仲井真沖縄県知事が12月27日、政府提出の普天間基地移設先辺野古沖埋め立て申請を、自身の県知事選公約、「県外移設」を裏切って承認した。
そのくせ、「県外移設」の主張は捨てないと言う。
政府にしたら、埋め立て承認を獲ち取ったなら、最早県知事の主張などどうてもいい。埋め立てに対する反対運動を如何に排除して埋め立てを進め、如何に基地を建設して移設にまで持っていくかにかかっているからだ。
要するに仲井真知事は県知事選での「県外移設」の公約に破綻はないことを見せかけるポーズを取ったに過ぎない。
仲井真知事は埋め立て申請承認の理由の一つに知事が政府に要請した普天間基地5年以内運用停止に対して安倍晋三がその取組を確約したことを挙げているが、米側は代替基地の完成次第だとしている。新しい家が用意できなければ、引っ越しはできないというわけである。
日米にできることは普天間基地で行われている訓練の一部本土への移転ぐらいのものだろうが、部隊の機動的一体運用とかが障害となって、その場凌ぎの危険性除去で推移し、辺野古完成まで根本的解決とはならないはずだ。
自民党から民主党に政権交代後の最初の民主党首相鳩山由紀夫は県外移設を掲げて奔走したが、迷走の末、県内辺野古沖に日米合意を果たした。
理由は鳩山由紀夫の説明によると、外務省が県内と決めていて、積極的には県外で動かなかったこと、そして誰が見ても明らかな理由は本土の県知事が自身の自治体内への移設を誰も引き受けなかったことを挙げることができる。
大阪府知事時代の橋本徹は最初は大阪で引き受けるような勇ましいことを言っていたが、自身の言葉に対する責任を投げ捨てて最後には逃亡を図った。
民主党政権下の2009年11月30日。
橋下徹「あくまで個人的な意見だが、政府から正式に(大阪で引き受けてくれないかという)話があれば、基本的に(議論を)受け入れる方向で検討していきたい」
6日後の12月6日の近鉄花園ラグビー場(東大阪市)、ジャパンラグビートップリーグ公式戦。
橋下徹(観客に向かって)「ラグビー精神で一番好きなのが、『One For All All For One』。1人はみんなのために、みんなは1人のためにとの思いで、やっていたが、『沖縄は日本のために 日本は沖縄のために』。沖縄が孤立している。全国で沖縄の基地問題を考えましょう」
たった6日の間に大阪という一自治体を移設対象とした受け入れ姿勢から「全国」を移設対象とした受け入れ姿勢へと後退させている。
この舌の根が翌日の12月7日、1日で乾くことになる。
橋下徹「(防衛政策は)国の権限。僕が動くことではない。府として具体的な検討や国への提案を行う考えはない」――
鳩山由紀夫は2010年5月27日、「沖縄の負担を分かち合う」ための全国知事会議を要請した。だが、4割近い18知事が欠席。基地負担を要請されることは分かっていたからだろう。
尤も出席したからといって、進んで基地引受けを申し出た知事は一人としていなかった。橋下徹だけが理解を示した。
橋下徹「基地を負担してないので真っ先に汗をかかないといけない。できる限りのことはしたい」――
だが、既に触れたように示したのは理解だけで、行動で以って示すことはなかった。
橋下徹も含めて最終的に日本国土の7%しかない沖縄の土地に米軍基地が日本全体の70%も存在するアンバランスな事実を不公平な差別と考える知事は一人として存在しなかったことになる。
このような差別は過剰過ぎる沖縄の基地負担を何とも思わない、あるいは何とも感じない思考構造を基本としているはずだ。
また、この傾向は自治体の長や中央の政治家のみの思考ではなく、日本人一般の傾向としてあることは世論調査を見れが簡単に理解できる。
2013年12月月14日、15日実施の「朝日新聞」沖縄県民世論調査。
「仲井真知事は埋め立て申請を承認すべきか」
「承認すべき」22%
「承認するべきでない」64%
「辺野古移設について」
「賛成」22%
「反対」66%
2013年12月14、15日実施の「産経新聞社とFNN」全国合同世論調査。
「辺野古移設について」
「支持する」52・1%
「支持しない」36・1%
沖縄県民と全国民とでは逆転に近い形を取っている。沖縄米軍基地集中を差別とは思わない日本人が多数を占めていることを物語る。
尤も口では沖縄集中を同情することもあるだろう。要するに同情だけである。
そのくせ日本の安全保障を言い募る。無意識下に沖縄の基地負担を予定調和とした日本の安全保障云々である。
なぜこのような沖縄差別――差別の思考構造が存在するのだろうか。単に新たに基地を持つことになる損得の利害計算からの差別なのだろうか。
日本人は元々の純粋な日本人ではなかった沖縄人に対して元々の日本人ではないことを理由とした差別感情を持っていた。この差別感情が反映した沖縄の過剰な基地負担を何とも感じない、日本人の思考構造ということはないだろうか。
2010年12月20日の当ブログ記事――《沖縄、歴代政府の基地問題に関わる不作為な“甘受”を記憶すべし - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いたことだが、日本人の精神の底に巣食っている沖縄人に対する差別感情を振返ってみる。
≪邊境論 これで、あんたたちと同じ≫(朝日新聞夕刊/1999年5月16日)
沖縄出身の女性の戦争中の内地での体験記である。(内地の)〈奥さんはどこで情報を集めたのか、サイパン島の、住民を巻き込んだ悲惨な戦闘の模様を、こと細かに話した。
最後に何気なく言った。
「玉砕したのは、殆ど沖縄の人だったんですって。内地人の犠牲が少なかったのは、せめてもの救いだったんですって」〉――
「邊境論」の「邊境」とは地理的にも人間存在的にも日本の「邊境」に置かれているという意味であろう。生き死にも「内地」という中央ではなく、「邊境」に置いていたから、「内地人の犠牲が少なかったのは、せめてもの救いだったんですって」と言うことができる。
これは一人内地の奥さんの問題ではなく、多くの日本人の一般的な差別となっているから、間接話法を使うことになり、何ら否定していないことによって奥さん自身もその差別を受け入れることができる精神構造をしていて、他の多くの日本人に同調する形を取ったことになる。
いわば奥さん自身も沖縄差別を抱えていた。少なくとも沖縄差別の素地を前々から根付かせていて、サイパン島の玉砕が日本で報じられたのをキッカケにその素地に沖縄差別を気づかないままに芽生えさせた。
「これで、あんたたちと同じ」という記事題名の由来は前出のブログにも書いたが、本土から沖縄に帰郷したその女性が沖縄風の名前をヤマト風に改姓改名して、「これで、あんたたち(本土)とおなじでしょ・・・・」と内地の日本人と同等の立場に立てたとしたときの述懐に基づいている。
だが、現実は名前だけが対等となる表面上の平等に過ぎなかった。明治末期から大正時代にかけて皇民化教育や同化政策を背景に沖縄独特の姓名を本土風に改める改姓・改名運動が起きたというが、日本風に改めさせる本質的理由は当時の日本政府自体が沖縄人を沖縄人として日本人と対等の人格と見做すことはせず、日本人よりも一段低い存在とする差別の価値観で把えていたために沖縄人としての存在性を隠して日本人としての存在性を装わせ、日本人と対等とする歪んだ支配意識に囚われていたからだろう。
このような支配の構図で既に精神に根付いている差別感情を払拭できはしない。支配自体が差別を構造的に内包しているからだ。支配と縦続が差別という形で執行される。
戦前と戦後にかけて朝鮮人差別が激しかった頃、朝鮮人の多くは日本風の姓名を名乗って「通名」とした。だが、通名によって差別がなくなったわけではない。噂や口コミ、あるいは就職面接時の住民票や戸籍謄本の提出で通名であることが露見すると、様々な差別を受けることになった。
朝鮮人は長いこと日本人よりも一段も二段も低い民族として植民地支配のみならず、精神面で日本人の支配をより多く受け、多くの朝鮮人が差別に苦しめられてきた。
この差別は現在も完全にはなくなったわけではない。このことはインターネット上での有名人の在日探りの跡を絶たない蔓延が証明している。有名人の名前と半文字間隔を置いた「在日」という検索文字を見かけない日はないくらいである。
ルーツを探って、在日と確かめて、なる程なと頷く、民族の出自でその人間の価値を定めて一段低い存在に貶める、差別と気づかない差別の意識は自らの人間としての劣りの証明以外の何ものでもない。
日本人の沖縄人差別が日本の戦後の高度経済成長期も生きついでいたことを1年以上も前のテレビ放送で知った。
NHKETV特集『テレビが見つめた沖縄 アーカイブ映像』
2012年5月20日に「沖縄復帰40周年に当たってテレビカメラに残された沖縄を振り返える」と謳って放送されたもので、その中に収められていた1969年放送の『現代の映像 沖縄と本土との間 ~集団就職の記録~』に沖縄人差別が描かれていた。
那覇の中学校を卒業し、本土の紡績工場に集団就職した11人の少女を追ったドキュメントである。
那覇港を離れる大型客船、乗客767人、その内634人が沖縄から本土に集団就職する少年少女たちで、そのうちの11人少女の生活を追跡している。
紡績工場では沖縄の少女たちと同世代の本土の少女たちとの交流が始まる。
沖縄の少女1(インタビューを受けて)「言葉、英語使ってるんじゃないですか(って聞く)。そんな原始的な考え方で質問している人たちが一杯いるんじゃないかと思いますねえ。
それだけ、日本、本土各地で野蛮人扱いしているみたいで、腹が立って仕方がないんです」
沖縄の少女2「風呂に入るのか、裸足(ハダシ)で歩くのかと聞かれた」――
差別意識は優越意識を背景として生じる。当然そこには沖縄の少女たちを自分たちの下に置く精神的な支配意識を弱いながらも漂わせていることになる。
だが、支配の行動は精神的な支配意識から発動される。ただ単に精神的な支配意識で収まっているだけの話である。
1972年制作のドキュメンタリー『そして彼女は?』
〈300円を手に一人の少女がはるばるここにやってきたのは去年の春。本土に渡った沖縄の若者が違和感を持ち、自分の居場所を探す姿を見つめた番組〉だと謳っていた。
仲松清子。農業に憧れ、千葉県の養鶏農家で働きながら、農業研修所に通う少女。しかし7カ月の生活後、彼女は失踪してしまう。
千葉を離れてから住所と職場を7回変えて2カ月前に沖縄に戻った彼女の家を訪ねる。
番組関係者の男性「農業に見切りをつけてやめたの?」
少女「いえ、私の心の中にある農業は違うの。楽観的で、私自身の生き方かもしれないけれども、農業というのは朝目を覚ましたときに小鳥が鳴いていて、それで牛が鳴いていて、それで朝起きたときに缶ジュースを飲むのじゃなくて、目の前に下がっているトマトをもぎって食べるの。
そういうのが農業っていう感じ」
番組関係者の男性「結局、千葉へ行って、あそこをやめて、良かった、悪かった?」
少女「良かった悪かったと言うよりも、あそこにいるとき、自分の心の中に何かしらないけど、モヤモヤしたものが出てきたから、収まりがつかなかったから、何か求めてと言ったらカッコ良いけど、そうじゃなくて、耐えられなくて逃げ出したわけ。とっても寂しんだよね。寂しいと言うよりかさ・・・・」
(屈託なげにハキハキした口調で明るく話す。)
彼女は沖縄に旅行で来た男性と結婚、夫のふるさとの京都府宇治市に暮らして35年。中川姓に変わっている。NHKのスタッフが訪ねて、その後をインタビューする。
それまでの35年の結婚生活で忘れられない夫の言葉がある。
女性解説「『奥さんは本土の人の子を生んだから、沖縄に帰ったら、手柄になるだろう』。長男が生まれたとき、夫が友人から言われ、そのまま清子さんに伝えた言葉」
中川清子「二人目の子どもにオッパイを飲ませている時です」
女性解説「夫はそうなんだと思い、そのまま妻に伝えた」
中川清子「私には分からないですね。ハイ、家で。普通に台所で、お茶を飲んでいた時に。
あの人はちょっとお酒を飲んでいましたしね。『俺、聞いたんだけどなーあ』って。『何?』って言ったら、そう言うんですよ。
あの、民宿なんかでも、ここはないちんく(?聞き取れない。内地〈=本土〉の人間が座る場所?)ここはうちなんちゅうく(うちなんちゅう=沖縄人が座る場所?)グループというみたいに分かれて、飲まわれるんですよね、お酒って。同じ所に泊まっても。
で、その内地の人達だけ集まるっていうグループで、『あんたんとこのおかみさん、多分、沖縄に帰ったら、手柄やで』と言って。
で、うちの人も、そうなんだ、とそのまま私に伝えてくれたんですよ。
『あんた、その時何で言わなかった?(左手の指を右手で一本一本折り曲げて)こんなに元気で、働き者で、こんな、可愛い嫁さん貰って』
『俺はそれは手柄やけど、うちの奴を貰ったっていうのはあまり意識ないなあ』
『何で、そんとき言わなかった?』って怒ったんですけど、『何でお前はそのことを素直に、俺が手柄なのが、お前を嫁に貰ったことではなくて、うちなんちゅう(沖縄人)を貰ったっていうことを、こんなにちゃんと言っているのに、何でお前は分からへんのや』
その辺でもう、全然思いが違ってしまって、あ、この人とは通じない言葉があるんだなあと思って、日本語が通じないんですよ。思いと言うか、価値観と言うか、通じないのだなあっていうのがあって、ああ、何か寂しいなあって思いがあって――」
現在、夫の寝たきりの母親の介護に生き甲斐を見出しているという。
沖縄では本土の日本人の男性と結婚したことが沖縄女性の手柄となると価値づける本土の日本人の価値観は沖縄女性よりも遥かに日本人男性を上に置いた優越的差別観から出ているはずだ。
だから、男女対等の結婚ではなく、貰ってやったという感覚が出てくる。
しかも伝統としてあった差別観であった。個人的存在性を見ずに沖縄人という民族的存在性を基準として価値づけた一種の人種差別を日本人は伝統としていた。
この差別という人間存在を蔑ろにする日本人の沖縄人に対する精神性が現在も無意識下に生きづいていて、日本国土の7%の土地しかない狭い沖縄に米軍基地が日本全体の70%も集中していることに何とも思わない、ある意味当たり前としていて差別だと思わない差別的予定調和をつくり出しているように思えてならない。
そうとでも考えないと、沖縄一極集中の米軍基地偏在に納得のいく答を見い出すことができない。
沖縄が持つ“地理的優位性”のみを理由としたのでは7%の沖縄に対する70%の米軍基地は到底理解し難い。
安倍晋三の靖国神社参拝に関して今まで書いてきたこととかなり重なる部分があるが、参拝を「戦没者に尊崇の念を示し、不戦を誓うための参拝」だと正当化していることの意味と、なぜ安倍晋三をしてそう言わせているのかの理由のみに絞って書いてみたいと思う。
12月26日に軍国主義者・国家主義者安倍晋三は第2次安倍政権発足1年を期して靖国神社を参拝し、参拝後、神社内で記者団に参拝の説明をしている。
安倍晋三「本日靖国神社に参拝を致しました。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、そしてみ霊安らかなれと手を合わせて、参りました。
・・・・・・・・・・
全ての戦争に於いて命を落とされた人々のために手を合わせ、ご冥福をお祈りをし、そして二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことの無い時代を創るとの決意を込めて不戦の誓いを致しました」――
そして同日首相官邸HPに、《安倍内閣総理大臣の談話~恒久平和への誓い~》を載せている。
安倍晋三談話「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。
・・・・・・・・・・
日本は、二度と戦争を起こしてはならない。私は、過去への痛切な反省の上に立って、そう考えています。戦争犠牲者の方々の御霊を前に、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を、新たにしてまいりました」――
だが、参拝が中韓はもとより、アメリカからも批判を受け、さらに欧米各国のマスコミが批判記事を載せるに及んで、菅官房長官は安倍晋三の参拝は「戦没者に尊崇の念を示し、不戦を誓うための参拝だった」ことを政府側見解として説明し、理解を求めていく態度を取っている。
参拝同日12月26日午後の会見。
菅官房長官「首相の(参拝の)趣旨は、国のために戦い、尊い命を犠牲にした方に尊崇の念を示し、不戦を誓い、平和の国を誓う。そういう趣旨を関係諸国に理解いただけるように、首相の談話を英文で海外にも発信した」(ロイター)――
戦前の「万世一系の天皇之を統治する」大日本帝国という全体主義国家・国家主義国家が起こした戦争に対して、そのような国家のために戦い、尊い命を犠牲にした将兵たちという天皇と国家を主体とし、国民が天皇と国家に従属した国家と国民の関係の中で演じられた天皇奉仕・国家奉仕は敗戦を期してGHQによって断絶させられ、戦後日本国憲法によって国民主権となり、大日本帝国を統治していた天皇は主権の存する日本国民の総意に基いて日本国及び日本国民統合の象徴とされ、新しい、だが欧米では当たり前の国民を主体とした国民と国家の関係を築くこととなった。
いわば「国のために戦い、尊い命を犠牲にした」という国民の国家奉仕に見る国家主体・国民従属の国家と国民の関係は戦前の日本国家という空間で演じられた国家と国民との間の関係性であった。
当然、靖国神社を参拝して、「国のために戦い、尊い命を犠牲にした」と讃える国家と国民との関係性は靖国神社が戦後の民主国家日本という空間に所属していることに反して戦前の日本国家という空間に於ける国家と国民との関係性の称賛と顕彰に他ならないことになる。
いわば右翼の軍国主義者安倍晋三やその他同じ穴のムジナたちが靖国神社を参拝して、「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福」を祈るのは鎮魂の意味を持たせているものの、そのような鎮魂の姿を借りた戦前日本国家称揚の儀式でしかなく、この儀式は戦後の日本国家に戦前の日本国家を連続させていることによって可能となる。
だから安倍晋三とその一派は戦前日本の戦争を侵略戦争と認めるわけにはいかない。認めた場合、戦前の国家と国民との関係性を戦後の日本に持ち込むことはできなくなるからだ。
靖国神社で戦前の日本国家に於ける国家と国民との関係性を再現しているのである。
このような戦前から戦後へと向けた国家と国民との在り様の連続性への欲求は戦前の大日本帝国という国家を他の国に、特に西欧の国家に優越せる特別の国家と見做していることによって成り立ち可能となる。
戦前の多くの国民を捉えていた日本民族優越主義である。
もし戦前の軍国主義が吹き荒れた一時代を日本に於ける負の歴史だと否定的に把えていたなら、「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して」、「尊崇の念を表」すとする戦前と戦後の国家と国民との関係性の連続性にしても否定の対象となって、戦前の日本国家を優越せる特別の国家と見做す、いわば日本民族優越主義も成り立つはずもなく、戦前と戦後を断ち切って、時代を厳密に区分けしていたはずである。
だが、どのような区分けも行わずに戦前と戦後に連続性を持たせている。この連続性の暗流をなしている思想が戦前の日本国家を他の国に優越せる特別の国家と見做す日本民族優越主義であって、その戦前から戦後への持ち越しを靖国神社で追悼の形で表現しているということなのだろう。
戦後の靖国神社に於ける鎮魂と戦前日本国家称揚の儀式は日本民族優越主義を裏付けとしているということである。
いわば「国のために戦い、尊い命を犠牲にした方に尊崇の念を示」すとは 戦前の「万世一系の天皇之を統治する」大日本帝国という全体主義国家・国家主義国家を一般的な「国」に置き換えて、隠し絵のようにその姿を見せない役目を持たせた装置であって、そのことによって言葉に正当性を与え、さらに実体としてあった国の姿を隠し絵とすることで戦前と戦後に連続性を与えている日本民族優越主義の思想をも隠し絵とする効用が、そこには働いている。
戦前の日本国家の国家主体・国民従属の国家と国民の関係と戦前から引き継いでいる日本民族優越主義を隠し絵とした、実際の姿は鎮魂の姿を借りた戦前日本国家称揚の儀式となっている以上、「不戦の誓い」のための参拝だとするのは前者を正当化するための奇麗事に堕することになる。
我々は安倍晋三が戦後の現在に至っても熱烈な天皇主義者であることを忘れてはならない。天皇を国民主権であるはずの戦後日本国家の中心、あるいは頂点に置いているということである。
この天皇の位置づけも戦前の日本国家と戦後の日本国家の連続性の象徴的証明以外の何ものでもない。
我が日本の国家主義者安倍晋三が2014年2月7日のロシア・ソチ冬季五輪開会式を欠席すると「毎日jp」記事と「YOMIURI ONLINE」記事が伝えている。
理由は「北方領土の日」の日と重なるからだという。
内閣府のHPに、「2月7日は『北方領土の日』」として次のように記述されている。
〈2月7日は「北方領土の日」です。1855年のこの日に、日魯通好条約が調印されたことにちなみ、北方領土返還要求運動の全国的な盛り上がりを図るために設定されました。
毎年、「北方領土返還要求全国大会」が、東京で開催されるほか、この日を中心として全国各地で講演会やパネル展、返還実現のための署名活動などさまざまな取組が行われています。〉――
「北方領土返還要求全国大会」には首相や外相などの政府代表や衆参両院代表、各政党代表の出席が慣例となっているという。
但し開会式には欠席するものの、2月23日までの五輪開催中にソチを訪問、プーチン大統領と首脳会談を開く方針でいるそうだ。
ソチ五輪開会式に関しては12月21日(2013年)の当ブログ記事――《安倍晋三は各国首脳によって人権意識を試す踏み絵と化したソチ五輪開会式にどう身を処すのか - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に既に書いたが、ガウク独大統領が同性愛宣伝禁止法を始めとするロシアの人権政策に抗議するために欠席の方針を決めてロシア政府に伝えたと12月8日の週刊誌シュピーゲルが伝えたのを始めとして、レディング欧州委員会副委員長、オランド大統領、オバマ米大統領とミシェル夫人、バイデン副大統領が欠席を表明している。
ガウク独大統領以外は欠席の理由は明確にはしていないが、プーチン大統領署名によって2013年6月29日制定された、同性愛者を社会的に有害な存在として差別し、その人権を侵害することになる「同性愛宣伝禁止法」や政府批判者に対する拘束と恣意的な法執行による重罰、ジャーナリストやNPO等の活動に規制を課す法案の可決による活動や言論の自由の制限等々に見ることができる基本的人権の抑圧政治に対する抗議の意思表示だと、内外の大方のマスメディアは見ているし、他に欠席理由を見い出すことができないことからも、そうであることは確かである。
いわば人権抑圧のプーチン政治に対する抗議の意思表示として各国首脳がソチ五輪開会式欠席で足並みを揃えている状況にある中で我が日本の安倍晋三は五輪開会式欠席を「北方領土返還要求全国大会」出席を理由として、一人足並みを揃えない状況に自身を置いている。
この違いは欧米各国首脳との人権意識(=人権擁護意識)の違いの反映として現れた、それぞれの状況でもあるはずだ。
もしロシアの人権状況に憂慮を抱くだけの人権意識を抱えていたなら、例え「北方領土返還要求全国大会」の日と重なったとしても、欧米各国首脳と足並みを揃えて、欠席の理由を明確にしないことによって暗にロシアの人権状況を理由とした欠席であることを仄(ほの)めかす人権意識を示し得たはずである。
だが、そういった方法は採らなかった。ロシアの人権状況に無感覚であり、何ら憂慮もしていない様子しか窺うことができない。
北方領土返還要求はロシアに対するものである。今年4月29日のモスクワ・クレムリンでの安倍・プーチン首脳会談で、北方領土問題を巡る交渉を再スタートさせ、双方に受け入れ可能な形で最終的な決着を図って、平和条約の締結を目指すことで合意していて、既に北方領土問題はデモンストレーションとしての「返還要求」から具体的な交渉を手段とした「返還要求」へと政治日程入りしている。
いわば「北方領土返還要求全国大会」出席を優先させる理由はない。優先すべきはあくまでも安倍内閣の北方領土返還に関するロシアとの交渉の場に於ける外交能力の有効化である。
領土問題の事務的な交渉を担う日ロ次官級協議の第1回協議が今年の8月19日にモスクワで開催されたが、具体的進展はなかったものの、ロシアで9月開催のG20サミットに合わせて日ロ首脳会談を行うことやテンポよく政治対話を進める考えで一致している。
この決定によって9月5日、安倍・プーチン首脳会談が、開催され、領土問題は話し合わなかったものの、11月1~2日にラヴロフ外相とショイグ国防相が訪日して外務・防衛閣僚級「2+2」を開催することを決めている。
麻布台外務省飯倉公館で開催の「2+2」に於いても領土問題は議論しなかったが、日露の安全保障問題を話し合い、幅広い分野での安全保障・防衛協力を進めることで一致、ゆくゆくは信頼関係の醸成に結びつく関係強化を約束している。
この9月5日の「2+2」前の10月7日、APEC首脳会議出席でインドネシア・バリを訪問していた安倍晋三とプーチンはここでも首脳会談を行っている。
ここでも領土問題は議論されなかったが、安全保障分野での協力深化、人的交流等を話し合うことで両国関係の強化を謳い、領土問題解決の土壌づくりを進めている。
そして事務的に領土問題の進展を図る第2回目の日ロ次官級協議が来年の1月31日東京での開催が決まった。全ては政治家・官僚のタッグマッチによる外交能力発揮にかかっている。
「北方領土返還要求全国大会」出席をソチ五輪開会式欠席の理由とする合理性がどこにあるのだろうか。
だが、欧米各国首脳のようにロシアの人権状況に対する忌避意識からではなく、前者の出席を理由として後者の欠席を決めた。
右翼の軍国主義者安倍晋三に欠けているものはロシアの人権状況から感取すべき自らの人権意識に基づいたあるべき人権状況ということになる。暗にロシアの人権状況を欠席理由とすることは今後の領土交渉を考えてプーチンに対して遠慮があったかもしれないが、実際に遠慮があったとしたら、領土交渉は領土交渉、人権問題とは別問題だと割り切ることができない外交意志の薄弱さを示していて、割り切ることができないこと自体がやはり自身の人権意識の希薄さを起点とした遠慮であることを物語ることになるはずである。
そうである以上、遠慮があったなしのどちらにもに関係なく、また「北方領土返還要求全国大会」出席をソチ五輪開会式欠席の理由とする合理性がどこにもないにも関わらず、「北方領土返還要求全国大会」出席をソチ五輪開会式欠席の理由としたことになる。
上記当ブログにも触れているが、安倍晋三は「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」といった普遍的な価値観を自身の外交・安保政策の基本的理念としている。これを以て「積極的平和主義」だと称している。
だが、現在のロシアでは自由も民主主義も基本的人権も法の支配も未成熟の状況にあり、法に恣意的に手を加えた変更等を手段とした国家権力による言論の弾圧、思想・信教の自由に対する抑圧等が公然と行われている。
政敵や政府批判のジャーナリスト等に対する暗殺に対してその多くが犯人検挙が未解決な状況は警察と国家権力の癒着の状況を相互反映させているはずである。
だが、このようなロシアの状況に対して自身の外交・安保政策の基本的理念としている「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」といった価値観を欧米各国首脳がソチ五輪開会式を機会としてロシアに認識させようと試みているのに対して何ら試みることもなく、プーチン・ロシアの価値観と自身が思想としている価値観を響き合わせて、その落差に何ら憂慮を示すこともなかった。
このことは「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」といった普遍的価値観に基づいた外交・安保政策、「積極的平和主義」のニセモノ性の証明以外の何ものでもないはずである。
要するに普遍的価値観に基づいた外交・安保政策の仮面、あるいは積極的平和主義の仮面をかぶった政治家に過ぎないことになる。
生活の党PR
《12月27日沖縄県知事辺野古沖埋立申請承認について 小沢一郎代表談話発表》
小泉内閣時代の自民党幹事長代理だった国家主義者・軍国主義者安倍晋三が2005年5月2日、ワシントンのシンクタンク「ブルッキングス研究所」で、「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」と中韓、その他に対して靖国神社突撃の宣戦布告をしながら、自分が首相になるや宣戦布告に反して有言不実行の自滅を演じ、2012年9月の自民党総裁選や2013年2月7日の衆院予算委等で、「私の基本的な考え方として、国のために命を捧げた英霊に対して国のリーダーが尊崇の念を表する、これは当然のことだろうと思いますし、各国のリーダーが行っていることだろう、こう思っています。その中で、前回の第一次安倍内閣に於いて参拝できなかったことは、私自身は痛恨の極みだった、このように思っております」と身を切る悔しい思いをゲロしながら、二度目の首相になって有言実行すべき最も相応しい敗戦日8月15日に宣戦布告通りの突撃を果たすことができなかった自身の決意に対して周辺や世間が口先だけ、優柔不断と小馬鹿にしていないか関係妄想に取り憑かれ、参拝しないことがトラウマ的強迫観念となって、そこからの解放と自身の有言実行力を示すだけのために外国の反応も考えずに突撃敢行したような安倍晋三の靖国参拝ではなかったのではないだろうか。
この参拝が別の形の安倍晋三の自滅につながらない保証はない。
この安倍晋三の突撃参拝に対して橋下徹日本維新の会共同代表が発言している。
安倍参拝と同日の12月26日記者会見。
橋下徹「このタイミングでの参拝しかない。日本のために命を落とした英霊に敬意を表するのは当たり前の話だ。東アジアの中で日本、中国、韓国の安定は、非常に重要だが、参拝を配慮することで、関係が正常化する状況ではない。今の状況では、靖国神社参拝は、外交上、配慮する領域の問題ではなくなったのではないか。外交上の配慮だけで、参拝の見送りをやめようと判断したのは、非常に合理的だ」(NHK NEWS WEB)
橋下徹が言うように確かに「参拝を配慮することで、関係が正常化する状況ではない」が、悪化している関係をなお一層悪化する方向に追いやることになることは前以て計算できていたことで、果たしてそのことを計算していた上での参拝なのかが問題となる。
だとしても、橋下徹が安倍晋三と同じ靖国参拝史観に立っていることがこの発言で十分に理解できる。一般的に流布している言葉で言うと、「お国のために戦って尊い命を犠牲にした英霊に尊崇の念を表す」という靖国参拝史観である。
戦前は「お国のために」の前に「天皇陛下のために」がついていたが、戦後なぜか「天皇陛下のために」がどこかへ行ってしまった。多分、戦前の日本が天皇主義国家であったことを隠すためではないだろうか。
橋本徹は安倍晋三と同じ靖国参拝史観に立っていることを示しながら、翌日12月27日午前の記者会見では安倍晋三と同じ自らの靖国参拝史観を自ら裏切る矛盾を露呈させている。
橋下徹「首相が戦争の評価について自分の考え方をはっきり述べないので誤解が生まれている。先の大戦は『侵略だった』とはっきり言ったらいい。
日本の国家運営の責任者としては、先の大戦の評価については曖昧にしてはいけない。東京裁判を受け入れると表明したうえで、英霊に尊崇の念を表するのは理解してほしい、と言えばすっきりするのではないか」(asahi.com)――
橋下徹は「お国のために戦って尊い命を犠牲にした英霊に尊崇の念を表す」という靖国参拝史観が侵略戦争否定の上に成り立っていることに気づくだけの脳ミソを備えていないらしい。
戦前の日本の戦争を侵略戦争と認めたなら、安倍晋三たちが歴史認識としている靖国参拝史観は成り立たなくなる。
戦前の日本国家では天皇を父とし国民を赤子(せきし)と称して子と見做す一つの家に国家を譬えていた。いわば国民は天皇を父として国家と国民は相呼応し合う関係を築いていた。
国民は天皇を頂点に置いた日本の国家主義国家・全体主義国家としての国家の在り様を認めて、そのような天皇と国家に忠節を尽くす究極の形として天皇と国が引き起こした戦争に参加し、天皇と日本国家に命を捧げた。命を捧げる忠節の見返りが靖国に英霊として祀られることであり、そのことを唯一の希望としてその戦争を戦った。
このような国家と国民が相呼応し合う関係は靖国参拝史観にそっくりと引き継がれた。「お国のために戦って尊い命を犠牲にした」という関係であり、そのような戦争犠牲者に対して「尊崇の念を表す」国家の関係である。
当然、天皇陛下のため、お国のために戦った戦争を侵略戦争だったとした場合、靖国参拝史観に引き継がれている天皇と国家に対する国民の相呼応し合う関係は肯定的関係から否定的関係へと暗転させることになる。
戦前の天皇と日本国家は否定的存在と見做すことになり、天皇と国家に対する国民の忠節にしても侵略戦争に加担した否定的在り様であったと価値づけられる。
侵略戦争であったとすることによって今までの存在性が全て否定化されたとき、当然、戦争犠牲将兵は 「英霊」と呼ぶにふさわしくなくなり、「尊崇の念」の対象足り得なくなる。
肯定化することのできる自存自衛の戦争といった“お国のための戦争”であり、そのような戦争に対する国民の忠節として「尊い命を犠牲にした」という肯定的価値づけが成されて始めて、戦前の国家と国民の相呼応する関係を「お国のために戦って尊い命を犠牲にした英霊に尊崇の念を表す」という形式で戦後の世界にまで持ち込んで正当化が可能となって、その象徴的且つ濃密的な表現の場が靖国神社であって、そのような相呼応する国家と国民の関係を靖国神社を場として戦後の日本でも回顧し讃える歴史認識が靖国参拝史観という形を取っている。
当然、昨日のブログでも書いたように安倍晋三とその一派は戦前の日本国家肯定の上に戦後の日本国家を築いていくことになる。改正した教育基本法に既にその兆しが現れているし、改正した場合の日本国憲法にも現れることになるはずだ。
安倍晋三が侵略戦争だとは認めない理由がここにある。戦前の天皇の在り様も日本国家の在り様も国民の在り様も全て肯定しているからである。
だから、天皇に関しては「皇室の存在は日本の伝統と文化そのもの」、日本は天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきた」と言うことができ、戦前日本の戦争に関しては、「特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」とその侵略性を否定することができ、国民に関しては、「(国を)命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」と国家への命を犠牲にする奉仕を求めることができる。
にも関わらず、橋本徹は安倍晋三と同様の自らの靖国参拝史観に矛盾して戦前の日本国家の戦争を「侵略戦争だった」と認めよと言って、靖国参拝史観の意味内容を理解していない脳ミソ振りを発揮している。
トンチキな頭としか言い様がない。
安倍晋三「本日靖国神社に参拝を致しました。日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し、尊崇の念を表し、そしてみ霊安らかなれと手を合わせて、参りました。
――靖国参拝は安倍晋三が国家主義者・軍国主義者であることの現れ――
安倍晋三が第2次安倍政権発足1年後の昨日12月26日(2013年)、第1次・第2次を通して初めて靖国神社を参拝した。2005年5月2日、小泉内閣時代の自民党幹事長代理だった安倍晋三はワシントンのシンクタンク「ブルッキングス研究所」での講演で、中国が小泉首相の靖国神社参拝の中止を求めていることについて、「小泉首相の次の首相も靖国神社に参拝するべきだ。国のために戦った方に尊敬の念を表することはリーダーの責務だ」と発言しているように靖国神社参拝は日本のリーダーの務めだと信念していながら、首相として今日まで参拝欲求を抑えに抑えてきた関係から、参拝後の抑えた欲求からの解放、カタルシスには相当なものがあったに違いない。
但し丸きりのバカでない限り参拝に対する中・韓・米の反応に懸念も持つだろうから、懸念が強いる緊張に相殺されて折角のカタルシスも幾分かは損なわなければならないことになるに違いない。
参拝後の対記者団発言を参拝日の夕方7時からの「NHK総合テレビ」で流していた。録画し、文字に起こしてみた。出だしの発言のみで安倍参拝の意味するところを露見させているばかりか、その発言を含めて全編、参拝正当化の詭弁を散りばめた安倍思想となっている。
そして同時に靖国神社の境内にあります鎮霊社にもお参りをして参りました。鎮霊社には靖国神社に祀られていない、すべての戦場に斃れた人々、日本人だけではなくて、諸外国の人々も含めて全ての戦場で斃れた人々の慰霊のためのお社であります。その鎮霊社にお参りを致しました。全ての戦争に於いて命を落とされた人々のために手を合わせ、ご冥福をお祈りをし、そして二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことの無い時代を創るとの決意を込めて不戦の誓いを致しました」
記者「今日は12月26日、安倍政権発足から丁度1年。なぜこの日を選んで参拝されたのでしょうか」
安倍晋三「残念ながら靖国神社参拝自体が政治問題、外交問題化しているわけでありますが、その中に於いて政権が発足して1年、この1年の安倍政権の歩みを報告し、二度と再び、戦争の惨禍によって人々が苦しむことの無い時代を創るとの誓いを、この決意をお伝えするためにこの日を選びました」
記者「中国、韓国を初めとしてですね、海外から安部総理が靖国神社を参拝することについて根強い批判の声が出ているが、これはどのように説明していかれるのでしょうか」
安倍晋三「あの、靖国神社の参拝ですね、いわゆる戦犯を崇拝する行為であると、ま、誤解に基づく批判がありますが、私は1年間のこの歩みをご英霊に対してご報告をする。そして二度と戦争の惨禍の中で人々の苦しむことが無い時代を創っていくという決意をお伝えするために参拝を致しました。
もとより中国、あるいは韓国の人々の気持ちを傷つける、そんな考えは毛頭ございません。それは靖国神社に参拝をしてこられた歴代の総理大臣と全く同じ考えであります。母を残し、愛する妻や子を残し、戦場で散った英霊のご冥福をお祈りをし、そしてリーダーとして手を合わせる、このことは世界共通のリーダーの姿勢ではないでしょうか。それ以外のものでは全くないということをですね、これから理解をして頂くための努力を重ねていきたいと考えています。
また、日本は戦後、自由と民主主義を守って参りました。そしてその下に平和国家としての歩みをひたすら歩んできた。この基本姿勢は一貫しています。この点に於いて一点の曇りもございません。これからも謙虚に、礼儀正しく誠意を持って説明をし、そして対話を、対話を求めていきたい思います」
記者「中国、韓国のリーダーに対してですね、直接説明したいという考えはありますか」
安倍晋三「あの、是非ですね、この気持ちを直接説明したいと思います。戦後、多くの首相は靖国神社に参拝しています。吉田茂総理もそうでありました。近年でも中曽根総理、あるいはその前の大平総理もそうでした。そしてまた、えー、橋本総理も、小泉総理もそうでしたが、全ての靖国に参拝した総理は中国、韓国と友好関係をさらに築いていきたい、そう願っていました。日中関係、そして日韓関係は大切な関係であり、この関係を確固たるものにしていくことこそ日本の国益だと、そう、皆さん信念として持っておられた。えー、そのことも含めてですね、説明させて頂く機会があれば、本当に有り難いと思っています」
記者「そして最後に2年後、3年後、今後もですね、靖国神社に定期的に参拝されたいというお考えでしょうか。
安倍晋三「今後のことについてですね、この場で、えー、お話しをすることは差し控えさせて頂きたいと思います。えー、私は『第1次安倍政権の任期中に靖国神社に参拝できなかったことは痛恨の極みだ』と、このように申し上げて参りました。それは総裁選に於いても、あるいは衆議院選挙のときに於いても、そう述べて参りました。その上で私は総裁に選出をされ、そして総理大臣となったわけでございます。えー、私はこれからもですね、私の参拝の意味について理解をして頂くための努力を重ねていきたいと思います」
記者「多くの戦犯の方が祀られておりますが、戦争指導者の責任についてどうお考えでしょうか」
安倍晋三「それは、えー、今までも累次国会で述べてきたとおり、であります。我々は過去の反省の上に立って、えー、戦後しっかりと人権を、基本的人権を守り、そして民主主義、自由な日本をつくって参りました。そして今や、その中に於いて世界の平和に貢献しているわけでございます。今後もその歩みにはいささかも変わりはないということは重ねて申し上げておきたいと思います。
どうもありがとうございました」
安倍晋三は出だしで、「日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊に対し」と言っているが、ブルッキングス研究所での発言に見るとおり、多くは「国のために戦った方」とか、「国のために戦い尊い命を犠牲にされた」といった言葉の使い方をして、戦争指導者や将兵の命の犠牲の対象を「国家」としていたが、ここでは対象を「日本」としている。
但し参拝同日に首相官邸HPに載せた「安倍内閣総理大臣の談話~恒久平和への誓い~」は、「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました」となっていて、戦争指導者や将兵の命の犠牲の対象を「国家」に置く使い分けとなっている。
対象を「国のために」とすると、戦前の日本国家が天皇を頂点に置いた国家主義国家・全体主義国家であったから、そのような国家を対象とした犠牲となって、正義と言えなくなるが、対象を「日本」に置いた場合、犠牲の対象を自然や文化、歴史、生活、風俗・習慣まで含めることになって、国家主義国家・全体主義国家を対象とすることよりも正義の意味を強めることができる。
しかし犠牲の対象の実態は天皇や国家の名の下に戦争に邁進させた国家主義国家・全体主義国家であった戦前の日本国家であったことは間違いのない事実なのだから、戦前の日本国家を直裁的に指すことになる「国のために」よりも、そのような国家の姿をカモフラージュできる言葉として「日本のために」を咄嗟に用いたのか、自然と口をついて出たのか、いずれであるにせよ、あくまでも安倍晋三という人間の中では対象を戦前の日本国家に置いているはずだから、「日本のために」とするのは犠牲の対象を「国家」であることから遠ざけ、曖昧化する詭弁に過ぎない。
要するに「日本のために尊い命を犠牲にされたご英霊」と言おうと、「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊」と言おうと、戦争指導者や将兵の命の犠牲の対象は国家主義国家・全体主義国家であった戦前の日本国家に違いないのだから、彼らの犠牲行為に対する顕彰を成り立たせるためには国家主義国家・全体主義国家であった戦前の日本国家そのものの正当化によって初めて可能となるのであって、そのような関係に置くことによって初めて、戦争指導者や将兵の犠牲行為と国家主義国家・全体主義国家であった戦前の日本国家を「お国のために尊い命を犠牲にした」と響き合う相互的存在とすることができるはずである。
もし国家主義国家・全体主義国家であった戦前の日本国家を否定した場合、戦争指導者は戦争の加害者に位置づけられ、一般将兵は戦争の犠牲者に位置づけられることになって、「二度と戦争は起こしません」の不戦の誓いは可能となっても、戦争指導者にしても将兵にしても、顕彰の対象足り得ない。
なぜあんなバカげた戦争を起こし、外国を含めて多くの兵士や一般人を犠牲にしたのだろうと、戦争を総括することになっただろう。だが、戦前の日本国家を正当化している限り、総括は不可能となる。総括によるあからさまな正当化は客観的判断能力を疑われるだけではなく、世界に通用しないからだ。
安倍晋三は靖国神社を参拝し、戦争犠牲者を英霊と祭り上げることによって国家主義国家・全体主義国家であった戦前の日本国家を正当化しているのである。
このことは2013年4月23日の参議院予算委員会での安倍晋三の発言、「特に侵略という定義については、これは学界的にも国際的にも定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし、それは国と国との関係において、どちら側から見るかということにおいて違うわけでございます」と日本の戦前の侵略戦争を否定していることによっても証明することができる。
当然、以下の安倍晋三の対記者団発言は戦前の日本国家正当化の文脈で読み解かなければ、正確な意味を把握することはできない。
諸外国の戦死者を祀ってある靖国神社内の鎮霊社も参拝したと言っているが、あくまでも主目的は英霊の慰霊を口実とした戦前の日本国家正当化であるのだから、外国の戦死者も慰霊したとすることで批判を和らげるための詭弁に過ぎない。
「二度と再び戦争の惨禍によって人々の苦しむことの無い時代を創るとの決意を込めて不戦の誓いを致しました」にしても、国家主義国家・全体主義国家であった戦前の日本国家正当化を前提とした「不戦の誓い」であることに留意しなければならない。
戦前の日本国家の侵略戦争を侵略と認めない「不戦の誓い」とは胡散臭い反戦の臭いしか嗅ぐことができない。
「二度と再び、戦争の惨禍によって人々が苦しむことの無い時代を創るとの誓いを、この決意をお伝えするためにこの日を選びました」と政権発足1年後の日を参拝の機会と挙げていることも戦前の日本国家正当化を前提とした言葉であると同時に一方に於いて、「(国を)命を投げうってでも守ろうとする人がいない限り、国家は成り立ちません。その人の歩みを顕彰することを国家が放棄したら、誰が国のために汗や血を流すかということです」(『この国を守る決意』) と、国家が戦争をした場合の命の犠牲を求めているのである。
どれだけ本心からの言葉であるか、疑わなければならない。
安倍晋三は「もとより中国、あるいは韓国の人々の気持ちを傷つける、そんな考えは毛頭ございません」と言い、靖国参拝をした歴代首相が「日中関係、そして日韓関係は大切な関係であり、この関係を確固たるものにしていくことこそ日本の国益だと、そう、皆さん信念として持っておられた」と言って、自身の参拝をも同一戦場にあると正当化しているが、国家主義国家・全体主義国家であった戦前の日本国家を正当化し、正当化ゆえにその侵略戦争を否定する象徴的儀式としての靖国参拝が「中国、あるいは韓国の人々の気持ちを傷つける」行為に当たらないと考える判断能力は罰当たりにも既に腐っているとしか言い様がないし、中国と韓国とのどのような友好関係も戦前の日本国家の正当化の上に立った関係構築としかならない。
安倍晋三「日本は戦後、自由と民主主義を守って参りました。そしてその下に平和国家としての歩みをひたすら歩んできた。この基本姿勢は一貫しています」
安倍晋三の頭にある戦後の「自由と民主主義」、あるいは戦後日本の「平和国家」はやはり戦前の日本国家正当化を前提とした「自由と民主主義」であり、「平和国家」なのである。
いわば安倍晋三の思考は常に正当化している戦前の日本国家を戦後の「自由と民主主義」及び「平和国家」の土台に置いているということである。
この構図は安倍晋三の思考の中では当然、戦前の日本国家を土台とした「自由と民主主義」及び「平和国家」の姿を取った戦後日本を目指す志向性を基本的な形として内包していることになる。
また、「我々は過去の反省の上に立って、戦後しっかりと人権を、基本的人権を守り、そして民主主義、自由な日本をつくって参りました」という言葉も同じ構図を取っていることになり、「過去の反省の上に立って」は参拝を正当化するための詭弁――マヤカシの言葉となる。
このような構図を取った考えを危険な思想ではないと言うことができるだろうか。
靖国神社参拝に対する予想される外国の批判に対して「いわゆる戦犯を崇拝する行為であると、ま、誤解に基づく批判がありますが」と言い、「これからも謙虚に、礼儀正しく誠意を持って説明をし、そして対話を、対話を求めていきたい思います」と発言しているが(参拝後の同日午後に出演した自民党インターネット番組でも、同じ趣旨のことをほぼ同じ文言で繰返している)、安倍晋三の靖国参拝は戦犯崇拝といった把え方ではなく、戦犯の顕彰(=正当化)と響き合わせた国家主義国家・全体主義国家であった戦前の日本国家の正当化であることは日本の戦争の侵略否定の歴史認識から言っても間違いなく、その前提に立った思考に囚われている以上、当然のこととして「礼儀正しく、誠意を持って説明し、対話を求めていきたい」という姿勢は成り立たない。
発言全体を通して、自身の靖国参拝が戦前日本国家の正当化だと気づかない罰当たりな腐った脳ミソが振り撒いている独り善がりな言葉の羅列としか評価することができない。
このような戦前型思考人間が戦後日本の民主主義国家・平和国家のリーダーとなることができた。支持する国民が多くいたからに他ならない。
この靖国参拝が安倍第2次内閣の終わりの始まりであることを願う。
安倍内閣の新藤総務省が同日、同じNHK番組で安倍晋三の靖国神社参拝を擁護し、正当化していた。
新藤「総理大臣と言えども、あの、私的参拝なんですね。個人の私的行為であります。心の自由のことでありますから、総理がそこをご判断されたなら、それは、それを受け止めるということだと思いますし、いつどんなときでも、自由にですね、自分の気持に従って、あの、参拝されればいいと思います」
公用車でSPを引き連れ、玉串料は私費で収めたものの、「内閣総理大臣 安倍晋三」名で献花と記帳を行い、首相官邸HPに参拝の談話まで載せていて、「私的参拝」と言う。「心の自由」だと言う。
安倍晋三の発言といい、罰当たりなウソ・偽りが跳梁跋扈しているとしか言い様がない。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた環境影響評価書が2011年12月27日、配達業者によって沖縄県庁に運び込まれ、2013年6月に防衛省沖縄防衛局が沖縄県に対して辺野古埋め立てを求める申請書を提出、普天間県外移設を主張していた仲井真県知事の年内結論の意向に対してその可否判断が注目されていた。
そして12月17日午前、政府と県が沖縄の経済振興策や米軍基地問題を話し合う沖縄政策協議会(主宰・菅義偉官房長官)が首相官邸で開催された。
この12月17日は結論が出る前の12月17日であるから、あるいは結論提出に前以ての12月17日だから、当然、安倍晋三側は仲井真知事の結論に影響を与える魂胆で会議に臨み、仲井真知事は結論の参考にする意図のもと臨席したはずである。
どのようなことが話し合われたのか、《普天間飛行場、運用停止5年内に 知事が初要求》(琉球新報/2013年12月18日)から見てみる。
この会議には国家主義者安倍晋三と全閣僚が出席したというから、仲井真知事の要求に応える意気込みを見せたのだろう。仲井真知事の側から言うと、その錚々たるメンバーを前にして要求を獲ち取る意気込みで一人敵地に乗り込んだ心地がしたのではないだろうか。
仲井真知事の要求は次のとおりである。
米軍普天間飛行場の5年以内の運用停止
牧港補給地区の7年以内の全面返還、
日米地位協定の改定などの基地負担軽減を要求
米軍普天間飛行場の5年以内運用停止は代替基地の提供を前提として成り立つ。5年以内に代替基地を本土に設けるか、沖縄県内に設けるか、いずれかの選択によって可能となる。
だが、記事は、〈知事が5年以内と期限を区切って普天間の運用停止を求めるのは初めて。普天間の県外移設は今回求めなかった。〉と解説している。
いわば米軍普天間飛行場の5年以内運用停止を県外移設と併行させて5年以内と期間を区切って要求しなかった時点で、以心伝心で、あるいは阿吽の呼吸で両者共、埋め立て承認を前提とした会議続行となったはずだ。
仲井真知事は日米地位協定改定については米政府が望んでいる運用改善は「現実的ではない」として否定的態度を示し、〈返還前の掘削を伴う基地内立ち入り調査やより厳しい環境基準の適用を求めた。〉と解説している。
さらに普天間配備の輸送機オスプレイの県外配備、過半の訓練の県外移転も要望、来年度予算での沖縄振興費3408億円の確保や本島への鉄道導入も要求したというから、このような欲張りとも思える矢継ぎ早の要求からも承認を前提としていたことを窺うことができる。
承認するんだから、これだけのことはして貰いたいと欲張ったといったところなのだろう。
矢継ぎ早の要求の後にだろう、次のように発言している。
仲井真知事「アジア太平洋地域の安定化、発展に貢献していきたい」
記事は、〈政府の安全保障政策に協力する姿勢を示した。〉と解説しているが、政府政策への全面的寄り添いである。
この発言からも見返りを求める交換欲求を窺うことができる。
会議後の記者団への発言。
仲井真知事「県外移設をもうやめたとは言っていない。名護は手間も時間もかかる。県外移設が早いというのは変わっていない」――
だが、埋め立て申請を承認すれば、辺野古基地建設推進に関しての核となる主要部分は沖縄県の手を離れて、政府と沖縄県民、さらに名護市及び名護市民の問題へと移る。どのように激しい反対運動が起きようとも、政府は反対運動を排除しつつねり強く着々と基地建設に向けて努力していくことになるはずだ。
そして12月25日午後、仲井真知事の要求に対して政府が回答を示す安倍晋三と仲井真知事の会談が首相官邸で開催された。当然、回答にしても、承認を前提とした内容となるはずである。
どのような内容なのか、《首相 沖縄知事に基地負担軽減策を説明》(NHK NEWS WEB/2013年12月25日 15時35分)を見てみる
1.普天間基地5年以内運用停止と牧港補給地区の7年以内の全面返還は防衛省に作業チーム設置、返還期間を
最大限短縮。
2.普天間配備の輸送機オスプレイの県外配備、過半の訓練の県外移転要求に関しては訓練の約半分を沖縄県外
の複数の国内の演習場等で行う。
3.在日アメリカ軍の施設や区域で土壌などの環境汚染が生じた場合などに立ち入り調査を行えるようにするた
め、日米両政府間で日米地位協定を補足する新たな協定の締結に向けて協議に入る。
ほぼ満額回答となっている。このような満額回答を与えるについては承認を前提としていなければできないはずだ。そもそもからしてこの会談が安倍晋三国家主義内閣と仲井真知事との契約となる以上、片務的な約束であってはならない。双務的約束を前提としているのだから、この前提は承認前提の上に成り立たせた前提ということになる。
仲井真知事「安倍総理大臣みずから驚くべき立派な内容を提示していただき、沖縄の140万人県民が心から感謝している。お礼を申し上げたい。
安倍総理大臣の回答をきちっと胸の中に受け止め、普天間基地の代替施設の建設にかかる埋め立ての承認・不承認を2日後をメドに最終的に決めたいと思っている」――
「安倍総理大臣みずから驚くべき立派な内容を提示していただき」とは恐れ入るが、この言葉自体がほぼ満額回答であることを示していて、大満足した様子を露骨なまでに窺うことができる。
当然、承認を前提としていなければ口を突いて出てこない言葉であるはずだ。承認を前提として登場人物である安倍晋三と仲井真知事が一大サル芝居を打っていたといったところである。
一大サル芝居であることは「沖縄の140万人県民が心から感謝している」という言葉が証明する。沖縄県民の大多数が望んでいる沖縄の将来図は基地のない街の経済発展であり、経済発展に伴う社会や文化の発展であるはずだからだ。
だが、仲井真知事は県政推進の十分なカネさえ獲得できれば、基地には目をつぶろうとしている。いわば「沖縄の140万人県民が心から感謝している」は自身の欲求と大多数の沖縄県民の欲求との違いを自らゴマカシて正当性を与えようとする言葉であって、沖縄県民に対する愚弄に相当する。
安倍晋三「沖縄県民全体の思いとしてしっかりと受け止め、日本政府としてできることはすべて行うというのが安倍政権の基本姿勢だ。
安倍政権は引き続き沖縄振興と基地負担軽減の両面にわたり、沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら、政府一丸となって全力で各種の施策に取り組んでいく」――
沖縄県民の大多数が基地のない街望んでいる以上、「沖縄県民全体の思いとしてしっかりと受け止め」ていることにはならないし、「沖縄の方々の気持ちに寄り添」うのとは180度違う方向の偽りの「思い」に過ぎない。
要するに安倍晋三も仲井真知事も沖縄県民に対してゴマ化しを働いているに過ぎない。特に仲井真知事は県知事として県が必要としている要求を出すだけ出して安倍晋三にほぼ満額回答させ、基地移設は日本政府と沖縄県民、名護市と名護市民に丸投げの狸オヤジぶりを見事に演じた。
スーダンはアラブ系政府と非アラブ系南部との間の第1次スーダン内戦、第2次スーダン内戦を経て、南部に自治政府が設置され、2011年7月8日、スーダンから独立して南スーダン共和国を成立させた。
独立から約2年後の2013年12月15日、首都ジュバでキール大統領とマシャール前副大統領を部族ごとにそれぞれ支持する軍の部隊同士の戦闘が発生、12月19日に東部ジョングレイ州のアコボで大統領の出身母体であるディンカ族の住民が国連のPKOの施設に避難していたところ、前副大統領の出身母体のヌエル族と見られる約2000人の武装グループが襲撃、PKOのインド人兵士を含め少なくとも13人が死亡したと、「NHK NEWS WEB」が伝えている。
この衝突が国連安保理の暴力停止、対話による解決要請の声明も効果なく、拡大傾向にあるのは前副大統領派の軍が優勢である証明としかならないが、ジョングレイ州でPKO活動に参加している隊員280人の韓国軍駐屯地に1000人以上の反政府軍が接近しているという状況にあることから、万が一の非常事態に備えて銃弾を補充することを決め、国連に相談、韓国軍所持の小銃に適合する銃弾は陸上自衛隊が所有しているという知らせがあり、韓国軍は12月22日、自国軍による補充が完了するまでの応急措置として日本に国連と共に弾薬の譲渡を要請。
日本政府は国家主義者安倍晋三以下、国家安全保障会議の関係閣僚が総理大臣公邸で対応を協議、PKO協力法の「物資協力」を根拠に武器輸出三原則の例外として自衛隊所有の銃弾1万発を国連を通じて韓国軍に提供する方針を決め、12月23日午後、持ち回りの閣議で正式に決定した。
マスコミ記事を纏めるとこういった経緯となる。
要するに日本政府は銃弾の韓国軍への提供を武器輸出三原則の範疇で解釈し、その例外とした。
因みに「NHK NEWS WEB」によると、各地のPKO施設には合わせて2万人の住民が避難しているというということで、PKO施設が避難場所化している様子を窺うことができる。
南スーダン共和国の国家建設に協力・参加している各国PKO部隊の駐屯地が戦闘に追われた住民の収容場所となっているというのは政治の非情を示すと同時に皮肉な状況を示す。
《韓国への銃弾提供による菅官房長官談話要旨》(時事ドットコム/2013/12/24-00:57)
菅官房長官(12月23日)「国連の要請は、わが国も参加するUNMISS(国連南スーダン派遣団)が行う活動の一環で、韓国隊隊員や避難民の生命・身体を保護するために一刻を争い、韓国隊が保有する小銃に適用可能な弾薬を保有するUNMISSの部隊は日本隊のみという緊急事態だ。
緊急の必要性・人道性が極めて高いことに鑑み、UNMISSへの5.56ミリ普通弾1万発の物資協力については、当該物資が韓国隊隊員や避難民らの生命・身体の保護のためのみに使用されることおよびUNMISSの管理の下、UNMISS以外への移転が厳しく制限されていることを前提に、武器輸出三原則等によらないこととする。
政府としては、国連憲章を順守する平和国家としての基本理念は維持しつつ、国際協調主義に基づく積極的平和主義の考えの下、今後とも国際社会の平和と安定により一層貢献していく考えだ」――
「国際協調主義に基づく積極的平和主義の考え」からの銃弾提供だとしている。
但し日本政府は今回の韓国軍への銃弾提供をPKO協力法の「物資協力」を根拠としたが、過去の国会答弁では(物資協力)は「武器や弾薬は含まれず、国連側からそういった要請があると想定しておらず、仮にあったとしても断る」としていたとマスコミは伝えている。
だが、今回想定外のことが起きたそして、断らなかった。
内閣府担当者「当時の答弁は基本的な考え方を述べたものであり、緊急時の例外的な武器弾薬の提供を排除したものではない」(NHK NEWS WEB)――
政府の決定が常に正しいとは限らない。今回は国連という証人が介在していたからいいものの、2国間での決定の場合、そこに秘密の取り決めが存在しないケースが全くないとする保証はない以上、「緊急の必要性・人道性」の名の下に閣議決定で何でも許す独断専行の前例となりかねない危険性を抱えている上に、「例外的」という口実の拡大解釈に道を開く危険性も考えなければならない。
民主党は「従来の政府見解との整合性が問われる」として国会で閉会中審査を行うよう求めていく考えを示しているが、国家主義の安倍政権は過去の答弁に整合性を持たせるためにも閣議決定だけではなく、また例外を口実とせずに、銃弾提供決定前に閉会中審査を開いて国会に説明、国会の承認を得る努力をすべきだったはずだ。
そのようにも広い承認を得ることによって、決してないとは保証できない政府による万が一の独断専行や拡大解釈の危険性を回避可能とすることができる手続きとすべきだったろう。
また、銃弾提供を武器輸出三原則の例外とする以前の問題として、集団的自衛が同盟国が攻撃されるか、同盟国ではなくとも自国の安全保障上不可欠な国の求めに応じて展開する共同軍事行動を言うなら、日本の軍需商社が銃弾を売り渡したというわけではなく、日本の自衛隊が例え戦闘自体に直接的に参加しなくても、自衛隊提供の銃弾を用いて韓国軍が戦闘行為を行った場合、少なくても銃弾面では自衛隊との共同した軍事行動ということになって、集団的自衛権行使という解釈が成り立つように思えるが、どうだろうか。
成り立つとしたら、いくら緊急の必要性・人道性に則った対応であったとしても、銃弾提供は不可能となる。
当ブログで何度でも言っているように私自身は集団的自衛権の行使容認には賛成である。但しあくまでも広く国民の承認を得るために憲法改正を経た容認であるべきで、憲法解釈による容認には反対である。
憲法改正は政治家の国民に対する説明能力にかかっている。
もう一つ条件というと、国家主義者・軍国主義者に安倍晋三の手にかかる憲法改正には反対である。国家主義・軍国主義の立場からの憲法改正と国民主義の立場からの憲法改正では、実際の行使が生じた場合の危険性は戦前の例が示しているように国民により多く降りかかるだろうからである。
昨日のブログに12月22日「たかじんのそこまで言って委員会」で「2013年この国に生まれてよかったSP」と銘打ち、「日本人の団結力」、「日本人の底力」、「日本人の礼儀正しさ」、「日本の国際貢献」、「日本の食文化」、「日本の皇室」をテーマにしてパネラーが議論、日本と日本人の素晴らしさを独善的に謳い上げていた中から「日本人の礼儀正しさ」を取り上げ、果たして日本人の礼儀正しさが議論しているように日本人の全体的に固有の資質なのか問いかけてみたが、今回は「日本人の底力」をテーマとした議論の中で、金美齢と津川雅彦が人に何か贈り物をするときに「つまらない物ですが」と枕詞としている常套句の是非について遣り合い、金美齢は不必要な言葉だと言い、津川雅彦は素晴らしい日本語だと譲らなかった。
果たして「つまらない物ですが」という態度や姿勢を表すことになる言葉の二人把え方に妥当性があるのか、考えてみることにした。
今年球団創設9年目にして優勝を果たした楽天イーグルスの日本シリーズでシーズン開始以来、ポストシーズンと日本シリーズを含めて30連勝していた田中将大が3勝2敗で自チームの日本一に王手をかけた第6戦に登板、160球投げて連勝をストップさせて敗戦投手となりながら、翌日の3勝3敗で迎えた第7戦で3点リード、日本一目前の9回から登板、2安打を許し、1打逆転という場面で次打者を見事3振に打ちとって日本一を獲ち取った執念と東日本大震災で打ちひしがれた被災者の立ち上がっていく姿を「日本人の底力」が現れた象徴と見做して、パネラーたちに「日本人の底力についてどう思うか」質問していた。
元皇族の竹田恒泰の答は「日の丸を背負えば、いい仕事ができる」であった。
竹田恒泰「私ですね、日本人て、今、日本のことをあんまり好きじゃないところにいると思うんですけど、みんなが日の丸を背負って、仕事したら、ホントにいい仕事するんじゃやないかと思っています。
以前カンボジアに行ったときに道に入ったら、凄くいい道で、凄くいい道だなと思ったら、日の丸が見えたんですよ。日本のお家芸で(聞き取りにくかったが、と言ったように聞こえたが)造ったんですね。
その先を曲がったら、デコボコ道に入って、なんだこの道はと思ったら、韓国の旗が見えたんですよ。
――(笑いと拍手が起こる。)――
何を言いたいかと言うと、韓国の技術がないということを言いたいんじゃなくて、よそ様に物を差し上げるのに自分の国にないようないい物を造って差し上げたいと思うのがニッポン。それなのに韓国は多少質が悪くてもいいから、長い道を造るといったら、どっちがいいか分かりませんけども、やっぱ日本人というのは他人に上げるものこそいい物を、まあ、残った物は(?)うちで食べようみたいな・・・・」
竹田が言っている「日の丸を背負えば、いい仕事ができる」とは、日の丸背負って外国に行けばいい仕事ができるが、日の丸を背負って仕事をするわけではない国内の仕事は外国での仕事程、いい仕事はできないということを意味することになるはずである。
日の丸を背負うことによって仕事のモチベーションをより上げることができる、あるいは生産性を上げることができるということは最終的には日の丸に力の源泉を置いていることになり、自身の仕事に対する情熱や能力、経験に対する信頼等は日の丸以下の力の源泉としていることになる。
あるいは日の丸の支配下に自身の仕事に対する情熱や能力、経験に対する信頼等を置くことになる。
このように日の丸によって仕事の影響を受ける依存関係は個々の人間が個人として自律(自立)を果たしていない姿を表しているはずである。
例え日本政府によって外国に派遣されて、外国で日本政府の仕事をしようと日の丸とは関係せずに自分は自分として自律(自立)した行動ができないことになる。
かくこのようにも日の丸を必要とする日本人なのだろうか。日の丸を必要として欲しいという元皇族としての竹田の願望ではなく、日本人が実質的に必要としているとしたら、その自律性(自立性)は大きな疑問符がつくことになる。
創作活動に於いて覚醒剤や合成麻薬に依存しなければ、人に目をみはらせる創作ができないのと、その精神性の構造は同じである。いわば覚醒剤や合成麻薬の支配下にあり、そこに力の源泉を置いていることになる。
竹田がカンボジアで日本が建設した道路は「凄くいい道」で、韓国が建設した道路は「デコボコ道」だと言ったとき、他のパネラーが韓国の道路建設技術を笑い、拍手したが、直感的におかしいと思わなかったのだろうか。
韓国の道路建設技術がデコボコ道しか新設できない程に劣るとは考えにくい。その程度の技術しかないとしたら、韓国内の新設道路は最初からデコボコ道ということになる。
カンボジア政府はいくら建設単価が安くても、デコボコ道しか建設できない韓国の技術にカンボジアの道路の建設を任せるだろうか。
竹田の発言には道路に対する経年劣化の視点を全く欠いている。
道路建設技術は交通量に応じた耐用年数によってよって測る。日本の優れた道路建設技術を以てしても、ダンプやトレーラー等の重量車両が頻繁に通行する道路は耐用年数が短くなり、場所によってタイヤの通行箇所が凹み、水溜りができたりする。特に交差点で右左折する場合、荷が片寄る側のタイヤがアスファルトをより圧迫することになって、道路に凹みをつくることになる。
悪意ある人間はそのような道路を以ってデコボコ道しか建設できないのかという批判を成り立たせることも可能となる。
決して永久に無傷のままということはなく、無傷のままの道路建設を可能とする程日本の技術が優れているわけではない。
竹田は「何を言いたいかと言うと、韓国の技術がないということを言いたいんじゃなくて」と言っているが、今年の10月20日放送の「たかじんのそこまで言って委員会」で、「在日特権を許さない市民の会(在特会)」によるヘイトスピーチ(憎悪表現)問題が取り上げられたとき、韓国に対する差別発言を行っていることからすると、言葉では否定していても、道路建設技術に事寄せて韓国を劣ると差別したはずだ。
竹田恒泰「在特会が活動したおかげで在日の特権の問題が明らかになった。例えば、通名というのがあって、日本人の名前に変えることによって、犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ、また新たな犯罪ができる」(YOMIURI ONLINE)
いくら通名を用いようとも、通名として法的に認められるには居住区・市町村に登録して住民票に本名と併記されるということだから、通名のみの存在が許されるわけではなく、法的には本名と共に存在するのだから、当然、犯罪歴も金融関係の経歴も消すことができるわけではない。
法律の基づいて運営されている国家に於いて犯罪手段によらずに「犯罪歴や金融関係の経歴を全部消すことができ」るなどという便利なことが常識から考えてできるはずはない。
韓国・韓国人を劣る存在と見做す差別感情には相当なものがある。
天皇家を万世一系と称して、その血を最高権威に位置づける考えからすると、竹田恒泰がその血を引き継いでいるということは、万世一系の血もたいしたことはないことになる。
竹田の「日本人というのは他人に上げるものこそいい物を(と考える)」という言葉に触発されてなのだろう、続けて金美齢が発言した。
金美齢「あたしね、戴き物をするとき、必ずつまらない物ですと言われるわけよ。そのとき必ず言うの。『つまらない物はいらないよ』って。
――(アハハハ、と笑いが起きる。)――
そろそろやめた方がいい」
津川雅彦(憤然とした様子で背後の席の金美齢を振返って見上げ)「反論するようですが、物はつまらないんです。贈る心が素晴らしいということを言うために『つまらない物です』と。
この心はあなたへの感謝にする。この心はこんな物より数百倍も素晴らしいんですという意味を込めて、あの、『つまらない物』という素晴らしい言葉はあるんです。
――(津川雅彦の主張に感心したのだろう、拍手が起きる)――
(憤激が収まらないといった様子で広げた両手を叩きつけるような仕草を見せ、靴を床に叩いて)物はつまらない。(胸に手を当て)心は素晴らしい」
金美齢「全く違う。心があるんだったら、やっぱり心を込めて、やっぱり相手の喜ぶ物を選ぶべきです」
津川雅彦「いいえ、つまらないと言うのは素晴らしい言葉」
竹田恒泰「つまらない物ですと言うときに本当につまんない物を渡す人はいなんですよ」
津川雅彦(憤り収まらない様子で)「そうです」
辛坊治郎「言っときますけどね、ここにお座りになっているのは金さんですよ。田島さんではないですよ」
皆の主張に反対ばかり述べていて皆から攻撃を受けていた田島の指定席に金美齢が座っている。田島ではないのだから、攻撃は程々にといった意味なのだろう。
だが、お笑いタレントが司会しているわけではない。「つまらない物」という言葉の評価について一言ぐらい発言しても良さそうだが、茶化してその場を収めようとする心掛けしかないようだ。
津川雅彦「これは日本人が大事にしている言葉だから、簡単に卑下して貰いたくない」
司会の山本浩之が話を山口もえに持っていって、その場を収めた。
確かに世話を受けたことの、あるいは世話を受けていることの有り難さに対して礼の気持や感謝の思いから、礼の気持や感謝の思いの代わりにそれらの思いや気持を込めて物を贈る。
そのとき、「つまらない物ですが」という言葉を添えるのが日本人の習慣となっている。だが、津川雅彦が言うように「物はつまらないんです。送る心が素晴らしいということを言うために『つまらない物です』と」言うわけではないことだけは確かである。
なぜなら、送る心は素晴らしいものだと贈る相手に押し付けることになるからだ。しかも贈る心は贈る「物よりも数百倍も素晴らしいんです」という心を見せるためだとしたら、恩着せがましさはこの上ないものとなる。
「つまらない物ですが」は物自体のことを言っているのではなく、贈る心に対しての謙虚さを言っているはずだ。時折、「大したことはできませんが」とか、「ほんの気持です」いう言葉を添えて感謝の印や礼の印として贈り物をすることがあるが、世話を受けたことの、あるいは世話を受けていること量やその有り難さに比べたなら、お礼も感謝も大したことはできません、足りませんがというへり下った意味が「つまらない物ですが」には込もっていると私自身は解釈している。
へり下ったと言うのは、「つまらない物ですが」と言って人に物を差し上げる場合の物の遣り取りは多くの場合、上下の人間関係の間で行われる下から上に対する行為だからである。
日本人は歴史的・伝統的に権威主義を行動様式としている。このために下の地位にある者が上の地位にある者に盆と暮れに贈り物をする習慣が生じ、更に上の者に特別に何か世話を受けた時々に贈り物をして、「つまらない物ですが」とへり下った態度を取ることになる。
例え職場に於ける地位が上下関係にあろうとも、それぞれが個の存在として相互に対等な関係にあったなら、下の地位の者が上の地位の者に世話を受けたからといって、一方通行の形で物を贈る習慣を社会的に年中行事とすることはないはずである。
勿論、下の者が上の者に贈り物をしたとき、返礼として上の者が下の者が持ってきた物の一つを与える場合があるが、それはあくまでも最初の贈り物に対する給付行為であって、下の者が上の者に贈り物をする行為がなければ、給付行為は生じない。
戦前の天皇が国民に皇室の金紋が入ったタバコを数本与えたりした下賜は国民の天皇への忠節に対する最たる給付行為であろう。
いわば「つまらぬ物ですが」という言葉は上下関係に付随し、そこに感謝の気持を込めていても、下の上の者に対するヘリ下った意味を持たせた言葉であって、津川雅彦が言うように贈る心の素晴らしさを表現する言葉とするのは見当違いも甚だしいはずだ。
番組は「2013年この国に生まれてよかったSP」と大々的に銘打っていた。
司会は櫻井よしこ、辛坊治郎、山本浩之の3人。
パネラーとしての出演者は、女優の山口もえ、俳優の津川雅彦、落語家の桂ざこば、評論家の加藤清隆、長谷川幸洋、宮崎哲弥、元皇族だとかの竹田恒泰、台湾出身の日本国籍の評論家だという金美齢の面々。
番組冒頭で番組元副委員長の辛坊治郎が小型ヨットで太平洋横断に挑戦、遭難して海上自衛隊の水上飛行艇に救助されて、救助後の記者会見で発言した「この国に生まれてよかった」という言葉を取り上げた上で、「日本人の団結力」、「日本人の底力」、「日本人の礼儀正しさ」、「日本の国際貢献」、『日本の食文化」、「日本の皇室」をテーマに今年2013年を振り返り、誰もがこの国に生まれてよかったと思える感動のエピソードの数々を紹介して、「今一つこの国を見つめ直す」ことを狙いとした「大感動の90分!!」だと宣伝していた。
辛坊が遭難後の記者会見で喋った言葉は、「僕は本当にね、ああ、この素晴らしい国に生まれた。これ程までにうれしかったことはない」(MSN産経)である。
「この国に生まれてよかった」ということになると、「この国に生まれなかったなら、よくなかった」という意味を含むことになって、日本以外の国に対する差別語となるはずだ。
尤も番組を通してパネラーたちは日本人の素晴らしさを論ずる関係からだろう、日本人優越意識に囚われ、撒き散らしていた。だが、そういった意識に囚われ、撒き散らすこと自体が合理性を備えた客観的判断能力の欠如を示していることになる。
辛坊治郎の遭難については2013年6月23日当ブログ記事――《海難事故で救助された辛坊治郎の「ああ、この素晴らしい国に生まれた」の自身の幸福に対する祝福 - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。参考までに。
この記事では「日本人の礼儀正しさ」を取り上げてみる。
男性解説者「武器のない戦争と言われるスポーツ・サッカー。世界では荒くれ者のサポーターがときには殺人を起こす程だ。だが、日本人は違う。例えば昨年のロンドン・オリンピック、韓国との3位決定戦、勝利した韓国の選手が政治的ボードを掲げる無礼を行う中、負けて悔しいはずの日本人サポーターたちは試合後のスタンドを黙々と掃除をしていた。
日本人の礼儀正しさはいつも世界を驚かす。それは時に反日感情に凝り固まった人達の心さえ溶かしてしまう。
10月、19歳以下で行われたアジア選手権予選。日本人の若きイレブンは中国でマレーシアとの一戦に臨んだスタンドの観客は僅か100人。その殆どは日本の敗戦を願う中国人サポーターたち。
日本が次々とゴールを奪うたびに観客は更に減っていった。5対1。日本の勝利。このとき、日本の若き選手たちが起こした行動に中国人サポーターたちは驚いた。わずか10人程しか残っていない中国人サポーターに向かって全員で深々とお辞儀をしたのだ。
誰に見せるのでもなく、相手が喜ぶのかも分からない。
しかし試合が終われば、どんな状況でも当然のように相手や観客に礼を尽くす若きイレブンは今も日本人の中に武士道精神が生きづくことを世界に伝えてくれた。現代のサムライ」
大変な持ち上げようである。津川雅彦が満足顔で頷いていた。
日本人のサッカーサポーターたちの試合後のゴミ拾いは有名である。だが、あの広い観客席全部を清掃するわけではあるまい。サポーターが陣取った観客席に限っての清掃であろう。
だとしたら、ゴミを捨てなければ拾う必要は生じない。捨てないことが第一義的な肝要事項であって、拾うことが第一義的な肝要事項ではない。
また、もしサッカーのサポーターに限った日本人のゴミ拾いで、プロ野球のファンは行わないゴミ拾いなら、日本人に共通した礼儀正しさではなく、サッカーのサポーターに限った慣習からの礼儀正しさということになって、彼らにしても他の場所でのゴミ拾いという礼儀正しさにつなげていく保証はないことになる。
ゴミ捨ての殆どは匿名性を利用して行われる。いわば殆どの場合、匿名性が条件となる。人が見ているところではゴミ捨ては行わない。人が見ていた場合でも、その人が自分とは知り合いではなく、その人にとって自分はどこの誰とも分からないアカの他人という匿名性がなければ、ゴミ捨ては行わない。
多くの場合、捨てた物が隠れる場所にゴミ捨ては行われる。雑草が丈高く生い茂った場所とか雑木林とか、道路であっても、信号近くの中央分離帯の植え込みがある場所とかである。これも捨てたゴミが隠れることによって、見かけ上は捨てた者は存在しないことになる匿名性の利用に他ならない。
登山家の野口健がボランティアを募って(学生を中心に1000人も集まったという)集団で定期的に行っている富士山のゴミ拾いは広く知られているが、彼のHPに次のような記述がある。
野口健はエベレストの清掃、富士山は女優の若村麻由美担当で同時に清掃を行ったらしい。〈2008年4月19日、三年目となるエベレスト富士山同時清掃登山が無事に終了しました。この日は富士山側は女優の若村麻由美さんが隊長となり、約160人の参加者とともに約2トンものゴミを回収しました。清掃には中国やネパールからの留学生も参加。清掃には中国やネパールからの留学生も参加。清掃終了後は、エベレストにいる野口とテレビ電話による衛星中継が行われました。 〉――
この清掃はサッカーの日本人サポーターが観客席全体ではない、自分たちが陣取った一定の場所でのゴミ拾いのように富士山の全体を対象としたものではなく、一定の一帯を対象としたゴミ拾いであろう。
だが、約2トンものゴミを回収した。例えサッカーの日本人サポーターたちや冨士山のボランティアたちのゴミ拾いが日本人の礼儀正しさから出た行為であっても、一方に於いて、誰も見ていないことによる自身の匿名状況をいいことに、あるいはどこの誰とも知れないことがつくり出す自身の匿名状態を利用してゴミを捨てる“日本人の礼儀知らず”が存在するのである。
日本人サッカーサポーたちのゴミ拾いが心の底から発している自発的な礼儀行為であり、他の場所でも発揮されている行為であっても、そのこと一つを取って日本人全体の礼儀正しさだ、「日本人の中に武士道精神が生きづ」いているなどと解釈するのはテレビという媒体を使った情報伝達者としての資格はなく、客観的判断能力を全く欠いている過剰な拡大解釈と言わざるを得ない。
たった10人しか残っていなかった中国人サポーターたちに向かって試合後深々と頭を下げたこともそうするものだとしている慣習からの集団的な儀礼的行為ということもあり得る。
最近は高校野球をテレビ観戦しないから分からないが、以前は選手はバッターボックスに入るとき帽子をとって軽く頭を下げるのが選手の礼儀であり、それを以て高校生らしさ、若者らしさを表す象徴の一つとなっていた。
だが、プロに入ると、中には1や2人はいるかもしれないが、殆どは帽子を取らなかった。いわばバッターボックスに入るときの軽い脱帽は高校球児に限った、あるいは高校球児でいる間に限った礼儀正しさに過ぎなかったのだから、人間として身につけた礼儀ではなく、高校球児の慣習として行っていた礼儀正しさということになる。
酷な言い方をすると、高校球児らしく見せるための礼儀と言うこともできる。
番組はここでパネラーたちに質問する。「あなたは日本人の礼儀正しさについてどう思いますか」
山口もえ「“美徳”」
日本人全体の資質としてある美徳だということなのだろう。
竹田恒泰「衣食足りずとも、礼節を知る」
つまり、衣食の過不足に関係しない、どのような状況下でも発揮される日本人固有の礼節だとの意味であるはずだ。
金美齢「非礼な者もいる」
いわば日本人固有の資質ではないと言っている。
桂ざこば「あったり前」
つまり常に発揮される日本人の礼儀正しさであり、日本人全体の資質だとしている。このような考えを頭から信じることになると、客観的判断能力の欠如の上に築くことになる日本民族優越主義へと進むことになる。既に進んでいるのかもしれない。
津川雅彦「縄文から1万5千年の歴史を持つ」
日本人の礼儀正しさは大昔からの一貫した日本人全体の資質だとしている。
長谷川幸洋「目頭が熱くなる」
ジャーナリストである以上、情緒的解釈ではなく、合理的解釈を行うべきだろう。
加藤清隆「韓国選手と比較すれば・・・」
この男はかなり前の当番組で、「昔は従軍慰安婦という言葉はなかった」と、言葉がなかったことを以って従軍慰安婦は存在しなかったと言っていた判断能力の持ち主だが、ここでは韓国選手と比較した日本人の礼儀正しさだとしている。
だが、どのような態度も個人の資質に応じると同時に個人が置かれているケースバイケースに応じる。優しい性格の人間でも、ときには残酷なことをする。
夫を深く愛し、優しい女性が夫の浮気に耐えかねて他の男と衝動的に不倫し、ざまあみろと内心で夫に対する復讐心を満足させる女性も存在するはずだ。
人間の態度は否応もなしに相手の態度に応じることがある。
いわば常に一貫した固定的態度は存在しないのだから、韓国人選手を一括りとした態度も存在しないし、日本人選手を一括りにした態度も存在しないゆえ、一括りにして比較すること自体、ジャーナリストでありながら、公平な客観的判断能力を欠いていることになる。
宮崎哲弥「単なる長幼の序ではなく・・・・」
なぜここで「長幼の序」が出てくるか分からない。後で儒教との関係で説明して、韓国や中国は長幼の序が身体規範として根付いているが、日本の場合は長幼の序ではなく、「場の論理」だと言っている。
「はてなダイアリー」によると、「場の論理」とは、〈「場」が持っている慣習的な論理。ある一貫している論理が、その「場」に固定的に備わっていること〉とあるから、集団を形成する一つの場に於いて論理によって築かれた慣習を意味し、私が先に触れた「そうするものだとしている慣習からの集団的な儀礼的行為」と左程違わないように思える。
要するに場が一つの慣習を生み出し、その慣習が場を支配する構造の資質という意味であるはずだ。
だが、それを日本人全体の固定的な資質――美徳とするためにはあらゆる場・すべての場に於いて等しく発揮される慣習でなければならない。
そのような慣習は存在するだろうか。
宮崎哲弥は今の日本ではそういった「場」が縮小している、特に若者の間ではその場が縮小していて、日本人の礼儀正しさが必ずしも発揮できていないと、番組がつくり出したいと欲し、パネラーの何人かが賛同を示して「日本人の礼儀正しさ」がすべての日本人が持つものだとする固定的資質化に水を差している。
津川雅彦が「縄文から1万5千年の歴史を持つ」の意味を説明している。
津川雅彦「大自然を神様と見るんですよ。大自然に生きているもの、全てに命があると。それをアニミズム、生きているもんと、みたいな、生きていると。
で、命があると思ったところに全てに神様が宿ると、こう思われたわけですね。
だから、八百万(やおよろず)の神はそこで始まるし全てに命が宿るから、平等なんです。命は、命の平等ってことが、礼儀正しさの根本なんです」
桂ざこば「そうですね」
津川雅彦「これが1万5千年ずうっと続いているからね」
山口もえ「日本人だからですかねえ――」
津川雅彦は「アニミズム」という言葉を使ったとき、礼儀正しさが「縄文から1万5千年の歴史を持つ」日本人特有の資質ではないと気づかなければならなかった。いわば根拠のない日本人優越性に過ぎないと悟る必要があった。
「アニミズム」なる言葉は日本人がつくり出した言葉ではない。だからと言って、加藤清隆が「昔は従軍慰安婦という言葉はなかった」ということを以って従軍慰安婦は存在しなかったと言っているように、「アニミズム」に相当する精霊崇拝が日本に存在しなかったなどと言うつもりはない。
いわば大自然に存在する全てに命が宿るとする考えは日本だけに存在する特有の思想、あるいは哲学ではなく、外国にも存在する考えであって、「縄文から1万5千年の歴史を持つ」日本特有の考えではないということである。
要するに津川雅彦は日本民族優越意識に侵されていて、そのために日本特有の考えであり、日本人の礼儀正しさがそのような考えに基づいているとしているに過ぎない。
山口もえにしても、「日本人だからですかねえ――」と、日本人特有としたい日本民族優越意識に取り憑かれている。
金美齢「例えばね、外国へ行っているでしょ。例えばアメリカに行くじゃないですか。年寄りが一人重たい荷物を持っていたとか何とかっていうの、何も言わなくても、向こうから手を貸してくれるわけ。何も言わなくても、手伝いましょうって。
日本はね、ホントーに、あの、白髪(しらが)で重たい荷物を持っているときもね、若者がね、一言もね、お手伝いしようって言われたこと、全然ね、積極的に――」
辛坊治郎「若いからですよ」
辛坊はジャーナリストありながら、日本人全体が礼儀正しいとしたいばっかりに重たい荷物を持っている人間に対して自然な形で手伝う親切心の日本人の多くに見ることができる欠如を個人的な年齢に理由を転化する、公平な判断を欠いた卑劣なゴマ化しを用いている。
金美齢「いや、そうじゃなくて、もう無関心と言うか、周りに全然無関心。こう、スマホのここばっか見て(手に持ったスマホを指で操作する真似をする)」
宮崎哲弥「単なる日本人の礼儀って、長幼の序ではなくて――」
金美齢「家庭教育の問題。親がどんどん教育力を失ってね、自分のね、子どもたちにどうすべきかということを全然教えていない」
山本浩之司会者「若い人たちに最近、そういうのが目立つのかもしれないけれど、どうしてそういう人たちが目立ってくるかと言うと、大人が教えないからですよ。
で、電車の中を見て下さいよ。若い人よりもひょっとしたら年をいったオッサンの方が物凄っい態度が悪いのがいるでしょ?」
金美齢は親が教育力を失っている家庭の教育力の問題を指摘してるが、親が重たい荷物を持って難儀している他人を見た場合に躊躇なく手を貸す親切心を態度として、子どもがそういった親の態度を見て育っていたなら、それが家庭教育となるのであって、子どもは親の態度を自然に受け継ぐ。
つまり親の教育力が失われているのではなく、親自体が手を貸す習慣を持っていないことから子どもに反映している他人の難儀に対する無関心という相互反応であるはずである。
しかし山本浩之は司会者の立場を忘れて、番組が意図している狙いを無視し、態度の悪い若者が目立つこと、そして若者よりも親の年齢に当たるオッサンの態度の悪さを言って、親から子へ循環させていくべき家庭教育の衰退を指摘しているが、その指摘を成り立たすためにはそもそもからして日本の家庭教育に他人の難儀に手を貸す、親の態度で示す教えがあったかどうかを検証する視点を持たなければならないはずだが、自分が見た現象を表面的に把えて表面的に解釈するだけの検証となっている。
桂ざこば「オッサンの方が?」
若者の態度の悪さを認めることはできるが、オッサンは認めることはできない不服を見せた。
山本浩之司会者「オッサンが」
桂ざこば「そうかなあ」
津川雅彦「今ね、老人の万引きが最高に多いらしい」
山本浩之司会者「多いですよ。礼儀知らないのが多いですよ。天神橋で自転車に乗っているオッサンに、(自転車乗り入れ禁止になっているのだろう)『自転車乗ったらアカンで』って言ったら、ガアッーて言われたもん」
金美齢「私が日本に来たとき、当初ね、中年の女性が一番礼儀正しかったの。最近のね、日本の中年の女性っていうのはね、ひどい言動しますからね」・・・・・・
「日本人の礼儀正しさ」をテーマにして19歳以下の日本人サッカーチームの若きイレブンの礼儀正しさを武士道精神の現れだ、若きサムライだと持ち上げ、日本人サポーターのゴミ拾いを世界を驚かすと最大限の評価を与えて、若者の礼儀正しさを日本人全体の固有の優れた資質だとする提示から始まって、最後には最近の若者は態度が悪い、礼儀を知らない、オッサンは若者以上に態度が悪いという論理展開でコーナーを閉じることとなった。
この滑稽さに気づく客観的判断能力を持った出演者は誰一人としていなかった。最初は納得し、賛同していたテーマを自分たちから否定したのである。その矛盾をさらっと遣り遂げた。
この程度の客観的判断能力の持ち主なら、何をテーマにして何を喋ろうとも、大した意味を成さないだろう。
だが、多くの同じ穴のムジナたちが彼らの言っていることを頭から信じ、同じ穴のムジナたちの正当な情報となって世間に流布し、のさばることになる。
12月16日(2013年)、国家主義者安倍晋三が都内で行われた《ふるさとの風コンサート~『北朝鮮拉致被害者』救出を誓う音楽の集い~》に出席して挨拶を述べている。
安倍晋三「我々は強い決意を持って、安倍内閣においてこの問題を完全に解決をしなければならないと決意をしているところでございます。
この拉致問題について、北朝鮮が今までとってきた政策を変えてこの問題を解決して北朝鮮の未来への国づくりを再び始める大きな決断を金正恩第1書記にしていただかなければならないわけであります。
そのために我々は今、対話と圧力の姿勢で何とかこの状況を転換しようと、この姿勢でやってまいりました。ほかに道はないのか。もちろんそういうご批判もあります。ほかにいい道があれば是非教えていただきたいと思うわけでありますが、しかし今までとってきた政策を変えさせない限り完全解決は無いわけでありますから、彼らが今、とっている政策を変えなければ北朝鮮の将来は無いんだ、そう決意をしなければなりません。
その決意をさせるための圧力、私たちはそのための圧力をかけているわけであります。チャンスがあればいつでも話し合いをしたいと思っています。
私は総理に就任して1年間、150回以上首脳会談を行いました。首脳会談においては必ず、拉致問題についての理解を求め、日本の姿勢に対する支持を求めてまいりました。すべての国から支持をいただいています。10年前はほとんどの国々がこの問題に対する理解がありませんでした。しかし今や国際社会にとってこの拉致問題は、人権に対する大いなる侵害であり、主権に対する侵害、この共通認識は多くの国々が持って頂いてるのではないかと思います。そして同時に日本が、国民がまとまった声をあげる、その意味においてこうしてたくさんの皆様にこのコンサートに参加していただきました。是非、この声を北朝鮮に伝えたいと思います」――
これだけの会話だが、話の内容自体に多くの矛盾が含まれていることに安倍晋三は残念ながら気づいていない。判断能力が壊れているからだろう。
先ず第一に金正恩は北朝鮮が今まで採用してきた政策を変えて拉致問題を解決して北朝鮮の未来への国づくりを再開する大決断をしなければ、それ以外に北朝鮮の将来はないと断言している。
そうさせるための方策が安倍晋三の「対話と圧力」だと信じて疑わない姿勢を示している。
つまり「対話と圧力」こそが金正恩の政策を転換させ、北朝鮮の将来を保障するための有効な唯一の方策だとしている。
この姿勢は拉致被害者5人が帰国し、それ以外の被害者の問題解決が進展しなくなった状況以降からの特に自らが作り上げた一貫した姿勢である。にも関わらず、「ほかにいい道があれば是非教えていただきたいと思う」と、有効・唯一の方策だとしていることの一貫性に反することを今更ながらに言う矛盾を演じている。
小泉当事首相が訪朝して金正日と第1回目の会談したのが2002年9月17日。拉致被害者5人の帰国が2002年10月15日。第1次安倍内閣発足が2006年9月26日。
第1次安倍内閣に「拉致問題対策本部」設置されたのは2006年9月29日。第1回会合が2006年10月16日。
この中で、〈かかる状況の中、拉致問題については、政府として、引き続き、「対話と圧力」という一貫した考えの下、解決に向け粘り強く取り組んでいくこととし、拉致問題の解決なくして北朝鮮との国交正常化はあり得ないということをここに改めて確認した上で、今般新たに設置した拉致問題対策本部を中心に政府一体となって、すべての拉致被害者の生還を実現すべく、今後の対応方針を以下のとおり決定する。北朝鮮がこうした我が国の決意を厳粛に受け止め、拉致問題を解決するための決断を早急に下すよう強く求める。〉と、「対話と圧力」を小泉内閣に引き続いて、いわば路線継承して対北朝鮮政策とすることを確認している。
小泉首相が対北朝鮮政策「対話と圧力」を国際公約としたのは第1回訪朝2002年9月と第2回訪朝の2004年5月の中間、米国での小泉・ブッシュ首脳会談のときのことで、ブッシュに「北朝鮮問題解決のためには『対話と圧力』が必要」と発言したとインターネットで紹介している。
いわば「対話と圧力」は2004年の小泉・ブッシュ会談での国際公約から9年、安倍晋三が内閣として2006年9月に「拉致問題対策本部」を設置・主宰してから7年、一貫した対北朝鮮政策としてきたのである。
だが、「対話と圧力」は金正日をしてその先軍政治を変えさせる「大きな決断」をさせるに至らなかったし、権力父子後継者である金正恩に対しても「大きな決断」をするに至らしめる効果を今のところ何ら見せていない。
その理由を検証することもなく、「対話と圧力」こそが金正恩に対して北朝鮮が今まで取ってきた政策を変えさせる有効・唯一の政策であり、そのことが北朝鮮の将来を約束すると自らの姿勢をバカの一つ覚えのように頑なに守っている。
少なくとも「対話と圧力」が金正恩をして北朝鮮の対外政治を変えさせるにどれ程の進展を見せているか明らかにしなければ、「対話と圧力」の評価を測ることは不可能で、明らかにすることによって、その適否の評価を客観的に与えることが可能となり、その政策を続ける資格を問うことができることになる。
だが、効果を検証することもなく、これ以外に方法はないと、「対話と圧力」一辺倒となっている。いわば効果との比較で掲げている「対話と圧力」ではないということになる。
これほどの矛盾、バカさ加減はない。
最大の矛盾は、「私は総理に就任して1年間、150回以上首脳会談を行いました」と言っていることである。例え首脳会談を「150回以上」行おうと、1000回以上行おうと、そのことを通して訪問国の各国首脳が「拉致問題は、人権に対する大いなる侵害であり、主権に対する侵害」だとする共通認識に至ろうとも、安倍晋三が「対話と圧力」こそが北朝鮮の政策を変えさせて拉致問題の解決につながり、尚且つ北朝鮮の将来を約束する契機となると言っている以上、各国訪問も北朝鮮に対する「対話と圧力」に効果を発揮する出来事でなければ、いくら共通認識に立とうと、意味はない。
いわば北朝鮮に対する「対話と圧力」に役立っているのかという視点で外国訪問と首脳会談を意味づけなければならないはずだが、発言はそういった視点を全然取っていない。
このような肝心要な視点もなく、外国訪問回数と首脳会談開催数を誇り、外交辞令でもするはずの共通認識の獲得を勲章とする見当外れの単細胞をご披露している。
安倍晋三の頭の悪さが分かるというものである。
安倍晋三の矛盾、頭の悪さを古屋拉致問題相がそっくりと受け継いでいるから、拉致解決にとって始末に悪い。佐賀県での集会挨拶。
《「拉致、解決する大きなチャンス」古屋拉致問題相》(asahi.com/2013年11月9日17時09分)
古屋圭司「北朝鮮による拉致問題は、小泉内閣で5人が帰国して以来、進展がない。第1次安倍内閣で政府に拉致問題対策本部と担当大臣ができた。ここからが勝負の始まりだったのだが、残念ながら1次内閣は1年で終わった。以来、毎年のように首相が替わり、途中で政権交代も起きた。これでは、北朝鮮は日本にどういう思いを持つか。
今年7月の参院選で私たちに信任をいただき、何年ぶりかで衆参のねじれが解消した。今度は安定した政権を目指すことができる。拉致問題を解決する大きなチャンスが来た。すべての被害者を戻さなければ、北朝鮮に支援はおろか制裁解除もあり得ない。北朝鮮に立ちゆかなくなると悟らせる」――
「拉致問題対策本部」が1年で終わったということは意味をなさない。後の麻生内閣、福田内閣が受け継がなければならない政策だからだ。
百歩譲って、古屋が安倍晋三のリーダーシップを俟たなければ解決できない難しい問題だと認識していることからの発言だと認めるとしても、「すべての被害者を戻さなければ」、「北朝鮮に立ちゆかなくなると悟らせる」ことができる可能性について具体的に言及しなければ、当てずっぽうな上、情緒的な反応の期待発言となる。
少なくとも金正恩は現在のところ、「すべての被害者を戻さなければ」、北朝鮮は「立ちゆかなくなると悟」ってはいない。いわば第2次安倍内閣発足1年間、「対話と圧力」は「悟らせる」だけの役には立っていない。
今後は役に立たせることができるという確証があるなら、その確証を説明しなければならないはずだが、何らの説明もない。
つまりそういった趣旨の発言となっていなければならないにも関わらず、なっていないのだから、安倍晋三と似た者同士の頭の悪さと言わないわけにはいかない。
安倍晋三は上記挨拶の最後に「そして同時に日本が、国民がまとまった声をあげる、その意味においてこうしてたくさんの皆様にこのコンサートに参加していただきました。是非、この声を北朝鮮に伝えたいと思います」と言っているが、国民の声を金正恩の耳に届ける具体的な方策を示し、実際に耳に届ける実行力を発揮しない限り、古屋の「北朝鮮に立ちゆかなくなると悟らせる」と同じで、単なる情緒的な反応で終わる。
情緒的な反応はその場では多くの人間の共感を得ることができても、金正恩の共感とするだけの力は持ち得ない。
安倍晋三がこうも頭が悪いようでは、いくら米国に倣って国家安全保障会議(日本版NSC)を設置しようと、大したリーダーシップは働かせようがないはずだ。