新党「国民の生活が第一」の若きエース中村哲治参議院議員(41歳)が7月27日参議院「社会保障と税の一体改革特別委員会」で、「選挙のときに約束しなかった増税を強行しなくてはならないぐらい果たして財政危機なのか」という論点から消費税増税をマニフェスト違反だとする趣旨の追及を行った。
その追及と安住財務相の答弁から、改めてマニフェストとは何かを今更ながらに学ぶことができた。
マニフェストとは単に国民に約束した政策の数々ではなく、実際はそれらの政策を主たる骨格として国の形を全体的に形づくる設計図であるということである。
いくつかの政策を掲げて、全体として国の形をこのようにしますと提示し、国民に約束した国の形づくりの設計図であると。
当たり前のことを言っているように思われるかもしれないが、個々の政策にのみに囚われるのではなく、どのような国の形を目指しているのかという観点からマニフェストに掲げてある政策をより注意深く眺めるべきであろう。
またマニフェストで政策を約束し、国の形を約束した以上は、マニフェストに掲げた政策の実行を通した国の形づくりを自らの責任行動とする同時にマニフェストに掲げた政策実行を通した国の形づくりの範囲内に自らの政治行動が規制を受けることになる。
その範囲を超えることは国民には約束していない国の形づくりを行うことを意味することになるからだ。
勿論、例外はある。昨年の東日本大震災の対応や福島原発事故対応に関わる政策はマニフェストに掲げてはなかったが、実行しなければならない数々の政策である。
だが、マニフェストに掲げる政策は国の形を決める政策であるはずである。
大震災対応は一旦部分的に破綻した国の、その一部分を修復する仕事であって、国の骨格形成に関係する政策遂行とは言えないはずだ。
但し今後原発政策をどうするかは国の形づくりに深く関係するゆえに当然、次の選挙の争点としなければならない。
マニフェストが国の形を決める政策提言である以上、当然、そのような国の形を忠実につくり上げる実行責任を負うと同時に自らが掲げたとおり、国民に約束したとおりの国の形づくりに限った行動規制を受けることになるとしなければならない。
そこに余分なパーツを加えて、国民に約束もしていない違った国の形づくりをしてはならないはずだからである。
こういった点のみを取り上げてみる。
中村哲治議員「財政再建に対する姿勢を持つということと、危機だから、選挙の前に増税しないといけないということとは違うんですよ。それを混同しているんじゃないですか」
安住財相「この間もお話しましたけども、あのー、選挙の民意というものを私共大変に重視しています。ですから、この法案(消費税増税法案)が仮に通っても、実施される前までに衆議院も参議院も審判を受けるわけです。
ですから、そういう意味では我々は別にそういうことは軽んじていません。
一方で、衆議院で申し上げましたように75%の衆参、(首を振って)衆議院の議員は賛成してくれています。その方々はすべて民意で選ばれた方々ですから、そういう意味で私共は決して民意に逆らって、何かこうしたことをやっているとは思っていません。
また、民主党としてですね、これから消費税の必要性というものは丁寧に私はお訴えをしていきたいと思いますが、そういうタイミングとは別にやっぱり、国の一般会計のこの歳入の中に占める国債の割合が50%近いという現実から目を背けちゃダメだと思うんですよ。
で、そういうことがやっぱり構造的な問題としてありますから、私共は今財政再建を含めて、予算全体の中に占める比率が社会保障が大きいので、その財源の確保と共に今回の消費税のお願いをしているということです」・・・・・
詭弁も詭弁、詭弁を駆使して言い逃れの薄汚いペテンを働いているに過ぎない。子どもっぽい無害そうな顔をした裏には飛んでもない欺瞞を隠している。
消費税増税案等に75%の衆議院議員が賛成した。それら議員のすべては民意で選ばれているのだから、消費税増税は民意に逆らっているわけではないとヌケヌケと正当化している。
自民党で当選した議員にしても、公明党で当選した議員にしても民意の選択ではあるが、国の形作りに関しては大多数の民意は民主党がマニフェストに掲げた各政策が総合的につくり上げることになる国の形を選択したのであって、自民党が掲げた国の形でもなければ、公明党が掲げた国の形でもない。
要するに国民の大多数が民主党に政権担当を託したということは民主党が言っている国の形づくりを託したことを意味する。自民党が言っている国の形づくりを託したのでも、公明党が言っている国の形づくりを託したのでもなかった。
民主党が掲げた国の形を自民党や公明党が掲げた国の形とこねくり回して当初とは違ったものにした国の形は後付けのものであって、2009年総選挙の過去に戻って国民は民意を示しようがない。示すとしたら、次の総選挙ということになるが、野田内閣は75%の衆議員が賛成した民意だとする詭弁を以って実際の民意を受ける前に消費税増税を財源とした国の形を既成事実化し、既成事実化されたその国の形を選択するという狭い選択を国民に強制している。
民主党議員はマニフェストに掲げた各政策が国の形を形づくる設計図だという認識と、各政策を通して国民に国の形を問うたのだという認識がなかったのだろうか。選択を受けたのは我々が提示した国の形なのだという認識が。
その認識があったなら、提示し、信を得た設計図通りの国の形を形づくる行動責任を負うと同時に、約束してはいない異なる国の形づくりに走ってはならない行動規制を課せられたことを認識していなければならなかった。
中村哲治議員「そういう話はですね、選挙のときの公約に掲げて、信を問うてから、やればいいんですよ。近代国家では被権者(?)が負担をする税こそ選挙による代表議会の合意がなければ課税を行うことができないという租税法律主義の大原則があります。
憲法も84条では新たに租税を化し、または現行の租税を変更するには法律または法律が定める条件によることを必要とすると規定をしております。.
まさに税こそが、民主主義が問われる課題であります。消費税というのは非常に大きなテーマでありますから、選挙のときに2009年マニフェストで問うておかなければいけないんですよ。
本当にこうやってやるんであれば、もし百歩譲って、約束していないのにやるっていうことは、財政危機が間もなく見えていると、上げないとどうしようも国家財政が回らないと。
そういうふうな切迫した状況であれば、それは国民の皆さんにも納得してくださるでしょう。問題は約束していないことをやると。それも負担の重いことだと。そこについてどう考えているのかと言われるわけですよ――(以下略)」
中村議員は日本の財政危機が切迫しているわけではないことを説明する。
安住財相「税と民主主義の話はですね、おっしゃるとおり重要なことです。ただ、毎年の年度改正とか、そのたびに一々選挙やっているわけでないわけですね。トータルで任期中のことについては、それは審判を受けなければなりません。
あの、例えば、国々それぞれがですよ、ヨーロッパでは例えばイギリスなんかはですね、オズボーン蔵相、この間私は聞いて、なる程と思いましたけど、例えば消費税は実は、あの財務大臣の権限で上げられるんです。
事後承諾なんですね。そういう意味では中村さんのご主張は十分我々分かって、それで、これを実際上げる前には審判を頂くわけですから、そういう意味ではしっかりと制度設計をやっている段階ですから、それを以て選挙をやらないから、けしからんという話には私はならないと思います。
きちっと日本の国は4年おきの、あるいは3年毎の参議院の選挙や衆議員の選挙等を通して、国政に民意というのものは十分税を含めて、反映されていると思います」・・・・
衆議院の4年間の任期とは選挙によって国の形づくりに民意を得た政権党が自らが掲げた国の形づくりに違約せずに専念する4年間を意味する。
「毎年の年度改正」等は国の形そのものに根本的に影響する改正ではないはずで、それを以て国の形に根本的に影響する消費税増税と一緒にして、「そのたびに一々選挙やっているわけでない」と、消費税増税を選挙で問わなかったことの正当化の口実とする詭弁を用いている。
しかも国の形を問う選挙を経ないことの正当化理由に蔵相の権限で消費税を増税できるイギリスを持ち出しているが、国の形づくりの全体に影響する日本の消費税の議論をしているのであって、イギリスの議論をしているわけではないし、選挙のときに約束した国の形づくリとは異なる国の形づくりに走っているのではないのかという正当性を質しているのである。
詭弁を用いることでしか国民の信を問わないことの正当性を訴えることができないから、「消費税増税先行ではない、社会保障制度改革も一体となって進めている」としていることにしても詭弁でしかないゴマカシであることを図らずも暴露することになる。
消費税を「実際上げる前には審判を頂くわけですから、そういう意味ではしっかりと制度設計をやっている段階ですから」・・・・
消費税増税の時期と増税率を決めた。対して社会保障制度改革やその他は現在、「しっかりと制度設計をやっている段階」だと、一体的進行であるどころか、後追いであることを自らバラしている。
中村哲治議員「私は今すぐ選挙をやれなんて一言も言っていないですよ、2009年マニフェストで約束したのは4年間の任期です。4年間の任期で集中的な国政の改革を行う。
だから、私たちが民主党の中にいたときに主張していたのは来年年金法が出てくるわけですから、そこで年金法の抜本的な改革も示されると。そのときに併せて出してもおかしくないわけで、そういうふうなことをなぜできないかと。そういうようなことを申し上げていたわけです。
もう、あの、いくら言ったって水掛け論になるでしょうから。
結局ですね、選挙のときに約束したことをどれくらいきちっと守ろうとするのか、この姿勢が2009年マニフェストの一番、思想的な中心であったはずなんです」(以上)
中村議員は野田内閣が一番思想的な中心を捨て去ったと、なお追及していく。
安住財務相は日本の消費税に当たるイギリスの付加価値税は法律に拠らずに蔵相の権限で上げることができると言っているが、イギリスは昨年2011年1月に付加価値税を17・5%から20%へ増税したものの、高失業率の不況に苦しんでいるという記事がある。
《【日曜経済講座】消費増税に景気条項義務付けを 英の付加価値増税 失敗の教訓》(MSN産経/2012.7.29 11:23)
記事題名でイギリスの付加価値税増税は失敗だとまで言っている。
〈ロンドン五輪が華やかに開幕したが、メーンスタジアムの外側では若者5人のうち1人以上が失業というありさまで、英経済社会はかなり暗いようだ。〉・・・・
08年9月のリーマン・ショック後の不況から2010年秋には立ち直りを見せていたが、2010年末辺りから景気が減速開始、今年2012年第1四半期(1~3月)には前年比でマイナスに落ちみ、前期比では2期連続のマイナスとなった。
個人消費は低迷し、五輪効果が出ていないと書いている。
いくら蔵相の権限一つで付加価値税を増税できる便利さがあったとしても、その便利さは不況を長引かせることにしか役に立っていないとしたら、却って仇となる。
安住財務相のイギリスの例は自身の詭弁を成立させるために都合のいい所だけを食い散らかすご都合主義に過ぎない。
民主党は2009年総選挙マニフェストでこういう形の国にしますと国の形を約束した。
その国の形にはトータルの国の形に深く影響する消費税増税という骨格は入っていなかった。前の選挙で約束したのとは異なる国の形にしてから、次の選挙で国民の審判を仰ぐというペテンをやらかそうとしている。
インチキ商品をつくり出して、それ以外の買い物の選択肢はできないように仕向けるペテン同然の遣り方ではないか。
7月27日(2012年)の参院「社会保障と税の一体改革特別委員会」――NHK中継から。
宮沢洋一自民党議員「質問に入る前に、この委員会に朝から出席をしまして、この閣僚席、答弁席見まして、若干違和感を持っております。
と申しますのは、総理、ちゃんと背広を着て、長袖のシャツを着て、ネクタイを締めています。岡田副総理もそう。安住財務大臣、重要閣僚もそう。
あとから来られた川端大臣だけがクールビズ。
あの、今年の夏、昨年に引き続いて今年の夏は全国に、まさにその、省エネをお願いしている。そういう政府が中心なってやっている。そしてそのひとつの象徴みたいなものが、クールビズ、なわけであります。
なるべく部屋の室温を上げて欲しい。エアコンも付けないでくれと。こういうことをお願いしている立場の方がですね、今大変暑い日ですよ。大変暑い日、総理、副総理、そして最重要閣僚の財務大臣がみーんな、クールビズでないっていうのは大変違和感があります。本気で省エネをお願いするつもりですか」
宮沢洋一議員本人はネクタイ無しで、シャツの胸元を開いている。本人がネクタイをきっちりとしていたのでは、こんな質問はできない。
野田首相は立ち上がって答弁席に立ったものの、すぐには適当な答弁が見つからなかったのだろう、数秒立ち尽くした後、左背後を振返って頭を下げる。テレビ画面からでは顔は写っていなかったが、消費税増税法案等の共同提案者として答弁席に座っていたピンク色のドレスの池坊保子公明党議員が頭を下げて応じた様子が窺える。
「SankeiBiz」によると、テレビでは声が聞こえなかったが、「首相のネクタイ姿、好きよ」と声をかけたらしい。
そのエールに応えて、謝礼の意味で頭を下げたらしい。周囲で笑いが起こり、野田首相も笑い顔になっていた。
野田首相「あのー、ま、あのー、よく分かります、省エネの徹底。特に節電のお願いを今全国各地でお願いをしております。その率先垂範の意味でクールビズ、ということで、ありますけれども、あのー、まあ、(胸に左手を軽く当て、笑いながら首を傾げてから)なかなかですね、取ったり外したりすること多いんですよね。
あの、外国のお客が来るとか多い、かったりするんで、どうしてもネクタイを着用せざるを得ない状況が、あの、続いております。あの、気持は本当に節電のお願いを国民の皆様にお願いしている立場ですので、クールビズは徹底しなければいけませんが、まあ、あの、私は、まあ、服装のみならず、他の部分でしっかり徹底していきたいと思います」
宮沢議員「まあ、あのー、何かマスコミに総理は、あのー、クールビズはあんまり似合わないという提言を受けられたとかいう話がありましたが、今日は丸一日テレビの中継です。国会中継。
あまり外国人の方と会う日程もないと思いますんで、そういう時はしっかりとクールビズ、省エネ、節電というものを国民の理解を求めるためにも率先して頂きたい。それだけ申し上げておきます」
野田首相がもしここで、「国を上げて節電をお願いしている立場として、節電に結びつく軽装を率先して心がけるべくクールビズを採用すべきを、すっかり失念していました、迂闊でした」と素直に謝罪したなら、国民に何らかの好印象を与えたはずだ。
だが、「外国のお客が来るとか多い、かったりするんで、どうしてもネクタイを着用せざるを得ない状況が、あの、続いております」と、関係ない場所でのネクタイ着用を持ち出して、決して素直とは言えないゴマカシの答弁をしている。
外国の要人と会う場所は会う場所、国会の場は国会の場であって、場所はそれぞれに異なる。場所の違いに応じた服装が許されていないというならウソ・ゴマカシとならないが、許されていることをさも許されていないかのように誤魔化した発言となっている。
このゴマカシは国会という公の場での一国の首相の言葉である以上、国民を欺くゴマカシである。
また、外国要人と会う場合はネクタイ着用を金科玉条の慣習としなければならないわけではないはずだ。今年5月19日(2012年)のアメリカ大統領山荘キャンプデービッド開催のG8初日5月18日の夕食会兼会議ではオバマ米大統領はノーネクタイ出席と指定したそうだが、一人オランド・フランス大統領がネクタイをきっちりと締めて出席したという。
野田首相自身はノーネクタイで出席している写真が残っている。
首相官邸で外国要人と会う場合でも、前以て「日本では国民に節電をお願いしている立場上、我々にしてもエアコンの温度を上げて節電を心がけている関係で、服装の点でノーネクタイのクールビズの軽装で応えているから、ノーネクタイで出席してください」とお願いすることもできるはずである。
そういった発想もないから、場所の違いを無視してネクタイ着用の必要性を持ち出したりしたのだろう。
宮沢議員は野田首相のネクタイ姿をマスコミにクールビズはあんまり似合わないという提言を受けたことを理由に挙げているが、上記「SankeiBiz」記事では岡田副総理がネクタイ姿を進言したとなっている。
いずれが事実であったとしても、国民に対する印象を基準として選択したネクタイ姿ということになって、マスコミを筆頭として岡田副総理の念頭ばかりか、野田首相の念頭にも節電という意識は一切なかったことになる。
そういった意識があったなら、似合う似合わないを基準とはせずに率先垂範を示すためにノーネクタイを選んだはずだ。
政府が中心となって、特に消費電力量の多いエアコンの温度を上げてくれと節電をお願いしている。節電をお願いする際の危惧として、エアコンの温度を上げ過ぎて、部屋にいながらにして、昼間ばかりか夜中であっても熱中症に罹って、最悪死なせてしまう高齢者の存在まで思い浮かべているのだろうか。
あるいは毎年のように猛暑の時期を迎えると、エアコンを部屋に備える余裕もない低所得の高齢者が熱中症で死んでいく悲惨な事態まで広げて思い浮かべることがあるのだろうか。
部屋にエアコンがありながら、電気代が高いことから、普段から節約節約で思う存分かけることができないところへ持ってきて、国を上げての節電の掛け声を口実に節電への協力だと自分に納得させてエアコンを付けないで我慢して、結果として熱中症にかかってしまう高齢者も存在するはずだ。
あるいはエアコンをかけないでいれば、熱中症に罹って死ぬことができると意図的にエアコンを停止し、エアコンを遠隔操作の自殺の道具に替えて夜を迎える高齢者が存在しないと誰が断言できるだろうか。
世の中には節電の協力を積極的にできる人間と、節電の掛け声とは無関係に節電せざるを得ない生活状況に追い込まれている人間がいる。
野田首相が節電というキーワードからそういった存在まで連想する想像力を持っていたなら、ネクタイを締めていたことの言い訳に外国人との面会を口実とすることはできなかったに違いない。
政治家たちのクールビズ論議は生活困窮者とは無縁の世界の出来事として展開されているように思えて仕方がない。
昨日の当ブログ記事――《オスプレーの操縦等の人為的ミスによる事故多発はその安全性が誘発したと考えなければならない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》で、軽度の人為的ミスが多発していることはオスプレーの機体上の欠陥が誘発していることではないかと書いた。 《オスプレイ:「操縦士ミス」と結論》(沖縄タイムズ/2012年7月28日 09時51分)
記事をアップロードしてから、米側が海兵隊員2人が死亡、2人が重傷を負ったオスプレーモロッコ墜落を米側が人為的ミスによる墜落事故だと公表したとする記事に出会った。
読んでみて、公表内容に疑問を感じたこととブログ記事との整合性を持たせるために取り上げて見ることにした。
新聞記事の都合の良い解釈ではなく、合理性を欠いていない解釈であることを理解頂くために、記事全文を参考引用することにした。
【平安名純代・米国特約記者】米軍当局がモロッコで起きた米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの墜落事故についてまとめた調査報告書で、原因を飛行経験の浅い副操縦士の判断ミスによるものと結論付けていたことが27日までに分かった。内容は近く日本政府に通達される見通し。複数の米軍筋が沖縄タイムスの取材に明らかにした。
同機の操縦歴10年の海兵隊パイロットは、報告書の内容について本紙に対し「これまでの墜落事故で人為的ミスだと結論付けられたケースはたくさんある。再発を防止するには、オスプレイの操縦の複雑さをまず認める必要がある。その上で操縦士らのミスを防ぐ方法を考えなければならない」と述べた。
報告書は、離陸直後にスピードがまだ十分出ていないにもかかわらず、操縦士が垂直飛行から慌てて水平飛行に移ろうとしたため、機体のバランスを崩したと指摘。そうした状態でさらに後方から追い風を受け、飛行経験の少ない副操縦士が体勢の立て直しに失敗したため墜落に至ったなどと説明しているという。
その上で、事故がオスプレイの機体構造に起因するものではないと指摘している。
米軍筋によると、米側は米軍普天間飛行場への同機の配備を前に、日本側に対して再発防止対策として、こうした注意点などを操縦士らの飛行マニュアルなどに反映させ、指導を強化し技術向上を図るなどと説明する見通し。
事故は4月11日、米軍とモロッコ軍との合同訓練中に発生し、米兵2人が死亡、2人が重傷を負った。米側は6月に「機体に問題はなかった」と正式に発表。人為的ミスが原因との見解を日本側に非公式に伝えている。
最初に思い浮かんだ疑問は、〈離陸直後にスピードがまだ十分出ていないにもかかわらず、操縦士が垂直飛行から慌てて水平飛行に移ろうとした〉とき、主操縦士(機長)は何をしていたのだろうかということである。
記事がここで「操縦士」と書いている人物は副操縦士であって、主操縦士ではないはずである。
もし主操縦士であったなら、滑稽なことになる。断るまでもなく、主〈操縦士が垂直飛行から慌てて水平飛行に移ろうとしたため、機体のバランスを崩し〉、〈そうした状態でさらに後方から追い風を受け、飛行経験の少ない副操縦士が体勢の立て直しに失敗したため墜落に至った〉ことになるからだ。
いわば主操縦士の不適切な操縦に対して副操縦士がバックアップするという逆転した構図を取ることになるばかりか、そのバックアップも失敗したということになる。
普通は逆のはずである。副操縦士が操縦不慣れから機体のバランスを崩し、主操縦士が態勢立て直しのバックアップを行うという順序が一般的であろう。
当然、あくまでも飛行経験の浅い副操縦士が操縦不慣れから最後まで適切な操作ができなかったとしなければならない。
但し見えてくるのはすべて副操縦士任せの光景であって、何らかのバックアップを果たすべき主操縦士の姿がどこにも見えてこない。不自然ではないだろうか。
副操縦士の飛行経験が浅いことは主操縦士は常に認識していなければならないはずだ。特に同機の操縦歴10年の海兵隊パイロットが言っているように、「これまでの墜落事故で人為的ミスだと結論付けられたケースはたくさんある」という、人為的ミス誘発の危険性を常態としているオスプレーであるなら、なおさらに飛行経験の浅い副操縦士の操縦には注意を傾けていなければならなかっただろう。
自動車教習所で教習生の隣に座る教習所教師以上にである。あるいは初めて路上教習に出る教習生に対する教習所教師以上の注意傾注を見せていなければならなかったはずだ。
少なくとも記事の情報からでは、主操縦士は副操縦士の操縦失敗に対して何ら役目を果たしていない。隣の席で居眠りしていたというなら理解できる。
モロッコ墜落はモロッコ軍との合同演習中の出来事である。居眠りなどしているはずはない。ところが、操縦を飛行経験の浅い副操縦士任せにしていた。
どう考えても不自然だらけだが、この不自然を無視するとしても、居眠りをしていない以上、主操縦士は機体のスピードをある程度体感していたはずだ。特にヘリコプターとして垂直に離陸し、その垂直飛行から水平飛行に移る大事な瞬間である。上昇方向に向けて十分な揚力を得る速度にまで達しているかどうか、自身が操縦していなくても、主操縦士(機長)の経験から、その速度を身体で感じ取ることができていたはずである。
当然、速度不足を感じたなら、あるいは副操縦士が飛行経験が浅いと言うことなら、そのことも考慮して、速度計に目を遣って確認するのが主操縦士としての役目であるはずだが、記事からは機体の安全に最終責任を有する操縦士の姿が一切見えてこない。
飛行経験の浅い副操縦士の姿のみと、そのことを理由とした不適切な操縦のみを前面に出して、墜落を副操縦士の判断ミスだと結論づけた発表内容となっている。
どう見ても不自然を超えて、墜落は機体の安全性が問題ではなく、飛行経験の浅い副操縦士の判断ミス、イコール人為的ミスだとする意図的情報操作――創作に見えて仕方がない。
勿論、すべては記事情報から感触した疑惑に過ぎない。
だとしても、オスプレーが人為的ミスの多発化を誘発する機体上の特質を有しているという事実に変わりはない。
果たしてオスプレーは単に操縦が難しい機体だと片付けていいのだろうか。例えそれが人為的ミスによる墜落であっても、一般住民の人命に関係することはないという絶対的保証が常にあるならいい。
オスプレーの事故がこれまで公表してきた以上に多いことが分かったと伝えている記事がある。《オスプレイ“軽度事故の頻度は高い”》(NHK NEWS WEB/2012年7月26日 15時56分)
日米両政府は延べ10万時間の飛行で起きた死者が出るなどした重大な事「クラスA」は1.93件で、海兵隊が使用している9つの機種の平均2.45件よりも低いとして安全性を強調してきた。
ところが、海兵隊が分類した資料をNHKがこの程入手、同じ延べ10万時間の飛行で起きた比較的程度の軽い事故発生件数を加えると、平均よりも事故発生頻度が高くなり、さらにオスプレイの2001年から2012年までの11年間の事故発生件数は40件にのぼっていることが分かったという。
先ず2001年から2012年までの11年間の事故発生件数の内訳。
▽「クラスA」(死者が出たり高額の修理費用が生じたりするなど、最も深刻な事故)――4件
▽「クラスB」(乗員に部分的に後遺症が残るなどした事故)――9件
▽「クラスC」(軽いけが人が出るなどの事故)――27件
合計40件――年に4件近い発生頻度となる。
これまで公表されていなかった延べ10万時間の飛行で起きた比較的軽度の事故発生件数。
▽「クラスB」――2.85件(海兵隊平均2.07件)
▽「クラスC」――10.46件(海兵隊平均4.58件)
この「クラスC」の海兵隊平均4.58件の2倍以上にも達する10.46件は海兵隊の航空機の中で最も高い数値だという。
軽度の事故だから、例え事故発生件数が多くても、安全性に問題なしとすることはできない。紙一重で「クラスB」で済んだ、「クラスC」で済んだといった事故もあるはずである。
逆に、紙一重で「クラスC」から、「クラスB」になったり、「クラスB」から「クラスA」になる事故ということもあるはずである。
ほんの少しのところで命拾いをしたといったことは、ほんの少しの手違いで重大事故につながるところを一歩手前で済んだということであって、それを「クラスC」に分類したからといって、「クラスC」の軽度で片付けることはできないはずだ。
常に一歩手前で済む保証はないことを抱えている「クラスC」ということになるからだ。
当然、次の発言は素直に受け止めることはできない。
海兵隊報道部「程度の軽い事故の割合は確かに高いが、この2年で起きた事故の72%は操縦など人為的なミスが原因で、オスプレイに設計上の問題はなく、安全性の高い航空機だと確信している」
「この2年で起きた事故の72%」もが「操縦など人為的なミスが原因」で、「オスプレイに設計上の問題」はないと断言している。
高齢者がオートマチック車を運転していて、危険を避けるためにブレーキを踏むところをアクセルをブレーキと間違えて強く踏んでしまい、却って大事故を引き寄せてしまうといった事故例をマスコミが時折り取り上げる。
明らかに運転ミスであって、車に設計上の問題があるわけではない。
但し誰もが運転ミスをするわけではない。免許取り立ての若い初心者であっても、教習所でそれなりの教習を積んだ者が滅多にアクセルとブレーキを踏み間違えることはあるまい。
いずれもが主として操縦に関わる年齢的な運動神経や身体的な記憶能力が影響している個人的な運転技術の問題だからだ。
オスプレーを操縦するについては一般的には他のヘリコプターからの乗り換えだろうから、まるきりの初心者というわけではあるまい。
百歩譲って、オスプレーがヘリコプターの類の機体操縦が初めての初心者であったとしても、頭の柔軟性や運動神経、メカに対する知識取得能力等の適格性を得た者が操縦の資格を与えられているはずである。
あなたの年齢でもオートマティック車を若者同然に巧みに運転するからといって、高齢者を連れてきて操縦桿を握らせるわけではあるまい。
先ずはフライトシミュレータ(飛行訓練装置)訓練から入って、卒業できる技術を取得後、実地の訓練に入っていくはずだ。それも初歩の段階から始めて徐々に難度を上げていく。
それでも、「この2年で起きた事故の72%」が「操縦など人為的なミスが原因」だという。
この説明が果たして説得力を持ち得るだろうか。
言っていることは、フライトシミュレータ訓練や段階的な実地訓練に於ける操縦技術取得に反して実際には操縦士の操縦技術がオスプレーが必要とする運転操作に追いついていないままに操縦させているという矛盾を生じせしめることになる。
例え矛盾していたとしても、そういうことからの「この2年で起きた事故の72%は操縦など人為的なミスが原因」だとしなければならない。
要するに小学生か中学生が車の運転技術があるわけでもないのに親の目を盗んで親の車を運転し、事故を起こす類とみなければならない。
フライトシミュレータ訓練で卒業できる技術を取得後、段階的に難度を上げていく実地訓練を行なっていたなら、「事故の72%」が「操縦など人為的なミスが原因」などということは起こりようはずがないからだ。
だが、オスプレーの安全性に全然問題がなかったなら、操縦士の操縦技術が追いつかないということはあり得るのだろうか。
もし操縦士の操縦技術が追いつかないオスプレーの安全性だとしたら、いわば操縦技術を超えるオスプレーの安全性だとしたら、この2年間に於ける「操縦など人為的なミス」の事故率72%は、逆説的な言い回しになるが、オスプレーの安全性が誘発した「操縦など人為的なミス」ということになる。
いわば「安全性に問題はない」と言っているが、何らかの機体上の欠陥を抱えているということである。
そうとでも考えなければ、この2年間に72%にものぼる「操縦など人為的なミス」の事故発生件数の多発的誘発は理解できないことになる。
参考までに――
2012年7がzつ18日当ブログ記事――《オスプレイは機体が欠陥原因の墜落は危険で、操縦ミスが原因の墜落は危険ではないのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》
昨日7月26日(2012年)夕方のNHK総合テレビが野田首相が衆院本会議で、「尖閣諸島を含め、わが国の領土領海で周辺国による不法行為が発生した場合には必要に応じて自衛隊を用いることも含め、政府全体で毅然として対応することになります」と発言しているシーンを報道していた。
本会議は他の委員会のように必要に応じた複数回の質疑応答の形式は取らず、質問者が前以て質問を書き込んだ原稿を読み上げる一度の質疑に対して答弁者も前以て答弁を書き込んだ原稿を読み上げる一度の応答で完了する形式となっている。
その結果、殆ど原稿に目を落として読み上げる形の質問となり、答弁となるが、質問にしても答弁にしても自らの主張の展開であって、そうである以上、自らの頭の中にある、こうあるべきだとする考えの相手に対する訴えとなるはずである。
当然、原稿を読み上げる形式であっても、言葉に訴える力がなければ、主張が主張とはならない。こうあるべきだとする考えを何のために常日頃から頭の中に入れているのか、意味を失う。
ところが、NHKニュースを見ていて、野田首相のわが国の領土・領海を外国の不法行為から守るとする主張に一国の首相にふさわしい力強い決意は何も感じることができなかった。原稿を単に読み上げているようにしか見えなかった。
野田首相の答弁は楠田大蔵民主党議員の、「近隣の海洋で活動を活発化している中国の動向について」の質問に対するものである。「衆議院インターネット審議中継」にアクセスして、その箇所のみを文字にしてみた。
楠田議員「我が国固有の領土であるこの尖閣諸島を巡っては近年の中国による挑発的とも言える活動は大変憂慮すべきものである。本年3月、そして今月も中国の漁船や監視船が尖閣諸島の我が国の領海に侵入する事案が発生。
さらに中国政府は尖閣諸島は中国の核心的利益だと強硬に主張するなど、日中間の緊張が高まっている。
この状況に政府として国有化の方針を示したが、その狙いを改めてお聞かせ願いたい。
また今後尖閣諸島が不法侵入されるといった不測の事態が起こった場合、自衛隊・政府は如何なる対応を行うのか、明確にお示しください」
野田首相「尖閣諸島を巡る対応、及び領土・領海警備についてのお尋ねがありました。
尖閣諸島が我が国固有の領土であることは歴史的にも国際法上も疑いがなく、現に我が国はこれを有効に支配をしております。
従って、尖閣諸島を巡り、解決すべき領有権の問題はそもそも存在しません。
その上で政府としては尖閣諸島の平穏かつ安定的な管理を継続するとの観点から、様々なレベルで様々な接触をして、総合的に検討しているところであります。
また尖閣諸島近海域に於いては海上保安庁が関係省庁と連携して、必要な警備を実施をしています。自衛隊も尖閣諸島を含め、我が国周辺海域の警戒監視活動をしっかりと行なっており、引き続き関係省庁が連携して、万全の態勢で警備に当たる考えです。
その上で尖閣諸島を含め、我が国の領土・領海で周辺国による不法行為が発生した場合には、必要に応じて自衛隊を用いることを含め、政府全体で毅然として対応することになりますが、平素から危機管理体制を整え、外交努力を含め、そのような事態を未然に防止することが重要なことと考えます」――
殆ど顔を上げないままの間を置かない、やや早めの読み上げは単に原稿どおりに言葉を伝えることに専念した様子しか窺うことができず、とても一国の首相の常日頃から頭の中にある主権の保全、領土・領海の保全に関わるこうあるべきだとする強い決意を秘めた主張の国民に対する訴えとして何ら響いてこなかった。
響いてこない以上、「必要に応じて自衛隊を用いることを含め、政府全体で毅然として対応することになります」と言っても、「毅然」という言葉が持つ意志強固、その絶対性を野田首相自身の姿に些かも投影することはできなかった。
そこにあったのは主張の訴えとは程遠い、原稿の読み上げに始まって、読み上げに終わった一国の首相の姿のみであった。
「毅然として」が一国のリーダーの決意ある姿勢を自ずと反映して口を突いて出た言葉でないなら、対外国に関わる安全保障上の危機管理は2010年11月の北朝鮮による韓国延坪島砲撃事件や2010年9月の尖閣沖中国漁船衝突事件、さらに今年4月の北朝鮮ミサイル発射時に見せたような、「毅然」とは程遠い混乱や不手際しか期待できないように思えて仕方がない。
国家安全保障上の危機管理の混乱、不手際は口では「毅然として対応」と言っても、実際には毅然とした態度を持って事に当たることができなかったことの反映として生じた失態であるはずだから、野田首相の「毅然として対応」にしても、原稿を読み上げるだけの態度からはこのことの二の舞を演ずる確率の高さのみを窺わせた。
岡田副総理や仙谷由人が、マニフェストを破ったのは小沢氏が最初だと批判している。 《子ども手当に所得制限 民主党の予算重要要点(全文)》(asahi.com/2009年12月17日8時26分)
その発言にはマニフェストを守れと言っていながら、最初に破っているのだから、マニフェストに掲げた政策のうちの以後の未達成の責任は同罪とするならまだしも、図々しくも帳消しになるといった自己免罪のニュアンスを含んでいる。
6月22日(2012年)の岡田副総理の記者会見(首相官邸HPから)。
記者「朝日新聞の河口です。先程の御発言でちょっと1点。御自身が離党(1993年小沢氏とともに自民党を離党、新生党を結成したこと)されたときに、国民もその大義を受け止めていただいたというふうにおっしゃいましたけれども、今回、小沢元代表は、消費増税に反対するといいますか、マニフェストについて実現されていないということで、反対する姿勢を見せておられますが、今回、まだ分かりませんが、反対票を投じられて、離党ということになれば、それは国民にとって大義があるというふうに受け止められると今の時点では思われますか」
岡田副総理「まずマニフェストについて、何も実現していないというのは、何を根拠にそう言っておられるのかということは、私は疑問に思います。多くの仲間が懸命に努力をして、勿論できていないものも沢山あります。しかし、できたものも沢山ありますので、そこは正当に評価していただきたいと思いますし、同じ党の中にあったわけですから、何もできていないとしたら、今日、私、国会質問で、きづなの質問者の方に申し上げたのですが、『では、あなたは民主党のときに何をしたのですか』と。自ら何もしなかったということを言っているに等しいわけですから、それはやはりそうではないと思うのですね。みんなが懸命に努力をして、ここまでやってきたと、マニフェストについてもかなり実現してきたと。
しかし、理由があってできないものもある。例えばガソリン税の増税、減税を止めるということですね。これはマニフェストの非常に金額から言うと大きな玉だったわけですが、これを国民の声と言って止められたのは当時の小沢幹事長ですから、それぞれ理由がいろいろあって、できていないものは、それはあるのです。そのことは十分お分かりになっているはずだと私は思います」
民主党は2009年衆院選マニフェストでガソリン税の暫定税率廃止を掲げていたが、政権獲得後、暫定税率廃止を撤回している。
先ず小沢氏がマニフェストを破ったことを先に持ってきて、以後のマニフェストの未達成を、「理由がいろいろあって、できていないものは、それはあるのです」と帳消しを謀ることで自己免罪を目指している。
離党の大義について何も発言していないが、少し前の質問に対して答えている。
記者「毎日の野口ですけれども、岡田副総理も昔、新人議員のときに、小沢さん達と一緒に自民党を離党して新党結成という、そういう経験があると思うのですけれども、今現在、こういった新党を結成して離党しようという議員に対して、なかなか大変だなという、そういう苦労話など、アドバイスなどありましたら、何かお願いします」
岡田副総理「政治家は最終的には自らの信念に従って意思決定し行動するということですから、最後突き詰めれば、それぞれの判断ということだと思います。その上で申し上げると、93年のときには、何としてでも政治改革をやり遂げるという、そういう思いを少なくとも私は持っておりましたし、国民にもその大義というか、そういうものを受け止めていただいたというふうに思います。今回いかなる理由を持ってということは、それぞれがよくお考えいただく必要があるのではないかというふうに思います。何のために、ということについて、静かに考えて、一人一人が考えていただきたいというふうに思います」
自分が離党する側に立ったときは、それを利益とした行動としているから、当然大義があることになり、自分が離党される側に立つと、不利益を被る側に位置することになるから、「よくお考えいただく必要がある」と言う。
ただそれだけのことに過ぎない。
次に仙谷由人。《野田首相再選支持を示唆=仙谷氏》(時事ドットコム/2012/07/13-21:40)
7月13日のTBSテレビの番組収録。
仙谷由人(9月の民主党代表選の対応について)「消費税を上げることをやり抜いたリーダーシップがあり、原発も安全確認しながら再起動し、中長期的には自然エネルギーでつくっていくと決めた。今の先進国の状況を見ても、評価は高い」
(新党「国民の生活が第一」を結成した小沢一郎氏に関して)暫定税率(廃止)をやらないと、マニフェスト(政権公約)を最初に破ったのは(当時の)小沢幹事長だった。マニフェストを守らないから野田首相は駄目というのは、ものすごく違和感がある」
「消費税を上げることをやり抜いたリーダーシップ」と褒め称えているが、主体はあくまでも社会保障制度である。消費税は目指す社会保障制度を実現し、維持していく財源に過ぎない。
消費税増税を遣り抜いたからといって、社会保障制度がついてこなければ、本末転倒となる。
要するに遣り抜くべきは自らが目指す社会保障制度の設計内容であるにも関わらず、「消費税を上げることをやり抜いた」と、消費税増税を主体に位置づけていることによって、逆に消費税増税先行であったことを証明している。
野田首相も機会あるごとに消費税先行ではないと言っている。
野田首相「今回の社会保障と税の一体改革では、社会保障改革を棚上げしたわけではありません。
しっかり、しっかりと子供・子育ての部分などを充実し、社会保障を安定化させる。そういう考え方のもとに行っている一体改革であります。決して増税先行ではございません」(MSN産経)
だが、本人は気づいていないだろうが、計らずも消費税先行であることを自ら暴露することになる。
桜内文城みんなの党参議院議員「社会保障の新しい姿を国会の中で議論する必要がある。次の衆議院選挙の前に社会保障の姿を示し、だから増税が必要だということを国民に示すべきではないか」
野田首相「社会保障の姿を国会の中で議論しようという趣旨は賛成だ。将来世代に、おんぶにだっこという形はよくないという視点の中で、何を安定させ、充実させるのか、胸襟を開いた議論ができるのではないか」(NHK NEWS WEB)
両者の発言は「社会保障の新しい姿」の議論の提案に対する応諾という構造を取っている。議論の提案は社会保障制度の未完成を意味する。
野田首相は「社会保障の姿」はまだ固まっていないとしていることに対して消費税増税が増税率も増税時期も既に完成していることから、消費税先行を図らずも証明したのである。
仙谷由人は野田政権の消費税増税先行を暴露し、尚且つマニフェストを最初に破ったのは小沢幹事長だったと、マニフェスト不履行のそもそもの張本人であるかのように批判し、「マニフェストを守らないから野田首相は駄目というのは、ものすごく違和感がある」からと、帳消しを通した自己免罪を意図している。
小沢氏のマニフェストに違約する暫定税率廃止撤回を自己免罪の道具に使うことに果たして正当性があるのだろうか。
いや、批判そのものに正当性があるのだろうか。
小沢氏と共に新党「国民の生活が第一」を結成した森ゆうこ参議院議員が7月20日のTwitterに次のように投稿している。
森ゆうこ参議員「リーマンショックによる10兆円近い減収と、政権交代後に短時間で予算編成をしなければならず年末ギリギリまで鳩山内閣は予算案を決定出来なかった。そこで小沢幹事長が官邸に乗り込み泥をかぶってガソリン税を次年度送りにし、ようやく予算編成が間に合った」
インターネット上には岡田副総理と仙谷の発言を批判する声が飛び交っているが、当時の新聞記事を振返って、自分なりに森ゆうこ議員の投稿文の検証を兼ねながら、岡田と仙谷の発言の正当性をなるべく実証的に確認したいと思う。
民主党が鳩山代表、岡田幹事長だった2009年6月の政権を獲る前、政権公約の工程表を早くも見直している。《民主政権公約、工程見直し 財源4兆円圧縮》(asahi.com/2009年6月25日5時4分)
●目玉公約に充てる財源を昨年秋に固めた当初案より4兆円程度圧縮し、16兆~17兆円とする。
●政権奪取後4年目の予定だった年金一元化実施を6年目に改める。
●ガソリン税などの暫定税率の即時撤廃は2年目以降に先送り。
●小沢一郎前代表の持論として07年参院選公約に明記した「市町村数を300程度」とする分権改
革目標は「平成の大合併に続いてさらなる強制合併を招く」などとする地方自治体側の反発
に配慮して削除。
●公約では「5本柱」として次を掲げる。
(1)天下り廃止・無駄遣い根絶
(2)子ども手当、高校無償化など教育支援
(3)年金・医療
(4)地域主権
(5)地球温暖化対策
鳩山代表、岡田幹事長のもとで、景気動向からの税収減を考慮してのことだと思うが、政権奪取約2カ月前には目玉公約の財源圧縮と暫定税率即時撤廃の2年目以降に先送りを決定している。
だが、鳩山代表と岡田幹事長の間に意見の食い違いがあって、政策変更はすんなりとは決まらなかった。
《民主公約 岡田氏「一部先送りも」 鳩山氏「認めない」》(asahi.com/2009年6月28日2時54分)
〈不況による税収減も考え、公約の一部先送りを求める岡田氏に対し、鳩山氏は今さら変えられないとの立場。執行部でマニフェストを最終的に詰める際の焦点になりそうだ。〉――
〈ガソリン税などの暫定税率の撤廃。政権交代後の初年度から実施し、2.6兆円の減税を掲げていたが、鳩山新体制でのマニフェスト見直しで岡田氏らの主導で先送りが固まった。しかし、鳩山氏は26日の記者会見で「即時撤廃は国民の間で既成事実化している」と先送りに反発した。〉――
要するに当時の岡田幹事長は暫定税率撤廃政権交代後即時実施の先送りを意図していた。小沢氏を批判した上記記者会見では、「非常に金額から言うと大きな玉だったわけですが」と、即時実施した場合の国民還元の利益が相当に歓迎された額であるかのように言っているが、実際は岡田自身が国民還元どころか、この2.6兆円を政府還元の財源に回そうとしていたのである。
盗人猛々しいこととはまさにこのことである。
6月26日記者会見。
岡田幹事長「暫定税率は財源を見つけ出して(から)廃止するのも考え方」
6月27日、テレビ東京の番組。
岡田幹事長「経済危機で税収が落ち込む中、先送りする政策も出てこざるを得ない」
だが、最終的には鳩山代表の主張が通った。《暫定税率撤廃、政権奪取後初年度から 民主党合意》(asahi.com/2009年6月30日13時35分)
6月30日午前、鳩山代表、岡田克也幹事長、直嶋正行政調会長ら幹部が党本部で協議。総選挙マニフェスト(政権公約)で固まっていたガソリン税などの暫定税率撤廃の先送り方針を撤回し、政権奪取後の初年度から実施することで合意。
〈財源の手当てを優先させ、岡田氏らの主導で先送りが固まったが、鳩山氏が「暫定税率(撤廃)は国民のなかで既成事実化している」と初年度からの実施を求めていた。30日の協議で岡田氏は「初年度でやりましょう。私に異存はありません」と発言したという。 〉――
以上の経緯を見る限り、止むを得ず、鳩山代表に妥協したということでなければならない。
ところが、暫定税率撤廃によって浮く2.6兆円の財源を、マニフェストで「ガソリン等の燃料課税は、一般財源の『地球温暖化対策税(仮称)』として一本化します」と謳っていた、一本化して名称を変更するだけの「地球温暖化対策税」に暫定税率を撤廃して浮く財源を振り向ける案が民主党内に浮上。
いわばタダで国民に渡したのでは勿体無いというわけである。「地球温暖化対策税」は2兆円規模とし、残る0.6兆円を減税とする設計だったらしい。
とすると、即時撤廃の場合は2兆円は「地球温暖化対策税」に化けてしまうことになるから、撤廃見送りであったとしても、現在、「マニフェストを最初に破ったのは小沢氏だ」と批判する割には額面通りには受け止めることができる程の影響はなかったことになる。
鳩山内閣は政権交代から2カ月後の11月に入ると、マニフェスト政策実施の初年2010年度所要額7.1兆円の圧縮に取り掛かった。対象は高速無料化予算、大幅削減、子ども手当の所得制限化などである。
鳩山首相(子ども手当の所得制限について)「まずは考えないのが基本線だ。ただ、裕福な人は子ども手当はいらないじゃないかという気持ちの国民が多いことも現実にある」
一見否定しているようで、肯定するブレを見せている。
結果は子ども手当は所得制限をかけない代わりに月2万6千円の約束が半額の1万3千円の減額でスタートすることになった。
鳩山首相はなおブレる。12月2日午後、国会内で講演。
鳩山首相「暫定税率の議論と環境税の議論を一緒にすれば、国民に約束違反と思われる。増税の部分はしっかりと議論する必要がある」(47NEWS/2009/12/02 16:31 【共同通信】)
暫定税率撤廃で浮く2.6兆円はしっかりと国民に還元し、環境税は「しっかりと議論する必要がある」と別個扱いにして先送り示唆である。
鳩山首相がどうブレようと、原因はマニフェストの約束と財源の手当ての間(はざま)で四苦八苦しているからに他ならない。
そして12月16日。小沢一郎幹事長は党を代表して政府に対して「重点要望 」を提出する。
平成22年度予算は、民主党政権が誕生して初めての本予算である。「国民の生活が第一」の基本理念に立って、政策や予算の旧来の優先順位を一新することが、国民の負託に応える我々の責務である。
無駄遣いの根絶、不要不急な事業の徹底的な見直しを行い、新しい優先順位に基づいてすべての予算を組み替えて財源を抽出し、国民に約束したマニフェストを誠実に、そして着実に実現していく必要がある。
子育て・教育、年金・医療・介護の充実や、地域の活性化に重点を置き、国民一人ひとりに直接手を差し伸べることによって、生活の安定を図り、希望を生み出していく。政権交代で我々が国民に約束した、こうした政治の実現のため、政府に対し、特に以下の点に留意して予算編成を行うよう求めるものである。
1 重点要望
(1)子ども手当
子育ての心配をなくし、社会全体で子育てを応援するため、「子ども手当」は、初年度、子供1人当たり、月額1万3千円とし、地方には新たな負担増を求めない。所得制限については、その限度額は予算編成にあたり政府与党で調整し決定する。
(2)高校無償化
みんなに教育のチャンスを与えるため、公立高校生の授業料を無償化し、私立高校生には年額12万円(低所得者世帯は24万円)を助成する。また、所得制限は設けない。
(3)農業戸別補償制度の導入
食の安全を確保し、わが国の農村を再生するため、戸別所得補償制度の早急な導入が必要である。要求額を確保することとし、その財源を確保するためにも、土地改良事業に偏ってきた農業予算の大転換を求める。
実施に当たっては、現在の交付金水準を下回らないようにする。
(4)地方財源の充実
地方が自由に使えるお金を増やし、自治体が地域のニーズに適切に応えられるようにするため、三位一体改革で削減された地方交付税と地方の歳出を復元充実する観点から、平成22年度から、所得税の税源移譲に際して削減された交付税相当額1.1兆円に見合う交付金制度を創設する必要がある。このため、公共事業について、既存の直轄・補助事業を見直し、自治体の創意工夫で社会資本整備をはじめとして原則として自由に使える、1.1兆円を上回る規模の使い勝手の良い新たな交付金を国土交通省・農林水産省において創設する。
(5)過疎法の延長
平成21年度で過疎地域自立促進特別措置法が失効する過疎対策については、過疎地域の現状を踏まえつつ必要な支援を行い、過疎対策に切れ目が生じることのないよう所要の立法措置を講ずる。
(6)国と地方の協議の場の設置
国と地方の協議の場を、地方公共団体の意見を踏まえつつ、法律に基づき設置することとし、所要の法律案を次期通常国会に提出すべきである。
(7)整備新幹線の整備
整備新幹線の整備については、各地域の要望が極めて強いことを受け止め、早期開業のため必要な予算措置を講ずる。
(8)高速道路の整備
(1)平成22年度において、高速道路会社による高速道路整備を推進するため、利便増進事業を抜本的に見直すとともに、いわゆる新直轄事業を取りやめ、これに見合う額を国が高速道路会社に対し支援する。また所要の法律を手当てする。
(2)平成23年度以降の新たな高速道路建設促進の枠組みとして、全国統一の料金設定、国の高速道路建設の高速道路会社への一本化をはかるとともに、地方自らが、必要とする高速道路建設を行うことができるようにするための国の支援策を検討し、来年6月中に政府として成案を得る。
(9)診療報酬の引き上げ
全国で発生している医療崩壊を防ぐため、地域医療を守る医療機関の診療報酬本体の引き上げが必要である。
特に、救急医療や不採算医療を担っている大規模・中規模病院の経営環境を改善するため、格段の配慮を求める。また、医療を現場で支えている看護師の待遇、生活の医療である歯科医療についても診療報酬の引き上げが必要である。
(10)介護労働者の待遇改善
介護の必要な高齢者に良質な介護サービスを提供する必要があり、とりわけ介護労働者の待遇改善が図られるべきである。
(11)障害者自立支援法廃止
障害者自立支援法の廃止に際して、障害者の負担が増加しないよう配慮すべきである。
(12)肝炎対策の予算確保
肝炎患者が受けるインターフェロン治療の自己負担額の上限を引き下げるとともに、インターフェロン以外の治療(核酸アナログ製剤)に対する支援に取り組み、要求額180億円を確保する。
(13)ガソリンなどの暫定税率
現在、石油価格は安定しているので、ガソリンなどの暫定税率は現在の租税水準を維持する。ただし、平成20年度上半期のような原油価格の異常高騰時には、国民生活を守るために暫定税率の課税を停止することができるような法的措置を講ずる。
自動車重量税については、暫定分の国分について、環境のことも考えながら半分程度の減税を行うべきである。
(14)高速道路の無料化
高速道路の無料化については、割引率の順次拡大や統一料金制度の導入など社会実験を実施し、その影響を確認しながら段階的に進める。なお、実施に当たっては、軽自動車に対する負担の軽減を図ることとする。
(15)国直轄事業の抜本的見直しと地方負担金の廃止
国直轄事業が担うべき範囲の抜本的見直しに応じて、同事業に対する地方負担金を廃止する。その第一歩として、平成22年度は、維持管理負担金の廃止を決定すべきである。
(16)租特見直し
不透明な租税特別措置を見直し、効果の乏しいもの、役割を終えたものは廃止すべきである。
(17)土地改良予算の縮減
土地改良事業費は要求額4889億円を半減することとし、所得補償制度等の財源とする。同時に、農業予算の大転換を求める。
(18)環境税
環境税は、今後の検討課題とする。
2 予算編成において政府・与党の調整を要する課題
(1)「協会けんぽ」の財政
(2)A重油の免税措置
(3)オーナー課税
(4)バス・トラックへの助成金
(5)たばこ税の増税
あくまでも財源と辻褄を合わせることができるように配慮した「重点要望 」であるはずだ。
「ガソリンなどの暫定税率」は次のような要望となっている。
「現在、石油価格は安定しているので、ガソリンなどの暫定税率は現在の租税水準を維持する。ただし、平成20年度上半期のような原油価格の異常高騰時には、国民生活を守るために暫定税率の課税を停止することができるような法的措置を講ずる」
そう、「要望」である。決定命令ではない。決定は鳩山内閣の仕事である。
この要望に対する鳩山首相と各閣僚の発言を見てみる。
鳩山首相「私は暫定税率を廃止すべきだとずっと申し上げてきた。ある意味で誓いだ。一方で、党からの要望は国民の皆さんの声だ。国民の皆さんが、国民の皆さんの声を大事にしろという風に思っておられるかどうか。そこに判断がある」(asahi.com)
論理的に辻褄の合わない発言となっているが、何れにしても「そこに判断がある」と言っているように、鳩山首相自身の判断にかかっている決定であることに変わりはない。
以下閣僚の発言は「NHK NEWS WEB」
仙谷行政刷新担当相「国民の声を吸い上げるのが政党の仕事であり、内閣として要望を咀嚼しながら主体的に結論を決めていくことが重要だ」
原口総務相「地方に配慮し、子ども手当も全額国庫負担と記述していただき、たいへん評価している。最終的には鳩山総理大臣のリーダーシップの下で内閣が決断する。こうしたプロセスは諸外国でもあることで、何もおかしなことではない」
福島消費者・少子化担当相「予想以上に税収が落ち込んだなかで、国民も今すぐマニフェストをすべて実行せよということにはならないのではないか。やむをえない措置として、否定はしない」
亀井郵政改革・金融担当相「他党のことには干渉しないが、鳩山総理大臣のような人や、わたしの孫に子ども手当を支給しますと言われても、もっと困っている家庭があると思うので、所得制限は必要だ。所得の捕捉は申告制にすればクリアできる」
長妻厚労相「党の要望は重く受け止めるが、最終的に決定するのは鳩山内閣であり、要望がそのまま政府の決定になるということではない。社会全体で子どもを育てる経費を負担するという考えから、子ども手当に所得制限を設けるべきではない」
川端文科相(高校の授業料の実質無償化について)「「政権公約どおり所得制限を設けないとしてもらったのは、ありがたいことだ」
直嶋経産相(ガソリンなどの暫定税率現在の水準維持について)「税収が極端に落ち込んでいるので、マニフェストの工程表どおりに暫定税率をすべて廃止するのは、率直に言ってなかなか厳しい状況なのではないか」
平野官房長官「要望は要望としてどこまで受け止められるかは、政府が最終的に決める。
政権公約に違反するかどうかは議論があるが、これまで言ってきたことと違う結論になるのであれば、しっかり説明し、国民の理解を得る必要がある」
前原国交相「党の要望というよりは国民の要望だという話だった。政府をバックアップするために出されたものだと理解しており、政府が積み上げてきた議論にどのように乗せていくか、しっかり議論したい。
マニフェストは着実に実行しなければならないが、同時に、来年度の税収が40兆円を大きく割り込む見通しのなか、財政規律も重視しなければならない。もしマニフェストの内容から変わるとしても、その整合性を国民にどう説明するかが大事であり、プロセスさえ踏めば理解してもらえる」
ほとんどの閣僚が、最終決定を内閣に置いている。要するに小沢幹事長は単に財源との辻褄を考えて、「要望」を提示したに過ぎない。
もし暫定税率撤廃の見送りをマニフェスト違反だ、マニフェストを破ったと批判するなら、批判の対象は鳩山首相とその閣僚としなければならない。
また、少なくとも鳩山政権誕生で外相となった岡田克也にしたら一旦は政権獲得前に見直しを主張した手前、暫定税率維持は歓迎すべきことであって、決して小沢氏を対象に批判すべきことではない。
また仙谷にしても、当時「内閣として要望を咀嚼しながら主体的に結論を決めていくことが重要だ」と発言して、内閣に決定権があるとしていた以上、「(政権公約)を最初に破ったのは(当時の)小沢幹事長だった」と批判することは盗人猛々しいお門違いも甚だしいということになる。
自分たちが最終決定したのである。
多分、小沢氏が内閣が決定したことだと言ったなら、同士である鳩山氏を窮地に陥れることになるから、言わないで我慢しているのかもしれない。
鳩山内閣に要望書を提出した際の小沢氏の発言を次の記事が伝えている。《小沢幹事長:政府を一喝 「本当に政治主導だったか」》(毎日jp/2009年12月16日 23時26分)
小沢幹事長「本当に政治主導だったか疑問がある」
〈出席者によると、小沢氏の迫力に室内の雰囲気は凍り付いたようになったという。〉――
小沢幹事長「予算編成を官僚に乗らずにできているのか。政府高官は研さんを積んで自ら決断して実行してほしい。
自民党政権との癒着があった(業界)団体にはあえて厳格に対処している。選挙に勝ったから内閣を組織できた。
誰かが言わねばならないことで、自分が憎まれ役を買って出た」――
財源不足からの遣り繰りで纏まらないでいた内閣の予算編成に手助けの「憎まれ役を買って出た」
どこに不都合があるというのか。
このことは2009年12月20日報道の読売新聞社の世論調査も証明している。
「ガソリン税などの暫定税率の維持について
賛成――52%
反対――33%
民主支持層
賛成――55%
反対――33%
暫定税率廃止撤回は小沢氏のマニフェスト違反だと批判することも、その違反を自分たちマニフェスト違反の自己免罪の道具に使うことのどこにも正当性を見い出すことはできない。
最後に再び、森ゆう新党「国民の生活が第一」参議院議員のTwitter投稿文。
森ゆうこ参議員「リーマンショックによる10兆円近い減収と、政権交代後に短時間で予算編成をしなければならず年末ギリギリまで鳩山内閣は予算案を決定出来なかった。そこで小沢幹事長が官邸に乗り込み泥をかぶってガソリン税を次年度送りにし、ようやく予算編成が間に合った」
森ゆうこ議員の言い分が正しいとしか検証できない。
大津いじめ自殺事件の報道が跡を絶たない。ニュース番組は勿論だが、ワイドショー番組が連日、必ずと言っていい程に一コーナーを設けて報道している。ワイドショーが暫くは主役の地位を演じるのではないだろうか。
それだけ教育委員会、学校、校長、教員ぐるみの、自己中心的に平穏無事を祈る事勿れ主義の自己保身と責任回避、自らの経歴に傷がつくことを恐れた事実隠蔽に目に余るものがあるからだろう。
1994年の大河内清輝君のいじめ自殺事件後も同様に情報の氾濫が起きた。テレビ・新聞、その他が発信する大量の情報が大河内清輝君のいじめ自殺事件以外も対象として教育委員会や学校、教師の無神経な対応を糾弾したとしても、教育委員会、学校、校長、教員はいじめ等の面倒事には殆どが自己保身と責任逃れに閉じ込もって、見て見ぬ振りをすることからスタートを切る。
マスメディアの大量の情報発信が世間を騒がす役には立ったとしても、教育委員会や校長、教師の自己保身と責任逃れには太刀打ちできない状態にあるということであろう。
糾弾は悪質ないじめや無残ないじめ自殺が起きてからの事後の現象としかなっていない。
このことは文部科学省の2010年度学校のいじめ認知件数全国調査が前年度比6.7%増の7万7630件としている、一向になくならないどころか、逆に増加している状況が証明している。
校長や教師の経歴が傷つくことを恐れるだけではなく、いじめ自殺が起きた学校だという、学校の評判が傷つくことを恐れて、傷つかない方策にのみ頭を巡らすことから、結果的に一人の人間の生命(いのち)よりも隠蔽が最良の方法となる。
何度でも言っていることだが、生命(いのち)とは心臓を動かし、血液が流れて、歩いたり、食べたり、眠ったり等々の物理的な身体動作のみの状態を言うのではなく、精神的に健全に生きて在る状態――健全な精神的存在性までを含めて生命(いのち)と言う。
いじめは身体的と精神的と両面の生命(いのち)に同時に作用し、損ない、歪め、非人間的状態に貶めていく。
いわばいじめは身体的にも精神的にも健全であるべき存在性、健全であるべき人間性を奪う。当たり前の人間であることを許さない。当たり前の喜怒哀楽の感情の発露を歪め、抑圧する。
報道番組やワイドショー番組の中にはいじめにどう対処すべきか、その処方箋を取り上げている番組もある。7月23日(2012年)TBS「ひるおび!」も一コーナを設けて、民間人初の公立中学校校長となった藤原和博氏(現東京学芸大学客員教授)の出演で取り上げていた。
独創的な教育方法で有名となった藤原氏である。どんな見解を持っているか、興味を持って眺めた。
総合司会者恵俊彰、尾木直樹教育評論家がコメンテーターとして出演している。
藤原氏は2002年に杉並区教育委員会・参与(教育改革担当)となり、100を超える教育改革に関わるアクションプランを共同で作成。
しかし多くの学校がアクションプランを採用しなかった。そこで校長と教頭は教員免許がなくてもなれる制度を利用して自ら校長になる決心をした。
藤原氏は、民間企業の場合、一つの会社が優れた業績を上げれば、2年ぐらいで他の会社にキャッチアップされる構造になっているが、教育界にはこの構造がない、和田中で新規につくった制度は東京都の公立中学校で真似されないことが多いと、その消極姿勢と現状維持の惰性を批判した。
藤原和博「校長はやらない自由を握っている。教育課程の編成権を握っている。隣の学校がいくらいいことをしても、真似はしなくても罰せられないし、給料も減らない」
要するに多くの校長が現状維持の事勿れ主義に陥っていて、日々の平穏だけを願っているために新しい改革に挑戦しない。万が一の失敗で経歴に傷がつくのを恐れているということであろう。つまり自己中心主義で公職に就いている。
このような自己中心主義の事勿れ主義がいじめにも働いて、自己保身と責任回避に陥り、その結果として事実隠蔽を専らとすることになるに違いない。
大津中学校のいじめ自殺問題に入る。
大津中学校は「わが校のストップいじめアクションプラン」名の月1回のアンケート調査の実施方針を掲げていたが、1学期に1回程度の実施で済んでいた。去年9月は行わず、10月11日に実施を予定していたが、生徒の自殺によって中止。
果たして実際に実施予定でいたのだろうか。私自身は自殺後、いじめ問題に取り組んでいることの証明、あるいはアリバイ作りとして後付けで実施を予定していたと偽装したのではないかと疑っている。
すべての公立小中学校が週一回のアンケートを実施している下関市の紹介に入る。
成果として、いじめ認知件数の増加といじめの未然防止ケースの増加を挙げている。
小川下関市立日進中学校校長「できるだけ短い期間に小さい出来事についてもキャッチするのが大切。いじめる側にとっても、『陰で変なことはできない』と抑止力にもなっている」
効果が上がっていると見ているようである。
結構なことで、ケチをつけるつもりはないが、いじめ認知件数の増加といじめの未然防止ケースの増加は二律背反の関係にある効果ということになる。
いじめの未然防止ケースが増加していながら、いじめ認知件数が増加しているという二律背反である。
それとも、「未然防止」ということはいじめそのものの「未然防止」ではなく、認知したいじめの悪質化に対する「未然防止」ということなのだろうか。
とすると、いじめそのものの「未然防止」には役に立っていないことになる。だから、認知件数の増加という状況まで抑制できないのだろう。
しかしいじめの悪質化を未然に防止しているなら、アンケートはそのことに関しては効果的である証明となる。
その理由として、小川校長はいじめる側の生徒がアンケートに何を書かれるか分からないために「陰で変なことはできない」と自らを戒めるためだとしている。
だとしたら、いじめそのものの「未然防止」に役に立っていることになるが、矛盾した認知件数の増加となっている。
校長が言っているこのような自己規制は理性による能動的・自律的な規律からのものではなく、他人の目、他人の判断を基準とした受動的・他律的な規律からの行動となる。
要するに少なくともいじめ側の生徒に関してのみ限って言うと、アンケートは自律的行動を期待できる、あるいは自律的行動を育む教育手段とはなっていないことを示している。
番組はこの週一回という短期間のアンケート調査はいじめだけではなく、気がついた良いことも悪いことも書き記すシステムとなっていて、教師と生徒のコミュニケーションを細かくする目的も持たせていると紹介していた。
アンケートの回答を生徒の貴重な声であると自覚し、位置づけていることになるが、このような間接的なコミュニケーションを以てして直接的なコミュニケーションを補うことができるのだろうか。
生徒がいつでも気軽に教師に声をかけたり相談したりする直接的なコミュニケーションは会話の遣り取りによる考えや意見の発展を望むことができるが、アンケートに書いたことを教師が把握して、その内容から書き主の生徒それぞれの考えなりを理解することとは似て非なるものである。
例えアンケートの回答の中から、気になる回答に関しては生徒と直接話し合うシステムになっていたとしても、中学生という年齢にある生徒のコミュニケーションに於ける能動性という点で何ら問題はないと言えるのだろうか。
アンケート慣れして、アンケートを教師対生徒のコミュニケーション手段として常態化した場合、後は授業で教師が答を生徒に聞き、生徒が答を教師に伝えるレベルのコミュニケーションで終わったなら、真に生徒の能動的なコミュニケーション能力は育つのだろうか。
学校生徒ばかりか、大学生や若者の言語力不足が言われているが、能動的なコミュニケーション能力が育たなければ、言語力も育たないことになる。
平成22年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査について」文部科学省
「いじめ発見のケース」
1位 アンケート 26%
2位 本人からの訴え 23.1%
3位 学級担任から発見 19.9%
恵俊彰「アンケートは有効な手段なんでしょうか」
藤原和博「本人が非常に言いにくいと言うことについてはちゃんと育った子であればある程、親とか教師とかに自分がいい子でいて欲しいと思っていると知ってますから、一旦いじめられる側に回っちゃった場合、そんな格好の悪いことは好きな人に言えないですよ。
だから、そうした意味では誰かが発見しなければならない。その意味の補助手段としてアンケートはあると思うのですが、週1回のアンケートは下関でも同様なことが起こって、ある種のショック療法としてやっているんだと思うんですが、それが手段が目的化しちゃって、(アンケートを)取っていれば大丈夫だろうというふうになったら、本末転倒になっちゃうので、まあ、多分2、3年試行でやっていって、もう少し期限を伸ばすんじゃないかと思うんですが」
いわば週一回の頻度でアンケートを実施した場合の機械化、義務化、形式化することへの懸念を言っている。
尾木直樹「ポイントはね、いじめっていうので認知を取っていないところなんですね。嫌なことや良いことや、どんなのがあったでしょう、もうちょっと広いですよ。そうしたら、言いやすいわけですよ。
いじめ(だけ)って言っちゃうと、いじめと思っていないことを言って、トラブルになっちゃうんですよ。いじめてないとこで取っているところがポイントですね」
意味不明。アンケートを生徒に公表するにしても、個々の名前まで公表するのだろうか。公表しなければ、トラブルにならない。
自分の目撃がいじめ側の生徒に知られていたら、例えばいじめ側の生徒が万引きしているところを偶然目撃し、目撃したことをいじめ側の生徒に知られたとしたら、その目撃した事実をアンケートに書いた場合、誰が書いたか分かっていじめを受ける恐れが生じるためにアンケートには書かない可能性が生じる。
いわば書くことによって予想可能なトラブルを書かないことによって避ける知恵を持っていた場合も、トラブルは発生しない。
アンケートにすべてが現れる保証はないということである。
と言うことは、学校はアンケート調査を以って、これで良しとすることはできないことになる。
和田中学校でのいじめ対策のポイント
1.ナナメの関係
2.いじめを考える授業
3.居場所を作る
1.ナナメの関係
親と子、教師と生徒のタテの関係だけではなく、地域の住人とのナナメの関係の構築。
図書館の管理を司書資格所有の地域の住人に委任して、図書館での教師対生徒のタテの関係を排除する。
土曜寺小屋
土曜日に教室を開放、地元の大学生等に生徒の学習指導を依頼。ここでもナナメの関係の構築を行う。
体育館横の校庭に芝生スペースを設けて、地域の高齢者にラジオ体操をして貰い、生徒と顔見知りになったり、挨拶したりのナナメの関係の構築。
藤原和博「昔、いじめに限らず、色んな悩みごとでしょぼんとしちゃっているうちに地域社会というのがあって、学校と家の中間に地域社会があって、自分の血縁ではないお兄さん、お姉さん、おじさん役、おばさん役、あるいはおじいちゃん役、おばあちゃん役っていうのが一杯いました。
多分そうした人たちに支えられて、ちょっと勇気を持ったり、褒められたりした。ところが今、地域社会が後退しちゃって、特に都市部に顕著ですから、子供たちのナナメの関係の欠乏症なんですよ。
そうしますと、親子とか、先生と生徒のタテの関係がかなりきついことが起こった場合、必要以上にショボンとしてしまうし、あるいはタテの関係では報告できないようなことについて辛くなっちゃうので、学校を核にして地域社会を再生するということですね。
保護者だけではなくて、保護者だけじゃないとこがミソなんですがね」
恵俊彰「実際、いらっしゃったんですか、皆さん、図書館に」
藤原和博「和田中ではもう8年に亘って図書館の方は地域社会に任せてやっていますから。教師ではなく、ちょっと司書の資格のあるおばちゃんだったり、本好きのおばちゃんだったり」
恵俊彰「学校関係者以外の人が来ている?」
藤原和博「だから、芝生の管理も地域の人。地域の人が教師と同じくらいの人数、毎日毎日、2~30人の人が来ている。地域社会の目は教師の目とはちよっと違う働きをする。
地域社会の人が学校に入っていると、震災が起きたときも救援の立ち上がりも早い。地域社会と教師がツーカーの関係であった方がいい、
大津中学校の場合、地域社会との開き方についてどうだったのかと非常に疑問に思っている」
2.いじめを考える授業
過去に自殺した中学生の遺書を題材にした授業。
自殺と安楽死の是非をディベートする授業
藤原和博「『世の中科』と言うのですが、総合とか道徳の時間を使って行なっていた。86年の鹿川君の事件、そして94年の大河内君の事件を行なっていまして。
今回は遺書がないようでしたが、大河内君の遺書なんて、本当に最後まで読めないくらいに激しいものなんですね。本当に心打ちます。
遺書を読ませても、普通の学校はただ単に感想を書かせて終わっちゃう。感想を書かせると、子どもって、大人が書いて欲しいように書きますので、可哀想だと思ったとか、こういうことはしてはいけないと思ったとか、そうじゃなくて、理性の方に働きかけなければいけないので、意見文を書かせるようにした。
同時に3年生になったら、自殺と安楽死については是非ディベートをするっていう授業を行う。
何が大事かと言うと、いじめもそうなんだが、自殺についてもタブーになったら一番いけない。学校では先生はそういった臭い物に蓋をしたいんですが、議論してしまえば、そういう気分になったとき、話せるはずです。
タブーになっていると話せなくなっちゃうので、子どもを追いつめてしまう」
藤原氏は前のところで、「本人が非常に言い難いと言うことについてはちゃんと育った子であればある程、親とか教師とかに自分がいい子でいて欲しいと思っていると知ってますから、一旦いじめられる側に回っちゃった場合、そんな格好の悪いことは好きな人に言えないですよ」と言っている。周囲の生徒が見ているであろう自身の活躍する姿を裏切る無様ないじめを受けて屈辱にまみれていたとしたら、自殺や安楽死のディベートは果たして役に立つのだろうか。
いじめを受けて自殺する生徒の場合、極端ないじめを受けているケースが多いと考えると、極端ないじめに無力な情けない自身の姿の記憶は強く、その記憶に一旦取り憑かれると、情けなさだけが募って、益々無力感に陥り、それを終わらせる手段としてディベートした自殺や安楽死を自ら実行するということはないだろうか。
恵俊彰「ある種のモンスター化と言うか、何人かが集まると、考えられないようないじめが行われる。どうやってそうなるのか分からないぐらいで、集団心理の怖さ。そこをどうやって摘み取るのか」
尾木直樹「健康な世論みたいなものを学級とか学校の中にどれだけつくっていけるか。
藤原先生がおっしゃってるナナメの関係とか、地域の方の目を借りるのも物凄い有効です」
いじめは何らかの威嚇を利用して相手を恐怖させ、その恐怖を以って相手を支配する権力行為である。あるいは何らかの威嚇を権力手段とした行為と言える。この点、基本的には独裁体制と同じ構造を取る。
監視、密告、冤罪等々は何も独裁政治のみが手段としているわけではない。
いじめられる側が一旦恐怖に取り憑かれて相手の自由になると、いじめ側はありとあらゆる狡猾な威嚇を用いて相手を一層恐怖させ、人格と身体そのものを支配していく。
そのような支配に太刀打ちできる「健康な世論」とはどんなものなのか、どうしたら形成できるのか、具体的説明がない。ナナメの関係をすり抜ける狡猾さ・巧妙さぐらいはいじめ側は備えている。
もしクラス全体が恐怖に支配されていた場合、その恐怖が大きければ大きい程、「健康な世論」どころか、アンケート調査にはいじめの影さえも現れない可能性が生じる。
単に悪質で陰湿ないじめが和田中に起きなかっただけのことかもしれない。
3.居場所を作る
校長室を開放する。校長室に漫画等を置いて、いつも生徒が来ることができるようにする。いわば保健室のような場所を増やす。
藤原和博「生徒が保健室へ行くのは養護の先生は成績の評価はしないから、(成績の評価をする)学校モードとは異なる時間と空間がもっと必要。
校長は直接成績表を付けない。マンガを置いといて、給食の後とかに来る。どういう子が来るかというと、教室にちょっと居場所がなかったり、休み時間にワァッーと校庭に遊びにいけないような子が来る。
校長の前でマンガを読んでいる分には絶対安全。保健室であったり、校長室であったり、緑の芝生であったり、土曜の寺小屋だったり、学校のモードではない時間をつくった方が子供たちにリラックスして、色んなことを言う。
居心地よく守られるから、来る。いじめっ子が来ても、僕の目の前でやらないから、僕はすべての校長室を開放すべきだと思う。
マンガを置くかどうかは議論の余地はあると思うが、弱い子同士、友達同士でマンガを見せ合って、色んなことを話し合っている。僕はたまに、『どお?』とか声をかけるくらい。学校というのは弱い子に対する対処が少ない」
尾木直樹「溜まり場になるからと言って、保健室に鍵をかける学校が多いのよ。逆。子供たちにとってオアシスだから、逃げ場として確保する必要があるんです」
確かに居場所づくりは必要であろう。だが、学校社会が用意した場所であって、もっと能動的な社会参加の形の居場所づくりの提供が望ましいのではないだろうか。
和田中でいじめが起きた場合
一人の教師に負担をかけないために教員がチームで行動→いじめ情報を確認→いじめに関わった生徒をいじめ側もいじめられ側も何人もの教師それぞれが1対1で生徒の話を聞く。複数の教師が1対1で生徒の話を聞くのは聞き手が変わることで、生徒から新しい情報を引き出すことが出来る場合があるから。
時間が残されていなかったのか、具体例に関する言及はなかった。
注意すべき夏休みの変化
フリップを掲げる。
藤原氏
部活でもないのに頻繁に出かける。
携帯電話を必要以上に気にする。
尾木氏
携帯電話を見なくなった。
カネ遣いが荒くなった。
短時間の外出が多くなる
携帯電話の違いについて聞かれると、お互いに譲り合って、「同じことです」と言っていた。藤原氏の場合は呼び出しの電話が掛かってこないか気にする。尾木氏の場合は、「いつも携帯を見ている子が見なくなる」と言っていたから、携帯自体がかかってくることを恐れて携帯を見ないようにしているということなのだろう。
だが、いじめ側が卑劣な場合、呼び出しの電話に相手が出なければ出なかったで、そのことに因縁をつける。
いじめは相手の人格・身体・行動を支配する。支配に応じない人格・身体・行動は常に攻撃の対象となる。攻撃することによって、相手の人格・身体・行動に対する支配を確認する。
また両氏とも外出を取り上げているが、大河内くんのいじめの場合も大津中の場合も、いじめ側が両君の自宅に押しかけて、部屋を荒らしたり、カネを盗んだりしている。事はそう簡単ではない。
大河内くんの場合は、家に押しかけ、母親のネックレスまで盗んでいる。
和田中の取り組みはそれなりに有効なのだろう。
平野文科相はいじめ防止対策組織の設置を検討、大臣直轄の常設組織にしたいと言っているそうだが、具体的には、〈児童生徒の自殺があった場合に原因究明を含めて教育委員会や学校を支援するチームと、全国でいじめの情報を収集し再発防止策を講じるチームの発足〉(毎日jp)の検討だという。
面談やアンケート調査等の従来どおりの方法を手抜きなく的確に行うよう監視しつつ支援すると同時にアンケート調査で得たいじめ情報を収集、学校任せではない再発防止策の支援を行うということなのだろうが、大人が手助けのいじめ防止策であって、生徒自身による能動性を持ったいじめ対策はないだろうか。
いじめは一種の自己実現である。いじめを自己活躍の手段とし、いじめによって、自己存在証明を果たしている。
そのような自己活躍と自己存在証明の上に自己実現を完成させている。
その自己実現たるや、いじめる人間にしたら、他者の人格・行動・身体を支配するまでの権力の発揮を演じているのだから、これ程の自己活躍はなく、これ程の自己存在証明はなく、当然、最たる自己実現の部類としているはずである。
他者たる一個の存在全体を支配すること程甘美な蜜の味がする権力行為はない。いじめという毎日の活躍が楽しくて仕方がないに違いない。
男が女を支配したくなるのはこの点にある。だが最近の女性は強くなって、簡単には支配させてくれないばかりか、逆に簡単に支配されてしまう。
尤も男の女に対する支配欲が行き過ぎて思うようにいかないと、ダメスティックバイオレンスに陥りかねない。
誰もが何らかの才能や能力によって自己実現を図ろうと欲求する。
和田中の自殺や安楽死のディベートもいいが、常に何らかの自己実現の衝動に衝き動かされている人間の存在性を授業で教えるべきではないだろうか。それが社会的に正当性を得る自己実現であるかどうかを学ぶ。
小・中学校でいじめられていた子どもが成長して作家になったり、芸能人になったり、あるいはスポーツ選手になったりと自己実現を優れた形で図っていった例が数多くある。かつてのボクシング世界一の内藤選手も中学時代だったか、いじめられっ子だったというが、社会に出て、正当性を持った見事な自己実現を果たした。
このことは学校での自己実現が必ずしも一般社会に出てからの自己実現とは一致しないことの教えとなる。
犯罪を犯して、長年刑務所暮らしをすることも結果的にその人間自身がつくり出した一つの自己実現である。同じ自己実現を果たすとするなら、社会に役立つ自己実現を目指すべきであると。
真面目に働いて、税金を収め、平凡な社会人として生きるのも一つの立派な自己実現であろう。犯罪者から比べたなら、社会に役立っている大いなる自己実現と言える。
いじめ行為に働いている自己実現のメカニズム、それが社会的に正当性を持ち得ない、如何に歪んでいる行為性であるかを教えることで、いじめ人間の自己省察心に働きかける。
自己実現教育をすることによって、周囲の生徒はいじめ生徒に対して例え恐怖を感じていたとしても、学校社会に於ける情けない自己実現だと蔑むことができる客観的態度を期待できるかもしれない。
その一抹の蔑み、一抹の冷ややかさがいじめ生徒をして自身の行動を振返る契機となる可能性も期待できる。
また、例えいじめられても、社会に出てから自分なりの自己実現を図ろうと耐える心を自らに誓う生徒も出てくるかもしれない。
但し、自己実現教育を行うなら、学校社会をテストの成績とスポーツの成績を最大の価値観、最大の人間価値として、テストの成績かスポーツの成績に恵まれない生徒は排除するのではなく、学校社会を一般社会と同様にすべての生徒に生存機会を平等に与える得る多様な可能性に応えることのできる制度としなければならないはずだ。
このことは206年10月2日アップロード――《市民ひとりひとり 第128弾 中学校構造改革(提案)》に書いた。
そのような制度にしなければ、テストの能力とスポーツの能力、いずれにも恵まれない生徒の自己実現は学校社会では非常に狭い場での困難な技となる。
いじめる生徒も学校社会でそれなりに正当性ある可能性を試す自己実現の機会があったなら、いじめに走らないこともあり得る。
昨日7月22日(2012年)日曜日、テレビ朝日「報道ステーションSUNDAY」が森本防衛相出席でオスプレー配備問題を取り扱っていた。森本防衛相の興味ある発言があったから、文字に起こしてみた。
発言を取り上げるのは森本防衛相と神浦元彰軍事ジャーナリストと長野智子キャスター。あとは後藤謙次とかが出演していたが、この男の発言は信用していないから除外。
先ずフリップで、オスプレーの開発段階の事故例を提示した。
「開発段階のオスプレーの重大事故」
1991年 6月 墜落事故 2人負傷
1992年 7月 墜落事故 7人死亡
2000年 4月 墜落事故 19人死亡
2004年12月 墜落事故 4人死亡
実用化は2005年。
レックス・リボロ元国防分析研究所主任研究員「最も懸念しているのはこの飛行機のプロペラが小さいということです。そのためヘリコプターとしての役割はとても不安定です。
この飛行機はオートローテーションもできないのです」
解説「オートローテーションとはヘリコプターのエンジンが停止した場合でも、風の力でプロペラを回すというもの。これが機能しないというのだ」
長野智子「森本さんとしてはこれまでは専門家として政治家に厳しく物申すと、いう立場で専門家としてやられてきて、今度はオスプレー配備前に与党からどんどん反対意見も出て、攻められる立場にと。どうですか」
森本防衛相「そうですね、説明責任はありますから。大臣として淡々と説明すると、いうことに尽きるんですが。まあ、専門家の方が楽ですね」
オスプレーの行動半径は1回空中給油が可能で、従来の行動半径の8倍の約140キロメートルで、沖縄から尖閣諸島は勿論、中国本土の上海周辺までカバーできるとのこと。
この点日米両政府は安全保障面からの抑止力に期待しているが、一方で安全性への懸念を抱えている。
神浦元彰軍事ジャーナリスト「今オスプレーがですね、非常に問題になっているのは、オートローテーション、要するに飛んでいてエンジンが停まった場合にちゃんと安全に降りれるかどうかってことで、まあ、森本さんとか防衛相ははオートローテーション機能はあると、いうふうに、まあ、おっしゃってるんですけども、実は私はないと。それはないと、いうふうに、まあ、主張してですね、国民の多くも、メディアがですね、オスプレーはないという報道ですね、接してますから、非常に不安がっていますね。
ですから、その辺りを先ず国民に森本さんが正しく正確にですね、説明しなきゃいけない。そのときに必要なことはですね、オートローテーションというのはただ空中で停まってですね、ヘリコプターが止まった時にですね、ただ安全に降りていくだけじゃないですね。滑空するんですよ。グライダーのように。
そして操縦するんですよ。そして河川敷だとか、学校の校庭とか、あるいはグランドだとか、公園だとか、そういうとこに安全に着陸できるか。
そのー、オートローテションなんですね、ですから、どのくらいの高さで、どのくらいのスピードだったときに何メートル滑空できるか、オートローテションでそれをですね、はっきりとですね、数字を出さなければ、オートローテション機能があるという、安全性の証明にははらないですね」
長野智子「日本の航空法にも定められているものですね」
神浦元彰軍事ジャーナリスト「ヘリコプターの場合はですね、オートローテション機能のないヘリコプターは、これは飛ぶことはできません」
長野智子「オスプレーはオートローテション機能があるのか、ないのか。防衛省の説明、ボーイング社の説明はちょっと微妙に違う」
森本防衛相「あのー、航空法上は、あー、回転翼にオートローテションの機能あることが義務づけられてるんですけど、これは、あのー、いわゆるティルトローター機なので、えー、回転翼で飛んでいるときは固定翼としての、まあ、緊急着陸、いう着陸というのができることになっている。
で、完全にこの模型のように(目の前のプロペラが垂直に固定されているオスプレーの模型を指して)回転翼のときにエンジンが停まったら、今説明にあったように、こう、ゆっくりと降下しながら、緊急着陸するということですね。
機能としては事実持ってるんですけども、実際に我々は見たことがないっていうことなので、パイロットは90日毎にこの訓練をシミュレーションで受けていますが、まあ、できれば、まあ、アメリカに申し入れているんですが、日本から専門家を行かせて、このオートローテーションの体験というのをシミュレーションでやらせてみようと思って。
それは国内できちっと説明できるようにしたい」
長野智子「配備の前にははっきりとさせると」
森本防衛相「そうですね」
長野智子には森本が矛盾したことを言っていることに気づかなかったようだ。実際にエンジンが停止した状態でオートローテション機能を使って緊急着陸した場面を見たことがないにも関わらず、オートローテーション機能は「事実持ってる」と断言している矛盾である。
では、何を根拠にオートローテーション機能を「事実持ってる」と断言しているかというと、アメリカ側の説明をそのまま素直に信じているからに他ならないはずだ。
これまではアメリカ側の説明を無条件に信じて、その説明のままに日本国民にその安全性を請け合ってきたことを意味する。
また、森本は日本から専門家を行かせてオートローテーションのシミュレーション訓練が受けることができるように米側に申し入れていると言っているが、なぜもっと早い段階で申し入れて、訓練を実現させて安全性の確認を果たし、自らの確認として国民に説明を果たさなかったのか、遅過ぎるのではないかという矛盾もある。
森本防衛相は6月5日の閣議後の記者会見でモロッコで演習中に墜落したオスプレーについて次のように発言している。《オスプレイ墜落 米“機械的ミスでない”》(NHK NEWS WEB/2012年6月5日 13時55分)
森本防衛相「アメリカ側から、『少なくとも機械的なミスで起こった事故ではない』と日本側に通報されている。もう少し細部の結論を提供してもらえるよう引き続き要請している。
できれば配備の前に、すべての調査結果が提供されることが望ましい。必ずしもそうならないこともありえるだろうが、最後まで飛行の安全に万全を期すよう努力しなければならない」
この時点でも、アメリカ側の説明を無条件に受け入れて、その説明のままにマスコミを通して国民にその安全性を請け合っているが、それだけではない。
「もう少し細部の結論を提供してもらえるよう引き続き要請している」とは言っているが、「細部の結論」にしても、同じ構造の無条件受容となることはこれまでの慣例から目に見えている。
このことは後段の発言そのものが証明している。アメリカ側からの調査結果の提供は希望であって、その希望にしても、満たされない場合もあり得ることを前提とした物言いとなっていて、ここに現れているアメリカに対する受け身一辺倒の姿勢がアメリカ側の説明のままに安全性を請け合っている構造そのものの証明となる。
全面的なアメリカ追随の姿勢からして、「最後まで飛行の安全に万全を期すよう努力しなければならない」は沖縄やその他を納得させるための付け足しに過ぎないことが分かる。
遅くてもフロリダで米空軍のオスプレイが訓練中に墜落した6月13日以降の早い段階で日本の専門家のシミュレーション訓練をアメリカに申し入れるべきだったが、1カ月以上経過した7月22日の時点で、アメリカ側に申し入れている段階だとしている。
この非積極性は、あるいは日本側も行うべき日本国民に対する安全性確認の責任遂行の遅れはアメリカ追随から完全に踏み出すことができていない姿勢の現れでもあるはずである。
長野智子「うーん。ということはですね、分かりました。神浦さん、そのオートローテション以外を」
何ともまあ、分かりのいいキャスターであることか。
神浦元彰軍事ジャーナリスト「もう一点ですね、もう一点ですね。このオスプレーにはですね、重大な問題がありましてですね、例えば、今、森本さんが不時着という、例えば近くに滑走路がある場合ですね、それは何も、グラウンドなんかに降りる必要がなくて、河川敷に降りる必要がなくて、まあ、あの、緊急着陸すればいいんですけども、そのときにですね、プロペラが(水平方向に固定して飛行していた場合)胴体よりも大きいですね。
ですから、その-、胴体着陸する前にプロペラが先に地面を叩くんですよ。そのときにバラバラになった、そのプロペラがですね、機内に飛び込んで、その中にいる乗員をギザギザに切り裂かないようにバラバラになったプロペラが外に向かって飛ぶように設計さてる」
長野智子「(眼の前に置いてある垂直方向にプロペラを固定した模型の左右のそれに右手左手で触れながら)これが(声を一段高くして)バーンと外に行くということですね」
神浦元彰軍事ジャーナリスト「ですから、その乗員は守られるですけども、例えば普天間のような市街地の真ん中にある飛行場で強制着陸、ね、緊急着陸を行った場合には、そのプロペラが外に向かって(長野と同じように一段と声を高くして)バーンと飛んでいきますから、民家を襲うわけですね。
ですから、そいいう危険な、砂漠の中にある軍事基地ではないという普天間は、その問題についても、やはりちょっと考えていく必要があると」
ここで2010年1月1日放送、朝日テレビ「朝まで生テレビ」での森本のオスプレーに関わる発言シーンが挿入される。
森本防衛相(A4程度の大きさのオスプレーの写真を胸の前に両手で掲げている。)「普天間のヘリ、ヘリって言うけど、入ってくる飛行機、ヘリじゃないです。オスプレーという、ヘリと固定翼を一緒に機能を持たせる、こういう特殊な飛行機なんですね。
実は物凄い開発に、えー、色んな困難があって、事故がどんどん起きて、えーと、まあ、未亡人造成機って言われるくらい、言われるらしい、たくさんのヘリが、まあ、テストで死んで。
だから辺野古の沖にV字型(の滑走路)を造った理由は離着陸、これは物凄い事故が大きいんで、離陸も着陸も海に向かってやるわけなんです。住宅の上を全然飛ばないようにしたい」――
長野智子「この時点で非常に危険性を指摘しているわけですよね」
森本自身が危険性を指摘しているだけではない。森本の言っていることが事実とするなら、アメリカ側はオスプレーの危険性を認識していながら、辺野古沖に配備する方針でいたことになる。
森本防衛相「そう。この段階では、まだ、本当に、あのー、えー、中東湾岸でやっと使うか、という時だったので、まあ、およそ、2年8カ、9カ月ぐらいの前の話ですけど、まあ、それから随分と開発が進んで、えー、あるいはリビアの作戦でも使って、うーん、今回のモロッコのように色んなとこで使ってきて――」
冷静に話しているが、言葉遣い自体が的確性を失っている。
長野智子「ただ、あのー、まあ、少しは、あの、発言の時よりも改良されたと言えども、今年に入ってからも、モロッコ、そしてフロリダで――」
森本防衛相「今年の、先の事故っていうのは、これは大変、あのー、我々にとってショックな事故で、この二つの事故っていう原因がきちっと、おー、日本国民に説明され、安全性が説明できないと、ダメなんでしょうね」
長野智子「なる程」
森本防衛相「それで、あのー、まさに、その、明日岩国に上がってくるんですが、二つの事故についてアメリカ側の調査結果がきちっと日本側に説明されて、それだけではなくて、安全性を確認できる、我々が、きちっと我々が地元の皆さんに説明できるような状態になるまでに、えー、持ってくるんですけども、一切の飛行は行わないと、いうことを日米間で約束しているわけです」
モロッコとフロリダの続けての事故が「我々にとってショックな事故」であったなら、なおさらに日本側自らが安全性の確認に乗り出すなり、シミュレーション訓練なりを日本の専門家ができるように直ちにアメリカ側に申し入れて、既に実現させていなければならなかったはずだが、それが現時点になっても実現できないでいる。
実現できていない理由が日本側からの積極的な意思表示でなかったからなのは、「安全性が説明できないと、ダメなんでしょうね」と他人事の物言いとなっているところに現れている。
積極的意思表示を抱えていたなら、「安全性が説明できないと、ダメなんです」と拒絶意志を示したろう。但し、そう言ったなら、安全性を明確に確認し、確認した安全性を国民に理解させることができないうちの飛行は許すことができなくなる。
いわば安全性を曖昧にしたままの飛行は許可できなくなる。
長野智子「あのー、カーター国防副長官とも話されてますけども、そういうことは長官と日本側の調査を含めて10月の備えて(?――9月普天間配備、10月本格的運用の計画)、延期される可能性もあるわけですか」
森本防衛相「いや、そういうことを言ってるのではなくて、岩国に持ってくるが、岩国で、まあ、あの、梱包を解いて、えー、多分、3週間くらい海の上をずうっと、、えー、運送された飛行機ですから、そういう、あのー、ハイテクのシステムってのは停めたままではダメなので、エンジンを掛けて、システムをチェックし、あのー、エンジンのランナップをずっとやって、いつでも飛べるような、安全に飛べるような状態に維持するんですけども、飛行訓練はやらないと、いうことについて、さっき申し上げたように、このモロッコとフロリダの二つの事故の調査結果をアメリカ側がきちっと纏めて日本側に説明する。
我が方は調査団を送って、説明も受けて、それだけではなくて、飛行機の安全を確認できるということ。アメリカが言うだけではなくて、我が方がそれを確認する――」
例え日本の専門家をアメリカに送って、シミュレーション訓練を受けたとしてもそれだけでは確実な安全確認はできないだろう。実際に乗務員となってオスプレーに乗り込み、自ら操縦して空中でエンジンを停止させ、機能を保持しているというオートローテーションを使って実地に緊急着陸を何十回か繰返して、何事も無く安全であること。さらに森本が6月26日の記者会見でアメリカ国防総省提供の事故調査最新情報を公表したときのオスプレーの事故状況通りの状態で何十回となく実地に飛行してみて、何事も起きなければ、初めて安全確認できたと言えるはずだ。
森本は次のように発言している。
森本防衛相「(フロリダの墜落について)射撃訓練中、プロペラを上向きと前向きの中間の位置で飛行している最中に墜落し、炎上した。
(モロッコの墜落について)プロペラを上向きから前向きに傾ける動作を行いながら、追い風を受ける方向に旋回したことで、機体がバランスを崩した」
森本防衛相もオスプレイの試乗を検討しているというから、試乗中、エンジン停止やプロペラを中間の位置にして飛行を繰返して、自ら安全を確認すべきだろう。
長野智子「何かが分かった時には10月の運用は伸びる可能性もあるってことですか」
森本防衛相「そういうことはないと思いますね」
正体見たり枯れ尾花の「アメリカが言うだけではなくて、我が方がそれを確認する」の真偽である。
長野智子「それは伸びないんですか」
森本防衛相「いや、これは伸びないと言うよりは、アメリカはこの、さっきお話があったようにこのオスプレーを使って、えー、部隊の運用計画を10月の初めまでに、きちっと進めたいと考えているので、この本格的運用を10月の初めまでにしたいという全体的計画は、変わっていないと」
要するに安全性の確認に関係なしに計画通りに運用を進めると言っている。では、森本は何のために「アメリカが言うだけではなくて、我が方がそれを確認する」と言ったのか意味を失う。
要するにアメリカの説明のままに追随するこれまでの構造的な受け身の姿勢は構造的であるゆえに変わらないということである。
(中略)
森本防衛相「日米間の約束っていうのは日米安保条約、地位協定がありますから、そのもとで、こういう新しい形の飛行機を持って来る時に、飛行機の安全を維持するに必要な日米間の協議っていうのは今からきちっとやって、できれば、その飛行機の安全を確保できるような枠組み、それが合同委員会であっても良いし、他の枠組みでやっても良いし、改めて、日米間で飛行の安全を確保できるための、きちっとした枠組み、これを使ってから、これを合意してから、運用を始めるということは必要だと思います」
「きちっと」、「きちっと」と盛んに言っているが、問題となっているのは直近の配備を決めているオスプレーの安全性である。今後安全性確認可能な新たな枠組みをつくると言っても、その議題にオスプレーがのぼらないのでは意味はない。
また、安全性確認可能な新たな枠組みをつくったとしても、オスプレーの配備が完了すれば、新たな機種変更は前任機となるCH46が40年以上の使用であることを考えると、同じ40年前後以後となって、その間、枠組みは開店休業の状態となりかねない。
森本はさも意味あることを言っているように聞こえるが、現時点では何ら意味をなさないことを言っているに過ぎない。
長野智子「96年の普天間の移設と同時期にこのオスプレーの配備の話が進んでますよね。やはり辺野古沖という計画とオスプレーの配備っていうのはパッケージ的に進められていたものでしょうか」
森本防衛相「パッケージ的と言うよりか、今の辺野古のV字型の、おー、設計というのは、アメリカの中では、その時点で将来オスプレーを入れるかもしれないと、いうことを念頭に滑走路の設計、長さ、方向っていうのを、ある程度配慮して今の設計が行われた可能性は高いかもしれません」
長野智子「そうしますと、辺野古は今非常に難しいでしょう、代替施設として。そうしますと、あの住宅街に、あの世界一危険と言われるあの普天間基地にオスプレーを配備するというのをアメリカ側もしたくないのではないか」
森本防衛相「それは勿論、運用する方が一番、あのー、気にかかる。注意しなければならない問題ですから。あの、アメリカとしても、出来ればV字型の滑走路の中で運用したいと、アメリカは思っているでしょうが、我々はどうすれば、あのー、今の辺野古の沖の新しい施設を沖縄の方に受け入れて貰えるのか、という努力を改めてしないといけないという時期になっている――」
立場上、当然なのかもしれないが、常にアメリカ側に立った発言となっている。
長野智子「ただそれは10年も話がかかりますねえ――」
森本防衛相「いや、いや、いや、いや。そんなにはかからないと思いますよ」
神浦元彰軍事ジャーナリスト(要旨)「日本の外務省が日本のオスプレー配備反対に配慮せずに配備を強引にしてくれ、日本の反対運動に配慮するようなことがあれば、日本中が米軍基地の反対運動に火がつくと。
だから、そこに絶対妥協するなと日本政府の外務省がアメリカに言っているという可能性が非常に高いと思いますよ」
証拠がないままに可能性を憶測で言っても始まらない。森本は口を閉じたまま、長野に向かって何度も小さく否定の首を振る。
長野智子「でも、普天間に配備され、もし事故が起きたりしたならば、日米同盟に対して決定的な打撃ですよね」
森本防衛相「それは非常に深刻な問題なので、それを防ぐためにもさっき申し上げたように、先ず二つの事故をきちっと、あの、確認すると。
それから今のお話、日米間で、どうやって飛行の安全を確保するための、日米間の約束事ができるかっていうことと、それだけではなくて、やっぱり、近未来ですけども、普天間の新しい施設である辺野古の施設を実現して、そこにこのオスプレーを動かしていくっていう手段を我々は動かさないといけないということだと思います」(以上)
例え海から滑走路に着陸し、海に向かって離陸しようとも、視界不良の天候のとき、進路を間違えない保証はない。基本はあくまでも機体の安全性であるはずだが、森本は辺野古のV字型滑走路に安全性を求める矛盾を平気で犯している。
矛盾はこれだけではない。米側は日本国土の上空を6ルートに分け、6ルート全体で年間330回の低空飛行訓練を行う予定でいる。海上のみ飛行するわけではない。V字型滑走路に安全性を求めても意味はないはずだが、そのことを省いた矛盾した発言となっている。
最後に、既に触れたが、もし森本のオスプレー試乗が実現したなら、上空でエンジンを停止して、オートローテーション機能を使って実地に緊急着陸する飛行訓練と、ちょっと風の強い瞬間を狙ってプロペラを水平方向から垂直方向に、あるいは垂直方向から水平方向に中間の位置に動かしながら旋回する飛行訓練を体験することを是非おススメする。
7月21日(2012年)、ロンドンオリンピック日本選手団結団式と壮行会が東京都内で開催され、野田首相が挨拶に立った。
《野田首相“五輪の活躍は被災地に勇気”》(NHK NEWS WEB/2012年7月21日 19時15分)
野田首相「日本代表となった誇りを胸に、フェアプレーで堂々と戦ってほしい。真剣勝負の筋書きのないドラマは、多くの人たち、特に被災地で歯を食いしばって頑張っている皆さんに大きな勇気を与えるものだ。
皆さんがロンドンで立派な成績を残し、メダルを獲得することは、東京オリンピックの実現にも直結するものだ。そのことを胸に刻んで頑張ってほしい。政府も招致のために全力を尽くしていく」
何とまあ、後生楽な挨拶であることか。
《ロンドン五輪:活躍願いがれきメダル…被災地の子が手渡す》
(毎日jp/2012年07月22日 00時14分)
記事題名の「がれきメダル」とは、壮行会に招待された被災地宮城県石巻市・牡鹿中生徒約30人がお守りとして選手に手渡したがれきの中の木材などをもとに作ったメダルのことを指す。
野田首相「折れない心は人々に勇気を与える。東日本大震災の被災地で懸命に歯を食いしばり、復興へ向かう皆さんに勇気を伝えてくれると確信している」
果たして政治は被災地の住民のみならず、日本全国の多くの国民に勇気と希望を与えているのだろうか。
各マスコミの世論調査を見る限り、野田政権が発信している今の政治が国民に勇気と希望を与えていないことの反映値として現れているはずだ。
政治が国民に勇気と希望を与えていないにも関わらず、与えることができないその主が、オリンピック出場選手に与えることの代理を依頼する。例え金メダルをたくさん取って、勇気と希望を与えたとしても、いっときの感動で終わり、待ち構えていて再び還ることを余儀なくされる勇気と希望のない現実が控えていることに気づきもしない。
特に高齢者の場合、日常としていた生活習慣が奪われ、住まいの様式が奪われ、自分が食するだけの野菜作りといった農作業やその他の仕事が奪われ、地域の仲間と絆が奪われて、ここに来て認知症の発症、進行が増加し、被災地では深刻化しているという。
だが、国や自治体の支援が十分ではなく、本人や家族や周囲の人間の希望を奪い、勇気を萎えさせている。
被災3県1880万トンの瓦礫の埋め立てや焼却処理完済は政府の2014年3月末処理完了目標に対して震災から1年4ヶ月経過時点で382万トン、全体の20%の進捗率だという。
「NHK NEWS WEB」記事によると、国の除染モデル事業の結果を今6月に公表したが、農地年間328ミリシーベルトから65ミリシーベルト、 宅地年間290ミリシーベルトから76ミリシーベルトと除染できたものの、いずれも政府が目安とした年間50ミリシーベルトを上回っていたという。
目に見える効果が上がらない中、政府は7月13日に「福島復興再生基本方針」を閣議決定、国の責任で安全の一つの目安としている年間被曝量1ミリシーベルト以下の除染を盛り込んでいる。
国の除染モデル事業で目安とした年間50ミリシーベルトを上回った状況で、年間被曝線量を1ミリシーベルト以下に抑える。気の遠くなるような時間軸の中で希望や勇気はプラスの方向に働く力がマイナスの方向に働く力よりも強いと言えるのだろうか。
除染の目に見えた進行と瓦礫処理が完済しないことには風評被害は尾を引き、延々とついて回ることになる。当然、被災地の農漁業の活性化は遠い道のりを取ることになる。
1日も早い復興が待ち望まれるのに反して、2011年度復旧・復興関連予算14兆9243億円のうち、年度内に使い切れなかったのは約4割に当たる5兆8728億円にものぼったという。《【東日本大震災】復興予算どうして余るのか》(SankeiBiz/2012.7.21 20:16)
余剰金5兆8728億円のうち、1兆1034億円が不用になったと書いてある。
事業の遅れが余剰金や不用金の原因となっていて、事業の遅れは主として各問題対処の専門性を持った職員不足が原因だとしているが、問題は原因が分かっていながら、原因解決の早急な手を打つことができない迅速性を欠いていることではないだろうか。
各被災自治体に於いても一度に多くの死者を出し、専門的職員不足は早い時期から言われていた。対して国や被災地以外の自治体から即戦力の公務員OB等を任期付き職員として採用、応援に派遣しているが、それでも不足しているという状況に対してそれ以上の職員派遣は元の官公庁や元の自治体の業務に支障をきたすと言うことなら、自治体の各専門性に対応した専門性を持った民間企業退職者を公務員OBに代えて臨時に採用するなり、あるいは専門的派遣職員1人に所属してその手足となって必要なだけ複数で動く補助職員として大学生や大学院生をインターンシップの形式で大量採用するという手もあるはずである。
暗記教育に慣らされて指示されなければ動くことができない大学生や大学院生なら困りものだが、暗記教育に慣らされていない自発的・主体的に動くことができる大学生、大学院生なら、一を知って十を知る自発性を発揮、短期間のうちに飲み込み早く専門知識を習得していき、役に立つ人材となっていくはずだ。
復旧・復興予算の剰余問題に戻るが、国土交通省の災害公営住宅等整備事業費(1116億円)はほぼ全額の1112億円が「不用額」となったという。
原因は自治体が街づくりの計画を決めるのに時間がかかったために用地確保が進まず、事業を実施できなかったからと国交省の説明を記述しているが、それ以前の問題として、被災して価値が極端に下がった土地の処理がネックとなっていたはずである。
移住したくても、土地が元手とならない、ローンを組んでも元手をつくるだけの財産もないし、年齢的にも無理だ、仮設住宅以外に行くところがないといった被災者が多くいるはずで、先ずはその問題を解決してからではないままに、いくら国が予算を組んでも、勇気も希望も湧かないことになる。
財務省「学校の復旧費など被害額が想定より少なかったケースもあった。過去にない大震災だったので予算を多めに計上した側面もある」
だから、余った。聞こえのいい弁解だが、被害額をより正確に計算しなかっただけではないのか。要するに予算設計の手を抜いた。この手順を厳格に踏んでいたなら、大きな違いは出ないはずだ。踏んでいなかったからこそ、「予算を多めに計上」することになる。
ドンブリ勘定だったということである。
地方自治体に対する国の補助金制度で、多くの自治体がその剰余金を出入りの業者に預け金として一時預かりの隠し金とし、必要に応じて戻す迂回利用が問題になったことがあったが、補助金が正当に支出されているか国の精査を怠ったからこその業者預け金であって、このことも予算設計の手抜きに当たる。
この手抜きが慣習化していない保証はどこにもないことは予算適正支出の事業仕分けを必要としていることが証拠立てている。
復旧・復興関連予算が有効に活用されていないということは復旧・復興が有効な形で進捗していないことを示しているはずで、岩手県が4月公表の県民対象2~3月実施の「東日本大震災津波からの復興に関する意識調査」では、県全体の復旧・復興の実感は半数以上の県民が復旧の遅れを指摘、その実感を持てないでいるとしていることにも現れている、勇気と希望を殺いでいる復旧・復興の遅れであろう。
二重ローンの官民一体策定個人向け救済制度にしても、開始から7ヶ月めの2012年4月の時点で年間目標の約2%の低い利用率も、原因が何であっても、二重ローン問題が満足に解決していない、勇気と希望とは程遠い状況にあることを示している。
被災者が真に望んでいることは楽しい時間潰しにはなるし、感動も与えられるだろうオリンピックテレビ観戦であるよりも、政治が各問題解決の有効な政策の遂行を受けた着実な復旧・復興の歩みであり、そのことを通して直接的に被災者に勇気と希望を与えることにあるはずである。
政治が満足にそのことができていないにも関わらず、その責任者たる野田首相が「剣勝負の筋書きのないドラマは、多くの人たち、特に被災地で歯を食いしばって頑張っている皆さんに大きな勇気を与えるものだ」と自らの責任を直視もできずに後生楽にも言うことができる。
野田首相は7月10日の参院予算委員会で米エネルギー省が3月17日から3月19日にかけて航空機を使用、福島上空の放射線量を測定、作成した地図を3月18日と3月20日に日本外務省に提供したものの日本側が公表せず、被災者は地図が示していた放射線量の高い地域に一時避難していたことが判明、そのことを謝罪した。
野田首相「関係機関の連携、情報共有が不十分で、住民の命を守るために適切に情報公開する姿勢が希薄だったことは大きな教訓だ。浪江の皆さまにご迷惑をお掛けしたことをおわびしたい」(時事ドットコム)
政治が果たすべき責任の果たさないことの責任は重い。その責任も果たしていない状況下で、被災者やあるいは国民に希望と勇気を与える縁(よすが)を日本人オリンピック選手の活躍に頼っていていいはずはない。
責任を果たしていてこそ、その人間こそがオリンピック選手の活躍によるさらなる希望と勇気の付与を期待する資格を有するはずだ。
自身の責任を棚に上げた、後生楽な挨拶としか言い様がない。
野田首相は最初の2014年消費税増税に関して次期衆院選のマニフェストに明記、民意を問うとしている。7月19日午前の参院社会保障・税一体改革特別委員会で林芳正自民党議員の質問に答えての答弁。
《【消費税増税】消費税増税のマニフェスト明記 首相が重ねて強調》(MSN産経/2012.7.19 11:14)
野田首相「この議論が全く抜け落ちることは基本的にあり得ない。経済再生や低所得者対策など関連する課題も含めて国民に約束するのが筋だ。
(但し)マニフェストの書きぶりは全党的に議論しながら決める」
要するにどういうような表現になるか、今後の議論次第だが、消費税増税に関わる議論自体を抜け落とすことは基本的にはあり得ない、国民に約束するのが筋だと言っている。
次の《野田首相、「非公認」方針撤回せず=増税公約も強調-参院特別委》(時事ドットコム/2012/07/19-11:51)では、消費税増税に関わる公約に関して野田首相の答弁は次のような表現となっている。
野田首相「「私が(民主党)代表のときにマニフェスト(政権公約)を作るなら、2014年の最初の消費税率引き上げや、それまでにやるべき経済再生、低所得者対策なども含めて国民に約束するのが筋だ。
(但し)自分一人で作るわけではない。書きぶりは丁寧に全議員が議論しながらまとめていく」
ところが党内から異論が出た。《「増税公約」発言に不快感=城島氏》(時事ドットコム/2012/07/19-17:57)
城島光力民主党国対委員長「(野田首相の発言は)これからマニフェストの論議をする。真意が分からない」
民主党幹部「(消費増税関連法案が定める)2014年の増税ならマニフェストに書くことではない」
しかし野田首相は増税を決めてから、国民の信を問うと言って、増税を進めてきた。マニフェストに明記、我が政権の消費税増税の政策は正しかったですか、間違いでしたかと国民の審判を仰ぐのが野田首相自らの約束に対する履行であるはずである。
口先番長の前原誠司政調会長は7月12日の記者会見で、2014年の増税以上の消費増税をマニフェストには書かないと発言している。
《消費税10%超は公約せず=民主・前原氏》(時事ドットコム/2012/07/12-21:15)
前原誠司「次の(衆院任期の)4年間でさらに消費税を上げることをマニフェスト(政権公約)に書くつもりはない。
これからは景気対策、経済成長、デフレ脱却、円高対策、行政改革をやり続けないといけない。
(消費増税法案をめぐる自民、公明両党との修正合意で棚上げされた最低保障年金や年金完全一元化に関しては)当然書くことになる」
偉そうに言っているが、自分の言っていることが矛盾していると気づかないのだろうか。最低保障年金に関してはマニフェストに書くが、さらなる消費税増税は書かないと言っていることに何ら齟齬がないと思っているらしい。
民主党は月額7万円の最低保障年金を受け取るために2075年度で最大17.1%の消費税率が必要になると一度は試算している手前、否でも最低保障年金創設に必要な消費税増税を明記せざるを得ないはずだ。
要するに最低保障年金創設には何年後にはこれだけの消費税増税が必要になります、それでも最低保障年金制度創設に賛成ですか反対ですかと国民の判断を仰がなければならない。
まったくトンチンカンな男だが、トンチンカンはこれだけで終わらない。2009年民主党総選挙マニフェストに書いてなかった消費税増税を衆院4年任期内に成立させようと衆院可決、現在参院に持ち込んで成立させようとしているのである。
この前例は次の総選挙のマニフェストにさらなる消費税増税を書かないからといって、書いてないとおりに実行されるとは限らないことを教えている。
いわば何の約束にもならないということである。
一旦約束を破った以上、次の約束が破られない保証を失う。民主党はマニフェストの信用を既に失っていることにも気づかずに、「次の(衆院任期の)4年間でさらに消費税を上げることをマニフェスト(政権公約)に書くつもりはない」などと偉そうに言っている。
口先番長だけのことはある。
次期衆院選のマニフェストに例え2014年の消費税増税を明記せずに国民の信を問うことを巧妙に回避したとしても、前原の思惑に反して、「次の(衆院任期の)4年間でさらに消費税を上げることをマニフェスト(政権公約)に書」かざるを得ない事態が生じている。
《財務相、黒字化に再増税は不可避 参院特別委》(47NEWS/2012/07/20 11:44 【共同通信】)
7月20日午前の参院社会保障と税の一体改革特別委員会。
〈2020年度までに基礎的財政収支(プライマリーバランス)を黒字化するとの目標達成には、消費税率10%への引き上げ後の再増税が避けられないとの認識を示した。〉
安住淳財務相「(目標達成は)なかなか大変だ。足らないところの税負担をお願いしなければいけない時期がくるだろう。
(一体改革関連法案による増税分に関しては、全額を社会保障関係費に充てると重ねて説明)大型公共事業のために充てることは全くない」
いくら民主党がマニフェストに書いてない政策遂行の常習犯だとしても、財務相自身がこのように発言した以上、書かざるを得まい。
マニフェストに書くべきか書かざるべきか悩んだとしても、次の総選挙では民主党は退潮するのは目に見えているから、最低保障年金は消えてなくなるだろうが、しかしいくら民主党のマニフェストが信用を失っているからといって、一旦は消費税増税を財政健全化の政策手段とし、その政策手段を継続させる以上、マニフェストに書かざるを得なくなるに違いない。