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北朝鮮拉致再調査受諾に見る拉致被害者の帰国の条件

2014-05-31 09:24:31 | 政治



      生活の党PR

       《6月1日(日) 畑浩治総合政策会議議長『日曜討論』(NHK)出演の案内》

      ※畑総合政策会議議長の出演は9:15~10:15

      内容
      ○日本経済と雇用の現状について  
      ○今後の雇用政策について
      ○今後の「成長戦略」にどのような雇用政策が必要か等      

 5月(2014年)5月26日~28日の3日間、スウェーデンのストックホルムで開催された日朝政府間協議で北朝鮮が拉致の再調査に応じた。《北朝鮮への制裁措置一部解除 へ》NHK NEWS WEB /2014年5月29日 18時52分)

 北朝鮮の再調査承諾を受けて、菅官房長官が日朝政府間協議に於ける双方の合意内容を5月29日午後記者会見して発表した。

 菅官房長官「終戦前後に現在の北朝鮮領内で亡くなった日本人の遺骨、墓地、残留日本人、日本人配偶者、拉致被害者、拉致された可能性が排除できないいわゆる特定失踪者、すべての日本人に関する包括的かつ全面的な調査を行うことを約束した。

 日本側としても北朝鮮側が包括的調査のために『特別調査委員会』を立ち上げ、調査を開始する時点で人的往来の規制措置、送金報告、および携帯輸出届け出の金額に関して、北朝鮮に対して講じている特別な規制措置および人道目的の北朝鮮籍の船舶の日本への入港禁止措置を解除することとした。これらの措置は今後関係省庁間の調整や手続きを経て北朝鮮の調査開始の動きを見定め実施していくことになる。

 今回の協議において先方代表であるソン・イルホ大使からは、北朝鮮側は『特別調査委員会』を立ち上げ、調査を開始する時点までに特別調査委員会の具体的な組織、構成、その責任者などについて日本側に対して通報するという明確な発言があった。速やかにということになっているが、具体的には3週間前後だと報告を受けている。

 今後北朝鮮による包括的かつ全面的な調査が迅速に行われ、拉致被害者の帰国を含め拉致問題を含むすべての日本人に関する問題の早期解決に向け、具体的な結果が得られることを期待している。

 特別委員会が実際に立ち上がり具体的に調査が進捗(しんちょく)する過程をしっかり見極める必要があるが、今回の政府間協議で日本人に関する包括的かつ全面的な調査を実施することについて、文書の形で北朝鮮の明確な意志を確認すること ができたことは日朝間の諸懸案の解決に向けた重要な一歩だ」――

 要するに北朝鮮は3週間前後の間に『特別調査委員会』を立ち上げて、委員会の具体的な組織、構成、その責任者等を日本側に報告し、その組織を以って「すべての日本人に関する包括的かつ全面的な調査」を行うことを約束、日本側は調査開始時点で一部制裁解除を交換条件とした。

 菅官房長官は「文書の形で北朝鮮の明確な意志を確認することができたことは日朝間の諸懸案の解決に向けた重要な一歩だ」と言っているが、全ては意思の問題であって、文書のあるなしではない。国家間の取り決めであり、文書の形でも記された日ソ中立条約はソ連側の一存でいとも簡単に破棄されることとなった。破棄がソ連にとって一大国益となると分かっていたからであり、事実その通りになった。

 当然、菅官房長官が言っている「文書の形で北朝鮮の明確な意志を確認することができたことは日朝間の諸懸案の解決に向けた重要な一歩だ」にしても、文書に信頼の根拠を置くことはできない。全ては実行の内容にかかっている。

 かねがね日本政府が拉致解決のために北朝鮮側に真相究明や実行犯の引き渡しを求める間は、それが障害となって、解決に向かわないだろうとブログに書いてきた。実行犯の親玉は金正日だからだ。

 当然、真正なる真相究明などあり得ないことになる。

 実行犯の引き渡しにしても、ニセ者を仕立てて日本に引き渡したとしても、いつ何時上からの命令で実行犯に仕立てられたと自白しない保証はない。自白したら最後、北朝鮮政府を通して実行犯の引き渡しを求めている関係から、北朝鮮政府がニセの実行犯を仕立てたことになる。かつてのように拉致と権力中枢との関係を切り離して、特殊機関の一部の者による妄動主義、英雄主義にその責任をなすりつけることはできなくなる。

 実際の実行犯を引き渡したとしても、いつ破裂するか分からない爆弾を手渡すようなものだろう。長い拘束によって忠誠心が馬鹿らしくなって、「金正日将軍からの命令で行った」と真相究明となる自白を行わない保証はどこにもないし、自白しなかったとしても、万が一の自白の恐れを抱き続けることになるだろう。金正日は既にこの世に存在しないが、金正恩は自らが握っている権力の正統性は祖父子継承に置いているのであって、その正統性を傷つける如何なる障害も認める訳にはいかない。

 いわば金日成も金正日も北朝鮮では正義の人であり、勿論、金正恩も正義の人でなければならず、正義の人であることを信じない北朝鮮国民は大勢いるだろうが、正義の人として振舞い、正義の人であることを信じ込ませ続けなければ、権力の正統性を失うことになる。正義は権力維持の最重要な要素となっている。

 国内で現れた権力の不正義は拘束や銃殺で抹消可能かもしれないが、国外で現れた北朝鮮権力の不正義はたちまち世界を駆け回ることとなって、世界に対して裸の王様を曝すことになる。

 だが、日本政府は次の3点を求め続けた。

(1)被害者の即時帰国
(2)真相究明
(3)実行犯の引き渡し

 2013年5月14日から北朝鮮の ピョ ンヤンを訪問して指導部メンバーと会談、拉致問題を話し合った飯島勲内閣官房参与が5月18日の帰国後、都内のホテルで菅官房長官と会って、北朝鮮当局にこの3点を求めたことを報告している。
 
 安倍晋三の同5月18日の視察先大分県別府市で行った対記者団発言がこのことを証明している。

  安倍晋三「飯島氏からは菅官房長官が報告を受け、私は菅官房長官から報告を受けることになる。そ して必要があれば、飯島氏から直接、話を聞くことになっている。

 北朝鮮による拉致問題は、絶対に安倍政権で解決しなければならない問題だ。すべての拉致被害者の帰国と真相の究明、 さらには実行犯の引き渡しが、安倍政権の基本方針だ」 (NHK NEWS WEB)――

 (2)の「真相究明」にしても、金正日が拉致の首謀者である以上、真正な真相究明はあり得ないことは触れたが、引き渡しとなると簡単にはデッチ上げることができない実行犯とは違って、いくらでも創作可能となる。

 要するにウソ偽りない真相究明を求めたとしてもないものねだりに過ぎない。北朝鮮側が“真相究明”を謳うことがあったとしても、日本政府を納得させるための真相究明といった類いでしかなく、その真相究明で安倍晋三は国民を納得させるというプロセスを踏むのが精々だろう。

 安倍晋三は遅蒔きながら気づいたのか、首相官邸HPに載せてある日朝政府間協議に於ける双方の合意内容を発表する菅官房長官の記者会見記事には「真相究明」に関しても、「実行犯の引き渡し」に関しても、一言も触れていない。「帰国」についてのみ触れている。

 菅官房長官「今後、北朝鮮側による包括的かつ全面的な調査が迅速に行 われ、拉致被害者の帰国を含め拉致問題を含む全ての日本人に関する問題の早期解決に向け、具体的な結果が得られることを期待をいたします」云々――

 外務省公表の「日朝政府間協議合意事項」でも、「真相究明」と「実行犯の引き渡し」は何も触れていない。

 マスコミにしても、政府発表にその言葉がないからだろう、記事で真相究明と実行犯の引き渡しに触れていない。どれも調査と、その実効性を問う内容のみである。

 日朝政府間協議の場で日本政府側の要求として両者を入れていなかったことになる。要求事項に入れたものの、北朝鮮側から拒絶されたということは考えにくい。拒絶した場合、調査の信憑性が極めて疑われることになるからだ。

 真相究明のない拉致調査とは矛盾そのものでしかない。真相究明が行われたなら、当然、実行犯は特定されることになる。だが、その両方を求めなかった。

 拉致被害者の帰国のみを優先させたことになる。誰が何のために、どのようにしてやったかは問わず、拉致被害者だけを探し出して、帰国させる。

 但し北朝鮮が真相を究明せず、あるいは実行犯を特定せず、その引き渡しがなくても、真相と実行犯は、後者の場合亡くなっていたとし ても、厳然として存在していたのだから、拉致被害者が北朝鮮で生活していく過程で北朝鮮の権力上層部に何らかの形で関係していた場合、例えば拉致被害者が女性で夫が北朝鮮権力を何らかの立場で構成する一員であった場合、あるいは拉致被害者が男性であったとして も、権力上層部に何らかの職務を通して関与していた場合、拉致が北朝鮮国家権力の上層部で行われていたという真相を知る立場にあったとして、あるいは真相を知る立場にあったのではないかと猜疑される拉致被害者は秘密を守るために帰国は許されないだろう。

 真相を薄々でも知る立場にいたなら、実行犯を知り得ている可能性は排除できず、例えそれが想像力を膨らましてのことであったとしても、首謀者が金正日であったのではないかと真相に辿り着いている危険性を疑うことができる場合は、監視の 目が身近に届く状態にしておくために逆に権力層に囲い込む方向の力が常に働くことになる。

 いわば拉致された後に北朝鮮でそれぞれが置かれた立場・状況に応じて帰国の条件が異なってくる。

 逆に帰国させることができる条件とは北朝鮮で真相を全然知り得ることができない環境に生活していた場合で、帰国させたとしても、特に金正日や金正恩が自らに体現させている正義を些かも損なわないという意味で安全とされる被害者 限定されることになる。

 安倍晋三は合意を受けて、5月29日夜、首相官邸で記者団に発言している。

 安倍晋三「日朝協議の結果、北朝鮮側は拉致被害者および拉致の疑いが排除されない行方不明の方々を含め、すべての日本人の包括的、 全面調査を行うことを日本側に約束した。その約束に従って『特別調査委員会』が設置され、日本人拉致被害者の調査がスタートすることになる。

 安倍政権にとって拉致問題の全面解決は最重要 課題の1つだ。すべての拉致被害者のご家族がご自身の手でお子さんたちを抱きしめる日がやってくるまで私たちの使命は終わらないという決意を持って取り組んできたが、全面解決に向けて第一歩となることを期待してい る」(NHK NEWS WEB)――

 「すべての拉致被害者のご家族がご自身の手 でお子さんたちを抱きしめる日がやってくるまで私たちの使命は終わらない」 と全員帰国を謳う楽観的発言となっているが、「真相究明」と「実行犯の引き渡し」を求めたなら、帰国させることができる被害者も帰国できなくさせてしまい、両要求を棚上げしたなら、帰国の条件に応じて一定程度は帰国させることができるといったジレンマは何ら感じていないようだ。

 拉致被害者の北朝鮮に於ける生活環境に応じて帰国の条件が異なるとする見方がさして見当外れではないことは次の記事が証明する。

 《日本は再調査で拉致決着を= 国交正常化が最終目標-総連機関紙》時事ドットコ ム/2014/05 /30-16:23)

 機関紙「再調査の結果を確認し、拉致問題決着の道筋を日本国民に提示するのは日本の政権担当者の役割だ。

 日本は今回、独自制裁措置を最終的に解除 する意思を表明したが、それは通過点に過ぎない。(北)朝鮮側の立場は一貫しており、交渉の目的は(日朝)平壌宣言の履行だ。
  
 合意した措置は対決と不信という悪循環を断ち、両国間の信頼を醸成する第一歩になる。平壌宣言の精神に従い、合意事項が着実に実行されていけば、双方は次の段階に移れる」――

 最初の「再調査の結果を確認し、拉致問題決着の道筋を日本国民に提示するのは日本の政権担当者の役割だ」としている文言を記事は、〈日本政府が再調査の結果を受け入れ、世論を納得させて問題の決着を図るべきだと訴えた。〉 ものだと解説している。

 「再調査の結果」が満足のいくものかいかないものかは結果を見なければ分からない。満足がいかなければ、これで決着と、その道筋を国民に提示することはできない。

 逆に満足のいく内容であったなら、北朝鮮側に要求されなくても、その内容を内容通りに国民に説明できる。

 勿論、政府の思惑と異なって、かつての小泉訪朝後の政府説明に対してそうであったように国民が納得しない場合もあるが、誰に指図されなくても、結果と説明の手順に変わりはない。

 いわば「確認」 という言葉を使っているものの、「再調査の結果」を問題とせずにその結果で国民を納得させて決着を図れと要求していることになる。これは全面解決はないとの言い替えであろう。程々の解決で決着を図れとの暗示であろう。

 帰国の条件が異なるということを意味する。

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石原慎太郎は安倍晋三と同様に、戦前日本を国家像の理想のモデルとしている

2014-05-30 09:35:31 | 政治




      生活の党PR

       《5月20日(火) 小沢生活の党代表新駐日ドイツ大使と意見交換 》
     
      5月20日、小沢一郎代表はハンス・カール・フォン・ヴェアテルン駐日ドイツ連邦共和国大使の表敬訪問を受け、意見交換を行う。    

 石原慎太郎と橋下徹が5月28日、名古屋市で会談、石原慎太郎が日本の維新の会と結の党の合流に反対して日本維新の会の分党を申し入れ、橋下徹が了承、分党することに決めたという。

 同じ分党するなら、橋下徹自身がそのような経緯を辿るべく強いリーダーシップを発揮すべきだったろう。なぜなら、日本維新の会として結の党と合流を目指すべく主導権を握らなければならない立場にあったのは橋下徹自身だからだ。

 だが、リーダーシップを発揮することができなかった。逆に石原慎太郎の方から障害を取り除いてくれたのだから、他力本願といったところだろう。言うことに行動が伴わなかったり、言うことが時間が経つと変わったりする程度のリーダーシップに過ぎなかった。ただ単に大衆的人気で持っている。

 石原慎太郎が分党決定後の翌日、5月29日午後、国会内で説明の記者会見を開いた。発言は、《【維新分党】《石原慎太郎共同代表会見全文(1)》結党時の「心理的な亀裂が尾を引いた」》MSN産経/2014.5.29 17:32)から引用した。 

 石原慎太郎が目指す自主憲法がどのような日本を目指しているのかに関してのみ、取り上げることにする。

 石原慎太郎「お聞きおよびのように、昨日ですね、名古屋に出向きまして、4時に名古屋のある場所で橋下さんと会見しまして、『分党をしたい』と いうことを申し上げました。

 個人的な見解も含めて申し上げますとね、私自身のことでありますけれども、私が都知事を辞めて、あえて国会に戻った理由は、いろいろありますが、その一つはなんといっても、日本の憲法をかえて、この国を立て直したいという、かねてからの私の熱願です。

 それと、20年近く前に私が永年勤続で表彰をうけたときに、その謝礼の演説で、私はこの国の国政というか、(国政に)携わっている自民党に愛想を尽かして、(衆院)議員を辞職すると明言しましたが、そのときに申したことですけれども、日本が戦後、ずっと米国のほとんど、飼い殺しのままに色々と収奪されてきた。

 男の体は成(な)しているけれども機能を失った、いわば宦官のような国になったということの、自責と、それも踏まえて議員を辞職しました」――

 「日本の憲法をかえて、この国を立て直したい」と言い、その理由として、日本国憲法と日本国内の米国の存在によって「日本が戦後、ずっと米国のほとんど、飼い殺しのままに色々と収奪されてきた」こと、「男の体は成(な)しているけれども機能を失った、いわば宦官のような国になった」ことを挙げている。

 このことゆえに維新の会の綱領の第一番に、〈日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。〉と掲げるに至った。

 石原慎太郎は1932年(昭和7年)9月30日の戦中生まれで、敗戦の1945年(昭和20年)8月15日には13歳間近の年齢に達している。いわば戦後日本を否定している以上、石原慎太郎にとっての日本のモデル――理想の国家像は戦前日本しかない。

 中には石原慎太郎は戦前日本でも、戦後日本でもない、全く新しい日本をモデルとした新生日本の創造を目指していると反論するかもしれないが、石原慎太郎が竹下内閣下の運輸相だった1988年9月22日、記者会見で述べていることが日本のモデルを戦前日本に置いていることの証明となる。

 石原慎太郎「天皇陛下は元首でもあるが、それ以上に、国民のおとうさんみたいなものだ」(朝日新聞/1989年1月10日)

 1937(昭和12)年3月刊行の『国体の本義』には次のような件(くだり)がある.

 〈天皇の、億兆に限りなき愛撫を垂れさせ給ふ御事蹟は、国史を通じて常にうかがはれる。畏(おそれおお)くも天皇は、臣民を「おほみたから」(大御宝・人民、百姓。天皇が 治める国民、臣民。)とし、赤子(せきし・天子を父母に譬えるのに対して、その子どもである人民のこと)と思召されて愛護し給ひ、その協翼(力を合わせて助ける、補佐する)に倚藉(いしゃ・頼ること、拠ること)して皇猷(こうゆう・帝王の道―猷―ユウ)を恢弘(かいこう・押し広めること。広く大きくすること)せんと 思召されるのである。この大御心を以て歴代の天皇は、臣民の慶福のために御心を注がせ給ひ、ひとり正しきを勧め給ふのみならず、悪しく枉(おう、まが)れるものをも慈しみ改めしめられるのである。〉――

 天皇を国民の父親とするのは戦前日本の絶対思想である。天皇は慈父の形を取って子である国民を支配した。石原慎太郎が天皇は「国民のおとうさんみたいなものだ」と言っていることと符合する戦前思想である。

 石原慎太郎が自主憲法制定によって創造しようと目指すモデルは戦前日本を措いて他には存在しない。

 安倍晋三が2012年の総選挙のマニフェストに掲げた、「日本を取り戻す」のキャッチフレーズの「日本」が戦前日本をモデルとしていて、「戦前日本を取り戻す」ことであるのは既に説明するまでもないこととなっている。

 安倍晋三が日本国憲法を占領憲法であるとして否定していること、占領政策が日本人の精神をダメにしたとしている主張、「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもの」で、「日本は天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」と、歴代天皇の存在を日本の歴史・伝統・文化それぞれの、一種の神の如き造物主と看做す歴史観から見て、戦前日本をモデルとした国家像を胸に抱いていることは間違いない。

 歴代天皇の存在を日本の歴史・伝統・文化それぞれの造物者と看做す歴史観は『国体の本義』の一節、〈かくて天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神(あきつみかみ)であらせられる。この現御神(明神)或は現人神(あらひとがみ)と申し奉るのは、所謂絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔(神の子孫。天皇または皇族)であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏き御方であることを示すのである。帝国憲法第一条に「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ 統治ス」とあり、又第三条に「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」とあるのは、天皇のこの御本質を明らかにし奉つたものである。従つて天皇は、外国の君主と異なり、国家統治の必要上立てられた主権者でもなく、智力・徳望をもととして臣民より選び定められた君主でもあらせられぬ。〉に対応しているはずだ。

 歴代天皇を歴史・文化・伝統の全てを含めて、「永久に臣民・国土の生成発展の本源」と目する戦前日本の天皇思想を血としているからこそ、安倍晋三は「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもの」で、「日本は天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」を自らの天皇観とすることが可能となる。

 安倍晋三が日本国憲法を占領憲法であるとして否定していること、占領政策が日本人の精神をダメにしたとする主張は周知のように2012年4月28日の自民党主催「主権回復の日」に寄せたビデオメッセージに凝縮されて現れている。

 全発言を知りたくてインターネットを探していると、動画を見つけることができたので、参考になるかどうか、文字に起こしてみた。

 安倍晋三「皆さんこんにちは。安倍晋三です。(拍手)

 主権回復の日とは何か。それは50年前の今日、7年に亘る長い占領期間を超えて、日本が主権を回復した日のことです。しかし、しかし当時の日本はこの日を独立の日として国民と共にお祝いすることはありませんでした。

 本来であれば、この日を以って日本は独立を回復したわけでありますから、占領時代に占領軍によって行われたこと、日本はどのように改造されたのか、日本人の精神にどのような影響を及ぼしたのか、もう一度検証して、そしてきっちりと区切りをつけて、日本は新しいスタートを切るべきでした。

 そのやっていなかったことから、今日、大きな禍根を残しています。戦後体制からの脱却、戦後レジームからの脱却とは、占領期間につくられた、占領軍によってつくられた憲法やあるいは教育基本法、様々な仕組みを、もう一度見直しをして、そしてその上に培(つちか)えてきた精神を見直していく。そして真の独立を、真の独立の精神を(握った左手の拳を振る)取り返すことであります。

 教育基本法は改正しました。教育の目的に道徳心を培い、伝統と文化を尊重し、愛国心を書き込むことができました。

 みなさん、次は憲法です。憲法は私達日本人が、こういう国にしたい、その思いを、その理想を込めたものです。自由民主党は憲法改正草案をつくりました。どうか国民のみなさん、これから憲法改正の論議に参加をして貰いたいと思います。

 特に若いみなさんに一緒に仲良くしながら、日本をこういう国にしていきたい、議論をしていきましょう。まずは憲法の96条を私は変えていくべきだと思います。これは改定条項です。国会議員の3分の2が賛成しなければ、国民投票ができない。

 これは国民から憲法を引き離している、遠ざけている厚い大きな壁です。これをみなさんと共に打ち破っていきたい(左手を拳にして突き出す)、こう思います。

 共に一緒に前進していこうじゃありませんか。宜しくお願いします。ありがとうございました」――

 戦前日本を国家像の理想のモデルとしているがゆえに戦前日本を断ち切り、日本人の精神をダメにした占領政策の否定、占領憲法であることを理由とした日本国憲法の否定と日本国憲法の改正、教育基本法の改正であることに留意しなかければならない。

 そして石原慎太郎にしても安倍晋三と同じ穴のムジナで、モデルとしている戦前日本を取り戻すべく、日本国憲法を含めて現在の日本の仕組みを変えようと画策している政治家だと言うことである。

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安倍晋三の「子どもの貧困対策会議」は政治が子どもの貧困を作っておいて政治が手当する構図と認識せず

2014-05-29 07:25:14 | Weblog




      生活の党PR

       《5月26日(月) 小沢一郎生活の党代表 定例記者会見要旨 》

      『集団的自衛権の世論調査、きちんと説明して設問しなければメディアの信頼性を落としてしまう』

      ・野党各党の動きについて
      ・沖縄県知事選挙候補者擁立について  
      ・集団的自衛権に関する世論調査結果について
      ・予算委員会集中審議について              

 昨年の2013年6月26日、いわば安倍政権下で「子どもの貧困対策の推進に関する法律」が施行された。4月20日(2014年)付け記事が政府は新たに設けた有識者らでつくる検討会で教育支援や保護者への就労支援などの議論を進めて、今年7月をメドに政府の大綱を取り纏める方向だと伝えていた。

 「子どもの貧困対策の推進に関する法律」の「目的」を調べてみた。

〈目的

第一条  この法律は、子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、貧困の状況にある子どもが健やかに育成される環境を整備するとともに、教育の機会均等を図るため、子どもの貧困対策に関し、基本理念を定め、国等の責務を明らかにし、及び子どもの貧困対策の基本となる事項を定めることにより、子どもの貧困対策を総合的に推進することを目的とする。〉――

 「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう」と言っていることの意味は、未然の(=まだそうなっていない)状態にあるとの認識を示していることになるはずだ。

 だが、現実には未然の状態ではなく、「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右される」状況が既に深刻な様相を帯びてきている。親世代の経済格差(=所得格差)が子世代の教育格差を生んでいる状況を象徴的例として挙げることができる。

 そして教育格差はほぼそのままに所得格差へと発展して、さらにその子世代に受け継がれていく親世代から子世代への世代間の負の循環・負の連鎖を生む。

 平成21年度文部科学白書の「第1章 家計負担の現状と教育投資の水準」には既に「両親の収入が高いほど4年制大学への進学率が高くなる」と書かれている。同白書には大学卒業までにかかる平均的な教育費は国公立で約1千万円、私学だと約2千3百万円に上るとしているのだから、親世代から子世代への世代間の負の循環・負の連鎖は当然の傾向と言うこともできる。

 記事が対策会議を4月開いていると書いていたから、首相官邸HPを調べてみた。「子どもの貧困対策会議」のことで、4月4日、首相官邸で第1回の会議を開催している。

 「子どもの貧困対策の推進に関する法律」の施行が2013年6月26日。「子どもの貧困対策会議」第1回開催が2014年4月4日。法律施行から9カ月後のスピードである。まさか5月5日のこどもの日が近づいてきたから、思い出した第1回会議開催というわけではあるまい。

 首相官邸HPには、「子どもの貧困対策を総合的に推進するための大綱の案の作成方針」についての議論が行われたと書いてある。そして安倍晋三の挨拶。 

 安倍晋三「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、また、貧困が世代を超えて連鎖することのないよう、必要な環境整備、教育の機会均等を図る子どもの貧困対策は極めて重要です。

 政府においては、今年度から高校生等を対象とする返済不要の奨学のための給付金制度を導入しています。

 また、一人親家庭・生活困窮家庭への相談支援や就労支援、子どもへの学習支援などの取組を進めています。今後、このような施策をさらに強化していく必要があります。

 年央の大綱取りまとめに向けて、関係閣僚各位におかれては、全ての子どもたちが夢と希望を持って成長していける社会の実現に向けて、子どもの貧困対策について一丸となって取り組んでいただきたいと思います」――

 安倍晋三も法律の条文と同じく、「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう」、あるいは「貧困が世代を超えて連鎖することのないよう」と、未然の状態として認識している。「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右される深刻な状況にある」と、現状そのままには決して言っていない。列車が既にスタートして、猛烈な勢いでスピードを上げつつあるとの厳しい認識には決して立ってはいない危機感の提示となっている。

 親世代の経済格差は小泉政権下の2003年に労働者派遣法が改正され、製造業への派遣解禁、原則最長1年とされていた期間制限が最長3年の緩和を受けて低賃金の非正規社員が年々増加していくと共に拡大・広範囲化へと向かっていった。

 そして2013年には正規雇用が前年比46万人減の3294万人、非正規前年比93万人増の1906万人、過去最高水準の36.7%に達している。

 非正規雇用は特に15~24歳の若年層で、1990年代半ばから2000年代初めにかけて大きく上昇していると文科省のHPが記述している。

 この若年層の状況は親世代が子世代と同じ非正規雇用の形を取らなくても、親世代の経済的に収縮した状況と重なる形で子世代が受け継いだ低収入の非正規雇用と多分に言えるはずだから、でなければ、格差の世代間連鎖という社会的状況は生まれないから、親から子への流れの一つと見なければならない。
 
 2010年(平成22年)の日本の世帯数は5195万0504世帯。同年年間所得200万以下世帯が18.5%の約961万世帯。年間平均所得594万6千円以下世帯が日本の世帯数の半数を超える61.4%の約3189万世帯。

 ユニセフ・イノチェンティ研究所が2012年5月に発行した『Report Card 10-先進国の子どもの貧困』には日本の「子どもの相対的貧困率」は14.9%であり、日本国内約2047万人の子どものうち、およそ305万人の子どもが貧困家庭で暮らしていることが明らかになったと伝えている。

 但し『Report Card 10』の「10」が2010年調査を意味する「10」なのか、10番目の報告書という意味での「10」なのか、調べたが分からなかった。

 この14.9%はOECD35か国中、9番目に高い貧困率であり、一人当たりのGDPが比較的に高い先進諸国20カ国中では、上から4番目の好成績の貧困率だそうだ。

 こういった貧困の諸相、格差の諸相は政治が解決できなかった無力を含めて、政治が積み上げてきた実績でもあるはずである。

 そしてその治療手当を政治が行う。
  
 安倍晋三の「子どもの貧困対策会議」にしても、政治が子どもの貧困をつくっておいて政治が手当する同じ構図を取っているということである。

 この認識がないからこそ、安倍晋三が既に深刻な状況にあるにも関わらず、「子どもの将来がその生まれ育った環境によって左右されることのないよう、また、貧困が世代を超えて連鎖することのないよう」などと、未然の(=まだそうなっていない)状態にあるかのような危機感のない認識を示すことができるのだろう。


 政治の責任はサラサラ感じていない安倍晋三なのです。

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安倍晋三の靖国にのみ戦死者の魂の存在を認め、千鳥ケ淵にはその存在を認めない歴史認識の成り立ち

2014-05-28 08:53:03 | Weblog

  

 5月26日付「47NEWS」が、東京都千代田区の千鳥ケ淵戦没者墓苑で同じ5月26日に拝礼式が行われ、国の遺骨収集団などがモンゴルやインドネシアなどから持ち帰り、遺族に引き渡すことができない遺骨1843柱を新たに納骨したと伝えていた。《千鳥ケ淵墓苑で戦没者拝礼式 新たに1843柱納骨》

 これまでに納められた遺骨と合わせると36万96柱に上るそうだ。

 秋篠宮家の長女眞子が初めて出席。安倍晋三も出席。田村憲久厚労相の式辞を佐藤茂樹副大臣が代読。

 佐藤副大臣代読「今後も遺骨の帰還に力を尽くす。先の大戦の教訓を継承し、世界の恒久平和に貢献していくことを誓います」

 記事は安倍晋三の挨拶について何も触れていない。首相官邸HPを調べたら、次のような記載があり、別ページに「日々の総理/記録映像庫」として動画が添えられていた。

 〈千鳥ヶ淵戦没者墓苑拝礼式

 平成26年5月26日、安倍総理は、眞子内親王殿下御臨席の下、千鳥ヶ淵戦没者墓苑で行われた拝礼式に出席しました。

 今回の式典では、政府が派遣した戦没者遺骨収集帰還団等がモンゴル、インドネシア等で収容した戦没者の御遺骨のうち、遺族に引き渡すことができない1,843柱が同墓苑に納骨され、既に納骨された御遺骨と合わせると36万96柱になりました。

 式典では、安倍総理をはじめ、関係閣僚、関係国駐日大使、関係団体の代表、遺族の方々等が参列し、戦没者に対して哀悼の誠を捧げました。〉――

 どういった言葉で「哀悼の誠」を捧げたのか知りたいと思って動画を覗いてみたが、動画は安倍晋三が出席者全員と君が代を歌うシーンと菊を1本献花するシーン、そして式場を去るシーンで終わっていて、挨拶する場面はなかった。

 「Wikipedia」に千鳥ケ淵戦没者墓苑は、〈日本の戦没者慰霊施設〉であり、〈第二次世界大戦の折に国外で死亡した日本の軍人、軍属、民間人の遺骨のうち、身元不明や引き取り手のない遺骨を安置する施設である。〉との解説があって、〈国が維持管理する戦没者の納骨施設であり、公園としての性格を有する墓地公園〉を兼ねていて、〈環境省が所管する国民公園等のひとつ〉であるとしている。正式名は「国立千鳥ケ淵戦没者墓苑」

 要するに公園としての性格を除いた戦没者の納骨・慰霊施設としての正味は「身元不明や引き取り手のない遺骨」が集められているということになる。

 第2次世界大戦という日本国家の戦争に関わって死亡した日本の軍人、軍属、民間人だからこそ、国立千鳥ケ淵戦没者墓苑を造って、そこに納められることになっているが、一般的な身元不明者や引き取り手のない遺骨は無縁仏と呼ばれて、その行き着く先は無縁墓地、あるいは無縁塚とほぼ相場が決まっている。

 国立千鳥ケ淵戦没者墓苑と言えば聞こえはいいが、簡単に言うと、祀られている彼らは無縁仏であって、墓地としての性格は無縁墓地、あるいは無縁塚が実際の姿ということになる。

 ここで問題になるのは民間人は除外するとしても、軍人と軍属の場合、それぞれに生前の立場は同じでありながら、死後、身許が判明して引き取り手がある場合と、「身元不明や引き取り手のない遺骨」の場合とでは死後の立場に違いが生じて、前者は靖国神社に祀り、後者は千鳥ケ淵戦没者墓苑に祀る扱いの差別である。

 見る人間が見たなら、勝ち目はないと分かっていた戦争を「天皇陛下のため、お国のため命を捧げよう」と鼓舞・宣伝して戦場に送り出し、「戦死したなら、靖国で会おう」をあの世での唯一の希望の灯火(ともしび)とさせた生きて在った当時の心の支えはみな同じで、そこにふるい分けの差別はなかったはずである。

 同じ思いを心の支えとして命を花と散らせていった。尤も軍人・軍属戦死者230万人の内、6割強の140万人は餓死者だというから、花と散っていったという形容は多くの場合、幻想でしかない。

 だとしても、「身元不明や引き取り手のない遺骨」となった途端、あの世での唯一の希望の灯火、心の支えであった「戦死したなら、靖国で会おう」は裏切られて、無縁墓地でしかない千鳥ケ淵戦没者墓苑に葬られることとなった。

 このことをこそ、知らぬが仏と言うのだとしたら、皮肉も皮肉、歴史上の大いなる皮肉の一つとなる。

 この扱いの差別に安倍晋三も深く関わっている。

 1月6日(2014年)夜、安倍晋三は俳優の津川雅彦らと東京都内で会食して、靖国神社に代わる新たな追悼施設に否定的な見解を示したという。《首相、新追悼施設に否定的 「遺族お参りしない」》47NEWS/2014/01/06 23:00 【共同通信】)

 記事は同席した元フジテレビアナウンサーの露木茂が記者団に明かした証言を伝える形式となっている。

 露木茂証言「首相は『別の施設を造っても多分、戦争で亡くなった方たちの家族はお参りしないだろう』と話した。

 (その理由を安倍晋三は昨年末の自身の靖国参拝に触れて)『靖国で会おうという一言で死んでいった戦没者の魂は靖国神社にあるんじゃないか』と話していた」

 だが、「靖国で会おうという一言で死んでいった戦没者の魂」は必ずしも靖国神社にあるわけではなく、「身元不明や引き取り手のない遺骨」となった場合は、「靖国で会おう」というオマジナイの効能は一切抹消されて、戦死者からしたら、千鳥ケ淵戦没者墓苑に追放の憂き目に遭遇したと恨みたくもなる、約束と違う扱いを受けていることになっている。

 にも関わらず、安倍晋三は全員を前提として「戦没者の魂は靖国神社にあるんじゃないか」と、遺骨の状況で扱いを違える差別を無視した、事実に反する情報を垂れ流している。

 千鳥ケ淵戦没者墓苑には毎年終戦の日に内閣総理大臣が参拝するのが恒例となっているということだから、安倍晋三は今回の出席が初めてではなく、過去に参拝の経験があるはずだが、「戦没者の魂は靖国神社にあるんじゃないか」とする認識は、千鳥ケ淵戦没者墓苑には「戦没者の魂」は存在しないとしていることの指摘ともなる。

 魂が存在していない千鳥ケ淵の戦没者に「先の大戦の教訓を継承し、世界の恒久平和に貢献していくことを誓います」と誓ったとしても意味は無いはずだが、意味は無いままに誓っている。単なる口パクに過ぎないからだろう。

 但し、安倍晋三の戦没者の追悼施設は靖国神社でなければならないとする認識は遺骨の状況の違いによって魂の存在の有無につなげているからではなく、靖国神社が1869年(明治2年)に明治天皇の発議によって創建された招魂社を前身とし、国家神道の性格を持たせ、国家のために特に功労のあった人臣を祭る別格官幣社として指定された歴史に対する思いが魂の存在の有無につなげて戦没者の追悼施設は靖国神社でなければならないとする認識を成り立たせているはずだ。

 いわば千鳥ケ淵戦没者墓苑がいくら国立だからと言っても、皇室に関係もないし、国家神道的性格も有していない、国家のために特に功労のあった人臣を祭る別格官幣社として指定された歴史もないということを根拠として、そこに魂の存在を認めることができないからこそ、「戦没者の魂は靖国神社にあるんじゃないか」という歴史認識となって現れているはずだ。

 要するに器を問題として魂の有る無しを認識するに至っている。

 安倍晋三の国立千鳥ケ淵戦没者墓苑参拝は慣例上の形式に過ぎないことになる。

 日本の降伏を知らずに日本軍兵士として立て篭もり続けたフィリピン・ルバング島から戦争終結29年目の1974年に帰還を果たした小野田寛郎さんも安倍晋三と同列の靖国の意味について話している。

 2014年2月17日のテレビ朝日《ビートたけしのTVタックル》のYouTub動画。

 ビートたけし「小野田さんやる予定のフィリッピン出発前に交通事故でドラマ吹っ飛んでし まったんだけど、小野田さんと2、3回会ったかな。

 そしたらね、今、靖国の問題だけど、小野田さん、靖国を。俺が靖国を、じゃあ、A級戦犯を合祀じゃなくて、違うとこに移動して、ヘンシュウ(? 聞き取れない)のアレをやったら、どうですかって言ったら、たけしさん、何言ってんの。我々はね、靖国で会おうって死んでいくんだよって。靖国なんだよ。それを変えてもらっちゃあ困るって」――

 だが、現実には遺骨の状況で靖国で会えなくさせられる扱いの差別が存在していた。

 靖国神社という器を問題にする余り、靖国神社のみに戦死者の魂の存在を認め、千鳥ケ淵戦没者墓苑等のその他の施設には戦死者の魂の存在を認めない。

 だからこそ、靖国神社でなければならないとして、新国立追悼施設の建設に徹底的に反対する。

 神国日本を根拠とした神州不滅・不敗神話に反する国家による敗戦の裏切りは問題ではない。遺骨の状況で差別する「靖国で会おう」の裏切りも問題ではない。唯一重要視しているのは靖国神社という歴史的な器であり、そこに全ての正統性を置いているからこそ、「国のために戦い、命を落とした人たちのために祈り、そして尊崇の念を表すことは世界のリーダーは誰でも行っている共通の姿だ」と、戦前日本と戦死者と自身を正当化する参拝を靖国神社のみに行い得るのであって、千鳥ケ淵では同じ参拝を行わないで済ますことができる。

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米の開戦4ヶ月後の日本本土空襲と日本の太平洋方面3ヶ月作戦終了勝算の皮肉な関係が明かす日本軍の体質

2014-05-27 05:14:44 | Weblog




      生活の党PR

       《5月23日(金) 鈴木克昌生活の党代表代行・幹事長定例記者会見要旨 》
   
      『集団的自衛権、国民への丁寧な説明なしにことが進むことは断じて許されない』

      【質疑要旨】
      ・5月28日予算委員会集中審議について
      ・相次ぐ行政のミスについて
      ・民主党の代表選立候補要件緩和の動きについて  
      ・他党と協議の場を持つことについて

 アメリカでは従軍慰安婦や南京虐殺、あるいは東京裁判に対する日本政府や保守派政治家たちの姿勢に対する記憶だけではなく、日米戦争そのものの記憶が未だ続いているようだ。

 《米国、日本本土の空襲部隊に 勲章 議会で法案可決》47NEWS/2014/05/21 10:41 【共同通信】)
 
 第2次大戦中、米軍初の日本本土攻撃となった「ドゥーリトル空襲」に加わった元兵士に対して、下院で既に可決されていた米最高勲章の一つ「議会金メダル」を授与する法案が5月20日、上院でも可決され、オバマ大統領の署名で成立する運びとなると伝えている。

 記事。〈ドゥーリトル中佐が指揮した空襲は、旧日本軍による真珠湾攻撃から4カ月後の1942年4月18日に実行。米国では対日戦争の局面転換につながる象徴的な攻撃として認識されている。〉――

 つまり、真珠湾攻撃によって日米が開戦した1941年12月8日からたった約4カ月後の1942年4月18日のジミー・ドゥーリトル少佐率いる80名乗員の陸軍機B‐25・16機のドゥーリトル日本本土空襲が日米戦争の勝敗の行方を占うこととなった。

 ここで思い出したのが、1941年(昭和16年)9月6日第3次近衛内閣時の御前会議に於いて「帝国は自存自衛を全うする為対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す」と戦争準備に入ることを取り決めた「帝国国策遂行要領」決定前日の9月5日、1937年、38年と陸軍大臣を務めた日中戦争拡大派の杉山元陸軍参謀総長が昭和天皇に呼ばれて皇居を訪問、天皇に日米戦争の予想を聞かれて答えた内容であるが、その前に「ドゥーリトル空襲」についてもう一つ別の記事がどういった解説で報道されているか見てみる。

 《ドーリットル隊に最高位勲章=日本初空襲「傑出した勇気」- 米》時事ドットコム/2014/05/24-07:40)
 
 〈ドーリットル隊による本土空襲は、1941年12月の真珠湾攻撃以来、日本軍に押されていた米軍が、日本に心理的動揺を与えるため立案。ドーリットル中佐率いる16機の陸軍爆撃機B25が1942年4月、太平洋上の空母から発進し、東京などを空襲した。

 ドーリットル隊で無事帰投できた機体はなく、日本軍に捕らえられた搭乗員8人のうち、3人が処刑された。一方、衝撃を受けた日本は42年6月、空襲阻止のためミッドウェー作戦を発動して敗北し、戦局は日本不利へと傾いた。〉――

 要するに日米開戦1941年12月8日からたった約4カ月後の1942年4月18日には日本の制空権は機能せず、アメリカの爆撃機の侵入を簡単に許し、日本を横断させてしまう程に大日本帝国軍隊は脆弱な軍組織でしかなかった。

 そしてこの脆弱性を露わにした事件がドゥーリトル空襲であり、日米決戦のそもそものターニングポイン ト(転換点)となったと両記事共記している。

 記事解説の、〈ドーリットル隊で無事帰投できた機体はなく〉 と書いてあることは、「Wikipedia」によると、次のようになっている。

 〈ドーリットル機は茨城県から東京上空に侵入し、東京、川崎市、横須賀市、名古屋市、四日市市、神戸市を爆撃〉してから、いわば〈日本列島を横断し、中華民国東部にて乗員はパラシュート脱出した。この結果、15機のB-25が全損となった。8番機はソ連のウラジオストクに不時着、乗員は抑留された。乗員は戦死が1名、行方不明が2名、捕虜となったのが8名で、残る隊員はアメリカへ帰還して熱烈な歓迎を受けた。〉と解説されていて、日本本土で撃墜を受けたわけではない。 

 では、1941年(昭和16年)9月5日の天皇と杉山元大日本帝国陸軍参謀総長の遣り取りを見てみる。その発言は『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』『文藝春秋』/2007年4月特別号)が歴史家半藤一利氏の解説として取り上げている。

 昭和天皇「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」 

 杉山元「南洋方面だけで3ヵ月くらいで片づけるつもりであります」

 昭和天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時、事変は1ヶ月くらいにて片づくと申したが、4ヵ年の長きにわたってもまだ片づかんではないか」
 
 杉山元「支那は奥地が広いものですから」

 昭和天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いではないか。如何なる確信があって3ヵ月と申すのか」

 杉山元「・・・・・」(半藤一利解説は、〈ただ頭を垂れたままであったという。〉と書いている。)

 日本が主導権を決定的に失うこととなったミッドウエー海戦は1942年4月18日のドゥーリトル空襲から約2ヶ月半後の1942年(昭和17年)6月5日から7日にかけてのことである。

 「南洋方面だけで3ヵ月くらいで片づけるつもり」が逆に開戦からたった4ヶ月でアメリカの日本本土空襲によって局面転換のキッカケとされ、その約2ヶ月半後に早くも日米いずれが優劣かが露呈することとなった。

 盤石の制空権を保持していながら、開戦から4ヶ月でそれが機能しなくなるということはないはずだから、最初からアメリカの攻撃に機能し得る制空権を擁していなかったことになる。いわば日本の軍組織そのものが最初から脆弱な体制にあった。

 このことは「Wikipedia」に書いてあるドゥーリトル空襲に対する大本営発表が証明することになる。

 〈昭和天皇は杉山元参謀総長からではなく東久邇宮稔彦王防衛総司令官に真相を直接報告せよと勅命。

 それに対し、東久邇宮は「敵機は一機も撃墜できませんでした。また今のような体制では国内防衛は不可能です」と答申する。なお、大本営は「敵機9機を撃墜。損害軽微」「わが空地上両航空部隊の反撃を受け、逐次退散中なり」と発表した。

 中部軍に至っては、空襲直後に「東京防空隊ノ撃墜セシ機数7」を報告している。しかし当日は晴天であり、墜落した航空機など市民からは 一機も確認されなかった。このため、大本営の発表に対し、『皇軍は空機(9機と空気をかけた駄洒落)を撃墜したのだ』と揶揄するものもいた。そのため陸軍は中国に不時着したB-25の残骸を回収し、4月25日から靖国神社で展示して、国民の疑念を晴らそうとした。

 4月26日の朝日新聞は『まさしく大東亜戦下の靖国神社臨時大祭にふさわしい景観』と評している。陸軍報道部は「指揮官はドゥ・リトルだが、実際(被害)はドゥ・ナッシング」と発表した。この空襲のため東京六大学野球の開会式が中止となった。〉――

 虚偽情報を国民に流布させて、自らの体面を保たなければならかったことの裏を返すと、大日本帝国軍隊が実態は張子の虎(=脆弱な組織)でしかないことの隠蔽そのものを意味する。

 ありもしない戦果を誇ることで、大日本帝国軍隊が盤石であることを知らしめようとした。そして日本で撃墜したわけではない、中国本土に不時着したB-25の残骸を回収して靖国神社に展示するというウソの上にウソを塗り重ねるゴマカシを働かなければならなかった。

 杉山元陸軍参謀総長の「南洋方面だけで3ヵ月くらいで片づけるつもりであります」の勝算自体が緻密・具体的な戦略によって3ヵ月というメドを成り立たせていたわけではなかった。だから、昭和天皇に問い詰められて、これこれこういった戦略を用いて戦いに臨む計画から3ヵ月という日数を計算しましたと答えることができずに、言葉を失うこととなった。

 このように戦略もなく安請け合いするような人物が陸軍大臣を務め、太平洋戦争開戦時の大日本帝国軍隊の陸軍参謀総長であったということ自体が、大日本帝国軍隊という組織の質を既に証明していることになる。

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安倍晋三も阿部知子も陳情も補助犬利用者に対する社会的偏見解消目標を東京五輪開催年とするお粗末な感覚

2014-05-26 03:42:33 | Weblog

 

 安倍晋三が5月22日、陳情に訪れた盲導犬や介助犬などの補助犬利用者(団体のお偉いさんなのか、単なる代表者たちなのか)と面会した。《首相 補助犬理解促す取り組みを》NHK NEWS WEB/2014年5 月22日 15 時17分)

 陳情内容は、2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて補助犬に対する理解拡大や補助犬育成費用への助成の拡充などだそうだ。勿論、文書にして要望書として安倍晋三に手渡した。

 安倍晋三「補助犬を連れて多くの人が利用する施設などに行くときに、 偏見があったり、拒否される事例があることも伺っている。東京オリンピック・パラリンピックの際には、そうしたことが1件もないよう、体制を作っていく必要がある」――

 その陳情に補助犬を推進する議員の会事務局長の阿部知子衆議院議員も 同席したという。社民党を離党して、2012年11月27日結成した日本未来の党代表となった阿部知子である。

 阿部知子「パラリンピックでは、バリアフリーでないと犬を連れた移動が難しいうえ、空港での検疫の問題などもある。しっかり取り組みたい」――

 陳情も安倍晋三の発言も阿部知子の発言も、オリンピック開催年を目標とした補助犬利用者に対する社会的偏見の解消となっている。この構造は、社会的偏見は期限を設けてなくす努力をする事柄ではないはずだから、補助犬利用者のためを直接的に対象としているのではなく、オリンピックのための解消という形を取ることになるはずだ。

 補助犬利用者に対する社会的偏見だけではなく、どのような社会的偏見であっても、その解消は、偏見を受ける側のために今日は存在したとしても、明日は1件もあってはな らないとする強い決意を持った日々の対策で臨まなければならない差別の解消であるはずである。

 だが、今日がいつまでも明日に続いて解消を目指すことができずに各種社会的偏見は頑固に蔓延り続けることになっている。だからこそ、身体障害者補助犬法は2002年5月成立から12年経過の今日に於いても、途中、2011年6月に改正したものの、偏見はなくならずに存在し、陳情ということになった。

 だからと言って、補助犬利用者に対する社会的偏見解消の目標を、それがたった6年先で、6年の間に是非解消をと目標を立てたとしても、東京オリンピック開催の2020年に置いた解消の体制づくりであっていいという理由とはならない。

 もし目標を2020年に置いたとしたら、6年間の猶予期間を計算することになって、今日は存在したとしても、明日は1件もあってはならないとする強い決意を持たせた日々の対策は6年間の先延ばしの対策に取って代わられて、決意自体が自ずと薄められることになる。

 極端なことを言うと、2020年の東京オリンピック開催までの解消の対策づくりと言うことなら、開催までは偏見は止むを得ないという無意識が生じかねない。

 そもそもからして、補助犬利用者に対する社会的偏見は東京オリンピック開催に関係なく1日も早く全面的に解消されなければならい。解消の目標は常に“1日も早く”に置かなければならないということである。
 
 勿論、その他のどのような偏見も、解消の目標は常に“1日も早く”に置いて、社会的偏見と闘わなければならない。

 だが、安倍晋三も阿部知子も、陳情も東京オリンピック開催の2020年に置いた。

 安倍晋三に限って言うと、当然と言えば当然なお粗末な感覚だが、補助犬利用者や阿部知子までも同じ感覚に陥っているとは驚きである。

 福島の第1原発事故によって生じた福島産農林水産物に対する今も続く風評被害の払拭を何年後までにはと期限を区切ったとしたら、どうなるだろうか。例え“1日も早く”が明日に続くことになっていたとしても、“1日も早く”の姿勢で日々払拭に臨まなければならないだろう。

 日本国憲法「第3章 国民の権利及び義務 第25条 生存権、国の社会的使命」

 (1)すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 (2)国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公共衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 補助犬は利用者にとって文化的な生活を人並みに近づけるための大事なパートナーである。中には今流行りの「相棒」という言葉で呼ぶ場合もあるかも知れない。

 社会的偏見から補助犬の利用を妨げるということは補助犬と共に築いている利用者の人並みに近づけようとする文化的生活をも妨げることを意味する。

 誰もその利用を妨げる権利はないし、利用を妨げることによって利用者の精一杯営もうとしている文化的生活を妨げる権利もない。

 妨げることは健常者の脚を一本もぎ取るに等しい行為であるはずだ。もぎ取られた者は自なりに築いてきた文化的生活を失うことになるが、義足をつけることによって、どうにか取り戻すことができる。その義足が、補助犬利用者にとっての文化的生活を営むための補助犬に類似する。

 ただ単に偏見をなくす取り組みをするということだけではなく、社会的偏見を持ち続ける者たちに、 補助犬の利用を妨げるということはこういうことだと認識させなければならないはずだ。

 つまり、日本国憲法第3章・第25条違反に当たると。

 だが、安倍晋三や阿部知子の発言からは、哀しいかな、そういった認識を窺うことはできない。

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百田尚樹の日本の安全保障とバヌアツ&ナウルのそれを地政学抜き・経済状況抜きに比較するバカさ加減

2014-05-25 06:45:28 | Weblog



 公共放送のNHK経営委員にふさわしく、連合国軍総司令部(GHQ)が占領時代、日本人に徹底した自虐思想を植え付けたとする歴史認識に立ち、今年(2014年)2月9日投開票の都知事選、田母神俊雄候補の応援演説で細川護煕候補や宇都宮健児候補を「人間のクズ」呼ばわりした何様百田尚樹が、5月24日土曜日午後、岐阜市内で開かれた自民党岐阜県連の定期大会で講演したとマスコミが伝えている。

 《「貧乏で泥棒も入らない」=軍隊ないバヌアツなどやゆ-NHK経営委員の百田氏発言》時事ドットコム/2014/05/24-19:49)

 百田尚樹私は憲法改正派です。軍隊は家に例えると、防犯用の鍵であり、(軍隊を持つことは)しっかり鍵を付けようということ。

  軍隊を持たないバヌアツ、ナウルは家に例えると、くそ貧乏長屋で、泥棒も入らない」(下線個所は解説文を会話体に直す)

 「軍隊は家に例えると、防犯用の鍵」だと単純化できる頭の程度は素晴らしい。頭の程度もお友達同士の安倍晋三に近いのではないのか。

 だが、言っていることの意味に本人は気づいていたのだろうか。鍵は家の住人が外からの侵入者を防ぐものであって、それ以上のものではない。つまり家の住人が外に出て侵入者と戦うことを鍵は想定していない。あくまでも鍵は家の守りを役目としていて、それ以外のどのような役目も担っているわけではない。

 百田尚樹は日本の軍隊自衛隊の任務を専守防衛に限定していることになる。「鍵たれと」

 だとすると、安倍晋三の憲法解釈のみで専守防衛から一歩踏み出して同盟国のために積極的に戦うことを目指している集団的自衛権の考えと異にしていることになる。

 講演では実際には安倍晋三提唱憲法解釈の集団的自衛権賛成をブチ上げたのかもしれないが、ブチ上げたとしたら、今度は鍵の譬えが矛盾することになる。

 オーストラリアのほぼ東側の南太平洋上にあるバヌアツは人口約25万人(2012年)、国土面積は新潟県とほぼ同じ広さの1万2190平方キロメートル。但し新潟県の人口はバヌアツの約10倍近くの約233万人程度。

 バヌアツからオーストラリア東海岸まで約2000キロ、米領サモアまで同じ2000キロ程度。東北方向の5000キロ程度離れたところにハワイがある。いわばアメリカとオーストラリアに守られている地政学にある。

 ナウルは、「Wikipedia」によると、〈太平洋南西部に浮かぶ珊瑚礁のナウル島にある共和国で、イギリス連邦加盟国である。国土面積は21km²であり、バチカン市国、モナコ公 国に次いで面積が小さい。また人口も、国際連合経済社会局人口部の作成した『世界の人口推計 2010年版』によると10210人であり、バチカン市国、ツバルに次いで人口が少ない。〉と書いてある。

 バヌアツよりも更に更に小さな国である。地図を見ると、オーストラリアの北東方向約2500キロ、バヌアツを上にほぼ同じ緯度の位置にある。安全保障に関してはバヌアツとほぼ同じ条件にあると見ていいはずだ。

 日本が中国や北朝鮮、ロシアに囲まれ、石油資源の多くを紛争多発地域の中東に頼っている関係上、輸入が紛争に左右される危険性、その輸送航路を遮断される危険性を抱えている安全保障上の地政学とは大きな違いがある。

 また、2012年のバヌアツのGDPは8億ドル。100円計算して、800億円程度。対して日本の2012年のGDPは596兆円で、世界第3位の規模。この経済規模は日本が一人で成し遂げたわけではない。アメリカや中国、その他の多くの国々との相互貢献の上に成り立っている。アメリカなくして今の日本の経済はなかったろうし、中国なくして今の日本の経済はなかったろう。

 このことはアメリカや中国に関しても言うことができる。

 いわば安全保障上の地政学は国の経済状況とも深く関係している。

 だが、安倍晋三のお友達百田尚樹は、こういった相互に置かれた安全保障上の地政学や安全保障と深く関係している経済状況抜きにバヌアツやナウルが軍隊を持たない理由を、「家に例えると、くそ貧乏長屋で、泥棒も入らない」から、鍵(=軍隊)は必要ないからだと、「くそ貧乏長屋」という表現を使って、経済状況のみで双方の安全保障を比較するバカさ加減を見せた。

 例え聴衆を笑わせるために言ったのだとしても、比較できないことを比較したバカさ加減に変わりはなく、そのようなバカさ加減を用いて聴衆に媚びたことになって、安倍晋三のお友達百田尚樹には卑しさの罪が加わる。

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安倍氏晋三の他国の人権問題は素通りの「積極的平和主義」は外国訪問の売り込みのネタが正体

2014-05-24 03:39:47 | Weblog




      生活の党PR

       《青木愛生活の党幹事長代理 「地方教育行政法改正案」賛成討論 》
   
       討論趣旨
       『地方教育には制度上の改革のみではなく、多様な取り組みが必要』

      《鈴木克昌生活の党代表代行・幹事長 「小規模企業振興基本法」質問 》

 以前、《安倍晋三の他国の人権を無視できる「積極的平和主義」という倒錯 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》という題名の似たようなブログを書いたが、今回、アメリカが新たに外国の人権問題に素通りしない姿勢を見せた報道に接したことから、他国の人権問題に素通り・無感覚な安倍晋三の「積極的平和主義」とは何を意味するのか、改めて取り上げてみようと以下のブログを書いてみることにした。

 《米ロ政府関係者12人に制裁 人権侵害で》NHK NEWS WEB/2014年5月21日 9時19分)

 記事はアメリカがロシアの政府関係者による汚職を指摘した弁護士のマグニツキー氏が逮捕・起訴され、刑務所で暴行されて5年前(2009 年11月)に死亡したことを受けて、一昨年、事件に関わった政府関係者18人を対象とするアメリカへの入国制限などの制裁を科す法律を制定したと伝えている。

 ここに来て制裁を実行に移すことになったのか、あるいは一昨年から調査を進めていて、新たに様々な事実が判明したからなのか、私自身が頭が悪いからなのか、記事からでは判読不能だが、5月20日、アメリカ国務省と財務省は、この法律に基づいてマグニツキー氏の逮捕に関わった捜査員や収容施設の所長ら12人に対してアメリカへの入国禁止とアメリカ国内での資産凍結を発表した。

 ここに来て制裁実行ということなら、この12人は18人のうちの12人ということになるが、後者なら、18人+12人、合計30人ということになる。 

 既にアメリカはウクライナのクリミア自治共和国のロシア併合に対して制裁を科している。さらなる制裁に米ロの関係はかなり深刻化することになるに違いない。

 尤もロシアの人権抑圧問題にしてもプーチンやその一派が自らが招いていることだから、彼らは無感覚どころか、国家統治のために当然のこととしているだろうが、見る人間が見たなら、かなり深刻な状況となっている。

 対してアメリカは常に外国の人権抑圧に口を閉じずに、外交問題としている。

 安倍晋三は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値」を原則とした「積極的平和主義」を掲げて、「地球儀を俯瞰する外交」を目指している。

 そのように目指す以上、当然のことだが、外国との間に「積極的平和主義」を成り立たせるためには相手国が日本と同じ「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値」の土俵に立っているなら、全体的には問題はないが、立っていない場合、同じ土俵に立たせる、あるいは立つように迫る関係構築でなければ、「積極的平和主義」を掲げる資格もなければ、掲げる意味も失って、単なるポーズということになるはずだ。

 なぜなら、断るまでもなく、平和とは単に戦争をしていない状態のみを言うのではなく、如何なる国の国民も「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値」を認められている状態をも言うからだ。

 いわば「積極的平和主義」とは如何なる外国とも戦争をしない関係を築くことを努力するだけではなく、如何なる外国の国民も平和な状態――「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値」が保障された状態で生存できるように持っていく努力をすることも、その範疇に入れていなければならない。

 だが、安倍晋三が掲げている「地球儀を俯瞰する」「積極的平和主義」外交は ロシアや中国、あるいは北朝鮮、中東やアフリカ諸国の中でそれぞれの国民が「自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった基本的価値」が満足に保障されていない状況にあるにも関わらず、いわば平和な状態で生存できていないにも関わらず、そういったことには無感覚にも素通りしているのだから、「地球儀を俯瞰する外交」を掲げてせっせと各国を訪問して相手国首脳に「積極的平和主義」を売り込んでいるとしか思えない。

 そして今後共、積極的に売り込もうとしている。

 《「地球儀俯瞰する外交」さらに訪問検討 》
NHK NEWS WEB/2014 年5 月22日 6 時28分)

 記事冒頭。〈安倍総理大臣は、みずから掲げる「地球儀を俯瞰する外交」を推進するため、来月、ベルギーで開かれるG7=先進 7か国の首脳会議に合わせてイタリアなどを訪れるほか、ことし7月以降、オーストラリアなどオセアニアの国々や中南米の各国を訪問することを検討しています。〉――

 安倍晋三は首相就任後、37カ国を訪問と、地球儀俯瞰の「積極的平和主義」の記録を伝えている。ロシアや中国、あるいは北朝鮮、中東やアフリカ諸国の人権抑圧状況を無感覚にも素通りしながらである。

 特にロシアの権状況に何の思いも湧かないのか、そのような権状況に無関係にプーチンと絶大なる信頼関係を築いている。

 この一例は、ロシア国民の平和生存などどうでもいいと言っているようなものだから、「積極的平和主義」に反する行動以外の何ものでもないはずだ。

 こう見てくると、本来向かうべき対象に向かわずに、当然、実質的な働きをしていないのだから、実効性という点で実体のない、それゆえに売り込むためだけの「積極的平和主義」が、その意味・正体と看做さざるを得ない。

 この何よりの証拠となる記事がある。《首相 南シナ海は外交的に解決を》NHK NEWS WEB/2014年5月22 日 14時19分)

 安倍晋三は5月22日、マレーシアのマハティール元首相と首相官邸で会談、南シナ海で中国とベトナムの当局の船が衝突し緊張が高まっていること について、外交的な手段によって問題が解決されるべきだという認識で一致したという。

 安倍晋三「外交的な接触が必要であり、衝突ではなく、外交的に解決されるべきだ」(NHK NEWS WEB

 マハティール元首相「私も同じ考えであり、平和裏に解決すべきだ」

 両者共、「積極的平和主義」に基づいた外交姿勢を示した発言であろう。

 様々な外国首脳と「積極的平和主義」の認識を一致させることができたとしても、その認識を如何に実効性あるものにするかが問われているはずだが、安倍晋三自身は中国と「外交的な接触」を図ることすらできず、尖閣問題で外交的解決の足がかりを何に一つ見い出すことができないでいる。

 いわば自分ができていないことをマハティール元首相に勧めたに過ぎない。

 中国との外交関係や中国国内の権状況、あるいはロシア国内の権状況、その他の外国の権状況等々、「積極的平和主義」を実効性ある形で役立てるべき対象には何ら機能させることができずに外交関係や人権状況に特に問題はない国々とは「積極的平和主義」の認識を一致させることができる。

 まさに安倍晋三にとって「積極的平和主義」とはポーズそのもので、ポーズでしかない「積極的平和主義」を掲げて各国を訪問しているのだから、実質的にはこれだけの外国を訪問したと記録を打ち立てる以外の目的はないはずで、訪問するときの格好の売り込みのネタが「積極的平和主義」 に過ぎないといったところなのだろう。

 安倍晋三という政治家自身の正体すら、分かろうというのものである。

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橋下徹の自分は別れずに他人に別れを勧めるご都合主義な政界再編

2014-05-23 08:46:43 | Weblog




      生活の党PR

       《5月19日(月) 小沢一郎生活の党代表 定例記者会見要旨》

      『政府の自衛権に対する見解、不可解な議論と言葉が横行している』

      【質疑要旨】
      ・集団的自衛権について
      ・日本維新の会とみんなの党、「自主憲法研究会」立ち上げについて
   
      《青木愛幹事長代理「地方教育行政法改正案」賛成討論 》

 日本維新の会と結いの党が合流に向け、基本政策に関する詰めの協議を行っているという。

 但し憲法改正を巡って石原慎太郎と橋下徹両共同代表の間に意見の違いがあり、2013年3月30日制定の日本維新の会綱領で石原慎太郎の主張を採り入れた憲法改正を謳っているのだから、意見の違いがあること自体がおかしなことだが、結の党と石原慎太郎の憲法観にも違いがあって、結の党から見て石原慎太郎が合流の阻害要因――邪魔者となっているようだ。

 愛人が男に向かって、「私を取るの、奥さんを取るの」と迫るような場面がいつかは出てきそうだ。

 石原慎太郎はかねてから自主憲法制定論者である。自主憲法論とは、「日本国憲法を無効もしくは、成立過程において不備があったために、日本独自で新しく憲法論議をし、前憲法破棄、新憲法を制定しようとする考え方」と「Weblio辞書」)に書いてある。

 日本維新の会綱領は第一番に次のように掲げている。

 「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる。」

 これが石原慎太郎の主張を取り入れた日本維新の会の憲法改正政策であり、当然、この政策は自主憲法制定の文脈で書き入れてあることになる。

 だからこそ、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶」だと、現日本国憲法をミソクソにやっつけることができる。ミソクソにやっつけながら、日本国憲法を土台とした新憲法と言うことなら、矛盾も矛盾、まるきり矛盾することになる。

 もし日本国憲法がこのような「元凶」だったとすると、絶対平和は唱えただけで向こうからやってくるものではなく、政治と国民の努力によって自らが構築するものだから、戦後の政治と国民の努力は存在しないが如く無効であったことになる。そしてこのような無効の結果、日本は「孤立と軽蔑の対象に貶め」られたということになる。

 何のことはない、自分たちが悪かったということではないか。

 5月19日、日本維新の会が国会内で開催した野党再編に関する両院議員懇談会で、石原慎太郎は結の党との合流に反対している。

 石原慎太郎「ちまちました再編などやるべきではな い。極端なことを言えば、憲法改正を進めるため、自民党と連立を組む選択肢もありだ。

 結いの党とは政策も理念も異なり、合流には断固反対だ」(NHK NEWS WEB

 石原慎太郎の合流断固反対表明を受けてのことなのだろう、2日後の5月21日、橋下徹と石原慎太郎の両巨頭会談が行われた。

 会談で石原慎太郎は自身が求める自主憲法制定の趣旨が基本政策に盛り込まれるなら、合流に反対しない考えを示したのに対して橋下徹が、その趣旨を基本政策に盛り込む考えを伝えたと、5月22日付け「NHK NEWS WEB」記事が関係者の話として報道している。

 石原慎太郎(橋下徹の提案を前提に)「結いの党と憲法観は異なるが、自民党の『一強多弱』の状況を打破する必要性は理解できる」

 対して結の党の反応。5月22日の党代議士会。

 柿沢結の党政策調査会長「石原、橋下両氏の会談で話し合われたことは、維新の会の中の話だ。『自主憲法』という文言が入っている以上、認められない」(NHK NEWS WEB/5月22日付け)

 結の党の石原式、あくまでも石原式である、自主憲法制定論に対する拒絶反応は強い。日本国憲法を「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶」などと絶対否定的に価値づける憲法論は石原慎太郎とその一派、いわば旧太陽の党の面々独特のものであろう。

 そもそもからして橋下徹と石原慎太郎は政策に違いがあった。

 2012年4月14日、当時都知事の石原慎太郎が訪米、ワシントンで記者会見している。この当時、野田政権が大飯原発再稼働要請に踏み切る決断をしていた。

 石原慎太郎「(経済に於ける)原発の比重を考えず、反対と言っても自分の首を絞めるようなものだ。原発を全廃した途端に、生活が貧乏になっていいのかという話だ」(スポニチ

 対して当時の橋下徹大阪市長は大飯原発再稼働に反対していた。2012年4月24日の橋下大阪市長と藤村官房長官の会談

 橋下市長 「科学者や原子力安全委員会のコメントがないなかで、安全性の問題を政治が判 断するのはいかがなものか。政権が安全宣言したのは絶対におかしく、福島の事故前の平時の再稼働の手続きで進めるのは納得いかない」――

 2012年11月29日発表の日本維新の会衆院選公約と同時に公表した「政策実例」

 「原発政策のメカニズム、ルールの変更。既設の原子炉による原子力発電は2030年代までにフェードアウトする」 

 翌日2012年11月30日石原慎太郎記者会見。

 石原慎太郎「今から30年代に原発をなくすなんて非常に暴論に近い。(公約を)直させる。橋下徹代表代行とも合意している。

 経済をシミュレーションした先に原発を考えなかったら、私はやっていられないし、代表を辞める」(TOKYO Web

 核についての橋下徹と石原慎太郎の政策の違い。
 
 石原慎太郎月刊「文芸春秋」2012年11月号発言。

 石原慎太郎(尖閣諸島を巡り緊張が高まる中国に対抗するために)「最低限核兵器のシミュレーションが必要だと考える。強い抑止力として働くはずだ」

 この記事発言を受けて、11月8日、大阪市役所での記者会見。

 橋下徹「考えることは大いに結構だ。核を日本が持つかどうかを前提とするのではなく、安全保障で核の役割を考えるのは政治家としてやらなければいけない。

 日本が置かれた状況下で、核保有を目指すと公言することは日本維新の会では、あってはならない}(以上、YOMIURI ONLINE)――
 
 橋下徹が認めたのはあくまでも安全保障上の核の役割の議論であって、核保有ではない。

 だが、石原慎太郎は、「最低限核兵器のシミュレーションが必要だ」と言っているが、限りなく核保有衝動を抱えている。

 石原慎太郎、2012年11月20日東京・有楽町日本外国特派員協会での講演。

 記者「石原氏はナショナリストだと思われている。軍事力を強化するより外交を追求した方がいいのではないか」

 石原慎太郎「軍事的な抑止力を強く持たないと、外交の発言力はない。今の世界の中で核を持っていない国は外交的に圧倒的に弱い。核を持っていないと発言力は圧倒的にない。防衛費は増やさないといけない。私は、核兵器に関するシミュレーションぐらいやったらいいと思う。これは一つの抑止力になる。持つ持たないは先の話だけど。(これは)個人(意見)です」 asahi.com) ――

 石原慎太郎「核を持っていないと発言権が圧倒的にない。北朝鮮は核開発しているから、米国もハラハラする」(毎日jp)――

 「シミュレーション」という言葉を挟んでいるが、日本は核を持てと言っているのと変わらない趣旨の発言となっている。

 かくかように二人の国の行方を左右する重要政策に違いがある。

 だが、橋下徹は太陽の党を率いていた水と油程も政策の違う石原慎太郎を日本維新の会に受入れ、代表者の地位に据えた。

 201211月18日のテレビ番組。

 橋下徹 「一国民として石原首相を見たい。石原首相と僕に任せてほしい」(TOKYO Web

 この熱の入れようである。男が女性に寄生するヒモ的存在を正体としていることに気づかずに女性の方が一方的に熱を入れている関係に似ていないこともない。

 もし結の党が日本維新の会との合流を実現させるために石原慎太郎の自主憲法制定を両党合流の基本政策に盛り込むことを認めたなら、結の党は主体性を失うことになるだろう。他の野党から、頭数を増やすための野合の批判を受ける恐れもある。少なくとも結の党議員の側は後ろめたさを抱えることになり、それがトラウマとなって、尾を引かない保証はない。

 核政策についても、石原慎太郎の核保有衝動がいついかなるとき問題を孕むことになったとしても、不思議はない。

 橋下徹は2013年12月10日、様々な勢力で一つの党を成り立たせている民主党に対して分党のススメを説いている。

 橋下徹「民主党の中は完全に政治的な価値観で両極端になっている。そこまで決定的に考え方が合わないなら、別れた方が国のためだ」(MSN産経)――

 日本維新の会の中が「完全に政治的な価値観で両極端になっている」ことは棚に上げて、他党のことをあれこれ言う。ご都合主義以外の何ものでもない。

 このご都合主義は松井日本維新の会幹事長の発言にも現れている。5月21日夜、石原、橋下、松井と名古屋市内で会談。翌5月22日午後、記者団に発言。

 松井幹事長「憲法改正は国民が1票1票を投じて自主的に決めるものなので、憲法改正をして自主憲法をつくるという言葉の使い方に間違いはない。憲法の破棄は一切ない」(NHK NEWS WEB)――

 国民が「自主的に決める」ことと、「自主憲法」とは似て非なるものであるにも関わらず、「言葉の使い方に間違いはない」と、それを同列に扱うご都合主義な薄汚いゴマカシを働かせている。石原慎太郎の自主憲法論は繰返しになるが、日本国憲法を「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶」として全否定した上で、新たに憲法をつくることを本質的な構造としている。

 もし日本維新の会が自らの憲法政策を石原慎太郎の自主憲法制定論で統一するというなら、結の党との合流は野合となる恐れから断念すべきだし、自民党と対決するためにどうしても結の党との合流が必要だというなら、例え一時的に頭数を少なくするとしても、旧太陽の党、そして似たり寄ったりの日本創新党と袂を分かつ以外に道はないはずだ。

 結の党が頭数の一致に拒絶反応を示している以上、主体性という点で、その拒絶反応を今さら捨てる姿勢を示すことができないだろうから、政策で一致させる以外に選択の余地はないはずだ。

 日本維新の会衆議院議員53名の勢力の内、旧太陽の党12名と日本創新党2。参議院9名のうち旧太陽の党3名の合計17名。

 衆議院結いの党9議席と参議院結いの党5議席の14議席。3議席減らすことになるが、政策一致を政界再編の厳格な基本姿勢とすることになって、他の野党議員の個々の合流にしても、党全体の合流にしても、合流後の党運営と政策運営はよりスムーズになるはずだ。

 石原慎太郎一派追放後の日本維新の会にしても、政策一致を旗印に掲げることによって他の議員に対する吸着力を増すはずだ。

 橋下徹はご都合主義を性格としているにしても、石原慎太郎のためのご都合主義はもうやめるべきだろう。

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個人性から出た行動を民族で価値づける日本人が存在する限り、日本民族優越意識は永遠の命を獲得する

2014-05-22 09:30:46 | 政治

 


      生活の党PR

       《5月16日(金)鈴木克昌生活の党代表代行・幹事長定例記者会見要旨》

      『安全保障の問題、国会で徹底的に議論すべき』

      【 質疑要旨 】
      ・集団的自衛権に関する議論について  
      ・衆議院選挙制度改革について      

  ――日本人の立派な善行・功績は民族で価値づけ、悪行・不正は個人性で価値づけるご都合主義が日本民族優越意識を蔓延させている―― 

 ちょっと調べ物をするためにインターネットをうろついていたら、 昨年9月、台風18号で増水した大阪市の淀川で溺れていた小学生を川に飛び込んで助けて、同年11月に安倍晋三から内閣総理大臣感謝状を授与され、同じ11月に天皇から紅綬褒章を授与された中国人留学生厳俊さん(26)が実は中国人ではなく、チベット人だとする説がインタネットに流布しているらしいことを知った。

 らしいと言うのは、流布の状況を詳しく調べたわけではないから、らしいとしか表現しようがない。 
《【悲報】ネトウヨ 「小学生を助けたのは中国人ではなくチベット人」→ソースを求められ、火病る》(READ2CH/2013/09/20) 

1 + 3: リバースネックブリーカー(北 海道)[] 2013/09/20(金) 22:32:02.55 ID:u3sA830y0 (1/1) ポイント特典                                                                                                                      
「人命救助したのはチベット人」という荒唐無稽な話。
どっからわいてきたんだ? とツイートを遡ると、「○○から聞いた」と伝聞元を書いているツイートは
「facebookで小名木善行さんが言っていた」とか「ねずさんからの情報」と記載していました。

検索してみた範囲では、そのほかに引用元を記した発言は出てきませんでしたので、9月19日午後の
時点で「チベット人説」を唱えた発信源は、「小名木善行」氏(旧ハンドルネーム「ねずきち」現HN「ねず」
「ねずさん」、他にweb上では「小名木伸太郎」名の記載も)がfacebook上に書いた発言であろうと思われました。

・FBより:小名木 善行さん テレビなどでは一斉に中国人の美談として過熱報道していますが、この厳俊君、
 中国人は中国人でも、漢民族ではありません。チベット人です。

・中国人留学生の厳俊さんが大阪の淀川で小学生を川に飛び込んで救出しました。中国人の美談として
 報道していますが、この厳俊さんは漢民族ではなくチベット人です。チベット人と漢人はでは民族がまるで
 違い、チベット人のDNAは日本人にそっくりです。

・ねずさん からの情報です。この厳俊君、中国人といっても漢民族ではなく、チベット人だそうです。

・どうりで!納得したよwww (*≧∀≦)ノ☆・゜:*メチャウレシィ☆・゜:*

・淀川で小学生を救ってくれた留学生。 チベット人なんだよね。 中国人って報道するな!

小名木氏曰く「ソースを明かせば、その方に迷惑がかかるから言えない」そうです。
よくわかりませんね。僕個人の感想は彼がチベット人だという根拠が分からないし、
勝手なこじつけだと思うのですが…

 「小名木善行」氏が事実チベット人説をぶち上げたのかどうか分からないが、事実と前提とすると、「小名木善行」は川や海に飛び込んで溺れた人間を人命救助する勇気ある行動は民族の血が為さしめ、民族単位で行われる行動だと価値判断したということにになる。

 このことは、「チベット人のDNAは日本人にそっくりです」の言葉に如実に現れている。いわば人命救助のような立派な行動は日本民族の血として持っていて、日本人も良くする行動だとの言い替えである。

 そして中国人留学生厳俊氏をチベット人だとしたということの意味は、中国人は人命救助するような、中国民族としての血は持っていないと、民族単位で価値判断したということである。

 民族単位で似通った環境の生活を歴史としていることから民族に応じて似通った性格を持ち、そのような性格に基づいた似通った行動を取ることはあるが、何かを為す・為さないの行動はどの民族であっても、至って個人性が影響する。

 民族の血がすべての行動を決めるとしたら、どの民族に於いても犯罪者が存在することは理解できないことになる。すべて犯罪者で成り立っている民族が存在したとき、あるいは逆にすべて善人で成り立っている民族が存在したとき、初めて民族の血がすべての行動を決めると言うことができる。

 そうではないにも関わらず、日本人の悪行・不正は個人性で価値づけながら、中国人や韓国人の悪行を民族の血で価値づけ、一方で日本人の立派な善行・功績は民族の血から出た行為と価値づけて、中国人や韓国人の立派な善行・功績は民族の血とは無関係の行為と価値づけようとする、矛盾したご都合主義の民族価値論とも言うべき言論が横行している。

 自民族の立派な善行・功績だけを民族の血で価値判断する偏った考えは自民族優越論を蔓延させる病根としかなり得ない。

 「小名木善行」の上記「チベット人説」を批判する記事にも、民族単位で人間を価値判断している記述があった。

 〈中国は広いので、地域によって顔も体格も違う。あの手のゴツい顔と体格は、北の出身です。チベット族はもっと貧相。そもそも泳げないw ネトウヨの「国籍透視」は何の根拠もない妄想だけなので、信用できない。中国に行って、25年くらい放浪して来いw〉――

 日本人が書いたのか、在日中国人が書いたのか、あるいは中国系日本人が書いたのかは分からないが、〈チベット族はもっと貧相。そもそも泳げないw〉と民族単位で、あるいは民族の血で個人性を括っている。

 チベットに海は存在しないが、湖もあれば、川もある。調べたところ、インダス川はチベット自治区のマナサロヴァル湖近くのチベット高原から始まり、中国領、インド領、パキスタン領を流れて、アラビア海に注いでいる。

 湖や川が存在したなら、泳げるチベット人の存在の可能性は否定することはできない。日本人はかつて海水浴の習慣がなく、明治以降、外国人の海水浴の影響を受けてその習慣を身につけるに至ったそうだが、その習慣がない時代であっても、武術としての水泳は存在していた。

 子どもたちが川で水遊びして、身体的本能から自然と泳ぐことをした可能性にしても否定できない。少なくとも犬の泳ぎを真似て犬かきぐらいはしたと考えることはできるはずだ。

 ネトウヨを批判しながら、ネトウヨが犯しやすい個人の行動を民族単位で価値判断する過ちに自らも陥っている。

 「小名木善行」なる人物がどのような主張を行っているのか、ネットを調べてみた。

 「民族の価値観」ねずさんのひとりごと/2013年12月18日) 

 米国憲法と大日本帝国憲法を比較した上で、次のように記述している。

〈ところがわたしたちの国では、頂点におわす天皇は、政治権力者ではありません。
その政治権力者を親任するお立場です。
つまり天皇は、政治権力者よりも上位のお立場にあります。

わたしたちは、天皇の民であることによって、政治的権力者や、人の上に立つ人にとっての私有民や奴隷となることなく、また人の上に立つ人たちは、常に部下たちは天皇や親御さんから預かった人たちとなるという、世界に類例のないありがたい立場に、古代以来、一貫しておかれてきたのです。
これは究極の民主主義といえます。
なぜなら、民衆が政治権力者の私物にならないからです。

大日本帝国憲法の前文に示されている理念は、わたしたちの国が、古来から持ち続けていた天皇と公民の概念、そして君民一体の思想です。〉――

 そして、〈この君民一体こそが、日本に古来からある歴史伝統文化に基づいた無意識に共有する理念ないし価値観です。〉と、これを以っ て「民族の価値観」だと結論づけている。

 米国憲法は今に続く憲法であるが、大日本帝国憲法は廃止されて既に存在しない憲法である。民主化された日本の現代に於いてそれを比較することに辟易するばかりか、大日本帝国憲法の精神が未だに生きているとして、そこに民族の価値観を求めている。

 生きているのは安倍晋三やその他の一部の日本人の血の中だけであるはずだ。

 「君民一体」と言うが、日本の歴史上、長くという身分が存在していた。

 【】(ごしきのせん)「養老戸令(こりょう)に規定された五種類の。(りょうこ)・(かんこ)・官(くぬひ)とも)・家人(けにん)、(しぬひ)の総称。このうち・・官は官銭とも呼ばれて、朝廷に隷属し、家人・は私賤とも呼ばれて、氏(うじ)や個人などの私的な支配を受けた。

 なお、大宝戸令でははとされておらず、養老令で新たにに加えられた可能性が高い。従って大宝令ではは四種類だったと思われる。」(『日本史広辞典』/山川出版社)

 に対して賤しくない存在として「良民」(りょうみん)が対置されていた。

 【良民】「律令制の身分用語。良賤制という身分制度において、に対比される人民で、特に日本では課役を負担する公民と同じく、「オオミタカラ(大御宝)」(=天皇の民)と訓じられる。良民という語自体は中国からのもので、礼的秩序内の存在という意味も持っていたが、日本ではその意味はなかった。」(『日本史広辞典』 /山川出版社)

 良民がどのような名称で段階づけられていたか「Wikipedia」で調べた。

 〈官人(官吏・役人)、公民(課役負担の一般人)、品部(しなべ、又はともべ・宮中使用の物資生産者・技術伝習者)、雑戸(ざっこ・一般的手工業者)〉の四種類だそうだ。

 かくこのように日本国家のそもそもの成り立ちのときから、身分差別が存在し、決して平等ではなかった。天皇の民=君民一体は良民止まりで、は君民一体の埒外に置かれていた。君民一体は幻想でしかないと言うことである。〈天皇の民であることによって、政治的権力者や、人の上に立つ人にとっての私有民や奴隷となることなく、また人の上に立つ人たちは、常に部下たちは天皇や親御さんから預かった人たちとなるという、世界に類例のないありがたい立場に、古代以来、一貫しておかれてきたのです。〉と言い、この制度を以って「究極の民主主義」だと宣っているが、人間を支配と被支配の上下差別に区別していた。

 中世以前から存在し、江戸時代も存在した、現在に於いて民と名を変えて差別が残る、などの職業に従事することを穢れた生業(なりわい)と見做して、その職業に就く者をと称し蔑んだり、罪人をの身分に落として、一生穢れた存在とする人間区別を歴史・文化としてきた。

 士農工商も身分制度である。武士に人間として最高級の価値を置いていた。農民が二番目となっているが、生産する米が日本の経済を支えていたことから、便宜的に2番目の身分に置かれていただけで、多くの農民の現実は、最低の生活を強いられていた。年貢を納めることができずに田畑を棄て、村を出奔する「逃げ百姓」は跡を絶たなかったし、女房を質に入れて、年貢を金銭に変えて支払う農民、妻が出産しても、食べさせていけないからと生まれた子を殺して捨てる「間引き」も行われていたというし、明治・大正・戦前昭和・戦後昭和の一時期は生まれた女の子は幼い内に身売りに出された。

 戦前以前の日本の国を君民一体の世界だと美化し、理想化することは日本民族優越意識から発した思想以外の何ものでもない。この手の思想が日本民族優越意識を現在も生きづかせ、永遠の命を与えるのに役立っている。

 このような日本民族優越意識こそが歴史に対する目や自民族に対する目だけではなく、他民族に対する目を曇らせる。

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