だから、日本の政治家をやっていられるとするのか、それとも、政治家の資格はないとすべきなのか、それが問題だ。同類はいくらでもいるのだから――
2001年に愛媛県立宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」が米原潜の衝突を受けて沈没した事件に絡めた笹川「沈没」発言が批判の騒動を広げている。
殆どのマスコミが、発言がえひめ丸沈没を森内閣退陣の原因としている、あるいは実習船の沈没を擬えるか、引き合いに出して、森内閣退陣を「沈没」と表現したとの解釈で把えているが、森内閣退陣によって自身の大臣職を失ったことをえひめ丸沈没に擬えて「沈没」と表現したのではないだろうか。
25日(09年2月)のTBS動画ニュースサイト(≪「自民総務会長、配慮欠く「沈没」発言」≫)の動画から発言を釈明箇所を後回しにして見てみる。24日夜の自民党国会議員のパーティー会場の壇上からの挨拶で出た発言だそうだ。
世界に自慢できる我が日本の著名な政治家・笹川尭「森内閣のときに閣僚に任命されてですね。まあ、嬉しかったんですがぁ、別にゴルフやってクビになったわけじゃあないんですがー、運悪くハワイ沖に潜水艦がですねえ、こともあろうに日本の水産ん――、講習所の生徒を乗せた船に、ドーンと上がってですね、あれで止む無く沈没いたしました。――」(話が受けて笑い声)
女性解説者「えひめ丸事故は2001年、愛媛県立宇和島水産高校の練習線“えひめ丸”がアメリカの原子力船に衝突されて沈没し、9人死亡したものです。当時の森首相は事故の報告を受けながらゴルフを続けたことが批判を受け、およそ2カ月後に退陣しました。
笹川氏の発言は犠牲者を出したえひめ丸の事故と国民からの批判を受けて退陣した森内閣を“沈没”という同じ言葉で表現したもので、配慮に欠けるという批判が出そうです」――
解説も「森内閣沈没=えひめ丸沈没引き合い説」に立っている。流していたテロップの途中で「(当時の森首相が)」と文字を入れて、「別にゴルフやってクビになったわけじゃあないんですがー」の主語を「森首相」としているが、米原潜との衝突、えひめ丸沈没の報告を受けていながらゴルフを続けていた危機管理上の無神経な不作為、あるいは国民の生命・財産の安全を預かっている総理大臣としての職務上の無責任な対国民意識の希薄さが一因となった森内閣退陣ではあっても、当時科学技術担当大臣として初入閣していた一大臣が例え時間の経過した過去となった出来事でだとしても、森首相の辞任理由をゴルフを続けていたことに引っかけて、「ゴルフやってクビになったわけじゃあないんですがー」とか、練習船の沈没に擬えることとなる「あれで止む無く沈没いたしました」と言える立場にはないはずである。
あくまでも自分のことだから言える引き合い、あるいは譬えであって、自身の辞職理由について言及していると受け止めるべきではないだろうか。えひめ丸の沈没のせいで森内閣共々沈没したという気持はあったかもしれないが、直接的には森内閣の退陣経緯を話していたわけではない。
2月25日の「47NEWS」記事(≪笹川氏発言に政府与党から不快感 野党は批判≫)が、この記事だけがそうなのか、全部調べたわけはないから分からないが、批判を受けている発言内容を改めて伝える中で笹川自身のことと受け止めて次のように書いている。
<笹川氏は24日、都内での会合で、2001年に起きた米原潜と実習船えひめ丸の衝突事故への対応で退陣に追い込まれた森内閣で閣僚を務めた自らの経歴に触れ「ゴルフをやっていて(閣僚を)首になったわけではないが、あれでやむなく沈没した」と発言した。>・・・・・・・・・
上記記事は「共同通信」配信の記事だが、えひめ丸の沈没を森内閣退陣の原因としていると把えているわけでもなく、退陣を沈没に擬えていると把えているわけでもない。笹川自身の大臣辞職をえひめ丸沈没に擬えているとする文脈で把えている。
別のTBSの動画ニュースサイト(≪「鳩山幹事長、笹川総務会長の発言批判」≫)でも、鳩山幹事長の批判は「沈没」引き合い説となっている。
民主党鳩山幹事長「沈没したから、政権も沈没したなどという発想を取ること自体、大変な認識の誤りだと、申し上げなければなりませんね」
同動画は世界に自慢できる我が日本の著名な政治家・笹川尭の釈明を次のように伝えている。
「別に遺族のことなんか、触れているわけじゃない。船が沈んだから、内閣だって沈んじゃったんだよ。俺たちの責任じゃないもん、まったく――」
男性アナウンサーが「また笹川氏は『沈没以外に何という言葉を使うのか、内閣が沈没したという意味で船が沈没したなんて言っていない』と釈明しました」と笹川の引き続いての釈明を伝えている。
世界に自慢できる我が日本の著名な政治家・笹川尭はここでは「船が沈んだから、内閣だって沈んじゃったんだよ」と自分を外して、船の沈没と内閣の沈没を明確に因果づけている。
笹川にしても森元首相が沈没を他処にゴルフを続けていた無神経、無責任が引き金を引くことともなった森内閣退陣であることは理解していないはずはないのだから、それを省いた因果づけとなっているのはマスコミが最初の発言を「森内閣沈没=えひめ丸沈没引き合い説」で把えたことから、勘違いに乗ってその正当化を図ったに過ぎないのではないだろうか。
内閣退陣によって大臣全員が辞職したのだから、政治全体から見たらさして大事(おおごと)とは言えない自身の大臣辞職という個人事をえひめ丸沈没を引き合いに出して“沈没”とするよりは、森内閣自体を“沈没”とすることの方がもっともらしい正当性を見せることができ、自らの譬えの不謹慎さ、無神経さを薄めることができるとする無意識の防衛本能が働いたといったところではないのか。
8年を時間経過してなお大臣職を去らなければならなかったことをえひめ丸沈没を引き合いに出して「あれで止む無く沈没いたしました」と譬えたことがパーティー会場の中だけのことで済むなら、聞く方も聞く方だから、軽口で通るだろうが(笑った連中の中には気の利いたユーモアと受け止めた者もいたかもしれない。)、譬えたままにマスコミに取り上げられて世間に流布したなら、譬えの不謹慎さもさることながら、未練がましい、いつまで言っているんだとそのしつこさを嘲笑されかねない。
さらに「俺たちの責任じゃないもん、まったく――」と責任のないところに自分を置くことで、譬えが自分事であったことから引き離そうとしている。
いわば口を突いて出てしまった以上、森内閣沈没とした方が笹川にはほんのちょっぴりは好都合なのだ。
「別に遺族のことなんか、触れているわけじゃない」――確かに直接の言葉では触れていない。世界に自慢できる我が日本の著名な政治家・笹川尭にしたら、森元首相の無能から大臣職を棒に振って以来大臣の椅子にありつけず、同じ選挙区から経験も年も上の笹川を差し置いて年も経験(=任期)も少ない小渕優子が少子化担当大臣に就任すると、妬みから「小渕優子大臣は少子化担当大臣になぜなれたのか。子供を産んだからなれた」とイチャモンをつけてなお大臣の椅子に執心を燃やしてはいるものの、ある意味「あれで止む無く沈没いたしました」で幕は一つの区切りを示して一応降りていると言えるのだが、遺族や関係者にしたら、「講習所の生徒を乗せた船に、ドーンと上がって」からが幕が開き、そこにはいない出演者を相手に「なぜあんなことになったのか」の終りのない問いを問い続ける、決して当然でない、不当過ぎる、不条理に満ちた幕の降りることがない生命(いのち)のドラマを演じているのである。
笹川一人だけが在るのではなく、多くの他者が様々に在る。
ところがそのことへの思い遣りもなく、世界に自慢できる我が日本の著名な政治家・笹川尭は自分一人だけをそこに在らしめて、えひめ丸の沈没を例に出した。自身の大臣職を棒に振った譬えにえひめ丸の沈没を持ち出した。
その意味に於いて、いわば他人の生命(いのち)を考えることができないという意味で、確かに笹川は「別に遺族のことなんか、触れているわけじゃない」ことになる。気持の上で「触れ」ることにならなければならなかったにも関わらず。
それとも「沈没」発言と同じ24日に甘利行革担当相の「大幅内閣改造発言」を、「それはあまり(甘利)ある言葉だな。まあ、いろいろツバメだかスズメがチュンチュン言いだしたよな」と批判していたと「FNNニュース」が伝えていたが、その実大臣病止み難く、自分が大臣を辞めたいきさつを話すことで大臣候補であることをアピールして改造内閣での大臣の椅子に執心を示したということなのだろうか。
裏が一つや二つだけではなく、裏の裏の裏の裏の裏の・・と、裏をいくつも続けることができる日本の政治家だから、ついつい勘繰りたくなる。
下段引用の鳩山邦夫総務大臣もどこの会合での挨拶か分からないが、「昨年は法務大臣をいたしまして、13人ばかり死刑を執行いたしましたので、朝日新聞から『死神』という称号を与えていただきましたが、現在はかんぽの宿の守り神として仕事をしておる鳩山邦夫でございます」と笑い話のつもりで話したのだろうが、死刑がいくら凶悪犯罪を犯した結末だったとしても、「13人ばかり死刑を執行いたしました」は死刑執行関連のみで生命(いのち)を扱っているような酷薄さしか窺うことができない。
だから、日本の政治家をやっていられるとするのか、それとも、政治家の資格はないとすべきなのか、それが問題だ。同類はいくらでもいるのだから――
参考引用
≪「沈没」「死刑執行」、相次ぐ不用意発言≫(TBS/09年2月25日20:49)
日米首脳会談を終えた麻生総理は、25日夜に羽田空港に到着。その後、公邸で公明党の太田代表や自民党の細田幹事長らと会談しました。重要日程を無事終えた麻生総理ですが、帰国後に待ち受けるのは周辺の不用意な発言です。
「私は森内閣のときに閣僚に任命されて、うれしかったんですが・・・」(自民党 笹川 堯 総務会長、24日)
森内閣で科学技術担当大臣を務めた自民党の笹川総務会長。24日夜、国会議員のパーティーで、低い支持率の中で退陣した森内閣を、練習船「えひめ丸」の沈没事故を引き合いに出し、こう表現しました。
「運悪く、ハワイ沖で潜水艦が、こともあろうに日本の水産講習所の生徒を乗せた船の上にドーンと上がって、あれでやむなく沈没いたしました」(自民党 笹川 堯 総務会長、24日)
この発言に・・・
「被害者、ご遺族の方々の心情を思えば、少し不適切な発言ではないかと」(宇和島水産高校、今岡慎三 校長)
「えひめ丸が沈没したから政権も沈没したなんて発想をとること自体が、大変な認識の誤りだ」(民主党、鳩山由紀夫 幹事長)
笹川氏は25日、改めて取材に応じましたが・・・
「別に遺族のことなんか触れてるわけじゃない。辞めたってだけの話、何がおかしいの」(自民党、笹川 堯 総務会長)
さらに、25日夜、この人が・・・
「昨年は法務大臣をいたしまして、13人ばかり死刑を執行いたしましたので、朝日新聞から『死神』という称号を与えていただきましたが、現在はかんぽの宿の守り神として仕事をしておる鳩山邦夫でございます」(鳩山邦夫 総務相)
麻生首相が2月22日に青森市のホテル青森で開催された自民党県連・政経セミナーで講演を行い、「民主党に政権を任せることができるのか」と一席ぶったという。
できるかどうかの答は誰が行っても同じ内容になると思う。似た答でも、私自身の答は満足な内容を取るかどうか分からないが、試してみたいと思う。
講演の全文を2月22日の東奥日報電子版(≪麻生太郎首相の講演全文/自民党県連の政経セミナー≫)が伝えている。参考にしたい方はアクセスしてみてください。
東奥日報は同じページで「講演の動画」ページにリンクをつけている。動画は編集してあって省略箇所があり、「講演全文」通りとはなっていない。「講演全文」と動画両方から、「民主党に政権を任せることができるのか」に答える必要箇所のみを参考にしてみた。
我が日本の麻生太郎首相「慌しく仕事をさせていただいておりますけれども、あのー、マスコミに相変わらず非難を受けて、色々ご心配をかけておるところでありますけれども、我々としては、反省をしなければならないところも、私自身にはあると思いますが、誠心誠意やっていかなければ申し訳なければ (ママ)、ならんと思いますが、私共は今国民にとって最大の関心は何か、と言えば、私はたった一言、『景気』だと思っています。
これらの予算というものを早期に成立させ、実行するというのは、今景気にとりましては最大の関心なんだと思っております。
最も景気をよくする、最も手っ取り早い方法は、今お願いをしております予算を成立させて、実行することです(ジェスチャーよろしく強調する)。それに優ること、全くと言っていい程、ないと思っていますが、我々は是非申し上げたいのは、よくアメリカの方で民主党が『チェンジ』と言って、成功したもんだから、こっちも『チェンジ』と言っているような人がいますけれども、果して民主党に任せらせることが(ママ)できますかね。
こういった政党に政権を渡したら、何となく不安にと思えている方も随分といらっしゃるじゃありませんか。日本という国をこの段階に於いて、無責任な混乱の中に放り出すということは、甚だ、それこそ無責任なようなことだと、私はそう思います。
私は少なくともアメリカで大統領が代わった。それによって直ちに予算を組み上げていった。今間違いなく実行に移されております。少なくとも日本では予算が成立したんですよ。成立したにも関わらず、それを実行させないと、言って、関連法案を通そうとしない、いうのが、我が方の民主党です。よーく分からない、そこは。 ――(中略)――」
東奥日報「講演全文」を参考に説明すると、「教育基本法の話でも、また、今のソマリアの話(海賊のこと)1つにしてもちゃんとまとまって答えてくれない。そいういった所は、われわれにとってあのいい加減な教科書をわれわれは教育基本法を変えてあのいいかげんな教科書を変えました。覚えていない人もいるかもしれませんが、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒の写真、こちらは犬と子供と一緒の写真で、両方家族ですと。うまいように書いてあるように見えるでしょう。犬と子供もおじいちゃんとおばあちゃんも一緒の扱い。おばあちゃんは犬と同じか、こんなふざけた話がどこにあるのか、と言って当時やりあったことがあります。相手はご存じ日教組です。私はそういうところとは断固戦っていく。そういった教育というのは根幹でしょうが。」と笑い声がぱらぱらと起きたものの、お追従笑いなのだろう、殆どの聴衆にはきっと何を言っているのかさっぱり意味不明だったと思うのだが、教科書を例に挙げて日教組を批判し、「これに支えられている」と返す刀で民主党を批判。続けて「動画」から。
「私はそういった物事を、私共は断固戦っていく。そういった教育、根幹ですよ、日本という国の。
こういったものをきちんとやりつける政党、これが自由民主党なんだと、私はそう思っている。従って、今回色々と経済政策だけの話をさせていただきましたけども、私は、日本という国を、この段階に於いて、無責任な、混乱の中に放り出すということは、甚だ、それこそ無責任だと、私はそう思います(拍手)。(よく聞き取れなかったが、次のように言ったように聞こえた。)一応ここは自由民主党は、ここはまなじりを決して戦わなければならない。我々が戦う相手は不安をつくり出す、そういう可能性を秘めている政党と戦わなければならない。――」(動画終了)
民主党に政権を任せることができない理由を動画では「関連法案を通そうとしない」点のみを挙げているが、その他は省略されている。「講演全文」から拾ってみると。――
「次に経済対策というのをやっておりますが、財源というものの裏打ちがないと何となく心配になりませんか。当たり前だと思います。お父さんそんなにばんばん使って、誰からお金が出てくるのと。奥さんもみんな心配になるのは当たり前です。いろいろ耳障りのよいことをいうが、高速道路は自民党は1000円だが、こちら(民主党)はタダ、全部タダだと。そうすると、高速道路の収入はだいたい2兆円ぐらいあるのですが、2兆円の収入が入ってこなくなる。そうすると補修するのは、だれが補修するのですか。また、今借金がありますが、その借金の返済は誰がするのですか、と言ったら、高速道路に乗っていないほかの方がそれを払うことになる。それは、おかしくないですか、というのがわれわれの正直なところです。」――
「民主党に政権を任せることができるのか」の答は既に世論が出していることを多くが根拠とすると思うが、いくつかの世論調査をここに挙げてみる。
朝日新聞社が2月19日夕から20日夜にかけて実施した緊急の全国世論調査。
「どちらが首相にふさわしいか」
麻生首相――19%(前回20%)
小沢代表――45%(前回39%)
毎日新聞が2月21、22両日に行った世論調査。
「どちらが首相にふさわしいか」
麻生首相――8%(前回16%)
小沢代表――25%(前回と横ばい)
NHKが2月月6日から3日間行った世論調査。
「望ましい政権の枠組み」
民主党が中心となる連立政権――25%
自民党と民主党による大連立政権――23%、
自民党が中心となる連立政権――19%
共同通信社が2月17、18両日に実施した全国緊急電話世論調査。
「望ましい政権の枠組み」
民主党中心――53・4%、
自民党中心――28・1%
どの世論調査でも、有権者は麻生の「民主党に政権を任せることができるのか」の問いに「任せることができる」と答えている。これ程雄弁な答はないと思うのだが、この雄弁な答に逆らって、麻生は「民主党に政権を任せることができるのか」と虚しくもなお叫び声を上げている。
麻生は「日本では予算が成立したんですよ。成立したにも関わらず、それを実行させない」と民主党の政局対応を批判しているが、これは分かりきっていたことで、安部、福田の前例が示していたにも関わらず、そこから何も学ぶことができなかった麻生自身の責任であろう。学ぶだけの知恵も勇気もなかった。
いわば民主党が予算を「実行させない」は自分から招いた災厄でしかない。
民主党の参院選勝利、与野党逆転状況は野党民主党にとっては政権獲得のまたとないチャンスなのである。そのまたとないチャンスを生かすために、いや失わないために有効利用できる方策、それが政局であろうと最大限に活用し、政権獲得を何が何でも実現させるべく画策する。
それが政権交代に近づいた野党のあるべき姿でもある。そのあるべき姿を安倍内閣・福田内閣と見てきて、両内閣とも扱いに難渋して、その果てに両内閣とも1年そこそこで政権を投げださざるを得なかった。
このことはブログで何回か書いていることだが、その姿を見てきていながら、麻生内閣は両内閣と同じ轍を踏み、「実行させない」と批判している。
同じ轍を踏んでいるのだから、批判の形を取っているが、泣き言でしかない。
麻生だけではなく、安倍にしても福田にしても、参議院与野党逆転状況を受けたからには、総選挙して、主たる衆議院では民意は我にありとするか、選挙に敗れたなら、民意に従って野党に政権を任せるかの選択肢しかなかったにも関わらず、敗北を恐れて、ニッチモサッチもいかない自縄自縛状態を自ら招き込んでしまった。
安倍、福田の採った道を麻生も選んだのである。首相の座に着く前から、総選挙に打って出て、自民党か民主党かの決着をつけると勇ましいことを言っていながら、内閣成立後の世論調査による支持率の低さに驚いて、口先だけだったからだろう、最初の勢いをたちまち投げ出してしまった。
その結果、参院選敗北後安部が演じ、福田が演じた右往左往を反面教師とすることもできず、その二の舞を演じることとなった。
いや、福田から数えたなら、福田の二の舞、安倍から数えたなら、福田が安倍の二の舞で麻生は安倍の三の舞を演じているに過ぎない。過去から何も学ばぶことができなかったために過去(=安倍・福田)から一歩も出ることができなかった。三人とも雁首を揃えて潔い態度を取ることができなかったに過ぎない。
意を決して総選挙に打って出て、自民党か民主党か民意の帰趨を明らかにすることができなかった過ちを犯した上に自身の言動も影響している国民からの見放されであり、その結果としての野党への支持率の傾斜であることに目を向けることもできないまま、いわば冷静に状況を判断し、冷静に行動に出ることができないままの自らの判断の暗さ、決断力のなさを棚に上げた野党批判だから、支持率回復に一向に力を持たない口先だけの言葉となる。
現在の政治停滞が総選挙に打って出て決着をつけなかったことが障害なのは誰の目にも明らかなことなのだから、景気対策を口実に踏み切れなかった麻生の愚昧さは計り知れない。
景気対策優先を言って総選挙を先延ばしにしたものの、肝心の景気対策が進まない滑稽な倒錯状況に自ら足をすくわれている。
野党の役目は第一に与党を政権の座から引きずり降ろして、自らが政権の座に就くことにある。例え参議院の議席が優っても、衆議院で議席が劣る状況にあるからと、議席の数に素直に従っていたのでは野党の得点とはならず、与党の得点にしかならない。
誰がそのような自分から自分の首を絞めることをするだろうか。政局は野党の政権を取らんがための切り札であり、野党に与えられた特権と看做すべきなのである。
自民党が野党の立場に立ったとしても、議席数に素直に従うだろうか。シャンシャンシャンで進んでいったなら、野党はあってもなきが如きで、存在感は薄れてしまう。現在の民主党やその他の野党同様に政局対応を専らとすることになるだろう。いくら追い詰められたからと言って、野党に対して政局非難はやめた方がいい。自分たちが野党に転じた場合、政局対応ができなくなるからだ。
政局にする、政局にすると批判しておいて、自分たちが政局で動くことになったら、格好がつかなくなる。大島だ、伊吹だ、細田は真っ先に政局で動きそうな顔と態度をしている。野党を政局批判する議員程、きっと真っ先に政局に走るに違いない。
麻生が民主党に政権を任せることができない例として民主党の高速道路無料化案を次のように批判している。
「次に経済対策というのをやっておりますが、財源というものの裏打ちがないと何となく心配になりませんか。当たり前だと思います。お父さんそんなにばんばん使って、誰からお金が出てくるのと。奥さんもみんな心配になるのは当たり前です。いろいろ耳障りのよいことをいうが、高速道路は自民党は1000円だが、こちらは(民主党)タダ、全部タダだと。そうすると、高速道路の収入はだいたい2兆円ぐらいあるのですが、2兆円の収入が入ってこなくなる。そうすると補修するのは、だれが補修するのですか。また、今借金がありますが、その借金の返済は誰がするのですか、と言ったら、高速道路に乗っていないほかの方がそれを払うことになる。それは、おかしくないですか、というのがわれわれの正直なところです。」――
財源はどうするんだという批判だが、先ずはメリット・デメリットを考えるべきだろう。多くの場合メリットだけ、あるいはデメリットだけと言うことはなく、何事もプラスマイナスがある。
定額給付金にしても手にする個人個人にしたら金額なりのカネを手にするメリットはあるが、全体的な経済効果・消費押し上げ効果という点では、多くが貯蓄に回す、何かの場合に備えるとしているためにさしたる期待が持てないと考えるから、それがマイナスに働き支持を得ることができないことになる。
政府が成立させた平成20年度補正予算に盛り込んだ高速道路料金の大幅割引は地域によって限定される場合もあるらしいが、今後2年間に亘って乗用車に限って休日どこまで走っても1000円、トラックは平日の高速料金が3割引というもので、それを執行する関連法の成立を民主党が阻んでいるのだが、このことによって<高速道路の利用が増える分、ほかの交通機関の利用が減るので、そこまで効果はないという意見もある>と注釈付きだが、<国交省では、観光客増による経済効果が7000億~8000億円見込まれる。>としていると「msn産経」記事≪「高速道路1000円」の賢い利用法Q&A≫ (2009.1.31 23:43 )が報道している。
他の交通機関とはJR各社が力を入れていたコンテナ輸送や各地域のフェリー会社のことだと思うが、実際に打撃を受けるということなら、その打撃を負の面として日本の物価が国際比較で元々高過ぎることを考えて、高速道路無料化が物価ダウンに役立つなら、それを国民生活のメリットと把えて、他の輸送機関への打撃を止むを得ない自然淘汰と看做し、政府が補助金等を活用して自然淘汰に向けた軟着陸を指導すべきではないだろうか。
自民党の大幅割引が経済効果7000億~8000億円と言うことなら、民主党の無料なら、もっと大掛かりな経済効果を引き出すはずである。高速道路無料化によって、流通コストが軽減されれば、最終商品のコストダウンにつながり、そのことによって見込むことができる需要増が経済の活性化に役立つ。
経済が活性化されたなら、当然政府の歳入増につながることになる。専門家ではないから具体的な歳入額は計算できないが、相当な額になるはずである。
またトラックの場合、商品輸送を高速道料金を避けるために頼っていた一般道路使用と比べて、高速道路使用の場合は燃料消費量(=燃費)が軽減され、その分、温暖化ガスの排出量が減るメリットが生じる。年間を通したなら、膨大な温暖化ガスの排出減となって現れることになるのではないだろうか。
ガソリン暫定税率の廃止か否か与野党が攻防を繰り広げたとき、当時の福田首相が08年3月31日の記者会見で、「まず世界では、ガソリンに対する税金を引き上げる傾向に今あります。これは、世界が地球温暖化問題に立ち向かうため、ガソリン価格の引き上げが、CO2を排出するガソリンの消費を抑えることに役立つと考えているからであります。この結果、ガソリン価格は今、イギリスでは1リットル250円です。フランスやドイツでも1リットル220円であります。もしここで日本がガソリンの税金を25円安くすれば、ガソリン価格は125円となり、イギリスの半分になってしまいます。地球温暖化対策に取り組んでいる世界に対して、日本はガソリンの消費を増やそうとしているんではないか、という誤ったメッセージを発することになりかねません。時代逆行の動きであります」と廃止反対を訴えたが、高速道路無料化となった場合、運輸・流通を担う輸送トラックは無料・有料に関係なく走らせなければならないが、一般客が無料化で浮いた分を観光にまわすべく車を走らせる状況が生じて二酸化炭素ガス排出が増加することも考えられるが、そのような状況は景気回復に必要な需要であり、乗用車の排出ガス削減に絶対的に有効な方法として車のハイブリッド化、あるいは電気自動車化を国の政策として推し進めることがより大きな問題として横たわっていることから比べたら、過渡的な問題と化す。
高速道無料化が観光振興につながって観光業が利益を得れば、その税金によって増える政府歳入が乗用車のハイブリッド化、あるいは電気自動車化への政府の助成・援助の一部へと容易に転換されることにもなる。
9月9日の日経ネット記事≪排出量価格、世界で急落 半年で3分の1 景気後退の影≫が世界的景気悪化で企業生産が鈍ったことに伴って温暖化ガス排出量が減少、見かけの「余剰分」を売りに出す動きが強まったため温暖化ガス排出量取引の市場価格が世界で急落していると伝えているが、高速道路無料化による乗用車走行の増加を受けた二酸化炭素ガス排出量の増加が不景気による温暖化ガス排出削減のプラスを埋めるマイナスとはなっても、「私共は今国民にとって最大の関心は何か、と言えば、私はたった一言、『景気』だと思っています」を最優先事項とするなら、プラスマイナスを相殺してマイナスを小さく計算すべきであろう。
民主党の高速道路無料化案では道路の補修の財源はどうするのか、これまでの借金はどうするのか、高速道路に乗っていない他の方がそれを払うことになるが、それはおかしくないですか等々言っているが、財源云々は先ずはムダな道路、ムダな橋、ムダなハコモノの建設を一切排除することによって捻出することができる。
工事箇所を絞りに絞るということである。現在の高速道路の年間維持費を最初に算出して、赤字予算を組まない範囲内で収めることができる公共工事のみを行うこととすれば、当たり前のことだが、ムダに予算を使うこともないし、どこが必要な道路か、必要最小限の規模、建設費等々考えることとなり、そういった頭の働かせ方がムダな道路を造らないための知恵をつける糧となるに違いない。
大体が現在ある高速道路をすべて無料化すれば、通行にかかるその時間短縮によって、新たな道路はさして必要なくなると思うのだが、そうではないのだろうか。少なくとも日本列島を縦に貫く大動脈としての高速道路のすべては無料化すべきだろう。
以上のような考えに立てば、高速道路利用者・非利用者関係なしにその負担は最小限度に抑えることができる。もし無料化によって流通コストが下がり、それが物価に反映されて国民全体の生活利益へと還元されることになったなら、負担は相対的にさらに低くなる。
麻生は常々「世界不況という異例の事態には異例の対応をしなければならない」と勇ましいことを言っている。では、景気対策の目玉と位置づけている定額給付金は「異例の対応」だとでも言うのだろうか。
そうだと言うことなら、「異例の対応」の程度が知れる。スケールの小さな麻生にふさわしいスケールの小さな「異例の対応」ということなのだろう。
高速道路の無条件な無料化を以ってして「異例の対応」だと言うなら、少しは話は分かる。
<日本経済新聞社とテレビ東京が20―22日に共同で実施した世論調査で、麻生内閣の支持率は1月の前回調査を4ポイント下回る15%で、歴史的な低水準となった>と今日の日経ネット記事(≪麻生内閣、支持15%不支持80% 日経世論調査≫)に出ている。
<不支持率は4ポイント上昇し、80%で、調査開始以来初めて80%台だった。衆院解散・総選挙の時期に関しては「できるだけ早く解散すべきだ」と「今春の来年度予算成立後に解散すべきだ」が合わせて70%に達した。 >――
毎日新聞の調査は、<毎日新聞が21、22日に実施した全国世論調査で麻生内閣の支持率は1月調査からさらに8ポイントも下落し、11%となった。竹下登内閣、森喜朗内閣のいずれも末期に記録した9%に匹敵する低い数字である。>(≪社説:麻生内閣 「早く退陣を」が国民の声だ≫毎日jp/ 2009年2月23日)というふうになっている。
さらに続けて、<とりわけ、政府・与党が深刻に受け止めなくてはならないのは、今回調査で麻生太郎首相は「今すぐ辞めるべきだ」と答えた人が39%、「来年度予算の成立まで続けるべきだ」と答えた人も同様に39%で、早期退陣を求める声が約8割に達した点だ。麻生内閣は既に国民からほとんど見放されているといっていい。>――
次は朝日新聞(≪「首相は早く辞めて」71% 朝日新聞緊急世論調査≫asahi.com/2009年2月20日23時40分)。
<中川財務相の辞任を受けて、朝日新聞社が19日夕から20日夜にかけて実施した緊急の全国世論調査(電話)によると、「麻生首相は早く辞めてほしい」との答えが71%に達した。内閣支持率は13%で、今月7、8日の前回調査の14%に続いて低迷。不支持は75%(前回73%)だった。>
日本テレビが2月15日(09年)に行った麻生内閣の支持率は9.7%と1ケタ台に落ち込んでいる。報道各社の支持率が1ケタ台に落ち込むのは時間の問題に違いない。
麻生首相は2月16日に支持率の動向に関してぶら下がり記者会見で記者と次のようなやり取りをしている。
――内閣支持率が下げ止まりません。日本テレビの調査では9.7%と麻生政権はじまって初めてひとケタ台となりました。この数字についてどのように受け止めるかと、経済対策だけでは挽回(ばんかい)は難しいとの声もありますが、どのように挽回していきたいと考えていますか。
「支持率につきましては、これまでもずっと同じことをお答えしていると思いますんで、繰り返すようで恐縮ですけれども、支持率につきましては、自分の不徳の致すところだと思ってますんで、それに関しましては、今後とも経済対策、私、今、世の中っていうのは景気、これが国民の最大の、私は関心事だと思っていますから、この景気対策、これに全力を挙げる、それしかないと思ってます。それが支持率回復に結びつくか結びつかないか、それは私の、支持率というのは、そういったもので、私は、どういうもので決まったか知りませんけれども、少なくとも今与えられている仕事というのは景気対策だと、景気回復が私が与えられた一番の仕事だと思ってますから、それに専心していきたいと思っています」(asahi.com/09年2月16日)
不徳さが経済対策にまで及んでいることに気づいていないことも原因しているに違いない、表面上は冷静を装っているが、一貫性を欠いた、かなり支離滅裂な答となっている。冷静さとは裏腹の顔の憔悴が隠しようもなく内心の狼狽えを物語っていて、相当なダメージを受けていることは間違いがない。何だか可哀想になって、親切心を発揮して首相官邸に「支持率低下防止策」を提言しておいた。
「麻生内閣支持率低下の防止策を提言します
麻生首相を支持率低下の針の莚(ムシロ)から解放する最良の方法は麻生首相辞任以外に最早ないと思います。
若手自民党衆議員の次期総裁選に向けた街頭演説では麻生批判が聴衆の好感触を得る取って置きの切り札とまでなっているとのことで、党内支持率さえ低下の歯止めが利かなくなっている状況下では、辞任が効果的な支持率低下防止策の唯一残された最善策だと強く確信しています。」
首相官邸からは例によって例の如くのお定まりな返信が届くに違いない。
「ご意見等を拝見しました。
いただきました国政へのご意見・ご要望は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただきます。
首相官邸ホームページ「ご意見募集」コーナー担当」
7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見で朦朧・ろれつ旋回不能状態で(旋回できなくなった飛行機が墜落するように本人も大臣職から墜落した。)世界中を騒がせた経済大国日本の財務大臣中川昭一が会議後、その足でバチカン博物館を見学、触れることを禁止している陳列品に手を触れ、警報機まで鳴らすお騒がせの続編を演じていたことを新聞・テレビ各社が報じている。
改めて我が日本の偉大な財務大臣(その時点では)中川昭一の行動を多少のズレはあるが、各社報道から時系列で拾ってみる。
・2月13日
正午に日本を出発、同日17時00分(日本時間14日未明)にローマ到着。
午後6時40分~午後7時15分
日米財務相会談
午後7時30分~午後820時30分(?)
G7夕食会。9時30分までの予定を途中退席。
午後10時40分~翌00時30分
宿泊先ホテル自室で財務省玉木林太郎国際局長や新聞記者男女各2人らと共に懇談会。ジントニッ
クを4~5杯飲む。
・2月14日
午前8時15分~午後1時00分
7カ国財務相・中央銀行総裁会議・G7昼食会
午後1時50分までの予定のG7昼食会を午後1時00分頃途中退席
午後1時過ぎ~午後2時45分
宿泊先ホテルで昼食
宿泊先ホテルのレストランで財務省玉木林太郎国際局長、日本人女性記者、イタア人通訳など数人
で会食。
午後2時50分~午後3時05分
日露財務相会談
午後3時05分~午後3時45分(?)
日露財務相会談が行われた部屋で仮眠
部屋に戻り程財務省幹部らと打ち合わせ
午後3時45分~午後4時00分
約17分間の世界中お披露目朦朧記者会見
午後4時05分~午後6時05分
会見を終えた足でバチカン市国の博物館を見学。
見学時間は2時間に及んだという。・・・・・・
日露財務相会談ですでに様子がおかしくなっていたということだが、バチカン市博物館の我が日本の財務大臣中川昭一の様子を報道から拾ってみる。
<今月14日午後4時(日本時間15日午前0時)すぎ、ローマ中心街のホテルで、眠り込みそうな表情で会見を終えた中川氏は、その足で博物館に向かった。イタリアを去る間際の2時間の「視察」で、当初から予定に組み込まれていた。
財務省職員を伴った中川氏を現地の大使らが案内する形で、一行10人は博物館職員と共に館内を回った。午後4時の閉館時刻を30分ほど過ぎていたため、一般客はいなかったという。
中川氏は館内を好きに歩き回った。触ることを禁じられている石像を2回ほど触り、一度は警報のブザーが鳴った。
疲れていたようだが、酒臭くはなく、酔っている様子はなかったという。同行した上野景文駐バチカン大使は「確かに、天皇陛下が(礼儀正しく)視察するような形でなかった。美術が好きで触ってみたかったようだが、周囲が振り回されたり、騒ぎになるようなことはなかった」と話している。>(≪中川前財務相:バチカン博物館でマナー違反 石像触り警報≫毎日jp/2009年2月21日10時44分)
<関係者によると、中川氏は14日夕、財務省幹部や上野景文・駐バチカン大使、安藤裕康・駐イタリア大使らとともにミケランジェロの彫刻「ピエタ」などで有名なバチカン博物館を約2時間、バチカン関係者の案内で見学した。その間、複数の展示品に手で触り、ある彫刻作品を見ていた際には後方にふらふら回って近づき過ぎ、警報機が鳴ったという。
同行者の一人は、見学中の中川氏が「くたびれた様子だった」といい、別の同行者は「あまり静かな訪問でなかった」と認める。上野大使は「それほど問題はなかったと思う」と語り、案内役のバチカン関係者も「抗議が必要なほどではなかった」と話している。>(YOMIURI ONLINE)
<到着時から中川氏の足取りはフラフラとおぼつかなく、言葉もはっきりしなかったという。案内役の説明を聞かずに歩き回ったほか、入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、触ってはいけない展示品を素手で複数回触ったりした。そのため警備室の警報が少なくとも1回鳴ったという。
バチカン博物館でも特に有名な、「八角形の中庭」の「ラオコーン」像を見学した際には、観光客が近づき過ぎないようにするための高さ約30センチのさくを乗り越えて石像の台座に触るなど、非常識な行動をとったという。
博物館には通常、午後4時までに入館しなければならないが、中川氏らが訪れたのはその後だったため、システィーナ礼拝堂以外では一般の観光客の姿はほとんどなかったという。>(asahi.com)――
上野景文駐バチカン大使「確かに、天皇陛下が(礼儀正しく)視察するような形でなかった。美術が好きで触ってみたかったようだが、周囲が振り回されたり、騒ぎになるようなことはなかった」
さすがは大使を務めるだけあって、限りなく小賢しく、限りなく小狡い人間に出来上がっているようだ。その上、国会議員や大臣とかにペコペコと頭を下げる人間のようにも見える。
ごくごく静かに見て回る天皇と比較して、それ程ではなかったがとすることで問題を小さく見せようとしたのだろうが、お笑い芸人がお笑いを取るための譬えではない。財務大臣という地位にある公人でありながら、手を触れることを禁止している石造に触れ、警報ブザーまで鳴らしているのである。そういった不謹慎なマナー違反行為を天皇の視察態度と比較する。
私自身は天皇主義者でも何でもないが、天皇は憲法で日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴だと一応は規定されている。そのような地位にある人間を引き合いに出して、それとの比較でたいしたことはないように見せかける。中川昭一の博物館で見せた不謹慎さとは別の意味で、中川以上に不謹慎なことではないだろうか。
中川昭一が公人にあるまじき態度で博物館の手を触れてはならない陳列品に手を触れてまわったことに対して、上野景文お追従大使は「美術が好きで触ってみたかったようだ」と庇っているが、真に「美術が好き」なら、公人・私人の関係なしに立場と場所を心得るものである。鑑賞のルールを厳格に弁えるだろう。
見え透いた庇いになるから、合理的な言葉とはならない。陳列品の文化財としての価値・貴重さに思い至っていたなら、その凄さに敬意を表する気持が湧くはずである。
その逆で手で触って回る。公人であることの責任の重大性を考えたなら、一般人の文化財に落書きする行為とさして変わらない。
上野は「周囲が振り回されたり、騒ぎになるようなことはなかった」と言っているが、これも合理的な根拠を欠いた上辺を飾る言葉に過ぎない。
上記「毎日jp」記事が中川らが訪れたのは「財務省職員を伴った中川氏を現地の大使らが案内する形で、一行10人は博物館職員と共に館内を回った。午後4時の閉館時刻を30分ほど過ぎていたため、一般客はいなかった」と伝えている。
館内を案内したのは「博物館職員」(上記「YOMIURI ONLINE」は博物館内を案内したのは「バチカン関係者」だと伝えている。)だということだが、いわば一般客がいないこともあって、案内者は日本の大臣様一行だからと眉を顰める程度で我慢した可能性が救いとなったということもある。
一般客がいたなら、バチカン関係者だとしても博物館職員だとしても、いくら大臣様一行のやることだからと注意しないで済ますわけにはいかなくなる。何も注意しなければ、一般客に対して示しがつかなくなるからだ。
それだけで終わらないかもしれない。見て見ぬ振りに対してマナーを違反した当事者にこそ向けられるべき非難が注意しない案内者にまで累が及ぶ危険が生じることになるだろう。傍についていながら、自分の子供が他人に迷惑のかかるいたずらをしているのに何も注意しない親と同じような非難の的となるに違いない。
また中川にしても、一般客がいないことをいいことに調子に乗って陳列品に手を触れてまわったとということもあるだろう。
自分たちが置かれていたそういったプラスマイナスの状況を考えることもできずに、「周囲が振り回されたり、騒ぎになるようなことはなかった」などと事勿れ一辺倒に終始する。
案内役のバチカン関係者が眉を顰めるだけで我慢していたということは想像がつくし、そうであっても無理のない態度と言えるが、日本側の見学した「10人」の中川を除いた9人までが「周囲が振り回されたり、騒ぎになるようなことはなかった」ことをこそ問題としなければならない。
彼ら9人は大臣のなさることだからと好きにさせ、ニヤニヤとお追従笑いを浮かべてただ眺めていたたから、「周囲が振り回されたり、騒ぎになるようなことはなかった」状況となったのだろう。
逆に「周囲が振り回され」ることになり、「騒ぎ」とするべきだった。だが、相手が大臣だからか、何も注意ができず、好きに任せた。
そうだとしたら、権威主義の力学に支配され、腫れ物に触れるように扱ったことになる。
中川昭一は13日のG7の夕食会を途中退席して、宿泊先ホテル自室で財務省玉木林太郎国際局長や新聞記者男女各2人らと共に懇談会なるものを開いている。そこでジントニックを4~5杯飲んだ。
また14日の午前8時15分~午後1時50分までの予定のG7昼食会をも午後1時00分頃に途中退席し、宿泊先ホテルに戻り昼食を摂り、その後同ホテルのレストランに行き、財務省玉木林太郎国際局長、日本人女性記者、イタリア人通訳など数人で会食している。
そこで中川本人がワインを注文したが、「本当に口をつけた程度」と本人は言っている。
中川昭一は日本の財務大臣という公人の立場で行動していたはずである。G7の夕食会も昼食会も公式行事であり、公人として出席していなければならない。
勿論、公式の行事が終了した後なら、その後私人に戻ろうが死人になろうが本人の責任事項外のことである。
ところが、両方とも途中で退席している。公式の席に公人の立場で参加していながら、そこを途中退席するには、体調を崩している場合を除いて、公人としてより重要な公式の会議や公式の面会等の用事が控えている場合でなければならないはずである。
途中退席は私人として私的な飲食の会合を行うためだった。少なくとも公人として臨まなければならないより重要な公式の会議や公式の面会だとは言えない席に限りなく私人に近い状態で列席していたのである。
このことは公人としての立場放棄、責任放棄に当たらないだろうか。
公式の席を途中退席してまで設けた私的な席に、宿泊先ホテル自室でも宿泊先のレストランでも日本人女性記者を同席させている。
両者の関係が愛人関係にあるのかどうかはどうでもいいことだが、愛人だとしたら、公私混同という新たな問題が発生する。愛人とはなっていなくても、彼女に気に入れられるよう、意を迎えようとの意識から飲食の席に同席させたとしても、やはり公私混同となる。
そういった意味での同席ではなく、公私混同に当たらないとしても、公式の席を途中退席して行事予定にはない、しかも飲食を伴っているゆえに私的と言える会合を持ったこと、バチカンの博物館見学で不謹慎な態度に終始したこと、まだ日本の財務大臣の地位にあったのである、その公人意識の欠如は如何ともし難く、その公人失格性は大臣失格にとどまらず、国会議員の資格喪失にまで及ぶ酷さではなかったのではないだろうか。
公人であることを忘れたカナリアは国会の裏山に捨てなければならない――
2月14日の「7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)」後の2月14日夕方(日本時間15日未明)記者会見で泥酔した醜態を世界に動画発信した我が日本の誇る中川昭一財務大臣を麻生が続投を指示、それを受けて本人は辞任否定、それが予算成立後に辞任だと麻生内閣の一員らしく麻生迷走を見習って態度が定まらなかったが、17日の午後6時になって辞表の提出、結局引責辞任となった。
野党は麻生総理大臣の任命責任を問う。自民党内の一部勢力は執行部の麻生首相を一致結束して今後とも支えていくという申し合わせに反して「麻生首相では選挙が戦えない、新しい総裁を選出すべきだ」といわゆる「麻生降ろし」に公然と動き出した。
「麻生降ろし」に走り出した勢力は先の総裁選で麻生に一票を投じない議員がいたとしても、自民党全体では麻生を総裁に選出し、総理へと向かわせた責任を負うはずである。しかも「選挙の顔」に重点を置いた期待を麻生にかけながら、2008年9月24日の国会での首相指名から僅か5カ月足らずで、「麻生では選挙が戦えない」と「選挙の顔」であることのお役目御免まで願っている。
マンガ好きだとかオタクやアキバの若者に人気があるといった見せ掛けの特異さで上辺の人気を装っていた軽薄・単細胞な政治家を総理・総裁に選んだ自分たちの人間を見る目のなさ・愚昧な洞察力をこそ先ず責め、その愚かさを明らかにして、それを参考教材に新たな総裁選びを行うのでなければ、馬脚をすぐにも現すこととなって同じことの繰返しで終わるだろう。
福田首相が支持率は低迷してはいてもまだ辞任する前から例の如く選挙都合で「福田降ろし」の動揺が始まり、森元首相の「福田康夫首相の無味乾燥な話より、麻生さんのような面白い話が受けるに決まっている。・・・我が党も麻生人気を大いに活用しないといけない。『次は麻生さんに』の気持ちは多いと思う。私も、勿論そう思っている」(毎日jp)といった誘導に一蓮托生を決め込んだ。
勿論自民党議員に関しては麻生任命の責任だけではない。安倍総理・総裁任命責任、福田総理・総裁任命責任も残っている。1年程度の短命内閣で終わる総理・総裁を選んだ。そして今回は総理大臣の態を成さない麻生太郎を選んだ。国民に対する責任もある。
昨年の麻生を選出した総裁戦ではただ単に開かれた党を演出・宣伝するために複数候補を許す状況をつくり出した結果、5人もの総裁立候補者が十把一絡げのように雁首を揃えたが、最初から「麻生」の出来レースだったはずである。よくよく見ると、5人ともドングリの背比べ程度にしか見えない。
選挙用のポスターに誰と一緒に写ったらいいか、「選挙の顔」探しに今から騒いでいるそうだが、「自分の顔」のみで戦えないのは自律していない証拠だとは気づかないらしい。
中川昭一の泥酔・朦朧記者会見も醜態なら、「麻生では戦えない」自民党内の右往左往も醜態であろう。
昨2月19日の衆議院予算委員会で民主党の菅直人代表代行が中川に対する任命責任を麻生に追及した。勿論、日本の麻生太郎は任命責任など認めるはずはない。HP「衆議院インターネット審議中継」の動画から菅直人の麻生に対する最初の追及部分を文字に起こしてみた。
菅直人「(本会議冒頭の麻生の謝罪の言葉に関して)総理がですね、私は本当にですね、どんなふうに中川財務大臣の辞任について言われるのかなあと、耳をそばだてて聞いておりました。
しかし総理の言葉は中川財務大臣が自分の健康管理が不十分であったことから、総理の判断は一切入っておりません。本人が健康管理が不十分で辞任することとなった、申し訳ないと言われた部分は単に予算審議中に担当大臣が交代に至ったことは誠に申し訳ない。一言も自らが任命した大臣であることに対するお詫びの言葉は入っておりません。しかし私が、少なくとも見たり聞いたりしている限りは、麻生総理は中川財務大臣とかなり親しい関係じゃないんですか?
一緒に食事をされたことも、お酒を飲まれたりしたことも、あるんじゃないですか?そして私は中川財務大臣と特に飲んだことはありませんけれども、少なくともこれまでお酒を巡る色んなトラブルが報道されてきたことは私も色んなところで目に致しております。本当に大丈夫かなあという声があったことも聞いております。
それを承知で任命されたのは麻生総理なんです。しかも今も、公明党の委員の方もありましたように、G7の後の記者会見というのは、ある意味、会議そのものは世界から直接見ることはできませんから、G7の後の記者会見こそ、それこそ各国の財務大臣が自分の国の国民に対してだけではなく、世界に向かって我が国はこういう形で経済対策をやるんだと、最も重要な場面じゃないですか。
その最も重要な場面で、少なくとも殆どのメディアがあれは酔っ払った状況じゃなかったのかと、言われるような醜態を曝した。そういう大臣を、私は一切徴候がなかったとは、言えないと思うのですよ。何回もそういう話題の出た人ですから。
麻生さん、国民のみなさんに、私たちじゃなくて(冒頭で出席議員に)「予算審議中に担当大臣の交代という事態に至ったことは誠に申し訳ない」〈「asahi.com」〉と謝罪したことを指すのだろう。)国民のみなさんに自らが任命した中川財務大臣が、こういう醜態を曝して世界の信用を失って、辞めたことに対して、あなた自身の責任を、きちんと語って、お詫びをするならお詫びを、国民のみなさんにしてくださいな」
麻生「過去、中川大臣が時々体調を崩されるということは報道によっては知っておりました。私はこの方と一緒に何回となくお酒を飲んだりしたことがあるかといえば、メシを食べたことは何回もあります。何十回となくあると思います。私の前で酒を飲まれたことは私の記憶ではありません。ないんです。
私の場合は、少なくともそれを事実としておりますんで、近くで見ていても、少なくともこの数年間の間、私と、私と中川さんの間で、そのような酒席という席で彼が酒を口にしたという記憶はありません。そのため財務・金融にも明るく、金融に明るい、という意味で、私は適任であると考えを、考えて、任命をさせていただきました。
最近体調管理というものにも注意しているということを聞いておりましたし、事実私もそう思っておりましたので、問題はないと判断をしておりました。しかしそういうふうになったというのは事実でありまして、閣僚に任命した責任は私にある。そのように考えております」
菅直人「まあ、あの、何回も食事をしたけれども、あるけれども、お酒を飲んだことがないと言われれば、私は、一度も同席したことがありませんから、そのこと自体は否定する根拠はありません。ただ、総理大臣としていろんな情報が入っていたんじゃないですか?つまり、総理大臣はそういった噂は一切聞いていなかったんですか?
総理大臣というのはそういうまさに閣僚や国民に対して、いろんな正確な、適確な情報を把握できていなかった、とすれば、その方がもっとひどいじゃないですか。
ですから、そういう自分の前で酒を飲んでいなかったから、じゃあ、中川さんはお酒を飲まない人なんですか?そんなことはないでしょう。ですから、そういう言い逃れをしてですね、国民にまともにお詫びをされようとしないのは、おかしいんじゃないですか?
つまりはそういう問題がある人であったけれども、まあ、それは大丈夫と思って、任命したけれども、結果としてこういうことになったのは私自身としてもちゃんとした注意をしなかった、あるまでは何もできなかった、ことの責任があるんだということをはっきりと言われるべきじゃないですか。
私の前では酒を飲んだことがないから、それで大丈夫だと思ったんだとしたら、情報を把握できない総理という、意味で、私は総理の資格はないと思いますが、如何ですか?」
麻生「あの人の噂というものを基にして、やるのも如何なものかと、言う点も我々としても考えておかなければならないところであります。人の噂、週刊誌の噂だけで、その人の判断やるというのも、極めて間違った情報をするということもあります。
従って、お酒を飲まれた上での話というのは色々な方とは噂を聞きましたが、閣僚になられて、そういったことをきちんと自分の身を律するか、律しないかということは、かかって本人の問題だと存じます。従って、閣僚になったときに、色々お互いに話をさせていただく機会もありましたし、そのときにメシを食ったこともあります。にでも(?)、召し上がりませんでしたので、最初から、最初のうちなんだと思います。この種の話は最初のうちに申し上げておくべきだと思いましたんで、きちんと最初の段階で、酒の話というのは、これ酒は飲まないからいいけれども、注意しなければだめよと言ったら、本人も十分に自覚をしておられましたので、私共としては先ほど申し上げましたような経緯で、任命させていただいた、というのが私の背景であります。
情報収集と言うんであれば、知らなかったと言えば、少なくとも色々な噂は知っておりました。それが情報というんであれば、その種の情報としては、噂同様に把握しておったというのは事実です」
菅直人「今総理は早い段階で、つまりですね、閣僚になられた早い段階ですね。その中川さんの、お酒について注意したと言われましたね。言われましたね。どうぞ、今、言われましたでしょ?」
麻生「その通りに先程答弁申し上げたとおりです」
菅直人「ということは、まあ、噂であったか何であったかは別として、そして心配して注意された。それでよかったと思いますよ。結果としてその注意にきちんとした対応ができなかった。総理の注意できちんと対応できなかった。そういうことじゃないですか。
だから、総理として自分がそういう注意をして大丈夫だと思ったけども、こういう事態になったことはやはり任命責任権者として、そういう選択をしたことについて、自らの責任があるんだろうと、ちゃんと言ってくださいよ。他人事(ひとごと)のようなことを言わないで、自分の口で国民のみなさんに言ってください」
麻生「先程申し上げたとおりだと思いますが、少なくとも、今回の場合、勿論、疲労もあったでしょう。風邪を引いておられたのに、この前の一連の本会議の答弁を見られても、もう、鼻水状態でしたので、よく分かっているところだと思っております。
加えて、抗ヒスタミン剤を飲めば、いわゆる少量のアルコールであっても、非常に大きく反応が出るということも、これは言われている通りで、そういった意味に於きましては、本人のクスリに拠ります部分というのは非常に大きかったんで、酒がすべてだと言われれば、私はそれは少し違っているんであって、クスリというものと酒、が少量であっても、反応するというところがご本人の判断というものが大きく違っていたところだと思っています。
ただ先程、任命責任というんであれば、早めに注意したというのは、事実でありますから、その意味に於いて、その注意が会が終わった後のことでもあり、気が緩んだこともあったんだと思いますが、結果として色んな意味で、みんなの前で、ああいうような状態になったということに関しては、彼は非常に責任を重く感じ、結果として、その後の体調が芳しくないと判断をされましたんで、私は名誉挽回の機会というものもきちんと与えたらよろしいんじゃないかと、思ったことも事実です。
しかし、本人の気力、そういった体調に合わせて気力というものも関係しますんで、そういった意味ではご本人が最終的に、とてもという判断をされたのに合わせて、辞任を受理したというのが経緯であります」
菅直人「中川財務大臣が帰国をして、2月16日に先ず総理に会って、陳謝したと報道にあります。それに対して総理は、じゃあ、職務に専念して頑張れ、と、激励されたと報道に出ています。16日の夕方です。
そして17日の朝、色々ありますけれども、衆議院、参議院それぞれ委員会が立って、財務大臣の出席が少なくとも求められていたのに、ええー、まあ、お医者さんに行かれたのだから、そのいい悪いは言いません。少なくともその出席をしないで、医者に行かれて、そして昼、この予算委員会の集中審議が始まる、僅か30分前に、記者会見をされて、衆議院での予算が通過したら、身をお出しします。
私、そのときにですね、あー・安倍総理のことを思い出しました。会議のわずか10分前にですね、やーめたと、代表質問をする受け答えをやーめたと。集中審議を今から始めますという僅か30分前に、一方的に記者会見をして、やあ、予算が通過したら、関連法案が通過したら、辞表を出します。そんな人を相手にどうやって議論できるんですか?
と言って、私たちはそんなことおかしんじゃないの、即座に辞めるべきだと、言って問責が参議院から出たら、夕方に今度は、即座に辞めます。その間に総理は前の日は夕方に慰留し、そして本日昼、昼前の少なくとも報道によれば、官邸に予算が通過したら、辞表を出しますということを言ったと。言ったということは、それでいいということを言われたんでしょ、総理?
しかし夕方になったらまたですね、やっぱりダメだから、辞めます。そういうことに対して総理は、二転三転する本人の、その態度の変更に結局何も主導性を発揮しない。判断がぶれまくっているんじゃないですか。
少なくとも前の日は大丈夫だと、あの画像見ても映像見ても大丈夫だと。まさに挽回のチャンスを与えようと。
それが翌日の昼間になったら、また変って、暫くしたら辞めるのも仕方がない、言うのを即座に辞めるのも仕方がない。そのように判断がぶれまくるから、国民の信頼を得られないんですよ、如何ですか?」
麻生「中川大臣から三度に亘って、これは報道、説明を受けたと存じます。先ず16日の夜、面接をしております。官邸、官房長官も同席していたと記憶しております。ええと、G7の成果を、報道と併せて、記者会見の状況、等々の報道を受けております。
そのとき中川大臣から、体調、万全にしてこそ二次補正関連予算案と21年度予算の成立に全力を尽くしたいという決意が述べられております。
そこで私から、健康管理というものは、これはしっかりしなきゃあだめだと、身は注意をすると同時に体調万全にして、着実に仕事の成果を出して貰いたいと話をしました。17日の朝ですよ、これは。
昼前、昼間にて、これも官房長官も同席したと思いますが、病院の検査の結果、風邪や疲労などで体調が思わしくなく、予算や関連法案の通過だけは全力を尽くして、その後に辞任するという報告がありました。私は本人の厳しい決断でもあり、辞めるという意味はそれなりに尊重すべきもんだと、そのとき思いました。
夜、面談。これは官邸で。これも官房長官が同席しております。極めて体調が思わしくなく、その後も具合が悪いので、国会審議への影響も考慮し、本日辞任させていただきたい、との報告がありました。熟慮した上での判断だと思いましたので、大変厳しい判断を政治家としてされたんだと、思いますんで、その意志を尊重させていただいたということであります」
菅直人「まさに総理がそういうことを、総理が、前以て、もうここまで来たなら、無理じゃないのと、言うんじゃなくて、まだ大丈夫でしょう、じゃあ、次は予算の通貨まで、じゃあそれもいいでしょう。最後は、じゃあ、即座に辞める。判断がぶれまくってるんじゃないですか。少なくとも人間検査ですよ、
つまりは本人が言ったら、それでいいといったら、人間検査ということの責任はないということじゃないですか。本人が例えどう言おうと、ここはもう無理は無理、大丈夫なら、それでも応える。そういうものはたった24時間の間に、今お聞きしたらですね、16日の夜から17日の夜までの間に、最初は頑張れ。次は予算が通過したら、辞めるのも仕方がない。次は即座に辞める。こういうのが判断がぶれていると言うのです」
菅直人はここで麻生に対する追及を一旦中断して、中川昭一辞任の後を受けて財務・金融担当相を兼任することとなった与謝野馨経済財政担当相に質問を移す。
麻生の答弁は全編、これ軽薄な欺瞞に満ちた言葉の羅列となっている。
その証明とする麻生の悪口は次ページで
麻生の中川任命責任だけではなく、自民党の麻生総理・総裁任命責任も問わなければならない(2)に続く
先ず最初に断言するが、中川昭一は記者会見の場でクスリによる朦朧状態ではなく、アルコールが原因した朦朧状態にあった。例えクスリとアルコールを同時に飲んだとしても、それが中川が言う「嗜む」程度の少量のアルコールなら、ああまで朦朧とした状態にはならないからだ。
もしクスリが主原因でああなったとしたら、相当に大量に服用したことになる。いくら身体の調子が悪くても、クスリを飲む量の程度は弁えるだろうし、出席しないわけには行かない大事な記者会見だということなら、いくら外国の地と言えども、近くの医院か病院で点滴を打って貰った方が効き目は確実であろう。
しかし出席の態を成さなかった。
麻生は「加えて、抗ヒスタミン剤を飲めば、いわゆる少量のアルコールであっても、非常に大きく反応が出るということも、これは言われている通りで、そういった意味に於きましては、本人のクスリに拠ります部分というのは非常に大きかったんで、酒がすべてだと言われれば、私はそれは少し違っているんであって、クスリというものと酒、が少量であっても、反応するというところがご本人の判断というものが大きく違っていたところだと思っています」と庇っているが、世界中に発信されたあの画面上の中川からは眠気や欠伸、あるいは朦朧とする意識に対して苦労して抵抗しようとする気配は感じられなかった。
世界に発信される大事な席である。閉じてくる瞼を開けようとする努力、眠気を追い払おうとする努力、朦朧としてくる意識を覚醒させようとする努力――そういった必死の努力の跡を何ら窺うことはできなかった。責任ある経済大国の財務大臣という資格であの場に臨んでいたのではなく、ただの木偶の坊として坐っていたに過ぎなかった。
例えクスリであろうとアルコールであろうと、飲み過ぎたな、失敗したなという自身の取り扱いを後悔し、その思いが大事な席である程、尾を引いて顔に貼り付くものだが、それすらなかった。
後悔の念が少しでも働いていたなら、クスリであろうとアルコールであろうとその影響を少しは覚ますものだが、そんな様子もなかった。
逆に緊張感も何もなく、受け答えも顔の表情も何かも弛緩した状態にあった。その原因がクスリであろうとアルコールであろうと、大量に服用しなければ出てこない症状のはずだが、アルコールの量を弁えないのは考えやすいが、ああまでしどろもどろとなるくらいのクスリの服用というのは考えられない。そこに多少のアルコールが影響したとしてもである。
毎晩のようにホテルのバーで飲酒すると言う麻生が、「私はこの方と一緒に何回となくお酒を飲んだりしたことがあるかといえば、メシを食べたことは何回もあります。何十回となくあると思います。私の前で酒を飲まれたことは私の記憶ではありません。ないんです。」と断言しているが、その「何十回」とも麻生自身はアルコールを摂らずに食事だけをしたのだろうか。
麻生もアルコールを摂らない、中川もアルコールを飲まないということなら理解できるが、両方ともアルコールに親しむ習慣のある人間なら、一方だけが飲んで食事を摂っているのに、片方は飲まないまま食事をするというのは不自然で考え難い。一杯ぐらいはいいじゃないかとなる。
菅直人代表代行はその点を突くべきだった。
菅直人が暗に中川昭一の飲酒に関わる、と言うよりも酒癖に関わると言った方が正確だろう、情報を把握していたはずだ、面と向かって口では飲まないと言ったからといって、それを信用したのでは「情報を把握できない総理という、意味で、私は総理の資格はないと思いますが、如何ですか?」との追及に対して、「人の噂、週刊誌の噂だけで、その人の判断やるというのも、極めて間違った情報をするということもあります」と逃げているが、誰も「人の噂、週刊誌の噂だけで、その人の判断や」れとは言っていない。
もしやったとしたら、情報の鵜呑みを犯すことになる。どのような情報であろうと、自分なりの客観的認識能力に応じて解読し、そこから自分なりの意味を抽出して、初めて自分の情報となる。
いわばこのプロセスを持たないままに麻生は情報と相対していることになる。このことだけを以てしても一国の政治を行う総理大臣の資格はない。
例え人を疑うことが少ない素朴な人間であっても、人を使う立場に立てば、噂の真偽を周囲に聞くのが自然な態度であろう。海千山千の麻生が中川の飲酒癖、酒に纏わる悪い噂を確認していなかったということはないだろう。
さらに麻生は上記言葉に続けて、「閣僚になられて、そういったことをきちんと自分の身を律するか、律しないかということは、かかって本人の問題だと存じます」と言っているが、確かに「本人の問題」だとしても、その前提として、律する能力を保持しているかどうかの判断は任命権者の重要であると同時に第一歩の責任事項であろう。
その判断を働かせないままに採用して、律することができませんでした、「かかって本人の問題だと存じます」では無責任というだけではなく、無用心に過ぎる。人を使う資格はない総理大臣と言うことになる。だから、リーダシップを発揮できないのだろう。
麻生は既に触れたように「私の前で酒を飲まれたことは私の記憶ではありません。ないんです。」と言っておきながら、酒の点で中川に閣僚任命後の早い段階で注意したと平気で矛盾したことを言っている。
「この種の話は最初のうちに申し上げておくべきだと思いましたんで、きちんと最初の段階で、酒の話というのは、これ酒は飲まないからいいけれども、注意しなければだめよと言ったら、本人も十分に自覚をしておられましたので、私共としては先ほど申し上げましたような経緯で、任命させていただいた、というのが私の背景であります」
矛盾をカモフラージュするためにだろう、「これ酒は飲まないからいいけれども」と言っているが、屋上屋ならぬ矛盾の上に矛盾を重ねる弄舌(ろうぜつ)の類であろう。酒は飲まなければ、酒の注意は無用でしかない。麻生はウソつきの名人らしい。
麻生は記者会見での中川昭一の醜態を酒がすべてではない、クスリに酒が多少反応した程度のことだといったことを言っている。その程度の朦朧状態ではないことは誰の目にも明らかだが、いわばクスリとほんの少しのアルコールに災いされたに過ぎないことだし、「7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)」終了後の気の緩みもあったろうからと、醜態は情状酌量に処し、「私は名誉挽回の機会というものもきちんと与えたらよろしいんじゃないかと、思ったことも事実です」と責任を問わずに続投を命じた。
ここで麻生はクスリとアルコール以外に「気の緩み」という要素を醜態原因に潜りこませたが、2月16日の「ロイター」記事≪G7で日本の立場を主張、会議の目的を達した=中川財務・金融相≫が、<[東京16日ロイター] 中川昭一財務相兼金融担当相は16日午後の衆院財務金融委員会で、14日に行われた7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)終了後の記者会見において記者とのやりとりがちぐはぐだった原因を問われ、「風邪薬を普段よりも多めに飲んだ」と説明。その上で、G7会合では「日本の立場をきちんと主張し、各国と意見交換をした。会議の目的は十分に達した」と語った。中川正春委員(民主)の質問に答えた。>と伝えているように、確かに「日本の立場をきちんと主張」して「会議の目的を達した」なら、ほっと気の緩むこともあったろう。
だが、日本の財務大臣という地位にある大物政治家である。私自身は少しも大物とは思ってはいないが、気が緩んだとしても、緩みっぱなしということはなく、逆に「日本の立場をきちんと主張」して「会議の目的を達した」満足感・達成感が気の緩みに代わって時間の経過と共に満ちてきて、記者会見に臨み、テレビカメラを通して自分の姿言葉が世界に発信される誇らしさに昂然とした気持さえ湧いてくるものではないだろうか。
一国の財務大臣として世界中が注目する「7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)」という晴れ舞台に臨んだだけでも一つの大きな成果なのだから。そう中川財務大臣にしたら、晴れ舞台であったはずである。
当然、記者会見場では誇らかな自尊心と共にその満足感・達成感に満ちた質問に対する返答、態度があって然るべきだろう。例え前祝にゴックンしない程度に一杯飲んでいたとしても。
勿論、したたかに飲んだことの満足感・達成感ではない。しかし酔っ払いの満足感・達成感以外に見ることはできなかった。自分に与えられている役割と責任の片鱗すら窺い知ることができなかった。
日本の財務大臣という地位に付属する期待されている役割と責任に添って懸命に心掛けた行動を行った上での至らぬ点というなら、「名誉挽回の機会をきちんと与え」る温情も必要かもしれない。だが、公の場にありながら、常に身に纏っているべき役割と責任を脱ぎ捨ててしまっていた醜態であって、そのことだけでも無責任というだけではなく、資格喪失の謗りを免れることはできないのだから、「名誉挽回の機会」を与えられる条件さえ失っていたのである。資格喪失者に「名誉挽回の機会」とは倒錯的に過ぎる。
それとも麻生にはあの記者会見の場で中川が自らの役割と責任を少しでも果たそうとしていた努力を窺うことができるとでも言うのだろうか。
ここになるとクスリだ、アルコールだといった問題は小さくなる。原因が問題ではなく、役割を最後の最後まで果たしたか、責任を最後まで果たしたかが問題となる。
しかも「先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)」という世界的会議に出席し、議論を重ねた後の記者会見であるのだから、その役割と責任は日本という一国のみに範囲が及ぶものではなく、日本を代表しながら、世界と広く関わっていたのである。麻生には中川が世界とコミットしていたように見えたというのだろうか。中川は飲酒という自分の世界とのみ関わっていたのである。
麻生は「機会」を与えられたとしても「名誉挽回」の効かない人間に愚かにも「名誉挽回の機会」を「きちんと与え」ようとしたに過ぎない。あの醜態が何よりもそのことを証明している。「名誉挽回」が効くかどうかも判断できなかった。判断するだけの情報分析も満足にできなかった。
だから、事態収拾に後手後手に回ることになったのだが、危機管理能力という点からも一国の総理大臣の資格はない。危機管理無能力によって日本の政治家の恥を世界に曝すこととなった。
森元首相が<16日、TBSの情報番組に出演し、麻生太郎首相の下での衆院解散・総選挙について「やむを得ない。自分たちで(総裁に麻生氏を)選んだのだから、飛び降りたり、逃げたりするのはひきょうだ」と述べた。>(≪元首相:麻生首相で解散、「やむを得ない」≫と「毎日jp」(2009年2月17日)が伝えているが、党として麻生任命の責任を取るということではなく、自分が率先して麻生を担ぎ、麻生支持に走った手前、自分から「飛び降りたり、逃げたりする」ができないから、破れかぶれの一蓮托生を狙っただけの麻生への心中立てなのだろう。
麻生や森が乗った沈みかかった泥舟から早いとこ逃げるのが懸命である。
自民党の大島理森国対委員長「明確に麻生内閣で選挙をする決意なので、うろうろ考えないでいただきたい」(同「毎日jp」/16日公明党衆院議員パーティー)
大島は森、麻生と同じ穴のムジナだから、当然の反応。
笹川尭総務会長「エースを出したので控えはいない。支えている我々が悪い」(同「毎日jp」)
三流投手(党首?)をエースに仕立てたに過ぎないが、何、似た者同士だから、心配は要らない。
人は言葉によって人間を量る
「言葉は人間を映す鏡」と言うが、そうであるなら、言葉によって人間を量ることができるわけである。
09年2月12日のNHK「ニュース7」――麻生首相が10日夕方の首相官邸ぶら下がり記者会見で前回の総選挙の争点は郵政民営化の是非で、殆どの国民は民営化の内容を知らなかったと発言したことに関係して党内から批判が相次いでいることを引き続いて取り上げている。先ずは自民党菅義偉選対副委員長の新潟市の講演での発言を再度取り上げたもの。
「総理の発言というのは極めて重いと思っています。国民のみなさんに誤解を与えるように、あるいは党内に於いて、無用な軋轢を生むような発言と言うものは、やはり慎まなければならない。戦うべきは、みなさん、民主党なんですよ。党内で軋轢があっては、これ、戦いになりませんから――」・・・・・・
言っていることを解くとすると、「総理の発言というのは極めて重い」。ところが「総理の発言」は「国民のみなさんに誤解を与えるように、あるいは党内に於いて、無用な軋轢を生むような発言」となっている。いわば「総理の発言というのは極めて重い」ものであるにも関わらず、「重」くはなっていない、軽い発言となっている。
そしてその影響が「戦うべきは、みなさん、民主党なんですよ。党内で軋轢があっては、これ、戦いになりませんから――」と、近く予想される総選挙で民主党に有利に働き、自党に不利に働くことを懸念している。選対副委員長という立場上の利害得失勘定からしたら当然の恐れ、あるいは懸念であり、立場に忠実な発言とはなっている。
だが、首相の言葉の軽重が問題となっているのであり、自らも問題としている。当然、選対副委員長が自民党内の単なる役目の一つに過ぎないことから考えると、その役目に忠実であることを脇に置いて、言葉が示している首相としての適格性の有無及びそのような首相を選択した責任の有無――自身にも関係していることだから――目を向けていいはずだが、選挙への影響を結論に持ってきている。いわば総理の言葉を選挙への影響を心配する文脈のみで扱っている。
このことはどちらを本質的な問題だと考えているかというと、菅義偉にとっては総理の言葉の軽重が本質的な問題ではなく、選挙を本質的な問題だと把えていることを示している。
こういった姿勢を国民との関わりから言うと、菅義偉は国民に直接顔を向けているのではなく、自由民主党――いわば内輪にのみ顔を向けていることを示していると言える。国民に顔を向けるのは選挙という利害損得を通してのみとなっているということだが、自民党が参議院ねじれ国会が生じるまでの衆参の議席で有利な状況にあったときは「傲慢」と言われる国会運営を押し通すことができたのも、顔を国民に向けていたのではなく、内輪に向けていたからだろう。そしてそのような状況を国民は許してきた。
尤も国民の生活を自らの政治の利害とするのではなく、選挙の当落、あるいは政権維持を利害損得の基準とする姿勢は菅義偉だけではなく、与野党国会議員を含めて多くの政治家がそうなっている。
次に細田幹事長。
(麻生が4分社化の経営形態の見直しが必要だとの考えを示したことについて)「国会での答弁で、うーん、んー、非常に分かりにくい、いー、内容であった、ことは事実ですね。色んな説明の中でですね、ん、何か誤解を、生じてしまっている、ということですね」――
麻生ベッタリの細田としたら、菅義偉みたいに「総理の発言というのは極めて重い」などと言って、間接的にそうなってはいないことをあからさまに示唆できないから、他人事ふうな距離を置いた物言いとなったのだろう。
但し「何か誤解を、生じてしまっている」の「何か」ははっきりしないことを示す「何か(=何となく)」であって、麻生が言っていたことに左程間違いはないにも関わらず、影響の点でそれ程でもない「誤解が生じている」という意味の言い方であろう。
だから他人事ふうに「ということですね」と言える。
この他人事ふうは自分たちが選んだ首相であり、その首相を戦う顔とした選挙に負けたなら困るから、自分たち事から離してそっとしておこうという選挙を利害得失の最優先事項とさせた距離感の演出であろう。
唯一の例外は、我らの麻生太郎のみである。2月16日夜の首相官邸でのぶら下がり記者会見で支持率についての質問を受けて次のように答えている。
--内閣支持率が下げ止まらない。日本テレビの世論調査ではが9.7%と麻生内閣で初めてひとケタ台となった。改めて受け止めを。経済対策だけでは挽回が難しいという声もあるが、どのように挽回(ばんかい)していく考えか
「支持率につきましてはこれまでも、ずっと同じ事をお答えしてると思いますんで繰り返すようで恐縮ですけども、支持率については自分の不徳の致すところだと思っていますんで、それに関しましては今後とも経済対策。私、今、世の中ってのは景気、これが国民の最大の私は関心事だと思ってますから、この景気対策、これに全力をあげるそれしかないと思っています。それが支持率回復に結びつくか結びつかないのか、それは私の支持率というのは、どういったもので、どういうもので決まるのか知りませんけれども、少なくとも今、与えられてる仕事というのは景気対策だと、景気回復が私に与えられている一番の仕事だと思ってますから、それに専心していきたいと思っています」(以上「msn産経」)
かくかように選挙を利害得失の最優先事項とはしていない。選挙が戦えるか戦えないかなどといったことは問題にしていない。経済対策・景気対策を唯一最大の利害得失の最優先事項としている。だが、惜しむらくは世論が麻生首相の経済対策は期待しないといった調査結果を出している。これは国民の「誤解」なのだろうか。
菅義偉も「国民のみなさんに誤解を与える」と言い、細田幹事長の場合も麻生の言葉の影響を「誤解」としているが、「誤解」とすること自体が正しい把え方なのかどうかの自己検証を欠いている。
そもそも「誤解」という言葉は『大辞林』(三省堂)にも書いてあることだが、事実や言葉などを誤って理解することを言う。その原因が話し手側の説明不足にある場合もあるが、多くは説明の受け手側の理解不足や勝手な解釈によって起こる“過ち”であって、説明不足である場合を除いて、話し手側に非があるわけではない。
もし説明の話し手側に非があるにも関わらず、それを無視して本来は非のない説明の受け手側に非がある“誤解”だとした場合、責任回避を経た責任転嫁と化す。
いわば自分の非を棚に挙げて、その非を責める周囲の人間の方にこそ非がある「誤解」だとすり替える自身には責任回避となる、他者への責任転嫁である。
細田幹事長が言っている「誤解」は、「国会での答弁は非常に分かりにくい内容であったことは事実だが、色んな説明の中で何か誤解が生じてしまっている」、それが「何か」=「何となく」なのだから、その「誤解」はたいしたことではないものの、話し手の説明不足よりも、話の受け手側の理解不足、あるいは誤った解釈による「誤解」、話し手側=麻生に非のない前者の「誤解」に重点を置いたものとなっていると言える。
立場上当然の解釈だとも言えるが、実際は非の所在が逆であるにも関わらず、後者の「誤解」だとしたら、責任回避及び責任転嫁を犯していることになる。
どちらなのか、さらに細田幹事長の発言を見てみる。
(郵政民営化の進め方について)「合理化によって、えー、そこの利益が上がっておりますのでね、地方に於いて大問題が発生しているかどうかってことをですね、え、もっと検証して、私としては、微調整、え、ではないかと――」
アナウンサーの解説では、分社化の形態維持を前提にサービス面の改善を進めていくべきだと言う考えを示したとのことだが、「地方に於いて大問題が発生しているかどうかってことをですね、え、もっと検証して」と「大問題」を前提とした「検証」の必要性を言いながら、「検証」を省いて「私としては、微調整」でいいと矛盾した結論となっている。いわば「検証」の必要性を言いながら、「大問題」は発生していないとしている。
「問題が発生しているかどうか」ではなく、「大問題が」と「大」をつけてまで検証の必要性を何のために言ったのか意味不明となる。
麻生腰巾着として麻生の肩を持ちたいが、持った場合の騒ぎの拡大は困る、さりとてまったく肩を持たないわけにはいかないから、「微調整」程度の肩を持つだけで我慢して、騒ぎを収束させ党内の麻生批判を穏便に収めたいという意識が働いた苦し紛れの釈明といったところなのだろう。
意味不明と言い、苦し紛れの釈明と言い、細田幹事長の言葉から人間を量るとしたら、麻生支持に汲々としている姿しか浮かばない。大人物を擁護するなら、もっと堂々としていられるが、小人物が小人物を擁護する図となってるから、どうしても苦し紛れのケチ臭い弁解となる。
麻生支持に汲々としている間は話の受け手側に解釈や理解の非がある「誤解」ではなく、話し手の麻生に非のある“誤解”だと客観的に冷静に判断する力は備わることはあるまい。いわばこじつけの麻生正当化の意識が強く働くこととなって、その反動として責任回避及び責任転嫁に属する“誤解”に走りやすい傾向を抱えることになる。
細田幹事長が公明党の会合で、「この定額給付金、具体的な議論についても大変いいご提案をいただき、皆さん本当に楽しみにしておられるんです。日本中そうなんです」(「FNNニュース」/ 09/01/09 18:53)と述べたということだが、「日本中そうなんです」どころか、70~80%の国民が景気対策として有効ではないと回答している事実を無視できる理解無能力は強く働いているこじつけでしかない麻生正当化の意識に相互対応した客観性の欠如という他ないであろう。
もう一例挙げるとしたら、麻生太郎と小沢一郎との初の党首討論(09年2月28日)を細田幹事長は評して、「麻生太郎首相に軍配が上がった。圧勝だった」(「FNNニュース」)と記者団に誇らしげに語ったというが、党首討論の直後の29、30の両日に実施した産経新聞とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査では麻生内閣はさらに支持率を下げ、「首相にふさわしい」も小沢一郎に軍配が上がった(「msn産経」/2008.12.1 12:01)「圧勝」だったのだから、客観的判断能力を欠くことで相互的に成り立たせている麻生正当化のこじつけが如何に強いか分かろうと言うものである。
当然細田の「誤解」も麻生正当化のこじつけと同じ線上にある同類と看做さなければならない。
NHKニュースは次に12日夕方に会合を開いた小泉を筆頭とした郵政民営化を進めた主だった者たちの話題に移る。他の新聞・テレビによると、小泉元首相は自身による冒頭の挨拶の5分だかの間だけテレビカメラが入って撮影するのを許し、その前で独演したという。意図的な情報露出と言うわけである。
小泉「総理の、発言について、怒(おこ)ると言うよりも、笑っちゃうくらい。もう、ただ、ただ、呆れているところなのです。後ろから鉄砲撃つな、という押さえ込みがかかるけどね、最近の状況はね、総理が前からね、これから戦おうという人たちにね、鉄砲撃ってるんじゃないかってね。もう発言を気をつけて欲しい。強く言っておきました。政治にいちばーん、信頼度。特に総理が、総理の発言が信頼がなけりゃあ、もう選挙は戦えないんですよ――」・・・・・
ここでも麻生発言は選挙へと収束する。「総理の発言が信頼がなけりゃあ、もう選挙は戦えないんですよ」と言っていることが何よりの証明だが、裏返すと、自民党の誰もが「総理の発言」を選挙用と位置づけていることを示している。
総理・総裁が陣頭指揮に立って総選挙という戦場に向けた戦いを展開している最中にその総理・総裁を後ろから鉄砲を撃つような真似をして足を引っ張ったりしたら、「後ろから鉄砲撃つな、という押さえ込みがかかる」が、そうではなく、いざ鉄砲を担いで総選挙という戦場に向かいつつある自民党各議員を総理・総裁が援護射撃するどころか、逆に前へ進むなとばかりに正面から鉄砲を撃って戦意を殺ぎ、負け戦になりかねない不利な戦いとしている。そういった首相の発言となっていると批判している。
小泉元首相のこの批判は言葉の内容によって左右される総理の「信頼」こそが選挙を戦う担保となるということの示唆でもあろう。
このことを逆説するなら、各議員が総理の「言葉」に影響を受ける相対的存在であり、その言葉の前には自身の言葉は無力で、自分の言葉でのみ存在する絶対的存在とはなっていないということになる。
つまり“自分は自分だ”がなく、金魚のクソのように首相の後に引っ付いて選挙を戦う自律していない存在だということではないのか
所詮国会議員も如何にも何様ふうに「センセイ」を名乗っていようとも、選挙を利害損得の最優先基準とした生きものでしかないということなのだろう。
国民は選挙に関わる利害損得を充足させる要素として必要不可欠のときのみ必要とされる。
≪NHKニュースその他から麻生や他閣僚の言葉を観る(2)≫に続く
NHKニュースは次いで小泉元首相の麻生批判を受けた各派閥の会合を伝えた。
古賀誠選対委員長「緊迫した国会の連続ですから、申すまでもないことでございますが、与党に不協和音が出ると、これが一番困るわけですよ」――
仲のいい夫婦だって、ときにはケンカをする。まともに政策を争って生じた不協和音ならまだしも、選挙の足が引っ張られることだけを心配した程度の低い不協和音だという認識がないまま、古賀誠は「誠」という名にふさわしい表面的な解釈に終始している。
古手の議員でありながら、表面的な解釈を事とする。以前の言葉と併せ考えると、世渡り上手で古手、派閥のボスにのし上がった政治家像を言葉から量ることができる。
山崎拓「来るべき、あの、決戦を控えている、うー、うー、うー、我々の、うー、うー、身をも十分、お考えいただいて、雄弁は、あー、銀ではございますが、銀に過ぎませんで、沈黙は金と言うこともありますから――」
山崎拓にこそ必要な「沈黙は金」のようにも見える発言となっている。「我々の身」よりも「国民の身」を考えるべきだが、「我々の身」のみの利害損得としている。首相は政策遂行責任者として、説明責任、情報公開責任を負うがゆえに(勿論結果責任も)、国民に対して雄弁でなければならない。と言ってもただ喋ればいいというわけではなく、明確に理解できる簡潔な言葉が求められるが、そのような立場にある首相に対して「沈黙は金」と口を閉ざすことを強いて、ただ選挙に勝ちたいばっかりに説明責任と情報公開責任から勝手に解き放とうとしている。
体重は重そうだが、言葉は重くも何ともない人間を観ることができるではないか。
伊吹文明「玄人にはまったく、あの、ぶれていない、発言として、理解ができますが、やはり、一般の方々にはね、あれだけの説明を、やはり、加えても、総理のことが分かっている人でないと、なかなか理解ができないんですよ――」
国民に対して常に説明をする責任を負う立場にあるのだから、「一般の方々に」理解できる言葉を持っていることが不可欠の資質となるはずだが、そのことに反する「総理のことが分かっている人でないと、なかなか理解ができない」という言語能力(=説明能力・情報能力)とは何を意味するのだろうか。
答は唯一つ、己の党内立身出世のために自身の主義主張よりも妥協を優先させてきたから、いざ自身の主義主張を前面に出すと、説明あるいは情報に破綻が生じることとなった醜態に過ぎない。
麻生太郎に限ったことではないが、政治家の主義主張は国民全般の利害損得に合わせるべきものだが(特定の一部ではない)、多くの政治家が実質的には党内という狭い世界で党内力学の利害損得で成り立たせた利害損得が基準の主義主張となっているから、国民と顔を向き合わせたときの主義主張にしても自身や党の利害損得を基準とし、それを巧妙に隠したものとなる。
伊吹の発言に戻るが、言っていることが全体的な政治光景としても事実その通りだとしたなら、麻生政治は「一般の方々」を排除した玄人限定の内々の政治ということになる。
「大和民族がずっと日本の国を統治してきたのは歴史的に間違いのない事実。極めて同質的な国」だと頭から信じ込んでいる日本民族優越意識に染まった伊吹だから、優越日本民族の中でも「玄人」なる一段上の優越者限定の政治にしたいのだろうが、憲法は第14条で「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」(「法の下の平等」)を謳い、一定の年齢を満たすこと以外の制限を受けない普通選挙が認められている民主国家である。
そのことへの客観的な視点を欠いた「玄人」云々であり、「一般の方々には理解できない」といった解釈なのだろう。
国民に背を向けて帝国ホテルといった高級ホテルのレストランで高級な料理に舌鼓し、バーに移って、高級ブランデーで喉を潤すことを習慣としている高級志向人間の麻生なのだから、一般国民のごく普通の感覚に馴染みがないのも無理はない、伊吹の言う“玄人政治”ということかもしれない。
だが、伊吹の客観的視点の欠如は東京大学に次ぐ(?)京都大学という最高学府で学んだ知性に逆説する位置関係を持つことになるが、どう説明したなら、その逆説を説くことができるのだろうか。学歴自体を権威主義で把えていて、権威主義のみを学んだとしたなら、自身の学歴に権威主義的な優越性を置いていることだろうから、「一般の方々には理解できない」「玄人」政治といった特権性を持たせた権威主義的な考え方が成り立つのかもしれない。
NHKニュースはこれでもかと自民党若手の声を伝える。
山本一太「説明すれば説明するほど、ぶれてしまうと、いう、ちょっと悪循環に陥っているので、あんまり余分なことをおっしゃる必要はないと思うんですね――」
一国の総理大臣が自分よりも年下の一議員に「あんまり余分なことをおっしゃる必要はないと思うんですね」と発言を注意される。どこの国の政治世界にもあることなのだろうか。
このことは総理大臣として一個の存在足り得ていないということを示していないだろうか。自律した存在となり得ていないから、周囲からの干渉を受ける。
一個の存在足り得ていない、あるいは自律した存在となり得ていないという状況とは主体性の発揮が困難な状況を言い、当然のこととしてリーダーシップの欠如を響き合わせることとなる。リーダーシップがなければ、呼応して求心力を失う。
このことがそっくり世論調査に現れることとなっている。
中山泰男衆議員「そういったことがあるたんびに若手が、こういった、あー、下らんことに巻き込まれてしまう、ということはやはり、いけないと思いますが――」
若手の立場からの利害損得を言っている。
伊藤達也元金融相「総理が今おっしゃるべきことは郵政民営化の中身を見直すということよりも、景気をちゃんと立て直すということだから――」
ご教授いただいちゃった。
塩崎元官房長官「総理、の発言ていうのは、大体重たい、もんであります。あの、ぶれているとね。・・・・・原点に立ち返って、もう、ぶれないというふうにしていただくほうがいいんじゃないですか――」
元官房長官なのに、たいしたこと言えないなあ。
若手であろうとなかろうと、総裁選挙で麻生に例え1票を投じなくても、自民党としては麻生を総裁に選び、総理大臣に仕向けた。誰もが党全体の責任に向けた視点を欠いているのは、欠いていなかったなら、所属国会議員一人ひとりの責任に撥ね返ってきてまずいことになる利害損得からの視点の欠如なのだろう。
麻生がたいしたことのない総理大臣だということは自民党議員が全体としてはたいしたことのない議員ばかりだと言うことである。
麻生が騒動を引き起こした自らの一連の発言を国会で謝罪する。
麻生首相「(顔を下に向けて答弁書を読み上げる)私は常に一貫した主張をしてきておると、存じ、存じておりますので、(答弁書から顔を上げる)色々、誤解があるようでなければ、私にとりましては、今後誤解のないように務めていきたいと思います」
録画を何度巻き戻して何回も聞き直しても、「誤解があるようでしたら」ではなく、「色々、誤解があるようでなければ」としか言っていない。答弁書自体が本心からの反省を書き込んだ文面ではないから、顔を上げた瞬間から本心が顔を覗かせたのだろうか。機械的に早口にパッパパと喋った様子にもそのことが現れていた。
既に触れたように「誤解」とは話し手側の説明不足である場合を除いて、事実や言葉などを説明の受け手側の理解不足や勝手な解釈によって誤って判断されることを言い、その非は話し手側にあるわけではなく、説明の受け手側にあることになる。
麻生にしても自分が国会や記者会見で喋った言葉を「誤解」だとして、自分に非はない、周囲に非があるとしている。いわば周囲の理解不足や勝手な解釈で起きている騒動に過ぎないと。だから「私は常に一貫した主張をしてきておる」という言い分が可能となる。
すべては周囲の理解不足、あるいは勝手な解釈による「誤解」――自分に非のないことだから、答弁後段の「色々、誤解があるようでなければ、私にとりましては、今後誤解のないように務めていきたいと思います」は偽りの謝罪に過ぎないことになる。
また本来はそれが説明不足である場合は「誤解のないように務め」るのは説明の話し手側にあるが、そうでなければ、「誤解のないように務め」るのは説明の受け手側にある。非が周囲にある「誤解」だとして置きながら、説明不足による「誤解」だと受取れる謝罪としているが、自分から矛盾を犯すようなものだが、やはり偽りの謝罪だから平気でできる矛盾に違いない。
上記麻生の言葉だけからでも、なかなかの鉄面皮漢、あるいはハレンチ漢の姿を量ることができる。
中川昭一財務・金融相が2月11日、都内開催の建国記念日を祝う式典で<首相や自身の漢字の読み間違い、給付金受領をめぐる首相発言のぶれなどを批判する報道に不満を示した>内容の挨拶したと同日付の「時事通信社」記事≪首相の給付金受領「どうでもいい」=読み間違い批判に不満-中川財務相≫に出ている。
「(麻生太郎)首相が言い間違えたとか、中川が言い間違えたとか、定額給付金を(首相や閣僚が)もらうのか、もらわないのかとか、そんなことはどうでもいいだろうと思っている」
「政府も与党も日本の経済をどうやってよくしようかと必死に頑張っているので、言い間違いもあるだろう」
(今国会の財政演説で「渦中」を「うずちゅう」と読み間違えたことにも触れ)「国が一致団結して(景気浮揚のために)戦わないといけないときに、後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』と言っている間に、戦いがおかしくなったら皆さんに申し訳ない」・・・・・・・・
言い間違えに気づかなければ、後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』」と謝罪はできない。1月28日の衆院本会議で行った財政演説では26箇所も間違えがあったというから、気づかないまま演説を終えたということで、後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』」と謝罪するどころではなかったはずだが、それを後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』と言っている間に、戦いがおかしくなったら皆さんに申し訳ない」などと薄汚い弁解をする。
間違いに気づけば気づいた時点で咄嗟の反応として謝罪の言葉が出るのが人間の自然な心理のはずだが、百歩譲って気づいていたことにしても、「後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』と言っている間に、戦いがおかしくなたら皆さんに申し訳ない」からと謝罪を後回しにするだろうか。
大体が政策に関わる法律が審議され、賛否の投票を受けて成立して実施されるまでの時間に比べたなら、「後ろを向いて『言い間違えてごめんなさい』」と謝罪する時間はどれ程のものだろうか。「戦いがおかしくな」る程の時間を必要とすると言うのだろうか。
間違えの挽回は今後間違えないように努めるか、国民に称賛される政治を行って間違いを些細なことに変えるしかないはずだが、過ぎたことをいつまでも拘って「建国記念」の話題とは関係のない個人的な弁解の機会に利用する。
些細な失敗にいつまでも拘るのは自尊心が過度に強すぎることも一因となる人間像であり、同時に合理的に物事を考えることができないことが原因する人間像でもあろう。
7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見の場での酩酊疑惑が生じて、今朝のニュースが引責辞任したと伝えていたが、気が小さいことから些細なことにいつまでも拘る神経質な自尊心が強迫神経症にまで高まっていて、アルコールで殺すこととなっていた飲酒癖が災いした飲酒記者会見といったところではないかと見ていたが、テレビニュースで見ると、明らかに風邪薬が原因した朦朧状態ではない。
そのことは辞任が証拠立てている。
笹川尭総務会長「(首相が)独り相撲すると、時間のロスで体力を消耗するだけ」(「毎日jp」)
「独り相撲」なのは麻生だけではない。自分たちで総裁に選んで首相に押し上げた麻生である。その麻生に振り回されて、党内対立や党内騒動を引き起こしている。麻生では選挙が戦えないと周章狼狽している。いわば首相の「独り相撲」は自民党の「独り相撲」でもある。自民党も「時間のロスで体力を消耗する」。
この短い言葉だけからでも、物事の全体を見る目を持たない笹川尭という人間を量ることができる。
解決は国際社会が担うべき
訂正=2月6日記載の当ブログ≪タイ王国のロビンギャ族海上遺棄は「敬虔」というタイ国民性が状況主義であることの暴露≫ で、ミャンマー少数民族「ロヒンギャ族」の表記を一部間違えて「ロビンギャ族」と書いてしまいました。謝罪し、訂正します。
先月1月初めと今月2月初めにミャンマーから海上経由で逃れてきたミャンマーイスラム系少数民族ロヒンギャ族をタイ国軍が拘束、孤島に連行して2カ月押し込め、その後ロープでつないだ小船に乗せて沖合いに曳航、わずかな食料と水を与えたのみで遺棄、20人以上の死者を出しているという。
拘束中、暴行を受けたというロヒンギャ族の証言もある。
タイ国軍は事件を全面否定。アピシット・タイ首相も、「証拠はない。(避難民は)仕事を目的にした違法入国者」(「毎日jp」)と疑惑を否定。だが、昨13日になって、タイ首相が一転して一部を認めたと2月13日の「CNN」インターネット記事が次のように伝えている。但し、全面的に認めたわけではない。
≪タイ首相、ミャンマー難民追放で「事例あり」と認める≫(2009.02.13 Web posted at:13:48 JST Updated)
<バンコク(CNN) タイ国軍がミャンマー(ビルマ)から逃れてきた少数民族の難民を虐待、追放しているとして、国際社会から非難を浴びている問題で、アピシット首相は12日、難民の船が追い返された事例が「何件かある」との認識を示した。CNNによる独占インタビューで語った。
首相はこれまで、虐待や追放の証拠はないとして問題を否定していたが、同日の発言では「事実だと信じるだけの理由がある」と率直に認めた。一方で、「いずれの政府機関もそのような方針はないとしており、行為を承認した責任者は特定されていない」と説明。「その人物がだれであるか、証拠が得られれば断固として責任を追及する」と述べ、問題解決に努める姿勢を示した。
難民はミャンマーのイスラム系少数民族、ロヒンギャ族。政府による弾圧を逃れ、タイやマレーシアなどの近隣諸国に流れ込んでいる。CNNは先月、タイ国軍がロヒンギャ族の船を沖にけん引し、海上に置き去りにする場面の証拠画像を入手した。タイ当局は疑惑を否定する一方で、事実関係の調査に乗り出していた。
アピシット首相はインタビューで、流入する難民の数が最近急増していることを指摘。「これを受けて、船がほかの場所へ漂着するよう仕向けた例はあったようだ。ただし、水や食料が十分にあることを確認したうえで実行されていたはず」と話した。>・・・・・・・
アピシット首相の言葉を拾い出してみる。
「何件かある」
「事実だと信じるだけの理由がある」
「いずれの政府機関もそのような方針はないとしており、行為を承認した責任者は特定されていない」
「その人物がだれであるか、証拠が得られれば断固として責任を追及する」
「これ(流入難民の急増)を受けて、船がほかの場所へ漂着するよう仕向けた例はあったようだ。ただし、水や食料が十分にあることを確認したうえで実行されていたはず」
実行者はタイ海軍と分かっている。問題はタイ海軍の実行者が海軍内のどの段階の責任者の了解、もしくは命令・指示の類を得て行ったのか、責任者の関知しない場所で実行者が独断で行ったかであろう。
それを「事実だと信じるだけの理由がある」という表現を使って肯定した。いわば「何件かある」らしいが、はっきりとした実行件数も実態も断片的証拠、あるいは断片的証言のみを得たもので、全体像は断定できる段階ではない、まだ曖昧なままだとしている。
つまり、「そういうことがあったようだ」と認めたに過ぎない。
タイ首相が言っているとおりだとしても、タイ海軍の艦船が行った“海上遺棄”であることは逃げおおすことのできない事実なのだから、船を操る最終権限は艦長にあり、その権限のない艦船内の一番下っ端のメンバーが独断で行ったと考えることは不可能で、実行艦船の艦長が許可した、あるいは命令・指示した“海上遺棄”あろう。
当然、その艦長の独断なのか、さらに上の命令・指示を受けたものなのかに調査は向けられるはずである。いわば艦長以上の上からの命令・指示なのか、艦長の独断行為なのか、いずれかに調査の対象は絞られる。
だが、「いずれの政府機関もそのような方針はないとしており、行為を承認した責任者は特定されていない」という言い方で「政府機関」が決定した「方針」ではない、「行為を承認した責任者は特定されていない」と上からの命令・指示に従って行われた“海上遺棄”ではないとして、このことに関しては遠まわしにだが、否定のメッセージを発している。
では、艦長の独断なのか。艦長の独断で2カ月も孤島に拘束しておくことができるのか。2カ月という拘束期間は何を意味するのか。最初から“海上遺棄”が目的なら、海上で拿捕した時点で、沖合いに曳航、タイの陸地に流れ着かない海流地点を見計らって“海上遺棄”したなら、2カ月という拘束の面倒は省けたはずである。
さらに「これ(流入難民の急増)を受けて、船がほかの場所へ漂着するよう仕向けた例はあったようだ。ただし、水や食料が十分にあることを確認したうえで実行されていたはず」と、推測のみで「ほかの場所へ漂着するよう仕向けた例はあったようだ」、「水や食料が十分にあることを確認したうえで実行されていたはず」と“海上遺棄”を否定している。
事実の有無の調査を行いながら、具体的証拠を以ってではなく、推測で証拠立てる曖昧さを平気で演じている。
タイ首相の釈明の経緯を振返ると、認めざるを得ないから事実を認めたが、責任部署も曖昧、責任者も曖昧、どのような命令・指示の系統を受けた実行なのか、どの段階の責任者による命令・指示に従った行為なのかとなると、一切触れていないメッセージとなっている。
裏を返すと、曖昧にしたり隠したりする必要があるほど、「政府機関」のかなり上の部署の命令・指示によって決行された“海上遺棄”ということではないのか。前のブログでも触れたが、決定が難しい問題だったから、孤島での拘束に2カ月も必要とした。――
日本がかつて南京虐殺を事実無根と否定していたが、認めざるを得ない事実が発見されると、認めるようになったものの、虐殺の人数がはっきりしない、中国側の発表よりもかなり少ない人数だと罪薄めを謀ったように、タイ首相も曖昧にすることで罪薄めを謀ろうとしているのではないのか。そのように十分に疑うことができる釈明となっている。
タイは漂流ロヒンギャ族を一旦はタイ国内に保護し、国際社会に支援を求めるべきだった。求められたなら、国際社会はタイの要請に応えるべきだろう。
ミャンマーの軍事政権はイスラム系少数民族ロヒンギャ族に国籍を与えず、迫害の対象としてきた(「毎日jp」)。当然、満足な仕事にも就くことができず、生活困窮者の位置に置かれていたはずである。
だが、国際社会はミャンマー軍事体制の民主化に無力をさらけ出し、少数民族迫害のみならず、軍事政権と対立する民主化勢力への自由の制限・抑圧にも解決の力を見い出せずにいる。
日本もかつてはミャンマーに対する最大の援助国でありながら、援助を通じた経済利益を得るものの、民主化には無力で、逆に援助を通じて軍事政権の強化・維持に貢献してきた。民主化勢力弾圧や少数民族迫害にも日本を含めた国際社会は責任を負っているはずである。無力が招いている責任を。
責任を負っていながら、ミャンマーの豊富な天然ガス、鉱物資源を自国国益向上に役立てている国々が存在する。あるいはミャンマーとの貿易取引で利益を得ている。国際社会は経済的利益を得ている量に応分して、ミャンマー難民に手を差し伸べるべきである。
民主化に向けた努力を続ける一方で、そういったルールを確立すべきではないだろうか。
小泉純一郎は日本の金正日?
09年2月11日の「日経ネット」記事。≪森氏「民営化賛成、小泉さんだけ」 首相の郵政発言を擁護≫
<自民党の森喜朗元首相は11日、麻生太郎首相が郵政民営化について「賛成ではなかった」と発言したことについて「胸を張って『民営化して正しい』と思った議員は、私は小泉純一郎元首相だけだったと思う」と述べ、同発言で批判を浴びた首相を擁護した。徳島市内で開いた同党参院議員の国政報告会で講演した。>
4分社化についても、「よっぽどの専門家でないと分からなかった」
<「少し分が悪くなると浮足立って、自民党の悪口を言って『野党と協力して新しい旗の下に政党をつくる』と、結構な(立場の)人まで言うのは残念」と述べ、中川秀直元幹事長を念頭に党内の政界再編志向組をけん制した。>――
「胸を張って」の箇所に関しては「msn産経」記事では次のようになっている。
「民営化が本当に正しいと思った国会議員は小泉純一郎元首相だけだった。民営化で不都合がいろいろと起きており、麻生首相が一生懸命に見直しに取り組もうとしている熱意は買ってあげなければいけない。頭から見直しはけしからんというのでは北朝鮮と変わらない」――
「よっぽどの専門家でないと分からなかった」――理解未消化なまま賛成して、今日の郵政事業の民営化があるらしい。麻生と同じ脳ミソ不足だから、政治って、その程度だと自分では気づかずに暴露している。理解未消化だから、麻生発言も右にいったり左にいったりするのだろう。
「胸を張って『民営化して正しい』と思った議員は、私は小泉純一郎元首相だけだったと思う」・・・・・・・・
当時の小泉首相以外の閣僚も自民党議員も「胸を張って『民営化して正しい』と思った議員」は誰一人としていなかったにも関わらず、総選挙前の「郵政民営化法案」を採決する際には衆議院では反対・欠席・棄権議員が出たものの、賛成多数で可決。参議院では否決されはしたが、自民党議員に関しては衆議院と同じく反対・欠席・棄権議員を出したものの、圧倒的多数が賛成している。小泉首相以外の閣僚も自民党議員も「胸を張って『民営化して正しい』と思った議員」は誰一人としていなかったにも関わらずである。
解散・総選挙後に反対した議員は自民党公認を得られずに無所属で立候補、当選した平沼ただ一人で、棄権が同じく無所属で当選した1人、参院では反対なし、棄権1人で、あとは同じ釜を形成していたすべてが賛成にまわっている。
小泉首相以外の閣僚も自民党議員も「胸を張って『民営化して正しい』と思った議員」は誰一人としていなかったにも関わらずである。
いわば自身の主義主張、自分の意志に自ら逆らって、「胸を張って『民営化して正しい』と思」わずに賛成票を投じた。
自由民主党は「開かれた政党」を掲げた、いわば民主主義のルールに則って各自が存在する政治集団のはずである。「色々な意見があって当然じゃないですか」といったことを麻生太郎も言っている。尤も自身に対する批判を批判ではないと誤魔化す口実に使っている面もあるが、それにしても「胸を張って『民営化して正しい』と思った議員」は誰一人いなかったにも関わらず、彼らの主義主張・意志を曲げさせて「胸を張って『民営化して正しい』」とする方向に一斉に右へ倣えさせた状況とはどのような力の支配を受けて成り立たせることとなったのだろうか。
答は一つ。「胸を張って『民営化して正しい』と思った議員」は小泉首相ただ一人のみで、その小泉首相以外の閣僚も自民党議員も「胸を張って『民営化して正しい』と思った議員」は誰一人としていなかったにも関わらず、小泉首相一人のみが「胸を張って『民営化して正しい』」としている方向に一斉に右へ倣えしたということなのだから、小泉の主義主張・意志が賛成票を投じた議員の主義主張・意志を支配して「胸を張って『民営化して正しい』」ことなのだと強制させたということなのだろう。
一人の人間の主義主張・意志が全体の主義主張・意志を支配する。支配して、思うままに動かす。
このような一人と全体の相互の関係性は民主主義のルールに則った関係とは言えず、全体主義(独裁意志)の支配を受けた主義主張・意志の存在形式と言う他ない。
少なくとも小泉政権下では小泉純一郎という首相を唯一絶対者とした全体主義(独裁意志)が自民党を覆って、所属議員の主義主張・意志を支配していた。
森元首相はそう言っているのである。何度でも言うが、本人は麻生と同じで脳ミソ不足だから、自分の言葉が何を意味するのか気づいてもいないだろうが、同じ脳ミソ不足のムジナだから、麻生擁立に動き、同じムジナである手前、至らない子分を懸命に支えようとしているんだろうが、実際にも全体主義的支配から逃れるには離党勧告とか除名とかの絶対者側からの排除の方法によってのみ可能であった。反対の主義主張・意志のまま、中にいることを許されなかった。疑わしき者は忠誠を誓う「踏み絵」を踏まされた。
これはある意味、粛清の嵐が吹き荒れたことを示す。
森親分は麻生太郎が言い出した「郵政民営化見直し」に関して、「頭から見直しはけしからんというのでは北朝鮮と変わらない」と言っているが、「変わらない」ことになるどころか、小泉政権時代が既に「北朝鮮と変わらない」体制にあったのである。
いわば当時の小泉純一郎は名誉なことに日本の金正日であり、自民党議員にとっては将軍サマ的存在であった。「将軍サマ、将軍サマ」と崇め奉り、自身の主義主張・意志を曲げて小泉将軍サマの主義主張・意志に従った。小泉の親分でありながら、その親分たる森喜朗も含めて。
ナチスに擬えるなら、「ハイル・小泉サマー」と右手を掲げて絶対忠誠を誓ったということである。
森元首相は至らない麻生を庇っているつもりが、脳ミソ不足のせいで実際はそう暴露したのである。これを爆弾発言だとしてマスコミが大騒ぎしないのは不思議な気がする。