石原慎太郎の愚かしいばかりの、自分が何を言っているのか気づかない「ゆとり教育」真っ向断罪論

2012-10-31 11:25:12 | Weblog

 石原慎太郎が2012年10月25日、まだ東京都知事の肩書きで辞任・新党立ち上げ記者会見を行った中で、「ゆとり教育」に触れている。

 勿論、国家主義者のスタンスからの評価だから、肯定論であるはずはない。

 発言は第2日テレ「ノーカット工房」の動画から取った。

  「色々言いたいことがる」と言い出した中の一つである。

 石原慎太郎「例えばね、文部省、これが主導したゆとり教育ってのはとうなりました?

 あれで兎に角、バカみたいな子どもたちでね、たちまち学力が落ちた。

 公立の学校がですね、1年目から、(言い直しなのだろう)3年目からこれを無視してね、どういう授業を始めたか。私立は全く言うことを聞きませんでしたね。

 そういうね、自分たちが犯した文部省が公式に取り消しましたか。ゆとり教育などと、要するにバカな、このリーダーシップを。

 これも一つです」

 マスコミはこの発言を重要視しなかったが、発信力ある著名人だけあって、「ゆとり教育」自体が不人気を抱えている状況下で、この真っ向断罪論は相当な影響を与えたのではないだろうか。

 「ゆとり教育」が学力を落とすのは当たり前のことであって、前以て予定調和としなければならない事態であったが、多くが予定調和とすることができずに、学力が落ちてから慌て出した。

 「ゆとり教育」の真の目的は従来の詰め込み主義の反省に立って導入されることになった「総合的な学習の時間」(総合学習)であった。

 「総合的な学習の時間」の最大の狙いは「子供たちが自分で課題を見つけて、主体的に判断して自ら考え学び、よりよく問題を解決する資質や能力を育てることによって、自分から『生きる力』を身につけていく」ことにあると言われていた。

 と言うことは、日本の教育がスタイルとしている詰め込みの暗記教育では「総合学習」が目的とする、何事も自分で考え、判断して解決していく自発的学習態度の涵養は望めないと認識して、「総合学習」を取り入れることにしたということになる。

 両者を比較した場合、詰め込みの暗記教育はその学力を得るに自発的教育と比べて、時間は短くて済む。教師が与える知識・情報をひたすら暗記するだけで解決するからである。

 勿論、暗記能力や暗記に対する熱意に個人差があり、暗記の確度や量に差は出てくる。

 但しその差に関係なく、思考性・行動性に関してはテストの設問に対しても、何らかの行動に於いても、暗記した知識・情報を機械的になぞって回答としたり、活動の基準とすることになる。

 行動に於ける典型的なパターンがマニュアル人間であり、横並び行動なのは断るまでもない。両者とも行動の手本を自身の考えや判断に置かずに他者の指示や行動に置く。

 行動に於けるこの構造は教師が与える知識・情報をなぞって自身の情報・知識とする暗記教育の構造と重なるのも断るまでもないことである。暗記教育から発した思考性・行動性なのだから、当然のことである。
 
 逆に何事も自分で考え、判断して解決していく自発的学習態度の涵養は単に教師が与える知識・情報をなぞって自身の情報・知識とする暗記と違って、時間がかかる。例え他人の力を借りるとしても、基本的には何事も自分で答を見つける姿勢を維持しなければならないし、その代償として暗記型の思考・暗記型の行動を捨てることになる。

 当然、機械的な暗記学力も基本的には捨てることになる。自分で考え、判断して納得し、記憶した、教師が与えて機械的に暗記したのとは異なる知識・情報を思考や行動の基本とすることになるからである。

 また、親から子に受け継ぎ、子が学校で暗記型思考性と行動性をなお一層刷り込まれて成長して大人になって、設けた子供に自らが刷り込まれた暗記型思考性と行動性を刷り込み、その無限循環を伝統・文化としてきて、暗記に慣らされた思考性・行動性にいきなり自分で考え、判断する自発的思考性と行動性への転換を求めたとしても、短期間に順応できるはずはない。

 こうったことを見極めた上で、詰め込みの暗記教育を取って、それが主として暗記知識であったとしても、それによって得ることができる機械的な学力を取るか、あるいは暗記学力を捨てて、何事も自分で考え、判断して解決していく、時間のかかる自発的学習態度の涵養とそのことによって得ることができる、それぞれに独自な内容を備えることになる柔軟思考の学力を取るか、覚悟しなければならなかったはずだ。

 だが、時間のかかる総合学習の教育を選択しながら、暗記学力の低下を予定調和とする覚悟を持つことができず、テストの成績が下がったことを以って学力の低下だと騒ぎ、パニック同然となってたちまち方向転換に出た。

 多くの人間が総合学習の導入によって教科書が薄くなった意味すらも理解することができなかった。

 暗記教育は教科書に書き込んである知識・情報を教師が、少しは補って膨らませることはあっても、ほぼそのとおりになぞって、自らを介して生徒に伝達し、生徒が教師が伝達するままにほぼなぞって暗記していく構造を取る。

 いわば暗記教育に於いては生徒が年齢に応じて必要としている知識・情報の量と教科書に書き込んである知識・情報はほぼ等量を維持しなければならないから、年齢が上がっていくに従って教え込む知識・情報が増えていき、教科書に書き込む知識・情報量も増えて、教科書は厚みを増していく。

 だが、生徒自身が何事も自分で考え、判断して答を見い出し、解決していく自発的教育は教師が与える一つの知識・情報に対して生徒自身が考えて自分なりの知識・情報に膨らませ、二にもし、三にもする結果、教師が生徒に伝達する知識・情報の1に対して、その情報源としている教科書に書き込む知識・情報にしてもほぼ等しい1で済むことになって、生徒が獲得する知識・情報の量と比較して教科書は薄くてもいいことになる。

 いわば厚みの薄い教科書が当然備えることになる知識・情報量の少なさを児童・生徒の自分で考え、判断して付け足していく知識・情報が補う形を取って、実際の知識・情報量は教科書の見た目の知識・情報量を遥かに上回ることになる。

 いずれにしても総合学習の導入による学力の低下を必然とすることができずにパック状態に陥り、詰め込みの暗記教育に早々に回帰することになった。

 当然、教師が児童・生徒に伝達する知識・情報量は教科書に書き込んである知識・情報量とほぼ等量をなし、生徒が暗記する知識・情報量ともほぼ等量をなすために、学力を上げるために多くの知識・情報を詰め込もうとすれば、教科書は厚くなる運命を必然とし、実際にもあれも教えなければならない、これも教えなければならないと厚くなっていった。

 橋本徹が大阪府知事時代、2008年度4月実施の全国学力テストの都道県別成績が2007年度の成績とほぼ変わらない、すべての分野で平均正答率が41~45位と低迷して、激怒した。

 橋本徹「(大阪府)教育委員会には最悪だと言いたい。これまで『大阪の教育は…』とさんざん言っておきながら、このザマは何なんだ」(MSN産経

 要するに暗記教育主義の立場に立って発言した。来春採用の教員志望者向け受験説明会で次のように発言している。

 橋下徹「僕と府教委はいま、日本一の教育制度をつくろうと議論している。でも、日本一の教職員が集まらないとせっかくの制度も実践できない。

 教育から大阪を変えてやろうという熱い気概を持った人たちを歓迎します」(asahi.com

 自分で考え、自分で判断して答を見い出して解決していく自発的教育とは正反対の、従来どおりの自分で考えない、他者の知識・情報をそのままなぞり暗記して自分の知識・情報とする、愚かしいばかりの暗記教育強化の宣言である。

 すなわち考えない子供の育成宣言である。

 勿論、石原慎太郎の「例えばね、文部省、これが主導したゆとり教育ってのはとうなりました?あれで兎に角、バカみたいな子どもたちでね、たちまち学力が落ちた」の発言も、同じ穴のムジナとなる愚かしいばかりの暗記教育強化の宣言であり、考えない子供の育成宣言と言える。

 最後に石原慎太郎や安倍晋三、橋本徹等の国家主義者の愛国心教育の危険性について一言。

 児童・生徒が自分で考え、自分で判断して答を見い出して解決していく自発的教育を排除、上が伝達する知識・情報をそのままなぞる形式の暗記教育に立っている関係から、愛国心教育にしても、国が決めた愛国心の知識・情報をそのまま児童・生徒がなぞって自分たちの知識・情報とする力学・強制が自然と働くことになり、いわば洗脳の構造を取る危険性を抱えることである。

 戦前の愛国心教育も同じ構造を取っていたはずだ。

 児童・生徒が自分で考え、自分で判断して答を見い出して解決していく自発的思考過程・行動過程を排除することによって可能となる国家主義からの愛国心教育ということである。

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野田所信表明、今日までの責任を果たしていない者に「明日への責任」は期待不可能

2012-10-30 14:08:35 | Weblog

 昨日10月29日(2012年)、野田首相による第181回臨時国会所信表明演説が衆議院のみで行われた。参議院は野田首相が問責決議を受けていることから、野党が演説を拒否、行われないことになった。

 一つの院のみの所信表明は憲政史上初めてのことだということだが、野田首相は政治史に名を残す快挙を成し遂げたことになる。

 演説は初めから終わりまで相変わらず美しい、見事なばかりに力強く人に訴える言葉を並び立てている。だが、言葉の一つ一つを検証していくと、「明日(あす)への責任を果たす」云々は何度も繰返し使っているが、(20回も繰返しているそうだ。)、民主党政権の、あるいは野田政権の「今日(こんにち)までの責任」についての具体的な言及が一切ない。

 抽象的には一度だけある。

 野田首相「政権交代以降、民主党を中心とする政権のこれまでの取組は、皆さんの大きな期待に応える上では未だ道半ばでありますが、目指してきた社会の方向性は、決して間違っていないと私は信じます」

 民主党を中心とする政権のこれまでの責任履行は「未だ道半ば」、いわば道の途中だと言っている。しかし民主党政権は成立から3年は過ぎていて、道の半ばを過ぎている。国民の期待に応えつつある政治、あるいは社会をつくり出していなければ、責任結果を果たしているとは言えない。

 果たしていない責任結果の不足を「決して間違っていない」としている「目指してきた社会の方向性」で補って民主党政治に正当性を与えようとしているが、国民の利益となる実体的果実は「目指してきた社会の方向性」ではなく、あくまでも民主党政治、あるいは野田政治の責任結果である。

 「政治は結果責任」――自らが負った責任の結果を出すことができないということは政治能力のないことを意味する。

 当然、いくら「明日への責任」を言い立てようとも、責任結果に相当する「今日までの責任」を果たすことができていない政治に「明日への責任」は期待しようがない。

 要するに責任の結果を出していなければ、言葉自体は美しい、見事なばかりに力強く人に訴える文言を並べたとしても、口先だけの奇麗事に過ぎないということになる。

 具体的に「今日までの責任」がどれ程の成果を上げているのか、責任結果を見てみる。

 演説は首相官邸HPから採録した。

 野田首相は冒頭、〈一 はじめに ~明日の安心、明日への責任~〉で、次のように発言している。

 野田首相「今日より明日(あした)は必ず良くなる。私は、この国に生を受け、目の前の『今』を懸命に生き抜こうとしている全ての日本人に、そう信じてもらえる社会を作りたいのです。年齢や男女の別、障害のあるなしなどにかかわらず、どこに住んでいようと、社会の中に自分の『居場所』と『出番』を見出して、ただ一度の人生をたくましく生きていってほしい。子どもも、地方も、働く人も、元気を取り戻してほしいのです」

 雇用創出や格差解消等、政治の力によって国民一人ひとりに「社会の中に『居場所』と『出番』」を提供することによって、「今日より明日(あした)は必ず良くなる」と確約している。

 だが、「自分の『居場所』と『出番』」の提供は野田首相が今回初めて言い出したことではない。鳩山当時首相が政権交代後の2009年10月26日の初めての所信表明演説で言及している。、

 鳩山首相「毎年三万人以上の方々のいのちが、絶望の中で断たれているのに、私も含め、政治にはその実感が乏しかったのではないか。おばあさんのその手の感触。その眼の中の悲しみ。私には忘れることができませんし、断じて忘れてはならない。社会の中に自らのささやかな『居場所』すら見つけることができず、いのちを断つ人が後を絶たない、しかも政治も行政もそのことに全く鈍感になっている、そのことの異常を正し、支え合いという日本の伝統を現代にふさわしいかたちで立て直すことが、私の第一の任務です」

 更に同じ所信で、「居場所と出番」のある社会、「支え合って生きていく日本」〉と題して。

 鳩山首相「私は、国、地方、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる日本を実現するために、また、一人ひとりが『居場所と出番』を見いだすことのできる『支え合って生きていく日本』を実現するために、その先頭に立って、全力で取り組んでまいります」云々。

 更に次を継いだ菅無能にしても、何度も口にしている。小沢一郎氏を対立候補とした2010年9月8日民主党代表選挙前の決意表明で次のように言及している。

 菅無能「今、日本には多くの問題が山積しています。その中で最も緊急にかつ強力に解決を図らなければならないのは、経済を立て直すこと、そして、雇用の安心を確立することです。雇用を失うことは、収入を失うにとどまりません。居場所と出番。つまり社会とのつながりを失うことは、孤立を招き、自らの存在意義を見失って、希望までもが奪われていきます。20年に及ぶデフレから脱却し、強い経済を作り上げ、雇用を立て直す。そのために、新成長戦略を策定しました」(MSN産経/2010/09/14 16:22)

 内閣改造後の2010年10月1日第176回国会菅所信表明演説―― 

 菅無能「経済の歯車を回すのは雇用です。政府が先頭に立って雇用を増やします。医療・介護・子育てサービス、そして環境分野。需要のある仕事はまだまだあります。これらの分野をターゲットに雇用を増やす。そうすれば、国民全体の雇用不安も、デフレ圧力も軽減されます。消費が刺激され、所得も増えます。

 その結果、需要が回復し、経済が活性化すれば、さらに雇用が創造されます。失業や不安定な雇用が減り、『新しい公共』の取組なども通じて社会の安定が増せば、誰もが『居場所』と『出番』を実感することができます。こうした成長と雇用に重点を置いた国づくりを、新設した「新成長戦略実現会議」で強力に推進します」

 2011年2月9日菅・谷垣党首討論――

 菅無能「今日の高齢化の進展によって、毎年1兆円のそうした社会保障の費用が自然増という形で増えている。さらには子育てや若者層の雇用という問題が、これまで必ずしも十分に保障されてこなかった。そして、孤立化といった、人々が居場所と出番を持てない、そういう社会にもなっております。そうした意味で、今こそ社会保障と税の一体改革はどの内閣であっても、誰が総理大臣であっても避けては通れない、そういう課題であることをまずスケジュール感として申し上げておかなければならないと思います」(MSN産経

 いわば、民主党政治は、鳩山氏にしろ菅無能にしろ、野田首相にしろ、「目指してきた社会の方向性は、決して間違っていない」としている自らの政治の力によって、『居場所』と『出番』の国民への提供の責任を負った。

 当然、当初から責任を負って3年も経つのだから、どの程度の成果(=責任結果)を提供できたのか、今日までこれこれの責任を果たしてきましたという、その検証結果を報告しなければならないはずだが、その検証もなしに、「今日より明日(あした)は必ず良くなる」、「そう信じてもらえる社会を作りたい」と言って、「どこに住んでいようと、社会の中に自分の『居場所』と『出番』を見出して、ただ一度の人生をたくましく生きていってほしい。子どもも、地方も、働く人も、元気を取り戻してほしいのです」と美辞麗句を駆使して終えている。

 民主党政治は「『居場所』と『出番』」の提供にこれだけの責任結果を出しましたとその成果を誇示してこそ、国民は「今日より明日(あした)は必ず良くなる」と信じることできるはずだが、責任結果の提示もなしに信じさせようとしているのだから、口先だけと見られても仕方はあるまい。 

 野田首相は社会保障・税一体改革関連法成立を、「『決断する政治』への断固たる意思を示した画期的な成果です」と誇り、「温もりあふれる社会を取り戻し、次の世代に引き継いでいくための大きな第一歩です」と約束しているが、消費税収入の使途を社会保障に限定すると約束していながら、そのことに反して消費税増税法の「附則第十八条 二」で、「税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能となる中で、我が国経済の需要と供給の状況、消費税率の引上げによる経済への影響等を踏まえ、成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する」と謳って、社会保障費以外にも使うことができる規定を設けていることと、復興予算が被災地の復旧・復興貢献に直接関係のない被災地外の事業に流用されていた事実、その他を見ると、否応もなしに予算の使い道に疑問符がつき、言っている「温もりあふれる社会」の実現を無条件には信じることができない。

 いわば予算の使い道で今日までの責任を果たしていないのに対して「明日への責任」を言われても、土台無理だということである。

 一つ一つ責任結果を出していてこそ、「明日への責任」は生きてくるはずだが、その逆となっているのだから、「明日への責任」を20回言おうと、その倍の40回言おうと、「明日への責任」は生きてくるはずはない。

 当然、奇麗事と化す。

 「雇用のミスマッチ」に関しても同じことが言える。《明日への責任 ~国民生活の安心の基盤を固める~》で次のように綺麗事を並べている。

 野田首相「明日(あす)への責任を果たす。それは、私たちが日々の生活を送る上で感じている将来への不安を少しでも取り除いていくことです。

 明日(あす)に希望を持てない若者たちが数多くいます。明日(あす)を担う子どもたちを育てる喜びを実感するよりも、その負担に押し潰されそうになっている親たちがいます。貧困や孤独にあえぎ、あるいはその瀬戸際にあって、明日(あした)の生活さえ思い描けない人や、いじめに怯(おび)える子どもたちもいます。

 そうした現実から目をそらさず、社会全体として手を差し伸べなければなりません。一人でも多くの人が、働くことを通じて社会とつながる実感を抱くことができるよう、経済全体の再生やミスマッチの解消を通じて、雇用への安心感を育みます。行政の手が行き届かないところにも社会の温もりを届ける『新しい公共』が社会に根付くための環境整備にも努めます」

 「雇用のミスマッチ」は自民党時代から言い出していたことである。当時の舛添厚労相が2009年1月16日の閣議後記者会見で、派遣切りによる失職者を人手不足に悩む介護・医療分野での雇用に結びつけるために約2万6千人分の介護職の職業訓練費用を国が負担する方針を明らかにしている。

 舛添厚労相「省を挙げて(雇用の)ミスマッチ状況に対応したい」(asahi.com

 当然、民主党政権も「雇用のミスマッチ」に取り組んだ。菅無能は2010年9月10日民主党代表選公開討論会で発言している。

 菅無能「先日、京都のジョブパークに行って話を聞き、確かに大企業は求人倍率は0.5ぐらいだが、中小企業は4ぐらいある。中小企業がほしい人材、学生さんが暗い顔してやって来るのをカウンセリングして、いろいろ話をして、場合によってはトライアル雇用をやっていると、だんだん元気になってくる。逆に中小企業の人も、去年1人とってみたら元気だった、今年は2人とろうと。かなりの成果が上がっていた。そういうミスマッチをきちんとマッチングさせることも極めて大きいところだ」(MSN産経

 菅無能は成果が上がっているようなことを言っているが、果たして事実だろうか。

 派遣切り等で失業した若者を恒常的な人手不足に陥っている介護分野への再就職による「雇用のミスマッチ」解消で経済を活性化させるを持論とし、機会あるごとに発言していた。

 一例を上げると、2011年11月17日参院予算委員会―― 
 
 菅無能「需要が潜在化しているところに、例えば介護とか保育とかそういった分野にある程度の財政出動をすれば、潜在化している需要が生まれると同時に、当然ながら雇用が生まれ、生産が生まれ、そして納税者が増えるわけであります。そういうメカニズムを好循環で回していきたいというのが私の考えている経済成長路線への復活の道でありまして、まあ余りやじには答えたくありませんが、是非そういう考え方を国民の皆さんに御理解をいただきたいと思っております」――

 だが、介護分野を対象とした 「雇用のミスマッチ」解消はうまくいっていない。《介護事業所 半数が“人手不足”》NHK NEWS WEB/2012年8月19日 4時22分)

 厚生労働省所管財団法人「介護労働安定センター」による去年10月、全国約1万7000の介護事業所対象の調査。

 「介護現場で働く職員が不足している」――53%の事業所(前年比+3ポイント)

 原因。

 「採用が困難」――66%
 「定着率が低い」――20%

 2010年10月~2011年9月までの離職率――16%(前年比+2ポイント)

 離職者の勤務年数3年未満――76%

 田中雅子日本介護福祉士会名誉会長「団塊の世代が75歳になる10数年後までに、あと100万人介護の人材が必要だ。能力が高い職員の育成と職場への定着のための対策や、資格がありながら介護現場を離れている人たちへの再教育など、国の継続的な支援が不可欠だ」

 少しは改善されたというものの巷には失業者が溢れているというのに介護現場では、「10数年後までに、あと100万人介護の人材が必要」だと言っている。

 では、菅が言っていた大企業と中小企業の「雇用のミスマッチ」は民主党政権下で解消されたのだろうか。 

 《政府「若者雇用戦略」正式決定》NHK NEWS WEB/2012年6月12日 18時52分)

 2012年6月12日、野田首相は深刻化する若者の雇用状況の改善に向けた「若者雇用戦略」を正式に決定した。

 この「若者雇用戦略」は、「高卒の3人に2人、大卒の2人に1人は就職できなかったり、早期に会社を辞めたりしている」厳しい雇用環境を踏まえたものだそうだ。

 このような厳しい雇用環境自体が、菅が言っていた「雇用のミスマッチ」が改善されていないことの証明にしかならない。景気低迷による厳しい雇用環境は欧州の金融危機といった外部環境も原因となっているだろうが、だからこそ、「雇用のミスマッチ」解消で就職難や失業状況を少しでも改善しなければならなかったはずだが、今年の6月になって「若者雇用戦略」を策定した。

 具体的な対策――

▽大企業志向が強い学生と、採用意欲がありながら人材を確保できない中小企業との間のミスマッチを解消するため、中小企業などを紹介する政府版の就職情報サイトを新たに作って学生への情報発信を強化する

▽せっかく就職しても、仕事の内容が自分に合っていないなどとして、早期に会社を辞める若者が多いため、学生のうちから職場体験を行ういわゆるインターンシップを、産学官で支援する協議会を新たに設置する――等。

 野田首相(12日の対策会議)「これまでの施策は対症療法的だという厳しい評価を受けている。現場の第一線からの率直な声を今後の運営に生かしてもらいたい」――

 「これまでの施策は対症療法的だという厳しい評価を受けている」

 要するに民主党政権約3年で、「雇用のミスマッチ」解消だ、介護分野の雇用創出だと散々言って、自らの責任としていながら、若者雇用に関して責任結果を出すことができていなかった。

 しかも「若者雇用戦略」にかかる費用は来年度の予算編成に反映させるというのだから、責任結果が出るまでに更に時間がかかる。

 今日までの責任結果を出していないのだから、その能力から言ったら、「経済全体の再生やミスマッチの解消を通じて、雇用への安心感を育みます。行政の手が行き届かないところにも社会の温もりを届ける『新しい公共』が社会に根付くための環境整備にも努めます」などと確約したとしても、今後の責任結果=「明日への責任」は安請合いとしかならない。熟した果実が手の届くところにあるかのように言ってもである。

 野田首相は《明日への責任 ~日本経済の再生に道筋を付ける~》のところで、その方法論を述べている。

 野田首相「経済再生を推し進める第一の原動力は、フロンティアの開拓により力強い成長を目指す『日本再生戦略』にあります。

 これは、疲弊する地域経済の現場で明日(あす)のために戦う人たちへの応援歌でもあります。戦略に描いた道筋を着実にたどっていけるよう、日本再生を担う人材の育成やイノベーションの創出に力を入れるとともに、『グリーン』『ライフ』『農林漁業』の重点三分野と中小企業の活用に、政策資源を重点投入します」

 続いて「重点三分野」について説明している。

 野田首相「その先駆けとなる新たな経済対策の策定を指示し、先般、その第一弾をまとめました。新たな成長のエンジンとなるグリーンエネルギー革命。画期的な治療法を待ち望んでいる人たちの心に光を灯(とも)す再生医療の推進。情熱ある若者を担い手として呼び込む農林漁業の六次産業化。今般の経済対策によって、これらを始めとする将来への投資を前倒して実施します。また、金融政策を行う日本銀行とは、更に一層の緊密な連携を図ってまいります」

 要するに『グリーン』とは、「グリーンエネルギー革命」のことで、「ライフ」とは「再生医療」、「農林漁業」とは「農林漁業の六次産業化」であって、「これらを始めとする将来への投資を前倒して実施します」と約束している。

 iPS細胞を主流とした「再生医療」は今後のことだから、その政治支援に関しては今日までの責任から除外を受けるが、「グリーンエネルギー革命」となると、2010年6月18日の「エネルギー基本計画」菅内閣閣議決定では、「太陽光発電・洋上風力発電・バイオガス・海洋エネルギー・蓄電池に関する技術等の技術開発・実証事業を推進する」と謳い、それらのエネルギー開発に責任を負った。

 それから1年4カ月が経過している。どれ程の開発が進んだのかの責任結果の検証をして、その検証の上に論ずることによって、「明日への責任」が確証可能となるはずだが、国民を確証不明の状態に置いたまま、「明日への責任」だとしている。

 これでは国民の側自体が民主党政権、野田政権の責任履行能力、あるいは責任結果能力を検証できないことになり、いくら言葉巧みに「明日への責任」を訴えられても、胸には響いてこない。

 「農林漁業の六次産業化」も将来への投資の前倒しの中に入れているが、前倒しも何も、「農林漁業の六次産業化」は2009年マニフェストで、〈農山漁村において、(1)農林漁業サイドが加工(2次産業)や販売(3次産業)を主体的に取り込むことや加工・販売部門の事業者等が農林漁業に参入する(2)農山漁村という地域の広がりの中で集落等による1次・2次・3次産業の融合に新たに取り組む――ことによる「農山漁村の6次産業化」を実現し、地域における雇用と所得を確保します。そのため、財源と権限の地方への移譲、金融・税制・補助金・規制の見直し等を総合的かつ一体的に実施します。〉と既に謳っているのである。

 菅にしても、副総理時代の2009年10月11日、朝日テレビの『サンデープロジェクト』に出演して、間接的に六次産業化に触れている。

 菅無能「最大の問題は農業・林業。漁業も若干あるが、そういう転職と農業や林業への就労の支援をプログラムでやっています。レストランをつくる。そのレストランに供給する農業をつくる。そこにまた研修の人を入れて、大変だけど、レストランが7、8軒あって、そこに供給する」

 3年も経って前倒しの対象とするということは、この3年間、いわば今日までの責任結果を満足に出していないことを自ら証明していることに他ならない。

 結果を出すことのできない責任能力を以って、今後出すことが期待できる責任能力に変得ることができるととても思えない。

 責任結果という積み重ねがあって初めて、更にその上への積み重ね――「明日への責任」が期待可能となるはずである。

 野田首相が常首相就任前の2011年8月29日民主党代表選演説で、「中産階級の厚みが今薄くなって、中産階級の厚みが日本の底力だったと思います」と口にし、その他の機会でも盛んに口にして套句としている「分厚い中間層」の回復という言葉にしても、自らの内閣の役目としてその責任を負った公約であり、そうである以上、首相就任1年でどの程度の責任結果を出したか、検証の対象となるはずである。

 民主党政治の方向性について既に紹介した、「政権交代以降、民主党を中心とする政権のこれまでの取組は、皆さんの大きな期待にこたえる上では未だ道半ばでありますが、目指してきた社会の方向性は、決して間違っていないと私は信じます」という発言に続いて、次のように述べていること自体が、結果責任を出していないことの証明としかならない。

 野田首相「今を生きる仲間と「明日(明日)の安心』を分かち合い、これからを生きていく子や孫たちに『明日(明日)への責任』を果たしていくという強い意志です。中間層の厚みを取り戻し、格差のない公正な社会を取り戻していこうとする断固たる姿勢です」――

 「中間層の厚みを取り戻し、格差のない公正な社会を取り戻」すことを今後の課題としていること自体が、今日まで言ってきたことの責任を果たしていない、いわば責任結果を果たしていないことの自己証明であって、少なくとも現状に於いてはこれまでの自らの言葉を裏切る結末となっている。

 実際にも現実社会に於いて民主党政権下でも所得格差やその他の格差の拡大が止まらない状況にある。

 今日までの責任がこうまでも裏切られている以上、「明日への責任」を求められても、求めに応じることは到底無理な相談だと言わざるを得ない。

 そうである以上、所信表明演説は奇麗事を並べ立てたに過ぎないことになる。

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会計検査院から復興遅れの原因の一つを指摘される政治の倒錯性

2012-10-29 08:00:45 | Weblog

 東日本大震災復興予算のうち、被害が大きかった7県の58市町村平成23年度交付インフラ復旧費等執行率が全体で48パーセント余りにとどまっていたことと、その原因を、調査した会計検査院が指摘したと、次の記事が書いている。

 《震災復興予算 執行率は48%余》NHK NEWS WEB/2012年10月25日 19時0分)

 平成23年度交付復興予算は6900億円余り。

 執行率は58市町村全体で48.8パーセント程度。千葉県浦安市や福島県双葉町など6市町は20パーセント以下。

 原因として会計検査院は公共事業急増に対する自治体職員不足を指摘しているという。

 復興予算のうちの道路等のインフラ復旧や高台移転等の公共事業費を震災前の公共事業費と比較、宮城県山元町や石巻市など東北3県の10市町村では震災前の10倍超、37市町村で震災前より増加。

 対して公共事業関係等の技術系専門職員は全体で2968人から3176人と+208人の7%の増加のみ。

 さらに専門門職員1人当たりの業務量の震災前と震災後の予算額比較では、岩手県釜石市が約20倍、宮城県山元町と石巻市が約15倍の急増。27市町で2倍超。

 こういった状況にあることから、被災自治体から被災地外の自治体からの中長期的な応援職員の派遣を求める声が出ているという。

 このような声が国に情報として入っていないのだろうか。入っていながら、適切に対応し切れていないということなのだろうか。

 調査した会計検査院は職員不足が復興を遅らせている原因だと見做して、国に対して自治体での復興事業の実施状況や事業に携わる職員の体制などを適切に把握し、必要な支援を行うよう求めているという。

 政府は被災地に寄り添うと言いながら、あるいは被災住民に寄り添うと言いながら、寄り添われる側は寄り添いを裏切られる状況に曝されている。

 だが、何よりも問題なのは国が自ら手当をしなければならない復興遅れの原因の一つを会計検査院から指摘を受ける政治の倒錯性であろう。

 野田首相の「福島の復興なくして日本補再生なし」の名言を虚ろにする倒錯性である。

 前々から除染作業に自衛隊員をなぜ活用しないのかと思っていたが、活用したなら、彼らの社会勉強にもなるはずだ。自衛隊という一つの世界にばかり閉じ込もっていると、視野が固定化し、思考の硬直化を招きかねない。

 また自衛隊はPKO活動等で道路工事や橋梁設置工事等に従事している。土木工事関係の技術系専門兵士を相当数抱えているはずだ。なぜ派遣しないのだろうか。

 軍隊が強いだけでは、総合的な国力となる経済や社会が強くないと、国を守る継続的な力を発揮することはできない。戦前の日本はアメリカの工業力・経済力を侮り、自らの国力を過大評価して戦争を仕掛け、痩せ馬の先っ走りよろしく緒戦は戦勝につぐ戦勝を演じたが、アメリカよりも遥かに劣る国力が戦争の継続を許さず、軍事力をたちまち失速させていった。

 自衛隊にしても復旧・復興に直接関わることによって国力増強に貢献できる。

 また、除染も一般住民の雇用を脅かさない範囲で一般自衛官を活用すべきではないだろうか。

 10月18日の参院決算委員会で復興予算の流用を問われて、枝野詭弁家経産相は次のように答えていることも、検査院の上記指摘を踏まえると、政治の倒錯性そのものの自治体に対する責任転嫁となる。

 枝野経済産業相「地域の(復興)計画が立たないなどさまざまな事情から被災地で予算を執行できていないことと、被災地以外に予算が使われていることは、理由も原因も別の話だ」――

 多くが問題としていることは復興予算の被災地外流用であって、流用せずに被災地に集中投資して復興を促進すべきだという文脈の批判でありながら、自治体の復興計画が立っていないから、予算が執行できていないを以って復興遅れの原因とする詭弁を用いている。

 だが、予算未執行が自治体の復興計画遅れを原因としていて、それが復興遅れを招いていたとしても、会計検査院が指摘しているように自治体の復興計画遅れ自体が技術系専門職員の不足から来ているとすると、そのような実態を把握して国が支援すべきを支援できていない状況は国が負うべき責任であって、それを自治体の復興計画遅れのみを狙い撃つのは自治体に対する責任転嫁となる政治の倒錯性以外の何もでもない発言となる。

 野田首相にしても、政治の倒錯性を演じて何も感じていない。10月27日、被災地岩手県を視察、130世帯300人が暮らす山田町織笠地区仮設住宅を訪問。

 住民代表「住宅の高台移転の早期実現をお願いしたい」

 野田首相「1日も早く恒久的な住宅に住めるようにするため、どのような対応ができるか、重要課題として受け止めたい」(NHK NEWS WEB

 高台移転の早期実現は前々からの要望である。早期実現が早期実現となっていない。色々な難しい問題もあるだろうが、先ずは予算執行率を高めることができるように自治体の職員不足に手を打ち、事業自体を前へ進めることから始めないことには、高台移転の計画も、計画の実施も満足に進まないことになって、政治の倒錯性が続くことになる。

 政治の倒錯性とは政治主導足り得ていない状況を意味するのは勿論のことである。

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細野の環境相から党政調会長人事は降格人事でなければならない

2012-10-28 13:09:17 | Weblog

 細野豪志環境相は9月21日(2012年)の民主党代表選に党内から立候補を要請され、一度は前向きな態度を示したが、9月7日午前、野田首相を首相官邸に訪ねて不出馬を伝えたあと、記者団に次のように発言している。

 細野豪志「野田佳彦首相に今、私自身は代表選に出馬しないと伝えてきた。自分の(閣僚としての)役割はないがしろにできない。福島のことがどうしても頭を離れなかった。福島をはじめとした被災地はまだまだ課題がたくさんある。責任者の私が仕事を投げ出すことはできない。私の時間を代表選に向けることはどうしてもできなかった。被災地の皆さんに向き合うべきだというのが私の結論だ」(MSN産経

 「福島のことがどうしても頭を離れなかった」――政治家としての頂点を目指すよりも、被災地、特に福島の原状回復に寄り添う道を選んだ。

 発言の全体を通して自身が福島に必要とされている人材であるという意識、あるいは自負が存在していなければならない。多分、被災地の住民、特に福島の放射能被災者は細野を必要な人材と認め、その認識が細野に伝わって、自分が必要とされているという意識、あるいは自負をより高めていたに違いない。

 ところが10月1日の野田第3次改造内閣で環境相から党政調会長への異動を受けた。矛盾する言い方に見えるが、この異動は細野の福島に関係した環境相としての能力を否定する降格人事でなければならない。

 今まで書いてきた当ブログ記事と重なる部分があるが、この理由を以下に述べる。 

 内閣改造から6日後の10月7日、野田首相は福島第1原発視察と福島県楢葉町の除染作業現場を視察した。

 《野田首相:除染加速を担当相に指示 福島第1原発を視察》毎日jp/2012年10月07日 23時11分)

 野田首相「福島の復興・再生の基盤になる除染をスピードアップしなければならず、先程長浜環境相に指示した」

 首相が指示した除染の包括的な対策――

▽環境省の出先である福島環境再生事務所への権限の委譲
▽関係省庁の連携強化
▽住民への除染の進捗状況の情報提供

 〈環境省の出先である福島環境再生事務所への権限の委譲〉とは、〈これまでの除染は福島環境再生事務所を経て環境省の了承が必要だったが、同事務所に住民や自治体の要望に応じて除染実施を判断する権限を移すことなどを検討。10月中にとりまとめる。〉内容のものだという。

 要するに以上の対策はこれまでの対策の不備・不徹底に鑑みた、その改善ということでなければならない。

 内閣改造人事を公表する前から細野の党政調会長人事は伝えてあっただろうが、改造後1週間も経たないうちに野田首相が福島を訪問して、除染のスピードアップを表明した。

 いわば細野環境相のもとでは除染のスピードアップは一向に図られていなかったことになる。

 だからこその、新たな対策の提示となった。

 このことは細野が環境相として満足に能力を発揮していなかったことを意味する。

 このことは20月9日(2012年)当ブログ記事――《野田首相が福島視察先で除染加速化を指示 では、細野は何をしていたのだろう - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》に書いた。

 細野が環境相在任中に新しい除染スピードアップ対策の作成を指示していて、退任後、野田首相が現地で公表したものであったとしても、在任中に除染が進んでいなかった事実には変りはない。

 細野は10月14日、政策調査会の原発事故に関するプロジェクトチームを再編、新たに課題別の4つの作業チームを設けることを決めている。

▽被災者の生活支援
▽除染作業の推進
▽農作物などへの風評被害の対策
▽避難している人たちの生活圏を別の自治体に作る「町外コミュニティー」の整備(以上NHK NEWS WEB

 4つの作業チームと言っても、それぞれの課題解決に実際に取り組むのではなく、被災地の視察、地元自治体や被災者からの要望聴取等を通してあるべき体制を提言に纏めて政府に報告、課題解決を働きかける形式の間接支援だそうだ。

 但し4つの課題のすべてが遅れているからこその作業チームの設置であって、細野の環境相時代に進んでいなかったことの証明の裏返しでしかない。

 野田首相は福島第1原発視察と福島県楢葉町の除染作業現場を視察したのと同じ10月7日、NHK総合テレビがNHKスペシャル『東日本大震災「除染そして、イグネは伐り倒された」』を放送、10月11日に再放送している。

 内容は福島県南相馬市の除染を取り上げて、その遅れが何に原因しているか、あるいはその不条理を明かしている。

 「イグネ」とは、「居久根」の字を当てて、秋から冬にかけて毎日のように強い西風が吹き荒れる阿武隈降しから家を守るために家の周りに植えた杉や檜のことを指すのだそうだ。いわば屋敷林を指すのだろう。

 長い時間をかけて20メートル~30メートルにまで育って家を守り、家の歴史にもなってきたイグネの葉や樹皮に付着した放射性物質が風が吹くたびに庭に降り注ぐ汚染源となっていたが、高過ぎて除染不可能なため、自腹で切り倒す、ある世帯主の苦渋の選択を除染の難しさに重ねている。

 自腹なのは、国が一般人の被曝限度としている毎時0.23マイクロシーベルトを超える地域は国が除染の費用を負担するとしているが、その世帯主のイグネにこびりついた放射線量が1時間あたり1.5マイクロシーベルトに達しているにも関わらず、環境省の除染ガイドラインが木の伐採費用の国からの支出まで認めていないからだ。

 いわば国の手が届かない除染対象となっているということである。
 
 国は年間20ミリシーベルトを超える地域を避難区域としていて、南相馬市はその範囲外の地域だが、人が住むことができない避難区域を別にすると、放射線が最も高い地域の一つだそうだ。

 国が一般人の被曝限度としている年間1ミリシーベルトを1時間あたりの放射線量に換算すると、毎時0.23マイクロシーベルトとなると解説している。毎時1.5マイクロシーベルトは限度6倍以上の被曝量となる。

 特に山間の地域は高い放射線量が計測されているという。

 南相馬市は去年11月、避難区域を除く市内全区を400億円をかけて除染する計画を立てる。放射線量を2年後に半分に下げることを当面の目標とした。  

 政府は同じ去年11月に福島県内各地で、放射性物質付着物を生活環境から取り除き、隔離するための除染実験を開始。

 除染を行えば、土や落ち葉等の放射性廃棄物が生じる。だが、南相馬市では廃棄物保管の仮置場の設置が住民の反対で頓挫、除染が大幅に遅れることになった。

 但しこのような事態は南相馬市だけの問題ではなく、福島県内の自治体の多くで同じ問題が起きているという。

 またこのような問題にしても、国が計画している30年以内最終処分場県外設置のメドが引き受ける自治体がなく、立っていないことから、県内に中間貯蔵施設を建設しても、最終処分場が決まらないと、事実上の最終処分場になりかねない懸念があり、中間貯蔵施設が決まらない原因になっていて、そのことがまた、仮置場の設置が遅れている原因になっているという。

 とすると、国が最終処分場を決めることが先決となるが、肝心のこの点でも国は出遅れていることになる。

 各家庭が除染を行なって出た廃棄物は敷地の一角に纏めて積み上げておく状況が出ている。

 南相馬市で本格的な住宅除染が開始されたのは今年9月になってから。たった1カ月前である。

 山間(やまあい)の特に放射線量の高い地区の、地区の中の仮置場設置に住民が同意した場所が優先された。但し計画よりも7カ月遅れのスタート。計画戸数は市の除染計画の2%に当たる200戸のみ。

 目標は敷地内で測定した放射線量の半分にまで下げること。

 取り掛かった敷地の放射線量を作業員が測ると、1.26マイクロシーベルト。被曝限度毎時0.23マイクロシーベルトの5倍強に当たる。

 別の場所では1.97マイクロシーベルト。

 除染は国の費用で行われるために環境省がガイドラインを決めている。ガイドラインによると、屋根は高圧洗浄を中心にして除染を行うことになっているという。

 しかし国が70億円かけて行った除染実験の結果、瓦の素材によっては高圧洗浄では殆ど効果がないことが明らかになったにも関わらず、実験結果が出たあとも、環境省はガイドラインを改定していないと番組は訴えている。

 いわば瓦の素材に対応させて除染方法を臨機応変に変えるのではなく、素材に関係なしに一律的に高圧洗浄を強いることで、場合によっては効果のない高圧洗浄除染を勧めていることになる。

 と言うことは、去年11月に除染実験を開始していて効果の有無を確認していながら、最善の方法に集約しない怠慢を環境省の役人は自ら放任していた。
 
 このことに細野が責任なしとすることはできない。細野の環境相としての任期は2011年9月2日から2012年10月1日までである。

 除染実験は細野のもとで行われている。

 屋根の除染には高圧洗浄よりも紙タオルで拭き取る方法の方が除染効果が高いことが分かっているそうだが、除染実験で確認した方法に違いない。

 しかし屋根全体をこの方法で除染するには膨大な人手と時間、費用がかかる。国が示した費用の目安は1平方メートル当たり1500円。

 ガイドラインは紙タオルによる拭き取りは軒先などに限るとしているという。

 だったら、なおさら復興予算を復旧・復興に直接関係のない、被災地外の事業に流用せずに、被災地に集約すべきだったはずだ。

 そうしていなかった責任は細野一人に限らず、特に野田首相の責任は重い。

 高圧洗浄による除染の場合、放射線汚染水が発生する。除染ガイドラインは洗浄後の排水の可能な限りの回収を求めているという。

 南相馬市は回収した汚染水を仮置場の一角にも設けた浄化プラントにタンクローリで運搬、濾過した上でセシウムを吸着するゼオライトを入れたタンクを通して浄化。

 ところが、この方法は費用がかかり過ぎるとして、環境省は難色を示しているという。

 費用がかかり過ぎる、かかり過ぎると渋りながら、復興予算を他に流用するのは得意らしい。

 南相馬市は環境省に事後承諾を求めることにして、浄化プラントを使った排水の浄化に踏み切ったという。

 費用がかからない方法を選択して、除染のスピードを落とすのか、費用がかかる方法を選択して、除染のスピードを上げるのか、また、どちらが住民の利益に適うのかの検討よりも、予算絶対主義を取っている。

 復興予算を流用していながら、予算絶対主義とは矛盾していて滑稽だが、役人のやることだから当然だとしても、細野は予算絶対主義を容認していたことになり、「福島のことがどうしても頭を離れなかった」はウソになる。「離れなかった」のは予算だけということになる。

 予算絶対主義と流用の関係も不条理そのものだが、政治家のウソも被災者に対する不条理の突きつけ以外の何ものでもないだろう。

 福島県は面積の7割を山林が占めていて、森の除染が最大の課題だという。

 環境省の森林除染のガイドライン。

 母屋から20メートルの範囲が限度。方法は放射能物質が付着した下草の刈り取り、落ち葉の除去、高さ5メートルより下の枝打ち。

 土の剥ぎ取りや樹木の伐採は方法外。

 森の放射線量を測定していた専門家が意外な事実を発見。木の葉が発している放射線量は以前よりも思いの外低かった。

 専門家「風雨に曝されていますからね」

 番組は放射性物質は葉から樹皮に移ったり、土に染み込んだと考えられると解説。

 環境省が汚染ガイドラインを発表したのは去年の12月。その時点では放射性物質は木の葉や地面の落ち葉に付着していたが、それから1年近く経って、居場所を変えたとすれば、ガイドライン通りの枝打ちや落ち葉の除去では効果は期待できない。事実、除染のあと、放射線量が上がったケースもあり、落ち葉を取り除いた結果、土の中からの放射線量を遮蔽する物がなくなったからだと考えられると解説。

 母屋から20メートルまでの除染が終わった世帯主が放射線量を測る。

 世帯主「1.57、1.58。山の中までやんなきゃ、ダメだって。うちの周りだけやったって。あとから自分でやっか」

 除染効果が上がらなかったケースに関する環境省見解「日常の管理の中で落ち葉などが取り除かれている土地では放射性物質が土に直接付着することもあり得る。落ち葉を除去したとしても、(除染の)効果が上がらない可能性がある」

 何ということだ。「日常の管理の中で落ち葉」が取り除かれなくても、雨が降れば、落ち葉が自然に洗われて、付着していた放射性物質は土に染み込んでいく。

 除染効果が上がらないのは落ち葉に関わる日常の管理の有無ではなく、除染ガイドラインで放射性物質の落ち葉からの移動を無視して、「土の剥ぎ取りや樹木の伐採」を除染の方法外とした硬直した役人の思考であろう。

 この点、細野も同じ穴のムジナだった。

 除染を効果的に進める対策構築の肝心な指示・肝心な行動ができないままに、去年の11月13日午前(2011年)福島県伊達市でボランティア約60人と一緒になって、「贖罪」だと称して除染ボランティアを行っている。

 なすべき肝心な役目が何であるかも認識できなかった。当然、パフォーマンスに過ぎない除染ボランティアということになる。

 にも関わらず、自身が福島に必要とされている人材であるという意識、あるいは自負をタップリと抱え込んでいた。俺がいなくては福島の復旧・復興はないとばかりに。

 南相馬市除染対策課の職員が南相馬市の除染にアドバイスを与え続けていて、除染の現場に調査のために入っていた児玉龍彦東京大アイソ トープ総合センター長に森林の除染を調査した報告書を持ってくる。
 
 その報告書は木の葉の放射性物資が以前よりも低くなり、逆に土が高くなっていて、落ち葉から土への移動を証拠立てている。

 児玉龍彦東京大アイソ トープ総合センター長「最初、落ち葉にあるから、落ち葉を取ればいいって言っていたのが、1年経ったら、落ち葉から下の土に移っちゃった。

 そしたら本当に除染するんだったら、下の土も取んなくちゃ。

 現地の林にしたって、一つ一つ違うわけですから、住宅と林と土地と道路を、どういうふうに振り割って、どこに優先度を置くかっていうことを思い切って現地の判断に任せるように。

 去年つくったマニュアルを金科玉条みたいにして、それに基づいて、会計検査院がまたチェックをするっていう話が出ていますけども、全くそうではなくて、住民のために何ができるかっていうことにフルに予算が生きるような仕組みが大事だと思っています」

 細野は「福島に寄り添う」と言いながら、環境相として、児玉氏が言う、そういう仕組を構築することができなかった。環境省の役人と同様に硬直した思考で住民の利益よりも予算を優先させて除染に取り組んでいた。

 勿論、内閣の最終責任者である野田首相の責任は重いが、細野は被災地や被災住民の側から見た場合、実際には環境相としての役目を果たしていなかったのである。

 野田首相は10月1日の内閣改造から6日後の10月7日に福島県楢葉町を視察、除染のスピードアップを指示しているのだから、自身の責任は棚に上げていたとしても、細野の環境相としての無能を認識していて、環境相から党政調会長への降格人事を行ったはずだ。

 参考までに――

 《細野環境相が言う「贖罪」とはパフォーマンスでしかない除染ボランティアをすることではない - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》

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10月26日閣議決定緊急経済対策にiPS細胞や海上保安庁巡視船・ヘリ購入は馴染むのだろうか

2012-10-27 10:24:23 | Weblog

 野田内閣が10月26日(2012年)、今年度予算の予備費を主な財源とした国負担最大4200億円、地方自治体負担分合計で事業費総額7500億円超の緊急経済対策を閣議決定した。

 地方自治体負担分は3300億円だから、対策効果が出なかったら、政府の責任は重い。

 果たして効果は期待できるのだろうか。

 現在進行中の復興対策を例に取ると、予算の流用に目をつぶったとしても、芳しい復旧・復興の姿を取らない予算執行効果の状況から判断して、「緊急」と銘打っていたとしても、その効果につい疑いの目を向けてしまう。

 先ず次の記事から見てみる。《緊急経済対策:最大4226億円、閣議決定》毎日jp/2012年10月26日 12時36分)

 後退懸念が広がる景気の下支えを狙いとした緊急経済対策だそうである。

 と言うことなら、当然、即効性が求められることになる。即効性がなければ、景気の下支えにならないし、改めて予算案を成立させる必要のない今年度予算の予備費を使ってまでして行う緊急性に反する経済対策ということになる。

 どのような方法を以って対策とするのかというと、〈首相が11月中のとりまとめを指示した中で特に緊急性が高い事業〉に位置づけている野田首相掲揚の成長戦略「日本再生戦略」施策の前倒しや東日本大震災の復興などを柱に据えているという。

 しかし後者の東日本大震災の復興は復興予算を宛てがった対策が厳格な計画(?)に基づいて既に進行中であるはずである。にも関わらず、緊急経済対策予算と二本立てとするということは、復興予算事業が計画に応じた効果が出ていない、あるいは計画の範囲内の即効性を見い出していないということを政府自らが証明することになる。

 事実、復興予算の流用問題を発端として復興の遅れを指摘する声が被災自治体内外から噴出している。

 復興予算に基づいた実施事業がさしたる効果を出していないようなら、内閣府は実質国内総生産(GDP)を0.1%強押し上げ、4万人の雇用創出につながると試算しているそうだが、いくら緊急経済対策と銘打とうとも、試算に反して効果は期待できないことになりかねない。
 
 特に記事が取り上げている対策事業の内訳のうち、iPS細胞による再生医療などの研究開発費に38億円、 中国の監視船が領海侵入を繰り返す沖縄県・尖閣諸島周辺などの領海警備強化のため、海上保安庁の巡視船やヘリコプターの購入を前倒しする費用170億円が果たして緊急経済対策の“緊急”に適合するのだろうか、奇異に感じた。

 緊急経済対策と銘打ちながら、いわば流用に当たるのではないかという疑惑である。

 閣議決定された経済対策だから、首相官邸HPにアクセスしてみた。

 《経済対策の取りまとめに向けて(予備費の使用決定に際して)》と題して、PDF記事で紹介している。  

 報告者は誰なのか、口先前原が就任しているはずだが、「経済財政政策担当大臣」と肩書きが記されているのみで、報告者の顔が咄嗟には見えてこない。政権がそう遠くないうちに変る可能性を考慮して、名無しにしたのだろうか。

 前書きは次のようになっている。

 〈景気が弱めの動きとなる中、景気下押しリスクに対応し、デフレからの早期脱却と経済活性化に向けた取り組みを加速していくことが喫緊の課題となっている。

 10月17日の内閣総理大臣指示に基づき、遅くとも11月中を目途に策定する経済対策の一環として、本日、現下の経済情勢を踏まえ、緊要性の高い施策について、予備費の使用を閣議決定した。これにより、「日本再生戦略」の重点3分野の施策のうち緊要性の特に高いものを加速するとともに、被災地からの要望の強い復旧・復興に必要な事業及び大規模災害に備えた防災・減災対策を緊急に推進することが可能となると考えている。

 これらの施策の効果が早急に発現するよう、各府省庁において、施策を速やかに実施に移し、その進捗管理を確実に行っていくことが重要である。また、政府として、引き続き、経済対策の策定に向けて取り組んでまいりたい。〉――

 この報告書のどこにも「緊急経済対策」という言葉はないが、「喫緊の課題」、「緊要性の高い施策」、「施策効果の早急な発現」と続けば、上記「毎日jp」記事が伝えている「緊急経済対策」ということになる。

 記事自体がこの報告にも基づいて書いているのだろうから、当たり前のことだが、記事が伝える緊急性を符合させている「緊要性の高い施策」の云々ということであろう。

 簡単に言うと、現況の「デフレからの早期脱却と経済活性化」にカンフル剤となる経済対策の実施ということになる。

 このことを逆説するなら、現況の「デフレからの早期脱却と経済活性化」にカンフル剤とならない事業は緊急経済対策に値しないということである。

 【カンフル剤(カンフル注射)】「活性を失った物事に対して即効的回復効果を期待して行う事柄」(『大辞林』三省堂)

 言葉の意味としての「即効的回復効果」とは報告書の「施策効果の早急な発現」に相当する。

 だとすると、先に奇異に感じたとして、「iPS細胞による再生医療などの研究開発」と「海上保安庁の巡視船やヘリコプターの前倒し購入」が果たして〈景気が弱めの動きとなる中、景気下押しリスクに対応し、デフレからの早期脱却と経済活性化に向けた取り組みを加速していく〉ための〈喫緊の課題〉であり、「緊要性の高い施策」と言えるのだろうか。

 また緊急経済対策の条件に適うと見做して両者に予算を投入したとしても、経済的に「施策効果の早急な発現」を果たして期待できるのだろうか。

 これらに対する予算投入がムダだとか、必要ないと言っているのではない。特に「iPS細胞による再生医療などの研究開発」は「施策効果の早急な発現」が望みにくい息の長さを必要とする研究開発であって、そうである以上、当然、息の長い政府支援が不可欠となる政策課題であるはずである。

 いわば緊急経済対策に入れるべき条件を備えているとは言い難い。次年度予算では空白が生じるということなら、同じ今年度予算の予備費を使って、緊急経済対策とは別の項目で予算を投じるべきだろう。

 このことは「海上保安庁の巡視船やヘリコプターの前倒し購入」についても言える。

 「喫緊の課題」、「緊要性の高い施策」、「施策効果の早急な発現」を条件付けて緊急経済対策とし、デフレからの早期脱却と経済活性化のカンフル剤を担わせる以上、これらの条件に厳格に適合する厳格な線引きが政策選別に課せられるべきである。

 被災地の復興・復旧を目的とした復興予算でありながら、線引が厳格でなかったから、被災地の復旧・復興に直接的な影響を持つものではない、被災地外の対策・事業にまで流用された。

 一度融通を利かせて目的外の流用が成功すると、必ず慣習化する。

 慣習化 の継続としてあった復興予算の流用ということもある。

 「iPS細胞」の名前を入れれば、ノーベル賞を取ったばかりで、経済対策に尤もらしさを与えると考えたとしたら、緊急経済対策の緊急性に反することに変りはないのだから、見せかけの効果という夾雑物を紛れ込ませたことになる。

 こういった姿勢が入り込むこと自体が既に予算編成が厳格な運用となっていない証拠となる。あるいは厳格な線引きを経た事業・対策の選択となっていない証拠となる。

 何らかのメリットを見つけるとしたら、予算規模を大きくすることで、政府が真剣に経済対策に取り組んでいるという姿勢のアリバイ作りぐらいのものではないだろうか。

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石原慎太郎が記者会見で選挙制度に関して小沢一郎国民の生活が第一代表をバカ呼ばわりした妄言

2012-10-26 11:01:31 | Weblog

 昨日(2012年10月25日)、石原慎太郎東京都知事の辞任・新党立ち上げ記者会見が行われた。その中で現在の選挙制度に関して妄言とも言うべき聞き捨てならない頭足らずの発言があったから、取り上げてみる。

 会見の発言を「MSN産経」記事が「詳報」として伝えていたから、それを利用するつもりでいたら、テレビの生放送と大分違っていて、かなり省略した“詳報”となっている。第2日テレ「ノーカット工房」にアクセスしてみたら、載っているから、双方を利用して発言を構成することにした。

 先ず「MSN産経」詳報)から。

 記者「次の衆院選では新党からどのくらい候補者を立てるのか。自民と連立を組むつもりはあるのか」

 石原慎太郎「いやいや、自民は過半数をとれないと思う。私は自民にいた当時、苦い思いをした人間。自民に戻らないし、戻りたくもない。

 ・・・・・・・

 新党の候補者については、この前、平沼(赳夫衆院議員)さんたちと一緒に塾を開き、30-40人を育成した。当選するかどうかは分からないけど、レベルは高かった。やっぱり日本は選挙制度が悪い。中選挙区制に戻さないといけない」――

 記事はテレビの生中継では触れていた小沢氏に対するバカ呼ばわりには触れていない。

 動画から選挙制度に関する箇所のうち、以下の発言を引用。

 石原慎太郎「だが、やっぱし、選挙制度が良くないよ。やっぱ中間選挙に戻さないとね。政治家がスケールが小ちゃくなっちゃってね。

 兎に角、この間、ある時期に橋下君が、8月か9月に、皮肉たっぷりに、『衆議員、今頃みんな盆踊りやってるいるよ』ってことでね。

 そんな体たらくになっちゃった。

 これはね、やっぱり小沢一郎と河野洋平がバカだからね、完全に間違いましたね」(次の質問に移る。)――

 小選挙区制は小沢一郎氏が政権交代を可能にするためにその実現に尽力した。

 橋下大阪市長が「皮肉たっぷりに」言っていたとしている、「衆議員、今頃みんな盆踊りやってるいるよ」とは、選挙の年、あるいは選挙が近く行われると予想される年に特にそうなのだろう、議員が地元に入って、有権者と触れ合うと称して盆踊りの場に顔を出し、一緒に踊ったりする政治文化、あるいは政治風土を指している。

 だが、このような政治文化、あるいは政治風土は何も小選挙区制に変わってから現れた風景ではなく、中選挙区制の昔からあった風景であって、それを引き継いでいるに過ぎない。

 要するにコケが生え、垢が溜まって、いわゆる大物政治家となるとやらなくなるだけの話である。自身はやらなくなっても、往々にして秘書がピンチヒッターを買って出て、ハッピを纏って盆踊り用のうちわを手にして櫓の周りを一緒になって踊りまわるといったことをする。

 中選挙区制を絶対善の如くに言い、小選挙区制を絶対悪とし、その導入に力を尽くした小沢一郎「国民の生活が第一」代表と引退した河野洋平をさも極悪人、A級戦犯の如くに扱いかい、「バカ」呼ばわりしているが、頭足らずの妄言も甚だしい。

 どのような制度にしても絶対はない。矛盾は抱えている。どちらの制度が矛盾が少ないかである。

 かつての中選挙区制は当選者が2~6人となっていて、政党が数の力を得るために一つの選挙区に同じ政党から複数立候補することになり、対立政党との戦いと同時に同一政党内の戦いとなることから、勢い政党内の有力議員の力を借りて、それをバックに選挙を有利に運ぶ構造が出来上がり、有力議員ごとの派閥が形成されて、初めて議員を志す者にしても、寄らば大樹の陰とばかりに最初から派閥の力をバックに立候補する慣習が出来上がった。

 いわば派閥の長を親分として自身を子分とする、親分子分の関係の端緒である。

 最初の段階でそういう構造を取ると、それぞれが地元選挙区内で自己を有利な位置に立たしめるために派閥を率いる有力議員の力を同じように借りて地元利益誘導を謀って有権者の歓心を買い、同一選挙区内・同一政党内の他議員及び対立政党議員との差別化を謀る戦いを相互に凌ぎ合う段階へと進み、地元利益誘導政治が肥大化していったのは見てきたとおりである。

 地元利益誘導政治は与党が最大限有利であるのは断るまでもなく、官僚が省益と辞職後の天下り等の私利私欲レベルの自己益のために協力、結果としてムダな公共事業やその他に国の財源を費やすことになり、財政赤字を増やしていった。
 
 こういった弊害ばかりではなく、政治家の政治行動自体が派閥という縄張りを基準とした狭い政治を行うようになった。

 日本が高度成長を続けている間は国民はその矛盾を深刻には受け止めなかったが、バブル景気が弾け、低成長時代になると、あるいは経済低迷時代に入ると、巨額の財政赤字の一部分をなすムダな事業やムダなカネ遣い、天下り等々の矛盾が噴き出て、そのような矛盾に否応もなく目を向けるようになり、それは多くの国民による政治不信へと高まっていった。

 そのような過程での中間選挙区制から小選挙区制への移行である。

 この移行はまた、政権交代を可能としやすいとする小選挙区制の特徴を生かして、長期政権は腐敗するの譬えを地で行った自民党一党独裁体制の腐敗にストップを掛け、自民党を野(や)に下す方策ともなったはずだ。

 結果は芳しくなくても、一度は自民党一党独裁腐敗体制を打破、民主党に政権交代をもたらした選挙制度である。

 このことのどこが「バカだ」というのか。

 「バカ」でもないのに「バカだ」という自分自身こそが、「バカ」ではないのか。

 完璧な制度は存在しない。何らかの矛盾は抱えている。また時代の変化に応じて矛盾でなかったものが矛盾に姿を変え、それが大きくなって弊害をもたらすこともある。

 その時その時で民意を汲み、民意の賛意を得てより最善と思える制度に手直ししていけばいいことで、「バカ」呼ばわりする問題ではないはずだ。

 この程度の考えしか頭にない国家主義者石原慎太郎です。

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野田首相は政治を前に進めたいのか、政権にしがみつきたいのか

2012-10-25 12:01:20 | Weblog

 野田首相は自公に対して解散をカードに「社会保障と税の一体改革」3党協議に漕ぎ着けたものの、与野党の利害に反する政策は棚上げし、あるいは先送りして3党合意を成し遂げ、「一体改革」という名に反する一体性のない「社会保障と税の一体改革」を成立させた。結果として2014年4月8%、2015年10月10%の2段階増税の消費税増税のみが確固不動の姿を取る不完全な一体性となった。

 だが、野田首相は解散をカードとした「社会保障と税の一体改革」成立でありながら、そのカードを切らないままポケットにしまいこんで、自公野党の解散要求に言葉を弄して応じない。

 そこで自公は2012年度予算執行の裏付けとなる赤字国債発行法案は新しい体制・新政権のもとで通すべきだと、その成立をカードとして解散を迫ったが、野田首相が応じないまま時間が過ぎ、9月7日通常国会閉会によって廃案となった。

 成立は臨時国会に託す道を残すことになったが、自公が赤字国債発行法案成立をカードとしていることに変わりはない。野田首相が時期を区切って解散のカードを切りますと確約しなければ、政治は現状の停滞状況に陥ったまま前へ進まないことになる。

 いわば解散をカードに「社会保障と税の一体改革」を成立させたのだから、成立以後、そのツケが野田首相自身に回って来るのは既成事実としなければならない。

 政治を前に進めるには解散という勝ち目のない前門の虎を迎え撃たなければならない。政権にしがみついたとしても、赤字国債発行法案阻止という、これも手強い後門の狼が待ち構えている。

 赤字国債発行法案が成立していないことによって、既に地方自治体では弊害が出ている。野田政権は新たに赤字国債を発行できないために9月7日、地方交付税の支出を一部先延ばしする「予算執行の抑制」を閣議決定。

 国からカネが回ってこないから、つなぎ資金として金融機関からの借入金で賄う自治体も発生、金利が余分にかかることになって、ただでさえ苦しい地方財政を圧迫し出しているという。

 そういった自治体は感謝の気持で首相官邸の方向に足を向けて眠ることもできまい。足を向けて寝ることはできなくても、ツバを吐きかけてやりたいという自治体があるかもしれない。

 10月19日に民主・自民・公明の3党党首会談を開催、野田首相は赤字国債発行法案成立への協力を求めたが、先の党首会談で谷垣総裁と山口公明党代表に約束した「近いうちに信を問う」の「近いうちに」の時期明示を断り、会談は物別れに終わっているところを見ると、自身は解散をカードに「社会保障と税の一体改革」を成立させておきながら、解散を交換条件とした自公の赤字国債発行法案成立のカードは呑むつもりはないらしい。

 但し政府関係者なる人物は3党首会談が物別れに終わったあと、野田首相は年内に解散のカードを切る用意があるとの発言をしている。

 政府関係者(野田首相の3党首会談での解散に関わる発言について)「赤字国債発行法案などが成立すれば、年内に解散する用意があることをギリギリの表現で伝えており、自民・公明両党にも読み取れたはずだ」(NHK NEWS WEB

 この発言が野田首相の解散のカードをちらつかせはするものの、ちらつかせる以上のことは何もしなかった見せかけと同様に当てにもなならない希望的観測でしかないことを岡田副総理の10月21日和歌山講演の発言が証明している。

 岡田副総理「赤字国債発行法案などの成立は解散の条件ではないということは、野田総理大臣とも確認している」(NHK NEWS WEB別記事)

 この発言に対して藤村官房長官。

 藤村官房長官「総理大臣がそう言うからには、そのとおりだと思う」」(同NHK NEWS WEB

 いわば自公は赤字国債発行法案成立をカードとして解散を迫ってきたが、野田首相はその成立を解散のカードとしてはいないということであり、しかも、当然のことだろうが、党執行部ぐるみの戦術としているということである。

 党首会談後、安倍自民党総裁国家主義者は次のように発言している。

 安倍晋三「臨時国会の具体的な日にちへの言及はなく、『できるだけ早い時期に』という言い方だった。昨日約束したことを今日、本人がいる前で違えているのだから、信頼関係を回復する努力を首相自身にしてもらわなければ、とても(国会)対応はできない。(審議拒否は)常識だろうと思う。(近いうちに解散するという約束を果たす)責任感がないなら、総辞職すべきだ」(YOMIURI ONLINE

 赤字国債法案成立への協力が解散獲得のカードとならないなら、審議拒否に出て、その成立そのものを阻止し、解散を否応もなしに仕掛けるという戦術転換への狼煙(のろし)であろう。

 だが、このような姿勢に対して世論は味方になるどころか、逆に形勢不利を突きつけることになった。マスコミの世論調査は解散を交換条件とした審議拒否を過半数を超える確率で「評価しない」を映し出した。

 そこで自民党執行部は「審議に応じる方向で検討」という戦術転換に出た。早急に答を出すのはあまりに打算的と取られる危険性が生じる。

 但し参院自民党は野田首相が、いわば参議院問責の身であり、それを解き放つ条件としてのことだろう、「野田総理大臣が年内解散を確約するなど、けじめをつけないかぎり、審議には応じられない」(NHK NEWS WEB)と主張していて、衆議院側と態度を違えているという。

 尤も、衆議院側は世論の反発を抑えるために審議には応じて世論を宥め、参議院側は問責を正当化の楯に審議拒否に出て、世論を相半ばさせる、あるいは止むを得ないと納得させるチームプレーに出ているということもある。

 いずれにしても野田首相が「社会保障と税の一体改革」成立を解散のカードとした以上、そのカードは、少なくとも現在の内閣支持率、現在の民主党支持率が現状のままのジリ貧状態にある間はどこまでもついて回る。

 逆に自公は内閣支持率と政党支持率が現状のジリ貧状態にある間に解散のカードを切らせようと焦っているはずだ。
 
 当然、そのカードを切らないことには政治は前に進まない。

 自分の方からカードとしながら、それを切らないということは政権にしがみつくことを意味する。

 既に野田政権は追いつめられているのである。にも関わらず政権にしがみついて、政治をこのままの停滞状況に置くのか、停滞状況を破って、例え政権を失うことがあっても、兎に角も政治を前へ進める状況をつくり出すのか、偏に野田首相の決断にかかっている。

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野田首相や官房長官、その他の田中法相辞任言及の国民は見抜いている言葉のウソ

2012-10-24 11:04:06 | Weblog

 外国人献金問題と暴力団関係者との交際発覚が週刊誌で報道された田中慶秋法相が23日午前9時過ぎ、秘書官を通じて、藤村官房長官に対し、野田総理大臣宛てに体調不良を理由とした辞表を提出して受理され、辞任した。

 野田首相による事実上の更迭だとマスコミは伝えている。

 要するに自発的辞任を装っているが、詰め腹を切らされた。無理やり切腹させられたということである。

 このことは国民の誰もが見通しているはずだ。田中法相自身にしても自発的辞任ではないことを自ら物語ることをしている。

 入院先の病院から藤村長官に「辞任の意向はない」(時事ドットコム)と電話したという。

 だが、退院翌日の23日午前9時過ぎに辞表提出。

 田中氏は10月19日の閣議を欠席して入院。22日に退院。4日間の入院で、4日の間の何日に電話したか分からないが、わざわざ電話して自ら辞任を否定していながら、退院翌日に辞表提出という急変は、待ちに待った初入閣という点から考えても、10月1日野田第3次改造内閣就任間もない22日後の超短期間の在任という点から考えても、詰め腹でなくて何であろう。

 また、辞表は自身が首相官邸に赴いて野田総理大臣に直接提出したのではなく、秘書官に持たせて藤村官房長官に手渡したところにも自発的ではない様子を窺うことができるし、野田首相に向けた不快感を見て取ることができる。

 次の記事――《田中法相が辞任 野田政権に打撃》NHK NEWS WEB/2012年10月23日 12時0分)が辞表受理後の野田首相と蕗村官房長官の発言を伝えている。

 先ず記事は、〈過去に暴力団関係者の結婚式で仲人を務めたり、暴力団関係者の宴会に出席していたりしたことが指摘されたほか、みずからが代表を務める民主党の支部が、政治資金規正法で禁止されている外国人が経営する会社からの献金を受けていたことが明らかにな〉ったと、今回の辞任騒動の背景を伝えているが、この報道は同時に田中法相の閣僚資格をも伝えているはずだ。

 野田首相(閣議後の閣僚懇檀家)「田中法務大臣から辞表が提出された。体調不良のため入院し、検査をした結果、いくつかの症状で治療が必要だということで、大変残念だが受理した」

 白々しいとはこのことだろう。詰め腹を切らしておいて、「大変残念だが受理した」と言い抜けている。

 この言葉も額面通りに受け止める国民がどれ程いるだろうか。

 こういった発言が内閣支持率、野田首相に対する信用に関係してくる。

 藤村官房長官(記者会見)「辞任の理由は専ら体調不良だ。体調に関して本人が判断したことで、いかんともしがたく、野田総理大臣の任命責任にはつながらない。暴力団との交際を指摘した報道については、弁護士を通して抗議と訂正を求めると聞いている」

 「暴力団との交際を指摘した報道については、弁護士を通して抗議と訂正を求めると聞いている」と言っているが、田中法相に何ら疚しいところがなければ、10月18日に出席を求められていながら、公務を理由に欠席した参院決算委員会に出席していなければならなかったはずだ。

 前日の10月19日の閣議欠席は公務を理由とすることができたとしても、外国を訪問するというわけではないのだから、国会審議は最優先の公務であるはずだからだ。

 大体が、「公務」が何の公務なのか、国会審議よりも優先が許される「公務」なのか、マスコミは明らかにすることを要求もせずに、単に「公務」で罷り通らせている。

 これでは国民に対する情報提供の役目を果たしていない。

 女とホテルにしけこむ“仕事”であったとしても、それが露見しなければ、本人が「公務」と言えば、「公務」で罷り通らせることになる。

 「辞任の理由は専ら体調不良だ。体調に関して本人が判断したことで、いかんともしがたく」の発言にしても、どれくらい頭から信じる国民がいると思っているのだろうか。

 思っているとしたら、相当に国民をバカにしている。

 表情も変えずに白々しいことを言って、それが事実であるかのように装う。

 「野田総理大臣の任命責任にはつながらない」と言っているが、野田首相自身は任命責任があると言っている。

 尤も口だけで言っている任命責任に過ぎない。口ではいくらでも言うことができる任命責任のうちのその一つに過ぎない。

 《野田首相“任命権者の責任ある”》NHK NEWS WEB/2012年10月23日 15時46分)

 どこかからか首相官邸に戻ってきて、記者に問いかけられて、珍しく立ち止まって行った発言である。

 野田首相「田中大臣からは、体調不良を理由に辞任の申し出があり、受理した。政治経験などを踏まえて、私が選んだ大臣であり、任命した閣僚が職務を全うできなかったという部分においては、任命権者の責任はある。内閣全体で職務にまい進することで、責任を果たしていきたい。

 (後任人事について)早急に決めたい」

 「田中大臣からは、体調不良を理由に辞任の申し出があり、受理した」は表向きの理由でしかないことを国民は見抜いているはずだ。

 いわば辞任の実態を国民が見抜いているにも関わらず、それを隠して国民に説明した。

 国民にゴマカシを働いたということである。これでは信用されないし、不信用の結果として支持率は上がるはずはない。

 「政治経験などを踏まえて、私が選んだ大臣であり、任命した閣僚が職務を全うできなかったという部分においては、任命権者の責任はある」

 この自己責任論は口先だけで言っている責任論となっている。心底から痛感している責任ではないということである。

 野田首相は10月1日(2012年)の第3次改造内閣組閣記者会見で田中法相の就任を次のように述べている。

 野田首相「法務大臣、拉致問題担当、田中慶州さん。民主党のまさに重鎮として国会や党の要職を歴任され、拉致問題にも長年取り組んでこられた田中さんに、国民に身近な司法を実現し、拉致問題に責任を持って対応するという重要な役割を担ってもらうことといたしました」

 法相として、あるいは拉致担当相として発揮するであろう政治的資質を最大限に見込んでいる発言となっている。

 そのように野田首相は首相としての、あるいは一国のトップリーダーとしての自らの批評眼を以って田中氏を人物評価し、法相として任命した。

 また、そうでなければならない。

 この点にこそ、任命責任は生じるはずだ。人物評価が間違っていなければ、職務は全うできるはずである。

 例え当初は人物本位ではない、実際には民主党内力学からの任命であったとしても、何かあった場合は自身の任命責任にかかってくるし、国民に対する責任履行という点でも、最終的には野田首相自身の人物評価の関与を絶対条件としなければならないはずだ。

 だが、そういう視点は取っていない。「任命した閣僚が職務を全うできなかったという部分」は、田中法相自身の責任であって、第一義的には任命権者の責任ではない。

 「職務を全うできなかった」以前の問題として、「職務を全うできな」い人物を法相に任命した事実こそが野田首相自身の任命権者としての責任であって、この失態についての責任には一切言及していない。

 いわば、「政治経験などを踏まえて、私が選んだ」通りにはならなかった点についての責任こそが任命権者としての肝心要の第一義的責任であるはずだ。

 「内閣全体で職務にまい進することで、責任を果たしていきたい」と言っているが、任命権者としての責任がどこにあるか合理的に判断し得ないばかりか、野田首相が発信する言葉自体が国民から既に信用を失っているのである。どう責任を果たしていけるというのだろうか。

 内閣支持率が既に答を出している。

 言葉の信用喪失は何よりも3党首会談で確約した「近いうちに国民の信を問う」の言葉に象徴することができる。その信用喪失の舌の根もか乾かないうちに、今度は別の言葉で解散を匂わせている。

 《首相“そんなにいつまでもやらない”》NHK NEWS WEB/2012年10月23日 17時30分)

 野田首相は10月22日、みんなの党、共産党、社民党、日本維新の会、新党日本と個別に党首会談を行ったのに続いて23日、たちあがれ日本の平沼代表と会談した。

 平沼代表「今の国民感情からすれば、早く衆議院を解散すべきだ」

 野田首相「そんなにいつまでもやっているつもりはない」

 「近いうちに」が野田首相の言葉の信用性を失わせているのに、 「近いうちに」よりも遥かに曖昧な期間を示す「いつまでも」が「いつまでも」のことか具体性は不明で、信用を僅かにも与えるはずはない。

 要するに周囲の状況が許す限り逃げに逃げて、それが許されなくなってにっちもさっちも行かなくなったら、そこで往生しようという魂胆を持った「いつまでも」なのだろう。

 橋下大阪市長、日本維新の会代表が10月23日、市役所記者会見で野田首相の田中法相人事を擁護している。《「人事の失敗あり得る」=法相辞任の首相任命責任で-橋下氏》時事ドットコム/2012/10/23-21:20)

 橋下市長「人事の失敗は組織ではあり得る。間違ったからといって直ちに身を引かなければならないというのは、与野党ともによくない。

 どういう経緯でどこまで確認をして任命したかを明らかにして、早く適切な人を法務大臣にしないと国の行政がストップする」 
 
 確かに「人事の失敗は組織ではあり得る」。だが、「どういう経緯でどこまで確認をして任命したかを明らかに」することはあるまい。

 野田政権に貢献のあった議員に対する党内力学からのご褒美人事であったことは疑いがなく、明らかにしないだろうし、このことと任命の最終的絶対条件としなければならない、国民に対する責任履行上の野田首相自身の人物評価が機能しなかった責任についての認識を麻痺させた発言となっている。

 必要とする認識を麻痺させた公人の公の発言は、例え国民が気づかなくても、偽情報の発信となる。いわばウソをついていることになる。

 当然、「人事の失敗は組織ではあり得る」と一般論化するのではなく、田中法相人事については「直ちに身を引」くべき任命権者の責任を負っているはずだ

 巧妙なウソはもういい加減にすべきだ。数々のウソが内閣支持率と政党支持率を低下させている最大要因だと気づくべき時が来ているはずだ。

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角田美代子主犯の尼崎死体遺棄事件と連合赤軍事件といじめの類似性

2012-10-23 13:36:25 | Weblog

 既に多くの人がそう見て取っていると思うが、私なりに解釈してみる。

 遺体が発見された3人を含めて8人が行方不明となっていたという、死体遺棄等の罪で起訴された兵庫県尼崎市の角田(すみだ)美代子被告(64)は、事件を取り上げているWEB記事を読むと、自身も多少は用いることはあったろうと思うが、基本的には他者に身体的、あるいは言葉による暴力を振るって相手に恐怖を植えつけることでその精神と行動を萎縮させ、その両面を自由に操る人間支配を巧まずしてできた人物であるように見える。

 いわば自身は殆ど手を出さない、指示・命令を専らとした支配者として君臨し、その君臨の手足となって恐怖を植え付ける実働部隊となっていたのが、角田のいとこの李正則受刑者(38)であり、多分支配の状況に対する監視役が角田被告の息子と結婚した瑠衣(27)被告、角田の義妹の三枝子被告(59)であったらしい。

 娘や息子などの義理の親族というだけで他人の家に入り込んだり、自分の家に住まわせて、先ず手の届く関係に置き、徐々に支配状況を作っていって、睡眠や食事、トイレは角田美代子の許可を必要とするまでに支配を完全なものにまで持っていった。

 行動の自由を奪われて行動の決定権を他者に委ねることになった者が行動の許可を取るという主体性の放棄、あるいは隷属性程、卑屈な感情を強いるプロセスはあるまい。

 その卑屈さがまた、相手の支配を強めることになる悪循環を誘うことになる。

 指示を破れば、いとこの李正則受刑者が暴行し、近くの公園に一日中立たされる「罰」もあったと「YOMIURI ONLINE」が書いている。

 家族同士で暴力を振るわせたり金を要求したりしていたともいう。断れば、暴力を覚悟しなければならなかったに違いない。少なくとも相手の次の行動として暴力が浮かび、その暴力の恐怖から前以て要求に従う構図が出来上がっていたはずだ。

 監視役の瑠衣被告と義妹の三枝子被告(59)が住人女性らの年金を盗んだとして今年の8月から9月にかけて逮捕、窃盗罪で起訴されると、支配されていた者たちが徐々に口を開き始めたと別の「YOMIURI ONLINE」記事が伝えている。

 捜査幹部「角田被告の側近中の側近の瑠衣、三枝子両被告も逮捕され、ようやく暴力の恐怖が遠のいた」(同「YOMIURI ONLINE」

 逮捕によって監視が機能しなくなり、監視から解放されて精神と行動の自由を取り戻したということに違いない。

 監視は密告を一心同体とする。支配者に監視役を仰せつかっている場合、あるいは支配者に対して監視役を担っている場合、支配者に対する密告なくして監視は成り立たない。報告ではなく、あくまでも密告である。

 支配自体が異常な状況となっているのだから、その異常な支配に応えるには当たり前の報告では監視役の手柄とはならない。監視対象に不利となる密告あってこそ、異常な支配はその異常さを充足させることになる。

 優れた密告こそが優れた監視を証明することになる。

 このような支配者と監視役の関係には監視役の支配者に対する媚、あるいは追従(ついしょう)が介在することになる。支配者に気に入られようとするあまり、実際にはない偽造した事実の密告が往々にして起こる。

 支配される側はそれが事実にない密告であっても、証拠に基づいた裁判を行うわけではない。支配者の側のみの恣意的な正義が横行する関係性の中で事実は無意味と化す。

 怒りや暴力や何らかの懲罰の波及の被害少ないことだけを願って事実でない密告を事実と認める無力な恐怖を選択することになるに違いない。

 以上のような暴力が与える恐怖で人間を支配し、従属させる支配と被支配の関係は自己批判と総括の名のもとに暴力を用いたリンチを行い、中には死刑まで宣告して実行し、最終的に12人の同志を死なせた、連合赤軍の永田洋子を支配者とした恐怖支配と、支配者が同じ女性という点からではなく、基本的な構図自体に類似性があるように思える。

 少なくとも人間的な程度の低さ、猥雑さの点で双方は親近関係にあるように思える。

 永田洋子は合法活動から非合法活動に移った場合は合法活動時代の髪型、歩き方、指輪は警察に知られている危険性から、いわば別人となるのが常識であるのに反して合法活動時代のままの指輪をしているとか、自由恋愛主義者だから非合法活動は守れないと女性同志を批判、総括という名の自己批判を求めるが、理屈にならない価値観に立った、あるいは恣意的な正義に基づいた批判でありながら、批判する側の永田洋子が上位者として君臨しているというその上下関係でのみ批判が強い言葉を持って正義を見せかけることになり、そのような上下関係が周囲の人間をしてその見せかけの正義に同調する構造を取ることになって、自己批判は集中攻撃を受けたり、あるいは助けとはならない沈黙を受けることになって追いつめられていく。

 そして追いつめられた自己批判は総括できていない、革命戦士にはなリ切れていないという理由で、真に反省して総括をしろと食事を断たれたり、ローブで部屋の柱に縛られたりする懲罰を受けるが、既に既定事実となっている上下関係が決する正義が罷り通って、下の者の正義(あるいは人権)は顧みられることなく懲罰はエスカレートし、殴打を用いて総括を求めるまでになり、その殴打が過ぎてリンチ同然となって死に至らしめることにもなった。

 自己批判や総括の果ての殴打、その果てのリンチ死や死刑はそれが繰返されると、その対象から逃れるために自己批判、あるいは総括はこの運命劇を演出する上位者に気に入れられようとして否応もなしに媚や追従(ついしょう)が入ることになる。

 だが、そのような自己批判、総括は逆に甘いと言ってなおさらに批判を受け、反省が足りない、真剣に自己批判しろ、総括しろと厳しさを植えつける殴打で応え、それがリンチに発展する。

 自己批判と総括を求める行為自体が正当性がないままに永田洋子やその他の上位者自身の正義の示威行為(正義の自慰行為と言ってもいい。)に既になっていたのだから、その非正当性に応える術はなく、応えることのできなかった結末としての殴打やリンチ死、死刑は上位者たちの正義の終局的顕現でもあったはずだ。

 死を革命戦士となれなかった「敗北死」と解釈していたこと自体がそのことを証明している。いわば自分たちを自己批判も総括も必要としない革命戦士の側に位置づけていたということであり、例え明確に意識していなくても、「敗北」の対局の「勝利」に自分たちを置いて、深刻な高揚感すら持って革命ごっこでしかない死んだ者の凄惨な悲劇を眺めていたのかもしれない。

 上位者の下位者に対する殴打、リンチ等を用いた暴力による恐怖支配は断るまでもなく、いじめと類似性を持つ。違いは大人と子供のスケールの違いぐらいであって、人間支配の基本的構造は同じであるはずである。

 いじめにしても、身体的、あるいは言葉による暴力を振るって相手に恐怖を植えつけ、その精神と行動を萎縮させて、一個の人間の自由あるいは喜怒哀楽を奪う構造となっている。

 尼崎死体遺棄事件にしても連合赤軍事件のリンチ死にしても、学校で児童・生徒がいじめの心理劇を学ぶ格好の教材として利用できるのではないだろうか。

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復興予算「全国防災対策費」への流用と学校・官庁等公共施設耐震対策から見た“財政の機動的対応”

2012-10-21 12:23:05 | Weblog



 復興予算の中から振り分ける形の「全国防災対策費」の趣旨・目的等を書いた内閣府防災担当のWeb記事がある。関係個所のみを抜粋してみる。 

 《全国防災対策費についての考え方(概要)》 

 ○被災地域と密接に関連する地域において、被災地域の復旧・復興のために一体不可分のものとして緊急に実施すべき施策
 ○東日本大震災を教訓として、全国的に緊急に実施する必要性が高く、即効性のある防災、減災等のための施策

 緊急性

 近いうちに発生が懸念される地震・津波(三連動地震、首都直下地震、日本海溝・千島海溝地震)等の災害に備えた施策等

 即効性

 ○ 効果の発現が直接的かつ無条件であること
 ○一連の施策のパッケージ化
 ○ 早期の効果発現(少なくとも5年以内) 等

 事業規模

 ○全国的な緊急防災・減災事業 1兆円程度 

 先ず「全国防災対策事業」実施地域は被災地域と密接に関連する地域とし、その事業は、被災地域の復旧・復興と一体不可分性を備えていて、復旧復興にとって緊急性を要することを条件としている

 いわば被災地域の復旧・復興に一体不可分に関わって緊急に必要とされている事業でなければならないと規定している。

 次に被災地外の実施事業自体に関しても緊急性を必要とし、その緊急性を満たすために少なくとも5年以内に効果発現が見込まれる、即効性ある防災・減災等の事業でなければならないと厳しく条件付けている。

 では、今一度「全国防災対策費」が被災地域の復旧・復興と一体不可分性と緊急性を抱えた、どのような緊急性ある事業に使われたかを見てみる。

 《「流用」が指摘された主な事業》時事ドットコム/(2012/10/18-22:50)

 (10月)18日の参院決算委員会で復興予算からの「流用」が指摘された主な事業は以下の通り。

一、反捕鯨団体による調査捕鯨妨害対策費(農水省)    23億円
一、北海道、埼玉県での受刑者の職業訓練費(法務省) 2800万円
一、国内立地推進事業費補助金(経産省)       2950億円
一、全国防災対策費(国土交通省など)       1兆579億円
一、リチウムイオン蓄電池導入支援事業費(経産省)    210億円

 「全国防災対策費(国土交通省など)1兆579億円」が具体的にどのような対策・事業に使われたのか分からないから、直ちに評価できないが、他の項目は被災地域の復旧・復興と一体不可分性・緊急性を備えていると同時に対策・事業自体に防災・減災に関わる緊急性を抱えていると果たして言えるのだろか。

 一体不可分性・緊急性に該当しないということなら、一般会計から支出すべきだったろう。一般会計から支出しないで復興予算を流用し、流用することで浮く一般会計支出分を他の対策・事業に回すといった錬金術師紛いのことをしていないとも限らない。

 次の記事――《復興予算 バラマキ色濃く 河川整備7割被災地外》TOKYO Web/2012年10月14日 07時02分)に以下の記述がある。

 〈国土交通省によると、復興予算が充てられた本年度の河川事業費は、復興庁からの計上分も含め477億円。このうち被災地で使われるのは青森、宮城、茨城、千葉各県分の計137億円。全体の7割に当たる残り340億円は、徳島県の那賀川、熊本県の緑川、新潟県の信濃川など、その他の地域に支出された。〉――

 勿論、被災地外の河川事業は必要不可欠であろう。だが、被災地域の復旧・復興に直接的に役立つ一体不可分性と緊急性を抱えているようには思えない。

 役人だけが抱えていると見えるのだろうか。

 まさに一般会計で補うべきを補わない復興予算からの流用そのものであろう。

 記事は、〈復興に名を借りたバラマキ型公共事業復活の構図が、色濃く浮かぶ。「減災」が目的に加えられた消費税増税も、同じ道をたどると懸念する識者もいる。 (森本智之)〉と危機感を見せている。

 この危機感は記事自体が触れている、〈今夏成立した消費税増税法では、付則18条2項で「成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に重点配分する」〉の規定を根拠としている。

 具体的には、「消費税増税法」の付則18条2項は次のようになっている。〈税制の抜本的な改革の実施等により、財政による機動的対応が可能となる中で、我が国経済の需要と供給の状況、消費税率の引上げによる経済への影響等を踏まえ、成長戦略並びに事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた施策を検討する。〉・・・・

 言っていることは尤もらしい、そうかなと思わせる内容となっているが、果たして「財政による機動的対応」を可能とした時代があったのだろうか。

 これまでの日本はその多くを赤字国債を元手とした公共事業依存型経済を主流とし、それは官僚を共犯とした政治家の地元利益誘導によって経済効果を伴わない過剰投資・過大投資となって現れ、益々国家財政を借金体質としていった。

 その現在の結末としてある消費税増税であるはずである。

 いわば“財政の機動的対応”を可能としていなかった、不能としていた、あるいは機能不全としていたことの反映としてある先進国屈指の現在の財政悪化であり、その尻拭いとして持ち出した消費税増税であろう。

 上記以外の、一体不可分性をそこに見て、緊急性を要すると見做したはずの事業を見てみる。

 税務署耐震改修費(約12億円)
 アジア・北米地域等との青少年交流(約72億円)
 沖縄の国道整備(約6000万円)
 自殺対策(37億円)等――

 多分、被災地以外の税務署の耐震改修を緊急に行えば、そのことが一体不可分的に直ちに被災地の復旧・復興に役立ち、被災地住民の生活の現状以上の向上に貢献していくと見たのだろう。

 結構毛だらけ、猫灰だらけである。

  驚いたことに各府省がこれまでは一般会計扱いの事業を復興予算に付け替えて継続を図る流用まで行なっていたと伝えている記事がある。《復興へ付け替え横行 省益優先 予算奪い合い》TOKYO Web/2012年10月17日 朝刊)

 画像を見た方が分かりやすいから、画像を無断利用させて貰うことにする。 

 マスコミによって復興予算の流用と指摘されている各防災対策と比較したなら、被災地域復旧・復興と一体不可分性は抱えてはいないが、抱えていない以上、復興予算を使うべきではないが、緊急性を要するはずの防災対策として公共建造物の耐震化がある。だが、その緊急性に反して一定程度しか進んでいない。

 《耐震基準満たす官庁施設 61%にとどまる》NHK NEWS WEB/2011年10月18日 5時26分)

 会計検査院による4012棟を対象とした調査。

 国の「耐震促進法」は中央官庁や出先機関が入る建物の耐震診断を行って、必要に応じて補強を行うよう定めているが、このような施設のうちの一定の大きさ以上の建物4000棟余りのうち、必要な耐震基準を満たしているのは2449棟、全体の61%。

 483棟は震度6強以上の揺れで倒壊の危険性。

 この危険性の範囲内の最高裁判所は大理石を使った構造上、補強工事が難しく、地震で使えなくなった場合にどのように業務を続けるかの計画もできていないとのこと。

 広島市にある「広島地方合同庁舎2号館」は、災害時に道路の応急復旧などを担う国土交通省の出先の中国地方整備局が入っているが、昭和47年の建設以降、耐震補強が行われておらず、新庁舎の建設のメドも立っていない。

 国立病院などの医療機関280カ所の調査では、災害で停電した際に必要な電源を確保できていない施設が47%の132施設。

 患者の生命(いのち)を守るとう点で最大緊急性を要するはずだが、国交省は沖縄の国道整備に復興予算を使っている。

 名古屋市にある「国立病院機構名古屋医療センター」は、南海トラフ巨大地震の際には地域の拠点病院として電源確保が72時間程度必要とされているが、14時間程度の燃料しか備蓄していないため、燃料タンクの増設などを目下検討している。

 要するにそれ程緊急性を痛感していなかったということになる。

 記事は次のように締めくくっている。〈国の施設に地震への備えが不足していると、大災害での応急活動に影響を及ぼすことから、会計検査院は、重要度や緊急性を考慮して計画的に耐震化を進めるよう、国に求めています。〉――

 緊急性を要するとして一般会計から支出して公共施設の耐震化対策を進めているだろうが、しかし現状の耐震化の進捗率から見たこの程度にとどまっている緊急性に反して被災地復旧・復興と一体不可分性も緊急性も抱えていない対策・事業に復興予算を流用している見せかけの緊急性の充足は政府・府省の“財政の機動的対応”の不能、あるいは機能不全を示す証拠としかならないが、会計検査院にこのような指摘を受けるということ自体にしても、同じく政府・府省の政治・行政の不能、あるいは機能不全を示す証拠となるはずである。

 的確な使い道とはなっていないということである。

 このことはその他の公共施設の耐震化についても言えるはずだ。

 《公立小中学校の耐震化85% 倒壊恐れなお3545棟》MSN産経/2012.8.2 21:21)

 文科省の調査。全国の公立小中学校の校舎や体育館などの耐震化率が4月1日時点で84・8%(前年比+4・5ポイント)。100%達成した市町村は4割超。

 進んでいる理由。〈昨年3月の東日本大震災を受け、予定を前倒しして耐震化を実施する動きが進んだためとみられる。〉

 84・8%と言うと、かなりの進捗率に見えるが、大規模地震で倒壊の恐れがある施設は3545棟もあると言うから、無視できない数の緊急性からの取り残しであって、このような取り残しも、被災地復旧・復興と一体不可分性も緊急性も抱えていない全国防災対策に復興予算を流用させている予算の使い方と相互反応する“財政の機動的対応”の不能、あるいは機能不全の一端を示す証拠となるはずだ。

 市町村単位では、耐震化率100%達成自治体は750市町村、全体の42・1%、前年比+9・3ポイント。

 50%未満自治体65市町村(全体の3・7%)

 震度6強の大規模地震で倒壊の危険性が高いとされる施設は3545棟(前年比-1069棟)

 都道府県単位では、耐震化率が最も高いのは東海地震への警戒が強い静岡県の98・8%。
 次いで宮城県と愛知県(いずれも98・0%)、三重県(96・8%)、東京都(96・7%)となっている。

 一部で耐震化が進まない理由を文科省は危機感の低さや資金面、政策の優先順位などを挙げているという。
 
 〈文科省は平成27年度末までの全棟耐震化を目指し、自治体への支援を実施しており、今年度末には90%に達すると見込んでいる。〉

 同じ国がカネを出すのなら、また被災地復旧・復興と一体不可分性を抱えていなくても、復興予算から支出する「全国防災対策費」は青少年・児童の生命(いのち)を守るという観点から先ずは学校耐震化に集中的に投資するのが、有効な“財政の機動的対応”というになると思うが、そうはなっていない。

 堤防の耐震化も進んでいないと報道している記事もある。《堤防の耐震、河川4割、海6割で不十分 検査院指摘》MSN産経/2012.10.17 21:31)

 これも検査院の指摘で、宮城、岩手、福島など東日本大震災の主な被災地を除いた東海・東南海・南海地震で大きな被害が予想される15都道府県が調査対象。

 記事。〈耐震工事が必要なのに未実施だったり、工事の必要性すら調査していない堤防もあった。耐震の必要性は東日本大震災以前の想定や指針に基づいたもので、巨大地震に備えた工事が必要な堤防はさらに多いとみられる。検査院は国土交通省などに計画的な整備を求めた。〉・・・・・

 平成19年、国交省が耐震、津波調査の指針を示し、都道府県に川を遡上(そじょう)する津波の高さなどを分析するよう求めていた。

 今年3月時点で分析を行っていたのは4府県のみ。

 11都道県は費用面などから未対応。

 調査対象となった堤防計約2169キロのうち、分析に基づき工事を終えたのは約3.8キロ(全体の0.2%)。

 対策が必要なのに工事が終わっていない約137キロと、必要性の有無が不明な約687キロを合わせると、全体の38%の堤防で地震、津波対策が不十分。

 中央防災会議の被害想定や液状化状況をもとに検査院が調査。大震災時には少なくとも6道県の90河川で氾濫(はんらん)の可能性。

 海岸堤防では計約3408キロのうち、約2022キロで堤防点検が不十分。耐震性不明。

 工事の必要がありながら未実施の堤防は84.4キロ、海岸堤防では全体の61.8%で災害時の効果を疑問視。

 同じく検査院調査で、約812キロで震災時に想定される最大規模の津波の高さより堤防が低い状態。

 この体たらくは赤字国債を元手とした公共事業依存型経済の不完全さを示すと同時に、政府・府省の“財政の機動的対応”の不能、もしくは機能不全をも示す事態であるはずだ。例え地方の財政責任であっても、国のカネ不足が影響している地方のカネ不足でもあるだろうからである。

 以上見てきたことから窺うことができるのは国の予算支出に関わる一体不可分性とか緊急性等の判断がいい加減であること、いい加減であるからこそ、“財政の機動的対応”の機能不全を常態としているということであろう。

 だからこそ、巨額の財政赤字を成果とすることができた。探しに探したなら、ムダは至る所にあるはずだ

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