大連立は政策競い合いの競争原理を失い、馴れ合いが生じる

2011-03-31 09:14:49 | Weblog



 時限的大連立であっても、担うべき与党としての責任や主体性・自律性(自立性)の喪失につながる

 谷垣自民総裁が地震発生9日後の3月19日に菅首相から持ちかけられた入閣要請を、話が唐突過ぎる、「入閣は大連立と同じで、責任の所在が不明確になるだけだ」(YOMIURI ONLINE)とにべもなく断ったものの、3月26日の民放番組で、谷垣総裁は現時点では入閣を拒否しながら、「期間を区切ってとか、全くないわけではない」(asahi.comと期限限定つきの政権入りの可能性に言及したという大連立構想。

 昨3月30日になって森喜朗、安倍晋三両元首相がそれぞれ谷垣総裁と会談し、大連立のススメを説いたという。

 《大連立に前向き姿勢 自民・森、安倍両元首相》◇(MSN産経/2011.3.30 19:00)

 谷垣総裁に対する菅首相の入閣要請を「唐突だ」とする批判を枕詞として――

 森元首相「わが党には専門家がいる。谷垣総裁が出る形ではなく、しっかり話を聞いてそういう者を出す方がいい」

 安倍元首相「今は特別の事態であり(大連立が)全く考えられないわけではない。震災復興は首相が担うべき仕事で、谷垣氏がその役割を担う準備は当然できているだろう」

 震災対策で菅首相以下、民主党政権の閣僚ばかりがマスコミに露出、自民党の影が限りなく薄くなっている。自民党の姿を前に割り込ませてマスコミ映りを良くするためには大連立も一つの手ではないかといった魂胆が勘繰れないわけではない。

 森元首相は大連立の場合でも入閣は総裁以外の人物だとし、安倍元首相は谷垣総裁が菅首相に取って代わって首相の座に就くべきだと主張している。

 例え大連立が期限限定つきであっても、菅首相の指導力のなさとねじれ国会の力学を受けて政権担当の責務とすべき与党としての主体性を放棄することになるだろう。
 
 そこへきて安倍元首相の主張どおりに谷垣首相ということになったなら、民主党は与党としての意味を失う。

 主体性を放棄するということは自律性(自立性)を失うことを意味する。主体性と自律性(自立性)こそが責任感と指導力を生む原動力足り得る。

 政権は自らの党のマニフェストに掲げた各政策の優越性を国民に訴え、大多数の国民に受入れられることを要因として獲得し得る。

 当然、優越性あると宣言した各政策の実現に責任を持ち、指導力の最大限の発揮に務めなければならない。責任と指導力を欠いたなら、政策に持たせた優越性自体の輝きを自分たちから失わせることになり、それは国民に対する裏切りへと変換する。

 また、各党の各政策の優越性は他と比較し得る政策があって初めて成り立つ。そこに自ずと競争原理が働き、各党は政策立案に切磋琢磨することになる。

 政党間に政策立案の競争原理を働かせ、政策の優越性を競うこと自体が政党維持・拡大の、あるいは政党アピールの原動力、モチベーションとなるはずである。

 各党間に競争原理が働かなくなったとき、政策の優越性を競うこともなくなり、緊張感を失うこととなって大多数を占める議席に安住し、妥協と馴れ合いに侵され、政治は自ずと沈滞することになる。

 大連立によって巨大な大政党が生じたとき、このような危険性を抱えることになる。かつての自民党政権と同じ二の舞を演じることになるだろう。与党議員が与党閣僚に行う国会質疑にしても、これまで見てきたようにヨイショ質問、あるいはゴマをするような馴れ合いの質問に終始し、答弁に立つ首相以下の閣僚も自分達の成果を誇らしげに述べる田舎芝居、猿芝居もどきが当たり前の光景となるに違いない。

 尤も安倍元首相もこれらのことは指摘している。《安倍元首相「大連立なら期限付きで」》asahi.com/2011年3月30日19時20分)

 30日の谷垣自民総裁との会談後の大連立構想についての発言。

 安倍元首相「今は特別な事態なのでまったく考えられないことはない。そのときは期限を区切らなければならない。自民党と民主党が連立を組むと野党が存在しなくなる。国会で緊張感のある論議がなくなり、民主主義の機能を弱くしてしまう」――

 例え時限的連立であっても、既に述べたように与党としての主体性・責任の点で反対である。相談し合う形で十分なはずだ。

 菅政府は大震災対策、大震災復興に野党の意見を聞き、取り入れることはあっても、大連立に走らずに与党としての責任と主体性を維持すべきだろう。

 だが、指導力を持たない菅首相に与党としての責任と主体性を期待したくても期待できない。

 これまでも大連立に関してブログ記事を書いてきたから、参考までに――

 2007年11月6日――《『ニッポン情報解読』by手代木恕之 小沢辞意表明/二大政党か大連立か》


 2007年11月20日――《『ニッポン情報解読』by手代木恕之 小沢大連立構想を読む》


 2010年7月15日――《与謝野馨のどこか中途半端な民主党・自民党大連立志向 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》


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菅内閣の無能/ヘリコプターで着地不可能な被災地にいくらでも物資支援できた

2011-03-30 10:05:45 | Weblog

 《陸自ヘリ、水投下4回で終了 今後は陸上から放水》asahi.com/2011年3月17日13時0分)

 陸上自衛隊ヘリコプターCH47が1機指揮の元、2機が東京電力福島第一原発3号機の使用済み燃料貯蔵プールを冷却するために3月17日(2011年)午前9時48分から計4回、上空から水を投下した。

 時間は午前9時48分から午前10時まで。バケツ容量は7.5トン。

 上空の放射能濃度との関係から、上空に停止する形のホバーリング状態での放水は危険ということで、飛行しながらの放水となり、水が飛散して、予想したとおりの投下はできなかったようだ。

 2008年6月の岩手・宮城内陸地震では自衛隊大型ヘリが5トン近い重機を吊り下げているから、最低限見積もっても5トン近い水をワイヤーでだろう、吊り下げて飛行できた。福島原発以外の上空に放射能が飛散していない被災地ではホバーリングが可能となる。なぜ食糧、灯油、ガソリン、医薬品、暖房具等々の支援物資を吊り下げて着地不可能な被災地にホバーリング状態でワイヤーを伸ばしていくか、機体を下げるかして物資をソフトランディングさせ、早い段階から被災者たちの生活上の不足を充足させると言ったことをしなかったのだろうか。

 だが、テレビやWEB記事を見る限り、ヘリが物資を届けるのは着地可能な被災地のみに限られているように見えた。そこに大量に物資を降ろして物資集積の拠点とし、そこから各避難所へ配送する形式を取っているようだったが、地震発生から2週間後の25日前後になっても物資不足を訴える避難所生活の被災者の声はなくならなかった。

 次ぎの記事がそのことを証明している。《依然として厳しい生活続》NHK/2011年3月26日 5時5分

 東北関東大震災の発生から25日で2週間になるのにあわせ、NHKが被災者に聞き取りでアンケートを行った。

 被災後の生活で困っていること――

▽「車を失ったり、ガソリンがなかったりして移動できない」――40%
▽「風呂に入れないなど衛生面の問題」          ――35%
▽「正しい情報が得られない」              ――18%
▽「プライバシーが保てない」              ――11%

 アンケートの自由記述
▽「白米を食べたい」
▽「小さい子どもが食べられるものがない」
▽「毛布を4枚かけても寒い」
 
 記事は、〈食料や水も十分でない状況〉〈冬の寒さのなかで依然として厳しい避難生活が続いていることが浮き彫りにな〉ったと書いている。

 また次ぎの記事は医薬品不足を伝えている。《東日本大震災:バイク隊出発 機動性生かして物資を輸送》毎日jp/2011年3月27日 18時38分

 〈東日本大震災の被災地でバイクの機動性を生かして物資輸送を支援しようと、全国オートバイ協同組合連合会のバイクレスキュー隊が27日、大阪を出発した。がれきなどで車が入りにくい地域へ医薬品や生活物資を運ぶ。〉

 これは全国のバイク販売会社約1400社で組織した全国オートバイ協同組合連合会が宮城県の要請を受けて津波被害が深刻な同県石巻市で活動することになっというもの。28日から活動開始、隊員を入れ替えながら4月末まで活動の予定だという。

 現地石巻市まではバイクをトラックに積んで輸送。

 吉田純一会長「医薬品などが不足していると聞くので、バイク輸送で少しでも被災者の皆さんのお役に立ちたい」――

 3月27日時点で石巻市は医薬品不足を訴えていたということなのだろう。

 なぜ菅内閣は警察官は派遣して入るが、早い段階で白バイ隊を送り込むといったことをしなかったのだろうか。また、着地不可能な地域であっても、自衛隊ヘリで物資を吊り下げて送り込むことをしなかったのだろうか。

 そうしていたなら、もっと早い段階で家を失ったために避難所の苦しい生活を余儀なくされた被災者の困窮をもっと早くに解消できたはずだ。

 インターネットを調べるうちになぜの疑問を解いてくれる次ぎの記事に出会った。全文を引用させて貰う。

 《自衛隊のヘリから物資を投下する?》河野太郎公式サイト/2011年3月22日 00:21)
 
自民党の対策本部によく来る問い合わせの一つが「日本には空中から物を投下してはいけないという法律があるので、自衛隊のヘリから物資の投下ができない。なんとかしてくれ」というもの。

対策本部にいたヒゲの隊長こと佐藤正久参議院議員(元一等陸佐)に、なんとかなりませんかと尋ねると、隊長、首をひねる。

「河野さん、なんで自衛隊のヘリから物を落とすの。ヘリが降りればいいじゃない。」

「でもよくニュースなんかで、ヘリから物を落としているシーンありますよね。」

「それは固定翼、飛行機からでしょ。ミサイルで狙われるようなところは飛行機で行って上空からパラシュートで投下するけど、今回は違うでしょ。」

ことら大尉こと、宇都隆史参議院議員(元一等空尉)が詳しく説明してくれる。

日本の航空法89条は空中からの物件の投下を禁止しているけれど、自衛隊は適用除外。今回の支援でヘリから物資を投下しているかといえば、していない。なぜならヘリを降ろして積み卸しをしているから。

自衛隊のヘリが物資を投下する方法は二つあって、ひとつは低速前進しながら後部ハッチを開け、機首を上げると物がハッチから連続して滑り落ちていく。これは滑走路のような場所でやるが、今回はなかなかそんな場所がない。

二つめは、大きな網の中に物資を入れて機体の下に吊す。低空でホバリングしながら降ろすことはできるが、これも今回、着陸して積み卸しができるので、あまり意味がない。

物資の投下は固定翼(飛行機)でよく行うが、気象の安定と落下ポイントにかなり大きなエリアが必要になり、その場の安全の確保も必要になる。投下した物をどうやって回収するのかも問題。物が壊れないように特殊な梱包なので普通の人では開封できない。もちろん地上の誘導員も必要になる。」

航空法があるから自衛隊が物資の投下ができず、被災地に物が届かないというのは、どうやら都市伝説のようです。

ちなみに、3月18日までに、国交省は、警察や消防などによる救援活動に従事する航空機を対象に航空法89条の適用除外にしています。民間の小型ヘリならば、物資を投下する場面が出るでしょうか。

 ヘリは「着陸して積み卸し」するものという固定観念があるようだ。

 だから広いグランドを持った小学校といった特定の一箇所を支援物資集積の拠点として、そこにヘリを着地させて物資をドサッと降ろし、そこから車で孤立状態となった各避難所に届けたということなのだろうが、道路が決壊していたり土石が覆っていて通行できない場合、復旧を待たなければ配達できないことになる。

 孤立集落で買い物にいけない、そろそろ食糧が底をつくといった声を聞いたのはそのためではないだろうか。

 孤立集落でなくてもガソリンがないから車を動かすことができない、街まで買い物にいけないというケースは直接的な被災地ではないから、支援から除外されたということなのだろうか。ガソリン不足も災害を原因とすることができると思うが、そうではないのだろうか。

 いずれにしろ、ヘリを降下させる方法ですべての被災地に物資を運ぶことができていたなら、着陸可能とするために残骸を片付ける手間まで省いて医薬品にしろ、食糧にしろ、暖房具にしろ、灯油やガソリンにしろ早いうちに充足させることができて、上記記事が書いているような不足状況は長く続くことはなかったはずだが、実際には逆の不足状況を強いていた。

 灯油にしても道路や鉄道の復旧を待たずにヘリで吊り下げて運んだなら、早い段階で被災者を寒さから救えたはずだ。ガソリンにしても、ドラム缶で運べたろう。

 道路が復旧して病院等に医薬品が豊富に届く状況になったものの、電話等がつながらず、どの避難所がどのような医薬品をどの程度必要としているか情報を把握できなくて、避難所では医薬品不足が続いているといったことをテレビが流していたが、救命ヘリは人間を吊り降ろし、吊り上げるのだから、自衛隊員がホバーリング状態のヘリからロープで降り、各種情報収集してヘリに無線で連絡、ヘリは基地に同じく無線で連絡する手順を踏めば、道路が決壊していても、電話が通じなくても、早い情報収集と早い支援ができたはずだ。

 だが、そういった手段を取らなかった。何しろヘリは「着陸して積み卸し」するものという固定観念に忠実・真っ正直に従っていた。

 トップに位置する菅内閣の危機対応無能が被災地を覆うことになった。

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菅首相の福島原発視察「原子力について少し勉強したい」の軽い感覚

2011-03-29 12:00:54 | Weblog



  
 菅首相が3月11日午後2時46分発生の東日本大震災の翌12日午前6時過ぎ、自衛隊のヘリコプターに搭乗、福島第一原子力発電所を視察したが、そのことが東電側の事故に対する初動対応を遅らせたのではないかのと批判が持ち上がっている。昨3月28日午後参院予算委で自民党の佐藤ゆかり議員がこの件に関して追及した。

 だが、残念ながら菅首相も他の主だった閣僚も出席していなかった。菅首相からしたら幸運にも難を逃れることができたということだったかもしれないが、出席した途端に同じ追及を受ける運命であることに変わりはないから、一時的な難逃れに過ぎないが、他の閣僚の熱意もない事務的な答弁と噛み合わない結果で終わった。

 但し原子力安全委員会委員長の答弁の中に菅首相の発言に関して後世に残る新しい発見があった。

 参院予算委員会の質疑答弁のその箇所のみを抜いて文字化してみた。

 3月28日(2011年)午後参院予算委。

 佐藤ゆかり「今回総理が被災した福島原発をですね、えー、ヘリで視察をされた。早速視察をされたわけでして、保安員も同行されたわけですが、そのことによってですね、この原発事故が勃発した衝動が遅れたという指摘も一部に出ているわけであります。

 ま、ヘリで総理が来られますと、色々、おー、その危険な放射性物質を含む、蒸気を発散させる、ま、いわゆるベント、という作業も初動として立ち遅れた、言うようような意見も現場から上がっているようでありますが、まあ、その一方でですね、東電側も、えー、総理が、当初は10キロ圏内すぐに退避だと。

 えー、あるいは、あー、このー、おー、真水では足りないだろうから、海水まで入れて放水するんだということを、直後にご発言されたというような観測もあるわけでございます。

 一方で、そういう総理の、おー、ご意向に対しては、伝わった東電側は、いや、海水を入れられては、もう炉心が使えなくなってしまう、それは困ると、いうことで、激しく抵抗をしたということも観測として伝えられている通りであります。

 まあ、いわばこの東電側の激しい抵抗、を、実は経産副大臣、それはご存知でございましたでしょうか。そして保安院の同行者の方、あー、総理がヘリで視察に行かれて、現場で困惑したと、ご存知であったか、それぞれお伺いしたいと思います」

 池田経産副大臣「えー、先ず、事故発生、エ、翌日、早朝、総理が、エ、自衛隊のヘリで現地に行きました。あー、同行者は保安院ではなくて、安全委員会の委員長お一人と、あとは官邸の関係者と。

 えー、そして初動態勢の色々な問題でございますが、これは、あー、あー、事後に予断を持たずに、決定的な検証を行う必要があると思いますが、そこでリビューをされると、私は理解しております。

 えー、ベントの時期も、おー、最初の段階で、えー、早くやらなければならないということでは、関係者の見解は一致していたと、私は、あー、思います。また、あー、放水等、に、つきましても、おー、東電の、要請などもありまして、初期の段階から、手を尽くしていたことも、事実で、えーあります。

 海水注入について抵抗したとか、何か、そういう、えー、話が巷では、あー、出ておりますが、あー、私の知る限り、そういうことは承知を、しておりません」

 佐藤ゆかり「同行された、総理のヘリに同行された、あー、原子力安全委員会の方にご答弁願います」

 斑目原子力安全委員会委員長「原子力安全委員会委員長の斑目でございます。えー、えー、エ、この事故が起こった直後に、安全委員会としては、えー、この問題を収束させるのは、えー、エ、いずれにしろ水を、注入すること。そして、えー、えー、発生する蒸気をベントするしかない、ということは即座に判断をしてございまして、えー、そのことについては、えー、総理ではなくて、確かあんときは、海江田大臣だったと思いますが、にお伝えしてございます。

 で、このことは、まあ、私がお伝えをする前から、海江田大臣の方が承知で、えー、既に東京電力の方に対して、えー、指示済みであったというふうに思っております。

 で、その後、えー、どういうわけか、あのー、私のところにさっぱり上がっこないんでございますが、えー、なかなかベントが上がっ、されていない、という、うー、うー、う、ことは確かな事実、でございます。

 それからもう一つ、総理と同行して、えー、ま、あの、そこは、あの、えー、総理が、『原子力について少し勉強したい』ということで私が同行したわけでございます。

 現地に於いてですね、あの、何か混乱があったというふうには私は承知をいたしておりません」

 佐藤ゆかりまあ、あの、勉強している暇ではないんですねぇ。本当に地元の危機、緊急対応の初動がこれによって遅れたと、するならば、エ、本当にこれは人災とも言わざるを得ない、わけでありますね。

 えー、私は今、申し上げたいことはですね、要は、このある意味では東電任せにすっかりしていた初動の遅れ。そして政府は政府はですね、訳の分からない複雑怪奇に様々な、この緊急危機、えー、対応ぶ、部署が出来上がっていると。

 まあ、あのいくつかたくさんあって、私は訳、分からないんですが、あー、まず、その総理本部長を務める東日本大地震緊急災害対策本部。えー、それから原子力対策本部、これがあります。

 それから、えかな、えかな、枝野官房長官がー、本部長を務める、電力需給、えー、対策本部、がある。そして原発対応についてですはね、さらに原子力対策本部と併設して、福島原子力事故対策統合本部。そしてさらに現地にはですね、原子力災害対、現地対策本部。それにこの、原子力安全保安院が本人がさらに関わっていて、それぞれに対してさらに、えー、原子力安全委員会という存在があるんですね。
 
 一体誰が何をコントロール、いつ、どのようにしているのか、まーったく見えてこないんです。エ、それが国民の不安、の大きな要因ではないかというふうに思うわけでありますが、あ、それで、この司令塔が不在。

 えー、一元化できない司令塔が不在であると言うことに今回の危機対応の態勢的な、あー、問題というものを認識されないでしょうか。全体の担当、総理に聞きたいんですが、今日は来られないんで、全体の担当を、内閣全体でお答えいただければと」

 東祥三内閣府副大臣「佐藤さんの、あの、ご質問にお答えしたいと思いますが、限られた範囲の答弁になるかもしれませんが、あのー、おー、基本的にはご指摘のとおり、あのー、自然現象を、起因とする災害。そしてまた自然現象ではない、いわゆる事故、災害、というものが、えー、災害対策基本法の中に織り込められていると。

 で、それに基づいて、その長が、総理大臣で、ありますから、一方に於いて、今ご指摘のとおり、その緊急対策、本部、その本部長は総理であり、そしてその一方に於いて、今度原子力、発電所の、事故の問題でありますから、原子力対策本部。その長が総理大臣であって、その仕組みの中で動いていると、いうふうに理解して。おります」

 佐藤ゆかり「まあ、あのー、現場から上がっている報道ニュースからするとですね、今、ご答弁いただいたような態勢の元で一元化されて、なされていると、とっても印象として、持ちません――」

 地震発生から福島原発事故の推移、政府対応の推移について3月28日東京新聞のWEB記事が詳しく取上げているから時系列で示してみる。

 《保安院 炉心溶融 震災当日に予測》東京新聞/2011年3月28日 朝刊) 
 3月11日午後2時46分 地震発生

 11日午後9時23分 (記事には書いていないが、政府は3キロ以内は避難指示、3キロから10キロは屋内退避の指示を出している。)
 11日午後10時 経済産業省原子力安全・保安院「福島第一(原発)2号機の今後のプラント状況の評価結果」を策定。
 
  (炉内への注水機能停止で50分後に「炉心露出」が起き、12日午前零時50分には炉心溶融である「燃料溶融」に至るとの予測を示し、午前3時20分には放射性物質を含んだ蒸気を排出する応急措置「ベント」を行うとの方針を決定。)  

   保安院当局者「最悪の事態を予測した策定」

 11日日午後10十時半 菅首相に評価結果を説明
 12日未明 放射性ヨウ素や高いレベルの放射線を検出。

   原子炉の圧力を低下させる応急措置をとる方針を決定。

  (このヨウ素検出は溶融の前段である「炉心損傷」を示す危険な兆候で、政府内専門家の間では危機感が高まり、応急措置の即時実施が迫られる緊迫を要した局面だったという。)

 12日早朝 菅首相、原子力安全委員会班目(まだらめ)春樹委員長と予定通り福島第一原発を視察。
 12日午前1時前 1号機の原子炉格納容器内の圧力が異常上昇。
 12日午前4時頃 1号機の中央制御室で毎時150マイクロシーベルトのガンマ線検出。電幹部と班目氏らは1、2号機の炉内圧力を下げるため、ベントの必要性を確認、保安院にベント実施を相談。
 12日午前5時44分 菅首相、原発の半径10キロ圏内からの退避を指示。
 12日午前5時頃 原発正門付近でヨウ素を検出。

  事態悪化を受け、東電幹部と班目氏らが協議し、1、2号機の炉内圧力を下げるため、ベントの必要性を確認。

 12日午前7時11分 菅首相、福島原発入り。
 12日午前8時4分 菅首相、視察終了。 
 12日午前8時30分 東電、ベント実施を政府に通報。 
 12日午前9時4分 東電、ベント着手
 12日午後2時30分 ベント排出開始。

 (排出には二つの弁を開く必要があるが、備え付けの空気圧縮ボンベの不調で一つが開かなかった上、代替用の空気圧縮機の調達に約四時間を費やしたため。)

 12日午後4時 東電幹部と班目氏らは保安院に実施を相談。

 記事は次のとおり解説している。〈政府与党内からは、溶融の兆候が表れた非常時の視察敢行で、応急措置の実施を含めた政策決定に遅れが生じたとの見方も出ている。初動判断のミスで事態深刻化を招いた可能性があり、首相と班目氏の責任が問われそうだ。〉

 与党関係者「首相の視察でベント実施の手続きが遅れた」 

 これは菅首相批判派の声に違いない。支持派がこのように言うはずはないからだ。    

 政府当局者「ベントで現場の首相を被ばくさせられない」

 この判断が現場作業にも影響が出たとの見方を示したと書いている。

 斑目原子力安全委員会委員長(共同通信に対する書面回答)「現在、事態の収束に全力を傾注している。一方、社会への説明責任を果たすことの重要性も重々認識している。今般の質問には答える立場にないものも含まれているが、プラントの状況は時々刻々と変化し、対応に当たっては予断を許さない状況にあり、正確な見解を申し述べることが必要と考えているものの、十分に吟味し、責任を持った回答を作成できる状況にない。今後、状況が一応の安定を取り戻した状態となり、対応が可能となった段階で対応を行う。ご理解のほどよろしくお願いします」

 東京電力広報担当者「(応急措置であるベントの実施に時間がかかったのは)福島第一原発の現場の放射線量が高かったから(ベント実施を)入念に検討したためだ。ケーブルの仮設など準備作業に時間を要した。(ベントのタイミングと)首相の来訪は関係がない」――

 池田経産副大臣も斑目委員長も事故解決後に検証を行う姿勢を一応は見せている

 菅首相自身は国会で同追及を受けようとも否定するのは目に見えている。首相シンパの枝野詭弁家官房長官も菅首相擁護の立場から28日午後の記者会見で否定している。   

 無能な首相を擁護することは国民に対する冒涜であるが、自己保身上、そんなことは構わない。

 《枝野官房長官の会見全文〈28日午後4時〉》東京新聞/asahi.com/2011年3月28日19時42分)

 【首相の原発視察】

 ――保安院から「燃料棒が露出する」との危険な予測を聞きながら、首相が現地を視察した判断は正しかったか。

 これは地震発生の夜だが、原子力発電所の冷却機能がうまくいかなくなった、こういった事故になったという情報が入って以降、東電からも、あるいは原子力安全・保安院を通じても情報は入ってはきたが、なかなか現地の状況がしっかりと入ってこない、現地の状況が把握を出来ない。今朝も言ったとおり、ベント等についても22時すぎ以降、いつどうやってベントを始めるのか等について、早く進めるべきではないかということを申し伝えてもなかなか答えが返ってこないという状況のなかにあって、まさにそうした現場の状況が東京で十分に把握ができないという状況の中で現地の状況を認識をし、特に現地の対応に当たっている現場の責任者、担当者の皆さんとしっかりと直接コミュニケーションができるような状況をつくらないといけないという問題意識があったという風に、決めたのは総理だが、私はそういう認識で総理は行ったと認識している。

 ――危険が予測される中で官邸で危機管理を進める判断もあったのではないか。

 これは原子力発電所の事故は一歩間違えれば、もちろん現状の事故の状況でも大変大きな広範な皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ない状況だと思っているが、一歩間違えれば本当に大変さらに大きな影響を及ぼしかねない問題であるという問題意識のもとで、しっかりと最終判断をする総理が現地の状況を把握出来ないという状況の中では、責任を持った対応が出来ないという問題意識があったと理解している。

 枝野官房長官は、菅首相は東京にいては現場の状況が十分に把握できない。現場と直接コミュニケーションを取ることができる状況をつくるという問題意識から視察した、私はそういうふうに認識していると言っている。

 さすが詭弁家である。現場と直接コミュニケーションを取るとしても、東電側から原子炉は現在こういう状況に立ちいっています、これからこういった対策を講じる方針ですと説明を受け、菅首相が早急に問題を解決し、収束させて貰いたいとの要望を示すぐらいのものだろう。

 他に何があるのか。視察時間は50分だそうだが、長々と説明を受けたとしても、そのとき必要なことは東電上層部、もしくは経済産業省原子力安全・保安院の事故対応の的確な指示とその指示に従った実働部隊の的確な行動であって、菅首相がシャシャリ出ても直接的な事故対応の実働部隊に取って代わることができるわけではないし、実働部隊の指揮官に取って代わることもできないはずだ。

 菅首相がすべきことは官邸に原子力事故とその対策の専門家を集めておいて、東電側から事前・事後、その途中過程の報告を受け、その報告に基づいて専門家と関係閣僚を交えて協議することであって、そこに視察という関与事項は必要ない事柄のはずだ。

 協議の結果、東電側の報告に不足や懸念事項が存在するなら、その都度アドバイスを行うか、あるいは新たな対策として政府の力を用いずして必要措置を行い得ない場合は、政府が早急に手配を講じるといったことであろう。
 
 自衛隊の出動、消防隊の出動等々である。

 果して視察して直接コミュニケーションを取って、事後どれ程役に立ったというのだろう。視察後も官邸と東電の間だけではなく、東電内でも情報伝達の遅れ、情報共有の不履行があったはずだ。

 実際に首相の視察が東電側の事故対応の初動遅れを招いたかどうかは今後の検証を待たなければならないが、何よりも問題なのは視察理由を本人は「原子力について少し勉強したい」としていたことである。

 佐藤ゆかり議員は「まあ、あの、勉強している暇ではないんですねぇ」で片付けているが、また多くがこの発言を問題発言として取上げていると思うが、自分なりの解釈を施してみる。

 菅首相はすべての問題に対する最終責任者なのは断るまでもない。原子炉事故対策、地震被災者支援対策、救命対策、復興対策は関連する部分はあっても、それぞれ別個の対策ではあるが、菅首相はすべての問題に対する最終責任者である以上、同時併行で関与・対応していかなければならない関係にあり、そうである以上、一つの対策に関わっているときでも、他のすべての対策を背負いつつ、それぞれの状況を念頭に置いた状態で全体のうちの一つとして行動し、思考しなければならないはずだ。

 いわば福島原発に限った視察であっても、他の地震被災地の支援問題等を背中に背負い、念頭に置いた視察でなければならなかった。だからこそ、このような姿勢の具体化の一つとして、原発視察後、津波の被害を受けた地域を上空から視察したはずだ。

 だが、原発視察のとき、「原子力について少し勉強したい」としたことは東電側が緊急に解決しなければならない問題として立ち向かっていた、一歩間違えると重大問題となるとしていたに違いない事故対応の緊迫した状況と余りにも懸け離れた気軽なニュアンスの姿勢となっている。

 いわば福島原発の事故に視察という形で関わろうとしたときでも、原発問題すら、真剣に背中に背負った態度とはなっていなかった。

 当然、避難所に逃れた被災者救援対策や津波に流された行方不明者の救命対策もみな等しく背中に背負い、真剣な姿勢でそれぞれを全体として念頭に置いた視察ではなかったことを暴露していると言える。

 もしそういった真剣な姿勢であったなら、「原子力について少し勉強したい」等といった不見識となる言葉は決して口を突いて出ることはなかったろう。

 軽い気持で視察に及んだということである。既に地震の凄さ、津波の凄(すさ)まじさ、被害の甚大さを報道が伝えている中で、多くの被災住民がパニック状態になっているであろうことも想像できずに、「原子力について少し勉強したい」という気持で視察に出かけたのである。もしかしたら原発事故に対して重大な懸念すら抱いていなかったのではないか。

 同じ言い回しになるが、多くの被災住民がパニック状態になっているであろうという状況を想像し、その状況を背中に背負い、念頭に置いていたなら、同時に原発事故に対しても重大な懸念を抱いていたなら、やはり、「原子力について少し勉強したい」などという言葉は決して口を突いて出ることはなかっただろう。不見識と取られても仕方あるまい。

 普通の常識を持った人間なら、「大丈夫だろうか。大変なことにならなければいいが」といった言葉が口から洩れるはずであり、緊張で顔を蒼ざめさせてもいたに違いない。

 3月13日(2011年)の当ブログ記事――《菅首相は今回の地震をチャンスとして自身の情報発信力に利用しようとしている - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に、〈菅首相は今回の地震をチャンスとして自らの情報発信力の一つに利用しようとしていたのでは〉と書いたが、やはり同見ても、原発視察も、その後の被災地のヘリによる上空視察も、自己発信力宣伝のパフォーマンスとしか映らない。

 菅首相は本質的には緊張感を持ち得ない政治家なのではないだろうか。だから、どのような重大状況にあっても、一時もすると、満面一杯の笑いを見せることができる。だから、首相官邸の出入りで、両手の拳を握り、胸を張って厳しい表情の顔を作り、軍人風にいかめしい歩き方を示さなければならない。

 緊張感のなさを殊更隠さなければならないからだ。自然な歩き方で緊張感を見せることができない。

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津波でビルが倒壊したということだが、指定避難場所としてのビルの必要性は否定できないはず

2011-03-28 10:39:57 | Weblog




 昨3月27日(2011年)エントリーした、《大地震・大津波が来ても住民が助かる街づくりは不可能だろうか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》でこれからの指定避難場所として津波が建物に当たったときの衝撃を弱くするために敷地面積を狭くし、狭くした分、上に伸ばしたノッポとし、尚且つ住民が10分前後で逃げ込むことができるよう複数建てる必要上、複数の施設を纏めて入居させる複合ノッポビルが適切ではないかと素人ながら書いたが、昨夕のWEB記事が津波でビルが倒れたという記事を載せていた。

 津波がビルマまで倒壊させるとしたら、昨日のブログ記事は怪しくなるが、今回の津波が河川を俎上して15キロにも達したといった例は別にして、海岸線から4キロ、5キロとに達した津波が最も威力を発揮するのはやはり海岸線に近い地域のはずだから、近くに高台や鉄筋コンクリート造りのビルがない場合は新たにビルを建築して指定避難場所とする以外に方法はないのではないだろうか。

 記事の内容を見てみる。

 《女川の鉄筋ビル、基礎ごと倒れる 津波17メートル超か》asahi.com/2011年3月27日19時25分)

 東日本大震災で被災した宮城県女川町の出来事で、確認されたのは町の中心部。4棟以上の2~4階建てのビルが基礎ごと倒れ、地盤に打ち込んだ杭も一部、引き抜かれていた。船などの漂流物にぶつけられた跡はなく、水流の力だけで倒れたと見られているという。

 どんなビルかというと、鉄骨造りのほか、古い鉄筋コンクリート製と見られるものもあったと記事は書いている。

 記事だけでは詳しいことは分からないし、当方も建築の専門家ではない。土木作業に携わった経験はあるが、ペイペイの土木作業員、いわゆる土方として携わった経験のみだから、専門知識はないが、経験から知る限りのことを述べてみるが、但しあまり当てにはならない。無責任だが、述べることの正否の判断は読者に委ねるしかない。

 記事は、〈津波では壊れにくいと考えられてきた鉄筋コンクリートのビルも含まれ、17メートルを超す津波の強い水流で倒されたらしい。〉と解説している。

 早稲田大の柴山知也教授(海岸工学)は建物にかかった津波の力は1平方メートルあたり数十トンにのぼったと推測しているという。

 また、女川湾入り口の大型防波堤も倒れて水没、防潮堤のない中心街を守る砦の役目を喪失していた悪条件も作用したビル倒壊ということらしい。

 一般に鉄筋コンクリート製ビルは津波の力では倒れにくいと考えられていて、高台が近くにない場合の指定避難所とされていると記事は解説した上で、柴山早大教授の話を伝えている。

 柴山早大教授「女川では鉄骨造りも含め、基礎ごと倒れていることが深刻。湾奥を襲う津波の水流のすさまじさが示された珍しい例と言え、今後の津波避難ビルのあり方の検討が必要だ

 ノッポビルは上に伸びるほど倒れやすくなる。それを防ぐために地中に埋める部分の基礎コンクリート部分を高くしたり、ビル自体の底面積よりも基礎コンクリートの面積を広く取ったり、杭(コンクリートパイル)の本数を増やしたり、あるいはより長い杭(コンクリートパイル)を用いて、より深く土中に打ち込むことで尚一層強固に地面に固定するといったことをして倒壊に対する備えとする。

 鉄骨造りの場合は同規模の鉄筋コンクリート造りよりも全体的な重量が軽いために一般的には基礎の強度は低い。また地震に対する揺れも鉄筋コンクリート造りよりも鉄骨造りの方が揺れる。

 そういった関係からの鉄骨造りのビルの倒壊ということかもしれない。

 記事は地盤に打ち込んだ杭も一部、引き抜かれていたと書いているが、図で概略を示したが、杭(コンクリートパイル)はビルの基礎の面積とビルの高さ(階数)に応じた本数と、やはり面積と高さに応じた深さで地中に打ち込んで、その頭を1メートル前後、地面に潜って隠れるビルの基礎コンクリート部分相当に土を掘削した穴から出して鉄筋を排してコンクリートで埋め込んでビルの基礎とし、その上に鉄筋でコンクリートをつないで各階を積み上げていく。

 また杭(コンクリートパイル)自体にも鉄筋が配してあって、簡単には折れたり潰れたりしないようにそれなりに強度を持たせている。

 地中に杭(コンクリートパイル)を打ち込んで、地震に対して強度を持たせたビルが基礎コンクリートごと倒れるとしたら、杭(コンクリートパイル)が基礎コンクリートの底部に近い箇所で津波の圧力か、あるいはそれ以前に地震自体の揺れによって亀裂が入っていて、そこに新たに津波の力が加わってビルを倒していき、その倒れる力で杭(コンクリートパイル)の鉄筋を引きちぎってしまったか、記事に書いてあるように基礎コンクリートと杭(コンクリートパイル)がつながったままの状態で杭(コンクリートパイル)を引き抜く形でビルがそのまま倒れたか、いずれかを考えることができる。

 また古い鉄筋コンクリート製と見られるものもあったと記事が書いているが、築造年が何年か書いてないから詳しいことは分からないが、耐震性やビル本体の劣化の問題も生じる。

 こういった様々な問題に関係なく、1平方メートル辺り数十トンの津波の力がすべて関係した倒壊ということだとしても、やはり最初に書いたように高さ16~7、8メートルにも達する津波から身を守るための避難場所として津波の高さに優る自然の高い場所を近くに求めることができない場合は鉄筋コンクリート製のビルを建てて指定避難場所とする以外に方法はないように思うし、指定避難場所としてのビルの必要性は否定できないと思う。

 あとの問題は柴山早大教授が言っているように「今後の津波避難ビルのあり方」であろう。

 ビル本体の底面積より基礎コンクリートの面積をより広く取り、その高さもより高く取って、杭(コンクリートパイル)の本数を増やし、その長さもより長い物を用いて、より深く土中に固定して1平方メートル辺り数十トンの津波の力に耐え得るビルを建てる以外にない。

 その際、四角形のビルよりも円筒形のビルの方が津波の圧力を避けることができるかもしれない。

 問題は資金である。だが、地震や津波で命を失わさせないためにも、あるいは国民の生命と財産を守るという観点からも、国と自治体は豊富な補助を行い、各地域の要所要所に誰もが避難できるように配置した指定避難場所としてのビルを建てることによって、命の犠牲の回避を可能な限り図るべきではないだろうか。


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大地震・大津波が来ても住民が助かる街づくりは不可能だろうか

2011-03-27 10:52:29 | Weblog



 14メートル、あるいはそれ以上の高さに達した場所もあるという今回の大津波では地域の指定避難場所に逃れたものの津波が押し寄せ、2階にまで達した、あるいは津波に建物ごと流されて犠牲となった等の報道を目にする。普段の防災訓練で避難場所として利用していて、避難場所はそこだと固定観念としていた無理もない行動性がまさかの悲劇に襲われることになった。

 昨3月26日(2011日)の、と言っても22時48分発信のネット記事「47NEWS」――《大津波、2年前に危険指摘 東電、想定に入れず被災》が、調査した平安時代前期869年の貞観(じょうがん)津波の痕跡から東電に対して大津波の危険性を指摘していたと報じている。

 指摘したのは独立行政法人「産業技術総合研究所」岡村行信活断層・地震研究センター長だそうだが、869年というと1142年前となる。

 「Wikipedia」には、地震規模は推定8.3以上。〈津波堆積物調査から岩手県沖 - 福島県沖、または茨城県沖まで震源域が及んだ連動型超巨大地震の可能性が指摘されている。〉と書いてある。

 指摘は2009年の審議会。他のネット記事によると、この審議会というのは電力会社が実施した「耐震性再評価の中間報告書案を検討する審議会」(毎日jp)だそうだ。なぜ「耐震性再評価中間報告書案検討審議会」と名付けなかったのだろうか。記事の方で「耐震性再評価中間報告書案検討審議会」と名付けてあるものをわざわざ「耐震性再評価の中間報告書案を検討する審議会」と言い替えるはずはないから、天下っている元役人が勿体振ってわざと長たらしい上になおさら長たらしい名前にしたのかもしれない。

 大津波指摘に対して、〈東電側は「十分な情報がない」として地震想定の引き上げに難色を示し、設計上は耐震性に余裕があると主張。津波想定は先送りされ、地震想定も変更されなかった。この時点で非常用電源など設備を改修していれば原発事故は防げた可能性があり、東電の主張を是認した国の姿勢も厳しく問われそうだ。〉と記事は書いている。

 岡村研究センター長「原発の安全性は十分な余裕を持つべきだ。不確定な部分は考慮しないという姿勢はおかしい」

 記事は、〈06年改定の国の原発耐震指針は、極めてまれに起こる大津波に耐えられるよう求めるなど大幅に内容を改めた。東電は、新指針に基づき福島第1原発の耐震設計の目安となる基準地震動を引き上げると経済産業省原子力安全・保安院に報告。保安院は総合資源エネルギー調査会の原子力安全・保安部会で研究者らに内容の検討を求めた。〉と書いているが、その報告があったのか、未だ検討中なのかまでは記事は書いていない。

 但し東電側は津波に関して「十分な情報がない」という姿勢だったのだから、地震震度に対する耐震性に重点を置いた対策だったのだろう。

 記事は最後に次のように解説している。

 〈委員の岡村氏らは04年ごろから、宮城県などで過去の津波が残した地中の土砂を調査。貞観地震の津波が、少なくとも宮城県石巻市から福島第1原発近くの福島県浪江町まで分布していることを確認した。海岸から土砂が最大で内陸3~4キロまで入り込んでいた。
 貞観津波についての研究は1990年代から東北大などが実施。岡村氏らの研究チームは、津波を伴う地震が500~1000年間隔で発生してきたとしているが、震源断層の規模や形状、繰り返し期間をめぐっては研究者間でも異論がある。〉――

 要するに東電側は今回の津波の高さ・強さを想定外としているが、実際は2009年に指摘を受けていた時点で既に“想定外”としていて、今回津波を受けて後の祭りとなった“想定外”だったことになる。

 あくまでもその意味での「想定外」でなければならない。

 貞観津波の指摘は東電に対してだけではなく、一般にも伝えられていたことを、《“避難所変更を”署名実らず》NHK/2011年3月26日 23時4分)に見ることができる。

 仙台市若林区六郷地区では海岸から2キロ余り離れた地区の小学校が「津波が達しない場所」として指定避難場所となっていた。だが、1000年以上前に、と書いてあるから、貞観津波のことだろう、この地域一帯にも津波が及んだ形跡があるという最新の研究結果を基に専門家と勉強会を開き、この専門家というのが上記「47NEWS」記事が紹介している独立行政法人「産業技術総合研究所」岡村行信活断層・地震研究センター長なのかどうかまでは書いてないが、指定避難場所を海岸から2キロ余り離れた地区の小学校から盛土上に通した仙台東部道路への変更を仙台市に求め、去年4月には「仙台東部道路に登るための梯子(はしご)を設置してほしい」と1万5000人分の署名を提出したという。

 だが、この要望が生かされる前に今回の地震と津波が発生。指定避難場所だった2階建ての小学校は2階まで浸水、1階や校庭に避難した人たちは津波に流されてしまったと、避難した人の話として伝えている。
 
 指定避難場所を小学校から仙台東部道路に変更を求める活動をしていた住民は最初から小学校は危険と考えて、仙台東部道路に逃げて助かったという。その一人の大友文男氏(78)の話を伝えている

 大友文男氏「私たちの呼びかけが広がっていれば、もっと多くの人が救えたはずで、残念だ」

 勉強会を開いていた専門家かどうかは分からないが、東北大学の今村文彦教授の発言も伝えている。

 今村教授「今回の津波を教訓に、避難場所の指定を見直していくことになるだろう」

 だが、教訓の代償は余りにも大きく、残酷である。

 1万5000人分の署名を仙台市に出したのは去年4月。少なくとも10ヶ月は経過している。記事は、〈この要望が生かされる前に津波は起きてしまい〉と書いているから、仙台市は承諾・却下のいずれの決定もしていなかったことを示している。検討中だったのか、放置していたのかどちらかということになるが、10ヶ月も検討中ということはないだろうから、放置され、忘れられていた可能性がある。

 実際のところはどうだったのかの検証が必要となる。もし役所の習いとして放置していたなら、人命を間接的に奪った責任を問わなければならない。

 テレビで被災者が、また戻ってきて家を建て、街が復興したとしても、津波が再度襲ってきたら何もならないことになると絶望的な顔で話していた。それ程にも衝撃的な津波の来襲であり、津波一過の無残な災害の爪跡ということに違いない。

 いくら耐震に気を使って家を建てても、津波が簡単に持っていってしまう。例えコンクリートで頑丈な家を建てても、津波が窓のガラスを一旦破ったなら、そこから浸水して、あっという間に2階、3階にまで達することになりかねない。窓ガラスという窓ガラスを防弾ガラス並みの強度に保たなければ、安心できないことになる。

 問題は資金ということになる。政府がすべての家庭に補助金を出して、そういったちょっとした城のような頑丈な家を建てて地震と津波の備えとするのか。

 この方法による補助金の範囲は今回の被害地域のみにとどまらず、首都直下型地震や東海地震、南海地震、その他の予想される地震域すべての家庭に給付しなければならないことになって、自ずと国家予算との兼ね合いの問題が生じる。

 そこまで補助金が出せないということなら、別の方法を津波の備えとしなければならない。

 一つは指定避難所の建物を津波の高さと勢いに耐え得る高さと強度を持った建造物とする方法がある。《「安全地帯を二重三重に」釜石市長、津波に耐える避難所必要》MSN産経/011.3.22 12:38)がその覚悟を持った岩手県釜石市野田武則市長の発言を伝えている。

 3月22日、自衛隊のヘリコプターで空から市内を視察後、記者団に語っている。

 野田釜石市長「安全地域を二重三重に組み立てる仕組みを作りたい」

 記事は、〈具体的には、防潮堤を越える津波に対処できる避難場所の確保などを挙げた。〉と書いている。

 「安全地域を二重三重に組み立てる仕組み」という発言と今回の津波の高さから解釈できるイメージは指定避難場所とする建物を鉄筋コンクリートの4階、5階の高さとし、その周りに15メートル程の高さの、どんな津波にも耐えうる分厚い塀を360度隙間なくめぐらして、出入口を鉄製の小さな扉として、そこから出入りするといった構造が浮かんでくる。

 私自身が考えているのは街づくりを通して大地震・大津波が来ても住民が助かる工夫である。但し街づくりに関しては素人だから、効果的かどうかは分からないし、また既に誰かが出しているアイデアかもしれない。そうであったなえら、ご容赦願いたい。

 かなり以前から、地方の小都市は国鉄(現在のJR)の駅を中心に街は発展し、中には駅前のみ商店街らしい光景が現出するだけで、駅前から一歩街中に足を踏み入れると閑散とした風景が広がるといった小都市もかなりあるが、そういった小都市も含めて、駅前にはその街のメインストリートというものがあるだろうから、駅前の四つ角に土地代がゼロの交差点を吹き抜けにした四足の高層ビルを建て、そこに喫茶店から書店から金物屋からスーパーから、すべての商店、映画館がるなら映画館、美術館があるなら美術館、図書館があるなら図書館、そして各種事務所や交番までをビルに街を入れる発想で纏めて入れた、街の機能を持たせたビルを建て、ビルの周囲の土地を美しい公園とすることを考えていた。

 この考えの一端を2009年10月8日の当ブログ記事――《八ッ場ダム、生活の発展的原状回復で国の中止に妥協してはどうか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》と2008年2月21日エントリーの《地方自治体病院赤字脱却はPFI方式による商業・住居施設併設の複合施設化から - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に取り入れている。

 前者の内容は前原誠司が国交相時代、就任早々八ッ場ダム建設中止を表明。対して関係知事や地元住民が強硬に反対した。そこで住民に対する呼びかけとして、届かないことは分かっていたが、温泉宿を一軒の大きな建物に纏めて、ジムナジウムや卓球ルームやバトミントンルーム、室内テニスルーム、室内ミニバスケットルームを併設し、建物外は広々とした公園として、公園の中にハーフゴルフ場、室外テニスコート、高齢者用のゲートボール場を設けて活気を呼び込むことで国の中止に賛成してはどうかといったものである。

 広い公園を設け、公園の中にハーフゴルフ場、室外テニスコート、高齢者用のゲートボール場を設置する敷地の確保は80年代には22軒あった旅館が現在残っている7軒を一つの建物の中に纏めることによって可能となる。

 後者の内容は赤字経営に悩む公立病院を高層ビル化し、そこにスーパーやコンビニ、百円ショップ、小さな映画館、書店、喫茶店、ラーメンショップ等、客数が多く望める店を対象にテナントとして募集・入店させ、上層階は一部を賃貸マンションとして、そのテナント料と部屋賃貸料から病院の赤字を補填して病院経営を成り立たせてはどうかというものである。

 記事の中に、〈マンションの一部賃貸部分はワンルームとし、独身の看護師や医者を対象に安く賃貸する。彼らは独身であるゆえに階下の商業施設を出会いの場とする恋愛や結婚を目的とした一般の若い男女を集める魅惑的な誘蛾灯となってくれるだろう。中には一緒のマンションに住みたいと一部屋買う男女も出てくるかもしれない。〉と悪いことまで書いた。

 このメインストリートの広い道路の交差点上に四足ビルを建てるという発想はフランスの凱旋門から思いついた。凱旋門は一本の道路を跨いで建ててあるが、四足ビルは東西南北の二本の道路を四つ角で跨ぐ形を取る。

 だが、2010年10月3日の「47NEWS」記事――《国交省、道路空間を民間に開放 有効活用で収益還元》(2010/10/03 15:47 【共同通信】)が、国土交通省が道路の高架下や上空スペース(道路空間)の利用制限を緩和し、民間に広く開放する方針を決めたこと、路空間活用事業企画を6月下旬から7月末に募集したこと、それに対して道路をまたぐ商業ビル建設のほか、道路の高架下への物産店開設、高架側面を利用した太陽光発電など計166件の提案が寄せられたこと、歩道上のオープンカフェや、広告付きの案内看板の設置、レンタサイクル用の自転車置き場開設などの提案もあったと伝えたことから、そこで素人の出る幕はなくなった。

 記事は最後に、〈道路空間の利用は道路法などで制限されているが、国交省の成長戦略会議は5月、「財政出動を伴わない成長戦略」として道路空間のオープン化を打ち出していた。〉と解説している。

 私自身の考える「大地震・大津波が来ても住民が助かる街づくり」とは海岸線近くの地域に住民が地震発生から指定避難場所まで余裕を持って逃げることができる距離に15~20メートルの高さの津波が襲ってきても破壊されない鉄筋コンクリートの縦長の10階建て程度のビルを建て、そこにいくつかの事務所や商業店舗を入れて複合ビルとし、ちょっとした街の機能を機能を持たせる。

 昇降にはエレベーターは地震が発生して電気が止まると使えなくなるから、エレベーターは設置せずに、例え場所を取ることになったとしても、一度に大勢の人間が扱ってもいいように一般よりも幅の広いエスカレーターを設置。地震で停止したとしても、階段として使用可能となる。

 勿論、カネと場所の余裕があるなら、エレベーターを設けてもいいことになる。

 欲を言えば、建物の四方にエスカレーターを設置したなら、それだけ早く階上に逃げ込むことが可能となる。一つしか設置できない場合はエスカレーターの乗り場を探しているようでは逃げ遅れる危険性が生じるから、建物の正面内部真正面背後のすぐと分かる場所に設ける必要がある。

 ビルの出入口は東西南北、四方に取り、どこから逃げてきても最短でビルの中に逃げ込むことができるようにする。出入口を四方に取り、エスカレーターも四方の出入口に合わせてそれぞれ真正面に4箇所のエスカレーターが設置可能なら、エスカレーター上り口に到達できる時間をより短くすることができる。

 勿論、エスカレーターは停止していることを予想して、上っていかなければならないが、幼い子どもや高齢者は大人が助けて登っていく必要がある。

 津波は地震発生後30分程で襲ってきたとされているが、〈津波の第1波の到達は地震発生から15~20分との見方もある〉(asahi.com)ということだが、その地域に住むすべての住民が10分以内に逃げることができる場所に、そこに郵便局があるなら、郵便局をベースに銀行や病院、その他の施設、消防署でも警察署でも、何でもいいから複合施設として纏めて、縦長の10階程度のビルを建て、上記と同じように指定避難場所としての設備を備えるようにする。

 教育機関も同じように保育園・幼稚園、小学校、中学校、英会話教室、ピアノ教室、あるいは介護施設等々、集めることができる施設、経営体を集めて、縦長のビルに纏めて、指定避難場所とする。現在あるような横長の2階建て、3階建ての建物は津波が予想される地域では一切廃止する。勿論、予想地域は万が一を考えて大きく取る必要がある。

 幼児から中学生まで普段から階段を使う習慣をつけけたなら、車社会によって落ちているとされる運動能力回復に役立つかもしれない。

 もし自家発電装置が必要なら、地下に設けて、潜水艦の内部のようにハッチを閉めると海水が浸水しないような仕様の扉を設けて防水とするか、最上階に設ける。

 ノッポのビルを建て、外装の色を統一したなら、他処から来た人間も地震・津波の際の指定避難場所とすぐに判断できるのではないだろうか。

 この方式は家を守ることよりも人の命を守ることに重点を置いた対策だが、役に立たないアイディアであったり、既に誰かが提案していたなら、再度悪しからずご容赦を。



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菅首相の余りにも無能な指導力・無能な合理的判断能力を曝した国民向けメッセージ

2011-03-26 11:11:49 | Weblog

 菅首相が久しぶりに公に姿を見せた。地震発生から2週間を迎えたということで国民向けにメッセージを発した。相変わらず被災に対して、「改めて心からお見舞いを申し上げます」の常套句、決まり文句で始まっている。被害を受けた被災者の精神的な内実に触れずに、「お見舞いを申し上げます」の言葉で一括りしている。被災者の命からがら避難所に逃れ、それぞれに抱えている不安や悩み、失望、悲しみ、無力感といった現状を思い遣り、励まし、勇気づけるに効果ある言葉は一言もなかった。

 「心からお見舞いを申し上げます」と言ったあと、「政府は現時点で、2つのことに全力を挙げて取り組んでおります」と早々に政府が行っていることに入っていったことでも分かる。

 要するに「心からお見舞いを申し上げます」形式的な社交辞令に過ぎないと言うことである。

 このことは地震発生以後のこれまでの国民向けメッセージを見れば分かる既定事実であったが、ここにこそ菅首相が国民と一体となっていない姿がある。自らは元市民活動家、元市民派と名乗っている、いわば自称していることとの奇妙な乖離、矛盾があることに本人は気づいていない。

 首相官邸HPから採録、記載、質疑応答に入ってから、菅首相の余りにも無能な指導力・合理的判断能力を曝した箇所がある。そこを取上げて、その理由を述べてみる。

 《菅総理からの国民の皆様へのメッセージ》(2011年3月25日)
   
 地震発生から2週間を迎えました。被災された多くの皆さんに、改めて心からお見舞いを申し上げます。

 政府は現時点で、2つのことに全力を挙げて取り組んでおります。その第1は、福島第一原発事故の事態収拾と放射能汚染へのしっかりした対応であります。第2は、被災者の方々への支援と、更に復興に向けての準備を本格化させることであります。

 まず第1の福島第一原発について申し上げます。東京電力、自衛隊、警察、更には東京や大阪などからの消防隊。そういった皆さんが本当に命がけで活動をされていることに、心から敬意と感謝を表したいと思います。

 昨日、被曝により病院に搬送された方々にも、心からお見舞いを申し上げます。安全性に十分留意し、冷却機能復旧に向けて、事故対策統合本部を中心に官民一体で、更には米軍などの支援もいただいて、事態収拾に全力を挙げているところであります。

 また一方、放射性物質の食物や水などへの影響については、自治体と連携をして、しっかりモニタリングをするよう、そのモニタリングの強化を進めてきました。得られた情報は迅速に開示し、すべてを国民の皆さんに、あるいは国際社会に対しても透明性高く公開をしてまいりました。同時に、健康に及ぼす影響についても、しっかりと説明をしてまいりました。これからもこうした姿勢で臨んでいきたいと考えます。

 更に農家や酪農家など、事業者の皆さんには、大きな損害を与えていることに心からお詫びを申し上げたいと思います。こうした皆さんには、確実な補償と支援を行うという点で万全を期したい。こう考えております。

 また、第2の被災者支援とこれからの復興に向けて申し上げます。支援物資の供給は引き続き充実させてまいります。また、ボランティアの円滑な活動を「震災ボランティア連携室」が支援する態勢を取りました。岩手、宮城、福島を始め、更に茨城、千葉など、被害は広範囲に及んでおります。そうしたすべての地域を漏れなく支援してまいります。その上で、今後は本格的な復旧、復興にも目を向けて、準備を進めていかなくてはなりません。住宅、医療、介護、教育、雇用など、そうした生活の面と同時に漁業、農業、そして工業など、生産活動の両面から、この地域全体の、そして、暮らし全体の再建が必要と考えております。

 政府は被災者生活支援のための対策本部を設けました。ここを中心に人材を総動員して、各地域の要望を実現できる、そうした態勢をつくりました。その一環として、被災地域の行政について、政府の職員も派遣をして、支援する、そうした取組みを進めたい。こう考えております。震災に伴う負担を個人や個々の家庭だけに押し付けるのではなくて、社会全体、国全体が負担を分かち合う。こういう姿勢で臨んでまいりますので、どうか被災を受けられた方も、勇気を奮って復興に向けて歩んでいただきたい。そのようにお願いを申しあげます。

 このように、政府はすべての能力を発揮する姿勢で、昼夜を分かたず全力を挙げていることを是非国民の皆様にもお伝えしたいと思います。そして、同時に被災を受けられた皆さんを始め、すべての国民がこの戦後最大の危機に対して、それぞれ力を合わせ、力を奮って立ち向かっていただいていることに心から敬意を表すと同時に、これからもその姿勢でもって、この危機を共に乗り越えていこうではありませんか。

 震災発生から2週間目に当たって、これからの国民の皆さんの一層の団結と一層のこの危機を乗り越えていこうというそういう気持ちを一つにする、そのことをもって、今日、2週間目に当たっての私からの国民の皆さんへのメッセージとさせていただきます。

 【質疑応答】

 (内閣広報官)
 それでは、質問を3~4問受けさせていただくことといたします。坂尻さん、どうぞ。

 (記者)
 朝日新聞の坂尻です。
 
 今日は2週間という節目ですので、やや振り返ったことをお伺いしたいのですが、それは福島第一原発をめぐる政府の対応です。総理が住民の方々に出されている避難指示は、当初3~10km、20kmと変わりまして、20~30kmは屋内退避という指示になっております。今日はその20~30kmの屋内退避の方々に対して、自主的な避難を要請するということが公表されています。この間の経緯を振り返ると、悪化する事態に対して、政府の対応はその事態を後追いしているのではないかという面も否めないかと思うのですが、政権の危機管理という観点から、総理はこの間の対応はどのように考えていらっしゃいますでしょうか。

 (菅総理)
 この退避の範囲については、原子力発電所の状況。また、放射性物質が気候の関係も含めて、どこにどう行くのかという予測。そして、何よりも各地域で得られたモニタリングの数値などに基づいて、原子力安全委員会が中心となって、その専門家の皆さんが分析・判断をいただいた上で、最終的に政府として退避の指示を出しております。そういった専門家の皆さんの判断を尊重した対応でこれまでもありましたし、これからもそうした姿勢で臨んでいきたいと考えております。

 (内閣広報官)
 青山さん、どうぞ。

(記者)
 これに関連してですけれども、管理総は現段階での原子炉、福島第一原発の現状をどのように認識されているのか、改めてお伺いしたいのと、これを収束させるめどについて、どう考えているのか。あと避難指示などの範囲を拡大するお考えはないのか、お聞かせください。

(菅総理)
 今日の福島第一原子力発電所の状況は、まだまだ予断を許す状況には至っていない。悪化を防ぐという形で対応しておりますけれども、予断を許す状況には立ち至ってはいないという認識を持っております。

 引き続き、極めて高い緊張感を持って、一つひとつの事態に当たっていかなければならない局面が続いていると、このように認識をいたしております。

(内閣広報官)
 山口さん、どうぞ。

(記者)
 NHKの山口です。
 現在も多くの方が避難所で厳しい生活を余儀なくされていますけれども、一番は仮設住宅の希望というのが多いということなんですけれども、国はこの仮設住宅についてどういうスケジュール感を持って考えていらっしゃるのか教えてください。

(菅総理)
 仮設住宅については、震災発生直後から、国交省大畠大臣を中心に、関係方面にその仮設住宅に使うプレハブの発注などを進めてきております。早いところでは、月内にもそういう作業が始まるのではないかと思いますが、いずれにしても、大変大規模な震災でありますので、しっかりと地元の皆さんの希望を聞いて、対応していきたい。それぞれ先ほど申し上げました被災者支援対策本部において、そうした計画をしっかりと立てて、進めていきたいと考えております。

(内閣広報官)
 それでは、最後の質問とさせていただきます。

 伊藤さん、どうぞ。

(記者)
 ジャパンタイムズの伊藤と申します。

 先ほどからお話に出ていますけれども、日本政府は20km圏内の住民の方々に避難指示を出されている一方で、各国政府が大使館などを通じて80kmなどという指示を出されたりしていて、特に在日外国人のコミュニティの中では混乱や不安が生じました。

 そういう意味で、日本政府がうまく諸外国とコミュニケーションをとれていないのではないか、または情報などが必ずしもすべて出ていないのではないかということも指摘されるんですけれども、それに対する総理の受け止めと、今後どのようにこの状況を改善し、諸外国との情報を共有されるつもりかお考えをお聞かせください。

(菅総理)
 まず最初の点は、先ほども申し上げましたけれども、この退避の範囲については、原子力発電所の状況とか、放射性物質がどう拡散していくのかという予測、更には各地域で得られたモニタリングの数値などを中心にして、原子力安全委員会、これは専門家の皆さんの集まりですので、この皆さんを中心に、専門家の皆さんに分析、判断をしていただいた上で、そこの助言あるいは勧告をいただいた中で、この退避の範囲を決めているところであります。

 各国の考え方について、それぞれの国による基準が設定されていると思いますが、我が国がそれらの国に対してしっかりと情報を提供するというのは当然のことでありますし、それに努めております。この間、いろいろな形で各国に情報提供をしておりますけれども、例えば各大使館、あるいは英語による記者会見等、状況についてすべての国々あるいは国際機関に透明性高く情報提供をしておりまして、その点については、各国政府からも我が国の情報提供については、十分透明性があるというふうに理解が深まってきているものと、このように認識をいたしております。

(内閣広報官)
 それでは、これで総理からのメッセージを終わります。ありがとうございました。

 質疑応答に入るに当たって内閣広報官が「それでは、質問を3~4問受けさせていただくことといたします」と、「3~4問」と制限を加えたのは菅首相からの指示があったからだろう。まさか菅首相が内閣広報官のロボットではないはずだからだ。

 国民は原発問題や被災者の今後、復旧、計画停電、経済への影響、補正予算、税収問題等々、多くのことを知りたいと思っているはずだ。そのことに応えるべく記者からの質問が途切れるまで受け付けようといった最高責任者としての責任意識、誠実さはなく、逆に質問に制限を加えた責任意識、親誠実さは「改めて心からお見舞いを申し上げます」から「国民の皆さんの一層の団結と一層のこの危機を乗り越えていこうというそういう気持ちを一つにする」までの国民に向けたメッセージを意味のないもの、言葉の実体を失わせるものとしている。

 一つ一つの発言を挙げて、いかに実体のない言葉であるか見てみる。
 
 避難所に避難した被災者に対して「支援物資の供給は引き続き充実させてまいります」と確約している。初期的、中期的に充実させることができなかったにも関わらず、その不手際に対する謝罪もなく、そのことを平気で無視している。しかも現在もなお、医薬品不足や燃料不足を訴える声が上がっている。支援物資が行き渡っているところ、行き渡っていないところのバラつきを指摘する声も上がっている。

 被災者支援が有言実行となっていない、有言不実行の有様が被災者のみならず、多くの国民をして菅内閣に対する政治不信を醸し出している状況にありながら、いわばあれをやります、これをやりますとあれこれ約束しながら、約束通りのことをしないために信用を失った男が「ボランティアの円滑な活動を『震災ボランティア連携室』が支援する態勢を取りました」とさらに約束しているようなものだから、いくら約束しようとオオカミ少年の「オオカミが来た」に等しい実体のない言葉となる確立は限りなく高いと見なければならない。

 前提は常に政府や首相に対する国民の信頼であろう。信頼は言葉と行動を一致させることによって獲得し得る。限りなく言葉と行動を一致させて信頼されていることを前提に言葉を発しないと、言葉は実体を持たないことになる。

 要するに菅首相に対する政治不信の原因となっている有言不実行は地震発生後に現れたのではなく、元々の有言不実行が地震に対して満足に機能させることができなかった危機対応・指導力によってより一層露になっただけのことであろう。

 これまでの政治不信、菅首相不信に加えて被災者に対して早急に充実を図る物資支援と行方不明となった被災者に対する機動的な救命活動・捜索活動を通して不安な中にも政府を信頼させる姿を初期対応という肝心要のときに取ることができなかったことに対する菅内閣に向けた新たな政治不信の蓄積を無視して、政府は「こういう姿勢で臨んでまいります」からと機能していない姿勢を掲げて、被災者も「勇気を奮って復興に向けて歩んでいただきたい」と要求する矛盾したご都合主義は滑稽である。

 菅内閣が発足以来、菅首相が言っていることとは正反対に「政府はすべての能力を発揮する姿勢」を取ることができていなかったために多くの国民に信頼されない政府、信頼されない菅首相となっているにも関わらず、地震被災や原発事故に対して、「政府はすべての能力を発揮する姿勢で、昼夜を分かたず全力を挙げていることを是非国民の皆様にもお伝えしたいと思います」と信頼を求める矛盾も滑稽である。

 「被災を受けられた皆さんを始め、すべての国民がこの戦後最大の危機に対して、それぞれ力を合わせ、力を奮って立ち向かっていただいていることに心から敬意を表すと同時に、これからもその姿勢でもって、この危機を共に乗り越えていこうではありませんか」―― 

 確かに「被災を受けられた皆さんを始め、すべての国民がこの戦後最大の危機に対して、それぞれ力を合わせ、力を奮って立ち向かってい」かなければならない。だが、菅政府の十分な万遍のない精神的支援と物質的支援の関与がそこに存在し、政治への信頼を常にベースとしていたわけではない。満足、的確な情報が政府から発信されていなかったこともそのことに輪をかけ、特に被災者をして混乱と猜疑心に陥れた。
  
 地震と原発事故が益々国民をして、特に被災者をして政治に対する信頼から遠ざけていった。いわば菅政府に対して地震前から離れていた国民の心は地震によって益々離れていった。
 
 国民の心が離れている以上、最後に「震災発生から2週間目に当たって、これからの国民の皆さんの一層の団結と一層のこの危機を乗り越えていこうというそういう気持ちを一つにする、そのことをもって、今日、2週間目に当たっての私からの国民の皆さんへのメッセージとさせていただきます」と涙目で訴えたとしても、菅政府とは「気持ちを一つにする」ことは難しいだろうし、これまでの危機対応、菅首相の姿勢からして、一つことになることは絶望的ではないだろうか。

 政治不信の対象者が「心を一つにして」とか、「気持ちを一つにする」いった言葉を使うのはメッセージを整える美辞麗句に過ぎないだろうし、却って反発を招く原因となるのは間違いない。

 最初に質疑応答に入ってから、菅首相の余りにも無能な指導力・合理的判断能力を曝した箇所があると書いたが、次ぎの質問と応答に見ることができる。

 〈(記者)
 朝日新聞の坂尻です。
 
 今日は2週間という節目ですので、やや振り返ったことをお伺いしたいのですが、それは福島第一原発をめぐる政府の対応です。総理が住民の方々に出されている避難指示は、当初3~10km、20kmと変わりまして、20~30kmは屋内退避という指示になっております。今日はその20~30kmの屋内退避の方々に対して、自主的な避難を要請するということが公表されています。この間の経緯を振り返ると、悪化する事態に対して、政府の対応はその事態を後追いしているのではないかという面も否めないかと思うのですが、政権の危機管理という観点から、総理はこの間の対応はどのように考えていらっしゃいますでしょうか。

 (菅総理)
 この退避の範囲については、原子力発電所の状況。また、放射性物質が気候の関係も含めて、どこにどう行くのかという予測。そして、何よりも各地域で得られたモニタリングの数値などに基づいて、原子力安全委員会が中心となって、その専門家の皆さんが分析・判断をいただいた上で、最終的に政府として退避の指示を出しております。そういった専門家の皆さんの判断を尊重した対応でこれまでもありましたし、これからもそうした姿勢で臨んでいきたいと考えております。〉――

 記者が後追いの対策を追及したのに対して、菅首相は原子力安全委員会の専門家の分析・判断を尊重して政府としての退避の指示を出したと答えている。

 後追いであることよりもより重大な問題は避難及び屋内退避は菅首相が「原子力に強いんです」といくら体裁を張ったとしても専門家の分析・判断が必要だろうし、専門家の分析・判断は原発から何キロ範囲まで避難、何キロから何キロ範囲まで屋内退避と決めるところまでであって、その分析・判断に基づいて政府が避難と屋内退避の指示を出してからの指示を受けた市民の生活が滞りなく維持可能となる取り計らいは政府と自治体が共同で行う政治の問題である。

 だが、菅首相は「専門家の皆さんの判断を尊重した対応でこれまでもありましたし、これからもそうした姿勢で臨んでいきたいと考えております」と、指示だけのことと把え、少しぐらいの不自由は我慢するとしても、一応の差し障りのない市民生活が送れることができるよう政治の関与を必要としたはずだが、そのことへの言及、視線はこの質疑応答に関しては果して一国の政治指導者なのだろうかと疑いたくなるばかりに一切省いている。

 いわば原子力委員会の専門家が分析・判断で終わらせるのは当然であるのに対して、菅首相は首相であるのだからそうであってはならないはずだが、指示以降の市民生活に関しては一国の政治指導者として何のためにそこにいるのか、意味を失った存在となっている。

 屋内待避の指示は3月15日。そして屋内退避を解除して自主避難に切り替えたのは昨3月25日。そして退避指示を出した日の翌日の3月16日に午後4時から開かれた政府の緊急災害対策本部で〈屋内退避している人への支援を充実させる〉よう指示を出している。

《首相“国民に正確な情報を”》NHK/2011年3月16日 17時26分)

 一見すると、避難・屋内待避の指示だけで終わらせていないように見えるが、記事は菅首相が「被災地では、食べ物や水、燃料が不足しており、現在、全力を挙げて、不足を取り除くため努力している。寒いなか、とりわけ燃料がないことは支障を来すため、きちんと提供されるように一層努力したい」と発言していると書いているが、それが地震発生から6日目に入ってからの、菅首相が言っている不足が一向に改善されていない状況にある中での指示であり、それ以降も改善がなかなか進まない実態から見えることは指示は出すが着実な実行をみない菅首相自身の指導力が機能しない姿、政治が機能しない状況であって、このことからすると、屋内退避者への支援充実の指示も菅首相の指導力が機能しないと見て然るべきで、現実にもそういった姿を取った。

 現実に指示が行き渡らない姿を取っている以上、そのことを積極的に改善させることをしなかったのだから、結果的に指示だけで終わらせていたのである。

 このことが記者の質問に対して政治の関与・自らの指導力の関与を一切省いた、そのことに視線を向けることができない答弁へとつながったのだろう。

 屋内退避圏では放射能汚染を恐れて外からの物流が相当量途絶え、また自主避難して商店を閉じる市民も出て、食糧不足、燃料不足、医薬品不足を来たし、市民生活に障害をもたらした。

 枝野官房長官は3月16日夕の記者会見で述べている。

 枝野「過剰反応が生じており、民間業者を中心に(原発から30キロの)屋内退避地域の外側なのに輸送物資が届かないという報告がある。過剰な反応をすることなく、物流でモノを届けてほしい」(asahi.com

 これも要望を口にしただけで、指導力を発揮して問題解決を具体化したわけではなかった。口先だけ達者な詭弁家だから、当然の帰結なのだろう。

 このことは枝野の記者会見から2日後の3月18日 13時37分「NHK」記事――《薬不足などで病院で2人死亡》が証明している。

 屋内退避圏の〈南相馬市の病院では、点滴薬が底をつくなどして十分な治療を受けられずに、少なくとも2人が死亡し、病院は早急な支援を求めています。〉と記事は書いている。

 菅首相が言っている屋内退避生活者への生活支援の充実は屋内退避指示以降も、支援の充実指示以降も、枝野官房長官が要望指示した以降も機能していなかったことを物語っている拠点病院の薬品不足であり、薬品不足の犠牲となった2人の死亡であろう。

 政治も指導力も一切発揮不全の状態にあった。元々指導力を欠いていた指導者という逆説を抱えていたのだから、当然の姿とは言える。

 さらに3月23日08時13分配信の「YOMIURI ONLINE」記事――《静岡・岐阜の援助隊、屋内退避区域の搬送せず》も、菅首相の指示も枝野官房長官の指示も自ら活かしきれていなかったことを証明している。

 記事は書いている。屋内退避圏では〈地元の相馬地方広域消防本部など福島県内の消防隊は活動している〉にも関わらず、〈福島第一原子力発電所の事故で、屋内退避区域となっている原発から半径20~30キロ・メートル圏内にある病院に入院する患者の搬送要請を、静岡、岐阜両県の緊急消防援助隊が「安全が確実に確保されていない」として断っていたことが22日、わかった。〉――

 消防さえ断るのだから、民間業者が配送を断るのも無理はない。

 静岡市消防局「事前準備もなく、詳しい状況が分からない中、出動させることに不安を感じる」

 岐阜市消防本部(市長や消防長、市民病院長らが協議)「隊員の安全を考えて苦渋の選択をした」

 金澤幸夫南相馬市立総合病院長「ここには救急車すら入ってこない。30キロ圏内に入る手前で救急車から自衛隊の車に患者を乗せかえている」《届かぬ食材、閉まる店…福島・南相馬、深刻な食料不足》asahi.com/2011年3月23日20時1分)

 患者の身の安全よりも自らの身の安全となっている。

 記事題名自体が屋内退避圏の南相馬市に於ける政治が機能していない状況、菅首相の言葉が指導力を伴って具体化することはない状況をすべて物語っている。そのことが市民の止まらない流出と物資の流入停止となって現れることとなった。

 〈人口7万人の市に、残るのは2万人。物資の輸送が滞り、各世帯の食料は尽きかけている。〉

 市の関係者「このままでは餓死する人が出かねない」
 同市農家鈴木浩氏(65)「避難した人も不安、残った人も不安だよ」

 〈ガソリンのタンクローリーの運転手が南相馬市のはるか手前で乗り入れを拒んだため、市は大型免許を持つ職員や市民に取りに行かせた。食料品などの生活用品が届かず、スーパーやコンビニが次々と営業をやめ、市全体が深刻な物資不足に陥った。市の関係者は「各家庭の食べ物は底をつきはじめていると思う」と話す。相馬市の相馬総合卸売市場を貸し切って、運送業者が24時間常駐し南相馬市内への食料供給に対応している。ここが命綱だが、届く食料は先細りだ。〉――

 〈近隣の店も閉まり、食材は隣の相馬市まで車で20~30分かけて買いに行く。走行距離は平均40~50キロ。食事は自分の家で作った米と缶詰、ソーセージなどが多い。 〉・・・・

 屋内退避圏内の他の市町村も政治の不在、指導力不在の犠牲となって似たり寄ったりの状況に陥れられることとなった。

 結局南相馬市を含めた屋内退避圏内の高齢患者は家族らが自主避難させたうち3人の死亡を出す政治不在を招いて、自衛隊や協力を得ることができた、多分地元の消防であろう、患者を搬送することになった。《原発30キロ圏内の患者ら避難完了 移動中に3人死亡》asahi.com/2011年3月22日22時32分)

 原子力委員会の分析・判断に基づいた菅首相の屋内退避指示は指示以降、屋内退避者の生活を守るために自らの合理的な判断能力に従った指導力の発揮と政治を介在させなければならなかったはずだったが、機能させることができずに結果的に単に専門家の分析・判断に基づいた指示を出すだけで終わることとなった。

 そのような経緯に見ることができる姿は菅首相の余りにも無能な指導力・無能な合理的判断能力のみである。

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東北地方太平洋沖地震を機に国策で脱原発・達燃料電池

2011-03-25 10:09:21 | Weblog


  
 燃料電池の開発はどれくらい進んでいるのだろうか。燃料電池とはご存知のように水素と酸素で成り立っている水(H2O)を水素(H)と酸素(O)に分離する電気分解の原理を逆利用して、水(H2O)を水素(H)を化学反応させて電気をつくる発電装置を言う。

 水(H2O)と水素(H)を化学反応してもとの水(H2O)に戻るから、排出するのは水(H2O)のみで、排気ガスの流出はゼロでクリーンエネルギーと言われている。但し現在小規模ながら普及している家庭用燃料電池は都市ガスやLPガス等から取り出した水素と空気中の酸素を利用しているために排気ガスは少し出るらしい。

 家庭用燃料電池が各家庭に普及した場合、発電所や送電線が不要となり、膨大な省資源の実現につながると既に久しく言われている。勿論、発電所の中には原子力発電も含まれている。

 今回の東北地方太平洋沖地震は原子力発電に対する安全対策が自然災害の前に如何に脆弱であるかを証明した。地震列島日本に立地している以上、他の原子力発電所も同じ運命にあると言える。

 今後どれ程に膨らむか分からない福島原発事故や計画停電、さらに放射能汚染農産物や畜産農家の原乳等に対する被害額は計算に入れていない地震のみの被害総額は16兆~25兆円と政府試算は弾き出している。

 計画停電が与える経済活動に与える損失一つとってもバカにならないに違いない。

 今後30年前後以内の東海・南海同時地震も予想されている。政府も開発に力を注いでいる燃料電池を原発に替える安全エネルギー・温暖化防止エネルギーとして早急に「脱原発・達燃料電池」を図る必要に迫られているはずだが、そういった姿勢が見えないのはその姿勢に至っていないということなのだろうか。

 どこに大規模地震と地震に伴う大津波が襲ってもおかしくない地震列島を立地としている原子力発電所の危険性を排除し、地球温暖化の元凶でもある二酸化炭素の排出防止を伴う可能な限りのクリーンなエネルギーに持っていくためには燃料電池の普及以外に道はないはずである。

 車も原子力や水力や火力といった発電所が作り出した既存の電気を充填させて走行させる先行的に発展途上にある電気自動車と違って、既存の電気を不要とし、自ら電気を作りながら走る燃料電池車を理想のクリーンカーとして開発が進んでいる。

 2010年03月26日のネット記事――《月額84万円:水道水で車が走る?!》(<bBLOGOS>/2010年03月26日08時23分)が既存の電気エネルギーから燃料電池への転換を謳っている。(文字強調は筆者)

 〈木村剛
金融コンサルタントであり、株式会社フィナンシャル代表取締役社長、ナレッジフォア株式会社代表取締役社長、日本振興銀行株式会社取締役会長を勤める。

 皆さん、こんにちは。木村剛です。「ただいま満席!日替わり定食Blog」さんが「先日、新聞を読んでいると、驚くべきニュースに出会いました。なんと、「水道水で車が走る!?」のだそうです…ホントです。」と伝えてくれました。

 ホンダの米研究開発子会社は、究極のエコカーとされる「燃料電池車」に、燃料の水素を家庭で補充できるよう、小型のソーラー水素ステーションを開発し、公開した。すでに実証実験を始めており、早期の実用化を目指す。ホンダの燃料電池車、「FCXクラリティ」の後部にある水素補充口を開け、水素を送るホースをつなぐ。あとは、ガソリンスタンドの給油機と同じような形の水素ステーションのボタンを押すだけで、水素が補充されていく。ガソリン車の給油とほとんど同じ操作だ。家庭用ソーラーパネルで発電した電気を使って、水道水を電気分解し、水素を作り出す。化石燃料などは一切使わず、車の走行時にも水しか排出しない。・・・

 これって「産業革命」以上の「エネルギー革命」といえる、大きな歴史的出来事ではないでしょうか…。何しろ、家の水道水で車が走ってしまうのですから…。もう、ガソリンスタンドはいりません。そして、これを家庭や工場に応用すれば、自宅や工場に太陽光発電パネルと燃料電池さえあれば、水道水でエネルギーを賄うことができ、電気代・ガス代は不要!ということになります…。鳩山首相が主張する「CO225%削減」も、家庭・企業・車などに燃料電池を導入すれば、たちまち達成されることでしょう…。ま、問題は、この燃料電池車「FCXクラリティ」の製造コストが高くて、リース料が月額84万円!ということです…。ちょっと、買えないかなあ…。しかし、量産化のメドがつけば、トヨタのプリウスなどのHV、日産リーフなどのEVを押しのけ、たちまち普及していくでしょう。

 これってすごい技術ですよね。でも見方を変えれば、月額84万円でこの「水道水カー」を利用できるのであれば、宣伝用に買ってみたいと思う企業は出てくるんじゃないでしょうか。年間1000万円で「エコ」を宣伝できるんだったら安いものだという考え方もあるでしょう。

 実際は、車以外にインフラの部分もいるでしょうから、コストはもっとかかるのでしょうね。それにしても、ホンダは凄い。私みたいな文系人は、こういう発明を実現してしまう理系の方々を素直に尊敬してしまうのです。〉――

 「小型のソーラー水素ステーション」で水道水を使って家庭で水素を作ると言っているが、現在普及している家庭用燃料電池が都市ガスやLPガスを配管・注入して水素を取り出す方式となっていることに対して、理想の形は水道菅をつなげて水道水を注入、電気分解させて水素と酸素に分離、それを再度化学反応させて電気をつくる方式ではないだろうか。

 この方式は「小型のソーラー水素ステーション」を燃料電池に直接組み込むことによって可能となると思うがどうだろうか。

 私自身も2009年4月11日当ブログ記事――《安倍会長「電柱議連」発足/時代は無電線化の方向に向かうべき - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之
で、電線の地中化にカネを使うなら、電線・電柱を不要とする燃料電池の普及を図るべきではないかという趣旨で書いている。

 問題は普及である。普及は常に価格に関わる。価格の中には耐用年数も条件として入る。耐用年数が短いほど、実質的価格は高くなる。

 上記ブログ記事に、〈東京ガスが水素を利用した家庭用燃料電池を開発し、既に07年4月に1号機を首相公邸に導入し、今年度から一般販売を予定しているという。

 現在1台200万円以上する価格を量産効果などによって60万円程度に引き下げる計画・・・〉云々と書いた。 

 07年度から一般販売を予定。コストダウンをどれ程に図ることができ、普及台数はどれ程までにいったのだろうか。

 独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構「燃料電池・水素技術開発ロードマップ2010」を策定、昨年の2010年7月16日にPDF記事で公表している。あくまで開発に関わるロードマップだが、その概要版を見てみる。

 ロードマップ概要版

 《固体高分子形燃料電池(PEFC)ロードマップ》(定置用燃料電池システム)

     現在(2010年頃)  2015年頃  2020年頃   2030年頃

発電効率  約33%~37% 約33%~37%  約33%~37% >約36%~40%

耐久性    4万時間    6万時間       9万時間    9万時間
             (起動停止4千回)   (同4千回)  (同4千回)
最高 作動温度 約70℃     約90℃        約90℃    約90℃

価  格  200~250   約50~70     約40~50   <40       
(単位万円)

 では現在どのくらいの価格で、どのくらい普及しているのだろうか。2009年01月29日のネット記事――《東京ガスなど6社、家庭用燃料電池「エネファーム」発売へ。価格は実質200万円前後》は「200万円前後」の実態を、〈販売価格は346万5000円。ただし導入コストの2分の1(上限140万円)は国からの補助でまかなえる〉結果の「200万円前後」だと紹介している。

 勿論、初期的普及は国のエネルギー政策、温暖化防止政策に深く関わるのだから、補助は当然と言える。但しより早い時期に国の補助なく安価に家庭に普及していく状況をつくり出さなければならないことも当然であろう。

 記事は普及の現況と温暖化防止に関して、〈稼働台数は2008年度末までに3307台で、2009年度の販売目標は1500台。2030年までに累計250万台の普及を目指す。1世帯あたり年間で1.2tのCO2削減ができ、250万世帯に普及した場合、年間300万tのCO2が削減できる見通し。これは東京都の2.5倍に相当する5600平方キロメートルの森林が1年間に吸収するCO2量に匹敵するという。 〉と書いている。

 最新の記事を探してみた。《低炭素社会への切り札、家庭用燃料電池普及のカギとなるのは?》IBTimes/2011年2月28日 06時00分 更新)

 〈世界で初めて商品化されたのが2009年、家庭用燃料電池は「エネファーム」の愛称で一般消費者にも随分浸透した感がある。これは、市場に出る1年も前からCMなどを通じ、PRされた結果でもあるが、実際の設置台数は2009年度が約5200台、2010年度は約6000台(見込)と、まだまだ導入期を脱したとは言えないのが現状だ。一刻も早く普及期に到達するべく、現在多くの企業の間で、高効率で低コストの製品の開発競争が盛んに行われている。〉――

 価格については、〈このPEFCタイプの「エネファーム」は既に第2世代に突入している。4月1日から発売される新製品はパナソニックと東京ガスが共同開発したもので、従来よりも価格を70万円下げ、世界最高の定格発電効率をさらに向上させたものだ。〉 

 70万円下げた価格が「276万1500円」だそうだ。これは上記国の補助金「上限140万円」を抜いた初期的な「販売価格346万5000円」から70万引いた「276万1500円」ということであろう。

 国からのは補助金については平成22年度実績で最大130万円だそうで、最大130万円を引くと、〈140万円程の商品金額、そして工事費やメンテナンス費用などの個人負担があり、一般消費者の導入にはまだまだハードルが高い。耐用年数10年と言われる燃料電池のコストを償却できない現実は、普及のブレーキになっていることは間違いない。〉と普及が進まない状況を解説している。

 普及しないから価格が下がらない、価格が下がらないから普及しないという一般的な悪循環に囚われた姿がここにあるが、果して国は最大限の努力、エネルギー革命の最大の目標としているのだろうか。

 地震列島日本に住みつつ原子力発電所の危険、放射能の危険と背中合わの状態で今後とも10年、20年と運命を共にするのか、次世代、次々次世代の国民に遠い将来に亘って危険と運命を共にさせるのか、地震列島日本から原子力発電所をなくして放射能の危険と背中合わせの状態を脱すべく地球温暖化防止にも大きく役立つ燃料電池の開発とコストダウン、さらにその普及に向けて国策として取り組むのか、今回の東北地方太平洋沖地震を機にはっきりさせるべきときが来たのではないだろうか。

 勿論、燃料電池以外に原子力発電の危険性、放射能の危険性が回避可能な、地球温暖化防止にも最大限貢献するエネルギーが存在すると言うのなら話は別である。


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菅首相の東北地方太平洋沖地震危機管理、効果を殺いだ自衛隊10万人投入

2011-03-23 09:57:41 | Weblog


 ――なぜ早くにヘリコプターで重機を吊るして搬入、土石・残材除去と救命を併せ行わなかったのか――

 ここにきて大動脈としての各交通網が復旧しつつある。《地震で寸断の交通網、徐々に復旧》毎日放送/2011年3月22日16:19)が次のように伝えている。

 22日午前10時に東北自動車道の宇都宮-一関間、常磐自動車道の山元-亘理間などが緊急通行車両と大型車に限り、通行止めが解除された。

 このことにより東北自動車道では大型車は宇都宮以北の全線で通行が可能となり、一関より北は青森までの全線で一般車両も含めて全ての車両が通行できるようになった。

 JR東日本は東北新幹線の盛岡駅と新青森駅の間について運転を再開。この結果、東北新幹線は東京-那須塩原間、盛岡-新青森間の運転が再開。

 但し那須塩原-盛岡駅の間の復旧はメドがたっていないという。

 11日午後2時46分の地震発生から22日午前10時の東北自動車道に於ける全線通行可能は約11日ぶりのこととなる。この復旧は地震の規模と規模に応じた損壊の程度からして当然必要とした日時であろう。

 尤も中国だったら政府の号令一つで人海戦術を採り、大量に労働力を投入、当たり前にかかる時間よりも早く復旧させたかもしれない。常識的な思考では知識のない労働者を投入しても却って足手纏いになると考えるかもしれないが、人間は応用力を備えている。特殊な技術ではなく、単純労働の場合は見よう見真似から始まって応用力を発揮、基本的な技術は瞬く間に身につけるものである。

 いずれにしても高速道、鉄道の大動脈はほぼ確保できる状況に至った。

 これに先立って自衛隊と米軍が救援活動を開始していて、自衛隊は初期の2万人態勢から、5万人、10万人態勢へと増強、人命救助と支援物資輸送に力を注いでいるが、昨日の22日時点でも依然として避難所に物資が満足に行き渡らない状況が続いていた。食糧、燃料、医薬品、オムツや生理用品等々。

 昨日3月22日の「NHKクローズアップ現代」/「被災者に届け 支援物資」はこのような物資不足を反映させた内容となっている。

 案内メールには次のように書いてある。〈厳しい暮らしを強いられる東北関東大震災の被災者に、必需品を届ける動きが企業で始まっている。コンビニ大手は、避難所や被災地の店舗におにぎりやパンを送り始め、医薬品業界も医薬品の搬送作戦を開始した。しかし広範囲にわたる被災地への搬送は、様々な課題に直面している。壊滅的なダメージを受けた道路事情や燃料の枯渇。誰がどこで何を求めているのかといった基本的な情報さえ不足するなか、課題を乗り越えるための苦闘が続いている。

 一刻も早い救援をいかにして実現するのか。企業の物流支援の試みに密着する。〉――

 要するに国の支援が満足に行き届かない状況を前提とした企業の、国に任せているだけではもう待てないといった動機からの支援開始ということであろう。

 国は支援の遅れを道路や港湾、空港、鉄道、通信といった各インフラの想像以上のダメージに理由を置いているが、それがようやく回復してきた。だが、「NHKクローズアップ現代」は企業がこのような回復を待たずに被災者支援を始めていた例を紹介している。

 政府側の復旧任せを主体としたこの危機管理に逆らう象徴的なシーンが「NHKクローズアップ現代」に挿入されていた。

 メディセオという薬品卸会社仙台支店が阪神大震災で交通網が麻痺したときの教訓から災害時に備えて予めバイクを用意、医師との連絡や配達に使っているという。

 かなりの台数があったから、教訓からの導入であっても、いつ起こるかも分からない災害が起こるまでバイクを寝かせておくわけにいかないから、普段も配達に使っているのではないだろうか。

 だとしても、スマトラ沖地震でも阪神大震災でも道路の麻痺や通信の麻痺の克服手段としてバイクが活躍した。3月18日(2011年)の当ブログ《施設の復旧を待ってからの物資支援では危機対応とはならない/何のための政府の存在かということになる - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》にも〈バイク野郎を掻き集めて集まっただけの彼らを活用、あるいは被災地域外の白バイ警察官を招集、灯油20リットル缶の3個ぐらいは後部荷台にしっかりと括りつけて通行可能な道を探しつつ遠く孤立した避難場所まで届けさせる方法も決して不可能ではないはずで、特に通信手段が途絶えて情報交換の手段を失った地域との連絡の役目も期待できたろう。通信手段が途絶えた避難場所に彼らが顔を出したなら、元気をも与えたかもしれない。〉と書いたが、政府はバイクに関しても何ら学習しなかったようだ。

 「関して」と他にも学ばない類似例があることを示す関係助詞を使ったが、21日の記事――《死者・行方不明者 把握進まず》NHK/2011年3月22日 3時29分) がそのことを教えてくれる。

 記事冒頭部分は、〈今回の大震災では、警察庁のまとめで死者と行方不明者はあわせて2万1000人を超えていますが、津波による壊滅的な被害のため、このほかにも警察や自治体が把握できていない死者や行方不明者が多数に上るとみられ、大震災の発生から10日余りがたった今も、被害の全体像は明らかになっていません。〉と被害と被災の大きさを伝えている。

 警察や自治体が把握できていない原因として地域全体が壊滅的な被害を受けたケース、家族全員が巻き込まれたケースが存在して警察に届け出がない状況等を挙げているが、その捜索に関しても、〈被災地への道路が崩壊して重機が入れない場所も多数あり、自衛隊や警察などが手でがれきを取り除きながら捜索活動を続けていますが、難航してい〉ると手作業のために捜索活動が進まないことと被害状況の把握困難を伝えている。

 この道路の大幅な損壊によって重機を投入できない手作業の状況が救命や遺体発見の困難と状況把握の難しさ、さらに大動脈の寸断が招いたのと同様の支援物資の輸送の停滞をもたらしたということであろう。

 だとしても、この〈被災地への道路が崩壊して重機が入れない〉という状況は約3年前の2008年6月14日午前8時43分発生の岩手・宮城内陸地震でも見た光景であった。3年後も同じ光景を繰返すということは3年前の光景から何も学ばなかったことを意味する。果して学ぶことのできない事象だったのだろうか。

 中国政府は2008年5月12日発生のマグニチュード7.8、死者6万9197人、負傷者37万4176人、現在も行方不明1万8222人の人的被害を出し、日本の国際緊急援助隊も救命に活躍した(「Wikipedia」)四川大地震で奥深い山間の斜面の土砂が崩落、谷底の河川を埋め尽くして堰止湖が生じ、雨が降って水位が上昇、水位上昇からの決壊による土石流が下流の街を襲う危険性除去のためにヘリコプターで大型重機を吊るして現場に投入、人工の運河を造成して流れの向きを変えることに成功した。

 PDF記事《中国・四川地震により発生した土砂災害に関する調査・研究業務委託報告書》が次のような報告を伝えている。

 〈重機の運搬には大型のヘリコプターM-26 型(最大吊り下げ重量は20t、世界最大)2台とM-17(最大吊り下げ重量は3t)5台が用いられた。これらのヘリコプターは5月26 日に綿陽空港に到着したが、当日は天候不良で視界が悪かったために、天候の回復を待ち、実際に重機の運搬を開始したのは5月27 日となった。5月27日に現場に重機が運搬されると直ちに緊急排水路の掘削が開始された。〉――

 この光景からすると、〈被災地への道路が崩壊して重機が入れない〉という状況は理由を失う。

 四川大地震は2008年5月12日発生。岩手・宮城内陸地震はその1ヵ月後の2008年6月14日発生。当時の福田内閣が素早く学ぶという姿勢があったなら、主動く政府のヘリコプターの活用を学び、岩手・宮城内陸地震でも活用したはずだが、活用とまではいかなかった。

 またヘリを活用しなければならない理由が他にもある。この間の事情をいくつかの当ブログに書いてきた。参考までに記事題名を挙げておく。

 2008年7月29日記事――《「大型ヘリによる重機運搬」に関する首相官邸・内閣官房・内閣府との不毛なやりとり(1)(2)-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 2009年9月19日記事―― 《大型災害の迅速な人命救助はたった一人の国民の命であっても疎かにしない危機管理に於ける象徴作業-『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 2008年6月16日記事――《岩手・宮城内陸地震-福田首相の「人命救助が一番」の危機管理は口先だけではないか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

 岩手・宮城内陸地震では栗原市耕英地区の2階建ての旅館「駒の湯温泉」が2階が1回を押しつぶしてのしかかる形で倒壊、客と従業員等の9人が行方不明となったが、その後2人が自力で脱出、7人が行方不明の状態となった。

 その日の内に自衛隊を投入、捜索に当たったが、ぬかるんだ足場のもと、手作業で柱や板を取り除いたり、バケツリレーで泥水を掻き出したりで捜索は難航した。それでも手作業で5人の遺体を発見。残る行方不明者は2人となった。

 そして地震発生6月14日から12日経過した6月26日になって福田政府は自衛隊大型ヘリコプターで中型重機を吊るして運搬・搬入、手作業の捜索から重機による捜索に変えた。

 だが、1台で不足と見たからだろう、あとからもう一台搬入し、2名の行方不明者を遺体で発見することになった。

 とにかく自衛隊ヘリコプターで重機搬入を可能とした。中国四川大地震のヘリによる重機運搬を学習したからなのかどうかは分からないが、学習したとしたら、遅すぎる実行となる。

 地震発生当日に捜索のために自衛隊員を現場に投入しているのである。この投入と併せて重機を搬入していたなら、捜索はより捗り、生きたまま救命できた可能性は決して否定できない。

 菅政府にしても、大災害時の救命を含めた危機対応に備えて過去の災害に於ける危機対応を参考にマニュアルづくりを行っていたはずだ。だが、マスコミは、〈被災地への道路が崩壊して重機が入れない〉と過去の災害時と変わらない状況を繰返し報道している。

 もし自衛隊大型ヘリで可能な限りの台数の重機を燃料と共に各地に運搬・投入したなら、昨日もテレビで警察官が手で残材を取り除いている場面を報道していたが、手作業に代る機械作業が山のように積み重なった残材除去に効果を発揮、遺体ではなく、生存の形で発見できる可能性を増やしたのではないだろうか。16歳の孫の高校生1年生と80歳の祖母が9日ぶりに救出されているである。

 命の限界とされる3日間を大きく超えていて奇跡的と言う向きもあるが、早くから各地に大量の重機が投入されていたなら、もっと早くに発見できた可能性は否定できず、奇跡は軌跡でなくなって、普通の発見となる。

 ページ冒頭の画像の左端は自走式木材破砕機である。どこにでも走らせていけて、重機で倒壊家屋等の残材を投入すれば、木材チップに変えることができる。コンベアの先にトンパックと言って1トンの土砂を詰め込むことのできる人工繊維の袋の口を開けておけば、雨が降っても風が吹いても周囲に撒き散らかさなくても済む。人手は失業している非正規社員を雇えば、失業対策にもなる。

 上に挙げた当ブログにも書いていることだが、「財団法人協和協会 」「災害時緊急支援体制検討委員会」「瓦礫に埋もれている人を出来る限り短時間に救出するため、自衛隊所有の大型ヘリコプターで(組立てなしの)12トン前後のハサミ重機を、被災現場に空輸する」自衛隊の大型ヘリによる重機運搬の活用を提案内容の一つとした『大震災・大事故に当たり、迅速な人命救助・被災地復興支援のため、全国主要地に予め基地を設け、救援する具体策を提案する』とした提案書を2008年2月22日に当時の安倍晋三内閣官房長官に提出している。

 ヘリを活用しなければならない理由が他にもあると書いたのはこのことを指す

 「ハサミ重機」とはアームの先端が蟹の形をしていて、コンクリートの壁を挟んでちぎり取るくらいの力があり、ビルや家屋の解体だけではなく、木材やコンクリート塊を挟んで取り除く機能を併せ行う重機である。

 2008年2月22日に提案書を当時の安倍内閣長官に提出した3カ月後2008年5月に中国政府が四川大地震でヘリによる重機運搬を活用していながら、福田内閣は同2008年6月の岩手・宮城内陸地震では地震発生から余りにも遅過ぎる限定的な活用にとどまった。

 そして提案書提出から3年後の今回の東北地方太平洋沖地震で自衛隊大型ヘリコプターによる可能な限りの台数の重機運搬・搬入による残材除去と倒壊した建物の下敷きとなっている、遺体として発見するかもしれないが、生存の可能性を決して捨てきれない被災者の救出、さらに道路を塞いでいる残骸の除去を併せ行うことに活用しているとする報道を目にも耳にもしていない。

 そのため今回改めて提案書を調べ直してみた。提出したのは2005年2月22日の当時の安倍内閣長官が最初ではなく、「財団法人協和協会 」《要請書提出先》ページには最初の提出先として2002年10月28日に当時の石破茂防衛庁長官と面談、要請書を提出となっている。

 そして安倍晋三よりも2年あとの2010年3月17日に「岸宏一厚生労働副大臣と面談、要請書を提出」となっている。

 2002年10月28日を起点とした提案書の提出だとすると、福田政府が自衛隊ヘリで重機を運搬した岩手・宮城内陸地震発生の2008年6月14日から12日後の6月26日は約6年経過していたことになり、今回の地震で計算すると、8年と4ヵ月を経過していながら実現していないことになる。

 口では大災害が発生するたびに「国民の生命・財産を守る」と言いながら、実体を伴わせることができないできた。救命も財産の保守も大方は災害の規模に任せてきた。

 菅首相は提案書は自民党政権時代のことだと言うかもしれないが、「国民の生命・財産を守る」に政権で違いがあっていいわけではない。菅政権も学んでもいいはずのシステムでなければならない。

 昨日のブログに書いたことだが、菅首相はこれまで2万6650人の被災者をを救出したと、目に見える場所に目に見える存在として救助を待っていた被災者を救出したことを以って自らの危機管理の順調な機能を誇っているが、本来なら倒壊家屋等の目に見えない場所に閉じ込められて目に見えない存在となっている被災者の1名でも多くの救出・救命を以って危機管理の機能とすべきを、判断能力を欠いているから、当たり前の救出を持って誇ることをする。

 目に見える場所で救出を待っている被災者まで死なせたのでは話にならないくらいに危機管理とはならない。

 もし自衛隊ヘリを使った重機の運搬・搬入が災害時に於ける普通の光景となったなら、ヘリが着陸不可能な避難場所への支援物資輸送も物資を積載したコンテナを吊るして飛ばすことでより普通な方法として道が開けるはずである。

 ホバーリング状態で高度を徐々に下げていき、コンテナが着地してワイヤーが緩んだところでフックを外せば事は足りる。
 
 倒壊家屋等に閉じ込められた目に見えない被災者の救出をも併せた自衛隊10万人投入でもあるはずだが、自衛隊大型ヘリの重機運搬・搬入をも目的とした10万人であるなら、大々的な機械化によって救命と倒壊家屋等の各残骸除去の効率化と時間の短縮を図ることができただけではなく、そのことによる道路整備の迅速化も可能となり、直接のヘリで吊るし下げた支援物資の配布のみならず、復旧した道路を使った被災者に対する食糧・医薬品・灯油、その他の支援物資を早い段階で充足可能としたはずだが、鉄道、主要道路、港湾等の大規模なインフラはもとより、各一般道路でもその多くが当たり前の復旧を待ってからの支援となっているために現在も多くの避難場所で様々な物資不足に耐える状況が続いている。

 自衛隊10万人投入が果して人数どおりの効果を上げているか限りなく疑わしいということである。だが、菅首相は人数だけを以って危機管理の機能を言い立てている。


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菅首相の自衛隊よりも警視庁・東京消防庁を一段下に置いた縄張り意識・縦割り意識からの発言

2011-03-22 17:40:53 | Weblog



 菅首相が昨日の3月21日(2011年)午後東日本大震災を受けた緊急災害対策本部と原子力災害対策本部合同会議を開催。当然例の如く首相が冒頭挨拶に立つ。その発言を「MSN産経」記事が伝えている。

 《「関係者の命がけの努力が少しずつではあるが前進」 政府対策本部の首相発言》MSN産経/2011.3.21 18:17)が伝えている。全文を参考引用してみる。

 菅直人首相が21日午後、官邸で開いた東日本大震災を受けた緊急災害対策本部と原子力災害対策本部合同会議の冒頭発言の主な内容は以下の通り。
 菅首相「今日で震災から11日目となった。

 その中で本当にうれしいニュースは、(宮城県)石巻で80歳のおばあさんと16歳のお孫さんが救出された。大変な被害、多くの方が亡くなられる中で、尊い命が救われたことは、私たち自身、国民の皆さんも大変喜んでいると思う。

 今朝の報告では、2万6650名の皆さんを、自衛隊はじめ、多くの機関で救助することができた。関係者の努力に改めて感謝を申し上げたい。

 心配されている東京電力福島第1原子力発電所について、関係者の命がけの努力が少しずつではあるが前進している。

 この間、自衛隊が中心になり、また、警視庁も手伝い、東京消防庁レスキュー隊が大変頑張ってくれた。

 先ほども石原慎太郎都知事がちょっと訪れられ、私から改めてお礼を申し上げた。自衛隊も頑張っていただいた一番の中心ではあるが、消防は国直属の機関ではない。

 ある意味では、自治体や消防職員がボランティア精神で応援に駆け付けてくれたので、そういう皆さんが本当に命をかけて日本を、国民を救うために努力されたことが、少しずついい方向に進む大きな力になっている。

 すでに自衛隊、東京消防庁の勇敢な放水作業によって3千トンの水を3号機中心に昨日までに放水、注水し、同時に電源の回復も1、2号機を中心にかなり進んでいる。まだ危機的状況を脱したというところまではいかないが、脱する光明が見えてきたとは申し上げられると思う。

 福島原発については、世界の歴史の中でもいくつかの原子力事故があったが、それに匹敵する大きな事故だ。何としても、これ以上の被害を出さないところで食い止めていきたいとの思いは皆さんも同じだと思うので、ここは最後の最後まで歯を食いしばってでもお互いに対応を緩めないで頑張りたい。

 これからも、自衛隊をはじめ東電や、東京消防庁や大阪消防庁、神奈川の消防など自治体の消防の皆さんに本当に大きな力を貸していただきたい。

 避難民の生活支援については、新たな支援本部を立ち上げた。日一日充実してきているとなるよう、それぞれの立場でしっかりと取り組みを進めてほしい。

 さらに大きな意味での復興に向けた歩みを始めるための準備をしなかればならない。未曾有の地震災害が、これを超えたときに日本社会がよりよくなった、より元気のいい日本になった、より安心できる日本になった、という社会を実現できるよう、夢を持った復興計画をしっかりと考えていきたい」

 「今朝の報告では、2万6650名の皆さんを、自衛隊はじめ、多くの機関で救助することができた」と言っているが、殆んど目に見える場所に目に見える存在として救助を待っていた被災者なのだから、救出は当然の数字である。果して救助に出動した自衛隊、消防、その他が人数に応じた効率的な救助を行ったかどうかの検証が必要になるが、検証を待たずに救出人数だけを振り回すのは菅首相が相変わらず合理的判断能力を欠いているからだろう。

 このことも問題だが、より問題なのは、「これからも、自衛隊をはじめ東電や、東京消防庁や大阪消防庁、神奈川の消防など自治体の消防の皆さんに本当に大きな力を貸していただきたい」と同等の扱いをして協力を要請しているが、「自衛隊も頑張っていただいた一番の中心ではあるが、消防は国直属の機関ではない」と差別をつけていることである。

 確かに「消防は国直属の機関ではない」。各自治体の管轄にある。これは自明の理であって、例え「自衛隊が中心になり、また、警視庁も手伝い、東京消防庁レスキュー隊が大変頑張ってくれた」と言っているように国直属の機関として自衛隊が中心的存在だったとしても、また東京消防庁やその他の消防庁が自治体直属の機関だったとしても、みながそれぞれの役目と能力に応じて同等に原子力発電の事故収束に向けて努力していたのである。

 それをわざわざ「消防は国直属の機関ではない」と言う必要があっただろうか。

 消防は自治体所属であっても、元々救急車派遣、患者・病人の搬送や災害救出の救命と火災消火でも救命と財産保護の実働部隊として日々活躍している。

 自衛隊と消防は一般的には実働部隊としての役目は異なっても、災害時の救命では同じ役目を担うし、今回の福島第一原発での放水作業でも冷却という目的では同じ立場に立った行動であったはずだ。

 それをわざわざ「消防は国直属の機関ではない」と言い、万が一の場合の放射能汚染を覚悟で放水活動に参加している消防隊員に対して、「ある意味では、自治体や消防職員がボランティア精神で応援に駆け付けてくれた」と言う。

 「ある意味では」と断っている以上、一般的なボランティア精神で駆けつけたということであろう。果して一般的なボランティア精神であのような危険な作業に時間と体力を厭わずに挑むことができた廊下。

 自衛隊は国を守る気概で駆けつけ、消防は「ある意味では」、、「ボランティア精神で応援に駆け付けてくれた」というわけである。

 自衛隊に対して消防を差別する意識なくして言えない発言であろう。

 例えすぐあとで、 「そういう皆さんが本当に命をかけて日本を、国民を救うために努力されたことが、少しずついい方向に進む大きな力になっている」と言ったとしても、意識の中では自衛隊を上に置き、消防を下に置いた感謝の言葉であって、分け隔ての差別なしに述べた感謝では決してない。

 分け隔ての差別意識が露程もなかったなら、「消防は国直属の機関ではない」などという言葉は口を突いて出ることはなかったろう。

 菅首相はこの言葉一つで愚かしいことに東京消防庁、その他の消防の努力を無としている。

 菅首相のこの発言は国は国、自治体は自治体と縄張りを分けていて、国を上に位置させ、自治体を国の下に置く上下の権威主義的な縦割り意識を持たせていることから発している発言と言える。

 と言うことは、国と地方を対等な関係に持っていくという菅首相なりの地方分権も当てにはならない政策となる。

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危機管理上、同じ原発事故想定放射能汚染物対処に放射能防護能力保持のドーザーショベルを準備しておくべき

2011-03-21 09:39:26 | Weblog

 

 防衛省は東京電力福島第一原子力発電所内の放射能に汚染された瓦礫が3号機への地上からの放水に障害となっていたために、その撤去に自衛隊の戦車を投入すると昨3月20日(2011年)に明らかにしたという。《原発内のがれき除去に戦車投入へ 防衛省》asahi.com/2011年3月20日18時55分)

 陸上自衛隊駒門駐屯地(静岡)に配備されている74式戦車2両。全長9.4メートル、約38トン、4人乗り、最高時速は53キロ。

 一般的な戦車ではなく、戦車であると同時にブルドーザーのように車両前方に土石等を押して排除する「排土板」がついている上に放射線が高い場所でも隊員が車両内にとどまったまま作業できるメリットがあると記事は解説している。

 砲撃を加えつつ進軍を阻止するために築いた土壁や土嚢壁等の障害物を押し出して進路を確保する機能を兼ね備えた戦車ということなのだろう。

 「NHK」記事――《自衛隊 がれき撤去で戦車派遣》(2011年3月20日 21時23分)は少し詳しく書いている。

 現場である3号機と4号機の原子炉の建屋の周辺には水素爆発などの影響で高い値の放射線を出す大量の瓦礫が散乱。この瓦礫が隊員たちの安全を確保するうえでの大きな懸念材料となっていた上、消防車が思うように通行できないこと、また放水を初め様々な活動の障害となっていた。

 このため、あとでキレ菅に怒鳴られないように用心したのかどうかは分からないが、自衛隊は政府の了解を得た上で装甲が厚く、放射線に対しても一定の防護能力があり、隊員が車外に出ることなく作業可能な、前部に排土板を取り付けた戦車を投入することになった。

 戦車はトレーラーに乗せられて20日午後6時半頃、駐屯地を出発、21日早朝にも現場近くの活動拠点に到着する見通し。

 大量の瓦礫が散乱していて、消防車が思うように通行できない妨げとなり、放水活動の障害ともなっていた。

 だったら、放水と併行させて、放水していない時間を利用するか、放水の邪魔にならない場所があれば、その場所から始めるかして撤去作業ができるようになぜもっと早くに手配しなかったのだろうか。

 現場の状況と放水活動の進行状況との関係を政府、自衛隊、消防庁、警察が一堂に会して話し合い、より効率を上げる方法を検討し合うといったことはしなかったのだろうか。

 早くに投入していたなら、消防車の通行もよりスムーズとなり、あるいは問題なく通行できることになり、瓦礫が与えていた放水の障害を取り除いて、作業がより効率的に進捗していたはずである。

 撤去作業は大砲を後方に回転させておいて行うに違いないが、戦場でならともかく、大砲を背中にしょった戦車で土石の撤去作業は一種異様な光景に映るかもしれない。

 また、日本に原子力発電所が存在し、そこに原子炉がある限り、二度とこの手の事故が起こらない保証はない危機管理上、戦車ではなく、放射線に対しても一定の防護能力があり、隊員が車外に出ることなく作業可能な車両を準備しておくべきではないだろうか。

 排土板は瓦礫や土石を一方に片寄せる機能を保持するが、それらを持ち上げてダンプ等に積み上げる機能は持たない。画像に示したドーザーショベルは、そのバケット部分が排土板の役目を兼ね備え、瓦礫や土石を掬って持ち上げることができるから、ダンプ等に積載して他の場所に移動させることもできるし、例え一方に掻き寄せておくにしても、同じく掬って持ち上げることができるために排土板以上に山なりに掻き寄せておくことができる上、作業時間も短くて済み、より広い活動場所の確保が可能となる。

 ドーザーショベルの運転席を放射能に対して防護仕様にしておけば早変りさせることができるのだから、準備しておけないことはない。自衛隊が所有して、万が一のときに投入する態勢にしておけば、効果ある危機管理が可能となるはずだが、どうだろうか。


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