《文科省の旧統一教会実体不問の名称変更認証と前川喜平氏の下村博文認証関与説、橋下徹の名称変更門前払い対応の前川喜平氏批判等それぞれの正当性》
世界基督教統一神霊協会(略称統一教会)は2015年6月に世界平和統一家庭連合へと名称変更を申請。7月に受理、8月に変更の認証を受けた。複数の都道府県に施設を持つ宗教法人の名称変更申請先は文科相宛で、実務は文科省外局文化庁の宗務課が担当。名称変更申請を受けた当時の文科相は「政治とカネ」の問題で錬金術師の疑惑濃い自民党下村博文である。
この名称変更の経緯を巡って2022年8月5日に立憲民主党や共産党などが合同でヒアリングを前川喜平元文部科学事務次官に対して行ったと同日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。前川喜平氏は旧統一教会から名称変更問題が持ち上がった1997年(平成9年)当時は文化庁宗務課長を務めていた。「Wikipedia」によると、文科省の前身文部省から文化庁へ出向の形を取っていたという。前川喜平氏は旧統一教会から名称変更の相談が寄せられたことを部下の職員から報告を受け、「宗務課の中で議論した結果、実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない。当時、『世界基督教統一神霊教会』という名前で活動し、その名前で信者獲得し、その名前で社会的な存在が認知され、訴訟の当事者にもなっていた。その名前を安易に変えることはできない。実態として世界基督教統一神霊教会で、『認証できないので、申請は出さないで下さい』という対応をした。相手も納得していたと記憶している」と合同ヒアリングで述べた。
いわば前川喜平氏は旧統一教会こと世界基督教統一神霊教会がその“名”を用いて彼らなりの宗教活動の陰で霊感商法とか、強制献金とかの組織的な反社会的"体"(たい)をつくり上げていき、一般社会に"名" は"体"を表すようになって、旧統一教会と言えば霊感商法、強制献金とまで言われるようになり、"名" と"体"が相互性を取るまでに至った以上、"体"をそのままに"名"だけを変えて、その相互性を破り、"体"を隠すような真似はさせることができないとしたということなのだろう。
このような「対応」は「宗務課の中で議論した結果」の結論であった。前川喜平氏が自身の考えを上意下達式に宗務課の結論としたわけではなかった。ではなぜ名称変更の申請書を提出させた上で、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」との理由で公式に名称変更を却下、非認証とする決着をつけなかったのだろう。こうできない理由は名称変更申請の形式にあるが、このことはあとで見てみる。
決着をつけることができなかったためにだろう、18年後の平成27年(2015年)に前川喜平氏は〈文部科学審議官を務めていた際、当時の宗務課長から教会側が申請した名称変更を認めることにしたと説明を受け、認証すべきでないという考えを伝え〉ると、「そのときの宗務課長の困ったような顔を覚えている。私のノーよりも上回るイエスという判断ができるのは誰かと考えると、私の上には事務次官と大臣しかいなかった。何らかの政治的な力が働いていたとしか考えられない。当時の下村文部科学大臣まで話が上がっていたのは、『報告』したのではなく、『判断や指示を仰いだこと』と同義だ。当時の下村文科大臣はイエスかノーか意思を表明する機会があった。イエスもノーも言わないとは考えられない。結果としては、イエスとしか言っていない。下村さんの意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」
かくこのように下村関与説を打ち出した。当然のことだが、下村博文は否定している。「文化庁の担当者からは『旧統一教会から18年間にわたって名称変更の要望があり、今回、初めて申請書類が上がってきた』と報告を受けていた。担当者からは、『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う。私が『申請を受理しろ』などと言ったことはなかった」
また前川喜平氏は文化庁が旧統一教会の名称変更認証に関して形式上の要件以外を理由として申請を拒むことはできないなどと説明していることについて、「書類がそろっていれば認証というわけではない。申請内容に実態が伴っていない場合は、認証しないという判断をして宗教法人審議会にかける道があったはずだ」とこのような方策で、あくまでも認証に持っていかない道を選択すべきだったと主張している。
一方、文化庁が形式上の要件以外を理由として名称変更の申請を拒むことはできない等と説明していることと、下村博文が口にした文化庁の「担当者からは、『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う」としている文化庁担当者の説明に対して補強材料の役目を果たしたのが現文科大臣の末松信介の2022年8月8日の記者会見発言である。
「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある。担当者に確認したところ、当時、旧統一教会側から『申請を受理しないのはおかしいのではないか』という違法性の指摘があった。教会側の弁護士が言っているという話だった」
さらに〈形式上の要件が整っていたとしても申請を認証せず、文部科学大臣の諮問機関である「宗教法人審議会」で判断すべきだったという指摘が出ていることについて〉、末松信介「申請の内容が要件を備えていることを確認して認証を決定したと認識していて、宗教法人審議会にかける案件ではなかった」(以上、2022年8月8日付NHK NEWS WEB記事)
要するに下村も末松も、文化庁も名称変更届(正式名「宗教法人変更登記申請書」)の記載に関しての「形式上の要件」の具足を名称変更認証の唯一の条件としている。法律が要求する形式に則った記載内容であるならば、速やかに認証しなければならない、しなかった場合、行政上の不作為として訴えられる恐れがあるとの手続きを優先させている。但し「形式上の要件」には法律上と実体上の違いが現れないという仕掛けが隠されることになる。“名は体を表す”の関係に於ける"体"そのものは隠しておくことができ、名称変更届上に現れることはないという仕掛けである。
宗教法人の名称変更に関しては、何らかの規則変更であっても、その届出には宗教団体の体裁を成していることのみが要求され、信教の自由を逸脱した不法献金強要や強制入信を行っているといった"体"の部分に当たる反社会的実体は届出で問われることはない。そうであるから、旧統一教会の2015年8月の名称変更は受理・認証を受けることができた。
下村も末松も、文化庁も、名称変更届出の記載に不備がないことを前提に名称変更を認証した事実は旧名称時代から続いている反社会的実体が名称変更届出に現れることのないことを幸いとして、その実体に目を向けることなく不問に付したことを意味する。なぜなら、名称変更認証の2015年8月以前に既に裁判で旧統一教会の社会的違法性は何例も糾弾を受けていて、マスコミも取り上げていたはずだからである。要するに前川喜平氏が文化庁宗務課長であった1997年(平成9年)当時、旧統一教会から名称変更の相談が寄せられた際、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」云々と名称変更の相談の段階で阻止したこととは真逆の対応を取ったことになる。繰り返しになるが、下村も末松も、文化庁も、名称変更届出の書類が求めている形式の要件どおりの記載内容となっていることの一事のみに正当性を置いて、旧統一教会が名称変更申請段階時に於いても反社会的存在であったその実体に関しては問題外の不問扱いとしたということである。
当然、「国民の生命と財産を守る」、あるいは「国民の命と暮しを守る」政治家を名乗っている以上、前川喜平氏と同じ理由を用いて申請そのものを阻止するか、どうしても阻止できない事情があるなら、申請書受理後に宗教法人審議会に対して社会的実体の有害性・無害性を検証の上、受理判断するようにとの指示のもと諮問させ、その判断に任せるべきだったし、諮問自体が「国民の生命と財産を守る」、あるいは「国民の命と暮しを守る」政治行為の一環に即していたはずである。だが、名乗りに反する政治行為に出た。前川喜平氏が名称変更認証に「下村さんの意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」の発言はその信憑性を色濃くするばかりで、その対応の正当性は認めることはできない。
ジャーナリストの松谷創一郎氏記事、「忘れられていた統一教会──激減した報道と34年前の“正体隠し”」(Yahoo!ニュース/2022/8/12(金) 6:06)によると、元信者が霊感商法被害で旧統一教会を訴えた、原告被害期間2001年~2011年の裁判では2017年に東京地裁が教団側に1020万円の賠償命令の判決を出し、原告被害期間1998年~2013年の同様の裁判は2021年に同じく東京地裁が1億1600万円の賠償を命じる判決を言い渡している(読売新聞朝刊2021年3月27日付)と出ている。訴えの元となった被害時期と裁判係争、そして地裁結審はどちらも世界基督教統一神霊協会の世界平和統一家庭連合へとの名称変更届出受理の2015年7月と認証の2015年8月を間に挟んでいる。
「Wikipedia」の「青春を返せ裁判」の項目には次のような記述がある。
〈2000年9月14日 - 広島高裁岡山支部第一部で、元信者の訴えを棄却した一審を破棄し、統一教会/統一協会の伝道の違法性を認定する全国初の判決が出た。 原告に対し、実損害額72万5000円に加え、100万円の慰謝料請求を認める。日本において、宗教団体による勧誘・教化行為の違法性を認めた全国初の判決。教団は信者組織に対して実質的な指揮監督関係があると認定し、計画的なスケジュールに従い宗教選択の自由を奪って入信させ、自由意思を制約し、執拗に迫って不当に高額な財貨を献金させ、控訴人の生活を侵し、自由に生きるべき時間を奪った」などと判断した。
2001年2月9日 - 「青春を返せ訴訟」で統一教会/統一協会側の敗訴が最高裁で初めて確定。最高裁は「上告理由の実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、上告の事由に該当しない」として教団の上告を棄却し、教団の詐欺的入信勧誘と献金の説得について組織的不法行為が認められるとして、献金70万円と修練会参加費相当額の損害及び100万円の慰謝料の支払いを命じた二審・広島高裁岡山支部判決が確定した。〉――
前者の裁判では「宗教選択の自由を奪って入信させ、自由意思を制約し、執拗に迫って不当に高額な財貨を献金させ、控訴人の生活を侵し、自由に生きるべき時間を奪った」などと、その実体が反社会的な域に到達しているとの宣告を受けることになった。後者にしても、〈教団の詐欺的入信勧誘と献金の説得について組織的不法行為が認められる。〉と教団の実体が反社会性を纏わせていると断罪された。
当然、名称変更認証に向けた2015年7、8月の時点に立って旧統一教会を取り巻く各種状況を眺めたとき、裁判が炙り出しているその社会的実体を有害性の観点で見るか、無害性の観点で見るかを求められた場合、前川喜平氏は有害性の観点で眺めたことになり、下村も末松も、文化庁も無害性の観点で眺めて、その有害性を問題視しなかったことになる。特に政治家や官僚としたら社会的常識に真っ向から反する受け止め方を以ってして結果として旧統一協会の意図に添う認証を答として出したのだから、前川喜平氏の見立てどおりにその意図が働いた下村博文の認証と見ないわけにはいかなくなる。
以上、野党ヒアリングで元文部科学省事務次官の前川喜平氏が1997年(平成9年)当時に旧統一教会から名称変更の相談が寄せられたときに見せた、実体は世界基督教統一神霊教会と何も変わらないのだから、申請書は出さないでくれと、いわば門前払いを食らわす対応をしたのだが、このような対応を正義の味方、有名弁護士の橋下徹がテレビ番組で「違法」だと厳しく批判したという。「橋下徹氏 旧統一教会の名称変更問題で前川喜平元次官を「違法」とバッサリ」(東スポWeb 2022/08/07 11:05)
2022年8月7日の「日曜報道」(フジテレビ系)でのコメンテーターとしての発言。記事の発言を纏めて見る。
橋下徹「正義の味方みたいになっているが、前川さんが違法です。統一教会がトラブル団体なので、名称変更を認めなかったと結果オーライで正しかったように見えるが、法治国家なので、ルールに基づいて判断しないといけない。名称変更の問題とトラブルを分けて考えないといけない。変更に関しては、前川さんの胸突き三寸で勝手に拒否してはいけない。
こんな官僚のやり方を認めたら、国民は官僚にゴマすりばっかりやらないといけなくなる。また官僚天国になって、中国と同じようになる。
感情で動くんじゃなく、きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき。前川さんの違法性も検証してほしい」
記事は、〈ゲストで出演していた立憲民主党の小川淳也政調会長も「前川さんのこの手続きを橋下さんのいう論点から検討する必要はある」と認めざるを得なかった。〉とオチまで付けている。
橋下徹は前川喜平氏のことを「正義の味方みたいになっている」と言っているが、ナニナニ、正義の味方という点では橋下徹の右に出る者はいない。強いて挙げるとしたら、志半ばで旧統一教会関連で天に召された安倍晋三ぐらいのもので、「俺の方こそ正義の味方だ」と張り合ったら面白かっただろうが、もはや張り合うことはできない、橋下徹の一人勝ちといったところだろう。
記事は橋下徹が前川喜平氏の対応を「違法」と断定とした根拠を、〈1993年に成立した行政手続法の観点から前川氏や文科省に非があるとした。〉と解説している。「行政手続法」(1993年法律第88号)の「第5章 届出」を見てみる。
〈第5章 届出
第37条 届出が届出書の記載事項に不備がないこと、届出書に必要な書類が添付されていることその他の法令に定められた届出の形式上の要件に適合している場合は、当該届出が法令により当該届出の提出先とされている機関の事務所に到達したときに、当該届出をすべき手続上の義務が履行されたものとする。〉――
旧統一教会の名称変更届に即して説明すると、宗教法人法によって宗教法人としての地位と身分が認められていることを前提とした取り扱いとなるために何らかの届出をする場合、名称変更の届出であっても、代表者役員変更の届出であっても、記載事項に不備がないことや必要な書類が添付されていることなどの「届出の形式上の要件」を満たしていさえすれば、その書類が関係機関の事務所に到達した時点で宗教法人は「当該届出をすべき手続上の義務」を履行したものと看做されるという建て付けとなる。当然、関係機関の事務所は宗教法人側の果たした義務に対して認証を以って応えなければならない。改めて断るまでもなく、届出認証の要件は届出の際に要求される書類上の形式(=書類上の手続き)を満たしているかどうか、唯一その一点に尽きることになるからである。
先に触れたが、名称変更の申請書を提出させた上で、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」との理由で公式に非認証の決着をつけることができない理由がここにある。
下村博文が「申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある」と発言したことと文化庁が形式上の要件以外を理由として名称変更の申請を拒むことはできない等と説明していること、さらに文科相の末松信介が「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある」と発言していること全てが1993年成立行政手続法の「第5章届出」の条文に基づいた発言となる。
かくこのように法律に忠実に基づいて判断するなら、正義の味方橋下徹の前川喜平氏「違法説」は正しい。だが、名称変更届出認証の要件が唯一書類上の形式(=書類上の手続き)を満たしているかどうか、その一点のみであることによって、既に触れたように信教の自由を逸脱した不法献金強要や強制入信を行っている旧統一教会の反社会的実体は不問に付すという仕掛けを結果的に認証の陰に閉じ込めることになってしまったという結末を迎えることになった。
となると、橋下徹がのたまわっている、「感情で動くんじゃなく、きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき」が一見、正当性を持ち、この正当性に立つなら、前川喜平氏の違法性はより重くなるが、その一方で下村博文や文化庁、末松信介たちの旧統一教会の反社会的実体性、あるいは違法と認める裁判所の数々の判断を我関せずに無頓着とした事実は名称変更認証の背景に限りなく追いやることになる。
昭和26年の「宗教法人法」の「第81条 解散命令」は、〈裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。
一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
二 第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。〉等と規定している。
要約すると、裁判所は「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした」宗教団体、あるいは「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」と規定した「第2条」のその「目的を著しく逸脱した行為をした」宗教団体、あるいは「第2条」規定の行為を「一年以上にわたつて」行わなかった宗教団体を「所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる」ということになる。
だが、裁判所は教団の入信勧誘を「詐欺的」とし、高額献金問題を「組織的な不法行為」と断じ、信者に対して「実質的な指揮監督関係」にあるとして、これらの不法行為に於ける旧統一教会の使用者責任を認め、個々の裁判で損害賠償請求等を認める判決を下しているにも関わらず、どこからも解散の請求を受けることはなかった。結果、教団の不法行為を野放し状態にしてきた。"名は体を表す"うちの"名"の変更も認めて、"体"とは縁がないかのように装わせることになった。なぜなのだろう。
この“なぜ”は次の記事を読むと、深まる。「宗教法人審議会(第141回)議事録」(文化庁宗務課/ 2001年6月20日)
要約すると、和歌山県に主たる事務所を持っている宗教法人「明覚寺」(みょうかくじ・複数の都道府県を跨いでいるから所轄庁は文部科学省)は名古屋別院満願寺が中心となって全国的に霊視商法詐欺事件を行っていて、詐欺罪で告訴され、既に8名が有罪判決を受けている。明覚寺側は和解金約11億円を支払い、被害者等とは全て和解が成立しているものの、1999年(平成11年)7月の地裁段階の判決で組織的、計画的かつ継続的に実行された大規模な詐欺事案と認定されていることから、文化庁では解散命令を請求する事由に該当するとして1999年(平成11年)12月16日に解散命令の請求、申立てを和歌山地方裁判所に行った。
次に翌2002年6月18日の「第143回宗教法人審議会議事録」(文化庁宗務課)を同じく要約してみる。
宗教法人明覚寺について宗教活動の名のもとに組織的、計画的、かつ継続的に詐欺行為を行ったことから私ども(=文化庁及び宗教法人審議会)は解散命令を請求してきたが、今年(2002年)1月24日に和歌山地裁から解散の命令が出された。明覚寺側は今年(2002年)1月31日付で大阪高裁に即時抗告を行ったが、4月時点で当方側からも答弁書の提出をして、お互いの主張が基本的には出尽くしている段階にあり、いずれ決定が出ると思うが、高裁でも現決定が維持されることを求めていきたいと考えている。
この結末は「Wikipedia」の「霊感商法」の項目に出ている。
〈明覚寺は最高裁まで争ったが棄却されて解散になった。犯罪を理由にした宗教法人の解散命令としては、オウム真理教に次ぐ2番目のできごとであった。〉
かくかように宗教法人法は第81条で「解散命令」は裁判所が行うこととしているが、解散の請求は所轄庁、利害関係人若しくは検察官が行うと定められているうちの所轄庁に関しては上記2つの宗教法人審議会議事録によって複数の都道府県に施設を持つ宗教法人の場合は文部科学省ということになり、解散請求までの手順は何らかの宗教法人に対して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められるか、宗教団体としての目的を著しく逸脱した違法・不法行為に関わるかして訴訟が提起され、その訴訟に対して裁判所が有罪判決を下す結果等を受け、文科大臣の諮問機関である宗教法人審議会が解散請求の該当性の有無を議論し、解散相当と結論した場合はその請求を文科大臣宛に提出、文科大臣が裁判所に解散請求を行うという手順を取ることになる。
だが、文部科学大臣の諮問機関である宗教法人審議会は旧統一教会が裁判で数々の有罪判決を受け、教団の使用者責任を認める判決がいくつかありながら、音無しの構えに終止した。この理由を推測するために2022年8月5日の野党ヒアリングで前川喜平氏が旧統一教会から名称変更問題が持ち上がった時期としていた1997年(平成9年)を挟んで「Wikipedia」を参考にしながら、世界基督教統一神霊協会(旧統一教会)の教祖文鮮明が1968年1月13日に韓国で、同年4月に日本で創設した国際勝共連合と日本に於けるスパイ防止法の国会提出を軸に当時の自民党首脳と旧統一教会との関係を眺めてみることにする。国際勝共連合とはその名の通り、反共主義の政治団体である。1968年の日本の首相は岸信介の実弟佐藤栄作であり、兄弟揃って反共主義の立場を取っていた。
日本で創設の国際勝共連合の発起人は自民党の元首相岸信介、さらに両者共に政界黒幕で自民党に対して強い影響力を持った笹川良一と児玉誉士夫らが名を連ねている。会長は久保木修己統一教会会長、名誉会長は笹川良一(1995年7月18日 96歳没)が就任。この一事のみで旧統一教会と自民党がズブズブの関係にあり、そこに国際勝共連合が加わったという図になる。
1974年5月7日、帝国ホテル(東京)で岸信介を名誉実行委員長として、『希望の日』晩餐会と題する文鮮明の講演会が行われた。当時の大蔵大臣福田赳夫が「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返したという。講演会には安倍晋太郎、中川一郎、保岡興治、中山正暉、石井公一郎、(ブリヂストン副社長)、笹川了平(『大阪日日新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らのほか、40名程の小学校、中学校、高校の校長達が出席。
1985年6月6日の第102回国会「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(スパイ防止法)が議員立法として衆議院に提出されたが、この年を約6年遡る1979年2月24日、国際勝共連合その他の反共団体が「スパイ防止法制定促進国民会議」を結成。各県に県民会議、さらに市町村にそれぞれ母体をつくり、地方自治体へスパイ防止法実現のための要望、決議を行う戦略を取り出した。さらに国際勝共連合は1979年11月からスパイ防止法制定3000万人署名国民運動を展開している。
そしてこういった動きの背景となったのが1957年に訪米した岸信介が米側から秘密保護に関する新法制定の要請を受け、「いずれ立法措置を」と応じ、社会情勢が熟すのを待ったのだろう、1984年4月、「スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会」を発足させ、岸信介自身が懇談会会長に就任した。
こうして見てくると、佐藤栄作をも含めた岸信介を主導者とした日本側一派が国際勝共連合を伴走者として旧統一教会と二人三脚で事を起こしていたことが理解できる。国際勝共連合は地方自治体へスパイ防止法実現のための要望・決議を行う戦略によって、〈1984年12月末までに「スパイ防止法制定の意見書」決議を行った県議会は27、市議会1122、町議会983、村議会366、合計2498に達した。1985年後半から反対運動も活発化し、地方議会での反対決議も増えた。〉と「Wikipedia」には出ている。このような攻防を経たものの、スパイ防止法は1985年12月21日の国会閉会に伴い、審議未了廃案となり、安倍内閣下の2013年第185回国会に於いて「特定秘密の保護に関する法律案」(特定秘密保護法案)として提出され、同年12月6日の成立によって国際勝共連合を伴走者とした旧統一教会との二人三脚が実を結ぶことになる。
そのほかの状況としてアメリカでの脱税によって実刑を受けていたことから日本入国禁止の旧統一教会創始者であり、総裁の文鮮明が上陸特別許可によって1992年3月26日に日本入国、3月31日に金丸信、中曽根康弘と会談している。金丸信は当時自民党副総裁、法務省に対する政治的圧力により入国させたと噂が立ったという。さらに1994年8月には勝共連合幹部の誘いで朴普煕(パク・ポヒ:「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)の古参幹部)と中曽根康弘元首相が会談。金丸信が失脚したので、北朝鮮と日本を結ぶパイプ役をお願いしたとされている。
安倍晋三の2013年の特定秘密保護法案成立を除いた、以上書き出した両者間の親密関係が進行しつつあった情勢下で旧統一教会の名称変更問題が持ち上がった1997年(平成9年)である。旧統一教会が霊感商法や強制入信問題で全国的に有罪判決が出ているにも関わらず、宗教法人審議会が解散請求に向けた議論をしなかったのは旧統一教会と自民党首脳との関係から触らぬ神に祟りなしで自らに縛りを掛けていた可能性を疑うことができる。前川喜平氏自身もそのことを感じ取っていて、名称変更届を受理したなら、事務的に認証処理されてしまうこと、宗教法人審議会が音無しの構えでいる事情も弁えていて、本人が当時できたことは変更届出に門前払いを喰らわすことぐらいだったと考えることもできる。
しかし最近の旧統一教会に対する最大の協力者であった安倍晋三が名誉の死を遂げた現時点で、旧統一協会の名称変更認証の2015年8月当時の事柄を「申請内容に実態が伴っていない場合は、認証しないという判断をして宗教法人審議会にかける道があったはずだ」と指摘することができたとしても、現実問題として、当時の時点で同じ指摘をしたとしても、宗教法人審議会側が指摘に応じて動くことができたかどうかは疑わしいし、前川喜平氏自身にしても、旧統一教会と自民党首脳との当時の親密な関係を感じ取っていただろうから、同じ指摘ができたかどうかも疑わしい。
但し宗教法人審議会にかけるか否かの判断材料はあくまでも名称変更届の形式に合わせた記載内容にあるのではなく、変更届に決して現れることはないし、表すことも要求されていない社会的実体の有害性・無害性であって、初期的には有害性・無害性如何に判定を下すのは裁判所である。そしてその判定にどう対応するかが第一義的には宗教法人審議会自身の問題となる。対応次第で不作為の誹りを受けるのは文化庁宗務課ではなく、宗教法人審議会自身でなければ、その存在意義を疑われることになる。
このように見てくると、当然、現文科大臣の末松信介の記者会見発言、「申請の内容が要件を備えていることを確認して認証を決定したと認識していて宗教法人審議会にかける案件ではなかった」は事実誤認そのもので、形式的な要件を供えていなければ、宗務課が変更届を出し直させるだけのことで、名称変更届の形式的要件の具備・不備という点に限って言うと、宗教法人審議会の与り知らないことであろう。
与り知らなければならなかったことは名称変更によって社会的実体の有害性の点がどのような影響を受けるか、受けないか、想定することであろう。前川喜平氏の「当時、『世界基督教統一神霊教会』という名前で活動し、その名前で信者獲得し、その名前で社会的な存在が認知され、訴訟の当事者にもなっていた。その名前を安易に変えることはできない」との指摘に直接関係する事柄である。尤も裁判所の判決によって社会的実体の有害性が既に明らかになっているにも関わらず、旧統一教会の自民党上層部との関係の深さから自らに自己規制の縛りを掛けて、我関知せずの態度を取っていたとしたなら、名称変更によって社会が受ける影響そのものを考えることはあっても、縛りは縛りとして、旧統一教会の社会に対する影響を阻止する、自分たちのできる行動に出ることはなかっただろう。
橋下徹が2022年8月7日のテレビ番組で前川喜平氏の、いわば門前払いの対応を批判して「きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき」と発言しているが、「ルール」は既に出来上がっていたのである。断るまでもなく、「宗教法人法第81条解散命令」である。記憶に新たにして貰うために改めてここに記す。
〈裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。
一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
二 第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。〉――
少々寄り道するが、野党は2022年8月18日の日も文化庁宗務課に対して合同ヒアリングを行っていて、その様子を同日付「asahi.com」記事、「旧統一教会の名称変更、『詐欺的行為』は調査せず 野党に文化庁説明」が次のように伝えている。
当たり前のことを最初に断っておくが、いくつかの地方自治体に跨って宗教団体として活動していることから文科省所轄となっている旧統一協会を対象としたヒヤリングである。
〈文化庁宗務課の担当者は宗教法人法の審査基準について説明。宗教法人として新しく認証する場合は「布教方法に社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないかの調査を行う」と定められている一方、名称を含む変更の場合は「宗教法人法の根拠となる条文が違う」として、詐欺的な行為をしているかの確認などは求められていない現状を明らかにした。〉
立憲民主党参院議員小西洋之「設立の時に調査を行うと定められているなら、名称変更の際にも調査を行う必要があったのでは」
文化庁の担当者「基本的に設立の時に宗教団体性を認めて認証しているということ」
〈当時の名称変更の経緯や関係書類については「確認を進めている」と答えた〉――
文化庁宗務課の担当者は宗教法人設立認証のケースと認証後の名称等変更認証のケースを分けて、前者の場合は「布教方法に社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないかの調査を行う」こととしているが、後者の場合はそのような調査は求められていないと説明したことになる。となると、宗教法人の資格を一旦与えられたなら、以後、如何ような犯罪集団に豹変しようともお構いなしだということになる。事実そのとおりのことになっている。
何よりも問題なのは文化庁宗務課が説明した宗教法人として新しく認証する場合の審査基準にかかる規定は宗教法人法のどこを探しても見当たらない。「宗教法人法第2章第13条 設立 設立の手続き」は主として宗教団体としての体裁を成しているかどうかの審査を行うに過ぎない。上記文言をネットで検索、「愛媛県宗教法人規則認証審査基準(平成13年1月25日制定)」の中に、〈宗教法人法(昭和26法律第126号。以下「法」という。)に基づく規則、規則の変更、合併及び任意の解散の認証に関する審査にあたっては、法の規定の外、特に以下の点に留意して行うものとする。〉との決め事の中に存在する。
「規則、規則の変更、合併及び任意の解散」の認証審査は「法の規定の外」、いわば宗教法人法以外に、つまり宗教法人法には規定はないがの断りで独自の留意事項を設けている。もし実際に宗教法人法に同様の規定が設けられていたなら、「法の規定の外」の断りは必要とせず、「法の規定を厳格に守って」等の表現になったはずである。ここでは上記文化庁担当者の発言に添った基準のみを取り上げる。文飾は当方。
〈3 当該団体について、法令に違反し、公共の福祉を害する行為を行っていると疑われる場合には、以下の点に特に留意しつつ、その疑いを解明するための調査を行う。
(1)布教方法に、社会的に相当と認められる範囲を逸脱詐欺的、脅迫的手段を用いていないか。
(2)暴力的行為、反社会的な活動又は公序良俗に反する行為を行っていないか。
同様の文言は、「新潟県 宗教法人の認証に関する審査基準(留意事項)」にも示されている。
〈宗教法人法(以下「法」という。)に基づく規則、規則の変更、合併及び任意解散の認証に関する審査に当たっては、法の規定の外、特に以下の点に留意して行うものとする。〉
〈申請団体について、法令に違反し、公共の福祉を害する行為を行っていると疑われる場合には、次の点に特に留意しつつ、その疑いを解明するための調査を行う。
ア 布教方法について
布教方法に、社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないか。
イ 活動内容について
暴力的行為、反社会的な活動又は公序良俗に反する活動を行っていないか。〉
新潟県の場合は「平成6年10月1日制定」で、「平成9年5月15日一部改正」となっていて、愛媛県と制定年月日が異なっていることから宗教法人法の規定以外に各自治体が独自に決めた審査基準であることが分かる。但し右へ倣えの形式を踏んでいるが、自治体ごとに違いがあっては困るからだろう。
「Wikipedia 世界平和統一家庭連合」の項目に、〈1964年には東京都知事の認証で宗教法人となった。〉と出ているが、「東京都 宗教法人の認証に関する審査基準(留意事項)」なるものが存在するのではないかと思ってネットで探してみたが、見つけることはできなかった。国や自治体の規則や慣習の右へ倣えの慣例からすると、国を除いた自治体の場合は首都東京が先例となるケースが多いが、旧統一教会宗教法人認証の1964年は昭和39年で、その際に"詐欺的、脅迫的"云々
の認証審査基準が存在していたとしたら、一方の新潟県と愛媛県の「審査基準」が平成に入ってからというのは遅すぎることになる。「詐欺的、脅迫的手段」云々の基準は設けられていなくてフリーパスだったか、あるいは宗教法人資格認証時は“詐欺的、脅迫的”云々の"体"をなすに至っていなかったどちらかと考えられる。
愛媛県と新潟県の両自治体の宗教法人に対する審査は「規則」――いわば新規設立関わる「規則」を対象としているだけではなく、名称変更を含めた「規則の変更」をも対象とした “詐欺的、脅迫的”云々であり、あるいは “暴力的、反社会的”云々だが、これに対して文化庁担当者が野党合同ヒアリングで自治体独自の審査基準を持ち出して新規認証の場合のみ社会的実体の有害性の有無を調査をするが、名称変更の認証については宗教法人法はそのような扱いとはなってはいないと説明したことは自治体独自の審査基準と宗教法人法のうち、自分たちに都合のよいいいところ取りをして、旧統一教会の名称変更を形式的要件のみで認証したことの正当性を謀りつつ、その認証が法律どおりであっても、実質的には社会的実体の有害性("詐欺的、脅迫的"等々)を不問に付して認証したことになる仕掛けを隠蔽する働きをしていることになるのだから、この巧妙性・狡猾性はさすがと言わざるを得ない。
立憲民主党の小西洋之は文化庁担当者の前記発言を受けて、宗教法人法の何条に「詐欺的」云々といった規定が設けられているのか聞くべきだった。聞かなかったのは旧統一教会問題に取り組んでいながら、「宗教法人法」を勉強していないからだろう。「設立の時に調査を行うと定められているなら、名称変更の際にも調査を行う必要があったのでは」の小西洋之の発言そのものが宗教法人法に疎いことを示しているが、小西の発言に対する文化庁担当者の発言「基本的に設立の時に宗教団体性を認めて認証しているということ」と言っていることは前に触れたように宗教法人法によって宗教法人としての地位と身分を認められていることのみを前提として対応する法解釈となっているから、以後の団体の何らかの変更を申請する届出が形式上の要件に適っているかどうかだけを見ることになっている。
自治体独自の「宗教法人規則認証審査基準」にしても、何らかの宗教団体が宗教法人としての新規設立認証を受ける場合は「詐欺的、脅迫的手段」、その他の方法を用いた布教活動を行っている事実を調査されたら困るのを承知で認証申請するという手順よりも、最初に法人の資格を取ってから、徐々に金儲けに走るといった手順を取るのが一般的だろうから、どれ程の効果があるか疑わしい。勿論、悪徳宗教法人は規則の変更を迫られた場合は審査基準に引っかかることになるが、それを避けるためにどのような変更もしないで済ませるか、代表者の死亡等による変更等の届を申請する必要に迫られた場合、新たな宗教団体を立ち上げて、設立要件となる3年間の活動後に宗教法人としての新規申請に持っていって、宗教法人資格を得たのちに実質的には悪徳宗教団体を引き継ぐという手段も残されている。
やはり最終的に鍵を握るのは「宗教法人法」「第81条 解散命令」であろう。宗教法人審議会がこの条項を旧統一教会のいくつもある違法とする裁判判決を前にして教会と自民党上層部との関係を考慮して自らに縛りをかけ、空文化させていたのか、させていなかったの、その白黒を求め、前者・後者いずれであっても、解散命令を裁判所に請求しなかったことの正当性ある根拠を提示させるところから始めなければならない。
安倍晋三やその側近の立場への気兼ねから、あるいは忖度から解散請求を控え、音無しの構えを守り通していたことが万が一にでも判明したなら、宗教法人審議会は裁判所に対して解散を請求する手立てを構築しなければならなくなるが、旧統一協会が特に自民党政治家に対して選挙での利害関係の点で深く食い込んでいた状況を利用、宗教法人審議会の解散請求の動きを妨害する目的で彼ら自民党政治家を外堀に仕立ててそこから攻める一手として握っている秘密を暴露する報復戦術をチラつかせた場合、選挙でお世話になった多くの有力議員は自己規制を働かせて、宗教法人審議会のメンバーに圧力を掛けない保証はない。
ここで出番は正義の味方、正義の弁護士橋下徹となる。旧統一協会が文化庁宗務課に名称変更の相談をした際、前川喜平氏がいわば門前払いにした措置を「前川さんの胸突き三寸で勝手に拒否してはいけない」と批判、違法性ある行為だと断じた手前、自身に縁のある日本維新の会に依頼、宗教法人審議会に対して裁判所の旧統一協会を被告とした各種有罪判決を社会的実体の有害性の観点から捉えるべきなのか、捉えるべきでないのか、前者なら、解散に値するのか、値しないのかを審議するよう求めて、国民の納得を得ることができるいずれかの決着に持っていくべきだろう。
但し日本維新の会も所属議員13人が旧統一教会と関りがあったことを調査・公表した。今回の新代表戦に立候補した馬場伸幸(2022年8月28日投票の結果、新代表に選出)も足立康史も仲間に入っている。幹事長の藤田文武も連座している。旧統一協会が秘密暴露報復戦術を日本維新の会にも向けとしたら、自らも大きな傷を負うことを覚悟で解散実現へと向けて敢然として立ち向かうことができるかどうかである。
橋下徹の、少々言葉が軽いところがあるが、持ち前の断固とした正義感は口先だけではないはずだから、その点に期待する以外にない。