「社会保障と税の一体改革」と「最低保障年金」維持消費税増税率試算は「全く違う話」なのか

2012-01-30 10:13:17 | Weblog

 民主党は2009年総選挙マニフェストで国民年金、厚生年金、共済年金の「年金一元化」と全額消費税財源月額最低7万円支給の「最低保障年金」、さらに保険料納付額に応じた「所得比例年金」を内容とする年金制度改革を掲げた。

 対して自公は、全額消費税財源月額最低7万円支給の「最低保障年金」創設には2075年度時点で、試算で最大7・1%の消費税増税を必要としていると言われていることから、一体改革の与野党協議入りの条件として年金制度改革の具体的な全体像の提示を求めた。

 これを受けて昨1月29日(2011年)政府・民主三役会議を首相公邸で開催、自公の要求の扱いについて協議した。

 《年金の財源試算 公表見送りに》NHK NEWS WEB/2011年1月29日 18時49分)

 輿石幹事長「試算を公表すれば、国民は消費税率が2015年に10%に上がったあと、2、3年後にはさらに6%、7%上がるように誤解する」

 誤解しないように国民に説明することも政治が負う説明責任のはずだが、説明責任の認識もなく、誤解回避を口実に情報隠蔽を謀ろうとする衝動を見せている。

 前原政調会長「試算は党内で議論していないうえ、公表すれば一体改革の議論に集中できなくなる」

 野田首相「公表には、メリット、デメリットがあるので、状況を見極める必要がある」

 何をトンチンカンな。何事も「メリット、デメリットがある」。すべて公平な利益再配分などということはない。メリット・デメリット差引き計算して、より多くの国民にとってメリットが上回る計算を以って政治を行うことが政府の務めであるはずである。

 当然、メリットが上回りますよの公表責任が生じるはずだが、責任を果たそうとはせずに状況眺めと来た。

 結論を記事は次のように伝えている。〈試算は党内で正式に決定したものではないうえに、60年以上も先のことだとして、一体改革とは別の問題だという認識で一致し、直ちに公表することは見送り、野党側の出方を見極めながら対応を引き続き検討していくことにな〉った。

 他の記事を参考にすると、社会保障改革の全体像は示すものの、年金の財源試算の公表のみ先送りするらしい。

 記事が「このあと」と書いているから、会議後の記者会見なのだろう。

 樽床幹事長代行「試算の60年後の姿と、数年後の一体改革は、全く違う話なので、そこを野党にどう理解してもらうかということも含めて、もうちょっと協議していこうという話になった」

 「試算の60年後の姿と、数年後の一体改革は、全く違う話」と言っていることは、一体改革とは別の問題だだとする会議の結論に添う発言であろう。

 前原政調会長は2075年最大7・1%の消費税増税率の「試算は党内で議論していない」と言っているが、他の記事によると、〈厚労省が民主党の指示で昨年3月(2011年)に行った財政試算〉(MSN産経)だそうだ。

 指示し試算を昨年3月に出させておきながら、「社会保障と税の一体改革だ」と騒いでいたにも関わらず1年近くも経つというに「党内で議論していない」とは怠慢も甚だしい。ふざけた連中だ。

 何れにしても2075年度時点最大7・1%消費税増税試算と「社会保障と税の一体改革」は別の問題だとする結論を導き出した。

 民主党2009年マニフェストで年金制度改革案に触れた箇所を改めて振り返ってみる。 

 公平な新しい年金制度を創る
危機的状況にある現行の年金制度を公平で分かりやすい制度に改め、年金に対する国民の信頼を確保するため、以下を骨格とする年金制度創設のための法律を2013年までに成立させます。

(1)すべての人が同じ年金制度に加入し、職業を移動しても面倒な手続きが不要となるように、年金制度を例外なく一元化する

(2)すべての人が「所得が同じなら、同じ保険料」を負担し、納めた保険料を基に受給額を計算する「所得比例年金」を創設する。これにより納めた保険料は必ず返ってくる制度として、年金制度への信頼を確保する

(3)消費税を財源とする「最低保障年金」を創設し、すべての人が7万円以上の年金を受け取れるようにすることで、誰もが最低限の年金を受給でき、安心して高齢期を迎えられる制度にする。

「所得比例年金」を一定額以上受給できる人には「最低保障年金」を減額する

(4)消費税5%税収相当分を全額「最低保障年金」の財源として投入し、年金財政を安定させる。

 この「消費税5%税収相当分」とは現行消費税税収分という意味であることは同じマニフェストで公約した次の記述が証明している。

 消費税改革の推進

消費税に対する国民の信頼を得るために、その税収を決して財政赤字の穴埋めには使わないということを約束した上で、国民に確実に還元することになる社会保障以外に充てないことを法律上も会計上も明確にします。

具体的には、現行の税率5%を維持し、税収全額相当分を年金財源に充当します。将来的には、すべての国民に対して一定程度の年金を保障する「最低保障年金」や国民皆保険を担保する「医療費」など、最低限のセーフティネットを確実に提供するための財源とします。

税率については、社会保障目的税化やその使途である基礎的社会保障制度の抜本的な改革が検討の前提となります。その上で、引き上げ幅や使途を明らかにして国民の審判を受け、具体化します。

インボイス制度(仕入税額控除の際に税額を明示した請求書等の保存を求める制度)を早急に導入することにより、消費者の負担した消費税が適正に国庫に納税されるようにします。

逆進性対策のため、将来的には「給付付き消費税額控除」を導入します。これは、家計調査などの客観的な統計に基づき、年間の基礎的な消費支出にかかる消費税相当額を一律に税額控除し、控除しきれない部分については給付をするものです。これにより消費税の公平性を維持し、かつ税率をできるだけ低く抑えながら、最低限の生活にかかる消費税については実質的に免除することができるようになります。

 「現行の税率5%を維持し、税収全額相当分を年金財源に充当します」と公約している。

 いわば「現行の税率5%」「税収全額相当分を年金財源に充当」することによって「最低保障年金」も含めて、民主党が創設を公約した新しい年金制度は維持できると、これまた公約しているのである。

 またマニフェストで公約した政策は4年間での実現を責任制約とされている。このことは1月26日(2012年)の衆院本会議代表質問での次の野田答弁が証明してくれる。《【代表質問】野田首相と谷垣自民党総裁の発言要旨》MSN産経/2012.1.26 22:48)

 谷垣自民党総裁「民主党が消費税増税に突き進むことは議会制民主主義の根本を否定する行為だ。マニフェスト(政権公約)違反は明らかだ」

 野田首相「民主党が前回の衆院選で国民に約束したのは、衆院議員の任期中に消費税を引き上げないことだ。政府・与党案は第1弾の引き上げについて平成26年を予定しており現在の衆院議員の任期終了後だ。公約違反ではない」

 この答弁を逆説すると、当然のことながら、マニフェストは衆院4年任期の間の公約ということになる。

 以下参考までに記事が取り上げている各発言を記載しておく。

 谷垣自民党総裁「首相は先の衆院選の街頭演説で『マニフェストに書いていないことはやらないのがルールだ』と述べている」

 野田首相「行き過ぎや言葉足らずの点があったら反省し、国民におわびする。政府の政策は状況の変化の中、優先順位を適切に判断することも必要だ」

 谷垣自民党総裁「首相がなすべきことは与野党協議を呼びかけることではなく、衆院選でウソをついたことをわび信を問い直すことだ」

 野田首相「社会保障と税の一体改革は与野党共通の課題として実現を目指す。改革の方向性について自民党との間に大きな違いはなく、ぜひ協議に応じていただきたい。やり抜くべきことをやり抜いた上で国民の判断を仰ぎたい」

 谷垣自民党総裁「消費税率引き上げ法案の国会提出の前に新年金制度の詳細設計や財源を明らかにすべきだ」

 野田首相「新制度への切り替えには長期の移行期間が必要であり、(消費税率を10%に引き上げる)27年の段階で大きな追加財源は必要にならない」

 マニフェストで公約した政策は、野田首相も言っているように4年間での実現を責任制約としている以上、民主党2009年マニフェストで公約した「最低保障年金」にしても、衆院任期の4年間での実現を責任制約としている。

 4年以内の実現に対して、他の財源の助けを借りることはあってもマニフェストで約束したように現行消費税税収分で賄い切れば公約違反とはならないが、野田首相が「第1弾の引き上げについて平成26年を予定しており現在の衆院議員の任期終了後だ。公約違反ではない」と言っていることは、現行消費税税収分では賄い切れないということであり、例え衆院任期4年後の話ではあっても、マニフェストに「現行の税率5%」で賄うことができるとしたことと明らかに食い違うことになる。

 「最低保障年金」を4年以内の実現政策として掲げて、「現行の税率5%」で維持可能だとしたのである。

 それでも言い逃れするだろう。衆院任期4年の間は現行5%で賄い切れるが、衆院任期終了の2013年から1年も経たない2014年4月から2015年にかけて段階的に増税していかなければ不可能だと。

 だが、この不可能にしても、1月6日(2012年)に閣議決定した「社会保障・税一体改革素案について」で、地方分を除いた最終10%増税税収全額を「社会保障財源化する」としている以上、4年以内に実現させるとした「最低保障年金」制度を含めて素案で決定した10%の税収で賄わなければ、素案に対する野田内閣の“公約”違反となり、どこが「社会保障と税の一体改革」だとなるはずだが、記事冒頭で触れたように10%でも不可能という話になっている。

 素案には次のように書いてある。
 
 「社会保障・税一体改革素案について」(閣議決定/2012年1月6日)

 今を生きる世代が享受する社会保障給付について、その負担を将来世代に先送りし続けることは、社会保障の持続可能性確保の観点からも、財政健全化の観点からも困難である。社会保障の機能強化・機能維持のために安定した社会保障財源を確保し、同時に財政健全化を進めるため、消費税について2014年4月に8%、2015年10月に10%へと、段階的に地方分を合わせた税率の引上げを行う。

 その際、国分の消費税収について法律上全額社会保障目的税化するなど、消費税収(国・地方、現行分の地方消費税を除く。)については、その使途を明確にし、官の肥大化には使わず全て国民に還元し、社会保障財源化する。

 つまり、「最低保障年金」は衆院任期4年間は「現行の税率5%」で維持可能としたのに対して2015年以降は10%でなければ維持不可能ということにめまぐるしく変遷した。

 一体何のためのマニフェストだったのだろう。

 しかもその10%にしても、年々の少子高齢化の進行によって社会保障制度を支える現役世代の減少と逆の現象としての高齢者の大幅な年々の増加、このことによる毎年1兆円規模にものぼる社会保障費自然増というマイナス局面に抗した持続可能な社会保障制度の維持には行く先々追いつかなくなるということなのだろうが、少子高齢化の進行はもう何十年も前から分かっていたことで、先を見通した計算があってもいいはずである。

 もしも月額7万円「最低保障年金」制度導入の場合、2075年度最大7・1%の消費税率引き上げが先を見通した試算だとするなら、「最低保障年金」制度創設を「社会保障と税の一体改革」に含んでいる以上、一体改革とは「全く違う話」ではなく、逆に一体も一体、一体となった問題であるはずである。

 だが、「全く違う話」だと言って、試算の公表を見送った。

 これを国民に不都合を隠す情報隠蔽と言わずして、何と言ったらいいのだろうか。

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岡田副総理、議事録作成どこが「事後の作成もありうるという法律の立て方」となっているのか

2012-01-29 11:24:07 | Weblog

 政府の原子力災害対策本部や政府・東電事故対策統合本部等、政府の重要会議の議事録が殆ど作成されていなかった不作為・怠慢を法律違反だとする批判を受けてのことなのだろう、岡田副総理が法律違反ではないと言っている。

 先ず法律違反批判の一例としての山口公明代表の1月28日(2012年)午前、水戸市で開かれた党の会合での発言。

 《山口代表 議事録の問題追及を》NHK NEWS WEB/2011年1月28日 13時36分)
 
 山口代表「未曾有の震災と原発の事故は日本だけの問題ではない。議事録を残すことは、現在の国民のみならず、将来の国民に対しても負わなければならない責務で、国際社会にも大きな責任を負っている。

 政府の行いは明らかに法律違反だ。民主党は、自公政権時代に『情報公開に備え、しっかりと記録を残すべきだ』と強く主張していたにもかかわらず、この体たらくで、あらゆるところにほころびが起きている」

 山口代表は国会審議を通じて追及していく考えを示したという。

 岡田副総理の法律違反否定発言。同じく1月28日(2012年)《“議事録作成 政府が指針作成も”》

 記事は岡田副総理が公文書管理担当だとしている。

 岡田副総理「議事録の事後の作成もありうるという法律の立て方になっているので、ただちに法律違反とは言えない。事後といってもできるだけ速やかに作るべきで、これだけ時間がたっているのはよくないから問題になっている。

 なぜ作成されなかったのかという検証の問題と、今後どうするかという問題の2つがある。法律があるのに、省庁によって扱いが全然違うのはよくないので、今後は、公文書を所管する立場で、どの程度の議事録をどういう形で作るか、一定のガイドラインを作ることも考えなければならない」・・・・・

 「法律があるのに、省庁によって扱いが全然違うのはよくない」と言っているが、「公文書等の管理に関する法律」は民主党政権交代前の2009年6月24日成立、施行は2011年3月11日東日本大震災発生後の2011年4月1日。

 民主党は野党第一党として重要な立場で法案の作成・成立に関わっていたのだから、政権交代後に準備に取りかかっていなければならなかったにも関わらず、自らの怠慢・不作為を省みもせずに、「どの程度の議事録をどういう形で作るか、一定のガイドラインを作ることも考えなければならない」などと今更ながらに言っている。

 「公文書等の管理に関する法律」の施行は東日本大震災発生から21日後だからと、2011年3月11日から3月31日までの会議の議事録作成は法律上免れるとしても、4月1日以後の議事録も未作成だったことからすると、施行が東日本大震災発生前だったとしても、同じく未作成で終わったことは容易に予想できる。

 岡田副総理は「これだけ時間がたっているのはよくないから問題になっている」と、その点をもっともらしげに取り上げているが、義務づけている法律がありながら、そのことに反して議事録作成の認識がなかったこと自体を取り上げるすべきで、見当違いも甚だしい責任逃れの発言となっている。

 マスコミの指摘がなかったなら、いつまでも放置状態は続いただろうことからしても、議事録作成の認識がまるきり持ち合わせていなかったことを証明して余りある。

 原理主義者なら原理主義者らしく原理・原則に則って法律の義務づけを厳格に受け止め、議事録作成の認識がなかったために作成に至らなかった責任不履行を潔く認めるべきだが、時間の経過の問題にすり替える、原理主義者からご都合主義者への変身をものの見事に演じている。

 また、「議事録の事後の作成もありうるという法律の立て方になっているので、ただちに法律違反とは言えない」にしても、このことを事実だとしても、次の「事後といってもできるだけ速やかに作るべき」とする発言と前後相矛盾していることに気づいていない。

 どのような法律であっても、一つの行為の義務づけに対して行為期間を厳格に規定していない法律は存在するだろうか。いわば「できるだけ速やかに」議事録を作成すべきであるというふうに作成期間を限定しなかった場合、「できるだけ速やかに」が人によって解釈が異なることになって、「できるだけ速やか」の常識的範囲はどの程度だといった新たな条文の作成が必要になる。

 当然、二度手間とならないように最初から行為期間を厳格に規定することになるはずだ。

 いわば「事後の作成」を許しているとしても、「事後」とはどの程度の期間を以って「事後」とするといった範囲規定がなければ法律は成り立たないはずだ。

 当然、岡田発言にも「事後」の範囲の言及がなければならないはずだが、ないばかりか、「できるだけ速やか」でなければならないと、極めて曖昧な期間となっている。

 発言のどこからも原理主義者の片鱗は見えないばかりか、ご都合主義者の影ばかりに浮かんでくる。

 果たして「公文書等の管理に関する法律」が「事後の作成」を許しているのか、許しているとしたら、どの程度の期間を以って「事後」としているのか、調べてみた。
 
 先ず「第一章 総則」「第一条」(目的)について転載。

 〈(目的)

 第一条  この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。〉・・・・

 法律による議事録作成の義務づけは、作成した記録の情報公開を通した国民に対する政治の説明責任の遂行を目的としていると書いてある。

 この情報公開は政治の透明性確保を逆照射することとなり、両者を暗黙のうちに一体の義務づけとしているはずだ。

 とすれば、議事録の作成はその場その場で厳格に作成した正確な内容を備えていなければ、正確な情報公開とはならないし、当然、政治の説明責任を正確に果たすことも、政治の透明性を保証することも不可能となる。

 この逆を行くことこそが、原理・原則に則ることになる。

 議事録作成の規定は以下である。

 〈第二章 行政文書の管理
    第一節 文書の作成

第四条  行政機関の職員は、第一条の目的の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。

一  法令の制定又は改廃及びその経緯

二  前号に定めるもののほか、閣議、関係行政機関の長で構成される会議又は省議(これらに準ずるものを含
   む。)の決定又は了解及びその経緯

三  複数の行政機関による申合せ又は他の行政機関若しくは地方公共団体に対して示す基準の設定及びその経
   緯
四  個人又は法人の権利義務の得喪及びその経緯
五  職員の人事に関する事項 〉・・・・・

 これ以外に作成自体に関する規定は何らの記述もない。

 「当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない」のどこに「事後の作成」を許可する文言が含まれているというのだろうか。

 「事後」のこととして位置づけられている行為は、“合理的な跡付け”及び“合理的な検証”のみであって、行為主体は主として国民である。

 行政機関が主体の“文書作成”は特に規定はないが、情報公開、政治の説明責任、政治の透明性を厳格に担保するためには意志決定のプロセスを明確にする必要があり、これらの条件をクリアするためには当然リアルタイムの作成が求められているはずである。

 リアルタイムであることから時間を置いた場合、情報自体が変質しない保証はなく、それが変質しなかったとしても、変質したか否かの証明が困難となる。

 勿論、リアルタイムの作成であっても、議事録自体を捏造・情報操作することもあり得るが、一度のゴマカシが次のゴマカシを誘う、あるいはゴマカシがどうしようもなく纏うことになるその不自然さによって火のないところに煙は立たずの疑惑を呼び込むことになり、支持率に影響しないことはあるまい。

 今回の議事録未作成に関しても、NHKの情報公開請求さえなければ、無事遣り過ごせたかもしれないが、情報公開請求が火を燃やし、煙を立たせた。

 岡田副総理は「合理的に跡付け、又は検証することができるよう・・・文書を作成しなければならない」のうちの「跡付け」という言葉を事後の作成を規定する文言と勘違いしたのではないだろうか。

 【跡づける】とは「物事の変化していった跡をたどって確かめる」(『大辞林』三省堂)という確認行為、あるいは確認作用を意味している言葉であって、あとから記録する、あるいは作成するという事後の形成行為を意味しているわけではない。

 いわば、“追跡”を意味している。事後の必要時に何がどう決められていったか“追跡”して、「合理的に」確認できるようにしておくということであろう。

 岡田副総理が実際に原理主義者なら、原理・原則に則って先ず法律違反を謝罪し、それ相応の責任を取ることを最初に持ってくるべきだろう。未作成の議事録作成は、その次のスケジュールとすべきである。

 断片的なメモや記憶、あるいは文書化した記録に頼ったとしても、実際の場での意志決定のプロセスの正確な臨場感は望むべくもなく、当然、事後の記録作成では正確さを欠き、何がしかの変質は免れ難いはずだ。 

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野田首相、ドジョウの本領を発揮した1月27日正心誠意な「シロアリ」等代表質問答弁

2012-01-28 11:14:46 | Weblog

 野田首相「参議院では少数だから、法案が通らないのではなく、野党のみなさんにどうしてもご理解をいただけない場合は、法案を参議院に送って、野党にもう一度、この法案を潰したら、どうなるかということを、よく考えていただく手法も、ときには採用していこうではありませんか」(日テレニュース24動画から)

 この野田首相の1月16日民主党定期大会挨拶を、中曽根弘文自民党参院議員会長が昨日(2012年1月27日)の参院本会議代表質問で取り上げて、撤回と謝罪を求めた。

 《【代表質問】野田首相と自民・中曽根参院議員会長らの発言要旨》MSN産経/2012.1.28 00:14)

 中曽根議員「首相は民主党大会で、消費税増税法案について『参院に法案を送って、野党がつぶしたらどうなるか考えてもらう手法も採用しよう』と恫喝(どうかつ)まがいの発言をした。撤回と謝罪を求める」

 野田首相「議席数のみで先入観を持つことなく、政策議論で競い合うことを提唱した。恫喝でも参院の審議権の否定でもない。趣旨が理解いただけなかったなら不徳の致すところだ。衆参両院の機能と意義を高めるための発言だ」

 一見もっともらしい、合理的な答弁に聞こえるが、巧妙にすり替えた、欺瞞で成り立たせた詭弁に過ぎない。

 「ときには採用していこうではありませんか」は野党に呼びかけた、いわば提案した文言ではなく、民主党及び野田内閣に呼びかけた、あるいは提案した発言である。

 「採用していこうではありませんか」はあくまでも手助けを求める意味合いの呼びかけ、提案であって、「野党にもう一度、この法案を潰したら、どうなるかということを」という言葉は挑発的なニュアンスを帯びていても、手助けを求めるニュアンスを一切含んでいない。

 だが、「議席数のみで先入観を持つことなく、政策議論で競い合うことを提唱した」は野党に対する呼びかけとなる。あるいは提案となる。このように呼びかける、提案することによって、「衆参両院の機能と意義を高める」という目的を目指すことが可能となる。

 これが民主党、野田内閣に対してのみの呼びかけ、提案だとしたら、そこに野党を置いていない以上、「衆参両院の機能と意義を高める」という目的は達することは不可能となる。

 自民党や公明党などの野党に、「この法案を潰したら、どうなるかということを、よく考えていただく手法も、ときには採用していこうではありませんか」と呼びかけたとしたら、即、精神鑑定を受けよと言われるに違いない。

 要するに呼びかけの対象者、あるいは提案の対象者を巧妙・狡猾にすり替えて、正当化できない発言を正当化させたに過ぎない。

 野田首相は「正心誠意」を掲げている。「正心」とは「心を正しくする。または、正しい心(『大辞林』三省堂)という意味である。

 野田首相は「正心誠意」について2011年9月14日の「野田総理官邸ブログ【官邸かわら版】「初めての所信表明を終えて」で次のように書いている。

 〈「正心誠意」という言葉が誤字ではないか、との指摘を多くいただきました。私の今の思いをよく表しているのは、勝海舟が使った「正」という字を使う方です。「意を誠にして、心を正す」という姿勢で、すべての国民が力を合わせ、「国力の結集」を図っていく。それが私の心からの願いであり、覚悟です。〉・・・・・

 「意を誠にして、心を正す」正心誠意の姿勢を持った政治家こそが、呼びかけの対象者、あるいは提案の対象者を巧妙・狡猾にすり替えて、正当化できない発言を正当化することを完璧に為し得るに違いない。

 ドジョウの本領をまさに発揮して巧妙にすり抜けたつもりでいたのだろうが、本質的には誤魔化し、自身の言葉に対する責任を言い逃れたに過ぎない。

 もう一つ、ドジョウの本領を発揮した「正心誠意」な答弁。3年前の野党時代の大阪での街頭演説で飛び出したという、インターネット上に飛び交っている、例の「シロアリ」発言。

 いくつかの記事が取り上げていたから、「衆議院インターネット審議中継」から必要箇所のみを文字に起こしてみた。

 渡辺喜美みんなの党代表「みんなの党の渡辺喜美であります。大阪には維新が始まりました。地域主権改革、公務員改革、教育改革について、国がやらないなら、大阪から始めよう。

 官僚統制、中央集権という、日本の統治構造の歪みを正す、行動をみんなの党は応援いたします。

 みんなの党は大阪、都構想のように、それぞれの大都市が、それぞれの地域の判断で自らに最もふさわしい制度、つまり事務配分や財政配分、を選択できるようにするための地方自治法改正案を提示しております。総理はこれに反対ですか。

 消費税増税について、総理は実施時期が(衆院)任期後だから、公約違反ではないという詭弁を弄しています。増税案が出てくること自体がマニフェスト違反なのではありませんか、

 総理は、『2万5千人の公務員OB が天下りした4500法人へ流れる12兆円の血税にシロアリが群がっている構図がある。この白アリを退治しなければならない。天下りや渡り、ムダ遣いのカラクリを残したまま消費税を上げても、砂漠に水をまくのと同じだ』と言っています。

 天下りや渡り、ムダ遣いのカラクリはなくなったというご認識でしょうか。

 これまでの天下りが水面下で続いている。それを放置し、その上に現役出向という、裏ワザを正面から容認し、民間企業にまで現役天下りを拡大させた。

 再就職等監視委員会は未だに立ち上がっていないじゃないですか。総理のいうシロアリの巣を膨張させているだけじゃありませんか」(以下略)

 野田首相「消費税とマニフェストについてのお尋ねがありました。

 先ず現在の政権の任期中に於いて、消費税率の引き上げは行いません。従って、公約違反ではありません。

 また、行政改革、政治改革など、身を切る改革なども併せて、包括的に実施してまいりたいと思います。

 『社会保障・税一体改革』は前政権から引き継ぎ、避けて通れない、先送りできない、与野党共通の課題として実現を目指しております。

 そして消費税率の引き上げの最終判断は具体的に税率の引き上げを実施する半年前に行うことを想定しており、現在の衆議院の任期中に民意を問い、新しい政権が引き上げの最終判断を行うことになります。

 消費税引き上げとシロアリ退治、天下りの放置、現役出向の拡大、再就職監視委員会の立ち上げについてのご質問をいただきました。

 一体改革を進めるに当たっては、自ら身を切る改革を実施し、国民の納得と信頼を得ることが必要であります。これまで政権交代後、独立行政法人に対する施設や公益法人に対する施設は大幅に削減してきております。

 また、天下りの根絶のために省庁による再就職の斡旋を内閣の方針として全面禁止すると共に、独立行政法人に於いて、公募を実施するなど、大いに取り組みを進めて参りました。

 なお、現役出向、官民人事交流は、従来の天下りと性格の異なるものであり、再就職監視委員会については、その人事案を第177国会及び前回国会の提出しましたが、残念なことに採決に至らず、会議末に至ったものでず。

 今後共行政改革につきましては、不断の取り組みを続けていく決意であります」

 独立行政法人改革については、マニフェストに〈原則廃止を前提にすべてゼロベースで見直し、民間として存続すべきものは民営化し、国としてどうしても必要なものは国が直接行います。〉と書いてあることを取り上げて、「マニフェストに添ったものになっている」と言ったが、1月20日(2012年)に102ある独立行政法人を統廃合や民営化などによって40%近く減らし、65にするなどとした見直しの基本方針を閣議決定したばかりなのだから、言抜けに過ぎない。

 原稿読み上げの答弁を終えて、めくり終えたかなりの枚数の原稿を纏めて手に持ち、演台に叩いて整えながら、原稿に書いてないことを続けた。
 
 野田首相「えー、なお、ま、大阪の様々な動き、橋下知事(ママ)の動きについては、私は改革者として注目すること大でありますが、この動きにも白アリがたかることがないことを願って止みません」

 深く一礼して壇上を降りる。

 官僚が独立行政法人等へ天下って、「12兆円の血税」に群がる白アリ構造と、橋下市長が人気がある、支持率が高いからと自己組織保存、あるいは個人的に自己保存のために擦り寄る、一見雪崩現象とも見える白アリ構造とは同じ白アリであっても、似て非なるものがある。

 前者に於ける主役はあくまでも天下り官僚OBであって、後者に於ける主役は橋下市長であり、橋下市長に擦り寄る側が主役ではない。

 後者の白アリは民主主義の多数決の原則に照らした場合、必要な数の内に入る。民主党支持者の中にも、政権交代しそうな勢いを保持した時点から、あるいは政権交代後、自民党、その他の党支持から離れて擦り寄った支持者、あるいは業界団体が多くいるはずである。

 中には既に白アリ化(利権化)している存在がいないと否定できまい。

 別に橋下氏を全面的に支持しているわけではないが、政策が一致しているわけでもないのに擦り寄ってきて橋下氏の政策に同調・追従する白アリを多数決の源泉として如何に利用するか、あるいは逆に擦り寄る側によって利権構築に利用されてしまうのかは橋下氏の政治的才覚にかかっている。

 民主党三代の政権の余りの不人気、支持率の低迷が予想させる次の衆院選民主党敗北の前以ての趨勢からシロアリ化していた個人、あるいは団体にしても相当に民主党離れを引き起こしているはずである。

 それが橋下氏に対する擦り寄る主体性なき行為であっても、そのような勢力を問題にしている場合ではあるまい。橋下氏がシロアリであろうと何であろうと近づいてくる勢力は歓迎だと次の総選挙に多数決の原理に利用して当選者数を大幅に増やした場合、逆に現有勢力を減らすのは民主党や自民党、その他ということになる。

 みんなの党が仮に橋下氏に擦り寄ったシロアリであったとしても、みんなの党は笑う側に立つ。

 自らが現在置かれている状況・局面を全体的に把握し、解釈する認識能力もなく、言わずもがなのことを言う。

 これも「正心誠意」の性格と共にドジョウの本領を発揮してぬるりとかわすつもりで発した余計な一言に違いない。

 小沢一郎なら、シロアリ結構、利権化させずに多数決の頭数として大いに利用するに違いない。良かろうが悪かろうが、それが民主義の一面となっている。

 問題は余計なことは言わずに、自らが掲げた政治を確実に行う強い意志である。その意志を持っていたなら、余計なことは言わないだろう。余計なことを言う必要もない。

 実際には強い意志を持たない政治家だけが余計なことを言う。

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野田「社会保障と税の一体改革」は欠陥政策でありながら、それを以って国民に信を問うと言っている

2012-01-27 09:00:04 | Weblog

 今までブログに書いてきた野田「社会保障と税の一体改革」に関わるテーマと同じ繰返しになるが、野田内閣のしていることがムチャクチャに思えて、腹立たしさに駆られて再度取り上げて見ることにした。

 野田内閣が1月6日(2012年)閣議決定した「社会保障・税一体改革素案」は、「素案」と言えども、2014年4月に現行消費税5%に+3%の8%、2015年10月に8%+2%の10%の増税率を決めた以上、社会保障改革に必要とする財源確保として計算し、結論とした消費税増税率なのだから、「社会保障・税一体改革素案」はほぼ固まった政策でなければならない。

 いわば社会保障改革と消費税増税率は相互対応した一体性を備えた政策となっていなければならない。

 消費税増税率も増税時期も決めた。しかし社会保障改革の中身が固まっていなのでは、必要財源としての消費税増税率をどう計算し、どう決めたのか根拠を失うことになる。

 これこれの社会保障改革にはこれこれの財源が必要で、消費税で賄うとしたら、これこれの税収を見込まなければならないため、これこれの増税率に設定することにしました、お願いしますということで、2014年4月に現行消費税5%に+3%の8%、2015年10月に8%+2%の10%になったはずだ。

 だが、「社会保障・税一体改革素案」はそうはなっていない。

 冒頭、「我が国の社会保障制度は、世界に誇りうる国民の共有財産として、「支え合う社会」の基盤となっている」とか、「社会保障の機能強化を確実に実施するとともに社会保障全体の持続可能性の確保を図ることにより、全世代を通じた国民生活の安心を確保する『全世代対応型』社会保障制度の構築を目指すものである」とか言っていることはチョー立派だが、「改善などを図る」、「環境を整備する」、「推進を図る」、「充実を図る」、「制度改革に取り組む」等々の今後の課題とする言葉が並んでいて、このように決めたことを行っていきますという具体的政策を示した実行形式となっていない箇所が多々あり、社会保障政策が固まった政策ではないことを露わにしている。

 「検討する」とか「検討する必要がある」、あるいは「見直しを行う」、「引き続き実現に取り組む」といった、現在未定状態で、決定を今後とする言葉に至っては、合わせて60箇所近くある。

 現在正式にはまだ決まっていなくて、検討した上で今後決めていくことがこんなにもあるのに、消費税増税率をどう計算したのだろうか。

 現在問題となっている民主党がマニフェストで約束した「最低保障年金創設」に関しては、「『所得比例年金』と『最低保障年金』の組み合わせからなる一つの公的年金制度にすべての人が加入する新しい年金制度の創設について、国民的な合意に向けた議論や環境整備を進め、引き続き実現に取り組む」と、政策として纏まっていないことを示している。

 いわば最終的な消費税増税率10%と一体性を伴った政策として「最低保障年金創設」は位置づけられていたわけではないことを示している。

 当然、先に消費税増税を決めて、1月6日に「社会保障・税一体改革素案」を閣議決定したこと自体が矛盾することになる。自公両党が年金制度の一元化や最低保障年金創設を柱とした社会保障改革の全体像を明確に示すよう要求していることがこの矛盾を証明している。

 未完成の欠陥政策だからこそ、全体像を示せと要求可能となる。

 その結果、民主党の岡田にしても前原にしても藤村官房長官にしても、年金一元化と最低保障年金制度創設を柱とする民主党の年金制度抜本改革が導入された場合、10%では足りなくなると言い出した。

 では、何のための野田「社会保障と税の一体改革」だったのか。その素案を何のために閣議決定したのか。何ために2014年4月に消費税8%、2015年10月に10%と決めたのか。

 そもそも増税率+5%の根拠はどこに置いて計算したのか怪しくなる。

 いや、+5%の根拠を見い出すことができない、野田「社会保障と税の一体改革」の欠陥政策だったことになる。

 ところが野田首相は施政方針演説に対する昨日の各党代表質問で「やり抜くべきことをやり抜いた上で国民に判断をあおぎたい。不退転の決意は不変だ」(YOMIURI ONLINE)と述べ、これまでも表明してきたように消費税率引き上げ関連法案を成立させた上で衆院解散・総選挙を行う考えを示したという。

 野田「社会保障と税の一体改革」が欠陥政策でありながら、その欠陥政策を国会で通してから解散して、その欠陥政策を争点に国民の信を問うとしているのである。

 あるいは欠陥政策を掲げて、「不退転」だと言っている。

 好きなようにすればいいことだが、この矛盾、このイカレタ発想を批判したくて、同じテーマを繰返すブログ記事を書くことになってしまった。

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原子力災害対策本部議事録未作成は菅仮免による情報隠蔽からの不作為の疑いあり

2012-01-26 13:02:28 | Weblog

 《原発事故 国本部の議事録作成せず》NHK NEWS WEB/2011年1月22日 17時44分)

 NHKが昨年11月(2011年)、福島原発事故を受けて2011年3月11日首相官邸5階に設置の原子力災害対策本部第1回会議から11月の21回会議までの「議事録や内容をまとめた資料など」の情報公開請求を行った。

 ところが、第1回会議の「議事次第」1ページのみ以外、議論の中身を記した議事録の類は全会議を通じて未作成であった。

 記事。〈政府の原子力災害対策本部は、総理大臣を本部長とし、経済産業大臣をはじめ全閣僚をメンバーとするもので〉、〈避難区域や除染の基本方針、農作物の出荷制限など原発事故を巡る重要な決定を行ってき〉た。

 また、原子力災害対策本部の会議議事録のみならず、東京電力と政府が合同で事故対応を検討した「事故対策統合本部」(設置場所/東京・内幸町東京電力本店)でも主要な会議の議事録を作成していなかった。

 記事は、〈公文書管理法は、国民への説明義務を果たすとともに政府の意志決定の過程を検証できるようにするため重要な会議の記録を残すよう定めて〉いると書いている。

 原子力安全・保安院担当者「業務が忙しく議事録を作成できなかった」

 春名幹男名古屋大学大学院特任教授「政府の重要な立場にあった人たちは、記録を残さないと責任を果たしたことにはならない。今回は、自分たちの失策がそのまま記録されると困るので、あえて記録を残さなかったと思われてもしかたない。

 将来同じ失敗を繰り返さないようにするための財産が失われたという意味で、国民的な損失だと思う」

 記事は春名特任教授を公文書の管理や情報公開制度に詳しい人物として紹介している。

 公文書の管理を担当する内閣府は原子力安全・保安院の担当者から聞き取りを行うなど経緯を調べているという。

 春名特任教授は「今回は、自分たちの失策がそのまま記録されると困るので、あえて記録を残さなかったと思われてもしかたない」と言っているが、「思われてもしかたない」ではなく、「あえて記録を残さなかった」情報隠蔽からの不作為の疑いが濃い。

 第1の理由は原子力安全・保安院担当者が「業務が忙しく議事録を作成できなかった」と言っていることである。

 公文書管理法が国民への説明義務と政府の意志決定過程検証を目的に重要な会議の記録を残すよう定めている以上、多忙は理由とならないし、多忙を理由として議事録作成を放棄していいことにはならないからだ。

 国会の質疑応答はテレビの国会中継を見ていて、速記者がリアルタイムで速記し、後で文字に起こすものと思っていたが、確認のためインターネットで調べてみると、自動音声認識ソフトを組み込んだパソコンとそのパソコンに映像と音声を共に自動送信できるカメラと組み合わせて記録させながら自動的に文字に起こして、あとから議事録として纏めているという。

 だとしたら、そのようなカメラとパソコンを用意して、その翻訳が不完全であったなら、例えば「20世紀」と言ったところを「20の性器」と訳したなら、パソコン内の音声付き映像を再現させて後で修正すれば、管がどこでどう怒鳴ったか、どの場面でヒステリーを起こしたかまで正確に記録できる完全な議事録が作成可能となる。

 だが、簡単に一手間かければ済むことをしなかった。

 第2の理由は上記NHK記事と同じ内容を伝えているMSN産経記事――《原発事故の議事録を可能な限り復元 藤村氏が調査を表明》(2012.1.23 19:58)が教えてくれる。

 先ずは藤村修官房長官は1月23日の記者会見。

 藤村官房長官「原子力災害対策本部、内閣府、原子力安全・保安院でどういうことになっているか問い合わせている。

 (議事録作成は)公文書管理法に基づきやるべきことだ。

 昨年3月にさかのぼってどういう風にやれるのか、きちんと追求しなければならない」

 記事は、〈政府内で調査し、可能な限り議事録を復元する考えを明らかにした。〉発言だとしている。その上で、〈議事録に欠損があれば、避難区域や除染などの方針に関する同本部の意思決定過程の検証が難しくなる。〉と解説している。

 最後に記事の指摘。〈議事録をめぐっては昨年5月、枝野幸男官房長官(当時)が記者会見で、発生直後の事故対応に関する会議議事録がほとんど作成されていなかったとした上で「危機管理対応で議事録を取る場がほとんどなかったのが実態だ」と語っていた。〉――

 2011年5月の時点で議事録が未作成であることを認識していた。だが、現在では簡単に手に入れることができる、自動音声認識ソフトを組み込んだパソコンとそのパソコンに映像と音声を共に自動送信できるカメラを用意するという一手間をかけずに5月以降も未作成のまま推移させた。

 不都合が表に現れるのを避けたと疑われても仕方が無いのではないだろうか。

 枝野官房長官の記者会見を《枝野官房長官の会見全文〈24日午後〉》asahi.com/2011年5月24日22時34分)から、2011年5月24日閣議により政府設置が発表された福島原発事故原因究明と事故対応検証の事故調査・検証委員会(事故調)の権限等と議事録に関する箇所を拾ってみる。

 〈【調査委の権限】
 記者「午前中に発表した事故調査・検証委員会(事故調―2011年5月24日閣議により開催決定された政府設置の福島原発事故原因と対応検証の委員会)もそうだが、法的強制力がない。調査権限をどこまで認めるのか。」

 枝野「事故調査・検証委員会については、政府関係者は閣議決定に基づいて閣議決定に従う義務がある。これは法的裏付けのある強制力をもっている」

 記者「東電については強制力があるのか」

 枝野「東京電力の、少なくとも現時点においては事故が収束していないわけであり、事故に至った原因、あるいは事故直後の対応について、しっかりと検証を行うことは今後の事態の悪化を防ぐということのために必要なことだ。一般論としては、原子炉等規制法に定める経産相の権限もある。これは当然閣議決定に基づいて全面協力をして頂いて、その権限が必要なら行使して頂くということになる。最終的には原子力事故の対策本部長としても指示権限というものも、最終的な担保としてある」

 記者「事故調は政府側も検証対象になるため、自民党の石原幹事長は行政の外に事故調を置くべきだと言っているがどう考えるか。」

 枝野「まず政府としてしっかりと検証を行うということは、いずれにしても必要なことだ。当然、完全な第三者から外部からの検証ということも否定するものでないが、政府として検証を行うということはいずれにしろ必要だ。その時に内閣の下ではあるが、これまでの原子力行政、あるいは今の内閣そのものとも、できるだけ独立性を確保した形で検証を行って頂くという位置づけをしたつもりだ。

 さらに、外部という、半分内部かも知れないが、国会が国会の判断でとか、あるいは国際機関の立場でそれぞれ検証をされることについて否定するものでない。それが二つや三つあることが何か問題あることだと思わない」

 記者「事故調が立ち上げまで時間かかった理由は」

 枝野「国民の目線に立った中立的な立場からの検証をして頂こうということであり、特に中立的な立場からの検証を行って頂くためには東京電力、あるいは従来の原子力行政との関わり具合ということについてはしっかりとした検証が必要。チェックというか。そういったところについて直接的な利害関係のお持ちに経験のない方にお願いをしたいということで一定の時間を掛けさせてもらった」

 【事故調の権限】

 記者「事故調に罰則規定がないのに、実効性を担保できるか」

 枝野「むしろ罰則の有無というのは、特別職の我々はちょっと直接意味はないかも知れないが、閣議決定に基づいての国家公務員にはそれに従って、協力をする義務があるので、それにきちっと対応しなければ、少なくとも公務員法上の懲戒の対象になりうるという担保はある。

 従来、検証そのものをできるだけ公開性を持ってと考えていたが、委員長においてもそういった考えだと聞いているので、公開性を持って検証行うことが何よりも国民の皆さんの目という何よりも厳しいチェックがかかっていくものと思っている」

 【事故調の調査見通し】

 記者「事故当初から議事録などがないことによる調査への影響は」

 枝野正確に言うと、ない部分がある、というのが正確だろう。これはどこまで言っていいのか分からないが、例えば、(官邸地下の)危機管理センターにおいては膨大な量の書類が作られて回覧、配布されて、そこには東電や経済産業省原子力安全・保安院から報告された事故や何らかの指示がされたことについて、共有するためにそうしたものにしっかりと書かれて、書類として残っている。 (すり替え)

 ただ、3月11日から数日間は、まさに大変緊迫した状況の中だったので、誰かがメモをとって正確にきちっと記録するというゆとりのない中での議論、判断という局面があったことは否定しない。

 ただ、前後の様々なしっかりと記録されている事項から記憶を喚起すれば、それなりのものはしっかりと検証できるのではないかと。例えば私も今回いろいろ問題なっている12日夕方6時からの打ち合わせについては、記録をしっかりチェックすると、その時間帯、私は記者会見をしていたので、どうもその部分についての記憶がないなと思っていたが、そういったことが確認できたりとかということで、できるだけ正確な事実関係の整理をできるようにしていきたい」

 【事故調の調査方法】

 記者「聴取も公開するのか」

 枝野「もう一つ、独立性ということがある。大きな方向性は閣議決定して、その上で委員長に委嘱するので、そういったところについては、基本的に政府として公開性を持ってとお願いするが、具体的な委員会の運営について、逆に検証を受ける側の私とかがこういうやり方でやってくださいとか申し上げて、こちらが主導して決めるのは、独立性の観点から問題がある。公開性を持ってやって頂きたいという大きな方向性をお願いした上で、具体的な運営は、委員長以下委員会の皆さんに委ねるべきだろう」

 【事故調のメンバー確定と初会合】

 記者「事故調のメンバーはいつごろまでに決めて、何人ぐらいになりそうか」

 枝野「委員長と相談してというか、委員長の判断で決めて頂くのがいいだろうと思っている。委員長の下で適任者を決めて頂き、もちろん、お願いしていくとかロジは事務方も手伝うが、ただできるだけ早くと思っているので、ここから半月も1カ月もかかったりという単位ではない」

 記者「初会合もそれぐらいか」

 枝野「できるだけ早く。1週間程度の間には、と期待をしている。これもスタートして委員長が決まったので、こちらが直接的にここでやって下さいというレベルではない」

 記者「事故調、経営・財務の両委員長と首相、官房長官は面識あったのか」

 枝野「どちらの委員長も私は面識はない。総理も確認しているわけでないが、こういう方で、ということの報告を上げた時のやりとりから私が判断する限りは、面識はないと思われる」 (以上)

 枝野は「正確に言うと、ない部分がある、というのが正確だろう」と言っている。

 ところが、議事録そのものは全然なかった。この男のことを詭弁家だと言ってきたが、詭弁家であるところが最も現れている発言であろう。

 「ない部分がある」ということは一部欠如しているという意味である。いわば議事録の大部分は作成されているとウソをついた。

 そのウソの正当化のために、「(官邸地下の)危機管理センターにおいては膨大な量の書類が作られて回覧、配布されて、そこには東電や経済産業省原子力安全・保安院から報告された事故や何らかの指示がされたことについて、共有するためにそうしたものにしっかりと書かれて、書類として残っている」と巧妙・狡猾なすり替えを行った。

 いくら「膨大な量の書類が作られて回覧、配布されて」いたとしても、書類の表紙に「原子力災害対策本部作成」などと記載されるのみで、議事録がなければ、誰それの議論、また、どのような議論の推移を経て書類として作成されたのかのプロセスまでは、後付けの検証がなされたとしても、正確には知りようがないはずだ。

 また、「3月11日から数日間は、まさに大変緊迫した状況の中だったので、誰かがメモをとって正確にきちっと記録するというゆとりのない中での議論、判断という局面があったことは否定しない」 と言っていることもウソウソ、大ウソの詭弁に過ぎない。

 当時首相官邸5階の原子力災害対策本部には本部長の菅仮免と海江田経産相以下の関係閣僚のほか、原子力安全委員会委員長、東電幹部が参集していた。

 いくら時間的余裕があったとしても、出席者のいずれもが備忘のためにちょっとしたメモを取ることがあっても、彼ら自身が「正確にきちっと記録する」 議事録を作成するわけではない。

 出席者が議事録を作成することが可能なら、国会で質疑の議員と答弁の首相、あるいは大臣にしても自らメモを取りつつ議事録作成が可能となる。
 
 手書きの議事録作成となると、資格のある速記者でなければ不可能だから、速記者を呼ぶか、あるいはICレコーダーで録音しておいて、後で文字に起こすか、既に書いたように国会議事録作成方法に倣って自動音声認識ソフトを組み込んだパソコンとそのパソコンに映像と音声を共に自動送信できるカメラを秘書官に指示して用意・設置させて、これも後で正式の議事録として作成するかのいずれかの方法を取るべきを、それを対策本部に出席していた関係者が誰も忙しかったからできなかったと、関係者が議事録を自ら作成するかのようなゴマカシのウソをついている。

 また公文書管理法が重要な会議の記録を残すよう定めている以上、多忙は議事録を作成しなくてもよい理由にはならないと既に書いたが、「正確にきちっと記録するゆとりがない」 も理由にはならないはずで、官房長官ともあろう者が理由としていることも、いかがわしい限りである。

 枝野は最後に議事録を作成していなかった埋め合わせとして、「前後の様々なしっかりと記録されている事項から記憶を喚起すれば、それなりのものはしっかりと検証できるのではないか」と言っているが、そうすることによって議事録らしきものは作成できたとしても、以後は公文書管理法に則って手抜かりのないように上記いずれかの方法で議事録作成に取りかかる責任を負ったはずで、そのことを認識していなければならなかった。

 だが、以後も21回会議までの議事録が作成されていなかった。少なくとも議事録に関しては口先一丁で記者会見に対応していたことになる。

 議事録を作成していなかったから、昨年5月になって問題が浮上した3月12日1号機原子炉への約55分間に亘る表向き海水注入中止の、首相官邸の指示だ、指示ではないだののゴタゴタも検証することができなかった。

 当時の福山哲郎官房副長官は5月23日の記者会見で次のように弁解している。《「海水注入問題めぐる議事録はない」福山官房副長官》MSN産経/2011.5.23 12:34)

 福山「水素爆発があるなど瞬間、瞬間の判断をしていた状況であったので、議事録をとるような場面ではなかった。

 当時は(原発の)プラントは停電し、津波や地震の被害も出ており、原発の水素爆発もあった。本当に不確実な状態がたくさんあった」

 この男も原子力災害対策本部で事故対応に当っている当事者が議事録を作成するかのようなウソをついている。

 枝野の海水注入中止に関わる発言も詭弁そのもので、面白い。先に挙げた記者会見の続きである。

 記者「3月12日午後6時の対応だが、政府資料だと首相が『海水を注入しろ』という指示の記載あるが、首相指示を認識している人がいるとしか思えないが」

 枝野何らかの形で、総理からそういう指示が出たと読み取れるようなメモが作られ、おそらく危機管理センターで配布、回覧されたんだと承知している。そのことの、どういう意味づけでそういうメモになったのかは現時点で判断できていないが、時期の大変色々緊迫していろいろなことが同時に起こっている状況なので、午後6時の会議は大人数ではなかったので、真水がダメだったら海水を入れるということで、東電の側が実際に海水を入れようとすると、1時間単位の時間がかかるということの報告もあったとも聞いているので、そうしたことの中で、入れるにあたってのリスクはないかということの議論、検討がされていたということと、入れられるんだったら早く入れた方がいいということで、指示をしたと受け取られるようなメモが残っていることには矛盾はない」 ・・・・

 「何らかの形で、総理からそういう指示が出たと読み取れるようなメモ」ということは首相は指示を出していないを意味している。

 そのような菅仮免は指示を出していない、菅仮免からの指示であるかのようなメモが「危機管理センターで配布、回覧された」

 ということは、「危機管理センターで配布、回覧された」メモのすべてが正しいとは限らないということをも意味していることになる。

 ところがである、議事録に関する発言で、「(官邸地下の)危機管理センターにおいては膨大な量の書類が作られて回覧、配布されて、そこには東電や経済産業省原子力安全・保安院から報告された事故や何らかの指示がされたことについて、共有するためにそうしたものにしっかりと書かれて、書類として残っている」から、「前後の様々なしっかりと記録されている事項から記憶を喚起すれば、それなりのものはしっかりと検証できるのではないか」と言っている。

 指示を出していないのに指示を出したかのようなメモが「配布、回覧され」ているとしたら、「配布、回覧された」記録・資料の類から、何があったのか、何がなされたのかの事実の検証がどうのようにできると言うのだろうか。

 また、菅仮免が実際に指示を出したことを受けたメモであって、それを隠すために、「何らかの形で、総理からそういう指示が出たと読み取れるようなメモ」だとしている可能性も疑うことはできる。

 唯一正確を期すためには議事録と「配布、回覧された」記録・資料とを付き合わせて、事実を検証することであろう。

 但し、議事録を後になって訂正しない限りに於いて。

 事実の検証には正式の議事録は必要不可欠だということである。

 枝野が如何に詭弁を用いて言い逃れしているか分かるというものである。

 緊急災害対策本部の事務局を務める内閣府の幹部も枝野と同じような詭弁を使っている。

 《内閣府、議事録未作成認める 緊急災対本部の全19回分》47NEWS/2012/01/25 17:49 【共同通信】)

 NHK記事では「21回会議まで」となっているが、この記事では「全19回分」となっている。

 内閣府幹部「震災対応で手が回らなかった。

 会議の内容が分かる資料はあり、主な発言などを整理し議事概要としてできるだけ早く公表する」

 「会議の内容が分かる資料」でつくり上げた「議事概要」では、管のゴリ押しに負けて自説を曲げたとか、間違った意見に後難を恐れて黙した、傍観したといった事実があったとしても、そのような事実は表には出てこない。

 また、後付けの「議事概要」では、どこでどう不都合を隠しても、その不正を誤魔化し通すことができ、国民に対する真正な情報公開となならない。

 「忙しかった」、「大変緊迫した状況だった」、「手が回らなかった」等々、さも事故対応当事者が議事録を作成するかのような理由にならないゴマカシの理由で議事録不作成を正当化している。秘書官に指示して一手間かけさせればできたはずの議事録作成であることを考えると、どう考えても、公にすると不都合が国民に知れることになることからの情報隠蔽のため不作為行為にしか見えない。

 勘繰るとするなら、菅仮免が頻繁に怒鳴ったり、頻繁にヒステリーを起こしたものだから、第1回会議の「議事次第」まで用意したが、議事録として残すことに不都合が生じるということから、菅仮免を見栄えのいい首相に見せかけるために作成しなかったということではないのか。

 そうとでも考えないことには、枝野が昨年5月24日の記者会見の時点で議事録未作成を公表しておきながら、それ以降も作成しなかったことの整合性の説明を見つけることはできない。

 いずれにしても、誤魔化しに満ちた菅仮免政権であった。

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野田首相の美辞麗句満載、ゴマカシに満ちた狡猾な施政方針演説

2012-01-25 12:25:49 | Weblog

 昨日1月24日、民主党の蓮舫女史がツイッターで、〈息子、発熱。気温と体調、わかりやす過ぎ。〉と呟いていた。

 私は彼女がどのような呟きを行なっているか知りたくフォローしたが、彼女からはフォロー返しがない。彼女に対して時々皮肉を込めたリツイート行なっている前科者だから、多分ブロックしていて、届かないだろうとは思っていたが、お節介なリツイート。

 〈子どもも心配でしょうが、国民も消費税増税で発熱しかかっています。発熱、即生活肺炎に進む心配があります。低所得の老人は特に心配。〉

 第180回国会野田首相施政方針演説も同じ昨1月24日(2012年)。

 民主党が野党時代の参院で第1党を握っていた衆参ねじれ下で政局優先で何でも反対姿勢、自民党の与野党協議を拒絶しながら、福田元首相や麻生元首相のかつての施政方針演説を逆手に取ったご都合主義からの与野党協議要請には触れないことにする。

 以下に言及した政策や美しい表現を取り上げてみる。

 「日本再生元年とする」

 「国政の重要課題を先送りしてきた『決められない政治』からの脱却が国民に対する政治責任となる」

 「今、求められているのは、僅かな違いを喧伝するのではなく、国民の真の利益とこの国の未来を慮(おもんばか)る『大きな政治』、重要な課題を先送りしない『決断する政治』」

 「今こそ、『政局』ではなく、『大局』を見据えようではないか」

 「ふるさとが復興する具体的な未来図を描くのは、他ならぬ住民の皆様自身で、地域のことは地域で決める、という地域主権の理念が、今ほど試されている時はない」

 「震災からの復興は新しい日本を作り出すという挑戦であって、今を生きる日本人の歴史的な使命である」

 「今般の大震災が遺(のこ)した教訓を未来にいかしていくことも、私たちが果たさなければならない歴史的な使命の一つ。もう『想定外』という言葉を言い訳にすることは許されない」

 「福島を再生し、美しきふるさとを取り戻す道のりは、これから本格的に始まる」

 「私は、内閣総理大臣に就任後、これまで三度、福島を訪れた。山々の麗しき稜(りょう)線。生い茂る木々の間を流れる清らかな川と水の音。どの場所に行っても、どこか懐かしい郷愁を感じがする。日本人誰もが、ふるさとの原型として思い浮かべるような美しい場所です」
 
 「福島の再生なくして、日本の再生なし」

 「分厚い中間層の復活」

 「中小企業を始めとする企業の競争力と雇用の創出の両立」

 「新たな付加価値を生み出す成長の種をまき、新産業の芽を育てていくための環境整備」

 「切れ目ない経済財政運営の遂行」

 「国家戦略会議を発信主体とした『新成長戦略』の実行加速化」

 「『日本再生戦略』の年央までの策定と官民一体となった着実な実行」

 「減少する労働力人口を補うという発想からではない、能力尊重からの女性の社会参加と活用」

 「日本再生の担い手たる女性が、社会の中で更に輝いてほしいのです」

 「21世紀の成長産業となる大きな可能性を秘めた『農業』『エネルギー・環境』『医療・介護』等の分野に於ける新たな需要の創出」

 「先に策定した食と農林漁業の再生に向けた『基本方針・行動計画』の政府全体の責任による着実な実行」

 「海洋国家たる我が国の存立基盤であり、資源の宝庫である『海洋』や、無限の可能性を持つ『宇宙』は、政府を挙げて取り組んでいく人類全体のフロンティア」

 「産官学の英知結集に基づく挑戦を担う『人づくり』への投資強化」

 「内外のフロンティアを『夢』から『現実』に変え、日本再生の原動力とするための方策の国家ビジョン策定」

 「経済再生のためのエネルギー政策の再構築」

 「中長期的な原子力依存度の最大限の低減」

 「国民が安心できる中長期的なエネルギー構成構築」
 
 「原発事故の徹底的な原因究明と、その教訓を踏まえた新たな原子力安全行政の確立」

 「『国家の矜持』として隗(かい)より始めなければならない政治・行政改革と社会保障・税一体改革の包括的な推進」

 「不退転の覚悟で不断に取り組まなければならない行政の無駄遣いの根絶」

 「『まだまだ無駄削減の努力が不足している』という国民の皆様のお叱りの声が聞こえます」

 「国家公務員給与の約8パーセント削減法案の国会提出」

 「大胆な統廃合と機能の最適化による、法人数4割弱減を目指す独立行政法人改革」

 「社会資本整備事業特別会計の廃止や全体数半減の特別会計改革」

 「国家公務員宿舎今後5年以内25パーセント削減と政府資産の売却」

 「聖域なき行政刷新の着実な実施」

 「公務員制度改革の引き続いての推進」

 「行政サービス効率化と国の行政の無駄削減」

 「地域主権改革の着実な具体化」
 
 「国の出先機関の原則廃止に向けた具体的な制度設計と必要な法案の今国会提出」

 「1票の格差是正と、衆議院議員定数削減及び関連法案の今国会提出」
 
 「多くの現役世代で一人の高齢者を支えていた『胴上げ型』の人口構成が今や三人で一人を支える『騎馬戦型』となり、いずれ一人が一人を支える『肩車型』に確実に変化していく少子高齢化社会を踏まえた、と同時に社会保障費の自然増だけで毎年1兆円規模となるゆえにもはや先送りは許されない、人々が安心して暮らすことのできる持続可能な『全世代対応型』への社会保障制度の構築」

 「失業や病気などにより、一たび中間層から外れると、元に戻れなくなるとの不安が社会にじわじわと広がっています。このままでは、リスクを取ってフロンティアの開拓に挑戦する心も委縮しかねません。お年寄りが孤独死するような社会であってよいはずがありません。働く世代や子どもの貧困といった悲痛な叫びにも応えなければなりません。

 政権交代後、『国民の生活が第一』という基本理念の下、人と人とが支え合い、支え合うことによって生きがいを感じられる社会づくりを目指してきました。全ての人が『居場所と出番』を持ち、温もりあふれる社会を実現するために、社会保障の機能強化が必要なのです」

 「総合的な子ども・子育て新システムの構築」

 「一体改革の成否にかかっている、若者が『今日より明日が良くなる』という確信を持つことができる第一歩となる社会全体の『希望』の回復」

 「消費税増税と低所得層対策としての給付付き税額控除の導入の検討」

 「格差是正と所得再分配機能の回復策としての所得税最高税率5パーセント引き上げ」

 よくもたくさん並べたものだと感心するが、概ね、以上のような政策課題を並べた。

 最後に美しい言葉が並んでいるゆえに、「結び」全文を記載しておく。

 野田首相「私は、大好きな日本を守りたいのです。この美しいふるさとを未来に引き継いでいきたいのです。私は、真に日本のためになることを、どこまでも粘り強く訴え続けます。

今年は、日本の正念場です。試練を乗り越えた先に、必ずや『希望と誇りある日本』の光が見えるはずです。

この国は、今を生きる私たちだけのものではありません。未来に向かって永遠の時間を生きていく将来の世代もまた、私たちが守るべき『国民』です。この国を築き、守り、繁栄を導いてきた先人たちは、国の行く末に深く思いを寄せてきました。私たちは、長い長い「歴史のたすき」を継ぎ、次の世代へと渡していかなければなりません。

今、私たちが日本の将来のために、先送りできない課題があります。拍手喝采を受けることはないかもしれません。それでも、先に述べた大きな改革は、必ずやり遂げなければならないのです。

全ての国民を代表する国会議員の皆様。志を立てた初心に立ち返ろうではありませんか。困難な課題を先送りしようとする誘惑に負けてはなりません。次の選挙のことだけを考えるのではなく、次の世代のことを考え抜くのが『政治家』です。そして、この国難のただ中に、国家のかじ取りを任された私たちは、『政治改革か』たる使命を果たさなければなりません。

政治を変えましょう。苦難を乗り越えようとする国民に力を与え、この国の未来を切り拓くために、今こそ「大きな政治」を、「決断する政治」を、共に成し遂げようではありませんか。日本の将来は、私たち政治家の良心にかかっているのです。

国民新党を始めとする与党、各党各会派、そして国民の皆様の御理解と御協力をお願い申し上げ、私の施政方針演説といたします」・・・・・

 以上のような民主党政権の政策遂行を阻んでいる障害は断るまでもなく菅前首相がプレゼントしていった衆参ねじれである。この障害を取り除く唯一の手段が与野党協議なのはこれまた断るまでもない周知の事実となっている。
 
 野田首相が気づいているのかどうか、多分気づいていないだろうと思うが、野田首相が一国のリーダーとして必要としていることは与野党協議をお願いすることではなく、与野党協議を自らが実現するリーダーシップ(=指導力)の発揮である。

 一国のリーダーである以上、常に主体的に働きかけていく存在でなければならないからだ。

 お願いする存在としてとどまる間はリーダーシップ(=指導力)は鞘に収めっ放しの抜くことのない、当然、武器としての役目を果たすことのない刀で終わる。他力本願を旨とし、自力本願を属性としないリーダーシップ(=指導力)という逆説を備えることになる。

 このことの証明は1月16日(2012年)民主党定期大会の、有名になった例の挨拶に表れている。

 野田首相「参議院では少数だから、法案が通らないのではなく、野党のみなさんにどうしてもご理解をいただけない場合は、法案を参議院に送って、野党にもう一度、この法案を潰したら、どうなるかということを、よく考えていただく手法も、ときには採用していこうではありませんか」

 口では挑発的なことを言っても、反発を買っただけで、自らが動いて与野党協議を呼びかけ、その開催に説得を試みることを一度もしていない。

 また与野党協議実現は首相自身の直接的な働きかけによってのみ可能とするわけではない。「国政の重要課題を先送りしてきた『決められない政治』からの脱却が国民に対する政治責任」だといった素晴らしいことを言っているが、国会で政策を議論し、決定していく過程以前にその政策は国民の信認を初期的に得るプロセスを必要とするはずであり、その初期的第一歩こそが「国民に対する政治の責任」であろう。

 政策に対する国民の信認を得て初めて、政治を議論し、決めていく使命と資格を得ることができ、野田首相が言う「決断する政治」を自ら実現可能とすることができる。

 もし消費税増税に国民の支持(=信任)を70%も80%も得ていたなら、その支持(=信任)を介して与野党協議を動かすことができるはずだ。

 この方法も主体的なリーダーシップ(=指導力)を必要条件とする。消費税増税と社会保障の一体改革に関わる政策実現能力とその政策を国民に説明し、納得を得る情報発信能力は偏に一国のリーダーにかかっている政治的資質であろう。

 だが、野田首相は消費税増税に国民の支持(=信任)を得ていないことが祟って、直接的にも間接的にも与野党協議を実現させる能力を発揮できないでいる。

 偏にリーダーシップ(=指導力)を欠いているからに他ならない。

 野田首相の今回の施政方針演説を美辞麗句に過ぎないと批判できる最大の証明は二つある。

 まず一つ目は原発事故との戦い、福島再生に触れて、「 私は、内閣総理大臣に就任後、これまで三度、福島を訪れました。山々の麗しき稜(りょう)線。生い茂る木々の間を流れる清らかな川と水の音。どの場所に行っても、どこか懐かしい郷愁を感じます。日本人誰もが、ふるさとの原型として思い浮かべるような美しい場所です」と情緒豊かに福島の地を紹介し、「生活空間の徹底した除染、住民の皆様の健康管理、食の安全への信頼回復」への取り組みを宣言しているが、除染処理が必ずしも満足に進んでいるわけでないことや瓦礫処理や汚染土壌処理の進捗状況に一言も触れていないことである。

 政府が福島県双葉郡内に設置方針の汚染土壌等を保管する中間貯蔵施設は未だ設置場所が決まっていないし、被災地以外の自治体の瓦礫受け入れも殆ど進んでいない。

 福島の早急な再生を阻んでいる障害は除染や瓦礫処理であり、除染と瓦礫処理の過程で生じている汚染土壌や高濃度放射能汚染灰であるはずである。

 この遅れへの謝罪とこの障害を如何に取り除くかの具体策に言及して初めて、「福島の再生なくして日本の再生なし」への手応えを福島県民のみならず、全国民に印象づけることができるはずである。

 だが、肝心の除染も満足に進んでいない、高濃度放射能汚染灰も処理が進まず、一時保管場所に溜まる一方となっている困難な状況にありながら、「福島の再生なくして日本の再生なし」を言うから、言葉が浮いて、奇麗事となってしまう。

 多分、「山々の麗しき稜(りょう)線。生い茂る木々の間を流れる清らかな川と水の音」、「福島の再生なくして日本の再生なし」を言うためには除染や汚染土壌、高濃度放射能汚染灰の処理が満足に進んでいない状況、中間貯蔵施設が一向に決まらない状況、被災自治体以外の瓦礫受け入れ自治体がなかなか決まらない状況は都合が悪く、言及するわけにはいかなかったのではないだろうか。

 このことは逆説すれば分かる。除染、汚染土壌、高濃度放射能汚染灰、中間貯蔵施設、被災自治体以外の瓦礫受け入れ自治体等の進んでいない状況を訴えてから、果たして「山々の麗しき稜(りょう)線。生い茂る木々の間を流れる清らかな川と水の音」を取り戻すという文脈で訴えたとしても、果たして堂々と訴えることができただろうか。

 あるいは声を強くして、「福島の再生なくして日本の再生なし」などと言えただろうか。

 そんなことを言う前に除染、汚染土壌、高濃度放射能汚染灰、中間貯蔵施設、被災自治体以外の瓦礫受け入れ自治体等の問題が先に進む方策を考えろよと批判を受けるに違いない。

 要するに美しい言葉で進んでいない問題を隠したとも言える。

 だから、ゴマカシに満ちた狡猾な施政方針演説だと看做すことになる。

 また、「ふるさとが復興する具体的な未来図を描くのは、他ならぬ住民の皆様自身です。地域のことは地域で決める、という地域主権の理念が、今ほど試されている時はありません」と地域の主体性に期待する発言を行なっているが、単なる地域主権で片付く震災からの復旧・復興、原発事故からの復旧・復興であろうはずはない。国の強力なリーダーシップ(=指導力)なくして地域は主体的な力を発揮することは不可能な大災害である。

 この視点がないことからの当然の帰結なのだろう、国の強力なリーダーシップ(=指導力)が示されないまま推移することになり、すべてに遅れを見せることになっている。

 このことも都合の悪いことは触れずに都合のいい言葉だけを並べている、ゴマカシに満ちた狡猾な施政方針演説であることの証明となる。

 次に、「多くの現役世代で一人の高齢者を支えていた『胴上げ型』の人口構成が今や三人で一人を支える『騎馬戦型』となり、いずれ一人が一人を支える『肩車型』に確実に変化していく少子高齢化社会を踏まえた、と同時に社会保障費の自然増だけで毎年1兆円規模となるゆえにもはや先送りは許されない、人々が安心して暮らすことのできる持続可能な「『全世代対応型』への社会保障制度の構築」という文脈で「社会保障と税の一体改革」を訴えているが、このような状況の根底に横たわっている少子高齢化問題を社会保障の観点からのみ見ている。

 いわば少子高齢化の現状とその進行の追認に立った社会保障改革という偏頗な認識を示すだけで終わっている。

 政府は優遇措置を設けて優秀な外国人を受入れる方針でいるようだが、日本の技術革新や経済成長につなげるのが狙いであって、少子高齢化の解消、出生数の増加、人口増を目的としているわけではない。

 OECDの試算によると、日本が2005年水準の生産年齢人口を維持するためには、2005~2010年の期間に年間約50万人の外国人労働者を受け入れる必要があるとしている。

 野田首相は「社会保障費の自然増だけで毎年一兆円規模となる状況にある中で、毎年繰り返してきた対症療法は、もう限界です」と言っている。

 このような財政状況を前にして果たして少子高齢化の現状とその進行の追認に立った社会保障改革のみで、「『復興を通じた日本再生』という歴史の一ページを共に作り上げていこうではありませんか」と美しい言葉を使っているが、「日本再生」にしても「国民に対する政治の責任」も実現可能とすることができるのだろうか。

 既に「年金一元化」と「最低保障年金」を実現するためにはさらに消費税を上げなければならないと言っているのである。

 施政方針演説をいくら美しい言葉で飾り立てようとも、あるいはもっともらしい言葉を並べ立てようとも、政策遂行の障害となっている与野党協議を早急に実現させ得るリーダーシップ(=指導力)さえ発揮できないのである。

 そうである以上、際限もない財政悪化と際限もない消費税増税の際限もない悪循環に陥りかねない状況の払拭を確約する施政方針とは決して言えないことになり、美辞麗句満載、ゴマカシに満ちた狡猾な施政方針演説と批判を受けても当然のこととしなければならない。

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安住、前原等、岡田等が証明する「社会保障と税の一体改革」の非一体性と欠陥

2012-01-24 11:29:10 | Weblog

 菅前政権は2010年10月から社会保障と税の一体改革の検討を開始、民主党が09年マニフェストの工程表に掲げていた2010年度から2013年度までの子ども手当、高校無償化等の政策実施所要額16.8兆円を「殆ど犯罪に近い」と自民党財務相当時に批判し、自民党を離党し、たちあがれ日本を結党して、その2010年4月10日旗揚げ記者会見で、「民主党には政治に対する哲学や思想がない。自民党には、野党として闘う十分な気力がない。反民主として、非自民として国民のために闘っていきたい」と自身の立場を「反民主・非自民」に置いていた与謝野馨を菅前首相が2011年1月14日経済財政政策担当大臣に迎えて、野田首相ではないが、「最強、最善の布陣」と見たのだろう、「社会保障と税の一体改革」の策定に当たらせた。

 与謝野も、よくもまあ、あれ程激しく批判し、拒絶反応を見せていた民主党の閣僚にのこのこ乗っかったものだと思うが、菅前政権は与謝野の協力のもと、社会保障改革の安定財源確保と財政健全化の同時達成に向けた「社会保障・税一体改革成案」を取り纏めて、2011年6月30日に閣議報告に付した。

 与謝野の人格凛として気高い、有能な才能を以てしての成案である。非の打ちどころのない「社会保障と税の一体改革」であったに違いない。

 「社会保障・税一体改革成案」には年金改革について次のような記述がある。

○ 国民的な合意に向けた議論や環境整備を進め、「新しい年金制度の創設」実現に取り組む。

・ 所得比例年金(社会保険方式)、最低保障年金(税財源)

○ 年金改革の目指すべき方向性に沿って、現行制度の改善を図る。

・ 最低保障機能の強化+高所得者の年金給付の見直し
・ 短時間労働者に対する厚生年金の適用拡大、第3号被保険者制度の見直し、在職老齢年金の見直し、産休期間中の保険料負担免除、被用者年金の一元化〉・・・・・

 「被用者年金」とは既にご存知だろうが、公的年金制度のうち、国民年金を除いた厚生年金保険と共済年金の総称であって、「被用者年金の一元化」とは当然、国民年金を除いた厚生年金保険と共済年金の一元化を図るというものである。

 要するに国民年金を一元化に加えるのは後回しということなのだろう。

 だが、成案とはできあがった案でありながら、「最低保障年金」を含めて「新しい年金制度の創設」は「実現に取り組む」、「被用者年金の一元化」にしても、「現行制度の改善を図る」と、成案とは程遠く、あるいは成案とは名ばかりで、今後の課題としている。

 民主党の2009年マニフェストの「年金一元化」と「最低保障年金」は次のような記述となっている。

 〈公平な新しい年金制度を創る

危機的状況にある現行の年金制度を公平で分かりやすい制度に改め、年金に対する国民の信頼を確保するため、以下を骨格とする年金制度創設のための法律を2013年までに成立させます。

(1)すべての人が同じ年金制度に加入し、職業を移動しても面倒な手続きが不要となるように、年金制度を例
 外なく一元化する


(2)すべての人が「所得が同じなら、同じ保険料」を負担し、納めた保険料を基に受給額を計算する「所得
 比例年金」
を創設する。これにより納めた保険料は必ず返ってくる制度として、年金制度への信頼を確保する

(3)消費税を財源とする「最低保障年金」を創設し、すべての人が7万円以上の年金を受け取れるようにするこ
 とで、誰もが最低限の年金を受給でき、安心して高齢期を迎えられる制度にする。


「所得比例年金」を一定額以上受給できる人には「最低保障年金」を減額する

(4)消費税5%税収相当分を全額「最低保障年金」の財源として投入し、年金財政を安定させる。〉・・・・・

 要するに与謝野の主導のもと菅内閣が纏めた「社会保障・税一体改革成案」は、少なくとも「年金一元化」と「最低保障年金」に関してはマニフェストの年金改革で示した、「これこれします」という予定表とさして変わらない地点に佇んだままであるということである。

 「社会保障・税一体改革成案」を取り纏めて2011年6月30日に閣議報告に付し、野田内閣が2011年9月2日に菅内閣を引き継ぎ、「社会保障と税の一体改革」を成案の上にも成案とすべく相務めたのだろう、2012年1月6日、「社会保障・税一体改革素案」を閣議決定。

 ここでは「被用者年金一元化」と一つの公的年金制度にすべての人が加入する「新しい年金制度の創設」を、よく意味が分からないが、個別に記述している。

 〈被用者年金一元化

○ 被用者年金制度全体の公平性・安定性確保の観点から、共済年金制度を厚生年金制度に合わせる方向を基本
 として被用者年金を一元化する。具体的には、公務員及び私学教職員の保険料率や給付内容を民間サラリー
 マンと同一化する。

○ 公的年金としての職域部分廃止後の新たな年金の取扱いについては、新たな人事院調査等を踏まえて、官民
 均衡の観点等から検討を進めるものとする。

(注) 企業年金を実施している事業所数は、厚生労働省「平成20 年就労条件総合調査」から推計すると37.5%となり(厚生労働省年金局資料による)、すべての企業に企業年金があるわけではない。

☆平成19年法案をベースに、一元化の具体的内容について検討する。関係省庁間で調整の上、平成24 年通常
 国会への法案提出に向けて検討する。〉・・・・・

 〈新しい年金制度の創設

○ 「所得比例年金」と「最低保障年金」の組み合わせからなる一つの公的年金制度にすべての人が加入する新
 しい年金制度の創設について、国民的な合意に向けた議論や環境整備を進め、引き続き実現に取り組む。

<所得比例年金(社会保険方式)>

○ 職種を問わずすべての人が同じ制度に加入し、所得が同じなら同じ保険料、同じ給付。
○ 保険料は15%程度(老齢年金に係る部分)。
○ 納付した保険料を記録上積み上げ、仮想の利回りを付し、その合計額を年金支給開始時の平均余命などで割
 って、毎年の年金額を算出。

<最低保障年金(税財源)>

○ 最低保障年金の満額は7万円(現在価額)。
○ 生涯平均年収ベース(=保険料納付額)で一定の収入レベルまで全額を給付し、それを超えた点より徐々に
 減額を行い、ある収入レベルで給付額はゼロ。
○ すべての受給者が、所得比例年金と最低保障年金の合算で、概ね7万円以上の年金を受給できる制度。

☆ 国民的な合意に向けた議論や環境整備を進め、平成25 年の国会に法案を提出する。〉・・・・・

 「平成19年法案をベース」とは、「Wikipedia」によると、自民党政府が「2007年4月、共済年金の1・2階部分の保険料率を厚生年金の保険料率(18.3%上限)に統一し、給付を厚生年金制度に合わせる『被用者年金制度の一元化等を図るための厚生年金保険法等の一部を改正する法律案』」のことで、国会に提出されたものの、審議されずに継続審議となっている。

 だが、どちらも「検討する」「引き続き実現に取り組む」となっていて、具体化を果たしているわけではなく、今後の課題だと先送りしている。

 だが、「社会保障と税の一体改革」と称して、社会保障改革の財源とすべく消費税を5%の増税、現行と合わせて10%と決めたのである。増税は決めたが、社会保障改革については今後の課題だとして、決定は先送りでは一体改革とは名ばかり、虚構の改革となる。

 1月21日(2012年)の当ブログ記事――《野田内閣の“一体改革”となっていない社会保障と税の一体改革 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に次のように書いた。

 〈「社会保障と税の一体改革」と言う以上、社会保障と税はそれぞれが相互対応の関係を持った具体像を描いていなければならない。それぞれの具体像が非対応の関係にある構成となっていたなら、一体改革とは言えない。〉
 
 〈社会保障のこれこれの改革にはこれだけの財源を必要とする、必要とする財源から消費税の税率を算出するという、先に社会保障の改革を持ってきて、それに対応する消費税増税という税の改革を持ってくる手順を取ることによって相互対応の一体改革となるはずだが、5%増税分の使途変更は逆に税率(に相当する税収)を使途に当てはめることになって、先に増税率ありの手順を踏むことになり、社会保障の改革にはこれだけの財源が必要だからという相互必要性からの算出にはならないことになる。〉

 一体改革となっていないから、矛盾が噴き出すことになる。《長谷川代表幹事「改革の名に値しない」と手厳しく 会談で安住財務相に》

 1月23日(2012年)安住財務相と長谷川閑史経済同友会代表幹事との都内ホテルでの会談。

 長谷川閑史経済同友会代表幹事(政府がまとめた改革素案について)「毎年1兆円ずつ増える社会保障制度の抜本改革に切り込んでいない。

 少なくとも将来の本格的改革への姿勢は出していただかないと国民の納得が得られない」

 要するに「社会保障・税一体改革素案」は不備があり、「本格的改革」とはなっていない、未完成だと言っている。

 だから、「将来の本格的改革への姿勢」を示さなければならないと警告した。

 成案、あるいは素案の何々しますが、マニフェストに書いてある何々しますから大きく踏み出しているわけではないにも関わらず、消費税の増税率を決めて、それを以て「一体改革」だとし、3月末までに今国会に法案を提出すると言っている。

 この欠陥をどう説明するつもりなのだろう。

 安住財務相改革はまだ第一歩だ。次に本格的な社会保障改革をしっかりやっていく。

 (消費税の増税分は)社会(保障)目的化をしっかりやって、年金・医療・介護・子育てに予算を充当していきたい。

 (24日召集の通常国会について)歴史に残る節目になるよう野党の皆さんの理解を得て一体改革を成し遂げたい」

 「改革はまだ第一歩だ。次に本格的な社会保障改革をしっかりやっていく」、いわば安住も一体改革は本格的なものではない、第一歩を踏み出したに過ぎない、本格的な改革はこれからのことだと言いながら、そのような未完成の法案を以てして、「歴史に残る節目になるよう野党の皆さんの理解を得て一体改革を成し遂げたい」と矛盾したことを言っている。

 こいつの頭の中はどうなっているのだろう。欠陥中古車を、「整備は万全です。新車と遜色のない走りを保証します」と売りつけるようなものではないか。

 一体改革裏切って、「改革はまだ第一歩」なら、この5%は何を根拠に算出したのだろうか。

 社会保障改革の具体的な全体像の構築を以てして、それを実現させるための財源としての消費税の増税率が決定するはずだが、その一体性に反して増税率を決めた。

 この非一体性はどう説明するのだろうか。

 前原政調会長にしても1月23日(2012年)に東京都内で講演し、「社会保障と税の一体改革」の非一体性を鈍感なまでに平気で口にしている。《前原氏“年金改革の全体像提示”》NHK NEWS WEB/2011年1月23日 23時51分)

 前原「公明党は、『年金制度改革の全体像を示しさえすれば協議に応じたい』と言っている。われわれは、最低保障年金、年金の一元化を案として持っているので、政府と相談をしながら、協議に応じてもらえるよう環境整備を行いたい」
 
 「最低保障年金、年金の一元化を案として持っている」と言っても、成案、素案が何々しますの段階にとどまっているのだから、マニフェストからニ、三歩しか出ていない、一体性を獲得しているとはとても言えない案に過ぎない。

 輿石幹事長(記者会見)「いつから、どのくらいの財源が必要か示さなければ、年金の改革案として通用しない。通常国会で示すことを前提に取り組む」
 
 本格的な年金制度改革案を示すについては、どのくらいの財源が必要か示す必要があると言っている。

 要するに消費税5%増税分には本格的な年金制度改革は入っていない、新たに増税する必要があるということである。
 
 「社会保障と税の一体改革」が非一体性の欠陥を抱えていることを無視して、消費税増税だ、増税反対は国を潰す、一体改革だ何だと今まで何のために騒いできたのだろうか。

 岡田副総理も輿石幹事長と同じ事を言っている。《将来的に消費税10%超必要…岡田副総理》YOMIURI ONLINE/2012年1月22日20時59分)

 1月22日(2012年)フジテレビ番組。

 岡田「年金抜本改革に必要な財源は(2015年に引き上げる消費税の)10%に入っていないから、さらなる増税は当然必要になる」

 藤村官房長官も右へ倣え、かくして大合唱の体をなしている。

 《年金抜本改革でも10%超 消費増税で藤村長官》MSN産経/2012.1.23 13:22)

 1月23日記者会見。年金一元化と最低保障年金制度創設を柱とする民主党の年金制度抜本改革が導入された場合、消費税率を将来的に10%よりも引き上げる必要があるとの認識を示した上で、

 藤村「現行制度を維持したとしても財源が(将来)不足するのは事実だ。新しい制度創設でも同じだ」

 開き直りとしか受け取ることのできない発言となっている。

 「現行制度を維持したとしても財源が(将来)不足するのは事実だ」は事実そのとおりだろうが、だからこそ時間をかけて「新しい制度創設」を図ったはずである。「新しい制度創設でも同じだ」と言うなら、何のための「社会保障と税の一体改革」であり、消費税増税率を+5%に決めたのかということになる。

 野田首相の側近だけのことはあって、まさしく図々しいばかりの開き直りそのものである。

 要するに「社会保障と税の一体改革」と言いながら、管前無能首相が2010年7月参議院前に自民党の消費税増税10%を参考にすると言った手前、それを踏襲するために10%の税収の範囲内の社会保障改革にとどめた。

 いわば年金改革を民主党マニフェストに従って本格的な抜本改革としたなら、10%以上の増税率となってしまうために最低保障年金も年金の一元化も、年金改革は後回しにした。

 だが、公明党が年金制度改革の全体像を明確に示さなければ、一体改革を巡る与野党協議には応じないと主張し始めたことから、公明党を与野党協議に引き込むために取り組まざるを得なくなったが、そのためにはなお消費税を増税しなければならないために党役員や各閣僚等が連携プレーで言及し始めた。

 だが、年金制度改革の抜本改革、本格的改革を言い、その財源として消費税10%超の増税の必要性を言うたびに菅前内閣と野田内閣が取り組んできた「社会保障と税の一体改革」が一体改革とはなっていなかったこと、その非一体性と欠陥をさらけ出すことになっている。

 にも関わらず、野田首相もそうなのだろう、安住にしても前原にしても岡田にしても藤村にしても、鈍感に出来上がっているのだろう、さらけ出していることに気づいていない。 

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尖閣諸島沖中国漁船衝突事件 菅内閣の中国対応を検証する第三者機関を設けるべき

2012-01-23 10:18:54 | Weblog

 今日は休んでのんびりするつもりだったが、記事の中から見つけた仙谷の発言に腹が立って、記事を書く羽目になった。

 政治家が「自分は正しい、間違ったことはしていない」と言ったからといって、それを直ちに真に受けるバカな国民はいない。政治家自身がそう言っているだけのことと受け止めて、それが事実かどうなのか知りたいと欲する。

 一般国民は検証する手立てがないから、政治家に言いたいように言わせておくことになるが、もしそれが自分は正しかったと見せかける政治家の虚偽であった場合、往々にしてあとになってから事実が現れるもので、そういった偶然性に期待をかけることになる。

 だが、仙谷政策調査会長代行が昨1月22日大阪市の講演で、2010年9月7日発生の尖閣諸島沖中国漁船衝突事件での対中外交を含めた自らの対応は全て正しかったと述べたことは外交上の危機管理や領土問題に関わるゆえに自分でそう言っているだけのことだと片付けるわけにも、事実はいつかは現れると偶然に期待するわけにもいかないはずで、第三者機関による検証委員会を設置して、仙谷を含めた当時の菅内閣の危機管理が正しい対処方法であったか、厳格に検証すべきではないだろうか。

 《仙谷氏 “自由党と合併”暗に批判》NHK NEWS WEB/2011年1月23日 0時11分)

 記事は2003年9月の民主党と小沢党首の自由党との合併に対する仙谷の批判に重点を置いている。

 仙谷結党当時のスローガンは、『霞が関解体』だったが、解体しつつ何を作るのかが一番難しい。野党時代の民主党には、ちょっと浅い部分があった。

 民主党は最初は小さかったが、鳩山元総理大臣や菅前総理大臣が政権交代を本気で考え始め、『離合集散』や『野合』と言われようが、数が多くないと政権がとれないとなったところからおかしくなった

 トンチンカンなことを言っている。

 「霞が関解体」とは政治行為の主導権を官僚から奪って、政治家自身が握ることであり、自らの主導権のもとに自らが掲げた政治を行う主体的政治行為以って「何をつくるか」に相当していくはずである。

 だが、政治家は自らが指揮官の地位にありながら、官僚を指揮官に位置づけ、官僚の指揮どおりに動く兵隊+スポークスマンに成り下がった官僚主導、官僚依存の状態に陥ったままであった。

 また、「野党時代の民主党には、ちょっと浅い部分があった」、あるいは「数が多くないと政権がとれないとなったところからおかしくなった」と言うなら、「ちょっと浅い部分」を抱えたまま、あるいは「おかしくなった」まま政権を担当したことになり、政権担当の資格及び正当性を自ら否定する発言となる。

 客観的には事実そのとおりの状況になっているが、この体(てい)たらくな状況を認めずに政権に居座っていることは恐ろしい。

 民由合併の事実があったから、政権交代、あるいは政権担当の事実があったという連続性はもはや否定できない事実でありながら、その事実に腹をくくることができずに、今更ながらにグチっている。

 こんな情けない手合いが官房長官を務め、現在政策調査会長代行を務めている。

 尖閣諸島沖中国漁船衝突事件対応を振り返って―― 

 仙谷「衝突のビデオを原則として一般に公開しなかったことなど、官房長官時代にやったことはすべて正しかったと思っている。あのときは大いに批判されたが、日中の外交関係や司法制度などの面から根拠に基づいて批判する人はほとんどいない」

 《仙谷氏が中国漁船衝突事件対応「すべて正しかった」と豪語 「論争『さあ来い』」》MSN産経/2012.1.22 20:32)での発言は次のようになっている。

 仙谷「私はいまだに、あの時のやり方、やったこと、すべて正しかったと思っている。

 外交関係、司法制度、海上警察権の行使、行政情報の公開のあり方、いずれの立場からも今の時点で批判をきちっとする人はいない。誰か本格的な論争を臨んでくるのがおれば『さあ来い』と思っている」 

 当時の菅内閣の誰もが、菅首相を筆頭に「国内法に則って粛々と対応する」と言っていた。

 ベルリン訪問中の岡田克也外相(当時)の中国人船長逮捕当日(2010年9月7日)の発言。

 岡田外相「我が国の領海内の出来事であるので、法に基づいて粛々と対応していく。先ほど官房長官とも電話でそういう方針を確認した」

 外務省幹部「国内法の執行が、外交のためという理由で曲げられてはいけない。国内法に基づいて粛々とやるのが当然だ

 仙谷官房長官(2010年9月8日午前記者会見)「外交的な配慮はなかった。粛々と手続きを進めた。そもそも尖閣諸島には領土問題は存在しないというのが日本の立場なので、日本の国内法で対処していく」

 前原国交相(2010年9月11日岐阜県多治見市記者会見)「尖閣諸島は日本固有の領土であり、違反事案があれば国内法に基づいて粛々と処理をする。お互いが冷静にならなくてはいけない」

 「国内法に則って粛々」なら、刑事訴訟法に忠実に基づいて起訴・不起訴のいずれかを含めてすべてを処理させていくべきであるのは極く当たり前の措置となる。

 そして2010年9月24日、那覇地方検察庁が記者会見で船長を処分保留のまま釈放することを発表。

 鈴木亨次席検事「衝突された巡視船の損傷の程度が航行ができなくなるほどではなく、けが人も出ていない。船長は一船員であり、衝突に計画性が認められない。

 「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でないと判断した」

 記者「政治の判断があったのか」

 鈴木亨次席検事「検察当局として決めたことだ。・・・・船長に確認すべきことがあるため釈放の手続きには時間を要する」

 〈「国内法に則って粛々」なら、刑事訴訟法に忠実に基づいて起訴・不起訴のいずれかを含めてすべてを処理させていくべきであるのは極く当たり前の措置となる。〉と既に書いた。

 だが、鈴木亨次席検事の「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でないと判断した」は検事の判断基準にはない、刑事訴訟法から逸脱した、いわば「国内法に粛々」を大きく踏み外した判断でり、刑事訴訟法に忠実に基づいた場合、夾雑物としなければならない外交上の配慮を混じえている。

 刑事訴訟法を判断基準としている以上、あるいは「国内法に粛々と則る」以上、不起訴に当たって検察当局に許されるのは「衝突された巡視船の損傷の程度が航行ができなくなるほどではなく、けが人も出ていない。船長は一船員であり、衝突に計画性が認められない」の判断のみである。

 この処分保留のままの釈放についての仙谷の発言(2010年9月24日)。

 仙谷官房長官「刑事事件として、刑事訴訟法の意を体して判断に到達したという報告を受けており、那覇地検の判断を了としている。菅総理大臣には、秘書官室から連絡し、那覇地検が発表したあと、外交ルートを通じて中国に通報した。わたし自身は、粛々と国内法にのっとって手続きを進めた結果、ここに至ったと理解している」

 那覇地方検察庁の「わが国の国民への影響や今後の日中関係を考慮すると、これ以上、船長の身柄の拘束を継続して捜査を継続することは相当でない」とした「判断」は仙谷の言う「刑事訴訟法の意を体して判断に到達した」処分保留のままの釈放という決定と果たして言えるだろうか。

 那覇地検が釈放の理由の1つに国民への影響や日中関係を挙げていることに関しては次のように発言している。

 仙谷官房長官「検察官が総合的な判断を基に身柄の釈放や処分をどうするかを考えたとすれば、それはそれでありうる」

 先の発言との間に矛盾があることに気づいていない。

 処分保留のままの釈放は「刑事訴訟法の意を体し」た検察官の「判断」だと言っているのである。当然、検察官に許される「総合的な判断」にしても、「刑事訴訟法の意を体し」「判断」――刑事訴訟法に則った判断でなければならないはずだが、そこから逸脱した、刑事訴訟法には規定のない外交上の配慮を加えていた。

 この事件以後、菅首相は対中関係改善を図るために一国のリーダーとしての矜持・自尊心を打ち捨てて、中国首脳との会談を実現させるべくお願い外交に走った。

 だが、その悲壮感の篭った努力の甲斐もなく、会談実現も会談時間も決定権は常に中国が握り、2010年10月4日ブリュッセルで開催のASEM首脳会議で菅・温家宝会談実現に漕ぎつけものの、十分な時間を取って貰えず、中国側から「会談」ではなく、言葉を交わす程度の「交談」と見做される始末だったし、2010年10月29日ベトナム・ハノイので菅・温家宝会談では直前になって中国側がキャンセル。

 だが、日本側が求めて実現できる会談ではないから、多分中国側のお許しが出たのだろう、その後ハノイの会場控室で10分間の“懇談”が実現。

 このことが果たして菅首相の面目を施した(世間の評判を高めた)ことになったのだろうか。菅首相は「天動説か地動説かだ。向こう中心に見るから、こっちが動いているように見える」(MSN産経)と、さも自分の方が主導的立場に立っているかのように見せかける強がりを言っていたが、中国側はこの10分間の“懇談”を時候の挨拶を意味する「寒暄(ハンシュワン)」(asahi.com)だと発表。

 これは10月のブリュッセルの「交談」よりもさらに格下の扱いを意味する表現だと「asahi.com」は伝えていた。

 中国人船長逮捕から釈放に至る菅内閣の外交上の危機管理が中国の外交上の様々な圧力と外交的な軽視を許す波及を導き出すこととなった事実は否定することはできない。

 もしこのような国辱的なお粗末な結末が中国人船長釈放に政治が介入していた事実が加わっていた“ハッピーエンド”だとしたら、今後の日本外交の参考材料とするためにも、その事実の真偽を問う第三者機関による検証委員会を設ける必要が出てくるはずだ。

 菅内閣の福島原発事故対応を検証する検証委員会が設置されて、既に動いている。報告書提出も間近となっている。

 中国漁船衝突事件に関わる菅内閣の対応の適否も喉に引っかかった骨となって残ったままとなっている。

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アメリカと比較した日本の国会議員の適正数と適正能力

2012-01-22 09:03:45 | Weblog

 昨1月21日(2012年)放送の日テレ「ウェークアップ!ぷらす」は消費税増税と議員定数削減を話題にしていた。

 コメンテーターの寺島実郎日本総研理事長が議員定数削減について次のような発言を行った。

 寺島理事長「要するに国民に途方もない政治不信があるわけです。で、その政治不信というのはね、代議制民主主義というものをですね、より良きものにしなければならない大切なところに来ているわけですよ。

 さっき専門家がね、どうして国会議員の数を半分にするのが理想だみたいなことを言っていたかというと、例えば1人当たりの国会議員の数っていうのがね、ざっくり言ってアメリカの倍なんですね。

 で、そういう状況に対してね、さらに少子高齢化社会で、人口が少なくなっていく中で、政治でメシを食う人ってことを鍛え直していかなければならない。それが代議制民主主義の根幹なんですよ。

 ですからね、代議者になる人でね、しっかりとしたですね、資質と力を持った人たちを選び出していくっていうのが民主主義の根幹なわけですから、そう意味でね、僕はその小政党だとか、え、中規模の政党に配慮するってことも大事だと思うけども、国民はその、ボトムラインとしてはね、国会議員の数を削減してね、身を切るということを見せて、増税に、要するに協力してくださいというメッセージを僕は(国民は)見てるんだと思います」

 要するに寺島氏は消費税増税前に国会議員は自らの身を切れ派だということである。

 この手の発言は大多数を占めていて、その一人に過ぎない。ここで取り上げたいのは、専門家が「国会議員の数を半分にするのが理想だみたいなことを言っていた」ということであり、寺島氏自身、その半数削減の根拠に国民1人当りの日本の国会議員数がアメリカの議員数の約2倍であることを挙げながら、削減によって「政治でメシを食う人」を「鍛え直」す機会になると言っていることである。

 寺島氏に「専門家」と言われた鈴木亘学習院大学経済学部教授がビデオ出演だが、寺島氏の発言に先立って次のように話している。

 鈴木亘教授「(議員定数削減は)国民感情を宥める、ガス抜きとするという以上の意味はないですが、例えば、議員の定数を減らして歳費を減らすということの財政的な効果は55億円というふうに言われていますが、それに対して消費税引き上げというのは10兆円以上のおカネが動くわけですので、本当に焼け石に水と言うかですね、殆ど効果はないわけですね、実際に於いて」

 議員定数に関しては――

 鈴木亘教授「思い切った改革をやるということであれば、(衆議院は)半分の240人で、私はいいと思います。(民主党案の)0増5減より(1票の)格差の是正に取り組むべきだと思います」

 社会保障の問題点について――

 鈴木亘教授「社会保障の中にはたくさんムダが含まれていて、社会保障をですね、削減するっていう話ではなくて、むしろ増やしておりますので、それは将来的にはですね、いくら消費税を5%引き上げても、あの、右から左へ出ていくだけですので、あの、持続可能なものにはなりませんし、財政再建にもなりません」

 民主党の「小選挙区0増5減+比例代表80削減」では真の議員定数削減にはならない、半分の240議席とすべきだ、消費税増税の持続可能性と財政再建化に役立てるとするなら、社会保障のムダの削減に優先的に取り組む必要があると言っている。

 そこで、先ずアメリカの国民1人当りの上院・下院議員数から日本の国民1人当りの衆参議員数を割り出して、その算出議員を削減した場合、どのくらいの財政的な効果があるか、鈴木教授が言っていた「財政的な効果は55億円」から、これが「小選挙区0増5減」と「比例代表80削減」を加えた計算なのか、加えない計算なのか分からないが、少なく見積もるつもりで加えた計算で導き出してみようと思い立った。

 2011年8月1日現在(確定値)の日本の総人口は1億2781万6千人(総務省統計局)

 2010年4月現在のアメリカの人口は3億0875万人(外務省HP)

 日本議員数

 衆議院は480人(小選挙区300人・比例代表180人)+参議院は242人=合計722人

 アメリカ議員数

 上院100議席+下院435議席=合計535議席(外務省HP)

 アメリカ人口3億0875万人÷日本人口1億2781万=2.42倍(四捨五入)

 アメリカ議会合計535議席÷2.42倍=221議席(対アメリカ人口比日本人口適正議席数)

 鈴木教授は衆院の場合半分の240人で十分だと言っていたが、人口比とすると、衆参合わせて221議席が適正議席数の計算となる。

 日本議会合計722議席-適正議席数221議席=501議席削減可能

 「財政的な効果は55億円」÷「小選挙区0増5減+比例代表80削減」=6500万円(1議席削減当たりの財政効果)(四捨五入)
 
 6500万円×501議席=324億円の財政的効果(年間)

 勿論、これに加えて国家公務員給与削減、地方公務員給与削減を行って、財政的効果を一層プラスしなければならない。

 以上の計算から見た日本の議員の状況はアメリカと比較して議員の数が多過ぎるということだけではなく、アメリカが自人口3億0875万人の国を動かすのに上院・下院合計535人の議員で可能としているのに対して日本が自人口1億2781万人の国を動かすのに衆参合計722人の議員を必要としているということであり、ここから導き出すことのできる結論は当然、議員1人当りの能力が遥かに下回っているということであり、下回っていることを適正能力としているということの証明以外の何ものでもないということである。

 しかも日本の〈議員歳費は、月額約130万円と年2回のボーナス計600万円を合わせて、年約2200万円になる。主要先進国の議員歳費と比較すると、アメリカが約1400万円、ドイツが1015万円、フランスが約924万円なので、日本が断トツで高い。〉(ZAKZAK)という高額報酬を懐に入れながらである。

 GDP比先進国中最悪の財政赤字も示していることだが、如何に他の先進国と比較して生産性が低いか証明して余りある。

 日米では政治献金が桁違いだと言うかも知れないが、政治献金額は政治能力の結果値で表されるはずだ。

 寺島氏が議員定数削減を通して、「政治でメシを食う人ってことを鍛え直していかなければならない」と指摘するのも当然のことであろう。

 悪しざまに言うなら、無能で数ばっか多いと言うことができる。

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野田内閣の“一体改革”となっていない社会保障と税の一体改革

2012-01-21 10:09:03 | Weblog

 「社会保障と税の一体改革」と言う以上、社会保障と税はそれぞれが相互対応の関係を持った具体像を描いていなければならない。それぞれの具体像が非対応の関係にある構成となっていたなら、一体改革とは言えない。

 1月17日(2012年)の内閣記者会とのインタビューで野田首相は次のように発言している。《野田首相インタビュー(2)】支持率横ばい「(消費税増税は)拍手喝采のテーマでない」》MSN産経/2012.1.17 18:52)

 記者「日経の世論調査では、一体改革の素案に対して反対が56%、賛成36%。あまり、良くない結果がでています。総理自ら、積極的に一体改革の意義を訴えていかないと広がっていかない」

 野田首相「やっていきます。チャンスがあればどんな場面でも説明をしていきたいと思います。

 ただ、これ私だけでは限界があります。当然私が先頭にたたなければなりませんが、内閣をあげて、岡田副総理だけではなく、安住財務大臣だけではなく、内閣をあげて、政務三役が、例えば地域に出ていくとき、あるいはメディアのみなさまに訴えるとき、国民のみなさまと膝つきあわせて議論をするときに、しっかりと改革の必要性を訴えていくということ。

 是非野党にも協力をしていただきながら、政府与党一丸となって訴えていくことが必要だと思いますし、当然、自分はその先頭にたっていきたいと思います」

 説明不足だという認識があったからこそなのだろう、野田首相が自ら先頭に立って社会保障と税の一体改革の意義を説明し、訴える意気込みを示しているが、そうである以上、社会保障と税のそれぞれの改革は既に相互対応の関係を持って内容が具体化されていることを前提としていなければならない。

 一体改革であるはずなのに相互対応の関係を持たずに社会保障と税が別個に具体化されていたなら、どこが一体改革なのか説明しようもないし、訴えようもない。

 岡田副総理も説明不足を指摘している。同じ1月17日の自らの記者会見。

 岡田副総理「消費税率を引き上げることは国民に伝わっているが、段階的に5%引き上げる分で何をするのかは十分に理解されておらず、政府の説明も必ずしも明確ではない」

 野田首相と岡田副総理の発言を裏を返すと、説明能力を欠いている、あるいは説明責任を果たしていなかったということになるが、知らぬが仏、自らの説明能力の程度には気づいていないから、総理の座、副総理の座にそれぞれが澄まし顔に座っていられる。

 いずれにしても社会保障と税の一体改革はそれぞれが相互対応の構成を持って具体化されていた。与野党協議を経るのか、与野党協議を経ずに国会で審議というプロセスを経るのか今のところ不明だが、少なくとも野田内閣の案としては“一体改革”と言える相互対応の完成度を果たしていた。

 不足は国民に対する説明のみであった。

 ところがである、昨1月20日(2012年)になって、5大臣による関係閣僚会合を開催、増税分の5%の使い途を一部訂正した。

 社会保障と税の一体改革は“一体改革”と言える相互対応の完成度を果たしていなかったということである。

 完成度を果たしていなければならなかったはずなのに、簡単にブレて、変更したということはニセモノの完成度だったと言える。

 これまで政府が説明してきた増税分5%の使途。

 1%分(約2.7兆円)――医療・介護・年金・子育て等、社会保障制度充実化財源として1%分(約2.7兆
             円)
 1%分(約2.7兆円)――高齢化に伴う社会保障費の自然増
 1%分(約2.7兆円)――基礎年金の国庫負担割合を2分の1に引き上げ
 1%分(約2.7兆円)――税率引き上げに伴う政府の支出増
 1%分(約2.7兆円)――国債発行を減らす分(以上「asahi.com」

 《引き上げ5%分“社会保障費に”》NHK NEWS WEB/2011年1月20日 19時27分)

 5大臣が誰なのかは記事は岡田副総理の名前以外は挙げていない。まあ、主なところでは安住、小宮山といったところなのだろう。

 「asahi.com」記事の「税率引き上げに伴う政府の支出増」に関して、「NHK NEWS WEB」記事は、「1%程度は引き上げに伴う物価の上昇などによる支出の増加に充当」と解説している。

 消費税増税によって政府関係の経費が約1%分、約2.7兆円分価格増となる。それを消費税で賄おうとしていた。

 国民は消費税ばかりか、消費税増税による物価上昇分も自分で賄わなければならない。何とも不公平なことをことをやらかそうとしていたばかりか、消費税は社会保障に使われ、回りまわって国民の利益に寄与するという説明は全部が全部ホントではなかった。

 従来の使途について、〈民主党内からも、社会保障費以外に使われるのはおかしいといった指摘や、公共事業費や防衛費に使われるのではないかといった懸念が出ていた〉。

 新たな取り決めは5%分を全額社会保障費に充当。

 うち1%程度に当たる2兆7000億円を社会保障の充実に向けて、低所得者の保険料の軽減や待機児童の解消等の使途とする。

 残り4%程度に当たる10兆8000億円は基礎年金の国の負担分を2分の1に維持する財源や高齢化に伴って増える公費の負担の補填等、現在の社会保障制度安定化財源に充当。

 要するに4%の使途は従来どおりで、「引き上げに伴う物価の上昇などによる支出の増加に充当」するとしていた1%分を低所得者の保険料の軽減や待機児童の解消等に振り向ける変更を行ったことになる。

 岡田副総理(記者会見) 「多くの国民は、消費税率を10%にすることは分かるが、何のためなのか分からないと感じている。来月以降、野田総理大臣と閣僚らで、手分けをして、いろんな場で説明したい」

 説明不足だけを言っているが、社会保障のこれこれの改革にはこれだけの財源を必要とする、必要とする財源から消費税の税率を算出するという、先に社会保障の改革を持ってきて、それに対応する消費税増税という税の改革を持ってくる手順を取ることによって相互対応の一体改革となるはずだが、5%増税分の使途変更は逆に税率(に相当する税収)を使途に当てはめることになって、先に増税率ありの手順を踏むことになり、社会保障の改革にはこれだけの財源が必要だからという相互必要性からの算出にはならないことになる。

 この不備をどう説明するのだろうか。

 税率算出の根拠を失うばかりか、社会保障と税の二つの改革に相互対応性を欠いていたことになって、一体改革だとしてきたことの根拠さえ失う。

 また、ブログに書いてきたことだが、消費税増税に対する低所得者の逆進性対策としての給付付き税額控除をバラ撒きだとする意見や消費税を増税しなくても財政再建は可能だとする意見についても、それを否定する、国民が納得できる説明責任も果たすべきであろう。

 この二つの説明責任を果たしてこそ、消費税増税に対する国民理解の説明ともなるはずである。

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