日本国力過大評価と米国力過小評価に基づいた杜撰な対米英戦争計画から見る安倍、高市等の靖国参拝(1) 

2024-12-08 08:55:48 | 政治

 国策に基づいた国民の過去の一定の行為を国家への功績と認めることは過去のその国家体制を肯定していることによって可能となる。その国家体制を否定していたなら、肯定は不可能となる。特にその国策が杜撰な計画に基づいた戦争によって受けた戦死ということなら、国家に対する功績者とは見ずに逆に国家による犠牲者と見ることになるだろう。

Kindle出版電子書籍「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

 戦後の日本で戦前の戦争の性格や内容を考えずに戦死を殉難と位置づけて、その国策もそれを生み出した国家体制をも肯定する国民が多く存在する。しかし日本の陸軍省経理局内に設立された研究組織「陸軍省戦争経済研究班」(秋丸次朗陸軍主計中佐が責任者だったことから秋丸機関と呼称されていたという)が作成したアメリカ国力の調査報告書の内容は杜撰で、過小評価オンパレードとなっていて、杜撰な国力評価に基づいた対米英戦争計画が招いた日本約310万戦死、アメリカ約29万戦死、イギリス約14万戦死の圧倒的差だけではなく、日本約310万戦死のうちの約6割が戦闘死ではなく、圧倒的な戦力の差を見せつけられてジャングルに敗走し、食糧の補給を受けられずに命を絶つ餓死だというから、多くが犬死にに等しい戦死結果だった。

 断るまでもなく、「犬死に」と「殉難」とは意味が違う。「犬死に」は「無駄に死ぬこと」を言い、「殉難」は「国家のために一身を犠牲にすること」を言う。太平洋戦争の日本軍戦死者の本人や周囲は国のための犠牲と思っていても、実質的には犠牲といった雄々しく、尊い振舞いを許される状況下で死に向かったわけではない。米国力過小評価に基づいた戦前国家の杜撰な戦争計画であった上に仮定的な希望的観測を拠り所とした作戦の見通しと合理性を欠いた精神論を主体とした訓練で手に入れた、実戦には役立たない戦闘能力を力に米軍に遥かに劣る物量と軽視された兵站での惨めな戦いを強いられて、それでもほんの最初は勢いは良かったが、日米開戦1941年12月8日から半年後の1942年6月初旬のミッドウェー海戦と同年8月初旬のガダルカナル島攻防戦敗退で日本軍は制空海権をほぼ失い、1943年5月のアリューシャン列島アッツ島の戦いでは日本軍守備隊3000人弱のうち90%近くが戦死のほぼ全滅状態となると、大本営はその全滅を「玉砕」と発表、あくまでも雄々しく勇ましい戦いであったかのように見せかけたが、以降、なし崩し的に敗退の道を突き進むことになった。

 大体が勝つ見込みは陸海軍首脳と政府首脳の頭の中にのみ存在した期待上の計算であって、現実世界とは合致しない架空の計算とは気づかないままに戦争を始め、頭の中に存在させた計算とは異なる現実の展開に立ち止まることはせずに頭の中の計算に縋るのみで勝つ見込みのない戦争を兵士になお押し付けて、結果として犠牲を積み重ねていき、尊い命扱いはしていないのだから、兵士のその死を玉砕としたり、お国のために尊い命を捧げたとするのは実態とは掛け離れた不毛そのものの誤魔化しであり、非生産的で意味を成さない。

 にも関わらず、玉砕と名付けたり、「尊い命を捧げた」国への犠牲とするのは実際には不毛で非生産的な死を国家にとっては意義ある死と思わせることで、国家の価値そのものに有意義性を与える意図があるからだろう。日本軍兵士の勇猛果敢さを演出して、自他に対しての敗退のショックを和らげると同時に日本軍にまだまだ勢いのあるところを見せて国民に安心を与える精神的手当からだろうが、それで追いつかなくなると、大本営は虚偽発表で戦果を補い、日本軍の強さを宣伝することになるが、そういった見せかけとは反比例して兵士の死の実態は玉砕だ、尊い命を捧げるだとは遠く掛け離れた悲惨な姿へと変えていったことを歴史が教えている。

 だが、そのような惨めな戦いを強いられて不本意な戦死を遂げた兵士が戦前国家の杜撰な戦争計画を蚊帳の外に置いたまま靖国神社に祀られ、英霊だ、殉国の志だ、お国のために尊い命を捧げたと称賛の対象とされる。  

 その称賛によって結果として、それが日本の保守的な歴史修正主義者が主張するように例え自存自衛の戦争だったとしても、戦前国家の杜撰な戦争計画に基づいた勝ち目のない戦争そのものであった事実は変えようがないのだが、安倍晋三や高市早苗等、靖国神社参拝の常連政治家はその事実に気づくだけの人間的な共感は備えていない。

 日本軍は1941年(昭和16年)7月29日に現在のベトナム・ラオス・カンボジアを併せたフランス領インドシナに石油や鉱物などの資源、米などの食糧の確保を目的に無血進駐した。本国のフランスは1940年6月にナチスドイツ軍がパリに到達し、6月22日にドイツと休戦協定を締結、国土の北部半分をドイツが占領、南半分はドイツ傀儡政権が誕生し、本国からの支援は望めない状況下にあったことが可能とした無血進駐であった。

 アメリカはこの日本軍の軍事行動に対抗して在米日本資産の凍結、石油の全面禁輸という経済制裁を課した。軍備・編成、国防政策担当の海軍軍務局長の岡敬純(たかずみ)少将が「しまった。そこまでやるとは思わなかった。石油をとめられては戦争あるのみだ」と言ったとの記録が残っていると言う。

 要するに日本軍全体が最悪の事態を想定してそのことに備える危機管理に関わる戦略を機能させることができずにいたことを証明することになる。この証明は、当然、長期的・全体的展望に立った目的行為の準備・計画・運用の方法論としての総合的な戦略の構築にも影響を与えて、どこかに隙や弛み、手抜かりを生じせしめることになる。危機管理意識を欠いた組織に満足のいく総合的な戦略など描くことは不可能だからだ。

 アメリカから石油禁輸を受けた日本は石油、その他の資源を求めて南方の領土掌握を目指すことになる。蘭印(オランダ領東インド―現在のインドネシアのほぼ全域)の占領までを簡単な時系列で見てみる。

1941年(昭和16年)9月6日の第6回御前会議。
 帝国は自存自衛を全うするために対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整すことを決定。
 1941年11月5日の第7回御前会議を挟んで――
1941年12月1日 第8回御前会議
 対米英蘭開戦決定。
1941年(昭和16年)12月8日真珠湾攻撃、対米開戦。
 日米開戦によって、日独伊三国同盟の規定に従い、ドイツとイタリアはアメリカに宣戦布告。  
 アメリカは太西洋戦線に自動的に参戦。
1942年(昭和17年)1月10日日本南方作戦決定。
1942年(昭和17年)1月11日に蘭印(オランダ領東インド=現在のインドネシア)に侵攻。約2
 ヶ月後の3月9日に占領。

 日本はアメリカが太西洋戦線に自動参戦することで、太平洋地域の米軍戦力の分散を想定、自らを優位に立てる戦略に基づいた作戦を組んだ。その戦略どおりに作戦が進んだかどうか見てみる。

 《日本軍政下の南方石油―スマトラを事例として》(金光男:茨城大学人文学部)

 1942年占領の初年度には占領インドネシア現地での日本企業経営の石油生産量は日本とオランダ戦争前のオランダ企業経営の約半分量を回復、2年目にはほぼ開戦前の生産水準に達した。1943 (昭和18)年の原油年産量は約400万キロリットルまで回復。これは当時日本国内の総需要量の殆どを賄うほどの膨大な量であった。要するにアメリカの禁輸措置によって受ける日本のダメージをほぼゼロに戻した。

 石油生産量の回復と共に日本内地への輸送を開始。占領1942年度から1943年にかけて内地還送量が順調に増加したものの、1944年に入ると急落し、1945年(昭和20年)には皆無となる。

 理由は南方での軍•民の消費量の増加からではなく、連合軍による製油所爆撃とタンカー撃沈による消失からだという。要するにアメリカの対独参戦によって太平洋戦域での米軍の軍事力が分散されると予想していたが、軍用艦と軍用機の生産能力に日米間に圧倒的な差があり、軍事力の分散を吸収して、なお余りある軍事的優位を打ち立てることができたからだという。

 要するに日本政府と軍部は米国の軍事物資の生産能力と兵員確保能力を見誤った。当然、アメリカの対独参戦を受けたその兵力分散を想定して打ち立てた戦争計画そのものが最初から欠陥を抱えていたことになり、その欠陥が戦略そのものに影響、無惨な結果を招いたことになる。

 鉄屑の供出は1941年(昭和16年)12月8日の対米開戦よりも3ヶ月も前の1941年(昭和16年)9月1日から実施の「金属類回収令」によって始まり、鉄屑だけに収まらずに現実に使用中の金属製品までが供出の対象となっていったという自国の軍事物資の貧困に追い打ちをかける相手能力の過小評価という問題点を抱えていた。

 日本軍の1940年(昭和15年)9月23日の北部仏印進駐の制裁措置としてアメリカが翌月10月16日に日本への屑鉄輸出を全面禁止した結果を受けての屑鉄の供出だが、このように資源貧国日本と比較してアメリカは対独戦も引き受けることができ、対日戦も引き受けることができる資源大国であり、経済大国であったが、杜撰な戦争計画によって勝算を見込むことになり、その見込み違いによって多くの兵士に犠牲を強いた。

 想定そのものを間違えた戦争で受けた兵士の死は 玉砕とかお国のために尊い命を捧げた、天皇のために尊い命を犠牲にした、あるいは国策に殉じたとは決して形容できない。杜撰で愚かな戦争計画のために尊い命を犬死にさせられたと形容すべきだろう。

 当然、靖国神社を参拝して、その死を、いわばよくぞ戦ったと讃える行為は戦争の実態から目を背け、あるいは戦争の実態を免罪し、逆にその戦争を止むを得ないことだったと正当性を与えて国家を免罪する姿勢と言うほかない。

 杜撰な戦争計画であったことをネットで探した資料を使って証明していく。

 「陸軍秋丸機関による経済研究の結論」(牧野邦昭/摂南大学)に、〈1940年冬、参謀本部は陸軍省整備局戦備課に1941年春季の対英米開戦を想定して物的国力の検討を要求した。これに対し戦備課長の岡田菊三郎大佐は1941年1月18日に「短期戦(2年以内)であって対ソ戦を回避し得れば、対南方武力行使は概ね可能である。但しその後の帝国国力は弾発力を欠き、対米英長期戦遂行に大なる危険を伴うに至るであろう。」と回答し、3月25日には「物的国力は開戦後第一年に80-75%に低下し、第二年はそれよりさらに低下(70-65%)する、船舶消耗が造船で補われるとしても、南方の経済処理には多大の不安が残る」と判断していた。〉とある。

 要するに1940年冬に「短期戦(2年以内)」+「対ソ戦回避」を条件に対米英戦勝利可能説を打ち立てていた。当然、対米英戦争計画はこの可能説に基づいて組み立てられることになったはずだ。

 だが、現実の対米英戦は「短期戦(2年以内)」を机上の空論で終わらせた。対ソ戦回避については、ソ連が日ソ中立条約(1941年4月25日発効、1946年4月24日まで5年間有効)を一方的に破棄して対日参戦したのは対米英戦開始1941年12月8日から3年8ヶ月後、広島原爆投下2日後の1945(昭和20)年8月8日で、最後の最後の場面であるから、形勢逆転のトドメの一撃になったというわけではないだろうが、約1ヶ月という短い期間で満洲国や朝鮮北部の制圧を受けたのは日本軍の主力を南方戦線の守りに回していたからだという。にも関わらず米英の戦力に太刀打ちできなかったのはアメリカの国力を過小評価したからで、過小評価は往々にして自己過大評価の反動として現れる。

 多分、日本の神国思想に基づいた日本民族優越意識が合理的認識能力の目を曇らせることになった可能性は疑えない。だが、天皇の大本の子孫を神として、昭和天皇を1937年(昭和12年)の「国体の本義」で現人神と宣伝するようになり、軍部や政府の天皇に対する実際の扱いと神国思想から発した日本民族優越意識とは矛盾することなるのだが、軍部にしても、政府にしても矛盾なく受け入れていて、日本民族優越意識を自分たちの精神性としていた。

 この軍部、政府の天皇に対する実際の扱いはまたあとで述べることにする。

 ソ連は要するに形勢を見極めた上で勝ち馬に乗ったということなのだろう。日本はソ連参戦で北方四島まで占領されることになり、泣きっ面にハチのトドメの一撃を受けることになった。

 陸軍省戦争経済研究班が行った対米英国力調査がどのように杜撰な内容を取ることになったのか、その杜撰さが多くの兵士を玉砕とか殉死といった勇壮果敢さは微塵もない犬死に同然の無惨な死に向かわせ、悲惨な敗戦という現実を与えることになったのだが、同じ牧野邦昭摂南大学教授の著作(現在慶應義塾大学経済学教授)、『英米合作経済抗戦力調査』(陸軍秋丸機関報告書)から窺ってみる。和数字は算用数字に変えた。

 〈アメリカの経済抗戦力については「第4章 第8節 結論」で次のように述べられている(70ページ)。

 以上の検討よりして我々は米国につきその経済抗戦力の大いさ(ママ)を次の如く判決することを得る。

1、米国は動員兵力250万、戦費200億弗の規模の戦争遂行に充分堪えることが出来る。しかもそれがためには、準軍需産業の転換並びに動員可能の労力1千万中600万人をもつて遊休設備を運転することによつて充分である。

2、米国はその潜在力を十分に発揮し得る時期に於いては、軍需資材128億弗の供給余力を有するに至る。併し之がためには設備の新設拡張を要するから、1年乃至1年半の期間を前提とする。〉―― 

 「1」の想定の妥当性を次の記事から見てみる。

 「レファレンス協同データベース」(近畿大学中央図書館 (3310037) 管理番号 20140418-1)

 〈アメリカ軍が第2次大戦で投入した戦力を総括する統計数値として、1,635万人もの戦時動員数や108万人の死傷者数と6,640億㌦の総戦費などをあげて、アメリカが闘った他の戦争と比較総括した資料が見つかりますが、WWⅡ(「World WarⅡ」(第二次世界大戦)の略)でのヨーロッパ戦線と太平洋戦線ごとに分けた戦力数や、各兵器ごとの総量については見つかりませんでした。〉――

 アメリカ軍が太平洋戦線と大西洋戦線の第2次大戦で投入した1,635万人の戦時動員数と6,640億㌦の総戦費を半分と見ても、太平洋での戦時動員数820万人、戦費3320億ドルとなり、4分の1と見ても410万人、1660億ドルであって、秋丸機関の想定、〈米国は動員兵力250万、戦費200億弗の規模の戦争遂行に充分堪えることが出来る。〉は国力、戦力共に過小評価していたことになるだけだけではなく、もしこれにイギリスが太平洋戦線に向けることのできる戦時動員数と戦費を加えたなら、話にならないくらいの過小評価となる。

 このことは戦時動員数と戦費が戦争遂行上の重要な要素を占める点ということだけではなく、調査・報告がアメリカの諸々の国力から導き出しているはずの関係から、報告書の全体的傾向を示す過小評価の可能性は否定できない。

 自分よりも能力の高い対象と自身の能力を比較しようとすると、相手の能力を自分の能力に近づけたくなる心理が働く傾向が往々にして生じる。

 このような心理が働いたことなのかどうかは分からないが、いずれにして過小評価で成り立たせた勝敗決着の想定であり、その想定に基づいて打ち立てた戦争計画によって多くの兵士を死に向かわせ、靖国神社に祀り、「お国のために尊い命を捧げた」、「国策に殉じた」としていることになるが、他の能力に対する過小評価は自己の能力への過大評価が生み出す心理現象であって、自らの国力を過信した戦前日本国家の過ちに対する指摘、あるいは思いは安倍晋三や高市早苗、その他の靖国参拝からは見えてこない。

 「2」の米国の「軍需資材128億弗の供給余力を有する」時期を「1年乃至1年半の期間を前提とする」と見立てた点についての妥当性は、既に触れているように日米開戦1941年12月8日から半年後の1942年6月初旬のミッドウェー海戦と同年8月初旬のガダルカナル島攻防戦の敗退で日本軍は制空海権を失い、劣勢に立たされ、その劣勢を一度も跳ね返すことなく敗戦に追い込まれていった現実は米国の軍需資材供給余力の数値に関係せずに「1年乃至1年半」を待たずに「潜在力」を顕在化させ、見せつけたのだから、この点からも報告書はアメリカの国力に対する過小評価で成り立たせていたことになり、過小評価からは満足な戦争計画は立てることはできないし、結果としての各戦術も戦略も欠陥を抱えることになる。その答が杜撰な戦争計画ということになったはずだ。

 次に「4」を見てみる。

 〈4、英国船舶月平均50万噸以上の撃沈は、米国の対英援助を無効ならしめるに充分である。蓋し英米合作の造船能力は1943年に於いて年600万噸を多く超えることはないと考へられるからである。〉――

 1941年12月に対米英戦争開始から1943年の2年間を限度とした英米の造船能力は「英国船舶月平均50万噸以上の撃沈」×12ヶ月=600万噸撃沈に対して「年600万噸を多く超えることはない」、いわば英海軍のトン数の原状回復が精々で、その状況での米英海軍には太刀打ちできると計算していた。

 そして米英軍のその他の戦争遂行に必要な能力の準備についても、「1年乃至1年半の期間」と見ていて、「短期戦(2年以内)」なら勝利は見込めると計算したのだろう。

 この計算の妥当性を、『比較戦争経済史―潜水艦と造船の戦いを中心に―』(荒川憲一著)から見てみる。
  
 〈本テーマに関連した先行研究の権威であり、当時の日本の戦争経済の解剖書といわれる「米国戦略爆撃調査団報告書」では、戦時の日本の造船が米国に比較して相対的に停滞した原因を、建造速度に焦点をあて、次のように結論している。日本の造船の建造速度が遅い原因は「日本労働者の平均技量の低い水準による基本的な制約、造船所が使用した窮屈な地域、能力の大きいクレーンと装置の欠如、日本の工業技術と経営が想像力に欠けたこと」にあるとし「労働力の不足には悩まされなかった」としている。〉――

 つまり日本の造船分野は十分な労働力に恵まれていたが、労働者個々の技量の低さや日本の工業技術の低水準、そして活用余地が制約された土地条件や資本設備の貧しさ、全体としての日本の工業技術と経営に対する想像力不足等の影響が日本の造船の建造速度の遅い要因と見ていた。

 この調査団報告書は戦後に行われたものだが、アメリカも日本の国力を調査していたはずで、どう戦うかについてはより正確な敵国力調査が必要となり、調査内容の正確さが勝負のポイントとなる。生産性の低さと技術革新の遅れは日本の造船業に限ったことではなく、日本の工業のほぼ全般に関係している問題点となり、日米全体の国力の差に関係していくことになる。

 では、『日本海軍の防備体制-対潜戦、機雷戦の観点から-』(防衛研究所)の内容に基づいて日本の造船能力を潜水艦建造数の日米比較の観点から類推してみることにする。

 『表3 日米海軍の潜水艦の総数と損失数の割合』

       開戦時保有潜水艦 建造した潜水艦の数  総数   損失数(割合)
 日本海軍     62        117       179   127  (71%)
 米海軍      114        203       317    52  (16%)  

 開戦時保有潜水艦数も新規建造潜水艦数もアメリカが全てに上回っていて、日本の造船能力の米国と比較したその下位性に向ける目を秋丸機関は持たなかっただけではなく、下位性の要因としての造船部門の技術力や生産性の両国差に対しても向ける目を持たなかったことを示す。

 そして日本の造船部門の技術力や生産性の低さと比較した米国の技術力や生産性の高さは既に触れたように造船に限定されるわけではなく、航空兵器の製造部門とも相互影響していることであって、日本の潜水艦の損失割合の高さは米側の航空兵器の生産能力の高さとその結果としての生産機数に海上兵器の数を併せた攻撃力の高さの証明ともなるが、こういった関連性に向ける目も持ち合わせていなかったことになる。

 さらに技術力や生産性の程度は民生品の製造部門にも相互関連していく要素であって、兵士の食糧や軍服等、日常使用の品々の供給にも影響を与えることになり、最終的には日米の兵士の士気の問題にも関係していき、それが主体的姿勢に基づくのか、受動的姿勢に基づくのかによってそれぞれの戦闘能力にも違いが生じる。

 日本軍の兵士の士気は各戦闘がアメリカ戦力の杜撰な調査をベースとした杜撰な戦争計画に則っている以上、主体性の発揮は期待しにくく、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」や「お国のためだ」、「天皇陛下のためだ」いった上からの強制性が一方で働いていたことを受けた精神論に則った機械的な士気の発揮となりがちで、このことも影響した各戦闘に於ける形勢不利であり、杜撰な戦争計画と相互作用し合った結果の理不尽な死の数々ということであろう。

 事実、太平洋戦争での日本軍兵士の死の多くがそういった種類の死であったことは記録にあるとおりで、当然、大方のところで靖国参拝で称えているような死の形は取っていない。戦前国家を肯定している政治家、その他が肯定の先に頭の中で描いている雄々しく、美しい死の形に過ぎないことになる。

 秋丸機関報告書が「英米間の船腹量が弱点」であるとしている点について、『英米合作経済抗戦力調査』(陸軍秋丸機関報告書)の著書の牧野邦昭教授は、戦前東京帝大助教授だったが、1938年の人民戦線事件(反ファシズム・反戦争の民主主義勢力結集運動)で検挙され、退官、戦後東京帝大教授に復職の経済学者脇村義太郎の戦前の日本の造船力に関する証言を取り上げている。

 但し脇村義太郎がどういうイキサツで内情を知り得た証言なのかの解説はない。

 〈最晩年の1995年に日本学士院で行った講演で、「問題は、(アメリカが)生産された軍需品を東洋戦線、ヨーロッパ戦線へ送れるかどうかということに関わるわけですが、これは結局、船の生産がどのくらい出来るかという一点にかかるということになります。その船の生産力がどうかということについて(秋丸機関の)『報告書』のここに書いてあるのは、大体、上述の市原顧問(名前は章則、戦後日本郵船社長)の意見であったと思われますが、市原という人は残念ながら、欧州大戦の記録しか知らなかった人なのです。当時は第一次大戦の記録しかなくて、その後アメリカがどういう状態になっているかということは全然知らなかった。それを有沢さん(東京帝大の助教授時代に人民戦線事件で休職処分を受けていたが、経済学の知識を見込まれてのことだろう、秋丸機関から招聘を受けて、調査員に加わる)と二人で見ていたわけで、お手許に配ってありますように、第一次世界大戦時にアメリカがどのくらい船を造ったかということにもとづいて、第二次大戦時にどのくらい船を造れるかということを書いておりますが、実は造船のやり方について第一次大戦と第二次大戦との間に大きな変化があったということを考えない予想だったのです」〉――

 現実問題としてもアメリカの造船能力を見誤っていたのだから、この見誤りは戦闘機や爆撃機の航空機生産能力も過小評価していることに繋がり、アメリカ国力調査の杜撰さを改めて示すことになる。この杜撰な調査に基づいて想定と実際の戦力の矛盾を抱えた対米英戦争計画を練り上げて、米英に宣戦布告、そのような戦争を戦わされて、想定していなかった戦力の違いで無惨な死に追いやられた日本軍兵士こそいい面の皮だが、その実態は靖国参拝者の目には映し出されない架空のものとなっている。あくまでも国に殉じた、国のために命を捧げたと戦死者を通して戦前日本国家に正当性を付与していることになる。付与していなければ、戦死させられたと解釈することになるだろう。

 著作者の牧野邦昭教授は秋丸機関報告書が杜撰な戦争計画であることを次のような言葉で総括している。

 〈さらに、アメリカを速かに対独戦へ追い込み、その経済力を消耗させて「軍備強化ノ余裕ヲ与エザル」ようにすると同時に、自由主義体制の脆弱性に乗じて「内部的攪乱ヲ企図シテ生産力ノ低下及反戦機運ノ醸成」を目指し、合わせてイギリス・ソ連・南米諸国との離間に努めることを提言している。

 とはいえ、この「判決」で提案されているアメリカに対する戦略は「どのようにそれをするのか」という具体案が全く無いので、率直に言えばただの「作文」といえる。〉――

 この「ただの『作文』」が日本軍人・軍属約230万人、民間日本人約80万人、合計約310万人の死だけではなく、アジアの国々からも膨大な死を招いているにも関わらず、安倍晋三や高市早苗の手にかかると、日本人戦死者に限って、「お国のために尊い命を捧げた」となる。

 高市早苗は経済安保担当大臣当時の2023年4月21日に靖国神社春の例大祭参拝。記者団の問いかけに答えている。

 高市早苗「国策に殉じられた方々の御霊に尊崇の念を持って哀悼の誠を捧げてまいりました。感謝の気持ちをお伝えして、そして、ご遺族の皆様のご健康をお祈りしてまいりました」

 戦死者を「国策に殉じられた方々」とすることで、国策に対しても、戦死、あるいは戦死者に対しても肯定的な意味づけを行っていることになる。

 当然、アメリカの国力を過小評価した杜撰な戦争計画で対米戦争を開始し、多くの兵士を犬死に同然の無惨な死に追いやった歴史的実態は高市早苗の脳裡には影さえも射してはいないことになる。

 国家と国民の関係が戦前型を維持しているから、国家を優先的に鎮座させ、国民を国家の下に鎮座さる国家主体の思考から抜けきれないからに違いない。こういった人物が国民のためと称して国政に携わっている。

 今年2024年10月17日秋の例大祭の靖国参拝では記者団に次のように発言している。

 高市早苗「きょうはひとりの日本人として参拝させていただいた」

 「ひとりの日本人として」とは戦前の戦死者を「国のために戦い、尊い命を犠牲にした」、「心ならずも戦場に散った方々に感謝と敬意を捧げる」等々、戦後の日本人の立場から祀るについての正当性を置いている文脈となるが、祀る事実を作り出した要因は戦前の日本国家とその戦争である以上、この両者に対しても正当性を置いていることは断るまでもない。

 意味のない戦争で意味のない戦死だと価値づけていたなら、「ひとりの日本人として」などと
日本人であることを前面に出して、正当性を持たせた当然の義務とする発想は出てこない。戦前の日本国家を構成した政府や軍部所属の戦前日本人が日本の国力の過大評価を精神的ベースとしたアメリカ国力の過小評価が杜撰な対米戦争計画を招き、その計画のもとの戦争が多くの兵士を犬死に同然の無惨な死に追いやった歴史的実態はその靖国参拝の戦死者追悼の姿からは影さえも見せないのは、戦前国家否定を排除した戦前国家肯定を歴史認識としているからにほかならない。

 要するに靖国参拝に於ける戦死者追悼は戦前日本国家肯定と同時進行で行われていることになる。

 よく知られた事実だが、総理大臣直轄総力戦研究所が行った日米戦想定の机上演習報告でも対米戦敗北を予想していた。「Wikipedia」の項目、「総力戦研究所」を参考に書き起こしてみる。

 総力戦研究所とは陸軍省経理局に置かれていた「戦争経済研究班」、通称「秋丸機関」の機能を引き継いだ機関だと解説している。研究生は各官庁・陸海軍・民間などから選抜された若手エリートたちで、1941年4月1日入所第一期研究生官僚27名(文官22名・武官5名)、民間人8名の総勢35名が1941年7月から8月にかけて、〈研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。

 その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。これは、現実の日米戦争における戦局推移とほぼ合致するものであった(原子爆弾の登場は想定外だった)。〉と、対米戦敗戦を予測していた。

 この机上演習の研究結果と講評は1941年8月27・28日両日に首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』において時の首相近衛文麿や陸相東條英機以下、政府・統帥部関係者の前で報告されたという。

 この予測を覆したのは1941年(昭和16年)10月18日の首相就任3カ月前の陸軍大臣東條英機であった。表記は現代式に改めて、次のように記している。

 東條英機「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戦争というものは、君達が考えているような物では無いのであります。日露戦争で、わが大日本帝国は勝てるとは思わなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、やむにやまれず帝国は立ち上がったのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考えている事は机上の空論とまでは言わないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります」

 東條英機は1904年(明治37年)2月8日から同年9月5日までの日露戦争の時代から1940年代後半のその時代に至る兵器の発達と各性能の向上を無視して(日露戦争当時は戦車も戦闘機も存在せず、潜水艦は日露共に実用の段階に至っていなかったという)、40年近くも昔の日露戦争を参考に、"意外裡な事"(意外の裡〈うち〉に入る事=偶然性主体の計算外の要素)に期待、合理性に基づいた戦争の進め方とは異なる気持ちの持ち方が大事だとする精神論に近い訓戒を行った。

 「陸軍秋丸機関報告書」解説の著書牧野邦昭(現在慶應義塾大学経済学)教授が指摘した、秋丸機関の市原章則顧問(戦後日本郵船社長)が第2次対戦前のアメリカの造船能力を第一次大戦当時の造船能力に基づいて予測した時代錯誤な見立てと同じ轍を東條英機は踏んだ。

 だが、東條英機が総力戦研究所の日米戦想定机上演習報告が出した答、"長期戦不可避→長期戦遂行不可能→敗北必至"を避けて、陸軍秋丸機関報告書が出した答、「短期戦(2年以内)」+「対ソ戦回避」を条件に勝機を見込んだ対米国力調査に賭けた経緯は分からないが、後者にこそ"意外裡な事"の偶発を期待したのか、両報告を比較して、より確実な勝機を計算してのことか、色々と推測することはできる。

 だが、陸軍秋丸機関報告書が日本国力の過大評価への傾斜を内心に抱えたアメリカ国力の過小評価で成り立たせた杜撰な調査を内容としていたことは戦争の経緯から見て、軍部・政府の首脳の誰もが理解していなかったと見ることができる。

 やはり神国思想を根にした日本民族優越意識が合理的認識能力の目を曇らせることになった自己過大評価とその地平から見ることになった他者過小評価が災いした国家の戦争暴走といったところなのかもしれない。

 《日本国力過大評価と米国力過小評価に基づいた杜撰な対米英戦争計画から見る安倍、高市等の靖国参拝(2)》に続く
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日本国力過大評価と米国力過小評価に基づいた杜撰な対米英戦争計画から見る安倍、高市等の靖国参拝(2)

2024-12-08 08:45:54 | 政治
Kindle出版電子書籍「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

 では、日本の歴代天皇は現人神としてこの世に現れた神の子孫であり、日本の神としての絶対的な存在性を纏うことができていたのだろうか。ネットから見つけ出した情報を頼りにこれまでにブログで書いてきたことと混ぜ合わせて自分なりに取り上げてみる。

 先ず大日本帝国憲法「第1章 天皇」の主要部分を抜き出してみる。

第1條 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第3條 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
第4條 天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ
第11條 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス
第13條 天皇ハ戰ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ條約ヲ締結ス

 帝国憲法が天皇に規定しているこれらの権限のみを見た場合、天皇は絶対的権力を有する存在と看做すことができ、天皇独裁制を採用した国家体制と言える。何しろ神聖にして侵してはならないと絶対的地位を与えられているのである。

 この神聖にして侵してはならないという絶対的地位は国民のみからではなく、政府の誰からも、帝国陸海軍の誰からも、保障を得ていなければ、天皇独裁制とは言えないし、大日本帝国憲法第1章天皇の各規定は単なる作文、見せかけとなる。

 天皇のこの絶対的権力は他の条項をも保証している。

 第4章 國務大臣及樞密顧問
 第55條 國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
     凡テ法律勅令其ノ他國務ニ關ル詔勅ハ國務大臣ノ副署ヲ要ス
 第56條 樞密顧問ハ樞密院官制ノ定ムル所ニ依リ天皇ノ諮詢ニ応ヘ重要ノ國務ヲ審議ス

 輔弼(ほひつ):明治憲法下で、国務大臣・宮内大臣・内大臣が天皇の権能行使に対して助言す 
         ること。
 諮詢(しじゅん):参考として他の機関などに意見を問い求めること

 国務大臣は天皇に助言し、その助言に対して責任を負う。国務大臣は天皇の意見の求めに応じて国務を行う。このことも助言行為に相当し、責任を負う。天皇は一切責任を負わない。

 この天皇の無答責は大日本帝国憲法「第1章 天皇」第3條の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」に対応させた措置とされている。

 但し天皇の側に主体性を置いた総理大臣や現役武官制を採用していた陸海軍大臣等の上級軍人 を含めた国務大臣側からの助言なのか、総理大臣や上級軍人を含めた国務大臣側に主体性を置いた天皇に対する助言なのかによって天皇無答責はイコール総理大臣や上級軍人を含めた国務大臣側の無答責となりうるし、そうなった場合は天皇の絶対性は形式的な性格を帯びることになり、天皇の無答責は総理大臣や上級軍人を含めた国務大臣側の有答責の隠れ蓑となるし、隠れ蓑とすることも可能となる。

 もし隠れ蓑として利用していたのなら、天皇の絶対的存在性、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の帝国憲法の規定を総理大臣や上級軍人を含めた国務大臣側自身が侵し無視していたことになる。

 どのような経緯を取ったかを見ていくことにする。

 既に触れているが、1941年(昭和16年)9月6日の第6回御前会議で帝国は自存自衛を全うするために対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整すことを決定した。その会議の内情を以下の記事とNHKの記事を参考に見ていくことにする。

 
 『よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ』
(日々のクオリア 砂子書房一首鑑賞 一ノ関忠人/投稿日:2014年9月6日)

 この記事は当時陸軍軍務科高級課員だった石井秋穂(あきほ)大佐が事務方として会議に参加していて、その様子を書き記している「石井秋穂大佐回顧録」を参考に解説している。

 〈「最後に天皇陛下は御親(みずか)ら御発言遊ばされ、先ず『枢相〔原嘉道枢密院議長〕の質問に対して統帥部が答えないのは甚だ遺憾である』と仰せられポケットから紙を御出しになり『四方の海皆はらからと思う世に/など波風の立ちさわぐらむ』との明治天皇の御製を二度朗読あらせられ『自分は常に明治天皇の平和愛好の精神を具現したいと思っておる』とお述べ遊ばされた。」〉――

 第6回御前会議で原嘉道枢密院議長が統帥部に発した質問がどのような内容のものか、ネットを調べたが分からなかったから、MicrosoftのAI、Copilot(コパイロット)に尋ねたところ、〈
第6回御前会議で、原嘉道枢密院議長が統帥部に発した質問の内容は、具体的には「統帥部の戦争計画についてどのようなものか」というものでした。この質問は、戦争計画の詳細や具体的な戦略についての情報を求めるものでした。〉

 ところが、統帥に関して天皇を直接補佐する役目にある陸軍参謀総長なのか、海軍軍令部長なのか、統帥部は答えなかった。和歌の内容以前の問題として、大日本帝国憲法「第1章 天皇」第1条で日本帝国の統治者と位置づけられ、第3条で神聖で侵してはならない存在とされ、第11条で陸海軍の最高統帥者である大元帥とされ、第13条で宣戦布告と戦争終結の発令の任を負う帝国国家に於ける最高権威者である天皇が臨席する場で国家の命運を左右するかもしれない戦争計画を枢密院議長から尋ねられて、統帥部は答えなかった。

 ここで戦争の前準備作業の経緯を振り返ってみる。

 ・1941年1月18日、秋丸機関が行った、短期戦(2年以内)且つ対ソ戦回避の場合は対南方武力行使は概ね可能、但し対米英長期戦遂行は危険大を内容とする「対米英国力調査」の報告が為される。
 ・1941年8月27・28日両日、総理大臣直轄総力戦研究所の日米戦想定の机上演習報告「日本必敗」が告げられる。
 ・1941年(昭和16年)9月6日に第6回御前会議開催。帝国は自存自衛を全うするために対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に概ね10月下旬を目途とし戦争準備を完整することを決定。

 多分、自存自衛の旗印をいくら勇ましく掲げようが、対米英開戦に持っていった場合、十分に勝機はありますと簡単には答えることができなかったから、無視せざるを得なかったといったところなのかもしれない。

 だが、天皇自身が「枢相〔原嘉道枢密院議長〕の質問に対して統帥部が答えないのは甚だ遺憾である」と注意し、件の和歌を読んだということは、既に報告が為されていた秋丸機関の「対米英国力調査」も、総力戦研究所の日米戦想定の机上演習も、統帥部は天皇には知らせていなかった疑いが出てくる。天皇に知らせていたなら、例えば、「我が陸海軍は対米英開戦したならば、必勝に向けた作戦を鋭意構築中です」といったことを原嘉道枢密院議長に伝えることもできたはずだし、あるいは昭和天皇自身、開戦の確率を承知することができていて、反戦和歌を詠む必要も生じなかったかもしれないからである。

 なぜ天皇自身、陸海軍の最高統帥者であり、大元帥という地位にある役目上、「戦争する場合の勝機ありやなしや」、「戦争を避ける道はありやなしや」と直接統帥部に尋ねなかったのだろう。尋ねずに明治天皇が作った和歌を用いて、世界のみんなは兄弟姉妹みたいなものなのになぜ戦争の波風を立てるのかと遠回しな表現で戦争回避意思を伝えただけだった。

 その程度のことしかできなかったということは大日本帝国憲法「第1章 天皇」の各条項に規定された天皇自身の巨大な権限を、本人の側からすると、ウソにする態度となり、統帥部側からすると、裏切る態度となる。

 この両面性は大日本帝国憲法「第1章 天皇」の各条項が実体を備えていなかったことを意味することになり、天皇という存在は、備えていると看做されていた権限も権威も、何もかもを含めて、飾りに過ぎなかったことの証明としかならない。

 当然、帝国憲法「第4章 国務大臣及枢密顧問」の「第55条 国務各大臣は天皇を輔弼し其の責に任ず」の「輔弼」(天皇の権能行使に対して助言すること)にしても、どちらに主体性を置いた助言なのか、前のところで問い掛けたが、答は天皇の側に主体性を置いた国務大臣側からの助言ではなく、国務大臣側に主体性を置いた彼らからの助言ということであって、そうである以上、助言という形を装って、きっとこの上なく丁寧な言葉遣いを用いた、最初は遠回しな、最終的には自分たちの意思・要求を飲ませる性格の"助言"といった可能性が強い。

 この第6回御前会議での天皇の発言は異例だということを次のネット記事で知った。テレビ放送の要約案内である。

 「運命の御前会議 昭和天皇 戦争回避への苦闘」(NHK/放送日2019年07月31日)
  
 〈番組より、1941年9月6日に開かれた御前会議。それまで、御前会議で天皇は発言することはないとされていたが、この日、ある行動をとる。昭和天皇の異例の意思表示と日本のリーダーたちが、それをどのようにとらえたのかの部分。

 番組内容 
 日米開戦の危機迫る1941年(昭和16年)9月6日、昭和天皇は、政府と軍部の指導者たちが出席した御前会議で驚きの行動に出た。天皇は発言しないという慣例を破り、「歌」を披露したのだ。「よもの海みなはらからと思ふ世になと波風のたちさわくらむ」。

 戦争回避を願う異例の意思表示は、緊迫した状況を平和へと引き戻すはずだった。しかし3か月後、日本は勝ち目なき戦争へ突入する。戦争か否か、天皇の知られざる苦闘と決断を描く。(著作権上の理由等で、一部放送とは異なる部分があります)〉――

 天皇は発言しないという慣例があったが、それを破って、異例の意思表示を行った。理由の説明がないから、ネットを調べてみると、天皇の発言が天皇自身の責任に関係するのを避ける目的からといったことが紹介されているが、これは二つの点から疑わしい。

 先ず一つは国家の重要な政策を方向づける会議の場で天皇は発言しないのが慣例となると、何のための大日本帝国国家の統治者なのか、意味を失うことになる。

 第二に天皇の責任を言うんだったら、大日本帝国憲法第4章 國務大臣及樞密顧問「第55條」で、「國務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」と規定している以上、総理大臣以下の、現役武官の陸軍大臣、海軍大臣を含めて、天皇は我々の助言に従っただけだから、天皇には責任はない、責任は我々にあるとすれば、済むことである。

 だが、責任回避を目的に天皇が発言を控え、それを慣例としているならば、国家の統治者であり、陸海軍の最高統帥者である天皇を排除した形で国の政策は決定されていることになる。

 この天皇臨席が形式に過ぎないという事実は大日本帝國憲法第1章「天皇」で規定している天皇の各権限自体が形式に過ぎないことを物語ることになる。既に触れているように天皇はお飾りに過ぎなかった。そして天皇の臨席が形式であることに対応して発言権を満足に与えられていなかったという事実を見ないわけにはいかないことになる。

 大日本帝國憲法第1章「天皇」の条文に反するこの二重性は、勿論、存在理由があって成り立っていることだが、先ずは何のために天皇は存在したのか見ていく。

 天皇はその時々の内閣や軍部首脳にとってお飾りに過ぎなかったが、1890年(明治23年)10月30日の明治天皇公布の「教育勅語」で国民一丸となっての天皇への奉仕を求め、昭和12年(1937年)発行の「国体の本義」で、万世一系の天皇が皇祖の神勅を奉じて大日本帝国を永遠に統治する在り方が我が国の万古不易の国体であり、その天皇とは神の子孫であると同時に皇祖及び代々の天皇と御一体で我が国を統治する現人神であって、永久に臣民・国土の生成発展の本源として存在し続けると天皇の権威を神格化の高みにまで持っていき、そのような天皇の本質を国民の目に具体的に示す在り方が帝国憲法第1条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」であり、第3条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」だと、天皇という存在の絶対性を国民意識に植え付ける目論みが為されていた。

 だが、既に触れたように最重要な国策決定の場である御前会議では天皇が日本帝国の統治者としての、あるいは陸海軍の最高統帥者としての、さらには現人神としての意思表明を行うのではなく、逆にその意思表明を控えることを慣例としていた事実は政府首脳や陸海軍首脳が天皇のこれらの権限を、あるいは帝国憲法が表現している天皇の存在性自体を認めていないことの何よりの証明であって、天皇を除いた支配層側の憲法上は絶対的としている天皇という存在を虚構とする絶対性と国民向けに宣伝している絶対性の二つの絶対性――この二重性も天皇は負っていることになる。

 天皇の絶対性に対する天皇を除いた支配層側のこのような無視は何も御前会議ばかりのことではない。『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』文藝春秋・2007年4月特別号)の昭和14年5月9日の日記には次のような記述がある。

〈御乗馬、御すすみあらざりしも、天気好かりしを以って遊ばしいただきたり。防共協定の問題に付、御軫念(ごしんねん・心配の意)と拝す。〉――
 
 解説を受け持っている昭和史研究家・作家の半藤一利氏は次のように説明している。

 〈このころ、昭和11年11月広田弘毅内閣のときに締結した日独防共協定を、軍事同盟にまで強化する問題をめぐって、平沼騏一郎内閣は大揉めに揉めていた。陸軍の強い賛成にたいして、海軍が頑強に反対していたのである。このため平沼首相、有田八郎外相、石渡荘太郎蔵相、板垣征四郎陸相、米内光政海相による五相会議が連日のように開かれていたが、常に物別れとなり、先行きはまったく見えなかった。〉

 3日後の「小倉庫次侍従日記」の記述。

 〈5月12日 秩父宮殿下10時参内。(以下略)〉――

  半藤一利氏解説「『昭和天皇独白録』(文春文庫)にはこう書かれている。

 『それから之はこの場限りにし度いが、三国同盟に付て私は秩父宮と喧嘩をしてしまった。秩父宮はあの頃一週三回くらい私の処に来て同盟の締結を進めた。終には私はこの問題については、直接宮には答へぬと云って、突放ねて仕舞った』」――

 昭和天皇は日独伊三国同盟締結には反対していた。秩父宮は締結に賛成で、天皇を説得しようと皇居を頻繁に訪れた。対して昭和天皇は「私はこの問題については、直接宮には答へぬ」と突っぱねた。要するに反対の意思を賛成の意思を示している秩父宮に個人的に表明していた。

 なぜこのような個人的な対応を取っていたかと言うと、五相会議に答がある。「五相会議」(Wikipedia)

 〈「五相会議」とは、昭和時代前期の日本において、内閣総理大臣・陸軍大臣・海軍大臣・大蔵大臣・外務大臣の5閣僚によって開催された会議。 主に陸軍・海軍の軍事行動について協議され、これを実現する財政・外交政策のために蔵相、外相も出席した。 議案の必要に応じて企画院総裁なども出席したことがある。〉――

 外国と軍事同盟を締結することの是非を議論する重要な国策決定の場でもある五相会議から日本帝国の統治者であり、陸海軍の最高統帥者たる天皇の出席は排除されていた。しかも天皇自身は三国同盟の締結に反対していながら、結局のところ締結されたという事実は政府や陸海軍が賛成の立場を取った場合、天皇の賛成の承認のみが必要であって、反対の意思は無視されることを示すことになり、天皇が大帝国憲法上担うその絶対性は政治や軍事の場では虚構に過ぎないことになって、やはり政府や陸海軍にとってお飾りそのものであることを暴露することになる。

 いわば政治・軍事の実権は憲法の規定どおりに昭和天皇ではなく、政府・軍部が握っていた。この権力の二重性は昭和天皇に限ったお仕着せではないし、その時代に限られた権力構造ではないことは昭和天皇が第6回御前会議で詠んだ「四方の海皆はらからと思う世になど波風の立ちさわぐらむ」が祖父明治天皇の作で、日露戦争開戦前に詠んだものの、この意思表示に反して日露戦争に突入した事実によって、明治天皇までもが同じ実体、虚構の絶対性を纏っていたことを証明することになる。

 言葉を変えて言うと、明治天皇は和歌を読むことでしか日露戦争に反対の意思を示すことができなかった。そして昭和天皇は日露戦争開戦阻止に何の役も立たなかった明治天皇作の和歌を対米英開戦反対の意思表示として詠むことしかできなかった。
 
 明治天皇は父親の孝明天皇の満35歳での崩御(1867年1月30日-慶応2年12月25日)に伴い、大政奉還(慶応3年10月14日-1867年11月9日)の約9月前に皇位を継承した。年齢16歳。この明治天皇の父親の孝明天皇の崩御については、『大宅壮一全集第二十三巻』(蒼洋社)に、「当時公武合体思想を抱いていた孝明天皇を生かしておいたのでは倒幕が実現しないというので、これを毒殺したのは岩倉具視だという説もあるが、これには疑問の余地もあるとしても、数え年16歳の明治天皇をロボットにして新政権を樹立しようとしたことは争えない」と書いている。

 大宅壮一は孝明天皇暗殺説を全面否定しているわけではない。岩倉具視以外の誰かが行った可能性を残している。例え暗殺でなかったとしても、薩長一部公家の討幕勢力が天皇を頂点に据えたのは徳川幕府約265年間の歴史とその権威のスケールに対抗するに薩摩藩主や長州藩主、単なる公家では見劣りがして、徳川に遥かに優る皇紀2500余年の歴史を当時抱えていた皇室という存在を旗印として必要としたからだろう。

 そして自らを官軍と位置づけ、徳川幕府方を皇室から政権を簒奪した賊軍と位置づけて、自らの勢力の正当性を打ち立てることで士気の点でも優位を狙い、徳川幕府を倒すことができ、明治政府の発足となったが、薩長連合一部公家政権が明治天皇をロボット、いわば単なるお飾りにし、権力の二重構造としたのは本人が政治・軍事について右も左も分からない数え年16歳という若さだけが原因を成したわけではない。

 歴史的に朝廷に代わって世俗勢力の台頭以降、いつの時代も朝廷という存在に対して権力を実質的に掌握していたのは世俗勢力自身であって、世俗勢力は日本国を統一した豪族連合の頂点に立っていたという朝廷の権威だけを必要とし、その権威を利用して天皇を頭に置きながら、政治を恣にした。当然、歴代天皇自身が自らの力で126代の地位の全てを紡いできたわけではない。大和朝廷成立以降から世俗権力者である豪族たちが自分の娘を天皇の后(きさき)に据えて生まれた子をのちに天皇の地位に就け、自身は外祖父や外戚として世俗上の実権を握り、天皇を名ばかりとする権力の二重構造は豪族たちの権力掌握と権力操作の歴史的に伝統的な常套手段となっていった。

 例えば古墳時代の豪族、蘇我馬子らの父親である蘇我稲目が娘を天皇の妃とし、その子が用明天皇や推古天皇として即位していて、権力を恣にしている例は日本史の早い時期から権力の二重構造が確立してことを示す例となる。

 さらに蘇我馬子が自分の娘を聖徳太子に嫁がせて山背大兄王(やましろのおおえのおう)を産ませているが、聖徳太子没後約20年の643年に専横を極めていた蘇我入鹿の軍が自らの権力の確立のために古人大兄皇子(=ふるひとのおおえのおうじ、舒明天皇の皇子、母は蘇我馬子の娘の蘇我法提郎女=ほてのいらつめ)を天皇に立てるべく、斑鳩宮を襲わせ、聖徳太子の子である山背大兄王(やましろのおおえのおう)らを妻子と共に自害に追い込んでいる例にしても外戚として天皇の権力を我が物にしようとする権力の二重構造を企む典型例であり、飛鳥時代にも引き継がれていたことを示すことになる。

 平安時代中期の公卿の藤原道長にしても同じ常套手段を利用した。一条天皇に長女の彰子を入内させ皇后とし、次の三条天皇には次女の妍子(けんし)を入れて中宮とするが、三条天皇とは深刻な対立が生じると、天皇の眼病を理由に退位に追い込んで、長女彰子の生んだ後一条天皇を9歳で即位させ、自らは後見人として摂政となり、政治を動かすことになった。

 一年ほどで摂政を嫡子の頼通に譲り、後継体制を固める。後一条天皇には四女の威子(たけこ)を入れて中宮となし、「一家立三后」(=「いっかりつさんこう」、天皇3代の皇后を全て自分の娘にしたこと)と驚嘆されたという。そして藤原氏の次に権力を握ることになった平清盛も娘を天皇に嫁がせて、外戚(がいせき・母方の親戚)となって権勢を誇ることになった。

 要するに世俗権力者である豪族たちが自分の娘を天皇の后(きさき)に据えて生まれた子をのちに天皇の地位に就け、自身は外祖父か外戚として世俗上の実権を握り、天皇を名ばかりとする権力の二重構造は豪族たちの権力掌握と権力操作の常套的手段として忠実に受け継いで行く伝統となった。

 時代が下って自分の娘を天皇に嫁がせて、その子を天皇に据える傀儡化――血族の立場から天皇家を支配する権力の二重構造は廃れ、源頼朝以降、距離を置いた支配が主流となっていくが、自身の武力で天下統一を果たしていながら、天下統一による国家支配の正当性は朝廷に付与させた征夷大将軍の役職に置き、国家支配そのものは自らが行う権力の二重構造の形式は維持された。

 一方で明治に入って薩長一部公家とそこから派生した軍部が憲法で天皇を国家統治者とし、陸海軍の最高統帥者等、国家の最高位に位置づけるが、天皇としては表向き敬うものの名目的存在にとどめて、国民に対しては「教育勅語」や「国体の本義」で著した思想や精神の教化を通して天皇を敬い、従うべき絶対的存在に仕立てて、名目的と絶対的の使い分けで国家と国民を天皇の名のもとに統治する権力の二重構造へと姿を変える。

 本質部分では変わらない、この歴史的に伝統的な権力の二重構造をより強固に維持する要件として考え出され、実行に移された権威が万世一系であり、男系、あるいは2千何年という長い歴史であり、現人神であるといった天皇家を飾り立てる数々の壮大な仕掛けであり、仕掛けが大きい程にその権威を利用する側は大きな効果を見込むことができる。その手の利便性から結果的に126代も延々と続いたということであろう。

 このことが同時に国民統治の優れた装置として大きな力を発揮したということになる。

 でなければ、天皇が歴史的に名目的な存在とされてきたことに反するこれらの壮大な権威付けの説明がつかない。

 「国体の本義」その他を通してこのような天皇の権威付けに迫られたのは明治以降、西洋の文化・文物が入ってきて、国民がその影響を受けやすくなった国情(開戦の前年は都市部ではアメリカブームに沸き、ハリウッド映画やジャズが流行していたとNHKの日本の戦争を取り上げた放送が伝えていた)、さらに昭和に向かう過程で列強との対立と競争が激しくなってきた国情を受けて、天皇の権威を利用して国家権力を恣にする世俗勢力が国論の統一、いわば政府にとって望ましい形の国民統治を確保しつつ、国家統治の実権を守り続ける権力の二重構造維持の利便性を担保するためには、当然のこと、天皇の権威は壮大であることが望ましいからだ。

 米英戦争の過程で天皇の権威はより強調されることになり、政府の天皇の名前を利用した呼びかけに応じて、兵士は戦場に赴き、一般国民は銃後の支えとなり、それが自国国力を過大評価した杜撰な戦争計画だとは知らないままに多くの兵士が戦場に散り、多くの一般国民が激しい空襲や艦砲射撃で命を落とすことになった。

 このように天皇が権力の二重構造維持のために利用される存在だったことを考えると、安倍晋三が2006年7月20日発刊の自著『美しい国へ』の中で、「日本では、天皇を縦糸にして歴史という長大なタペストリーが織られてきたのは事実だ」と書き、2012年9月2日の日本テレビ「たかじんのそこまで言って委員会」に出演して、「むしろ皇室の存在は日本の伝統と文化、そのものなんですよ。まあ、これは壮大な、ま、つづれ織、タペストリーだとするとですね、真ん中の糸は皇室だと思うんですね。この糸が抜かれてしまったら、日本という国はバラバラになる」と言っていることは、権力の二重構造からしてバラバラになるのを防いでいたのは天皇の権威を利用して国を治めてきた世俗勢力なのだから、安倍晋三の歴史認識は軽薄なフィクションに過ぎないことが分かる。

 明治以前の歴代天皇は、例外はあるが、殆が皇室という世界でのみ生息してきた。明治に入って世界政治の表舞台に立つことになったが、その権威を必要とされるだけで、政治的決定権は世俗勢力に従う受け身の存在であることに変わりはなかった。

 天皇と世俗勢力の権力の二重構造からすると、安倍晋三の皇室の存在と日本の伝統及び文化をイコールさせる歴史認識、日本の伝統と文化は皇室と共にあったと見る歴史認識、日本の歴史そのものを一連続きのつづれ織、タペストリーに喩えて、真ん中の糸を皇室と見る歴史認識は明治以降から終戦までの政府や軍部がいたずらに天皇を権威付けてきたきたことの踏襲に過ぎない。安倍晋三が戦前型の国家主義者であることの所以である。

 そもそもからして多くの歴史学者が神話上の人物としか見ていない神武天皇を初代天皇として、その即位年から日本建国の年数を数える日本式の紀年法である"皇紀"なる名称は4世紀末頃から5世紀頃の大和朝廷成立当時からあったものではなく、1872年(明治5年)に「太政官布告第342号」を以ってして制定したものであって、政府は1940年(昭和15年)が皇紀2600年に当たるとしてその年に大々的に奉祝行事を行うことになったが、明治に入ってから使い始めたという経緯からすると、皇紀元年を西暦紀元前660年に当てていることから、天皇家の歴史が西洋の歴史と遜色ない長さを持っていることを材料に日本の歴史及び大日本帝国と天皇を権威付ける仕掛けであったことがミエミエとなる。

 天皇に付与したあれこれの権威が国民を統治するための仕掛けに過ぎなかったからこそ、対米英戦争で日本が不利な状況に立たされると、天皇の権威が崩れ去るのを恐れて、大本営は天皇直属の最高戦争指導機関でありながら、国民に対してだけではなく、天皇に対してもウソの戦況報告をするに至った。この点からも軍部は実質的には天皇の下に位置していたのではなく、天皇の上に位置し、天皇を名目的存在として扱っていたことが露見する。だから、対米戦争反対の天皇の意向を無視して、対米戦争に突入することができた。

 天皇をより良き国民統治装置とするために神の子孫とし、且つ現人神だと敬わせ、日本は神国だと日本民族の他民族と比較した優越性を謳い、天皇の神格化とその優越性を国民の精神に植え付けて国民を鼓舞し、戦争に駆り立てるのは天皇の利用で済むが、冷徹で合理的な計算が求められる戦争の場にまで日本人の優越性用いて鼓舞する精神主義を持ち込んだのは天皇の権威を利用して国民を支配し、統治する計算を裏切って、政府や軍部までが日本民族の優越性に取り憑かれていた証明となり、その合理精神の欠如が自国国力過大評価と米国国力過小評価を生み、杜撰な戦争計画へと発展していったと見るほかない。

 当然、戦死者はその犠牲となったのであり、政調会長だった当時の高市早苗が2021年10月18日の秋季例大祭に靖国を参拝した際、「国策に殉じられた方に、尊崇の念を持って感謝の誠をささげてきた。日本人として感謝を捧げるのは当たり前だ」と語った言葉は、当の国策が自国国力過大評価と米国国力過小評価を内容とし、そのような杜撰な国力評価に基づいた杜撰な戦争計画となっていたのだから、思いどおりの力で戦った類いの"殉じた"とするのは戦死の実相を奇麗事に見せる企みそのもので、思いどおりに戦えずに戦死を強いられたといったところが大方の戦死の実際の姿であったはずだ。

 戦闘に於いて日本民族の優越性に基づいた精神主義が罷り通っていた例を敗戦まで用いられていた大日本帝国陸軍の「歩兵操典」から簡単に見てみる。注釈等は当方。

 「歩兵操典(全)」(豆辯- Douban)

 〈第2
戦捷(戦勝)の要は有形無形の各種戦闘要素を総合して、敵に優る威力を要点に集中発揮せしむるに在り
訓練精到(詳しくて、よく行き届いていること)にして、必勝の信念堅く、軍紀至厳(極めて厳しいこと)にして、攻撃精神充溢せる軍隊は、能く物質的威力を凌駕して戦捷(戦勝)完うし得るものとす

 〈第3
必勝の信念は主として軍の光輝ある歴史に根源し、周到なる訓練を以って之を培養し、卓越なる指揮統帥を以って之を充実す
赫々たる伝統を有する国軍は、愈々(いよいよ)忠君愛国の精神を砥礪(しれい:努め励むこと)益々訓練の精熟を重ね、戦闘惨烈の極所に至るも上下相信倚(しんい:信頼する)し、毅然として必勝の信念を持せざるべからず

 第6
軍隊は常に攻撃精神充溢し、志気旺盛ならざるべからず
攻撃精神は忠君愛国の至誠より発する軍人精神の精華にして、強固なる軍隊志気の表徴なり。武技之に依りて精を致し、教練之に依りて光を放ち、戦闘之に依りて勝を奏す。蓋し勝敗の数は必ずしも兵力の多寡に依らず。精練にして、且つ攻撃精神に富める軍隊は、克(よ)く寡を以って衆を破ることを得るものなればなり

 第68
突撃は兵の動作中特に緊要なり
兵は、我が白兵の優越を信じ勇奮身を挺して突入し敵を圧倒殲滅すべし。苟も(いやしくも)、指揮官若しくは戦友に後れて突入するが如きは深く戒めざるべからず
兵は敵に近接し突撃の機近づくに至れば、自ら着剣す〉

 「第2」、作戦は地理や天候、地勢、地の利の不利・有利、そして敵軍と味方軍の兵力の差等、各戦場の状況を計算した戦術の具体性の良し悪しによって決まるはずだが、「敵に優る威力を要点に集中発揮せしむる」の「敵に優る威力」は兵力(兵員数や兵器の種類とその数量、その性能などの総合力に基づいた戦闘能力)が必須要素となるが、そのことを考えない精神論で成り立たせた戦術の具体性もない抽象論そのもので成り立たせている。

 緻密な訓練(=訓練精到)が、「必勝の信念」を育み、厳しい軍紀(=軍紀至厳)が「攻撃精神」を充溢させ、そういった優れた要素に満たされた軍隊は、相手の物理的戦闘規模(=物質的威力)を上回って戦勝をもたらすとしていることは、そういった信念や精神をしっかりと身につけさえすれば、三八式歩兵銃でアメリカ軍の機関銃群に立ち向かったとしても、戦いに勝利できると言っているようなもので、戦術・戦略を全く抜きにした精神論そのものでしかない。

 「第3」、「軍の光輝ある歴史」が「必勝の信念」を生み出して、その信念のもと、「忠君愛国の精神」に努めて、訓練技術の向上に励み、将兵が相信頼し合えば、どのように激しい戦闘に遭遇しようとも、必ず勝利するだという自信を持たせなければならないとしているが、ここでは必ず勝利するという自信を持つことができると確信を与えるのではなく、自信を持たせるよう義務としている点は少なからず自信がなかったのかもしれない。

 だが、戦術を抜きにした精神論を語っていることに変わりはない。忠君愛国の精神と日本軍人としての誇り・自信が勝利をもたらすという精神主義が日米陸軍武器の量及び性能を含めた戦力差にしても、陸海含めた兵員数の差にしても約10倍以上とされた状況下で戦局にどう影響するかという合理的判断を排除している。

 「第6」、「勝敗の数は必ずしも兵力の多寡に依らず」が事実であったとしても、「忠君愛国の至誠」に発する「軍人精神の精華」、それが生み出す「強固なる軍隊志気」が「攻撃精神」をもたらしたとしても、様々に想定した数多くの実地訓練を通して獲得する戦闘行動を体と頭に記憶させ、記憶させた戦闘行動を実際の戦闘で状況に応じて臨機応変に再現することのできる身体的スキルを身につけることの方が実際的で、それでもなお兵力差の影響を受けることを頭に置いておかなければならない必須要件であり、「忠君愛国の至誠」に基づく「軍人精神の精華」だ、「強固なる軍隊志気」だ、「攻撃精神」だだけでは片付かないことを認識させる注意が必要だが、精神論だけで終えている。

 「第68」、敵陣地に近接できた場合の集団の突撃は一定程度の犠牲を計算に入れた上で効果は見込めるが、近接とは言えない距離からの集団の突撃は敵の火力の餌食に曝されるのが精々で、それを、〈我が白兵の優越を信じ・・・敵を圧倒殲滅すべし。〉と、戦場で敵味方が抱えることになる様々な状況・条件の違いを考慮せずに精神主義をベースに無条件の勝利を可能としている。

 1942年8月7日から1943年2月7日までの約7ヶ月間のガダルカナル島の戦いでは、NHKのテレビ放送が伝えるところでは、島を占領したアメリカ軍に対して奪還を目指した約900人の日本陸軍がアメリカ兵力1万人に対して2000人程度と誤認、さらに睡眠中と誤認したのだろう、小銃の先に剣を装着し、夜間の白兵突撃を敢行、対してアメリカ軍は飛行場の周辺に集音マイクを設置、日本軍の動きを察知、待ち構えていて、2方面から機関銃などを浴びせる十字砲火で応戦、日本軍900人のうち777人が命を落とすことになったと伝えていた。

 アメリカ軍が万が一待ち構えていたなら、どう戦術転換をするかという危機管理を頭に置かない勢いに任せた突撃で勝利を計算できるのは精神主義頼りだからであって、精神主義を単純画一的な戦術としていたからだろう。

 日本側が米英の7倍余の310万もの戦死者を出した事実は突撃は個々の戦場での個々の戦いに限定された精神主義を纏わせた戦術ではなく、戦争全体が精神主義に裏打ちされた突撃の性格を帯びていたことの証明とすることができる。

 このような精神主義だけを頼りとした戦争はあまりにも合理性を欠いている。杜撰な日米国力評価に基づいた杜撰な戦争計画を結果として招いたことはある意味当然だったと言える。

 戦闘の場面では勝敗を左右する重要な要件は兵力や地勢に基づいた戦術の如何にあるのであって、忠君愛国や、軍の光輝ある歴史によって叩き込まれた帝国軍人魂ではないことを教えられないままにそれらを戦いの主たる要件とした場合、合理的精神は抑えられて忠君愛国だ、帝国軍人魂だといった精神主義だけが顔を利かすことになり、いとも簡単に戦争のリアリズムの生贄になるのは目に見えている。

 ところが、合理的思考力が必要とされる戦後になっても、国民統治装置として万世一系だ、男系だ、現人神だと様々に権威付けてきた歴史から目を逸らして、そのような天皇の存在を根拠に日本民族の優越性を謳う少なくない日本人が存在する。

 例えば国家主義的心理性で安倍晋三とベッドを共にしている高市早苗は2021年9月29日投開票の自民党総裁選に向けて自身の思想と政策を纏めた『美しく、強く、成長する国へ』(Kindle電子書籍)云々の著作の中で、「大自然への畏敬の念を抱きながら勤勉に働き、懸命に学び、美しく生き、国家繁栄の礎を築いて下さった多くの祖先の歩みに、感謝の念とともに喜びと誇らしさを感じずにはいられない。現在においても、126代も続いてきた世界一の御皇室を戴き、優れた祖先のDNAを受け継ぐ日本人の素晴らしさは、本質的に変わっていないと感じている」と謳い上げているが、この主張を成り立たせている根本思想は天皇主義に基づいた全体主義である。

 祖先のDNAを全て優れていると見ていて、当然、その子孫である現日本人を全て優れていると見ていることになるが、"優れている"とした場合、日本民族優越意識があからさまになるからだろう、"素晴らしい"と一段と和らげた表現となっているが、その評価を日本人全体に置いている以上、日本民族の全体的優越性を謳い上げていることになる。

 また、高市早苗がこの日本民族優越意識の根拠を皇室の存在や戦前の歴史から見ていることは自身のサイト、『高市早苗ブログ』2002年08月27日)に、〈欧米列強の植民地支配が罷り通っていた当時、国際社会において現代的意味での「侵略」の概念は無かったはずだし、国際法も現在とは異なっていた。個別の戦争の性質を捉える時点を「現代」とするか「開戦当時」とするかで私の答え方は違ったものになったとは思うが、私は常に「歴史的事象が起きた時点で、政府が何を大義とし、国民がどう理解していたか」で判断することとしており、現代の常識や法律で過去を裁かないようにしている。〉と述べていることから明らかだが、歴史的事象が起きた戦前の時点の1941年12月8日の時点では未明の米ハワイ島オアフ島真珠湾基地に対する奇襲攻撃の戦果が国内で伝えられ始めると、多くの国民が常に天皇の存在を背景に置いて、知識人を交えて戦果を歓呼で迎え、日本の敗色が濃厚になった以降も大本営の国民の戦意喪失の防止からの偽情報の流布、あるいは不都合な情報の隠蔽工作が功を奏して、国民が戦争を支持し続けていたことは事実と言える。

 安倍晋三も2006年7月20日発刊自著『美しい国へ』の中で、「列強がアフリカ、アジアの植民地を既得権化する中、マスコミを含め、民意の多くは軍部を支持していたのではないか」を論拠に、「その時代に生きた国民の視点で歴史を見つめ直す」と書いていて、出来事が起きた時代に生きていた人間の総体的解釈が歴史認識だとしている。

 いわば両者共に国民がその当時、何に賛成し、何に反対したのか、そのことによってのみ、歴史は価値づけられる、あるいは歴史は解釈されるとしている。だが、二人のこの考え方自体が論理矛盾に彩られている。なぜなら、日本が米英に宣戦布告した出来事自体は当時はまだ歴史にはなっていない、国家の政策遂行(=国家行為)に過ぎないからである。何らかの国家のその時々の政策遂行(=国家行為)が歴史の形を取るためには時間の経過、時代の経過が必要条件となる。つまり当時の国民ができたことは開戦、あるいは戦争という国家の政策遂行(=国家行為)に対する賛否――是非の解釈のみである。

 特に政府・軍部等の国家の支配層の国民に対する天皇絶対崇拝の教育、あるいは洗脳が行われていて、ほぼ無条件に国の政策に従属させられた時代下で自由な意思表示・判断は表沙汰にはできなかった。表沙汰になったり、密告されたりしたら、国賊とか、アメリカのスパイとして取り締まりを受けるか、社会的な制裁を受けることになった。

 逆に後世の国民ができることは戦前当時の国家状況及び世界状況や社会状況等を起因とした国家の政策遂行(=国家行為)が時間の経過、時代の経過を経て歴史となった時点で時間・時代の経過と共に蓄積することになった知識・情報を背景とした現在の国民の目を通した是非の解釈である。決して国家の政策遂行(=国家行為)に対する当時の国民の解釈そのままに同調する、しないが歴史解釈ではない。

 当然、安倍晋三が、いわば「その時代に生きた国民の視点」を歴史解釈とする、高市早苗が過去の出来事はその時代の常識や法律で裁くと言っていることは当時の日本国民は殆が天皇と国家を支持していたのだから、戦前日本の天皇制に基づいた国家体制、大日本帝国国家を肯定している両者の歴史認識となる。

 この肯定を歴史認識としている以上、安倍晋三や高市早苗等の保守政治家が「お国のために命を捧げた」、「国に殉じた」を口実とした靖国参拝を戦前国家肯定儀式と断じているのはこの点にある。

 と同時に戦前の大日本帝国国家に歴史認識を肯定的立場から寄り添わせている関係からして、両者共に個人よりも国家に絶対的価値を置く国家主義者の範疇に入れることができる。

 自国国力過大評価・米国国力過小評価に基づいた杜撰な戦争計画で戦った戦争であるということと、兵力の差、武器の性能の差、地の利の有利・不利、時間帯等々を計算し尽くした合理性に則った戦術ではなく、合理性も何もない精神主義を拠り所とした戦い方を叩き込んで、闇雲に突撃精神だけで戦わせて多くの兵士を死なせたのだから、愚かな国策の犠牲となったが実際の姿でありながら、靖国神社に祀った戦死者に手を合わせて、国策に殉じたとか、国のために尊い命を捧げたとか、"国策"や、"国"を主体にして顕彰することができるのはやはり個人よりも国家の価値観を大事にする国家主義の姿勢を正体とし、戦前国家を肯定しているからできることである。

 《日本国力過大評価と米国力過小評価に基づいた杜撰な対米英戦争計画から見る安倍、高市等の靖国参拝(1)》に戻る
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蓮舫を叩く:過去の事業仕分けを成功体験とする都知事選立候補会見のハンパない自己正当化バイアス

2024-11-19 08:33:55 | 政治

蓮舫は国民の声は小池都政のリセットを望んでいるとしながら、都民の大多数をしてリセットを望む声に変えるだけの発信力を持っていなかった自覚はゼロ

Kindle出版電子書籍「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

 蓮舫は2024年5月27日午後、党本部で記者会見して、7月の東京都知事選挙への立候補を表明した。

 蓮舫「国民の声は、裏金議員や政治とカネの問題がある自民党政治の延命に手を貸す小池都政をリセットしてほしいというものだ。その先頭に立つのが私の使命だ」(NHK NEWS WEB記事)

 そして「小池知事が掲げた7つのゼロの公約はどこに行ったのか」と述べ、「改革するのが私の政治の原点」だ、いわば公約実現に向けた有言実行をアピール、財源は改革の果実で捻出、その果実で弱者救済を訴えたという。

 「小池都政をリセットしてほしい」という「国民の声」が実際に挙がっていたのなら、あとはその「リセット」を蓮舫に託したいという期待に振り向けさせる発信力の問題となるが、そういった声が挙がっていなければ、都民の大多数を以ってしてリセットは当然だとする納得の声に変えることができるか否かのこれまた蓮舫自身の発信力の問題となる。

 但しリセットを望む声をマスコミが伝えていた記憶はないから、納得の声に変える発信力に相当な自信を持っていなければならないが、そういった自覚があって、「国民の声」を持ち出したかどうかは自身をアピールする目的のパフォーマンスは得意という彼女の性格からして疑わしい。

 いずれにしても選挙結果からして、リセットを望む「国民の声」は存在しなかっただけではなく、蓮舫は都民の大多数をしてリセットを望む声に変えるだけの発信力は持っていなかったことになる。

 但しこのことに対する自覚は都知事選敗北後に行った自身のインスタライブからはその影さえも窺うことはできないから、その無自覚は疑う思考習慣を持たない場所、あるいは相対的思考力が働かない場所に根差すゆえに「常に自分の考えは正しい」とする自己正当化バイアスに強く影響を受けていることになる。多分、悪いのは蓮舫に投票しなかった都民ということになるのだろう。

 2024年7月7日の都知事選投票日を前に現職の小池百合子、参議院議員蓮舫、広島県安芸高田市元市長石丸伸二、航空自衛隊元航空幕僚長田母神俊雄4人の東京都知事選立候補予定者共同記者会見(日本記者クラブ主催)が2024年6月19に行われた。
 
 最初に4人が主たる政策の主張を書き入れたフリップを掲げて、「1分間の政策主張」を行っているが、その発言のみを取り上げてみる。特に蓮舫の場合、自己正当化バイアスそのものがこの1分間の政策主張に現れていて、それがハンパない事例として取り上げるのはこの発言のみで十分と見る。

 東京都知事選立候補予定者共同記者会見(日本記者クラブ/2024年6月19)
 
 石丸伸二(フリップ『政治屋の一掃』)「私の政策、さらに言うなら、掛け声です。『政治屋の一掃』。仕事をする振りをして、一向に成果を上げない、そんな政治屋を一掃したいとこれまでずっと考えてきました。

 (大きな声で)『恥を知れ、恥を』。これが国民の思いだと思っています。東京都知事選は日本全国の関心事になるはずです。東京が変われば、日本が変わります。東京の政治が変われば、日本の政治が確実に変わります。是非私達の力で東京を動かしてください」

 小池百合子(フリップ『首都防衛 命、暮らし、防災、経済』)「私はこのように『首都防衛』に力を込めています。もっとよくなる『東京大改革3.0』を続けてまいります。3期目の挑戦をさせて頂きます。未来を、子どもや子育てを守る。その世界を守っていきます。物価高など厳しい環境から生活を守ってまいります。国会協調など一括で(?)経済を守り、かつ成長させていかなければなりません。

 自然災害も激甚化させております。都民の命と東京の未来を守る戦い、これを都民のみなさまに訴えていきたいと思います。2期8年、全公約164の項目の90%を達成、そして推進を致しております。コロナ禍の中でなかなかできなかったものもございますけども、2期8年の東京大改革、さらに歩みを進めてまいります。そして都民のため都民とともに世界で1番の都市、東京にして参ります」

 蓮舫(フリップ『若者の手取り増 都、ガラス張り』)「若者の手取りを徹底して増やす。そして都をガラス張りにする。この2点です。若い人たち、残念ながら、貧困から抜け出せない方が、奨学金の負担、雇用の不安、徹底的に取り戻す。若者が元気になれば、今まで諦めていたことを諦めないで済むようになると思います。そして自分の人生を歩んでいくことができる。それは結果として税収、社会保険料の増に繋がります。

 そして企業を支えていく持続可能な、そんな東京都を作りたいと思っております。

 私の専門分野です、行政改革。東京都の行革を進めます。小池都知事が進めてくれたデジタル化、さらにその先へ。都の財政に東京は事業レビューシート(?)と言います。約6000の事業。どこで誰がいつ、どのように使ったのか、契約、どんな遣り方なのかもしっかりと公表する。

 そして収めた税金が何に使われているのか。もしここで果実が出たら、躊躇なく、若者に、現役世代に、シニアに振り分けて行きたいと思います」

 田母神俊雄(フリップ『結果を出す政治 都民の安全と豊かな暮らし』)「私はですね、『政治は結果である』。結果を出す政治でなければいけない。都政は都民の安全と豊かな暮らし、これを実現しなければならないと思います。しかしこの15年を見ているんですね。都はより安全になったのか。暮らしは豊かになったのか。なってはいないんではないのか。だから、この公約を掲げてもですね、結果が出ていなければ、意味がないと思うんですね。公約の良し悪しよりはですね、その人は本当に実現能力あるのかと、その実行能力を十分に判断して頂きたいというふうにむしろ思います。

 私は自衛官だったんですけれども、防衛省に於ける行政経験を通じた行政をどういうふうに改善していくかというノウハウは弁えているつもりです。是非、私に任せてほしいというふうに思います。ありがとうございました」
 
 蓮舫は行政改革は私の専門分野だと言い、都の約6000の事業を仕分けし、「もしここで果実が出たら、躊躇なく、若者に、現役世代に、シニアに振り分けて行きたい」と宣言した。

 「行政改革」とは省庁等の国の行政機関の人材の配置面を含めた組織運営の適正化、効率化、予算編成と予算に基づいた事業推進の適正化、効率化等を図ることを言う。組織自体をより活性化の方向に持っていく。

 蓮舫が「約6000の事業。どこで誰がいつ、どのように使ったのか、契約、どんな遣り方なのかもしっかりと公表する」と言っていることは各予算に基づいて実施することになった、あるいは既に実施している事業の必要性や予算や事業の進め方のムダを点検し、廃止、見直し等を含めて予算と事業の適正化を図っていく事業仕分けのことで、いわば行政改革の主たる手段の一つに事業仕分けを位置づけているということであるはずだ。

 但し、「私の専門分野です、行政改革」と言い切ることができたのは行政改革を成し遂げ得たかどうかは不明だが、過去に事業仕分けを経験し、成功を収めたと見ているからこその自信の現れであって、そのことを自らの成功体験としているからこそであろう。

 蓮舫は2010年6月8日に菅内閣発足により行政刷新担当大臣として初入閣を果たし、2009年(平成21年)11月から始まった事業仕分けに仕分け人として参加し、その舌鋒鋭い追及をマスコミは華々しく取り上げた。

 では、金額分でどのくらいムダがあったのか、次の記事から見てみる。

 『民主党時代の経済・財政政策(3)ポピュリズムと財政赤字』(小峰隆夫の経済随想 私が見てきた日本経済史(第110回)日本経済研究センター/2022/11/18)

 〈鳩山内閣は、大きく膨らんだこの10年度予算の概算要求を3兆円以上削減することを目指して「事業仕分け」を行うこととした。
  ――中略――
 問題はその成果だが、行政刷新会議の報告によると、仕分けの対象となった事業のうち、必要性が乏しい事業を「廃止」や「予算削減」としたことにより、約7400億円が削減された。さらに公益法人や独立行政法人の基金のうち約8400億円を国庫に返納するよう求めた。両者を合わせると、仕分け効果は総額で約1兆6千億円となった。目標の3兆円には全く届かなかったわけだ。

 このことは「無駄を削る」という掛け声だけでは予算を圧縮する効果は乏しいことを物語っている。そもそも、それぞれの事業は何らかの必要性に基づいて企画され、予算措置が取られているものであり、「これは無駄」「これは無駄ではない」と簡単に分けられるようなものではない。無駄を削るという考え方もまた、あまりにもナイーブだったのだ。〉――

 記事は何らかの必要性に基づいた予算措置だから、ムダを基準に簡単に分けられないとしているが、国管理の空港のうち、大東京という地の利に恵まれているのだろう、羽田空港のみが黒字で、その他の成田を筆頭に新潟、徳島、鹿児島、高知、大分、小松等々の空港は赤字となっている。

 要するに必要性の見間違いによってムダな事業が存在する場合もあることになるから、"必要性"の視点からだけでムダの存在が排除されるわけではない、

いずれにしても、民主党の事業仕分けがマスコミに騒がれた程にはムダの削減によって望み通りの財源を生み出したわけではなかった。さらに民主党菅内閣の「マニフェスト2010」に、〈10.自公政権で行われた2010年度予算概算要求を各府省の政務三役が政治主導で見直し、1.3兆円の予算を削減しました。

11. 事業仕分け
  公開の場で一つひとつの事業を外部有識者などが検証する「事業仕分け」で政策効果の低い事業の凍結や、天下り法人などの「中抜き」を見直した結果、約2兆円の財源を確保しました。〉と書いているが、前政権の予算と事業は政治主張や政策の違いから見直しやすく、そのことに応じてムダと指摘できる項目も多々あることになる。

 だが、新政権が新たに編成した予算と関連事業は自らが準備した予算と事業である手前、基本的にはムダは極力あってはならないことになる。でなければ、自らムダを作って、自らムダを指摘し、その予算を削る、あるいは見直すというマッチポンプな事業仕分けを結果的に演じることになるからだ。

 大体が前政権の事業仕分けを行った手前、自らの政権が予算を組む場合、その段階で見直しを必要としない、当然、ムダと指摘されない内容の予算を組む責任を負っていることになるから、事業仕分けからのそれなりに期待できる財源の捻出は政権交代の一年にほぼ限定されることになる。

 以上のような事業仕分けというものの性格を蓮舫が都知事選に当選して、都知事になった場合に当てはめてみると、東京都の事業仕分けを行うとしても、最初の事業仕分けは小池百合子が編成した予算とその事業が対象になるから、それなりのムダな財源を捻出できるとしても、次に都知事である蓮舫自身のもとで編成した予算と事業に対する事業仕分けはムダを指摘することも、事業の廃止や見直しを求めることも自己矛盾を曝すことになって、できにくくなり、その点に何がしかの財源を求めること自体が矛盾することになる。精々できることは事業を行ってみて、カネの使い道にムダがなかったか、改善点はなかったか、費用対効果はどうだったかなどなどを検証することぐらいだろう。

 蓮舫はこういったことを民主党政権時代に拝命した行政刷新担当大臣として臨んだ事業仕分けで経験していて、自らの知識・情報としていたはずである。

 だが、都知事選立候補者の共同記者会で、「私の専門分野です、行政改革」と言い切り、「収めた税金が何に使われているのか。もしここで果実が出たら、躊躇なく、若者に、現役世代に、シニアに振り分けて行きたいと思います」と各世代に満足の行く形でそれぞれの要望を充足できる財源の捻出ができるかのように発言したのは、事業仕分けが持つ性格を考えもせずに民主党時代の事業仕分けを世間一般の受け止めとは異なり、成功体験としているからではなくてできないはずだ。

 要するに民主党政権時代の事業仕分けに対する一般的な評価を頭に置くことができない、この感性はやはり「常に自分の考えは正しい」とする自己正当化バイアスが仕向けることになっている心理傾向であろう。

 当然、事業仕分けが政策財源の一つの大きな捻出対象であるかのような発言は控えなければならなかった。若者・現役世代・シニア等の生活者を重点的な政策対象と考えているなら、それらの対象を優先順位に位置づけていることを周囲が理解できる6兆円余の都の財源を配分した政策を直接的に示すべきだった。事業仕分けは政策ではなく、単なる検証作業に過ぎない。

 だが、逆に事業仕分けが政策財源の主要な捻出対象であるかのような印象を与えてしまった。やはり民主党政権時代の事業仕分けを成功体験としていて、大いなる自身の勲章としているからに違いない。

 蓮舫が民主党政権時代の事業仕分けで、「スパコンは世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか」と発言、次世代スーパーコンピュータ「京」の開発計画が一時凍結された際、当方は蓮舫を擁護するブログ記事を書いた。勿論、予算削減を視野に入れた必要性の方向から擁護したわけではない。記事題名を見れば、一目で分かる。

 《スパコンは世界1位でなくても2位、3位であってもいい、日本人の創造性世界1位を目指すべき》(『ニッポン情報解読』by手代木恕之)

 いくら計算速度の早いスーパーコンピューターを作ったとしても、計算速度が早いというだけの箱物であって、必要とする創造性を与えてくれるわけではない。当時、スーパーコンピューターが新薬開発に画期的なまでのスピードアップを与えると期待されていたが、どのような成分の化学物資を配合したら特定の病気に対して有効性が期待できるかは人間の頭が司るのであって、スーパーコンピューターが司るわけではない。

 それが証拠にコロナが収束するまでに日本は国産のコロナワクチンを製造することができずにアメリカやドイツのワクチンに頼った。

 尤も最近はAIが機械に記憶させた過去にまで遡った膨大な資料の中から必要とする情報を瞬時のうちに拾い出してくれるが、その情報を生かすのも殺すのも、やはり人間の創造性にかかることになる。

 AI技術の構築と発展に日本が遅れを取ったのはその方面の創造性が不足していたからだろう。

 最後は余談になったが、自己正当化バイアスに陥ることも創造性の欠如が一因となる。
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野党の旧統一教会と裏ガネ疑惑対与党追及の拙劣さが招いた国民の怒り未満の欲求不満が選挙結果に現れた

2024-11-06 06:47:20 | 政治

 Kindle出版電子書籍「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

 2009年7月21日、衆議院が解散され、2009年8月30日にその投票が行われた。その結果、民主党は115議席から一挙に193議席増えて308議席、対する自民党は300議席から181議席減って119議席、公明党は10議席減の21議席となった。この結果、自民党は1955(昭和30)年の保守合同による結党以来、初めて第一党の座を失った。9月16日、特別国会で鳩山由紀夫が首相に指名され、鳩山民主党政権がスタートした。

 2007年7月の参議院議員選挙で第一党に躍り出て、ねじれ国会を作り出したという布石はあるものの、民主党は政権獲得を文句なしの一発で決めた。

 この選挙での自民党+公明党に対しての有権者の191議席減の審判はその在り方に対する怒りの度合いを示していて、民主党の193議席増は与党の在り方に対する怒りの反動の度合いを示すことになり、議席減と議席増が大幅でほぼ拮抗している点は怒りの質とその発露の大きさを現していると言える。

 もし与党の在り方に対する有権者の怒りが中途半端なら、怒りの質とその発露も中途半端な結末へと向かう。今回の2024年10月の衆議院選挙結果が有権者のどのような怒りの感情がどの程度に働いて議席の増減を生み出したのか予測してみる。

 与党自民党公示前258議席から67議席減の191議席獲得。
 与党公明党公示前32議席から8議席減の24議席獲得。
 立憲民主党公示前98議席から50議席増の148議席獲得。

 与党自公で公示前290議席から75議席減の215議席獲得。立憲民主党との獲得議席数の差は自公プラスの67議席。野党全体では過半数233議席を18議席上回っているが、纏って一丸となっているわけではなく、党としての在り方についても、政策的にもバラバラ状態を呈している。

 要するに今回の衆院選に於ける自公与党に対する国民の怒りの審判は2009年8月30日の衆院選のときのように強烈なものではなく、中途半端だったから、立憲民主党は単独で自公の議席を越えて、文句なしの一発の状態で自公を政権の座からから引きずり下ろすことができなかった。国民の怒りが強烈で真正な質のものであったなら、十近くの野党が乱立していたとしても、野党第一党としてそれなりの議席を抱えていたのだから、一気に政権担当に向かわせる支持を集めることもできたはずである。

 この怒りが中途半端なものであることは投票率にも現れている。民主党が政権を取った際の2009年8月衆院選小選挙区投票率は前回比+1.77ポイントの69.28%もあったが、今回の小選挙区の投票率は前回比+2.08ポイントの53.85%で、しかも戦後3番目の低さだというから、有権者の自民党に対する怒りも程々で、怒りを向けるべき矛先の、その表現の具体的な形としての自民党に対する懲罰も程々だったことが分かる。

 与党の在り方に対する怒りの感情が存在したにも関わらず、その発露(=懲罰)は全体的には沸騰点には至らない生煮えの状態だった。その原因を推測する前に有権者の怒りを発動させることになった自由民主党の党としての在り方の非難対象となった諸事情は断るまでもなく、2022年7月8日発生の安倍晋三銃撃死によって表面化し、政治問題に発展した安倍晋三を仲介元とし、自民党議員の多くが選挙運動で利益を得ることになった反社会的勢力同然の旧統一教会との関係であり、安倍派後援会政治資金パーテイで安倍派所属議員にパーティ券売上にノルマを課し、その超過分は政治資金報告書不記載で現金還付した政治的不正行為であったはずだ。

 後者は他派閥も行ってはいたが、安倍派程には多人数で、金額的にも大掛かりではなかった。前者後者共に首相であった当時の安倍晋三が大掛かりな仕掛け人として関与していた。旧統一教会との関係では選挙期間中に信者による運動ボランティアと票の提供を受け、見返りに国会議員の名前を信者獲得に利用させた。いわば票の利益の代償として広告塔の役目を担った。

 安倍派後援会政治資金パーテイでの政治資金収集報告書不記載で還付された現金は表に出していないカネという性格上、表に出せない政治活動費――裏ガネとして使われていたはずで、そうでなければ不記載という見えない形にする必要性は生じないからで、そのことを関係したどの議員も否定していて、野党からの国会での追及をその地点でかわすのに成功させている。

 結果、誰が裏ガネ制度を考案し、始めたのか、裏ガネを何に使い、どのような利益を受けていたのか、全て真相は藪の中となった。もし追及によって真相が解明できていたなら、自民党の在り方に対する国民の怒りは沸点に達し、政権交代という懲罰で対応した可能性は十分にありうる。だが、追及が生半可で、真相に至らず、国民の怒り未満の欲求不満を誘っただけだから、その程度の審判、いわば一発で政権交代に向かわせる選挙結果とはならない程度で終わった。

 安倍晋三が中心人物として関わったはずの旧統一教会問題での国会追及も似たような経緯を辿ることになった。1980年代から旧統一教会の信者本人や信者の家系に悪い因縁や霊の祟りが取り憑いていて、それを除くに霊験があるとする印鑑、数珠、多宝塔、壺などを法外な値段で売りつけたり、高額な寄付で賄わせたりする、いわゆる霊感商法が1980年代には既に社会問題となっていた。

 名称は霊感商法と尤もらしく名付けているが、実態は詐欺商法そのものであった。

 旧統一教会は1997年になって正式名「世界基督教統一神霊教会」から「世界平和統一家庭連合」へと名称変更の相談を当時の文部省文化庁の宗教法人を所管する宗務課に相談したが、当時宗務課長を務めていた元文科次官の前川喜平が部下の職員から相談の報告を受け、断ったことを2022年8月5日の立憲民主党や共産党などの合同ヒアリングで証言している。

 「宗務課の中で議論した結果、実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない。当時、『世界基督教統一神霊教会』という名前で活動し、その名前で信者獲得し、その名前で社会的な存在が認知され、訴訟の当事者にもなっていた。その名前を安易に変えることはできない。実態として世界基督教統一神霊教会で、『認証できないので、申請は出さないで下さい』という対応をした。相手も納得していたと記憶している」(NHK NEWS WEB記事)

 体を表してきた名前を変えたなら、体を隠してしまうことになる。そのような隠蔽工作には手を隠すことはできないということだったのだろう。

 ところが、18年後の2015年(平成27年)になって、前川喜平が文部科学審議官を務めていた際、当時の宗務課長から教会側が申請した名称変更を認めることにしたと説明を受け、認証すべきでないという考えを伝えたという。

 「そのときの宗務課長の困ったような顔を覚えている。私のノーよりも上回るイエスという判断ができるのは誰かと考えると、私の上には事務次官と大臣しかいなかった。何らかの政治的な力が働いていたとしか考えられない。当時の下村文部科学大臣まで話が上がっていたのは、『報告』したのではなく、『判断や指示を仰いだこと』と同義だ。当時の下村文科大臣はイエスかノーか意思を表明する機会があった。イエスもノーも言わないとは考えられない。結果としては、イエスとしか言っていない。下村さんの意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」

 勿論、下村博文は否定している。文化庁の担当者からは『旧統一教会から18年間にわたって名称変更の要望があり、今回、初めて申請書類が上がってきた』と報告を受けていた。担当者からは、『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う。私が『申請を受理しろ』などと言ったことはなかった」

 国会で追及を受けることになった際の文科大臣の末松信介は2022年8月8日の記者会見で次のように発言している。

 「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある。担当者に確認したところ、当時、旧統一教会側から『申請を受理しないのはおかしいのではないか』という違法性の指摘があった。教会側の弁護士が言っているという話だった」

 形式上の要件が整っていたとしても申請を認証せず、文部科学大臣の諮問機関である「宗教法人審議会」で判断すべきだったという指摘が出ていることについて。

 「申請の内容が要件を備えていることを確認して認証を決定したと認識していて、宗教法人審議会にかける案件ではなかった」

 「申請の内容が形式上の要件を備えている」とは、宗教法人として既に認証されているから、活動内容を問う項目はなく、あったとしても、宗教活動の陰で信者を利用して不法な利益活動を行っているなどと書くはずもなく、宗教法人の主たる活動場所、代表名、新名称等々、書類が要求する様式に則って外見上の事実が滞りなく記入されていれば、書類として完備しているというだけの話で、宗教法人「世界基督教統一神霊教会」(いわゆる旧統一教会)の名前で世間に明るみに出つつあった悪徳霊感商法や不法な寄付強要、裁判沙汰といった裏の実態に関わる情報については宗教法人を所管する文化庁宗務課ならアンテナに捉えておくべき責任行為の一つであるはずだが、責任行為に反して旧統一教会がその手の宗教団体だと見られ始めていた各不法行為を結果として不問に付した。あるいは名称変更を認証することによって旧名に纏わりつくことになっていた悪名を隠してやる便宜供与を与えた。

 情報収集しているはずの文化庁宗務課という一部署が収集しているはずの情報を問題外として、果たして単独で認証できることなのか、安倍晋三という上にまで遡った地位からの指示なのか、いずれかが考えられるが、役人が単独で行ったなら、ワイロを受けていたか、政治家の力が働いていたなら、同じくワイロを受けているか、政治活動上の何らかの利益を受けていなければ、不法行為の不問という事態は招き得ない。

 現実問題として安倍晋三が中心的な橋渡し役となって旧統一教会と自民党政治家を結びつけて持ちつ持たれつの利害関係を築いていた。

 旧統一教会と自民党国会議員との間を選挙の便宜で結びつけたことと政治資金パーティノルマ超現金還付収支報告書不記載の裏ガネ作りの双方に安倍晋三が中心人物として位置していた遠因は第一次安倍政権が一年足らずの短命で終わったことと無関係ではあるまい。

 2006年9月26日成立後、閣僚の不祥事・失言が相次ぎ、支持率が20%台まで低下、2007年(平成19年)7月29日の参議院選挙で与党は過半数割れの惨敗を喫し、ねじれ国会となって政権運営は機能不全に陥り、病気を理由に2007年(平成19年)8月27日に辞職し、1年も持たない短命に終わった。

 あとに続いた麻生太郎政権も、福田康夫政権も、ねじれ国会を安倍遺産として困難な政権運営を強いられて、前者は一年未満、後者は一年丁度で政治の舞台を去ることになって、2009年8月30日の衆議院選挙で民主党に政権を譲り渡すことになった。

 だが、2012年9月26日に自民党総裁に返り咲いた安倍晋三は民主党政権4年間の不人気に助けられて2012年(平成24年)12月16日の衆議院選挙で解散前118議席から176議席増の294議席、公明党31議席と合わせて325議席獲得、一方の民主党は解散前230議席から173議席減らし、57議席となり、政権を渡すことになった。

 このような屈辱的な名誉喪失と名誉回復の変転が安倍晋三をして選挙の勝利こそが政権運営の始まり、いわば選挙に勝たなければ、政権は維持できないんだ、"選挙の勝利こそが全て"と肝に銘じさせ、それが執念と化し、凝り固まることになったに違いない。選挙に負けたら、自分の政治は思い通りには動かせない。選挙に勝ちさえしたら、自分の政治は思い通りに動かせる。

 その好例は先ず第一番に消費税増税の選挙を使った2度の延期を挙げることができる。一般国民の最大の利害は"生活"だと熟知し、選挙に利用した。野田内閣が2012年3月に消費税増税を含む社会保障•税一体改革法案を国会に提出、2012年6月に民主、自民、公明の3党が同法案について消費税率を2014年4月に8%、2015年10月10%に引き上げる内容で修正合意し、2012年8月に法案(「社会保障と税の一体改革関連法」)が成立した。

 2012年12月26日に第2次安倍政権が発足し、法律に基づき、2014年4月に消費税率8%に引き上げたものの、前年2013年10月に消費税率8%への引き上げを閣議決定していたから、駆け込み需要が発生、一般国民はトイレットペーパーや調味料等の長期保存の効く生活用品の買い溜めが精々だったが、富裕層は住宅や車等の高額商品の先買いに走った。

 増税前とか商品の値上がり前は先買いに走ってしまうのは人情だが、この消費税増税前の駆け込み需要の所得層に応じた金額差はアベノミクスが格差ミクスを正体としていたことに関連付けると、何か象徴的である。但し駆け込み需要が反動を招いて、増税後の消費活動が停滞、景気の悪化を招いた。

 このことに懲りたのだろう、安倍晋三は2014年4月の消費税率8%への増税から約8ヶ月後、2015年10月の消費税率10%への増税予定から遡ること約1年前の2014年11月18日の記者会見で3党合意に基づいた法律を曲げて10%増税の2017年4月への先送りを表明。この判断の是非について国民の信を問うためとの口実のもと、任期を約2年を残して解散を行い、2014年12月14日に衆議院選挙を行うことにした。

 自民党は選挙前議席から4議席減、海江田万里代表の民主党は政権運営で評判を落としたものの、逆に10議席増を獲得。僅かでも民主党に有利な結果をもたらした状況を受けて、消費税増税を延期しておいてよかったと胸を撫で降りしたに違いない。もし増税を予定通りとしていたなら、マイナス4議席で済まなかった可能性は否定できない。増税によってさらに消費が冷え込み、経済が悪化したなら、政権の命取りになりかねないことを予測し、増税延期の手を早めに打ったはずだ。

 この選挙によって衆議院議員の任期は2017年12月13日までとなるが、2016年6月1日の記者会見で2017年4月へと先送りした消費税10%への増税を何だかんだと理由をつけて2年半も先の2019年10月に再延期すると表明。

 その何だかんだの一部を見てみる。

 「1年半前の総選挙で、私は来年(2017年)4月からの消費税率引上げに向けて必要な経済状況を創り上げるとお約束しました。そして、アベノミクスを強力に推し進めてまいりました」

 「1年半前、衆議院を解散するに当たって、正にこの場所で、私は消費税率の10%への引上げについて、再び延期することはないとはっきりと断言いたしました。リーマンショック級や大震災級の事態が発生しない限り、予定どおり来年4月から10%に引き上げると、繰り返しお約束してまいりました」

 「内需を腰折れさせかねない消費税率の引上げは延期すべきである。そう判断いたしました」

 「2020年度の財政健全化目標はしっかりと堅持します。そのため、ぎりぎりのタイミングである2019年10月には消費税率を10%へ引き上げることとし、30カ月延期することとします。その際に、軽減税率を導入いたします。」

 「信なくば立たず。国民の信頼と協力なくして、政治は成り立ちません。『新しい判断』について国政選挙であるこの参議院選挙を通して、『国民の信を問いたい』と思います」

 この2016年6月1日の記者会見からほぼ1ヶ月10日後の2016年7月10日の参院選挙で自民党は+6議席、岡田民主党は-13議席。生活を最大の利害としている一般国民の、それゆえに抱えることになる消費税増税への忌避感を巧みに和らげることに成功した。

 "選挙の勝利こそが全て"が執念と化した状況を手に入れるために増税の時期を巧みに操作する消費税の政治利用を敢行した。

 2014年12月14日の衆議院選挙から任期を1ヶ月半余を残して解散し、打って出た2017年10月22日の衆議院選挙に備えて10%への増税が2年も先の2019年10月からだと言うのに消費税をちゃっかりと選挙に利用している。

 2017年9月25日記者会見。

 安倍晋三「再来年10月に予定される消費税率10%への引上げによる財源を活用しなければならないと、私は判断いたしました。2%の引上げにより5兆円強の税収となります。現在の予定では、この税収の5分の1だけを社会保障の充実に使い、残りの5分の4である4兆円余りは借金の返済に使うこととなっています。この考え方は、消費税を5%から10%へと引き上げる際の前提であり、国民の皆様にお約束していたことであります。

 この消費税の使い道を私は思い切って変えたい。子育て世代への投資と社会保障の安定化とにバランスよく充当し、あわせて財政再建も確実に実現する。そうした道を追求してまいります。増税分を借金の返済ばかりでなく、少子化対策などの歳出により多く回すことで、3年前の8%に引き上げたときのような景気への悪影響も軽減できます」

 そして、「(9月)28日に、衆議院を解散いたします」と解散を宣言。そして2017年10月22日投票の結果、自民党は解散前284議席に対して獲得284議席の±0、枝野立憲新党は新党への期待値からか、解散前15議席に対して獲得55議席の+40議席。民主党後継の前原民進党が合流した新党小池百合子希望の党が解散前57議席に対して獲得50議席の-7議席。

 有権者の選挙への関心を呼び起こすために2年も先の消費税10%増税を持ち出して、その税収は社会保障の充実と借金の返済に当てるべきところを少子化対策を含めた子育て世代への投資にまで広げるといい事尽くめのバラマキで自民党への投票を誘導しようとしたのだろうが、如何せん、2年も先の増税を争点化したのだから、生活が最大の利害と言えども切実感は湧かず、しかも選挙のたびに同じ手を繰り返されたのでは新鮮味を失う。

 だが、議席の獲得がどうであったとしても、消費税増税を選挙での票の獲得に利用したという点では、選挙に勝つためには何でも利用する、"選挙の勝利こそが全て"とする執念を示していることに変わりはない。

 安倍晋三は毎年4月に神宮外苑で行われる首相主催の「桜を見る会」でも、本人が主催の際には参加者の募集で票と結びつけていた疑いが出て、国会で追及を受けている。勿論、本人は否定している。2019年12月2日参議院本会議での共産党参議院議員田村智子の代表質問に対して次のように答弁している。文飾は当方。

 安倍晋三「『桜を見る会』への私の事務所からの推薦についてお尋ねがありました。私の事務所に於いては内閣官房からの依頼に基づき後援会の関係者を含め地域で活躍されてるなど、『桜を見る会』への参加にふさわしいと思われる方を始め、幅広く参加希望者を募り、推薦を行っていたところであります。その過程に於いて私自身も事務所からの相談を受ければ、推薦者についての意見を言うこともありましたが、事務所を通じた推薦以外は行なっておりません。

 他方、繰り返しになりますが、『桜を見る会』の招待者については提出された推薦者につき最終的に内閣官房及び内閣府に於いて取り纏めを行っているところであり、私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」――

 最終的な参加者決定は内閣官房及び内閣府が行っていて、我々が関知しないことであり、選考から漏れる場合があるとしている。事実かどうか見ていく。

 内閣官房・内閣府による《「桜を見る会」開催要領》によると、招待範囲は皇族、元皇族から始まって各国大公使等、衆参両議長、副議長、最高裁長官、国会議員、省庁事務次官や局長、都道府県知事、都道府県議会議長等であり、それ以外の一般人ということか、「その他の各界代表等」となっている。招待人数は「計 約1万人」。〉

 ところが、「桜を見る会」(Wikipedia)を見ると、小泉政権で1万人を割っていた招待客が最後の2006年に1万1000人となり、福田内閣が1万人、麻生太郎が1万1000人、鳩山由紀夫が1万人。安倍晋三の第2次が始まって最初の年が1万2000人、年々増えていって、参議院の選挙があった2019年4月の出席者数は約1万8200人、募集人数の約2倍近くまで膨れ上がっている。
 
 要するに内閣官房・内閣府による招待可否の選別は見えてこない。因みに予算額は第二次安倍政権最初の2013年は1718万円だったのが翌年から1766万6000円と増え、最後の2019年は1766万円で、6千円の減額となっているが、支出額は毎年2倍近く、あるいは2倍以上となり、最後の7月に参議院選挙のあった2019年4月は予算額1766万円に対して3倍以上の5518万7000円にまで膨れ上がっていて、この理由を内閣府大臣官房長は国会答弁で、「テロ対策の強化や混雑緩和のための措置」としているが、テロ対策と混雑緩和措置は別々に行う課題ではなく、混雑緩和がテロ対策に役立つ関係から同時並行で行う作業で、しかもテロの脅威が差し迫っている状況なら、飛び抜けた予算が必要な場合も考えられ、予算額の倍以上、あるいは3倍以上となる可能性も生じるが、差し迫っているわけでもない以上、予算額の1.5倍程度なら理解できるが、常識的に言って、2倍以上、3倍以上は考えられないことで、支出額の面からも予算額の範囲内に収める"招待客絞り"は見えてこない。

 安倍後援会事務所も「平成31年4月13日(土)」の日付けで〈内閣府主催「桜を見る会」参加申し込み〉の用紙を後援会員向けに配っている。以下、書き込み欄以外の全文をテキストにして抜き出してみた。

 FAX:083-(ぼかし)あべ事務所行

 内閣府主催「桜を見る会」参加申し込み
   平成31年4月13日(土)

 《記入についてのお願い》
※ご夫妻で参加の場合は、配偶者欄もご記入ください。
※後日郵送で内閣府より招待状が届きますので、必ず、現住所をご記入ください。
※参加される方が、ご家族(同居を含む)、知人、友人の場合は別途用紙でお申し込みください。 (コビーしてご利用ください)
※紹介者欄は必ずご記入ください、(本人の場合は「本人」とご記入下さい)
※前日の「夕食会」「観光」「飛行機」等につきましては、後日、改めて参加者の方にアンケートさせていただきます。

 そして氏名(参加者、配偶者)や性別、生年月日、現住所、連絡先(自宅、携帯)等を書き込む欄となっている。

 最初に断っておくが、政治家の後援会員を「桜を見る会」の招待客の対象とすること自体が間違っている。その後援会員が「各界代表等」の該当者であったとしても、後援会員としては一政治家を選挙で当選させる利益のために活動しているのであって、それが国のためになると考えていたとしても、各界代表等」の活動とは別物である。「桜を見る会」の招待客としてふさわしいかどうかは本人が職業として、あるいはボランテティアとして専門に活動し、所属している団体、あるいは所属している地域の公共団体の総意を受けた推薦に負わなければならないはずである。当然、後援会の代表者である政治家には自身が受けている利益の見返りとなる政治利用に当たることになって、推薦する資格はないことになる。

 だが、安倍晋三はこの道理を無視して、既に上に挙げているが、自身の後援会を通して自らも招待を行っているばかりか、内閣官房・内閣府の「桜を見る会開催要領」の「その他の各界代表等」に当てはめ、それを口実に安倍後援会を通した招待を正当化している。

 2019年11月8日の参議院予算委員会での共産党田村智子に対する答弁。「『桜を見る会』についてはですね、各界に於いて功績・功労のあった方々をですね、各省庁からの意見等を踏まえ、幅広く招待をしております。招待者については内閣官房及び内閣府に於いて最終的に取り纏めをしているものと承知をしております」

 「各界に於いて功績・功労のあった方々」であったとしても、安倍晋三後援会事務所を通して推薦した場合、安倍晋三の選挙のために活動している利害関係者に当たることから、その見返りの招待ということになって、政治の私物化、あるいは職権乱用以外の何ものでもない。

 要するに安倍晋三が「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」と国会答弁していることに反して、推薦=招待となっていることと、このことが政治利用のシステムとしていた。

 第一番に安倍後援会事務所の「参加申し込み」案内状のどの文面を見ても、招待されないケースがあり得ることの断りを入れた、あるいは断りを窺わせる文言は見当たらない。

 逆に参加申し込みがそのまま招待を意味することを暗黙の了解とした文章の作りとなっている。最初の、〈※ご夫妻で参加の場合は、配偶者欄もご記入ください。〉は、招待の案内はするが、招待決定は安倍事務所から離れて内閣官房・内閣府に委ねられ、招待の選から漏れるケースがあるとの断りがないままで選から漏れた場合は夫妻同伴で招待を画策した意味を失い、相手に対して不愉快な感情を与えるばかりか、後援会から離れるキッカケや選挙活動に不熱心となるキッカケを与える場合も考えられることで、自らの無責任が作り出した不利益を回避するためにはお知らせ=招待となっていなければ、整合性は取れない。

 〈※後日郵送で内閣府より招待状が届きますので、必ず、現住所をご記入ください。〉にしても、"参加申込=招待状郵送"を意図した文言であって、安倍晋三が、"あべ事務所が申し込んでも必ずしも招待されるわけではない"と国会答弁したこととは齟齬する文言となる。

 〈※参加される方が、ご家族(同居を含む)、知人、友人の場合は別途用紙でお申し込みください。 (コビーしてご利用ください)〉も、"参加申込=招待状郵送"を絶対前提とした案内そのものとなる。篩に掛けるが事実なら、本人だけが招待される、あるいは本人以外が招待される可能性も考慮することになって、このような文面の「参加申し込み」はできないことになるからだ。

 こういった無規律な参加者募集が2019年4月の「桜を見る会」では内閣官房・内閣府が招待客を約1万人としながら、2倍近い1万8千人も出席させることになったとしなければ、常識的な納得は得ることはできない。もし内閣官房・内閣府が篩にかけていたなら、自分たちが前以って想定していた1万人前後の範囲内に収めていたはずである。総理大臣主催なのだから、総理大臣側の圧力、あるいは横槍がなければ、1万人を遥かに超えた、1万8千人分もの招待状を発行することはないし、支出額が予算額の3倍以上も超過することもなく、淡々と事務処理して招待人数も支出額も予定内に収めていたはずだ。

 要するに安倍晋三の、「私の事務所が申し込めば、必ず招待状が届くものではありません」は虚偽答弁そのものだと断定できる。

 安倍後援会事務所への功労の見返りに「桜を見る会」に招待し、それぞれの自尊心を満足させ、自らは選挙での票の見返りを期待する政治利用を行った。  

 このことは参議院自由民主党事務局総務部が2019年7月の参議院選挙の改選議員に向けて平成31年1月31日の日付けで発信した、《「桜を見る会」のお知らせ》が何よりの証拠となる。文飾は案内状通り。

 〈一般の方(友人、知人、後援会等)を、4組までご招待いただけます。〉――

 直接的な当人以外であっても、申込みさえすれば、招待状が郵送されることを保証しているからこそ、下線を付け、文字を太くしてまで強調できる。その逆はあり得ない。しかも内閣官房・内閣府の《「桜を見る会」開催要領》が「その他の各界代表等」としている制限には何ら触れない、それを無視した「一般の方」までも対象者に含めた招待内容となっている。この無差別性が自民党改選議員を対象とした選挙利用の「お知らせ」であることを明らかに物語ることになる。約1万人が約1万8千人にまで膨れ上がったのは当然である。

 安倍事務所や参議院自由民主党だけではなく、自民党幹部の萩生田光一以下、それぞれの議員の後援会員を無差別に招待している点からして(後援会員の中にはどの点が「各界代表」と言えるのか不明の、選挙のウグイス嬢まで招待している点が招待の無差別性を如実に物語っている)、安倍内閣ぐるみの選挙利用と指摘できる。

 総理大臣主催の公の行事である「桜を見る会」の参加者招待を選挙利用の対象とする。安倍晋三の"選挙の勝利こそが全て"の執念が向かわせた選挙利用、権力の私物化と見るほかない。その根性の程度を知ることになる。

 結果、2012年12月の衆議院選挙を皮切りに衆議院選挙3回、参議院選挙3回、計6回の選挙を6戦全勝とすることができた。野党は安倍晋三の消費税増税延期を巧みに操った選挙利用、安倍晋三が中心的役割を果たした旧統一教会と多くの自民党議員を介した選挙利用、「桜を見る会」の参加者招待を対象とした選挙利用、政治資金パーティのノルマ超の売上を現金還付して収支報告書不記載とした以上、選挙資金として自由に使える裏ガネに資金洗浄したことになる選挙利用を国会追及したものの、不発のまま終わらせ、最終的に7年8ヶ月という長期政権を許した。

 結果、有権者の側は多くが疑いの目を持ったとしても、内心の怒りを中途半端な状態で抑えつけられ、怒り未満のその欲求不満が今回の選挙での反自民の票の程度となって現れることになり、一発で政権交代を決める場所にまで到達することができなかった。

 世論調査を見ると、現在でも政治とカネの問題について「けじめがついていない」と見る世論は高く、裏ガネ収支報告書不記載問題の真相解明の国会追及だけではなく、旧統一教会の問題も、現在、解散命令請求を東京地裁に出している関係から、裁判の行方次第では再び世間を賑わすことになり、安倍晋三を中心人物とした自民党内での旧統一教会との関係、その政治利用に関わる真相解明を求める声が再度高まり、その高まりに応えた野党の国会追及が成果を上げることができたなら、怒り未満の欲求不満は怒りそのものへと解放され、自民党への懲罰の形を取り、来夏の参議院選挙で野党の票へと向かう、そういった空気を作り出すことができたなら、ねじれ国会も夢ではなく、ねじれ国会を出発点として、野党連合という形であっても、政権交代も視野に入ってくる。
 
 要するに政権交代の怒りを作り出すには自民党という政党の在り方に対する国会追及を貫徹・成功させることが絶対条件となる。
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蓮舫を叩く:女だからではない、参院政倫審世耕追及の「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス

2024-10-21 02:10:31 | 政治
 蓮舫の自分に目を向ける自己正当化バイアスが過ぎて、参院政倫審での世耕弘成のウソつきな性格に気づかず

  Kindle出版電子書籍「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

 蓮舫の自己正当化バイアスが顕著に現れた最近の例を挙げてみる。安倍派と二階派の政治資金裏ガネ事件に関する政治倫理審査会が2024年2月29日以降、衆議院と参議院で開催されたが、裏ガネを受けていた自民党参議院幹事長の世耕弘成に対する参議院政治倫理審査会が3月14日に開催され、追及に立った蓮舫は時間切れを迎えると、次のような発言で締め括った。

 蓮舫「何の弁明に来られたのか、結局分からない。政倫審に限界を感じました。終わります」

 要するに政治倫理審査会という制度の不備を訴えた。世耕弘成自身が誠実に対応しないのは制度そのものに限界があるからで、満足な追及ができなかったという解釈となる。決して自身の追及技術の巧拙を省みることはしない。

 「政倫審に限界を感じた」が事実そのとおりなのか、蓮舫自身の追及技術の巧拙が何ら関係しなかったのかを見ていく。もし後者が関係した追及不足なら、この点でも自分は常に正しいとする自己正当化バイアスの影響を見ないわけにはいかなくなる。

 先ず2024年3月1日の衆院政倫審で安倍派の裏ガネ問題では安倍派幹部の西村康稔がトップバッターとして立った。判明したことは安倍晋三と塩谷立、西村康稔、下村博文、世耕弘成の安倍派幹部4人に加えて安倍派事務局長で会計責任者の松本淳一郎と2022年4月に、そして2022年7月銃撃死の安倍晋三を除いた上記安倍派幹部4人と会計責任者の松本淳一郎の5人が2022年8月に会合を持ったという事実である。

 当方はこの事実を安倍晋三が現金還付・政治資金収支報告書不記載のシステムの開発を主導した張本人で、両会合共に安倍晋三を責任外に置くためのデッチ上げの虚偽事実ではないかと疑っているが、西村康稔自身は自民党武藤容治の質問に答えて、4月の会合の際、安倍晋三から、「現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめる」といった方針を示され、全員でその方針を了承したといった答弁を行っている。

 4月8月の会合が事実存在したか、存在しなかったかは別にして、西村康稔が「不透明」と証言した以上、その場に居合わせた幹部4人がその「不透明」をどうように意味解釈したのか、あるいはどういった心証を持ったのか、中止の影響をどう考えたのか等に追及の重点を置かなければならなかった。

 2023年11月以降から既にマスコミによって安倍派、その他の政治資金パーティのノルマ超過分現金還付・政治資金収支報告書不記載が報道され、主だった議員の政治資金収支報告書が調査・報道されて、彼らはこの政治的不正を相次いで認めることになり、いわば政倫審に出席した自民党幹部議員は俎の鯉同然であり、彼らを生かすも殺すも追求する野党側のどう料理するのか、その手捌き次第だった。

 裏金議員が最も多かった安倍派の場合、この悪臭ふんぷんたる慣習が1970年代に福田赳夫を発祥としながら、それ以前の岸信介の岸派、鳩山一郎の鳩山派の流れを汲む清和政策研究会が連綿と受け継いできた制度としてあったものなのか、安倍晋三か、それ以前の直近の派閥領袖が新たに開発した錬金術で、そこからの引き継ぎなのか、証明されてはいないが、もし安倍晋三が開発した制度でなかったとしたら、幹部共々口裏合わせして、現金還付はいつ頃からなのか明確には把握していないが、かなり以前からしていたことで、収支報告書不記載の事実は秘書任せで知らなかったことだと言えば、安倍晋三は単に派閥としてその制度を慣習上、受け継いだだけのこととなり、本人の悪質性はかなり減免される。

 にも関わらず、死人に口なしの安倍晋三が安倍派の会計責任者同伴で安倍派幹部4人と会合を持ち、現金還付中止を指示し、その理由に「現金は不透明で疑念を生じかねない」を挙げたと安倍派幹部の一人西村康稔が政倫審で証言した。

 「現金は不透明」から容易に推察される収支報告書不記載、あるいは虚偽記載への付け替えが浮上する危険性を犯してまで、現金還付を"不透明な領域"へと持っていった。安倍晋三が現金還付を中止指示した理由に正当性を纏わせた場合、なぜ中止する必要性があったのかと矛盾が生じるため、安倍晋三関与無罪説を打ち立てるためには「現金は不透明で疑念を生じかねない」と不当行為の性格付けをギリギリ纏わせなければならなかったからだとしか考えようがない。

 ところが、政倫審での追及側の野党の誰もが安倍晋三が中止理由とした「現金は不透明」から還付した現金の処理方法を推察することはなかった。「不記載を知っていたのではないのか」、「知らなかったのでは済まない」といった類いの追及しかできなかった。

 当然、2022年4月の会合が事実存在した会合で、安倍晋三が現金還付中止の理由として、「現金は不透明で疑念を生じかねない」を実際に口に出していたなら、その時点で安倍派幹部4人は「不透明」という言葉から収支報告書不記載か虚偽記載を前々から承知していたか、承知していなければ、少なくともその処理方法を「不透明」のレベルで推察できたはずで(でなかったなら、不透明→中止→了承へと進む幹部たちの納得を背景とした段階を経ることはできない)、質問に立った与野党の議員は肝心要のこの点を誰一人追及せず、一旦中止と決めた現金還付を自前資金の少ない若手議員からその継続を訴えられて協議することになったとしている、銃撃死を受けた安倍晋三を除いて同じ幹部が集まった8月の会合で誰が再開を決めたのかに追及を集中させた。

 追及の結果、経緯についての説明を少しづつ違わせて答弁を示し合わせていたのだろう、結論を出すに至らなかったから、誰が決めたわけでもない、再開されていたことは承知していなかったと全員がほぼ同じ答弁を繰り返し、全員が還付された現金が政治資金収支報告書に不記載だった事実は2023年11月からのマスコミ報道で知った、収支報告書の扱いは秘書に任せていたを報告書不記載と現金還付継続に関わる無罪の状況証拠とした。

 だが、このような説明だと、西村康稔を筆頭に安倍派幹部は安倍晋三が指示したとしている現金還付中止の「不透明」とした理由を、なぜ不透明なのかを想像することもなく、尋ねることもせず、知らないままに了承したという奇妙な矛盾を成り立たせることになるが、野党の質問者はこの矛盾に誰一人気づかずに遣り過すことになった。蓮舫とて同じ一人となる。

 要するに追及不足は偏に野党側の追及技術の不足にあるのであって(自民党追及議員は本気で追及する気はなかったろう)、蓮舫が自身の追及不足を棚に上げて、政倫審という制度そのものに欠陥があるかのよう発言をしたのは責任転嫁そのもので、やはり自己正当化バイアスが先に立つことになったからとしか言いようがない。

 では、2024年3月14日の参議院政治倫理審査会での自民党参議院幹事長世耕弘成に対して行った蓮舫の追及不足を具体的に取り上げ、最終的に自らの追及不足を省みることなく政倫審という制度そのものを批判する自己正当化バイアスに陥ることになった経緯を見ていくことにする。

 改めて断るまでもなく、西村康稔が証言した2022年4月の会合で安倍晋三が中止理由とした現金還付の「不透明」という性格付けは政治資金の扱いとしては収支報告書不記載か虚偽記載しかないはずだが、世耕弘成はその場にいた一人としてそのことを承知していたのか、承知していなかったが、おおよその見当は付けていたのか、あるいは承知してもいなかった、見当を付けることもしなかったなら、「不透明とはどういうことですか」と安倍晋三に聞くぐらいはするのが自然な成り行きだが、そういったことを含めて追及すべきだったが、4月の会合についても8月の会合についてもほかの野党議員とほぼ同じ質問をし、世耕弘成からは政倫審の場に立たされた他の幹部とほぼ同じ答弁を引き出しただけで終えている。

 要するに他の質問者と同じく、ただ雁首を揃えただけで終わったということであって、政倫審という制度が問題でも何でもなく、偏に追及技術が稚拙だっだに過ぎない。

 特に問題は蓮舫が世耕弘成に15分の与えられた弁明の時間に一人舞台となることをいいことに好き勝手を言わせたままにしたことである。蓮舫の追及のアンテナはこの程度に鈍い。

 「私自身は、派閥で不記載が行われていることを一切知らなかったが、今回の事態が明らかになるまで、事務的に続けられてきた誤った慣習を早期に発見・是正出来なかったことは幹部であった一人として責任を痛感しています」

 「今回の事態が明らかになるまで」とは2023年11月からマスコミが不記載を伝えるようになったことを指し、当然、報道以前は知らなかったこととしている以上、知らなかったことを「早期に発見・是正」は思い立つことさえできようはずもないことで、「出来なかったことは」と出来たならしていたかのようなニュアンスの物言いをするマヤカシは悪臭を放つのみである。

 「もっと早く問題意識を持って、還付金についてチェックをし、派閥の支出どころか、収入としても記載されていないこと、議員側の資金管理団体で収入に計上されていないことを気づいていれば、歴代会長に是正を進言できたはずだとの思いであります」

 現金還付も知らなかった、政治資金収支報告書不記載も知らなかったとしている以上、「問題意識」を持つことも、還付金をチェックすることも、思い立つことはできないはずのことを「気づいていれば」と仮定の話を持ち出して、「歴代会長に是正を進言できたはずだ」と自身を正しい側の人間に置こうとする。これだけで世耕弘成は心象的には何もかも承知していて、派閥と共謀して裏ガネづくりに励んでいたと十分に疑うことができる。

 「私が積極的に還付金問題について調査をし、事務局の誤った処理の是正を進言しておれば、こんなことにはならなかったのにと痛恨の思いであります」

 妻の不倫を知らないでいる夫が妻に不倫を諌めることなど思い立つはずもないことと同じで、知らなかった事実としていることについて調査を思い立つことなど誰もできないことで、このような言い回しをすること自体が知っていた事実を隠す巧妙なレトリックと疑うことができる。それを「処理の是正を進言しておれば」とさもすることができたかのように言う。典型的なウソつき特有の言い回しとなっている。

 蓮舫はこの"ウソ"を追及することなく、質疑の最初に放った質問は、「先ず2022年4月、幹部会議、安倍さんに呼ばれて、現金キックバックをやめる方針となった、これ、場所はどこでしょうか」であった。「現金キックバックをやめる方針となった」ことを既成事実としてのみ受け止めただけで、安倍晋三から現金還付中止の指示を受けた際の世耕がどのような心証を持ったのか、どのように意味解釈したのか、何ら問い質すことはしなかった。

 世耕弘成「これは日程等を確認して捜査当局にもご説明しておりますが、安倍晋三当時会長の議員会館のお部屋であったというふうに記憶しております」

 場所が問題ではない。西村康稔が最初に証言している、安倍晋三が現金還付中止の理由として「不透明」という性格を挙げた、事実あったこととしているその性格付けに対して同席した一人としてどう解釈し、どう認識したのか、どう受け止めたのか、止むを得ないと思ったのか等々を矢継ぎ早に問い質して、現金還付と不記載を知り得ていたことなのか、ほかの安倍派幹部が証言しているとおりに2023年11月のマスコミ報道によって初めて知り得たことなのかを炙り出すことであった。
 
 以下、蓮舫「4月の会合で誰か手控えのメモを取っていたか」→世耕「メモを取っていない。他の人が取ったメモというものを見たことがない」→蓮舫「現金還付について話し合ったのは4月のその1回か」→世耕「1回だけだ」

 世耕が手控えの「メモを取っていない」と答えたなら、安倍晋三から「現金は不透明で疑念を生じかねない」という言葉を聞いた際、仕方がないことだと納得できたのか、「不透明」とか、「疑念」とか、どういう仕組みのことを言っているのだろうかと不審に思ったのか、前者なら、現金還付、収支報告書不記載か、虚偽記載を承知していたことになり、後者なら、どのような仕組みを指してそのように言っているのか、聞き返すのが自然な態度だから、聞き返したのか、様々に追及して、還付した現金の取り扱い――処理方法を炙り出すべきだったが、何の工夫もなく遣り過してしまった。

 西村康稔の衆議院政倫審での証言が2024年3月1日。蓮舫の参議院政倫が3月14日。12日間も時間がありながら、これといった駆引きを思いつくこともなかった。

 繰り返しになるが、安倍晋三が現金還付の中止を指示したことが事実あったことと前提づけるなら、中止の理由として挙げた現金還付そのものの性格付けが何を意味しているのか、中止が与える影響をどう考えたのか、中止を当然と思ったのか、止むを得ないと思ったのか、あるいはどういうことなのだろうと思ったのか、様々に追及すべきを、追及しないから、相手の証言を証言どおりに通用させることになる。蓮舫は頭の回転よろしく強い口調で早口にまくしたてるから、一見、厳しく追及しているようにも見えるが、その実、中身のない追及を続けていただけのことで、結果、そのまま時間切れとなり、自分では一矢を報いる積りでいたのかもしれないが、自身の追及技術が不足していただけのことで、捨て台詞にしか聞こえなかった蓮舫の最後の発言を再度取り上げる。
 
 蓮舫「何の弁明に来られたのか、結局分からない。政倫審に限界を感じました。終わります」

 自らの追及に何か問題点はなかったか、自省するほんのちょっとした間も与えずに自らの追及を最初から正しい場所に置いて、政倫審という制度そのものに欠陥があるかのようなお門違いを曝す。

 当然、自身の追及に限界を感じることはない。こういった繰り返しで権力追及を行ってきたのだろう、結果、権力の私物化を恣にした安倍晋三を総理大臣として7年8ヶ月も生き永らえさせることに大きな力を与えた主たる1人となった。

 このようなお門違いが即座にできるのはまさに常に自分の考えは正しいとする自己正当化バイアスを凝り固まった性格としていなければできないことで、必然的に論理的思考力欠如、自己省察力欠如を背中合わせとしていることになる。

 いわば論理的思考力と自己省察力を欠如させているからこそ、自己正当化バイアスに陥ることになる。

 蓮舫は岡田克也をユニークさのない人物と酷評し、自分にはユニークさがあるとしたが、彼女のユニークさは自己正当化バイアスが突出している点にある。自身を岡田克也の対極に置いたものの、都議選敗北、そして代表辞任へと追い詰められながら、奇麗事を並べた辞任会見は"政治は結果責任"の自覚のなさを現していて、そのこと自体が自己正当化バイアスそのものをイコールさせているのだが、その自覚が少しでもあったなら、その心理的歪みをここまで引きずることはなかったはずだ。

 以上、蓮舫の自己正当化バイアスの典型的な現れを見た上で、今回の都知事選に関連して見せることになる蓮舫の同様の認識の偏りを次回は見ていくことにする。

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蓮舫を叩く:女だからではない、民進党代表時代前後の「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス

2024-10-13 05:51:13 | 政治
 蓮舫の民進党代表選2016年8月23日記者会見発言「岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います」から見るハンパない自己正当化バイアス

  「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

1.イジメを含めた全活動が"可能性追求"だと自覚させる「可能性教育」
2.「厭なことやめて欲しい」で始まるロールプレイ
3. 居場所づくりと主体性教育目的の一教科専門コース導入の中学校改革
4.主体性教育目的の図書館の蔵書を参考書とする1日1時限の「自習時間」の導入
学校は一定のルールを決めて学校内でのプロレスごっこを認める)

 以下、6回に亘って蓮舫が心理的傾向としている「自己正当化バイアス」を指摘する記事を連載する。但し題名の変更もありうる。途中、別の記事を挟む場合もある。 

2:《蓮舫を叩く:女だからではない、参院政倫審世耕追及の「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス》
3:《蓮舫を叩く:女だからではない、都知事選立候補会見等の「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス》 
4:《蓮舫を叩く:女だからではない、都知事選後の動画配信「常に自分の考えは正しい」の自己正当化バイアス1》
5:《蓮舫を叩く:女だからではない、自分だけが打たれ強いとする、自己正当化バイアスな動画配信2》
6:《蓮舫を叩く:女だからではない、SNSの誹謗中傷を病んでいると言うだけの自己正当化バイアスな動画配信3》 

 いくつかの事例を挙げて、当方なりの蓮舫評価の総決算を試みることにした。勿論、当方というごく個人的な見解だから、公平性を備えているかどうかは第三者の解釈次第となるが、いわゆる誹謗中傷の類いとなる安易な"蓮舫叩き"とはならないように心がけるつもりでいる。

 この総決算を試みたいと思い立ったのは都知事選敗選後に元宮崎県知事でタレントの東国原英夫が蓮舫についてテレビ番組で「蓮ちゃん、生理的に嫌いな人が多いと思う」と批評したことに対して蓮舫が「携帯も知らなければ、ご飯も食べたことない人が『ちゃん』づけだよ」と反発したことをネット記事で知り、「生理的に嫌いな人」を多いとしている点の正当性に反発の焦点を当てずに「ちゃん」づけに当てた、その相変わらずの非合理性からだった。

 「自己正当化バイアス」とは、〈自分の考えは常に正しいと信じ込もうとする人間心理の歪み。〉だとネットで紹介している。要するに自己中心の考えが際立っているということであろう。

 誰もが多少なりとも取り憑かれている歪みではあるだろうが、この心理の歪みは物事を相対的に、あるいは合理的に捉える力=論理的思考力の欠如、あるいは素直に反省する自己省察力の欠如から生じているはずだ。蓮舫が抱える自己正当化バイアスはその非合理性や非自己省察性に依拠していて、それがハンパない状態にある。このことをおいおい証拠立てていく。

 蓮舫が小池百合子と対決したのは今回の2024年7月7日投開票の都知事選のみではない。民主党後継の民進党代表だった岡田克也が2016年7月10日の参議院選挙で開戦前議席62議席から13議席減らして49議席となったものの引責辞任せず、2016年7月30日に2ヶ月後に控えた党代表選への不出馬を表明、2016年9月15日執行の民進党代表選に立候補した蓮舫が対立候補の前原誠司や玉木雄一郎を大差で破り、民進党代表に就くことになった。各マスコミの世論調査では蓮舫に「期待する」が軒並み50%を超えていた。

 民進党代表として9ヶ月後に迎えた2017年7月2日の東京都議選では前年の2016年に就任した小池百合子東京都知事の与党都民ファーストの会が選挙前6議席から55議席へと大躍進、民進党は蓮舫が東京都を参議院選挙区としながら7議席から5議席に減らして、同じ女性対決でありながら、蓮舫効果をプラスに向けることができず、その敗北の責任を取って幹事長の野田佳彦が辞任、求心力の低下を招いて新体制に向けた人事に行き詰まり、2017年9月1日に1年足らずで辞任することとなった。

 これが蓮舫と小池百合子との最初の対決である。

 話を戻すと、岡田克也の不出馬表明後の2016年8月23日に代表戦に名乗りを挙げていた、当時代表代行だった蓮舫が日本外国特派員協会で記者会見し、代表の岡田克也を評して次のように発言している。

 蓮舫「あとは民進党のイメージを思いっきり、私が代表にさせていただくことで変えたいと思います。ここが大事なので、是非編集しないで頂きたいんですが、私は岡田克也代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて本当につまらない男だと思います。人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います。是非、皆さんのご支援頂ければ、このあと是非、質疑応答で議論させてください。ありがとうございました」

 要するに岡田克也の党代表としての政治行動全般に亘って見るべき価値がなかったと、その役柄を否定している。決して政治という場を離れた一個人に対する評価ではない。民進党のイメージを高めたわけでもなく、対与党政策論争、あるいは自らの政策展望等の党運営に関して非常に平凡で、見るべき独自性がなかった。だが、私が代表になったら、民進党のイメージを大きく変えることができ、全てに他にはない独自性(=ユニークさ)を発揮すると強気の発言を見せたのである。

 当然、蓮舫も政治家の端くれ、"政治は結果責任"をしっかりと頭に置き、道理としていただろうから、党運営に相当に確固たる自信を持っていたはずである。

 但し岡田克也が民進党代表時、蓮舫はナンバー2の代表代行を務めていて、政治がチームワークである以上、トップがチームを満足に統率できず、見るべき党運営ができなかった責任を第一に負うものの、他の成員それぞれが"結果責任"を連帯して負わなければならないはずだが、蓮舫は「本当につまらない男だ」と岡田克也一人の責任に帰した。

 蓮舫はこの矛盾に何も気づいていなかったことになる。つまり公平な判断が満足に働かず、自分だけを正しい場所に置く自己中心(自己正当化バイアス)に陥っていた。

 蓮舫の記者会見での発言が問題視されると蓮舫は自身のツイッターで、「岡田代表への敬意を表しました。その上で、ユーモアのない真面目さを現場で伝えたかったのです」と釈明している。

 岡田克也は辞任前のまだ代表であり、蓮舫は代表代行、いわば立場の上の人間を掴まえて、「本当につまらない男」と言ったのは仕事上の能力に対する否定的評価として使った言葉ではなく、敬意を表した言葉であって、意図としては「ユーモアのない真面目さ」を指摘したと真意を説明した。

 だが、どこの世界に「本当につまらない男」と言われて、俺は敬意を示されたのだと受け止める人間がいると言うのだろうか。いるはずはないのだから、「本当につまらない男」との評価を敬意表明の言葉とするには道理を無視し、自分の都合のよいように釈明する無理矢理なこじつけ、牽強付会なくして成り立たせることはできない。蓮舫にはそれが自然にできた。

 勿論、牽強付会を行うについては小賢しさや狡さといった性格的要素を欠かすことはできない。小賢しさ、あるいは狡さゆえに間違ったことを言っても、素直に認めることができずに無理矢理にこじつけて、間違いを隠して正しいことに持っていってしまう。素直な感覚の持ち主なら、「失言でした。小賢しさ、あるいは自分を正しくみせる狡さが先に立ってしまいました」と素直に謝って修正するだろうが、そんな気配は見せることはなかった。

 政権与党自民党の閣僚が自身の不祥事やスキャンダルで国会追及されても、あれやこれやと言葉を使い分けて自身を正当化して逃げるのと殆ど変わらない。蓮舫はそのことに気づいていない。

 自身の言葉は自らの性根の現れでもあるから、言葉の正当化は自らの性根の正当化をも意味することになる。常識や妥当性を無視した言葉の正当化はその無視をそのまま背負った性根の正当化に反映されるというメカニズムを取ることになって、否応もなしに小賢しさや狡さを性根として付き纏わせることになる。

 但し周囲からその小賢しさや狡さを指摘されたとしても、常識や妥当性を無視した言葉の正当化という態度自体が自己正当化バイアスの現れであるから、その心理が強過ぎると、その指摘をも悪意に取り、気持ちを安定させるために自身の正当化に一層努めることになるか、周囲から自分に味方してくれる人間を探し出して、味方の言葉を利用して自己正当化の補強を図るなどして、ますます自分は正しいんだという思いを強くすることで自己正当化バイアスの殻に閉じこもることになる。

 蓮舫がそうであるかどうかを見ていくことにする。都議選敗北から約1ヶ月近く後の2017年7月27日に辞任記者を開くことになった。「産経ニュース」記事からその「発言」を見てみる。

 辞任を臨時の執行役員会で了承されたことを伝えてから、辞任の理由を述べている。

 蓮舫「どうすれば遠心力を求心力に変えることができるのか。力強く、私たちがしっかりと皆さんに託していただける民進党であれと国民の皆様方に思っていただけるのか。そのとき、やっぱり考えたのは、人事ではなくて、私自身をもう一度見つめ直さなければいけないと思いました」

 なぜこうも抽象的で巧みな発言ができるのだろうか。民進党代表任期3年を当初50%もあった期待を裏切ることになり、約1年で退くことになった、代表としての力不足への謝罪を最初に直接的に持ってくるのではなく、巧みな言い回しでその力不足を直接的にはぼかす細工を施している。

 この"ぼかし"は日本外国特派員協会の記者会見で見せた、「民進党のイメージを思いっきり変えたい」、「人間はユニークが大事です。私にはそれがあると思います」の言葉の発信に付き纏わせなければならない"政治は結果責任"を痛切に自覚していないからこそできる"ぼかし"であって、結果としてウソとなる大口を叩いたことになるが、このことの自覚も共々にないことになる。

 僅かでも自覚があれば、最低限、"政治は結果責任"の文脈を用いて、「1年しか持たなかったのは恥ずかしいです」と自分から正直に謝罪し、ぼかすことのない言葉の使い方で自分の責任を語るはずである。記者からの質問で責任を話ざるを得なくなって話すのでは自覚不足は変わらず、このような無自覚は自分のどこかで自分は正しいとする自己正当化バイアスの働きなくして発生させることはできない。

 蓮舫「(行政監視という攻めの部分に関しての成果を請け合った上で)ただ一方で、攻めと受け。この受けの部分に私は力を十分に出せませんでした。率直に認め、今回私が手を着けるのは人事ではない。いったん引いて、より強い『受け』になる民進党を新たな執行部に率いてもらう。これが最善の策だ。民進党のためでもない。私のためでもない。国家の民主主義のために、国民の選択肢の先である二大政党制の民進党として、それをつくり直すことが国民のためになるという判断だと、是非ご理解をいただきたいと思います」――

 言ってることが最初から破綻している。第一歩として辞任は民進党のためであるとしなければならない。民進党が勢力を拡大しなければ、次の光景、民進党が目指す「国家の民主主義」も、民進党主体の「二大政党制」も実現し得ない。如何に論理的思考力を欠いているか、合理的思考力を欠いているか、自ら証明している。

 新しい執行部へのバトンタッチを「民進党のイメージを思いっきり変えたい」と言ってできなかった程度のリーダーシップに反して「民進党のためでもない。私のためでもない。国家の民主主義のために」云々と美しい言葉で仕立て上げているが、政権を率いて国家を運営するわけではなく、貧弱な党を建て直すだけという話に大層な言葉遣いで高邁な話に持っていこうとする。

 結局のところ、1年足らずの代表辞任という結末(=果たせなかった"政治は結果責任")を隠す大袈裟に格調を持たせた言い回しであって、最後の最後まで自分を実質以上に見せようとする虚栄心を働かせている。ここからは政治家として表に現れる行為・行動に対して正直であろうとする姿は見えてこない。

 蓮舫は「攻めと受け」の"攻め"に行政監視を置いているが(実際の発言は「私たち、言えるのは、攻めの部分は、しっかりと行政監視をしてきました」)、これは狭い解釈でしかなく、実質的には政党としての対外発信力を言うはずである。代表蓮舫の統率力(リーダーシップ)のもと政府与党政治に対する自党政治の国民にとっての利益性の訴え、権力監視(一つに行政監視)の国民にとっての利益性の訴え、国民有権者に対してどのような社会階層の利益を主として代表しているのかの党の存在理由の訴えなどとそれらの訴えに基づいた各理解の獲得と、最終結果としての党支持率の獲得を目的とした諸々の情報発信活動のことであって、サッカーやラグビーの試合で言うなら、全体的な攻撃の部分に当たる。

 当然、「攻めの部分は、しっかりと行政監視をしてきました」は一つの成果に過ぎず、攻めの全体の成果とするにはマヤカシそのものとなる。

 "受け"は政府与党や他野党、あるいは不支持の立場にある国民の自党の存在に向けた否定的考えに対抗して改めて自らの存在理由の正当性を主張・証明する情報闘争を指すはずで、サッカーやラグビーの試合での全体的な守備の部分に当たるが、守備と言えども攻撃の側面を抱えていて、攻撃と守備がうまく噛み合わないと、勝利に向けたチームの存在(党の存在)が成り立たないから、当然、"攻め"と"受け"は相互補完的な一体性を持たせた車の両輪の関係で機能することが求められる。片方のみの機能であったなら、党の存在意義を獲得できはしない。

 だが、蓮舫は"攻め"と"受け"を別個扱いとし、"受け"には力を発揮できなかったが、"攻め"にはあたかも力が発揮できたかのようなニュアンスの言葉遣いをしている。"攻め"に力を発揮できていたなら、なぜ都議選で敗北を喫することになったのだろう。

 結局のところ、攻めの部分に当てている行政監視の成果は民進党の存在理由をより多くの国民に認知させる全体的な成果となる攻めとはなっていなかったということであって、だからこその1年足らずの辞任であり、蓮舫の合理的認識能力を欠いた自己正当化バイアスが言わせている部分的成果に過ぎないということであろう。

 大体が蓮舫本人が自覚しているとおりに統率力が不足していたなら、"攻め"も"受け"も、満足に機能することも、機能させることもできたはずはない。その結果の一つが東京都を選挙地盤としていながらの都議選の敗北ということであるはずだ。

 "攻め"の部分として国民の関心を行政監視以上に集める機会も多く、注目度が高いのは首相、あるいは閣僚の不祥事や内閣の政策自体に対する国会の場での追及であるはずだが、特に蓮舫は攻撃的な言葉で激しく追及するものの、殆を最後まで追及しきれずに、尻切れトンボの不完全燃焼で終わらせている。終わらせていなければ、安倍晋三の権力の私物化やアベノミクスが経済格差に役立ったのみで、国民の大多数を占める中低所得層の生活を苦しめることになった政治利益の偏りなどで追い詰めることができ、結果的に安倍晋三を7年8ヶ月も権力の座に居座らせることはなかったろう。

 この国会追及の不完全燃焼の格好の事例として次回、2024年3月14日の参議院政倫審での世耕弘成に対する追及に関連して取り上げてみる。

 要するに国会追及という"攻め"の大きな見せ場でもある権力監視の大部分を未消化のまま推移させ、満足に機能させることができなかったにも関わらず、マスコミが「厳しく追及した」と報じるのを見るだけで満足したのだろう。だが、多くの国民は騙されることも自らを騙すこともしなかったから、野党に対して「批判ばかり」というレッテルを貼るに至った。「批判ばかり」というレッテルそのものが追及の程度を物語っている。立憲民主党は「批判ばかり」がどのような能力に向けられた名付けなのか気づかず、「批判ばかりではない、政府法案に対して対案も出している、独自法案も出している」と見当違いだと気づかない答を出している。結果、追及部分に見せる批判行為だけを印象に残し、いつまで経っても「批判ばかり」と言い続けられることになる。

 蓮舫の辞任記者会見での発言は代表として発揮すべき役目である"攻め"という能力でも、"受け"という能力でも、実際には統率力不足(=リーダーシップ不足)が足枷となって不発状態で推移させているのだから、そのことを言葉の上では可能な限り綺麗事化し、自己正当化バイアスの網にかけ、自身が負う傷を傷と見せない巧妙なカムフラージュを施したといったところである。このことは応分な責任負担の回避に当たるのは断るまでもない。

 蓮舫の言葉の巧みさは強度な自己正当化バイアスが積み上げていくことになった、その見事な作品と言うことができるはずだ。

以下、《蓮舫を叩く:女だからではない、・・・》――は続く。
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安倍晋三が設計首謀者の現金還付・収支報告書不記載の慣習・制度だっだと疑うに足る相当性ある状況証拠の提示

2024-05-31 11:22:07 | 政治
 安倍晋三キックバック中止指示の2022年4月会合も、派閥幹部の若手議員キックバック再開要請対応8月会合も安倍晋三を無罪放免目的の作り話とすると全ての整合性が取れる

  「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

1.イジメを含めた全活動が"可能性追求"だと自覚させる「可能性教育」
2.「厭なことやめて欲しい」で始まるロールプレイ
3. 居場所づくりと主体性教育目的の一教科専門コース導入の中学校改革
4.主体性教育目的の図書館の蔵書を参考書とする1日1時限の「自習時間」の導入
学校は一定のルールを決めて学校内でのプロレスごっこを認める)

 この記事と同様の趣旨の記事を2024年4月1日にgooブログlivedoorブログに既に公開していて、2022年4月の安倍晋三出席の安倍派幹部との会合での安倍晋三の政治資金パーティノルマ超過分の現金還付中止指示と同年7月の安倍晋三銃撃死後の同年8月の安倍派幹部の現金還付を求める若手議員にどう対処するかを話し合った会合は安倍晋三の連続在任日数歴代1位の名誉を守るためにノルマ付けとノルマ超の現金還付と収支報告書不記載が歴代会長の指示で行われていたものの、安倍晋三自身はそのことへの関与は積極的ではなかったことを、いわば偽装するデッチ上げ、作り話ではなかったかという内容に仕立てた。

 読み返してみて、キックバックを始めたのは安倍晋三ではないかということに気づいた。意図がずれたために言葉足らずの面とアプローチの方法が不適切な面が生じることになった。本来の意図に戻すべく、今回は現金還付と収支報告書不記載は安倍晋三が設計首謀者の慣行、もしくは制度だったと状況証拠面から打ち立てて見ようと思う。

 狙いは安倍晋三の悪行だから、政治倫理審査にかけられた国会議員のうち安倍派幹部の証言のみを取り上げる。以下の記事はNHK総合放送の政倫審中継放送からの文字起こしと政倫審を取り上げた「NHK NEWS WEB」(2024年3月1日)記事からの抜粋で構成した。どちらの抜粋か断らないが、現金還付、いわゆるキックバックと収支報告書への不記載という手を用いた"裏ガネ"化(全員が否定しているが)についての政倫審に掛けられた安倍派幹部の証言内容は多くのマスコミによって詳細な解説が加えられ、広く流布していて、関心のある者にとっては大体は頭の中の常識となっているだろうから、どちらからの抜粋かはさして問題ではないと思う。

 要はそれぞれの証言をどう読み解くか、それが的確性を備えているかどうかが肝心なことで、それができていないということならそれまでにして貰うことになる。

 2024年3月1日の衆議院政治倫理審査会は西村康稔がトップバッターで、15分の弁明時間が与えられた。安倍派清和研究会の代表兼会計責任者松本潤一郎が派閥の政治資金パーティでの収入・支出に関わる収支報告書不記載等で東京地方裁判所に起訴され、自身も検察の捜査を受けたものの立件する必要がないとの結論に至ったものと承知していると述べ、「清和会の会計には一切関わっていない」と自身の無罪を強調している。

 以下、弁明のうちの重要な点を箇条書きにしてみる。

1.実際、今の時点まで私は清和会の帳簿、収支報告書など見たことはない。
2.パーティ券売上げのノルマを超えた分の還付については自前で政治資金を調達
  することの困難な若手議員や中堅議員の政治資金を支援する趣旨で始まったの
  ではないかとされているが、いつ始まったのか承知していない。
3.還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われ
  てきたことで、会長以外の私達幹部は関与していないし、派閥事務総長と言って
  も、自身は関与していない。
4.今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった。
5.8月の会合で2022年の還付金については安倍会長の意向を踏まえ、幹部の間で
 行わない方向で話し合いが行われたものの、一部の議員に現金での還付が行わ
 れたようであるが、その後の還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。

 「1.」の見たことはないが知らなかったことと必ずしも一致するわけではない。知らされていた上で処理は他人任せなら、見たことはくても知っているという構図は成り立つ。

 「2.」の言い分、現金還付、いわゆるキックバックは若手議員や中堅議員の政治資金支援の趣旨で始まったとしているが、一般的には当選回数の多いベテラン議員程政治的影響力を持ち、カネ集めに長じていて、政治資金パーティ券の売上も多くこなしているはずで、実際にもキックバック額は多くなっている。利益という点ではベテラン議員の方に分があったはずだ。

 いわばキックバック制度でより多くの利益を得ているのはベテラン議員であって、このことは制度開始当時から変わらないだろうから、若手議員や中堅議員のためを思って始めたという言い分に全面的に正当性を与える訳にはいかない。若手議員や中堅議員のためもあったろうが、ベテラン議員の日常的な活動に余裕を持たせる方向により多くの力が働いていたはずだ。

 結果、カネを力とした日常的活動の拡大によって清和政策研究会という派閥の勢力拡大とその勢力拡大に伴わせた自民党内の影響力拡大、数の力を背景とした政治的影響力の浸透を最終目標に据えていたはずだ。若手議員や中堅議員のための政治資金支援はカネの力を借りた政治というものの現実の姿を隠すカモフラージュの役目を果たしている一面も抱えていることになる。

 「3.」の言い分、還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたことしていることは、安倍晋三を含めて清和会歴代会長は現金還付と還付した現金の還付元の派閥の政治資金収支報告書への不記載と還付先の議員個人の政治団体の政治資金収支報告書への不記載を共に承知していて、承知していたうえで不記載をやらせていた共犯関係にあったことになる。

 但し安倍派幹部の誰もが不記載を知ったのは2023年11月の報道があってからだと証言している。それが「4.」で取り上げた証言に当たる。

 「5.」で、安倍晋三の意向で中止が決まっていた2022年の還付はその意向が守られず行われたが、その経緯については全く承知していないとしていることは安倍晋三銃撃死後、派閥運営主体は幹部に帰するものの、その幹部を差し置いて現金還付が継続されていたという不思議な構図を取ることになる。

 「3.」の還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたこととしている証言と考え併せると、安倍派清和政策研究会の事務局長兼会計責任者の松本淳一郎が4月会合での安倍晋三の還付中止の指示と幹部の受け入れ方針を無視し、なおかつ幹部の意向を確かめもせずに独断で還付を継続していたことになり、その資格もない極度の僭越行為を犯していたことになる。

 西村康稔に対する質問のトップバッターは自民党68歳、麻生派の武藤容治で、還付金の不記載は「(清和政策研究会の)事務局長さんだけが長年の慣行としてやってきたのか」と尋ねているが、西村康稔が清和会歴代会長と事務局長との長年の慣行としていたことを事務局長だけの不正行為とし、意図してのことなのかどうか、歴代会長を無関係な立場に置こうとする質問となっている。

 西村康稔「ノルマについてもどういうふうに決まっていたのか承知していない。会長と事務局の間で何らかの相談があって決められたのではないかと推察するが、どういう会計処理がなされていたのか承知をしていない。ただ今思えば、事務総長として安倍会長は令和4年、2022年4月に、『現金の還付を行っている。これをやめる』と言われて、幹部でその方向を決めて、手分けをして若手議員にやめるという方針を伝えた。

 安倍会長はその時点で何らかのことを知っておられたのだと思う。どこまで把握していたのか分からないけれども、現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめると、還付そのものをやめると、いうことで我々で方針を決めて、対応した。

 その後、安倍会長は亡くなられて、ノルマを多く売った議員がいたようで、返してほしいという声が上がった。それを受けて、8月の上旬に幹部で議論し、還付は行わないという方針を維持する中で返して欲しいと言う人たちにどう対応するか、色々な意見が挙がったが、結局結論は出ずに私は8月10日に経済産業大臣になったので、事務総長は離れることになった。

 その後、どうした経緯で現金の還付が継続することになったのか、その経緯は承知をしていない」

 以上の西村康稔の発言から現金還付継続の事実関係を纏めてみる。西村康稔自身が後で明らかにしている2022年4月の会合の出席者は安倍晋三と安倍派事務局長兼会計責任者の松本淳一郎、さらに西村康稔自らと当時会長代理だった塩谷立、同じく会長代理の下村博文、自民党参議院代表・幹事長の世耕弘成世で、その席で安倍晋三が「現金は不透明で疑念を生じかねない」との理由を挙げて現金還付の中止を申し出た。

 その場にいた安倍派幹部4人は安倍晋三の申し出を受けて、いわばその方針を受け入れ、手分けをして若手議員に中止を伝えた。これも西村自身があとで明らかにするが、伝達は電話を使った。ネットで調べてみると、2022年7月時点の記事で安倍派所属議員は94名となっている。幹部4人を除いて90人、計算上は1人当たり20人前後の所属議員に電話を掛けたことになる。

 事務局長が出席していたのだから、会合の場から事務局に電話を入れて、事務局職員に指示して一つの文面で複数のメールアドレスに送信できるカーボン・コピー(CC)形式で送信すれば、遥かに手早く、効率よく連絡することができる。当日が休日なら、翌日であってもいいはずだが、わざわざ幹部の手を煩わす電話を用いた。

 現金還付が「不透明で疑念を生じかねない」という性格上、「メールを開封後直ちに削除することと」と一文を入れたとしても、削除を忘れて証拠として残るか、何かあったと復元に掛けられて、世に出ることを危惧して手間のかかる電話にしたということも考えられる。

 西村康稔は「安倍会長はその時点で何らかのことを知っておられたのだと思う。どこまで把握していたのか分からないけれども」と深くは知っていなかったかのような印象を与えようとしているが、「還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきた」こととしていることと「現金は不透明で疑念を生じかねないから」と現金還付の性格付けを行い、その中止を意思表示した以上、安倍晋三自身、どのような種類の現金還付なのかは承知していたことになる。少なくともおおっぴらには表沙汰にはできないカネの遣り取りだと位置づけていた。

 そもそもからして銀行振込か郵便振込で行うところをわざわざ現金で手渡していた。安倍派事務局の職員が各議員個人の政治団体の事務所に赴くか、その事務所の職員を派閥事務所に呼び出すかしなければ、現金決済はできない。金融機関で振り込む場合はカネの移動の痕跡を残すことになるが、現金だと、その痕跡を残さずに済む。そのメリットを生かすための方法だとしたら、幹部側は「現金は不透明で疑念を生じかねない」の意味するところを政治資金収支報告書不記載か、あるいは最低限、実際の使い途とは異なる政治資金規正法に触れる何らかの虚偽記載に持っていくことを狙いとしていることぐらいは気づかなければならなかったろう。だが、長年政治に携わり、政治資金規正法と付き合ってきながら、何も気づかなかったと自分たちを政治に素人の立場に置いている。

 但し安倍晋三が「現金の還付を行っている。これをやめる」と最初に中止を言い、幹部の誰かが「なぜですか」と中止の理由を聞いたところ、「現金は不透明で疑念を生じかねないから」と答えたのだとしたら、幹部は誰一人現金還付の事実も、政治資金収支報告書不記載か、その他の考えられる不正行為を知らなかったとすることはできるが、国会議員を長年勤めていて、自民党最大派閥の幹部の位置につけている以上、以後の認識として、安倍晋三の現金還付は「不透明で疑念を生じかねないから」とした性格付けの言葉一つで、政治資金収支報告書不記載程度のことは当たりを付けておかなければならなかったはずで、当たりを付けた時点で、その辺のことは幹部たちの間で、「ああ、そういうことだったんだ」と裏があることを暗黙の共通認識とするに至ったという経緯を取らなければならなかっただろう。

 要するに自分たちの知らないところでノルマを超えたパーティ券売上はキックバックされて、収支報告書で何らかの操作が行われているんだなぐらいなことは察したはずで、その場に事務局長の松本淳一郎がいたのだから、「収支報告書でどのような扱いになっているのですか」程度のことは聞くのが人情の自然というものだろう。

 尤も事務局長は「議員のみなさんは知らないでいた方が無難です」と答えた可能性は大きい。

 以上のような経緯が考えられることを抜きにしたとしても、安倍晋三の現金還付は「不透明で疑念を生じかねないから」とした性格付けの一事のみを取り上げただけでも、西村康稔の「今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった」は、他の幹部たちの同様の発言にしても、素直に受け取ることはできない極めて疑わしい弁明と見なければならない。

 この"疑わしい"を虚偽告白そのものと断定できるかどうかは追及側の野党議員が4月の会合で安倍晋三と4人の幹部たちとの間で具体的にどのような遣り取りがあって現金還付中止を決定したのかを詳細に聞き出さなければならなかった。その中で最も肝心な質問は西村康稔に対しては安倍晋三が行った「不透明で疑念を生じかねない」とした現金還付の性格付けから還付された現金の政治資金規正法上の処理についてどういう心証を持ったか、他の幹部に対しては西村康稔は安倍晋三から現金還付中止の理由として「不透明で疑念を生じかねない」と伝えられたと証言しているが、同じ席にいたのだから、この性格付けを耳にしたはずで、耳にしたとき、還付された現金の政治資金規正法上の処理についてどういう認識を持ったかを追及、それぞれの答弁に応じて還付された現金の政治資金収支報告書への不記載等の不正行為にまで思いが至ったのか、至らなかったのか、前者であった場合、安倍晋三か事務局長に具体的な事情を知るためにどういう処理がなされているのか実際のところを問い質したのか、問い質さなかったのかなどなどの事実を炙り出さなければならなかったが、この点についてのそれぞれの説明を野党議員は誰もが表面的に捉えるだけで、言葉の裏を探ることはしなかった。

 あるいは安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」の言葉そのものを幹部たちがどう解釈したのか直接的に尋ねることもしなかった。一言でも尋ねていたなら、政治資金規正法上の処理の問題に、それ以外ないこととして行き着くことができたはずだが、そういったことを試みることもしなかった。

 その結果、2023年11月の報道で収支報告書不記載等の不適切な運用を知ったなどといった答弁――安倍晋三が現金還付中止も理由とした「不透明で疑念を生じかねない」の性格付けなどなかったことにした答弁を幹部全員に対して許すことになった。

 4月の会合がデッチ上げの作り話でも何でもなく、正真正銘存在した会合なら、8月の会合でも現金還付に対する「不透明で疑念を生じかねない」の性格付けと、そのような性格付けゆえの安倍晋三の中止を申し出た意志、さらにこれらの事情で中止を受け入れた幹部4人の姿勢は厳格に維持されなければならない。でなければ、連続在任日数歴代1位の名誉を担う安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」の性格付けに基づいた中止の意志を裏切ることになる。

 いわばその中止の意志を裏切ってはならない安倍派幹部としてのそれ相応の義務と責任を負ったはずで、負いきれない立場に立たされた場合は幹部4人が雁首を揃えていたことに反する無力を示すことになり、何らかの焦燥感に見舞われ、幹部としての矜持を意識させられることになっただろう。でなければ、派閥を率いる幹部としての意味を失う。

 8月の会合での出席者は世耕弘成自身が2024年3月14日の自らに対する参議院政治倫理審査会で次のように明らかにしている。

 世耕弘成「当時の安倍会長からは2022年の5月のパーティーについて、4月上旬に幹部が集められ『ノルマ通りの販売にしたい』、即ち還付金はやめるという指示が出た。その後7月に安倍会長が亡くなり、その後8月上旬だったと思うが、塩谷会長代理、下村会長代理、西村事務総長、松本事務局長と私が集まった。その場で『ノルマをオーバーしてしまった人がいる。どうしようか意見を聞かせて欲しい』という趣旨の会合だったと思っている」

 8月の会合出席者は塩谷会長代理、下村会長代理、西村事務総長、世耕弘成、安倍派清和政策研究会事務局長松本淳一郎の5人。4月の会合との違いは安倍晋三だけが抜けて、同じメンバーとなっている。

 西村康稔の8月の会合についての弁明の中で行った説明は箇条書きの「5.」と自民党武藤容治に対する答弁で既に取り上げているが、より具体的に理解して貰うために弁明の中での発言に加えて、質問者立憲民主党の枝野幸男に対する答弁を併せて取り上げ、武藤容治に対する答弁はそのままの繰り返しで再度取り上げてみる。注釈は当方。

 西村康稔(弁明)「(4月の会合で)2022年の還付金については安倍会長の意向を踏まえ、幹部の間で行わない方向で話し合いが行われたものの、(5月のパーティー開催以後)一部の議員に現金での還付が行われたようであるが、その後の還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。だが、経産大臣となり、安倍派事務総長の任から離れたが、安倍会長の意向を託された清和会幹部の一人として少なくとも2022年については還付を行わないことを徹底すればとよかったと反省している」

 西村康稔(枝野幸男に対する答弁)「4月の段階では5月の(派閥の)パーティが控えていたので、還付はやめるという方針を決めて、若手議員が中心だったと思うが、(電話で)連絡した。その後、まさに還付はしないという方向で進んでいたが、7月に安倍さんが撃たれて亡くなられて、その後ノルマ以上売った議員から、返して欲しいと声が上がり、8月の上旬に幹部が集まってどう対応するかということを共有したが、そのときは結論が出なかった」

 西村康稔(自民党武藤容治に対する答弁)「(4月の会合後に)安倍会長は亡くなられて、ノルマを多く売った議員がいたようで、返してほしいという声が上がった。それを受けて、8月の上旬に幹部で議論し、還付は行わないという方針を維持する中で返して欲しいと言う人たちにどう対応するか、色々な意見が挙がったが、結局結論は出ずに私は8月10日に経済産業大臣になったので、事務総長は離れることになった。

 その後、どうした経緯で現金の還付が継続することになったのか、その経緯は承知をしていない」

 あったこと、事実関係を述べているだけで、4月の会合で安倍晋三が現金還付の中止の理由として持ち出した「不透明で疑念を生じかねない」の懸念、懸念が予想させる政治資金規正法上の処理の問題に関わる不都合な事実が存在する可能性、具体的には収支報告書不記載か虚偽記載しか考えられないが、これら全てに決着を付けて公明正大な状況に持って行く幹部の立場としての義務と責任を考えた場合、いわば4月の会合での安倍晋三の現金還付中止の意志を維持していなければならないのだから、「返してほしいという声が上がった」ことに対しては「還付は行わないという方針を維持する中で返して欲しいと言う人たちにどう対応するか」ではなく、別々の問題として扱うべきで、「それはできないんだ。親分安倍晋三の遺志となっているのだから」と断るのが筋であり、そうすること自体に自らの矜持をおかなければならなかったはずだが、それを「そのときは結論が出なかった」と宙ぶらりんな状態に放置し、不透明で疑念を生じかねない」の現金還付の性格付けが予想させる政治資金規正法上の問題、安倍晋三の中止の意志、その他その他、全てを有耶無耶にしてしまっている。

 このように4月の会合と8月の会合の継続性を持たない断絶状態自体が両会合の存在の否定根拠とすることができる。大体が安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」とした現金還付の性格付けから行うべき政治資金規正法に関係する懸念事項扱いは幹部の誰一人として無関係としているのだから、4月の会合を実際にあった話だとすることはできない状況証拠とすることができる。

 懸念事項扱いしたなら、収支報告書不記載を知ったのは報道があってからとしていることのウソが露見してしまうことになる。と言うことは、4月の会合も8月の会合も実体のない会合でありながら、安倍派清和政策研究会の政治資金パーテイのパーティ券売上にノルマが課せられていて、ノルマ超の売上は分はキックバックされ、収支報告書不記載扱いとなっていたとの2023年11月からの報道を受けて、急遽、安倍晋三を無罪放免とするためには現金還付制度は「不透明で疑念を生じかねない」の否定的性格付けは最低限必要不可欠な口実だったことになる。

 但しこのような口実を安倍晋三を無罪放免とするために必要としたこと自体が安倍晋三が設計首謀者の収支報告書不記載の現金キックバック制度だと状況証拠付けることになる。

 そのために4月の会合と8月の会合をデッチ上げざるを得なかった。4月の会合は安倍晋三を設計首謀者であることから無罪放免とするためであり、そのために還付中止を設定したものの、仮のことであって、現実には現金還付と収集報告書不記載が続いていたことに辻褄を合わせるために8月の会合をセッティングしなければならなくなった。セッティングして、現金還付と収集報告書不記載が続いていたことの止むを得ない事実とした。

 現金還付・収支報告書不記載の設計首謀者は安倍晋三であるとする状況証拠を補強するために4月の会合と8月の会合に出席したとしている既に取り上げている西村康稔以外の塩谷立、下村博文、世耕弘成3人の8月の会合についての証言を取り上げてみる。

 塩谷立「多くの所属議員から『パーティー券を既に売って還付を予定されていたので困っている』という意見があり、『ことしに限って継続するのは仕方がないのではないか』という話し合いがなされた。『政治活動のために継続していくしかないかな』という状況の中で終わったと思う」

 要するに「『ことしに限って継続するのは仕方がないのではないか』という話し合いがなされた」が、話し合いだけで、結論にまで至らなかった。だが、安倍晋三が現金還付中止の理由として「不透明で疑念を生じかねない」との文言で政治資金規正法に触れる懸念を挙げている以上、この継続は「仕方がない」を許したら、政治資金規正法に何らかの形で触れることを勧める言葉となり、安倍晋三の中止の意志は断固徹底しなければならない幹部としての義務感、責任感とは決定的に矛盾する。

 実際に4月の会合が事実存在したなら、自前で政治資金を調達できない議員に対する救済は安倍晋三が現金還付は中止すると指示した時点で話し合わなければならなかった課題であるにも関わらず、話し合われることもなく、8月の会合でも話し合ったとしながら、結論を見い出すことができなかった不始末は幹部の責任能力の欠如を示すもので、大の大人である幹部4人が4人とも同様のお粗末な責任能力を曝け出していたということは、裏を返すと、誰一人満足な知恵を示し得なかったということは派閥幹部としての体も、大の大人としての体も成していなかったことになり、4月の会合も8月の会合にもデッチ上げと見ない限り、納得のいく答を見い出すことはできない状況証拠となる。

 また2022年の安倍派政治資金パーティーは5月17日に行われていて、安倍晋三の現金還付中止の4月の会合から約1カ月後と見ると、8月の会合の日付は世耕弘成が参院政倫審の証言の中で「8月5日の会合で現金還付の復活決まったことは断じてない」と述べているから、安倍派政治資金パーティー5月17日から約2ヶ月20日後で、実際には現金還付が続けられていたことを考えると、5月17日の安倍派政治資金パーティーから8月の幹部たちと安倍派事務局長事務局長松本淳一郎が出席していた8月5日までは還付を中止していたが、この会合で結論が出なかったから、幹部4人に断りもなしに事務局長松本淳一郎が還付を復活したばかりか、政治資金収支報告書不記載扱いも続けていたというのは常識的には考えられないことで、4月会合も8月の会合もなかったことにして、5月17日の安倍派政治資金パーティー後も例年の慣行どおりに現金還付と支報告書不記載が実施されていたと見る方が遥かに腑に落ちることになる。

 世耕弘成「安倍さんがもうノルマ通りの販売だ、現金による還付はやめると仰っていたので私はそれを守るべきだと意見を冒頭申し上げた。

 しかし一方で5月のパーティーを4月にノルマどおりと指示が出ていたが、売ってしまった人もいる。そういう人はやっぱり政治活動の資金として当てにしている面もあるんで、何らかの形で返すべきではないかという意見も出た。そういう中でやっぱり還付金はやめようという安倍さんの方針は堅持しよう、その代わり何らかの資金の手当てをする方法があるだろうかという議論があった中で有力なアイディアとして各政治家個人が開くパーティのパーティー券を何らかの形で清和会が買うか、これちょっと具体的にそこまで詰めた話にはならなかったけども・・・」

 だが、結局、「このとき確定的なことは決まっていない」

 安倍晋三の還付中止の方針の堅持を言いながら、確定的な結論は出さずじまいにした。ここに幹部を名乗るだけの責任感も義務感も見い出すことはできない。現金で還付してもいいわけである。政治資金規制法に則った正規の支出項目に該当する「政治活動費」等の名目で、政治資金収支報告書に動いた金額どおりに記載すれば何の問題も生じない。

 この不自然さを解消するには4月の会合と8月の会合の実体に疑いを挟まないと整合性は取りにくい。

 では、何ために4月の会合と8月の会合を必要としたのか。現金還付と不記載が中止することなく続けられた状況を前提に4月の会合と8月の会合をセッティングした場合、もし安倍晋三が現金還付と収支報告書不記載の制度、あるいは慣行を拵えた設計首謀者と仮定した場合、それを隠して還付中止を申し出た善なる存在だと見せかけることができて、その点に一番の受益を置いていたと考えることができる。

 逆に安倍晋三が設計首謀者ではなかったとしたら、「不透明で疑念を生じかねない」といった収支報告書不記載か虚偽記載といった何らかの政治資金規正法違反を想起させかねない、危なっかしい理由を作り出してまでして現金還付中止を申し出たなどといったストーリーを演出する必要性が生じただろうか。

 その危なっかしさに追及側の野党議員が誰一人気づかず、助けられたに過ぎない。

 世耕弘成は8月の会合について次のようにも発言している。

 「派閥の各議員個人のパーティー券を清和会として買うといった、極めて適法な形で対応していこうというアイデアだったので、私は『それなら異存はない』と申し上げたと記憶している。私は『この案はいい』と言ったが、私が提案したわけではない」

 「極めて適法な形で対応していこう」は元々の現金還付が"極めて違法な形"で行われていたことの語るに落ちた裏返しの告白となるが、現金還付というカネの移動だけではなく、その法的な性格にまで気づいていたことになる。だが、世耕弘成は弁明で次のように述べている。

 世耕弘成(弁明)「今回の事態が明らかになるまで、自分の団体が還付金を受け取っているという意識がなかったので、還付金について深くは考えることはなかった。

 もっと早く問題意識を持って、還付金についてチェックをし、派閥の支出どころか、収入としても記載されていないこと、議員側の資金管理団体でも収入に計上されていないことを気づいていれば、歴代会長に進言できたはずとの思いであります」

 要するに政治資金収支報告書に不記載となっていたことに「今回の事態が明らかになる」2023年11月当時まで知らなかった。だが、8月の会合では現金還付の違法性に気づいていた発言をしている。この両証言の矛盾に整合性を与えるとしたら、最低限、違法性認識の出発点としなければならない4月の会合での「不透明で疑念を生じかねない」の安倍晋三の現金還付の性格付けの際に気づいておかなければならないことだから、8月の会合で気づいていたことに何ら不自然はないが、全体的説明を構成する肝心の弁明で気づいていないとしていることは、4月の会合と8月の会合に関わる証言に無理があるから生じた矛盾と見ないと説明がつかない。

 世耕弘成は4月の会合については次のようにも証言している。「違法性を議論する場ではなく、ノルマ通りの販売とするという指示が伝達された場だったと思っている。その時点では、私は還付金を自分が貰ってる認識がなかったので、収支報告上、どういう扱いになっているかに、思いを致すことはなかった」

 4月の会合は「ノルマ通りの販売とするという指示が伝達された場だった」

 ここには原因に対する理由を問う常識的な反応としての「なぜ」がない。なぜノルマを超えて売らせていたパーティー券をノルマどおりに戻すのか。知らない事実だったなら、安倍晋三に聞いて、幹部として知っておかなければならない知識・情報とするのが自らの役目の一つであるはずだ。

 あるいは法的な危険性を感じて、知らないでいた方が無難だなと直感し、意図的に聞かないでいたなら、「収支報告上、どういう扱いになっているかに、思いを致すことはなかった」は虚偽証言となる。但し問いたい気持ちを飲み込んだとしても、「なぜ」は頭に残る。

 要するに安倍晋三が現金還付・収支報告書不記載の慣習・制度の設計首謀者ではないと無罪放免とするためには最低限、「不透明で疑念を生じかねない」の理由は必要不可欠だったから4月の会合を設定し、
現実には現金還付も収支報告書不記載も続いていたことを隠すために8月の会合もセットしたが、「なぜ」と踏み込むところにまで持っていった場合、無罪放免に逆効果となり、安倍晋三こそが設計首謀者だと暴露しすることになるから、原因を求めなければならない人間の自然に反して「不透明で疑念を生じかねない」止まりにしなければならなかった。

 このように操作すること自体が4月の会合も、8月の会合を存在しなかったことの状況証拠としなければならない。操作でないと言うなら、原因に対する理由を問う常識的な反応としての「なぜ」を発しなかった事情の納得のいく説明をしなければならない。説明など、できないだろう。 

 この安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」は4月の会合に出席した西村康稔、塩谷立、下村博文、世耕弘成世の4人の安倍派幹部は共有していたはずだから、揃って証言していいはずだが、西村康稔だけが証言していて、他の幹部は「安倍氏が還流中止を提案した」、「キックバックをやめる意向を示した」、「安倍会長の指示で一旦還付を中止する方針が決まった」などと説明するのみで、安倍晋三が還付中止の理由として用いた"不透明"、"疑念"といったキーワードは一切口にしていない。

 この点にも「不透明で疑念を生じかねない」という現金還付の性格付けとこの性格付けが想定することになる政治資金規正法上の何らかの不法行為を質問者や国民に印象づけたくない思惑を感じる。

 この思惑に窺うことになる不正直さ、あるいは不誠実さ自体に4月と8月の会合の存在を疑わしくする状況証拠とすることができる。

 この4月の会合の存在が世間に明らかにされたのは現金還付と還付された現金が収支報告書に不記載扱いとなっていたことがマスコミによって報道され出した2023年11月に入ってから約2ヶ月後の2024年を迎えてからであり、"関係者への取材で判明"したことになっているこのような経緯によって、マスコミ側自体は未把握の情報であることだから、安倍派幹部側の誰かが流した情報を正体とすることになる。

 隠していれば、隠しおおせる可能性は捨てきれないが、逆に自分たちの方からリークした事実は安倍晋三を表舞台に立たせる不利益以上のメリットがあると踏んだのだろう。それが単に清和政策研究会でいつ頃からか慣習化した裏ガネ制度を、あるいは裏ガネ文化を引き継いだという安倍晋三設計非首謀者説であって、それを打ち立てるために4月の会合と8月の会合をお膳立てする必要が生じた。

 残る下村博文の2024年3月18日の衆院政倫審での8月の会合に付いての証言を見てみる。

 下村博文「8月の会議での還付を継続するかやめるかという話は本来中心ではなくて、安倍会長が亡くなったあとの清和研の会長等、派閥の今後の運営の仕方、安倍会長の当時の派閥への対応等が中心で、5月に清和研のパーティがあり、4月には全員還付はやめようと連絡したにも関わらず、4月から5月の間ということで既にチケットを売っている方もいると思うが、還付についてノルマ以上に売上があった方から、戻して貰えないかという話があったものの還付はやめようという前提での議論で、このときに還付そのものは不記載であるとかいう認識は私は持っていなかった」

 下村博文は還付そのものは不記載であることは知らなかったと虚偽証言している。安倍晋三が現金還付中止を指示した。その指示に対して「ハイ、分かりました」と何も聞かずにただただ従ったというプロセスを取ったとしても、大の大人同士の話し合いなのだから、継続よりも中止に妥当性を見い出していなければ、無条件に従うことはできない。妥当性を見い出すこと自体が事情を飲み込んでいるからであって、
暗黙のうちに中止の理由を遣り取りしていることになる。

 「不記載だから、そろそろ潮時ですかね・・・」

 もし4月の会合で安倍晋三が還付中止を指示したが事実なら、現実には現金還付と不記載が続いていた事態は連続在任日数歴代1位で、安倍派幹部の党内での立場強化と発言力強化に力を与えた安倍晋三の威厳、あるいは威光が当の安倍派幹部に効果がなかったことを示すあり得ない奇妙な逆説を描くことになり、やはり4月の会合は安倍晋三現金還付・収支報告書不記載の設計非首謀説を打ち立てるためのデッチ上げと見なければ、収まりがつかない。当然、8月の会合も存在しなかった。

 最後に元NHKの記者、元解説委員で、2023年4月からフリージャーナリストに転身した、安倍晋三に近い人物と言われている東京大学法学部卒の岩田明子の「岩田明子さくらリポート」((ZAKZAKU/2023.12/12 11:48)から、2022年4月の会合と8月の会合をデッチ上げと見た根拠を示してみる。(一部抜粋)

 先ず安倍派(清和政策研究会)の複数議員が最近5年間で、1000万円以上のキックバック(還流)を受けて、裏金化していた疑いがあることが分かったとしている。裏金化とは、勿論のこと、収支報告書不記載に処し、自由に使えるカネにロンダリングすることを意味する。

 〈安倍晋三元首相が初めて派閥領袖(りょうしゅう)に就任した2021年11月より前から同派(清和政策研究会)の悪習は続いており、それを知った安倍氏は激怒し、対応を指示していたという。〉

 〈安倍元首相が21年11月に初めて派閥会長となった後、翌年2月にその状況を知り、「このような方法は問題だ。ただちに直せ」と会計責任者を叱責、2か月後に改めて事務総長らにクギを刺したという。

 22年5月のパーティーではその方針が反映されたものの、2カ月後、安倍氏は凶弾に倒れ、改善されないまま現在に至ったようだ。〉――

 先ず最初に断っておくが、この記事は安倍派の現金還付と収支報告書不記載がマスコミによって世間に公表後、ほぼ1ヶ月経ってから発表したものである。悪習に激怒した。安倍晋三の不正を憎む、その正義感がひしひしと伝わってくる。森友学園や加計学園でのお友達の民間人に政治的な便宜を図り、政治の私物化というありがたい疑惑を招いた人物には思えない。

 記事が伝える出来事を時系列で纏めてみる。

2021年11月、安倍晋三、派閥会長となる。
2022年2月、キックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)が自身の会長就任
      前から行われていたことを知り、激怒、改めるよう会計責任者を叱責
2022年4月に事務総長らにクギを刺す 
2022年5月の安倍派政治資金パーティでは、いわば悪習は是正 (事務総長西村康
      稔)
2022年7月、安倍晋三銃撃死。以降、悪習は改善されないままとなる

 2022年4月に事務総長らにクギを刺したとしていることは4月の会合のことを指すことになる。だが、当時事務総長だった西村康稔は2024年3月1日の衆議院政治倫理審査会で次のように証言している。既に取り上げているが、再度取り上げてみる。

 「還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたことで、会長以外の私達幹部は関与していないし、派閥事務総長と言っても、自身は関与していない。今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった」

 ここでの"クギを刺す"という言葉の意味は現金還付と収支報告書不記載の悪習は二度と行うなという禁止命令となる。でなければ、安倍晋三の「激怒」は意味を成さない。

 どこにクギを刺したのか、西村康稔のクギを刺されていない証言となっている。4月の会合、8月の会合に出席した安倍派幹部は自分たちは現金還付にも収支報告書不記載にも関与していない。4月の会合で安倍晋三の指示で一旦現金還付中止で申し合わせたもののなぜ復活したのか、なぜ継続したのか知らないと証言していて、記事で書いてあるようには安倍晋三の「激怒」という感情の噴出も、クギを刺したという事実も、一切見えてこない。

 4月の会合も8月の会合も作り話とすると、全てに納得がいく。繰り返しの根拠提示となるが、両会合が安倍派の現金還付と収支報告書不記載がマスコミによって報道されてからこの両会合が自民党サイドから出てきたものである以上、作り話の必要性は安倍晋三は清和政策研究会が前々から行ってきた悪習を派閥会長になってから単に引き継いだだけのことで、自身が始めたことではないという設計非首謀説を打ち立てることにあり、実際にもそのようなストーリー仕立てとなっている。

 裏を返すと、当然、安倍晋三設計首謀説以外、炙り出すことはできない。

 清和政策研究会の政治資金パーティーは例年5月に行う慣例となっている。前年の2021年は5月を外れて12月6日に行われたのは2020年暮れから翌2021年3月までコロナ第3波、4月から6月まで第4波と
いう感染状況に応じて時期を12月にずらしたのだろう。前々年の2020年は9月28日に行っているが、2020年4月7日に7都府県にコロナ緊急事態宣言が発令された関係で時期を遅らせることになったのだろうが、それ以外は毎年5月に行っている。

 2022年のコロナの感染状況は第6波が1月1日から3月31日まで。第7波が7月1日から9月30日までで、4、5、6月はその谷間に当たると同時に政府は2022年3月21日を以って全ての都道府県のまん延防止等重点措置を終了、行動制限のない5月のゴールデンウイークを3年振りに迎えている。

 要するにまん延防止等重点措置を終了の2022年3月21日以降、2022年5月の開催は予定できた。そして5月17日に開催した。清和政策研究会の政治資金パーティーのパーティー券の販売開始はMicrosoft EdgeのAI「Copilot」で問い合わせてみると、「しんぶん赤旗」の記事を元に"開催約2ヶ月前"だと案内している。

 5月17日開催の2ヶ月前は3月17日。まん延防止等重点措置の終了が確実視できる頃となる。さらに安倍晋三とて清和政策研究会入会、一派閥会員としてスタートを切り、中堅会員、幹部会員、そして派閥会長の地位に昇格することになっただろうから、パーティー券の売上程度は関心対象となっていて、販売開始はパーティー開催の約2ヶ月前であることは慣習的に知り得ていたはずだから、安倍晋三が2022年2月にキックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)を自身の会長就任前から実施されていたことを知り、激怒、改めるよう会計責任者を叱責したが事実なら、パーティー券の販売開始前に直ちにそのノルマ超えの販売を禁止し、ノルマ通りの売上を厳命しなければならなかったことで、時間的にもできただろうから、できたことをしておけば、2022年4月の会合で安倍晋三の指示を受けて現金還付中止を派閥所属議員に電話で連絡したものの既にパーティー券を販売してしまったという議員が出てくる事態は回避できたことになる。

 だが、2022年2月にキックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)が行われていることを知りながら、安倍晋三は中止させるための行動を既にパーティー券が販売されている最中の2022年4月の会合が開かれるまで起こさなかったという矛盾した筋立てとなる。

 その答は4月の会合は存在しなかったという事実以外に行き着かない。当然、8月の会合にしても存在しなかった。存在しなかったとすることによって様々な矛盾が解消する。

 パーティー券販売が開催2ヶ月前が3ヶ月前だったとしても、悪習を知った2022年2月に中止の行動をなおさらに直ちに起こさなければならなかっただろうし、2ヶ月前が1ヶ月前だったとしても、既にノルマを超えて売り上げた議員に対しては収支報告書への記載を厳命して返金すれば済むことを、その両方共に行動を起こすことはなかった。結果、各幹部の政倫審での証言が矛盾に満ちることになった。

 どこをどう押したなら、4月と8月の会合が実在したとの証明を導き出すことができると言えるだろうか。

 とどのつまりは安倍晋三が始めた政治資金パーティーを使った現金還付と政治資金収支報告書不記載のカラクリだと知られることを、連続在任日数歴代1位の輝かしい名誉を金メッキとしないないためにも、何としてでも阻止しなければならない派閥幹部としての切迫した義務感が現金還付と収支報告書不記載の設計首謀者から単に前々からの悪習を引き継いだ設計非首謀者に過ぎないと演出、無罪放免とするために仕組んだストーリーに過ぎないことを数々の状況証拠が突きつけることになる。

 女性蔑視人間として有名な元首相森喜朗が設計首謀者であるかのような噂が流布しているが、森喜朗と安倍派幹部が謀らい、安倍晋三を設計首謀者から遠ざける目的で森喜朗が一定程度の悪者になることを引き受け、流したフェイクニュースに過ぎないだろう。森喜朗設計首謀説が事実なら、安倍晋三が2022年2月にキックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)が自身の会長就任前から行われていたことを知り、激怒したことと改めるよう会計責任者を叱責したことを嘘偽りのない感情とすることが可能となり、そのことは2022年5月の安倍派政治資金パーティから現金還付と政治収支報告書不記載の中止を、派閥会長としてできないことではなかったのだから、実現させることで感情を発散、自らの責任を果たすことになるのだが、実際にはこれらのプロセスを何一つ踏むことはできなかった事実は森喜朗首謀説を紛い物とする証明としかならない。

 安倍派幹部の政倫審証言やその他の記事を状況証拠とすると、安倍晋三設計首謀説以外は見えてこない。

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安倍派政治資金パーティキックバック裏金:22年4月と8月の会合を作り話とすると、全てがスッキリする

2024-04-01 11:29:17 | 政治
 今回の政治資金パーテー収入のキックバック裏金問題は、「Wikipedia」をなぞって説明すると、〈2022年11月にしんぶん赤旗が5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載をスクープ。同月から神戸学院大学教授の上脇博之は独自に調査を開始し、東京地方検察庁への告発状が断続的に提出され、2023年11月に読売新聞やNHKなどが報じたことで裏金問題として表面化した。〉ということで、同「出典」によると、読売新聞は2023年11月2日に報道し、NHK NEWS WEBは2023年11月18日に報道している。つまり安倍派や二階派の政治資金パーテー収入キックバック裏金問題は2023年11月に入ってから世間を騒がすことになった。

 安倍派は派閥の政治資金パーティのパーティ券販売で所属議員にノルマを掛け、ノルマを超えた分はキックバック、キックバック分のカネの収支については派閥側も所属議員側も収支報告書への不記載が発覚、告発を受けて東京地検特捜部が取調べに入ったが、所属議員はキックバックと不記載に関して嫌疑なしで不起訴処分となり、安倍派清和政策研究会会計責任者のみが在宅起訴となり、初公判は5月10日という。

 収支報告書不記載は事実安倍派清和研究会の会計責任者と各個人の政治団体の政策秘書間の独断行為で派閥幹部議員は関知していないことで、現金還付について知ったのは2022年4月の安倍晋三と派閥幹部4人との会合だったとしているが、世論と野党は納得せず、政治倫理審査会が2024年3月に衆参で開催されることになった。同じく虚偽記載を問われた二階派を代表して出席することになった二階派事務総長の武田良太の質疑は除外して、安倍派幹部西村康稔、松野博一、塩谷立、高木毅、下村博文、世耕弘成のうち、2024年3月1日の西村康稔に対するトップバッター、自民党の武藤容治の、安倍晋三が現金還付中止の指示を出した際の具体的な経緯に対する質疑応答のみと、同じく西村康稔に対する立憲民主党の枝野幸男の追及、2024年3月18日の下村博文に対する同立憲民主の寺田学の追及、2024年3月14日の世耕弘成に対する同立憲民主の蓮舫の参院政倫審の追及を文字起こしして、幹部たちは慣習と称しているが、ほぼ制度化していたキックバック確立と政治資金収支報告書不記載に関与していないとする釈明、あるいは弁明の正当性を窺ってみる。野党もマスコミも解明の鍵となるのが政倫審開催当時(最後が下村博文の2024年3月18日の衆院政倫審)は安倍晋三がキックバックの中止を指示したとされる2022年4月の幹部会合と、一部の議員からノルマ超過分を戻してほしいとの要望があり、その対応を話し合ったとしている8月の幹部会合と見ていたから、政倫審ではその点をどのように追及するか焦点を当ててみたいと思う。

 では、最初に武藤容治、68歳、岐阜3区、麻生派。必要なところだけを抜き出す。

 武藤容治「還付・不記載があったということは、(西村康稔本人は)これは知らなかったという内容ですね。どういうカネと言いますか、不記載があったということ、それが(清和研究会の)事務局長さんだけが長年の慣行としてやってきたのか、色々な情報が出ている中で今の西村さんの認識をもう一度確認させてください」

 同じ自民党だからだろう、手ぬるい質問となっている。

 西村康稔「ノルマについてもどういうふうに決まっていたのか承知していない。会長と事務局の間で何らかの相談があって決められたのではないかと推察するが、どういう会計処理がなされていたのか承知をしていない。ただ今思えば、事務総長として安倍会長は令和4年、2022年4月に、『現金の還付を行っている。これをやめる』と言われて、幹部でその方向を決めて、手分けをして若手議員にやめるという方針を伝えた。

 安倍会長はその時点で何らかのことを知っておられたのだと思う。どこまで把握していたのか分からないけれども、現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめると、還付そのものをやめると、いうことで我々で方針を決めて、対応したわけでありました。

 その後、安倍会長は亡くなられて、その後ノルマを多く売った議員がいたようでありまして、返してほしいと出てきた。それを受けて、8月の上旬に幹部で議論し、そしてどうするか。還付は行わないという方針を維持する中で返してほしいと言う人たちにどう対応するか、色々な意見があったことと結局結論は出ずに私は8月10日に経済産業大臣になったので、事務総長は離れることになります。

 その後、どうした経緯で現金の還付が継続することになったのか、その経緯は承知をしておりません」

 西村康稔のこれだけの答弁の中で現金還付中止の理由と再開の事情についての表面的な経緯は十分に手に取ることができる。あとは事実を話しているかどうかである。

 4月と8月の会合が事実あったこととする前提で扱ってみる。先ず安倍晋三の「現金は不透明」の言葉は現金を使った還付方式の性格を言い表した言葉であって、その場に居合わせた安倍派幹部、塩谷立、西村康稔、下村博文、世耕弘成は安倍晋三の指示を受けて中止の方針を決め、その方向で対応したなら、「現金は不透明」の言葉に対して現金を使った還付方式の性格を目の当たりにし、納得し、中止に応じたことになる。なぜなら、現金で還付しても、還付側が政治資金収支報告書にその金額と何らかの項目の支出を記載し、還付された側が同じく政治資金収支報告書に同じ金額と同じ項目で収入として記載すれば違法とはならないのだから、その現金還付を「不透明」と性格づけている以上、どちらの収支報告書にも不記載か、あるいは政治資金規正法に触れる何らかの工作をした記載となっていることを承知していなければならない。承知しているからこそ、「現金は不透明」だから、その手の還付は中止するという指示に納得できた。

 要するに現金の扱いの何を以って「不透明」としているのか、安倍晋三と4人の安倍派幹部の間で暗黙の了解があった。暗黙の了解がなければ、還付中止へと話を進めることも進むこともない。

 現金還付が収支報告書不記載となっていることも知らなかった、「不透明」な性格だと気づいてもいなかった、ということなら、子どもではないのだから、「現金はどう不透明ですか」と「不透明」の理由を問い質さなければならない。当然、2022年4月の幹部たちの会合での安倍晋三との遣り取りの全容を追及しなければならないことになる。その遣り取りの中から、派閥幹部は不記載を承知していたかどうかを炙り出さなければならないことになる。

 参考までに政倫審の質疑応答でも取り上げているが、2022年の安倍派清和研究会の政治資金パーティー開催日は5月17日、安倍晋三銃撃死は約2ヶ月後の2022年7月8日。第26回参議院議員通常選挙が2日後の2022年7月10日。改選となる参議院議員にはパーティー券の販売ノルマは設けずに、集めた収入を全額キックバックしていたとマスコミは伝えている。いわば安倍晋三の4月のキックバック中止の指示は守られなかった。その結果、収支報告書不記載も続けられた。

 4月の会合で幹部たちは収支報告書不記載を事実承知していなかったのか、8月の会合で安倍晋三の中止の指示がなぜ有耶無耶になったのか、この二つが重要なポイントとなるのは誰の目にも明らかである。いくら不慮の死を遂げたと言っても、連続在任7年8ヶ月の2822日で、これまで最長だった佐藤栄作の2798日を抜いて堂々たる歴代1位の記録を達成し、この長期政権の恩恵を受けて自民党内で一番の派閥勢力を誇る安倍派内で幹部としての地位を築き、その利益によって安倍派勢力をバックに相対的に自民党内でもそれ相当の実力者としての存在感を手に入れることができている面々にとって安倍晋三はある意味絶対的存在であったはずだが、その効力は死んで一ヶ月かそこらで失うはずもないのに還付中止の指示が長くは持たなかった。その結果として幹部たちもその他の派閥所属国会議員も知らないままに、秘書だけが承知の上で収支報告書不記載が続けられることになったということになる。

 まず最初に西村康稔の政倫審質疑応答に先立って行われた本人の弁明から。安倍派清和研究会の代表兼会計責任者松本淳一郎は所属議員から集めた合計6億8千万円の収入と所属議員側に還付したりしたほぼ同額の支出を収支報告書に不記載、収入・支出共に過小に虚偽記入し、それを総務大臣に提出した政治資金規正法違反の罪で東京地方裁判所に起訴されたが、自身も検察の捜査を受けたものの立件する必要がないとの結論に至ったものと承知している。いわば会計責任者に違法行為があったとされたが、自身にはなかったと無罪宣言をしている。

 さらに2021年10月から2022年7月8日の安倍晋三銃撃死後の2022年8月まで安倍派清和会の事務総長を務めたが、役割は若手議員の委員会や党役職等への人事調整、若手議員の政治活動への支援・協力・指導、翌7月予定参議院選挙の候補者公認調整・支援等の政治活動で、清和会の会計には一切関わっていない。

「実際、今の時点まで私は清和会の帳簿、収支報告書など見たことはありません」

 パーティ券売上ノルマを超えた分の還付については自前で政治資金を調達することの困難な若手議員や中堅議員の政治資金を支援する趣旨で始まったのではないかとされているが、いつ始まったのか承知していない。還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたことで、会長以外の私達幹部は関与していないし、派閥事務総長と言っても、自身は関与していない。今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった。とは言え、国民の皆様の政治不信を招いたことを清和会幹部の一人として深くお詫び申し上げます。

 「承知していない」、「関与していない」が事実だとすると、安倍晋三の2022年4月の"現金は不透明・現金還付中止"の指示に少なくとも不審の念を抱いて、どういうことですかと詳しい説明を求めなければならなかったはずだが、そのような状況説明はないのは矛盾することになる。

 2022年の還付金については安倍会長の意向を踏まえ、幹部の間で行わない方向で話し合いが行われたものの、一部の議員に現金での還付が行われたようであるが、その後の還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。だが、経産大臣となり、安倍派事務総長の任から離れたが、安倍会長の意向を託された清和会幹部の一人として少なくとも2022年については還付を行わないことを徹底すればとよかったと反省している。

 私自身は5年間で合計100万円の還付を受けていたが、その事実は把握していなかった。秘書によると、その還付金は自身の政治資金パーティの収入として計上していたことが分かり、個人の所得や裏金にしていた訳ではない。今後このようなことがないように丁寧に報告を受け、的確に対応していきたい。

 以上で西村康稔の全面無罪とする弁明が終わり、立憲民主党の枝野幸男の追及を取り上げてみる。枝野幸男は前の質問者自民党の武藤容治が2022年の4月の幹部会で安倍晋三が現金還付中止の指示を出した点について質問したことを持ち出して、「これ間違いないですか」とか、「直接個人として呼ばれて話をされたのか、他の幹部と何かのことで集まっているときに話されたのか」とか、安倍晋三の指示とその指示に対する幹部たちの対応に何の疑問も持つことができずに追及のテクニックとして的を的確に捉える嗅覚も鋭く切り込む勢いも言葉遣いも一切感じられない質問の仕方にこれはダメだなと感じた。

 西村康稔は4月の会合では安倍会長の元で還付をやめるという方針を決めた際、幹部で手分けして派閥所属の国会議員に電話して中止を伝えたことと出席者として安倍晋三以外に西村自身と当時会長代理だった塩谷立、同じく会長代理の下村博文、自民党参議院代表・幹事長の世耕弘成世、清和会事務局長(松本淳一郎)の名前を挙げた。

 そしてその後還付はしないという方向で進んでいたが、7月の安倍晋三銃撃死後、ノルマ以上売った議員から返してほしいという声があって、8月上旬に集まって議論したが、結論は出なかったと弁明で喋ったことと同じことを繰り返した。

 枝野幸男が4月の会合ではなく、8月上旬の幹部会合に追及の焦点を移して、下村博文が2024年の1月31日の記者会見で述べた、その会合で還付に代わる案として出た、ノルマを超えた分の還付は派閥所属議員が個人として開く政治資金パーテイに上乗せする形で行い、収支報告書では合法的な形で出すとした考えは西村自身の案なのか質問したのに対して西村康稔は、返してほしいという声に応えるために所属議員が開くパーティのパーティ券を清和会が購入する方法がアイデアの一つとして示されたが、採用されたわけではなく、どう対応するかは結論は出なかったと答えている。

 下村博文が2024年の1月31日の記者会見で述べた収支報告書に「合法的な形で出す」とした発言が8月の会合で西村自身が述べたのか、述べていなかったとしたら、他の誰かが述べたのか確かめなければならなかった。述べたとしたら、還付した現金は"合法的でない形"で収支報告処理されていることになり、このことを幹部たちは認識していたことになるからだ。だが、枝野幸男は「それ(その案は)、西村さん自身ですね」と確認しただけで終えてしまった。西村はそういう案があったと説明しただけで、そういう発言があったかどうかも述べずじまい済ませてしまう。 

 枝野幸男は西村康稔が5年間で還付を受けた100万円を秘書が西村個人が開いた政治資金パーティの売上に加えて収入として計上した点を捉え、その他追及するが、肝心なことは西村等清和会幹部がキックバックされたカネの収支報告書不記載を秘書のみの判断で行っていたことで、幹部たちは事実関知していなかったことなのかどうか、安倍晋三が「現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめる」と指示したとしている発言との関連で追及しなければならないのだが、このことを置き去りにした追及を続けるのみだから、文字起こしは見切りをつけた。この政倫審での枝野の追及に関してネット上の様々なマスコミ報道を見ても、肝心な点の追及とその効果に触れている記事は見当たらなかったから、見切りをつけたことは間違っていなかったはずだ。

 次は順番が後先になるが、2024年3月18日の下村博文に対する立憲民主党の寺田学の衆院政治倫理審査会の質疑を取り上げてみる。

 先ず本人の弁明。ノルマを超える分が派閥からの還付という扱いになっていることは知らなかった。そのカネが自身の選挙支部に補充されている認識もなかった。一部は現金として事務所内で保管していたが使用されないままとなっている。他は専用口座に預け入れたままになっていて、これらのことを東京地検が確認していて、いわゆる裏金として何かに使用された事実はなかったことは明らかである。但し派閥事務局から誤った伝達(収支報告書に記載しないでほしいという伝達)があり、収支報告書に記載されないままになっていたので、今般寄付として訂正した。

「私自身は知らなかったこととは言え、収支報告書に記載すべきものを記載していなかったことは事実であり、あらためて深く反省すると共に政治資金規正法並びに収支報告書記載義務に対する認識の甘さによって多くの方にご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げていただきます」

 以上の「知らなかった」、「認識もなかった」はやはり安倍晋三2022年4月の"現金は不透明・現金還付中止"の指示に何ら疑念を介在せることなく従ったことになり、指示伝達に対する了承が思慮のない、無条件の従属性を見せることになって、派閥幹部としての良識を疑わせることになる。

 逆に収支報告書不記載を承知していたからとした方が、派閥会長の「不透明」という言葉に即座に反応することができたと解釈することが可能となって、前後の整合性が矛盾なく収まることになる。

 更に2018年1月から2019年9月まで清和研の事務総長の立ち場にあったが、清和研の会計には全く関与していない、収支報告書について何らかの相談も受けていない、事務局に対して指示をしたこともない、清和研派閥政治資金パーティのパーティ券販売のノルマを超える分が還付されている事実も知らなかった。知ったのは2022年4月頃に当時の安倍会長から派閥からの還付をやめようという話を聞いたときだが、その還付金が収支報告書に不記載となっているという話はなかった。

 と言うことは、安倍晋三が「現金は不透明」の言葉をそのままスルーさせてしまったことになる。

 ノルマを超えた分を現金で還付しても、正当な名目付けで収支報告書に記載し、その名目付けどおりの
使途を行っていれば、何ら問題は生じないのだから、安倍晋三が"現金は不透明"を口にした時点では収支報告書不記載を事実知らなかったとしても、少なくとも"不透明"とした性格付けの中に不記載への疑いを選択肢の一つとしなければならなかったはずだが、そうしなかったとしたら、政治性善説に立ったあり得ないお人好しとなる。

 清和研としては当時の安倍会長の意向を受けて還付はやめようという方向となっていたものの、会長がお亡くなりになったあと、派閥の事務局に於いてこれまでの慣例に則って還付が行われたもので、当時は清和研の会長代理だったが、清和研の令和4年(2022年)のパーティに関してノルマ超過分の還付を決めたり、派閥の事務局に対して収支報告書の不記載を指示したり、了承したりしたことはない。還付を知ったのは清和研事務局から還付金の確認があった際にその取扱いについて確かめた令和5年の暮れ以降である。今後は収支報告書の正確な記載を徹底し、透明性を持った政治活動をお約束しますと弁明を終えた。

 想定内の自己無罪判決となっている。知り得ていたのは秘書のみで、自身は関知していなかった。但し、「安倍会長から派閥からの還付をやめようという話を聞いたときだが、その還付金が収支報告書に不記載となっているという話はなかった」と述べている点は当方が既に指摘しているように西村康稔が明らかにした2022年4月の安倍晋三の指示伝達に対する了承が常識外となっている点に留意しておかなければならないだけではなく、現金還付は「派閥の事務局に於いてこれまでの慣例に則って還付が行われたもの」と言っているが、安倍晋三が現金還付中止の指示を出した4月の会合には安倍派清和会の事務局長松本淳一郎が出席していて、事務局長として現金還付中止の指示に立ち会う形になっていたのである。にも関わらず下村の現金還付継続は事務局の慣例に則ったものだとする発言は矛盾することになるが、寺田学は気づかなかったようだ。

 寺田学は冒頭、「正直に話して貰いたい、期待しています」と政治の世界にふさわしくない人の良さを見せて切り出し、下村さんは様々に会見を開いて、唯一重要な会議だと8月の会議の存在を初めて申し上げた、他の議員は存在自体を話していないが、下村さんが話したことによって焦点が少しではあるが絞られてきたと下村の証言で疑惑解明が前進するかのような人の良さを見せて追及を開始した。

 下村博文は8月の会議での還付を継続するかやめるかという話は本来中心ではなくて、安倍会長が亡くなったあとの清和研の会長等、派閥の今後の運営の仕方、安倍会長の当時の派閥への対応等が中心で、5月に清和研のパーティがあり、4月には全員還付はやめようと連絡したにも関わらず、4月から5月の間ということで既にチケットを売っている方もいると思うが、還付についてノルマ以上に売上があった方から、戻して貰えないかという話があったものの還付はやめようという前提での議論で、このときに還付そのものは不記載であるとかいう認識は私は持っていなかった。

 西村康稔と同種の弁明を引き出している。

 下村博文は還付は不記載という認識は自身になかったことを印象付けようと何度でも同じ言葉を繰り返している。ウソつきが「この話は本当のことだよ、ウソなんかじゃないよ」と何度でも念押しするのと似ている。寺田学は「なぜ還付は不記載という認識は自分にはなかったと何度でも言う必要があるのですか。実際は不記載を承知していたから、それを知られないために何度でも認識はなかったと言わなければならないんじゃないですか」と追及しなければならなかったが、しなかった。

 還付はやめるが、還付以外の戻し方の問題として個人の派閥パーティを開いたときに派閥がパー券を購入して協力する。但しこれを行うという結論が出たわけではない。8月の会合で還付を継続するということを決めたということは全くない。

 寺田学は下村の2023年1月31日の記者会見を取り上げて、ある人から個人の寄付集めのパーティのときに上乗せして収支報告書に合法的な形で出すという案があったと話しているが、一方で世耕さんが政倫審の中で上乗せという案は出ていないと思っていますと真っ向から否定している。8月の会議で上乗せするという話はあったのではないのかと質問した。

 事実そのとおりを話しているから、同じ場にいた者同士で話が似てくるのか、あるいは事実とは違うことを口裏を合わせて作り出したストーリーとして話していることだから、同じ内容となるのか、その点を見極める追及が必要だが、その必要性には気づかない。

 下村博文は還付をやめるという前提で8月の議論があったが、ノルマ以上を売り上げた人から何らかの形で戻して貰えないかという話があったと西村康稔と同じようなことを言い、自身としても繰り返しとなる同じことを口にする。繰り返しは寺田学の追及による誘導に過ぎない。

 既に触れたように「合法的な形で出す」とはそれまでは"合法的な形で出していなかった"ことを知識としていた言葉となるが、追及すべき点と気づかなければ、何も出てこない。

 還付が不記載であることは知らなかったが、還付に代わる形として個人のパーティに派閥として協力できる方法はこれではないかという話をしたと、さらに同じ話を繰り返す。対して寺田学は下村が話していることは上乗せではなく、単純に個人のパーティーからパーテイ券を買うだけのことで、(下村の記者会見では)上乗せ案という言い方ではなかったと、還付継続の"なぜ"に関係ないことを突く。

 下村は個人の立ち場の個人のパーティでは派閥がそれを協力するという意味で上乗せという言い方をしましたと言い抜ける。寺田学はパーティ券を買うよりも他の派閥でもやっている、合法的な方法でもある派閥からの寄付というアイディアが出なかったのかと質したが、現実問題として非合法の還付・不記載を継続させていたのだから、出なかったと答えられれば、それまでのことでしかない。下村博文は出なかったと答えずにこれまでの答弁を冷静沈着にと言うか、鉄面皮にもと言うか、4月の会合で安倍会長から中止の話があって、幹部で手分けして派閥としてやめることをみなさんに話して、復活する話は8月の会議では出ていなかったと同じ答弁を繰り返すことで寺田学の追及を不発に終わらせた。

 寺田学は政倫審で誰に聞いても還付継続を決めたのか分からないという話をするが、まさか松本事務局長が決めたということはあり得ないですねと問い質すと、下村博文は私自身が知っている場所で決めたということは全くない、だから、いつ誰がどんな形でどのように決めたのか私自身は何も知らないと糠に釘である。

 寺田学は安倍派の5人衆が森喜朗に逐一相談しながら派閥の運営の在り方を決めていく、それが派閥の運営じゃないのかと森喜朗が清和政策研究会に今なお隠然たる影響力を持っているかのような質問をすると、下村博文は8月5日は還付の継続は決めていなかった、その後決まったが、(その決定に)私自身は立ち会ったとか関与したことはない。どこでどんな形で決まったかわからないと同様の繰り返しを続ける。

 寺田は森喜朗は派閥の人事について口出しているとか、派閥の運営にかなり影響力が強かったのではないのかと、鉄砲の弾尽きて竹の棒を振り回すような自棄っぱちの手に出た。2024年3月27日付けのマスコミ報道が首相の岸田文雄が2022年4月の会合出席の安倍派幹部から3月26日、27日に事情聴取したところ、幹部の一部から「キックバック再開の判断には森元総理大臣が関与していた」と新たな証言をしたと明かしているが、寺田が何らかのツテでこのことを把握していたとしても、報道が出る前の追求であることと、もし事実森喜朗が関与していたなら、5人衆の罪一等を減ずることになる。つまり森喜朗関与説は5人衆に少なからず利益を与えることになり、その利益は森喜朗一人を一定程度ヒール役にすることによって生じるという構図が出来上がる。要するに5人衆にとってこのような構図が出来上がることによってある程度の利益を手にすることになる。果たして何らかのカラクリがあるのか、ないのかである。

 下村博文は森喜朗の派閥に対する影響力は聞いたことがないと一蹴する。寺田は萩生田光一の発言からノルマ超の現金還付・収支報告書不記載は2003年頃からではないかとか、解明の的を外していることにも気づかすにムダな発言をして、ムダに時間を費やし、最後に「時間がきたから終わりますが、真実を少しでも解き明かそうという姿勢がないということは残念です」と自分から幕を下ろすことになる。相手に真実を解き明かすことを求めること自体が間違った姿勢だということに気づかない。自身の追及次第だという覚悟がないのだろう。

 では最後に2024年3月14日の世耕弘成に対する立憲民主の蓮舫の参院政倫審の追及を見てみる。

 世耕弘成の弁明。ざっと取り上げてみる。弁明の機会を与えてくれた政治倫理審査会の先生方に感謝を申しあげる。清和政策研究会の政治資金パーティ券売上に関わる還付金問題で国民の政治に対する信頼を大きく毀損したことについて清和政策研究会の幹部の一人として深くお詫び申し上げる。

 謙虚なのはここまで。

 収支報告書作成を始め、清和会の会計や資金の取り扱いに関与することは一切なかった。パーティ券販売のノルマ、販売枚数、還付金額、超過分の還付方法について関与したこともなく、報告・相談を受けていない。安倍会長が亡くなったあとも、私が出席している場で現金還付が決まったり、現金による還付を私が了承したこともない。

 こうしたことを踏まえて、東京地検特捜部が多大な時間と人員を割いて私から事情聴取を行い、関係先を家宅捜索するなどして徹底捜査された結果、法と証拠に基づいて私については不起訴、嫌疑なしと判断された。

 私自身は派閥で不記載が行われていることを一切知らなかった。とは言え、今回の事態が明らかになるまで事務的に続けられてきた誤った慣習を早期に発見・是正できなかったことはについては幹部であった一人として責任を痛感している。

 ここからウソつきの本領発揮とくる。不記載に関して一切知らなかったが事実とすると、早期に発見・是正という機会を持つことも恵まれることもないからだ。当然、「責任を痛感」はポーズに過ぎない。

 今回の事態が明らかになるまで、自分の団体が還付金を受け取っているという意識はなかったため、還付金について深く考えることはなかった。

 深く考えることはなかった、いわば"反省"、あるいは"後悔"は最初の段階として考える対象の是非を深く意識する作用を持ってこなければ、真の"反省"、あるいは"後悔"とはならない。だが、世耕弘成は是非を深く意識する作用を欠いた状態で"反省"、あるいは"後悔"らしきものを持ってくる。当然、中身を伴っていないことになって、口先だけのポーズだからこそできる是非を深く意識する作用を欠いた"反省"、あるいは"後悔"の類いに過ぎないことになる。

 もっと早く問題意識を持って、還付金についてチェックをし、派閥の支出どころか、収入としても記載されていないこと、議員側の資金管理団体で収入に計上されていないことを気づいていれば、歴代会長に是正を進言できたはずだとの思いであります。

 知らなかった、承知していなかったでは問題意識を持つことも、議員側の資金監理団体で収入に計上されていないことに気づくことも、歴代会長に是正を進言することも不可能事であって、不可能事を可能事であるかのように言う。ウソつきの常套句に過ぎない。

 私が積極的に還付金問題について調査をし、事務局の誤った処理の是正を進言しておれば、こんなことにはならなかったのにと痛恨の思いであります。

 知らなかった、承知していなかった還付金問題に調査を思い立つキッカケなど訪れようがない。当然、事務局の誤った処理の是正を進言にまで進むことはない。現実には実行しなかった話を持ち出して、"痛恨の思い"を披露する。

 ウソの演技もここまでくれば、天才と言える。できなかった事実、しなかった事実をすることができた事実であるかのように尤もらしげに喋り立てる。明瞭なハキハキした力強い言葉遣いと自信に満ちた態度で確信的に話すから、多くの人間が騙される。

 こういった態度・口調もウソ付きの才能の主たる一つで、この才能は清和会実力者に上り詰めるに役立ったに違いない。

 繰り返しになるが、西村康稔の証言が正しければ、安倍晋三は4月22日の会合で、現金還付は不透明な性格のものだと指摘した。にも関わらず、世耕一成はそれ以後、還付金問題について調査をすることはなかった。考えられる理由は安倍晋三と他の幹部が収支報告書不記載を共に共通認識としていた正犯と従犯の関係にあり、安倍晋三死後は幹部同士が臭い物に蓋の共犯関係にあったために調査という選択肢は当初からゼロだったからと疑うことができる。

 蓮舫はこういった数々のウソを突いて、信用できない人間像を印象づけるべきだったが、2022年4月の会合場所はどこか、明らかにしても問題はないことから追及を始めた。頭から一発ショックを与えるという考えはなかったようだ。このことが蓮舫の追及の性格を表すことになる。蓮舫は既に明らかになっている会合出席者の名前を挙げてから、会議内容を手控えのメモを取っていないか、取っていたとしても正直に答えるはずはないことを聞いた。世耕は当然否定した。

 蓮舫がすべきことは会合でどんな遣り取りがあったか、しつこいくらいに記憶を呼び起こさせて、そこに矛盾がないかを嗅ぎ取り、矛盾点を見い出した場合はその点を突いて、表沙汰とした事実を覆し、隠されている事実を炙り出すことだろう。蓮舫は現金還付について話し合ったのはその一回か尋ね、世耕はその一回だけと答え、「話し合ったというよりは安倍会長の決定を伝達され、それを参議院側に伝えてほしいということで呼ばれたというふうに理解している」と、何の問題はないとした答弁で片付けている。

 中止の理由を言わずして、いきなり現金還付の中止を伝達し、参議院側への連絡を依頼するというプロセスはいくら安倍晋三を絶対的存在と位置づけていたとしても、あり得ない状景であるはずだが、蓮舫は「中止の理由はどう述べたのですか」と聞く折角の機会を逃して、なおのこと4月以外の会合に拘り、3月に会合を持った記憶はないかと追及した。世耕は否定し、「残念ながら、私のスケジュール表にも、私の記憶にありませんと」と一蹴した。

 世耕にしても、中止の理由を「安倍会長から指示されたから」のみでは済まないはずで、済むとしたら、中止を伝えた側も伝えられた側も収支報告書不記載なりの何らかの不法行為を共通認識としていなければならない。

 但しマスコミが2024年3月29日付けで一斉に蓮舫の指摘どおりに世耕一成が3月29日い記者団に対して2022年の3月2日に安倍晋三、前衆議院議長細田博之、西村康稔と自身の4人が会合を持ったことを明らかにした。スケジュールを改めて精査した結果だとし、現金還付の議論は否定したと伝えている。

 もし蓮舫が自分の指摘を手柄としたら、自身の小賢しさを証明するだけのことになるだろう。いつ始まったのか、誰が始めたのか知らない、自身は関与していないとするノルマ超の現金還付を2022年の4月の幹部会で安倍晋三に伝えられて初めて知ったのか、その還付が清和会の収支報告書にも議員側の政治団体の収支報告書にも不記載となっていたことを双方の秘書のみが承知していて、議員自体は彼らの言葉通りに関知していないことだったのか、政倫審という事実解明の機会を与えられながら、事実なのか虚構なのか、どちらか一方に整理をつけることが肝心な点で、それが誰もできていないからだ。

 世耕一成は蓮舫が指摘した3月の会合は否定し、「私の記憶では4月上旬の安倍会長が入って唯一話し合いというよりはノルマ通りに売ることにするからという指示を下された。そういう会合だった」と答弁。折角の追及の材料を提供して貰いながら、蓮舫は4月以前に招集されずに4月の会合に突然呼び出されて還付金中止を指示されたのかと否定されたらおしまいとなる表面的な日程に拘った。

 世耕一成が証言している、4月の会合で「安倍晋三からノルマ通りに売ることにするからと指示された」。つまり4月以前はノルマ通りに売っていなかった。2024年3月1日の衆院政倫審での西村康稔の答弁はNHK総合でテレビ放送していたから、蓮舫は参考のために直接か、録画かで視聴していたはずで、西村が「安倍会長に現金の還付を行っている。これをやめると言われて、幹部でその方向を決めた」、安倍晋三のやめる意向を「現金は不透明で疑念を生じかねない」と述べたこととを突き合わせれば、世耕の証言はノルマを超えて売らせていて、超えた分を現金で還付していたことになる点を捕まえて、その場での詳しい遣り取りを聞き質すことによって安倍晋三が初めて打ち明けたことなのか、多分、初めて打ち明けたとするだろうが、例えその時点まで承知も把握もしていなかったことであっても、カネの出入りと収支報告書への記載は相互に関連付けなければならない義務となっている以上、少なくとも4月の会合の時点で、"不透明"としている関係上、清和政策研究会事務局がノルマを超えた分を現金で還付する場合のカネの処理をどの名目で行っているのか、その方法に準拠して各議員の政治団体も会計処理することになるだろうから、派閥の幹部としてどのような名目で処理しているのかを把握しておかなければならない立ち場にいたはずではないかと追及することができたはずだ。

 最低限、蓮舫は世耕一成に清和会事務局が還付する現金に対して収支報告書上の処理をどのような名目で行っていたのか関心を持つことはなかったのかと問い質さなければならなかった。不透明な性格の現金還付としている以上、それに準じて会計処理も不透明な形しているのか、正当な名目にすり替えて、いわば資金洗浄を施しているのか、あるいは現金で保管、裏ガネとしているのか、どちらなのかを迫らなければならなかった。世耕は政治団体、あるいは後援会の代表として不透明な性格の還付された現金に対しての会計処理に無関心であったとすることはできないだろう。

 蓮舫は折角の追及の材料を逃してしまい、次に訪れた追及のチャンスも逃してしまう。蓮舫が8月の幹部会の塩谷の還付廃止で困っている議員たちのために還付が継続されたとする説明と西村康稔の結論は出なかったの説明、下村の記者会見で述べた一定の方向は決めたことはないの説明の食い違いを追及したのに対して世耕はノルマ以上売った議員から返してほしいとの申し出があり、現金還付中止の方針を堅持しながら、具体的に詰めたわけではないが、各政治家個人が開くパーティのパーティ券を何らかの形で清和会が買い、しっかりと収支報告書に出る形で返すというアイディアが出て、それだったら反対をしないという意見を述べた気がしますと証言している。

 下村博文も2024年の1月31日の記者会見である人の意見としてノルマを超えた分の還付は派閥所属議員が個人として開く政治資金パーテイに上乗せする形で行い、収支報告書では合法的な形で出すとする案を紹介しているが、世耕の「収支報告書に出る形で返す」の物言いにしても、これまでは"収支報告書に出ない形で返していた"ことの証明となる。幹部会合の2022年4月当時、収支報告書に出る形で返す、いわば現金還付を行っていたなら、安倍晋三自身、「現金還付は不透明だから」との理由付けで中止を指示する必要もないし、中止しなければ、若手議員からノルマを超えた分を返してほしいという声も出てこなかったろう。

 当然、蓮舫はこの点を突くべきだったが、突かずじまいにしてしまった。

 世耕が、塩谷の還付継続を決めたとする発言は何らかの資金手当をしなければいけないということが決まったということで、下村の記者会見発言も、塩谷と同じそういうことを踏まえた発言ではないか、大幅に各人の認識が違っているわけではないと説明すると、蓮舫は「若干の食い違いどころでないんですよ」と応じて、現金還付継続を誰がどういう考えで決めたのか拘る質問を続け、世耕はどうするか結論が出たわけではないを繰り返して、誰が決めたのか分からないの堂々巡りが長々と続いた。
 
 4月の会合で安倍晋三から西村、塩谷、世耕、下村博文の4人の幹部対してノルマを超えた分の現金還付中止の指示が出たとなっている。これが真正な事実とすると、当然、4人は安倍派幹部として還付中止を徹底させる責任と義務を負ったことになる。だが、現金還付中止の方向を維持しながら、若手議員のノルマを超えた分を返してほしいという声にどう対応するか、議論しただけで結論を付けないままに終えてしまう、その責任と義務の放棄の結果として現金還付と還付されたカネの収支報告書不記載が継続されることになり、このことがしんぶん赤旗によって長年の慣行としてスクープされ、大学教授によって東京地検に告発されるに至った。

 もし4人の安倍派幹部が還付された現金の収支報告上の扱いが不記載となっていたことが2022年4月、あるいは8月の時点で自分たちの証言通りに知らなかった、承知していなかったが事実とすると、安倍晋三指示に対する責任と義務の不履行は途轍もなく大きな代償となって跳ね返ってきたことになる。

 この点をも突くべき材料となるが、蓮舫にはその才覚はなかった。蓮舫の最後の発言。

 「何の弁明に来られたのか、結局分からない。政倫審に限界を感じました。終わります」

 蓮舫の追及にこそ限界があったはずで、気がつかないことは恐ろしいことだが、気がつかなければ自身の追及技術の未熟さの解消はなかなかに望めないことになる。

 安倍晋三が安倍派幹部の塩谷立、西村康稔、世耕一成、下村博文、それに清和会事務局長松本淳一郎を混じえて、安倍派政治資金パーティのパーティ券ノルマ超売り上げ金のキックバック(現金還付)を中止したとされている2022年4月の会合は果たして存在したのだろうか。

 既に紹介しているが、しんぶん赤旗が5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載をスクープしたのが2022年11月。そこから神戸学院大学上脇博之教授による東京地検に対する告発が始まり、その1年後の2023年11月に入ってマスコミが報道を開始して、世間に広く知られることになった。

 前記安倍晋三と安倍派幹部との2022年4月の会合と安倍晋三の死後に幹部だけが集まって現金還付の扱いを議論したとされる8月の会合の報道が始まったのが2023年の年末から2024年の年初にかけて。要するに5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載が世間に知れることになった2023年11月からほぼ1ヶ月して2022年の4月と8月の会合が報道され、安倍晋三が現金還付の中止を指示していたという事実が打ち立てられた。ここに何らかの意図が隠されていないだろうか。

 何よりも4月の会合で7年8ヶ月も政権を維持して、それなりの権威を持つ安倍晋三が指示した現金還付中止を所属議員に幹部手分けで連絡したとは言うものの、いわば選挙資金を遣り繰りしている若手議員からのノルマを超えた分のカネを返して欲しいという声を受け、8月の会合で幹部のみで現金還付に代わる手当を議論しながら、色々なアイデアは出たとは証言しながら、しっかりと結論まで持っていくことができずにそのまま放置し、その結果、現金還付と還付されたカネの収支報告書への不記載の違法行為がそのまま続けられていて、幹部自身は知らなかったとする、かつての大親分安倍晋三に対する幹部としての責任と義務の放棄は普段、「政治は結果責任」を口にしているだろうことからしても、幹部が4人も雁首を揃えていたのだから、無責任過ぎるでは追いつかない、考えられない事態と言うしかない。

 会合はどこから洩れたのだろうか。普通に考えると、不利益を被る幹部サイドからではないはずだ。4月、8月の会合の報道が2023年の年末から2024年の年初にかけて開始された時点に立って考えると、もし洩れなかったなら、ノルマ付けとノルマ超の現金還付と収支報告書不記載が歴代会長の指示で行われていたことが検察の取調べや報道の調査で突き止められた場合、安倍晋三は連続在任日数歴代1位の名誉を少なからず損なうことになり、一方で幹部たちは自身の知らないところで行われていたことだといい抜けることもできるが、4月と8月の会合の存在を知らしめれば、自分たちは一定程度のヒール役を負うことになったとしても、安倍晋三の名誉を少なからず守る利益を生み出すことができる。

 いわばこういった一方は利益、一方は不利益の構造を演出するための4月と8月の会合は4人の幹部のリークによるストーリー(作り話)だったのではないかと疑うことができるし、さらに現実には存在しなかった演出したストーリー(作り話)だったからこそ、安倍晋三の還付中止の指示を派閥最高幹部が4人も雁首を揃えていながら、徹底できずに有耶無耶にしてしまった不手際、あるいは幹部にあるまじき責任と義務の放棄も説明がつき、現金還付と収支報告書不記載が4月と8月の会合に関係なく続いていた経緯もスッキリする。

 8月の会合でノルマを超えた分を返して欲しいという議員の声に応えるために様々に議論した中の一つ、派閥が政治家個人の政治資金パーティのパーティ券を買う方法は収支報告書に規則通りに記載すれば実行できる案であるはずだが、実行しなかったこと、あるいは派閥からの寄付という形で出して、同じく収支報告書に規則通りに記載すれば、問題なく実行できたのに実行しなかったことも、4月と8月の会合がストーリー(作り話)だったと疑うことのできる根拠となる。

 もし4月と8月の会合が実際に開催されていて、簡単にできるはずのこのような方法で安倍晋三の現金還付中止指示を決着付けていたなら、政治倫理審査会で、「知らなかった」、「承知していなかった」と説明不十分の醜態に追い詰められることもなかったろう。

 西村康稔が3月14日の政倫審で説明した安倍晋三の「現金は不透明」の言葉は現金還付中止を周囲に納得させる形で説明づけるためには、不正行為でなかったなら中止する必要は生じないから、不正のニュアンスを欠かすことができないことから用意した表現だろう。このようなニュアンスの表現を使うこと自体が、あるいは使ってしまうこと自体が当初から現金還付だけではなく、収支報告書不記載も知っていたことでなければ、できないことであるはずだ。

 但し政治倫理審査会が開催されることまで予想していただろうか。審査会の開催によって4月と8月の会合が演出した場面だと見たとしても、安倍晋三の還付中止の指示に向けた自分たちの責任と義務の放棄は実際のこととして扱われ、そのことについての説明を満足に付けることができない醜態は演出した場面だからという事情は顧みられることなく、その説明混乱の醜態と責任と義務の放棄の醜態だけを目立たせてしまった点は4人の幹部にとって大いなるマイナスとなって跳ね返ってきたことになる。

 要するにこのマイナスは自分たちの親分である安倍晋三の名誉を守ろうとして作り上げたストーリー(作り話)に対するしっぺ返し、大いなる代償だったと見るべきだと思うが――
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安倍晋三のケチ臭い度量から発した放送法「政治的に公平」の「補充的説明」を騙った報道自主規制の罠

2023-03-29 06:06:06 | 政治
 当方もごく度量の小さな人間であり、偉そうな口を叩く資格のない人間ではあるが、安倍晋三はある意味天下人である。関わる世界は広く、偉そうな口を叩く資格を有しているにも関わらず、ケチ臭い度量という逆説は普段叩いていた偉そうな口を骨抜きにする。

 2023年3月3日参院予算委で立憲参議院議員小西洋之は総務省職員からリークされた2014年11月26日作成の総務省行政文書に基づいて2015年5月12日の参議院総務委員会での総務大臣高市早苗の、いわゆる「一つの番組でも極端に偏っていた場合には政治的に公平とは認められない場合がある」とする答弁を放送法第4条第2号の「政治的に公平」は「一つの番組で判断するのではなく、テレビ局の番組全体で判断する」としていた従来からの政府統一見解の解釈変更に当たり、官邸側の政治的圧力によってなされていたことを示す文書内容となっているとの趣旨で政府を追及。政府側は解釈変更を否定、従来の政府解釈を補充的に説明したに過ぎないの姿勢を示すと同時に行政文書自体の信憑性の精査に取り掛かった。

 「公文書等の管理に関する法律 第2章行政文書の管理 第1節文書の作成 第4条」は、〈行政機関の職員は、第1条の目的(「国民共有の知的資源としての管理・保存の義務」のこと)の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。〉と規定している。今回明らかになった総務省行政文書は"意思決定に至る過程"を事実あったこととして記録した文書を職位の段階ごとに承認を受けて最終的に総務大臣が了承、保存された経緯を取るはずで、その信憑性を確認・精査すること自体が事実なかったことを記録・保存し、承認した疑いを持つ矛盾行為となる。つまり事実あったことの記録・保存を前提としない限り、行政文書そのものの存在が成り立たなくなる。参考のために内閣府のページから次の画像を載せておく。
 行政文書としての実態を備えていることを当たり前のこととすると、当時は国家安全保障担当で、放送行政に専門外の安倍補佐官礒崎陽輔がテレビ局の政治報道番組が放送放第4条各号の規定を超えている疑いを持ち出して総務省放送政策課側と総務省行政文書に記述の2014年11月26日から参議院総務委員会で自民党議員と当時総務大臣の高市早苗が放送法第4条について質疑応答を行う2015年5月12 日までの約5ヶ月半も話し合いを持つ理由はどこにあったのだろうか。

 事実、解釈変更は行われなかったのか、国会で答弁しているように補充的な説明を行っただけなのか。当時総務相高市早苗は「文書は捏造されたもの」と自身の関与を否定、現総務相の松本剛明は2023年3月16日の衆議院総務委員会で、「一つの番組でも極端な場合には一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないことは昭和39年(1964年)の参議院逓信委員会で政府参考人が答弁している」、「(2015年5月12 日当時の)高市大臣の答弁は、従来の解釈を変更するものとは考えておらず、放送行政を変えたとは認識していない」と発言したことを2023年3月16日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていて、当該総務省行政文書が官邸からの圧力を受けて解釈変更を画策した経緯を記したものではないことを否定している。

 だが、立憲民主党側は簡単には引き下がらない。政府側との間で当該行政文書を巡って安倍官邸の圧力を受けて放送法第4条が解釈変更されたのか、されなかったのか、さらに高市早苗の「捏造」発言は、「事実なら辞任する」と答弁したことから、その首を取るべく、捏造なのか、でないのかで質疑応答が展開されるに至っている。しかし政府側の言い分が正しかったとしても、当時は国家安全保障担当の安倍補佐官礒崎陽輔が自身の職権とは関係しない放送行政について何らかの意図なくして総務省職員を官邸に呼びつけ、テレビの政治報道を例に取って、放送法の「政治的公平」との関連で疑義申立を行うはずはない。その意図が何であったのか、解釈変更にあったのか、政治報道番組に対する何らかの規制を画策しての立ち回りだったのか、別の目的を胸に秘めていたのか、そのいずれであっても、意図通りの成果を手にすることができたのかどうか、以前ブログで取り上げた一騒動と関連すると見て、自分なりの読み解きで検証してみることにした。先ずは放送法の第4条について。

 放送法(第4条)

 第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 1 公安及び善良な風俗を害しないこと。
 2 政治的に公平であること。
 3 報道は事実をまげないですること。
 4 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 総務省行政文書を点検する前に松本剛明答弁の昭和39年(1964年)4月28日参議院逓信委員会での政府参考人答弁を見ている。総務省行政文書にも関連する個所の質疑が記載されている。放送法は1950年(昭和25年)6月1日からの施行だが、何度か改正されていて、この質疑では「政治的公平」は第4条ではなく、第44条の規定となっている。当時の日本社会党所属参議院議員の横川正市(しょういち)がこの委員会で放送法の「政治的公平」を取り上げる。

 横川正市「この条文上の問題からいうと、放送法の44条の各項にわたっての解釈をどういうふうに解釈をされているのか。これが立法された当時の速記録でも読むと明確になるんでありますが、それが手元にありませんので、法律に従って業務をとられております局長からお聞きをいたしたいと思いますが、第一は、第2号の『政治的に公平であること』ということはこれは一体どういう内容なのか。それから第2は、『意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること』とあるけれども、これは一体どういう内容なのか。これは主観的なものではなしに、立法の精神からひとつ御説明をいただきたいと思います」

 政府参考人宮川岸雄「ただいまの御質問の御趣旨はこの44条第3項のことだと思うのでございまするが、『政治的に公平であること』及び『意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から』云々ということの御質問だと思いますが、前段にございます『協会は、国内放送の放送番組の編集に当っては、左の各号の定めるところによらなければならない』と、こういうふうになっておりまして、前段後段、全部含めましての考え方でなければならないかと思います。したがいまして、御質問の御趣旨と若干あるいは取り違っているかもしれませんけれども、この書いてございます3項の全体の問題につきましては、電波監理の事務当局といたしましては、協会が放送を行なう場合におきましての放送番組の編集でございますので、ある期間全体を貫く放送番組の編集の考え方のあらわれ、そういうようなものの中におきまして、それが政治的に非常に片寄った意見が常に一方的に相当長期間にわたって出る、あるいは意見の対立している問題について、片方からだけの角度からその論点を常に取り上げて、片方だけの意見を常に言っているというようなことが出てきた場合におきまして、この第3項というものの法律に違反することになってくる、こういうような考え方をとっているのでございます

 政府参考人宮川岸雄のこの答弁個所が総務相松本剛明が2023年3月16日衆議院総務委員会で、「一つの番組でも極端な場合には一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないことは昭和39年(1964年)の参議院逓信委員会で政府参考人が答弁している」と説明した個所に当たる。

 この質疑について総務省行政文書にも断り書きがしてあるように横川正市は池田勇人が各テレビ局の各番組を20時から20時15分の15分間を中断させて、公労協の使用者側の立場から自らの談話を放送した事実を取り上げている。ネットで調べてみると、1964年春闘で総評等の労働組合が4月17日に大幅賃上げ、最低賃金確立、労働時間短縮等の各要求を掲げて国鉄幹線全列車対象を含めた全国規模のストライキ(ゼネスト)を計画したが、日本共産党がスト反対運動を展開、総評と対立したものの、スト決行の前日、当時の首相池田勇人と総評議長と事務局長が会談、話し合いの末に決着、ゼネストは中止された。但し計画決行2日前の4月15日、池田勇人が公労協の使用者側の立場から自らの談話を放送した。TBSの場合は野球実況中継の最中だったと言う。

 横川正市はこのことを「放送法のタテマエ」からして「遺憾な放送ではなかったか」と発言しているが、池田勇人が各局のテレビ番組を同時刻一定時間止めて首相談話を一方的に放送させた事態を、言葉に出して説明してはいないが、その"一方性"が時と場合によっては全体主義的な国家権力の恣意的行使に発展しうる危惧を感じて、放送法第44条各号で縛りをかける必要性を感じたのかもしれない。ここから約50年半を経た2014年11月に入ってから、安倍政権が政府批判を繰り広げるテレビ局の政治報道番組に現放送法第4条各号で縛りをかける必要性を感じることになり、安倍補佐官礒崎陽輔が総務省放送政策課に対して自分たちが望む方向への縛りを可能とする解釈の仕方(=根拠づけ)を求めることになったのだろう。違いは前者が野党の立場から政治権力側に顔を向けた要求であるのに対して後者は政治権力側が野党に味方していると見ている新聞・テレビ等のマスメディアに顔を向けた要求となっているという点である。しかし政治権力は国民から監視を受ける立場にある以上、国民に代わって監視の役目を引き受けているマスメディアの批判を引き受けるそれ相当の度量を持たなければならないが、安倍晋三にはその覚悟がなく、度量がケチくさいときているから、マスメディアを押さえつけ、満足したい欲求に駆られることになったといったところか。

 以下、総務省公表の行政文書、〈「政治的公平」に関する放送法の解釈について〉(磯崎補佐官関連) (総務省/2014(平成26年)11月26日)から主要部分を拾っていく。読みやすいように発言者名は○に変えてあるところは名前を記入し、段落を開けたり、文飾を施したり、事実関係を時系列で表してある箇所の最初のみで以下略してある年号を書き入れたりした。

 先ず総務省が行政文書として纏めるに至った安倍補佐官礒崎陽輔と総務省放送政策課との最初の関わりとなる2014年11月26日と引き続いての関わりとなる2014年11月28日の経緯を見てみる。

 平成26年11月26日(水)

磯崎総理補佐官付から放送政策課に電話で連絡。内容は以下の通り。
・ 放送法に規定する「政治的公平」について局長からレクしてほしい。
・ コメンテーター全員が同じ主張の番組(TBS サンデーモーニング)は偏っているのではないかという問題意識を補佐官はお持ちで、「政治的公平」の解釈や運用、違反事例を説明してほしい。

11月28日(金):磯崎補佐官レク
磯崎補佐官から、「政治的公平」のこれまで積み上げてきた解釈をおかしいというものではないが、①番組を全体で見るときの基準が不明確ではないか、②1つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないか、という点について検討するよう指示。

 要するに安倍補佐官礒崎陽輔の全体的意向としてはテレビの報道番組の政権批判は放送法の第4条の「これまで積み上げてきた解釈」では満足な規制はできないから、1つの番組を取り上げるだけで規制できる解釈の仕方はないかと総務省に持ちかけてきたということになる。

 【配布先】桜井総審、福岡官房長、今林括審、局長、審議官、総務課長、地上放送課長 ← 放送政策課 (取扱厳重注意)

礒崎総理補佐官ご説明結果(概要)
 日時 平成26年11月28日(金) 13:15~13:40
 場所 官邸(礒崎総理補佐官室)
 先方 礒崎補佐官(○)、山口補佐官付
 当方 安藤情報流通行政局長、長塩放送政策課長、西がた(記)

 ◆経緯◆

 11月26日(水)、礒崎補佐官室から、放送法に規定する「政治的公平」について局長からの説明をお願いする旨の連絡があり、ご説明に上ったもの。補佐官のご発言の概要は以下のとおり。礒崎補佐官は11月23日(日)のTBSのサンデーモーニングに問題意識があり、同番組放送後からツイッターで関連の発言を多数投稿。

 礒崎陽輔)今すぐ何かアクションを起こせというわけではない。放送の自律、BPOが政治的公平についても扱っていること等は理解。これまで国会答弁を含めて長年にわたり積み上げてきた放送法の解釈をおかしいというつもりもない。他方、この解釈が全ての場合を言い尽くしているかというとそうでもないのではないか、というのが自分の問題意識。

 礒崎陽輔)聞きたいことは2つある。まず1つ目だが、1つの番組では見ない、全体で見るというが、全体で見るときの基準が不明確ではないかということ。「全体でみる」「総合的に見る」というのが総務省の答弁となっているが、これは逃げるための理屈になっているのではないか。そこは逃げてはいけないのではないか。

 礒崎陽輔)(確かに様々な事例、事案があるので、「基準」を作れとは言わないが)総務省としての考え方を整理して教えて欲しい。

 礒崎陽輔)もう一つは、一つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないかということ。今までの運用を頭から否定するつもりはないが、昭和39年の国会答弁にもあるとおり、絶対おかしい番組、極端な事例というのがあるのではないか。これについても考えて欲しい。有権解釈権は総務省にあるのだから、放送法の解釈としてもう少し説明できるようにしないといけないのではないか。

 礒崎陽輔)今は政府側の立場なので質問できないが、いずれ国会で質問したい。予算委員会でもいい。もちろん、事前によく摺り合わせてからやりたい。けんかになるから具体論はやらない。あくまで一般論ベースでやりたい。1つの番組で明らかに(政治的公平の観点から)おかしい、と判断できる極端な場合はどういうものか。

 また、これまでの「番組全体でみる」「総合的に判断する」とある「総合的」とはどういうものなのか。これまでの解釈を改めろと言っているのではなく、もう少し説明を加えてくれという話であり、これを国会の場で質したい。

 礒崎陽輔)言いたいことは以上。2~3日の内にとは言わないので、選挙後にでも考えを聞かせて欲しい。(以上)
      

 安倍補佐官礒崎陽輔は「これまで国会答弁を含めて長年にわたり積み上げてきた放送法の解釈をおかしいというつもりもない。他方、この解釈が全ての場合を言い尽くしているかというとそうでもないのではないか、というのが自分の問題意識」と指摘している"放送法解釈"に向けた不足感自体がマスコミ報道を規制したい欲求の現れそのものを示しているが、あくまでも憲法が保障している言論の自由、報道の自由に触れない方法での(「基準」を作れとは言わないが」、「けんかになるから具体論はやらない」の言葉に現れている)規制を意志していることが見て取れる。そして「いずれ国会で質問したい」の発言は対マスコミ報道規制の線に添って質問して、その線に添った政府答弁を以ってして放送法に関わる政府の公式見解としたいとする意図を読み取ることができる。

 【配布先】桜井総審、福岡官房長、今林括審、局長、審議官、総務課長、地上放送課長 ← 放送政策課
                            (取扱厳重注意)

            礒崎総理補佐官ご説明結果(2R概要)

日時 平成26年12月18日(木) 16:20~16:45
場所 官邸(礒崎総理補佐官室)
先方 礒崎補佐官(○)、山口補佐官付
当方 安藤情報流通行政局長(×)、長塩放送政策課長、西がた(記)

前回ご説明(11月28日(金)午後)の際の礒崎補佐官から指摘を踏まえ、別添の資料に沿って安藤局長から再度ご説明。主なやりとりは以下のとおり。

 礒崎陽輔)放送番組の「政治的公平」について、「番組全体を見て判断する」ことは理解するが、これまでの答弁はそこで止まっている。番組全体でどうなっていればいいのか、ポジに答えてほしい。また、番組全体でのバランスの説明責任はどこにあるのか。「番組全体でどうバランスを取っているのか問われれば、放送事業者が責任を持って答えるべきものと考えます」というような答弁はできないものか。

 礒崎陽輔)後段の問について一つの番組において政治的公平を欠く極端な事例というのは論理的にはあるはず。例えばコメンテーターが「明日は自民党に投票しましょう」と言っても総務省は「番組全体で見て判断する」と言うのか。反対する考え方には一切触れず一党一派にのみ偏る番組といった極端な事例について、もう少し考えてみてほしい。

(注)補佐官から、「番組の中で一党の党首が語るのは問題ないが、最近の番組は『番組(のコメンテーター)が語っている』からおかしい」との言あり。

 安藤情報流通行政局長)ご趣旨を踏まえ、答え方を工夫してみます。

 礒崎陽輔)政治的公平に係る放送法の解釈について年明けに(補佐官から)総理にご説明しようと考えている。流れとしては、

 ① 現行の解釈(番組全体を見て判断)があり、その中で、
 ② 番組全体のバランスとしてどういうものが求められているのか、また、
③一つの番組として政治的公平を欠く極端な事例とはどういうものなのか、という論点を整理するものをイメージしている。

 (安藤情報流通行政局長から具体的な進め方について確認したところ)

 礒崎陽輔)もちろん、官邸(補佐官)からの問合せということで、(多分変わらないだろうから)高市大臣にも話を上げてもらって構わない。こちら(官邸)で作るペーパーとそちら(総務省)で作るペーパーの平仄を合わせる作業を進めてほしい。こちらの資料も高市大臣にお見せしてもらって構わないし、こちらのペーパーを埋めるための回答ぶりについても早急に検討してほしい。政治プロセスは来年に入ってからだが、ペーパー自体は年内に整理したい。

 安藤情報流通行政局長)一定の整理が出来た段階で、官邸(補佐官)からの問合せということでそのペーパーで返したいと高市大臣に説明した上で政治プロセスに入る形でお願いしたい。

 礒崎陽輔)それは構わない。迷惑はかけないようにする。(以上)

 政府側が(=総務省が代表して)「番組全体を見て判断する」ことを規準としている「政治的公平」の説明責任(説明の義務)を第一義的には放送事業者に負わせたい意図を滲ませている。放送事業者が負った場合、特に民放の場合、スポンサーから受ける利益を優先させなければならない立場上、責任を問われてスポンサーを失う最悪事態の回避を前以って優先させると、政府批判を抑えたい衝動が否応もなしに頭をもたげ、結果的に言いたいことを控える萎縮を契機とする自主規制効果が期待できる欲求からの安倍補佐官礒崎陽輔の要望と見ることができる。このことは政府批判のコメンテーターをある種目の敵にしていることからも窺うことができる。

 対して総務省側は「ご趣旨を踏まえ、答え方を工夫してみます」と安倍補佐官礒崎陽輔の意図、欲求、要望に応える姿勢を見せている。いわば政府批判のテレビ報道を規制したい安倍官邸側の意向に総務省放送制作課が応じて、「(官邸)で作るペーパーとそちら(総務省)で作るペーパーの平仄を合わせる作業を進め」ることとなった。日本国憲法が保障する思想、言論、表現の自由を侵害しない範囲内での規制の画策であることは既に触れたが、この画策は「こちらの資料も高市大臣にお見せしてもらって構わない」としている安倍補佐官礒崎陽輔の話し振りと、安藤情報流通行政局長の「一定の整理が出来た段階で、官邸(補佐官)からの問合せということでそのペーパーで返したいと高市大臣に説明した上で政治プロセスに入る形でお願いしたい」の発言からして高市早苗に一定程度は既に話を通してあるか、でなければ、高市早苗をのちに加える画策であることが分かる。ここで言う「政治プロセス」とは国会質疑での政府答弁を以って政府の公式見解とすることを指している。

 そして安倍補佐官礒崎陽輔が「政治プロセスは来年に入ってからだが、ペーパー自体は年内に整理したい」と言っているように実際にもこの総務省行政文書作成の起点となった2014年11月26日から"来年"に当たる2015年5月12日の参議院総務委員会で、自民党参議院議員麻生派藤川政人(現在62歳)と当時の総務大臣高市早苗との質疑によって完成を見ることとなり、スケジュール通りに事は運んでいる。大臣の答弁が所管省庁職員のレク(説明)を受け、打合せした上で職員が作成、大臣が委員の質問に応えて読み上げる手順を考えると、安倍補佐官礒崎陽輔と総務省放送政策課職員との間の画策に高市早苗が無関係とすることはできない。2015年2月13日付で、「高市大臣レク(状況説明)」、2月17日付で、「磯崎補佐官レク(高市大臣レク結果の報告)」との文言を見受けることができる。 

 このことの証明の前に安倍補佐官礒崎がテレビの報道番組の政権批判を規制できるよう、放送法第4条を自らが望みうる適用に持っていくべく総務省放送政策課に指示するに至った元となった誘因を見てみることにするが、その前に2014年から2015年にかけての政治状況をざっと眺めてみることにする。礒崎陽輔が専門外の放送行政に首を突っ込んでまでしてマスコミの政府批判を抑えつけようとしたのはなぜかは、先ずは総務省の政務三役がその任に当たったなら、報道圧力があまりにも直接的な姿を取りやすくなるからだろう。

 2014年9月3日の第2次安倍内閣改造から1ヵ月半後の2014年10月20日、経産相小渕優子が政治団体の不透明な資金処理を巡って、法相松島みどりが選挙区内での「うちわ」配布問題で刑事告発を受けて、W辞任するに至った。女性の活躍を得意げに看板とし、その象徴として第2次では山谷えり子を国家公安委員会委員長と拉致問題担当とし、有村治子を女性活躍担当、高市早苗を総務大臣にと併せて5人も並べたものの、内2人が見当違いの活躍で辞任し、その後の世論調査で内閣支持率が9ポイントも下げるケースもあり、2015年10月1日からの消費税8%から10%への増税に対する逆風も生半可ではなく、増税反対の声、延期の声が高まっていた。安倍晋三の掛け声とは裏腹にアベノミクスが効果らしい効果を上げることができていなかった景気状況の煽りでもあった。安倍晋三は2014年11月18日に記者会見を開き、3日後の解散を予告した。

 安倍晋三「今週21日に衆議院を解散いたします。消費税の引き上げを18カ月延期すべきであるということ、そして平成29年4月には確実に10%へ消費税を引き上げるということについて、そして、私たちが進めてきた経済政策、成長戦略をさらに前に進めていくべきかどうかについて、国民の皆様の判断を仰ぎたいと思います」

 衆議院議員任期の半分、約2年を残しての解散予告だった。上に挙げた芳しからざる諸事情を受けた支持率低下を消費税増税延期で票を釣り上げる目論見に加えて、翌年春に地方統一選挙を控えていることから国政選挙に於ける与野党の勝敗の行方が地方選にそのまま影響する関係上、全地方議員の約半数を占める自民党地方議員が自分事として熱心に選挙応援せざるを得ない時の利をも作り出し、さらに野党が選挙準備ができていない状況を狙って早期解散に打って出たとされている。

 安倍晋三はこういった目論見を頭に置いてのことだろう、2014年11月18日のこの記者会見終了後に夜のTBSテレビ「NEWS23」に生出演した。一度、当ブログに取り上げているが、番組では約2年間のアベノミクスの成果を紹介する一環として景気の実感を街行く人にインタビューし、街の声として伝えた。

 男性(30代?)「誰が儲かってるんですかねえ。株価とか、色々上がってますからねえ。僕は全然恩恵受けていないですね。給料上がったのかなあ、上がっていないですよ(半ば捨鉢な笑い声を立てる)」
 男性(3、40代?)「仕事量が増えているから、給料が、その分、残業代が増えているぐらいで、何か景気が良くなったとは思わないですねえ」
 男性(4、50代?)「今のまんまではねえ、景気も悪いですし。解散総選挙して、また出直し?民意を問うて、やればよろしいじゃないですか」
 男性(5、60代?)「株価も上がってきたりとか、そういうこともありますし、そんなに、そんなにと言うか、効果がなかったわけではなく、効果はあったと思う」
 30代後半と見える女性二人連れの1「全然アベノミクスは感じていない」
 30代後半と見える女性二人連れの2(子供を抱いている)「株価は上がった、株価は上がったと言うけど、大企業しか分からへんちゃうの?」

 株価の上昇を通してある程度の効果を認めている1人以外は景気の実感はないとアベノミクスを切り捨てている。対するアベノミクスご本人の安倍晋三の反応。

 安倍晋三(ニコニコ笑いながら)「これはですね、街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら。だって、国民総所得というのがありますね。我々が政権を取る前は40兆円減少しているんですよ。我々が政権を取ってからプラスになっています。マクロでは明らかにプラスになっています。ミクロで見ていけば、色んな方がおられますが、中小企業の方々とかですね、小規模事業者の方々が名前を出して、テレビで儲かっていますと答えるのですね、相当勇気がいるのです。

 納入先にですね、間違いなく、どこに行っても、納入先にもですね、それだったら(儲かっているなら)、もっと安くさせて貰いますよと言われるのは当たり前ですから。しかし事実6割の企業が賃上げしているんですから、全然、声、反映されていませんから。これ、おかしいじゃないですか。

 それとですね、株価が上がれば、これはまさに皆さんの年金の運用は、株式市場でも運用されていますから、20兆円プラスになっています。民主党政権時代は殆ど上がっていませんよ。

 そういうふうに於いても、しっかりとマクロで経済を成長させ、株価が上がっていくということはですね、これは間違いなく国民生活にとってプラスになっています。資産効果によってですね、消費が喚起されるのはこれは統計学的に極めて重視されていくわけです。

 倒産件数はですね、24年間で最も低い水準にあるんですよ。これもちゃんと示して頂きたいと思いますし、あるいは海外からの旅行者、去年1千万人、これは円安効果。今年は1千300万人です。で、日本から海外に出ていく人たちが使うおカネ、海外から日本に入ってくる人たちが使うおカネ、旅行収支と言うんですが、長い間日本は3兆円の赤字です。ずっと3兆円の赤字です。これが黒字になりました。

 (司会の岸井成格が口を挟もうとするが、口を挟ませずに)黒字になったのはいつだったと思います?大阪万博です。1970年の大阪万博です、1回、あん時になりました。あれ以来ずっとマイナスだったんです。これも大きな結果なんですね。ですから、そういうところをちゃんと見て頂きたい。ただ、まだデフレマインドがあるのは事実ですから、デフレマインドを払拭するというのはですね――」

 要するに中小企業も小規模事業者も儲かっているが、儲かっていることが知れたら、製品単価が値切られてしまうから、テレビで尋ねられても、街の声として出てこない、実際にはアベノミクスは絶大な効果を上げているのだから、これはおかしいじゃないかと牽強付会もいいとこだが、アベノミクスの不人気などで選挙に負ける訳にはいかない切迫感からテレビ番組による意図的な情報操作の疑いをかけた。

 大体が国民総所得増加に加えて株価上昇と年金の運用の関係、倒産件数の減少等々のアベノミクス経済成果を政府、企業、家計全体を捉えたマクロ経済成長の証明に持ってこようと、一般家計を取り残したアベノミクスマクロ経済成長であることに目を向ける国民向けの誠実さを欠いていたなら、経済成長の中身は事実その通りに偏っていたのだから、結果的に情報操作への疑いだけが頭の中に肥大化していくことになる。マスコミの悪意ある情報操作だと頭から信じ込むことによってアベノミクスは唯一正しい経済政策としての地位を確保し続け、自分は岸信介の血を引く偉大な政治家だという自らに対する自尊意識が維持可能となる。安倍晋三からアベノミクスを取ったら、自らの存在意義を失ってしまう。アベノミクスの失敗に気づかされずにあの世に召されたのだから、ある意味、幸せ者だった。3日後の2014年11月21日の夕方7時から再び記者会見を開いて衆議院解散を告げた。

 安倍晋三「本日、衆議院を解散いたしました。この解散は、『アベノミクス解散』であります。アベノミクスを前に進めるのか、それとも止めてしまうのか。それを問う選挙であります。連日、野党は、アベノミクスは失敗した、批判ばかりを繰り返しています。私は、今回の選挙戦を通じて、私たちの経済政策が間違っているのか、正しいのか、本当に他に選択肢はあるのか、国民の皆様に伺いたいと思います。・・・・」
 
 当然と言えば当然だが、アベノミクスに寄せているこの強い拘りはアベノミクスは間違っていない、正しい経済政策であるとの思い込みをベースとしている。人間は自分は正しいという強い信念に立つと、ときとして正しくないと批判したり攻撃する対象に否応もなしに敵意を持つことになる。特に安倍晋三みたいな自分は偉大で間違いはないと思い込んでいるような自己愛性パーソナリティ障害が強度の人間は敵意の感情に走りやすく、強い症状を見せることになる。野党のアベノミクス失敗の批判は安倍晋三の敵意を刺激したに違いない。「悪夢の民主党」という民主党政権を全否定できる言葉(アベノミクスを全肯定する言葉となる)をたやすく口にできることが一つの証明となる。当然、マスメディアのアベノミクスに効果なしの報道に向けた敵意は野党よりも情報発信媒体としての影響力が格段に強力な分、情報操作の疑いを確信にまで高めていった可能性は強い。

 このことはTBSテレビ「NEWS23」生出演2014年11月18日からたった2日後の2014年11月20日付で在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに「自由民主党筆頭副幹事長萩生田光一/報道局長福井照」の差出人連名で送りつけた要望書がその証明となる。要望書題名は「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」《安倍自民党がテレビ各局に文書で圧力》リテラ/2014.11.27)から)文飾は当方。

〈さて、ご承知の通り、衆議院は明21日に解散され、総選挙が12月2日、14日投開票の予定で挙行される見通しとなっています。
 つきましては公平中立、公正を旨とする報道各社の皆様にこちらからあらためて申し上げるのも不遜とは存じますが、これからの期間におきましては、さらに一層の公平中立、公正な報道にご留意いただきたくお願い申し上げます。〉

 具体的には次の項目を求めている。

 ・出演者の発言回数及び時間等については公平を期していただきたいこと
 ・ゲスト出演者の選定についても公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中がないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと〉――

 明らかに安倍晋三がTBSテレビ「NEWS23」の生出演で疑うことになった情報操作が疑いを超えてテレビ局の"情報操作"そのものと確信するに至った、そのことを念頭に置いた数々の要求と見ることができる。疑いだけなら、こうも事細かな要求はできないだろう。そして各要求は放送法第4条各号の自分たちに望ましい運用求める内容そのものとなっている。

 2015年4月10日付「毎日新聞」はこの要望書送付2014年11月20日の6日後の2014年11月26日にテレビ朝日の「報道ステーション」プロデュサー宛に対しても同様の内容の要望書を自民党衆院議員福井照報道局長名で送付していたと報じている。

 〈同月(11月)24日放送の「報道ステーション」について「アベノミクスの効果が、大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく、特定の富裕層のライフスタイルを強調して紹介する内容」だと批判。「意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにしなければならないとされている放送法4条4号の規定に照らし、特殊な事例をいたずらに強調した編集及び解説は十分な意を尽くしているとは言えない」として「公平中立な番組作成に取り組むよう、特段の配慮を」求めている。〉――

 この要請も放送法第4条各号の観点からの内容となっている。但しあくまでも安倍政権側から見た観点であって、アベノミクスの効果を感じ取っていない一般国民の観点からしたら、アベノミクス批判の報道は放送法第4条各号には関係しないと見るだろう。2023年3月14日付「東京新聞」はアベノミクス指南役で米エール大学名誉教授浜田宏一にオンラインのインタビューを行い、大企業の収益改善が従業員の賃金に回って、それを上昇させていくトリクルダウンがアベノミクスでは機能せず、「賃金がほとんど増えないで、雇用だけが増えることに対して、もう少し早く疑問を持つべきだった。望ましくない方向にいっている」との証言を、今さらという感じもあるが、引き出している。要するにマスコミ報道のアベノミクス批判は情報操作でも何でもなく、事実そのものの批判であって、放送法第4条とは関係しないこととしなければならならなかった。

 以上取り上げた各事実を時系列に纏めてみる

1.2014年11月18日のTBSテレビ「NEWS23」に生出演し、番組の「街の声」の取り扱いに対して情報操作の疑いを向ける。
2.2014年11月20日、在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに報道の公平中立並びに公正を求める要望書を送付する。
3.2014年11月26日にテレビ朝日の「報道ステーション」プロデュサー宛に2014年11月24日放送のアベノミクスに関わる批判を一方的とし、放送法4条4号の規定に公平中立な放送を求める要望書を送付。
4.2014年11月26日、安倍補佐官礒崎陽輔が総務省放送政策課に対して政治報道番組の(あくまでも政権側から見た)偏向に関わる放送法第4条の解釈や解釈に応じた的確な適用、いわゆる政権側にとってのよりよい法適用の検討を指示。

 TBSテレビ「NEWS23」への安倍晋三生出演から安倍補佐官礒崎陽輔の専門外の総務省放送政策課への顔出しまでたった9日間しか経っていない。この短い期間の放送法第4条に関係した政治報道番組への批判的立場からの矢継ぎ早の各関与の直近の主たる発端は2014年11月18日のTBSテレビ「NEWS23」への生出演を措いてほかには考えられない。いわば安倍晋三が動かした安倍補佐官礒崎陽輔の総務省放送政策課を通した放送法第4条を使ったテレビ局政治報道番組への介入意図と見るべきである。要するに礒崎陽輔は親分安倍晋三の言いつけどおりに動いた。

 放送行政に門外漢の安倍補佐官礒崎陽輔が総務省放送政策課の幹部を取り込んでテレビ報道を抑え込もうと画策して得た一応の"結論"を総務相行政文書から取り上げてみる。この"結論"は何回か記載されているが、最後の記載を選択した。

 放送法における政治的公平に係る解釈について(案)

1 現行の政府解釈
放送法における政治的公平性については、昭和39年4月28日の参議院逓信委員会における郵政省電波監理局長答弁以来、次のような解釈を採っている。

○ 放送法第4条第1項第2号の規定により、放送事業者は、その番組の編集に当たり、「政治的に公平であること」が求められている。
○ ここでいう「政治的に公平であること」とは、政治的な問題を取り扱う放送番組の編集に当たっては、「不偏不党の立場から特定の政治的見解に偏ることなく、放送番組全体としてのバランスのとれたものであること」である。
○ その判断に当たっては、一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断することとなる。

2 問題点
これまでの政府解釈には次のような問題点があり、放送の政治的公平を判断する上で、具体的な基準となり得なかった嫌いがある。
① これまで、「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」との答弁に終始し、どのような番組編集にすれば放送事業者の番組全体を見て「政治的に公平である」と判断されるのか、具体的な基準を示してこなかった。
② 同様に、「政治的に公平である」ことの説明責任の所在についても、明確に示してこなかった。
③ 放送事業者の番組全体を見なくても、一つの番組だけを見たときに、どのように考えても「政治的に公平であること」に反する極端な場合が実際にあり得るが、このことについて政府の考え方を示してこなかった。

3 解釈について補充的説明
 今後は、国会質疑等の場で、次の内容に沿って、従来の政府解釈について、補充的説明を行うものとする。
① 例えば、ある時間帯で総理の記者会見のみを放送したとしても、後のニュースの時間に野党党首のそれに対する意見を取り上げている場合のように、国論を二分するような政治的課題について、ある番組で一方の政治的見解のみを取り上げて放送した場合であっても、他の番組で他の政治的見解を取り上げて放送しているような場合は、放送事業者の番組全体として政治的公平を確保しているものと認められる。
② 政治的公平の観点から番組編集の考え方について社会的に問われた場合には、放送事業者において、当該事業者の番組全体として政治的公平を確保していることについて、国民に対して説明する必要がある。
③ 一つの番組のみでも、次のような極端な場合においては、一般論として「政治的に公平であること」を確保しているとは認められない。
・選挙期間中又はそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合
・国論を二分するような政治的課題について、放送事業者が、一方の政治的見解を取り上げず、殊更に、他の政治的見解のみを取り上げて、それを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合

 この結論が2015年5月12日参議院総務委員会での自民党議員藤川政人と総務相高市早苗との間の質疑応答に反映されていなければ、一応の結論を導き出した意味を失う。このことは総務相行政文書の最初のページに、〈「政治的公平」に関する放送法の解釈について(磯崎補佐官関連)〉とある文書題名に引き続いて「平成26年11月26日(水)」から「平成27年5月12日(火)」までのスケジュールが書き込まれていて、最後の「平成27年5月12日(火)」は〈参・総務委員会 (自)藤川政人議員からの「政治的公平」に関する質問に対し、磯崎補佐官と調整したものに基づいて、高市大臣が答弁。〉と記されていることが証明する。高市早苗の答弁が「磯崎補佐官と調整したもの」であるなら、藤川政人の質問も「磯崎補佐官と調整したもの」ということになる。要するに安倍補佐官礒崎陽輔らの画策の一環としての質疑応答であって、いわば"ヤラセ"であり、国会の場で堂々と行われたこのカラクリを見逃してはならない。

 では、高市早苗と藤川政人の質疑応答を取り上げてみる。

 参議院総務委員会(2015年5月12日)

 藤川政人「おはようございます。 本日は、放送法に定める放送の政治的公平性について議論をさせていただきたいと思います。

 放送法第4条第1項第2号は、放送番組の編集について政治的に公平であることを求めるとともに、同項第4号において、意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること、すなわち、政治的公平性、論点の多角性を求めております。

 放送法はこのように明確に放送の政治的公平性を求めておりますが、それにもかかわらず、最近の放送番組を見てみますと、とても政治的公平性が遵守されているとは言い難いものがたくさん見受けられます。

 総務大臣は、最近の放送を御覧になって、政治的公平性が遵守されているとお考えですか。御意見を伺いたいと思います」

 高市早苗「最近の放送を見てどう思うかということなんですけれども、今、割と忙しくしておりまして、放送番組をじっくりとたくさん見る機会には恵まれておりません。

 ただ、放送番組は放送事業者が自らの責任において編集するものでございまして、放送法は放送事業者による自主自律を基本とする枠組みになっておりますから、個別の放送番組の内容について何か言えということでしたら、なかなかコメントはしづろうございます。

 なお、個別の番組について何か社会的な問題が発生した場合には、まずは放送事業者が自ら調査を行うなど、自主的な取組が行われることとなります。総務省としても、その放送事業者の取組の結果を踏まえて適切に対応するということにしております」

 藤川政人「私は、放送事業者による自主自律を基本とする枠組みはもちろん極めて重要であると考えておりますが、その名の下に放送法が求める政治的公平性が遵守されているとは思えない放送番組が見受けられる現状は問題が多いと考えております。国論を二分するような政治的課題について、一方の意見のみを取り上げて放送している番組も散見されます。

 そこで、政治的公平性について、総務省として従来どのような基準に沿って指導、そして助言をされてきたのでしょうか。総務大臣に伺いたいと思います」

 高市早苗「放送法第4条第1項第2号の規定により、放送事業者は放送番組の編集に当たり政治的に公平であることが求められております。ここで言う政治的に公平であることとは、これまでの国会答弁を通じて、政治的な問題を取り扱う放送番組の編集に当たっては、不偏不党の立場から、特定の政治的見解に偏ることなく番組全体としてのバランスの取れたものであることと解釈をしてきたところであります。その適合性の判断に当たりましては、一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断することとされてきたと聞いております。

 これまで、放送事業者に対して、放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに違反したとして行政指導が行われた事例はございません」

 藤川政人「そうですね。大臣が今おっしゃられた、従来、放送事業者の番組全体を見て判断するということが政治的公平性の判断基準になっているようです。

 私は、この一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断するということが、放送法の求めている政治的公平性の意味を非常に分かりにくくしているのではないかなということも考えるわけであります。

 平成26年5月13日の総務委員会におきましては、当時の新藤総務大臣は、限られた放送時間等の制約の中で世の中の関心に応える番組を適切に編集していくためには、個々の番組で政治的公平性や論点の多角性を確保することが物理的に困難な場合もあることから、他の時間帯の番組と合わせた番組全体として政治的公平性や論点の多角性を判断する旨述べられているとともに、この原則の下で、個々の放送事業者の自主自律の判断に基づいて、放送時間等の制約が特段ないケースにおいては個々の番組で政治的公平性や論点の多角性を確保しようと努めることは、これは放送法第4条第1項の規定の趣旨に沿うものと述べられておられます。

 そこで、改めて総務大臣に伺いたいと思いますが、一体どのような状態であれば放送事業者の番組全体を見て判断して政治的公平が保たれていることになるのか、具体的に教えていただきたいと思います」

 高市早苗「率直に申し上げまして、藤川委員の問題意識、共有されている方も多いんじゃないかと思いますし、私自身も、総務大臣の職に就きまして、非常にここのところの解釈というのは難しいものだなと感じております。

 例えば、国論を二分するような政治的課題について、ある時間帯で与党党首の記者会見のみを放送したとしても後のニュースの時間に野党党首のそれに対する意見を取り上げている場合のように、ある番組で一方の政治的見解のみを取り上げて放送した場合でも、他の番組で他の政治的見解を取り上げて放送しているような場合は放送事業者の番組全体として政治的公平を確保しているものと認められるとされております」

 藤川政人「では、ある番組について政治的公平性の問題が指摘された場合において、どのように番組全体として政治的公平性や論点の多角性を確保したかについて放送事業者は説明する責任はないのでしょうか。放送事業者の番組全体を見て判断することを基準とするとしても、ただこのことを言いっ放しでは放送事業者に逃げ道を与えるだけでありまして、判断基準として全く役に立たないと考えます。

 過去に、政治的公平性について問題が指摘された番組に関して、この番組だけでは不公平のように見えますが、他のこういう番組できちんと穴埋めをしており、これらと合わせた番組全体として政治的公平性、論点の多角性は確保されているのですと具体的に説明された事例はあるのでしょうか。そのことを放送事業者がきちんと世の中に対して説明しなければこの基準は全く意味がないと考えますが、総務大臣はどのようにお考えになりますか」

 高市早苗「放送法は放送事業者の自主自律を基本とする枠組みとなっており、放送番組は、その下で放送事業者が自らの責任において編集するものであります。政治的公平の観点から番組編集の考え方について社会的に問われた場合には、放送事業者において、政治的公平を確保しているということについて国民に対して説明をする必要があると考えております」

藤川政人「そのことについては総務省としてもきちんと放送事業者を指導していただきたい、これは私からの本当に強い御要望とさせていただきます。

 それから、最近の放送番組を見ておりますと、一番組だけであってもやはり極端に政治的公平性が遵守されていないものがあると考えますが、いかがでしょうか。放送時間等の制約は、およそそうした極端な場合でもその内容を正当化する理由にならないのではないでしょうか。
 
 かつて類似の例があったと思いますが、例えば、選挙直前に特定の候補予定者のみを密着取材して、選挙公示の直前に長時間特別番組で放送する場合があります。こうした場合は、たとえ一番組だけであっても政治的公平に反すると言えるのではないかと考えますが、総務大臣はどのようにお考えですか」

 高市早苗「放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに関する政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げましたら、一つの番組のみでも、選挙期間中又はそれに近接する期間において殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合といった極端な場合におきましては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないと考えます」

 藤川政人「そうですね。また、国論を二分するような政治的課題があるときにも政治的公平性は厳格に維持されなければならないと考えます。

 最近の放送の中には、国論を二分するような政治的課題について、例えば、一方の政治的見解をほとんど紹介しないで他方の政治的見解のみを取り上げ、それを支持する内容を相当時間繰り返して放送しているようなものも見受けられます。このような放送番組は、やはり一番組であったとしても政治的公平性に反すると言えるのではないかと考えますが、総務大臣、いかがですか」

 高市早苗「前問と同じように、政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げますが、一つの番組のみでも、国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合においては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないものと考えます」

 藤川政人「ありがとうございました。放送番組の政治的公平性については、放送事業者の番組全体を見て判断するということが原則でありますが、やはり極端に政治的公平性を逸脱している場合には一番組だけでも政治的公平に反すると言える場合があるという御答弁をいただいたものと考えます。その点についても放送事業者を十分御指導いただきますようお願いを申し上げ、この質問を終えさせていただきたいと思います」

 藤川政人は、「放送法に定める放送の政治的公平性について」を取り上げ、「放送法第4条第1項第2号は放送番組の編集について・・・・政治的公平性、論点の多角性を求めている」として、このような要求事項に反して「最近の放送番組はとても政治的公平性が遵守されているとは言い難いものがたくさん見受けられる」と示した疑義、あるいは問題意識は安倍補佐官礒崎陽輔が総務省政策課に対して示した疑義、あるいは問題意識、〈「政治的公平」のこれまで積み上げてきた解釈をおかしいというものではないが、①番組を全体で見るときの基準が不明確ではないか②1つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないか〉(下線は文中通り)等とそっくり重なって、安倍補佐官礒崎陽輔主導による総務省放送政策課と画策した「調整したもの」を下敷きにし質問であることは明らか過ぎるくらい明らかとなる

 藤川政人が最初に示したこのような疑義、問題意識に対して高市早苗は従来の政府解釈である「政治的に公平であること」は「一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断することとされてきたと聞いております」と先ずは答弁。この答弁に対しても藤川政人は「この一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断するということが、放送法の求めている政治的公平性の意味を非常に分かりにくくしているのではないかなということも考えるわけであります」と疑義を広げ、このことは既に挙げた安倍補佐官礒崎陽輔の、〈①番組を全体で見るときの基準が不明確ではないか②1つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないか〉の疑義、問題意識そっくりそのままの踏襲、なぞり以外の何ものでもなく、安倍補佐官礒崎陽輔と調整した質疑応答、"ヤラセ"そのものであることの正体を暴露することになる。

 藤川政人が放送事業者の番組全体から政治的公平を判断する具体例を問うと、高市早苗は「国論を二分するような政治的課題について、ある時間帯で与党党首の記者会見のみを放送したとしても」云々と答弁している具体例にしても、上に挙げた「放送法における政治的公平に係る解釈について(案)」に書いてあることに添うものである。

 安倍補佐官礒崎陽輔のロボットとしての役割を担った藤川政人は礒崎陽輔が最も問題点としていた事柄を追及する。

 藤川政人「最近の放送番組を見ておりますと、一番組だけであってもやはり極端に政治的公平性が遵守されていないものがあると考えますが、いかがでしょうか」

 高市早苗「放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに関する政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げましたら、一つの番組のみでも、選挙期間中又はそれに近接する期間において殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合といった極端な場合におきましては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないと考えます」

 この「補充的な説明」は上に挙げた「(案)」に書き込んである「今後は、国会質疑等の場で、次の内容に沿って、従来の政府解釈について、補充的説明を行うものとする。」と取り決めたルールに則った発言であると同時に、その「③」の〈一つの番組のみでも、次のような極端な場合においては、「政治的公平」を欠き、放送番組準則に抵触することとなる。〉とする具体例として「選挙期間中又はそれに近接する期間において、特定の候補者や候補予定者のみを殊更に取り上げて放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合」と挙げていることとほぼ同様な文言となっている以上、いわば安倍補佐官礒崎陽輔が主導で画策した総務省行政文書解釈の取決めに案内を受け、その取決めを"ヤラセ"として演じた国会答弁であり、最終的には従犯的な共犯関係を組むことになった高市早苗の、自身も首を突っ込んだ連携プレーの一コマだと認識しなければならない。高市早苗が総務省行政文書中の自身に関わる記述は"捏造"とする説明は自らの折角の経歴の全てを傷つけかねない自身の共犯性を打ち消してなくしたい強い願望が"捏造"とすることによってそれが可能となるからだと疑えないことはない。

 総務省行政文書の中から"捏造"ではないことを証明するより明確な記述をさらに挙げてみる。

 「礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>」(日時 平成27年1月29日(木)17:10~17:25)
 場所 官邸(礒崎総理補佐官室)☆

 安藤情報流通行政局長)本件の今後の取り運びについて確認させていただきたい。当方としては、本件は政務にも一切上げずに内々に来ており、今回の整理については高市大臣のご了解が必要。その際の話法としては、
 ①サンデーモーニングの件に加えてこれまでも国会で質問されてきた等、補佐官は従前から放送番組の政治的公平にご関心があったこと、
 𖯃今般あらためて本件について整理すべきとの問題意識から補佐官のほうで国会質疑を通じた明確化検討している、
 ③その前提となる考え方の整理について補佐官から照会があり数次やりとりをしてきた、というご説明でよいか。

 礒崎陽輔)問題ない。今回の整理は決して放送法の従来の解釈を変えるものではなく、これまでの解釈を補充するもの。他方、国会での質問としては成り立つ。上手く質問されたら総務省もこう答えざるを得ないという形で整理するもの。あくまでも「一般論」としての整理であり、特定の放送番組を挙げる形でやるつもりはない。

 藤川政人と高市早苗の質疑はかくかように安倍補佐官礒崎陽輔の思惑の範囲内に収まっている。"ヤラセ"なのだから、至極当然で、いわば、〈高市大臣のご了解を得られた。〉礒崎陽輔の思惑のコントロール下にあったことの証明以外の何ものでもない。さらに言うと、各職位の各段階で確認と了承を経て記録・保存されるに至る行政文書という性格上、捏造だとしたら、何らかの利益に基づいた組織ぐるみの意志が働いていなければ、捏造という形は取らせることはできない。森友学園国有地格安売却時の財務省の決裁文書改竄が一定部署の組織ぐるみであったから可能となったようにである。

 以上見てきたように安倍晋三を加えた安倍補佐官礒崎陽輔一派が放送法第4条に関わる政府統一見解に「補充的な説明」を付け加えることになった意図は政治報道番組の政府批判(端的に言うと、アベノミクス批判)を抑えたい欲求――規制したい欲求が発端となっていることを考えるなら、その答・成果は断るまでもなく規制を可能とする地点に持っていこうとするのは当然のことで、安倍補佐官礒崎陽輔が「今回の整理は決して放送法の従来の解釈を変えるものではない」と明言し、結果もそうなっていることからすると、報道の自由に抵触しない範囲内でテレビ報道番組を規制するための新たなアプローチを設けることに目的があった。それが「一つの番組でも極端に偏っていた場合には政治的に公平とは認められない場合がある」とする「補充的な説明」であり、報道機関に対して一種のインプリンティング(刷り込み)の手法を用いた。強権を廃した穏便さは見せてはいるものの、「政治的に公平」かどうかに睨みを利かすのはあくまでも政権側であり、その睨みがテレビ局側に政治的にどのような報道を行うか、いわば下駄を預けさせられた立場に立たせることに繋がって、「政治的に公平」に抵触しないよう、報道内容に控えめの線引きを行わざるを得ない。言ってみれば萎縮という名の自主規制を誘う罠としての働きを持たせることになるだろうから、こういったことに狙いを定めた役割こそが「極端に偏っていた場合には」云々の「補充的な説明」を国会答弁を用いて政府見解とするインプリンティング(刷り込み)に置いた。言ってみれば、「補充的な説明」のインプリンティング(刷り込み)によって安倍政権側は「政治的に公平」かどうかを判断する一種の生殺与奪の権を握ることになった。

 このことは安倍晋三が番組側の情報操作を疑ったTBSテレビ「NEWS23」生出演の2日後の2014年11月20日に自由民主党筆頭副幹事長萩生田光一と報道局長福井照が在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに公平中立な報道を要請したことと、さらにその6日後の2014年11月26日に報道局長福井照がテレビ朝日の「報道ステーション」プロデュサー宛にも公平中立な報道を要請したことと符合する。あくまでも要請という形を取っているが、報道内容の公平中立性の維持はあくまでもテレビ局側に下駄を預けた形を取るから、公平中立性を前提とした控えめの報道を意識せざるを得なくなり、そう前提とすること自体が表現の自由に関わる生殺与奪の権を自民党という政治権力に一定程度は握らせたことになる。つまり「補充的な説明」は放送法第4条の「政治的に公平」な報道に対しての生殺与奪の権を担保させる"殺し文句"と喩えることもできて、"殺し文句"に政府統一見解という一大権威を与えたのである。

 安倍晋三自身について纏めると、政治権力は国民から常に監視を受ける立場にあり、批判される宿命を負っている。安倍晋三は自らに対する批判を評価に変える努力をすべきをテレビ局の政治報道番組が伝える批判を情報操作で作り上げた批判だと、あるいは放送法第4条の規定に逸脱していると疑い、放送法第4条に「補充的な説明」を加える手捌きで「報道の公平中立ならびに公正の確保」を改めて意識させ、それを自主規制の力とすべく画策した。政治権力者として度量がケチ臭くできていることの結末だろう。だから、死ぬまでアベノミクスは成功したと強弁を振るうことができた。

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2023年3月2日投稿記事公開停止のお詫び

2023-03-11 08:06:13 | 政治
 読者の皆様へ。

 当ブログ作者の手代木恕之です。2023年3月10日(金曜日)に編集画面にアクセスしたところ、〈アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反により、又は、法令上規定された手続により現在、1件の記事を公開停止させていただいております。〉との表記があり、該当記事は2023年3月2日投稿の《なぜ日本の保守派は同性婚に反対なのか 天皇信仰背景の日本民族優越意識と明治以来の日本の伝統が同性愛を日本人の行動様式とは認めていないから - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》のことでした。

 理由は、〈「差別表現などの不適切な表現」がある〉と言うことでしたから、早速、goo事務局宛に、〈gooブログ記事《なぜ日本の保守派は同性婚に反対なのか 天皇信仰背景の日本民族優越意識と明治以来の日本の伝統が同性愛を日本人の行動様式とは認めていないから》(https://blog.goo.ne.jp/goo21ht/e/23ac5b715a31a5afb9c4242033a17900)が「差別表現などの不適切な表現」があるとの理由で公開停止になっています。「差別表現などの不適切な表現」の箇所を教えてください。〉とメール。

 〈※本メールは、システムから自動で送信しております。〉との断りで――

 〈日頃よりgooをご利用いただき誠にありがとうございます。
 お客様からのお問い合わせを受け付けました。〉と返信あり。

 今朝(2023年3月11日)、試しに該当記事にアクセスしてみたところ、

〈※この記事は表示できません
※現在この記事の一部にサイト運営にふさわしくない言葉・表現が含まれている可能性がある為、又はこの記事に対してプロバイダ責任制限法等の関連法令の適用がなされている為、アクセスすることができません。〉の警告。

 「可能性がある」はgooグー事務局側の判断であり、当方の納得が必要となる関係上、月曜日になったなら、〈サイト運営にふさわしくない言葉・表現〉がどの箇所のどの文章なのか、再度問い合わせてみようと思っています。

 記事自体は同性婚法制化に向けた動きに殆ど役に立たないかもしれませんが、法制化の1日も早い実現を願う自身の気持ちを満たすためにも掲載は必要で、問い合わせた上で訂正すべきは訂正して、記事の再度の掲載に持っていきたいと思っています。アクセスしてくれた読者にご迷惑をお掛けしますが、暫くお待ち下さい。
コメント (2)
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