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ヤンキー先生参院選出馬/古い自民党一員への道

2007-06-30 12:00:30 | Weblog

 ヤンキー先生が天下の自民党から参院選比例代表候補として出馬が決定。年金記録不祥事や偽装コロッケ、跡を絶たない殺人事件、元高検検事長や元公安調査庁長官を歴任した人間の朝鮮総連絡みの土地と建物の詐欺取引といった明るいニュース続きの中、ひときわ明るい、珍しく日本の将来に希望を抱かせるニュースではないか。

 2007年6月25日の「デイリースポーツ」インターネット記事がヤンキー先生の出馬の抱負を伝えている。

 ≪ヤンキー先生”参院選出馬を表明≫

 <「ヤンキー先生」として知られる義家弘介氏(36)は25日、自民党本部で参院選比例代表候補として出馬することを正式に表明した。
 安倍晋三首相の出馬要請を受け、自民党公認での出馬。「教育再生を実現させるために全力を尽くしてほしい」と握手を求められ、「子供たちを守るためなら、人生をかける決断に何の躊躇(ちゅうちょ)もない。子どもたちや頑張る教師を応援するため、自分が肌で感じてきたことを生かしたい」と応じた。
 選挙対策小委員会は候補擁立作業の終了を確認。23日に立候補取りやめを表明した大仁田厚参院議員(49)に関しては正式な連絡を待って公認を取り消す。 また出馬に伴い辞任した教育再生会議有識者委員の後任には、「オール1の落ちこぼれ、教師になる」の著書で知られる愛知県の私立豊川高教諭の宮本延春氏(38)が決まった。>

 「子供たちを守るためなら、人生をかける決断に何の躊躇もない。子どもたちや頑張る教師を応援するため、自分が肌で感じてきたことを生かしたい」

 何とも心強い、勇ましいことこの上ない希望に満ちた抱負だろうか。さすが異色の経歴の持主、ヤンキー先生と騒がれるだけのことはある。年も若いし、色黒のスポーツマンタイプ、イケメンときている。言うことがハキハキしていて、気持ちがいい。無党派層の若者の票をガッポリと惹きつけるのではないだろうか。安部晋三、してやったりといったところか。

 あくまでも「子どもたちを守るため」の政治家転身であり、票寄せパンダのためでもなく(そう言えばどことなくパンダに顔が似ている)、議員で安泰の人生を送ろうなんていうケチな考えからの出馬ではさらさらないというわけである。

 だが、古い自民党に無党派層の若者を惹きつけるとは逆説的で怪談話じみているが、ヤンキー先生こと義家弘介自身が古い自民党のかび臭い空気を吸って育ったような古い血を自らの血液としているらしい。

 多分当選を経てたいした時間の経過を待たずにヤンキー先生は自民党との似通った相互の体質が溶け合うように馴染み合ってそれを自らの保護色とし、物理的な顔の違い以外の政治スタイルとかは区別はつかなくなって将来を嘱望される立派な自民党議員となるに違いない。

 ヤンキー先生が自民党議員と変わらない、戦前型とも言える古い体質の考えの持主なのは07年5月10日『朝日』朝刊記事、≪「携帯持つ前に道徳教育を」 99年「教育の形を壊した年」 「ヤンキー先生」国会で持論強調≫が何よりも証明している。

 <道徳教育は子供が携帯電話を持つ前に――。政府の教育再生会議のメンバーで「ヤンキー先生」として知られる義家弘介氏が9日、国会内で講演し、こう強調した。6月初めにまとまる同会議の第2次報告では、「子どもと携帯」も論点の一つになりそうだ。
 義家氏は携帯が普及し、ネットへの接続サービスが始まった1999年を「日本が連綿と守ってきた教育の形が崩壊した年」と指摘。大人が情報を分別して、有害なものを子どもから遮断できた時代から、子どもが直接、携帯から『出会い系』『自殺奨励』などの有害サイトに触れられる時代になった」と説明した。
 そのうえで義家氏は「子どもが携帯を手にする前、0歳から10歳くらいまでに、道徳心を叩き込まなくてはならない。それ以後はどんな道徳の教えも意味をなさない」と断言。幼児~小学校低学年での道徳教育の重要性を強調するとともに、道徳の「教科化」も訴えた。>

 この講演を聴いて戦前並みの道徳教育を押し付けたくてうずうずしている頭の古い自民党議員で涙を流さなかった者がいただろうか。中には早トチリして、安倍後継はこれで決まった、時機を見て衆議院に鞍替えすべきだと内心小躍りした者もいたかもしれない。

 道徳教育であろうと他のどんな教育であろうと、暗記教育型の「叩き込む」形式であっては自律(自立)を阻む道に進むだけだろう。「叩き込」もうとする上からの力が従属を強いる力となって働き、そのことに応じた表面的な従属でやり過ごせるから、現在と同様にそういった傾向の人間の大量生産に向かうことはあっても、自ら学ぶ形式、自ら身につけていく形式には向かうことはあるまい。

 それを従属人間をつくるだけの外から「叩き込」む道徳教育を目指している。それも「0歳から10歳くらいまで」の間で、「それ以後はどんな道徳の教えも意味をなさない」となると分別能力がまだ固まっていない年齢だから、勢い今まで以上にこうしなさい、ああしなさい、あるいはこうしてはいけない、ああしてはいけないといったスローガンの強制の度合いを強めることとなり、強制に対する同じ度合いの従属を誘導する懸念のみが生じ、現状に於いてただでさえ不足している自ら考え、自ら納得して判断するプロセスを頭から排除することとなって、その機会をゼロに近づけることになるに違いない。

 ヤンキー先生は道徳教育の押し付けという点で古い自民党と似ているというだけではない。客観的合理性も何もない自らつくり上げた虚構をさも事実であるかのように振り回して、それを素晴らしい独自の主張であるかのように何ら恥じらいもなく、正々堂々と平気で言えるところが安倍首相を筆頭とした古い自民党の面々と一卵双生児並みに親近的で区別がつかない。
 
 <義家氏は携帯が普及し、ネットへの接続サービスが始まった1999年を「日本が連綿と守ってきた教育の形が崩壊した年」と指摘。>

 「日本が連綿と守ってきた教育の形」がどんなもので、それが「携帯が普及し、ネットへの接続サービスが始まった」ことによってどういうふうに「崩壊」したと言うのだろうか。

 1999年が日本の伝統的な教育が「崩壊した年」とするなら、それ以前は道徳教育は有効だったことを意味する。その割には政治家・官僚・企業人の犯罪・コジキ行為が続出するのはなぜなのだろう。そこまで答えてくれないことには、合理的は主張陳述とはならない。ならないのにさも立派な主張陳述だとしているところが、また古い自民党政治家とそっくりなのだが、生きた世代、育った世代が異なるのに、この古い体質の点で同等・同質というのは世の中のどのようないたずらのなせる技なのだろうか。

 また日本が世界に誇るハード・ソフト含めた携帯電話技術が日本の教育を壊したことになって、その逆説性はどう説明したらいいのだろうか。

 それとも新聞記事に書いてないだけのことで、講演では具体的に説明したのだろうか。いや、「日本が連綿と守ってきた教育の形」とは日本人が行動様式・思考様式としている権威主義に則った暗記教育であり、その崩壊は喜ぶべき現象でこそあれ、憂える点は何一つない。現在でも基本のところでは権威主義的暗記教育は厳然として守られているにも関わらず、その事実を無視して「1999年」と区切って「崩壊した」としている。

 また「1999年」を遡ること10年以上、1980年代以降の校内暴力、学校崩壊、あるいは学級崩壊が叫ばれた教育荒廃状況はどのような「崩壊」に入るのだろうか。

 確かに「携帯が普及し、ネットへの接続サービスが始まった」ことによってインターネットからいわゆる有害情報が手に入れやすくなったし、出会い系サイトを利用した未成年者の男女交際が手軽に行われるようになったが、自然な出会いではない、顔も名前も知らない赤の他人が手軽に出会い、手軽に男女関係を愉しむといった援助交際の類は1980年代から存在し、当初は雑誌の広告といった情報を介して行われていたのであって、「携帯が普及し、ネットへの接続サービスが始まった」こととは関係のない「1999年」以前の社会現象である。

 そのような援助交際の一形態として、性の低年齢化を受けた現象なのだろう、女子高生の援助交際(いわゆる援交)が世間を賑わしたのは1990年代後半ということだが、その方法は渋谷などの繁華街に屯している女子高生に女子高生コンプレックスというか、女子高生フェチと言うか、中年のオジサンが声をかけて商談に入り、相手が納得する金額で一度限りの交際か、相手の希望で1ヶ月いくらの契約で何回か交際するスタイルを主としたもので、最初のキッカケはすべてではないとしても、その多くは携帯を手段としていなかったはずだ。多分、それぞれが何を求めているか、双方の視線を情報源とした、一方は手軽な小遣い稼ぎの男女交際だったのだろう。 

 未成年の若々しい肉体を与えるだけで手軽にたくさん稼いだ小遣いでブランド品を買い、身につけて自らの勲章とする。

 また携帯が普及する以前から有害な情報はヌード雑誌や性的描写が露骨なマンガや少女マンガを介して未成年者は手に入れようと思ったら手軽に手に入れることができていたのであり、「携帯が普及し、ネットへの接続サービスが始まった1999年」以前の時代にしても決して「大人が情報を分別して、有害なものを子どもから遮断できた時代」であったわけではない。事実誤認もはなはだしいし、耐震強度不足の高層ビルを建てるようなもので、それが「自分が肌で感じてきたこと」からつくり出したものであっても、事実誤認の上に有効な対策(政策)は生まれようがない。

 かつては「ポルノ雑誌やポルノビデオ、テレビの低俗番組から子どもたちを守ろう」という母親たちの悪書追放運動なるものが存在した。過激過ぎるヌード雑誌などの自販機販売を禁止することができたが、それが未成年者たちの性を遊びとする風潮にどれ程に役に立ったのだろうか。大人たちの〝情報の分別〟が有効でなかったことの結果が今の若者たちの性風俗であろう。

 「携帯が普及し、ネットへの接続サービスが始まった」ことはより手頃化した、それゆえに主流化した一つの手段に過ぎない。「携帯」や「ネット」がなければないなりに、〝遊びの性〟は工夫され、絶えることなく続いていただろう。

 そしてそれは戦前だけではなく、戦後も一部の地域で〝夜這い〟という形で存在していた。決して戦後のアメリカ文化の移入以降始まった時代風景ではない。それが社会の性情報の氾濫を受けて次第に低年齢化していったということだろう。

 そもそもからしてヤンキー先生は客観的合理性を欠いた事実誤認の上に自らの主張を成り立たせる過ちを犯して得意然と講演をぶったに過ぎない。このように人間の姿や社会の姿を読み解く目が鈍感な点も、安倍首相やその他自民党の頭の古い面々と近親相姦をなすもので、当選以降、急速に自民党議員化していく要因となるだろう。

 事実誤認の上に有効な対策(政策)は生まれようがないと言ったが、こういった欠陥(=客観的合理性の欠如)が日本の教育を荒廃させている主たる原因ではないだろうか。

 「子どもが携帯を手にする前、0歳から10歳くらいまでに、道徳心を叩き込まなくてはならない。それ以後はどんな道徳の教えも意味をなさない」

 道徳とか規範とかは社会に生きながら、子どもなら家庭や学校社会に生きながら自ら学び取っていくもので、「0歳から10歳くらいまで」に教えなければならないとは限らない。それまで過つことはなかったにも関わらず、大人になって人の道を過ち、人の道を踏み外すのは、元公安調査庁長官・緒方某を引き合いに出すまでもなく、大人として生きながら学び取ることができなかったからで、道徳教育や規範教育が年齢に関係なしに引き続くことを示している。

 客観的認識能力のお粗末な点では何とも頼もしいヤンキー先生ではあるが、だからこそ自民党から出馬するだけのことはあると言うべきなのだろう。

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安倍偽装コロッケ内閣/みんなやっていること

2007-06-26 12:25:05 | Weblog

 今日6月26日(07年)火曜日の『朝日』朝刊見出し。≪ミート社不正13項目≫

 農水相検査で明らかにされた数字だそうだ。記事からその主な不正手口を拾ってみると、豚挽き肉に焼き豚の端材や、肩ロース表示の豚挽肉に豚の内臓を混入、牛挽肉に豚・かも・鳥肉を混入して、消費者をいいカモにする。牛脂に豚脂を混入し、「牛脂」として販売。賞味期限切れの冷凍コロッケを他社から横流しさせ、賞味期限を改竄して、新鮮コロッケとしてかどうかは分からないが、再販売。外国産牛挽肉を混入させて国産牛挽肉と偽り、いわばブランド化させてコロッケを製造・販売。中国人顔負けの偽ブランドづくりである。

 色の悪い豚挽肉に牛の〝晋三〟を混ぜて色づきよくする偽装。(いや安倍晋三を混入したわけではなく、〝心臓〟の過ち。顔色が悪い安倍晋三も牛の心臓を食べ続けたら、もしかしたら顔色がよくなるかも)。その他冷凍食品の賞味期限の改竄等々――。

 テレビでは、販売促進のサンプル商品は牛肉100%入りを用意し、契約に至ると豚肉を混入して引き渡していたと報道していたが、手の込んだ遣り口にまで腕を振るっていたらしい。なかなかのあの手この手のゴマカシのテクニックである。まあ、みんなやっていることか。

 6月22日(07年)のTBSの夜半前のニュースだったと思ったが、年金記録問題を今年初めに認識していながら、対策の発表までに時間がかかったのはなぜかとの民主党の批判をどう受け止めるか記者団に問われた我が安倍晋三クンは次のように反論した。

 安倍「2月に5万件という数字が出てきた段階に於いてですね、そういうところ大掛かりにしっかり対応しなければいけないと、いう指示をいたしました」

 「大掛かりにしっかり」の内容を、何をどう指示したのか、何がどう「大掛かりにしっかり」なのか、具体的に聞きたいものだが、口先だけの安倍人間、指示自体がなかったか、あったとしても、たいした指示はしていないから、「大掛かりにしっかりと」と、さもたいした指示をしたかのように風呂敷を広げなければならなかったのだろう。

 大体が「大掛かりにしっかりと」などといった仰々しいばかりの言葉は普通の人間は使わない。さもそのように指示したかのように見せる必要があったからこその「大掛かりにしっかり」の疑いが限りなく濃厚である。ミートホープ社が豚挽肉に牛の心臓を混入させて見栄えよくさせた偽装よろしく、素早く対応したと見せかける体裁上の「大掛かりにしっかり」なのだろう。

 仰々しい表現を駆使するところが安倍晋三の人となりを表している。いわば、口先だけ、ハッタリ、中身なし・・・・。

 番組解説「安倍総理はさらに問題を正確に把握することが大切だと述べ、ある程度時間がかかったのは止むを得ないという考えを示しました――」

 「問題を正確に把握する」に「ある程度時間がかかった」割には、民主党その他の野党の追及のたびに新たな欠陥事実が次々と出てくるのはどうしてなのだろう。「正確に把握」していなかったということではないか。

 番組解説「安倍総理は国会で年金記録の問題を認識した時期について『去年の暮から今年の初め』と答弁し、今日(6月22日のこと)そうした答弁書を閣議決定しました。政府が対策に本腰を入れたのは5月になってからで、野党などは政府の対応の遅れを批判しています」

 関連の新聞記事をインターネットで探してみると、≪年金記録5000万件不明、首相ら昨年末に認識≫(07.6.22/12:8 読売新聞)を探し出すことができた。

 <政府は22日午前の閣議で、該当者不明の年金記録約5000万件の存在について、安倍首相や塩崎官房長官が認識したのは「昨年暮れから今年の初め」とする答弁書を決定した。
 政府は5月25日と6月4日に、年金記録漏れ問題に対する対応策を発表したが、ほぼ半年間は具体的な対策が示されなかったことになる。

 答弁書は、江田憲司衆院議員の質問主意書に対するもの。不明記録の総数について、2006年6月現在で5000万件に及ぶことを政府が公表したのは今年2月。民主党の松本政調会長らが、国会審議などに備え、昨年12月、衆院に要請した予備的調査の報告書で明らかになった。
 この日の答弁書も、5000万件という総数については、「予備的調査の取りまとめの過程において明らかになった」としており、調査途中で、社保庁から首相、官房長官に報告が行われたとみられる。
 社保庁は当初、5000万件の内訳を把握しておらず、柳沢厚生労働相は国会答弁などで「亡くなった方や、年金の受給要件を満たしていない方らが含まれる」として、実質的な問題は少ないとの見方を示していた。
 だが、社保庁が5月に公表した5000万件の年齢別内訳で、60歳以上の受給年齢に達している人の記録が約2880万件に達することが判明。年金を本来より少なく受け取っている人が多数いる可能性が急浮上した。>――

 認識した時期が「去年の暮から今年の初め」と少なからず幅があるのは、受けた報告に対する認識の度合いが強くなく、記憶にはっきりと残らなかったか、自己体裁の偽装の場合が考えられる。

 報告に対して強く認識したなら、半年やそこら時間が経過しただけで報告を受けた時期を忘れるはずはないから、幅が出ることはない。偽装するための時期なら、時期を明確に特定した場合、露見の危険度が高まるから、それを防ぐためにどうしても幅を持たせる。つまり曖昧にする。
 
 安倍口先だけ首相が「去年の暮から今年の初め」とする国会での答弁を、いわばそれでよろしい、間違っていないと閣議決定した。

 だが、番組の解説が「政府が対策に本腰を入れたのは5月になってから」と言い(読売記事は<政府は5月25日と6月4日に、年金記録漏れ問題に対する対応策を発表したが、ほぼ半年間は具体的な対策が示されなかったことになる。>)、「野党などは政府の対応の遅れを批判しています」と言っていることと安倍首相が言っていることを突き合わせてみると、安倍首相は「年金記録の問題を認識した時期」は「去年の暮から今年の初め」で、「2月に5万件という数字が出てきた段階」で「大掛かりにしっかり対応」せよと「指示」を出した。それから約3ヶ月経過した「5月になってから」「対策に本腰を入れた」とすると、年金という特に高齢者にとっては死活問題となる、そのことに対する対応としては3ヶ月も日時を必要としたことは、その後の社保庁や政府のドタバタした後手後手の対応から考えても、危機管理対応能力が満足に機能しなかったことを物語ることになる。

 いわば「大掛かりにしっかり」と言う割には、「大掛かりにしっかり」とはなっていなかったということで、「大掛かりにしっかり」が口先だけで終わっていたことを証明する。

 安倍首相が国会で答弁し、それを閣議決定した該当者不明の年金記録約5000万件の存在を認識したとする「去年の暮から今年の初め」がウソの偽装答弁だと仮定すると、対策遅れの責任と野党の追及をより優位なものとすることが支持率に影響することへの恐れから、都合も悪いし格好もつかないからと安倍首相が責任逃れに野党の国会追及や社保庁に対する資料請求攻勢に機先を制する必要上、国会でそう答弁してしまった。

 訂正すれば、ますます形勢が不利になる。ウソつき安倍晋三の名誉ある称号を賜ることになる。第一天下の総理大臣が責任逃れのためにウソをついたとなると、日本の美しい歴史に名前を刻むことになりかねない。

 この仮定が当たっているとしたら、閣議決定は、一旦そう答えてしまった以上、後には引けない、「去年の暮から今年の初め」の線で行きましょうという口裏併せの全員一致の決定ということになる。

 偽装だからこそ、読売記事が言うように<2006年6月現在で5000万件に及ぶことを政府が公表したのは今年2月>でありながら、それが深くは認識して受け止めていなかった事柄だったから、<社保庁は当初、5000万件の内訳を把握しておらず、柳沢厚生労働相は国会答弁などで「亡くなった方や、年金の受給要件を満たしていない方らが含まれる」として、実質的な問題は少ないとの見方を示>す深刻問題と見なさない態度を示すことができたのであり、そのことに反して、<社保庁が5月に公表した5000万件の年齢別内訳で、60歳以上の受給年齢に達している人の記録が約2880万件に達することが判明>という深刻問題が後付け浮上することになったのだろう。

 こういった当初は深刻な問題と受け止めていなかった事情が安倍首相をして年金記録の問題を認識した時期について「去年の暮から今年の初め」と幅を持たせることになったということなのだろう。問題把握の深刻さに欠けたこと自体が、安倍首相が言っている「大掛かりにしっかり対応しなければいけないと、いう指示」にしても、問題を正確に把握することが大切だから時間をかけたとする弁明にしても、それが事実ではなく、責任逃れの偽装に過ぎないことを証明している。

 安倍首相が憲法問題を当初は参院選の争点にしようとしていたことからも証明できる年金記録問題に対する「大掛かりにしっかり対応しなければいけないと、いう指示」の真偽の程であり、これを偽装としなければ、逆に己の指示が機能しない首相たる者のリーダーシップを問題としなければならなくなるし、指示が機能しない自らのリーダーシップにこそ思いをいたすべきだろう。

 責任逃れに年金記録問題の認識時期を国会答弁で「去年の暮から今年の初め」と偽装する。その答弁書を閣議決定する。「2月に5万件という数字が出てきた段階に於いてですね、そういうところ大掛かりにしっかり対応しなければいけないと、いう指示をいたしました」と偽装に偽装を重ねる偽装防止の補強をする。

 中身の食材をあの手この手で偽装して製造・販売したミートホープ社のゴマカシのテクニックと何ら変りはないではないか。みんなやっている偽装だとしても、一国の総理大臣が加わっての偽装だから、中規模程度の一民間企業の社長がやらかしたこととは訳が違うタチの悪さがある。

 2000年雪印乳業乳の食中毒事件。その子会社の2001年の国内牛BSE(狂牛病)問題に絡んだ国産牛肉買い取り事業を悪用して、国内産牛肉を国内産と偽り農林水産省に買い取り費用を不正請求し、その価格差分を利得とした事件。

 06年10月の消費期限切れの牛乳を使ってシュークリームを製造・出荷した菓子メーカー不二家の事件。その事件を発端に様々な品質管理不備が発覚、品質基準に満たない商品が販売されていたことが判明して、スーパーやその他の商店の棚から不二家の商品がすべて撤去された。そしてみんなやっている今回のミートホープ社の数々の偽装。

 社会的信用失墜というダメージを他山の石・反面教師とすることができない学習無能力のこういった不正の性懲りもない繰返しは自己利益をすべての優先事項とさせているからなのか、自分だけは露見しないと妄信しているのか、連綿と続き跡を断つことなく政治家や官僚も加わって、みんなやっていることとなっている。日本の美しい歴史・伝統・文化としてある負の場面であろう。

 だが、安心していい。安倍首相は「官製談合、天下りの問題は、私の内閣で終止符を打ちたい」、あるいは年金問題は「すべて私の内閣で解決する」と自らの内閣を万能内閣と位置づけ、高らかに宣言している。官製談合、天下り、年金記偽装だけではなく、食品偽装も政治資金収支報告偽装も、その他世の中のありとあらゆる偽装を、国会答弁偽装も勿論、「私の内閣で解決」してくれるだろう。不正・悪事が一つもない「美しい国」となる。「美しい国」とはそういう国でなければならない。

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沖縄戦集団自決軍関与否定は安倍「美しい国づくり」の一環(2)/「戦陣訓」

2007-06-24 13:26:11 | Weblog

 既読者は理解済みであろうが、未読者は読み通せば簡単に理解できることで、全体を通して不可能を可能と求める奇麗事の精神論となっている。いわば言葉によってのみ実現させ得る人間の姿を紙面上に営々と描き出す無駄な努力のみが見える。現実の姿として現すことができない綺麗事だから、「戦陣訓」が求める姿を見た目の立派さで装わせる必要が生じて、威張ったり、踏ん反り返ったりすることでしか偉さを表現できない軍人を結果的に多く生むこととなったに違いない。前回記事で例として挙げた中国人捕虜を日本刀の試し斬りの対象とする上官の行為は、そのことによって自己の偉さ・自己の力を見せつけようとする自己表現の一つであり、「戦陣訓」が虚構で終わっていることの一つの最も先鋭的な証明となる。

 そして最後に行き場を失って立ち往生したとき、物理的な選択行為であったがゆえにそれだけが可能だった「生きて不慮の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」を唯一残されたものとして選択したといったところなのだろう。

 尤もそれさえもう要領よくやり過ごして、「死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」など何のその、80、90まで生きた軍人の方が遥かに多いだろうが。

 「命令一下欣然として死地に投じ、黙々として献身服行の実を挙ぐるもの、実に我が軍人精神の精華なり」――

 こういった 「戦陣訓」が描く軍人像を誰が表現し得たであろうか。しかし表現し得るとの前提に立ったとき、このことが唯一の大成果であろうが、優秀な民族であるとの答を簡単に見い出すことが可能となる。「戦陣訓」として美しい言葉を紙面上に紡ぎ出していった人間は紡ぎ出しながら、自らの言葉に酔っただろうが、人間の現実行為は打算や欲得、あるいは恐怖や見栄などなどが渦巻き、一筋縄ではいかない感情を複雑に抱え込んで織り成される。それを一切無視し、不可能を可能と求めているから、奇麗事は奇麗事としての輝きを増すが、そのことに反して人間の現実の姿・実際の姿を見誤る働きをなして日本民族優越意識だけを増殖させていくこととなったに違いない。それは自らの力、自らの立場、置かれた状況等を省みる元々乏しい客観的認識能力を麻痺させ、消滅させていく道でもあっただろう。

 ( )内は読みと意味。――( )――内はちょっとした感想。

 【戦陣訓】<「1941年(昭和16)陸相東条英機の名で、戦場での道義・戦意を高めるため、全軍に示達した訓諭」(『大辞林』三省堂)>

 夫れ戦陣(戦いのための陣営・戦いの方法。兵法。戦法)は、大命(旧憲法下で、天皇の命令)に基き、皇軍の神髄を発揮し、攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち、遍く皇道(天皇の行う治政の道)を宣布(公的なことを広く一般に知らしめること)し、敵をして仰いで御稜威(ごりょうい/天子・天皇の威光)の尊厳を感銘せしむる処なり。されば戦陣に臨む者は、深く皇国の使命を体し、堅く皇軍の道義を持し、皇国の威徳を四海に宣揚(せんよう/広く世の中に明らかに示すこと)せんことを期せざるべからず(約束しなければならない)。
 惟ふに軍人精神の根本義は、畏くも(おそれおおくも)軍人に賜はりたる勅諭に炳乎(光り輝くさま。明白)として明かなり。而して戦闘並に練習等に関し準拠すべき要綱は、又典令 (法律や命令)の綱領に教示せられたり。然るに戦陣の環境たる、兎もすれば眼前の事象に促はれて大本を逸し、時に其の行動軍人の本分に悖るが如きことなしとせず。深く慎まざるべけんや。乃ち既往(過ぎ去った時。過去)の経験に鑑み、常に戦陣に於て勅諭を仰ぎて之が服行(行うこと)の完璧を期せむが為、具体的行動の憑拠(ひょうきょ/拠り所とすること。依拠)を示し、以て皇軍道義の昂揚を図らんとす。是戦陣訓の本旨とする所なり。

 ――(「攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち」は精神論の最たるもの。具体的にさまざまな状況・場面を設定して、如何に戦ったら最善か、うまくいかない場合の対処方法といったふうに現実の戦闘を参考にした対処方法を各種訓練として学ぶのではなく、精神論を持ってくる。

 もし勝ちも負けもある、撤退もある現実の戦闘を参考に具体的な攻防技術・戦闘技術を学習していたなら、「攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち」は非現実的なスローガンと化し、持ち出し不可能となる。)――、

 本訓 其の一

 第一 皇国

 大日本は皇国なり。万世一系の天皇上に在(おわ)しまし、肇国(ちょうこく/初めて国を建てること。建国)の皇謨(こうぼ/天皇の謀)を紹継(=承継/先の人の地位・事業・精神などを受け継ぐこと)して無窮(きわまりのないこと。永遠、無限)に君臨し給ふ。皇恩万民に遍く、聖徳八紘(八方、全世界)に光被(こうひ/光が広く覆うこと。また君徳などが広く行き渡ること)す。臣民亦忠孝勇武祖孫(そそん/先祖から孫まで。一人残らずの意)相承け、皇国の道義を宣揚(広く世の中に明らかに示すこと)して天業(天子・天皇の国を治める事業)を翼賛(力を添えて助けること)し奉り、君民一体以て克く(よく)国運の隆昌を致せり。
 戦陣の将兵、宜しく我が国体の本義を体得し、牢固不抜(堅固な上にも意志がし
っかりしていて、揺るがないこと)の信念を堅持し、誓つて皇国守護の大任を完遂せんことを期すべし。

 第二 皇軍

 軍は天皇統帥の下、神武の精神を体現し、以て皇国の威徳を顕揚し皇運の扶翼(助け守ること)に任ず。常に大御心(おおみこころ/天皇のお考え)を奉じ、正(せい/正しいこと)にして武(ぶ/勇ましいこと)、武にして仁(己に克ち、他に対するいたわりのある心)、克く(よく)世界の大和を現ずるもの是神武の精神なり。武は厳(おごそか)なるべし仁は遍き(あまねき/隅々まで行き渡ること)を要す。苟も (いやしくも/仮にも)皇軍に抗する敵あらば、烈々たる武威を振ひ断乎之を撃砕すべし。仮令(たとえ)峻厳の威克く敵を屈服せしむとも、服するは撃たず、従ふは慈しむの徳に欠くるあらば、未だ以て全し(まったし/完全)とは言ひ難し。武は驕らず仁は飾らず、自ら溢るるを以て尊しとなす。皇軍の本領は恩威(恩恵と威光)並び行はれ、遍く御稜威(天皇・天子の威光)を仰がしむる(見上げ、敬わせる)に在り。

 第三 皇紀

 皇軍軍紀の神髄は、畏くも(おそれおおくも)大元帥陛下に対し奉る絶対随順(従い逆らわないこと)の崇高なる精神に存す。
 上下斉しく(ひとしく)統帥の尊厳なる所以を感銘し、上は大意の承行(しょうこう/うけ行うこと)を謹厳(軽はずみなところがなく、真面目で厳かなこと。そのさま)にし、下は謹んで服従の至誠を致すべし。尽忠の赤誠相結び、脈絡一貫、全軍一令の下に寸毫(すんごう/少しも)紊(みだ)るるなきは、是戦捷(せんしょう/戦いに勝つこと)必須の要件にして、又実に治安確保の要道たり。
 特に戦陣は、服従の精神実践の極致を発揮すべき処とす。死生困苦の間に処し (生と死と苦しみと悩みのはざまに対処し)、命令一下欣然として(喜んで)死地(死に場所)に投じ、黙々として献身服行(けんしんふっこう/身を捧げ、行うこと)の実を挙ぐるもの、実に我が軍人精神の精華なり。

 第四 団結
 
 軍は、畏くも大元帥陛下を頭首(とうしゅ/ある集団・組織などのかしらに立つ人)と仰ぎ奉る。渥き聖慮(天子の考え)を体し(たいし/心にとどめて行動する)、忠誠の至情(誠心誠意の気持)に和し、挙軍一心一体の実を致さざるべからず。軍隊は統率の本義に則り、隊長を核心とし、鞏固にして而も和気藹々たる団結を固成すべし。上下各々其の分を厳守し、常に隊長の意図に従ひ、誠心を他の腹中に置き (「真心は別腹に置き、厳しい心となって」という意味か)、生死利害を超越して、全体の為己を没するの覚悟なかるべからず。

 第五 協同
 
 諸兵心を一にし、己の任務に邁進すると共に、全軍戦捷(せんしょう/戦いに勝つこと)の為欣然として没我(物事に打ち込んで自己を没却すること)協力の精神を発揮すべし。
 各隊は互に其の任務を重んじ、名誉を尊び、相信じ相援け、自ら進んで苦難に就き、戮力(りくりょく/力を合わせること)協心(互いに心を合わせて助け合うこと)相携へて目的達成の為力闘せざるべからず。

 第六 攻撃精神
 
 凡そ戦闘は勇猛果敢、常に攻撃精神を以て一貫すべし。
 攻撃に方(あた)りては果断積極機先を制し、剛毅不屈、敵を粉砕せずんば已(や)まざるべし。防禦又克く攻勢の鋭気(強い意気込み)を包蔵し、必ず主動(中心となって行動すること)の地位を確保せよ。陣地は死すとも敵に委す(いす/物事の処理を他人に任せる)こと勿れ。追撃は断々乎として飽く迄も徹底的なるべし。
 勇往邁進百事懼れず、沈著大胆難局に処し、堅忍不抜困苦に克ち、有ゆる障碍(しょうがい)を突破して一意 (いちい/ひたすら)勝利の獲得に邁進すべし。

 ――(「陣地は死すとも敵に委すこと勿れ。」、陣地が壊滅的打撃を受け、反撃能力を失った。そういった状況で乗り込んできた敵に陣地を好きに管理させることをどう防ぐことができるのだろうか。その前に全員玉砕、あるいは全員自決と行くのか。そうしたとしても、自陣地を失うことに変りはないし、敵がその陣地を自陣地に替え、攻撃陣地とした場合の状況を防ぐことはできない。非現実なことを言っているに過ぎない。)――

 第七 必勝の信念
 
 信は力なり。自ら信じ毅然として戦ふ者常に克く勝者たり。
 必勝の信念は千磨必死の訓練に生ず。須く(すべからく/すべきであることの意。当然)寸暇を惜しみ肝胆を砕き、必ず敵に勝つの実力を涵養すべし。
 勝敗は皇国の隆替(りゅうたい/盛んなことと衰えること)に関す。光輝ある軍の歴史に鑑み、百戦百勝の伝統に対する己の責務を銘肝し、勝たずば断じて已むべからず。

 ――(「百戦百勝の伝統」は自己美化以外の何ものでもない。これが厳然たる事実であったなら、中国戦線は長期化することなく、「戦陣訓」を訓示する以前の時点で終結させることができていただろう。事実を事実として見ない、誤魔化す姿勢が先にあり、そのように客観性を排除して事実を組み立てていけば、当然自己に都合よく解釈した、身内には通用しても、まったくの他者には通用しない作り上げた事実のみが残ることとなる。こういった事実を事実と見ない習慣が文藝春秋・07年4月特別号の『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』の日記の部分と半藤一利氏の解説に見ることができる、軍部の中国戦線での戦局の見通しの悪さやアメリカとの戦争に当たっての彼我の戦闘能力の甘い判断につながっていったのだろう。)――

 本訓 其の二

 第一 敬神
 神霊上に在りて照覧し給ふ。
 心を正し身を修め篤く敬神の誠を捧げ、常に忠孝を心に念じ、仰いで神明の加護に恥ぢざるべし。

 第二 孝道
 
 忠孝一本(ちゅうこういっぽん/主君への忠義と親への孝行は対象が異なるだけで、本来同じ真心から出たものであるという水戸学派が唱えた考え方)は我が国道義の精粋(清くて混じりけのないこと)にして、忠誠の士は又必ず純情の孝子なり。
 戦陣深く父母の志を体して、克く尽忠(じんちゅう/忠義を尽くすこと)の大義に徹し、以て祖先の遺風(先人の遺した教えや影響)を顕彰せんことを期すべし。

 第三 敬礼挙措
 
 敬礼は至純の服従心の発露にして、又上下一致の表現なり。戦陣の間特に厳正なる敬礼を行はざるべからず。
 礼節の精神内に充溢し、挙措謹厳にして端正なるは強き武人たるの証左なり。

 第四 戦友道
 
 戦友の道義は、大義の下死生相結び、互に信頼の至情を致し、常に切磋琢磨し、緩急相救ひ、非違(法律に外れていること)相戒めて、倶に (共に)軍人の本分を完うするに在り。

 第五 率先躬行(きゅうこう/自分から実際に行うこと)
 
 幹部は熱誠以て百行の範たるべし。上正しからざれば下必ず紊る(みだる/乱れる)。
 戦陣は実行を尚ぶ。躬(きゅう・自分自身)を以て衆に先んじ毅然として行ふべし。

 ――(「上正しからざれば下必ず紊る」はそのまま社保庁の天下り幹部と職員の関係に擬えることができる。「上のなすところ、下これに倣う」の言い替えに過ぎない。お互いに好き勝手な関係にあったといったところだろう。)――

 第六 責任
 
 任務は神聖なり。責任は極めて重し。一業一務忽せ(ゆるがせ/いい加減に扱う)にせず、心魂を傾注して一切の手段を尽くし、之が達成に遺憾なきを期すべし。
 責任を重んずる者、是真に戦場に於ける最大の勇者なり。

 第七 生死観
 
 死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。
 生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし。身心一切の力を尽くし、従容として悠久の大義に生くることを悦びとすべし。

 第八 名を惜しむ
 
 恥を知る者は強し。常に郷党(きょうとう/ふるさとに住む人々)家門(かもん/一族)の面目を思ひ、愈々(いよいよ/益々)奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。

 第九 質実剛健

 質実を以て陣中の起居を律し、剛健なる士風を作興(さっこう/奮い立つこと)し、旺盛なる士気を振起すべし。
 陣中の生活は簡素ならざるべからず。不自由は常なるを思ひ、毎事節約に努むべし。奢侈は勇猛の精神を蝕むものなり。

 第十 清廉潔白
 
 清廉潔白は、武人気質の由つて立つ所なり。己に克つこと能はずして物慾に捉はるる者、争でか(いかでか/どうして)皇国に身命を捧ぐるを得ん。
 身を持するに冷厳なれ。事に処するに公正なれ。行ひて俯仰(ふぎょう/立ち居振舞い,起居動作)天地に愧ぢざるべし。

 ――(安倍晋三は単細胞だから、戦前の日本人はこういった教えを守り、行動に具体化できていたと思い込んでいるのだろうか。戦後の日本は自分の利益だけを考える自己中心的な人間が増えたと言っているのだから、〝反〟戦後である戦前の日本を安倍首相は理想社会としていることになる。しかし戦前の日本に於ける理想社会は「国体の本義」や「戦陣訓」、「軍人勅諭」等が描き出す世界にしか存在しないのだから、これらが描く美しい文言でつくり上げた持つべき規律を頭から信じているに違いない。それた「規律を知る、凛とした・・・」の思想原点となっているのだろう。まさしく「戦陣訓」が描く軍人世界は「「規律を知る、凛とした・・・」ものとなっている。)――

 本訓 其の三

 第一 戦陣の戒
 
 一 一瞬の油断、不測の大事を生ず。常に備へ厳に(おご
   そかに)警め(いましめ)ざるべからず。
   敵及住民を軽侮するを止めよ。小成(ほんの少しの成
   功)に安んじて労を厭ふこと勿れ。不注意も亦災禍の
   因と知るべし。
 二 軍機を守るに細心なれ。諜者は常に身辺に在り。
 三 哨務(しょうむ/監視任務)は重大なり。一軍の安危
   を担ひ、一隊の軍紀を代表す。宜しく身を以て其の重
   きに任じ、厳粛に之を服行すべし。哨兵の身分は又深
   く之を尊重せざるべからず。
 四 思想戦は、現代戦の重要なる一面なり。皇国に対する
   不動の信念を以て、敵の宣伝欺瞞を破摧(はさい/破砕
   )するのみならず、進んで皇道の宣布に勉むべし。
 五 流言蜚語は信念の弱きに生ず。惑ふこと勿れ、動ずる
   こと勿れ。皇軍の実力を確信し篤く上官を信頼すべし
   。

 ――(敵前逃亡した上官、民間人保護を放棄した上官。民間人を自決させておいて、自らは戦後まで生き延びた上官etc.etc.「皇軍の実力を確信し篤く上官を信頼すべし」)――

 六 敵産、敵資の保護に留意するを要す。徴発、押収、物
   資の燼滅等は規定に従ひ、必ず指揮官の命に依るべし
   。
 七 皇軍の本義に鑑み、仁恕の心能く無辜の住民を愛護す
   べし。

 ――(「無辜の住民を愛護すべし」。中国残留孤児に対する国の手厚い保護・支援は「無辜の住民を愛護すべし」の精神を戦後に受け継いだ美しい国家行為なのだろう。)――

 八 戦陣苟も(いやしくも/かりそめにも)酒色に心奪は
   れ、又は慾情に駆られて本心を失ひ、皇軍の威信を
   損じ、奉公の身を過るが如きことあるべからず。深
   く戒慎(かいしん・自ら戒め慎むこと)し、断じて
   武人の清節(潔い志)を汚さざらんことを期すべし
   。

 ――(軍自らが従軍慰安婦の募集に関わった。決して「慾情に駆られて本心を失」うことはなかったろう。)――

 九 怒を抑へ不満を制すべし。「怒は敵と思へ」と古人
   も教へたり。一瞬の激情悔を後日に残すこと多し。
   軍法の峻厳なるは特に軍人の栄誉を保持し、皇軍の
   威信を完うせんが為なり。常に出征当時の決意と感
   激とを想起し、遙かに思を父母妻子の真情に馳せ、
   仮初にも身を罪科に曝すこと勿れ。

 第二 戦陣の嗜

 一 尚武の伝統に培ひ、武徳の涵養、技能の練磨に勉む
   べし。「毎事退屈する勿れ」とは古き武将の言葉に
   も見えたり。
 二 後顧の憂を絶ちて只管(ひたすら/一途に)奉公の
   道に励み、常に身辺を整へて死後を清くするの嗜を
   肝要とす。
   屍を戦野に曝すは固より軍人の覚悟なり。縦ひ(た
   とい/例え)遺骨の還らざることあるも、敢て(あ
   えて)意とせざる様予て家人に含め置くべし。
 三 戦陣病魔に斃るるは遺憾の極なり。特に衛生を重ん
   じ、己の不節制に因り奉公に支障を来すが如きこと
   あるべからず。

 ――(下手に「戦陣病魔に斃」れるな。天皇・国家への奉仕に「支障を来たす」ではないか。奉仕一番。)――
 
 四 刀を魂とし馬を宝と為せる古武士の嗜を心とし、戦
   陣の間常に兵器資材を尊重し、馬匹を愛護せよ。
 五 陣中の徳義は戦力の因なり。常に他隊の便益を思ひ
   、宿舎、物資の独占の如きは慎むべし。
   「立つ鳥跡を濁さず」と言へり。雄々しく床しき皇
   軍の名を、異郷辺土にも永く伝へられたきものなり
   。
 六 総じて武勲を誇らず、功を人に譲るは武人の高風とす
   る所なり。
  他の栄達を嫉まず己の認められざるを恨まず、省みて
   我が誠の足らざるを思ふべし。
 七 諸事正直を旨とし、誇張虚言を恥とせよ。

  ――(大本営は戦局の発表を「諸事正直を旨とし、誇張虚言を恥と」して、虚報で国民を欺くようなことは一度としてなかった。)――


 八 常に大国民たるの襟度(きんど/人を受け入れる心の
   広さ・度量)を持し、正を践(ふ)み義を貫きて皇
   国の威風を世界に宣揚すべし。国際の儀礼亦軽んず
   べからず。
 九 万死に一生を得て帰還の大命に浴することあらば、具
  (とも)に思を護国の英霊に致し、言行を慎みて国民
   の範となり、愈々(いよいよ/益々)奉公の覚悟を固
   くすべし。

  ――(靖国参拝は国民の精神的義務である。次の総理もその次の総理も国のために戦って死んだ者を検証するために靖国に参拝すべきだ。自決した民間人は軍の関与事項ではないのだから、放っておけばいい。)――

    結
 以上述ぶる所は、悉く(ことごとく)勅諭に発し、又之に帰するものなり。されば之を戦陣道義の実践に資し、以て聖諭(天皇の教え諭し)服行の完璧を期せざるべからず。
 戦陣の将兵、須く此趣旨を体し、愈々奉公の至誠を擢(ぬき)んで、克く軍人の本分を完うして、皇恩の渥きに答へ奉るべし。
            (陸軍省、昭和16年1月) 
* * * * * * * *
 ――(大日本帝国、バンザイ!!「美しい国」の原風景はここにあり。)――

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沖縄戦集団自決軍関与否定は安倍「美しい国づくり」の一環(1)

2007-06-23 23:18:14 | Weblog

 昨6月22日(07年)夕方5時頃からのTBSの「eニュース」で来年度から使用される高校教科書の沖縄の集団自決問題に関する検定の撤回を求める県議会の動きを伝えていた。花の――、かどうかは知らないが女子アナーが「沖縄戦での集団自決をめぐる高校の歴史教科書の記述です」と検定前と検定後の文言を上下に並べたフリップを用意し、読み上げた。

 「検定前は『日本軍に集団自決を強いられた人々もいた』となっていた文言が検定後はこちら、『中には集団自決に追い込まれた人々もいた』と日本軍の強制的関与がなったように修正されたことについて沖縄県議会はこの検定の意見撤回を求める意見書を全会一致で可決しました」

 県議会の場面。意見書の読み上げ。「沖縄戦に於ける集団自決が日本軍の関与なしに起こり得なかったことは紛れもない事実であり、今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである」

 男性解説者が採決に当たっては自民党の一部に現在裁判で係争中との理由で慎重論もあったが、県民世論の高まりを受けて検定意見書撤回を求める意見書が全会一致で県議会本会議で採択されたといったことを説明。

 自民党伊波常洋県議「沖縄、あの戦争、それから戦後処理についてはですね、与野党を超えて、県民挙げて統一行動が必要なもんですから、今回、まさに私たちによる事実をきちっと検証しながら、よって本日のように全会一致で採決できたという――」

 何だか教条的な物言い。一般人と同じような言葉の使い方ができないのは上に位置しているという権威主義的な意識があるからだろう。

 同じ昨日のTBSの11時半からの病気療養中で出演していないにも関わらず、「筑紫哲也NEWS23」での検定前と検定後の教科書の記述は次のようになっていた。

 検定前「日本軍は、住民を壕から追い出し(中略)、日本軍の配った手榴弾で集団自害と殺し合いをさせた」

 検定後「日本軍は、住民を壕から追い出し(中略)、日本軍の配った手榴弾で集団自害や殺し合いが起こった」(引用以上)

 いわば軍の関与・強制が原因ではなく、あくまでの住民の主体的選択による行動だということである。

 だが集団自決に使われた手榴弾は「日本軍の配った手榴弾」である。「配」るについては目的を伝えていたであろう。オモチャにしてくれと渡したわけではないはずである。軍が住民を支配下に置き、住民は軍の言いなりだったのだから、手渡した目的に添わなければ、何らかの罰則を受けることになる。

 アメリカ兵と遭遇したときに使用するための目的であったなら、軍の言いなりにその目的に添うべく準備していたはずだが、集団自決に使用した。このことがすべてを物語っている。

 今日6月23日は沖縄慰霊の日だそうだが、今夕6月23日『朝日』夕刊の≪集団自決語り継ぐ 検定に反発 沖縄慰霊の日≫の関連記事≪「軍曹は訓示した」≫には手榴弾について次のように書いてある。

 <沖縄国際大学名誉教授の安仁屋正昭さん(72)は88年、かつて村の兵事主任だった故富山真順三から、ある証言を聞いている。
 富山さんは45年3月20日、戦隊からの命令で17歳未満の少年と役場職員を役場の庭に集めた。兵器係の軍曹が住民十数人に手投げ弾を2個ずつ配り、「敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になる恐れのある時は残りの1発で自決せよ」と訓示したという。・・・・>

 そう、誰にしたって目的を伝え、伝えられた側は目的に添う義務を負うこととなる。そうでないと百歩譲ったとしても、〝自決〟という意識は軍によって伝えられ植えつけられた、住民の日常世界には存在しない〝爆弾〟であったろう。集団自決に手榴弾を使っているとしたなら、〝自決〟の意識だけではなく、〝自決〟の道具まで軍によって手渡されたと見るべきである。

 県議会の場面で読み上げた「意見書」は「今回の削除・修正は体験者による数多くの証言を否定しようとするものである」と訴えているが、これは従軍慰安婦の軍の関与の問題で、「元従軍慰安婦の証言ばかりで、その事実を示す記録・文書の類がない」ことを理由に軍の関与否定説をぶち上げているのと同じ文脈の証言なるものに価値を置かない〝証言無価値論〟とも言うべき策動であろう。

 現在裁判で係争中とは、いやに落ち着き払った態度で言葉を口の中からねっちりと引きずり出す、かの有名な桜井よしこのブログ「沖縄の集団自決をめぐる教科書検定に異議を唱えたNHKの偏向報道」(『週刊ダイヤモンド』2007年4月14日号≫から彼女の軍関与否定説と共に知ることができる。全文を引用してみる。『週刊新潮』の07年1月4日・11日号にも「沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣」を発表し、桜井よしこのブログに転載している。

<高校の歴史教科書における沖縄戦についての記述に、文部科学省から検定意見が付いたとして、3月30日のNHKはこれを大きく報じた。検定で問題とされたのは、第二次世界大戦末期の沖縄戦において、旧日本軍が住民に集団自決を命じたというくだりである。NHKはまず、集団自決を命じたとされてきた梅澤裕・元沖縄慶良間(けらま)列島座間味(ざまみ)島守備隊長の感想を報じた。

現在90歳の梅澤氏は、旧軍人と旧陸軍に着せられた濡れ衣が教科書検定を通して晴らされたことについて、「うれしい気持ちだ」と語った。だが、NHKは氏のコメントを冒頭で短く伝えたあと、氏のコメントに費やした時間に比較して不当に長い時間を費やし、旧軍が集団自決を命じたと断ずる実態は存在していたとの主張を、研究者、住民の発言を中心に展開した。NHKの報道は明らかに、梅澤氏ら旧軍関係者の主張を否定し、検定意見に異議を唱えることを主眼としたものだった。

沖縄戦で非常に多くの住民が痛ましい犠牲を強いられたのは、歴史上の事実である。誰もそのことを否定しはしない。かといって、いわれなき罪を旧軍人や旧軍にかぶせてよいわけではない。NHKは報道の最低限のルールとして、戦後長きにわたり大江健三郎氏らによって、事実無根の集団自決命令を下した軍人として貶(おとし)められてきた側の声をもっと報ずるべきだった。一方の意見のみを軸としたNHKの報道は、偏向報道以外の何物でもない。

ノーベル賞作家として“名声”を確立させた大江氏は、著書『沖縄ノート』で、梅澤隊長らが「住民は、部隊の行動を妨げないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」と命じたと断じ、にもかかわらず、命じた本人らは戦後も生き延び、沖縄への謝罪もないままに、一般住民に埋没して生活していると糾弾する。“集団自決命令”の当事者らを、「あまりに巨きい罪の巨塊」「者」などの表現で痛罵してきたのが大江氏だ。

だが、事実は大江氏の著述とは正反対だったことは、すでに報じられてきた。梅澤隊長の命令によって集団自決を迫られたと主張してきた座間味島住民のなかからも、「命令があったというのは嘘だった」との証言が出てきたのだ。

1945(昭和20)年3月25日夜、住民代表5人が梅澤隊長を訪れ、「足手まといにならないために、年寄り、女子ども、赤ん坊まで全員死ぬと決めています」と語り、ついては玉砕用の弾薬が欲しいと請うたそうだ。梅澤隊長は驚き、「自決など考えてはならない、軍は住民を守るために戦っている、後方に退いて避難せよ」と諭した。しかし、代表の一人だった助役の宮里盛秀氏が住民たちに集合を命じ、集団自決を決行。それが真実だというのだ。

上の証言は、3月25日夜、梅澤隊長を訪れた住民代表5人のうちの1人である宮城初枝氏が書き残したものだ。彼女は、集団自決が梅澤隊長の命令だということにしたのは、軍命によって自決したのであれば、一般住民も国の補償金を受けられるという事情があったと説明、梅澤氏らに謝罪している。

“集団自決”のもう一つの村、渡嘉敷村の碑文にはこうも書かれている。

「豪雨の中を米軍の攻撃に追いつめられた島の住民たちは、(中略)敵の手に掛かるよりは自らの手で自決する道を選んだ。一家或いは、車座になって手榴弾を抜き或いは力ある父や兄が弱い母や妹の生命を断った。そこにあるのは愛であった」

涙なしには読めない。事実の歪曲は、悲しみを癒やすことも関係者を救うこともない。重要なのは事実と向き合うことなのだ。沖縄にも、風説をもって旧軍人を非難し続けるマスコミに対し、「真実に謙虚に向き合うおとなになれ」と「沖縄ショーダウン」(「琉球新報」連載)に書いた上原正稔氏らがいることが、せめてもの救いである。>(以上引用)

 <現在90歳の梅澤氏は、旧軍人と旧陸軍に着せられた濡れ衣が教科書検定を通して晴らされたことについて、「うれしい気持ちだ」と語った。>とは、裁判ではそれがまだ果たされていない係争中だということだろう。

 <梅澤氏ら旧軍関係者の主張を否定し、検定意見に異議を唱えることを主眼としたもの>と批判しているが、桜井よしこの文章自体が<梅澤氏ら旧軍関係者の主張を肯定し、検定意見に賛意を唱えることを主眼とした>おあいこさまの主張展開(<偏向報道>)となっていて、人のことばかり言えないのではないか。相当自分勝手の強い女のようだ。

 07年6月17日(日曜日)『ニッポン情報解読』by手代木恕之の当ブログ記事≪広告/従軍慰安婦の〝事実〟の薄汚いゴマカシ≫で、日本軍が天皇の絶対性を体して、それを軍自らの絶対性とし、例え依頼の形であったとしても強制性を備えて業者を介して従軍慰安婦に大きく作用した面を否定できず、文書の存在とは関係なしに軍の強制性が働いたとすることができるといった趣旨のことを述べたが、安倍晋三にしても桜井よしこにしても、当時の日本軍の性格について、世界の他の軍同様の一般的な軍組織とする誤った前提に立っている。

 上官が中国人捕虜を引き出して自らが日本刀の試し斬りの対象とする、あるいは部下に命令して対象とさせるといった民主主義に真っ向から反する強圧性を備えた権威主義の力を常に背景として軍全体を支配していたことをまったく無視している。軍内部の上官による組織的な新兵いじめは強圧的権威主義の人間関係力学が軍組織全体を支配し、それが可能とした暴力行為であったはずである。

 「天皇のために命を捧げる」、「お国のために命を捧げる」も聞こえはよくても上からの命令・指示に下に位置する軍人・国民が無条件に従属する権威主義的強制によって可能となる天皇・国家への命の奉仕行為である。そして最も肝に銘じておかなければならないことは、当時日本人の行為・行動を律していた権威主義的人間関係に於いて、国民は軍人のさらに下位に位置させられていたということである。日本軍の放つ権威主義が軍組織のみにとどまらず、国民をも支配していたのである。

 このことを言葉を替えて言うと、国家の強制に対して一般国民は最も翻弄される最下位に立たされた権威主義の連鎖につながれていたということだろう。

 権威主義の中間に位置する戦前の日本軍人は表向きは国家権力上層部の強圧的権威主義を受けて「戦陣訓」に謳われている軍人像を演じていた。〝表向き〟とは「戦陣訓」が人間の現実の姿からかけ離れた存在させ得ない人間の姿を求める幻想を犯していて、軍人は都合上その現実離れした理想像を上からの命令・指示に添う形で、〝表向き〟演じることしかできないからだ。

 「戦陣訓」は言う。「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」

 座間味島守備隊長だとかいう梅澤某にしても上官という立場上、沖縄戦に敗れた場合に備えた「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の生きざまを自ら選択する態度を常に身を以て周囲に示し、少なくとも部下に対して同じ態度を取るべく意思表示していたはずである。でなければ、当時は大日本帝国軍人でございますとは言えなかったろう。ましてや上官でございます、守備隊長でございますと言えなかったはずである。
 
 だが権威主義社会にあっては、下位に位置する程、上の命令・指示を〝表向き〟演ずるだけでは済まない上位の権威主義の強圧を受ける関係にある。こういった関係性に対応して、例え軍の直接的な命令がなかったとしても、戦闘を避けて洞窟や山中、その他に潜伏していれば済んだはずだが、実際は済まなかった非戦闘員たる住民の集団自決といった側面もあったはずである。またそうすることが手榴弾を手渡された目的に添うことでもあったろう。

 だが、こういった経緯は沖縄住民として特殊状況下に置かれた個別的地域意識から発した行動性であって、沖縄住民を日本人に位置づけて見た場合は、<1945(昭和20)年3月25日夜、住民代表5人が梅澤隊長を訪れ、「足手まといにならないために、年寄り、女子ども、赤ん坊まで全員死ぬと決めています」と語り、ついては玉砕用の弾薬が欲しいと請うた>云々、あるいは<「豪雨の中を米軍の攻撃に追いつめられた島の住民たちは、(中略)敵の手に掛かるよりは自らの手で自決する道を選んだ>云々は少なくとも強圧性を備えた上(=国家)が発した天皇のために命を捧げる・お国のために命を捧げる等の権威主義のメカニズムに日本国民として添う奉仕行為となる。そのことに制約を受けた、自由な立場に立った主体的選択ではないとも言える。

 「生きて虜囚の辱めを受けず」を表向きは天皇のため・お国のためとする軍人の権威主義的宿命・戦死を先取りした、自らも強圧的な国家主義的権威主義に囚われた住民なりの「生きて虜囚の辱めを受けず」が集団自決という形に向かわしめたということであり、それが下位権威者に位置する住民としての上からの権威主義を受けた天皇のため・お国のための最終的な存在形式、その選択だったはずである。

 このことは戦前の沖縄人が本土の日本人と同等の立場に立ちたいと自らの沖縄伝統の氏名を捨て、本土風の苗字・名前に替えるといったことをしたばかりか、自らの沖縄語を捨て、標準語を話すべく心がけて日本の歴史・文化・伝統を沖縄に引き入れるべく努力した姿にも連動し、そういった自ら進んで受け入れようとするメカニズムが集団自決に於いても日本軍の意識を受けて作用しなかっただろうか。

 記録・文書が存在していないからと言って、従軍慰安婦問題に日本軍の強制的な関与がなかったとすることができないように、例え住民が自ら求めた集団自決だろうと、軍の関与がなかったとすることはできない。心理的には住民をも「生きて虜囚の辱めを受けず」の死生観で支配していたのであり、天皇のために命を捧げる・お国のために命を捧げるの生き方を上からの強圧的な権威主義によって心理的に強要していたのである。

 そのことを無視して沖縄戦の住民集団自決に軍の関与はなかったとするのは、従軍慰安婦問題で軍の関与はなかったとする主張と併せて、戦前の大日本帝国軍隊を無誤謬化する一種の美化であって、そのことは戦争をも含めた戦前の日本の歴史そのものの無誤謬化へとつながり、最終的には戦前の日本を一点の誤謬もない「美しい国」と終着づける企となる。

 このように過去の日本を「美しい国」としたいプロセスを安倍晋三のA級戦犯国内無罪論や侵略戦争否定衝動、「国のために汗や血を流す」国民の希求等と併せて考えると、沖縄戦の住民集団自決の軍関与否定は従軍慰安婦軍艦四節否定と同じように自民党政治が自らの歴史とし文化とし伝統としてきた戦前日本の無誤謬化衝動の表れではあっても、安倍首相の戦前の日本を受け継いだ戦後日本の「美しい国づくり」の一環、結果としての「戦後レジームからの脱却」の一環と位置づけることができる。

 ≪沖縄戦集団自決軍関与否定は安倍「美しい国づくり」の一環(2)/「戦陣訓」≫に続く

 次回記事として、当時の国家権力・軍上層部が軍人に対して如何に天皇は絶対だ、神聖だ、天皇のために如何に尽くすべきかと「戦陣訓」という形で表現することとなった国家主義的権威主義の力で何から何まで天皇漬けにしようとしていたか、それを読み取るべく、語の意味付けを行った上で「戦陣訓」の全文を掲げてみる。

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安倍強行採決は短命内閣の前兆か

2007-06-22 01:30:38 | Weblog

 安倍内閣の法案強行採決が続いている。教育基本法改正法案、防衛省昇格法案、少年法改正案、国民投票法案、年金時効特例法案、そして昨6月20日(07年)の改正イラク復興支援特別措置法と教育改革関連3法案等々・・・・・。

 こうも次々と法案を強行採決し、成立を図る。だが、このことはやろうと思えば安倍晋三でなくてもできる数の力が可能とする法案成立の実績に過ぎない。法案が目指した思想・哲学の社会的成果に向けた創造性ある実践が伴わなければ、法律は単なる文言、ハコモノで終わる。それだけで終わるなら、赤字保養施設で終わることとなったグリンピアの全国各地への建設と何ら変わらない。

 森内閣時代の2000年12月に纏めた「教育改革国民会議」は「17の提言」を行い、提言の具体化をその後の教育政策で試行錯誤を試みたはずだが (試みなかったとしたら、何のための提言か意味不明となる)、それがハコモノで終わったからこそ、安倍内閣は「教育再生会議」を発足させなければならなかったのだろう。安倍「教育再生会議」が森「教育改革国民会議」と同じハコモノの運命をたどらない保証はない。

 何度でもしていることだが、参考までに「17の提言」を掲げておく。

人間性豊かな日本人を育成する
 (1)教育の原点は家庭であることを自覚する
 (2)学校は道徳を教えることをためらわない
 (3)奉仕活動を全員が行うようにする
 (4)問題を起こす子どもへの教育をあいまいにしない
 (5)有害情報等から子どもを守る

一人ひとりの才能を伸ばし、創造性に富む人間を育成する
 (6)一律主義を改め、個性を伸ばす教育システムを導入する
 (7)記憶力偏重を改め、大学入試を多様化する
 (8)リーダー養成のため、大学・大学院の教育・研究機能を強化する
 (9)大学にふさわしい学習を促すシステムを導入する
 (10)職業観、勤労観を育む教育を推進する

新しい時代に新しい学校づくりを
 (11)教師の意欲や努力が報われ評価される体制をつくる
 (12)地域の信頼に応える学校づくりを進める
 (13)学校や教育委員会に組織マネジメントの発想を取り入れる
 (14)授業を子どもの立場に立った、わかりやすく効果的なものにする
 (15)新しいタイプの学校(“コミュニティ・スクール”等)の設置を促進する

教育振興基本計画と教育基本法
 (16)教育施策の総合的推進のための教育振興基本計画を
 (17)新しい時代にふさわしい教育基本法を

 「教育改革国民会議」の「17の提言」と「教育再生会議」の提案が大分重なる部分があるが、「17の提言」が6年余の経過を見ながら、なぜ実践面で機能させることができなかったのか、学校教育にその思想・哲学を反映させることができなかったのか、その機能不全の原因を検証しないことには、安倍「教育再生会議」の提言もハコモノの繰返しで終わる可能性大であろう。

 ハコモノで終わった「教育改革国民会議」の「17の提言」の例を示すまでもなく、提言すればそれでいい、法案なら、成立させればいいというものではないことは断るまでもない。だが、<自民党の片山参院幹事長は19日の記者会見で、「重要法案を通して安倍カラー、安倍改革をはっきりさせることが選挙戦に有利になる。社会保険庁解体や公務員制度の60年ぶりの改革は、首相のテーマ『戦後レジームからの脱却』だ」と述べた。>(07年6月20日12時5分/読売インターネット記事≪参院選日程変更、首相が公務員法案成立に固執≫)ということなら、法案の通過・成立に重点を置いているのは明らかである。法案の通過・成立が動物が威嚇の吼え声を上げて自分の縄張りを周囲に知らしめ、自己の存在をアピールするのと同じく、「安倍カラー、安倍改革」なる政治形式、あるいは政治外形(=ハコモノ)をアピールする、それを第一の優先順位とした強行採決となる。

 法案や提言が内包する思想・哲学の国民の生活向上、社会の発展、国力の充実に向けた創造的な実践と反映の方法は議論が尽くされることによって、あるいは審議が尽くされることによって国民への説明に替えることができる。それがないということは国民への説明責任を果たしていないと言うことだけではなく、法案や提言の実践と反映の方法(社会的具体化)に関わる説明を疎かにすることがそのまま「実践と反映」(社会的具体化)を可能とする創造的な思想・哲学の育みを阻害する要因にもなっているのではないだろうか。説明が考える力を刺激し、考える力が実際を生み出す力となっていく。その過程を踏まないから、「17の提言」が内容の見た目は立派だが、提言のまま終わって、現場の教育に生かすことができなかった――。そこで安倍内閣が似たような取組みを再度開始することとなったということだろう。

 日本の教育にとってその価値の良し悪しは別として、「17の提言」が学校教育に生かされていたなら、二番煎じとも言える安倍「教育再生会議」はその産声を上げる必要は生じなかったろう。

 法案や提言は立派に構えることができるが、社会への具体化に於いて機能不全を起こす頭でっかちとも言えるこのような実践面での思想・哲学の欠如が欧米の制度を取り入れてそれを日本の社会に役立てようとしながら、欧米ほどには機能させることができないという不備・中途半端さをもたらしている原因ともなっているように思える。法案や提言によって制度を新たにしても、社会に十分に生かすことができずに大方がハコモノで終わる。

 このような経緯は「アメリカ障害者法」を参考にした我が国の「障害者自立支援法」がその社会的具体化(=実践面での成果)である障害者状況に於いて、アメリカのそれよりも遥かに後進的位置にあることに象徴的に現われている。特に障害者の自立的社会参加では大きく後れを取っている。
 
 法案や提言の社会的具体化に於ける思想・哲学の欠如がついて回るとしたら、法案は単に国会を通過させるため、提言は単に提言するためということが同じようについて回ることになる。

 それを知ってか知らずしてか、安倍首相は次々と法案を強行採決を経て成立させ、法の山を築いている。法は単なる建物でしかない。建物の内側を如何に住みよい空間とするか。それを可能としたとき、法は生命を持つ。逆に住みよい空間とすることができなかったとき、法はただの死に体のハコモノと化す。当然、エネルギーを注ぐべきは最も困難な住みよい空間とするための努力に対してである。

 安倍首相が夏の参院選挙の運営に重大な影響を与えることを無視してまで国会の会期を延長させて法案を通過させ、成立を図ろうとシャカリキにエネルギーを注いでいるのを見ていると、
本人は気づいていないだろうが、本能が短命内閣で終わるのを知っていて、その短い生命期間内に多くの仕事をさせようと指令を出し、その指令を受けて安倍晋三なる政治家が可能とするその結果の先を考えない、法案の通過と成立のみにこだわった自らに与えられたハコモノづくりの才能の発揮に脇目も振らずに邁進しているのではないのかと疑いたくなる。

 もし安倍首相が法案が描いている思想・哲学、それを形に現した制度を社会に実践・反映させて機能させ、国民の生活の向上・充実に実際的に役立てることの方が法案作りよりもより困難であることを知っていたなら、強行採決の繰返しで次々と法案を通過、成立させることなどできないだろう。逆に通過・成立の先により困難な道が待ち構えていることを考慮に入れて、通過・成立により慎重になるはずである。

 だが、より困難な社会的具体化の実際を待たずに法案作づくりの段階で「年金の問題は私の内閣で解決する」、公務員制度改革では、「官製談合、天下りの問題は、私の内閣で終止符を打ちたい」と早々に宣言するところを見ると、法案の通過・成立で問題は解決すると単細胞にも安請け合いしている感がある。

 実際にも安倍内閣が短命内閣で終わるとしたら、矢継ぎ早の強行採決によって法律の山を築いたことは自身が体力ない痩せ馬であることを自覚することができずスタミナも距離も計算に入れずに慌てふためいて闇雲に全力疾走で走り出す痩せ馬の先っ走りと同じように後先考えない、そのことのみ集中した成果ということになりかねない。

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「美しい国づくり」アンチテーゼな朝鮮総連本部問題の奇々怪々な登場人物たち

2007-06-20 17:45:45 | Weblog

 現在マスコミを賑わしている朝鮮総連関連の中央会館の土地と建物のカネが支払われないままの所有権の移転登記は世間にザラに転がっているよくある偽装取引の一つだろうが、その登場人物たちが偽装劇にふさわしい悪臭漂う面々ではなく、よもや登場するとは予想だにできない朝鮮総連を調査対象としていた公安調査庁の元トップであり、最高検検事も務めたことのある現在弁護士に収まっている元公安調査庁長官・緒方某(73)と朝鮮総連代理人となっている日本弁護士連合会元会長の土屋某弁護士(84)だとは世にも稀とはいかない奇々怪々な話である。尤も奇々怪々だからこそ、世間の関心を呼ぶのだが。

 世にも稀とはいかないとは、学歴あり、社会的地位の高い政治家・官僚、その他の著名人たちの犯罪・不正は決して珍しくもないからである。

 そのうちの一人、特に元公安調査庁長官・緒方某73歳は〝昨日の敵は今日の友〟の素晴らしい関係へと進化を果たしている。当初テレビで、「在日北朝鮮人の方々の権利を守るために義で引き受けた、カネ儲けで引き受けたわけではない、ましてや架空取引ではない」といった内容で弁明していた。公安調査庁長官時代は日本の方々の権利を守るために朝鮮総連を監視対象としていたはずだが、現在は日本の方々の権利を守るのは放棄したというわけではなく、公安調査庁長官から弁護士という立場に変わった以上、双方の権利を守ることを守備範囲とするに至ったというわけなのだろう。

 だが、朝鮮総連は金正日が拉致を自ら認めたことや核実験を行ったことでその構成員を40万人から9万人に減らしたと、多分TBSだと思ったが、テレビで伝えていたが、それが事実とするなら、なお金正日体制を信奉、もしくは崇拝している狂信的傾向ある9万人の在日朝鮮人の権利を守るために元公安調査庁長官が立ち上がったことになるが、これも奇々怪々のうちに入るおかしな話とはならないだろうか。

 一連の顛末を詳しく解説している昨6月19日(07年)の『朝日』朝刊(≪緒方元長官「乗せられた」 総連本部 売買取引の経緯は≫)を見ると、元公安調査庁長官・緒方某73歳が偽装取引に実体をつくり出そうと懸命の努力を重ねているのが手に取るように理解できる。

 所有権の移転先である元公安調査庁長官・緒方某73歳が代表取締役を務める投資顧問会社「ハーベスト投資顧問」は資本金88万円だということだが、テレビ(日テレ「ザ・ワイド」)ではペーパー会社で35億もの内部資本があるわけではなく、売却代金に出資者を募る目的でと言っていたが、『朝日』記事では元公安調査庁長官・緒方某73歳は東京駅構内の喫茶店で売却交渉の仲介役だった不動産会社の元社長(73)を通じて、元銀行員(42)から紹介を受けた40歳代ぐらいの小柄な人物と会う。海外で60億円規模の資金運用をしていると説明し、米国の永住権を持っているとのことで、「私は高校時代に米国に行き、人種差別で迫害を受けたので弱者についてはよくわかります。お金は大丈夫です」と出資を請合ったと出ている。

 「弱者についてはよくわかります」と相手が言ったということは、元公安調査庁長官・緒方某73歳が朝鮮総連を弱者に位置づけて、その救済を口実に話を持ちかけたことになる。これは元公安調査庁長官・緒方某73歳がテレビで言っていた「在日北朝鮮人の方々の権利を守る」云々との整合性を持たせる意味合いから、出資の引き受けの趣旨も弱者救済に合わせたのだろう。しかし朝銀信用組合のいい加減な融資から生じた債権の返済を求められて応じることができずに立ち往生している朝鮮総連と人種差別者を受けた者とを「弱者」の立場で同列に置くとは話をうまくつくり過ぎている。

 元公安調査庁長官・緒方某73歳は朝鮮総連代理人の日本弁護士連合会元会長の土屋某84歳に「出資者を確保できそうだ」と連絡。日本弁護士連合会元会長・土屋某84歳は出資者がどのような人物かは「土地やビルを買ってもらう側なので、出資者の素性については根掘り葉掘り聞かなかった」というのも、存在しない人間をさも存在するかのように装わなければならない場合の筋書きにはふさわしい曖昧な話ではあるが、35億もの出資となれば、普通は大丈夫ですかと確認を取るのが人情の自然で、確認の過程で安心を得る第一条件は何と言っても人間が確かであるかどうかであろうから、「根掘り葉掘り」とまでいかなくても、その点に確認の重点が向かうのも人情の自然であろう。

 『朝日』の記事では、元公安調査庁長官・緒方某73歳が名刺を貰おうとしたとき「旅行先から来たので持ち合わせていない」と断られ、資金運用しているファンドの詳細についても明らかにはされなかったとなっているが、日テレの昼の「ザ・べスト」では、名刺は持っていなくて、名前は聞いたけど、その場では覚えていない。ファンド名は分からないけれども、60億円程度の投資はしているという話を聞いた。出資者の要望で元公安調査庁長官・緒方某73歳と日本弁護士連合会元会長・土屋某84歳との信頼関係の下、所有権の移転が行われた。しかし金は振り込まれなかったと解説していた。

 これも35億の出資を求める話が実体ある話なら、不用心極まりない態度としか言いようがないが、大体このような人物がなぜ登場したかである。『朝日』記事は「うかつと言われるかもしれないが(検察官が)被疑者を調べるわけじゃありませんから」と元公安調査庁長官・緒方某73歳は言ったという。

 自分の前の職業に照らしての弁明だろうが、「被疑者を調べるわけじゃ」ないのは分かりきった話で、どういった方面へ投資しているのかぐらいは聞くのが常識的な確認であろう。但し実体のあった話とするための作り話なら、名刺を渡された、どこそこの誰それである、ファンド名はこれこれと言うと固有名詞を並べ立てたりしたなら、逆に捜査機関やマスコミから確認を取られて、たちまちウソが露見する。それを避ける方法がすべて曖昧模糊に付すということなのだろう。

 いわば最初から存在しない人物だから、名刺を貰えるはずはないし、その素性については根掘り葉掘り聞けるはずもない。カネの動かない売買・登記がマスコミに知れて、取引の実体を後から付け加える必要が生じた、そのための登場人物、ただそれだけのことだろう。

 朝鮮総連の許宗萬(ホ・ジョンマン)責任副議長(72)は「仲介役の元社長に4億円余と緒方氏への謝礼金1000万円を渡した」とのこと。

 元公安調査庁長官・緒方某73歳は自分は受け取っていないから、「寝耳に水でびっくり」して確認したところ、元社長は「あとで緒方先生に渡すつもりだった」と釈明。

 総連が出資者を仲介する元社長に見つかった場合の謝礼をするのは当然かもしれないが、確実に出資者が見つからないうちからの支払いと言うことと、債務の支払いが不能状態に陥っている総連のが出す額にしては1億円は法外に過ぎる額ではないだろうか。

 元社長への1億と比較して元公安調査庁長官・緒方某73歳への謝礼が1000万円と10分の1の少なさと、自分は知らされていなくて、「寝耳に水」の関知しない謝礼話は元公安調査庁長官・緒方某73歳は不正に関与していないとするには格好の筋書きとなるが、それが正当な取引であるなら、なぜ朝鮮総連側が買手側の元公安調査庁長官・緒方某73歳に謝礼を支払わなければならないのだろうか。もし支払う理由があるとしたら、第三者に託さずに直接支払うのが筋であろう。

 <「元社長に疑念を抱くことがなかったのか」と記者団に問われると、緒方氏はぶぜんとして言った。「元社長を信頼していたが、僕の知らないこともある」
 朝鮮総連を調査対象にする公安調査庁の元トップがなぜ、総連の取引に関与したのか。
「私は総連が問題を起こす組織ではないとは思っていない。公安調査庁や警察がウオッチするのは当然だが、北朝鮮を祖国と思っている在日朝鮮人の権益を圧迫していいのかとおもんぱかり、私も火中の栗を拾った」。緒方氏はこう説明する。「だまされたとは言いたくないが、乗せられたという表現がいいのかなあ」>

 そう、「乗せられた」とすることで、実体のあった取引だとする筋書きは上々の完結を迎えることができる。東京地検が偽装取引だと断定したわけではないが、売買の成立は差押さえ逃れとなる事案であって、いくら日本弁護士連合会元会長・土屋某84歳が朝鮮総連の代理人だろうと、国民の税金を回収不能にしかねない不正に手を貸す行為となり、元公安調査庁長官・緒方某73歳はそのことへの協力者に名を連ねることとなって、登場すべき立場にある人物とは言えないにも関わらず実際に登場しているということはやはり奇々怪々な話とするしかない。

 偽装取引と証明された場合は、その奇々怪々さは格段に増す。

 贈収賄や各種談合、不正利益追求行為等々の悪事・不正に登場すべきでない学歴もあり、社会的地位を確固とした政治家・官僚、企業人、著名人が登場する奇々怪々な場面が所属する立場に関係なしに跡を絶たない。誰であろうと、人間から、その素性に関係なしに悪事・不正を取り上げることができないからだ。ましてや安倍晋三如き単純思考の政治家に取り上げることなどできようがない。

 跡を絶たないという事実はこれからも起こり得る人間の現実として存在し続ける絶対真理であって、「規律を知る、凛とした美しい国つくり」を無とするアンチテーゼでもあろう。

 自身の首相就任前の国家主義的歴史認識を封印し、国家主義を薄める「凛」とは無縁の奇々怪々を犯しながら、あるいは「 国のリーダーたるもの、国のために戦った人に追悼の念を捧げるのは当然。次の総理もその次の総理も靖国に参拝すべきだ」と言いながら、自分が総理になると中国・韓国との関係に配慮して表面的に参拝を控える奇々怪々な豹変を見せたが、それは自分の主張とは違ったことを平気でする「凛」を捨て去った態度であり、一旦口にした自分の言葉を軽くする行為でありながら、それをご都合主義に無視して、「規律を知る、凛とした美しい国つくり」を宣言して止まない裏切りの矛盾を犯し続けている。

 こういったこと自体も「規律を知る、凛とした美しい国つくり」を無とするアンチテーゼとして立ちはだるかる人間の実態としてある避けようもない現実であろう。

 こういった言う資格もない思想、主義・主張を人間から取り上げることも誰であろうとできない。

 人間から悪事・不正を、あるいは矛盾行為を誰であろうと取り上げることができない、そのことが絶対真理として存在し続けるならば、悪事・不正、矛盾行為は法律や批判を以って厳しく一つ一つ対処していくしか方法はない。安倍首相はこういった人間の現実、人間の実態を悟るべきである。そうしたなら、少しは利口になって、「規律を知る、凛とした美しい国つくり」などといった標語の役にしか立たないような、自分を格好づけるだけの奇麗事は言わなくなるだろう。

 ともあれ、「規律を知る、凛とした美しい国つくり」といった言葉は何ら役に立たない、人間の始末に負えなさを教えた朝鮮総連騒動の奇々怪々な登場人物の面々であった。

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広告/従軍慰安婦の〝事実〟の薄汚いゴマカシ

2007-06-17 12:21:34 | Weblog

 安倍晋三の名前がないのは淋しい。有志先頭に名前を連ねるべきではなかったか

 ≪「慰安婦強制の文書ない」日本の国会議員ら米紙に広告≫((07.06.15『朝日』夕刊)

 <【ワシントン=鵜飼啓】従軍慰安婦問題をめぐり、日本の国会議員有志や言論人らが14日付の米紙ワシントン・ポストに「旧日本軍によって強制的に従軍慰安婦にされたことを示す文書は見つかっていない」と訴える全面広告を出した。
 島村宜伸元農水相、河村たかし氏ら自民、民主両党の国会議員ら計44人のほか、ジャーナリストの桜井よしこ氏、岡崎久彦・元駐タイ大使らが名を連ねている。
 4月下旬の安倍首相の訪米に合わせ、韓国人団体が同紙に「従軍慰安婦の真実」と題した全面広告を出したのに対抗し、「事実」という見出しをつけた。
 広告では、旧日本軍の強制を示す文書がないと主張し、逆に「強制しないよう民間業者に警告する文書が多く見つかっている」と訴えた。
 インドネシアで一部の部隊が強制的にオランダ人女性を集めるなど「規律が崩れていたケースがある」ことは認めたが、責任者の将校は厳しく処罰されたと説明している。
 そのうえで「慰安婦はセックス・スレーブ(性奴隷)ではなかった」と主張。公娼(こうしょう)制度は「当時の世界では普通のこと」として「事実無根の中傷に謝罪すれば、人々に間違った印象を残し、日米の友好にも悪影響を与えかねない」としている。
 米下院では、日本政府に謝罪を求める決議案が提出され、共同提案者が130人に達しているが、外交委員会や本会議の採決には至っていない。>

 「旧日本軍によって強制的に従軍慰安婦にされたことを示す文書は見つかっていない」

 「文書は見つかっていない」からといって、「旧日本軍によって強制的に従軍慰安婦にされた」「事実(THE FACTS)」(広告名/≪日議員たち「慰安婦強圧なかった」WP全面広告≫中央日報/2007.06.15)は存在しなかったとは必ずしも言えない。占領したインドネシアでは日本軍のトラックに乗ってやってきた日本兵によって4カ所のオランダ人抑留所から未成年を含む35人のオランダ人女性を強行拉致し、強制的に慰安婦に仕立てて「セックス・スレーブ(性奴隷)」に貶める強姦行為を行っている。

 オランダ人女性の日記。

  「モドー
1944年2月23日
今日の午後3時一杯の日本兵を乗せて二台の車がやって来た。全バラックリーダー達が歩哨の所に来させられ、そこで18歳から28歳までの全女子と女性は即申し出なければならいと聞いた。この人達に質問されたのは、何歳か、そして結婚しているか子供達は居るかという事だった。その間彼女達は大変きわどく見られた。今又それはどういう意味を持つのだろう?又17歳の二人の女子達が紳士達のリストの中に18歳として記述されていた為率いられた。私達は忌まわしい憶測をしている」――

 広告「事実(THE FACTS)」は<インドネシアで一部の部隊が強制的にオランダ人女性を集めるなど「規律が崩れていたケースがある」ことは認めたが、責任者の将校は厳しく処罰されたと説明している。>としているが、日本はこれまでインドネシアに於けるオランダ人女性の強制従軍慰安婦問題を認めてこなかった。最初は中国人強制連行労働を認めなかったが、その証拠となる文書の存在が確認されてから認めざるを得なかったからだろう、後になって認めたように、オランダ人女性慰安婦の事実を認めざるを得ない文書がオランダ側に存在することが分かったから、認めることにしたに違いない。それでも「規律が崩れていたケース」と巧妙な事実輪歪曲、あるいは事実捏造を行っている。

 このオランダ人女性強行拉致、強制慰安婦行為は2カ月後に軍の中央の知るところとなり、慰安所は直ちに閉鎖されたということだから、オランダ人女性慰安婦問題はオランダ側の文書を待たずとも戦後知られていていいはずだが、それを認めなかったのは日本側にとって不都合なことは臭い物には蓋と処していたからなのか、軍が〝文書〟で経緯・顛末を残さなかったから、残したが敗戦の混乱で散失してしまったから、あるいは敗戦直前後に軍が証拠隠滅を図るために廃棄処分、焼却処分を行ったからといったいずれかの理由で、戦後政府の知るところとならなかったということなのだろうか。

 と言うことは、〝文書〟の存在が必ずしも〝事実〟と連動していないことを証明することになる。文書の存在=事実ではないということである。そのことを無視した「旧日本軍によって強制的に従軍慰安婦にされたことを示す文書は見つかっていない」となっている。

 オランダは日本の敗戦後、日本軍人をBC級戦犯として逮捕、裁判にかけ、1948年に大日本帝国軍隊元陸軍少佐に死刑を課し、元軍人及び民間人9名に7年から20年の有期刑の判決を下しているという。1951年9月締結、翌年4月発効のサンフランシスコ講和条約・第11条【戦争犯罪 】の 「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し――」とする規定を受けて、その時点で日本はインドネシアに於けるオランダの軍事裁判を内心はどうであれ、「受諾」したはずである。どのような罪で裁かれ、その結果の判決であるかの〝事実〟を遅くともそのときに認識したはずだが、従軍慰安婦問題が持ち上がっても、政府側からオランダの〝事実〟は出てこなかった。

 事実が事実とされていなかった〝事実〟となっていた。如何に事実が巧妙に扱われ、事実でない〝事実〟とされてきたか。オランダ人女性従軍慰安婦問題は不都合なことは臭い物に蓋扱いしていた疑いが濃くなる。それを文書の存在に拘るのは、それしか否定のためにすがる材料がないからだろう。

 このようなご都合主義の事実の取扱いを今回の「広告」でも行っている。

 <インドネシアで一部の部隊が強制的にオランダ人女性を集めるなど「規律が崩れていたケースがある」ことは認めたが、責任者の将校は厳しく処罰されたと説明している。>――。

 断るまでもなく、<責任者の将校は厳しく処罰された>とする〝事実〟は日本軍自らによる事実ではなく、オランダの軍事裁判による事実である。また東京・三宅坂の軍参謀本部から見た場合はインドネシア占領日本軍によるオランダ人女性狩りは「規律が崩れていたケース」とすることができるが、現地占領日本軍が軍ぐるみで軍の行為として行った強行拉致・強制強姦、「セックス・スレーブ(性奴隷)」化だったのであり、そうすることを崩れのない「規律」としていたのである。たった2ヶ月の「規律」ではあったとしても。

 記事からだけでも、広告の「THE FACTS」が如何に事実を自分たちに都合がいいように巧妙にすり替えているか、その薄汚い小狡さが分かる。

 文書がすべてではないし、必ずしも文書=事実でもない。事実にしても、それが常に真正な事実であるとは限らない。

 「実際に起こったことに対する批判は謙虚に受け入れるべきだが、根拠のない中傷と名誉毀損に対する謝罪は大衆に歴史的事実に対する誤った印象を与えるのみならず、日米親善関係にも悪影響を及ぼす」(≪日議員たち「慰安婦強圧なかった」WP全面広告)中央日報/2007.06.15)。

 既に自分たちが「大衆に歴史的事実に対する誤った印象を与え」ておきながら、そのことを忠告する。このことの何よりの証拠として、文書によってではなく、誰もが否定できない客観的事実を挙げてみる。

 戦前の大日本帝国は表向きは天皇の国家(「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」明治憲法)であった。一般兵士を含めた一般国民は誰しもそう受け止めていた。一般国民にとって、天皇・国家は絶対的存在であった。天皇は現人神ですらあったのである。天皇を少しでも批判し、そのことが世間に知れたなら、国賊・非国民として不敬罪で厳しく罰せられた。天皇は侵すべからざる神聖な存在、絶対的存在であった。

 大日本帝国軍隊はそのような絶対的存在である天皇と大日本帝国を常に体現していた。天皇の名に於いて命令を下し、自らの任務を天皇陛下のため・お国のためとしていた。いわば大日本帝国軍隊は天皇の絶対性をも体現していたのである。当然軍の命令・指示は絶対であった。このことは「戦陣訓」を読めば一目瞭然たる〝事実〟であることが理解できる。<「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ」の一条が太平戦争末期の数多くの悲劇的玉砕を生む一因となった>と日本史広辞典(山川出版社)が記しているが、如何に大日本帝国軍隊が一般兵士、一般国民にとって絶対的存在であったかを物語っている。

 絶対的存在である天皇の名に於いて大日本帝国軍隊自体が絶対性を体現し、絶対的存在として国民と向き合っていた。そのどのような命令・指示も絶対的性格を備えることによって、その絶対性は整合性を獲ち得ることができる。

 と言うことは、その命令・指示が「文書」の存在に関係なく、例え単なる口頭によって伝えられたものであっても、既に絶対的な強制性を備えていたのである。軍の存在自体が強制性を身につけていたと言える。

 天皇の絶対性、大日本帝国の絶対性は大日本帝国軍隊及びその軍人たちだけではなく、国家権力の末端を担うものとして街の巡査すらも体現し、国民はその「おいこら」に例え理不尽な叱責であったとしても、おとなしく従った。

 中国では駐屯日本軍が日本人業者や中国人売春業者に依頼して従軍慰安婦を募集させている文書が発見されているが、その依頼は軍の命令・指示として断ることのできない絶対性を備えていたはずである。その絶対性が遺憾なく力を発揮した顕著な一例が未成年者を含むオランダ人女性の収容所からの強行拉致・強制売春だろう。誰が軍の命令・指示を断り得ただろうか。例えそれが文書の形を取らず、口頭による〝依頼〟の形を取ったとしても、その絶対性から誰も免れることはできなかったに違いない。

 軍の依頼を受けて業者が強制的に女性を慰安婦に駆り立てたとしたら、その強制は軍の依頼が最初から備えている絶対性を受けた業者の強制発揮であって、安倍晋三が言うように「競技の強制性を示す文書が存在しない」からといって、軍の強制を直ちには否定することはできない。既に述べたように軍の存在自体が強制性を備えていたのである。

 日本の「事実(THE FACTS)」の著名な広告主たちは、この〝事実〟を無視し、この〝事実〟を前提としない〝事実〟を振り撒いて、「旧日本軍によって強制的に従軍慰安婦にされたことを示す文書は見つかっていない」とする巧妙・狡猾なゴマカシをやらかしているに過ぎない。

 広告主の先頭に安倍晋三の名前を記すべきだったろう。「広義の強制性はあったが、狭義の強制性はなかった」とする文言を広告内容に付け加えて、その〝事実〟を事実だとする補強材料に使うべきではなかったか。

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社保庁キー5千タッチは「上のなすところ、下これに倣う」

2007-06-16 12:31:17 | Weblog

 金曜日朝(07.6.14)のTBS「朝ズバッ!」の年金記録消失問題コーナーの中で、1992年に社保庁長官と労組が交わし、05年に廃止した社保庁職員の職務に関わる「確認事項」の、これといったところを伝えていた。

 それによると、
①窓口装置の連続操作時間は50分以内とし、操作時間50分ご
 とに15分の操作しない時間を設ける。
②窓口装置の1人1回の操作時間は平均200分以内とし、最高
 は300分以内とする。
③窓口装置の1人1日のキータッチは最高5000タッチ以内と
 し、最高1万タッチ以内とする。
④国民年金過年度(過去の会計年度)保険料の催告状発行は
 未納者の3分の2を対象とする。
⑤端末機の設置面積は1台当たり、5㎡以上とし、事務室の
 面積は職員1人当り4㎡以上確保する。
⑥部屋は冬は18℃以上とし、夏は18℃以下と市、外気温との
 差は~(後は不明)。
⑦人事院規則に定める一般健康診断の他、機械を操作する事
 務員を対象とした次の特別健康診
 断を実施し、経費を十分配慮する。

 「催告状の発行」は元々収入の少ない人間に発行するのだから、全員が催告に応じるわけではないということから、無駄を最初から少なくしておこうとの意図からだろう。頭のいい合理的なやり方である。横着なやり方とも言う。

 一言で言えば、「殿様待遇を致します」と認める「確認事項」の取り交わしとなっている。この覚書(「確認事項」)は番組の女性解説者が「『確認事項』については組合が一方的に要求したのではなく、社会保険庁幹部と協議の上でつくったものと反論」と言っている。

 事実、テレビが映し出した覚書の最後に<全国自治団体労働組合国費評議会 事務局長>と<社会保険庁長官官房総務部長>の肩書きが記されていた。「反論」に反して組合側が一方的に要求した項目であったとしても、<社会保険庁長官官房総務部長>の肩書きが記されている以上、それを許可したことの証明であって、上の指示に違反する勝手な振舞いではなく、あくまでも許可を受け、公に認められた職務事項ということになる。

 なぜ社会保険庁上層部はそのような〝殿様待遇〟を認めなければならなかったのか。

 認めるには認める側に認めるについての何らかの状況を抱えているものである。金に困った人間が最初に借金を申し込むのは親・兄弟なのは一般的な傾向であろう。親・兄弟の側には親・兄弟としての情を抱えていて、なかなか断りにくい状況にあるから、それを狙って借金を申し込む。うまくいけば赤の他人から借金するのではないから、親・兄弟の情に恃んで返済しないで済ませる可能性も期待できる。

 親・兄弟がダメなら、以前金を貸してやったり、何らかの援助を与えた人間に借金を申し込む。相手が一度恩を受けている、世話になっている、厭であっても借金を認めざるを得ない状況にある人間を狙う。

 このような認めるについての何らかの状況は否応もなしに一種の〝弱味〟として働く。

 こういった人間関係の法則を当てはめるとしたら、社保庁職員の〝殿様待遇〟の要求に対して社保庁上層部側が抱えている認めるざるを得ない状況、拒絶できない状況とは、相手の〝殿様待遇〟要求に相互対応し合い、それを上まわる何らかの〝殿様待遇〟を上層部側が自らのものとしている、それが〝弱味〟となって、相手の要求を引き込まざるを得ない力が働いたということを示すのではないだろうか。

 社保庁上層部が職員側の要求する〝殿様待遇〟を下回る〝殿様待遇〟状況にあったなら、許すはずはない。上に位置する者として、同等かそれ以下の〝殿様待遇〟に抑えただろう。〝殿様待遇〟にしても、下の者としての分を弁えなければならないからである。

 社会保険庁上層部が自らのものとしている第一番の〝殿様待遇〟とは、上層部の特別待遇であろうし、それ以外に第一番に上げる項目はないはずである。

 それは社会保険庁長官自身の待遇に現われている。この番組の中でも伝えていたが、「歴代社保庁長官7人の退職金の総額はおよそ9億円にのぼる」と。1人頭1億円を超える大金となっている。

 厚生労働省、その他を退職するとき大枚の退職金を手に入れ、社保庁に天下ってきて、1年か2年勤めただけで1億円以上の退職金を自分のものとすることができる。1年か2年の勤務ではたいした仕事はできるはずはなく、仕事は直属の部下に任せ、結果としての仕事の量の少なさと仕事の質の低さに比較にならない1億を超える退職金とそれに決して低くないであろう月々の給与が保証される。これ程の〝殿様待遇〟が他にあるだろうか。

 長官以下の幹部の待遇は長官に準じているはずである。準じていなければ、誰が言うことを聞くだろうか。テメエだけいい思いをしてと、陰で足を引っ張る反乱を起こされるのがオチだろう。

 〝殿様待遇〟のテメエだけいい思いの都合悪さがその配分を認めざるを得ない状況、〝弱味〟を誘い出し、それが長官の待遇に準じる上層部の待遇となり、一般職員の「確認事項」で取り交わした職務待遇ということだろう。

 1年か2年勤めて1人頭1億円を超える退職金で表現されることとなる社保庁長官の天下りのいい思い、〝殿様待遇〟から比べたら、一般職員の1人1日のキータッチは最高5000タッチ以内、最高1万タッチ以内などはかわいい内に入る〝殿様待遇〟と言える。

 尤、こういった勤務待遇のみが一般職員の〝殿様待遇〟、いい思いではない。所管団体での出来事ではあるが、01年度から05年度に交付金や委託費を計1775万円も不正使用して、職員の親睦旅行会や忘年会に転用していた事実は社保庁本体を引き継ぐ所管団体の〝殿様待遇〟であり、いい思いであったろう。いわば〝殿様待遇〟、いい思いが社保庁本体のみならず、所管団体にまで同じ色に染められていたと言うことでもあろう。

 不正使用金は全額返還しているが、そういったいい思いの返上、〝殿様待遇〟の一時的停滞、あるいは一時的障害は本体の〝殿様待遇〟、いい思いとの比較で割を食うこととなり、返済が個人返済ではなく、所管団体立替えということもある。

 一頃問題となった社保庁の年金不正免除も、仕事を楽にして〝殿様待遇〟をより確かなものとする手段としてあったものだろう。

 04年には年金や健康保険の保険料6070万円を財源として職員用にマッサージ器を購入していた事実が露見している(04.7.9『朝日』長官≪社保庁マッサージ器購入 保険料財源6070万円≫。同じ記事の中に、<年金改革をめぐる国会審議などで、長官の交際費や公用車の購入、職員専用ゴルフ場のクラブやボール購入などに保険料が使われていたことが次々と明らかになり、「事務費の範囲を超えた無駄遣い」と非難を浴びた。>と出ている。

 〝殿様待遇〟が長官以下、全員に行き渡っていたことを記事は示している。

 さらに04年7月26日の『朝日』朝刊は、≪社保庁元職員の関連2社 随意契約 6年計38億円≫なる〝殿様待遇〟の大盤振舞いを伝えている。これも自らの〝殿様待遇〟に対応した〝殿様待遇〟提供であろう。その証拠が課長が高額随意契約の見返りに数十万円の収賄を受けて逮捕されたという事実である。〝殿様待遇〟の見返りあっての〝殿様待遇〟の提供ということだろう。

 冒頭部分を引用すると、<年金の掛け金がまた、ドブに捨てられていた。社会保険庁が長年にわたって、元職員が務めるニチネン企画(本社・東京都港区)から市販の約7倍の価格で金融機関のデータを購入していた。夫が社長を務める関連企業も合わせた随意契約額は、6年間で総額38億円。ざっと6千人分の老齢年金の年間支給額にあたる。>

 この件に絡み、社保庁の課長が数10万円のワイロを受け取った。<市販の約7倍の価格で金融機関のデータを購入>する<6年計38億円>の随意契約を通した〝殿様待遇〟に対する<数10万円>のワイロ提供では割の合わない自身への〝殿様待遇〟であり、果して<数10万円>で収まっていたかどうかである。また一人課長のみが見返りの〝殿様待遇〟を受けていたかどうかである。

 社保庁長官の〝殿様待遇〟、いい思いに多分端を発したに違いない幹部職員の〝殿様待遇〟、それを引き継いだ、あるいは倣った一般職員の〝殿様待遇〟はまさに諺で言うところの、「上のなすところ、下これに倣う」であろう。

 英語の諺に変えると、「Like Master,like man.(似た主人に似た下僕)」となると『ことわざ故事・金言小事典』(福音館書店)に出ている。1959年版、48年前に購入した本だが、生涯貧乏人の身で、小事典しか買えなかった。定価100円。歴代社保庁長官の1億を超える退職金は夢のまたの夢のカネである。

 社保庁職員の勤務実態を自民党は労働組合悪者説で批判の攻撃を向けているが、「上のなすところ、下これに倣う」、あるいは「Like Master,like man.(似た主人に似た下僕)」の現象だとしたら、組合だけを悪者とするのは魔女狩りと堕す。

 参考に番組が伝えた社保庁関係の労働組合書記長の弁解の言葉を引用しておく。

 全日本自治団体労組・金田文夫書記長「今の5千万円の問題とですね、その問題(「確認事項」の問題)が何か直結してお話されてますけど、それは少し問題は違うんじゃないでしょうかねと――」(言いたい、とか、反論したいと続けたかったのか?)

 フリップでは次のように文字化されている。「みなさんから税金のように頂く。それをしっかり管理して給付につなげるという基本認識に不十分さがあった」
 「覚書(確認事項)があったから、仕事ができていないという事は全くない」
 
 全国社会保険職員組合・芳賀直行書記長「操作時間ですとか、タッチ数っていうところが非常識であるというようなご指摘もありますけれども、決してそうじゃない、ということはご理解頂きたい」

 フリップ「届け主義に依拠・安住し、統合記録に関しても不十分であった」
 
 不正・怠惰な不作為を指摘されて言い逃れの弁解に終始するときの政治家の言葉と何とそっくりなことか。〝殿様待遇〟から生じた狡猾な体質は政治家の狡猾さとも合い通じあうこととなっているようである。いわば官僚・職員共々、政治家とも同じ穴のムジナと化しているといったところか。

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安倍安請合い内閣/「年金の問題は私の内閣で解決する」(2)

2007-06-15 09:11:12 | Weblog

 6月14日(07年)の『朝日』朝刊に≪時効で年金「もらい損ね」 9万人、総額1155億円 99~03年度≫なる見出しの記事が載っていた。年金の受給は<05年10月からは受給開始年齢の誕生日の3カ月前に社保庁が申請用紙を郵送。本人が送り返せば>開始されるシステムとなっていたが、それ以前は<本人からの申請を待>って受給を開始するシステムとなっていたために<年金を受給できる年齢に達していたのに申請せずに5年以上が経過したため、時効で年金を受け取れなかった人が99年度から03年度までに計9万人おり、受給漏れの総額が1155億円に達していた>という内容である。

 <現在審議中の年金時効特例法案>では、このような<申請遅れのケースは、時効撤廃は適用されない>ということで、9万人の1155億円が救済から洩れることになる。

 もしかしたら社保庁は幹部の天下り先に配分したり、自ら保養施設などを乱造して、何らかの利益となるキックバックを受ける資金捻出のために、申請のない年金を狙い、そういった制度にしたのではないだろうか。

 一応この記事の全文を引用しておく。

 ≪時効で年金「もらい損ね」 9万人、1155億円 99~03年度≫

 <年金を受給できる年齢に達していたのに申請せずに5年以上が経過したため、時効で年金を受け取れなかった人が99年度から03年度までに計9万人おり、受給漏れの総額が1155億円に達していたことが13日、社会保険庁の推計で明らかになった。5000万件の「宙に浮いた年金記録」とは別問題だが、「本人が申し立てない限り、年金を支払わない」という社保庁の姿勢が改めて浮き彫りになった。
 13日の衆院厚生労働委員会で、柳沢厚労相が明らかにした。05年10月からは受給開始年齢の誕生日の3カ月前に社保庁が申請用紙を郵送。本人が送り返せばいいが、当時は本人からの申請を待っているだけだった。
 現在審議中の年金時効特例法案では、基礎年金番号に統合されずに受給漏れを引き起こした年金記録が新たに発見された場合、5年の時効を適用せず、全期間分の年金を本人に支払うが、申請遅れのケースは、時効撤廃は適用されない。
 また柳沢氏は、国民年金台帳から3090件を抽出したサンプル調査で、新たに明らかになった約20件のミスのうち5件が氏名と生年月日の間違いだったことを認めたが、「受給額に影響はない」との理由から公表しなかったという。
 一方、1人1番号のはずの基礎年金番号を複数持っている人が06年10月時点で約2万人いることも判明。今後、年金記録の統合作業が混乱する恐れもある。>

 年金の受給は年金保険料を支払った国民の権利としてある。年金制度そのものが国の制度としてある以上、年金の支給は受給資格に達した国民に対する国の絶対義務としてある。

 その義務が果たされてこそ、日本国民なら誰でも入れるとする「機械の平等」が保証されたことになり、その保証の結果としての、滞りのない受給の形として現される「結果の平等」の恩恵に浴することができる。

 しかし社保庁は<05年10月>まで、その絶対義務を国民からの申請がなければ支給に応じない比較義務としてきた。絶対義務としなければならないにも関わらず、申請がなければ支給に応じない絶対義務とはどのような義務を言うのだろうか。

 こういった絶対義務の変質を国は許してきた。

 安倍首相は小泉内閣の時代の幹事長であった頃から国民のあるべきとしたい社会的生存条件政策として「機会の平等を求め、結果の平等を求めない」を基準とすることを口癖にしてきた。しかし年金の支給に関しては〝機会の平等〟と〝結果の平等〟は同等に保証されなければならない。その同等性は国の国民への年金支給に関して、それが国の国民に対する絶対義務である以上、どのような理由があれ、保険料の納付に対する受給が行われて初めて保証される。〝機会の平等〟が〝結果の平等〟へと連動していく。

 しかし、申請がなかったからといって、国の絶対義務に反する支給を行わない〝結果の不平等〟をつくり出す不公平が<05年10月>まで許されてきた。

 これも、安倍首相が年金問題は「すべて私の内閣で解決する」と宣言したことに反する、すべて解決したことにならない〝安請け合い〟で終わっている問題であろう。

 尤も議員立法であろうと何であろうと、05年10月以前でも時効撤廃を適用するとする内容に「年金時効特例法案」の内容を変えれば、救済の対象に入るが、しかし安倍首相にしたら自身の、柳沢「女性は産む機械」発言大臣にしたら安倍首相の、年金問題は「すべて私の内閣で解決する」とした発言を踏まえた<時効撤廃は適用されない≫とする認識なのだろうから、そうである以上、「すべて解決」にならない安請け合いの約束宣言となる。

 それとも「機会の平等を求め、結果の平等を求めない」が自らが掲げた〝機会論〟であって、年金に誰でも入れる「機会の平等」は果たしているのだから、受給洩れといった「結果の不平等は求め」ていないのだから、言っていたことに何ら反しているわけではなく、別に裏切ってもいないとしているのだろうか。だとしたら、「すべて解決する」はなおさらに口先のみの安請け合いと化す。

 岩手日報のインターネット記事≪社会保障番号導入に意欲  首相、参院厚労委≫(2007年06月14日)が<安倍晋三首相は14日の参院厚生労働委員会で、年金など社会保障に関する個人情報を一元管理する社会保障番号導入について「国民にも利便性が高い。早急に検討しなければいけない」と述べ、導入に意欲を示した。
 社会保障番号は本来、社会保障費の伸びの抑制策として政府が検討している項目の一つ。記録管理の利便性を強調し、社保庁の公的年金記録の不備問題に対する対策として打ち出すことで、導入に弾みを付ける狙いもあるようだ。自民党の舛添要一氏への答弁。
 これに関連し、柳沢伯夫厚生労働相は健康保険証を集積回路(IC)カード化した「健康ITカード」について、将来、社会保障番号が導入された場合、同カードを活用する考えを示唆した。同カードの導入検討は今年の「骨太の方針」に盛り込まれている。>と伝えているが、確かに安倍首相が言うように「利便性は高い」かもしれないが、年金受給有資格国民すべてに受けるべき年金の全額支給を保証して初めてICカード化はすべての国民に洩れなく意味を持ち、「機会の平等」と「結果の平等」を洩れなく約束することができる。

 だが、保険料を支払いながら、受給から洩れた、あるいは受給額を減らされた国民が一人でもいるとしたら、例え自分自身が政策として掲げた〝機会論〟に忠実に添っていようとも、年金問題に関しては「すべて私の内閣で解決する」に反して「機械の平等」を与えながら「結果の不平等」をもたらす不公平を国民に強制することとなって、そのような国民にとっては個人情報一元管理化(ICカード化)は意味のないものとなり、国民すべての利便性とはならない不公平を安倍首相は政策とすることになる。

 受給を受けられなかった、あるいは受給を減らされた国民にしたら、ICカードを持たされたとしても、忌々しいものとなるだろう。

 安倍首相はそういった全体を考えて、個人情報一元管理化(ICカード化)の<導入に意欲を示し>、「国民にも利便性が高い。早急に検討しなければいけない」と言ったのだろうか。言ったとしたら、年金問題は「すべて私の内閣で解決する」としながら、解決から洩れる国民を無視する個人情報一元管理化(ICカード化)ということになって、やはり「解決」は安請け合いに過ぎないとする謗りは免れることはできない。

 国民の批判をかわす狙いもあるだろうが、全体を眺める力もなく、個別的視野しか持たないからこそ、意味を持たない国民が生じることも考えることができずに、単なる「利便性」を口実に個人情報一元管理化(ICカード化)案を持ち出したのだろう。

 安倍首相の自らの歴史・文化・伝統としているこれまでの単細胞的発想・単眼的視野から考えるとするなら、そうとしか判断しようがない。

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安倍安請合い内閣「年金の問題は私の内閣で解決する」

2007-06-14 05:31:25 | Weblog

 安倍晋三首相は公務員制度改革では、「官製談合、天下りの問題は、私の内閣で終止符を打ちたい」と発言。今度は年金問題は「すべて私の内閣で解決する」と力強く宣言。大方の国民はその言葉を聞いて大船に乗った気持になれたに違いない。社保庁に記録確認に行く必要はなくなった。

 安倍「みな様方から払っていただいた年金、間違いなくすべて、それはお支払いしていくということもお約束を、申し上げたい、と思います。私の内閣で解決する――」(07.6.14・日テレ24)

 安倍「すべてですね、先送りされてきた問題がすべて、私の内閣で解決する――」(同日テレ24)

 日本社会の矛盾・不公平・不正義はすべて安倍内閣で解決し、安倍内閣以降は一切の改革が必要なくなるのではないだろうか。改革が必要なくなれば、当然政治も必要なくなる。安倍晋三は戦後生まれの初の首相であると同時に、日本の最後の首相となる。

 だが、年金問題は記録消失問題だけではなく、少子化・高齢化・人口減少による負担問題、給付水準や給付年齢の問題、財源確保の問題等々がある。これらは一つ解決すればそれで終わりとすることのできない、永遠に続く問題であって、例え記録消失が安倍内閣で「すべて解決」したとしても、万事目出度しとはいかない。それでも安倍首相は何か問題が起きるたびに、「すべて私の内閣で解決する」と宣言するに違いない。

 記録消失問題だけを取り上げたとしても、記録の正確な回復は最終的には年金台帳とオンラインデータとの突合せが必要で、それが10年はかかると言っていることから考えると、安倍内閣が10年続くとはとても考えられないことで、今夏の参院選与党敗北なら、来年にも終止符を打つ可能性も生じるから、「すべて私の内閣で解決」は何ら保証もない安請け合いの大安売りとなる。

 また廃棄処分とした年金台帳もあると言うから、完璧な記録回復が不可能なケースも考えられるとすると、やはり「すべて私の内閣で解決」は確証も得ずに勢いで喋った安請け合いとしか言いようがなくなる。安倍安請け合い内閣と新たに命名しなければならない。

 相変わらず物事を全体的に見る目に欠ける嫌いがある。だからこそ安請け合いの力強い宣言ができるということになるのだから、全体的視野の欠如は安倍晋三なる政治家にとっては長所・美点なのかもしれない。

 まあ、「私の内閣で終止符」、「すべて私の内閣で解決」と安請け合いの連発・大安売りで持てば結構なことではある。持つかな、安倍クン?

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