原子力規制委員会及び原子力規制庁の東電汚染水対策に対する指導と首相官邸との情報共有の有効性

2013-08-31 03:24:34 | Weblog



 2012年9月に環境省の外局として設置された原子力規制委員会の事務局である原子力規制庁(同年同月発足)が東電に対して放射能汚染水貯蔵タンクの監視体制を強化するよう約1年前から再三指導していたと次の記事が伝えている。

 《汚染水漏れ:タンク監視ずさん対応 東京電力再三の指導に》毎日jp/2013年08月29日 16時37分)

 東電は放射能汚染水貯蔵タンク約930基の監視巡回に要員9人のうち2人体制で1日1回のパトロールを実施、1人が2~3時間で450基以上をチェックしていた。
 
 規制庁の話として、現地常駐の規制庁保安検査官の東電に対する指導――

▽パトロール体制の強化
▽監視カメラの増設
▽全タンクに水位計の設置

 ――等を2012年7月から今年6月にかけて10回前後、文書や口頭で指示や指導した。

 指導に対して東電はパトロールの回数を当初の1日1回から2回に増やしただけで、人数は増やさず、カメラを増設したものの死角が残っていたという。

 この対策を以って東電は「改善策を実施した」と規制庁に回答。

 だが、東電は貯蔵タンクから300トンの汚染水漏出事故等を起こし、汚染水問題では後手の対応となっている。

 そして原子力規制委員会が今月8月になって、規制庁と同様の指示を出し、東電はパトロールの要員を50人増やし、回数を1日4回にして、タンクに水位計を設置するなどの改善案を示したという。

 あくまでも改善案であって、改善案通りの実施となるかどうかは今後の問題である。

 記事は、〈東電が適切に改善していれば漏えいの拡大を防げた可能性があり、ずさんな対応が浮かび上がった。〉と解説しているが、規制庁保安検査官が現地に常駐し、約1年前から再三指導していていながら、指導内容の徹底履行をなぜ実現させることができなかったのだろうか。

 指導は履行させてこそ、指導として生きる。だが、生かすことはできなかった。

 要するに「指導」を有効化・効力化させるだけの能力を持ち合わせていなかった。

 規制庁「指導の形が明確にできなかった部分もあり、今後は徹底したい」――

 監督官庁の指導は最初から徹底させなければならないにも関わらず、海への流出も疑われる汚染水の漏出という重大な事態を招いてから、指導を「今後は徹底したい」と言う。

 汚染水問題に限らない、その他多くのケースで、「今後は」、「今後は」と責任履行の後回しが繰返されてきた。

 監督官庁としての責任の形を成していないことの反省も自戒もない。

 東電「規制庁の指導内容を確認できていないのでコメントできない」――

 原子力規制庁は約1年前から再三指導していたと言っているのだから、東電の発言は意味不明となる。今月8月になって規制庁と同様の指示を出した原子力規制委員会と間違えて、その「指導内容を確認できていない」と言うことなら、原子力規制庁の指導に対する東電の杜撰な対応の責任逃れを働かせていることになる。

 いずれにしても原子力規制委員会にして、その事務局である原子力規制庁にしても、東電に対する監督官庁としての役目――監視体制を機能させることができていなかった。このことが何よりの重要な問題であるはずだ。

 監視体制の機能不全が東電の杜撰な対応となって現れた。

 だが、第一番の問題は原子力規制庁の情報を原子力規制委員会が共有する体制となっていたかどうか、共有していたなら、原子力規制委員会の情報を首相官邸と共有する体制になっていたかどうかである。

 原子力規制庁は東電に対して約1年前から再三指導していたにも関わらず、その指導を機能させることができなかった。

 つまり指導だけで終わらせていた。

 対して今月8月になって規制庁と同様の指示を出した原子力規制委員会の対応は、7月22日に既に東電が汚染水の海への流出が続いていたことを認めているのだから、原子力規制庁の情報を共有する体制になっていたとは思えない。

 もし共有していたなら、原子力規制委員会は原子力規制庁が東電に対して指導を機能させているかどうか常に確認し、機能させていないことに気づく原子力規制庁に対する監視体制を取っていなければならなかったことになる。

 だが、原子力規制庁は東電に対する指導を1年間、満足に機能させることができないでいた。そして原子力規制委員会は今月8月になって原子力規制庁と同じような指示を出した。

 最早指示を出すことではなく、東電に対して指示に従わせることが問題になっていたはずだ。

 最後に原子力規制委員会が原子力規制庁と情報を常に共有する体制にあり、共有した情報を原子力規制委員会が首相官邸と共有していたかどうかである。

 だが、安倍晋三は8月7日の原子力災害対策本部会合で汚染水対策は「東京電力に任せるのではなく」と言い、茂木経産相は8月26日に現場を視察して、「汚染水の対策は東電任せで」あったと言っているところを見ると、東電の汚染水対策状況、あるいは原子力規制庁の東電に対する約1年前からの再三の指導を原子力規制庁が満足に機能させることができず、結果的に1年間も東電任せにしてきたことの情報を把握も共有もしていなかったことになる。

 もし首相官邸が原子力規制委員会や原子力規制庁と情報を共有する有効な監視体制となっていたなら、東電が汚染水対策に関わるコストのカット――なるべきカネをかけまいとした姿勢が結果的に人員の面でも設備の面でも脆弱で杜撰な態勢を築くことになっていたのだから、政府予算の予備費の活用を含めた財政措置といった言葉は今更ながらに出てくることはなかったはずだ。

 要するに東電の汚染水対策に首相官邸も原子力規制委員会も原子力規制庁も情報を共有し合って有効足らしめる体制を相互に築いていたようには見えず、それぞれに監督組織としての、あるいは監視組織としての役目を機能させることができていなかった。

 首相官邸も原子力規制委員会も原子力規制庁も責任を果たしていなかったということである。  

 これが東電任せの実態と言ったところではないだろうか。

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安倍晋三の汚染水対策「政府対応、国内外にしっかり発信していく」は小賢しいばかりのゴマ化し

2013-08-30 04:54:21 | 政治



 安倍晋三が訪問先のカタール・ドーハで記者会見。東電の汚染水漏出について記者の質問を受け、次のように答えている。

 安倍晋三カタール・ドーハ内外記者会見(首相官邸/2013年8月28日)   

 峯産経新聞記者「この度クウェートやカタールとの間で、原子力安全での協力に合意しましたが、一方で、福島第一原発でタンクから汚染水が漏れ出し、海への流出について国内外の懸念が高まっています。この問題についてどのように対処されるおつもりでしょうか」

 安倍晋三「福島の事故は、東京電力任せにせず、汚染水対策を含めて、国として緊張感を持って、しっかりと対応していく必要があります。

 私から、経済産業大臣及び原子力規制委員長に対し、原因の究明と対応の対策を指示し、経済産業大臣が新たな対策に着手しています。タンク漏水への対応については、政府を挙げて、全力で取り組んでいく所存であります。政府が責任を持って対応し、国内外にしっかりと発信をして参ります」――

 テーブルに目を落としながら話していたから、記者たちが前以て質問を渡しておいて、政府側が答を用意していて原稿に認(したた)めていたのかもしれない。

 最後の「国内外にしっかりと発信をして参ります」のところではしっかりと顔を上げて宣言するように言い切ったが、自分の思いだぞというところを見せたのかもしれない。

 しかし政府は東電の汚染水対策に関しては重大な問題が発生しないように常に情報の共有を図る監視体制を取り、政府と東電共々に問題発生を抑えていくことを以って“国内外への発信”としなければならなかったはずだ。

 だが、そういった監視体制を取らずに東電任せの汚染水対策とし、重大な問題が発生してから、その解決のプロセスとプロセスの到達点としての最終解決そのものを政府は「国内外にしっかりと発信」していくと言う。

 履行すべき責任を履行せず、そのことは問題視せずに今後責任を履行しますと宣言しているようなものである。

 と言うことは、今後の責任履行をすべてとし、これまでの責任不履行はなかったことになる。

 このよう構造の後手の責任履行では前以て備えるという危機管理自体を危うくする。

 今年の4月に福島第1原発の放射能汚染水を貯め込んでおく地下の貯水槽から高濃度の放射性物質を含む汚染水の水漏れが見つかり、5月に2号機海側の放射能濃度観測用井戸地下水から高濃度の放射性物質を検出、連動するように港の海水でも放射性物質の濃度が上昇しても、東電自体が汚染水の海への流出を認めなかったからなのか、政府は何ら危機意識を持たなかった。

 ところが7月22日になって東電は汚染水の海への流出が続いていたことを初めて認めた。

 8月21日、東電は放射性物質に汚染された地下水が今年5月から海洋に流出していたと仮定した場合、港湾内へ流れ出た汚染水に含まれるストロンチウム90が推計で最大約10兆ベクレル、セシウム137は20兆ベクレルに上るとの試算を公表したと「MSN産経」記事が伝えている。

 別のMSN産経記事――《福島第1原発汚染水 排水溝から外洋流出か 東電「可能性否定できない」》MSN産経/2013.8.22 01:12)

 東電は同じ8月21日、汚染水約300トン漏出の地上タンク近くの外洋につながっている排水溝壁面で毎時6ミリシーベルトの高い放射線量を計測したと発表。

 東京電力「汚染した土砂が排水溝に流れた可能性があるが、汚染水が海に流出した可能性も否定できない」――

 記事解説。〈直接外洋に流れれば深刻な事態になるが、すでに海水に混ざっており確認は困難とみられる。〉

 こういったことが既に「国内外にしっかりと発信」されているのである。

 このような“発信”を受けて、福島県いわき市沖の試験的な漁が延期されることとなった。

 東北沖産の魚介類に対する売上減少は風評被害と言うことはできなくなり、消費者の実体性を備えた不安からの売上減少と見なければならないことになる。 

 以上のような汚染水の漏出を受けて、8月28日、原子力規制委員会は「レベル7」から「レベル0」までの8段階に設定してある国際的な原子力事故評価基準をこれまで評価していた「レベル1」から「レベル3」に引き上げた。

 「レベル3」は「重大な異常事象」とされ、平成9年に茨城県東海村で当時の動燃=動力炉核燃料開発事業団の再処理工場で火災と爆発が起きて放射能が漏れ、作業員37人が被曝した事故が該当すると「NHK NEWS WEB」記事が伝えている。

 勿論、こういった危機管理上の失態に関わる情報は“内”ばかりではなく、“外”にも発信されることになる。

 《汚染水漏れ 欧米メディアでも関心高く》NHK NEWS WEB/2013年8月22日 5時6分)

 以下は原子力規制委員会が「レベル3」に引き上げる前の検討中の動きである。

 〈イギリス・BBCは、東京にいる特派員と中継をつなぎ、原子力規制委員会が原子力事故の深刻さを表す評価を引き上げることを検討していると伝えたうえで、この状況は、おととし福島第一原発の原子炉でメルトダウンが起きて以来の深刻な状況だと報告し〉た。

 〈アメリカのCNNテレビは、原発の元技術者をゲストに招いて、「汚染水漏れはどれだけ危険なのか」と題して、現在の福島第一原発の状況について詳しく解説し〉た。

 〈現場は高濃度の放射性物質のため、なかなか近づくことができず、事態を収拾するためにどれだけの時間がかかるか分からないなどと、事態の深刻さを伝え〉た。

 〈ロイター通信は、福島第一原発がおととしの事故以降、最大の危機に陥っていると伝え〉た。

 政府が汚染水対策に関して東電と共に重大な問題が発生しないように情報の共有を図る監視体制を構築せず、東電任せにした責任不履行が招いた重大な結果が“外”への情報発信となって現れた。

 もし情報の共有を図る監視体制を構築していた上での汚染水の漏出だと言うなら、その危機管理の失態はより大きくなる。予備費の活用を含めた財政措置にしても、この期に及んで検討されるのではなく、もっと前に検討、実施されていただろう。

 安倍政権は東電の汚染水対策に関して政府としてやるべきことをやっていなかった。果たすべき責任履行を責任不履行としていた。やるべきことをやらずに、あるいは任履行を責任不履行としていたにも関わらず、重大な問題が発生してから、いわば後始末となる危機管理を「政府が責任を持って対応し、国内外にしっかりと発信をして参ります」と言う。

 小賢しいばかりのゴマ化しではないか。

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橋下徹に「僕が喋る内容は僕に著作権がある」と言わしめた独裁意志

2013-08-29 04:31:01 | Weblog

 

 橋下徹日本維新の会共同代表が8月26日、大阪市役所登庁時の囲み取材で、自身の発言に著作権があると発言したとマスコミが伝えていた。どういうことか詳しく知ろうとして、インターネットを探してみると、YouTubeで会見の動画を見つけたので、文字に起こしてみた。

 記者の発言が大分聞き取りにくい。省略した個所と前後の脈絡や橋下徹の答弁から推測して書き入れた箇所もあるが、結果的に発言がつながらない個所もあり、そこは読み飛ばして貰いたい。

 二人か三人の記者が質問したが、区別せずに主語を記者とした。橋下徹の発言も合理性を欠いている個所を大分見受ける。 

 橋下徹2013年8月26日(月)市役所登庁時の囲み取材(You-Tube動画から)  

 記者「政治資金パーティ、非公開されるそうですが、理由を教えて下さい」

 橋下徹「公開していた方が、ある意味、例外ではないでしょうかね。だから、これまですっと公開やってましたけども、まあ、喋る中身も、もう公開にしなくてもいいかなと思いましたね。

 ええ、一回、いらっしゃれば、普通の一般の入場者と同じように、あの、ご来場頂ければ、そこは制限をかけません」

 (おカネを払って入場すれば、マスコミが勝手に報道すると言っていることの条件は変わらない。条件の違いは金をとることだけとなる?)

 記者「これまでは公開・非公開、カメラが入っていることを前提に発言していたと思いますが」

 橋下徹「そんなことはないでしょう。そのことの意識はしていませんけどね」

 記者「国政進出もありましたし、独裁発言もありましたし、色々あったと思います」

 橋下徹「あれはカメラを意識したからではなく、来訪者を意識して喋ってるわけですから。まあ、取り敢えず、カメラがない方がもっと自由に喋れますからね。

 勿論後で筆記されたり、報じられたり、あのー、録画されたりすることは百も承知してますけども。カメラに撮られて、繰返しそれを流されるよりかはね。

 まあ、ある一定程度の報道は、これは止むを得ないと思いますけども、カメラに撮られて、繰返しやられてしまうと、全然違う方向に行ってしまうので。

 まあ、カメラないところで、もっと大胆に自分の思いを語っていきたいですものね」

 記者「何か、手法で今までと変えていこうということがあるのですか」

 橋下徹「いや、手法とは?」

 記者「カメラ無しのところで、喋りたいというのか」

 橋下徹「カメラはやっぱ相当制限をかけて(発言して)いますもの。ええ、カメラがあるところで制限をかけたような発言をしても、また一部分だけ抜き取られて、独裁発言なんていうのは、独裁とは力が必要だと言っているにも関わらず、独裁だ、独裁だってところばっかりを流されて、ああいう形になりましたから、カメラがない方がもっと大胆に自分の思いを率直に語れますよね」

 記者「(最初のところは聞き取れない。)カメラを入れて欲しいと思っていますが」

 橋下徹「だから、それだったら、僕も報道の自由の範疇外として、ある意味、出演契約みたいな形でね、契約を結ばさせてもらって、きちっと出す映像について僕が、僕に対する許可権を保留する。留保させてくれるんだったら、いいですけどね。

 それはないと思いますから、通常出演契約だとね、それは当然、出演者側の方に映像のどう使われるかっていうことはタレントの方に留保権はありますけども。ま、それがない中で、えー、いわゆるニュース映像に関しては僕の方に利用権を持たせてくれなんて言うつもりはないですから。ただニュース映像として扱われるんだったら、それはちょっと勘弁して貰いたいですものね。

 単純に通常番組としての出演契約っていう形でやるっていうんであれば、それは全く問題ないですよ。

 但し出す映像について、編集の遣り方については、当然僕の方にも口を出させて貰いますけどもね」

 記者「(最初のところ、聞き取れない。)中に入って、録音する分にはいいのですか」

 橋下徹「いや、よくないけど。よくやるじゃないですか、それは。新聞記者、やめろって言ったって、ICレコーダー全部チェックできないですもの」

 記者「録音しないで欲しいという要望は出しますか」

 橋下徹「出しますよ。それはコンサート会場でも何でも、そうじゃないですか。著作権なんですから。僕が喋る内容は、講演の喋る内容は僕に著作権があるわけです」

 記者「伝えることを確保するんだったら、(報道制限したら)あまり伝わらないと思いますが」

 橋下徹「だから、タテマエというか、メモ禁止ですよ、ええ。禁止ですよ。

 あのー、禁止ってやって、どこまで法令遵守を叫んでいるメディア各社がそれを守るかですよね。そうですよ、それは。禁止って言って、コンサート会場であろうか、どういうところであろうか、それはやったらダメでことをやったら、大事になるわけで、それを報道の自由という名のもとにどこまでそれを侵すかって言うことは、あー、それはメディア側の良識だと思いますよ。

 今回は政治資金パーティなので、いわゆる報道の自由の範疇、完全に報道の自由の領域で、メディアの方で特権あるわけないと思うので、録音・録画禁止と、いうことを言ったときに、どうなるかですね」

 記者「水掛け論になるかもしれないですけども、例えばメモとか記憶で知った部分を流すということの方が正確さがなくなるのではないですか」

 橋下徹「それは報道機関の、後は責任です」

 記者「 録音とかで正確に記録した上での方がいいというふうに思われますが」

 橋下徹「だって、僕はそうして欲しくはないですもの。そこまでして、出演契約でちゃんと契約とかやって、こういう形で出演してこうしてくださいねっていう話だったら、それは対価を貰う中での話ですけどもね」

 記者「政治的に重要な立場にいらっしゃる方が、大勢の前で話しかけるについて、できるだけ正確に報道してもらいたいという気持は――」

 橋下徹「だけど、料金貰ってやる会ですよ」

 記者「(聞き取れない)」

 橋下徹「だから、そういう人たちに対して話をするわけですから」

 記者「話をするためにおカネを貰っているわけではなくて――(よく聞き取れない。)」

 橋下徹「だって、元々、そこ前提が違うんで、元々報道することが大前提で、それは報道機関が勝手にやっていることでね、報道機関の都合で僕が合わせる必要はないじゃないですか。

 本当は報じなくてもいいわけで。本来だったら、誰かの講演会の話とかを事細かに中身を伝えるってことを、じゃあ、そっちが原則かというと、思いますけどもねえ。

 オープンにしている会合だったらいいですよ。ただ、報じるところまで、僕は止めれませんものね。

 そこまでは、やっぱ、報道の自由があるから、僕はそこは止めれませんから、報道されることは報道機関のある意味、裁量なんでしょうけど、だから、そこは、責任を持ってやって頂きたいということです」

 記者「今日から公開できないということですか。何か理由はあるのですか」

 橋下徹「いや、ないです。せっかく来てもらうんでね、きちんと率直に伝えるってことで、毎日新聞何かに来られたら、厄介です。あれはもう本当に、(聞き取れない)どう考えても、冷静さを欠いています。それはメディアの中で批判があってもいいと思います――」

 メディア批判に転じたため、以下省略。 

 橋下徹が自身の政治資金パーティにマスコミ関係者の入場を禁止し、報道に制限をかける意図は自身の発言の一部を取り上げ、その発言個所の映像を繰返し流して誤った趣旨の発言――誤報としてしまい、そのようなマスコミの扱いが橋下徹の評価や支持率を下げてしまう原因となっていると自身がそう信じていることからのマスコミに対する忌避的反応にあるはずである。

 象徴的例が今年5月13日の「慰安婦発言」である。

 橋下徹「当時は日本だけじゃなくいろんな軍で慰安婦制度を活用していた。あれだけ銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、そんな猛者集団というか、精神的にも高ぶっている集団は、どこかで休息をさせてあげようと思ったら慰安婦制度は必要なのはこれは誰だってわかる」――

 そして5月下旬に沖縄のアメリカ軍普天間基地を視察、司令官に米海兵隊兵士の綱紀粛正、いわば性犯罪防止に風俗業の活用を進言した。

 風俗業を利用するしないはあくまでも兵士個人に任せるべきを軍として活用するように進めたのだから、風俗業を現代版慰安婦制度に見立てたということになる。

 橋下徹のこれらの一連の言動を以てマスコミは橋下徹が慰安婦制度を容認したと書き立てた。

 対して橋下はマスコミ報道を「誤報」だとし、「慰安婦の利用を容認したことはこれまで一度もありません」と反論したが、米司令官に風俗業の活用を進言している以上、マスコミに容認したと受け止められても仕方がないだろう。

 結局はマスコミ側に軍配が上がったということになる。橋下徹は支持率を下げて日本維新の会は以前の勢いを失い、結果、7月の参院選で44人の候補者を立てて、8人しか当選者を出すことができなかった。

 当然、橋下徹は自身の発言に対するマスコミ報道に拘っている。

 いわばマスコミの報道を信用していないことを前提としている以上、「普通の一般の入場者と同じように、あの、ご来場頂ければ、そこは制限をかけません」と言っていることは、合理的な整合性を欠くことになる。

 確かにカメラの入場を許さなければ、一箇所かあるいは二箇所程度切り取られて繰返し流されることは防ぐことはできるが、要は発言に対する解釈の問題である。パーテイ券をカネを出して買って、それでパーテイ会場に入場して、カメラを回させず、ICレコーダーで録音もさせず、メモも取らせなかったとしても、頭に記憶した発言をワイドショーが取り上げ、そこにワイドショースタッフ、あるいはメインキャスターやゲスト出演の有識者の解釈が入るのは回避できるわけではなく、視聴率稼ぎの報道価値があると見られたなら、結果、繰返し取り上げられることになる。

 発言に対する解釈は止めることができないことを前提とするなら、橋下徹がマスコミというものは発言の意図や趣旨を誤報したり、捻じ曲げて報道すると自らの解釈を持ってマスコミを忌避する場合、記者会見だけではなく、街頭演説にしても一切の発言を中止して初めて整合性を得ることができる。

 だが、そうしたなら、自身の発言も一切伝わらないことになる。

 要は解釈の問題だと認識していないのではないのか。

 自身の「独裁発言」を捻じ曲げられたかのように言っているが、「Wikipedia」を頼りに紹介すると、〈2011年(平成23年)6月29日の夜に、大阪市内のホテルで行われた政治資金パーティーで大阪府知事・大阪市長のダブル選挙に関して、「大阪市が持っている権限、力、お金をむしり取る」「大阪は日本の副首都を目指す。 そのために今、絶対にやらなければいけないのは、“大阪都”をつくることだ」「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」と述べ、大阪都構想に反対する大阪市を抵抗勢力だとして「権力を全部引きはがして新しい権力機構をつくる。これが都構想の意義だ」と締めくくった。この「独裁発言」に平松邦夫大阪市長は「絶句した」と述べ、「“大阪都構想”は中身がない、妄想だ、と言ってきたが、その通りだったことを自ら認めた。市民のためでも府民のためでもなく、自分のため、というのが独裁だ」と批判した。

 橋下は自分自身は独裁者とは成り得ないと考えており、「今の統治機構において(中略)いわゆる独裁は無理」「選挙が公正に行われる限り、権力の独裁はあり得ない」「メディアの厳しいチェックも受けて、独裁なんてやりようがないですよ」と自身のツイッター上で発言している。独裁ではないかという指摘に対して「こんなキュートな独裁者いますか?」と言い返すことがある。〉と記載されている。

 要するに強力なリーダーシップが必要だと言いたかったのだろうが、そうは言わずに「今の日本の政治で一番重要なのは独裁。独裁と言われるぐらいの力だ」と言っている以上、独裁志向と解釈されても止むを得ないだろう。

 橋下徹は「メディアの厳しいチェックも受けて、独裁なんてやりようがないですよ」と言っているが、現在では政治資金パーティ会場にカメラを入れさせまいとする程にメディアの解釈自体を信じていない。

 当然、自身では正しいと思って発言した言葉がメディアのチェックを受けて批判された場合、逆にメディアを批判することになって、チェック自体を自ら無効化することも生じる。

 人間は自分が意図したテーマで行った発言であっても、意図とは異なる意味を持たせてしまう場合があることを橋下徹は認識していないのではないだろうか。例えば人種差別をするつもりもなく発言しながら、実際には人種差別となる発言であったりする。

 もし認識していないとしたら、常に自分の発言は正しいと認識していることになる。
 
 このことは次の発言に現れている

 「通常出演契約だとね、それは当然、出演者側の方に映像のどう使われるかっていうことはタレントの方に留保権はありますけども。ま、それがない中で、えー、いわゆるニュース映像に関しては僕の方に利用権を持たせてくれなんて言うつもりはないですから。ただニュース映像として扱われるんだったら、それはちょっと勘弁して貰いたいですものね。

 単純に通常番組としての出演契約っていう形でやるっていうんであれば、それは全く問題ないですよ。

 但し出す映像について、編集の遣り方については、当然僕の方にも口を出させて貰いますけどもね」

 「ただニュース映像として扱われるんだったら、それはちょっと勘弁して貰いたいですものね」と言っていることは、そこに誤報が入ったり、曲解が入ったり、悪意が入ったりすると見ているからであって、この見方を可能としているのは他者の解釈は回避不可能だと認識していないからだろう。

 インターネット上には悪意に満ちた発言がゴマンと転がっている。流す人間からしたら、悪意ではないと見ている。それも解釈である。

 他者の解釈は回避可能だと認識しているから、誤報や曲解や悪意を回避するために「出す映像について、編集の遣り方については、当然僕の方にも口を出させて貰いますけどもね」ということになる。

 但しこの発言は自分が意図したテーマで行った発言であったとしても、意図とは異なる意味を持たせてしまう場合があることを一切認識せず、自分の発言は常に正しいとの価値づけを前提としていることになる。自分が気に入る編集のみを選択し、気に入らない編集を排除する。

 そうすることによって、自身の発言の正しさを証明する。常に自分の発言は正しいと自ら価値づけて、その価値づけに反する他者の解釈を一切排除しようとする欲求は独裁意志そのものの現れでしかない。

 結果、「僕が喋る内容は、講演の喋る内容は僕に著作権があるわけです」からと、自らの発言に著作権を付与して、発言の正しさの絶対擁護に入ることになる。

 メモをも禁止してまで、擁護しようとする。

 記者が「水掛け論になるかもしれないですけども、例えばメモとか記憶で知った部分を流すということの方が正確さがなくなるのではないですか」と言ったことに対して橋下徹が「それは報道機関の、後は責任です」と言っていることは、あるいは「報道の自由があるから、僕はそこは(報道することは)止めれませんから、報道されることは報道機関のある意味、裁量なんでしょうけど、だから、そこは、責任を持ってやって頂きたいということです」と言っていることは、報道機関としての責任を認めていないのだから、合理性を欠いた矛盾した発言となる。

 橋下徹が報道機関が報道機関としての責任を正しく果たしていると見ているとしたら、カメラや録音やメモを禁止する挙動に出ることはない。

 かくこのように橋下発言が全て合理性を持った正しい発言だとは限らない。

 にも関わらず、自分の発言は常に正しいと価値づける独裁意志を露わにしている。

 橋下徹が報道に関して十全な満足を得ようとするなら、自身の報道機関を持つべきだろう。いわば御用報道機関である。独裁国家の報道機関が常に独裁者を賛美するように橋下徹を賛美し、橋下徹の発言を常に正しいこととして報道してくれるだろう。

 いわば橋下の独裁意志に打てば響くように応えてくれるはずだ。 

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安倍政権は野田政権福島原発事故収束宣言に対して暗黙の事故収束宣言をしていた?

2013-08-28 06:24:35 | 政治



 今年の4月、福島第1原発の放射能汚染水を貯め込んでおく地下の貯水槽から高濃度の放射性物質を含む汚染水の水漏れが見つかり、5月になって、2号機海側の放射能濃度観測用井戸地下水から同じく高濃度の放射性物質を検出、連動するように港の海水でも放射性物質の濃度が上昇したが、東電は汚染水の海への流出を認めなかった。

 ところが7月22日、東京電力は汚染水の海への流出が続いていたことを初めて認めた。

 経産省は8月7日、流出量の概算を公表している。

 第1原発の地下には毎日約1000トンの地下水が山側から流れ込み、このうち約300トン程度が高濃度放射性物質が検出された井戸の周辺を通り、汚染水となって海に流出していると推測。

 残りの700トンのうち、400トンは1号機から4号機の建屋地下に滞留、300トンは汚染されずに海に流出。

 経産省流出量概算公表と同じ8月7日、政府は安倍晋三を本部長とする原子力災害対策本部会合を開催。

 安倍晋三、「汚染水問題は、国民の関心も高く対応すべき喫緊の課題だ。東京電力に任せるのではなく、国としてしっかりと対策を講じていく。

 スピード感を持って東京電力をしっかりと指導し、迅速かつ確実に重層的な対策を講じてほしい」b>NHK NEWS WEB)――

 歴代政府は国策として原子力政策を進め、その政策のもと、東電等の電力事業者を各種規制してきたのだから、東電の福島原発事故は国にも重大な責任がある。

 当然、国は海への流出はあってはならないこととして東電の汚染水対策を監視していなければならない責任を負っていたはずである。

 ところが政府は東電が汚染水の海への流出を認めた7月22日から16日も経過した8月7日になって原子力災害対策本部会合を開催、安倍晋三は「東京電力に任せるのではなく、国としてしっかりと対策を講じていく」と、政府としての責任遂行を言ったつもりだろうが、逆に東電任せにしていたことが露見させている。

 政府のこういった不作為・無責任は8月8日(2013年)の当ブログ記事――《安倍晋三の東電汚染水問題「東電に任せるのではなく、国としてしっかりと対策を講じていく」の言行不一致 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 そして8月7日の原子力災害対策本部会合開催から19日も経過した8月26日になって、菅官房長官が記者会見しているが、安倍晋三が「汚染水問題は、国民の関心も高く対応すべき喫緊の課題だ」と言ったことに反して国としての責任遂行の指示と実施との間にズレを見せている。

 《汚染水「財政措置も含め対策」》NHK NEWS WEB/2013年8月26日 13時12分)

 菅官房長官「タンクからの汚染水の漏えいは極めて遺憾だ。これまでの地下水の汚染の構造的な問題とは異なり、タンクの管理をしっかり行ってこなかったことに大きな問題があったと考えている。

 政府が一歩前に出て、取り組む必要がある。茂木経済産業大臣に対して、抜本的な対策を早急に進めるため、予備費の活用を含めた財政措置についても、できる限りのことを行うよう2週間前に指示した。一日も早い解決に向けて、出来ることはすべてやるというのが現在の政府の方針だ。

 (2020年夏季オリンピック・パラリンピック東京招致活動への影響について)外務省経由で情報提供を適切に行っているので、言われているような影響はないと考えている」――

 「2週間前に指示した」、だが、実施はこれからだということだから、「一日も早い解決に向けて、出来ることはすべてやるというのが現在の政府の方針だ」という自らの言葉を裏切っていることになるのだが、本人は気づいていない。

 いわば政府の対応は後手、後手に回っている。

 汚染水対策を東電任せにしたことと、責任遂行の実施がこれからであることは菅官房長官が記者会見したのと同じ8月26日に現場を視察した茂木経産相が自ら暴露している。《汚染水対策で予備費活用を検討》NHK NEWS WEB/2013年8月26日 19時33分)

 記事は茂木経産相が周辺のパトロールの強化や溶接型のタンクを増設することなど東京電力側に5つの指示したと書いている。

 この指示自体が既にこれまで東電任せであったことの証明でしかない。視察後、記者団に。

 茂木経産相「汚染水の対策は東電任せで、もぐらたたきのような状況が続いてきたが今後は国が前面に出る。

 新たに経済産業省の幹部を汚染水対策に充て、対応していく。

 緊急性が高く技術的に困難な凍土壁などの対策については、予備費の活用を含めて財務当局と協議する」(下線個所は解説文を会話体に直した)――

 「汚染水の対策は東電任せ」であった。「緊急性が高く技術的に困難な凍土壁などの対策については、予備費の活用を含めて財務当局と協議する」と、今後の実施であることを自ら証言することとなっている。

 先ず、「汚染水の対策は東電任せ」であったことを何とも思わない、いわば無責任さを何も感じない物言いを平然と行う感覚には驚かされる。

 予備費活用等の財務当局との協議は、汚染水対策自体の工事等は政府の監視と指導で進められていくのだから、工事費の支払いは後回しでも可能で、後で決まってもいい予備費活用ではあるが、過去4回漏出を起こした地上設置の汚染水貯蔵タンクは溶接して組み立てたものではなく、ボルト接合の簡易な「フランジ式」だと「MSN産経」は伝えているし、汚染水300トンが漏れた貯蔵タンク(容量1000とン)は地盤沈下で傾いたために解体したタンクを組み立て直して再利用したものだったと東電が8月24日発表したと「YOMIURI ONLINE」が伝えているように、要するにカネの手抜きが対策の手抜きを招いた、あるいはコストカットが対策カットの原因となった放射能汚染水の漏出だと考えると、政府が当初から東電任せではない、監視と指導の責任遂行のもと早くに予備費活用を決めていたなら、東電としても安心して人員とカネをかけたしっかりとした工事ができていた可能性は否定できない。

 ところが全然そうはなっていなかった。

 東電が貯蔵タンク設置にカネをかけなかったことは次の記事が何よりも証明している。《汚染水漏れ:「タンク、金かけず作った」協力会社会長証言》毎日jp/2013年08月25日 09時24分)

 記事――〈地盤沈下が原因で移設されていたことが明らかになった東京電力福島第1原発の汚染水タンク。高濃度の放射性物質を含んだ汚染水約300トンの漏出は、この移設が原因なのか――。〉・・・・・

 東電協力会社(福島県いわき市)会長(72)「タンクは工期が短く、金もなるべくかけずに作った。長期間耐えられる構造ではない」――

 〈同社は事故前から原発プラントの設計・保守などを東電から請け負い、同原発事故の復旧作業では汚染水を浄化して放射性物質を取り除く業務に携わっている。このため汚染水を貯留しているタンクを設置したゼネコンともやり取りがあり、内部事情に詳しい。〉

 東電協力会社(福島県いわき市)会長東電幹部やゼネコン関係者から聞いた話では、今回水漏れを起こしたタンクは、設置工事の期間が短かった上、東電の財務事情から安上がりにすることが求められていた。タンクは組み立て式で、猛暑によってボルトや水漏れを防ぐパッキンの劣化が、通常より早まる可能性も指摘されていた。

 野ざらしで太陽光線が当たり、中の汚染水の温度は気温より高いはず。構造を考えれば水漏れは驚くことではなく、現場の感覚では織り込み済みの事態だ。現場の東電の技術スタッフも心配はしていた」(下線個所は解説文を会話体に直した。)
 
 但し約300トン漏出の汚染水は、原子炉を冷却した汚染水から放射性セシウムを除去した汚染水だそうだ。

 なぜ安倍政権は原発事故と事故終結に国の責任があるにも関わらず、汚染水対策は無責任にも東電任せにしたのだろうか。

 菅無能は2011年3月11日の福島第1原発事故後の3月15日、東電本社内に政府と東電本社と第1原発現場と情報共有を図るための「政府・東京電力統合対策室」を設置している。

 この設置を以後の情報共有をスムーズに測ることができたと菅無能の手柄のように喧伝しているが、緊急事態応急対策拠点施設(オフサイトセンター)を中継基地として首相官邸と東電本社、福島第一原発、福島県町とを結ぶテレビ会議システムを一度も利用していなかったから、思いつかなかったのだろう、オフサイトセンターが放射能汚染で使えない間に首相官邸のテレビ会議システムを東電と直接つなげる措置を取っていたなら、東電本社に置いた「政府・東京電力統合対策室」から重要な情報を首相官邸に上げるという手間を省いて、より直接的に現場の情報を首相官邸はタッチできたはずだが、オフサイトセンターが放射能汚染から復旧後も、オフサイトセンターを中継基地としたテレビ会議システムを利用することはなかったし、首相官邸と東電本社と直接つなげるテレビ会議システムを設置することもなかった。

 「政府・東京電力統合対策室」は菅無能政権を引き継いだ野田政権が2011年12月16日、「原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものは収束に至った」と事故収束宣言を行い、事故収束に伴って同日付で廃止されることとなった。

 そして「政府・東京電力統合対策室」の後継組織として、「東京電力福島第一原子力発電所1~4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」の決定及びその進捗管理並びに発電所の安全維持を、政府と東京電力株式会社が共同で実施していく体制として、新たに「政府・東京電力中長期対策会議」を設置している。

 ところが安倍政権となった2013年2月8日、野田政権設置の1~4号機廃炉に向けた「政府・東京電力中長期対策会議」を廃止し、代わりに野田政権の「政府・東京電力中長期対策会議」が掲げた計画テーマと同じく、「東京電力(株)福島第一原子力発電所1~4号機の廃止措置に向けた中長期ロードマップ」の進捗管理を行うとともに、重要事項を審議、決定する体制を構築する、政府及び東京電力に加え、研究開発に携わる主要な関係機関の長を構成員とする「東京電力福島第一原子力発電所廃炉対策推進会議」を新たに設置している。

 野田政権が「政府・東京電力統合対策室」を廃止して、「東京電力福島第一原子力発電所1~4号機の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ」を計画テーマとした「政府・東京電力中長期対策会議」を設置したことは事故収束宣言をした以上、その措置が正しいか否かに関わらず、矛盾しないことになる。

 だが、安倍政権が野田政権と同じ廃炉を計画テーマとした「東京電力福島第一原子力発電所廃炉対策推進会議」の設置のみでは、野田政権の事故収束宣言に異議を唱え、まだ事故は収束と言える状況ではないとしていたのだから、片手落ちの矛盾を犯すことになる。

 この矛盾をクリアするためには、廃炉に向けた会議と共に何らかの事故対策会議をも設置していなければならなかったはずだ。

 安倍政権が「東京電力福島第一原子力発電所廃炉対策推進会議」を設置した同じ2013年2月8日の衆院予算委で安倍晋三は野田政権の収束宣言について次のように答弁している。

 安倍晋三「前政権において、一昨年の12月に原子炉の状態を定量的に評価した上で冷温停止状態の達成を確認したものである。その確認において、収束という表現を使ったんだろうと思います。

 私は、総理就任後、福島県に参りました。今、笠井委員が御指摘をされたような、そういう住民の方々は受けとめをしておられた。いまだに帰還できずに不自由な生活を強いられている皆さんとも私はお目にかかってお話をいたしました。その中において、原発事故が収束しているということは簡単に申し上げられない状態であるというふうに私は認識をしております」――

 笠井共産党議員は福島住民の不安と不信は続いている、収束宣言できる状況ではないと収束宣言の撤回を求めたが、安倍晋三は応じなかったものの、収束したと言うことができる状況ではないと答弁している。

 2013年2月12日の予算委員会。

 小泉進次郎自民党議員「安倍政権というのは、原発事故以来、また東日本大震災以来、初めての自民党政権であります。そのスタートに、改めて、かつての自民党政権時代、間違った安全神話のもとに原発を推進してきたその責任を、私は免れることはできないと考えています。おわびと反省から改めて始めるべきじゃないでしょうか。総理、いかがですか」

 安倍晋三「昨年十二月の十六日、総選挙によって、我が党、公明党が過半数を得たわけでありますが、ちょうどこの日が、収束宣言をしてからの一年目に当たる日でございました。

 私も、総理に就任して直ちに、最初の訪問地として迷うことなく福島を選びました。そして、そこでお目にかかった人々、ずっとふるさとから離れて困難な生活を強いられ、そしてなかなか帰れるめどが立っていない、そういう不安の中で生活をしている方々から、いろいろなお話を伺いました。

 その中で、改めて我々は、政権与党として原子力政策を推進してきた、そして、それはやはり安全神話の中においての、安全神話に陥った原子力推進政策であった、このことは深刻に反省しなければならないと思います。改めて、このことによって深刻な事故が起こって、多くの方々に大変な被害を与えている、おわびを申し上げたいと思います。

 そして、この事実は、私たちは今後もずっと背負っていかなければいけない事実であります。そのためにも、そこから生まれる責任感によって、一日も早く廃炉、除染、そして、多くの方々がふるさとに帰れるように政策を進めていくことが私たちの使命だろう、改めてそう思っているところでございます」――

 国の責任を言い、少しあとで次のように収束宣言について答弁している。

 安倍晋三「就任後、福島県を訪問いたしまして、ふるさとから離れて困難な生活を強いられている方々からお話を伺う中においては、前政権時代に出された収束宣言、いわば収束したという状況ではない、こういう認識を私は持っております」――

 もう一つついでに。2013年2月19日の参院予算委。

 森ゆうこ生活の党議員「事故収束宣言が間違った認識を与えているということで、安倍内閣として撤回されるということでいいですね。

 総理、総理。内閣ですから。今おっしゃったでしょう」

 茂木経産相「収束という言葉は適切ではないと、そのように考えております。我々は使いません。撤回は前の政権に対しておっしゃってください」

 森ゆうこ生活の党議員「総理が」

 石井委員長「それじゃ、総理、どうぞ」

 安倍晋三「もう既に私も何回か答弁をしておりますが、収束ということで前政権がそう判断をしたわけでありますが、とても収束と言える状況ではないというのが我々安倍政権の認識であります」――

 消滅した政権が収束宣言の撤回を宣言したとしても効力を持つものではないから、茂木経産相は無理なことを言っている。

 安倍政権は事故収束宣言撤回に応じなかったものの、「とても収束と言える状況ではない」、いわば事故は未だ継続しているとした。 

 事故は国にも責任があり、事故は収束せずに未だ継続していると見るなら、東電の汚染水対策にも何らかの監視体制を設けて、常に関わっていなければならなかったはずだ。

 だが、東電任せにしてきた。これでは事故収束宣言をしたのと同じ状態の行動を取っていたことになる。

 だからこそ、東電任せという状況に立ち至ることとなった。

 だとすると、野田政権が公式に福島原発事故収束宣言を行なったのに対して安倍政権は暗黙の事故収束宣言を行っていたのと同じ構造の行動を取っていたことになる。

 さらにだとすると、安倍晋三の野田政権原発事故収束宣言に対する「とても収束と言える状況ではないというのが我々安倍政権の認識であります」の言葉は根拠のない失点稼ぎの揚げ足取りの疑いが出てくる。

 安倍晋三のやりそうなことではある。

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安倍晋三は集団的自衛権行使は憲法解釈見直しよりも9条改正こそが王道であり、国民承認の言葉を持つべき

2013-08-27 07:51:28 | 政治


 
 安倍晋三とその一派が考えている集団的自衛権行使を憲法解釈見直しで可能とする策謀に最高裁判所の新しい判事に任命された山本庸幸前内閣法制局長官が異議を唱えた。

 と言うことは、集団的自衛権行使は憲法解釈の見直しでは如何なものかと牽制したことになる。

 ご存知のように内閣法制局は政府に対する憲法やその他法律の解釈を役目の一つとしていて、そこの長官が内閣法制局長官であり、内閣法制局は政府の憲法解釈の番人を自任しているそうだ。

 集団的自衛権行使に関する解釈は内閣法制局は国連憲章で認められているが、「日本国憲法解釈上は権利はあるが、行使できない」との見解をこれまで保持、歴代政府はこの見解を踏襲してきた。

 安倍晋三はこれでは我慢できないということで、憲法改正ではなく、憲法解釈の近道で集団的自衛権行使を手に入れようということなのだろう。

 《最高裁判事 集団的自衛権巡る憲法解釈に言及》NHK NEWS WEB/2013年8月20日 17時17分)

 新判事任命の最高裁で行われた会見での異議申立てである。

 山本庸幸最高裁判所新判事「今の憲法の下で半世紀以上議論され、維持されてきた憲法解釈であり、私自身としては見直すことは難しいと思っている。

 見直すのであれば、憲法9条を改正することがより適切だが、最終的には国会や国民が判断することだ」――

 正々堂々と憲法を改正して、国民や国会の承認のもと、集団的自衛権行使を獲得せよと言っている。

 この発言に菅官房長官が不快感を示した。安倍晋三と集団的自衛権憲法解釈見直し容認の衝動に一心同体で衝き動かされている関係からしても、また憲法解釈見直しで集団的自衛権行使に道筋をつける条件としての見直しに慎重な砦たる内閣法制局籠絡のために山本庸幸氏の後任に見直しに前向きな外務省出身の小松一郎駐仏大使をトップに起用した安倍人事に添うためにも、不快感は当然の感情発露と言える。

 《山本最高裁判事発言を批判=菅長官「違和感ある」》時事ドットコム/2013/08/21-16:43)

 8月21日午後の記者会見――

 菅官房長官「公の場で憲法改正の必要性まで言及したことについては非常に違和感がある。

 最高裁が最終的な憲法判断を下す権限を有することは認めるが、(最高裁判断の)確定までに政府として憲法解釈を行う必要がある場合は、内閣法制局の法律上の専門的知見などを活用しながら第一義的には内閣が行う」下線個所は解説文を会話体に直した。)――

 「(最高裁判断の)確定までに政府として憲法解釈を行う必要がある場合は、内閣法制局の法律上の専門的知見などを活用しながら第一義的には内閣が行う」と言っていることは、内閣法制局のトップに憲法解釈見直しに前向きな人物を据えて、その人物の見解を法律上の専門的知見とし、それを活用しながら、これまた見直しに前向きな内閣が判断すると言っているのに等しく、質問と回答を自分で作って自分で受けるテスト同然の自作自演に等しい。

 「最高裁が最終的な憲法判断を下す権限を有することは認めるが」と言っているが、日本国憲法「第6章 司法」「第81条 法令審査権」は、「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が法律に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」と謳っている。

 最高裁が憲法を含めた「法の番人」と言われる所以である。

 その新判事が集団的自衛権の憲法解釈見直しに異議を唱えたということは、国民から憲法違反の訴えがあり、最高裁まで争うこととなった場合、最低一人は憲法違反の判断を下すことは確定したと言える。

 菅官房長官は不快にならざるを得なかったというわけである。

 安倍政権の連立与党の公明党山口代表が山本前内閣法制局長官の異議について8月22日の記者会見で発言している。《山口代表“前長官の発言ぎりぎり許される”》NHK NEWS WEB/2013年8月22日 15時21分)

 山口公明党代表「山本氏の発言は、直前まで法制局長官として、歴代の答弁の積み重ねなどを引き継いできた範囲内で言ったことだ。これまでの立場の集大成という意味で、最後の発言の場になるという思いもあったのかなと推測しており、ぎりぎり、立場上許される発言だと思っている。

 (憲法解釈の見直しについて)従来の見解を変更する必要があると考えるのであれば、どういう影響が及ぶのかなどを幅広く、深く、慎重に検討していく必要がある」――

 発言の趣旨は山本前内閣法制局長官の見解への同調に重点が置かれている。

 憲法解釈の見直しによって憲法そのものをなし崩し的に変更していったのでは、憲法の蚕食さえ可能となり、憲法の国家の最高法規としての権威を失墜させることになる。

 憲法の最高法規としての権威を守るためには国民の承認のもと、憲法が定めた憲法改正の手続きに則って、改正手続きそのものを変更するか、変更したい条文そのものを望む条文とするか、正々堂々とした王道を進むべきだろう。

 国民の承認は偏に国民を説得する政治家の言葉にかかっている。

 それをしないのは政治家の怠慢であり、試してみたが、できなかったというのは言葉の貧困の証明でしかない。

 言葉によって支持獲得・同調獲得を宿命としている政治家の言葉が貧困だということは倒錯そのものである。

 安倍晋三は自らの言葉に自信を持っている。達者な、気の利いた言葉を自由自在にこなす。その言葉が集団的自衛権の見直しに関しては力を発揮できないということでは、逆説そのものを示すことになる。

 倒錯と逆説に侵されているからこそ、内閣法制局長官に見直しに前向きな人物を据え、内閣法制局の見解を変えて集団的自衛権の行使に持っていく、王道に反した狡猾な手段に出たということなのか。

 安倍晋三らしいと言えば、安倍晋三らしいと言うことができる。

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猪瀬都知事が言うように「4・4・4制」小中高一貫校化で山中伸弥教授並みの人材輩出は可能か

2013-08-26 07:50:00 | 教育


 
 猪瀬直樹東京都知事が8月23日定例記者会見で「4・4・4制」の小中一貫校の学校制度改革で「ノーベル賞を受賞した山中伸弥京都大教授のような人材を輩出したい」と抱負を語ったという。

 《【猪瀬直樹知事会見詳報】4・4・4制の小中高一貫校で「山中伸弥教授のような人材を」》MSN産経/2013.8.25 07:00)

 冒頭発言の学校制度改革に関わる個所。

 猪瀬知事「次に、都立の小中高一貫教育について。公立では全国初となる都立小中高一貫教育校を平成29年4月に開校することにしたのでお知らせします。この学校は現在の『6・3・3』という学校制度にとらわれず、4年ごとの『4・4・4』という新たな区切りで実施します。学年を越えた学習内容の先取りを行い、義務教育9年間の学習を8年で終了し、実質的な飛び級を実現するほか、海外留学や専門的な学習を行う時間を充実させます。場所は都内の広い範囲から通学が可能で、周辺の環境に恵まれているところとして、小学校4年までは駒場東大前の旧都立芸術高校跡地、小学校5年から現在の都立武蔵高校付属中学としました。

 こうした取り組みを東京モデルとして全国に発信し新しい教育システムの構築を国に提案していく。小中高の12年間にわたる一貫教育は、受験に区切られることなく学びたいことをじっくり学ぶことが可能で、特に理数系の分野で効果を発揮することが期待されている。新しいかたちの学校で理数を中心に世界で活躍できる、ノーベル賞受賞者の山中(伸弥・京大)教授のような人材を輩出していきたい。理数で発想力のあるそういう人材を育てていきたい。今後1学年の学級規模や途中段階の募集など、開校に向け課題についてこれから詰めていくところがあります」――

 質疑応答に於ける学校制度改革に関わる発言。

 記者「都立一貫校について。4・4・4制は画期的だが、卒業入学式や学校に合わなかったときの転校などさまざまな課題がある。4・4・4制について知事の考えを」

 猪瀬知事「6・3・3制の何が問題なのか。中学受験、高校受験、大学受験と、一貫した教育の流れが分断されてしまう。そうじゃない新しいスタイルをつくりたい。すでに小中一貫、中高一貫はあるが、小中高一貫で実質飛び級ができる、ということを可能にしたい。飛び級ができるからといって、ただエリートを育てるというわけではない。より進んだ能力に合わせ、新しい発想で、海外留学を含め別のこともできるかなと。6・3・3で分断されている現在の教育システムに改革を与える。ただ、ずっと小中高同じところにいてうまくいかないケースもあるかもしれない。それは、4・4・4の中で考えていきたい」

 記者「導入すると小学校入学時に入試が行われるが、受験の低年齢化に拍車をかけないか」

 猪瀬知事「小学校受験って一体何をやるんですかね。つまり、中学受験なら詰め込みのような受験がありますが、小学校に入るときは少し余計に字が書けたとか余計に算数ができたとか、そういうことが小学校に入る基準にはならない。それは受験とは関係ない入り方になると思う」

 記者「理数系の適正を見極めるということだが」

 猪瀬知事「適正を見極めるのは試験とは別ですね」

 記者「世界に通用する理数系の人材育成をするとのことだが、そうした高度な教育をしている私立学校は東京に集中している。一方で低所得世帯は進学率が上がらず貧困の連鎖から抜け出せないという現状がある。そうした受け皿作りを公教育はもっとやるべきではないかという考え方もあるが」

 猪瀬知事「これが一つの受け皿じゃないですか。つまり私立に行かないで、公立でさまざまな可能性を探ることができるわけです」(以上)

 最初に断っておくが、ノーベル賞受賞者の山中教授のような優れた逸材は滅多に輩出されるわけではない。

 山中教授は4・4・4制の小中高一貫校で輩出されたわけではなく、6・3・3制小中高の学校制度下で生み出された。

 と言うことは、自ずと結論が見えてくる。

 いわば6・3・3制小中高の学校制度を4・4・4制の小中高一貫校に改革したとしても、山中教授のような優れた逸材は滅多に輩出されるわけではないということである。

 猪瀬都知事の狙いが4・4・4制小中高一貫校化による理数系の人材育成にあるのは明らかである。だからこそ、山中教授の名前を上げたのだろうが、小中高一貫校化によって「特に理数系の分野で効果を発揮することが期待されている。新しいかたちの学校で理数を中心に世界で活躍できる、ノーベル賞受賞者の山中(伸弥・京大)教授のような人材を輩出していきたい。理数で発想力のあるそういう人材を育てていきたい」と、「理数系」を強調している。

 要するに4・4・4制小中高一貫校を理数系の人材育成の土壌としたいということなのだろう。

 ではなぜ、6・3・3制小中高は自らの学びの場を理数系の人材育成の土壌とすることができなかったのだろうか。6・3・3制でも、小学校では算数・理科、中学校では数学・理科、高校では数学・化学・物理と理数系の時間をそれなりに用意していたはずだ。

 だが、猪瀬都知事は6・3・3制では理数系育成の場としては不適格だと見做している。

 ここに矛盾が生じるが、6・3・3制のそれなりの理数系の時間に対して理数系育成の場足り得ていないということは理数に興味を持たせる教育ができていない、教師の質の問題という答しか出てこないはずだ。

 もし教師の質の問題であるなら、4・4・4制で6・3・3制よりも理数の時間を増やして理数に重点を置いた教育を展開したとしても、それ程の効果は出ないことになるし、逆に理数に興味を持たせる教育のできる教師を増やすか、興味を持たせることができるよう、教師の質を高めることができれば、4・4・4制でなくても、6・3・3制であっても構わない理屈となる。

 日本の教育は考える教育を必要としながら、知識詰め込みの暗記教育から脱することができずに考える教育とはなっていないと言われている。

 と言うことは、日本の教師は詰め込み教育を得意な資質とし、考える教育を不得手な資質としているということになる。

 ここにこそ問題があると見るべきか、猪瀬知事のように学校制度に問題があると見るかである。

 前者であるなら、ブログ記事題名通りに、猪瀬都知事が言うように「4・4・4制」小中高一貫校化で山中伸弥教授並みの人材輩出は可能かということになる。

 後者であるなら、「4・4・4制」小中高一貫校こそが理数系人材育成に適う可能性の場と言うことができるかもしれない。

 それでも尚且つ、ノーベル賞受賞者の山中教授のような優れた逸材は滅多に輩出されるわけではないし、山中教授は4・4・4制の小中高一貫校で輩出されたわけではなく、6・3・3制小中高の学校制度下で生み出されたのだと言わざるを得ない。

 と言うことは、6・3・3制が考える教育とはなっていないのだから、山中教授という逸材の輩出は山中教授自身の考える能力を含めた資質と可能性への追求に負ったものと考えざるを得ない。

 猪瀬知事は「12年間にわたる一貫教育は、受験に区切られることなく学びたいことをじっくり学ぶことが可能」と言っているが、日本の教育は、考える養育ならそうはならないはずだが、詰め込み式の暗記教育に慣らされた結果、試験の存在が児童・生徒の学力(詰め込みの暗記知識が主体の学力だが)向上の尻を叩く側面を有することが否定し難く、4・4・4制によってテストの成績を下げた場合、ゆとり教育の時のように大騒ぎとなって、4・4・4制反対の声が上がらないとも限らない。

 猪瀬都知事の提案で唯一賛成なのは、「専門的な学習を行う時間を充実させます」という発言である。

 猪瀬都知事が意図する「専門的な学習」が学校が決めた教科に対応させて学年毎にそれぞれに決めたレベルの専門性を目指す学習としているのかしていないのか分からないが、多分前者だと思うが、前者だとすると、日本の学校が“児童・生徒の多様な可能性”を言いながら、テストの成績やスポーツの能力といった限定された少数の可能性(=専門性)を問う場としている自らの矛盾・不作為に同調する猪瀬都知事の意図となる。

 厳密な意味で、“児童・生徒の多様な可能性”に応え、それらを問う場とするためには児童・生徒一人ひとりが持つ可能性のうち、共通項を持つことのできる可能性を集約して一つの専門教科とするクラス編成を行って、(例えばダンスを自らの可能性としている児童・生徒と歌うことを自らの可能性としている児童・生徒は一つのクラスに纏めることができる。)可能性の問いに漏れがないようにする、あるいは不公平のないようにする学校改革を通して、集約した可能性を専門性としていくプロセスが必要となる。

 このように学校がすべての児童・生徒の可能性に応えて、どのような授業であっても、すべての児童・生徒に有意義な時間とするためには上記可能性の専門性化は学年に応じて学校が決めた一定のレベルを求める場合と、児童・生徒それぞれが自発的にレベルを決めていく二極化が必要となる。

 前者は大学進学に対応した可能性の専門性化であり、後者は自らに適した可能性の追求を通して学校を有意義な場とするための専門性化となる。

 このことは2008年11月18日当ブログ記事――《日本の教育/暗記教育の従属性を排して、自発性教育への転換を - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 約5年も経つから、認識に違いが生じているかもしれないし、付け足しの文言もあるが、基本のところは変わらない。

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フランスの商工会議所「日本人は帰国後に文句」の評価は日本人が権威主義を行動様式としていることの証明

2013-08-25 07:40:22 | 政治



 次の記事がパリを中心とするイル・ド・フランス地域圏商工会議所がホテルや飲食店、タクシー業者向けに外国人観光客の国別サービス・マニュアルを作成したと紹介している。

 《日本人は帰国後に文句、中国人は…仏で注意書き》YOMIURI ONLINE/2013年8月24日07時22分)

 目的は「不親切なパリジャン」のイメージ払拭を狙って、10カ国別に挨拶やお礼の言葉を紹介した上で、国籍別に注意と扱いを兼ねた観光客の「傾向と対策」を指南する内容だそうだ。

 英国人評価「ファーストネームで呼ばれるのを好む」

 中国人評価「とにかくブランド品の買い物好き。英語が苦手で、いつも言葉の壁にぶちあたっている」

 日本人評価「安心を強く求める。(サービスに)満足できない時、その場で文句は言わず、帰国してから批判する」――

 マニュアルは小冊子で3万部が配布されたという。

 「安心を強く求める」ことと、「(サービスに)満足できない時、その場で文句は言わず、帰国してから批判する」ことは同質の精神性であるはずだ。

 勿論、電気製品や自動車のような機械類を新しく買う場合のその安心・安全は消費者自身が関与できない要素だから、他者が与える安心・安全に頼るしかないが、他者提供の安心・安全に頼ることが当たり前となった場合、頼るという姿勢は従属するという意味合いも含まれていることから、安心・安全に無条件に従属一辺倒の姿勢を条件反射とすることになる。

 結果、機械類が寿命が来て故障がちとなり、その安心・安全が失われたとき、安心・安全に対する従属性を条件反射としていることによって修理という自らの関与を力として安心・安全を取戻すのではなく、常に新しく買い換えることで安心・安全を求めるようになる。

 従属の繰返しである。

 アメリカ映画では自宅敷地内にガレージがある場合、その中に様々な工具類が存在し、ちょっとした故障は自分で直したりするシーンを見かけることがあるが、日本映画ではそんなシーンを見かけることは先ずない。

 また、このような精神性――安心・安全に対する従属性の条件反射が食品と向き合ったとき、安心・安全=健康を食品に従属させる(任せきりになる)ことになり、自らが関与可能な身体や精神の訓練・強化によって食品の安心・安全に対抗させるという従属性の排除を心がけることを、すべてがそうではないが、一般的傾向とすることになる。

 安心・安全に対するこのような従属性は「(サービスに)満足できない時、その場で文句は言わず、帰国してから批判する」、「その場」での従属性にも現れることになって、共通項をなすことになる。

 いわば満足できないサービスにその場で自らがこうしてくれと関与してサービスをよりよいものにするのではなく、そのサービスに黙って従い(サービスに黙って従属し)、最早直接的には関与できない場所で従属を排して――いわば従属から自由になって文句を言ったり、批判したりする。

 この行動性、思考様式は、いつでも言っていることだが、日本人の上は下を従わせ、下は上に従う権威主義の行動様式・思考様式から来ているはずである。

 勿論私自身も日本人で、その行動様式を色濃く持っている一人だから、自分だけ特別に違うとは言わないが、権威主義性に囚われた行動様式・思考様式は上の地位にある上司が下の地位の部下に文句を言ったり、批判すると、それが正しくない、間違っていると思っていても、部下はその場では、「ハイ、ハイ、分かりました」と文句や批判を素直に聞き入れるが、上司の目の届かない場所へ行くと、上司に対する従属性から解放されて、「何、言ってやがんだ、そんなことしたら、うまくいくはずないじゃないか、バカ野郎が」などと悪態をついたりする姿を一般的とすることになる。

 このような権威主義からの従属性は上に位置づけた価値を権威とすることによって生じることになる。上司、社長、高い家柄、歴史的な血筋、有名大学の教授、大病院の医師、社会的地位ある者、有名大学卒の学歴所有者等々、そのようなそれぞれの価値を高く価値づけ、一つの立派な権威と見做して、そのような価値に属さない自身をそれ以下の価値とし、その権威に従属させるという、人間関係を上下で測る構造を取る。

 またこの権威と権威に対する従属性は循環する。一つの会社で経営者として上り詰めたとしても、一般社会では子供の頃から、会社に勤めてからは平社員であった頃から権威主義的な上下関係を刷り込まれて、より大きな会社の経営者や親会社に当たる経営者には従属するという人間関係を取ることになり、従属性からより自由になることができるものの、完全には解放されるわけではない。

 もし企業経営に失敗して経営者の地位から滑り落ちてタダの人となり、そのことによって下に位置していた者が上に位置することになった場合、血に刷り込まれている従属性をたちまち蘇らせて、上に位置することになった者への態度とすることになるだろう。

 日本人が持つ権威主義性からの従属性は、権威とした対象に対して自身を従属した下の関係に置くことから、自律(自立)していない姿を見せることになる。

 もし自律(自立)した存在であったなら、地位上の上下関係はあっても、個の存在としては対等と見做し、相手の意見や批判を不当と見做した場合、その不当性を訴える自身の意見、もしくは主張を関与させることにになるだろう。不当と見做しながら、上の言うことだからと無条件に言いなりになって、自身の意見、もしくは主張を関与させない場合、自律(自立)した個の存在とは言えないことになる。

 このように人間関係で慣らされた権威主義性からの従属性が自身の関与を排した他者提供の安心・安全への無条件の従属性や、日本人が海外旅行した場合に限らず、「(サービスに)満足できない時、その場で文句は言わず、帰国してから批判する」、あるいは店を出てから批判する、その場での従属性に相互に共通項としている行動様式であると情報解読した。

 この解読に合理性があるかどうかは読者の判断に任せるしかない。

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飯島勲豚野郎は拉致被害者家族をバカにしている

2013-08-24 09:13:57 | Weblog

 

 昨日のブログに関して、次のような謝罪を途中で記載したが、目に触れていない読者の存在を考えて、改めて記載します。 

 【謝罪】政府が計画方針の硫黄島の滑走路の移設をこのブログ記事に、「NHK NEWS WEB」を根拠に〈公共工事が一つ増えるのだから、結構なことだと思う。

 だが、遺骨収集範囲拡大になぜ滑走路の移設が必要なのだろうか。自衛隊輸送機で輸送トラックを運び込んで、トラックで走り回れば済むことではないだろうか。

 硫黄島の戦闘中は日米の戦車が走り回っていたのである。輸送トラック利用では公共工事が一つ減るということなのだろうか。〉と書いたが、「MSN産経」記事によると、滑走路下には多くの遺骨が埋まっている見られていて、遺族らが滑走路を移設、遺骨収容を長年要望してきたということからの、移設だということを知った。

 謝罪し、参考のために、二つの記事全文を掲載することにします。

 《安倍首相“硫黄島遺骨収集で滑走路移設を”》NHK NEWS WEB/2013年8月22日 17時52分)

 〈安倍総理大臣は、太平洋戦争末期に激戦地となった硫黄島で戦没者の遺骨の収集を進めるためには、島にある自衛隊基地の滑走路を移設する必要があるとして、来年度から移設に向けた調査などを進める考えを示しました。
太平洋戦争末期に激戦地となった小笠原諸島の硫黄島では、今も、およそ1万2000人の戦没者の遺骨が見つかっておらず、政府は、今年度までの3年間を「集中実施期間」と定め遺骨の収集を進めています。

こうしたなか、自民党や民主党、日本維新の会など超党派の国会議員で作る「硫黄島問題懇話会」の会長を務める自民党の逢沢一郎衆議院議員と幹事長を務める新藤総務大臣は、22日、安倍総理大臣と会談し、島にある自衛隊基地の滑走路を移設して遺骨を収集する範囲をさらに広げるよう要請しました。

これに対し、安倍総理大臣は「基本的に滑走路の移設は必要であり、具体的な計画に入るべきだ」と述べ、来年度から移設に向けた調査や計画の策定を進める考えを示しました。

会談のあと、議員連盟の逢沢会長は、記者団に対し「ご遺族に強い思いがあるなか、総理の決断で、滑走路の移設に向けて大きな一歩を踏み出すことができた」と述べました。〉――

 《首相が硫黄島の滑走路移設に意欲 戦没者遺骨収容で》MSN産経/2013.8.22 16:37)

 〈安倍晋三首相は22日、太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)の自衛隊基地の滑走路下にある戦没者遺骨収容に向け、滑走路の移設に着手する考えを示した。官邸で面会した自民党の逢沢一郎衆院議員らに対し「滑走路の移設は必要だ。計画に入ろう」と述べた。逢沢氏が記者団に明らかにした。

 滑走路下には多くの遺骨が埋まっているとされ、遺族らが収容を長年要望してきた。

 逢沢氏が会長を務める「硫黄島問題懇話会」は滑走路の速やかな移設を政府に求める決議を首相に手渡した。

 硫黄島では日本兵約2万2千人が戦死したが、遺骨収容は約1万柱にとどまっている。〉――

 滑走路がどのくらいの広さか分からないが、陸上総戦力兵士20933名に対して戦死者19900名、約1万2000体の遺骨が見つかっていないということは、60%の未発見率、硫黄島全体の面積に対して滑走路面積が60%も占めているとは思えないが、とついつい計算してしまう。

 遺族としたら、滑走路下から一体でもという気持なのだろう。 (2013-08-23 09:47:59)

 この箇所を記載した後、「毎日jp」記事で、滑走路下に地下壕とみられる空洞が見つかっていると書いていることに気いた。調べたところ、現在の自衛隊基地は米軍が使用していた滑走路や隊舎等の諸施設を返還後に引継いだもので、米軍が地下壕上に滑走路をそのまま建設したということなのかもしれない。 

 敢えて「豚野郎」という言葉を使った。豚野郎そのものだからである。

 飯島勲が5月14日(2013年)に北朝鮮を秘密裏に訪問、5月18日午後帰国後の言動を批判するブログを書いてきたが、その言動が拉致被害家族をバカにする発言であることが判明する記事に出会った。

 まさに豚野郎である。

 《飯島参与 パレスチナに拉致問題の協力要請》NHK NEWS WEB/2013年8月22日 6時44分)

 パレスチナを訪問していた飯島勲は8月21日にアッバス・パレスチナ暫定自治政府議長と会談。記事は飯島勲の話として次のように伝えている。

 先ず、来月上旬北朝鮮を訪問するパレスチナの高官に拉致問題の解決に向けて日本側の立場を伝えるよう協力を求めた。

 飯島勲北朝鮮が非核化に向けた措置を通じてアメリカとの関係改善に取り組まなければ日朝関係も進展しないという考えを伝えて、アメリカと北朝鮮の関係改善なしに日朝関係の改善はないと伝えてほしいと要望した。

 アッバス議長は、『日本と同じ熱意を持って、拉致問題の解決に向けて協力したい』と答えた」(下線部分、解説文を会話体に直した。)――

 要するに日本やアメリカ、韓国等は北朝鮮との間で懸案となっている核問題やミサイル開発と発射問題、拉致問題などは6カ国協議を枠組みとした包括的解決を基本方針としている関係上、拉致問題だけを抜き取って北朝鮮と直接交渉する訳にはいかないから、日朝関係の改善を望むなら、米朝関係改善に乗り出して欲しいというメーッセージを伝えて貰いたいと要請したということなのだろう。

 だが、このことは飯島勲が訪朝する前から理解していなければならなかったことだ。いわば飯島訪朝はアメリカや韓国との連携プレーでなければならなかったはずだが、そのことに反して事前には知らせてなかった単独プレーであったことから、アメリカ、韓国から不快感を伝えられた。

 例え拉致問題の解決だけを考えて、包括的解決といった守らなければならない約束事を頭に置かずに北朝鮮と交渉したとしても、アメリカ、韓国から不快感を伝えられた時点で包括的解決との関連で拉致問題の解決を図らなければならないことに気づいたはずだし、気づかなければならなかった。

 アメリカ、韓国が不快感を伝えたのは飯島訪朝中のことである。当然、帰国後の飯島発言は包括的解決と併行させた拉致解決を前提とした発言でなければならないことになる。

 と言うことは、米朝関係の進展への希求に応じた日朝関係進展の希求は最低でも帰国後、日々希求して、日々手を打っていなければならない課題であると同時に基本的には米朝当事国同士が解決しなければならない問題なのだから、訪朝から3カ月も経過したこの時点で、拉致問題交渉の進展が米朝関係の停滞が壁となって立ちはだかることになっているからと、解決に向けた北朝鮮向けの伝言を当時国でもないパレスチナに要請すること自体理解に苦しむ。

 また、拉致問題がさも解決するかのようなこれまでの発言と矛盾することになり、それらの発言が拉致被害者家族に期待と希望を抱かせたはずだから、この場に至っての発言との矛盾は拉致被害者家族をバカにしたことになり、まさに豚野郎の処置と言わざるを得ない。

 もし包括的解決の基本方針を失念した、拉致解決だけを考えた発言で、この場に及んで米朝関係の停滞が拉致解決の障害となっていることに気づいてアッバス議長に北朝鮮訪問のパレスチナ高官を介した米朝関係の進展を要請したということだとしても、拉致被害者家族に対する失礼に変わりはなく、やはり家族をバカにしたことになって、豚野郎の誹(そし)りは同じように受けなければならないはずだ。

 既にブログ記事に利用しているが、豚野郎であることを証明する飯島発言を時系列で取り上げて、纏めてみる。

 5月18日の訪朝帰国から4日後の5月22日の首相官邸での記者団に対する発言。

 飯島「もう私の任務は終わった。ある程度のやることはできましたから。

 (政府間の日朝協議再開について)常識的に考えると、夏の参議院選挙までには間に合わないでしょう。お互いにそれなりのスタートラインに立つには、複雑なパズル、検討、いろいろありますから」(NHK NEWS WEB

 日朝政府間協議再開は自らの努力によって開催される可能性が出てきたが、色々な準備がある都合上、「夏の参議院選挙までには間に合わない」が、参議院選以降に開催されるだろうと発言している。

 当然、包括的解決の基本方針に矛盾しない拉致解決を前提とした発言でなければならないが、万が一にも前提としない発言であったなら、その外交能力が疑われることになる。

 この翌日の5月23日の発言。

 飯島「事務的協議は全部終わった。あとは安倍晋三首相と菅義偉官房長官の判断だ。

 (今後、外務省ルートで交渉が進められる可能性が取り沙汰されていることについて)何で交渉する必要があるのか。あとは、お互いにどうやって考えてやっていくかというだけだ。(今後の)事務協議、何をしようとしているか、よく分からない」(MSN産経――

 事務的協議は自分の訪朝で全て片付いた。残された問題は最終的解決に向けて首脳同士がどのような手を打って、どう取引するか、「安倍晋三首相と菅義偉官房長官の判断」にかかっていると発言している。

  だから、外務省当局が事務協議を行おうとするのは理解できないということになる。 
 
 この発言を聞いて、兎に角訪朝して北朝鮮のナンバー2と会談した当事者なのだから、拉致解決に期待しない拉致被害者家族は存在しただろうか。

 上記発言から1カ月以上経った7月5日夜、飯島勲は訪朝後初めてBSフジのテレビ番組に出演している。

 飯島勲「近い時期には横並び一線で全部解決する。動き出すのは遅くとも参院選の後。(9月下旬の)国連総会の前までには完全に見えてくる。

 訪朝に先立ち、拉致被害者の即時帰国、真相究明、実行犯の引き渡しを要求すると事前に伝えていた。

 (金永南最高人民会議常任委員長が会談に応じたことについて、拉致問題を)一気に解決する意志がある」(下線は解説文を会話体に直した)(時事ドットコム

 「近い時期」――「遅くとも参院選の後。(9月下旬の)国連総会の前までには」「横並び一線で全部解決する」と請け合った。

 この解決が包括的解決と併行させた解決であろうと、併行させない、拉致問題単独の解決であろうと、日本国民に向けて、特に拉致被害者家族に向けて請け合った事実は消すことはできない。

 いわば後になって、包括的解決の基本方針を失念していましたとは決して言えない、解決を実現させなければならない言葉の責任を負ったことになる。

 BSフジのテレビ番組出演から9日後の7月14日、日本テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」に出演して発言している。

 ざこば「行こうと思ったキッカケは向こうから来てくれと言ったのか」

 飯島勲「いいえ、違いますよ」 

 ざこば「私から行きますよって言ったのですか」

 飯島勲「いいえ、違います。安倍内閣は12月26日誕生した。1億3千万の国民に対して、安倍総理は自分の内閣で拉致問題を解決するといった。

 ところが実態は、圧力、圧力、圧力、制裁。叩き潰せば解決みたいな気持しかなかった。なぜかって言ったら、10年間も閉ざされた扉、ミサイル、核、拉致ですから、そういう状態の中で行ったら、ただ圧力だけでは無理でしょうと。

 ですから、参与になってから、時期を狙っておりまして、総理の親書を持てないんで、労働党のナンバー2に会えるかどうか、私も心配したんですよ。

 えー、ですから、行く前にあるテレビ局で(自分は)飛んでもない発言をしているんです。それでもあるかどうかっていう精神的な心理の確認、あるテレビ局で言った。

 12月26日、安倍内閣の誕生日。北朝鮮で金正男暗殺未遂事件が起きました。そしてその26、27日にピョンヤンのダウンタウンで軍と軍の激しい銃撃戦が起きた。故にピョンヤンにある5箇所の金正恩の住居、これを、住居を戦車、それぞれの住居を数10台ずつで警備に当たった。

 多分精神的に金正恩は今、大変な時期に来ている。ここまで発言したら、普通殺されていいくらいの内容なんです。ここまで言って、ナンバー2に会うということはどういうことか。10年間閉ざされた扉を如何にして開かせるか。

 そのために事務協議とか外交、普通の無理なんですよ。トップ同士で本当にきちっと答えを出さなければならない状態を作り上げた。

 そうでしょう。私がナンバー2だったら。アメリカのケリー長官クラスがやらなければ、ダメだし、そんな下でね、チマチマやったことは無理ですよ」――

 あるテレビ局で安倍内閣の発足日に北朝鮮で金正男暗殺未遂事件が起きたとか、発足当日と翌日の26、27日にピョンヤンのダウンタウンで軍と軍の激しい銃撃戦が起きたとか、そのためにピョンヤンにある5箇所の金正恩の住居住居を戦車数10台ずつで警備に当たったとか、精神的に金正恩は今、大変な時期に来ているとか、普通殺されていいくらいの内容の発言した。それでも北朝鮮のナンバー2は会ってくれた。そして、「トップ同士で本当にきちっと答えを出さなければならない状態を作り上げた」と自信満々に発言している。

 7月14日の日本テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」から2週間後の7月28日の日曜日午後の長野県辰野町の講演での発言。

 飯島勲「圧力をかければ解決するという考えはとんでもない。対話が必要だ。

 私(の訪朝)が第1幕。1、2カ月の間に必ず第2幕の反応が出てくる」(時事ドットコム)――

 ところが8月21日になってパレスチナを訪問、会談したアッバス議長に、「北朝鮮が非核化に向けた措置を通じてアメリカとの関係改善に取り組まなければ日朝関係も進展しない」と、拉致問題の交渉進展が米朝関係の停滞が壁となって立ちはだかることとなっていることの事態打開をパレスチナが北朝鮮と外交関係があることを理由に要請したことは、以上見てきたように、これまでの自身の発言の全てを覆すパラドックスとなるはずだ。

 その発言が包括的解決を前提にしていようとしていなかろうとである。前提としていた発言であったなら、今更アッバス議長に頼み込む必要性を生じさせない、拉致解決進展を約束した発言でなければならなかったはずだし、前提としない発言であったなら、前提としないままに拉致解決進展を約束した発言ということになって、頭が足りなかっただけの話となる。

 大体が北朝鮮の核問題・ミサイル問題は北朝鮮の態度とアメリカの態度との駆引きであって、第三国のパレスチナが影響力を果たし得る事柄ではない。単なるメッセンジャーボーイで終わる可能性が高い。

 にも関わらず、アッバス議長に要請した。北朝鮮の拉致問題に関して日本が置かれている状況を弁えていないことになって、弁えていないこと自体が拉致被害者家族をバカにする態度となる。

 まさしく飯島勲は豚野郎である。

 このブタ野郎を内閣官房参与に任命した安倍晋三の認識程度、人物を見る目を疑うばかりである。

 参考までに。

 2013年7月25日記事――《安倍晋三は飯島訪朝で拉致解決に向けて6カ国協議枠組みのハードルをどうリクアするのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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安倍晋三は硫黄島遺骨収集5年間延長、滑走路移設よりも硫黄島兵士を見捨てた国の政策を検証せよ

2013-08-23 09:47:59 | Weblog


 

 【謝罪】政府が計画方針の硫黄島の滑走路の移設をこのブログ記事に、「NHK NEWS WEB」を根拠に〈公共工事が一つ増えるのだから、結構なことだと思う。

 だが、遺骨収集範囲拡大になぜ滑走路の移設が必要なのだろうか。自衛隊輸送機で輸送トラックを運び込んで、トラックで走り回れば済むことではないだろうか。

 硫黄島の戦闘中は日米の戦車が走り回っていたのである。輸送トラック利用では公共工事が一つ減るということなのだろうか。〉と書いたが、「MSN産経」記事によると、滑走路下には多くの遺骨が埋まっている見られていて、遺族らが滑走路を移設、遺骨収容を長年要望してきたということからの、移設だということを知った。

 謝罪し、参考のために、二つの記事全文を掲載することにします。

 《安倍首相“硫黄島遺骨収集で滑走路移設を”》NHK NEWS WEB/2013年8月22日 17時52分)

 〈安倍総理大臣は、太平洋戦争末期に激戦地となった硫黄島で戦没者の遺骨の収集を進めるためには、島にある自衛隊基地の滑走路を移設する必要があるとして、来年度から移設に向けた調査などを進める考えを示しました。
太平洋戦争末期に激戦地となった小笠原諸島の硫黄島では、今も、およそ1万2000人の戦没者の遺骨が見つかっておらず、政府は、今年度までの3年間を「集中実施期間」と定め遺骨の収集を進めています。

こうしたなか、自民党や民主党、日本維新の会など超党派の国会議員で作る「硫黄島問題懇話会」の会長を務める自民党の逢沢一郎衆議院議員と幹事長を務める新藤総務大臣は、22日、安倍総理大臣と会談し、島にある自衛隊基地の滑走路を移設して遺骨を収集する範囲をさらに広げるよう要請しました。

これに対し、安倍総理大臣は「基本的に滑走路の移設は必要であり、具体的な計画に入るべきだ」と述べ、来年度から移設に向けた調査や計画の策定を進める考えを示しました。

会談のあと、議員連盟の逢沢会長は、記者団に対し「ご遺族に強い思いがあるなか、総理の決断で、滑走路の移設に向けて大きな一歩を踏み出すことができた」と述べました。〉――

 《首相が硫黄島の滑走路移設に意欲 戦没者遺骨収容で》MSN産経/2013.8.22 16:37)

 〈安倍晋三首相は22日、太平洋戦争末期の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)の自衛隊基地の滑走路下にある戦没者遺骨収容に向け、滑走路の移設に着手する考えを示した。官邸で面会した自民党の逢沢一郎衆院議員らに対し「滑走路の移設は必要だ。計画に入ろう」と述べた。逢沢氏が記者団に明らかにした。

 滑走路下には多くの遺骨が埋まっているとされ、遺族らが収容を長年要望してきた。

 逢沢氏が会長を務める「硫黄島問題懇話会」は滑走路の速やかな移設を政府に求める決議を首相に手渡した。

 硫黄島では日本兵約2万2千人が戦死したが、遺骨収容は約1万柱にとどまっている。〉――

 滑走路がどのくらいの広さか分からないが、陸上総戦力兵士20933名に対して戦死者19900名、約1万2000体の遺骨が見つかっていないということは、60%の未発見率、硫黄島全体の面積に対して滑走路面積が60%も占めているとは思えないが、とついつい計算してしまう。

 遺族としたら、滑走路下から一体でもという気持なのだろう。 (2013-08-23 09:47:59)

 太平洋戦争末期の激戦地硫黄島では現在でも見つかっていない約1万2000体の戦没者遺骨収集が来年3月末期限の3年間の集中実施計画内に収集の見通しが立たず、政府は2018年度までの新たな5カ年計画を立てて推進する方針を固めたと、「TOKYO Web」が8月21日付で伝えていた。

 一方、硫黄島の遺骨収集関連では次の記事も取り上げている。

 《安倍首相“硫黄島遺骨収集で滑走路移設を”》NHK NEWS WEB/2013年8月22日 17時52分)

 民党や民主党、日本維新の会など超党派の国会議員で作る「硫黄島問題懇話会」の会長逢沢一郎自民党衆議院議員と幹事長新藤総務大臣が8月22日、安倍晋三と会談、島にある自衛隊基地の滑走路を移設して遺骨を収集する範囲をさらに広げるよう要請したという。

 安倍晋三「基本的に滑走路の移設は必要であり、具体的な計画に入るべきだ」

 来年度から移設に向けた調査や計画の策定を進める考えを示したとのこと。

 公共工事が一つ増えるのだから、結構なことだと思う。

 だが、遺骨収集範囲拡大になぜ滑走路の移設が必要なのだろうか。自衛隊輸送機で輸送トラックを運び込んで、トラックで走り回れば済むことではないだろうか。

 硫黄島の戦闘中は日米の戦車が走り回っていたのである。輸送トラック利用では公共工事が一つ減るということなのだろうか。

 逢沢議員連盟会長(記者団に)「ご遺族に強い思いがあるなか、総理の決断で、滑走路の移設に向けて大きな一歩を踏み出すことができた」――

 遺骨に向けた遺族の強い思いは理解できる。

 だが、陸上総戦力兵士20933名に対して戦死者19900名、生存者は5%に満たないたったの1033名である。戦死率95%の見事な戦績――こうまでも多くの兵士を死なせてしまったのはどのような経緯があったからなのか、あるいは一人ひとりが簡単に戦死に巻き込まれていったのはなぜなのか、先ずは明らかにしなければ、浮かばれないのではないだろうか。

 2007年8月5日再放送のNHKスペシャル《「硫黄島玉砕戦」・~生還者61年目の証言~》からの知識だが、日本軍は1945 年2月19日~1945年3月26日の硫黄島の戦いの時点で、2万余名の兵士うち、中には銃の持ち方を知らない者も含めた急遽召集の3、40代の年配者や16、7歳の少年兵等の雑多集団を送ることしかできない程度に戦闘能力を喪失していたことが第一点としてあげることができる。

 次に最も重要なことだが、既に日本は制空権・制海権共に失っていた。

 人間爆弾「桜花」は1944年7月から特攻のみを目的とした新兵器として開発が進められた。こういった案が日本軍に於ける戦術の一つとして浮上すること自体が既に航空機の数量や艦船の数量等、全体的軍事能力の点で劣勢に立たされたことと、失った軍事能力を早急に挽回する生産能力を最早持つことができなくなったことを意味するが、そういったことを認識しながら開発を進めたのだろうか。

 桜花が実戦に投入されたのは1945(昭和20)年3月だそうで、硫黄島の戦い(1945 年2月19日~1945年3月26日)とほぼ同時期となる。

 桜花は自力飛行型ではなく、一式陸上攻撃機の腹の下に装着、援護の戦闘機をつけて目的地まで運搬され、標的艦の近くで海上に投下、加速用のロケットエンジンを噴射して標的艦に操縦士諸共に突撃する他力飛行型であったが、実戦投入時、待ち受けていた敵戦闘機によって一式陸上攻撃機は全滅、桜花は突撃の役目を果たさないままに一式陸上攻撃機と共に海の藻屑と化している。

 1945(昭和20)年3月の時点で、敵機に待ち受けていられる程に制空権を失っていたのである。

 また制海権をも同時に失っていたから、米軍の艦載機の飛行を恣(ほしい)にすることになる。

 要するに日本軍は敵と戦って相手陣地を叩き、その陣地を奪って、そのことを繰返して相手を追い詰め、消耗させて勝利することではなく、その役目は米軍に譲って、自らは負ける戦闘を単に負けるまでの時間を引き延ばす抵抗へと役目替えしていたのである。 

 だが、何よりも硫黄島陸上総戦力兵士20933名に対して戦死者19900名、生存率5%に満たないたったの1033名、戦死率95%は、米軍が1945年(昭和20年)2月19日硫黄島上陸前の爆撃開始1945年2月16日を10日遡る1945年2月6日、大本営が「陸海軍中央協定研究・案」を策定、「硫黄島を敵手に委ねるの止むなき」と決定していたことが最大の原因であったはずだ。

 日本軍が硫黄島で戦う前に「硫黄島を敵手に委ねるの止むなき」と決定していた。日本から援軍を送っても、ムダになると計算していたことになる。制海権・制空権を失っている状況がそう計算させたのかもしれないが、制海権・制空権喪失に加えて、硫黄島が米軍の手に落ちた時の日本側の戦闘上の損失・不利となる今後の展開自体もたいしたことはないと問題外していたことになる。

 逆であるなら、例え無駄な抵抗となっても、可能な限りの最大限の援軍を送っていただろう。

 だが、兵士の命と共に硫黄島が持つ戦略上の価値をも過小評価し、見捨てた。

 そう、兵士の命を過小評価したのである。

 逆に米軍は日本軍兵士の命を最大限評価し、投降を勧める努力をしている。

 米軍は手に入れた硫黄島をグアム、テニアン、サイパンを基地として日本本土攻撃に出撃する長距離航続可能なB29爆撃機の護衛戦闘機の価値ある基地とし、日本に対する空襲を激化させていく。

 硫黄島陸上総戦力兵士20933名のうち戦死率95%の戦死者19900名、生存率5%に満たない1033名の悲惨な結末の最大原因は大本営が兵士の命を過小評価し、硫黄島が持つ地政学上の戦略的価値を過小評価し、見捨てた結果であった。

 となると、なぜ大本営は、広い意味で言うと、なぜ国は「陸海軍中央協定研究・案」によって「硫黄島を敵手に委ねるの止むなき」と決定し、兵士の命を過小評価することになったのか、硫黄島の基地としての戦略的価値を過小評価して見捨てるに至ったのか、検証することこそが、遺骨の発見以上に命を見捨てられた戦死者の何よりの供養となるはずだ。

 だが、硫黄島に於ける遺骨という状態は兵士の命の国による過小評価、見捨ての結果でありながら、過小評価し、見捨てたことを問題視せずに遺骨収集のみに目を向けている。

 そこに政府に対する、あるいは安倍晋三に対する欺瞞の悪臭を感じないではいられない。

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安倍晋三の消費税増税判断に見る第1次内閣の失敗がトラウマ化した、「この道しかない」の信念の程度

2013-08-22 08:12:34 | 政治



 特にそれが消費税増税判断に現れている。

 現行5%の消費税率を2014年4月に8%、15年10月に10%に引き上げる消費増税を柱とする社会保障と税の一体改革関連法が2012年6月26日午後の衆議院本会議で賛成363票で可決、2012年8月10日夕の参院本会議で民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決、成立した。

 当時は自民党は谷垣禎一総裁だったが、安倍晋三も衆議院で賛成の一票を投じている。そして2012年9月26日、機会あらばと狙っていたはずの自民党総裁に返り咲き、2012年12月16日の衆院選を自民党総裁として戦い、自民党が大勝、首相にも返り咲くことが決定した以上、一国のリーダーとして消費税増税に向き合わなければならない覚悟と責任を負ったはずだ。

 当然、自らの経済政策であるアベノミクスに消費税増税は織り込まなければならない。織り込んで、織り込み済みとなっていたはずだ。

 ところが、増税するか否かの判断に今以て迷っている。企業経営者や大学教授ら計59人で構成する消費税率引き上げの影響を検証する集中点検会合を8月26日~8月31日に開催、安倍晋三はその意見を自らの増税判断材料にするという。

 安倍晋三が恐れているのは消費税増税によって景気が冷え込み、アベノミクスが腰折れになることにあるが、しかしこの恐れは59人の有識者の意見を参考にすることについても、また、アベノミクスに消費税増税が織り込み済みであるはずであることに対しても、あるいはアベノミクスという政策を構想した自らの判断に対しても矛盾することになる。

 確かに消費税増税の実施については、「附則第18条」として、「消費税率の引上げに当たっての措置」、いわゆる「景気条項」が義務づけられている。

 〈消費税率の引上げに当たっては、経済状況を好転させることを条件として実施するため、物価が持続的に下落する状況からの脱却及び経済の活性化に向けて、平成23年度から平成32年度までの平均において名目の経済成長率で3%程度かつ実質の経済成長率で2%程度を目指した望ましい経済成長の在り方に早期に近づけるための総合的な施策の実施その他の必要な措置を講ずる。 〉云々――

 「名目の経済成長率で3%程度かつ実質の経済成長率で2%程度」の「望ましい経済成長の在り方に早期に近づけるための総合的な施策の実施その他の必要な措置」とは、安倍晋三にとってはアベノミクスそのものを指すはずだ。

 いわばアベノミクスは安倍晋三が言っていることが事実なら、日本の成長を取り戻す政策であると同時に、消費税増税を可能とする経済環境をつくり出す政策でもあるということである。例え消費税増税によって景気が冷え込むことがあっても、それが一時的なものでなければ、日本の成長を取り戻すと謳いに謳ったアベノミクスが少なくとも政府税収を増やし、財政運営に自由度を増す消費税増税に負けることになるばかりか、日本の成長を取り戻すという謳い文句自体をウソにすることになる。

 アベノミクスは信念の産物であるはずである。一度首相で失敗している。満を持しての再登板で打ち出した経済政策――日本成長戦略なのだから、なおさらに信念の産物でなければならない。

 2013年6月26日、183通常国会閉会に際しての安倍記者会見。

 安倍晋三「先日のイギリスでのG8サミットでは、日本の経済政策に世界の関心が集まりました。日本は再び世界の真ん中に踊り出すことができる、そう感じたサミットでありました。G8各国がこぞって三本の矢の経済政策を高く評価してくれました。私たちの政策は間違っていない。この道しかない、そう確信をしています」――

 天下の安倍晋三をして「この道しかない」と言わしめているのはアベノミクスに対する信念であるはず。その信念なくして、この言葉は出てこない。

 自民党の7月「参院選公約2013」にも自らの信念を謳っている。

 〈昨年の12月、私たちは「日本を取り戻す」戦いに挑みました。

 「成長する日本」を、「力強く復興を進める日本」を、「日本の領土・領海・領空を守り抜く日本」を取り戻す戦いです。

 政権発足から半年、大胆で次元の違う経済政策「三本の矢」によって、日本を覆っていた暗く重い空気は一変しました。デフレから脱却し、経済を成長させ、家計が潤うためには、「この道しかない」 そう確信しています。〉――

 アベノミクスに対する揺るぎのない信念と自信が露わとなっている。

 2013年7月22日参院選勝利記者会見。

 安倍晋三「昨年、総選挙の勝利について、この場で民主党の間違った政治に国民がノーを突き付けたものであり、国民はまだまだ厳しい目で、自由民主党を見つめている。私はこのように申し上げました。その認識の下、私たちは高い緊張感を持って経済の再生、復興の加速、外交・安全保障の立て直し、教育再生などに全力を尽くして参りました。

 GDP(国内総生産)や雇用といった実体経済を表す指標は好転し、確実に成果はあがっています。この道しかない、この思いを選挙戦で訴えて参りました。そして、昨日、決められる政治によって、この道をぶれずに前に進んでいけと、国民の皆様から力強く背中を押していただいたと感じております。まず自由民主党を応援をしていただきました国民の皆様に心よりお礼を申し上げたいと思います」――

 実体経済を表す指標の好転を受けて、アベノミクスに対する自信をなお一層深め、益々自らの信念を確実視している様子を窺うことができる。

 当然、「この道しかない」の信念の「道」は「この道しかない」のだから、消費税は乗り越えていかなければならない。だからこそ、内政、外交、全般に亘って強気の発言を貫き通してきたのだろう。

 もし消費税増税を乗り越えることができるかどうか不安だというなら、「この道しかない」という唯一絶対性は偽りの姿を露わにすることになる。 

 それがここに来て59人もの有識者を集め、消費税率引き上げの影響を検証する集中点検会合の開催を決め、その意見を安倍晋三が増税判断材料にしようとしていることは、その意見に最終的に従おうと従わなかろうと、安倍晋三は自らの信念を離れたことを意味する。

 要するにあれ程に「この道しかない」とアベノミクスの唯一絶対性を謳いに謳っていた信念に迷いが出たということなのだろう。

 この迷いは何を意味するのだろうか。

 第1次安倍内閣で首相としての国家運営に一度失敗している。当然、失敗の繰返し―― 二度目の失敗は許されない立場に立たされたことになる。

 いわば安倍晋三が首相に返り咲いた時点で既に二度目の失敗は許されないという思いを強くしたはずで、その思いが強ければ強い程、一度目の失敗に対する記憶が強まって、トラウマ化していく。

 だが、本人からすると、ここまで順調にきた。それを遮るものは多くが警告している消費税増税であって、失敗は許されないという思いをここに来て一層強くしたはずだ。

 もし普段の信念、普段の自信が揺るぎのないものであったなら、少なくとも3年間は国政選挙はないのだから、アベノミクスを武器に消費税増税に果敢に闘いを挑んでもいいはずだが、その逆の慎重になっているということは消費税増税でアベノミクスが失敗してはいけないという、信念よりも失敗しないための行動となっていることを意味するはずだ。

 「この道しかない」の信念はこの程度だということである。

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