産性の短縮化となって現れることになる。

 安倍晋三の一億総活躍国民会議での長時間労働の是正はどうもこのような方向に進むことになりそうだ。

 経済界の二人の御大も安倍晋三を同じ考えでいる。

 榊原経団連会長「日本企業の慣行となっている長時間労働は、企業の生産性向上の阻害要因となっている。まずはトップが意識改革を行い率先して是正に向けて対策を行うべきだ。

 経済界としても、どういう形で見直すべきかこれから検討していきたい」

 三村日本商工会議所会頭「中小企業にとって長時間労働の是正は、生産性を上げないかぎり絶対できないので、生産性を上げようというインセンティブが与えられるという意味では非常に大事な課題だと思う。

 (一方)中小企業は多くの企業が人手不足に悩んでいる。そういうことを考慮しないで一律に長時間労働を是正するとなると困ってしまう」(NHK NEWS WEB/2016年3月25日 19時21分)   

 二人とも長時間労働と生産性の相互関連性は理解しているが、安倍晋三と同様に生産性を阻害している本質的な要因――集団主義とそれを構成している非主体性・非自律性にあることに気づいていない。

 長持間労働の短縮化の結果、生産量が上がらなくなって、困惑することになるのではないだろうか。


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大西英男の巫女発言、彼女の思想・信条を肉体関係でどうこうしようとしたのは国会議員として余りにも卑しい

2016-03-26 06:03:32 | 政治

 問題発言男の細田派所属大西英男衆院議員(69歳)が再び問題発言をした。

 最初は2014年4月の衆院総務委員会。当時日本維新の会の上西小百合議員(32歳)に「子供を産まないとダメだぞ」とセクハラやじを飛ばして問題視されると、後で本人に電話して謝罪している

 次は2015年6月25日、百田尚樹を講師に呼んで自民党本部で自民党所属安倍シンパ若手国会議員約40人出席で開催した「文化芸術懇話会」で安倍晋三が狙う集団的自衛権行使を憲法解釈で認める新安保法制に批判的なマスコミに関して次のように発言している。

 大西英男「マスコミを懲らしめるには、広告料収入がなくなるのが一番。政治家には言えないことで、安倍晋三首相も言えないことだが、不買運動じゃないが、日本を過つ企業に広告料を支払うなんてとんでもないと、経団連などに働きかけしてほしい」

 この発言は誰が見ても言論の自由・報道の自由を認めない、そのことに無知な発言であるが、と同時に自分たちの思想・信条を絶対とし、他を排除する思い上がりがある。

 そしてこのことと今回の問題発言は深く関係している。謝罪しようがしまいが、基本的人権に関わる人間としての本質は何も変わっていない。つまり謝罪は口先だけで、批判は腹には届いていない。

 大西英男は3月24日、自身所属の細田派会合に出席、衆議院北海道5区補選の応援で現地入りして補選の必勝祈願のために神社を訪れたことを紹介してから次の発言を行ったという。

 大西英男「私の世話をやいた巫女さんは、『自民党はあまり好きじゃない』と言う。『巫女さんのくせに何だ』と思った」(NHK NEWS WEB/2016年3月25日 14時52分) 

 他の記事はこの後の発言も伝えている。

 マスコミが次々と報じたからだろう、大西英男が謝罪のコメントを出すことになり、同記事はそのことも伝えている。

 大西英男コメント「「私の発言でお騒がせし、申し訳ございません。軽率な発言であったことを謝罪するとともに、関係者の皆さまにおわび申し上げます。今後は、発言、行動により一層の注意を払い、議員として活動してまいります」

 基本的人権に関わる人間としての本質は何も変わっていないのだから、腹の中では、「何言ってやがんだ」ぐらいにしか思っていないだろう。

 続けた発言を見てみる。

 大西英男「巫女さんを誘って札幌の夜に説得しようと思った」(asahi.com/2016年3月24日19時03分)  
 
 この記事では大西英男が神社で出会った巫女に自民公認候補への支援を依頼して忌避される態度を取られたことになっている。

 どの党を応援しようと本人の思想・信条の自由に関わる問題である。そのことを厳格に認識することができずに「巫女さんのくせに何だ」とカチンときた。

 当然、自身の思想・信条を絶対として他の思想・信条を認めまいとする精神構造がこういった感情を生むことになる。それぞれの思想・信条の問題だとしていたなら、決してカチンとすることはない。

 この精神構造は「巫女さんを誘って札幌の夜に説得しようと思った」の発言にも現れている。

 いや、こういった精神構造だからこそ、このような発言に繋がることになる。

 要するに肉体関係を持てば男の言いなりにすることができる――相手の思想・信条を自分の思想・信条に自由に取り替えることができると、自身の思想・信条を絶対的としていることに対して他者の思想・信条を軽んじている精神性を見せることになる。

 他者の思想・信条を軽んじている精神性だけでも卑しいというのに肉体関係でどうこうしようとしたのは国会議員として余りにも卑しい。

 かつての問題発言、言論の自由・報道の自由を認めずに自分たちの思想・信条を絶対とする、他者排除の思い上がりが巫女に対してもそっくりそのまま現れたばかりか、同調しない思想・信条を相手が女性だからと、肉体関係でどうこうしようと考えた。

 大西英男という国会議員の基本的人権に関わる人間としての本質は何年経っても変わっていない。その本質を本質のママとしている。

 問題はその人物が国会議員だということである。国民の選良として収まっている。何という滑稽な現象だろうか。

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安倍晋三の防衛大訓示、自衛隊の任務は「国民のリスクを下げるため」の一面性に指揮官としての危惧を覚える

2016-03-25 06:56:49 | 政治

 3日連続で3月21日の安倍晋三の「防衛大卒業式訓示」を取り上げてることになる。 

 安倍晋三「私たちが、望むと望まざるとに関わらず、国際情勢は絶えず変化し、日本を取り巻く安全保障環境は厳しさを増している。この冷厳な『現実』から、私たちは目を背けることはできません。

 しかし、いかなる状況にあっても、国民の命と平和な暮らしは、断固として守り抜く。これは、私たち政府にとって最も重い責任であります。

 その責任を全うし、子や孫の世代に、平和な日本を引き渡すため、強固な基盤を築く。そのことを考え抜いた末の結論が、『平和安全法制』であります。

 『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえる』

 この宣誓の重さを、私は、最高指揮官として、常に、心に刻んでいます。

 自衛隊員に与えられる任務は、これまで同様、危険の伴うものです。しかし、全ては、国民のリスクを下げるため。その任務は、誠に崇高なものであります。そして諸君は、この困難な任務に就く道へと、自らの意思で、進んでくれました。

 諸君は、私の誇りであり、日本の誇りであります」――

 確かに軍隊の存在は、それが独裁者が支配する軍隊でない限り、国家の平和の維持を目的とする。だからと言って、無傷のまま常にその目的に添うとは限らない。

 自衛隊はこれまで訓練以外に軍事的活動を行ってこなかった。今後「平和安全法制」に基づいて事実上の軍事的活動を行うことになれば、「国民のリスクを下げるため」を目的としていたとしても、「国民のリスク」を上げるケースも生じる両面性を抱えることになる。

 軍隊が常に「国民のリスクを下げる」一方のみの一面的存在であるなら、この世界に戦争は存在しなかったことになるし、今後とも存在しないことになる。第1次世界大戦でも、第2次世界大戦でも、例え勝者の側につくことになったとしても、自国民の中から多大な犠牲を払うことになるリスクの両面性を見ることになった。

 特にテロが世界的に横行する現代、軍隊が自国民のリスクを上げる結果を招く、その両面性を多く見ている。

 日本の戦前を例に取るなら、日中戦争を含めた太平洋戦争では兵士のみならず銃後の国民のリスクまで上げる一面性のみが突出した戦争遂行となった。

 現在の自衛隊がそうならない保証はない。

 アメリカは外国の地で行った湾岸戦争やイラク戦争、アフガン戦争によって自国内へのイスラム過激派テロを招いて多くの犠牲者を出し、結果としてアメリカ国民のリスクを上げることになり、現在もそのリスクに日々備えていなければならない両面性の渦中にある。

 その最近の例では昨年2015年12月2日の米カリフォルニア州サンバーナディーノの福祉施設での銃乱射事件を挙げることができる。表面的には礼儀正しい夫婦であったそうだが、「イスラム国」に忠誠を誓っていて、その思想を実行に移し、14人を死亡させ、17人を負傷させている。

 世界一立派な軍隊が「国民のリスクを下げる」価値を付与されていながら、その一面性に安住できずに、いつ、どこで、テロと遭遇しないとも限らない、リスクの両面性の中での生活を強いられることになる。

 国家を名乗ったテロ過激集団の「イスラム国」を叩くために有志連合を組んで空爆に加わっているフランスもベルギーも、そのような自国軍の軍事活動によって自国内にそれぞれテロを招き、国民のリスクを上げる両面性に見舞われている。

 フランスは2015年11月13日(日本時間14日)のパリ同時多発テロによって今後のテロへの備えをしなければならないリスクを抱えると同時に外国からの観光客が激減、一大産業である観光産業が打撃を受けていることも、経済的な意味合いではあっても、フランス国民にとっては生活を脅かしかねない一つのリスクであろう。

 自衛隊が「平和安全法制」に基づいて安倍晋三の「誇りであり、日本の誇り」として軍隊へと成長していき、それに伴って「国民のリスクを下げる」役割を果たしたとしても、その一面性のみで無事完了すると考えるのは自衛隊の軍隊としての存在を安請け合いすることでしない。

 日本が防衛費を増加させて最新鋭の兵器へと転換を計れば、中国もそれ以上に軍事費を増加して対抗していくこともリスクの両面性を物語る一つの有力な証明となる。

 軍隊の存在は、それが安倍晋三の「誇りであり、日本の誇り」であったとしても、「国民のリスクを下げるため」の一面性のみならず、国民のリスクを上げる事態を招くこともある両面性を持った両刃の剣であることを常に認識していなければならない。

 だが、安倍晋三はオメデタイ単細胞の持ち主だからだろう、自衛隊員の任務、その軍隊としての存在を「全ては、国民のリスクを下げるため」だと、一面的価値しか与えていない。

 ときにはマイナスの価値をも抱え得ることになる両面性に備える視点も危機管理も欠いている

 もしも自衛隊の最高指揮官である安倍晋三が「国民のリスクを下げるため」との一面的価値観のみを大義名分とする偏った考えで、両面性を危機管理としなければならないにも関わらず、危機管理せずに自衛隊の軍事活動を推し進めていった場合、果たして妥当な指揮権の発動を見ることができるだろうか。

 その点に安倍晋三が自衛隊の最高指揮官であることの危惧を覚えないわけにはいかない。

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安倍晋三は自衛隊員が海外でテロ集団に拘束された場合、身代金要求に応じずにやはり見殺しにするのだろうか

2016-03-24 08:46:30 | 政治

 昨日のブログに続いて、今日も2016年3月21日安倍晋三の「防衛大訓示」の問題点を取り上げてみる。どうも口先だけの発言が多いように見える。 

 安倍晋三「北朝鮮が、核実験に続き、弾道ミサイルの発射を強行しました。挑発行為が繰り返されています。我が国の安全に対する直接的かつ重大な脅威であり、断じて容認できません。

 我が国の南西方面では、領空への接近や領海への侵入が繰り返されています。国籍不明機に対するスクランブルは、この10年間で7倍にも増加し、外国艦船の活動も拡大の一途にあります」

 日本を取り巻く安全保障環境の厳しさが増してきていることを訴えてから、続けて次のように発言している。

 安倍晋三「テロの脅威は、世界中に広がり、深刻さを増しています。昨年は、日本人も、その犠牲となりました」

 昨年の2人の日本人の犠牲に関してはこれだけしか触れていない。国民の生命・財産を与る政府のトップとして救出に力となることができなかったせめてもの済まなさ、そして2人の無残にも失われた命への惜しみを微塵も見せずに犠牲の事実のみを味も素っ気もなく機械的に伝えている。

 尤も機械的な簡単過ぎる文言で片付けたのは、テロ集団に対しては身代金要求には応じない姿勢で臨むことは一切国民に伝えず、そういった姿勢は見殺しにする選択肢も想定していただろうし、結果としてそうなったから、隠したいことが一杯あって、モノ扱いのような機械的な文言にならざるを得なかったのだろう。

 今年6月に取材でシリア国内に入ったあと行方不明となったフリージャーナリストの安田純平さんがイスラム過激派「ヌスラ戦線」に拘束されていることがその映像の3月16日のネット公開で判明、去年暮れ頃から身代金を要求して日本政府と交渉していることと、映像公開は日本側が安田さんの「生存証明」を求めたためだと仲介役のシリア人男性が語ったと「47NEWS」が伝えているが、身代金支払いの有無をカギとした交渉の過程が今以て見えてこないのは安倍政権に昨年の2人の日本人同様に身代金交渉に応じる意思がなく、実際にもそのような交渉に応じていないからであるはずだ。   

 事実その意思がないことを「asahi.com」記事が官邸幹部の発言を介して伝えている。  

 「向こうの要求に乗るようなことはない」

 当然、安田純平さんの場合も見殺しにするケースを選択肢の一つとしているはずだ。そのような選択肢を想定せずに身代金要求に応じない姿勢を示すことはできない。
 
 問題は今後海外活動の増加が予想される自衛隊員が活動の過程でイスラム過激派のテロ集団に拘束されて解放の条件に身代金を要求された場合の対応を安倍政権をどう想定しているかである。

 身代金要求交渉に応じた場合、応じるだけでも一般国民に対する扱いと二重基準を設けることになるが、カネを払って自衛隊員の解放を成功させたなら、自衛隊員(=軍人)を特別扱いすることになる。

 いや、一般国民の命よりも自衛隊員のそれを上に置くことになる。上に置いて、一般国民の命よりも国家にとってより価値ある命とすることになる。

 このような軍人の特別扱いは戦前日本なら許されただろうが、現在の国民は許しはしないはずだ。

 安倍晋三は自衛隊の最高指揮官として自衛隊員がテロ集団に拘束され、身代金を要求されるケースが生じる危機管理を想定していなければならないから(想定していないとしたら、指揮官としての資格を失う)、当然、国民と同様に扱うのか、二重基準を設けるのか、国民への説明責任を負っている。
 
 安倍晋三は同じ訓示の中で「いかなる状況にあっても、国民の命と平和な暮らしは、断固として守り抜く。これは、私たち政府にとって最も重い責任であります」と約束している。

 この「いかなる状況にあっても」「断固として守り抜く」と言っている「国民の命」とは有事が発生した場合の被害遭遇の国民全体(=被害者全体)の命に対する備えを言い、その備え通りに約束を果たすと言っているのか、例え被害遭遇が一人の場合でも、「断固として守り抜く」約束を意味させているのか、このことも明らかにしなければならない。

 前者の約束であるなら、一人残らずその命を守ることは不可能であることを歴史が証明している。後者であるとすると、テロ集団に拘束された2人の日本人を既に見殺しにしているのだから、その約束は既に破綻している。

 要するに安倍晋三は実際には出来もしないことを、あるいは実行する気もないことを国民への説明もないままに安請け合いして、口先だけで立派なことを言っていることになる。

 安倍晋三のこういった姿勢を踏まえると、我々国民の側にしても自衛隊員の命だけを特別扱いするのか、一般国民の命と同様に扱うのか、早急に知る必要があるはずだ。

 
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安倍晋三3・21防衛大訓示、自衛隊の「現場」偏重に見る軍部独走余地の提供と文民統制への危惧

2016-03-23 08:55:42 | 政治

 安倍晋三が2016年3月21日、防衛大学の卒業式に自衛隊の最高司令官として(自衛隊法第7条「内閣総理大臣は、内閣を代表して自衛隊の最高の指揮監督権を有する」)「訓示」(首相官邸HP/016年3月21日)を行った。

 文飾は当方。

 その中でカギ括弧付きで「現場」という言葉を9回も述べている。自衛隊、あるいは自衛隊員にとって「現場」とは自衛隊員としての実務(実際の具体的な仕事)を担う場所を言うが、戦場の場合もあれば、戦闘区域の場合もあるし、PKOの活動区域や訓練地、あるいは災害救助地の場合もあって、幅広い。それらすべてを含めて自衛隊にとって、あるいは自衛隊員にとっての「現場」となる。

 その「現場」について、安倍晋三は訓示の中でこう述べている。

 安倍晋三「私は、『現場』の情報を、何よりも重視しています。自衛隊の運用状況などについて、統合幕僚長を始め安全保障スタッフから、毎週、報告を受けています。そして、多くの課題について、『現場』の情報に基づいて、議論し、判断を下しています。

 自衛隊が、いつ、どこで、どのような行動を行うか。諸君が担うこととなる『現場』の一つ一つの活動が、我が国の国益に直結している。そのことを肝に銘じ、これからの任務に当たってほしいと思います」

 自分が何を喋ったか気づいていると思う。気づいていないとしたら、バカと言うことになって、自衛隊の最高司令官としての資格を失う。
 
 ここで「統合幕僚長を始め安全保障スタッフから、毎週、報告を受けています」と言っている「安全保障スタッフ」とは断るまでもなくを統合幕僚長を筆頭とした自衛隊=背広組幹部を指す。

 そして彼らが発する「『現場』の情報を、何よりも重視する」と言っている。

 この言明は2015年6月10日に成立、6月17日公布の改正防衛省設置法第12条と関連する。

 改正前の第12条は防衛省の機関の一つである内部部局の役職たる官房長及び局長(いわゆる背広組)が陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊又は統合幕僚監部(いわゆる制服組)が作成した方針及び基本的な実施計画等に対する防衛大臣の承認を補佐、その承認を背広組に指示したり、一般的監督を行ったりして、いわば背広組の関与をそこに置くことで文民統制(=シビリアンコントロー)の実効性を保証させていたが、改正後は背広組・制服組が対等な関係で防衛大臣を補佐する仕組みに変えられた。

 関係は対等であるが、制服組は日々現場を経験しているから、背広組よりも現場知識に長けている。背広組の「俺たちは現場に経験のない背広組よりは現場を知っているんだ」という現場知識を振りかざした場合、“現場知識主義”とでも言うべき立場が優先され、幅を利かすことになって制服組(=軍人)の意見・主張が優位性を持つ状況を抱え込む可能性が生じることになる。

 実際に戦前の日本は海軍大臣・陸軍大臣共に軍人によって任命され、軍人の意見・主張が優先されて、軍部独走を許すことになった。ときには人材を出さないことによって内閣発足を妨害、内閣を総辞職に追い込むことまでした。

 そこへ持ってきて安倍晋三が「『現場』の情報を、何よりも重視し」、その「『現場』の情報に基づいて」安倍晋三自らが最終判断を下す。

 いわば“現場知識主義”を最優先させていると同時に間に防衛大臣や内部部局の背広組等の文民を置かずに“現場知識主義”最優先の自身の最終判断を絶対とする絶対者に位置づけている。

 “現場知識主義”最優先とはある意味制服組の“現場知識主義”に安倍晋三自身が侵されていることを意味する。侵されていなければ、「多くの課題について、『現場』の情報に基づいて、議論し、判断を下しています」との表現で、自衛隊の運用を含めた日本の安全保障政策に関わる「多くの課題」(=主たる課題)についての議論と判断の材料を「『現場』の情報」のみ、“現場知識主義”のみとすることは到底できない。

 断るまでもなく防衛大臣との議論やその判断、内部部局の背広組の議論や判断、さらには国民の考えをも、自衛隊のすべての運用を含めた日本の安全保障政策に関わる議論と判断の材料のうちに加えなければならないからだ。

 だが、“現場知識主義”を尊重・優先させて、安倍晋三自身が最終判断を下す。このことは“現場知識主義”に侵されていると言うだけではなく、防衛省関係の背広組を排除している点で独裁的態度の表示と見ることもできる。

 当然のこと、例え安倍晋三が文民であったとしても、こうまでも“現場知識主義”に寄りかかさっていたのでは、「現場」が独走する余地を提供することになって、担わなければならない自衛隊最高司令官としての文民統制(シビリアンコントロール)を危うくする危険性を見ないわけにはいかない。

 特に安倍晋三は戦前日本回帰を胸に秘めた国家主義者である。戦前の大日本帝国に理想の国家像を置いている。その時代の勇名を馳せた、実際には無能集団に過ぎなかったが、大日本帝国軍隊の復活を夢見る余り、“現場知識主義”への寄りかかさりが“現場知識主義”一辺倒となって、結果的に自衛隊に振り回される裸の王様になりかねない危険性を持った自衛隊最高指揮監督権者の実現ということも想定に入れておかなければならない。

 自衛隊という軍部の安倍晋三を介して“現場知識主義”で操った独走である。
 
 あるいは自らが“現場知識主義”に乗っかって自衛隊の独走を主導することもあり得る。

 参考までに。

 2015年3月7日記事――《安倍晋三の防衛省設置法改正・軍民対等での文民統制「首相が最高指揮官であることで完結」の危険性 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》 

 2016年2月22日記事――《自衛隊制服組の対背広組への防衛大臣補佐権限の大幅移譲要求は現場知識主義に基づいた文民統制への脅威 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》 

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3・18参院予算委ヘイトスピーチを正義感からの攻撃的存在抹殺願望と理解する危機感を持てない安倍晋三

2016-03-22 10:12:50 | 政治

 2016年3月18日参院予算委員会で有田芳生民主党議員がヘイトスピーチ問題を取り上げて、岩城光英法相と安倍晋三を問い質していた。

 ヘイトスピーチとは何を意味する憎悪表現なのか。人権侵害と一言で言うが、何を目的とした人権の侵害なのだろうか。

 「Wikipedia」に、〈ヘイトスピーチ(英: hate speech)とは、人種、国籍、宗教、性的指向、性別、障害などに基づいて個人または集団を攻撃、脅迫、侮辱し、さらには他人をそのように煽動する言論等を指す。日本語では「差別煽動表現」、「憎悪表現」、「差別的憎悪表現」、「憎悪宣伝」「差別的表現」「差別表現」、「差別言論」、「差別煽動」などと訳される。〉と解説されている。

 だが、この解説で説明し切れているのだろうか。

 少なくとも日本に於ける日本人による朝鮮人に対するヘイトスピーチ(憎悪表現)は憎悪に基づいた攻撃的な存在抹殺願望を全体性としている。

 この願望は願望である間はまだ心理面にとどまった攻撃的な抹殺願望でしかないが、願望は常に現実世界に実現させたい衝動をも同時に抱えていることから、願望に潜ませた攻撃性が何かの機会に憎悪をバネとして露出し、実際の攻撃の形を取って存在抹殺行為へと走る危険性を常に背中合わせとしている。

 そしてそのような存在抹殺行為を正義としているところに一番の問題点がある。日本人の正義・日本の正義としている。

 この危険性が現実化した関東大震災での朝鮮人虐殺、あるいはナチスドイツのユダヤ人ホロコーストはそれらの規模に無関係に存在抹殺性という点で共通し、両者共にそれぞれの国民の正義として行われた。

 このような攻撃的な存在抹殺行為をこそ、危機感を持って前以て予防しなければならない危険性であるはずだが、3月18日の質疑にはヘイトスピーチが人権侵害だ何だと言う前に憎悪に基づいた攻撃的な存在抹殺願望に立脚しているという視点も、その願望が何かの機会に現実化する危険性の質についての視点も見受けることはできず、特に答弁側の安倍晋三と岩城光英には危機感を何ら見い出すことはできなかった。

 日本のヘイトスピーチが朝鮮人全体に対する、いわば朝鮮民族に対する攻撃的な存在抹殺願望であることの証明を有田芳生議員が取り上げたヘイトスピーチ(憎悪表現)の例から行ってみる。

 ●2013年2月17日の東京新宿区新大久保でのヘイトスピーチデモに於けるプラカード文字。

 「仇(かたき)なす敵は皆殺し」

 「朝鮮人皆殺し」

 「朝鮮人、首吊れ、毒飲め、飛び降りろ」

 この文言全てが特定の朝鮮人ではなく、朝鮮人全体、朝鮮民族そのものを攻撃対象とした存在抹殺願望の表明となっていて、自らの正義としてこれらのことを望んでいる。

 ●2014年3月23日の東京江戸川区の西葛西でのナチスドイツのハーケンクロイツの旗を掲げたデモ行進。

 ナチスドイツのハーケンクロイツ(鉤十字)自体がナチスとして行った全ての表現行為のシンボル(象徴)であり、その凶悪最大の行為がユダヤ人虐殺という形を取った存在抹殺行為なのだから、ヘイトスピーチ(憎悪表現)を行いながらその旗を掲げていたということは憎悪表現の対象者に対する存在抹殺願望の提示=正義行為そのものの表現となる。

 ●2008年から2011年にかけて朝鮮大学前で3回に亘って在特会の前会長桜井誠の街宣。

 「そこにいる朝鮮人の君、殺してやるから出てこいよ。舐めんじゃないぞ、ゴキブリだ。朝鮮人は東京湾へ叩きこめ」

 「ゴキブリ」という人間蔑称は後からも出てくるから、その時説明する。

 憎悪と軽蔑に基づいた朝鮮人全体に対する存在抹殺願望の表出そのものであり、そうしようとすることを正義として行っている。
  
 ●2013年2月17日の新大久保でのヘイトスピーチデモ。このデモの際に毒マスクをつけていたのか。

 「新大久保を更地にしてガス室を造れ」の叫び。

 叫んでいた言葉にしても毒マスクにしても、毒ガス室に送り込んだユダヤ人同様の運命を味あわせてやるとする意志を見せた存在抹殺願望の露骨な表現であろう。

 俺たち日本人は毒マスクをつけていて毒ガスは吸わずに済むが、お前たち朝鮮人は毒マスクをつけていないから、毒ガスを吸う側だと相互の存在性の価値に上下をつけて、下の価値に対して抹殺が相応しいと意味づけている。

 当然、この願望行為を正義と位置づけていることになる。

 ●2013年2月24日の大阪市生野区鶴橋(天王寺区と合わせて日本最大のコリアタウンが存在するそうだ)でのヘイトスピーチデモ。

 当時14歳の少女「ここは日本です。南京大虐殺を知っていますか。ここから出ていかなければ、鶴橋大虐殺やりますよ」

 背後にいた大人たち「そうだ、そうだ」

 「大虐殺」とは最悪最大の存在抹殺そのものの直接比喩である。と同時に朝鮮人なる存在性に対して「大虐殺」は許される行為――正義だとしている。

 関東大震災では朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいるというデマに現在と比べ物にならない日常普段からの朝鮮人差別意識が憎悪の火を灯されて、気負い、正義の意識に駆られた自警団員や民衆によってたちどころに竹槍等で突いて殺す存在抹殺の虐殺行為に走った。
 
 ●3月6日の福岡でのヘイトスピーチの街宣。

 「こいつらゴキブリですから、必ず繁殖します。どんなに言っても、朝鮮人というのは頭が悪い。三歩歩いたら忘れる。物を考えることができないんです。騒乱が起きたら、朝鮮人は必ず暴れる。一思いに殺すんです」
 
 「ゴキブリ」は人間にとって一思いに殺し、駆除すべき対象としている。朝鮮人をゴキブリに擬(なぞら)え、駆除すべき存在抹殺の願望を突きつけている。

 勿論、正義の行為としなければ、そんなことは望むことすらできない。

 どれ一つ取っても朝鮮人全体に対する、あるいは朝鮮民族に対する、本人たちは日本人の正義感からと信じ込んでいる、憎悪に基づいた攻撃的な存在抹殺願望表現以外の何ものでもない。存在そのものを消し去ろうと望んでいるのだから、一般的な意味での人権蹂躙ではないし、差別でもない。同じ人間でありながら、ナチスドイツがユダヤ民族にしたのと同じように朝鮮人・朝鮮民族を抹殺してもいい存在としているのである。

 だが、安倍晋三の答弁にしても岩城光英の答弁にしても、ヘイトスピーチが一歩誤ると、何かのキッカケでそれが攻撃的な暴動行為へと激化しない保証はないにも関わらず、一般的な人権蹂躙のレベル、差別のレベルで把えて、だからだろう、ヘイトスピーチの未だなくならない危険な状況を「極めて残念」という感想で括ることができ、その残念な状況が現行法や教育活動・啓発活動で片付くと見ている危機感の希薄さを見せつけることになる。

 ヘイトスピーチの危険性はそれが正義だと勘違いした憎悪に基づいた攻撃的な存在抹殺願望という人間感情を成分として成り立たせ、願望は常に現実世界に実現させたい衝動をも併せ抱えているがゆえに、それが群れ(=集団)をなしている以上、正義だと思い込んでいる分、何かのキッカケで願望に潜ませた攻撃性が憎悪をバネとして露出、実際の攻撃の形を取って集団的な存在抹殺行為へと暴発する危険性を常に背中合わせとしているという認識に立たなければ、ヘイトスピーチが関東大震災の朝鮮人虐殺やナチスドイツのユダヤ人虐殺と同質だとする危機感を持つことはできず、安倍晋三や岩城光英のように事勿れな対応しか導き出すことはできないだろう。

 参考までに有田芳生議員と安倍晋三・岩城光英の質疑を記載させておく。


 有田芳生「人権大国日本を構築するためにヘイトスピーチ問題についてお聞きを致します。多くの方がご存知ありませんけども、イギリス外務省のホームページ、御覧ください。もう何年も前から出ておりますけれども、『日本は民主主義的な国である。ところ(?)上下についての規律ですけども、日本へ行く人、日本は民主主義的な国なんだけども、時折り排外主義的なデモがあるから、それを見たときにはすぐにその場から立ち去ってください』

 未だイギリスの外務省のホームページに出ている。海外から日本はそのように見られてるんですよね」

 質問の際ヘイトスピーチデモを撮った写真をフリップにして紹介することを理事会に諮ったが許可されなかったことを説明。各委員には資料に載せて配ってあるからと断ってから、

 有田芳生「私はその現場をすべて見ております。どういう写真がここに提示できないのか。後ほどインターネット上で国民の皆さんに知らせるつもりですけども、例えば私が示そうとした一つの写真は2013年2月17日、東京新宿の新大久保のヘイトスピーチではプラカードに何て書いてあるのか。

 『仇(かたき)なす敵は皆殺し』、『朝鮮人皆殺し』

 委員の皆さん今見ていらっしゃるでしょう。テレビの方々は見ることができない。もう一つの写真。同じ13年2月17日。新大久保で行われたヘイトスピーチデモ。

 『朝鮮人、首吊れ、毒飲め、飛び降りろ』 

 こういうプラカードを掲げてヘイトスピーチのデモをやっていた。

 更に右側の写真で、2014年3月23日、東京江戸川区の西葛西、ナチスドイツのハーケンクロイツの旗を掲げてデモ行進をやっている。何か委員の中にはそのハーケンクロイツっていうのは合成してるんじゃないのかと、(言う)方もいらっしゃったそうですけども、冗談じゃありません。私は現場で全てを見ています。こういうデモが未だ続いているんですよ。

 総理、具体的にお尋ねをします。2008年から2011年にかけて朝鮮大学前で3回に亘って在特会の前会長桜井誠、当時の会長ですけども街宣を行いました。こう語りました。『そこにいる朝鮮人の君、殺してやるから出てこいよ。舐めんじゃないぞ、ゴキブリだ。朝鮮人は東京湾へ叩きこめ』 

 これは未だにインターネット上に映像が流れている。こんなこと許されるんですか。総理、お答えください」 

 安倍晋三「(原稿読み)一部の国、そして民族や文化を排斥しようという、あるいは憎悪を煽るような過激な言動はですね、極めて残念であり、決してあってはならないと強く感じたところでございます。まさにこれは日本国民、また日本国の品格に関わることであろうと、このように思うところでございます。

 えー、人権侵害がですね、認められる場合はですね、当該人物に対して勧告を行っているものと承知をしておりますが、今後はですね、一部の国、民族を排除しようという、そういう言動がなくなっていないということは極めて残念であります。

 政府としては一人ひとりの人格が尊重される豊かで安心できる成熟した社会を実現するため、粘り強く様々な対策を講じて参りたいと思います」 

 有田芳生「法務大臣にお聞きします。先ほどの朝鮮大学の前で3回に亘って行われた在特会、当時の会長による罵詈雑言、差別の煽動、ヘイトスピーチ、これに対して法務省は昨年の12月12日に総理に勧告を出させていますけども、どういう内容ですか」

 岩城光英「お尋ねの勧告の内容でありますが、(原稿を読む)元代表者の声が被害者らの生命・身体に被害を加えかねない気勢を示して畏怖させる違法なものであり、被害者らの人間としての尊厳を傷つけるものであるなどと反省し、今後同様の行為を行わないことなどを東京法務局長が元代表者に勧告をしたものであります」

 有田芳生「今大臣からお話があったように在特会前会長に対する勧告では人間としての尊厳を傷つける行為に対して今お話になったように、『今後決して同様の行為を行うことのないように』、そう勧告された。

 だけど、その前会長はインターネット上でその法務省からきた勧告を破いて、勧告文をネット上でビリビリ、ビリビリ破いた。さらに今後同様の行為を行うことのないように勧告されたにも関わらず、未だヘイトスピーチ、差別の煽動を行っている。3月6日の銀座で先頭に立ってやっておりました。

 そうなると、法務大臣を含めた法務省の権威というものが一体どうなるんでしょう。こういう勧告に従わなかった場合ですね、それを放っとくのか、あるいはさらなる対策を取るべきだと私は考えておりますけども、大臣、如何でしょうか」

 岩城光英「ご指摘のようにですね、勧告の対象者がこれに反する態度を殊更公開していることにつきましては大変遺憾だと思っています。法務省の人権擁護機関に於きましては対象者の行為を違法なものと認定して、そのことを明確に指摘し、反省と同様の行為を二度と行わないことを勧告したものであり、そのことは何ら揺らぐものではありません。

 法務省の人権擁護機関としましては今後も同様の人権侵害行為についてはその違法性を指摘し、必要な勧告等の措置を取ってまいりたいと考えております。そしていわゆるヘイトスピーチをなくしていくためには社会全体の人権意識を高め、こうした言動が許されないことだという認識を広く行き渡らせることが結局重要であり、今後引き続きヘイトスピーチは許さないという姿勢を明確に示し、粘り強い啓発活動を通じて強く訴えて参りたいと考えております」

 午前中の持間が終了となって、午後の持間に再開、有田議員は午前中に触れたヘイトスピーチに関わる点についてお浚いをしてから改めて質問に入る。

 有田芳生「中には毒マスクをしてデモをやっている者もいました。例えば新大久保では、『新大久保を更地にしてガス室を造れ』というようなことまで叫んでおりました。この2013年2月17日の新大久保のデモの1週間後、大阪の鶴橋、2月24日に同じようなヘイトスピーチデモが行われました。

 そこでは当時14歳の少女が、『ここは日本です。南京大虐殺を知っていますか。ここから出ていかなければ、鶴橋大虐殺やりますよ』

 当時14歳の少女が叫びました。その後ろにいた大人たちは、『そうだ、そうだ』と言いました。これが日本の現実なんですよ。多くの被害者の方々はそう言うことを聞いて、生命が奪われるんではないか、関東大震災のことを思い出した方も多くいらっしゃいました。

 しかしそれに対して法務大臣を含め、法務省は適切な対応を取ってくださる中で2014年11月からは啓発活動を強化され、ヘイトスピーチ許さない、そういうポスターも全国に貼られるようになりました。

 私たちも取材を続ける現場でヘイトスピーチを許さないという主張をやっておりますが、しかし残念ながら、そういう啓発が続いているにも関わらず、未だ差別の煽動であるヘイトスピ-というものは止んでおりません。

 例えば3月6日の福岡でのヘイトスピーチの街宣、どんなことを言っていたか。

 『こいつらゴキブリですから、必ず繁殖します。どんなに言っても、朝鮮人というのは頭が悪い。三歩歩いたら忘れる。物を考えることができないんです。騒乱が起きたら、朝鮮人は必ず暴れる。一思いに殺すんです』

 これがついこの間、3月6日、福岡でのヘイトスピーチの街宣。福岡だけじゃない。銀座でも行われている。近くまた行われようとしている。岡山でも在特会の前会長が4月に同じような行動を取ろうとしています。

 そこで法務大臣、お聞きします。こういった飛んでもない発言、現行法上で人権侵害といえるんでしょうか」

 岩城光英「有田委員からご指摘がありましたような言論は人権擁護の上で問題があると思われます。そして一般的に申し上げますと、人権侵害とは特定の者の人権を具体的に侵害する行為を言うものでありまして、人権侵害に当たるか否かは具体的事案を人権擁護機関に於いて十分に調査・検討した上で判断させるべきものであり、ここでお答えすることはこうした意味で困難であります。

 いずれに致しましても、こういった言動はあってはならないことと考えております」

 有田芳生「つまり結論から言えば、私が縷々紹介したようなヘイトスピーチの言論というものは現行法上では対処できないんです。だからこそ、今日お話しましたように朝鮮大学での乱暴なヘイトスピーチについても現行法上では対処できないから、民事訴訟で京都朝鮮大学襲撃については民事訴訟で、京都地裁、大阪高裁、そして最高裁でも決定しましたけれども、こうした酷いヘイトスピーチ、差別というものは、言論というものは人種差別撤廃条約に基づいて人種差別なんだということで民事の損害賠償の決定が出たんですよ。

 だから現行法上では対処できないということから、多くの被害者も困っているという現実があります。総理、伺います。アメリカ国務省は昨年の2月22日に2014年版人権報告書を出しました。そこでも朝鮮学校襲撃事件での判決についても触れられておりまして、人権報告書では在特会についての批判もあります。

 総理に伺いたいというのは今年サミットがあります。サミットがあればパク・クネ大統領も来日する可能性もあります。その前後にこのような差別煽動のヘイトスピーチが行われる可能性があるんです。昨年2015年だけども、三重県の四日市市でヘイトスピーチデモが2回ありました。ヘイトスピーチの街頭宣伝、1回ありました。

 もう少し広げて関西地区では昨年1年間で69回のヘイトスピーチデモ、街頭宣伝が行われました。せっかく人権大国日本をつくろう、そしてサミットで行われるこの時併せて前後にこうしたデモが行われるなら、日本に対する重大な問題だと私は考えますが、こうしたことを含めて、総理の前半のお答えを聞いておりますと、この2年間位にお答えになったのと殆んど同じなので、昨年の2月に衆議院の予算委員会で公明党の国重委員にお答えしたなったとき、ヘイトスピーチについては用意された答弁ではなく、総理は肉声で語って頂いておりました。

 こういった事態を何とかしなければいけないということについて人権大国をつくる、その日本の総理としてどのようにお考えでしょうか」

 安倍晋三「(原稿を早く口に読む)いわゆるヘイトスピーチの対応についてはですね、現行法の適切な適用の他に地方自治体の、今もご紹介頂きましたが、公共機関等へのポスター貼り、その際、新聞広告やネット広告の掲出、そして全国の学校を対象とした職員による人権教育の実施など、社会全体に対する各種啓発活動によって差別の解消に(「へ」の読み違えなのだろう)伝えていくよう務めているところでございますが、(やっと顔を上げて)G7サミット、未だアウトリーチの国(G7以外の招待国)をどういう国をご招待するか決めておりませんが、いずれにせよ、G7の国々というのは自由と民主主義、基本的人権、法の支配を尊ぶ、いわばそうした基本的価値を共有する国々の指導者が集まるわけでございますが、そこでですね、排外主義的な声が行われている、あるいは人権が重んじられていないという印象を持たれては大変なことになってくるんだろうと、このように思います。

 こうした観点からもですね、(再び原稿読み)今後一人ひとりの人権が尊重される豊かで安心できる成熟した社会を実現するために教育や啓発の充実に立ち向かうべきだと、このように感じております」

 有田芳生「残念ながら啓発教育、現行法上では対処できないのがヘイトスピーチなんですよ。だからこそ、全国約300の地方自治体がヘイトスピーチに対処するために国が法整備をして欲しいという声が法務大臣にも届いていると思いますけれども、やはり新しい措置を考えなければいけないということを与野党通じて法整備を考えております。

 ですから、サミットを含めて東京オリンピック・パラリンピックに向けてですね、日本を本当に人権を大切にする国だということを形にするために差別を撤廃する宣言を国がやるべきだと思いますが、最後の総理のお気持を率直にお伝え下さい」

 安倍晋三「現在、各党・各会派に於いてですね、えー、このヘイトスピーチ、どのように対処していくかということについて熱心なご議論が行われていると、このように承知している次第でございます。

 そうした議論の中でですね、また議論を通じて、こうしたヘイトスピーチに対する対応がなされていくことをですね、期待をしていきたいと思います」

 質問持間終了。

 有田芳生が「昨年の2月(23日)に衆議院の予算委員会で公明党の国重委員にお答えしたなったとき、ヘイトスピーチについては用意された答弁ではなく、総理は肉声で語って頂いておりました」と発言しているが、それがどの程度の「肉声」なのか調べてみた。

 安倍晋三の答弁のみを記載する。

 安倍晋三「一部の国そして民族を排除しようという言動や人種差別のあることは、極めて残念であります。あってはならないことと考えているわけでありまして、先日のホロコースト博物館視察では、先ほど御紹介をいただいたように、特定の民族を差別し憎悪の対象とすることが人間をどれほど残酷なものにしてしまうのか。

 ヘイトスピーチにおいてもそうなんです。もしその言葉を自分に向けられたらどんな思いがするのか、自分の子供や家族はどんな感じを持つのかという、いわば想像をめぐらせれば、絶対そんなことはしてはならない、言ってはならないということはすぐにわかるわけでありますが、差別感が憎悪を駆り立て、そうした理性的な思考をとめてしまうということではないかと思います」

 安倍晋三「ただいま委員が、実際にあった例として発言を紹介されました。そういう発言があること自体、極めて不愉快、不快であり、残念であります。そういう発言をすること自体が、実は自らを貶めていることになり、そういう発言が行われると日本を貶めることにつながる、私はこのように思います。

 他方で、いわゆるヘイトスピーチと言われる言動の規制については、個々の事情、事案の具体的状況を検討する必要があり、一概に申し上げることは困難でありますが、いわゆるヘイトスピーチへの対応としては、現行法の適切な適用のほか、啓発活動により差別の解消につなげていくことが重要であると考えております」

 安倍晋三「まず、政府として、ヘイトスピーチや人種差別の根絶に向けて、現行法を適切に適用して対処をしていく、同時に、啓発や教育を通じて社会全体の人権意識を高め、こうした言動は許さないという認識を醸成することによって差別の解消につなげていくことが重要であると考えています。

 恐らく、多くの方々は、先ほど御紹介されたような発言に対しては、私もそうですが、強い怒りを持ったんだろう、このように思います。

 確かに、委員が御指摘のように、2020年、東京オリンピック・パラリンピックを控えています。そうした言動がいわば街頭で堂々と行われている。日本はまさにみずからの価値を下げることにもなります。そして、そうした発言で多くの人々が傷つけられている、こうした現実を直視しなければならない、このように思います。

 安倍内閣としては、今後とも、一人一人の人権が尊重される、豊かで安心できる成熟した社会を実現するために、委員御指摘の点も踏まえまして、教育や啓発活動の充実など、さまざまな施策の推進に努めてまいります」(以上)

 「一部の国そして民族を排除しようという言動や人種差別」を「極めて残念」、「あってはならないこと」、「極めて不愉快、不快」の感情レベルで把えて、その本質を何ら認識していない。

 感情レベルでのみ把え、彼らにとっての正義性に気づいていないから、「自らを貶め」、「日本を貶める」行為だと勘違いな解釈を施す。ヘイトスピーチを行う者たちは何も理解していないなと却って安倍晋三を軽蔑しているに違いない。

 だから、1年経っても、1年前と同様に今回も、「一人ひとりの人格が尊重される豊かで安心できる成熟した社会を実現するため」と同じ趣旨のことを答弁することになる。

 このことも危機感のなさを伝えて余りあるが、どこをどう見たら、有田芳生が言うように安倍晋三が「肉声で語って頂いて」いるか理解できない。

 もし安倍晋三がその本質性に気づいてヘイトスピーチに危機感を持っていたなら、ヘイトスピーチに関する自分の考えを纏め、用意しているだろうから、自分の答を用意し、原稿を読まずに答弁できる。例え間違わないように原稿を用意したとしても、全面的に頼ることはない。

 原稿読みに頼った答弁にもヘイトスピーチに対する危機感のなさが現れている。

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