安倍晋三が設計首謀者の現金還付・収支報告書不記載の慣習・制度だっだと疑うに足る相当性ある状況証拠の提示

2024-05-31 11:22:07 | 政治
 安倍晋三キックバック中止指示の2022年4月会合も、派閥幹部の若手議員キックバック再開要請対応8月会合も安倍晋三を無罪放免目的の作り話とすると全ての整合性が取れる

  「イジメ未然防止の抽象論ではない具体策4題」(手代木恕之著/2024年5月18日発行:500円)

1.イジメを含めた全活動が"可能性追求"だと自覚させる「可能性教育」
2.「厭なことやめて欲しい」で始まるロールプレイ
3. 居場所づくりと主体性教育目的の一教科専門コース導入の中学校改革
4.主体性教育目的の図書館の蔵書を参考書とする1日1時限の「自習時間」の導入
学校は一定のルールを決めて学校内でのプロレスごっこを認める)

 この記事と同様の趣旨の記事を2024年4月1日にgooブログlivedoorブログに既に公開していて、2022年4月の安倍晋三出席の安倍派幹部との会合での安倍晋三の政治資金パーティノルマ超過分の現金還付中止指示と同年7月の安倍晋三銃撃死後の同年8月の安倍派幹部の現金還付を求める若手議員にどう対処するかを話し合った会合は安倍晋三の連続在任日数歴代1位の名誉を守るためにノルマ付けとノルマ超の現金還付と収支報告書不記載が歴代会長の指示で行われていたものの、安倍晋三自身はそのことへの関与は積極的ではなかったことを、いわば偽装するデッチ上げ、作り話ではなかったかという内容に仕立てた。

 読み返してみて、キックバックを始めたのは安倍晋三ではないかということに気づいた。意図がずれたために言葉足らずの面とアプローチの方法が不適切な面が生じることになった。本来の意図に戻すべく、今回は現金還付と収支報告書不記載は安倍晋三が設計首謀者の慣行、もしくは制度だったと状況証拠面から打ち立てて見ようと思う。

 狙いは安倍晋三の悪行だから、政治倫理審査にかけられた国会議員のうち安倍派幹部の証言のみを取り上げる。以下の記事はNHK総合放送の政倫審中継放送からの文字起こしと政倫審を取り上げた「NHK NEWS WEB」(2024年3月1日)記事からの抜粋で構成した。どちらの抜粋か断らないが、現金還付、いわゆるキックバックと収支報告書への不記載という手を用いた"裏ガネ"化(全員が否定しているが)についての政倫審に掛けられた安倍派幹部の証言内容は多くのマスコミによって詳細な解説が加えられ、広く流布していて、関心のある者にとっては大体は頭の中の常識となっているだろうから、どちらからの抜粋かはさして問題ではないと思う。

 要はそれぞれの証言をどう読み解くか、それが的確性を備えているかどうかが肝心なことで、それができていないということならそれまでにして貰うことになる。

 2024年3月1日の衆議院政治倫理審査会は西村康稔がトップバッターで、15分の弁明時間が与えられた。安倍派清和研究会の代表兼会計責任者松本潤一郎が派閥の政治資金パーティでの収入・支出に関わる収支報告書不記載等で東京地方裁判所に起訴され、自身も検察の捜査を受けたものの立件する必要がないとの結論に至ったものと承知していると述べ、「清和会の会計には一切関わっていない」と自身の無罪を強調している。

 以下、弁明のうちの重要な点を箇条書きにしてみる。

1.実際、今の時点まで私は清和会の帳簿、収支報告書など見たことはない。
2.パーティ券売上げのノルマを超えた分の還付については自前で政治資金を調達
  することの困難な若手議員や中堅議員の政治資金を支援する趣旨で始まったの
  ではないかとされているが、いつ始まったのか承知していない。
3.還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われ
  てきたことで、会長以外の私達幹部は関与していないし、派閥事務総長と言って
  も、自身は関与していない。
4.今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった。
5.8月の会合で2022年の還付金については安倍会長の意向を踏まえ、幹部の間で
 行わない方向で話し合いが行われたものの、一部の議員に現金での還付が行わ
 れたようであるが、その後の還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。

 「1.」の見たことはないが知らなかったことと必ずしも一致するわけではない。知らされていた上で処理は他人任せなら、見たことはくても知っているという構図は成り立つ。

 「2.」の言い分、現金還付、いわゆるキックバックは若手議員や中堅議員の政治資金支援の趣旨で始まったとしているが、一般的には当選回数の多いベテラン議員程政治的影響力を持ち、カネ集めに長じていて、政治資金パーティ券の売上も多くこなしているはずで、実際にもキックバック額は多くなっている。利益という点ではベテラン議員の方に分があったはずだ。

 いわばキックバック制度でより多くの利益を得ているのはベテラン議員であって、このことは制度開始当時から変わらないだろうから、若手議員や中堅議員のためを思って始めたという言い分に全面的に正当性を与える訳にはいかない。若手議員や中堅議員のためもあったろうが、ベテラン議員の日常的な活動に余裕を持たせる方向により多くの力が働いていたはずだ。

 結果、カネを力とした日常的活動の拡大によって清和政策研究会という派閥の勢力拡大とその勢力拡大に伴わせた自民党内の影響力拡大、数の力を背景とした政治的影響力の浸透を最終目標に据えていたはずだ。若手議員や中堅議員のための政治資金支援はカネの力を借りた政治というものの現実の姿を隠すカモフラージュの役目を果たしている一面も抱えていることになる。

 「3.」の言い分、還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたことしていることは、安倍晋三を含めて清和会歴代会長は現金還付と還付した現金の還付元の派閥の政治資金収支報告書への不記載と還付先の議員個人の政治団体の政治資金収支報告書への不記載を共に承知していて、承知していたうえで不記載をやらせていた共犯関係にあったことになる。

 但し安倍派幹部の誰もが不記載を知ったのは2023年11月の報道があってからだと証言している。それが「4.」で取り上げた証言に当たる。

 「5.」で、安倍晋三の意向で中止が決まっていた2022年の還付はその意向が守られず行われたが、その経緯については全く承知していないとしていることは安倍晋三銃撃死後、派閥運営主体は幹部に帰するものの、その幹部を差し置いて現金還付が継続されていたという不思議な構図を取ることになる。

 「3.」の還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたこととしている証言と考え併せると、安倍派清和政策研究会の事務局長兼会計責任者の松本淳一郎が4月会合での安倍晋三の還付中止の指示と幹部の受け入れ方針を無視し、なおかつ幹部の意向を確かめもせずに独断で還付を継続していたことになり、その資格もない極度の僭越行為を犯していたことになる。

 西村康稔に対する質問のトップバッターは自民党68歳、麻生派の武藤容治で、還付金の不記載は「(清和政策研究会の)事務局長さんだけが長年の慣行としてやってきたのか」と尋ねているが、西村康稔が清和会歴代会長と事務局長との長年の慣行としていたことを事務局長だけの不正行為とし、意図してのことなのかどうか、歴代会長を無関係な立場に置こうとする質問となっている。

 西村康稔「ノルマについてもどういうふうに決まっていたのか承知していない。会長と事務局の間で何らかの相談があって決められたのではないかと推察するが、どういう会計処理がなされていたのか承知をしていない。ただ今思えば、事務総長として安倍会長は令和4年、2022年4月に、『現金の還付を行っている。これをやめる』と言われて、幹部でその方向を決めて、手分けをして若手議員にやめるという方針を伝えた。

 安倍会長はその時点で何らかのことを知っておられたのだと思う。どこまで把握していたのか分からないけれども、現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめると、還付そのものをやめると、いうことで我々で方針を決めて、対応した。

 その後、安倍会長は亡くなられて、ノルマを多く売った議員がいたようで、返してほしいという声が上がった。それを受けて、8月の上旬に幹部で議論し、還付は行わないという方針を維持する中で返して欲しいと言う人たちにどう対応するか、色々な意見が挙がったが、結局結論は出ずに私は8月10日に経済産業大臣になったので、事務総長は離れることになった。

 その後、どうした経緯で現金の還付が継続することになったのか、その経緯は承知をしていない」

 以上の西村康稔の発言から現金還付継続の事実関係を纏めてみる。西村康稔自身が後で明らかにしている2022年4月の会合の出席者は安倍晋三と安倍派事務局長兼会計責任者の松本淳一郎、さらに西村康稔自らと当時会長代理だった塩谷立、同じく会長代理の下村博文、自民党参議院代表・幹事長の世耕弘成世で、その席で安倍晋三が「現金は不透明で疑念を生じかねない」との理由を挙げて現金還付の中止を申し出た。

 その場にいた安倍派幹部4人は安倍晋三の申し出を受けて、いわばその方針を受け入れ、手分けをして若手議員に中止を伝えた。これも西村自身があとで明らかにするが、伝達は電話を使った。ネットで調べてみると、2022年7月時点の記事で安倍派所属議員は94名となっている。幹部4人を除いて90人、計算上は1人当たり20人前後の所属議員に電話を掛けたことになる。

 事務局長が出席していたのだから、会合の場から事務局に電話を入れて、事務局職員に指示して一つの文面で複数のメールアドレスに送信できるカーボン・コピー(CC)形式で送信すれば、遥かに手早く、効率よく連絡することができる。当日が休日なら、翌日であってもいいはずだが、わざわざ幹部の手を煩わす電話を用いた。

 現金還付が「不透明で疑念を生じかねない」という性格上、「メールを開封後直ちに削除することと」と一文を入れたとしても、削除を忘れて証拠として残るか、何かあったと復元に掛けられて、世に出ることを危惧して手間のかかる電話にしたということも考えられる。

 西村康稔は「安倍会長はその時点で何らかのことを知っておられたのだと思う。どこまで把握していたのか分からないけれども」と深くは知っていなかったかのような印象を与えようとしているが、「還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきた」こととしていることと「現金は不透明で疑念を生じかねないから」と現金還付の性格付けを行い、その中止を意思表示した以上、安倍晋三自身、どのような種類の現金還付なのかは承知していたことになる。少なくともおおっぴらには表沙汰にはできないカネの遣り取りだと位置づけていた。

 そもそもからして銀行振込か郵便振込で行うところをわざわざ現金で手渡していた。安倍派事務局の職員が各議員個人の政治団体の事務所に赴くか、その事務所の職員を派閥事務所に呼び出すかしなければ、現金決済はできない。金融機関で振り込む場合はカネの移動の痕跡を残すことになるが、現金だと、その痕跡を残さずに済む。そのメリットを生かすための方法だとしたら、幹部側は「現金は不透明で疑念を生じかねない」の意味するところを政治資金収支報告書不記載か、あるいは最低限、実際の使い途とは異なる政治資金規正法に触れる何らかの虚偽記載に持っていくことを狙いとしていることぐらいは気づかなければならなかったろう。だが、長年政治に携わり、政治資金規正法と付き合ってきながら、何も気づかなかったと自分たちを政治に素人の立場に置いている。

 但し安倍晋三が「現金の還付を行っている。これをやめる」と最初に中止を言い、幹部の誰かが「なぜですか」と中止の理由を聞いたところ、「現金は不透明で疑念を生じかねないから」と答えたのだとしたら、幹部は誰一人現金還付の事実も、政治資金収支報告書不記載か、その他の考えられる不正行為を知らなかったとすることはできるが、国会議員を長年勤めていて、自民党最大派閥の幹部の位置につけている以上、以後の認識として、安倍晋三の現金還付は「不透明で疑念を生じかねないから」とした性格付けの言葉一つで、政治資金収支報告書不記載程度のことは当たりを付けておかなければならなかったはずで、当たりを付けた時点で、その辺のことは幹部たちの間で、「ああ、そういうことだったんだ」と裏があることを暗黙の共通認識とするに至ったという経緯を取らなければならなかっただろう。

 要するに自分たちの知らないところでノルマを超えたパーティ券売上はキックバックされて、収支報告書で何らかの操作が行われているんだなぐらいなことは察したはずで、その場に事務局長の松本淳一郎がいたのだから、「収支報告書でどのような扱いになっているのですか」程度のことは聞くのが人情の自然というものだろう。

 尤も事務局長は「議員のみなさんは知らないでいた方が無難です」と答えた可能性は大きい。

 以上のような経緯が考えられることを抜きにしたとしても、安倍晋三の現金還付は「不透明で疑念を生じかねないから」とした性格付けの一事のみを取り上げただけでも、西村康稔の「今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった」は、他の幹部たちの同様の発言にしても、素直に受け取ることはできない極めて疑わしい弁明と見なければならない。

 この"疑わしい"を虚偽告白そのものと断定できるかどうかは追及側の野党議員が4月の会合で安倍晋三と4人の幹部たちとの間で具体的にどのような遣り取りがあって現金還付中止を決定したのかを詳細に聞き出さなければならなかった。その中で最も肝心な質問は西村康稔に対しては安倍晋三が行った「不透明で疑念を生じかねない」とした現金還付の性格付けから還付された現金の政治資金規正法上の処理についてどういう心証を持ったか、他の幹部に対しては西村康稔は安倍晋三から現金還付中止の理由として「不透明で疑念を生じかねない」と伝えられたと証言しているが、同じ席にいたのだから、この性格付けを耳にしたはずで、耳にしたとき、還付された現金の政治資金規正法上の処理についてどういう認識を持ったかを追及、それぞれの答弁に応じて還付された現金の政治資金収支報告書への不記載等の不正行為にまで思いが至ったのか、至らなかったのか、前者であった場合、安倍晋三か事務局長に具体的な事情を知るためにどういう処理がなされているのか実際のところを問い質したのか、問い質さなかったのかなどなどの事実を炙り出さなければならなかったが、この点についてのそれぞれの説明を野党議員は誰もが表面的に捉えるだけで、言葉の裏を探ることはしなかった。

 あるいは安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」の言葉そのものを幹部たちがどう解釈したのか直接的に尋ねることもしなかった。一言でも尋ねていたなら、政治資金規正法上の処理の問題に、それ以外ないこととして行き着くことができたはずだが、そういったことを試みることもしなかった。

 その結果、2023年11月の報道で収支報告書不記載等の不適切な運用を知ったなどといった答弁――安倍晋三が現金還付中止も理由とした「不透明で疑念を生じかねない」の性格付けなどなかったことにした答弁を幹部全員に対して許すことになった。

 4月の会合がデッチ上げの作り話でも何でもなく、正真正銘存在した会合なら、8月の会合でも現金還付に対する「不透明で疑念を生じかねない」の性格付けと、そのような性格付けゆえの安倍晋三の中止を申し出た意志、さらにこれらの事情で中止を受け入れた幹部4人の姿勢は厳格に維持されなければならない。でなければ、連続在任日数歴代1位の名誉を担う安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」の性格付けに基づいた中止の意志を裏切ることになる。

 いわばその中止の意志を裏切ってはならない安倍派幹部としてのそれ相応の義務と責任を負ったはずで、負いきれない立場に立たされた場合は幹部4人が雁首を揃えていたことに反する無力を示すことになり、何らかの焦燥感に見舞われ、幹部としての矜持を意識させられることになっただろう。でなければ、派閥を率いる幹部としての意味を失う。

 8月の会合での出席者は世耕弘成自身が2024年3月14日の自らに対する参議院政治倫理審査会で次のように明らかにしている。

 世耕弘成「当時の安倍会長からは2022年の5月のパーティーについて、4月上旬に幹部が集められ『ノルマ通りの販売にしたい』、即ち還付金はやめるという指示が出た。その後7月に安倍会長が亡くなり、その後8月上旬だったと思うが、塩谷会長代理、下村会長代理、西村事務総長、松本事務局長と私が集まった。その場で『ノルマをオーバーしてしまった人がいる。どうしようか意見を聞かせて欲しい』という趣旨の会合だったと思っている」

 8月の会合出席者は塩谷会長代理、下村会長代理、西村事務総長、世耕弘成、安倍派清和政策研究会事務局長松本淳一郎の5人。4月の会合との違いは安倍晋三だけが抜けて、同じメンバーとなっている。

 西村康稔の8月の会合についての弁明の中で行った説明は箇条書きの「5.」と自民党武藤容治に対する答弁で既に取り上げているが、より具体的に理解して貰うために弁明の中での発言に加えて、質問者立憲民主党の枝野幸男に対する答弁を併せて取り上げ、武藤容治に対する答弁はそのままの繰り返しで再度取り上げてみる。注釈は当方。

 西村康稔(弁明)「(4月の会合で)2022年の還付金については安倍会長の意向を踏まえ、幹部の間で行わない方向で話し合いが行われたものの、(5月のパーティー開催以後)一部の議員に現金での還付が行われたようであるが、その後の還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。だが、経産大臣となり、安倍派事務総長の任から離れたが、安倍会長の意向を託された清和会幹部の一人として少なくとも2022年については還付を行わないことを徹底すればとよかったと反省している」

 西村康稔(枝野幸男に対する答弁)「4月の段階では5月の(派閥の)パーティが控えていたので、還付はやめるという方針を決めて、若手議員が中心だったと思うが、(電話で)連絡した。その後、まさに還付はしないという方向で進んでいたが、7月に安倍さんが撃たれて亡くなられて、その後ノルマ以上売った議員から、返して欲しいと声が上がり、8月の上旬に幹部が集まってどう対応するかということを共有したが、そのときは結論が出なかった」

 西村康稔(自民党武藤容治に対する答弁)「(4月の会合後に)安倍会長は亡くなられて、ノルマを多く売った議員がいたようで、返してほしいという声が上がった。それを受けて、8月の上旬に幹部で議論し、還付は行わないという方針を維持する中で返して欲しいと言う人たちにどう対応するか、色々な意見が挙がったが、結局結論は出ずに私は8月10日に経済産業大臣になったので、事務総長は離れることになった。

 その後、どうした経緯で現金の還付が継続することになったのか、その経緯は承知をしていない」

 あったこと、事実関係を述べているだけで、4月の会合で安倍晋三が現金還付の中止の理由として持ち出した「不透明で疑念を生じかねない」の懸念、懸念が予想させる政治資金規正法上の処理の問題に関わる不都合な事実が存在する可能性、具体的には収支報告書不記載か虚偽記載しか考えられないが、これら全てに決着を付けて公明正大な状況に持って行く幹部の立場としての義務と責任を考えた場合、いわば4月の会合での安倍晋三の現金還付中止の意志を維持していなければならないのだから、「返してほしいという声が上がった」ことに対しては「還付は行わないという方針を維持する中で返して欲しいと言う人たちにどう対応するか」ではなく、別々の問題として扱うべきで、「それはできないんだ。親分安倍晋三の遺志となっているのだから」と断るのが筋であり、そうすること自体に自らの矜持をおかなければならなかったはずだが、それを「そのときは結論が出なかった」と宙ぶらりんな状態に放置し、不透明で疑念を生じかねない」の現金還付の性格付けが予想させる政治資金規正法上の問題、安倍晋三の中止の意志、その他その他、全てを有耶無耶にしてしまっている。

 このように4月の会合と8月の会合の継続性を持たない断絶状態自体が両会合の存在の否定根拠とすることができる。大体が安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」とした現金還付の性格付けから行うべき政治資金規正法に関係する懸念事項扱いは幹部の誰一人として無関係としているのだから、4月の会合を実際にあった話だとすることはできない状況証拠とすることができる。

 懸念事項扱いしたなら、収支報告書不記載を知ったのは報道があってからとしていることのウソが露見してしまうことになる。と言うことは、4月の会合も8月の会合も実体のない会合でありながら、安倍派清和政策研究会の政治資金パーテイのパーティ券売上にノルマが課せられていて、ノルマ超の売上は分はキックバックされ、収支報告書不記載扱いとなっていたとの2023年11月からの報道を受けて、急遽、安倍晋三を無罪放免とするためには現金還付制度は「不透明で疑念を生じかねない」の否定的性格付けは最低限必要不可欠な口実だったことになる。

 但しこのような口実を安倍晋三を無罪放免とするために必要としたこと自体が安倍晋三が設計首謀者の収支報告書不記載の現金キックバック制度だと状況証拠付けることになる。

 そのために4月の会合と8月の会合をデッチ上げざるを得なかった。4月の会合は安倍晋三を設計首謀者であることから無罪放免とするためであり、そのために還付中止を設定したものの、仮のことであって、現実には現金還付と収集報告書不記載が続いていたことに辻褄を合わせるために8月の会合をセッティングしなければならなくなった。セッティングして、現金還付と収集報告書不記載が続いていたことの止むを得ない事実とした。

 現金還付・収支報告書不記載の設計首謀者は安倍晋三であるとする状況証拠を補強するために4月の会合と8月の会合に出席したとしている既に取り上げている西村康稔以外の塩谷立、下村博文、世耕弘成3人の8月の会合についての証言を取り上げてみる。

 塩谷立「多くの所属議員から『パーティー券を既に売って還付を予定されていたので困っている』という意見があり、『ことしに限って継続するのは仕方がないのではないか』という話し合いがなされた。『政治活動のために継続していくしかないかな』という状況の中で終わったと思う」

 要するに「『ことしに限って継続するのは仕方がないのではないか』という話し合いがなされた」が、話し合いだけで、結論にまで至らなかった。だが、安倍晋三が現金還付中止の理由として「不透明で疑念を生じかねない」との文言で政治資金規正法に触れる懸念を挙げている以上、この継続は「仕方がない」を許したら、政治資金規正法に何らかの形で触れることを勧める言葉となり、安倍晋三の中止の意志は断固徹底しなければならない幹部としての義務感、責任感とは決定的に矛盾する。

 実際に4月の会合が事実存在したなら、自前で政治資金を調達できない議員に対する救済は安倍晋三が現金還付は中止すると指示した時点で話し合わなければならなかった課題であるにも関わらず、話し合われることもなく、8月の会合でも話し合ったとしながら、結論を見い出すことができなかった不始末は幹部の責任能力の欠如を示すもので、大の大人である幹部4人が4人とも同様のお粗末な責任能力を曝け出していたということは、裏を返すと、誰一人満足な知恵を示し得なかったということは派閥幹部としての体も、大の大人としての体も成していなかったことになり、4月の会合も8月の会合にもデッチ上げと見ない限り、納得のいく答を見い出すことはできない状況証拠となる。

 また2022年の安倍派政治資金パーティーは5月17日に行われていて、安倍晋三の現金還付中止の4月の会合から約1カ月後と見ると、8月の会合の日付は世耕弘成が参院政倫審の証言の中で「8月5日の会合で現金還付の復活決まったことは断じてない」と述べているから、安倍派政治資金パーティー5月17日から約2ヶ月20日後で、実際には現金還付が続けられていたことを考えると、5月17日の安倍派政治資金パーティーから8月の幹部たちと安倍派事務局長事務局長松本淳一郎が出席していた8月5日までは還付を中止していたが、この会合で結論が出なかったから、幹部4人に断りもなしに事務局長松本淳一郎が還付を復活したばかりか、政治資金収支報告書不記載扱いも続けていたというのは常識的には考えられないことで、4月会合も8月の会合もなかったことにして、5月17日の安倍派政治資金パーティー後も例年の慣行どおりに現金還付と支報告書不記載が実施されていたと見る方が遥かに腑に落ちることになる。

 世耕弘成「安倍さんがもうノルマ通りの販売だ、現金による還付はやめると仰っていたので私はそれを守るべきだと意見を冒頭申し上げた。

 しかし一方で5月のパーティーを4月にノルマどおりと指示が出ていたが、売ってしまった人もいる。そういう人はやっぱり政治活動の資金として当てにしている面もあるんで、何らかの形で返すべきではないかという意見も出た。そういう中でやっぱり還付金はやめようという安倍さんの方針は堅持しよう、その代わり何らかの資金の手当てをする方法があるだろうかという議論があった中で有力なアイディアとして各政治家個人が開くパーティのパーティー券を何らかの形で清和会が買うか、これちょっと具体的にそこまで詰めた話にはならなかったけども・・・」

 だが、結局、「このとき確定的なことは決まっていない」

 安倍晋三の還付中止の方針の堅持を言いながら、確定的な結論は出さずじまいにした。ここに幹部を名乗るだけの責任感も義務感も見い出すことはできない。現金で還付してもいいわけである。政治資金規制法に則った正規の支出項目に該当する「政治活動費」等の名目で、政治資金収支報告書に動いた金額どおりに記載すれば何の問題も生じない。

 この不自然さを解消するには4月の会合と8月の会合の実体に疑いを挟まないと整合性は取りにくい。

 では、何ために4月の会合と8月の会合を必要としたのか。現金還付と不記載が中止することなく続けられた状況を前提に4月の会合と8月の会合をセッティングした場合、もし安倍晋三が現金還付と収支報告書不記載の制度、あるいは慣行を拵えた設計首謀者と仮定した場合、それを隠して還付中止を申し出た善なる存在だと見せかけることができて、その点に一番の受益を置いていたと考えることができる。

 逆に安倍晋三が設計首謀者ではなかったとしたら、「不透明で疑念を生じかねない」といった収支報告書不記載か虚偽記載といった何らかの政治資金規正法違反を想起させかねない、危なっかしい理由を作り出してまでして現金還付中止を申し出たなどといったストーリーを演出する必要性が生じただろうか。

 その危なっかしさに追及側の野党議員が誰一人気づかず、助けられたに過ぎない。

 世耕弘成は8月の会合について次のようにも発言している。

 「派閥の各議員個人のパーティー券を清和会として買うといった、極めて適法な形で対応していこうというアイデアだったので、私は『それなら異存はない』と申し上げたと記憶している。私は『この案はいい』と言ったが、私が提案したわけではない」

 「極めて適法な形で対応していこう」は元々の現金還付が"極めて違法な形"で行われていたことの語るに落ちた裏返しの告白となるが、現金還付というカネの移動だけではなく、その法的な性格にまで気づいていたことになる。だが、世耕弘成は弁明で次のように述べている。

 世耕弘成(弁明)「今回の事態が明らかになるまで、自分の団体が還付金を受け取っているという意識がなかったので、還付金について深くは考えることはなかった。

 もっと早く問題意識を持って、還付金についてチェックをし、派閥の支出どころか、収入としても記載されていないこと、議員側の資金管理団体でも収入に計上されていないことを気づいていれば、歴代会長に進言できたはずとの思いであります」

 要するに政治資金収支報告書に不記載となっていたことに「今回の事態が明らかになる」2023年11月当時まで知らなかった。だが、8月の会合では現金還付の違法性に気づいていた発言をしている。この両証言の矛盾に整合性を与えるとしたら、最低限、違法性認識の出発点としなければならない4月の会合での「不透明で疑念を生じかねない」の安倍晋三の現金還付の性格付けの際に気づいておかなければならないことだから、8月の会合で気づいていたことに何ら不自然はないが、全体的説明を構成する肝心の弁明で気づいていないとしていることは、4月の会合と8月の会合に関わる証言に無理があるから生じた矛盾と見ないと説明がつかない。

 世耕弘成は4月の会合については次のようにも証言している。「違法性を議論する場ではなく、ノルマ通りの販売とするという指示が伝達された場だったと思っている。その時点では、私は還付金を自分が貰ってる認識がなかったので、収支報告上、どういう扱いになっているかに、思いを致すことはなかった」

 4月の会合は「ノルマ通りの販売とするという指示が伝達された場だった」

 ここには原因に対する理由を問う常識的な反応としての「なぜ」がない。なぜノルマを超えて売らせていたパーティー券をノルマどおりに戻すのか。知らない事実だったなら、安倍晋三に聞いて、幹部として知っておかなければならない知識・情報とするのが自らの役目の一つであるはずだ。

 あるいは法的な危険性を感じて、知らないでいた方が無難だなと直感し、意図的に聞かないでいたなら、「収支報告上、どういう扱いになっているかに、思いを致すことはなかった」は虚偽証言となる。但し問いたい気持ちを飲み込んだとしても、「なぜ」は頭に残る。

 要するに安倍晋三が現金還付・収支報告書不記載の慣習・制度の設計首謀者ではないと無罪放免とするためには最低限、「不透明で疑念を生じかねない」の理由は必要不可欠だったから4月の会合を設定し、
現実には現金還付も収支報告書不記載も続いていたことを隠すために8月の会合もセットしたが、「なぜ」と踏み込むところにまで持っていった場合、無罪放免に逆効果となり、安倍晋三こそが設計首謀者だと暴露しすることになるから、原因を求めなければならない人間の自然に反して「不透明で疑念を生じかねない」止まりにしなければならなかった。

 このように操作すること自体が4月の会合も、8月の会合を存在しなかったことの状況証拠としなければならない。操作でないと言うなら、原因に対する理由を問う常識的な反応としての「なぜ」を発しなかった事情の納得のいく説明をしなければならない。説明など、できないだろう。 

 この安倍晋三の「不透明で疑念を生じかねない」は4月の会合に出席した西村康稔、塩谷立、下村博文、世耕弘成世の4人の安倍派幹部は共有していたはずだから、揃って証言していいはずだが、西村康稔だけが証言していて、他の幹部は「安倍氏が還流中止を提案した」、「キックバックをやめる意向を示した」、「安倍会長の指示で一旦還付を中止する方針が決まった」などと説明するのみで、安倍晋三が還付中止の理由として用いた"不透明"、"疑念"といったキーワードは一切口にしていない。

 この点にも「不透明で疑念を生じかねない」という現金還付の性格付けとこの性格付けが想定することになる政治資金規正法上の何らかの不法行為を質問者や国民に印象づけたくない思惑を感じる。

 この思惑に窺うことになる不正直さ、あるいは不誠実さ自体に4月と8月の会合の存在を疑わしくする状況証拠とすることができる。

 この4月の会合の存在が世間に明らかにされたのは現金還付と還付された現金が収支報告書に不記載扱いとなっていたことがマスコミによって報道され出した2023年11月に入ってから約2ヶ月後の2024年を迎えてからであり、"関係者への取材で判明"したことになっているこのような経緯によって、マスコミ側自体は未把握の情報であることだから、安倍派幹部側の誰かが流した情報を正体とすることになる。

 隠していれば、隠しおおせる可能性は捨てきれないが、逆に自分たちの方からリークした事実は安倍晋三を表舞台に立たせる不利益以上のメリットがあると踏んだのだろう。それが単に清和政策研究会でいつ頃からか慣習化した裏ガネ制度を、あるいは裏ガネ文化を引き継いだという安倍晋三設計非首謀者説であって、それを打ち立てるために4月の会合と8月の会合をお膳立てする必要が生じた。

 残る下村博文の2024年3月18日の衆院政倫審での8月の会合に付いての証言を見てみる。

 下村博文「8月の会議での還付を継続するかやめるかという話は本来中心ではなくて、安倍会長が亡くなったあとの清和研の会長等、派閥の今後の運営の仕方、安倍会長の当時の派閥への対応等が中心で、5月に清和研のパーティがあり、4月には全員還付はやめようと連絡したにも関わらず、4月から5月の間ということで既にチケットを売っている方もいると思うが、還付についてノルマ以上に売上があった方から、戻して貰えないかという話があったものの還付はやめようという前提での議論で、このときに還付そのものは不記載であるとかいう認識は私は持っていなかった」

 下村博文は還付そのものは不記載であることは知らなかったと虚偽証言している。安倍晋三が現金還付中止を指示した。その指示に対して「ハイ、分かりました」と何も聞かずにただただ従ったというプロセスを取ったとしても、大の大人同士の話し合いなのだから、継続よりも中止に妥当性を見い出していなければ、無条件に従うことはできない。妥当性を見い出すこと自体が事情を飲み込んでいるからであって、
暗黙のうちに中止の理由を遣り取りしていることになる。

 「不記載だから、そろそろ潮時ですかね・・・」

 もし4月の会合で安倍晋三が還付中止を指示したが事実なら、現実には現金還付と不記載が続いていた事態は連続在任日数歴代1位で、安倍派幹部の党内での立場強化と発言力強化に力を与えた安倍晋三の威厳、あるいは威光が当の安倍派幹部に効果がなかったことを示すあり得ない奇妙な逆説を描くことになり、やはり4月の会合は安倍晋三現金還付・収支報告書不記載の設計非首謀説を打ち立てるためのデッチ上げと見なければ、収まりがつかない。当然、8月の会合も存在しなかった。

 最後に元NHKの記者、元解説委員で、2023年4月からフリージャーナリストに転身した、安倍晋三に近い人物と言われている東京大学法学部卒の岩田明子の「岩田明子さくらリポート」((ZAKZAKU/2023.12/12 11:48)から、2022年4月の会合と8月の会合をデッチ上げと見た根拠を示してみる。(一部抜粋)

 先ず安倍派(清和政策研究会)の複数議員が最近5年間で、1000万円以上のキックバック(還流)を受けて、裏金化していた疑いがあることが分かったとしている。裏金化とは、勿論のこと、収支報告書不記載に処し、自由に使えるカネにロンダリングすることを意味する。

 〈安倍晋三元首相が初めて派閥領袖(りょうしゅう)に就任した2021年11月より前から同派(清和政策研究会)の悪習は続いており、それを知った安倍氏は激怒し、対応を指示していたという。〉

 〈安倍元首相が21年11月に初めて派閥会長となった後、翌年2月にその状況を知り、「このような方法は問題だ。ただちに直せ」と会計責任者を叱責、2か月後に改めて事務総長らにクギを刺したという。

 22年5月のパーティーではその方針が反映されたものの、2カ月後、安倍氏は凶弾に倒れ、改善されないまま現在に至ったようだ。〉――

 先ず最初に断っておくが、この記事は安倍派の現金還付と収支報告書不記載がマスコミによって世間に公表後、ほぼ1ヶ月経ってから発表したものである。悪習に激怒した。安倍晋三の不正を憎む、その正義感がひしひしと伝わってくる。森友学園や加計学園でのお友達の民間人に政治的な便宜を図り、政治の私物化というありがたい疑惑を招いた人物には思えない。

 記事が伝える出来事を時系列で纏めてみる。

2021年11月、安倍晋三、派閥会長となる。
2022年2月、キックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)が自身の会長就任
      前から行われていたことを知り、激怒、改めるよう会計責任者を叱責
2022年4月に事務総長らにクギを刺す 
2022年5月の安倍派政治資金パーティでは、いわば悪習は是正 (事務総長西村康
      稔)
2022年7月、安倍晋三銃撃死。以降、悪習は改善されないままとなる

 2022年4月に事務総長らにクギを刺したとしていることは4月の会合のことを指すことになる。だが、当時事務総長だった西村康稔は2024年3月1日の衆議院政治倫理審査会で次のように証言している。既に取り上げているが、再度取り上げてみる。

 「還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたことで、会長以外の私達幹部は関与していないし、派閥事務総長と言っても、自身は関与していない。今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった」

 ここでの"クギを刺す"という言葉の意味は現金還付と収支報告書不記載の悪習は二度と行うなという禁止命令となる。でなければ、安倍晋三の「激怒」は意味を成さない。

 どこにクギを刺したのか、西村康稔のクギを刺されていない証言となっている。4月の会合、8月の会合に出席した安倍派幹部は自分たちは現金還付にも収支報告書不記載にも関与していない。4月の会合で安倍晋三の指示で一旦現金還付中止で申し合わせたもののなぜ復活したのか、なぜ継続したのか知らないと証言していて、記事で書いてあるようには安倍晋三の「激怒」という感情の噴出も、クギを刺したという事実も、一切見えてこない。

 4月の会合も8月の会合も作り話とすると、全てに納得がいく。繰り返しの根拠提示となるが、両会合が安倍派の現金還付と収支報告書不記載がマスコミによって報道されてからこの両会合が自民党サイドから出てきたものである以上、作り話の必要性は安倍晋三は清和政策研究会が前々から行ってきた悪習を派閥会長になってから単に引き継いだだけのことで、自身が始めたことではないという設計非首謀説を打ち立てることにあり、実際にもそのようなストーリー仕立てとなっている。

 裏を返すと、当然、安倍晋三設計首謀説以外、炙り出すことはできない。

 清和政策研究会の政治資金パーティーは例年5月に行う慣例となっている。前年の2021年は5月を外れて12月6日に行われたのは2020年暮れから翌2021年3月までコロナ第3波、4月から6月まで第4波と
いう感染状況に応じて時期を12月にずらしたのだろう。前々年の2020年は9月28日に行っているが、2020年4月7日に7都府県にコロナ緊急事態宣言が発令された関係で時期を遅らせることになったのだろうが、それ以外は毎年5月に行っている。

 2022年のコロナの感染状況は第6波が1月1日から3月31日まで。第7波が7月1日から9月30日までで、4、5、6月はその谷間に当たると同時に政府は2022年3月21日を以って全ての都道府県のまん延防止等重点措置を終了、行動制限のない5月のゴールデンウイークを3年振りに迎えている。

 要するにまん延防止等重点措置を終了の2022年3月21日以降、2022年5月の開催は予定できた。そして5月17日に開催した。清和政策研究会の政治資金パーティーのパーティー券の販売開始はMicrosoft EdgeのAI「Copilot」で問い合わせてみると、「しんぶん赤旗」の記事を元に"開催約2ヶ月前"だと案内している。

 5月17日開催の2ヶ月前は3月17日。まん延防止等重点措置の終了が確実視できる頃となる。さらに安倍晋三とて清和政策研究会入会、一派閥会員としてスタートを切り、中堅会員、幹部会員、そして派閥会長の地位に昇格することになっただろうから、パーティー券の売上程度は関心対象となっていて、販売開始はパーティー開催の約2ヶ月前であることは慣習的に知り得ていたはずだから、安倍晋三が2022年2月にキックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)を自身の会長就任前から実施されていたことを知り、激怒、改めるよう会計責任者を叱責したが事実なら、パーティー券の販売開始前に直ちにそのノルマ超えの販売を禁止し、ノルマ通りの売上を厳命しなければならなかったことで、時間的にもできただろうから、できたことをしておけば、2022年4月の会合で安倍晋三の指示を受けて現金還付中止を派閥所属議員に電話で連絡したものの既にパーティー券を販売してしまったという議員が出てくる事態は回避できたことになる。

 だが、2022年2月にキックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)が行われていることを知りながら、安倍晋三は中止させるための行動を既にパーティー券が販売されている最中の2022年4月の会合が開かれるまで起こさなかったという矛盾した筋立てとなる。

 その答は4月の会合は存在しなかったという事実以外に行き着かない。当然、8月の会合にしても存在しなかった。存在しなかったとすることによって様々な矛盾が解消する。

 パーティー券販売が開催2ヶ月前が3ヶ月前だったとしても、悪習を知った2022年2月に中止の行動をなおさらに直ちに起こさなければならなかっただろうし、2ヶ月前が1ヶ月前だったとしても、既にノルマを超えて売り上げた議員に対しては収支報告書への記載を厳命して返金すれば済むことを、その両方共に行動を起こすことはなかった。結果、各幹部の政倫審での証言が矛盾に満ちることになった。

 どこをどう押したなら、4月と8月の会合が実在したとの証明を導き出すことができると言えるだろうか。

 とどのつまりは安倍晋三が始めた政治資金パーティーを使った現金還付と政治資金収支報告書不記載のカラクリだと知られることを、連続在任日数歴代1位の輝かしい名誉を金メッキとしないないためにも、何としてでも阻止しなければならない派閥幹部としての切迫した義務感が現金還付と収支報告書不記載の設計首謀者から単に前々からの悪習を引き継いだ設計非首謀者に過ぎないと演出、無罪放免とするために仕組んだストーリーに過ぎないことを数々の状況証拠が突きつけることになる。

 女性蔑視人間として有名な元首相森喜朗が設計首謀者であるかのような噂が流布しているが、森喜朗と安倍派幹部が謀らい、安倍晋三を設計首謀者から遠ざける目的で森喜朗が一定程度の悪者になることを引き受け、流したフェイクニュースに過ぎないだろう。森喜朗設計首謀説が事実なら、安倍晋三が2022年2月にキックバック(還流)と裏金化(=収支報告書不記載)が自身の会長就任前から行われていたことを知り、激怒したことと改めるよう会計責任者を叱責したことを嘘偽りのない感情とすることが可能となり、そのことは2022年5月の安倍派政治資金パーティから現金還付と政治収支報告書不記載の中止を、派閥会長としてできないことではなかったのだから、実現させることで感情を発散、自らの責任を果たすことになるのだが、実際にはこれらのプロセスを何一つ踏むことはできなかった事実は森喜朗首謀説を紛い物とする証明としかならない。

 安倍派幹部の政倫審証言やその他の記事を状況証拠とすると、安倍晋三設計首謀説以外は見えてこない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍派政治資金パーティキックバック裏金:22年4月と8月の会合を作り話とすると、全てがスッキリする

2024-04-01 11:29:17 | 政治
 今回の政治資金パーテー収入のキックバック裏金問題は、「Wikipedia」をなぞって説明すると、〈2022年11月にしんぶん赤旗が5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載をスクープ。同月から神戸学院大学教授の上脇博之は独自に調査を開始し、東京地方検察庁への告発状が断続的に提出され、2023年11月に読売新聞やNHKなどが報じたことで裏金問題として表面化した。〉ということで、同「出典」によると、読売新聞は2023年11月2日に報道し、NHK NEWS WEBは2023年11月18日に報道している。つまり安倍派や二階派の政治資金パーテー収入キックバック裏金問題は2023年11月に入ってから世間を騒がすことになった。

 安倍派は派閥の政治資金パーティのパーティ券販売で所属議員にノルマを掛け、ノルマを超えた分はキックバック、キックバック分のカネの収支については派閥側も所属議員側も収支報告書への不記載が発覚、告発を受けて東京地検特捜部が取調べに入ったが、所属議員はキックバックと不記載に関して嫌疑なしで不起訴処分となり、安倍派清和政策研究会会計責任者のみが在宅起訴となり、初公判は5月10日という。

 収支報告書不記載は事実安倍派清和研究会の会計責任者と各個人の政治団体の政策秘書間の独断行為で派閥幹部議員は関知していないことで、現金還付について知ったのは2022年4月の安倍晋三と派閥幹部4人との会合だったとしているが、世論と野党は納得せず、政治倫理審査会が2024年3月に衆参で開催されることになった。同じく虚偽記載を問われた二階派を代表して出席することになった二階派事務総長の武田良太の質疑は除外して、安倍派幹部西村康稔、松野博一、塩谷立、高木毅、下村博文、世耕弘成のうち、2024年3月1日の西村康稔に対するトップバッター、自民党の武藤容治の、安倍晋三が現金還付中止の指示を出した際の具体的な経緯に対する質疑応答のみと、同じく西村康稔に対する立憲民主党の枝野幸男の追及、2024年3月18日の下村博文に対する同立憲民主の寺田学の追及、2024年3月14日の世耕弘成に対する同立憲民主の蓮舫の参院政倫審の追及を文字起こしして、幹部たちは慣習と称しているが、ほぼ制度化していたキックバック確立と政治資金収支報告書不記載に関与していないとする釈明、あるいは弁明の正当性を窺ってみる。野党もマスコミも解明の鍵となるのが政倫審開催当時(最後が下村博文の2024年3月18日の衆院政倫審)は安倍晋三がキックバックの中止を指示したとされる2022年4月の幹部会合と、一部の議員からノルマ超過分を戻してほしいとの要望があり、その対応を話し合ったとしている8月の幹部会合と見ていたから、政倫審ではその点をどのように追及するか焦点を当ててみたいと思う。

 では、最初に武藤容治、68歳、岐阜3区、麻生派。必要なところだけを抜き出す。

 武藤容治「還付・不記載があったということは、(西村康稔本人は)これは知らなかったという内容ですね。どういうカネと言いますか、不記載があったということ、それが(清和研究会の)事務局長さんだけが長年の慣行としてやってきたのか、色々な情報が出ている中で今の西村さんの認識をもう一度確認させてください」

 同じ自民党だからだろう、手ぬるい質問となっている。

 西村康稔「ノルマについてもどういうふうに決まっていたのか承知していない。会長と事務局の間で何らかの相談があって決められたのではないかと推察するが、どういう会計処理がなされていたのか承知をしていない。ただ今思えば、事務総長として安倍会長は令和4年、2022年4月に、『現金の還付を行っている。これをやめる』と言われて、幹部でその方向を決めて、手分けをして若手議員にやめるという方針を伝えた。

 安倍会長はその時点で何らかのことを知っておられたのだと思う。どこまで把握していたのか分からないけれども、現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめると、還付そのものをやめると、いうことで我々で方針を決めて、対応したわけでありました。

 その後、安倍会長は亡くなられて、その後ノルマを多く売った議員がいたようでありまして、返してほしいと出てきた。それを受けて、8月の上旬に幹部で議論し、そしてどうするか。還付は行わないという方針を維持する中で返してほしいと言う人たちにどう対応するか、色々な意見があったことと結局結論は出ずに私は8月10日に経済産業大臣になったので、事務総長は離れることになります。

 その後、どうした経緯で現金の還付が継続することになったのか、その経緯は承知をしておりません」

 西村康稔のこれだけの答弁の中で現金還付中止の理由と再開の事情についての表面的な経緯は十分に手に取ることができる。あとは事実を話しているかどうかである。

 4月と8月の会合が事実あったこととする前提で扱ってみる。先ず安倍晋三の「現金は不透明」の言葉は現金を使った還付方式の性格を言い表した言葉であって、その場に居合わせた安倍派幹部、塩谷立、西村康稔、下村博文、世耕弘成は安倍晋三の指示を受けて中止の方針を決め、その方向で対応したなら、「現金は不透明」の言葉に対して現金を使った還付方式の性格を目の当たりにし、納得し、中止に応じたことになる。なぜなら、現金で還付しても、還付側が政治資金収支報告書にその金額と何らかの項目の支出を記載し、還付された側が同じく政治資金収支報告書に同じ金額と同じ項目で収入として記載すれば違法とはならないのだから、その現金還付を「不透明」と性格づけている以上、どちらの収支報告書にも不記載か、あるいは政治資金規正法に触れる何らかの工作をした記載となっていることを承知していなければならない。承知しているからこそ、「現金は不透明」だから、その手の還付は中止するという指示に納得できた。

 要するに現金の扱いの何を以って「不透明」としているのか、安倍晋三と4人の安倍派幹部の間で暗黙の了解があった。暗黙の了解がなければ、還付中止へと話を進めることも進むこともない。

 現金還付が収支報告書不記載となっていることも知らなかった、「不透明」な性格だと気づいてもいなかった、ということなら、子どもではないのだから、「現金はどう不透明ですか」と「不透明」の理由を問い質さなければならない。当然、2022年4月の幹部たちの会合での安倍晋三との遣り取りの全容を追及しなければならないことになる。その遣り取りの中から、派閥幹部は不記載を承知していたかどうかを炙り出さなければならないことになる。

 参考までに政倫審の質疑応答でも取り上げているが、2022年の安倍派清和研究会の政治資金パーティー開催日は5月17日、安倍晋三銃撃死は約2ヶ月後の2022年7月8日。第26回参議院議員通常選挙が2日後の2022年7月10日。改選となる参議院議員にはパーティー券の販売ノルマは設けずに、集めた収入を全額キックバックしていたとマスコミは伝えている。いわば安倍晋三の4月のキックバック中止の指示は守られなかった。その結果、収支報告書不記載も続けられた。

 4月の会合で幹部たちは収支報告書不記載を事実承知していなかったのか、8月の会合で安倍晋三の中止の指示がなぜ有耶無耶になったのか、この二つが重要なポイントとなるのは誰の目にも明らかである。いくら不慮の死を遂げたと言っても、連続在任7年8ヶ月の2822日で、これまで最長だった佐藤栄作の2798日を抜いて堂々たる歴代1位の記録を達成し、この長期政権の恩恵を受けて自民党内で一番の派閥勢力を誇る安倍派内で幹部としての地位を築き、その利益によって安倍派勢力をバックに相対的に自民党内でもそれ相当の実力者としての存在感を手に入れることができている面々にとって安倍晋三はある意味絶対的存在であったはずだが、その効力は死んで一ヶ月かそこらで失うはずもないのに還付中止の指示が長くは持たなかった。その結果として幹部たちもその他の派閥所属国会議員も知らないままに、秘書だけが承知の上で収支報告書不記載が続けられることになったということになる。

 まず最初に西村康稔の政倫審質疑応答に先立って行われた本人の弁明から。安倍派清和研究会の代表兼会計責任者松本淳一郎は所属議員から集めた合計6億8千万円の収入と所属議員側に還付したりしたほぼ同額の支出を収支報告書に不記載、収入・支出共に過小に虚偽記入し、それを総務大臣に提出した政治資金規正法違反の罪で東京地方裁判所に起訴されたが、自身も検察の捜査を受けたものの立件する必要がないとの結論に至ったものと承知している。いわば会計責任者に違法行為があったとされたが、自身にはなかったと無罪宣言をしている。

 さらに2021年10月から2022年7月8日の安倍晋三銃撃死後の2022年8月まで安倍派清和会の事務総長を務めたが、役割は若手議員の委員会や党役職等への人事調整、若手議員の政治活動への支援・協力・指導、翌7月予定参議院選挙の候補者公認調整・支援等の政治活動で、清和会の会計には一切関わっていない。

「実際、今の時点まで私は清和会の帳簿、収支報告書など見たことはありません」

 パーティ券売上ノルマを超えた分の還付については自前で政治資金を調達することの困難な若手議員や中堅議員の政治資金を支援する趣旨で始まったのではないかとされているが、いつ始まったのか承知していない。還付にかかる処理は清和会歴代会長と事務局長との間で長年の慣行で行われてきたことで、会長以外の私達幹部は関与していないし、派閥事務総長と言っても、自身は関与していない。今回の問題が表面化するまで、収支報告書不記載は知らなかった。とは言え、国民の皆様の政治不信を招いたことを清和会幹部の一人として深くお詫び申し上げます。

 「承知していない」、「関与していない」が事実だとすると、安倍晋三の2022年4月の"現金は不透明・現金還付中止"の指示に少なくとも不審の念を抱いて、どういうことですかと詳しい説明を求めなければならなかったはずだが、そのような状況説明はないのは矛盾することになる。

 2022年の還付金については安倍会長の意向を踏まえ、幹部の間で行わない方向で話し合いが行われたものの、一部の議員に現金での還付が行われたようであるが、その後の還付が継続された経緯を含め、全く承知していない。だが、経産大臣となり、安倍派事務総長の任から離れたが、安倍会長の意向を託された清和会幹部の一人として少なくとも2022年については還付を行わないことを徹底すればとよかったと反省している。

 私自身は5年間で合計100万円の還付を受けていたが、その事実は把握していなかった。秘書によると、その還付金は自身の政治資金パーティの収入として計上していたことが分かり、個人の所得や裏金にしていた訳ではない。今後このようなことがないように丁寧に報告を受け、的確に対応していきたい。

 以上で西村康稔の全面無罪とする弁明が終わり、立憲民主党の枝野幸男の追及を取り上げてみる。枝野幸男は前の質問者自民党の武藤容治が2022年の4月の幹部会で安倍晋三が現金還付中止の指示を出した点について質問したことを持ち出して、「これ間違いないですか」とか、「直接個人として呼ばれて話をされたのか、他の幹部と何かのことで集まっているときに話されたのか」とか、安倍晋三の指示とその指示に対する幹部たちの対応に何の疑問も持つことができずに追及のテクニックとして的を的確に捉える嗅覚も鋭く切り込む勢いも言葉遣いも一切感じられない質問の仕方にこれはダメだなと感じた。

 西村康稔は4月の会合では安倍会長の元で還付をやめるという方針を決めた際、幹部で手分けして派閥所属の国会議員に電話して中止を伝えたことと出席者として安倍晋三以外に西村自身と当時会長代理だった塩谷立、同じく会長代理の下村博文、自民党参議院代表・幹事長の世耕弘成世、清和会事務局長(松本淳一郎)の名前を挙げた。

 そしてその後還付はしないという方向で進んでいたが、7月の安倍晋三銃撃死後、ノルマ以上売った議員から返してほしいという声があって、8月上旬に集まって議論したが、結論は出なかったと弁明で喋ったことと同じことを繰り返した。

 枝野幸男が4月の会合ではなく、8月上旬の幹部会合に追及の焦点を移して、下村博文が2024年の1月31日の記者会見で述べた、その会合で還付に代わる案として出た、ノルマを超えた分の還付は派閥所属議員が個人として開く政治資金パーテイに上乗せする形で行い、収支報告書では合法的な形で出すとした考えは西村自身の案なのか質問したのに対して西村康稔は、返してほしいという声に応えるために所属議員が開くパーティのパーティ券を清和会が購入する方法がアイデアの一つとして示されたが、採用されたわけではなく、どう対応するかは結論は出なかったと答えている。

 下村博文が2024年の1月31日の記者会見で述べた収支報告書に「合法的な形で出す」とした発言が8月の会合で西村自身が述べたのか、述べていなかったとしたら、他の誰かが述べたのか確かめなければならなかった。述べたとしたら、還付した現金は"合法的でない形"で収支報告処理されていることになり、このことを幹部たちは認識していたことになるからだ。だが、枝野幸男は「それ(その案は)、西村さん自身ですね」と確認しただけで終えてしまった。西村はそういう案があったと説明しただけで、そういう発言があったかどうかも述べずじまい済ませてしまう。 

 枝野幸男は西村康稔が5年間で還付を受けた100万円を秘書が西村個人が開いた政治資金パーティの売上に加えて収入として計上した点を捉え、その他追及するが、肝心なことは西村等清和会幹部がキックバックされたカネの収支報告書不記載を秘書のみの判断で行っていたことで、幹部たちは事実関知していなかったことなのかどうか、安倍晋三が「現金は不透明で疑念を生じかねないから、こうした現金の還付をやめる」と指示したとしている発言との関連で追及しなければならないのだが、このことを置き去りにした追及を続けるのみだから、文字起こしは見切りをつけた。この政倫審での枝野の追及に関してネット上の様々なマスコミ報道を見ても、肝心な点の追及とその効果に触れている記事は見当たらなかったから、見切りをつけたことは間違っていなかったはずだ。

 次は順番が後先になるが、2024年3月18日の下村博文に対する立憲民主党の寺田学の衆院政治倫理審査会の質疑を取り上げてみる。

 先ず本人の弁明。ノルマを超える分が派閥からの還付という扱いになっていることは知らなかった。そのカネが自身の選挙支部に補充されている認識もなかった。一部は現金として事務所内で保管していたが使用されないままとなっている。他は専用口座に預け入れたままになっていて、これらのことを東京地検が確認していて、いわゆる裏金として何かに使用された事実はなかったことは明らかである。但し派閥事務局から誤った伝達(収支報告書に記載しないでほしいという伝達)があり、収支報告書に記載されないままになっていたので、今般寄付として訂正した。

「私自身は知らなかったこととは言え、収支報告書に記載すべきものを記載していなかったことは事実であり、あらためて深く反省すると共に政治資金規正法並びに収支報告書記載義務に対する認識の甘さによって多くの方にご迷惑をおかけしたことを心よりお詫び申し上げていただきます」

 以上の「知らなかった」、「認識もなかった」はやはり安倍晋三2022年4月の"現金は不透明・現金還付中止"の指示に何ら疑念を介在せることなく従ったことになり、指示伝達に対する了承が思慮のない、無条件の従属性を見せることになって、派閥幹部としての良識を疑わせることになる。

 逆に収支報告書不記載を承知していたからとした方が、派閥会長の「不透明」という言葉に即座に反応することができたと解釈することが可能となって、前後の整合性が矛盾なく収まることになる。

 更に2018年1月から2019年9月まで清和研の事務総長の立ち場にあったが、清和研の会計には全く関与していない、収支報告書について何らかの相談も受けていない、事務局に対して指示をしたこともない、清和研派閥政治資金パーティのパーティ券販売のノルマを超える分が還付されている事実も知らなかった。知ったのは2022年4月頃に当時の安倍会長から派閥からの還付をやめようという話を聞いたときだが、その還付金が収支報告書に不記載となっているという話はなかった。

 と言うことは、安倍晋三が「現金は不透明」の言葉をそのままスルーさせてしまったことになる。

 ノルマを超えた分を現金で還付しても、正当な名目付けで収支報告書に記載し、その名目付けどおりの
使途を行っていれば、何ら問題は生じないのだから、安倍晋三が"現金は不透明"を口にした時点では収支報告書不記載を事実知らなかったとしても、少なくとも"不透明"とした性格付けの中に不記載への疑いを選択肢の一つとしなければならなかったはずだが、そうしなかったとしたら、政治性善説に立ったあり得ないお人好しとなる。

 清和研としては当時の安倍会長の意向を受けて還付はやめようという方向となっていたものの、会長がお亡くなりになったあと、派閥の事務局に於いてこれまでの慣例に則って還付が行われたもので、当時は清和研の会長代理だったが、清和研の令和4年(2022年)のパーティに関してノルマ超過分の還付を決めたり、派閥の事務局に対して収支報告書の不記載を指示したり、了承したりしたことはない。還付を知ったのは清和研事務局から還付金の確認があった際にその取扱いについて確かめた令和5年の暮れ以降である。今後は収支報告書の正確な記載を徹底し、透明性を持った政治活動をお約束しますと弁明を終えた。

 想定内の自己無罪判決となっている。知り得ていたのは秘書のみで、自身は関知していなかった。但し、「安倍会長から派閥からの還付をやめようという話を聞いたときだが、その還付金が収支報告書に不記載となっているという話はなかった」と述べている点は当方が既に指摘しているように西村康稔が明らかにした2022年4月の安倍晋三の指示伝達に対する了承が常識外となっている点に留意しておかなければならないだけではなく、現金還付は「派閥の事務局に於いてこれまでの慣例に則って還付が行われたもの」と言っているが、安倍晋三が現金還付中止の指示を出した4月の会合には安倍派清和会の事務局長松本淳一郎が出席していて、事務局長として現金還付中止の指示に立ち会う形になっていたのである。にも関わらず下村の現金還付継続は事務局の慣例に則ったものだとする発言は矛盾することになるが、寺田学は気づかなかったようだ。

 寺田学は冒頭、「正直に話して貰いたい、期待しています」と政治の世界にふさわしくない人の良さを見せて切り出し、下村さんは様々に会見を開いて、唯一重要な会議だと8月の会議の存在を初めて申し上げた、他の議員は存在自体を話していないが、下村さんが話したことによって焦点が少しではあるが絞られてきたと下村の証言で疑惑解明が前進するかのような人の良さを見せて追及を開始した。

 下村博文は8月の会議での還付を継続するかやめるかという話は本来中心ではなくて、安倍会長が亡くなったあとの清和研の会長等、派閥の今後の運営の仕方、安倍会長の当時の派閥への対応等が中心で、5月に清和研のパーティがあり、4月には全員還付はやめようと連絡したにも関わらず、4月から5月の間ということで既にチケットを売っている方もいると思うが、還付についてノルマ以上に売上があった方から、戻して貰えないかという話があったものの還付はやめようという前提での議論で、このときに還付そのものは不記載であるとかいう認識は私は持っていなかった。

 西村康稔と同種の弁明を引き出している。

 下村博文は還付は不記載という認識は自身になかったことを印象付けようと何度でも同じ言葉を繰り返している。ウソつきが「この話は本当のことだよ、ウソなんかじゃないよ」と何度でも念押しするのと似ている。寺田学は「なぜ還付は不記載という認識は自分にはなかったと何度でも言う必要があるのですか。実際は不記載を承知していたから、それを知られないために何度でも認識はなかったと言わなければならないんじゃないですか」と追及しなければならなかったが、しなかった。

 還付はやめるが、還付以外の戻し方の問題として個人の派閥パーティを開いたときに派閥がパー券を購入して協力する。但しこれを行うという結論が出たわけではない。8月の会合で還付を継続するということを決めたということは全くない。

 寺田学は下村の2023年1月31日の記者会見を取り上げて、ある人から個人の寄付集めのパーティのときに上乗せして収支報告書に合法的な形で出すという案があったと話しているが、一方で世耕さんが政倫審の中で上乗せという案は出ていないと思っていますと真っ向から否定している。8月の会議で上乗せするという話はあったのではないのかと質問した。

 事実そのとおりを話しているから、同じ場にいた者同士で話が似てくるのか、あるいは事実とは違うことを口裏を合わせて作り出したストーリーとして話していることだから、同じ内容となるのか、その点を見極める追及が必要だが、その必要性には気づかない。

 下村博文は還付をやめるという前提で8月の議論があったが、ノルマ以上を売り上げた人から何らかの形で戻して貰えないかという話があったと西村康稔と同じようなことを言い、自身としても繰り返しとなる同じことを口にする。繰り返しは寺田学の追及による誘導に過ぎない。

 既に触れたように「合法的な形で出す」とはそれまでは"合法的な形で出していなかった"ことを知識としていた言葉となるが、追及すべき点と気づかなければ、何も出てこない。

 還付が不記載であることは知らなかったが、還付に代わる形として個人のパーティに派閥として協力できる方法はこれではないかという話をしたと、さらに同じ話を繰り返す。対して寺田学は下村が話していることは上乗せではなく、単純に個人のパーティーからパーテイ券を買うだけのことで、(下村の記者会見では)上乗せ案という言い方ではなかったと、還付継続の"なぜ"に関係ないことを突く。

 下村は個人の立ち場の個人のパーティでは派閥がそれを協力するという意味で上乗せという言い方をしましたと言い抜ける。寺田学はパーティ券を買うよりも他の派閥でもやっている、合法的な方法でもある派閥からの寄付というアイディアが出なかったのかと質したが、現実問題として非合法の還付・不記載を継続させていたのだから、出なかったと答えられれば、それまでのことでしかない。下村博文は出なかったと答えずにこれまでの答弁を冷静沈着にと言うか、鉄面皮にもと言うか、4月の会合で安倍会長から中止の話があって、幹部で手分けして派閥としてやめることをみなさんに話して、復活する話は8月の会議では出ていなかったと同じ答弁を繰り返すことで寺田学の追及を不発に終わらせた。

 寺田学は政倫審で誰に聞いても還付継続を決めたのか分からないという話をするが、まさか松本事務局長が決めたということはあり得ないですねと問い質すと、下村博文は私自身が知っている場所で決めたということは全くない、だから、いつ誰がどんな形でどのように決めたのか私自身は何も知らないと糠に釘である。

 寺田学は安倍派の5人衆が森喜朗に逐一相談しながら派閥の運営の在り方を決めていく、それが派閥の運営じゃないのかと森喜朗が清和政策研究会に今なお隠然たる影響力を持っているかのような質問をすると、下村博文は8月5日は還付の継続は決めていなかった、その後決まったが、(その決定に)私自身は立ち会ったとか関与したことはない。どこでどんな形で決まったかわからないと同様の繰り返しを続ける。

 寺田は森喜朗は派閥の人事について口出しているとか、派閥の運営にかなり影響力が強かったのではないのかと、鉄砲の弾尽きて竹の棒を振り回すような自棄っぱちの手に出た。2024年3月27日付けのマスコミ報道が首相の岸田文雄が2022年4月の会合出席の安倍派幹部から3月26日、27日に事情聴取したところ、幹部の一部から「キックバック再開の判断には森元総理大臣が関与していた」と新たな証言をしたと明かしているが、寺田が何らかのツテでこのことを把握していたとしても、報道が出る前の追求であることと、もし事実森喜朗が関与していたなら、5人衆の罪一等を減ずることになる。つまり森喜朗関与説は5人衆に少なからず利益を与えることになり、その利益は森喜朗一人を一定程度ヒール役にすることによって生じるという構図が出来上がる。要するに5人衆にとってこのような構図が出来上がることによってある程度の利益を手にすることになる。果たして何らかのカラクリがあるのか、ないのかである。

 下村博文は森喜朗の派閥に対する影響力は聞いたことがないと一蹴する。寺田は萩生田光一の発言からノルマ超の現金還付・収支報告書不記載は2003年頃からではないかとか、解明の的を外していることにも気づかすにムダな発言をして、ムダに時間を費やし、最後に「時間がきたから終わりますが、真実を少しでも解き明かそうという姿勢がないということは残念です」と自分から幕を下ろすことになる。相手に真実を解き明かすことを求めること自体が間違った姿勢だということに気づかない。自身の追及次第だという覚悟がないのだろう。

 では最後に2024年3月14日の世耕弘成に対する立憲民主の蓮舫の参院政倫審の追及を見てみる。

 世耕弘成の弁明。ざっと取り上げてみる。弁明の機会を与えてくれた政治倫理審査会の先生方に感謝を申しあげる。清和政策研究会の政治資金パーティ券売上に関わる還付金問題で国民の政治に対する信頼を大きく毀損したことについて清和政策研究会の幹部の一人として深くお詫び申し上げる。

 謙虚なのはここまで。

 収支報告書作成を始め、清和会の会計や資金の取り扱いに関与することは一切なかった。パーティ券販売のノルマ、販売枚数、還付金額、超過分の還付方法について関与したこともなく、報告・相談を受けていない。安倍会長が亡くなったあとも、私が出席している場で現金還付が決まったり、現金による還付を私が了承したこともない。

 こうしたことを踏まえて、東京地検特捜部が多大な時間と人員を割いて私から事情聴取を行い、関係先を家宅捜索するなどして徹底捜査された結果、法と証拠に基づいて私については不起訴、嫌疑なしと判断された。

 私自身は派閥で不記載が行われていることを一切知らなかった。とは言え、今回の事態が明らかになるまで事務的に続けられてきた誤った慣習を早期に発見・是正できなかったことはについては幹部であった一人として責任を痛感している。

 ここからウソつきの本領発揮とくる。不記載に関して一切知らなかったが事実とすると、早期に発見・是正という機会を持つことも恵まれることもないからだ。当然、「責任を痛感」はポーズに過ぎない。

 今回の事態が明らかになるまで、自分の団体が還付金を受け取っているという意識はなかったため、還付金について深く考えることはなかった。

 深く考えることはなかった、いわば"反省"、あるいは"後悔"は最初の段階として考える対象の是非を深く意識する作用を持ってこなければ、真の"反省"、あるいは"後悔"とはならない。だが、世耕弘成は是非を深く意識する作用を欠いた状態で"反省"、あるいは"後悔"らしきものを持ってくる。当然、中身を伴っていないことになって、口先だけのポーズだからこそできる是非を深く意識する作用を欠いた"反省"、あるいは"後悔"の類いに過ぎないことになる。

 もっと早く問題意識を持って、還付金についてチェックをし、派閥の支出どころか、収入としても記載されていないこと、議員側の資金管理団体で収入に計上されていないことを気づいていれば、歴代会長に是正を進言できたはずだとの思いであります。

 知らなかった、承知していなかったでは問題意識を持つことも、議員側の資金監理団体で収入に計上されていないことに気づくことも、歴代会長に是正を進言することも不可能事であって、不可能事を可能事であるかのように言う。ウソつきの常套句に過ぎない。

 私が積極的に還付金問題について調査をし、事務局の誤った処理の是正を進言しておれば、こんなことにはならなかったのにと痛恨の思いであります。

 知らなかった、承知していなかった還付金問題に調査を思い立つキッカケなど訪れようがない。当然、事務局の誤った処理の是正を進言にまで進むことはない。現実には実行しなかった話を持ち出して、"痛恨の思い"を披露する。

 ウソの演技もここまでくれば、天才と言える。できなかった事実、しなかった事実をすることができた事実であるかのように尤もらしげに喋り立てる。明瞭なハキハキした力強い言葉遣いと自信に満ちた態度で確信的に話すから、多くの人間が騙される。

 こういった態度・口調もウソ付きの才能の主たる一つで、この才能は清和会実力者に上り詰めるに役立ったに違いない。

 繰り返しになるが、西村康稔の証言が正しければ、安倍晋三は4月22日の会合で、現金還付は不透明な性格のものだと指摘した。にも関わらず、世耕一成はそれ以後、還付金問題について調査をすることはなかった。考えられる理由は安倍晋三と他の幹部が収支報告書不記載を共に共通認識としていた正犯と従犯の関係にあり、安倍晋三死後は幹部同士が臭い物に蓋の共犯関係にあったために調査という選択肢は当初からゼロだったからと疑うことができる。

 蓮舫はこういった数々のウソを突いて、信用できない人間像を印象づけるべきだったが、2022年4月の会合場所はどこか、明らかにしても問題はないことから追及を始めた。頭から一発ショックを与えるという考えはなかったようだ。このことが蓮舫の追及の性格を表すことになる。蓮舫は既に明らかになっている会合出席者の名前を挙げてから、会議内容を手控えのメモを取っていないか、取っていたとしても正直に答えるはずはないことを聞いた。世耕は当然否定した。

 蓮舫がすべきことは会合でどんな遣り取りがあったか、しつこいくらいに記憶を呼び起こさせて、そこに矛盾がないかを嗅ぎ取り、矛盾点を見い出した場合はその点を突いて、表沙汰とした事実を覆し、隠されている事実を炙り出すことだろう。蓮舫は現金還付について話し合ったのはその一回か尋ね、世耕はその一回だけと答え、「話し合ったというよりは安倍会長の決定を伝達され、それを参議院側に伝えてほしいということで呼ばれたというふうに理解している」と、何の問題はないとした答弁で片付けている。

 中止の理由を言わずして、いきなり現金還付の中止を伝達し、参議院側への連絡を依頼するというプロセスはいくら安倍晋三を絶対的存在と位置づけていたとしても、あり得ない状景であるはずだが、蓮舫は「中止の理由はどう述べたのですか」と聞く折角の機会を逃して、なおのこと4月以外の会合に拘り、3月に会合を持った記憶はないかと追及した。世耕は否定し、「残念ながら、私のスケジュール表にも、私の記憶にありませんと」と一蹴した。

 世耕にしても、中止の理由を「安倍会長から指示されたから」のみでは済まないはずで、済むとしたら、中止を伝えた側も伝えられた側も収支報告書不記載なりの何らかの不法行為を共通認識としていなければならない。

 但しマスコミが2024年3月29日付けで一斉に蓮舫の指摘どおりに世耕一成が3月29日い記者団に対して2022年の3月2日に安倍晋三、前衆議院議長細田博之、西村康稔と自身の4人が会合を持ったことを明らかにした。スケジュールを改めて精査した結果だとし、現金還付の議論は否定したと伝えている。

 もし蓮舫が自分の指摘を手柄としたら、自身の小賢しさを証明するだけのことになるだろう。いつ始まったのか、誰が始めたのか知らない、自身は関与していないとするノルマ超の現金還付を2022年の4月の幹部会で安倍晋三に伝えられて初めて知ったのか、その還付が清和会の収支報告書にも議員側の政治団体の収支報告書にも不記載となっていたことを双方の秘書のみが承知していて、議員自体は彼らの言葉通りに関知していないことだったのか、政倫審という事実解明の機会を与えられながら、事実なのか虚構なのか、どちらか一方に整理をつけることが肝心な点で、それが誰もできていないからだ。

 世耕一成は蓮舫が指摘した3月の会合は否定し、「私の記憶では4月上旬の安倍会長が入って唯一話し合いというよりはノルマ通りに売ることにするからという指示を下された。そういう会合だった」と答弁。折角の追及の材料を提供して貰いながら、蓮舫は4月以前に招集されずに4月の会合に突然呼び出されて還付金中止を指示されたのかと否定されたらおしまいとなる表面的な日程に拘った。

 世耕一成が証言している、4月の会合で「安倍晋三からノルマ通りに売ることにするからと指示された」。つまり4月以前はノルマ通りに売っていなかった。2024年3月1日の衆院政倫審での西村康稔の答弁はNHK総合でテレビ放送していたから、蓮舫は参考のために直接か、録画かで視聴していたはずで、西村が「安倍会長に現金の還付を行っている。これをやめると言われて、幹部でその方向を決めた」、安倍晋三のやめる意向を「現金は不透明で疑念を生じかねない」と述べたこととを突き合わせれば、世耕の証言はノルマを超えて売らせていて、超えた分を現金で還付していたことになる点を捕まえて、その場での詳しい遣り取りを聞き質すことによって安倍晋三が初めて打ち明けたことなのか、多分、初めて打ち明けたとするだろうが、例えその時点まで承知も把握もしていなかったことであっても、カネの出入りと収支報告書への記載は相互に関連付けなければならない義務となっている以上、少なくとも4月の会合の時点で、"不透明"としている関係上、清和政策研究会事務局がノルマを超えた分を現金で還付する場合のカネの処理をどの名目で行っているのか、その方法に準拠して各議員の政治団体も会計処理することになるだろうから、派閥の幹部としてどのような名目で処理しているのかを把握しておかなければならない立ち場にいたはずではないかと追及することができたはずだ。

 最低限、蓮舫は世耕一成に清和会事務局が還付する現金に対して収支報告書上の処理をどのような名目で行っていたのか関心を持つことはなかったのかと問い質さなければならなかった。不透明な性格の現金還付としている以上、それに準じて会計処理も不透明な形しているのか、正当な名目にすり替えて、いわば資金洗浄を施しているのか、あるいは現金で保管、裏ガネとしているのか、どちらなのかを迫らなければならなかった。世耕は政治団体、あるいは後援会の代表として不透明な性格の還付された現金に対しての会計処理に無関心であったとすることはできないだろう。

 蓮舫は折角の追及の材料を逃してしまい、次に訪れた追及のチャンスも逃してしまう。蓮舫が8月の幹部会の塩谷の還付廃止で困っている議員たちのために還付が継続されたとする説明と西村康稔の結論は出なかったの説明、下村の記者会見で述べた一定の方向は決めたことはないの説明の食い違いを追及したのに対して世耕はノルマ以上売った議員から返してほしいとの申し出があり、現金還付中止の方針を堅持しながら、具体的に詰めたわけではないが、各政治家個人が開くパーティのパーティ券を何らかの形で清和会が買い、しっかりと収支報告書に出る形で返すというアイディアが出て、それだったら反対をしないという意見を述べた気がしますと証言している。

 下村博文も2024年の1月31日の記者会見である人の意見としてノルマを超えた分の還付は派閥所属議員が個人として開く政治資金パーテイに上乗せする形で行い、収支報告書では合法的な形で出すとする案を紹介しているが、世耕の「収支報告書に出る形で返す」の物言いにしても、これまでは"収支報告書に出ない形で返していた"ことの証明となる。幹部会合の2022年4月当時、収支報告書に出る形で返す、いわば現金還付を行っていたなら、安倍晋三自身、「現金還付は不透明だから」との理由付けで中止を指示する必要もないし、中止しなければ、若手議員からノルマを超えた分を返してほしいという声も出てこなかったろう。

 当然、蓮舫はこの点を突くべきだったが、突かずじまいにしてしまった。

 世耕が、塩谷の還付継続を決めたとする発言は何らかの資金手当をしなければいけないということが決まったということで、下村の記者会見発言も、塩谷と同じそういうことを踏まえた発言ではないか、大幅に各人の認識が違っているわけではないと説明すると、蓮舫は「若干の食い違いどころでないんですよ」と応じて、現金還付継続を誰がどういう考えで決めたのか拘る質問を続け、世耕はどうするか結論が出たわけではないを繰り返して、誰が決めたのか分からないの堂々巡りが長々と続いた。
 
 4月の会合で安倍晋三から西村、塩谷、世耕、下村博文の4人の幹部対してノルマを超えた分の現金還付中止の指示が出たとなっている。これが真正な事実とすると、当然、4人は安倍派幹部として還付中止を徹底させる責任と義務を負ったことになる。だが、現金還付中止の方向を維持しながら、若手議員のノルマを超えた分を返してほしいという声にどう対応するか、議論しただけで結論を付けないままに終えてしまう、その責任と義務の放棄の結果として現金還付と還付されたカネの収支報告書不記載が継続されることになり、このことがしんぶん赤旗によって長年の慣行としてスクープされ、大学教授によって東京地検に告発されるに至った。

 もし4人の安倍派幹部が還付された現金の収支報告上の扱いが不記載となっていたことが2022年4月、あるいは8月の時点で自分たちの証言通りに知らなかった、承知していなかったが事実とすると、安倍晋三指示に対する責任と義務の不履行は途轍もなく大きな代償となって跳ね返ってきたことになる。

 この点をも突くべき材料となるが、蓮舫にはその才覚はなかった。蓮舫の最後の発言。

 「何の弁明に来られたのか、結局分からない。政倫審に限界を感じました。終わります」

 蓮舫の追及にこそ限界があったはずで、気がつかないことは恐ろしいことだが、気がつかなければ自身の追及技術の未熟さの解消はなかなかに望めないことになる。

 安倍晋三が安倍派幹部の塩谷立、西村康稔、世耕一成、下村博文、それに清和会事務局長松本淳一郎を混じえて、安倍派政治資金パーティのパーティ券ノルマ超売り上げ金のキックバック(現金還付)を中止したとされている2022年4月の会合は果たして存在したのだろうか。

 既に紹介しているが、しんぶん赤旗が5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載をスクープしたのが2022年11月。そこから神戸学院大学上脇博之教授による東京地検に対する告発が始まり、その1年後の2023年11月に入ってマスコミが報道を開始して、世間に広く知られることになった。

 前記安倍晋三と安倍派幹部との2022年4月の会合と安倍晋三の死後に幹部だけが集まって現金還付の扱いを議論したとされる8月の会合の報道が始まったのが2023年の年末から2024年の年初にかけて。要するに5派閥の政治資金収支報告書への多額の不記載が世間に知れることになった2023年11月からほぼ1ヶ月して2022年の4月と8月の会合が報道され、安倍晋三が現金還付の中止を指示していたという事実が打ち立てられた。ここに何らかの意図が隠されていないだろうか。

 何よりも4月の会合で7年8ヶ月も政権を維持して、それなりの権威を持つ安倍晋三が指示した現金還付中止を所属議員に幹部手分けで連絡したとは言うものの、いわば選挙資金を遣り繰りしている若手議員からのノルマを超えた分のカネを返して欲しいという声を受け、8月の会合で幹部のみで現金還付に代わる手当を議論しながら、色々なアイデアは出たとは証言しながら、しっかりと結論まで持っていくことができずにそのまま放置し、その結果、現金還付と還付されたカネの収支報告書への不記載の違法行為がそのまま続けられていて、幹部自身は知らなかったとする、かつての大親分安倍晋三に対する幹部としての責任と義務の放棄は普段、「政治は結果責任」を口にしているだろうことからしても、幹部が4人も雁首を揃えていたのだから、無責任過ぎるでは追いつかない、考えられない事態と言うしかない。

 会合はどこから洩れたのだろうか。普通に考えると、不利益を被る幹部サイドからではないはずだ。4月、8月の会合の報道が2023年の年末から2024年の年初にかけて開始された時点に立って考えると、もし洩れなかったなら、ノルマ付けとノルマ超の現金還付と収支報告書不記載が歴代会長の指示で行われていたことが検察の取調べや報道の調査で突き止められた場合、安倍晋三は連続在任日数歴代1位の名誉を少なからず損なうことになり、一方で幹部たちは自身の知らないところで行われていたことだといい抜けることもできるが、4月と8月の会合の存在を知らしめれば、自分たちは一定程度のヒール役を負うことになったとしても、安倍晋三の名誉を少なからず守る利益を生み出すことができる。

 いわばこういった一方は利益、一方は不利益の構造を演出するための4月と8月の会合は4人の幹部のリークによるストーリー(作り話)だったのではないかと疑うことができるし、さらに現実には存在しなかった演出したストーリー(作り話)だったからこそ、安倍晋三の還付中止の指示を派閥最高幹部が4人も雁首を揃えていながら、徹底できずに有耶無耶にしてしまった不手際、あるいは幹部にあるまじき責任と義務の放棄も説明がつき、現金還付と収支報告書不記載が4月と8月の会合に関係なく続いていた経緯もスッキリする。

 8月の会合でノルマを超えた分を返して欲しいという議員の声に応えるために様々に議論した中の一つ、派閥が政治家個人の政治資金パーティのパーティ券を買う方法は収支報告書に規則通りに記載すれば実行できる案であるはずだが、実行しなかったこと、あるいは派閥からの寄付という形で出して、同じく収支報告書に規則通りに記載すれば、問題なく実行できたのに実行しなかったことも、4月と8月の会合がストーリー(作り話)だったと疑うことのできる根拠となる。

 もし4月と8月の会合が実際に開催されていて、簡単にできるはずのこのような方法で安倍晋三の現金還付中止指示を決着付けていたなら、政治倫理審査会で、「知らなかった」、「承知していなかった」と説明不十分の醜態に追い詰められることもなかったろう。

 西村康稔が3月14日の政倫審で説明した安倍晋三の「現金は不透明」の言葉は現金還付中止を周囲に納得させる形で説明づけるためには、不正行為でなかったなら中止する必要は生じないから、不正のニュアンスを欠かすことができないことから用意した表現だろう。このようなニュアンスの表現を使うこと自体が、あるいは使ってしまうこと自体が当初から現金還付だけではなく、収支報告書不記載も知っていたことでなければ、できないことであるはずだ。

 但し政治倫理審査会が開催されることまで予想していただろうか。審査会の開催によって4月と8月の会合が演出した場面だと見たとしても、安倍晋三の還付中止の指示に向けた自分たちの責任と義務の放棄は実際のこととして扱われ、そのことについての説明を満足に付けることができない醜態は演出した場面だからという事情は顧みられることなく、その説明混乱の醜態と責任と義務の放棄の醜態だけを目立たせてしまった点は4人の幹部にとって大いなるマイナスとなって跳ね返ってきたことになる。

 要するにこのマイナスは自分たちの親分である安倍晋三の名誉を守ろうとして作り上げたストーリー(作り話)に対するしっぺ返し、大いなる代償だったと見るべきだと思うが――
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍晋三のケチ臭い度量から発した放送法「政治的に公平」の「補充的説明」を騙った報道自主規制の罠

2023-03-29 06:06:06 | 政治
 当方もごく度量の小さな人間であり、偉そうな口を叩く資格のない人間ではあるが、安倍晋三はある意味天下人である。関わる世界は広く、偉そうな口を叩く資格を有しているにも関わらず、ケチ臭い度量という逆説は普段叩いていた偉そうな口を骨抜きにする。

 2023年3月3日参院予算委で立憲参議院議員小西洋之は総務省職員からリークされた2014年11月26日作成の総務省行政文書に基づいて2015年5月12日の参議院総務委員会での総務大臣高市早苗の、いわゆる「一つの番組でも極端に偏っていた場合には政治的に公平とは認められない場合がある」とする答弁を放送法第4条第2号の「政治的に公平」は「一つの番組で判断するのではなく、テレビ局の番組全体で判断する」としていた従来からの政府統一見解の解釈変更に当たり、官邸側の政治的圧力によってなされていたことを示す文書内容となっているとの趣旨で政府を追及。政府側は解釈変更を否定、従来の政府解釈を補充的に説明したに過ぎないの姿勢を示すと同時に行政文書自体の信憑性の精査に取り掛かった。

 「公文書等の管理に関する法律 第2章行政文書の管理 第1節文書の作成 第4条」は、〈行政機関の職員は、第1条の目的(「国民共有の知的資源としての管理・保存の義務」のこと)の達成に資するため、当該行政機関における経緯も含めた意思決定に至る過程並びに当該行政機関の事務及び事業の実績を合理的に跡付け、又は検証することができるよう、処理に係る事案が軽微なものである場合を除き、次に掲げる事項その他の事項について、文書を作成しなければならない。〉と規定している。今回明らかになった総務省行政文書は"意思決定に至る過程"を事実あったこととして記録した文書を職位の段階ごとに承認を受けて最終的に総務大臣が了承、保存された経緯を取るはずで、その信憑性を確認・精査すること自体が事実なかったことを記録・保存し、承認した疑いを持つ矛盾行為となる。つまり事実あったことの記録・保存を前提としない限り、行政文書そのものの存在が成り立たなくなる。参考のために内閣府のページから次の画像を載せておく。
 行政文書としての実態を備えていることを当たり前のこととすると、当時は国家安全保障担当で、放送行政に専門外の安倍補佐官礒崎陽輔がテレビ局の政治報道番組が放送放第4条各号の規定を超えている疑いを持ち出して総務省放送政策課側と総務省行政文書に記述の2014年11月26日から参議院総務委員会で自民党議員と当時総務大臣の高市早苗が放送法第4条について質疑応答を行う2015年5月12 日までの約5ヶ月半も話し合いを持つ理由はどこにあったのだろうか。

 事実、解釈変更は行われなかったのか、国会で答弁しているように補充的な説明を行っただけなのか。当時総務相高市早苗は「文書は捏造されたもの」と自身の関与を否定、現総務相の松本剛明は2023年3月16日の衆議院総務委員会で、「一つの番組でも極端な場合には一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないことは昭和39年(1964年)の参議院逓信委員会で政府参考人が答弁している」、「(2015年5月12 日当時の)高市大臣の答弁は、従来の解釈を変更するものとは考えておらず、放送行政を変えたとは認識していない」と発言したことを2023年3月16日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていて、当該総務省行政文書が官邸からの圧力を受けて解釈変更を画策した経緯を記したものではないことを否定している。

 だが、立憲民主党側は簡単には引き下がらない。政府側との間で当該行政文書を巡って安倍官邸の圧力を受けて放送法第4条が解釈変更されたのか、されなかったのか、さらに高市早苗の「捏造」発言は、「事実なら辞任する」と答弁したことから、その首を取るべく、捏造なのか、でないのかで質疑応答が展開されるに至っている。しかし政府側の言い分が正しかったとしても、当時は国家安全保障担当の安倍補佐官礒崎陽輔が自身の職権とは関係しない放送行政について何らかの意図なくして総務省職員を官邸に呼びつけ、テレビの政治報道を例に取って、放送法の「政治的公平」との関連で疑義申立を行うはずはない。その意図が何であったのか、解釈変更にあったのか、政治報道番組に対する何らかの規制を画策しての立ち回りだったのか、別の目的を胸に秘めていたのか、そのいずれであっても、意図通りの成果を手にすることができたのかどうか、以前ブログで取り上げた一騒動と関連すると見て、自分なりの読み解きで検証してみることにした。先ずは放送法の第4条について。

 放送法(第4条)

 第4条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
 1 公安及び善良な風俗を害しないこと。
 2 政治的に公平であること。
 3 報道は事実をまげないですること。
 4 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

 総務省行政文書を点検する前に松本剛明答弁の昭和39年(1964年)4月28日参議院逓信委員会での政府参考人答弁を見ている。総務省行政文書にも関連する個所の質疑が記載されている。放送法は1950年(昭和25年)6月1日からの施行だが、何度か改正されていて、この質疑では「政治的公平」は第4条ではなく、第44条の規定となっている。当時の日本社会党所属参議院議員の横川正市(しょういち)がこの委員会で放送法の「政治的公平」を取り上げる。

 横川正市「この条文上の問題からいうと、放送法の44条の各項にわたっての解釈をどういうふうに解釈をされているのか。これが立法された当時の速記録でも読むと明確になるんでありますが、それが手元にありませんので、法律に従って業務をとられております局長からお聞きをいたしたいと思いますが、第一は、第2号の『政治的に公平であること』ということはこれは一体どういう内容なのか。それから第2は、『意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること』とあるけれども、これは一体どういう内容なのか。これは主観的なものではなしに、立法の精神からひとつ御説明をいただきたいと思います」

 政府参考人宮川岸雄「ただいまの御質問の御趣旨はこの44条第3項のことだと思うのでございまするが、『政治的に公平であること』及び『意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から』云々ということの御質問だと思いますが、前段にございます『協会は、国内放送の放送番組の編集に当っては、左の各号の定めるところによらなければならない』と、こういうふうになっておりまして、前段後段、全部含めましての考え方でなければならないかと思います。したがいまして、御質問の御趣旨と若干あるいは取り違っているかもしれませんけれども、この書いてございます3項の全体の問題につきましては、電波監理の事務当局といたしましては、協会が放送を行なう場合におきましての放送番組の編集でございますので、ある期間全体を貫く放送番組の編集の考え方のあらわれ、そういうようなものの中におきまして、それが政治的に非常に片寄った意見が常に一方的に相当長期間にわたって出る、あるいは意見の対立している問題について、片方からだけの角度からその論点を常に取り上げて、片方だけの意見を常に言っているというようなことが出てきた場合におきまして、この第3項というものの法律に違反することになってくる、こういうような考え方をとっているのでございます

 政府参考人宮川岸雄のこの答弁個所が総務相松本剛明が2023年3月16日衆議院総務委員会で、「一つの番組でも極端な場合には一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないことは昭和39年(1964年)の参議院逓信委員会で政府参考人が答弁している」と説明した個所に当たる。

 この質疑について総務省行政文書にも断り書きがしてあるように横川正市は池田勇人が各テレビ局の各番組を20時から20時15分の15分間を中断させて、公労協の使用者側の立場から自らの談話を放送した事実を取り上げている。ネットで調べてみると、1964年春闘で総評等の労働組合が4月17日に大幅賃上げ、最低賃金確立、労働時間短縮等の各要求を掲げて国鉄幹線全列車対象を含めた全国規模のストライキ(ゼネスト)を計画したが、日本共産党がスト反対運動を展開、総評と対立したものの、スト決行の前日、当時の首相池田勇人と総評議長と事務局長が会談、話し合いの末に決着、ゼネストは中止された。但し計画決行2日前の4月15日、池田勇人が公労協の使用者側の立場から自らの談話を放送した。TBSの場合は野球実況中継の最中だったと言う。

 横川正市はこのことを「放送法のタテマエ」からして「遺憾な放送ではなかったか」と発言しているが、池田勇人が各局のテレビ番組を同時刻一定時間止めて首相談話を一方的に放送させた事態を、言葉に出して説明してはいないが、その"一方性"が時と場合によっては全体主義的な国家権力の恣意的行使に発展しうる危惧を感じて、放送法第44条各号で縛りをかける必要性を感じたのかもしれない。ここから約50年半を経た2014年11月に入ってから、安倍政権が政府批判を繰り広げるテレビ局の政治報道番組に現放送法第4条各号で縛りをかける必要性を感じることになり、安倍補佐官礒崎陽輔が総務省放送政策課に対して自分たちが望む方向への縛りを可能とする解釈の仕方(=根拠づけ)を求めることになったのだろう。違いは前者が野党の立場から政治権力側に顔を向けた要求であるのに対して後者は政治権力側が野党に味方していると見ている新聞・テレビ等のマスメディアに顔を向けた要求となっているという点である。しかし政治権力は国民から監視を受ける立場にある以上、国民に代わって監視の役目を引き受けているマスメディアの批判を引き受けるそれ相当の度量を持たなければならないが、安倍晋三にはその覚悟がなく、度量がケチくさいときているから、マスメディアを押さえつけ、満足したい欲求に駆られることになったといったところか。

 以下、総務省公表の行政文書、〈「政治的公平」に関する放送法の解釈について〉(磯崎補佐官関連) (総務省/2014(平成26年)11月26日)から主要部分を拾っていく。読みやすいように発言者名は○に変えてあるところは名前を記入し、段落を開けたり、文飾を施したり、事実関係を時系列で表してある箇所の最初のみで以下略してある年号を書き入れたりした。

 先ず総務省が行政文書として纏めるに至った安倍補佐官礒崎陽輔と総務省放送政策課との最初の関わりとなる2014年11月26日と引き続いての関わりとなる2014年11月28日の経緯を見てみる。

 平成26年11月26日(水)

磯崎総理補佐官付から放送政策課に電話で連絡。内容は以下の通り。
・ 放送法に規定する「政治的公平」について局長からレクしてほしい。
・ コメンテーター全員が同じ主張の番組(TBS サンデーモーニング)は偏っているのではないかという問題意識を補佐官はお持ちで、「政治的公平」の解釈や運用、違反事例を説明してほしい。

11月28日(金):磯崎補佐官レク
磯崎補佐官から、「政治的公平」のこれまで積み上げてきた解釈をおかしいというものではないが、①番組を全体で見るときの基準が不明確ではないか、②1つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないか、という点について検討するよう指示。

 要するに安倍補佐官礒崎陽輔の全体的意向としてはテレビの報道番組の政権批判は放送法の第4条の「これまで積み上げてきた解釈」では満足な規制はできないから、1つの番組を取り上げるだけで規制できる解釈の仕方はないかと総務省に持ちかけてきたということになる。

 【配布先】桜井総審、福岡官房長、今林括審、局長、審議官、総務課長、地上放送課長 ← 放送政策課 (取扱厳重注意)

礒崎総理補佐官ご説明結果(概要)
 日時 平成26年11月28日(金) 13:15~13:40
 場所 官邸(礒崎総理補佐官室)
 先方 礒崎補佐官(○)、山口補佐官付
 当方 安藤情報流通行政局長、長塩放送政策課長、西がた(記)

 ◆経緯◆

 11月26日(水)、礒崎補佐官室から、放送法に規定する「政治的公平」について局長からの説明をお願いする旨の連絡があり、ご説明に上ったもの。補佐官のご発言の概要は以下のとおり。礒崎補佐官は11月23日(日)のTBSのサンデーモーニングに問題意識があり、同番組放送後からツイッターで関連の発言を多数投稿。

 礒崎陽輔)今すぐ何かアクションを起こせというわけではない。放送の自律、BPOが政治的公平についても扱っていること等は理解。これまで国会答弁を含めて長年にわたり積み上げてきた放送法の解釈をおかしいというつもりもない。他方、この解釈が全ての場合を言い尽くしているかというとそうでもないのではないか、というのが自分の問題意識。

 礒崎陽輔)聞きたいことは2つある。まず1つ目だが、1つの番組では見ない、全体で見るというが、全体で見るときの基準が不明確ではないかということ。「全体でみる」「総合的に見る」というのが総務省の答弁となっているが、これは逃げるための理屈になっているのではないか。そこは逃げてはいけないのではないか。

 礒崎陽輔)(確かに様々な事例、事案があるので、「基準」を作れとは言わないが)総務省としての考え方を整理して教えて欲しい。

 礒崎陽輔)もう一つは、一つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないかということ。今までの運用を頭から否定するつもりはないが、昭和39年の国会答弁にもあるとおり、絶対おかしい番組、極端な事例というのがあるのではないか。これについても考えて欲しい。有権解釈権は総務省にあるのだから、放送法の解釈としてもう少し説明できるようにしないといけないのではないか。

 礒崎陽輔)今は政府側の立場なので質問できないが、いずれ国会で質問したい。予算委員会でもいい。もちろん、事前によく摺り合わせてからやりたい。けんかになるから具体論はやらない。あくまで一般論ベースでやりたい。1つの番組で明らかに(政治的公平の観点から)おかしい、と判断できる極端な場合はどういうものか。

 また、これまでの「番組全体でみる」「総合的に判断する」とある「総合的」とはどういうものなのか。これまでの解釈を改めろと言っているのではなく、もう少し説明を加えてくれという話であり、これを国会の場で質したい。

 礒崎陽輔)言いたいことは以上。2~3日の内にとは言わないので、選挙後にでも考えを聞かせて欲しい。(以上)
      

 安倍補佐官礒崎陽輔は「これまで国会答弁を含めて長年にわたり積み上げてきた放送法の解釈をおかしいというつもりもない。他方、この解釈が全ての場合を言い尽くしているかというとそうでもないのではないか、というのが自分の問題意識」と指摘している"放送法解釈"に向けた不足感自体がマスコミ報道を規制したい欲求の現れそのものを示しているが、あくまでも憲法が保障している言論の自由、報道の自由に触れない方法での(「基準」を作れとは言わないが」、「けんかになるから具体論はやらない」の言葉に現れている)規制を意志していることが見て取れる。そして「いずれ国会で質問したい」の発言は対マスコミ報道規制の線に添って質問して、その線に添った政府答弁を以ってして放送法に関わる政府の公式見解としたいとする意図を読み取ることができる。

 【配布先】桜井総審、福岡官房長、今林括審、局長、審議官、総務課長、地上放送課長 ← 放送政策課
                            (取扱厳重注意)

            礒崎総理補佐官ご説明結果(2R概要)

日時 平成26年12月18日(木) 16:20~16:45
場所 官邸(礒崎総理補佐官室)
先方 礒崎補佐官(○)、山口補佐官付
当方 安藤情報流通行政局長(×)、長塩放送政策課長、西がた(記)

前回ご説明(11月28日(金)午後)の際の礒崎補佐官から指摘を踏まえ、別添の資料に沿って安藤局長から再度ご説明。主なやりとりは以下のとおり。

 礒崎陽輔)放送番組の「政治的公平」について、「番組全体を見て判断する」ことは理解するが、これまでの答弁はそこで止まっている。番組全体でどうなっていればいいのか、ポジに答えてほしい。また、番組全体でのバランスの説明責任はどこにあるのか。「番組全体でどうバランスを取っているのか問われれば、放送事業者が責任を持って答えるべきものと考えます」というような答弁はできないものか。

 礒崎陽輔)後段の問について一つの番組において政治的公平を欠く極端な事例というのは論理的にはあるはず。例えばコメンテーターが「明日は自民党に投票しましょう」と言っても総務省は「番組全体で見て判断する」と言うのか。反対する考え方には一切触れず一党一派にのみ偏る番組といった極端な事例について、もう少し考えてみてほしい。

(注)補佐官から、「番組の中で一党の党首が語るのは問題ないが、最近の番組は『番組(のコメンテーター)が語っている』からおかしい」との言あり。

 安藤情報流通行政局長)ご趣旨を踏まえ、答え方を工夫してみます。

 礒崎陽輔)政治的公平に係る放送法の解釈について年明けに(補佐官から)総理にご説明しようと考えている。流れとしては、

 ① 現行の解釈(番組全体を見て判断)があり、その中で、
 ② 番組全体のバランスとしてどういうものが求められているのか、また、
③一つの番組として政治的公平を欠く極端な事例とはどういうものなのか、という論点を整理するものをイメージしている。

 (安藤情報流通行政局長から具体的な進め方について確認したところ)

 礒崎陽輔)もちろん、官邸(補佐官)からの問合せということで、(多分変わらないだろうから)高市大臣にも話を上げてもらって構わない。こちら(官邸)で作るペーパーとそちら(総務省)で作るペーパーの平仄を合わせる作業を進めてほしい。こちらの資料も高市大臣にお見せしてもらって構わないし、こちらのペーパーを埋めるための回答ぶりについても早急に検討してほしい。政治プロセスは来年に入ってからだが、ペーパー自体は年内に整理したい。

 安藤情報流通行政局長)一定の整理が出来た段階で、官邸(補佐官)からの問合せということでそのペーパーで返したいと高市大臣に説明した上で政治プロセスに入る形でお願いしたい。

 礒崎陽輔)それは構わない。迷惑はかけないようにする。(以上)

 政府側が(=総務省が代表して)「番組全体を見て判断する」ことを規準としている「政治的公平」の説明責任(説明の義務)を第一義的には放送事業者に負わせたい意図を滲ませている。放送事業者が負った場合、特に民放の場合、スポンサーから受ける利益を優先させなければならない立場上、責任を問われてスポンサーを失う最悪事態の回避を前以って優先させると、政府批判を抑えたい衝動が否応もなしに頭をもたげ、結果的に言いたいことを控える萎縮を契機とする自主規制効果が期待できる欲求からの安倍補佐官礒崎陽輔の要望と見ることができる。このことは政府批判のコメンテーターをある種目の敵にしていることからも窺うことができる。

 対して総務省側は「ご趣旨を踏まえ、答え方を工夫してみます」と安倍補佐官礒崎陽輔の意図、欲求、要望に応える姿勢を見せている。いわば政府批判のテレビ報道を規制したい安倍官邸側の意向に総務省放送制作課が応じて、「(官邸)で作るペーパーとそちら(総務省)で作るペーパーの平仄を合わせる作業を進め」ることとなった。日本国憲法が保障する思想、言論、表現の自由を侵害しない範囲内での規制の画策であることは既に触れたが、この画策は「こちらの資料も高市大臣にお見せしてもらって構わない」としている安倍補佐官礒崎陽輔の話し振りと、安藤情報流通行政局長の「一定の整理が出来た段階で、官邸(補佐官)からの問合せということでそのペーパーで返したいと高市大臣に説明した上で政治プロセスに入る形でお願いしたい」の発言からして高市早苗に一定程度は既に話を通してあるか、でなければ、高市早苗をのちに加える画策であることが分かる。ここで言う「政治プロセス」とは国会質疑での政府答弁を以って政府の公式見解とすることを指している。

 そして安倍補佐官礒崎陽輔が「政治プロセスは来年に入ってからだが、ペーパー自体は年内に整理したい」と言っているように実際にもこの総務省行政文書作成の起点となった2014年11月26日から"来年"に当たる2015年5月12日の参議院総務委員会で、自民党参議院議員麻生派藤川政人(現在62歳)と当時の総務大臣高市早苗との質疑によって完成を見ることとなり、スケジュール通りに事は運んでいる。大臣の答弁が所管省庁職員のレク(説明)を受け、打合せした上で職員が作成、大臣が委員の質問に応えて読み上げる手順を考えると、安倍補佐官礒崎陽輔と総務省放送政策課職員との間の画策に高市早苗が無関係とすることはできない。2015年2月13日付で、「高市大臣レク(状況説明)」、2月17日付で、「磯崎補佐官レク(高市大臣レク結果の報告)」との文言を見受けることができる。 

 このことの証明の前に安倍補佐官礒崎がテレビの報道番組の政権批判を規制できるよう、放送法第4条を自らが望みうる適用に持っていくべく総務省放送政策課に指示するに至った元となった誘因を見てみることにするが、その前に2014年から2015年にかけての政治状況をざっと眺めてみることにする。礒崎陽輔が専門外の放送行政に首を突っ込んでまでしてマスコミの政府批判を抑えつけようとしたのはなぜかは、先ずは総務省の政務三役がその任に当たったなら、報道圧力があまりにも直接的な姿を取りやすくなるからだろう。

 2014年9月3日の第2次安倍内閣改造から1ヵ月半後の2014年10月20日、経産相小渕優子が政治団体の不透明な資金処理を巡って、法相松島みどりが選挙区内での「うちわ」配布問題で刑事告発を受けて、W辞任するに至った。女性の活躍を得意げに看板とし、その象徴として第2次では山谷えり子を国家公安委員会委員長と拉致問題担当とし、有村治子を女性活躍担当、高市早苗を総務大臣にと併せて5人も並べたものの、内2人が見当違いの活躍で辞任し、その後の世論調査で内閣支持率が9ポイントも下げるケースもあり、2015年10月1日からの消費税8%から10%への増税に対する逆風も生半可ではなく、増税反対の声、延期の声が高まっていた。安倍晋三の掛け声とは裏腹にアベノミクスが効果らしい効果を上げることができていなかった景気状況の煽りでもあった。安倍晋三は2014年11月18日に記者会見を開き、3日後の解散を予告した。

 安倍晋三「今週21日に衆議院を解散いたします。消費税の引き上げを18カ月延期すべきであるということ、そして平成29年4月には確実に10%へ消費税を引き上げるということについて、そして、私たちが進めてきた経済政策、成長戦略をさらに前に進めていくべきかどうかについて、国民の皆様の判断を仰ぎたいと思います」

 衆議院議員任期の半分、約2年を残しての解散予告だった。上に挙げた芳しからざる諸事情を受けた支持率低下を消費税増税延期で票を釣り上げる目論見に加えて、翌年春に地方統一選挙を控えていることから国政選挙に於ける与野党の勝敗の行方が地方選にそのまま影響する関係上、全地方議員の約半数を占める自民党地方議員が自分事として熱心に選挙応援せざるを得ない時の利をも作り出し、さらに野党が選挙準備ができていない状況を狙って早期解散に打って出たとされている。

 安倍晋三はこういった目論見を頭に置いてのことだろう、2014年11月18日のこの記者会見終了後に夜のTBSテレビ「NEWS23」に生出演した。一度、当ブログに取り上げているが、番組では約2年間のアベノミクスの成果を紹介する一環として景気の実感を街行く人にインタビューし、街の声として伝えた。

 男性(30代?)「誰が儲かってるんですかねえ。株価とか、色々上がってますからねえ。僕は全然恩恵受けていないですね。給料上がったのかなあ、上がっていないですよ(半ば捨鉢な笑い声を立てる)」
 男性(3、40代?)「仕事量が増えているから、給料が、その分、残業代が増えているぐらいで、何か景気が良くなったとは思わないですねえ」
 男性(4、50代?)「今のまんまではねえ、景気も悪いですし。解散総選挙して、また出直し?民意を問うて、やればよろしいじゃないですか」
 男性(5、60代?)「株価も上がってきたりとか、そういうこともありますし、そんなに、そんなにと言うか、効果がなかったわけではなく、効果はあったと思う」
 30代後半と見える女性二人連れの1「全然アベノミクスは感じていない」
 30代後半と見える女性二人連れの2(子供を抱いている)「株価は上がった、株価は上がったと言うけど、大企業しか分からへんちゃうの?」

 株価の上昇を通してある程度の効果を認めている1人以外は景気の実感はないとアベノミクスを切り捨てている。対するアベノミクスご本人の安倍晋三の反応。

 安倍晋三(ニコニコ笑いながら)「これはですね、街の声ですから、皆さん選んいると思いますよ。もしかしたら。だって、国民総所得というのがありますね。我々が政権を取る前は40兆円減少しているんですよ。我々が政権を取ってからプラスになっています。マクロでは明らかにプラスになっています。ミクロで見ていけば、色んな方がおられますが、中小企業の方々とかですね、小規模事業者の方々が名前を出して、テレビで儲かっていますと答えるのですね、相当勇気がいるのです。

 納入先にですね、間違いなく、どこに行っても、納入先にもですね、それだったら(儲かっているなら)、もっと安くさせて貰いますよと言われるのは当たり前ですから。しかし事実6割の企業が賃上げしているんですから、全然、声、反映されていませんから。これ、おかしいじゃないですか。

 それとですね、株価が上がれば、これはまさに皆さんの年金の運用は、株式市場でも運用されていますから、20兆円プラスになっています。民主党政権時代は殆ど上がっていませんよ。

 そういうふうに於いても、しっかりとマクロで経済を成長させ、株価が上がっていくということはですね、これは間違いなく国民生活にとってプラスになっています。資産効果によってですね、消費が喚起されるのはこれは統計学的に極めて重視されていくわけです。

 倒産件数はですね、24年間で最も低い水準にあるんですよ。これもちゃんと示して頂きたいと思いますし、あるいは海外からの旅行者、去年1千万人、これは円安効果。今年は1千300万人です。で、日本から海外に出ていく人たちが使うおカネ、海外から日本に入ってくる人たちが使うおカネ、旅行収支と言うんですが、長い間日本は3兆円の赤字です。ずっと3兆円の赤字です。これが黒字になりました。

 (司会の岸井成格が口を挟もうとするが、口を挟ませずに)黒字になったのはいつだったと思います?大阪万博です。1970年の大阪万博です、1回、あん時になりました。あれ以来ずっとマイナスだったんです。これも大きな結果なんですね。ですから、そういうところをちゃんと見て頂きたい。ただ、まだデフレマインドがあるのは事実ですから、デフレマインドを払拭するというのはですね――」

 要するに中小企業も小規模事業者も儲かっているが、儲かっていることが知れたら、製品単価が値切られてしまうから、テレビで尋ねられても、街の声として出てこない、実際にはアベノミクスは絶大な効果を上げているのだから、これはおかしいじゃないかと牽強付会もいいとこだが、アベノミクスの不人気などで選挙に負ける訳にはいかない切迫感からテレビ番組による意図的な情報操作の疑いをかけた。

 大体が国民総所得増加に加えて株価上昇と年金の運用の関係、倒産件数の減少等々のアベノミクス経済成果を政府、企業、家計全体を捉えたマクロ経済成長の証明に持ってこようと、一般家計を取り残したアベノミクスマクロ経済成長であることに目を向ける国民向けの誠実さを欠いていたなら、経済成長の中身は事実その通りに偏っていたのだから、結果的に情報操作への疑いだけが頭の中に肥大化していくことになる。マスコミの悪意ある情報操作だと頭から信じ込むことによってアベノミクスは唯一正しい経済政策としての地位を確保し続け、自分は岸信介の血を引く偉大な政治家だという自らに対する自尊意識が維持可能となる。安倍晋三からアベノミクスを取ったら、自らの存在意義を失ってしまう。アベノミクスの失敗に気づかされずにあの世に召されたのだから、ある意味、幸せ者だった。3日後の2014年11月21日の夕方7時から再び記者会見を開いて衆議院解散を告げた。

 安倍晋三「本日、衆議院を解散いたしました。この解散は、『アベノミクス解散』であります。アベノミクスを前に進めるのか、それとも止めてしまうのか。それを問う選挙であります。連日、野党は、アベノミクスは失敗した、批判ばかりを繰り返しています。私は、今回の選挙戦を通じて、私たちの経済政策が間違っているのか、正しいのか、本当に他に選択肢はあるのか、国民の皆様に伺いたいと思います。・・・・」
 
 当然と言えば当然だが、アベノミクスに寄せているこの強い拘りはアベノミクスは間違っていない、正しい経済政策であるとの思い込みをベースとしている。人間は自分は正しいという強い信念に立つと、ときとして正しくないと批判したり攻撃する対象に否応もなしに敵意を持つことになる。特に安倍晋三みたいな自分は偉大で間違いはないと思い込んでいるような自己愛性パーソナリティ障害が強度の人間は敵意の感情に走りやすく、強い症状を見せることになる。野党のアベノミクス失敗の批判は安倍晋三の敵意を刺激したに違いない。「悪夢の民主党」という民主党政権を全否定できる言葉(アベノミクスを全肯定する言葉となる)をたやすく口にできることが一つの証明となる。当然、マスメディアのアベノミクスに効果なしの報道に向けた敵意は野党よりも情報発信媒体としての影響力が格段に強力な分、情報操作の疑いを確信にまで高めていった可能性は強い。

 このことはTBSテレビ「NEWS23」生出演2014年11月18日からたった2日後の2014年11月20日付で在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに「自由民主党筆頭副幹事長萩生田光一/報道局長福井照」の差出人連名で送りつけた要望書がその証明となる。要望書題名は「選挙時期における報道の公平中立ならびに公正の確保についてのお願い」《安倍自民党がテレビ各局に文書で圧力》リテラ/2014.11.27)から)文飾は当方。

〈さて、ご承知の通り、衆議院は明21日に解散され、総選挙が12月2日、14日投開票の予定で挙行される見通しとなっています。
 つきましては公平中立、公正を旨とする報道各社の皆様にこちらからあらためて申し上げるのも不遜とは存じますが、これからの期間におきましては、さらに一層の公平中立、公正な報道にご留意いただきたくお願い申し上げます。〉

 具体的には次の項目を求めている。

 ・出演者の発言回数及び時間等については公平を期していただきたいこと
 ・ゲスト出演者の選定についても公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・テーマについて特定の立場から特定政党出演者への意見の集中がないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと
 ・街角インタビュー、資料映像等で一方的な意見に偏る、あるいは特定の政治的立場が強調されることのないよう、公平中立、公正を期していただきたいこと〉――

 明らかに安倍晋三がTBSテレビ「NEWS23」の生出演で疑うことになった情報操作が疑いを超えてテレビ局の"情報操作"そのものと確信するに至った、そのことを念頭に置いた数々の要求と見ることができる。疑いだけなら、こうも事細かな要求はできないだろう。そして各要求は放送法第4条各号の自分たちに望ましい運用求める内容そのものとなっている。

 2015年4月10日付「毎日新聞」はこの要望書送付2014年11月20日の6日後の2014年11月26日にテレビ朝日の「報道ステーション」プロデュサー宛に対しても同様の内容の要望書を自民党衆院議員福井照報道局長名で送付していたと報じている。

 〈同月(11月)24日放送の「報道ステーション」について「アベノミクスの効果が、大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく、特定の富裕層のライフスタイルを強調して紹介する内容」だと批判。「意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにしなければならないとされている放送法4条4号の規定に照らし、特殊な事例をいたずらに強調した編集及び解説は十分な意を尽くしているとは言えない」として「公平中立な番組作成に取り組むよう、特段の配慮を」求めている。〉――

 この要請も放送法第4条各号の観点からの内容となっている。但しあくまでも安倍政権側から見た観点であって、アベノミクスの効果を感じ取っていない一般国民の観点からしたら、アベノミクス批判の報道は放送法第4条各号には関係しないと見るだろう。2023年3月14日付「東京新聞」はアベノミクス指南役で米エール大学名誉教授浜田宏一にオンラインのインタビューを行い、大企業の収益改善が従業員の賃金に回って、それを上昇させていくトリクルダウンがアベノミクスでは機能せず、「賃金がほとんど増えないで、雇用だけが増えることに対して、もう少し早く疑問を持つべきだった。望ましくない方向にいっている」との証言を、今さらという感じもあるが、引き出している。要するにマスコミ報道のアベノミクス批判は情報操作でも何でもなく、事実そのものの批判であって、放送法第4条とは関係しないこととしなければならならなかった。

 以上取り上げた各事実を時系列に纏めてみる

1.2014年11月18日のTBSテレビ「NEWS23」に生出演し、番組の「街の声」の取り扱いに対して情報操作の疑いを向ける。
2.2014年11月20日、在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに報道の公平中立並びに公正を求める要望書を送付する。
3.2014年11月26日にテレビ朝日の「報道ステーション」プロデュサー宛に2014年11月24日放送のアベノミクスに関わる批判を一方的とし、放送法4条4号の規定に公平中立な放送を求める要望書を送付。
4.2014年11月26日、安倍補佐官礒崎陽輔が総務省放送政策課に対して政治報道番組の(あくまでも政権側から見た)偏向に関わる放送法第4条の解釈や解釈に応じた的確な適用、いわゆる政権側にとってのよりよい法適用の検討を指示。

 TBSテレビ「NEWS23」への安倍晋三生出演から安倍補佐官礒崎陽輔の専門外の総務省放送政策課への顔出しまでたった9日間しか経っていない。この短い期間の放送法第4条に関係した政治報道番組への批判的立場からの矢継ぎ早の各関与の直近の主たる発端は2014年11月18日のTBSテレビ「NEWS23」への生出演を措いてほかには考えられない。いわば安倍晋三が動かした安倍補佐官礒崎陽輔の総務省放送政策課を通した放送法第4条を使ったテレビ局政治報道番組への介入意図と見るべきである。要するに礒崎陽輔は親分安倍晋三の言いつけどおりに動いた。

 放送行政に門外漢の安倍補佐官礒崎陽輔が総務省放送政策課の幹部を取り込んでテレビ報道を抑え込もうと画策して得た一応の"結論"を総務相行政文書から取り上げてみる。この"結論"は何回か記載されているが、最後の記載を選択した。

 放送法における政治的公平に係る解釈について(案)

1 現行の政府解釈
放送法における政治的公平性については、昭和39年4月28日の参議院逓信委員会における郵政省電波監理局長答弁以来、次のような解釈を採っている。

○ 放送法第4条第1項第2号の規定により、放送事業者は、その番組の編集に当たり、「政治的に公平であること」が求められている。
○ ここでいう「政治的に公平であること」とは、政治的な問題を取り扱う放送番組の編集に当たっては、「不偏不党の立場から特定の政治的見解に偏ることなく、放送番組全体としてのバランスのとれたものであること」である。
○ その判断に当たっては、一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断することとなる。

2 問題点
これまでの政府解釈には次のような問題点があり、放送の政治的公平を判断する上で、具体的な基準となり得なかった嫌いがある。
① これまで、「一つの番組ではなく、放送事業者の番組全体を見て判断する」との答弁に終始し、どのような番組編集にすれば放送事業者の番組全体を見て「政治的に公平である」と判断されるのか、具体的な基準を示してこなかった。
② 同様に、「政治的に公平である」ことの説明責任の所在についても、明確に示してこなかった。
③ 放送事業者の番組全体を見なくても、一つの番組だけを見たときに、どのように考えても「政治的に公平であること」に反する極端な場合が実際にあり得るが、このことについて政府の考え方を示してこなかった。

3 解釈について補充的説明
 今後は、国会質疑等の場で、次の内容に沿って、従来の政府解釈について、補充的説明を行うものとする。
① 例えば、ある時間帯で総理の記者会見のみを放送したとしても、後のニュースの時間に野党党首のそれに対する意見を取り上げている場合のように、国論を二分するような政治的課題について、ある番組で一方の政治的見解のみを取り上げて放送した場合であっても、他の番組で他の政治的見解を取り上げて放送しているような場合は、放送事業者の番組全体として政治的公平を確保しているものと認められる。
② 政治的公平の観点から番組編集の考え方について社会的に問われた場合には、放送事業者において、当該事業者の番組全体として政治的公平を確保していることについて、国民に対して説明する必要がある。
③ 一つの番組のみでも、次のような極端な場合においては、一般論として「政治的に公平であること」を確保しているとは認められない。
・選挙期間中又はそれに近接する期間において、殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合
・国論を二分するような政治的課題について、放送事業者が、一方の政治的見解を取り上げず、殊更に、他の政治的見解のみを取り上げて、それを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合

 この結論が2015年5月12日参議院総務委員会での自民党議員藤川政人と総務相高市早苗との間の質疑応答に反映されていなければ、一応の結論を導き出した意味を失う。このことは総務相行政文書の最初のページに、〈「政治的公平」に関する放送法の解釈について(磯崎補佐官関連)〉とある文書題名に引き続いて「平成26年11月26日(水)」から「平成27年5月12日(火)」までのスケジュールが書き込まれていて、最後の「平成27年5月12日(火)」は〈参・総務委員会 (自)藤川政人議員からの「政治的公平」に関する質問に対し、磯崎補佐官と調整したものに基づいて、高市大臣が答弁。〉と記されていることが証明する。高市早苗の答弁が「磯崎補佐官と調整したもの」であるなら、藤川政人の質問も「磯崎補佐官と調整したもの」ということになる。要するに安倍補佐官礒崎陽輔らの画策の一環としての質疑応答であって、いわば"ヤラセ"であり、国会の場で堂々と行われたこのカラクリを見逃してはならない。

 では、高市早苗と藤川政人の質疑応答を取り上げてみる。

 参議院総務委員会(2015年5月12日)

 藤川政人「おはようございます。 本日は、放送法に定める放送の政治的公平性について議論をさせていただきたいと思います。

 放送法第4条第1項第2号は、放送番組の編集について政治的に公平であることを求めるとともに、同項第4号において、意見が対立している問題についてはできるだけ多くの角度から論点を明らかにすること、すなわち、政治的公平性、論点の多角性を求めております。

 放送法はこのように明確に放送の政治的公平性を求めておりますが、それにもかかわらず、最近の放送番組を見てみますと、とても政治的公平性が遵守されているとは言い難いものがたくさん見受けられます。

 総務大臣は、最近の放送を御覧になって、政治的公平性が遵守されているとお考えですか。御意見を伺いたいと思います」

 高市早苗「最近の放送を見てどう思うかということなんですけれども、今、割と忙しくしておりまして、放送番組をじっくりとたくさん見る機会には恵まれておりません。

 ただ、放送番組は放送事業者が自らの責任において編集するものでございまして、放送法は放送事業者による自主自律を基本とする枠組みになっておりますから、個別の放送番組の内容について何か言えということでしたら、なかなかコメントはしづろうございます。

 なお、個別の番組について何か社会的な問題が発生した場合には、まずは放送事業者が自ら調査を行うなど、自主的な取組が行われることとなります。総務省としても、その放送事業者の取組の結果を踏まえて適切に対応するということにしております」

 藤川政人「私は、放送事業者による自主自律を基本とする枠組みはもちろん極めて重要であると考えておりますが、その名の下に放送法が求める政治的公平性が遵守されているとは思えない放送番組が見受けられる現状は問題が多いと考えております。国論を二分するような政治的課題について、一方の意見のみを取り上げて放送している番組も散見されます。

 そこで、政治的公平性について、総務省として従来どのような基準に沿って指導、そして助言をされてきたのでしょうか。総務大臣に伺いたいと思います」

 高市早苗「放送法第4条第1項第2号の規定により、放送事業者は放送番組の編集に当たり政治的に公平であることが求められております。ここで言う政治的に公平であることとは、これまでの国会答弁を通じて、政治的な問題を取り扱う放送番組の編集に当たっては、不偏不党の立場から、特定の政治的見解に偏ることなく番組全体としてのバランスの取れたものであることと解釈をしてきたところであります。その適合性の判断に当たりましては、一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断することとされてきたと聞いております。

 これまで、放送事業者に対して、放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに違反したとして行政指導が行われた事例はございません」

 藤川政人「そうですね。大臣が今おっしゃられた、従来、放送事業者の番組全体を見て判断するということが政治的公平性の判断基準になっているようです。

 私は、この一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断するということが、放送法の求めている政治的公平性の意味を非常に分かりにくくしているのではないかなということも考えるわけであります。

 平成26年5月13日の総務委員会におきましては、当時の新藤総務大臣は、限られた放送時間等の制約の中で世の中の関心に応える番組を適切に編集していくためには、個々の番組で政治的公平性や論点の多角性を確保することが物理的に困難な場合もあることから、他の時間帯の番組と合わせた番組全体として政治的公平性や論点の多角性を判断する旨述べられているとともに、この原則の下で、個々の放送事業者の自主自律の判断に基づいて、放送時間等の制約が特段ないケースにおいては個々の番組で政治的公平性や論点の多角性を確保しようと努めることは、これは放送法第4条第1項の規定の趣旨に沿うものと述べられておられます。

 そこで、改めて総務大臣に伺いたいと思いますが、一体どのような状態であれば放送事業者の番組全体を見て判断して政治的公平が保たれていることになるのか、具体的に教えていただきたいと思います」

 高市早苗「率直に申し上げまして、藤川委員の問題意識、共有されている方も多いんじゃないかと思いますし、私自身も、総務大臣の職に就きまして、非常にここのところの解釈というのは難しいものだなと感じております。

 例えば、国論を二分するような政治的課題について、ある時間帯で与党党首の記者会見のみを放送したとしても後のニュースの時間に野党党首のそれに対する意見を取り上げている場合のように、ある番組で一方の政治的見解のみを取り上げて放送した場合でも、他の番組で他の政治的見解を取り上げて放送しているような場合は放送事業者の番組全体として政治的公平を確保しているものと認められるとされております」

 藤川政人「では、ある番組について政治的公平性の問題が指摘された場合において、どのように番組全体として政治的公平性や論点の多角性を確保したかについて放送事業者は説明する責任はないのでしょうか。放送事業者の番組全体を見て判断することを基準とするとしても、ただこのことを言いっ放しでは放送事業者に逃げ道を与えるだけでありまして、判断基準として全く役に立たないと考えます。

 過去に、政治的公平性について問題が指摘された番組に関して、この番組だけでは不公平のように見えますが、他のこういう番組できちんと穴埋めをしており、これらと合わせた番組全体として政治的公平性、論点の多角性は確保されているのですと具体的に説明された事例はあるのでしょうか。そのことを放送事業者がきちんと世の中に対して説明しなければこの基準は全く意味がないと考えますが、総務大臣はどのようにお考えになりますか」

 高市早苗「放送法は放送事業者の自主自律を基本とする枠組みとなっており、放送番組は、その下で放送事業者が自らの責任において編集するものであります。政治的公平の観点から番組編集の考え方について社会的に問われた場合には、放送事業者において、政治的公平を確保しているということについて国民に対して説明をする必要があると考えております」

藤川政人「そのことについては総務省としてもきちんと放送事業者を指導していただきたい、これは私からの本当に強い御要望とさせていただきます。

 それから、最近の放送番組を見ておりますと、一番組だけであってもやはり極端に政治的公平性が遵守されていないものがあると考えますが、いかがでしょうか。放送時間等の制約は、およそそうした極端な場合でもその内容を正当化する理由にならないのではないでしょうか。
 
 かつて類似の例があったと思いますが、例えば、選挙直前に特定の候補予定者のみを密着取材して、選挙公示の直前に長時間特別番組で放送する場合があります。こうした場合は、たとえ一番組だけであっても政治的公平に反すると言えるのではないかと考えますが、総務大臣はどのようにお考えですか」

 高市早苗「放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに関する政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げましたら、一つの番組のみでも、選挙期間中又はそれに近接する期間において殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合といった極端な場合におきましては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないと考えます」

 藤川政人「そうですね。また、国論を二分するような政治的課題があるときにも政治的公平性は厳格に維持されなければならないと考えます。

 最近の放送の中には、国論を二分するような政治的課題について、例えば、一方の政治的見解をほとんど紹介しないで他方の政治的見解のみを取り上げ、それを支持する内容を相当時間繰り返して放送しているようなものも見受けられます。このような放送番組は、やはり一番組であったとしても政治的公平性に反すると言えるのではないかと考えますが、総務大臣、いかがですか」

 高市早苗「前問と同じように、政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げますが、一つの番組のみでも、国論を二分するような政治課題について、放送事業者が一方の政治的見解を取り上げず、殊更に他の政治的見解のみを取り上げてそれを支持する内容を相当の時間にわたり繰り返す番組を放送した場合のように、当該放送事業者の番組編集が不偏不党の立場から明らかに逸脱していると認められる場合といった極端な場合においては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないものと考えます」

 藤川政人「ありがとうございました。放送番組の政治的公平性については、放送事業者の番組全体を見て判断するということが原則でありますが、やはり極端に政治的公平性を逸脱している場合には一番組だけでも政治的公平に反すると言える場合があるという御答弁をいただいたものと考えます。その点についても放送事業者を十分御指導いただきますようお願いを申し上げ、この質問を終えさせていただきたいと思います」

 藤川政人は、「放送法に定める放送の政治的公平性について」を取り上げ、「放送法第4条第1項第2号は放送番組の編集について・・・・政治的公平性、論点の多角性を求めている」として、このような要求事項に反して「最近の放送番組はとても政治的公平性が遵守されているとは言い難いものがたくさん見受けられる」と示した疑義、あるいは問題意識は安倍補佐官礒崎陽輔が総務省政策課に対して示した疑義、あるいは問題意識、〈「政治的公平」のこれまで積み上げてきた解釈をおかしいというものではないが、①番組を全体で見るときの基準が不明確ではないか②1つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないか〉(下線は文中通り)等とそっくり重なって、安倍補佐官礒崎陽輔主導による総務省放送政策課と画策した「調整したもの」を下敷きにし質問であることは明らか過ぎるくらい明らかとなる

 藤川政人が最初に示したこのような疑義、問題意識に対して高市早苗は従来の政府解釈である「政治的に公平であること」は「一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断することとされてきたと聞いております」と先ずは答弁。この答弁に対しても藤川政人は「この一つの番組ではなく放送事業者の番組全体を見て判断するということが、放送法の求めている政治的公平性の意味を非常に分かりにくくしているのではないかなということも考えるわけであります」と疑義を広げ、このことは既に挙げた安倍補佐官礒崎陽輔の、〈①番組を全体で見るときの基準が不明確ではないか②1つの番組でも明らかにおかしい場合があるのではないか〉の疑義、問題意識そっくりそのままの踏襲、なぞり以外の何ものでもなく、安倍補佐官礒崎陽輔と調整した質疑応答、"ヤラセ"そのものであることの正体を暴露することになる。

 藤川政人が放送事業者の番組全体から政治的公平を判断する具体例を問うと、高市早苗は「国論を二分するような政治的課題について、ある時間帯で与党党首の記者会見のみを放送したとしても」云々と答弁している具体例にしても、上に挙げた「放送法における政治的公平に係る解釈について(案)」に書いてあることに添うものである。

 安倍補佐官礒崎陽輔のロボットとしての役割を担った藤川政人は礒崎陽輔が最も問題点としていた事柄を追及する。

 藤川政人「最近の放送番組を見ておりますと、一番組だけであってもやはり極端に政治的公平性が遵守されていないものがあると考えますが、いかがでしょうか」

 高市早苗「放送法第4条第1項第2号の政治的に公平であることに関する政府のこれまでの解釈の補充的な説明として申し上げましたら、一つの番組のみでも、選挙期間中又はそれに近接する期間において殊更に特定の候補者や候補予定者のみを相当の時間にわたり取り上げる特別番組を放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合といった極端な場合におきましては、一般論として政治的に公平であることを確保しているとは認められないと考えます」

 この「補充的な説明」は上に挙げた「(案)」に書き込んである「今後は、国会質疑等の場で、次の内容に沿って、従来の政府解釈について、補充的説明を行うものとする。」と取り決めたルールに則った発言であると同時に、その「③」の〈一つの番組のみでも、次のような極端な場合においては、「政治的公平」を欠き、放送番組準則に抵触することとなる。〉とする具体例として「選挙期間中又はそれに近接する期間において、特定の候補者や候補予定者のみを殊更に取り上げて放送した場合のように、選挙の公平性に明らかに支障を及ぼすと認められる場合」と挙げていることとほぼ同様な文言となっている以上、いわば安倍補佐官礒崎陽輔が主導で画策した総務省行政文書解釈の取決めに案内を受け、その取決めを"ヤラセ"として演じた国会答弁であり、最終的には従犯的な共犯関係を組むことになった高市早苗の、自身も首を突っ込んだ連携プレーの一コマだと認識しなければならない。高市早苗が総務省行政文書中の自身に関わる記述は"捏造"とする説明は自らの折角の経歴の全てを傷つけかねない自身の共犯性を打ち消してなくしたい強い願望が"捏造"とすることによってそれが可能となるからだと疑えないことはない。

 総務省行政文書の中から"捏造"ではないことを証明するより明確な記述をさらに挙げてみる。

 「礒崎総理補佐官ご説明結果<未定稿>」(日時 平成27年1月29日(木)17:10~17:25)
 場所 官邸(礒崎総理補佐官室)☆

 安藤情報流通行政局長)本件の今後の取り運びについて確認させていただきたい。当方としては、本件は政務にも一切上げずに内々に来ており、今回の整理については高市大臣のご了解が必要。その際の話法としては、
 ①サンデーモーニングの件に加えてこれまでも国会で質問されてきた等、補佐官は従前から放送番組の政治的公平にご関心があったこと、
 𖯃今般あらためて本件について整理すべきとの問題意識から補佐官のほうで国会質疑を通じた明確化検討している、
 ③その前提となる考え方の整理について補佐官から照会があり数次やりとりをしてきた、というご説明でよいか。

 礒崎陽輔)問題ない。今回の整理は決して放送法の従来の解釈を変えるものではなく、これまでの解釈を補充するもの。他方、国会での質問としては成り立つ。上手く質問されたら総務省もこう答えざるを得ないという形で整理するもの。あくまでも「一般論」としての整理であり、特定の放送番組を挙げる形でやるつもりはない。

 藤川政人と高市早苗の質疑はかくかように安倍補佐官礒崎陽輔の思惑の範囲内に収まっている。"ヤラセ"なのだから、至極当然で、いわば、〈高市大臣のご了解を得られた。〉礒崎陽輔の思惑のコントロール下にあったことの証明以外の何ものでもない。さらに言うと、各職位の各段階で確認と了承を経て記録・保存されるに至る行政文書という性格上、捏造だとしたら、何らかの利益に基づいた組織ぐるみの意志が働いていなければ、捏造という形は取らせることはできない。森友学園国有地格安売却時の財務省の決裁文書改竄が一定部署の組織ぐるみであったから可能となったようにである。

 以上見てきたように安倍晋三を加えた安倍補佐官礒崎陽輔一派が放送法第4条に関わる政府統一見解に「補充的な説明」を付け加えることになった意図は政治報道番組の政府批判(端的に言うと、アベノミクス批判)を抑えたい欲求――規制したい欲求が発端となっていることを考えるなら、その答・成果は断るまでもなく規制を可能とする地点に持っていこうとするのは当然のことで、安倍補佐官礒崎陽輔が「今回の整理は決して放送法の従来の解釈を変えるものではない」と明言し、結果もそうなっていることからすると、報道の自由に抵触しない範囲内でテレビ報道番組を規制するための新たなアプローチを設けることに目的があった。それが「一つの番組でも極端に偏っていた場合には政治的に公平とは認められない場合がある」とする「補充的な説明」であり、報道機関に対して一種のインプリンティング(刷り込み)の手法を用いた。強権を廃した穏便さは見せてはいるものの、「政治的に公平」かどうかに睨みを利かすのはあくまでも政権側であり、その睨みがテレビ局側に政治的にどのような報道を行うか、いわば下駄を預けさせられた立場に立たせることに繋がって、「政治的に公平」に抵触しないよう、報道内容に控えめの線引きを行わざるを得ない。言ってみれば萎縮という名の自主規制を誘う罠としての働きを持たせることになるだろうから、こういったことに狙いを定めた役割こそが「極端に偏っていた場合には」云々の「補充的な説明」を国会答弁を用いて政府見解とするインプリンティング(刷り込み)に置いた。言ってみれば、「補充的な説明」のインプリンティング(刷り込み)によって安倍政権側は「政治的に公平」かどうかを判断する一種の生殺与奪の権を握ることになった。

 このことは安倍晋三が番組側の情報操作を疑ったTBSテレビ「NEWS23」生出演の2日後の2014年11月20日に自由民主党筆頭副幹事長萩生田光一と報道局長福井照が在京テレビキー局の編成局長、報道局長宛てに公平中立な報道を要請したことと、さらにその6日後の2014年11月26日に報道局長福井照がテレビ朝日の「報道ステーション」プロデュサー宛にも公平中立な報道を要請したことと符合する。あくまでも要請という形を取っているが、報道内容の公平中立性の維持はあくまでもテレビ局側に下駄を預けた形を取るから、公平中立性を前提とした控えめの報道を意識せざるを得なくなり、そう前提とすること自体が表現の自由に関わる生殺与奪の権を自民党という政治権力に一定程度は握らせたことになる。つまり「補充的な説明」は放送法第4条の「政治的に公平」な報道に対しての生殺与奪の権を担保させる"殺し文句"と喩えることもできて、"殺し文句"に政府統一見解という一大権威を与えたのである。

 安倍晋三自身について纏めると、政治権力は国民から常に監視を受ける立場にあり、批判される宿命を負っている。安倍晋三は自らに対する批判を評価に変える努力をすべきをテレビ局の政治報道番組が伝える批判を情報操作で作り上げた批判だと、あるいは放送法第4条の規定に逸脱していると疑い、放送法第4条に「補充的な説明」を加える手捌きで「報道の公平中立ならびに公正の確保」を改めて意識させ、それを自主規制の力とすべく画策した。政治権力者として度量がケチ臭くできていることの結末だろう。だから、死ぬまでアベノミクスは成功したと強弁を振るうことができた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年3月2日投稿記事公開停止のお詫び

2023-03-11 08:06:13 | 政治
 読者の皆様へ。

 当ブログ作者の手代木恕之です。2023年3月10日(金曜日)に編集画面にアクセスしたところ、〈アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反により、又は、法令上規定された手続により現在、1件の記事を公開停止させていただいております。〉との表記があり、該当記事は2023年3月2日投稿の《なぜ日本の保守派は同性婚に反対なのか 天皇信仰背景の日本民族優越意識と明治以来の日本の伝統が同性愛を日本人の行動様式とは認めていないから - 『ニッポン情報解読』by手代木恕之》のことでした。

 理由は、〈「差別表現などの不適切な表現」がある〉と言うことでしたから、早速、goo事務局宛に、〈gooブログ記事《なぜ日本の保守派は同性婚に反対なのか 天皇信仰背景の日本民族優越意識と明治以来の日本の伝統が同性愛を日本人の行動様式とは認めていないから》(https://blog.goo.ne.jp/goo21ht/e/23ac5b715a31a5afb9c4242033a17900)が「差別表現などの不適切な表現」があるとの理由で公開停止になっています。「差別表現などの不適切な表現」の箇所を教えてください。〉とメール。

 〈※本メールは、システムから自動で送信しております。〉との断りで――

 〈日頃よりgooをご利用いただき誠にありがとうございます。
 お客様からのお問い合わせを受け付けました。〉と返信あり。

 今朝(2023年3月11日)、試しに該当記事にアクセスしてみたところ、

〈※この記事は表示できません
※現在この記事の一部にサイト運営にふさわしくない言葉・表現が含まれている可能性がある為、又はこの記事に対してプロバイダ責任制限法等の関連法令の適用がなされている為、アクセスすることができません。〉の警告。

 「可能性がある」はgooグー事務局側の判断であり、当方の納得が必要となる関係上、月曜日になったなら、〈サイト運営にふさわしくない言葉・表現〉がどの箇所のどの文章なのか、再度問い合わせてみようと思っています。

 記事自体は同性婚法制化に向けた動きに殆ど役に立たないかもしれませんが、法制化の1日も早い実現を願う自身の気持ちを満たすためにも掲載は必要で、問い合わせた上で訂正すべきは訂正して、記事の再度の掲載に持っていきたいと思っています。アクセスしてくれた読者にご迷惑をお掛けしますが、暫くお待ち下さい。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

野党の学習不足が招いた安倍晋三と旧統一教会との関係調査・検証要請への岸田文雄の「本人死亡、十分な把握限界」等の罷り通り

2023-02-06 08:39:00 | 政治
 岸田文雄は野党が求めた安倍晋三と統一教会との関係についての調査・検証の要請を、記者会見や国会、今通常国会での代表質問答弁等で、「御本人の心の問題」、「御本人が亡くなられた今、十分な把握は限界がある」等と発言、その必要性を認めない立場を取り、野党は論破できずにその立場を結果的に認めさせることになった。岸田文雄の言い分に正当性があり、論破不可能は当然のことなのか、野党が何も学習できない結果の情けない有り様なのか、検討してみることにした。

 この検討の妥当性と2023年1月30日からの衆議院予算委員会で野党が再び検証・調査を求める追及を行うと思われるが、追及するとしたら、どう行うかは予算委員会前までの検証・調査の必要性なしとする岸田発言から矛盾点を如何に見い出すか、自らの学習一つにかかっているはずだから、どう学習したかの妥当性を確かめてみて欲しい。

 問題としている最初の岸田発言は2022年8月31日「記者会」(首相官邸)でのマスメディアとの質疑。

 石松朝日新聞記者「朝日新聞の石松です。よろしくお願いします。
 
 旧統一教会と自民党との関係についてお尋ねします。総理は、先程のぶら下がりで、旧統一教会との関係を絶つことを党の基本方針にするという説明がありましたが、旧統一教会との関係の中心には、常に安倍(元)総理の存在があったりとか、選挙の協力に関しては、安倍(元)総理が中核になっていた部分があると思いますが、今後、旧統一教会との関係を絶つ上で、安倍元首相との関係を検証するなり、見直すなどの考えは今のところございますでしょうか。よろしくお願いします」

 岸田文雄「先ほども申し上げましたが、今日までの(旧統一教会と自民党との)関係については、それぞれ既に点検するようにという指示を出しているわけですが、その点検の結果について、党としてしっかり取りまとめることが大事だということを申し上げています。その中で、党としてそれをどのように公表していき、国民の皆さんに説明をしていくのか、これが重要なポイントになってくると思います。

 御指摘の点については、安倍(元)総理がどのような関係を持っておられたのか、このことについては、御本人が亡くなられた今、十分に把握するということについては、限界があるのではないかと思っています」

 朝日新聞石松記者は安倍晋三が生存中は旧統一教会と自民党との関係の中心に位置していて、自民党議員との選挙協力の重要な仲介者の立場にいた、いわば安倍晋三の仲介なくして旧統一教会の自民党議員に対する選挙協力は考えられなかった、であるから、安倍晋三と旧統一教会の間に出来上がっていた関係を検証し、検証によって洗い出すことができる両者のその利害の構図を発端とした旧統一教会と自民党議員との各関係の見直しに持っていかなければ、引きずっている利害の根絶は難しいのではないかといった趣旨の質問をぶっつけた。

 岸田文雄は安倍晋三が旧統一教会とどのような利害に基づいた関係を持っていたのか、本人があの世に行ってしまった現在、いわば被疑者死亡で取調べ(=検証)は不完全にならざるをえない、「限界がある」と答弁、いわば"本人死亡限界説"を持ち出して、検証の必要性を認めない立場を示した。

 朝日新聞記者も岸田文雄も安倍晋三と旧統一教会との間柄を「関係」という言葉で表現しているが、反共・保守の政治に深く関わっている宗教団体と日本の代表的な保守政治家の結びつきである。利益を共に共有し、損害を共に排除する政治政策的な利害関係で結びついていなければ、1960年代初めの岸信介の時代から70年も経たこんにちに至るまでの延々とした両者関係の系譜は成り立つことはなかったろう。いわば岸信介時代から安倍晋三に至るまで、両者を中心的系譜とした自民党は旧統一教会とは政治政策的な利害を共にする関係を築いてきた。利害を共にしてこそ、密度の濃い長期の関係性を見せることになる。密度が希薄なら、双方共に相手方に対する利用価値の減少を意味することになって、関係は立ち枯れていたはずだが、実際には逆の現象を来していた事実は密度の濃い利用価値を共有する利害関係を延々と、ときには細まることはあったとしても、築いてきたことの証明以外の何ものでもない。

 また、政治政策的な利害関係で結びつく関係とは双方共に相手に対する利用価値を有しているという関係にほかならない。いわば片側通行の利用価値、一方通行の利用価値であったなら、一時的にはあっても、継続性を持たせた利害関係は成り立たない。双方向の利用価値あってこそ、相互的な利害関係が成り立ち、長期に維持されていく。

 安倍晋三が自民党と旧統一教会の政治政策的な利害関係維持の主導権を握るようになったのは岸信介との繋がりでその孫が小泉政権下で官房長官という実力者にのし上がってからか、第一次政権で首相の座に就き、政府を自民党トップとして仕切ることになって以来かは時期そのものは不明だが、旧統一教会と自民党を結びつける首魁と言ってもいい主導者の地位にあったことは、例え本人があの世に行ってしまったとしても、関係者の証言やマスメディアの調査等に基づいた数々の報道事実を突き合わせて、重なり合う部分を拾い出し、前後の整合性を保持しさえすれば、事実の骨格程度は描くことができる。だが、こういったことをする意図は岸田文雄からは一切窺うことはできない。亡くなったとはいえ、岸田政権の生みの親である安倍晋三の権威を失墜させる訳にはいかないからだろう。失墜させたなら、岸田政権自体の権威を傷つけることになりかねないだけではなく、日本の憲政史上最長政権という名誉も、7年8ヶ月も総理大臣に据え続けていた自民党の良識に対する国民の信用も剥げ落としかねない。岸田文雄としては安倍晋三の権威を守ることによって自身の権威を守らざるを得ない永遠の結託関係にある。安倍晋三と旧統一教会との関係の検証など、以っての外ということなのだろう。

 最初に断っておくが、「『限界』という言葉は一定程度範囲外の困難性を意味するが、逆に一定程度範囲内の可能性を意味する言葉となる。"絶対不可"という意味は持たない。前者の困難性を乗り越えてでも、調査・検証の必要性を見い出せるかどうかが"限界"への挑戦を可能とし得る。

 次は岸田文雄の国会答弁から、同様の発言を見てみることにする。最初は2022年9月8日の衆議院議院運営委員会。

 泉健太「さて、統一教会問題や霊感商法被害、そして統一教会における多額の献金による家庭崩壊、生活破綻、さらには日本からの韓国方面への多額の送金、様々な問題が上がっています。そして、自民党との密接な関係も言われている。多数の議員が関係を持ち、安倍元総理は、元総理秘書官の井上義行候補を、今回、教団の組織的支援で当選させたわけです。

 この自民党と統一教会との関係を考えた場合に、総理、安倍元総理が最もキーパーソンだったんじゃないですか。お答えください」

 岸田文雄「まず冒頭一言申し上げさせていただきますが、本日、内閣総理大臣として答弁に立たせていただいております。自民党のありようについて国会の場において自民党総裁として答えることは控えるべきものであると思いますが、ただ、昨今の様々な諸般の事情を考えますときに、これはあえて国会の場でお答えをさせていただくということを御理解いただきたいと思います。

 そして、安倍元総理の統一教会との関係については、それぞれ、御本人の当時の様々な情勢における判断に基づくものであります。ですから、今の時点で、本人が亡くなられたこの時点において、その実態を十分に把握することは限界があると思っております」

 泉健太「改めてですけれども、今の総理のようなお話が私はこの世の中の反発になっていると思いますよ。どう見たって、岸家、安倍家三代にわたってやはり統一教会との関係を築いてきたし、それを多くの議員たちに広げてきたというのは、もう多くの国民は分かっているんじゃないでしょうか。

 そういう中で、今、総理は、調査、点検とおっしゃった。安倍元総理御本人に聞くことはもうできない。でも、安倍元総理がどういうふうなスケジュールで動いていたか、これは事務所は分かっておられるはずでしょう、秘書だって分かっておられるはずでしょう。それであれば、なぜ、今回、党の調査では安倍事務所を外しておられるんですか。これはやはりおかしいですよ。

 国葬にふさわしいかどうかということの中に、今多くの国民が、統一教会との関係をやはり頭の中に入れている。そういうときに、まさにその御本人がどうだったかというのは、本人に聞くばかりじゃないですよね、調べることが可能じゃないですか。私は、是非、自民党は、岸田総裁はそれを約束するべきだと思います」

 岸田文雄「先ず一点目の御指摘については、先程も申し上げましたが、具体的な行動の判断、これは当時の本人の判断でありますので、本人がお亡くなりになった今、確認するには限界があるという認識に立っております」

 記者会見質疑の発言では"本人死亡限界説"のみであったが、ここでは安倍晋三と統一教会との関係は「御本人の当時の様々な情勢における判断」、あるいは「当時の本人の判断」に閉じ込めた上で"本人死亡限界説"を持ち出している。

 「具体的な行動の判断」は内心に思い描く性質上、他人は外からは窺い知ることはできないが、行動への思い描きを内心にのみとどめていたなら、政治家として成り立たない。「行動の判断」を実際的な行動の意思として本人の判断のみにとどめずに周囲に洩らす場合もあるし、行動への協力を求めるために気の置けない関係者には話しておく場合もある。行動の判断で終わらせずに具体的な行動へと進めた場合は実際の行動から内心の判断との関連を推察できることもある。「本人の判断」だからと言って、確認しようがないというわけではない。行動の具体的な形から初期的な行動の判断は本人の内心をかいくぐって判断できることもある。このことは本人が死亡、生存に関わらず、可能なことである。こういった点が"本人死亡限界説"を無効とする条件となりうる。

 にも関わらず岸田文雄は実際の行動から「本人の判断」を検証する労も取らずに死人に口なしの"本人死亡限界説"で安倍晋三と統一教会との関係実態を葬り去ろうとするのはこのことの矛盾自体に整合性を与える唯一の理由はやはり自身の権威を守るために安倍晋三の権威を失墜させるわけにはいかないことと国民の自民党に対する風当たりを躱(かわ)すためにもその権威を何が何でも守らざるを得ないと見るほかはない。

 朝日新聞記者が総理大臣記者会見で岸田文雄に安倍晋三と旧統一教会の関係を検証すべきではないのかと問い質したのが2022年8月31日。この様子を立憲民主党代表の泉健太が知らなかったでは済まない。知らなかったとしたら、不注意に過ぎるし、不勉強が過ぎる。泉健太は8日後の2022年9月8日の衆議院議院運営委員会で同じような質問をし、同じような答弁を返されたに過ぎない何一つ変わらない収穫を手にしたのみであった。どのような進展も手に入れることはできなかった。総理大臣記者会見の岸田答弁から何一つ学習していなかったことを意味することになる。

 では、ここで自民党と旧統一教会の協力関係の系譜を成す発端となった岸信介時代のいくつかの事実を「Wikipedia」の「国際勝共連合」の項目から眺めて、予備知識として貰う。

 1968年
1月13日、韓国で「国際勝共連合」を設立。
4月1日、日本で「国際勝共連合」を設立。日本統一協会の初代会長の久保木修己が会長に就任。笹川良一が名誉会長に就任。

 「Wikipedia」の「岸信介」の項目には、〈岸は椎名悦三郎・瀬島龍三・笹川良一・児玉誉士夫ら満州人脈を形成し〉ていたとあり、〈岸は文(鮮明)、笹川良一、児玉誉士夫らと協力して、日本でも国際勝共連合を設立した。〉とある。総理大臣退陣の1960年7月19日から8年後ではあるが、岸信介が国際勝共連合と関わりを持ったのは強固な反共主義者である関係から当然の成り行きと見ることができるが、旧統一教会という宗教団体を創設した文鮮明本人が反共主義者であったからこそ、韓国で反共を掲げる関連団体の国際勝共連合を立ち上げたはずで、日本で「国際勝共連合」を立ち上げる前の1964年に渋谷区南平台町の岸邸の隣に教団本部が移転し、教団との関係が始まった際、教祖文鮮明によって代表される教団の思想を知り得たはずで、それ以降からの岸信介と文鮮明との思想的な共鳴を通した関係と見なければならない。

 思想的な共鳴は相互的な利用価値そのものを生み出す、あるいは提供し合う機会を形作っていき、政治政策的な利害関係を伴走者とすることになる。両者のこのような関係性の極めつけがアメリカで脱税容疑で起訴され、1984年4月に懲役1年6カ月の実刑判決を受けて連邦刑務所に収監されていた文鮮明の釈放を願う1984年11月26日付けの書簡を岸信介が当時の米大統領ドナルド・レーガンに出すことになった事実であろう。2022年7月20日付ネット記事ディリー新潮が伝えている。

 《安倍家と統一教会との“深い関係”を示す機密文書を発見 米大統領に「文鮮明の釈放」を嘆願していた岸信介》

 この書簡は米カリフォルニア州のロナルド・レーガン大統領図書館のファイルに収められていると記事は伝えている。

 〈文尊師は、現在、不当にも拘禁されています。貴殿のご協力を得て、私は是が非でも、できる限り早く、彼が不当な拘禁から解放されるよう、お願いしたいと思います〉

 〈文尊師は、誠実な男であり、自由の理念の促進と共産主義の誤りを正すことに生涯をかけて取り組んでいると私は理解しております〉

 〈彼の存在は、現在、そして将来にわたって、希少かつ貴重なものであり、自由と民主主義の維持にとって不可欠なものであります〉――

 記事は、〈結局、釈放は難しいと判断され、文鮮明が出所できたのは翌85年の夏だった。〉となっている。

 「Wikipedia」の「文鮮明」の項目には、アメリカ合衆国で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けたため出入国管理及び難民認定法第5条1項4号の規定により「日本上陸拒否者」となった文鮮明だが、岸信介没後約5年後近くの1992年3月26日に上陸特別許可によって日本に入国している。同項目には、〈この許可については法務省に対し金丸信(当時自民党副総裁)から政治的圧力があったといわれている。〉とあるが、事実を証明する材料がないにしても、5日後の1992年3月31日に自民党副総裁の身分でありながら、文鮮明と〈2時間半に渡り会談、うち1時間は2人だけの密室会見だった。〉と伝えている事実と、岸信介がドナルド・レーガンに文鮮明釈放嘆願の書簡を送付した事実からすると、状況証拠としては圧力説の疑いが濃厚となる。

 この1992年3月31日の文鮮明・金丸信会談の2日前の1992年3月29日に引退後4年半近くの中曽根康弘が文鮮明と会談との記述を見受けることができる。岸信介、金丸信、中曽根康弘といった自民党の大物が、さらに政界黒幕として隠然たる勢力を誇り、自民党に多大な影響力を持っていた右翼笹川良一や児玉誉士夫らが文鮮明と親しい関係にあった事実は両者間の政治政策的な利害関係の深さを物語ることになり、その深さに応じて相互間の利用価値は相当なものがあったと窺うことができる。利用価値なくしてどのような利害関係も生じない。

 前記「国際勝共連合」の項目には、〈日本では日米安全保障条約の自動延長に社会党や共産党が反対し、新左翼による暴力や機動隊などとの衝突が繰り返されており、学生運動が激しさを増した「70年安保闘争」の国内状況の中で、(保守派や右翼等が)「反共」という目的が一致したことで、家庭連合(宗教法人世界基督教統一神霊協会(現・世界平和統一家庭連合)、いわゆる「統一協会」)の教義のカルト性を棚上げにし、反共という一致点で新左翼の暴力対応や選挙ボランティア支援を受け入れていた。〉云々と政治政策的な利害関係を挙げ、利用価値の概要を伝えている。

 こういった事実関係がこんにちにまで続いてきた旧統一教会と安倍晋三を中心とした自民党との政治政策的な利害関係の系譜の大本を成していた。自民党も旧統一教会も、双方共に相手方から利用価値としての効果を見い出すことができていた。だから、かくも長きに亘って関係を続けることができた。

 旧統一教会系開催の「世界文化体育大典」の「希望の日 晩餐会」ページに、〈希望の日晩餐会が、1974年(昭和49年)5月7日 東京・帝国ホテルで行われた。文鮮明の講演会「希望の日晩餐会」では、岸信介元首相が名誉実行委員長となっており、福田赳夫大蔵大臣が祝辞を述べ、「アジアに偉大な指導者現るその名を文鮮明と言う」と語った。〉と出ている。

 そこにある動画には福田赳夫の祝辞の様子が映し出されているが、祝辞後の場面は水滴様の模様を入れて隠しているものの、ネットに流布している同じ動画では福田赳夫と文鮮明がお互いの背中に両手を回し合う抱擁でそれぞれの背中を叩き合う親密な敬意を示す様子が映し出さている。どのような祝辞を述べたのか、その内容は「Wikipedia」の「世界平和統一家庭連合」の項目に紹介されている。

 「東洋に偉大な指導者現る。その名は文鮮明、ということを聞いて久しいのですが、今日、親しく文先生の教えを聞くことができて、とてもいい晩だったなあという感じです。文先生に『お前たちは神の子である』といわれて、少し偉くなったような気分ですが、それは、そういわれるように国のために一生懸命に働け、ということだと思います」( 福田赳夫〜1974年5月、帝国ホテルにて)

 出典は、〈福田信之『文鮮明師と金日成主席―開かれた南北統一の道』世界日報社 p70~81〉と紹介されている。世界日報社は旧統一教会系のマスメディアで、なおこの希望の日晩餐会には、〈来賓として安倍晋太郎、中川一郎、倉石忠雄らの自民党議員が出席。〉と出ていて、安倍晋三の父親安倍晋太郎が来賓席にかしこまっていたことを窺うことができる。

 さらに、〈1976年12月17日、帝国ホテルで教団系のイベント「希望の日実行委員会」が開催され、名誉委員長には岸信介、実行委員長には三菱電機元会長の高杉晋一や日本生産性本部会長の郷司浩平らが名を連ねた。会合には船田中、増田甲子七、石原慎太郎、毛利松平、中川一郎らの自民党議員が出席し、その他にも数十人の議員が祝電を送った。石原慎太郎は来賓代表として「敬愛する久保木先生…私は同志として選挙運動を助けてもらいましたが、こんなに立派な青年がいまの日本にいるのかと思った」と久保木修己を絶賛するスピーチを行った。〉との記述も見かけることができるが、このイベントでも岸信介が名誉委員長を務めているから、文鮮明との付き合いは政治政策的に相当に親密な利害関係にあったことの裏付けとなるし、相当な利用価値を受け、文鮮明側にも相当な利用価値を与えもしていたはずである。でなければ、こういった関係は生じない。そして石原慎太郎も選挙運動でそういった利用価値のお裾分けを受けていた。尤も本人そのものは芥川賞受賞作家としての知名度はあったが、映画俳優の弟石原裕次郎の当時の絶大なる人気に大衆的な知名度の点で助けられ、稼いだ票数から比較したら旧統一教会信者の電話作戦とか、ポスター貼りや直接的な投票で稼ぐ票数はかなり見劣りすることになるだろうが、無報酬で労を惜しまずに忠実に働く点で一定程度は重宝する利用価値を受けていたことになる。

 旧統一教会と自民党との政治政策的な利害関係の系譜の中で特筆できる最適な出来事の一例として安倍晋三の銃撃死によって世間に広く知られることになった旧統一教会系団体の大会に送った安倍晋三のビデオメッセージを挙げることができる。
 《「神統一韓国のためのTHINK TANK 2022希望前進大会」での安倍晋三の基調講演》(You Tube)

 安倍晋三「日本国前内閣総理大臣の安倍晋三です。UPF(天宙平和連合)の主催のもと、より良い世界実現のための対話と諸問題の平和的解決のためにおよそ150カ国の国家首脳、国会議員、宗教指導者が集う希望前進大会で世界平和を共にけん引してきた盟友のトランプ大統領とともに演説の機会をいただいたとことを光栄に思います。

 特にこの度出帆したThinktank2022の果たす役割は大きなものであると期待をしております。今日に至るまでUPFとともに世界各地の紛争の解決、とりわけ朝鮮半島の平和的統一に向けて努力されてきた韓鶴子(ハン・ハクチヤ)総裁を始め、皆様の経緯を表します。

 さて、いまだ終息の見えないコロナ禍のなかではありますが、特別な歴史的意味を持つこととなった東京オリンピック・パラリンピック大会を多くの感動とともに無事閉幕することができました。ご支援をいただいた世界中の人々に感謝したいと思います。史上初の1年延期、選手村以外外出禁止、無観客等、数々の困難を超え、開催できたアスリートの姿は世界中の人々に勇気と感動を与え、未来への灯(あかり)をともすことできたと思います。そしてイデオロギー、宗教、民族、国家、人種の違いを超えて、感動を共有できたことは世界中の人々が人間としての絆を再認識する契機となったと信じます。
 
 コロナ禍に覆われる世界で不安が人々の心を覆いつつあります。全体国家と民主主義国家の優位性が比較される異常事態となっております。人間としての絆は強制されて作られるべきではありません。感動と共感は自発的なものであります。人と人との絆は自由と民主主義の原則によって支えなければならないと信じます。

 一部の国が全体主義・覇権主義国家が力による現状変更を行おうとする策動を阻止しなければなりません。私は自由で開かれたインド太平洋の実現を継続的に訴え続けました。そして今や米国の戦略となり、欧州を含めた世界の戦略となりました。自由で開かれたインド太平洋戦略にとって台湾環境の平和と安定の維持は必須条件です。日本、米国、台湾、韓国など自由と民主主義を共有する国々の更なる結束が求められています。UPFの平和ビジョンにおいて家庭の価値を強調する点を高く評価いたします。世界人権宣言にあるように家庭は社会の自然かつ基礎的集団としての普遍的価値を持っています。偏った価値観を社会革命運動として展開する動きに警戒しましょう。

 いつの時代も理想に向かう情熱が歴史を動かしてきました。理想の前には常に壁があります。よって戦いがあるのです。情熱を持って戦う人が歴史を動かしてきました。自由都民主義を共有する国々の団結、台湾海峡の平和と安定の維持、そして平和半島の平和的統一の実現を成し遂げるためにはとてつもない情熱を持った人々によるリーダーシップが必要です。

 この希望前進大会が大きな力を与えてくれると確信いたします。ありがとうございました」

 統一教会教祖文鮮明の三番目の妻韓鶴子(ハン・ハクチヤ)は教祖文鮮明と共にUPF(天宙平和連合)の創設者として名を連ね、同時に文鮮明死後、現統一教会(世界平和統一家庭連合)の総裁を務めている。UPF議長に誰が就いていようと、韓鶴子(ハン・ハクチヤ)が事実上のナンバーワンということなのだろう。世界で300万人、日本で60万人と言われている統一教会の信者を相手にしてビデオで政治的なメッセージを発信すること自体が安倍晋三と統一教会の政治政策的な利害関係は生半可ではないことを物語ることになる。そしてこの利害関係には生半可ではない程度に応じた双方向からの利用価値が埋め込まれていることになる。韓鶴子(ハン・ハクチヤ)にしても利用価値なくして安倍晋三にビデオメッセージを求めはしないだろうし、安倍晋三にしても旧統一教会に対して何も利用価値なくしてビデオメッセージに応じたりはしないだろう。

 ここで岸信介とその孫安倍晋三に受け継がれることになった旧統一教会との間の政治政策的な利害関係の系譜の中間点をなす岸の娘婿であり、安倍晋三の父親である安倍晋太郎は結果的に旧統一教会に対してどのような位置に立たされ、安倍晋三にどのような意味を与えていたのだろうか見てみることにする。 

 「旧統一教会関連団体トップに問う 教会と政治、安倍元首相との関わり」(NHKクローズアップ現代/2022年8月29日 午後6:59)
     
 -国際勝共連合としては、岸信介さん、安倍晋太郎さん、安倍晋三さんと3代にわたって応援してきた関係性を指摘されています。その理由をご説明いただけますか。

梶栗(正義)氏(国際勝共連合会長)

結果としてそうなっていますが、「3代」だから応援をさせていただいたのではない、ということをご理解いただけたらと思います。岸信介先生は、古くから国際勝共運動のよき理解者であり、そのような立場から私たちは応援させていただきました。安倍晋太郎先生は岸先生の娘婿だから応援させていただいたのではなく、晋太郎先生の率いた清和研究会の前任者・福田赳夫先生を応援させていただいた延長線上に、晋太郎先生の政治姿勢を応援させていただいた。安倍晋三先生においても、晋太郎先生の息子さんだからというよりも、その政治的姿勢を評価して応援させていただいた。数ある反共意識の高い政治指導者を応援させていただいてきた中に、特に安倍家3代の皆様もおられたということだと思います。

-安倍元首相を具体的に応援するようになったのはいつ頃からなのか、その理由について教えていただけますか。

梶栗氏

自民党が政権復帰を果たした2012年頃から応援をさせていただいたと思います。理由は、安倍元首相の国家観、政治姿勢を高く評価したからです。

-そこに至った経緯について、詳しく伺えますか。

梶栗氏

私たちとしては、共産主義の脅威から国民の平和と安全を守らなくてはいけないという観点から、与野党を問わず反共意識の高い政治家を応援させていただいてきた歴史的経緯があります。安倍元首相については、反共意識が高い方が国のトップに立たれたということで引き続き応援させていただいた、ということになろうかと思います。政治家個人ということであれば、地元山口で、ひとりの衆議院議員として(以前から)応援させていただいてきたということは、間違いなくあると思います。

-関係はずっと続いていたと。

梶栗氏

先方がどのような認識をしておられたかわかりませんが、後援会活動の中で、私たちの会員の皆さんがそれなりの役割を果たしたのではないか、と思っています。

 「後援会活動の中で」とは主に選挙活動ということで、ときには後援会主催のイベント等に裏方として便宜を図ってきたということなのだろう。

 もう一つ、《「日本はとんでもない間違いをした」岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三…3代続く関係性から見える旧統一教会が目指した“国家宗教” 》(TBSテレビ報道特集/2022年9月24日(土) 22:20)から安倍晋三の父安倍晋太郎と旧統一教会の関係をみてみる。 

 文鮮明の言葉。

 「中曽根の背後を引き継ぐために、その直系になれるのは、安倍(晋太郎)さんしかいませんでした。選挙の時、安倍さんの派閥の議席数は13しかなかったんです。それを88名まで、全部教育して育ててあげました」――

 自身の力を誇示する一種のハッタリだろうが、選挙への関与を示して余りある。教祖の教え・指示に絶対的に心服する信者を無償労働力として提供するのだから、手当が少ないとか、そのほかの文句を一つ並べずに体の続く限りに働いてくれて、重宝な裏方の選挙戦力になったに違いない。しかしこのような便利な選挙補助は統一教会によって社会正義に反する集金システムで蓄財した資金力をバックに教団の言いなりに動く信者を通して与えられた利用価値であって、統一教会と自由民主党間のこのような政治政策的な利害関係の構図は社会正義に反する集金システムが絡んでいる一点のみを取ったとしても、社会的正当性を得る資格はない。石原慎太郎に対する旧統一教会側からの選挙補助に対しても同列な指摘ができる。

 文鮮明は中曽根後の後継に安倍晋太郎を望んだものの思いどおりには事は運ばなかった。中曽根は3選禁止のルールによって2期目任期は1986年9月迄と決まっていたところ、突如衆院を解散、1986年7月6日に衆参同日選挙を決行、与党自民党大勝の功績により中曽根の自民党総裁としての任期が特例で1年延長され、翌1987年10月30日までの任期となり、竹下登、安倍晋太郎、宮沢喜一の3人が後継に名乗りを上げたものの、1987年(昭和62年)10月20日に中曽根がいわゆる“中曽根裁定”によって党幹事長竹下登を次期総裁に指名、安倍晋太郎は後継レースに敗れることになった。文鮮明の後継レースそのものに対する影響力は取り立てて言う程のことはなかったことになる。密接な関係にあった岸信介が首相を退陣したのが30年近く前の1960年7月19日、90歳で没したのが中曽根裁定約2ヶ月半前の1987年8月7日。岸信介の実質的な政治的影響力は見る陰もなく消失、しかも直系ではなく、娘婿ときているから、数を集める決定的な後ろ盾としては遥か背景に退いていて、その前に中曽根が現首相としての存在感を持ち、立ちはだかっていたといったところだろうか。

 安倍晋太郎は1987年11月6日の竹下内閣成立時に自民党幹事長に就任したが、1年半後の1989年(平成元年)4月18日に膵臓がんで入院、同年7月25日退院、1991年(平成3年)1月19日に「風邪」を病名として再入院、1991年5月15日、入院先で死去、67歳。死因膵臓癌。出典は「安倍晋太郎」(Wikipedia)

 安倍晋太郎は2度と総理の椅子に就くチャンスに恵まれることなくこの世を去った。その子安倍晋三はもしかしたら、あくまでも推測だが、文鮮明が父親の安倍晋太郎を首相に推してくれたことに対する恩義が旧統一教会に肩入れをする思い入れとなっていたのかもしれない。勿論、反共思想を共通の素地としていたこと、その信者たちから選挙活動や後援会活動の際、使い勝手のよい無償の熱心な奉仕を望めること、同様の奉仕を他議員にも斡旋して、その議員に対する影響力を手中に納めることが可能といった利用価値を望めること、その代償として統一教会の会合やイベントにその趣旨に対して政治を通した自分たちの世間的知名度に基づいた支持や賛同をメッセージや挨拶という形で提供して統一教会側の得点とする利用価値を与えて、その相互的利益付与を交換条件とした政治政策的な利害関係を持てることの現実的実利が後押ししていた、安倍晋三と統一教会との接近の一番の理由といったところなのだろう。繰り返して言うことになるが、どのような利用価値も望むことはできないそのような利害関係は存在しないからである。

 但し安倍晋三側、あるいは自民党側が旧統一教会に対してどのような利用価値を持ち、どのような政治政策的な利害関係を築いていたとしても、既に触れたように旧統一教会が社会正義に反する不法な集金システムで組織を太らせ、蓄財したその資金力と信者を使った人的資源が与えてくれる利用価値であり、そのような政治政策的な利害関係が社会的正当性を欠いている点に変わりはない。そしてこのような両者関係にあるという点にこそ、岸田文雄の"本人死亡限界説"が示している安倍晋三と統一教会の関係調査・検証の一定程度範囲外の困難性を乗り越えてでも、進めなければならない理由がある。

 では、旧統一教会と自民党との政治政策的な利害関係は懸念されているように旧統一教会の自らの政治思想を自民党の政策に変えて、間接的に旧統一教会好みの政治社会に持っていくことができる程に支配的な力を有しているのかどうかを見てみることにする。先に挙げた「TBSテレビ報道特集」記事の中に次のような一文が記されている。

〈■統一教が日本の国家宗教になるまで「何十年も遅れる」

元信者
「総理大臣を文鮮明が決めていると言われてました。ちょうど中曽根総理大臣から、次の総理はだれになるかということで、安倍さんのお父さんが次の総理大臣になるというふうに言われたというところが、竹下さんになってしまったので、日本はとんでもない間違いをしたと。これで日本の復帰は何十年も遅れると」

日本の復帰。つまり、統一教が日本の国家宗教になるのが、晋太郎氏が総理に就けなかったことで何十年も遅れるといわれたのだという。〉――

 元信者の言葉に矛盾があることに元信者自身が気づいていない。中曽根裁定が歴史の事実として控えている以上、文鮮明に日本の首相を決める力など存在しないことの証明でしかない。信者たちに日本では政治的に凄い力を持っていると思わせる大言壮語に過ぎない。その大言壮語を事実らしく見せかけるために旧統一教会の様々なイベントや会合に自民党の有力議員を出席させ、挨拶させる、あるいはメッセージを送らせる利用価値を必要とし、利用価値の見返りに信者を選挙運動に無償派遣して、得票獲得に有利となる様々な便宜を与えて、議員側の利用価値とさせるという関係を築くことになっていたのだろう。

 文鮮明が「日本の復帰」イコール統一教の日本の国家宗教化を望んでいたということは日本の政治を文鮮明が思いのままに支配することを望んでいたことになるが、その望みと現実の間には安倍晋太郎に総理の椅子を与えることに失敗した一例からして、望みを潰えさせる程の距離があるように見える。実際はどうだったのだろうか、立憲民主党代表の泉健太が質疑を行った2022年9月8日衆議院議院運営委員会で最後に質疑に立った共産党議員の塩川鉄也が旧統一教会の自民党政権に対する政策的影響力について質した。

  塩川鉄也「もう一つ申し上げたいのが、政策への影響の問題であります。

 統一協会とその関連団体は、選択的夫婦別姓や同性婚について反対を主張し、国政や地方政治への働きかけを行ってきました。安倍氏は、統一協会の、家庭の価値を強調する点を高く評価しますとも述べておりました。安倍氏と統一協会の親密な関係が、選択的夫婦別姓や同性婚に否定的な自民党や政府の政策に影響を及ぼしたのではありませんか。
 
 岸田文雄「まず、政府においても、政策を決定する際には、多くの国民の皆さんの意見を聞き、有識者、専門家とも議論を行い、その結果として政策を判断しています。一部特定の団体によって全体がゆがめられるということはないと思っておりますし、また、自民党においても、国民の声を聞く、また、政府から、様々な関係省庁の説明を受ける、さらには専門家、有識者の意見を聞く、こうした丁寧な議論を積み重ねて政策を決定しております。

 一部の団体の意見に振り回されるということはないと信じております」

 塩川鉄也「安倍氏は、反社会的団体の統一協会の広告塔であり、統一協会の選挙応援の司令塔だった。さらに、選択的夫婦別姓反対や同性婚反対、憲法改正など、統一協会の政策面での影響が問われております。岸田総理は、安倍氏と統一協会との関係について調査も行わず、国葬を行うのか。これでは国民の理解は得られない。

 国葬は中止すべきだと申し上げて、質問を終わります」(以上)

 塩川鉄也が「安倍氏は、統一協会の、家庭の価値を強調する点を高く評価しますとも述べておりました」と指摘している点は先に挙げた安倍晋三のUPF(天宙平和連合)に寄せたビデオメッセージ内の発言を指すが、統一教会が掲げる家庭の価値を守るための選択的夫婦別姓制度反対のキャンペーンは関連団体「国際勝共連合」のサイトに記載がある。

 《『選択的夫婦別姓 制度』やっぱり危ない!5つの理由》  

1.日本の婚姻・家族制度を弱体化し破壊する
2.夫婦別姓は親子別姓。子供たちの福祉が脅かされる
3.日本で提唱されている夫婦別姓は「ファミリーネームの廃止」に向かう
4.推進派の思想の根底は、家族制度を敵視する「共産主義」
5.夫婦別姓容認派多数は悪質な印象操作!『通称名拡大での対応』は夫婦別姓反対派と分類すべき――

 この反対キャンペーンは安倍晋三と精神的に性愛関係にある高市早苗の反対論とほぼ重なる。

 塩川鉄也は選択的夫婦別姓や同性婚反対の旧統一教会の政治思想が自民党議員の一定数に影響を与え、反対気運の形成に成功していないかといった趣旨の疑いをぶつけた。対して岸田文雄は「一部特定の団体によって全体がゆがめられるということはないと思っております」、「一部の団体の意見に振り回されるということはないと信じております」と答えている。「思っております」、「信じております」は単なる推測で、事実をイコールする証明とすることはできない。事実とするには検証し、その結果の提示が必要となる。検証もせず、その結果を提示もせずに「思っております」、「信じております」の推測に基づいて、統一教会の政治思想の影響を受けて自民党の政策が歪められることも、振り回されることもない、「これが“事実”です」と矛盾したことを言っているに過ぎない。塩川鉄也はこの点を突くべきだったが、時間の関係か、突くことはしなかった。

 塩川鉄也の「安倍氏と統一協会の親密な関係が選択的夫婦別姓や同性婚に否定的な自民党や政府の政策に影響を及ぼしたのではありませんか」の指摘を事実とすることができるかどうか見てみる。安倍晋三も選択的夫婦別姓制度や同性婚制度の反対派で、何しろ生存中は自民党最大派閥のボスという立場からも、首相在任中は派閥を離れてはいたものの、首相という立場からも出身派閥に対する影響力は離れているいないに関係しないことと、選挙での公認推薦に大きな力を握っていたということは派閥に関係せずに多くの自民党議員の首根っこを押さえていることのできる状況を手にしていたことになり、安倍晋三自身の政治思想が影響を与えていた結果の選択的夫婦別姓制度や同性婚制度反対の自民党の大勢ということもありうる。

 このいい例として2021年3月25日に自民党内に設立、総会を開いた「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」の設立の呼びかけ人の一人だった岸田文雄が首相になった途端に法制化に慎重な姿勢に転じたのは最終的には安倍晋三の支持で首相になれたからで、その選択的夫婦別姓制度反対の姿勢に逆らうことができなかったことを挙げることできる。

 つまり旧統一教会も安倍晋三も共に反共・保守主義という立場を取っていて政策を似通せているものの、実際は安倍晋三発の形で自民党内での反対派が形成されることになったことが旧統一教会の働きかけによるものと見えるケースが生じていることも考えられるし、ほぼ政権党の地位にある反共・保守の自民党を布教活動に利用するために自らも反共・保守であることから旧統一教会の方から自民党の政策に抱きつき、結果として同じような政治思想を掲げることになったということも考えられる。いずれが実態かは旧統一教会と自民党が陰で政策協定でも結んでいない限り、検証は難しいと思われる。

 旧統一教会発の政策が自民党の政策に反映されたかのように見える一例を挙げてみる。以下、(Wikipedia)の「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(略してスパイ防止法)を参考にする。

 1980年1月、陸上幹部自衛官がソ連側情報機関に防衛庁の秘密文書を漏洩する事件が発生したが、自衛隊法第59条の守秘義務違反でしか罰することができず、与党であった自民党はこの事件を直接のきっかけとしてスパイ防止法制定の準備に入った。5年後の1985年6月6日の第102回国会に「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(スパイ防止法)が議員立法として衆議院に提出されたが、審議未了廃案となった。

 「国際勝共連合」のサイトにはこの年を約6年遡る出来事として、〈1979年 スパイ防止法制定3000万人署名国民運動〉、〈1980年 スパイ防止法制定促進都道府県民会議が全国に設立〉と紹介している。1979年は陸上幹部自衛官が秘密文書漏洩事件を起こす1年前で、あたかも旧統一教会が実現を促したスパイ防止法のように見えるが、2018年12月19日付の「NHK政治マガジン」《「秘密保護法」制定めぐり 岸元首相に米が厳しい要求》によると、1957年6月(20日)に初訪米した当時の日本の首相岸信介にアメリカ側が日本の防衛力増強を求めたうえで、新兵器に関する情報交換について「日本には秘密保護法ができていないので、これ以上の情報の供与はできない。日本で兵器の研究を進めるにはぜひとも新立法が必要だ」と迫ったのに対して岸信介は「科学的研究はぜひやらねばならないし、アメリカの援助も得たい。秘密保護法についてはいずれ立法措置を講じたい」と応じたと、2018年12月19日公開の外交文書で明らかになった事実として伝えている。

 つまり1957年後半当時の岸信介の頭にはスパイ防止法といった類いの法律制定の必要性が既に存在していた。日本で「国際勝共連合」が設立された1968年4月1日よりも約11年前である。岸信介と文鮮明との関係は既に触れたように旧統一協会が1964年7月に宗教法人として認証、同年11月に本部を東京都渋谷区にある岸信介宅隣に移転後だとされているが、岸信介が訪米話のついでにスパイ防止法といった類いの法律制定の必要性を話していたとしたら、陸上幹部自衛官防衛庁秘密文書漏洩事件を起こす1年前の1979年にスパイ防止法制定3000万人署名国民運動を全国的に展開したとしても不思議はないし、旧統一教会が求めて自民党が応じた政策だとは断言できないことになる。

 自民党の一定の政治、あるいは政治姿勢が旧統一教会側が求めたそれらであるかどうか、政策協定が締結されていない限り検証は困難であるとするなら、両者が歴史的に政治政策的に深い利害関係にあり、相互に利用価値を置いている無視できない関係にあることはマスコミ報道や自民党議員及び元信者の証言等によって明らかにされている事実から、その利害関係や利用価値の関係実態を検証することの方が利害関係を持ち、利用価値を受け入れ、自分たちのために活用してきた国会議員たちのその政治的・社会的正当性は問い詰めやすく、その面からの追及を優先させるべきではないだろうか。
  
 信者に「悪い霊を集める壺」等、霊験あらたかな神聖な品物であるかのように見せかけるか、あるいは信仰上の虚栄心を満足させる意図のもと安物を高額で売りつける霊感商法や植え付けた信仰心を利用して様々な言葉で恐れを抱かせ、それを解消する目的で、あるいは威嚇的な言葉まで用いて差し出させる多額な寄付金等を原資としたカネの力を用いて、信者を無報酬の人的資源として選挙の票数に直結させたり、選挙応援の形の利用価値を旧統一教会側から自民党側に提供、その見返りに自民党側からは議員の先生方の名前やメッセージを頂くことで知遇を得ていると思わせて既に獲得した信者の教団に対する信用を高め、忠誠心を鼓舞する材料とするか、あるいは新たな信者獲得の際の権威付けの材料とする利用価値は社会的正当性を欠いているだけではなく、双方の利用価値は本来的に無限に循環する構造を備えていて、少なくとも安倍晋三の銃撃死以後、この構造が問題視されるまで今まで挙げてきた双方それぞれの利用価値に基づいて、自民党側は政党として社会的正当性を欠く、それゆえに国民の信託を裏切る行為を、旧統一教会側は真の宗教団体としての社会的正当性を欠く、単に信者からカネを集めて政治的な権力を手に入れる行為を延々と循環させてきた。この点にこそ、責められなければならない問題点がある。

 この問題点を白日のもとに曝すには安倍晋三と統一教会との関係実態の調査・検証が是非必要になってくる。さらに言うと、自民党は国民の信託を裏切る国会議員を党内に多数を占めていたことはこの点に於いて政治集団としての資格を失う。霊感商法を展開、高額献金で多くの信者やその家族を経済的困窮に陥れた旧統一教会はこの点に於いて宗教団体としての資格を失う。このような利用価値に基づいた社会的正当性を欠いた政治政策的な利害関係を自民党内に機能させてきた中心的政治家は岸信介に始まって、安倍晋太郎、安倍晋三の系譜を主として辿ることができる。中心的政治家となりうる地位上の実力を備えていて、実力相応の目立つ形で政治政策的な利害関係を旧統一教会側と築いてきたからである。そして銃撃死するまで、安倍晋三が自民党側の代表格として居座り、社会的正当性を欠いた統一教会と自民党との間の政治政策的な利害関係を仲介する役割を担ってきた。

 以上、1960年代半の岸信介の時代からその孫である安倍晋三に至るまでの統一教会と自民党との密接な利害関係のほんの一部をネットで調べながら描き出してみた。参考になるかどうかは分からないが、これらの利害関係を頭に置いて貰って、安倍晋三と旧統一教会との関係の検証の必要性を排除する岸田文雄の発言の正当性を改めて眺めてみることにする。

 2022年10月6日衆議院本会議(代表質問)

 志位和夫(日本共産党委員長)「第四は、総理が、安倍元首相の調査について、限界があると背を向けていることです。

 安倍氏は統一協会の最大の広告塔だった政治家です。参院比例選挙で統一協会の会員票を差配する役割を担っていたとの証言もあります。故人になったとしても、関係者や関係書類の調査など、意思さえあれば調査できるはずです。安倍元首相と統一協会の癒着の全貌について、責任を持って調査すべきではありませんか。

 第五に、自民党と統一協会とは、1968年、笹川良一ら日本の右翼と岸信介元首相らが発起人となって、統一協会と一体の勝共連合を日本で発足させて以来の歴史的癒着関係があります。

 半世紀以上にわたって、自民党は統一協会を反共と改憲の先兵として利用し、統一協会は自民党の庇護の下に反社会的活動を拡大してきました。この歴史的癒着関係の全体を過去に遡って徹底的に調査し、国民に報告すべきではありませんか」

 岸田文雄「安倍元総理及び自民党と旧統一教会の関係についての調査についてお尋ねがありました。

 安倍元総理が旧統一教会とどのような関係を持っていたかの調査については、当時の様々な情勢における御本人の心の問題である以上、御本人が亡くなられた今、十分に把握することは限界があると考えております。関係者や関係書類を調査したとしても断片的にならざるを得ない上、本人が何も釈明、弁明できないなど、十分な調査はできないと考えております」――

 代表質問は一括質問一括答弁方式で、質問しっぱなし、答弁しっ放しで終わるから、答弁に対して別角度から質問し直すことはできないものの、岸田文雄が既に本人死亡を理由に調査・検証には限界があるとする"本人死亡限界説"を持ち出している以上、自民党と統一協会との関係の調査をストレートに求める同じ質問を繰り返すのではなく、"本人死亡限界説"を打ち破ることのできる論理を学習して、質問の方向を変えるべきだったが、泉健太の2022年9月8日の衆議院議院運営委員会からこの2022年10月6日の衆議院本会議まで約1ヶ月間と十分な時間がありながら、続けて同じことの繰り返しの質問と答弁で終わらせる収穫ゼロを見せたに過ぎなかった。

 調査拒否の理由は泉健太のときとほぼ似通っているが、具体的には「御本人の心の問題」だから、本人死亡で「十分に把握することは限界がある」に新たに加えて、「関係者や関係書類を調査したとしても断片的にならざるを得ない上、本人が何も釈明、弁明できないなど、十分な調査はできない」としている。だが、人間の如何なる行為も心の問題から発する。いい歳をした男性教師が女子生徒にスマホ等を使って卑猥な写真を送りつけるのも、本人の心がそうさせるのであり、政治家が国民の利益に適うとして政策を進めるのも、実際にはそれが選挙の票稼ぎであろうと、支持率回復の手立てだとしても、国民の生活上の利益向上を頭に置いていたとしても、全ては心がそうと命じる「心の問題」となる。当然、御本人が死亡していたとしても、心から発して何かしらの行為の形を取り、事実として現れた事象のみを取り上げて、それらの事象から行為の意図、目的、結果等を様々に推測はできる。そして数多くある推測のうちから、妥当性ある推測を個人それぞれが受け止めていけば、最も多くの妥当性を得た推測が事の実態と看做すにふさわしい資格を得るはずである。

 このように炙り出していく調査・検証を否定するとしたら、当事者も行為も既に過去の世界に沈んでしまっている歴史の検証はできないし、歴史を語ることもできない。  

 また、「本人が何も釈明、弁明できない」と言っているが、生前の「釈明、弁明」がウソ偽りのない事実そのものを口にするとは限らない。安倍晋三は国会で虚偽答弁の前科がある。「桜を見る会」に関わる国会答弁では報道で明らかになった検察の捜査に関する情報と食い違う答弁が少なくとも118回あったことが衆議院調査局の調査で明らかになっている。また自身に都合の悪い質問には直接答えずに無関係なことをそれとらしく答えて誤魔化すといった論点のすり替えといったこともする。死亡によって本人を取調べることができない以上、生存する関係者全員から旧統一教会に関する安倍晋三との関係事実を聴き出し、聴き出した事実から、少しの矛盾もゴマカシも見逃さない細心さで事実と誤魔化しを篩い分けていって、事実を一つ一つのピースにして関係の全体構造を組み立て、その全体構造から安倍晋三が統一教会と自民党の各議員の間で果たしてきた役割――相互的な利害関係が求め合うこととなっていた役割を拾い出していけば、自ずとその関係実態を描き出すことはできるだろう。正直さを当てにできない釈明、弁明を持ち出して、それができないことを理由に調査・検証を排除する岸田文雄はペテン師そのものである。

 志位和夫代表質問翌日に同じ共産党の小池晃が2022年10月7日参議院本会議で行った代表質問を見てみる。

 小池晃(共産党)「安倍晋三氏は、統一協会とは真逆の考え方に立つ政治家どころか、関連団体の会合に韓鶴子総裁を始め皆様に敬意を表しますというビデオメッセージまで送ったのに、なぜ調査対象にしないのですか。岸元首相以来、六十年以上にわたり自民党と統一協会、国際勝共連合が深い関係にあったことは周知の事実です。しかも、八年八か月、総理・総裁を務めた安倍氏と統一協会の関係について何の調査もせずに、自民党と統一協会に組織的関係はなかったとなぜ断じることができるのですか。

 参院議長を務めた伊達忠一氏は、安倍氏がどの候補者を統一協会に支援させるか差配していたことを実にリアルに証言しています。なぜ調査しないのですか。

 総理は、統一協会への解散命令について、信教の自由を理由に慎重な姿勢です。しかし、宗教法人格がなくなると税制上の優遇などは受けられなくなりますが、宗教団体としては活動ができます。総理は、今後も統一協会に宗教法人としての特権を付与して優遇することに国民の理解が得られるとお考えですか。

 政府は、宗教法人法に基づく解散命令を請求すべきです。それもせずに統一協会と関係を絶つなどと言っても、その場しのぎにすぎないのではありませんか」

 岸田文雄「安倍元総理及び自民党と旧統一教会との関係についての調査についてお尋ねがありました。

 安倍元総理が旧統一教会とどのような関係を持っていたかの調査については、当時の様々な情勢における御本人の心の問題である上に、本人がお亡くなりになった今、本人は何も釈明、弁明ができないなど、十分な調査はできないのではないかと考えております。

 自民党においては、所属国会議員と旧統一教会との関係について点検を行い、その結果を発表いたしました。旧統一教会との関係については、各議員が政治家の責任において丁寧に説明を尽くす必要があると考えており、今後も、各議員が最大限説明責任を果たすとともに、当該団体と関係を持たないことを徹底してまいります」――

 志位和夫と小池晃は質問内容に違いの工夫はあるが、突きつめると、両者だけではなく、ここで取り上げた質問者全員が安倍晋三と統一教会との関係の調査・検証の必要性を訴える、その域を出ない質問を行い、対する岸田文雄は朝日新聞記者の質問に対する答弁以降、新たな付け加えはあるが、ほぼ同じ答弁の繰り返しで調査・検証の必要性を拒否する口実に仕立てている。この繰り返しの過程で口実から何かを学習し、質問に何らかの工夫があって然るべきだが、何も学習せず、何の工夫もなく、岸田文雄に調査・検証の必要性拒否の同じ口実を何度でも使わせている。 

 本人死亡も、本人死亡釈明・弁明不能も調査・検証しない理由とはならない。既に周知の事実として現れている安倍晋三を仲介者とした統一教会側からの選挙補助を受けた複数の自民党議員に対する聴取を行い、事実関係を洗い出していき、洗い出すことができた諸事実を突き合わせて、どういったシステムとなっていたのか、選挙補助を受ける選択基準、優先順位、成果等の全体構造を真相解明していく。その全体構造が旧統一教会側から社会正義に反する集金システムで蓄財した資金力に基づいて教団の言いなりに動く信者を通して与えられた社会的公平性を欠いた選挙補助としての利用価値であることが明らかになっている以上、これらの利用価値の上に安倍晋三と統一教会との政治政策的な利害関係が成り立っていたことの詳細な実態は社会的公平性を欠いていた点で立証の努力を果たさなければならない。"本人死亡限界説"等の口実で拱手傍観は許されない。

 立証できたなら、当然、何らかの断罪の対象としなければならない。でなければ、岸田文雄は旧統一教会との関係を見直す必要性は生じない。その受益の社会的不法性を問わなければならないし、そのような利用価値を安倍晋三が統一教会と自民党議員の間に立ち、自民党議員に振る舞い、そのことを以って自らの政治的影響力の源泉とする主導的立場にいたことが判明したなら、その責任はどの自民党議員よりも重いことになる。

 但し真相解明に於いて選挙補助を便宜とした自民党議員自体の釈明・弁明が不正直な色彩に彩られている場合もあるし、検証・調査側が安倍晋三や自民党に味方するバイアスがかかっていたとしたら、真相解明は安倍晋三や自民党を無実とする方向に進む可能性が生じる。このことを防ぐためには当然のこととして検証・調査チームは第三者の立場にある人物で構成すること、聴取前にウソをついたり、口裏を合わせようとしたりする場合は表情に生理学的反応が現れ、その反応の性質で本当のことを話しているのか、ウソはいつかは露見するということを前以って伝えておくべきだろう。「露見したとき、慌てても遅いですよ」と牽制しておく。
 
 安倍晋三との関係で調査・検証対象としなければならない重要議員は2016年7月10日参議院選挙で比例区で当選した宮島喜文(よしふみ:当時64歳)と2022年7月10日の参院選比例区で当選した井上義行(59歳)としなければならないだろう。2人をネット記事頼りで順番に見てみる。

 「宮島喜文」(Wikipedia)

 統一教会との関係

 参院選における支援

2016年の参院選に、宮島は、同じ臨床検査技師出身で細田派に所属する伊達忠一からの打診を受け、立候補を決めた。「票が足りない」と踏んだ伊達は安倍晋三首相に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の組織票を回すよう依頼し、安倍はこれを了承。公示の直前、伊達は、「世界平和連合」の支援を取り付けたことを宮島に告げた。宮島は「世界平和連合」が統一教会と関係があると知らされて戸惑うが、陣営幹部から「上がつけてくれた団体ですから、もうあとには引けません」「外でおおっぴらに言っちゃいけません」と忠告された。この結果、宮島に統一教会の票が回り、宮島は自民党が比例で獲得した19議席中、17位で初当選を果たした。元事務所職員も宮島が「世界平和連合」から推薦を受けていたと証言し、宮島自身もその事実を認めた。

2022年の参院選に際して、宮島は安倍に2回会いに行き、前回選と同様に「世界平和連合」の支援を依頼した。しかし安倍は「6年前のような選挙協力は難しいかもしれない」と返答した。代わって伊達が接触すると、安倍はかつて自身の首相秘書官を務めた元職の井上義行に票を割り振ると述べ、明確に断った。再選の望みが薄いことを悟った宮島は同年4月に公認を辞退し、不出馬を選んだ。

 宮島喜文は当選後安倍派に所属したが、70歳を超える年齢と政治的力量の点で20歳も若い上に第1次安倍内閣で首相秘書官を務めていた近親性も含めて井上義行よりも利用価値が低いと見られたのだろう。安倍晋三の思惑一つ、差配一つで前回の参院選で宮島喜文に回された旧統一教会の票は剥がされ、2022年7月参院選では井上義行に回されることになった。井上義行は旧統一教会の力を実感したと同時に安倍晋三の自らの思惑、あるいは差配一つで統一教会を動かすことができる教団に対する強力な影響力を実感したに違いない。実感の現れの一つが統一教会の賛同会員になったという事実であり(信徒になったという噂もあるという)、その事実は統一教会とその関連団体の票を永続的なものにしたい思惑が生じせしめたものに違いない。当選と同時に、2選、3選と重ねていく自身を頭に思い描いたかもしれない。

 宮島喜文に対しては安倍晋三がどのような言葉で教団の票を回すと言ったのか、次は回すことはできないと断ったのか、井上義行に対してはどのような言葉で教団の票を回すと言ったのか、それぞれの言葉から両者共に旧統一教会とその関連団体に対しての安倍晋三の票を回す影響力をどの程度に感じ取ったのか、あるいは安倍晋三自身が自らの口から票を回すについての旧統一教会とその関連団体に対する自身の影響力の程度について話し、当選をどの程度に請け合ったのか、請け合わなかったのか。このような会話に基づいて安倍晋三という日本の首相が旧統一教会に対してどのような位置を占めていたのか、感じ取った感触等が解明できれば、旧統一教会側が日本の首相としての安倍晋三という名前そのものや存在自体を教団の権威付けのための利用価値に位置づけ、その利用価値によって新たな信者獲得の武器とし、既に獲得した信者の教団に対する信用と信頼を高めるさらなる道具としてきた、安倍晋三と旧統一教会との利害関係の程度と質が判断可能となり、利用価値を与え合う全体構図の一端は窺い知ることができる。

 勿論、統一教会が信者に対しての霊感商法を用いた高額商品の売りつけや法外な額の寄付金集めで手にしたカネを教団の規模拡大及び勢力拡張の原資とすることが当初からの戦略だったとしても、岸信介から始まって安倍晋三に至る大物政治家が身につけている優れた知名度と信用力を教団側の原資獲得の利用価値としてきたことはこの手の組織の常識的な常套手段で、自民党の保守的な政治思想及び政治主張と重なるそれらを統一教会側が特に関連団体を通して掲げ、団体の顔の一つとしてきたのだから、統一教会と自民党の利害関係は政治政策的な側面をも含み、双方向性を確立させていたことは勿論のことで、そのような利害関係はその性質から言って、社会的正当性を欠いていることは言うまでもないことで、調査・検証しないのは政治の、さらに政府の不都合を隠蔽する行為にほかならない。

 百歩譲って調査・検証したが、社会的正当性に反する事実が出てこなかったということになったとしても、あくまでも調査・検証の結果であって、社会的正当性が様々に疑われるにも関わらず、あれこれの口実を設けて調査・検証を排除し、疑われる社会的正当性をそのままに放置しておくことは一政党の社会的正当性を維持する役目を総裁の立場から責任者として負う、このことは首相の立場にも影響することであるが、岸田文雄側の政治の不作為に当たり、当然、責任問題を問わなければならない。

 以上、2023年1月30日からの衆院予算委員会からの質疑とは別に安倍晋三と旧統一教会との関係についての岸田文雄の調査・検証の必要性なしの発言を取り上げ、その正当性を検討してみた。検討の内容が的を得ているかどうかは判断して貰うしかない。野党は衆院予算委開始後、引き続いて調査・検証を直接的に求めると思っていたが、2023年1月30日と31日のNHKで放送した予算委員会実況中継では誰も求めなかった。例えば2023年1月30日の衆議院予算委では立憲の山井和則が統一教会側は現在も信者に対して高額献金を求める姿勢を崩していないなどとその違法性を頻りに訴え、岸田文雄から「組織の実態把握、被害者の救済、そして再発防止、この3点について改めて法の原理に従って取り組みを進めていく」といった答弁を手に入れてはいるが、統一教会の現在まで続く違法性に限った問題点の指摘であって、政治側が宗教団体の社会的な違法性を持たせた組織増殖に手を貸し、宗教団体側が選挙補助で政治側の党勢拡大に手を貸す、それぞれの利用価値を満たし合う政治と宗教団体の相互利害関係の維持・構築に安倍晋三が主導的役割を果たしていたのではないのか、その調査・検証を直接求める追及ではなかった。

 上出「NHKクローズアップ現代」にUPF(天宙平和連合)ジャパントップの梶栗正義が安倍晋三について「自民党が政権復帰を果たした2012年頃から応援をさせていただいたと思います。理由は、安倍元首相の国家観、政治姿勢を高く評価したからです」と述べ、「私たちが安倍政権をさまざまな形で応援させていただいてきた」とも述べている。要は統一教会側が安倍政権に対してそれ相当の利用価値を与えていた。一方通行の利用価値というものはあり得ないから、安倍政権側からも統一教会側に対して最低限、釣り合うだけの利用価値を提供してきた。結果、統一教会側と安倍政権は安倍晋三を窓口として長いこと相互的な利害関係を築くことができていたということでなければならない。
 
 統一教会側が社会正義に反する不当な集金システムで蓄えたカネの力、金力とその金力が深く関わって大きくすることができた組織力や権力をバックに政治家側に利益となる利用価値を提供、政治家側がその利用価値に応えて統一教会側との結びつきを見せることで世間的信用を担保する利用価値を提供、信者獲得や団体としての活動に便宜を与える利害関係を相互に築き合っていたこと、安倍晋三が政治家側の窓口となっていたことは事実そのとおりであって、事実そのとおりのことを事実認定するためには政府による、あるいは国会の国政調査権を用いて調査・検証する必要があり、前者の調査・検証は国会で岸田文雄に求め、"本人死亡限界説"などで逃げられることなく、認めさせなければならない。国政調査権は自民党が反対するのは目に見えているから、その反対を乗り越えなければならない。事実認定に向かわなければ、安倍晋三が窓口となって一宗教団体の不法活動に便宜を与えた事実は闇に葬り去られることになる。

 だが、野党は安倍晋三と統一教会との関係を追及することは予算委員会開催前までで、岸田文雄の"本人死亡限界説"に立ち往生してしまって、開催以後は2023年2月1日現在までのところ、音沙汰なしとなってしまっている。

 2023年2月1日衆院予算委員会では立憲の代表代行の西村智奈美が「旧統一教会と自民党との関わりは引き続き明らかにしていく必要がある」と大上段に構えはしたものの、4月に統一地方選を控えているからだろう、教団と自民党の地方組織や自治体議員の関係を調査するよう求めただけで、安倍晋三と統一教会との関係追及にまで踏み込むことはなかった。岸田文雄の"本人死亡限界説"に如何にお手上げ状態となっているかを窺うことができる。

 安倍晋三は森友学園国有地格安売却への便宜供与、加計学園獣医学部新設認可に於ける政治の私物化、総理大臣主催桜を見る会招待を巡る党ぐるみの選挙利用、その他その他の疑惑を引き起こしてきたが、「政教分離の原則」に抵触する統一教会という特定宗教と政治の相互的な加担という新たな疑惑が加わることになったが、野党は追及するものの何一つ証拠立てることができずに疑惑を疑惑のままに放置させることになるお決まりのコースに突入、時間経過による風化が待ち構えるいつもの状況に立たされている。

 追及相手の逃げ口上の論理を打ち破るだけの学習能力を持たない結果である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立憲長妻昭と小西洋之の対旧統一教会宗教法人法第81条解散命令要件に関わる時間のムダ、カエルの面に小便程度の国会追及

2022-11-12 08:02:53 | 政治
 2022年10月18日の衆院予算委員会で立憲民主党長妻昭が旧統一教会の解散命令要件について、続いて翌2022年10月19日の参院予算委員会で同じ立憲民主党の小西洋之が同じ問題を引き継いでの形で首相の岸田文雄を追及した。追及らしい装いを凝らしているが、追及とはなっていなかった。時間のムダな使い方、冗長なだけの言葉の使い方、ボクシングで言うと、顔面を撫でさすっただけの何の痛手も与えないパンチを繰り出した、カエルの面に小便程度の国会追及に過ぎなかった。

 「追及」という言葉の意味は「どこまでも追いつめて、責任・欠点などを問いただすこと」と「goo辞書」には出ている。但し責任・欠点などを問い質した、あるいは問い正しただけで終わったのでは真の追及とはならない。問い質した、あるいは問い正した上に相手に自らの責任・欠点――つまりは自らの非を認めさせるところにまで持っていかなければ、真の追及とは言えない。

 野党の政府の間違いや不行届、責任不履行、不作為等々に対する追及がこのような役目を果たさず、殆どの追及が尻切れトンボの不成功に終わっているから、追及という批判行為だけが印象に残り、「野党は批判ばかり」、あるいは「立憲は批判ばかり」という悪評価を受けることになる。このような成り行きとなっていることにさえ気づいていない。結果、「批判ばかりではない、政府法案に対する対案も独自法案も提出している」と見当違いな弁解を繰り広げる。いつだったか、かなり前にこういった批判をブログに書いた。

 宗教法人旧統一教会の様々な不法行為をマスコミが取り上げ、国会質疑でも取り上げられることになっているが、所有すればさも霊的な感化を受けることができる貴重品であるかのように偽って安物を法外な値段で売りつける霊感商法と信者の信仰心の強さを試す言葉等で不安心理を煽るなどして高額献金に持っていく献金商法で信者の中からハンパではない数の被害者と被害金額を出し、各地で損害賠償請求訴訟を起こされ、被告敗訴の確定例が続出、自殺者も出し、こういったことが今以って尾を引いているからこその、いわゆる"騙される信者"救済の絶対的方法=被害信者を出さないための旧統一教会の解散請求の声をマスコミその他が上げ、国会追及でもあるが、宗教法人の解散請求は唯一宗教法人法の取扱いとなっているから、同法の関連条文を前以ってここに挙げておくことにする。

 〈第81条 裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。

 1 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
 2 第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は1年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。〉――

 第81条は5項まであるが、強制解散に関わる主たる必要事項はこの1項と2項であるから、他は省くことにする。

 1項に言う「法令に違反して」の「法令」とは断るまでもなく、国会の決議を経て制定される法規範である「法律」と、国会の決議を経ないで行政官庁が制定する法規範である「命令」を言い、合わせて「法令」としている。「法令」のうちの「法」の代表的な6法、憲法・刑法・刑事訴訟法・民法・民事訴訟法・商法を「基本六法」とし、この基本六法を纏め、関連法規を載せた書物を「六法全書」と呼び慣わしていることは知られている事実であろう。

 当然、宗教法人法第81条の解散命令、〈著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為〉を規制対象とする“法”は主なところでは憲法・刑法・民法といったところになる。

 因みに宗教法人法第81条2項の解散命令の条件としている、〈第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は1年以上にわたってその目的のための行為をしないこと。〉の「第2条」とは、〈この法律において「宗教団体」とは、宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体をいう〉を指し、2項は宗教団体それぞれが目的とする宗教活動のすべきこととすべきでないことの明文化ということになる。

 以上のことを押さえて、長妻昭と小西洋之の以下の追及を眺めて欲しい。時間のムダと思わせる、別の言葉で表現すると、大山鳴動してネズミ一匹程度の国会追及でしかなかったが、この評価付けの妥当性を判断して欲しい。先ずは長妻昭の追及から。 

 2022年10月18日衆議院予算委員会

 長妻昭「ちょっと気になる点を質問するということですが、ずうっとですね、立憲民主党を含めて野党ヒアリングというのをずっとやってるんですよ。この間、ずっと何十回と。そのときに文化庁の課長さんを呼ぶとですね、ずうっと一貫して解散請求はですね、要件の一つとして法令違反なんですね。その法令違反は刑事に限ると。刑事の確定判決が統一教会本体に出ていないからできないんです。こういう解釈をしているんです。

 この解釈を変えない限り、いくら調査しようが、何しようがですね、解散請求ができないんです。解釈変えたんですか。総理」

 岸田文雄「宗教法人の解散事由については平成7年(1995年)に東京高等裁判所が示し、平成8年(1996年)に最高裁判所で確定した判決に於いて考え方が示されています。その中に法人の代表役員が法人の名の下で取得した財産や人的・物的組織等を利用して行った行為であること、また社会通念に照らして当該法人の行為であると言えること。そしてもう一つ、刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものであること。こういった要件を満たし、それが著しく公共の秩序を害すると明らかに認められる行為、又は宗教団体の目的を著しく逸脱したと認められるという行為があることが客観的事実として明白であることが必要。こうした考え方が示されております。

 まあ、刑法等の実定法規、このように記されております。これをどう解釈するのか、ということであります。いずれにせよ、今の旧統一教会の問題につきましては民法に於いて組織的な不法行為と認定された事件が2件あるという状況であります。こうした状況の中で具体的な実例をしっかりと積み上げて行くことが重要であるということから、こうした報告徴収、質問権の行使、これを行うことが必要であると判断し、この手続に入ることを決した次第であります」

 長妻昭「そうすると政府は解釈を変えたんですかね。その『刑法等』にはですね、民法の使用者責任は入らないと、これ明言されるんですよ、文化庁の課長さんは。国対ヒアリングの場で何度も何度もですね。そうすると、『刑法等』の中に、総理、ちょっと聞いてください、『刑法等』の『等』の中には民法の使用者責任、今仰ったようにですね、認められましたよね、本体の、これ含まれるという、これも含まれるという解釈でよろしいんですね」

 文科相永岡桂子「宗教法人法の第81条に定められました宗教法人の解散事由につきましてただ今総理がおっしゃいましたように平成7年のオウム真理教の解散命令事件の際に東京高等裁判所が示し、最高裁判所で確定した決定に於いてその考えが示されております、所轄庁と致しましては解散命令の請求を行うに当たりましても当該決定を踏まえる必要があると考えます。今後、旧統一教会について明らかになった事実を踏まえて、当該決定に示されました要件に該当すると判断した場合には宗教法人法に基づき厳正に対処していきたいと考えております。

 具体的には法人の代表役員が法人の名の下で取得した財産や人的・物的組織等を利用して行った行為であること、そして社会通念に照らして当該法人の行為であると言えること。そして刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものであること。といった要件を満たし、それが著しく公共の秩序を害すると明らかに認められる行為、または宗教団体の目的を著しく逸脱したと認められる行為があることが客観的事実として明白であることが必要との考え方が示されていることと承知をしております」

 岸田文雄「先程申し上げた平成8年(1996年)の最高裁判所で最高裁で確定した判決で示された考え方、これは政府としても考え方、変わってはおりません。先程申し上げましたようにその考え方の中に『刑法等』となっているわけですが、そして今回、こうした報告徴収、質問権を行使する手続きに入る理由として、先程申し上げました2件の民法に於ける組織的な不法行為、認定した判決があることと加えて、今回、合同相談窓口に於いても1700件の相談が寄せられた、その中には警察と繋がりがある案件のような案件の中に今言った、刑法を始めとする様々な規範に、その抵触する可能性があるんだと認識しております。それを含めて手続きに入ったところであります。

 従来のこの最高裁で示された考え方、政府は引き続き、それを踏襲しております」

 長妻昭「これね、何で、これ、私、重要なことなんです。なぜかと言うとですね、旧統一教会の本体については刑事的責任が確定判決で問われていないです。周辺の関連の会社、法人はですね、刑事的責任が確定判決で問われたケースがあるんですね。ところが本体には刑事責任が問われていないんです。総理ね、疑いって言っても、もしじゃあ、国がですね、刑事的訴追をしてですね、そして確定判決が出るまでに相当時間がかかるわけですよね。ですから、私は言っているのは文化庁の課長さんが一貫して言っている政府の解釈を変えない限り、永久に解散請求できないんです。

 だから、そこが核心なのです。だから、総理ね、先程ね、判例は踏襲すると仰いました。その判例には『刑法等』と書いてある。『等』。『等』の中には民法の組織的不法行為が入りませんと、こういうふうに政府は明言しているんです。何度でも国対ヒアリングで。では、『等』に民法の組織的不法行為は入るという解釈を変えてやるんですね、ということを聞いているんです」

 岸田文雄「先程申し上げたように政府としては考え方は変えておりません。だからこそ、先程申し上げた1700件の相談事例の中に警察につないだ案件があると。こうした事態を受けて、よりこの実態を把握するためにこの報告徴収、質問権の行使、これらが必要であると認識をして、手続きに入ったということでございます」

 長妻昭「すると、総理ですね、民法は入らないと。言うことだとすると、結局何年かかるんだって話なんですね。相談で刑事的なことも来ている、ってね、お話ありました。刑事的な訴追の疑いを受ける事例も、それは法令上はですね、確定判決なんですよ。じゃあ、これを警察が捜査して、そしてそれを起訴して、そして裁判で相当争えば、最高裁まで行くでしょう。そして確定判決が出て、初めてということになっちゃうわけです。民法を認めないと。何年か、3年か4年か、5年かかりますよ。

 総理、昨日ですね、誰も、野党の人間が聞いていないのに総理は明覚寺は解散請求から解散まで3年かかったと仰ったわけで、そういう長いスパンを、総理、考えておられるんですかねえ。刑事だけに限るってことは変えないんですか、解釈を」

 岸田文雄「あの、昨日オウム真理教の例を、そして明覚寺事件の例を挙げたのは殺人罪で起訴された案件。でも、7ヶ月かかった。そして詐欺罪が確定している案件、であっても、3年かかった。こうした事例を挙げるより今回の件についても事実をしっかりと積み上げる必要があると考えたからこそ、今回この報告徴収、質問権の行使に踏み切ったと説明をさせて頂いたという次第であります。是非、手続きを進める上からも、この報告徴収、質問権の行使は重要であると認識をしております」

 長妻昭「これですね、あの解散請求、解散命令っていうのは最大の予防なんですよ。本当に被害者の方、何人もお会いしました。自殺者も多いんです。生活保護になっておられる方も多いんですよ。防がなきゃいけないんですよね。そういう意味でもう1回、お尋ねすると、重要なことなんで、じゃあ、刑事的な判決に限定するということでよろしいんですね。この解散請求の法令違反という解釈は」

 岸田文雄「先程から申し上げているように平成8年の最高裁の判決で示された判断はこれを維持しているということであります」

 長妻昭「そうすると、刑事的確定判決に限定されるという解釈ですね」

 岸田文雄「判決の中で示されているように『刑法等』の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものがあるという考え方、これを堅持しているという申し上げております」

 長妻昭「禁止規定等命令違反というのは民法のですね、今仰った不法行為ですね、組織的行為、これは入らないという理解ですね」

 岸田文雄「仰ったように民法の不法行為、これは入らないという解釈であります」

 長妻昭「これではっきりしました。今、はっきりしました。私はこれ信用できません。質問権含めて、つまりですね、被害者弁護団の方々が声明を出して、法律には『法令』って書いてあるんです。別に民法も刑法も何も書いてないんです。それで、それも今の判例も、オウムの判例なんです。刑事的事件の判例に書いてあっただけの話なんで、そういう解釈に固執する限りですね、刑事的訴追して確定判決が出る。それもいくつも出る。それを待つということになるんでね、私は何年もかかるというふうに思わざるを得ないんです。総理の本気度が問われますんで、ダメですよ、これ。解釈をもうちょっと整理して頂きたいということを私は申し上げます。それでちょっと質問に入りますから・・・」

 委員長が長妻が次の質問に入る前に岸田に答弁の機会を与える。

 岸田文雄「過去の例を見ても、日数がかかるからこそ、今回の案件についても、事実関係を積み上げる必要があるという問題意識から、この手続に入っているというわけであります。是非、できるだけ迅速に手続きを進めるためにも報告徴収、質問権の行使、迅速に行なっていきたいと思います」

 長妻昭「これね、今の反論になっていないですね。私が申し上げているのはこの刑事に拘るわけですね、民法はダメだというふうに。そうすると、今ですね、旧統一教会の本体は刑事的な確定判決ってないんです、今。周辺ではありますよ、周辺の団体には。だから、一から今やると、何年もかかると言わざるを得ない得ないですね。ですから、本気度が問われるっていうことを言ってるわけです。

 角度を変えて、次、質問に入りますが、統一教会関係のですね、ネットでの会議とかいうところの発言録が流出報道がございました・・・・」

 文科相の永岡桂子は何のために答弁に立ったのだろう。岸田文雄が既に答弁しているほぼ同じ内容を役人の書いた原稿を読み上げただけで、野党議員が制止しようと立ち上がって委員長席に近づいたが、強引に最後まで読み上げて引き下がっていった。

 最初に「実定法規」という言葉が何度も出てくるが、ネットで調べてみると、「実定法」という表記で意味・説明がなされている。【実定法】「慣習や立法のような人間の行為によってつくりだされ、一定の時代と社会において実効性をもっている法。制定法・慣習法・判例法など」(goo辞書)

 要するに実定法とは国会が制定した成文化された法律である制定法(憲法、刑法、民法、その他その他――国会の決議を経て制定される法規範である「法律」に当たる)から共通する成文は持たないものの、社会的に、あるいは地域によって一定の拘束力を持つ生活習慣上の決まり事や判例等をを指すことになる。

 長妻が岸田文雄に「解釈変えたんですか」と言っていることは、解散請求要件の法令違反には刑法も民法も入っていたが、民法除外、刑法限定へと解釈変更したのかの意味を取ることになる。明覚寺解散もオウム真理教解散も刑事裁判であって、民法の法令違反を要件とし、解散命令を出した民事裁判が一度もないということからの刑法限定ということなら、民法除外は政府側の元々の原則と言うことになる。長妻は民法除外を不当としているのだから、この原則をストレートに否定すべきを、否定できずに、逆にこの原則に則る場合の事態を想定、統一教会本体に刑事の確定判決が出ていないから、本体への解散請求はできないことになると、その障害を繰り返し訴えることしかできない。政府側の解釈変更を願っても、跳ね返されるだけで、それがハードルとなる以上、別の攻めどころを探って、戦法を変えるということもしなければならないのだが、解釈変更の追及に重点を置いていて、柔軟な攻め手を見せることができなかった。裏を返すと、追及に臨機応変さや柔軟性を欠いていた。結果、時間のムダとなり、カエルの面に小便程度の追及しかできなかった。

 大体からしてこの解散請求の要件について「ずっと何十回と」行った野党ヒアリングをいつ頃から始めて当該国会質疑にまでどのくらいの期間を経ているのかは分からないが、この期間内にこの手の役人の理論を打ち破ることができなければ、首相以下の閣僚が野党からの質問通告を受けて、通告された質問に添って役人が答弁原稿を作成、首相以下の閣僚がその原稿を読み上げることで答弁とすることが主流となっている国会質疑の構造から言って、望みの答弁を手に入れることは先ず不可能なことを弁えなければならなかったが、弁えることができず、役人の理論の打開を岸田に求めようとしたから、野党ヒアリングと同じ展開を招く時間のムダを費やすことになった。

 岸田文雄の答弁が示している旧統一教会に対する解散の認定要件は、平成7年(1995年)に東京高等裁判所が行ったオウム真理教に対する解散命令判決に対してオウム真理教がその判決を不服とする抗告を最高裁判所に行い、平成8年(1996年)に最高裁判所は抗告棄却を決定、オウム真理教の解散が確定、この経緯に於ける東京高等裁判所が示した解散事由を参考に解散の認定要件とする姿勢を取っている。

 解散の認定要件

1. 法人の代表役員が法人の名の下で取得した財産や人的・物的組織等を利用して行った行為であること
2. 社会通念に照らして当該法人の行為であると言えること
3. 刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものであること

 これらの行為・違反を解散の決定要件とする条件

1.著しく公共の秩序を害すると明らかに認められる行為であること
2.宗教団体の目的を著しく逸脱したと認められる行為であること
3.両行為が客観的事実として明白であること

 以上であるが、岸田は「刑法等の実定法規、このように記されております。これをどう解釈するのか」と「刑法等の実定法規」の文言を二度持ち出して、解釈が決まっていないかのような態度を見せるが、東京高裁の宗教法人オウム真理教解散命令事件判決を旧統一教会解散請求の判断基準にすると決めている以上、「どう解釈するのか」は決まっていなければならない。事実最終的には「仰ったように民法の不法行為、これは入らないという解釈であります」と答弁しているのだから、刑法のみの法令違反を解散請求の判断基準としていて、民法の法令違反は解散請求の判断基準としていないことがはっきりとすることになる。

 対して長妻昭は最後の抵抗(最後の足掻き?)を見せて、「法律(=宗教法人法解散請求第81条)には『法令』って書いてあるんです。別に民法も刑法も何も書いてないんです。それで、それも今の判例も、オウムの判例なんです。刑事的事件の判例に書いてあっただけの話なんで、そういう解釈に固執する限りですね・・・総理の本気度が問われます」云々と抗議するが、文字解釈の妥当性に正面からぶつかるのではなく、岸田文雄の本気度のレベルで文字解釈を網にかけるようでは長妻昭自身の本気度が問われる追及の程度となりかねない。結局のところ、文化庁の課長相手に野党ヒアリングを「ずっと何十回と」やってきたも関わらず、課長の発言から一歩も出ない結末を手にしただけで終わることになった。追及に時間を掛けたが、何の成果も見い出すことができなかった。何のことはない、攻めどころを間違えただけである。

 長妻昭は東京高等裁判所が判決で示したオウム真理教解散の認定要件のうちの「刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものであること」の「実定法規」の種類、「刑法等」に関して、「『等』の中には」とまで発言したものの、「等」という言葉の意味の解釈に特化して攻めるのではなく、「『等』に民法の組織的不法行為は入るという解釈を変えてやるんですね」と政府側の民法除外の解釈変更路線を自分の方から既成事実となっているかのような見当違いの問題意識を見せてまでいる。言葉の意味の解釈に特化して攻めていたなら、このような問題意識を見せることはない。生ぬるさだけが目立つ。

 「等」の言葉の意味は、「同種のものを並べて、その他にもまだあることを表す」(goo辞書)であって、つまり「刑法等」とは刑法に限ったことではなく、社会秩序を維持するための強制的な法規範という点で同種ものとなる民法、その他をも含んで「刑法等」と表記していることになるのだから、そのことに留意した追及に重点を置くべきを、それができなかった。この手の凡ミスは今に始まったことではない。

 宗教法人法第81条解散請求の第1項で要件としている、〈法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。〉の「法令」という言葉の意味は既に触れたように、国会の決議を経て制定される法規範である「法律」と、国会の決議を経ないで行政官庁が制定する法規範である「命令」を合わせた表記となっている以上、「法令」のうちの「法」は刑法のみならず、民法、その他を含むことになるだけではなく、裁判所の宗教法人に対する法律違反に基づいた強制解散命令は宗教法人法第81条解散請求の条文を基礎として判決文が構成されることになる関係から、第81条2項の「法令に違反して」の「法令」は東京高裁判決で示した解散の認定要件の一つ、「刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するものであること」の「刑法等」と対応関係を取ることになることからも、「等」が刑法のみに限定しない、民法、その他も含む言葉、あるいは単語であることの証明としなければならない。

 もし東京高等裁判所が刑法のみの法律違反に限定して「刑法等」の言葉を使っていたのだとしたら、宗教法人法第81条2項の「法令に違反して」の「法令」も刑法のみに限定していることになっていて、それを受けた意味限定と言うことになり、言葉の使い方として奇妙な不整合を発生させることになるし、全ての国語関係の辞書の「法令」なる単語の意味を、〈国会の決議を経て制定される法規範のうちの「刑法」と、国会の決議を経ないで行政官庁が制定する法規範のうちの刑法関連の「命令」を指す。〉と書き改めなければ、不整合は解けないことになる。

 似たようなことを言うが、長妻昭は野党ヒアリングでの文化庁の課長相手の「ずっと何十回」を岸田文雄相手に繰り返したに過ぎなかった。不毛と言うだけで、時間を掛けたことに反して何の発展もない時間のムダそのものだった。

 岸田文雄は2022年10月18日の衆院予算委での長妻昭に対する解散要件「民法の不法行為は入らないとの解釈」は翌日10月19日の参院予算委員会では小西洋之に対して「民法の不法行為も含まれる」と答弁変更することになった。このことを以って長妻昭が答弁変更のキッカケを作ったのは自分だと思ったとしたら、もはや救いようがない。小西洋之にしても岸田の答弁変更を「衆議院での質疑に敬意を表しながら」と長妻の追及がさもキッカケになったとばかりに花を持たせているが、小西洋之自身が厳しい追及の目を欠いていたから、このような評価が口をついただけのことであって、結果的に仲間内を持ち上げる独り善がりなお門違いの形を取ったに過ぎない。

 両者の追及が余儀なくさせた軌道修正ではなく、岸田文雄が自分から軌道修正した答弁変更に過ぎない。言葉の厳格な意味解釈に照らすと、元々から民法も含まなければならない宗教法人法第81条解散請求の建付けとなっている。この元々からをそのとおりだと認めさせることができなかったのだから、たいした追及であるはずはない。大体が刑事上の犯罪行為と民事上の不法行為それぞれを比較して、どちらがより悪質かと答を出そうとすること自体が間違った判断であって、刑事上の犯罪行為はそれぞれの犯罪行為との比較で、民事上の不法行為はそれぞれの不法行為との比較で悪質性の程度を判断すべきであることは自明の理であろう。民事上の不法行為の中でも旧統一教会の霊感商法の遣り口と収奪金額や強制献金の遣り口、その金額を一覧すれば、特にその悪質性の程度は飛び抜けていることが簡単に理解できる。もし岸田政権が解散請求要件とする法令違反を民法除外・刑法限定としたなら、旧統一教会の悪質性を遣り過すことになる。あるいは問題視していないことになる。長妻昭にしても、小西洋之にしても、こういった点すら、追及できなかった。

 小西洋之は10月19日の参院予算委員会で岸田文雄が「民法の不法行為も含まれる」とした軌道修正に向けて軽く笑いながら「朝令暮改にも程がありますよね」とそのレベルの受け止め方をしているが、軌道修正に対して踏み出す方向を間違えている。首相答弁に対するこの程度の嗅覚、この程度の食いつき方では「立憲は批判ばかり」の評価から抜け出すのは容易ではない。

 では、小西洋之の追及が長妻昭同様に如何に時間のムダ、冗長なだけで、カエルの面に小便程度の国会追及であったかどうか、その質疑応答を見てみることにする。

  2022年10月19日参議院予算委員会

 小西洋之「小西洋之です。統一教会の問題から質問を致します。昨日の衆議院の審議で岸田総理は宗教法人法の解散命令の要件には不法行為責任などの民法違反は該当しないと繰り返し明言をしました。これこそこの4月以来、私たち立憲民主党が追及をしてきた自民党と旧統一教会の癒着の成れの果てであり、またその癒着の構造の結晶ともいうべき暴挙でございます。

 これから具体的に証拠を以って民法排除の解釈が宗教法人法に違反する違法な解釈行為であったと立証し、厳しく追及致しますが、その前に念の為に最後の機会をご提供申し上げますが、岸田総理、宗教法人法の解散命令の要件に不法行為責任などの民法違反は該当しないという政府答弁を撤回修正するお考えはありませんでしょうか」

 岸田文雄「ご指摘のように宗教法人法の解散命令の要件として東京高等裁判所で示した刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範について民法上の不法行為は入らないと答弁致しましたのは、この決定の内容についてのお尋ねがありましたので、これまでの考え方を説明したものであります。これまでは東京高等裁判所決定に基づき『刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範』は刑法など、罰則により担保された実定法規の典型例と解してきたところであります。
 
 この点につきまして政府に於きましても改めて関係省庁が集まりまして議論を行いました。そして昨日の議論も踏まえまして改めて政府としての考え方を整理させて頂きました。ご指摘のこの東京高等裁判所の決定、これはオウム真理教に対する解散命令という個別事案に添って出されたものであります。一方、旧統一教会については近時、法人自身の組織的な不法行為責任を認めた民事判決の例があることに加えて、法務省の合同相談窓口に多くの相談が寄せられ、中には法テラス(日本司法支援センター)や警察などに紹介されていることを踏まえて、報告徴収、質問権の行使のあり方について詰めの作業を行っているところであります。

 それによって政府としましては今後これらの事実関係を十分分析の上、東京高裁決定に示されている内容を参考に行為の組織性や悪質性・継続性などが認められ、宗教法人法に定める法令に違反して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為、または宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたと考えられる場合には個別事案に応じて解散命令の請求について判断すべきであると考えております。

 よって、政府の考え方を整理した上で行為の組織性や悪質性・継続性などが明らかとなり、宗教法人法の(解散命令の)要件に該当すると認められる場合には民法の不法行為も入りうると考え方を整理した次第であります。改めて政府の考え方を整理した上で答弁させていただきます」

 小西洋之「あの、今、岸田総理から明確にですね、宗教法人法の(解散命令の)要件が該当すると仰って頂いたことをもう一度あとで確認し致しますけども民法の不法行為責任については、によって宗教法人法の解散命令の請求ができると。それは宗教法人法の法律解釈としてできるという政府見解でよろしいでしょうか」

 岸田文雄「はい、個別事案に応じてすべきである。結果としてご指摘のように民法の不法行為も該当する。このように政府としては考え方を整理させて頂きました」

 小西洋之「まあ、私も12年間、国会議員をしていますけども、朝令暮改にも程がありますよね。(軽く笑ってから)まさに癒着構造のですね、冒頭に申し上げた、自民党政治と旧統一教会の癒着構造の名笑撃(?)、それも成れの果てだと思うんですが、しかし今の総理の答弁変更、解釈変更、というのは解釈の修正・撤回だと思いますが、それは被害者、あと国民、また日本の法の支配のために非常に重要な一歩だと思います。

 あの、これから質問させて頂きますけども行使されるという宗教法人法の質問権などを直接に行使頂くためには今の政府のお考えというのはもう少しきちんと確認させて頂く必要があります。総理は今の説明の中で東京高裁の決定に示されている内容を参考にと仰いました。あくまで政府としては東京高裁の決定で示されていると政府が理解している宗教法人法の解釈、政府の解釈ですね、それは重要なものであって、それについては縛られる。あるいはそれを踏まえて行われると、そういう理解でよろしいでしょうか」

 岸田文雄「宗教法人法に基づく事案の判例がありますので、政府と致しましてはその東京高裁の決定につきましては参考にさせて頂く。しっかりと基本的な考え方に於いて参考にさせて頂く。それは当然のことであると思います。ただ、それぞれ個別事案に応じて状況、そして事態は様々でありますので、旧統一教会の事案につきましては現状をしっかりと把握した上で法律を適用していきたい、こうした考え方を整理した次第であります」

 小西洋之「あの、81条の解散命令の要件を政府はどう認識するかはですね、質問権を適切に行使して、私は解散命令の請求は直ちに行うことは法律的にできるし、しなければいけないというふうに考えておりますけども、被害者救済、被害防止のために極めて重要でございます。ですので、政府の81条の解散権の解釈ですね、条文の81条の解釈というものをしっかりと確認させて頂きたいと思います。

 今フリップを掲げさせて頂いたのは解散命令の要件、この法令に違反しているということは、これがキーワードでございます。

 フリップ宗教法人法・解散命令「法令に違反して」

 「この法令に違反して云々というような文言は、何も宗教法人法ばかりに限ったことではありませんで、他の一般のいろいろな法規に違反するという場合をさしているわけであります。

 ・・・たとえば今御指摘の問題でありますならば、法務省あるいは人権擁護委員会でいろいろお調べになっておりまして、将来そういうところで客観的にはっきりした事実が確認できれば、それは文部大臣としてもその事実を認めて必要な措置はとられる」(1956年(昭和31年)6月3日衆議院法務委員会)

 「逐条解説宗教法人法」(渡部蓊・しげる)

 「法令」とは、宗教法人法はもちろん、あらゆる法律、命令・条例などを指す。宗教法人が法令に違反するとは、宗教法人の役員または職員がその業務の執行に関し、違法行為をしている場合(「責任役員がそのような決議をしている場合)を指す」

 『法令に違反して』と言うのをきのうまで岸田総理は『民法は入らない』言っていたのですが、今入るというふうに言い始めたわけでございます。ところが一つ目の文字の塊でございますけども、昭和31年の国会答弁でございますが、『この法令に違反して云々というような文言は』、『他の一般のいろいろな法規に違反するという場合をさしているわけであります』。『他の一般のいろんな』ですから、総理よろしいですか、全ての法令が入るわけです。その証拠にその下の文字の塊、赤い部分でございますけども、これは宗教法人に関する宗務行政(?)ですね。文化庁にも務められ、国会答弁もなさっていた、文化庁の元職員の方が書いた逐条解説。文化庁でこれを基に実務をやっていると言われている、いわゆる法令解釈の虎の巻でございますが、そこにはこう書いてあります。『「法令」とは、宗教法人法はもちろん、あらゆる法律、命令・条例などを指す』というふうに言っているわけでございます。そしてつまり違法行為をやっている場合、役員だけではなくて、職員も違法行為を行っている場合のことを指すんだというふうなことを言っているわけでございます。

 岸田総理に伺います。岸田政権の宗教法人法第81条の解散命令の『法令に違反して』の政府解釈は今私のお示した過去の国会答弁及び逐条解説、同じことを言ってます。あらゆる法律、条例が該当する。そういう理解でよろしいでしょうか」

 岸田文雄「先程申し上げたように個別事案に即して法律を適用するわけでありますが、基本的な考え方は変わっていないと思っております」

 小西洋之「基本的な考え方は変わっていないというのはこの昭和31年の他の一般の色んな法規の即ち、『あらゆる法令』に違反するものが法令違反に 
該当すると、そういう理解でよろしいでしょうか」

 岸田文雄「不法行為の組織性や悪質性、継続性が明らかとなり、宗教法人法の要件に該当すると認められる場合、あらゆる法律が該当する。この考え方は変わっていないと認識しております」

 小西洋之「今、明確になったと思います。組織性・悪質性・継続性というのは宗教法人としての法人としての行為等の根拠としての解釈要件ですから、まあ、それが必要になるわけでございますけれども、そうしたことを満たしていれば、あらゆる法令違反が対象になる。

 すみません、もう1回確認します。あらゆる法令がこの法令違反の対象になる。民法も、不法行為責任も、使用者責任も。719条の不法行為責任と、715条の使用者責任、どの民法違反も全て対象になりうるということでよろしいでしょうか」

 岸田文雄「組織性・悪質性・継続性などが明らかであり、宗教法人法の要件に該当する場合にご指摘の民法の不法行為、これも入りうるという考え方、先程説明させて頂いたとおりであります」

 小西洋之「民法715条の使用者責任が認められた民事判決が統一教会の場合は20件以上あるんですが、当然、民法715条の使用者責任も対象になりうるということでよろしいでしょうか」

 岸田文雄「使用者責任につきましても、その組織性や悪質性や継続性が明らかであること、あるいは宗教法人の要件に該当すると認められるということ。これらを合わせることによって、そうした行為も対象となると考えております」

 小西洋之「朝令暮改とは言え、正しい解釈に近づいたことはですね、国権の最高機関、これはこれとして衆議院での質疑に敬意を表しながら、皆さんに確認させて頂きたいと思います。

 ただですね、自民党と統一教会の癒着というのは元安倍総理から地方議員の皆様に至るまで本当に広範囲且つ深刻なものでございますんで、ひっくり返されたら困るんで、念のために岸田政権が参考にすると言っている東京高裁の決定ですね、岸田総理、これ最高裁判決と全部言っていたんですね。だから、多分、東京高裁の判決、読んだことがなかったと思うんですけれども、実はですね、岸田総理は昨日まで民法は当たらないと言っていた東京高裁のこの判決文なんですけども、普通の日本語、義務教育を受けた日本国籍のみなさんが読めば、民法は当たるんですよ。旧統一教会の問題をまさに解散命令を発動するためのことを東京高裁の決定は言っている、そうとしか読めないんですけれども、ちょっと上から説明しますね。

 フリップ 「東京高裁決定の『解散命令の意義」(平成7年12月19日)


 「宗教団体が・・・一夫多妻、麻薬使用等の犯罪や反道徳的・反社会的行動を犯したことがあるという内外の数多くの歴史上明らかな事実に鑑み、・・・」

 「宗教団体が、・・・法の定める禁止規範もしくは命令規範に違反し、公共の福祉を害する行為に出る等の犯罪的、反道徳的・反社会的存在に化することがありうるところから、・・・これに対処するための措置を設ける必要があるとされ、かかる措置の一つとして、

 「右のような・・・解散命令制度が設けられた理由及びその目的に照らすと、・・・「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」・・・とは、・・・刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反するものであって、しかもそれが著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為・・・をいうものと解するのが相当である。」

  これは今フリップでお示しいているところですが、解散命令、81条の解釈を東京高裁の決定で述べているところでございます。先ず、なぜこういう制度を作るのかその理由・目的についての裁判所の判断がございます。一つ目ですけれども、『宗教団体が・・・一夫多妻、麻薬使用等の犯罪や反道徳的・反社会的行動を犯したことがあるという内外の数多くの歴史上明らかな事実に鑑み、』、キーワードはよろしいですか、『犯罪』ですね。岸田総理はどう言っていたか、刑罰ですよ。『犯罪』、ただ犯罪ではない『反道徳的・反社会的行動』。例えば詐欺とか一夫多妻というのは民法違反になるんですね。

 一夫多妻というのは重婚の届けをすれば、これ刑罰飛んで来ますけど、事実上の一夫多妻をやっているのは日本にもいらっしゃって、テレビでも登場されていますけども、刑罰ないんですよね。ただこういうことを教義として社会全体に広めると、おかしなことに歴史上、なったことがあるよねということを東京高裁は言ってますね。

 よって次ですね。『宗教団体が、・・・法の定める禁止規範もしくは命令規範に違反し、公共の福祉を害する行為に出る等の犯罪的、反道徳的・反社会的存在に化することがありうるところから、・・・これに対処するための措置を設ける必要があるとされ、かかる措置の一つとして、』というふうに言っているわけですね。ここでも犯罪的ではない、『反道徳的・反社会的存』、民法違反も当然含むわけなんです。

 よって、『「右のような・・・解散命令制度が設けられた理由及びその目的に照らすと』、条文ですね、『法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為とは、刑法等の実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反するものであって』というふうに解するのが、まあ、相当だというふうに言っているんですね。

 岸田総理、質問通告してますけども、岸田総理のお考えをお聞かせください。この東京高等裁判所の今、私が説明した決定の全体構造から刑法罰で担保された法律違反でなければ、解散命令は行使できないということを説明できますか。説明できないんであれば、『なかなかちょと分かりません』で結構ですけども、それだけ述べてください」

 岸田文雄「昨日まで刑法点が典型的な例であると申し上げてきたのはまさに東京高裁の決定の中で『刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範に違反するもの』のこの部分につきまして政府の今までの考え方を説明させて頂いた、こういうことであります。

 この文字も含めて、先程申し上げた個別事案に即して、その検討をするということを考えました際に政府としては民法も含めるという判断に至った、こうした説明をさせて頂きました」

 小西洋之「個別事案がどうであれ、法規範なんで、法規範は民法を始めから含んでいるってことが大事なんです。岸田総理、確認ですけれども、この『刑法等の』刑、『等』と書いてありますから、この『等』には岸田政権として民法は含まれると解釈しているということでよろしいですね」

 岸田文雄「はい、結論から申し上げますと、民法も含まれるという判断です」

 小西洋之「あの、明確になりました。これはですね、質問権を行使して、解散命令の請求を行って頂かなければいけませんので、そのための取り組みについて質問をさせて頂きたいというふうに思います」

 小西洋之は岸田文雄が前日衆院予算委の答弁どおりに宗教法人法第81条解散命令1項解散要件に民法の法令違反は除外し、刑法の法令違反のみを対象とするとの答弁を予定して、追及を組み立て、質問通告しておいたのだろう。ところが予定に反して岸田文雄が民法の法令違反除外を撤回、対象内とする軌道修正を図った。当然、民法の法令違反除外は誤りだったことになる。単なる錯誤による間違いか、解釈の間違いか、どちらの間違いであっても、間違うこと自体が旧統一教会の問題が世間を騒がしている関係から、行政として旧統一教会の問題に向き合う姿勢の真摯さが問われることになる。

 そこで小西洋之としては宗教法人法第81条解散請求がなぜ刑法の法令違反のみを対象とし、民法の法令違反は除外する誤った判断に至ったのか、その根拠と経緯と、さらに刑法の法令違反のみならず、民法の法令違反をも対象内と判断するに至った軌道修正の詳しい根拠と経緯を追及して、行政として旧統一教会の問題に向き合う姿勢の真摯さの程度を問い詰め、真摯さの程度に応じた責任を問わなければならなかった。

 例えば小西洋之はフリップで示した1956年(昭和31年)6月3日の衆議院法務委員会国会答弁ではあらゆる法律違反を含めているが、旧統一教会の法律違反関して昨日までは刑法に限り、民法を除外するとした根拠・理由は何なのかと追及することもできた。

 だが、小西洋之の追及はそういった方向に進まずに軌道修正を「被害者、あと国民、また日本の法の支配のために非常に重要な一歩だ」と歓迎し、今日の冒頭の答弁で既に過去のものとした民法の法令違反除外・刑法の法令違反のみ対象の政府見解を相手に国会答弁や東京高裁判決、逐条解説、法人法第81条の条文を用いて、それぞれの見解や文字解釈から言って民法の法令違反も含まれるんだと後追いで講釈する馬鹿丁寧を費やし、そのたびに岸田文雄から民法の法令違反に加えて「組織性・悪質性・継続性などが明らかであり、宗教法人法の要件に該当する場合」と条件追加を受け、それが5回まで繰り返させている。基本の条件は原則となるものだから、言質を取るにしては繰り返しが多過ぎ、時間のムダで、甲斐のない努力としか言いようがない。特に「これから具体的に証拠を以って民法排除の解釈が宗教法人法に違反する違法な解釈行為であったと立証し、厳しく追及致しますが」と勇ましく前置きしたものの、この点に関しても"厳しい追及"とはなっていなかっただけではなく、民法の法令違反除外は誤った政府解釈だった、なぜこのような誤った判断に立つことになったのか、そのように追及する方向に進ませる意図を全然示すことはなかったのだから、切れ味も何も感じることはできなかった。

 このように中身のない追及ではあったものの、早口に次々と言葉を繰り出す能力は目を見張るものがあり、結果的に小賢しさだけが目立ったのは当方だけの印象なのだろうか。この小賢しさは東京高裁がオウム真理教解散命令事件判決で宗教法人の違法行為の例の一つとして挙げたに過ぎない「一夫多妻」を持ち出して、旧統一教会の解散問題とは何の関わりもないにも関わらず、「事実上の一夫多妻をやっているのは日本にもいらっしゃって、テレビでも登場されていますけども、刑罰ないんですよね」と如何にも物知りふうに余分な事柄にまで手を突っ込む点に典型的に現れている。

 岸田文雄が刑法のみの法令違反を解散要件に位置づけた理由を、「これまでは東京高等裁判所決定に基づき『刑法等の実定法規の定める禁止規範、または命令規範』は刑法など、罰則により担保された実定法規の典型例と解してきたところであります」とその根拠を述べ、同じ趣旨のことをもう一度繰り返している。但し前日の長妻昭に対しては、同様のことは述べていない。宗教法人オウム真理教解散命令事件は刑事裁判だから、オウム真理教が犯した「禁止規範又は命令規範違反」は必然、刑法上の違反を示していることになり、刑法という「実定法規の典型例」として現れることになるが、だからと言って、刑法に限ったことにしたなら、東京高等裁判所が判断とした「刑法等」とする言葉の使い方は矛盾することになる。なぜなら、「実定法規の定める禁止規範又は命令規範に違反」したことに基づいて与える罰則自体は、対象とする犯罪行為に違いはあっても、刑事、民事共通の裁判行為であって、刑事、民事いずれか一方の裁判行為とすることはできないし、「実定法規」という言葉自体が刑法も民法も、その他の実定法も含む言葉遣いとなっているからである。

 当然、東京高等裁判所は「刑法等」の「等」の言葉を使うことによって罰則は刑法の「禁止規範又は命令規範違反」のみに与える性格のものではないことを世間に知らしめたことになり、岸田政権が2022年10月18日の衆議院予算委員会の時点まで民法の法令違反は宗教法人の解散請求要件には含めないを政府見解としていたことは誤った判断だったということだけではなく、旧統一教会の巧妙な霊感商法を受けた高額商品の売付け被害や高額献金被害に対する政府の解決姿勢の熱心さに関係することになる言葉の解釈、論理の解釈の能力の問題に帰すことになり、誤った判断とこの能力の問題が信者の被害救済の遅れを生じさせていることは十分に予想できる。それ相応の責任問題が生じるはずだが、小西洋之は宗教法人の解散要件に民法の法令違反も対象となることの論拠の提示のみに熱心で、民法の法令違反除外が信者の被害救済の遅れを生じせしめていた可能性とそのことの責任問題にまでは注意を払うこともなかった。

 また、岸田文雄が軌道修正の経緯を「政府に於きましても改めて関係省庁が集まりまして議論を行いました。そして昨日の議論も踏まえまして改めて政府としての考え方を整理させて頂きました」と述べているが、どのような「議論」を行った結果、刑法の法令違反のみを対象とし民法の法令違反を除外としてきたことは誤った判断であり、刑法の法令違反と共に民法の法令違反を加えることが正しい判断だと「整理」することになったのか、その顛末を聞き出し、明らかにしなければ、野党議員の立場からの政府追及者としての資格はないに等しい。小西洋之はその資格もなく、国会質疑の場に立っていたことになる。

 このことは小西洋之一人だけのことではなく、長妻昭にも同じことが言えるし、他の野党議員も似たり寄ったりの立場にいると言える。そしてこの程度の追及者に国会議員としての資格を与え、それ相応の給与を税金から支払っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年8月NHK総合戦争検証番組は日本軍上層部の無責任な戦争計画・無責任な戦略を摘出し、兵士生命軽視の実態を描出 靖国参拝はこの実態隠蔽の仕掛け(1)

2022-10-31 04:53:31 | 政治
 2022年8月、NHKが再放送も含めて日本の戦争を検証する番組をいくつか放送していた。内容に刺激を受けて、ブログで取り上げてみることにした。ここで取り上げるのは全て番組を記事にしたものから利用することにした。(リンクはあとから)

1.2022年8月10日放送NHKスペシャル 選 新・ドキュメント太平洋戦争1941開戦(前編)
2.2022年8月10日放送NHKスペシャル 選 新・ドキュメント太平洋戦争1941開戦(後編)
3.2022年8月13日放送NHKスペシャル新・ドキュメント太平洋戦争1942大日本帝国の分岐点(前編)
4.2022年8月14日放送NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争1942大日本帝国の分岐点(後編)
5.2022年8月15日放送NHKスペシャル 選「戦慄の記録 インパール」
6.2022年8月15日放送NHKスペシャル「ビルマ絶望の戦場」

 放送の体裁は、記事も同じ体裁を取っていることになるが、将兵や一般市民、さらに現地人等、それぞれの日記、手記、証言、尋問調書等に現れている各個人の思いや考え、主張に「エゴドキュメント」としての体裁を与えて、検証していくという手法を採っている。そこでは日米戦争の形勢悪化の過程でより露出することになった日本帝国軍隊という組織の矛盾を暴くことになり、結果としてその実相・正体がどのようなものであったかを明らかにしていく。日本は東南アジア諸国を欧米の植民地支配から解放し、日本を盟主に共存共栄の広域経済圏をつくりあげるとする「大東亜共栄圏」とアメリカの影響力を排する「自存自衛」を戦争の大義としたが、その構想自体が東南アジア進出当初から矛盾を見せていて、1945年8月15日の敗戦に向かう過程で手の施しようもなく破綻していく作戦の遂行に飲み込まれて有名無実化し、敗戦と共に潰え去ることになるが、日本という国家に戦争を遂行する能力も、何よりも大東亜共栄圏を概念通りに実現する道徳的精神さえも欠いていたことを番組は明らかにする。所詮、戦争を正当化するために体裁よく用意したスローガンに過ぎなかったから、構想と現実との乖離が生じることになった。

 日本はアメリカに中国大陸からの完全撤退等を要求され、呑むことができず、「大東亜共栄圏」と共に「自尊自衛」のスローガンを掲げて1941年12月8日午前3時20分(現地時間7日午前7時50分)、真珠湾を奇襲攻撃、対米開戦に踏み切ったが、時の総理大臣は東條英機。陸相と内相を兼任していた。就任は1941年10月18日。就任から2ヶ月とかからない開戦となっているが、総合的な戦略を伴わせた戦争計画の立案に関しては「大日本帝国憲法 第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の規定に則って陸海軍を統率・指揮する統帥権は天皇の大権、天皇のみが許される独立した権限とされ、陸軍の場合は参謀総長をトップとした参謀本部、海軍の場合は軍令部総長をトップとした軍令部が行い、首相も陸軍大臣も海軍大臣も作戦計画には参画外にあったが、東條英機は中国では関東軍参謀長を務め、のちに陸軍省陸軍次官の地位に就き、1940年7月に第2次近衛文麿内閣の陸軍大臣に就任してたのだから、軍人の立場からのネットワークによって作戦の内容・骨格は一定程度知りうる立場にあっただろうし、一定程度の口出しも可能だったかもしれない。その上、首相就任後は天皇の意向を受けて対米和平に転じていたものの、元々は対米開戦強硬派の一人であったことと陸軍大臣を兼任していた関係から、開戦した場合はかく戦えりの対米戦争戦略は大まかには持ち合わせていたはずで、その理由は当初は陸軍大臣として天皇臨席による国の重大政策決定の場である御前会議に出席、1941年11月5日の対米和戦両構えの策を決定した第7回御前会議と1941年12月1日の対米開戦を決定した第8回御前会議には内閣総理大臣兼内務大臣兼陸軍大臣の資格で出席していたからである。

 その一定程度がどの程度か知る術は当方は持ち合わせていないが、陸海軍が構想することになったかく戦えりの戦争計画の立案、対米戦争戦略はある制約を受けることになった。戦略とは一般的には自らの人的・物的戦争資源を如何に使い、南進とか、北進とか、あるいはどこを占領して、どのような資源を確保するかといった戦争の長期的・全体的な準備・計画・運用の方法を言うが、ここでは個々の戦いに於いて国力や軍事力等を背景とした兵力の彼我の差を計算に入れて、その差をどう埋めて、どう処理し、どう勝利に導いて、長期的・全体的な準備・計画・運用の総合的な戦略にどう貢献するか、どう導いていくかの実際的戦法にも「戦略」なる言葉を用いる。その理由は個々の戦いは勝ち負けの単なる戦術を超えて、全体的な戦争目的に常に関連付けられていかなければ、戦争そのものの最終的な勝利へと結びつけることが困難となるからである。

 勿論、個々の戦いの指揮は各現地部隊の司令官に任されるが、戦争の総合的な戦略に適う戦いを可能としうるか否かの人材の配置は作戦計画の立案に関わる軍の統帥機関や現地司令部の、誰をどう用いて如何に軍を経営していくか、如何に戦争を進めていくかの組織管理能力の問題に帰す。当然、軍上層部の全体責任事項となる。

 先ず陸海軍が戦争計画の立案に基づいた対米戦争戦略にどのような制約を受けることになったかを見てみる。制約を与えたのは勅命設立の総理大臣直轄総力戦研究所が行った日米戦想定の机上演習報告である。「総力戦研究所」(Wikipedia)

 〈模擬内閣閣僚となった研究生たちは1941年7月から8月にかけて研究所側から出される想定情況と課題に応じて軍事・外交・経済の各局面での具体的な事項(兵器増産の見通しや食糧・燃料の自給度や運送経路、同盟国との連携など)について各種データを基に分析し、日米戦争の展開を研究予測した。

 その結果は、「開戦後、緒戦の勝利は見込まれるが、その後の推移は長期戦必至であり、その負担に青国(日本)の国力は耐えられない。戦争終末期にはソ連の参戦もあり、敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」という「日本必敗」の結論を導き出した。

 これは現実の日米戦争における(真珠湾攻撃と原爆投下以外の)戦局推移とほぼ合致するものであった。

 この机上演習の研究結果と講評は1941年8月27・28日両日に首相官邸で開催された『第一回総力戦机上演習総合研究会』において当時の近衛文麿首相や東條英機陸相以下、政府及び統帥部関係者(陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、その他)の前で報告された。

 研究会の最後に東條陸相は、参列者の意見として以下のように述べたという。

 東條英機「諸君の研究の労を多とするが、これはあくまでも机上の演習でありまして、実際の戰争というものは、君達が考えているような物では無いのであります。

 日露戦争で、わが大日本帝国は勝てるとは思わなかった。然し勝ったのであります。あの当時も列強による三国干渉で、止むに止まれず帝国は立ち上がつたのでありまして、勝てる戦争だからと思ってやったのではなかった。

 戦というものは、計画通りにいかない。意外裡な事が勝利に繋がっていく。したがって、諸君の考へている事は机上の空論とまでは言はないとしても、あくまでも、その意外裡の要素というものをば、考慮したものではないのであります。なお、この机上演習の経緯を、諸君は軽はずみに口外してはならぬということであります。」〉――

 「日本必敗」は実際には「戦争の不可能なること」と結論づけられた。不可能を無視した挑戦はイコール「必敗」と表現したということなのだろう。

 東條英機は1904年(明治37年)2月8日から同年9月5日までの日露戦争の時代から1940年代後半のその時代に至る兵器の発達と各性能の向上を無視して(日露戦争当時は戦車も戦闘機も存在せず、潜水艦は日露共に実用の段階に至っていなかったという)、40年近くも昔の日露戦争を参考にして、"意外裡な事"(意外の裡〈うち〉に入る事=偶然性主体の計算外の要素)に期待、合理性に基づいた戦争の進め方とは異なる気持ちの持ち方が大事だとする精神論に近い訓戒を行った。対米開戦した場合の戦争計画については一定程度の情報に接しているはずにも関わらずにこのような精神論を持ち出すこと自体、合理的な考えに立った不可能を可能とする戦略、勝てる戦略への思い巡らしに意識を向けていなかった疑いが出てくる。これが単なる疑いなのか、実際のことなのかはおいおいと分かってくる。

 このように日米戦想定の机上演習は長期戦が国力負担不可能の関係を取るという制約を対米戦争戦略に与えることになった。この関係を回避策とする戦争条件は短期決戦以外に答はないことになる。この演習約3ヶ月後に日本軍は真珠湾奇襲攻撃によって対米戦争に突入した。陸軍と海軍が策定することになった対米戦争計画は総力戦研究所の結論"戦争不可能"を覆しうる短期決戦の内容と骨格を持たせた総合的戦略に勝機を置いていたのか、あるいは結論を無視して、結論以前に策定した戦略に基づいて開戦したのか、いずれかだろうが、当たり前のことを言うと、間違っても、"意外裡な事"に勝機を置いていいはずはない。"意外裡な事"は他から偶然に与えられる経緯を取り、必ず与えられるという保証はなく、計算して自らの力で手に入れる行程を取ることはないからだ。

 ここで思い出すのが『小倉庫次侍従日記・昭和天皇戦時下の肉声』(文藝春秋/2007年4月特別号)の1941年(昭和16年)9月5日の内容である。陸海軍両総長が天皇に呼びつけられて参内した。

 昭和天皇「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」 
 
 杉山元陸軍参謀総長「南洋方面だけで3ヵ月くらいで片づけるつもりであります」
 
 昭和天皇「杉山は支那事変勃発当時の陸相である。あの時、事変は1カ月くらいにて片づくと申したが、4ヵ年の長きにわたってもまだ片づかんではないか」

 杉山元陸軍参謀総長「支那は奥地が広いものですから」

 昭和天皇「ナニ、支那の奥地が広いというなら、太平洋はもっと広いではないか。如何なる確信があって3ヵ月と申すのか」

 杉山元陸軍参謀総長は答え得ず、ただ頭を垂れたままであったという。自身も立ち会っていた総力戦研究所が行った日米戦想定机上演習の研究報告1941年8月27・28日からたった8日後の1941年9月5日のことではあったが、その報告を待つまでもなく、昭和天皇の質問内容から言って、対米戦争作戦立案と戦略構築が完成していることを前提としていることになり(この理由はあとで述べる)、その作戦と戦略に基づいて杉山元は対米戦争に於ける日本の勝利の方程式を一定程度正確に答えなければならなかった。だが、「南洋方面だけで」と地域を限定したことは他地域での戦闘を想定していることになり、南洋方面を3ヶ月程度で片付けたイコール日本の勝利と結びつけることは不可能となって、以後、戦争が続くようなら、その期間が長引けば長引く程に南洋方面の3ヶ月程度は
意味を小さくしていく。この程度の合理性に則った思考力しか見せることができないということは陸軍参謀総長としての能力と責任意識は心許なく、如何に立派な戦略を手にしたとしても、それぞれの戦闘に柔軟且つ発展的に応用できるかどうかが疑わしくなってくる。

 では、果たしてどのような対米戦争戦略に基づき、勝機をどこに置いて戦争を戦ったのか、エゴドキュメントを駆使して日本の戦争を検証したNHK放送の記事の中から探っていく。勢い、この趣旨に添う記事箇所を主に取り上げ、それ以外は伝える必要があると思った出来事のみを書き出すことになる。なお、NHK記事中の文章は次の括弧、「〈〉――」で表すことにし、必要に応じて文飾を施し、記事を意味を変えない範囲で纏めたりした。

 NHK記事に取り掛かる前に記事が取り上げている各戦闘を簡単に列挙してみる。

「真珠湾攻撃」   1941年(昭和16年)12月8日
「ビルマ侵攻」   1941年12月14日
「ラングーン攻略」1942年(昭和17年)3月8日~1941年12月14日
「ドーリットル空襲」1942年4月18日
「ミッドウェー海戦」1942年6月5日~ 6月7日
「ガダルカナル島の戦い」 1942年8月7日~1943年2月7日
「インパール作戦」 1944年(昭和19年)3月8日~7月3日作戦中止決定)
「対英ラングーン防衛イラワジ会戦」1944年12月~1945年3月28日
「イギリス軍によるラングーン陥落」1945年(昭和20年)5月2日

 ここで最初に取り上げるのはNHKスペシャルの最後の放送である2022年8月15日放送「ビルマ絶望の戦場」とするが、この番組は記事に起こしていなくて、〈NHKスペシャル「ビルマ絶望の戦場」取材班〉取扱いの《インパール作戦後の“地獄” 指導者たちの「道徳的勇気の欠如」》(NHKWEB特集/2022年8月31日 11時55分)の記事が放送番組と重なることから、この記事を利用して、その日本軍検証を眺め、自分なりの解釈を付け加えたいと思う。最初に取り上げる理由は日本軍上層部の無責任体制をイギリス軍司令官が短い言葉で的確に言い当てているからである。この無責任体制を通して日本軍の行動を見ることになる。

 インパール作戦中止から半年経過後の1945年の初頭、日本軍はミャンマー中部を流れるイラワジ河の南岸でラングーン奪還を目指すイギリス軍を迎え撃ち、インパール作戦を上回る死者を出すことになった敗戦を“さらなる地獄”として描き出した記事内容となっている。記事冒頭でいきなりイギリス軍司令官の日本軍に対する鋭い洞察力を紹介している。

 〈太平洋戦争で日本軍と戦ったイギリス軍のある司令官は、日本軍の上層部の体質を次の様に喝破していた。

 第14軍ウィリアム・スリム司令官 「日本軍の指導者の根本的な欠陥は、“肉体的勇気”とは異なる“道徳的勇気の欠如”である。彼らは自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ」〉――

 大本営から始まる日本軍という組織の欠陥、その無責任体制を見事に言い当てている。「計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める勇気がない」と言っていることは、「失敗し、練り直しが必要な計画を練り直さないままにずるずると実行し続ける」という無責任性の指摘に他ならない。この無責任性は失敗を直視する感性の欠如――「道徳的勇気の欠如」によってもたらされる。

 また、道徳的勇気を欠如させた肉体的勇気は蛮勇でしかない。肉体的勇気が道徳的勇気を基盤としていなければ、戦争は単なる殺し合いの場と化し、陣地の取り合いではなくなる。殺し合いの場とした場合、あるいは殺し合いの場に過ぎなくなった場合、殺し合いに障害となる道徳的勇気は最初から排除される関係にあり、逆に陣地の取り合いでこそ、冷静な判断に基づいた沈着で的確な行動を生み出す肉体的勇気は道徳的勇気をこそ基盤としていなければならない。つまり「間違いを犯したこと、計画が失敗し、練り直しが必要であることを認める」道徳的勇気こそが蛮勇とはならない肉体的勇気を導き出す。日本軍の肉体的勇気の多くが蛮勇であったのは合理的な精神に基づかない、大和魂を全ての解決策の万能薬とするような非合理で情緒的な精神論を重要な武器としていたからだろう。精神論は蛮勇を引き出す麻薬でしかない。

 〈インパール作戦が中止された1944年7月から、終戦までの1年間。その間の死者は、ビルマでの犠牲者全体の実に8割近くに上っていたのだ。ビルマ侵攻後の日本の将兵の死者は16万7000。インパール作戦のあと、さらに10万人以上もの命が失われていたのである。〉――

 計算式で出してみる。1941年12月14日ビルマ侵攻~終戦死者数=16万7000人×(インパール作戦1944年7月中止後~終戦死者数)8割=13万3600人。インパール作戦とそれ以降の攻防が如何に日本軍に不利に働き、多くの兵士を如何に無駄死にに向かわせたかが見て取れる。
 
 〈インパール作戦の後にいったい何があったのか。

 インパール作戦中止から半年がたった1945年の初頭。日本軍は、ミャンマー中部を流れるイラワジ河の南岸で、ラングーンの奪還を目指すイギリス軍を迎え撃った。〉――

 イラワジ河の日英衝突は1945年1月から1945年3月28日の約3ヶ月間。決着がついたのは1945年8月15日の敗戦約4ヶ月半前である。

 〈イギリス軍の500機に上る航空戦力の前に、日本は完全に制空権を失っていた。

 さらに、イギリスの陸上兵力は26万。

 それに対し、日本軍はわずか3万。その大半が、インパール作戦で疲弊しつくした兵士たちだった。

 補充兵としてビルマに送られたばかりだった重松一さん(当時22)は、日本軍の惨状を生々しく覚えている。

 歩兵第56連隊 元二等兵 重松一さん(99)証言「『大隊長どの、戦車が来とるとですよ。どうしますか』って聞いたら、『なら下がれ!』と言って。でも、その本人がどんどん逃げながら『下がれ』です。敵から見つけられんように逃げる一方です。日本軍が小銃で一発撃ったって、そんなものも何も役に立たない。日本の大和魂なんて、そんなものは、一切ありません」〉――

 国力の差を反映した物量の差。そして国力が保証する消耗兵器の生産回復力の差が(イギリス軍は米軍からの支援も得ていたであろう)人的・物的戦争資源の差となり、その差が当初からイラワジ河での日英衝突の戦局を大きく支配していた。当然、撤退でもなく、降伏でもなく、戦うと決めた以上、この差を縮めて、差自体を問題外とする戦略を、それがあればのことだが、立てなければならないことになる。

 〈この戦いを指揮したのは、ビルマ方面軍の田中新一参謀長。参謀本部第一部長の時、アメリカとの開戦を強硬に主張した人物だった。

 田中参謀長は、軍上層部の独断で敗北したインパール作戦の失敗の原因を「軟弱統帥にある」と分析し、強気の方針を掲げていた。

 田中新一『緬甸(ビルマ)方面軍参謀長回想録』「徒(いたずら)に消極防守に沈滞することなく、機会を捕らえて積極攻撃によって解決すべき努力が、是非必要であると思う」

 一部の将校からは、戦線をラングーン周辺にまで引いて、長期持久戦に持ち込むべきという声が上がっていた。しかし、田中参謀長は、イラワジ河のあるビルマ中部に防衛ラインを設定。イギリス軍を迎え撃つことを決めたのである。

 しかし、戦力の差を度外視した上層部の命令で、前線の士気は著しく低下していた。

 歩兵第58連隊元曹長佐藤哲雄さん(102)「日本人の兵隊同士で泥棒がはやったの。『お前もう死ぬんだから』というわけで、死にそうになっている人のものを取ってしまう。戦争というよりも自分の身を守るということが、第一にその当時はあった」〉――

 物量の差を一定程度無効にする戦略は夜間の遊撃戦(ゲリラ戦)が有効なはずで、日本軍は中国戦線で中国国民党の軍・国民革命軍の遊撃戦に散々手こずった経験があるはずである。にも関わらず、人的・物的兵力の差を無視して真正面からの「積極攻撃」を仕掛けた。子どもが相撲取りを相手にするようなもので小さな物量で大きな物量にまともにぶっつかっていった。

 〈もはや、日本軍に立ち向かえる戦力はなかった。イラワジ河での戦死者は6500にも上った。戦いは、“無謀”そのものであった。イギリスの国立公文書館に残されていたイギリス軍が日本軍の大本営参謀や現地軍の上層部ら30人に行った尋問調書。

 田中参謀長尋問調書「日本軍が、イラワジ河の防衛線を無期限に持ちこたえられるとは思っていなかった。だが、ラングーンを防衛し続けるための時間を稼ぐことはできると考えたのである」〉――

 イギリス陸上兵力26万に対して日本軍3万、イギリス軍航空戦力500機に対して「Wikipedia イラワジ会戦」によると出動可能機64機。この兵力差でラングーン防衛の時間稼ぎのためにイラワジ河防衛を徹底抗戦に持っていった。要するにイギリス軍によるイラワジ河防衛線突破もラングーン陥落も時間の問題だと予測していた。3ヶ月は持ちこたえたが、ラングーン陥落は1945年5月2日で、イラワジ敗戦からラングーン陥落まで1ヶ月程度しか持ちこたえることができなかったことになるから、合計で4ヶ月程度の時間稼ぎに過ぎなかった。

 勿論、時間稼ぎの可能期間は前以って予測困難だが、イギリス軍を撤退に追い込むことも降伏に追い込むことも不可能で、イラワジ河防衛線突破もラングーン陥落も時間の問題だと予測できた以上、時間稼ぎは物量と士気の差によって消耗戦への挑戦となる。歩兵銃やその弾丸、大砲やその砲弾の消耗等々、兵器・物資は再生産が可能とすることはできるが、味方兵士の命を無視して投入する消耗戦は命が再生産できないだけに時間稼ぎの道具とすることができたのは兵士の命に対しての責任感を持ち合わせていなかったからだろう。だが、上官の兵士の命に対するこの責任感の欠如が日本軍では通用していたことをおいおいと知ることになる。

 イラワジ河会戦の指揮を取ったビルマ方面軍参謀長田中新一が時間稼ぎによって作戦指揮の責任に応える戦略を取ったとする自負は独りよがりの思い上がりに過ぎない。もはや起死回生は不可能な状況にあることを見抜き、残された蛮勇でしかない肉体的勇気を発揮していたずらに死者の数を増やすのではなく、撤退、もしくは投降という道徳的勇気を発揮すべきだったが、できなかった。

 尤も撤退や投降は1941年1月8日に陸軍大臣東條英機が示達した、命を人質に取った最たる精神論の「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓が邪魔をし、恥となることを恐れて選択肢とすることはできなかった可能性は指摘できる。戦陣訓が幅を利かしていたこと自体、日本軍の成り立ちは本質のところで精神主義に支配されていたことになる。この精神主義が合理性を持たせなければならない戦略にそれを持たせることができずに狭めることになっていた。不利な戦況下では早期の退避、早期の撤退、早期の投降・降伏等々、"計画の練り直し"を用いた臨機応変な対応で人的・物的戦争資源のより多くの温存を適宜図り、温存した戦力を以後の戦闘に利用可能な場合はその方向に持っていくといった柔軟な戦略は取り得なかった。柔軟な戦略の欠如は国力の差を国力の差のまま維持し続けることになるばかりか、ときには広げてしまう恐れも出てくる。

 イギリス軍が首都ラングーンに迫る中、現地軍の上層部は臨戦態勢にあらざる態度を取っていた。

 〈若井徳次少尉回想録「芸者を中心とした、高級将校の乱脈ぶりは、目を覆うものがあった。逆境の時の人間の犯す過ちは、何か日本人の欠陥を見る思いである」

 高級将校が通っていたのは、ラングーンにあった芸者料亭「萃香園」。もともと九州にあった料亭がラングーンに出店したものだった。

 今回、萃香園関係者の証言記録も見つかった。

 板前の回想「前線から菊部隊の兵隊さんが帰ってきました。みんなボロボロになった軍服を着ていました。ところが夜でも光々(こうこう)とあかりがついている萃香園の騒ぎぶりを見て、その中のお一人が『軍はええかげんなとこよ。作戦を練りながら女を抱いている』と、涙を流して怒られていました」

 当時、27歳だった若井少尉は、戦争のために大学が繰り上げ卒業となり、入隊していた。

 手記には、軍への失望がつづられていた。

 若井徳次少尉回想録「軍人の世界には、誠のみが支配すると信じていたが、正義以外のものがまかり通っていた。特に軍紀の頽廃(たいはい)にいたっては、欲望の醜悪さのみをさらけ出していた」〉――

 軍上層部のこのような行状も前線で命を賭して戦っている兵士の命に対する責任感の欠如を証拠立てることになる。イギリス軍が迫っていても慌てず騒がずの強がりを軍幹部として演じていたのか、迎え撃つどのような戦略も思い浮かばないままに女を交えたどんちゃん騒ぎに逃避していたのか、戦闘は現場任せの無責任さはまさにイギリス軍第14軍ウィリアム・スリム司令官 が言う「道徳的勇気の欠如」に裏打ちされた行動形態となる。その欠如は蛮勇さえ発揮できない「肉体的勇気の欠如」を伴走者とする。

 〈1945年3月27日、イギリス軍がラングーンに迫る中、日本と協力関係にあったビルマ国軍が対日蜂起する。反乱は瞬く間に全土に広がった。1か月後、ラングーンのビルマ方面軍司令部で異常事態が発生する。

 上層部数人が突如、陥落の危機が迫ったラングーンから飛行機でタイ国境付近に撤退。現地部隊や民間人は置き去りにされたのだ。司令部撤退の決定を下したのは、ビルマ方面軍の木村兵太郎司令官だった。東條英機首相が陸相を兼務していた内閣で陸軍次官を務めていた人物である。

 サイパン島の陥落で東條が失脚したのち、ビルマに派遣されていた。

 イギリス軍は、この突然の撤退についても、木村司令官から詳細に聞き取っていた。

 木村司令官「尋問調書」「寺内南方軍総司令官から電報があり、ラングーンを最後まで防衛することが急務であると言われたが、その指示には従えなかった。イギリス軍の驚異的な進軍を考えれば、ビルマ方面軍がラングーンで孤立し、断絶することは許されないはずである。ラングーンを放棄するという私の決定は、立派に筋の通るものであると確信している」〉――

 方面軍司令部は複数の軍部隊と上下一体の関係にある。ラングーン放棄の理由はビルマ方面軍がラングーンで孤立し、断絶することは許されなかったから。当然、司令部と軍部隊共々ビルマ方面軍全体がラングーン放棄の方向に進むのが順当な手続きとなるが、放棄したのは司令部要員のうちの幹部数人のみであった。残る司令部要員と部隊を置き去りにし、結果、この集団をラングーンで孤立させ、断絶状態に追いやった。例え無線機で指示系統は維持できたとしても、置き去りによる司令部からの孤立と断絶はそれが司令部の数人によるものであっても、司令部全体と軍部隊との物理的且つ心理的な一体性を破壊したことを意味し、軍部隊から見た司令部自体の存在意義を失わせたことになり、そういった信用喪失の経緯に木村司令官は気づかなかった。この鈍感さがビルマ方面軍を代表する自分たち司令部の幹部数人のみのラングーン放棄を「ビルマ方面軍がラングーンで孤立し、断絶することは許されないはずである」という言葉に現れているとおりにビルマ方面軍全体のラングーン放棄と見立てるこじつけを可能とした。

 実態は「イギリス軍の驚異的な進軍」を受けて、方面軍司令部の幹部数人のみが命令・指示もなくイギリス軍の進軍のない場所へ移動したのだから、自分たちだけが生き残ることを考えた撤退そのものである。こういったことができるのは道徳的勇気の欠如がそもそもの素因を成していて、その欠如が行き着くことになる蛮勇さえも発揮できない肉体的勇気の欠如を誘ったと考える以外にない。これらの欠如には兵士の命に対する責任感の欠如も入れなければならない。日本軍上層部のこういった欠如が組み合わさって、兵士の犠牲をいとも簡単に生み出していった。

 〈一方で、撤退した上層部は、置き去りにした将兵や民間人に、ラングーンの防衛を命じていた。日本の商社・日綿実業のラングーン支店では、186人の社員が急きょ召集され、防衛隊として、首都の守備隊に加わっていた。小隊長を命じられた支店長の松岡啓一さんは、司令部に見捨てられ、多くの部下を失った無念を書き残している。

 松岡支店長回想録「軍司令官は『ラングーンを死守すべし』と命令を下したまま、ラングーンに残された吾々(われわれ)は、司令部の撤退を数日後に知り、唖然(あぜん)としたのでした。吾が部隊の行く手には、いつも敵が待ち伏せして邀撃(ようげき)し、世にいう“白骨街道 死の行進”が続きました。日綿支店員も百八十六名のうち、五十二名が戦死の憂き目を見て仕舞ったのです」

 ラングーンに海と陸から侵攻したイギリス軍は、木村司令官らの撤退から11日後、首都奪還に成功した。戦場で日記をつづっていた若井徳次少尉は、ラングーンを再び奪還するよう命じられていた。

 若井元少尉回想録「司令部は、己達のみ逃げ去っておきながら、僅かな在蘭将兵と共に此の無防備な蘭貢(ラングーン)を、『固守すべし』との一片の冷厳な命令を残して去っている。こんな矛盾した考えがどこにあろうか」〉――

 自分たちだけが撤退する卑怯な振舞いをそうと思わせないために指揮命令系統に於ける指揮の主体が誰であるかを知らしめ、自己存在を誇示するシグナルが「ラングーンを死守すべし」の命令だったのかもしれない。己たちの命が惜しくなっただけの道徳的勇気の欠如と響き合わせた肉体的勇気の欠如を本能的に隠すためには毅然とした見せかけの態度が必要となる。

 〈1945年7月。終戦まで、残り1か月。ビルマ国軍は完全にイギリス軍の指揮下に入っていた。

 司令部の突然の撤退で取り残された第28軍を中心とする3万4000の将兵と、ラングーンから逃れてきた多くの民間人は、密林でイギリス軍とビルマ国軍に包囲されていた。〉――

 〈若井元少尉回想録「時々遠く近くで爆発音が起こる。それは手榴弾による、自決者の増加を意味している。衰弱し切った病兵に、無情にも豪雨が追い打ちを掛ける。この生き地獄の転進は一体いつまでどこまで続けねばならぬのであろう」〉――

 〈将兵や民間人は、終戦を知らないまま、9月になっても撤退を続けた。死者は最終的に1万9000に達した。この惨劇について、ラングーンから撤退していた木村司令官は、イギリス軍の尋問に対して、こう語っている。

 木村司令官尋問調書「シッタン河における第28軍の敵中突破作戦は、どの地点で試みても、重大な困難に遭遇し、それに耐えることは難しいと考えていた。私は第28軍がほとんど全滅するだろうと思っていた」〉――

 撤退日本軍兵士に対してイギリス軍が追討作戦に出ている。イギリス軍の物量が遥かに優るということなら、全滅を避け、兵士の命を守るためるための残された唯一の方法は投降以外にない。木村司令官が「全滅するだろうと思っていた」だけで済ましているのは兵士の命を守るための投降という選択肢を全然頭に置かず、兵士という戦争に於ける人的資源の喪失に無頓着だったことの現れでしかない。「戦陣訓」によって植え付けられた捕虜は恥という固定観念が原因だとしても、兵士の命を無駄死にさせていた事実は変えようがない。無駄死にによる戦力低下はやれ学徒動員だ、徴兵年齢の引き下げだと人員補充によって片付けることができたとしても、訓練期間や士気の点で戦争の準備・計画・運用の方法としての戦略そのものを狭めることになる代償を支払わなければならなかったことも事実として横たわる。にも関わらず、戦争期間を通じて兵士の命を軽視し続けた。

 記事はここで前出のイギリス軍第14軍ウィリアム・スリム司令官の言葉を再び伝えている。

 〈第14軍ウィリアム・スリム司令官 「日本軍は、計画がうまくいっている間は、アリのように非情で大胆である。しかし、その計画が狂うと、アリのように混乱し、立て直しに手間取って、元の計画にいつまでもしがみつくのが常であった。確かに戦争では、決意のみで達成できることもあり、決意を伴わない柔軟さでは成果を上げられない。しかし、最終的な成功をもたらすのは、この2つを併せ持つときにほかならないのだ。指揮官としての最も厳しい試練は、この決意と柔軟さのバランスを保つことである。日本軍は決断力によって高い得点を得たが、柔軟性を欠いたために大きな代償を払うことになった」(「Defeat into Victory」より)

 「決意」と見えたものは精神主義に基づいた蛮勇が主体の行動力に過ぎないだろう。当然、「決意と柔軟さのバランス」など望むべくもなかった。このバランスを保持し得ていたなら、退避、退却、撤退、投降、降伏等々、より柔軟な戦略を駆使し得ていただろうし、兵士の命をこれ程までに無駄死にに向かわせることもなかった。もし真の柔軟さを体質とし得ていたなら、精神論を振り回すことも、精神論に頼ることもなかった。蛮勇を引き出す麻薬とする以外に役に立たない精神論は、当然、柔軟さ発揮の障害として立ちはだかることになっていた。 

 記事最後の言葉

 〈77年前、終戦間際という最大の逆境の中で表出していた日本軍の体質。
 これは、いま、さまざまな危機の中に生きる私たちにとって、決してひと事ではない。
 目をそらさずに向き合わなければならない歴史である。〉――

 次は8月9日放送(2021年12月4日放送の再放送)「NHKスペシャル選 新・ドキュメント太平洋戦争1941開戦(前編)」から日本軍の無責任体質を見てみる。

 前置きの言葉、〈もし80年前、太平洋戦争の時代にもSNSがあったなら、人々は何をつぶやいたのだろうか?今、研究者たちが注目するのが、戦時中に個人が記した言葉の数々「エゴドキュメント」だ。膨大な言葉をAIで解析。激動の時代を生きた日本人の意識の変化を捉えようとしている。〉 

 「エゴドキュメント」に注目する理由は表現の自由が制約された時代性から考えて"ホンネ"が散りばめられている可能性を見ての姿勢としている。

 (日中戦争から太平洋戦争までの15年間の戦争での死亡は)〈日本人だけで310万もの命が失われた。〉との記述があるが、パソコン内を調べたところ、〈日本人の軍人軍属などの戦死230万人。民間人の国外での死亡30万人。国内での空襲等による死者50万人以上。合計310万人以上(1963年の厚生省発表)〉のメモを見つけることができた。軍人軍属の死に様の多くは既に触れたように上官の兵士の命に責任を持たない戦闘方法によって無駄死にを強いられていたことと敗戦を重ね合わせると、その殆どが無駄死にそのままで占められていることは容易に想像がつく。勿論、敗戦に関連付けられたこのような膨大な死者数の積み重ねは対米戦争計画自体の不備、あるいは欠陥、計画に則って構築することになる総合的な戦略の不備、あるいは欠陥、さらには個々の戦いが戦争計画そのものに有意性を与えることが可能となる戦略を欠如させていたことを物語ることになる。

 開戦の前年は都市部ではアメリカブームに沸き、ハリウッド映画やジャズが流行していたという。いわば一般的には生活に暗い影を差していることはなかったが、1940年の後半から、「代用品、配給、外米」等々の不自由さを示す単語がエゴドキュメントに現れ始めたと記している。原因は3年に及んでいた日中戦争の影響で、1939年4月米穀配給統制法公布。1940年米穀管理規則実施、政府の管理・統制によって米穀の供出・配給制度が開始されることになったからである。

 子供が生まれて半年が経った東京の一主婦の日記に見るエゴドキュメント。このエゴドキュメントは開戦前年の2月に一人娘が出産したことで書き始めた育児日記に基づいているが、ここに記されているエゴドキュメントから世の中の状況の変化に応じた思いの変化を追っている。

 〈金原まさ子育児日記(1940年)「八月十一日。外米になってから子供の腹こわしが増えた。今月からは麦が入る。7割外米の麦入りときては大変なり。大人は我慢するが子供はかわいそうだ」〉――

 市井の人々の思いとは別に戦争を遂行する上で欠かすことのできない重要な戦争資源でもある食糧の不足を日米開戦前から既に来していた。

 1940年9月27日、日独伊三国同盟締結。記事は、〈ドイツと結んだ日本にアメリカの世論が反発。厳しい経済制裁を求める声は8割に上った。飛行機の燃料やくず鉄などの重要資源の輸出禁止が矢継ぎ早に決まった。〉――と解説している。正式名「日本国、独逸国及伊太利国間三国条約」(コトバンク)の三国同盟は「第二条」で、「独逸国及伊太利国ハ日本国ノ大東亜ニ於ケル新秩序建設ニ関シ指導的地位ヲ認メ且之ヲ尊重ス」、「第三条」で、「日本国、独逸国及伊太利国ハ前記ノ方針ニ基ク努力ニ付相互ニ協力スヘキコトヲ約ス更ニ三締約国中何レカノ一国カ現ニ欧洲戦争又ハ日支紛争ニ参入シ居ラサル一国ニ依テ攻撃セラレタルトキハ三国ハ有ラユル政治的、経済的及軍事的方法ニ依リ相互ニ援助スヘキコトヲ約ス」と、アジアでの日本の支配と「現ニ欧洲戦争又ハ日支紛争ニ参入シ居ラサル一国」、即ち米国に日本が攻撃を受けた際のドイツとイタリア2国の軍事介入を義務としているのだから、名指ししていないものの、アメリカを仮想敵国に位置づけている関係からアメリカの世論が反発。

 記事は触れていないが、実際は1940年9月の日本軍の北部仏印進駐に対して米政府は屑鉄の対日輸出を全面禁止、続いて1941年7月の南部仏印進駐によって1941年7月25日に在米日本資産凍結と同年8月1日に対日石油輸出の全面禁止に出た。日本がフランスに対してこの進駐を容易に成し得たのは1940年5月のドイツ進撃によってフランスが降伏、ヴィシー傀儡政権成立という状況の利を受けたゆえの展開だったが、真珠湾攻撃前に日本軍は南進の一歩を踏み出していた。そしてアメリカの対日屑鉄と石油の禁輸が「資源獲得」の名のもと、日本の南進を日本の思惑以上に誘発することになった。

 1940年(昭和15年)11月15日に海軍大将に任ぜんられた山本五十六の三国同盟締結時の発言を紹介している。
 
 〈「三国条約が出来たのは致し方ないが、かくなりし上は、日米戦争を回避する様、極力ご努力願いたい」〉――

 だが、真珠湾攻撃の際の連合艦隊司令官を務めることになった。

 〈1941年、太平洋戦争開戦の年が明けると、日本はアメリカの経済制裁の影響であえぎ始める。国は不足した鉄などの資源を補うため、市民から供出させた。街中から金属が消え、経済全体が冷え込み始めていた。

 作家・永井荷風は、散歩の途中で見た光景を日記につづっている。

 「道すがら虎ノ門より櫻田(さくらだ)へかけて立ちつらなる官庁の門を見ると、今まで鉄製だったのをことごとく木製に取り換えていた。これは米国より鉄の輸出を断られたためである」

 市民の日記から、「品切れ」「枯渇」など物資不足に関する単語を抽出。1941年1月以降、増加傾向が顕著になっていく。同じ時期、戦争への関心も高まっていた。戦争に関する単語数も増加に転じていた。

 生活の不満の高まりを背景に、アメリカに対する過激な論調が目立つようになっていた。当時のオピニオンリーダー、徳富蘇峰は、1月、ラジオでこう呼びかけた。

 評論家・ジャーナリスト徳富蘇峰「米国は日本が積極的に進んでいけば、むろん衝突する。しかしボンヤリしていても米国とは衝突する。早く覚悟を決めて、断然たる処置をとるがよい」

 さらに、当時のベストセラー作家(北村賢志のこと)が刊行した本。『日米戦わば』。

 「米国なお反省せず。我が国の存立と理想を脅かさんとすることあらば、断然これと戦うべし。日本は、難攻不落だ」

 今でいうインフルエンサー的存在。戦争をあおるような言葉が、人々を捉え始めていた。

 この頃、雑誌が「日米戦は避けられるか」というアンケートをおこなった。4割もの人々が「避けられない」と回答した。

 「米英の妨害を 断然排除して進まねばなるまい」

 静岡・伊東市で書店を営む竹下浦吉さんは不穏な未来を予測していた。

 「日本がドイツと同盟して東亜に新秩序を確立せんとする以上、どうしても米英との衝突は免れぬと思う」

 子育て中の主婦・金原さんも、危機感を抱くようになっていた。

 「日米間の情勢についてだいぶ悲観的な話を聞くようになり、ママたちも本気で心配するようになっている。本当に日米戦が起こったら東京空襲も免れないし、住代ちゃんのような弱い子を、お医者もいない田舎に連れて行って、もしものことがあったらと思うと暗然とする。しかし、何という時代に生まれ合わせたものか!強い母にならねばならない」

 開戦の8か月前。国の指導者たちは、アメリカとの決定的対立を避けるための外交交渉に乗り出そうとしていた。背景には、陸軍が極秘でおこなったアメリカとの戦力比較のシミュレーションがあった。その報告に立ち会った将校の「エゴドキュメント」が残されていた。そこには指導者たちの「本音」が吐露されている。

 「三月十八日、物的国力判断を聞く」

 陸軍の中枢で政策決定に関わった石井秋穂中佐。この日、参謀本部で明かされたシミュレーションの結果は、陸軍の首脳に衝撃を与えた。

 「誰もが対米英戦は予想以上に危険で、真にやむをえざる場合のほか、やるべきでないとの判断に達したことを断言できる」

 資源豊富なアメリカとの戦争が2年以上に及んだ場合、日本側の燃料や鉄鋼資源が不足することが判明。これを受け、陸軍大臣・東條らは、日米戦争は回避すべきと判断した。〉――

 石井秋穂中佐の「三月十八日、物的国力判断を聞く」の発言からは、首相直轄の総力戦研究所日米戦争想定の机上演習報告が1941年8月27・28日の両日で、これより以前に陸軍がアメリカとの戦力比較のシミュレーションを行っていたという事実を窺うことができる。ネットで調べたところ、次の一文に出会うことができた。「陸軍秋丸機関による経済研究の結論」(牧野邦昭/摂南大学)に、〈1940年冬、参謀本部は陸軍省整備局戦備課に1941年春季の対英米開戦を想定して物的国力の検討を要求した。これに対し戦備課長の岡田菊三郎大佐は1941年1月18日に「短期戦(2年以内)であって対ソ戦を回避し得れば、対南方武力行使は概ね可能である。但しその後の帝国国力は弾発力を欠き、対米英長期戦遂行に大なる危険を伴うに至るであろう。」と回答し、3月25日には「物的国力は開戦後第一年に80-75%に低下し、第二年はそれよりさらに低下(70-65%)する、船舶消耗が造船で補われるとしても、南方の経済処理には多大の不安が残る」と判断していた。〉――

 日付は一致していないが、このことを指すのだろう。要するに1941年8月末の総力戦研究所が検証・提示した対米戦争「不可能」の結論を待つまでもなく、陸軍は前者の不可能性程ではないが、2年以内の短期戦という条件づきで「対南方武力行使」に関してのみ、「概ね」という形容詞を冠して大体に於いて武力行使可能性を提示しているが、南方以外の他地域を加えた場合の長期戦は(この想定は対南方武力行使のみで対米戦争は終わりを告げないことの示唆となるが)、「大なる危険を伴う」と対米戦争の困難性を1941年初頭の段階で既に突きつけつけられていた。当然、陸軍も海軍もこの「物的国力判断」に従い、1941年初頭以降、アメリカの国力と比較した日本の国力の程度に基づいた戦争の許容年数を2年以内と区切られた短期決戦で済ます方法を取るか、大東亜共栄圏建設の自存自衛達成にはそれなりの時間の必要性を視野に入れて、「大なる危険を伴う」長期決戦を覚悟する方法を取るか、選択しなければならないが、必要に応じてどちらかを選択できるように両方それぞれの戦略の構築に取り掛かっていたことになる。

 となると、1941年(昭和16年)9月5日の時点で昭和天皇から「アメリカとの戦闘になったならば、陸軍としては、どのくらいの期限で片づける確信があるのか」と聞かれた陸軍参謀総長の杉山元は「物的国力判断」の報告を受けてから9ヶ月を経過しているのだから、短期決戦を取る場合と長期決戦を取る場合とに分けて対米戦争に於ける日本の勝利の方程式を一定程度の具体性を持たせて説明する合理性を持ち合わせていなければならなかった。にも関わらず、「南洋方面だけで」と地域を限定すれば済むわけではないことを限定して、「3ヵ月くらいで片づけるつもりであります」と対米戦争がさも簡単に片付くようなことを匂わせた感覚の持ち主を陸軍大臣、参謀総長、教育総監の陸軍三長官を全て歴任させ、元帥の称号を与えていたのだから、日本軍という組織の程度が想像はつく。

 「物的国力判断」の対米戦争の困難性の提示にも関わらず、日本軍は虫のいいことを考えていた。

 〈日本の物的国力では対英米長期戦を遂行できないことは秋丸機関などの研究により十分認識されており、英米を刺激しない形での南方進出が意図されていた。秋丸機関の研究は1941年前半時点では当局者に日本の国力の限界を認識させ、武力行使を抑制させる働きを持っていた。

 しかし日本側が戦争に至らない範囲での南進策と考えていた1941年7月の南部仏印進駐は対日石油輸出停止というアメリカの強力な経済制裁を引き起こした。これにより対米開戦の機運が高まり、陸軍省戦備課は東條英機陸軍大臣から11月1日開戦を前提として再度物的国力判断を求められた。この結果も「決然開戦を断行するとしても二年以上先の産業経済情勢に対しては確信なき判決を得るのみであった」と岡田は回想している。〉(同「陸軍秋丸機関による経済研究の結論」から)

 2年以上の長期戦には日本の国力(=軍事力)は耐えられないという結論を克服する方法としての「英米を刺激しない形での南方進出」という虫の良さは屑鉄と石油の禁輸によって第一歩でつまづいた。当時の日本は製鋼原料として銑鉄のほかに配合比50パーセント以上の屑鉄を用いる屑鉄製鋼法が主流で、鉄源の約半分は屑鉄利用となっていて、鉄鉱石を溶鉱炉で溶かして銑鉄とし、鋳物、あるいは製鋼原料とする製鉄法は小規模だったことから、兵器製造に欠かすことができない米国の屑鉄の輸出停止は勿論、戦闘機や戦車、艦船の燃料となる石油の禁輸を南部・北部仏印進駐の代償としたことは対米戦シュミレーションのいずれかの時点での予測項目としていただろうが、資源小国としては戦争の不可能性、あるいは困難性を一段と露わな形で突きつけられたことになる。だが、このような状況に反して陸軍内で「対米開戦の機運が高ま」った状況は日米戦争という事態を招くことになったとしても、2年かそこらの短期決戦でアメリカを降伏させる何らかの戦略を持ち得たということでなければならない。断るまでもなく、単なる対米反発からの感情的な対抗心ではあってはならないからだ。

 陸軍の対米戦シミュレーション「物的国力判断」の陸軍内部での最初の報告は1941年1月18日。徳富蘇峰が早期対米開戦論を唱えた日付は「1941年1月」とだけしか出ていないが、どちらが先であっても、報告が悲観的内容であることは国民には知らされていないのだろうから、徳富蘇峰の対米開戦積極論も、当時のベストセラー作家北村賢志がアメリカと戦争しても勝てる、「日本は、難攻不落だ」と強気の自信を示し得たのも無理はない反応ということになる。ましてや一般市民が「生活の不満の高まりを背景にアメリカに対する過激な論調が目立つようにな」って、鼻息だけで対米開戦を唱えたとしても、ある意味当然であろう。勿論、軍部・政府がこのような世論に押されて、開戦を当然視する動機づけの一つとしたということもありうる。

 上記NHK記事は南部仏印進駐を次のように描いている。

 〈「自存自衛上、立ち上がらねばならない場合に備えて、あらためて南部仏印に軍事基地を作るという要求が生まれつつあった」

 独ソ戦により、日本にとって背後のソビエトの脅威がなくなった。その隙に、アメリカの禁輸政策のため欠乏する資源を手に入れようと、東南アジアの資源地帯を押さえようとしたのだ。アメリカは、日米のパワーバランスを崩しかねない日本軍の行動に強く反応した。そして、日本への石油の輸出を止めた。石油の9割をアメリカからの輸入に頼っていた日本にとって、計り知れない打撃だった。軍の指導者たちは、アメリカがそこまで強硬に反応するとは想定していなかった。南部仏印進駐に関わった石井(秋穂中佐)はこう振り返っている。

 「大変お恥ずかしい次第だが、南部仏印に出ただけでは多少の反応は生じようが、祖国の命取りになるような事態は招くまいとの甘い希望的観測を包(かか)えておった」〉――

 先の記事が取り挙げていた、英米を刺激しない形での南方進出の意図という虫のよさが石井秋穂中佐の発言の中に色濃く現れている。要するにこのような虫の良さに全面的に頼った南北仏印進駐だったことを露呈することになる。このことは日本軍がケースバイケースを想定、想定に応じた危機管理としてのそれぞれの戦略を立てていなかったことをも暴露することになる。事態を想定した上での次なる行動と想定しなかった上での次なる行動とでは長期的展望と心の準備に自ずと違いが出てくるだけではなく、対米戦争に備えた厳密な意味での戦略らしい戦略を構築していなかったのではないのかとの疑いが出てくる。

 軍人のエゴドキュメントを紹介している。

 〈海軍のリーダー永野修身「ぢり貧になるから、この際決心せよ。今後はますます兵力の差が広がってしまうので、いま戦うのが有利である」

 海軍次官澤本頼雄「資源が少なく、国力が疲弊している状況では、戦争に持ちこたえることができるか疑わしい。日米の外交交渉の方向に向かうことこそ国家を救う道である」〉――

 前者はその時点での日米の国力の差を背景とした戦力の差を以ってしても早期の対米戦争が日本側に有利に働くと考えていた。当然、そのような条件下で日本を戦争勝利に持っていく戦略が頭にあったことになる。頭になくして早期の戦争を訴えることは無責任となる。海軍大臣や海軍軍令部総長などのを務めた海軍のリーダーなのだから、妥当性は別にして、当然、それなりの戦略は頭にあったことになる。

 一方で対米外交交渉も壁にぶち当たっていた。

 〈10月。開戦の2か月前。日米は対立を深めながらも、ぎりぎりの外交努力を続けていた。アメリカが日米交渉の条件として求めたのは「中国からの日本軍即時撤兵」。しかし、その要求は陸軍にとって受け入れがたいものだった。

 日中戦争での戦死者18万人以上。東條たち陸軍首脳は、撤兵はその犠牲を無にするものとして受け止めていた。では、アメリカとの戦争を選ぶのか。東條は悲壮な面持ちで漏らしたという。

 「支那事変(日中戦争)にて数万の命を失い、みすみす撤退するのはなんとも忍びがたい。ただし日米戦となれば、さらに数万の人員を失うことを思えば、撤兵も考えねばならないが、決めかねている」

 6日後、東條英樹は決断を近衛首相に伝えた。

 「撤兵問題は心臓だ。米国の主張にそのまま服したら支那事変(日中戦争)の成果を壊滅するものだ。数十万人の戦死者、これに数倍する遺族、数十万の負傷者、数百万の軍隊と一億国民が戦場や内地で苦しんでいる」〉――

 要するに東條英機は中国大陸からの完全撤退は膨大な死者まで出して築き上げてきた今までの「成果を壊滅する」ゆえに認めがたいと主張した。一方で軍事力を加えた日米国力の比較から戦争の不可能性、あるいは困難性を何度か突きつけられていたことから、日米開戦したら、「日中戦争での戦死者18万人以上」に加えて、「数万の人員を失う」と計算していた。但しこの計算は開戦を決意する場合は、そして実際に開戦を決意した以上、「数万の人員を失う」ことになるが、何らかの戦略を背景に勝利し、人員喪失に何層倍もする国益を手に入れ、その国益を以って国力発展に利するという方程式を完成させなければならないし、完成させていなければならない。方程式の完成を頭に置かずにこのような発言をしたとしたら、東條英樹は陸軍大臣として無責任極まりない軍人となる。

 こういった勝利の方程式に基づいてのことなのだろう、東條英樹総理大臣のもと、1941年12月8日、真珠湾奇襲攻撃によって対米戦争の火蓋は切って落とされた。石井秋穂中佐の言葉「真にやむをえざる場合」であったとしても、戦略的に計算し尽くされていなければならない。

 市民2人のエゴドキュメントを伝えている。

 〈息子二人を徴兵され、重労働にあえいでいた米農家の野原武雄さん。

 「大戦果を得たり。まったく我が海軍の強さに驚くほかない。大東亜戦の開戦ここに始まる」

 わずかだが、暗い予感を日記に記した人もいた。長野県の教師・森下二郎さん。

 「国民は大よろこびでうかれている。しかしこれくらいの事で米・英もまいってしまうこともないから、この戦争状態はいつまで続くかわからない。あてのつかない戦争である」〉――

 宣戦布告もなく、用意万端の上、不意打ちで襲いかかった真珠湾奇襲の戦果である。ハワイを要衝の地として占領し、日本の基地としたわけでもなく、そのまま引き上げた。資源大国アメリカの国力を以ってする軍事面の回復力を計算に入れる戦略は描いていた開戦であったはずである。1940年の兵士供給源ともなる日本の人口約7200万人。対してアメリカの人口は約2倍近い1億3000人。《太平洋戦争における航空運用の実相》(防衛研究所)によると、1940年採用の零戦以降、終戦までの5年間に海軍が生産した単座戦闘機は約12300機、1941年採用の一式戦闘機以降、終戦までに陸軍が生産した単座戦闘機は約13700機。合計約2万6000機。

 対してアメリカは、《アメリカにおける航空機工業の発達(その2)宇野博二》によると、アメリカ軍の航空機生産高は、

1940年 6,019機
1941年19,433機
1942年47,836機
1943年85,898機
1944年96,318機
1945年47,714機  

 合計約30万3000機。日本の約12倍弱。1944年の96318機に対して1945年47714機と大幅に生産機数を下げたのは戦争勝利によって、生産を急ぐ必要がなくなったからなのだろう。勿論。ヨーロッパ戦線にも向ける必要性を含めた生産高だが、それだけの能力と資源を抱えていた。このような諸々の事情によって日本陸軍の日米の「物的国力判断」での対米戦争困難性や総力戦研究所の日米戦想定机上演習での対米戦争不可能性を答とするに至ったのである以上、これらの不可能性・困難性はアメリカの軍事面の回復力まで予想していたから(総力戦研究所の日米戦想定机上演習では兵器増産の見通しの日米比較を行っている)、これらの克服を可能とする戦略に立って本格的に南方進出を謀ったであろうことを前提に次は以下のNHK記事を見てみることにする。

 《2022年8月NHK総合戦争検証番組は日本軍上層部の無責任な戦争計画・無責任な戦略を摘出し、兵士生命軽視の実態を描出 靖国参拝はこの実態隠蔽の仕掛け(2)》に続く
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2022年8月NHK総合戦争検証番組は日本軍上層部の無責任な戦争計画・無責任な戦略を摘出し、兵士生命軽視の実態を描出 靖国参拝はこの実態隠蔽の仕掛け(2)

2022-10-31 04:43:44 | 政治
 2022年8月10日NHK総合テレビ放送の記事――《NHK新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(後編)」》(2021年12月7日)が取り上げている真珠湾奇襲攻撃と東南アジアの戦争から見えてくる日本軍の上層部が本質的に抱えていた無責任体制を窺ってみる。

 〈この頃ハワイでは、その後の命運を分ける出来事が起きていた。アメリカ軍が試験的に導入していたレーダーが偶然、日本軍の編隊を捕らえた。しかし、報告を受けた将校は、この日到着予定だった米軍機と思い込んだ。住民も日本軍だとは思いもしなかった。

 ハワイ住民 ケントン・ナッシュ証言「驚いたな。今日の演習は徹底的だ。飛行機に日の丸を描くなんて」

 アメリカは日本軍の奇襲に気づくチャンスを逃した。〉――

 東條英機の言う「意外裡な事」(=偶然性主体の計算外の要素)が幸いした真珠湾奇襲攻撃の大成功ということだったのかもしれない。結果論ではあるが、物は取りようで、失敗し、手痛い打撃を受けたなら、手を引いていた可能性は考えられ、泥沼の戦争に陥ることなく、余分な死者を出すことはなかったかもしれない。現実には成功し、本格的な戦争に向かうことになる。日本は最終的な勝利を確信できる確固とした戦略に基づき、自存自衛の信念のもと、大東亜共栄圏建設の偉業に挑むことになったはずだ。最終的な勝利を確信できない戦略など存在しようがない。しかも2、3年の短期決戦での成就を頭に思い描いていなければならなかっただろう。  

 真珠湾奇襲攻撃の成功に一般市民は歓喜して迎え入れた。奇襲攻撃という一般的には成功確率の高い要素を誰も省みることはなかった。そのエゴドキュメント。

 〈金原まさ子育児日記「血湧き肉躍る思いに胸がいっぱいになる。一生忘れ得ぬだろう、今日この日。しっかりとしっかりと大声で叫びたい思いでいっぱいだ。大変なのよ、住代ちゃん、しっかりしてね」

 学生や子どもたちも、興奮の中にいた。

 学生西脇慶弥日記「朝の軽い眠りを楽しんでいた自分は、待ちに待った臨時ニュースの知らせに床をけり、階段をかけ下り、ラジオの前に立った。心臓が破れそうの興奮である」

 国民学校六年生絵日記「この時に生まれ合わせたことは、とても幸福なことであると思う。五時間目、住吉神社へ戦勝祈願に行った。皆、真心込めてお祈りした」〉――

 この初戦で日本が早くも情報隠蔽を働いたことを伝えている。〈繰り返し華々しい戦果が報じられる陰で伝えられなかった事実があった。真珠湾で水中からの攻撃を担っていた潜水艦部隊。2人乗りの特殊潜航艇5隻は、すべて帰ってこなかった。さらに、日本軍機の搭乗員55人が命を落とした。〉――

 不都合をなくし、完璧さの装いを情報の隠蔽によって作り上げる。自らの実力とその実力に対する自らの責任に面と向き合う潔癖さの欠如(道徳的勇気の欠如)が自ずと情報隠蔽という働きに向かわせることになる。正真正銘の実力を直視することができなければ、勝利の方程式となるどのような戦略も成り立たせ不可能となる。過大に評価した実力にどのような戦略も立てようがないことは自明の理である。このことは軍隊という組織や各部隊という集団に対してのみではなく、指揮官個人についても当てめることができる原則となる。自らの実力に対する冷徹な直視の回避は水増しした実力での行動に向かわせ、水増しした分を差し引いた結果しか手に入れることができなかった場合、自ずと責任の回避という手を使って、自らの実力に辻褄を合わせるようになる。

 記事は「大東亜共栄圏」なる言葉は開戦1か月前からエゴドキュメントに増えていると記している。記事も一部触れているが、東亜新秩序建設は前々から言われていたが、同じ開戦約1ヶ月前1941年(昭和16年)11月5日第7回御前会議で、〈一、帝国ハ現下ノ危局ヲ打開シテ自存自衛ヲ完ウシ大東亜ノ新秩序ヲ建設スル為此ノ際対米英蘭戦争ヲ決意シ左記措置ヲ採ル〉との「帝国国策遂行要領」を採択していることのうち、「米英蘭戦争ヲ決意」の文言を隠して国民を鼓舞するために「自存自衛」と「大東亜ノ新秩序ヲ建設」の文言のみを宣伝した結果の傾向ということに違いない。

 真珠湾奇襲攻撃大成功のエゴドキュメントが続く。

 〈埼玉の役場職員「大東亜共栄圏建設の世界史的偉業は、光栄ある大和民族の双肩に、すでに現実のものとして、さん然と登場しているのである」〉―― 

 真珠湾奇襲攻撃大成功=「大東亜共栄圏建設はすでに現実のもの」と把握するに至ったという経緯が見て取れる。中国戦線で近代化されていない中国という国の近代化されていない中国軍を相手に手こずっている状況は食糧の配給制度によって知り得ている情報であったろうし、一方で日本という国が国家経営に必要な各種資源の多くを米国に依存していることの情報にも触れているはずだが、真珠湾奇襲攻撃成功の一事で大東亜共栄圏が既に建設されたかのように興奮する状況は、「光栄ある大和民族の双肩」という言葉に現れているように日本民族への買いかぶり――優越性なくして成り立たない。そしてこの買いかぶり、あるいは優越性は「大東亜共栄圏」なる言葉の中の「共栄」という平等性に反することになるが、自らへの買いかぶり、あるいは優越性によって無自覚なまま放置されることになる。

 記事は米英の経済制裁に対抗するためにアジアの資源地帯を押さえる名目としての「大東亜共栄圏の建設」を戦争目的に加えるべきと主張したのは陸軍で、海軍や石井秋穂(陸軍大佐)ら陸軍の一部は、あくまでも自存自衛の範囲内にとどめておくべきだと考えていたと解説している。
 
 〈陸軍大佐石井秋穂回想録「この戦争は油が切れるまで、日本国家としての経済的及び、国防的生命をつなぐ必要に迫られ、やむにやまれず立ち上がるのである。もしも米・蘭から従前通り油が買える様になれば、戦争目的は達したことになる。最低限の戦争目的を規定しておかなければ、和平が出来にくくなる」〉――

 石井秋穂の発言は短期決戦の戦略を頭に置いている。米軍を一定程度壊滅し、日本とのこれ以上の戦争継続は得策ではないと考えさせ、停戦を選択させる局面にまで持っていく。このプロセスは日米戦を想定した際の戦争の困難性、あるいは不可能性を克服する方策として編み出したであろう長期戦の回避、短期決戦の戦略に適う。但し石井秋穂の思惑どおりに進めるためには短期決戦での完遂を確実にするための戦略の再確認が前提となる。再確認もなく述べたとしたら、短期決戦の必要性にすがっただけの思惑で終わる。

 しかし日本軍は長期戦へと突入していく。日本は当初は日本、満州国、中国の3カ国の「東亜新秩序建設」を掲げていたが資源獲得のための南進の必要性からインドネシア、フィリピン、ベトナム、タイ、マレーシア、シンガポール、インド等々の東南アジアの国々を大東亜共栄圏の勢力範囲とすべく謀った。長期戦への突入は大東亜共栄圏の勢力範囲を広く取り過ぎたための回避不可能な到達点だったのかもしれない。だが、大東亜の新秩序建設のために対米英蘭戦争を決意した第7回御前会議は1941年11月5日で、それよりも約7ヶ月半も前の1941年3月18日に「日米物的国力」比較シミュレーションで対米戦争困難性が報告され、当該御前会議1ヶ月余前の総力戦研究所の日米戦想定では戦争の不可能性を宣告されていた。これらのことを無視したとすると、真珠湾奇襲攻撃を仕掛ける段階で既に短期決戦など念頭になく、長期戦を視野に入れていた疑いが浮上する。疑いが事実そのものとすると、当然、長期戦に適応させた戦略を構築していなければならない。

 日本軍は1941年12月8日にマレー半島上陸、そこでのイギリス軍を破り、さらに1942年2月8日から2月15日にかけてシンガポールに上陸、兵力差2倍のイギリス軍を打ち負かし、攻略。破竹の勢いであった。しかし矛盾も見え始めた。

 〈陸軍中尉・三好正顕日記「食い物も探しながら、戦争せんならん。一昼夜2、3時間眠り、あるいは徹夜で行軍して進み、被服は着の身着のまま、何処へでもごろりと転んで、まるで原始人のよう」

 戦争を継続していく上で、不可欠な食糧の調達がままならない。敵から奪うしかなかった。

 同三好正顕日記「今日は兵営を占領して、ビールあり、ジンあり、ウイスキーありの盛況だ。兵隊たち、敵の黒パンをおいしそうに食べる。何もかも友軍より贅沢である」〉――

 要するに補給を無視し、進軍だけを考えた戦略を採っていた。但し緒戦の段階だからだろう、士気盛んであった。このような場合、攻める側の士気・精神力は攻められる側のそれらを往々にして上回る。このことを勝因の一つとして記憶しておく戦略が必要になる。攻略の要因を部隊の戦闘技術の優秀さだけに置いた場合、攻める側と攻められる側の心理的関係性や地理的・気象的要因等との関係性の違いに応じてときに技術的優秀さは相対化される厳粛な事実を無視、あるいは過大評価することになって、戦略そのものを狂わすことがときとして起こりうるだろう。

 〈すでに日本国内では開戦前から、食糧不足に悩まされていた。戦争で輸入が途絶え、銃後の国民どころか、前線や占領地での食糧補給が厳しくなるのは目に見えていた。日本の指導者たちは開戦前からこのことに気づいていた。

 マレー半島上陸1カ月前の1941年11月5日御前会議、賀屋大蔵大臣発言。

 「南方作戦地域の経済を円滑に維持するがためには、わが方において、物資の供給をなすを要すべきも、我が国はそのために十分の余力なきをもって、当分はいわゆる搾取的方針にいづることやむを得ざるべしと考えらる」

 搾取的方針。それを具体的な占領政策に落とし込んだのが、あの石井秋穂だった。食糧の供給が困難になるという見通しのもと、石井は、「作戦軍の自活」を基本方針に据えた。

 陸軍大佐・石井秋穂回想録「占領軍の現地自活のためには民生に重圧を与えても、これを忍ばしめると規定したことは、大英断のつもりであった」〉――

 「搾取的方針」の「搾取」は有償であるべき物品に対する優越的立場からの強制的な相当部分の代価免除を指し、それなりの体裁を保っていたとしても、この優越性を力とした相当部分の代価免除は “奪う”という要素を本質のところで紛れ込ませている。敵軍からは武器や食糧、敵地住民からは食糧を奪う形式で戦いを継続していく。当初から兵站に関しては行きあたりばったり、出たとこ勝負であったことになる。この出たとこ勝負を吉とするためには連戦連勝の勝ち戦を絶対条件としなければならない。負け戦となった場合、奪う形式にまでは手が回らなくなって、「搾取的方針」は破綻することになる。勿論、個々の戦闘に於ける戦略は、こういったことをも計算に入れていたはずで、負け戦は兵站を停滞、最悪、崩壊させることになるとの予測に立っていなければならない。

 一方で大東亜共栄圏の理想を掲げ、一方で「作戦軍の自活」のために現地人に対する搾取も止むなしとした。但し「大英断のつもりであった」の言葉は「大英断」が裏目に出たことの示唆以外の何ものでもない。

 〈しかしその後、現地を視察した石井は、想像以上に軍紀が乱れている現実を目の当たりにする。

 石井秋穂日記「夕刻、コタバル飛び、渡辺大佐と共にケランタン州の政務を聴取す。皇軍の掠奪強姦を嘆す」

 石井秋穂日記「シンゴラ埠頭を見る。ここも皇軍の掠奪強姦に悩めり」〉――

 ネットを調べてみると、石井秋穂がマレー半島東岸の都市コタバルを視察したのは1942年1月1日。「作戦軍の自活」のための「搾取的方針」が勝ち戦の優者心理に正当性を持たせることになって、優越的な正当性に纏い付かせがちとなる規律を自己中心に置く思い上がりを生じせしめて、食糧や生活用品に対する強制的な相当部分の代価免除が「掠奪」という支配欲へと走らせ、同じ思い上がりが女性に対しても掠奪そのものの支配欲を募らせたといったところなのだろう。日本軍はまさしく道徳的勇気を麻痺状態にさせた蛮勇そのままの肉体的勇気発揮の一人舞台を演じていた。そこのけそこのけとばかりに。

 記事は書いている。〈アジアを解放し、共存するという理想も揺らぎ始めていた。〉――

 結果、陸軍大佐石井秋穂をして回想録に次のように書かしめた。

 〈『これが大東亜戦争の性格を、雄弁に物語るものでもあった』〉――

 石井秋穂の目には日本軍兵士が現地住民に対して絶対君主のように振舞っているかのように見えたのかもしれない。個々の兵士が抱えることになる戦争の現実はともかく、日本政府と日本軍が大東亜共栄圏の理想をどう実現していくか、その実現にしても対米英戦争の最終的な勝利が保証することになるが、戦争そのものに対する総合的な戦略と個々の戦いに於ける戦略とが相互関連し合って最終的な結末を演出することになることから、戦争に臨むに当たってそれぞれの戦略をどのように描いていたかがやはり重要となる。一方で国民は様々な矛盾や不都合を抱えた戦争の現実を知る由もなく、矛盾や不都合を隠し去った見せかけの勝利のみを知らされて、天皇を始め、軍や国への信頼を厚くし、さらなる進撃と勝利を望むことになり、大本営は望みに応じるためと軍のメンツを維持するためにさらに見せかけの勝利を伝え続ける。但し自己中心一方の規律しか持ち得ない組織・集団、他の規律との兼ね合いを推し量ることのできない組織・集団は自らが抱え込むことになった矛盾や不都合の傷口を際限もなく広げていき、組織・集団としての纏まりを失い、収拾が効かなくなる恐れが出てくる。

 中華系の住民の一部が日本軍への抵抗を強めていた。

 〈憲兵の分隊長として治安維持にあたった大西覚は、「日本軍の作戦を妨害する者、治安と秩序を乱す者、また乱す可能性のある者」などを選別し、処刑するよう命令を受けたという。 

 元第二野戦憲兵分隊長・大西覚取調証言「華僑(中華系住民)に対しては相当深刻な注意をせなきゃならんと。不逞分子をもう虐殺して殺して処分していいと。これはえらいこっちゃ、そんなこと言ったって十分調べてもおらんし、もう本当の容疑で、これが本当の敵性で、抗日分子で何するという確証はない。それをすぐに虐殺せよということはですね、非常に人道に反するしいかん。嫌だった。でも命令ならしようがない」(1978年3月18日収録 日本の英領マラヤ・シンガポール占領史料調査フォーラム調べ)

 戦後、イギリス軍による裁判でこの虐殺に関わった大西ら5人は終身刑、2人の死刑が確定した。処刑された司令官は、5千人を粛正したと日記に記しており、裁判の証拠とされた。しかし、シンガポールでは、虐殺は数万人規模にのぼるとみる専門家もおり、研究が続いている。〉――

 「Wikipedia」の「シンガポール華僑粛清事件」の項目に、〈1942年2月から3月にかけて、日本軍の占領統治下にあったシンガポールで、日本軍(第25軍)が、中国系住民多数を掃討作戦により殺害した事件。1947年に戦犯裁判(イギリス軍シンガポール裁判)で裁かれた。〉とある。

 規律のないこの虐殺は道徳的勇気を麻痺させた蛮勇でしかない肉体的勇気によって成し遂げられる。強奪・強姦は戦闘から離れた場所での兵士たちの規律の喪失だが、虐殺は戦闘行為の一環として行われる規律の喪失であり、兵士の中で止むを得ないことと正当化された場合、普段の戦闘行為にも持ち込む危険性を抱える。特に負け戦に影響を与えて、規律の維持への忍耐心を簡単に失わせて、ストレートに規律の喪失に向かわせかねない。この規律の喪失が上官が仕向けているとなると、軍の体質の問題となる。1941年12月8日に真珠湾奇襲攻撃からたったの3カ月余の短期間での日本軍のこの有様で、秩序ある組織・集団としての体裁を取ることができなくなると、目先の勝利だけを考え、なりふり構わなくなり、いつかは無秩序が支配することになる。

 2022年8月13日NHK総合放送《NHKスペシャル 新・ドキュメント太平洋戦争1942大日本帝国の分岐点(前編)》は、〈1941年から1945年までを個人の視点(エゴドキュメント)から歴史のうねりを1年ごとに追体験する〉形式を採り、〈連戦連勝だった日本が、一転して苦境に陥っていく〉経緯から日本の戦争の実体を浮かび上がらせている。このことに便乗して日本の陸海軍の最高統帥機関である大本営が予定として建てた戦争計画を個々の戦いで如何に具体化し得たのか、それぞれの戦略を見ていくことにする。

 市民は1942年を皇軍の連戦連勝の報道を受けて、目出度い正月、目出度い新年として迎えていた。

 〈人々の気持ちを高揚させたのは、リーダーの言葉。1942年2月18日、内閣総理大臣・東條英機が演説する祝典には、10万人が押し寄せた。

 内閣総理大臣 東條英機「聖戦目的の完遂に向かって、諸君と共に、一路邁進(まいしん)せんことを誓うものであります」

 東京の主婦金原まさ子『2月18日日記』 (祝典の様子をラジオで聞いて)「東條首相のマイクの前における万歳発声。全国の民草、街頭にあるものも、家庭にある者も、一斉に日本バンザイを叫ぶ。盛大に挙行された今日の感激を、一生忘れないだろう」

 愛国心、民族意識の高まりを刺激したのは、今で言うインフルエンサー。人気を集めた思想家や学者たちだった。

 大川周明『米英東亜侵略史』「我等の大東亜戦は、単に資源獲得のための戦でなく、実に東洋の最高なる精神的価値及び文化的価値のための戦であります」

 西谷啓治座談会『大東亜共栄圏の倫理性と歴史性』「大東亜では同じ水準に達しているのは日本だけで、あとの民族はレヴェルの低い民族だ。そういうものを引っ張って育てて行き、民族的な自覚をもたす』〉――

 大川周明は大東亜戦争そのものに「東洋の最高なる精神的価値及び文化的価」を付与し、西谷啓治はアジアに対する日本民族の優越性を丸出しにしている。但しその優越性はアジアではアメリカと「同じ水準に達しているのは日本だけ」だとアメリカを上に見たアジアに対する優越性となっていて、これは本人一人だけのものではないだろう。大東亜共栄圏は日本を中心として東亜の諸民族による共存共栄の樹立を目的としていたが、日本民族以外は「レヴェルの低い民族」とするこのような位置づけ、価値観には日本を支配者とし、他のアジア民族を日本の支配を受ける存在とする上下思想の考え方を潜ませ、「共存共栄」は日本の支配をカムフラージュするタテマエに過ぎないことを暴露することになる。

 連戦連勝の高揚した気分に冷水を浴びせたのは1942年4月18日の「ドーリットル空襲」と呼ばれた米軍機による日本本土爆撃だった。

 〈大統領側近の手記による米大統領フランクリン・ルーズベルトの言葉「日本に爆撃する作戦はどうだ。日本をできる限り早く爆撃することが、アメリカ国民の戦意のために、なによりも重要だ」〉――

 〈1942年4月18日金原まさ子日記「高射砲のとどろき、とうとう帝都、敵機襲来。近くの士官学校裏手から、もくもくとした煙。大爆撃。敏感な住代ちゃん、おびえてかわいそうだった」〉――

 日本軍による真珠湾攻撃を逃れた空母部隊が日本近海にまで接近、空母から発進した16機の爆撃機B25で奇襲するという決死の作戦だという。対して日本軍は地上から高射砲を撃ち、撃墜しようとしたが、目的を果たすことができなかった。日本上空への侵入を許し、撃墜不可。このことは日本軍の失態を示すと同時に本土防衛の大きな欠陥を示す事態だったが、大本営はこの事実を隠蔽、米爆撃機9機撃墜を発表。ラジオと新聞で華々しく報道した。

 〈4月22日作家伊藤整日記「昨日、小島君より聞いた所では、落ちた飛行機を写真にとろうとして歩いても、どこにもその現場がない。多摩川辺に落ちた由を聞き出かけると、憲兵が番をして、そこへは立ち入らせない。九機撃墜と発表しているのだから、落ちた敵機の姿が写真に出ないのは変だ」

 4月19日作家山本周五郎「少年が敵機の落とし去った焼夷弾を持ってきて見せる。民家に落ち、三、四軒全焼したとのことだ。敵機のいずれより来しや。戦果どうなりしや。軍の発表明確ならず。よって人々の不安は、不必要なるほどに複雑深刻なり。報道法拙劣」

 4月19日新聞記者森正蔵日記「昨日の空襲に際して、九機を撃墜したという当局の発表も嘘らしい。まさにわが国防史上の一大汚点である」〉――

 〈実は9機撃墜は、迎撃した部隊による見間違えだった。実際にはアメリカ軍の爆撃機は、すべて国外に飛び去っていた。あってはならない誤報を出してしまったのである。軍のメンツに関わる事態に怒ったのが、首相の東條英機だった。

 佐藤賢了『軍務局長の賭け』「東條大臣は大変興奮のおももちで、『陸軍から九機撃墜したとの公表がでたが、どこにも撃墜した跡が見当たらない』『こんなでたらめな報道をやったのでは、今後の戦果の発表の信を内外に失う』恐ろしい立腹であった」

 軍は、誤報を訂正せず、報道機関にあらたな方針を通達した。

 「空襲被害状況は新聞、ラジオは今後は一切不可」
 「空襲関係の発表は大本営一本に統一する」

 敵機に爆撃を許し、誤報を流し、市民に疑念を広げてしまった軍。以降、情報を、大本営が一元管理する方向へ進んでいく。〉――

 東條英機が言う「でたらめな報道」はこのときが初めてではない。立腹も、「信を内外に失う」も、滑稽そのものである。「見間違え」説は日本軍の実力を過大に見せるための虚偽情報流布(=大本営発表)が遠く離れた海外の戦果なら如何ようにも誤魔化しが効くが、国内のこととあって戦果を大々的に見せることができず、露見しそうになり、その露見を誤魔化すための新たな虚偽情報として「見間違え」説を流したはずだ。対米戦端開始の真珠湾奇襲攻撃の初っ端から特殊潜航艇の乗員の座礁捕虜となった1名を除いた残り9名の戦死と日本軍機搭乗員55人の戦死の事実を大本営は隠し、その経緯を東條英機が承知していなかったはずはなく、東條の怒りは叱責という形で虚偽情報に終止符を打つ猿芝居の類いに過ぎなかったろう。

 特殊潜航艇9名戦死は1941年12月8日の真珠湾攻撃から約3か月後の1942年3月6日に発表。隠蔽から一転して公表に転じたのは軍人の手本として九軍神に昇格、戦意高揚と愛国心高揚の対象として利用するためだった。このことは座礁捕虜となった1名の存在は日本人捕虜第1号の恥ある対象とされ、存在そのものが抹消されたことが証明する。軍にとっての不都合を隠し、不都合を時には好都合に変える情報操作は東條英機も主要な共犯者として加わっていたはずである。

 大本営発表の捏造情報に対して関係する軍部署は自らの実力が生んだ実際の戦果を知っていることから、捏造が度重なるにつれて日本軍全体にそのカラクリが知れ渡って捏造そのものに麻痺し、実力に対する冷徹な直視の回避と責任回避を生み出すことになり、この体質はやがて日本軍の隅々にまで浸透していく。このようなイキサツは道徳的勇気の麻痺を伴い、その欠如を深化させていく。

 実際の展開を考えて見ると、1機も撃墜できなかったことは軍のメンツに関わるから、16機÷2=8機+1機で半分以上撃墜したとすることで軍としての体裁を守ろうとした。だが、実際に撃墜したなら、空襲の時間帯は「正午過ぎ」と言うことだから、エンジンから火を吹き、錐揉み状態で落下するとか、エンジンの火で機体が爆発するとかを誰かが目撃できるはずだし、何よりも地上落下後に残骸という物的証拠が残る。煙の如くに何も残さずに消えることはないから、物的証拠となる9機の残骸を確認したことになり、その残骸の写真を大々的に報道させて、軍の手柄を誇示し、戦意高揚の材料とするのが世間に知られている常道だから、それをしなかったから、おかしいぞと思われ、放っておくことができなくなって、「見間違え」説で収拾を図ろうとした。

 大体が撃墜できなかった事実を撃墜したと見間違えること自体が軍の能力にも関わってくる大失態であり、見間違えは日本の領空から飛び去った16機の飛行航跡をレーダーで追跡できなかったことになる新たな事実を炙り出すことになる。その程度の性能のレーダーで日本の空を守っていることの方が問題となるあってはならない見間違えであろう。

 真珠湾奇襲攻撃の連合艦隊司令官山本五十六が米空母発進の日本本土空襲を阻止する方策として思いついたのがアメリカ軍の飛行場などがある重要拠点の太平洋に浮かぶ小島・ミッドウェー攻略だと記事は解説している。日本の攻撃に対するハワイから援軍の米空母部隊を壊滅するという戦略だったというから、ミッドウェー攻略は囮ということになる。ミッドウェー攻略は1942年(昭和17年)6月5日から。真珠湾奇襲攻撃は1941年12月8日。約半年後にハワイの米空母部隊は無視できない規模の戦力を回復していたことになる。

 〈山本五十六手紙「帝都の空を汚されて、一機も撃墜し得ざりしとは、なさけなき次第にて」、「米残兵力をおびきだして、一挙に撃滅できれば結構」〉――

 〈空母「赤城」に乗組み、戦闘の一部始終の記録が任務の大橋丈夫主計中佐手記「印度洋で、英空母ハーメスを易々と撃沈したときのような気分で、又、ミッドウエイの周辺に群棲する伊勢蝦(いせえび)のテンプラを夢みながら、黙々として行進した』〉――

 〈「赤城」には、『戦えば必ず勝つ』という楽観的な空気が満ちていた。〉と記事にあるが、「赤城」だけの気分ではなく、連合艦隊全体を覆っていた安心感なのだろう。「赤城」以外の艦艇全体がピリピリと緊張していたなら、「赤城」も呑気に構えていることができなくなり、大橋丈夫中佐にしても、それなりの緊張感で戦いの場に臨むことになったはずだが、国民総生産米日差12倍、粗鋼生産量も航空機生産量も遥か上を行き、石油の9割をアメリカに頼っていて、禁輸措置を受けた日本の国力に対してアメリカの真珠湾奇襲攻撃で失った空母、航空機等、軍事面の回復力、個々の戦いに於ける戦略や体制の立て直しを頭に置くこともせずに戦う前からのこの警戒感のなさ、危機感のなさ、安心感は軍隊という組織では致命的な欠陥となる。個々の戦いに於ける戦略に狂いを生じさせ、その狂いが日本の戦争計画全体に関わる総合的な戦略をも狂わせていく危険性が生じることになりかねない。

 米空母部隊は日本軍の暗号を解読、日本軍の次の攻撃目標はミッドウエーだと掴んだ。暗号解読能力も、戦争の準備・計画・運用の方法としての戦略そのものに影響を与え、戦略遂行の重要な要素の一つとなる。解読によって日本側の進軍を待ち構えることができ、逆にアメリカの空母から奇襲を受けることになった。航空母艦「赤城」の艦上爆撃機は陸用の爆弾装着、米空母への反撃用に魚雷装着への転換作業が加わり、現場は大混乱に陥った。取り外した陸用爆弾を格納庫に無造作に放置。米軍の急降下爆撃機が襲い、格納庫が火災を起こし、放置された陸用爆弾と魚雷を誘爆。大勢の乗組員と共に沈没することになった。

 問題なのは軍隊という組織にはあってはならない「戦えば必ず勝つ」という楽観論が予想外の突発事態に遭遇して必要以上の狼狽を誘発しただろうということである。狼狽が防御の際に発揮されるべき冷静さのエネルギーをかなり殺ぎ、奇襲をかける側の満を持した姿勢によって発揮されるプラスアルファのエネルギーとのプラスマイナスの差が大きく出る結果となる。

 〈攻撃開始から22時間。山本五十六は作戦の中止を命令する。

 この戦いで日本が失ったのは、空母4隻。死者3057人。遺骨は船と共に5000メートルの深海に沈んだ。

 ミッドウェー海戦の結果を報じる新聞では空母4隻喪失の事実は伏せられ、日本側の戦果が強調されていた。

 日本軍は負けていないと受け取った市民。なぜ、真相が隠蔽されたのか。

 1942年6月5日、大本営にミッドウェー海戦の敗北が伝えられた。衝撃が広がるなか、海軍報道部の士官たちは、大本営発表の準備にとりかかった。

 田代格海軍大佐回想録「驚愕の一語に尽きた。ハワイ海戦(真珠湾攻撃)、マレー沖海戦の赫赫(かくかく)たる勝利も、一度に吹き飛んだ思いであった。大本営発表文中、最大に苦しかった発表であった。軍令部と軍務局の意見が真っ向から衝突して、容易にまとまらず、私は両方を走り回るのみであった」

 議論は三日三晩続いた。報道部は真相を国民に知らせるべきだと主張したという。

 冨永謙吾『大本営発表 海軍篇』「すぐに作戦部の強硬な反対を受けた。軍務局も同意しなかった。課長と主務部員は、国民に真相を知らせて奮起を促す必要ありとして、夜の目も寝ずに関係者の説得に、重い足を引き摺りながら飛び回った」

 真相の公表に反対したのは、作戦指導の中核を担っていた部署だった。公表することは、戦争遂行を危うくすると訴えた。

 吉田尚義『大本営発表はかく行なわれた』「これは当然発表すべきではありません。これだけの大損害を、大本営発表をもって確認することは敵に一層、傍若無人な積極作戦をとらせるだけであります。抗戦持続不可能になる恐れありとすら言えます。戦争中の報道は、当然、作戦の目的にそわしめることが第一義であります。そのため同胞が欺かれる結果となっても、戦争中のことゆえ、真にやむをえないと考えます」〉――

 〈実際の損害を公表すれば、アメリカの攻勢を招きかねない。戦争を続けていくという大義のために国民を欺くことは正当化された。こうして、大本営発表は、真相とはかけ離れたものになった。

 発表された損害は、空母1隻喪失、1隻大破。戦果は、空母2隻撃沈。損害は半分、戦果はほぼ倍。戦果が喪失を上回り、勝ったことになってしまった。〉――

 「同胞が欺かれる結果となっても、戦争中のことゆえ、真にやむをえないと考えます」と虚偽情報の発表を自己正当化しているが、国民だけが「欺かれる結果」となるのか。

 同胞を欺くことができても、大本営発表のカラクリを知ることになる戦闘現場で直接戦う戦闘員は、特に敵の物量が優っていると一目で分かる戦闘では心の底からの戦意を持って戦うことができるだろうか。敗退しても勝ったことになるんだとの冷笑がどこかに芽生えて、その分の戦意喪失と軍上層部への何がしかの不信感を抱えて戦うことになったなら、計算通りの実力は出てこない。結果、「作戦の目的にそわしめることが第一義」の意図に反する事態となる可能性は否定できない。

 日本海軍の中央統括機関である軍令部はこの見せかけの損害と戦果を昭和天皇にもそのまま報告したという。つまり天皇まで欺き、その存在まで蔑ろにした。このようにできたということは、大日本帝国憲法上の「第1章天皇第1条 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」は形式的なことで、天皇は国民統治のために軍部・政府に利用された存在に過ぎなかったことが分かる。

 大体が戦果を偽ること自体が大本営なりに果たすべき責任履行の放棄――責任回避に当たる。この責任を取らない責任回避の体質は真珠湾奇襲攻撃成功の当初から自前のものとしていた。「やむをえない」で済ますことはできない重大な問題となる。

 〈ミッドウェー海戦で従軍したニュース映画のカメラマン牧島貞一は日本へ逃げ戻る船のなかで、大本営発表を聞いた。

 牧島貞一著『ミッドウェー海戦』「ラジオを聞いていると、軍艦マーチとともに、例の聞きなれた平出大佐の声が聞こえてきた。ミッドウェー強襲の大戦果だった。『平出大佐のバカ野郎っ!』『こんなでたらめな放送をして、国民をいい気にさせておいていいのか!』と叫びたくなった。ダイアルをまわすと、今度はアメリカの放送が入ってきた。アメリカの勝利と日本の敗北を報じていた」〉――

 ミッドウェー海戦での大敗北以降、戦況は悪化の一途を辿る。真珠湾奇襲攻撃大成功から半年しか経っていない。短期決戦であったとしても、早すぎる形勢逆転であり、長期戦覚悟であったとしたら、話にならない程のあっけない攻守逆転となる。だが、日米の国力と物量の差を考えた場合、順当な経緯と言えないことはない。形勢の悪化は個々の戦いに於ける戦略の狂いが日本の戦争全体の戦略を狂わしていく道筋を取っていくことになる。繰り返しになるが、戦果を偽れば、敗因を直視することに忌避感が生じかねず、その厳格な分析を避けた新たな作戦計画を次々に立てていけば、その可能性大だが、同じ失敗を繰返す欠陥を抱え込んだままとなりかねない。

 〈ラジオとニュース映画で使われた言葉から「大戦果」や「撃破」「圧倒」など、勝利に関連した言葉を抽出した。ミッドウェー海戦以降も、日本軍の優勢を示唆する言葉が、ニュースでさかんに使われていく。大本営発表は、太平洋戦争全体で見ると、損害はおよそ5分の1に、戦果は6倍に修正されたという。情報の隠蔽や改ざんが、当たり前となっていった。〉――

 日本側がミッドウェー海戦での形勢の逆転を受けてから以降、形勢逆転のまま推移した事実は個々の戦いに於ける暗号解読の情報処理能力をも含めた戦略の拙劣さが日米の国力の差を克服できなかったための総合的な戦略への悪影響を要因と考えると、戦略の拙劣さも国力の差も、如何ともし難い壁となって立ちはだかり続ける欠陥となるから、当然、戦争方針の次なる戦略は名誉ある撤退ということも選択肢として考慮しなければならないはずだが、自らの欠陥をものともせずに日本軍はさらい突き進むことになる。もしかすると、大本営も陸軍大臣兼総理大臣の東條英機も日本の自存自衛のために南方の石油資源や鉄鉱資源を獲得し、そのために大東亜共栄圏を建設するという目的のみを立てて、その目的を実現させるために物量も影響することになる日本軍と米軍の能力の差や、人的・物的資源の応用としての質などの反映としてあるトータルとしての国力の差に裏打ちされた、アメリカとどう戦うのかの総合的な戦略を厳密に立てずに東條英機が言うところの「意外裡な事」(=偶然性主体の計算外の要素)に期待する類いの精神論に依拠し、我々には大和魂がある(2022年11月1日12時40分加筆)、日本は負けるはずがないといった思い込みのもと対米開戦に踏み出し、確固とした戦略を築かないままにズルズルと戦線を拡大していった可能性も考えられる。なぜなら、アメリカと正面からぶつかり合う本格的な戦いに入って以降、総力戦研究所等が出した日米戦の結論、「戦争の不可能性」あるいは「戦争の困難性」を見事なまでに覆す決定的な戦略を一度も発揮し得ず、逆に「戦争の不可能性」あるいは「戦争の困難性」を色濃く見せる戦いを続けることになるからだ。

 最後に2022年8月15日再放送のNHKスペシャル選「戦慄の記録 インパール」から、ここでは個々の戦いを任された各現地部隊の司令官の戦略、その質、全体的な戦況への影響等を見ることにする。インパール作戦は1945年8月15日の終戦より1年5ヶ月前の1944年3月8日に開始された。

 〈73年前、日本軍が決行したインパール作戦。およそ3万人が命を落とし、太平洋戦争で最も無謀と言われたこの作戦は、なぜ決行されたのか。新たにイギリスで見つかった膨大な機密資料や兵士の証言などから、その真相を追う。〉――

 インパール作戦はイギリス領インドに部隊を構えるイギリス軍相手の戦闘となる。当時のヨーロッパ戦線を見ると、ドイツが1941年6月に独ソ不可侵条約を破棄し、ソ連に侵攻。1942年8月23日開始のスターリングラード攻防戦で激しい戦闘を繰り広げた末に1943年2月2日にドイツ軍は敗北。ヨーロッパ戦線攻防の転換点になったと言われている。以後、ドイツは敗戦に追い込まれていく。このことを裏返すと、ヨーロッパに於けるイギリス等の連合国側はアメリカの支援もあり、士気・戦力に余裕が生じていく段階を迎えたことを意味する。スターリングラード攻防戦ドイツ敗北の1943年2月はインパール作戦開始の1ヶ月前である。大本営はこのことを計算に入れたインパール作戦遂行の戦略を立てたはずである。

 〈1944年3月に決行されたインパール作戦は、川幅600mにもおよぶ大河と2000m級の山を越え、ビルマからインドにあるイギリス軍の拠点インパールを3週間で攻略する計画だった。しかし、日本軍はインパールに誰1人、たどり着けず、およそ3万人が命を落とした。〉――

 記事によると、決行1年前の1943年3月に大本営はビルマ防衛を固めるためにビルマ方面軍を新設、ビルマ方面軍司令官河辺正三中将は着任前、首相の東條英機大将から太平洋戦線で悪化した戦局を打開してほしいと告げられていたと書いている。1943年3月当時の陸軍参謀総長は杉山元(任期1940年〈昭和15年〉10月~1944年〈昭和19年〉2月)で、これ以降、東條英機がその後任を引き継いで、首相兼陸軍大臣と共に兼職、権力を集中させているが、ビルマ方面軍に戦局打開の任を与えるか否かは陸海軍の最高統帥機関である大本営であり、その戦略は陸軍の場合は参謀総長をトップとした参謀本部が作成、大本営の認可を受けて河辺正三の任務という経緯を取るから、東條英機の口出しできる戦局打開の任務ではないはずだが、インパール作戦自体は既に発令されていた関係から、東條英機自身の希望としてインパール作戦が決行されることを願い、その決行を以って戦局打開を期待したという可能性はある。

 〈同じ時期、牟田口廉也中将がビルマ方面軍隷下の第15軍司令官へ昇進。インパールへの進攻を強硬に主張した。しかし、大本営では、ビルマ防衛に徹するべきとして、作戦実行に消極的な声も多くなっていた。〉――

 牟田口中将が第15軍司令官へと昇進したのは1943年(昭和18年)3月18日。要するにその当時の大本営の主流はビルマ方面軍の任務はビルマ防衛に限定していた。だが、ほぼ1年後の1944年3月8日に牟田口中将の指揮のもと、インパール作戦決行の軍事行動は開始されることになった。牟田口自身、勝利の方程式となる戦略を思い描いていたことになる。但し実行不可能として反対していた部下の参謀も存在していたのだから、成功するか、失敗するかは自身の勝利の方程式となる戦略が現実に即して実行可能か不可能かを判断する能力にかかることになる。牟田口は実行可能と判断したことになる。

 〈作戦部長眞田穰一郎少将手記「杉山参謀総長が『寺内(総司令官)さんの最初の所望なので、なんとかしてやってくれ』と切に私に翻意を促された。結局、杉山総長の人情論に負けたのだ」

 冷静な分析より組織内の人間関係が優先され、1944年1月7日、インパール作戦は発令されたのだ。〉――

 1944年1月当時の陸軍参謀総長は1943年に軍の最高階級である元帥に昇進していた杉山元だから、1944年1月7日のインパール作戦発令は杉山元陸軍参謀総長による寺内南方軍総司令官の「所望」という形でその実現を眞田少将に依頼。陸軍参謀本部の参謀次長下で作戦、兵站、編成、動員などに関する戦略実務を担う第一部長であった眞田少将は杉山総長の人情論に負けてインパール作戦計画の段取りを付け、大本営がその計画を認可、1944年1月7日に作戦発令を行ったという経緯を取ることになる。

 ネットで調べてみると、寺内寿一(ひさいち)は陸軍中将で、広田内閣では陸軍大臣を務めていたことがあり、当時、タイ、ビルマ、フィリピン、マレーシア、シンガポール等々を管轄する南方軍総司令官に就いていた。以上のようなことからNHK記事は、〈インパール作戦は、極めて曖昧な意思決定をもとに進められた。〉と伝えているが、問題は南方軍総司令官だった寺内寿一がインパール作戦の決行を望むに当たって、勝利の方程式となるどのような戦略を思い描いていたかであり、眞田少将は陸軍参謀本部で作戦、兵站、編成、動員等の実務を担っている関係から、杉山元陸軍参謀総長から「なんとかしてやってくれ」と頼まれた際、どのような戦略を用いてインパール攻略を考えているのかを尋ねたはずだし、役目上、尋ねなければならなかった。だが、「結局、杉山総長の人情論に負けたのだ」と手記に記してある言葉から推測すると、本来なら作戦の決定はそれを進める戦略の適否に従うべきを、戦略に関しては話題としなかったか、話題としても、取り上げる程の戦略ではなかったからか、議論されず、「何とかやりのけるだろう」程度で話をつけた可能性から、結局のところ、人情論が決め手になったという印象を持つに至ったということなのだろう。だが、陸軍参謀総長の杉山元にしても、眞田少将にしても、作戦決行に向けた戦略は結果はどうであれ、計画上は完璧を期す立場にあった。例え人情論に左右されたことであっても、大本営に作戦の進言をするについては人情論で済ますことはできず、最適な戦略を立てた上で取り掛からなければならなかったし、インパールを攻略できる戦略が見つからないということなら、杉山元に「インパール攻略は無理だ」ということを伝えなければならない立場にあった。何もしなかったのは杉山元の無責任は元より、眞田少将にしても、「杉山総長の人情論に負けた」で完結させるのは無責任な振舞い以外の何ものでもなく、無責任が満遍なく横行していた状況が見て取れる。

 〈インパール作戦は雨期の到来を避けるため、3週間の短期決戦を想定し、3つの師団を中心に、9万の将兵によって実行された。南から第33師団、中央から第15師団がインパールへ。北の第31師団はインパールを孤立させるため、北部の都市、コヒマの攻略を目指した。大河と山を越え、最大470キロを踏破する前例のない作戦だった。

 1944年3月8日、作戦が敢行。3週間分の食糧しか持たされていなかった兵士たちの前に、川幅最長600メートルにおよぶチンドウィン河が立ちはだかった。空襲を避けるため夜間に渡河したが、荷物の運搬と食用のために集めた牛は、その半数が流されたという。

 さらに河を渡った兵士たちの目の前には、標高2,000メートルを超える山が幾重にも連なるアラカン山系。車が走れる道はほとんどないため、トラックや大砲は解体して持ち運ぶしかなく、崖が迫る悪路の行軍は、想像を絶するものだったという。大河を渡り、山岳地帯の道なき道を進む兵士たちは、戦いを前に消耗していった。〉――

 「Wikipedia」記事のインパール作戦の目的、〈イギリスの植民地インドを独立させて、イギリスの勢力を一掃するという政治的な目的に加えて、ビルマ防衛のための攻撃防御や援蔣ルート(英領インドから中国蒋介石政府への援助輸送路)の遮断を戦略目的としていた〉と紹介、構想自体はなかなか壮大ではあるが、この構想はこうすればこうなるという成り行きを壮大に述べたものに過ぎない。イギリス軍の兵員規模、兵器の種類と種類それぞれの破壊規模、兵站、それらの予想に立った総合的な攻撃能力、対する同じ内容を持たせた自軍の攻撃能力とその差引き計算、攻撃能力が劣る場合はそれを補う攻撃方法の構築、さらに地理的条件や気象条件等々を組み込んだ戦略を構築し、勝利の方程式を導き出していなければならない。まさかインドの独立だ、援蔣ルートの遮断だといった壮大な構想に酔い、その酔いが成功を確信させ、始めたわけではあるまい。

 但し戦闘遂行に不可欠の兵站面はいつもの物量不足からだろう、この物量不足自体が新たな作戦を仕掛ける資格をもはや失っていることを証明するが、9万の将兵で3週間で攻略する計画だから、3週間分の食糧を持たせた。と言うことは、兵站部隊利用の食糧の後方支援は予定していなかった。想定していた準備・計画・運用そのままの戦略どおりに事は狂いもなく進むことを前提としていた。戦略に狂いが起こりうることを前以って備えていた場合、最低限、狂いに備える心構えで事に当たることになるから、その狂いが修復不可能であっても、何らかの予防策を講じることになるが、前以って備えていなかった場合、狂いにどうにか対処できたとしても、生じるはずもない狂いが生じたことになる予想外の思いが戦略そのものへの疑心暗鬼を駆り立て、その思いに囚われて作戦を遂行することもありうる。 

 3週間分の食糧の中には荷役も兼ねた集めた牛も入っていた。ところが、渡河作戦の途中、半数は流されてしまった。同じ「Wikipedia」記事の「インパール作戦」の項目に牛が渡河中に水の流れに驚かないように訓練したことが書いてあるが、要するに訓練が役に立たなかったということは訓練の方法が間違っていたか、訓練の効果を無効とする流れの状況だったか、そういったことだろうが、結果が全てだから、作戦遂行に狂いが生じて、満足な運用に至らない準備・計画の不完全さが露わとなり、戦わずして戦力の低下を招くことになった以上、戦略に狂いが生じた段階で戦闘継続困難のシグナルと受け止めるべきだが、中止命令は司令官の能力の問題に降り掛かってくるから、できなかったのだろう。

 作戦開始から2週間後のイギリス軍との最初の遭遇戦は大規模な戦闘となり、第33師団は1000人以上の死傷者を出す。イギリス軍は戦車砲や機関銃を用いたとあるが、日本側の地の利が悪かったからなのか、重火器類の数に見劣りあったからなのかは不明だが、前者・後者いずれであっても、戦略の不備か見劣りに関係してくる。特に後者の戦略の見劣りがイギリス軍と比較した場合の装備品不足の影響だとしたら、インパール作戦は精神力でカバーしようとしていたことになる。

 牟田口司令官第15軍〈第33師団の柳田元三師団長は、「インパールを予定通り3週間で攻略するのは不可能だ」として、牟田口司令官に作戦の変更を強く進言。牟田口司令官のもとには、ほかの師団からも作戦の変更を求める訴えが相次いでいたという。牟田口司令官に仕えていた齋藤博圀少尉は、牟田口司令官と参謀との間で頻繁に語られていたある言葉を記録していた。

 齋藤博圀少尉の回想録「牟田口軍司令官から作戦参謀に『どのくらいの損害が出るか』と質問があり、『ハイ、5,000人殺せばとれると思います』と返事。最初は敵を5,000人殺すのかと思った。それは、味方の師団で5,000人の損害が出るということだった。まるで虫けらでも殺すみたいに、隷下部隊の損害を表現する。参謀部の将校から『何千人殺せば、どこがとれる』という言葉をよく耳にした」〉――

 両人の会話から想定される状景は重火器類を駆使して戦闘を決するのではなく、敵重火器弾丸が飛来する中を相手陣地に向けて突入させて、相手弾丸を撃ち尽くさせ、生き残った兵士で陣地を占領、あるいは撃ち尽くす前であっても、命と交換の気持ちになると異常な力を発揮することになって、弾丸をかいくぐって敵陣地に突入、占領し、勝敗を決するというものであろう。但し数人、あるいは十数人が敵陣地に到達できたとしても、その代償に到達人数の何十倍もの兵士の命を差し出すことになるはずで、結果、「何千人殺せば、どこがとれる」という話になる。そして軍上層部の兵士の命を何とも思わないこのような戦略は道徳心のカケラなりとも存在していたなら成り立たないし、兵士自身が自らの命の消耗を前提とし、その上、上官の兵士の命の消耗を前提とした戦略は道徳心に関係しない肉体的勇気への要求でしかないから、 “蛮勇”以外の表現を見つけることはできない。そしてこのような戦略を推し進める基本要素は精神主義以外にない。上官は兵士それぞれに精神力を求めて、味方兵士の命よりも戦闘勝利を重視する。物量が劣勢にあるときはそれをカバーする特別な戦略が必要になるが、二人の会話からはそのような戦略を模索する意思も姿勢も窺うことはできない。窺うことができるのは上官としての兵士の命に対する責任意識の欠如――責任放棄のみである。要するに上官の兵士に対する精神主義の要求は兵士の命に対する道徳心のカケラもない責任意識の欠如・放棄によって成り立つという図式を取ることになる。このようにして兵士の命は軽視され、無駄死にに向かわされることになった。

 終戦直後にイギリス等連合軍がインパール作戦に関与した日本軍司令官や幕僚17人に行った聞取り調査資料を発見。特にインパール作戦の勝敗の鍵を握ることになった第31師団が担った「コヒマの戦い」について詳しく聞き取られていたという。コヒマは第31師団によって一度攻略したが、イギリス軍に奪還された。

 〈第31師団長佐藤幸徳中将調書「コヒマに到着するまでに、補給された食糧はほとんど消費していた。後方から補給物資が届くことはなく、コヒマの周辺の食糧情勢は絶望的になった」
 
 3週間で攻略するはずだったコヒマ。ここでの戦闘は2か月間続き、死者は3,000人を超えた。しかし、太平洋戦線で敗退が続く中、凄惨なコヒマでの戦いは日本では華々しく報道された。

 日本軍の最高統帥機関、大本営は戦場の現実を顧みることなく、一度始めた作戦の継続に固執していた。東條大将の元秘書官は、現地で戦況を視察した大本営の秦中将が東條大将に報告したときの様子を語っている。

 元秘書官西浦大佐の証言「報告を開始した秦中将は『インパール作戦が成功する確率は極めて低い』と語った。東條大将は、即座に彼の発言を制止し話題を変えた。わずかにしらけた空気が会議室内に流れた。秦中将の報告はおよそ半分で終えた」

 この翌日、東條大将は天皇への上奏で現実を覆い隠した。

 東條英機上奏文「現況においては辛うじて常続補給をなし得る情況。剛毅不屈万策を尽くして既定方針の貫徹に努力するを必要と存じます」〉――

 「Wikipedia:佐藤幸徳」の項目に、〈作戦が始まったが、佐藤の予想通り、第31師団の前線には十分な糧秣・弾薬が補給されなかった。第15軍司令部からは「これから物資を送るから進撃せよ」などの電報が来るばかりで、佐藤はその対応に激怒していた。〉

 3週間分の食糧を持たせた。弾薬も3週間分だったことになる。何らかの状況の急変で食糧や弾薬が底をついた場合はどうするかという予備対策は戦略構築の要である。戦闘に悪影響が出たら、元も子ない。だが、糧秣・弾薬共に補給されなかった。敵側が用意周到さの点で上回る戦略を用いたために敗北や失敗を招くのはある意味仕方がないが、用意周到さの点で無頓着な戦略を用いたことからの敗北や失敗は指揮官の重大な責任となる。3週間攻略予定のインパール作戦にあってその手前140キロ近くのコヒマの戦闘は2か月間続き、死者は3000人を超えたが、国内では実情を隠す大本営発表が行われていた。

 大本営の秦三郎中将が現地で戦況を視察(インパール作戦1944年3月8日開始2ヶ月後の5月初旬から中旬にかけてか)、同じく大本営(陸軍部)に詰めていた東條英機に作戦の悲観的成功可能性を報告した。不都合な事実を受け付けなかっただけではなく、海軍軍令部がミッドウェイ海戦の戦況報告で天皇を欺いたように東條は不都合な事実を覆い隠して天皇を欺く報告をした。前者の戦況報告に関して天皇は国民統治のために軍部・政府に利用された存在に過ぎなかったと書いたが、こういった経緯から政府・軍部等が、勿論東條英機をも含めて、天皇の存在理由をどこに置いていたかを明瞭に汲み取ることができる。彼らにとって天皇の存在理由としていた絶対性は見せかけに過ぎず、その絶対性は国民のみに向けられていたもので、国民統治の格好の道具として利用されていた。要するに天皇の絶対性を信じていたのは国民だけで、だから、「天皇陛下万歳」と言わせて命を投げ出させることができた。

 東條の天皇への上奏は補給(後方支援)は滞りなく行うことができる体制を辛うじて維持している、そのような体制のもと、堅固な不屈の意志であらゆる手段を尽くして既定方針の貫徹に努力することが必要というもので、努力を条件に成功する見込みを告げた言葉だが、補給に関してはウソで塗り固めた報告でしかなく、戦いの条件とし得ない以上、「剛毅不屈万策を尽くして」は精神力頼みの域を出ないことになる。柔道で相手も体一つ、こちらも体一つの戦いなら、精神力がモノを言う場合がある程度あるだろうが、敵の弾丸が雨あられと飛んでくる中でこちらは打つ弾に事欠き、突撃ありの精神力だけでは相手に与える打撃は少なく、味方の打撃が増すばかりなのは目に見えているが、東條英機はそこに目を向けずに精神論だけをブチ上げ、精神論に勝機を預けていたということは補給や戦況の進捗・遅滞に応じて進撃・待機・投降・撤退等を臨機応変に選択する柔軟な戦略は考慮の外に置いていたことを証明することになる。このことは1941年8月の総力戦研究所の日米戦想定机上演習の結果報告「戦争は不可能」に対して40年近く前の日露戦争を持ち出し、"意外裡な事"(=偶然性主体の計算外の要素)が戦争勝利の要因となる云々を説いたことが戦略を頭に置かない精神論で終わっていたことをも証明することになる。そしてこういった精神論は陸軍統率の参謀総長(1944年2月から就任)としてお、一国の国民を率いる総理大臣としてのそれぞれの責任の放棄をも証明することになり、その無責任体制は救い難く、その体制は否応もなしに兵士の命だけを消耗させる構図を取ることになっていた。   

 第15軍牟田口司令官は苦戦の原因は師団長、現場の指揮官にあるとして全師団、第15師団、第31師団、第33師団の師団長全員を更迭。作戦中の更迭は異常事態だと記事は書いている。牟田口は自ら最前線に赴き、第33師団で陣頭指揮を執る。〈全兵力を動員し、軍戦闘司令所を最前線まで移動させることで、戦況の潮目を一気に変える計画を立てたのだ。〉――とあるが、食糧や武器の補給なくして戦況の潮目を変えるという殆ど不可能事そのものに挑戦した。当然、本人の頭にあったのは個々の兵士が持つ精神力の発揮、精神力頼みだった。

 〈ビルマ奪還に当たっていたイギリス軍のスリム司令官の証言「われわれは、日本軍の補給線が脆弱になったところでたたくと決めていた。敵は雨期までにインパールを占拠できなければ、補給物資を一切得られなくなることは計算し尽くしていた」〉――

 イギリス軍は日本軍が順当に補給を受けていたと見ていたことになる。だが、記事は触れていないが、第31師団長佐藤幸徳中将は何ら補給のない状況での進撃は不可能と見て、上官の命令は絶対の軍ルールを無視し、ビルマ方面軍宛に司令部批判の電文を送り、コヒマから無断撤退している。要するに食糧・弾薬の
補給を重視・優先し、補給がないままに相手に損害を与える手段として兵士自らの命と交換させるといった精神主義は限界と見て、途中で放棄した。

 〈インパールまで15キロ。第33師団は、丘の上に陣取ったイギリス軍を突破しようと試みる。この丘は、日本兵の多くの血が流れたことから、レッドヒルと呼ばれている。作戦開始から2か月、日本軍に戦える力はほとんど残されていなかった。牟田口司令官は、残存兵力をここに集め、「100メートルでも前に進め」と総突撃を指示し続けた。武器も弾薬もない中で追い立てられた兵士たちは、1週間あまりで少なくとも800人が命を落とした。〉――

 日本軍は作戦を裏付ける戦略がないままにインパール作戦を開始し、進軍を裏付ける戦略もないままに開始した作戦を闇雲に進めていった。進軍を支えていたのは補給の裏づけがない徒手空拳の精神力がウエイトを占め、このことは「100メートルでも前に進め」と前進の目標を「100メートル」にしか置くことができないにも関わらずにそれを敵陣地までと期待する精神力頼み自体に現れているが、イギリス軍の補給の保障を受けた、少なくとも日本軍よりも豊富な物量とその豊富さが兵士に与える戦力的にも精神的にも優位な士気の差によっていたずらに日本軍兵士の死者の数を積み増していくことになっていった戦闘しか頭に浮かべることができない。当然のことだが、こういった展開には軍戦闘司令所を最前線にまで移動させ、陣頭指揮を取った第15軍牟田口司令官の精神論に依拠しない作戦の準備・計画・運用の方法としての戦略というものに対する責任意識、兵士の命そのものに対する責任意識はいずれも感じ取ることはできない。このように見てくると、インパール作戦がやれ、インドの独立だ、援蔣ルートの遮断だといった壮大な構想に酔い、その酔いが成功を確信させただけで満足な戦略もなしに始めたように見えてくる。

 インド、ビルマ国境地帯は1944年6月に降水量世界一と言われている雨季に入った。日本、イギリス共に悪条件は同じだが、戦闘を優勢に進めている側と劣勢に立たされている側とでは悪条件の程度が違ってくる。こういったことも計算に入れるのも戦略策定能力に関係してくる。この年は30年に1度の大雨だったという。3週間で攻略するはずだった作戦の開始から3ヶ月が経ち、推定1万人近くが命を落としていた。大本営の作戦中止決定は1944年7月1日。1944年3月開始から4ヶ月後。但し戦死者の6割が作戦中止後の発生だという。つまり救出作戦は行われなかった。大本営の作戦中止決定には救出作戦という項目は設けられなかった。兵士という戦争資源の処遇に対して、その命に対して軍という立場上、負わなければならない任務及び義務を果たす責任を放棄した。この責任放棄はインパール作戦でのみ見られた現象ではなく、他の戦闘でも広く見られた現象であることから、日本軍全体の体質となっている責任放棄であろう。大体が精神主義自体が戦略放棄に相当することになり、軍という集団の戦略放棄は軍組織としての体質そのものとしてある責任放棄と表裏一体の関係を取る。

 〈レッドヒル一帯の戦いで敗北した第33師団は、激しい雨の中、敵の攻撃にさらされながらの撤退を余儀なくされた。チンドウィン河を越える400キロもの撤退路で兵士は次々に倒れ、死体が積み重なっていった。腐敗が進む死体。群がる大量のウジやハエ。自らの運命を呪った兵士たちは、撤退路を「白骨街道」と呼んだ。

 一方、コヒマの攻略に失敗した第31師団。後方の村に食糧の補給地点があると信じ、急峻な山道を撤退した。しかし、ようやくたどり着いた村に、食糧はなかった。分隊長だった佐藤哲雄さん(97)は隊員たちと山中をさまよった。密林に生息する猛獣が弱った兵士たちを襲うのを何度も目にしたという。

 佐藤哲雄さん証言「(インドヒョウが)人間を食うてるとこは見たことあったよ、2回も3回も見ることあった。ハゲタカも転ばないうちは、人間が立って歩いているうちはハゲタカもかかってこねえけども、転んでしまえばだめだ、いきなり飛びついてくる。」

 衛生隊にいた望月耕一(94)さんは、武器は捨てても煮炊きのできる飯盒を手放す兵士は 1人もいなかったという。望月さんは、戦場で目にしたものを、絵にしてきた。最も多く描いたのが、飢えた仲間たちの姿だった。

 第31師団衛生隊元上等兵望月耕一さん証言(94)「(1人でいると)肉切って食われちゃうじゃん。日本人同士でね、殺してさ、その肉をもって、物々交換とか金でね。それだけ落ちぶれていたわけだよ、日本軍がね。ともかく友軍の肉を切ってとって、物々交換したり、売りに行ったりね。そんな軍隊だった。それがインパール戦だ。」〉――

 軍としての責任と義務を放棄した救出作戦の不履行――軍上層部の兵士の命への軽視が兵士たちを人間以下のケダモノに変え、軍組織を収拾の効かない最悪の無秩序集団に変えた。撤退時に於いても後方支援できる食糧の調達が不可能だったとしたら、勝利を絶対条件としたインパール作戦の立案と立案に基づいて構築することになった戦略自体が身の程知らずの高望みだったことになり、現状把無能力の責任の有無が問われる。

 〈齋藤博圀少尉の日誌「七月二十六日 死ねば往来する兵が直ぐ裸にして一切の装具をふんどしに至るまで剥いで持って行ってしまう。修羅場である。生きんが為には皇軍同志もない。死体さえも食えば腹が張るんだと兵が言う。野戦患者収容所では、足手まといとなる患者全員に最後の乾パン1食分と小銃弾、手りゅう弾を与え、七百余名を自決せしめ、死ねぬ将兵は勤務員にて殺したりきという。私も恥ずかしくない死に方をしよう」〉――

 結果的にインパール作戦の補給・兵站無視の無責任な戦略が徐々に育んでいった、だが、この手の戦略の必然とも言える最終場面での飢餓地獄の一場面、一場面ということになる。

 〈太平洋戦争で最も無謀といわれるインパール作戦。戦死者はおよそ3万人、傷病者は4万とも言われている。軍の上層部は戦後、この事実とどう向き合ったのか。

 牟田口司令官が残していた回想録には「インパール作戦は、上司の指示だった」と、綴られていた。一方、日本軍の最高統帥機関・大本営。インパール作戦を認可した大陸指には、数々の押印がある。その1人、大本営・服部卓四郎作戦課長は、イギリスの尋問を受けた際、「日本軍のどのセクションが、インパール作戦を計画した責任を引き受けるのか」と問われ、次のように答えている。

 大本営服部卓四郎作戦課長「インド進攻という点では、大本営は、どの時点であれ一度も、いかなる計画も立案したことはない。インパール作戦は、大本営が担うべき責任というよりも、南方軍、ビルマ方面軍、そして第15軍の責任範囲の拡大である」〉――

 イギリス側は計画と責任を一対の項目と捉えて質問している。牟田口廉也の「インパール作戦は、上司の指示だった」が事実だとしても、直接指揮したのは第15軍司令官牟田口廉也である。食糧・弾薬の後方支援の最終調整者は牟田口廉也自身であった。進軍だけを命令し、食糧・弾薬の後方支援要請を無視した。後方支援が不可能な状況であったなら、撤退の命令を下すべきを不可能を可能とする万能薬とはならない精神論をあたかも万能薬であるかにように頼って、傷口を広げていった。

 陸軍参謀総長東條英機の前任者杉山元陸軍参謀総長は1943年3月当時、大本営陸軍作戦部長眞田穰一郎少将に対して「寺内(総司令官)さんの最初の所望なので、なんとかしてやってくれ」と言い、インパール作戦が大本営の承認を得るよう取り計らいを請い、その結果、1944年1月7日に大本営によってインパール作戦は発令された。

 東條英機にしても陸軍参謀総長に就任、首相と陸軍大臣とを兼任することになってから、現地戦況を視察した大本営の秦三郎中将が東條英機に作戦の悲観的成功可能性を報告した際、その報告に取り合わず、天皇への上奏で作戦続行を伝え、精神論を手段とした作戦の成功可能性を臭わせている。にも関わらず、作戦、兵站、編成、動員などの戦略実務を担う大本営の作戦課長服部卓四郎はビルマ各現地軍が責任範囲を拡大させて行った作戦であって、大本営には関係しない責任事項だと言ってのけている。百万歩譲って、言っていることを事実と認めた場合は天皇直属の最高戦争指導機関、陸海軍の最高統帥機関である大本営がビルマ各現地軍をコントロール下に於いて統率・指揮できなかった責任を新たに発生させることになるが、このことに無頓着な無責任を見せている。

 この大本営の部隊に対する責任転嫁は卑怯で卑しい。責任を潔く認める道徳的勇気は見当たらない。インパール作戦は無責任な戦略で始まり、無責任な途中経過を経て、撤退する兵士を見殺しにする無責任な戦略で終わりを告げ、そこに軍上層部のより下位の部署への責任転嫁が加わった。この責任転嫁は倫理観の欠如と道徳観の欠如が動機づけとなっている。

 以上見てきたように日本軍上層部は言葉だけで作り上げた立派な精神論を振りまわして組織や階級や自らの立場に威厳ある装いを施しはするが、それは程度の低い戦略立案能力をカムフラージュする狡猾な外観に過ぎず、結果、無責任を恣にすることになり、全体的に道徳心のカケラも、倫理観のカケラもない、それゆえに道徳的勇気も肉体的勇気も欠如させた日本軍人とは名ばかりの見せかけの存在でしかなかった。この愚かしい見せかけによって700万人余の陸海出征兵士の多くが過酷な労苦を強いられ、うち日本軍人軍属戦死230万人、その9割方は占める下層兵士200万人余の運命を希望なき死へと向かわせただけではなく、国外で民間日本人30万人、国内では本土空襲等によって民間日本人50万人を死に追いやり、その影響で終戦直後に12万人の戦災孤児を作り出し、その多くに艱難辛苦の人生を歩ませた。

 この罪・責任は本人たちは道徳観や倫理観を欠いた無責任集団であることから自己弁護や自己弁解で言い逃れはできても、「人間として」という意味合いに於いて、また歴史の教訓としていつまでも記憶しておかなければならない究極の罪悪であろう。

 であるにも関わらず、保守党政治家、その代表格安倍晋三が靖国参拝の目的について頻繁に使う常套句「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊に尊崇の念を表するために参拝した」の「国のために戦い、尊い命を犠牲にされたご英霊」という戦死に至るプロセスのうちの「国のために戦い」は確かに国を対象とした兵士の自発的行為と位置づけることは可能であるものの、「尊い命を犠牲にした」の丁寧語である「尊い命を犠牲にされた」を同じく国を対象とした兵士個人個人の自発的行為の文脈で捉えることは日本の戦争の実態から言って、狡猾な歴史改竄を紛れ込ませていることになる。

  “尊い命の犠牲”はその多くが日本軍上層部の精神論だけで突っ走った無責任な戦争計画、無責任な戦略、個々の戦闘に於ける強引で無責任な作戦から発した被害としてある理不尽な犠牲だからであり、言ってみれば、日本軍上層部の愚かさの生け贄にされた“尊い命の犠牲”が実態だからである。その無責任な愚かさがなかったなら、むざむざ犠牲になることはなかった。

 当然、かつては安倍晋三を筆頭として、兵士の自発性と見せかける「国のために」云々の靖国参拝は日本軍上層部の無責任で愚かしい戦略や兵士の命を何とも思わない生命軽視の無責任や責任を負わない組織的体制、軍上層部個人個人の本来的な性格傾向と見える無責任体質等々の日本軍の実態を隠蔽する仕掛けを施していることになり、逆に戦争主体の国家・軍部の無能・無責任の罪を問わない仕掛けとなり、このような両面を持った仕掛けが毎年、終戦の月の8月と春と秋の例大祭の靖国神社を舞台に繰り返し演じられるに至っている。

 2022年も銃撃死する前の安倍晋三、その他高市早苗、西村康稔、萩生田光一、小泉進次郎、超党派議連等々の右翼の面々が日本軍の無能・無責任を受けて無駄死にさせられた多くの日本軍兵士に対して理不尽な犠牲という実態隠蔽の仕掛けを一方で施すと同時に戦前日本国家の無能・無責任の罪を問わない仕掛けを施すことになる靖国参拝が例年どおりに演じられた。そして毎年繰り返されるだろう。

 《2022年8月NHK総合戦争検証番組は日本軍上層部の無責任な戦争計画・無責任な戦略を摘出し、兵士生命軽視の実態を描出 靖国参拝はこの実態隠蔽の仕掛け(1)》に戻る
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

立憲民主党代表泉健太の2022年9月8日衆議院議院運営委員会安倍晋三国葬関連質疑を採点すると30点

2022-09-30 06:33:13 | 政治
 2022年9月27日に行われた7年8ヶ月の長期政権を築いた安倍晋三を国葬とすることの根拠、正当性等を巡り、前以って2022年9月8日に衆参両院の議院運営委員会で各党の質疑が行われた。7年8ヶ月の長期政権は消費税増税の2度に亘る延期と国民不人気の政策の争点隠しを駆使した選挙巧者であったこと、弱小野党のドングリの背くらべに恵まれて対抗しうる勢力が存在しなかった政治状況の賜物に過ぎなかったし、7年8ヶ月によって円安・株高の景気状況はつくり上げたが、その状況は企業利益増大と富裕層の所得拡大への貢献に大きく傾き、一般市民の生活を実質賃金低迷と円安からの物価の高騰で苦しめた。要するに安倍晋三は企業や金持ちの味方だった。結果として格差拡大社会を作り上げることになった。国葬とした理由の一端はここにあったはずだ。

 政治家は国民の負託を受けてその存在を成り立たせている以上、その政策能力だけではなく、人格の質も重要な要素として必要とされるが、政治がチームワークである関係上、例えカネの力やハッタリ、押しの強さ、巧妙な立ち回り等々で人を集める能力に長け、一定の勢力を築き、その頂点に君臨することになると、その集団に協力する政治家や官僚が出てきて、彼らが提供した政策アイデアがその政治家の政策として表に出ることになる場合があり、その政策が集団の頂点に立った政治家の政策能力の賜物しての評価となり、その評価が前面に出て、人格の質を遥か背景に退かせることが起こりうる。

 例えば2016年8月に唱えた「自由で開かれたインド太平洋」なる外交構想は安倍外交の最大の功績の一つとされているが、「自由で開かれたインド太平洋誕生秘話」(NHK政治マガジン/2021年6月30日)によると、現在、外務省総合外交政策局長(外務省北米局長)を務めている市川恵一(57歳)の発案が事の起こりだそうで、この外交構想の世界的な評価を前にした場合、モリカケ問題や「桜を見る会」等々の政治の私物化疑惑に見ることになる人格の質は影さも見えないものとしてしまうし、2014年8月の広島土砂災害時に多くの死者が予想されるさなかにゴルフに興じることができた国民の人命に対する軽視から窺うことができる人格の質にしても、見過ごされてしまうこととなり、現実問題としても見過ごされ、国葬という待遇を受けることになって、人格の質は国葬要件から完全に排除されることになった。

 確かに「自由で開かれたインド太平洋」構想は言葉そのものは高邁で素晴らしく、安倍晋三の評価を高めはしたが、その実現は海洋進出の行動を取る覇権大国中国の覇権主義からの転換によって果たすことができるのだが、転換に向けた姿勢を採らせるどころか、海洋進出への動きをますます強めている現状では構想は見せかけで終わっていて、成果は何一つ上げているわけではない。

 こういった見せかけを無視して安倍晋三の業績を国葬でどれ程に盛大に評価しようと、外国首脳を何人招こうと、弔問に国民が何人訪れようと、マスコミがどれ程の量で報道しようと、銃撃を受けてあの世に召されてしまった安倍晋三自身は儀式の一つ一つをもはや目にすることも、耳にすることもできない。できたなら、外国を何カ国訪問した、外国首脳と何回首脳会談を開いた、プーチンとの首脳会談は27回もこなしたと回数や人数を自慢の種にしてきたことからすると、弔問に外国首脳が何人訪れた、16億6千万円の盛大な国葬だと誇らしい気持ちになって、のちのちまでの自慢の種にもするだろうが、にこやかな写真でしか存在することができない。死者本人にとってどのような葬式か認識できない以上、所詮、葬式の名目、規模の類いはこの世に遺された政治的利害関係者の政治上の打算や家族や親類縁者の名誉心や世間体等を満足させる方便に過ぎない。大体が国民の6割方が国葬に反対、4割方のみが賛成ということなら、「故安倍晋三4割国葬」と名付けるべきが民意に対する等身大の受け止めとなるだろう。

 議院運営委員会質疑は立憲民主党代表泉健太の発言を取り上げ、思い通りの展開ができたのかどうか、採点してみることにした。質疑トップバッターは天下の東大法学部卒67歳、通産大臣や運輸大臣を務めた田村元の娘婿の比例近畿ブロック選出自民党盛山正仁。2番バーッターが立憲民主の泉健太。盛山正仁は多くの国民が国葬を批判しているが、「なぜ国葬儀としたのか」と尋ねている。泉健太は盛山正仁が聞いているからだろう、同じ質問はしなかった。だが、国葬に批判、もしくは反対しているのだから、「同じ質問になるが」と断って、改めて問い質すべきだった。同じ答弁だったとしても、答弁の一つ一つに反論を加えることによって国葬とすることの根拠、あるいは正当性に対する疑義を論理的に示すことができる。論理的であることは説得力を与える助けとなる。このような手続きを踏まなかったことは質疑の採点に芳しからぬ影響を与えることになる。

 では、泉健太の質問との兼ね合いを知るために盛山正仁の「なぜ国葬儀としたのか」に対する岸田文雄の答弁を見てみる。

 岸田文雄「国葬儀としたことの理由について御質問を頂きました。

 安倍元総理については、憲政史上最長の8年8か月に亘り内閣総理大臣の重責を担われました。日本国133年の憲政の歴史の中で最長の期間、重責を担われたということ。

 また、その在任中の功績につきましても、かつて日本経済六重苦と言われた厳しい経済の状況の中から、日本経済再生について努力を続けてこられた。また、外交においても、普遍的な価値や法の支配に基づく国際秩序をつくっていかなければいけないということで、自由で開かれたインド太平洋、またTPPの妥結にもこぎ着けるなど、様々な成果を上げられました。また、東日本大震災からの復興という大切な時期に重責を担われた、こうしたこともありました。こうした様々な分野で大きな功績を残されたこと。

 そして、これに対して国内外から様々な弔意が寄せられている。特に、国際社会においては、多くの国で、議会として追悼決議を行う、政府として服喪、喪に服することを決定する、また、国によってはランドマークを赤と白でライトアップするなど国全体として弔意を示す、こうしたことを行った。

 さらには、先ほども申し上げましたが、選挙運動中の非業の死であったこと。

 こういったことを考えますときに、故人に対する敬意と弔意を表す儀式を催し、これを国の公式行事として開催し、海外からの参列者の出席を得る形で葬儀を行うことが適切であると考え、国葬儀の閣議決定を行ったものであります。

 特に、海外からの弔意を見ますと、合わせて1700を超える多くの追悼のメッセージを頂いておりますが、多くが日本国民全体に対する哀悼の意を表する趣旨であるということからも、葬儀を国の儀式として実施することで、日本国として海外からの多くの敬意や弔意に礼節を持って応える、こうした必要もあると考えた次第であります」

 盛山正仁は聞きっぱなしで、つまり岸田文雄に言わせっぱなしで、何らの賛意も反論も試みることなく、費用ついての質問に移る。岸田文雄に国葬とすることの正当性、その理由を披露させるために用意した質問に過ぎなかった。前以って示し合わせてそうしたのか、示し合わさなくても、阿吽の呼吸で正当性を演出し合ったといったところなのだろう。

 岸田文雄は盛山正仁に対して安倍晋三の「在任中の功績につきまして」と前置きして安倍晋三の政治活動のうち、功罪の“功”の部分のみを取り上げ、“罪”の部分はスルーさせている。世論調査で国民の半数以上が国葬に反対しているのは岸田内閣の意思一つの閣議決定で国葬と決めたことに対してだけではなく、人格が深く関わることになるその政治姿勢に問題点あると見ていることも原因しているはずである。要するに第1次安倍政権を加えて「8年8か月の重責」としているが、8年8か月の期間全てに亘って功罪のうちの"功"の部分のみで成り立っていたわけではない。先にほんの数例を挙げたが、"罪"の部分が相当程度含まれていた。この部分を無視したのでは安倍政権に対する厳格な評価・検証は不可能となる。

 海外から1700を超える多くの追悼のメッセージは「日本国民全体に対する哀悼の意を表する趣旨」としている。いわば外国からの哀悼の意は「日本国民全体」を対象に向けられているとの理由付けで、そのことに応えるために「葬儀を国の儀式として実施する」としているが、日本国民の半数以上が安倍晋三の国葬に反対しているということは外国からの哀悼の意は国民の全体的意識を必ずしも代弁していないことになり、国葬と決める理由とはならない。逆に国民の意識とのズレを示す事例となる。外国要人が日本政府の決定を優先させて、日本国民の意識とズレを生じさせたとしても、ある意味止むを得ないが、日本の首相が各種世論調査に接する機会がありながら、国民の意識とのズレを生じさせる姿勢は国民主権の民主主義を無視する出来事となる。

 もし泉健太が「なぜ国葬なのか」と改めて問い質して、岸田文雄の盛山正仁に対するのと同じような答弁を引き出すことができていたなら、ここに示したよう反論も可能となったはずだが、改めて問うことはなかった。

 泉健太の国葬に関する質疑の最初の部分を取り上げて、採点してみる。

 委員長山口俊一「次に、泉健太君」

 泉健太「立憲民主党の泉健太でございます。

 まず、党代表としても、安倍元総理に深く哀悼の誠をささげたいと思います。

 私も絶句をし、また嘆き、怒りを覚えました。この無念に党派は関係ございません。私は、事件後、奈良の現場にも向かわせていただき、手を合わさせていただきました。また、国会前でも霊柩車に手を合わさせていただきました。増上寺での御葬儀にも参列をいたしました。改めて御冥福をお祈り申し上げます。

 しかし、総理、この国葬決定は誤りです。強引です。検討せねばならぬことを放置しています。だから、国葬反対の世論が増えている、私はそう思いますよ。総理、そもそも、国葬は総理と内閣だけで決められるのか。こうした強引な決定方法に反発が起きています。

 総理、改めてですが、閣議決定までに三権の長に諮りましたか、あるいは各党に相談しましたか」

 岸田文雄「まず、今回の国葬儀につきましては、内閣府設置法及び閣議決定を根拠として実施することを決定させていただいたと説明をさせていただいております。

 こうした国葬儀、立法権に属するのか、司法権に属するのか、行政権に属するのか、判断した場合に、これは間違いなく行政権に属するものであると認識をしています。そして、それは、内閣府設置法第四条第三項に記載されている、こうしたことからも明らかであると認識をしております。その上で、閣議決定に基づいてこの開催を決定させていただいたということであります。

 委員の方からは、その段階までに三権の長に諮ったのか、説明が丁寧であったかということでありますが、根拠については、今申し上げたとおりであります。そして、説明が丁寧ではなかったのではないか、不十分ではなかったかということについては、政府として、こうした判断をすることはもちろん大事でありますが、国民に対する説明、理解が重要であるということも間違いなく重要だと思います。

 説明が不十分だったということについては謙虚に受け止めながら、是非、この決定と併せて、国民の皆さんの理解を得るために引き続き丁寧な説明を続けていきたいと考えております」

 泉健太「諮っていないんですよ。今、全然端的に答えていないですね、長くお話しされましたが。

 総理、これは、吉田元総理の国葬の際にだって他党に事前に言っていますよ。今回、全く言っていないですよね、総理はそれが必要ないかのように言いましたけれども。

 内閣葬というのは、内閣の行う葬儀として、それは内閣の権利でしょう。しかし、では、なぜ内閣葬ではなく国の儀式となっているのか。国というのは内閣だけなんですか。そんなわけないでしょう。国というのは、立法、行政、司法、三権あるじゃないですか。国権の最高機関はどこですか。その国会に相談もなく決めたのは、総理、戦後初めてですよ。その重さを分かっていますか。実は、とんでもないことをしているということ。

 実は、無理やり国葬と国葬儀なるものを分けて言っているけれども、今これだけ世の中では国葬と言われていて、そして国葬には国の意思が必要だと言われていて、そしてその国の意思とは何かといえば、決して内閣の意思だけではないということ、これは内閣法制局も国葬を説明するときに使っている言葉なのに、それをやっていない。私は、これは大いに法的にも瑕疵があるということをまずお話ししたいと思います。今の総理の話でいくと、国葬の決定に国会の関与は必要ないんだというような話でありますが、これはとんでもないことだと思いますよ。

 さて、更に言えば、内閣法制局はこうも述べています。一定の条件に該当する人を国葬とすると定めることについては法律を要するというふうに法制局が言っているわけですね。

 総理、今、そういう法律はありますか。国に選考基準を記した法律はありますか」

岸田文雄「御指摘のような法律はありません。

 しかし、行政権の範囲内ということで、先ほど申し上げさせていただいた判断、法制局の判断もしっかり仰ぎながら政府として決定をした、こうしたことであります」

 泉健太「今、国民の皆様にも聞いていただいたと思います。選考基準を記した法律はございません。

 総理は、先ほど、戦後最長だから、数々の実績があるから、世界から弔意があるから、そして選挙運動中だったから、このような理由を挙げました。

 ただ、例えば、佐藤栄作元総理は、当時、戦後最長の在任期間だったんじゃないですか。ノーベル平和賞も受賞している。でも、国葬ではなかったですよね。なぜですかね。これは、吉田国葬の反省も踏まえて、法律もない、選考基準もなく、三権の長の了承が必要な国葬ということはやはり難しいと。この数十年間、元総理にどんな業績があっても、先ほど言ったようにノーベル平和賞を受けようともですよ、どんな業績があったとしても、自民党内閣は、内閣・自民党合同葬を行ってきたんですよ。

 その知恵や深慮遠謀を壊して、今回、国葬を強行しようとしている、これが、総理、あなたじゃないですか。違いますか」

 岸田文雄「まず、基準を定めた法律がないという御指摘がありました。

 おっしゃるように、今、国葬儀について具体的に定めた法律はありませんが、先ほど申し上げたように、行政権の範囲内で、内閣府設置法と閣議決定を根拠に決定したわけですが、こうした国の行為について、国民に更なる義務を課するとか何か行為を強要するということではない限り、具体的な法律は必要がないという学説に基づいて、政府としても、今回の件についてしっかり考えています。

 そして、明確な基準がないのではないか、このことについて御指摘がありました。

 一つの行為についてどう評価するかということについては、そのときの国際情勢あるいは国内の情勢、これによって評価は変わるわけであります。同じことを行ったとしても、五十年前、六十年前、国際社会でどう評価されるか、一つの基準を作ったとしても、そうした国際情勢や国内情勢に基づいて判断をしなければならない、これが現実だと思います。

 よって、その時々、その都度都度、政府が総合的に判断をし、どういった形式を取るのかを判断する、これがあるべき姿だと政府としては考えているところであります」

 泉健太の最初の質問は次の5点。

① 「この国葬決定は誤りである」  
② 「国葬反対の世論が増えている」
③ 「国葬は総理と内閣だけで決められるのか」
④ 「閣議決定までに三権の長に諮ったか」
⑤ 「各党に相談したか」

 「この国葬決定は誤りである」に対して「誤りである」と答えるはずはない。「なぜ国葬なのか」と聞いて、例え言い抜けさせることになったとしても、答えた理由一つ一つに自身が掲げた5点に添って反論を試みる方法を採用した方が聞く者に対して説得力をより強めに示すことができただろう。結局のところ、岸田文雄は「内閣府設置法及び閣議決定を根拠として行政権の範囲内で国葬を決定した」とするだけで、泉健太が問い質した5点全てに満足な答弁を与えていない。思い通りの答弁とすることができなかったのは泉健太自身の力量の問題であろう。

 岸田文雄の答弁全体を見ると、国葬決定を既成事実として、その既成事実の理解を得るために「今後とも丁寧な説明を行っていきます」という姿勢を言葉で示しただけで終えている。このことの格好の例は4番目の「閣議決定までに三権の長に諮ったか」に対して、「諮った・諮らなかった」のいずれも直接的には答えずに「説明の丁寧・不丁寧」の見極めや説明の継続にすり替える巧妙な答弁術の披露で終わらせている点に見ることができる。対して泉健太は「なぜ諮らなかったのか」とさらに踏み込むことはせずに自分から「諮っていないんですよ」と答えて終わらせている。自身の「なぜ」に対して相手の答を得ることができなければ、質問の意味も効果も失う。

 岸田文雄が掲げた国葬決定の正当性理論は"内閣府設置法及び閣議決定を根拠とした行政権の範囲内"というものだが、泉健太はこの正当性理論を想定した理論武装を前以って準備していなければならなかったのだが、その形跡を見ることはできない。その理由は述べる前に内閣府設置法第四条第3項33を見てみる。

 〈国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)〉と事務の執り行い、所掌事務を取り決めているに過ぎない。つまり国葬である場合、内閣は自らの行政機関の権限として内閣府設置法第四条第3項33に基づいて国葬の執行を閣議決定し、閣議決定に従って国葬とした儀式を執り行うことができるという意味を取る。

 内閣に於ける行政機関の権限としてのこの執行が岸田文雄の言う「行政権に属するもの」、あるいは「行政権の範囲内」に当たる。

 岸田文雄の国葬決定の正当性理論に対する泉健太の理論武装の前以っての準備の必要性は岸田文雄が2022年7月14日の記者会見で既に同じことを答弁しているからである。

 岸田文雄「安倍元総理におかれては、憲政史上最長の8年8か月にわたり、卓越したリーダーシップと実行力をもって、厳しい内外情勢に直面する我が国のために内閣総理大臣の重責を担ったこと、東日本大震災からの復興、日本経済の再生、日米関係を基軸とした外交の展開等の大きな実績を様々な分野で残されたことなど、その御功績は誠にすばらしいものであります。

 外国首脳を含む国際社会から極めて高い評価を受けており、また、民主主義の根幹たる選挙が行われている中、突然の蛮行により逝去されたものであり、国の内外から幅広い哀悼、追悼の意が寄せられています。

 こうした点を勘案し、この秋に国葬儀の形式で安倍元総理の葬儀を行うことといたします」

 そして質疑応答で記者の「国会審議というのは必要ではないのか」の質問にこう答えている。

 岸田文雄「国会の審議等が必要なのかという質問につきましては、国の儀式を内閣が行うことについては、平成13年1月6日施行の内閣府設置法において、内閣府の所掌事務として、国の儀式に関する事務に関すること、これが明記されています。よって、国の儀式として行う国葬儀については、閣議決定を根拠として、行政が国を代表して行い得るものであると考えます。これにつきましては、内閣法制局ともしっかり調整をした上で判断しているところです。

 こうした形で、閣議決定を根拠として国葬儀を行うことができると政府としては判断をしております」

 2022年7月14日記者会見の内閣府設置法及び閣議決定に関わる発言と2022年9月8日の衆議院議院運営委員会に於ける同趣旨の発言を併せて読んでみると、内閣府設置法第四条第3項33が内閣の行政権に属する事柄として国の儀式執行を取り決めていることから、この法律に基づいて安倍晋三の国葬執行を閣議決定したことは同じく内閣の行政権に属する事柄であり、行政が国を代表して国葬を行いうると意味させていることになる。

 しかしこの論理のみを見ると、国葬執行の前提として安倍晋三の追悼を国葬とするにふさわしいか否かの肝心要の決定が抜けている。順番としては何らかの諮らいに基づいたこれこれの理由によって安倍晋三追悼を国葬とするの決定が最初にあり、その決定を待って内閣府設置法第四条第3項33に基づいた国葬執行の閣議決定が続き、国葬実施という順番を取らなければならない。内閣府設置法第四条第3項33は国葬執行の前提として誰を国葬として追悼するか否かの決定については何ら関与していない。

 閣議決定にしても、最初から安倍晋三国葬ありきの内容となっている。文飾は当方。「岸田内閣閣議及び閣僚懇談会議事録」(開催日時:2022年7月22日(金))

 内閣官房副長官木原誠二「一般案件等について、申し上げます。まず、「故安倍晋三の葬儀の執行」について、御決定をお願いいたします。本件は、葬儀は国において行い、故安倍晋三国葬儀と称すること、令和4年9月27日に日本武道館において行うこと、葬儀のため必要な経費は国費で支弁することなどとするものであります。なお、本件につきましては、後程、内閣総理大臣及び内閣官房長官から御発言がございます」

 木原誠二自身の発言が「御決定をお願いいたします」と発言しながら、以下は国葬は既に決まったこと、既成事実として話を進めていて、国葬とするか否かの採決は一切取っていない。「後程」の岸田文雄の発言「先程決定された故安倍晋三元総理の葬儀に際しては、葬儀委員長は内閣総理大臣が務め」云々にしても、採決が行われたわけでもないのに安倍晋三国葬を決定事項とした話の進め方となっていて、このことの前提としなければならない安倍晋三を国葬とするとの決定に至る議論も採決も一切存在させていない。

 岸田文雄が安倍晋三追悼を国葬にするとの決定に至る議論の抜け落ちの不備をクリアするために用意した理論が議院運営委員会の次の発言である。改めてここに記してみる。

 「まず、基準を定めた法律がないという御指摘がありました。

 おっしゃるように、今、国葬儀について具体的に定めた法律はありませんが、先ほど申し上げたように、行政権の範囲内で、内閣府設置法と閣議決定を根拠に決定したわけですが、こうした国の行為について、国民に更なる義務を課するとか何か行為を強要するということではない限り、具体的な法律は必要がないという学説に基づいて、政府としても、今回の件についてしっかり考えています。

 そして、明確な基準がないのではないか、このことについて御指摘がありました。

 一つの行為についてどう評価するかということについては、そのときの国際情勢あるいは国内の情勢、これによって評価は変わるわけであります。同じことを行ったとしても、五十年前、六十年前、国際社会でどう評価されるか、一つの基準を作ったとしても、そうした国際情勢や国内情勢に基づいて判断をしなければならない、これが現実だと思います。

 よって、その時々、その都度都度、政府が総合的に判断をし、どういった形式を取るのかを判断する、これがあるべき姿だと政府としては考えているところであります」――

 「国民に更なる義務を課するとか何か行為を強要するということではない限り、具体的な法律は必要がないという学説」云々は対国民義務非強制の事項に関しては根拠法は必要としないとする、根拠法の不必要性の言及となる。誰の追悼を国葬としようがしまいが、根拠法は必要ではないとの断言である。だから、政府は「国民一人一人に弔意を求めるものではない」としたのだろう。だが、要請はしないものの、国の機関や自治体の半旗掲揚は弔意の一種であり、暗黙の強制のうちに入る。

 岸田文雄のいう“学説”に対して根拠法の必要性に言及している学説もあるのだから、より妥当な公平性を手に入れるための要件は国会に諮るという手続き以外にないはずだが、岸田文雄が安倍晋三を国葬で追悼すると発表したのが2022年7月14日の記者会見。衆参両院の議院運営委員会で国葬とすることについての疑義個所の説明に応じたのが約2ヶ月後のたった1回の2022年9月8日。しかも通常は昼の1時間の休憩を挟んで朝の9時から夕方の5時まで1日7時間の審議時間が衆議院議院運営委員会が1時間35分、参議院院運営委員会が1時間36分という丁寧とは程遠い簡略なもので、世論調査で「説明不足」、あるいは「説明に納得できない」が多数を占めている事態と同様に説明責任を果たしたと見る向きは少数派に過ぎないだろう。

 誰を国葬とするのかの「明確な基準」について、一つの行為についての評価は国際情勢や国内情勢によっても、時代時代によっても変わるから、時代や国内外の状況を超えた運用は不可能だとする理由で、「その時々、その都度都度、政府が総合的に判断をし、どういった形式を取るのかを判断する、これがあるべき姿」としているが、どのような理由により何をどう考えて決めたのかの具体的な手順とその公表に基づいた"政府の総合的な判断"であるならまらまだしも、"政府の総合的な判断"だからとの理由のみで政府だけの判断に任せて政府だけの専権事項としたなら、政府の判断を過ちなきものと絶対化し、政府の独断を招くケースも生じる。

 当然、このような事態を避けるためにもやはり国会に諮るという手続きを経る必要性が生じるが、岸田文雄は自身の特技を「人の話をしっかり聞くということだ」としている自らの言葉を裏切って国会審議に後ろ向きな姿勢を専らとしている。岸田文雄の答弁のみでは、安倍晋三の国葬追悼に正当性をとてものこと与えることはできない。

 決定の順番から言うと、岸田文雄側に好都合な“学説”と“政府の総合的な判断”に則った安倍晋追悼の国葬決定が最初にあり、内閣府設置法第四条第3項33に基づいた閣議決定による国葬執行の決定ということになるが、このような手順の決定自体からも、十分な国会審議を経ない説明責任の不十分さからも、政府の独断という姿形しか見えてこない。

 だとしても、岸田文雄は2022年7月14日の記者会見での内閣府設置法と閣議決定に基づいた安倍晋三国葬決定とするだけでは説得力に不安を感じたのか、2022年9月8日の衆議院議院運営委員会では根拠法不必要性の“学説”と"政府の総合的な判断"を持ち出す理論武装を行っているが、対する泉健太はどのような理論武装も試みていない。

 次に後半の質疑応答を見てみる。

 泉健太「今、総理、国際情勢、国内情勢とおっしゃった。しかし、だったら、なぜ多くの国民はこれだけ反対しているんでしょうね。その総理が挙げられた4項目が真に国民が理解できるものであったら、ここまで反対にはならないんじゃないですか。

 私は改めて思いますけれども、例えば、経済の再生とおっしゃられる。でも、実質賃金が下がり続けたんじゃないですか、アベノミクスのときには。その部分はどう評価されるんですか。

 あるいは、申し訳ないけれども、森友、加計問題で、まさにこの委員会の場で百回を超える虚偽答弁を行ったということも大きく問題になっているんじゃないですか。

 あるいは、後ほどまた詳しく話をしますが、統一教会の問題、まさに自民党の中で最もその統一教会との関係を取り仕切ってきた、そういう人物じゃないですか。

 その負の部分を全く考慮せずに、それは実績は何らかあるでしょう、しかし実績も大きく評価が分かれるわけです。だから、これだけ反対の声が起きているときに、国際情勢、国内情勢、私は、それでは到底、国民は納得しないと思いますよ。

 改めて、選考基準が今全くないということも含めて、私は、岸田総理が挙げた今回の四つの理由というのはお手盛りの理由であるというふうに言わざるを得ません。

 さて、統一教会問題や霊感商法被害、そして統一教会における多額の献金による家庭崩壊、生活破綻、さらには日本からの韓国方面への多額の送金、様々な問題が上がっています。そして、自民党との密接な関係も言われている。多数の議員が関係を持ち、安倍元総理は、元総理秘書官の井上義行候補を、今回、教団の組織的支援で当選させたわけです。

 この自民党と統一教会との関係を考えた場合に、総理、安倍元総理が最もキーパーソンだったんじゃないですか。お答えください」

 岸田文雄「まず冒頭一言申し上げさせていただきますが、本日、内閣総理大臣として答弁に立たせていただいております。自民党のありようについて国会の場において自民党総裁として答えることは控えるべきものであると思いますが、ただ、昨今の様々な諸般の事情を考えますときに、これはあえて国会の場でお答えをさせていただくということを御理解いただきたいと思います。

 そして、安倍元総理の統一教会との関係については、それぞれ、御本人の当時の様々な情勢における判断に基づくものであります。ですから、今の時点で、本人が亡くなられたこの時点において、その実態を十分に把握することは限界があると思っております。

 そして、今、自民党として、自民党のありようについて丁寧に国民の皆さんに説明をしなければいけないということで、それぞれの点検結果について今取りまとめを行い、説明責任をしっかり果たしていこうという作業を進めているところであります。

 いずれにせよ、社会的に問題が指摘されている団体との関係を持たない、これが党の基本方針であり、それを徹底することによって国民の皆さんの信頼回復に努めていきたいと考えております。

 岸田文雄「先ほども申し上げましたが、今日までの関係については、それぞれ既に点検するようにという指示を出しているわけですが、その点検の結果について、党としてしっかり取りまとめることが大事だということを申し上げています。その中で、党としてそれをどのように公表していき、国民の皆さんに説明をしていくのか、これが重要なポイントになってくると思います。

 御指摘の点については、安倍(元)総理がどのような関係を持っておられたのか、このことについては、御本人が亡くなられた今、十分に把握するということについては、限界があるのではないかと思っています。

 ただ、いずれにせよ、党として先ほど申し上げました方針に基づいて、党全体のありようについて、しっかりと取りまとめていくことは重要であると思いますし、更に大事なのは、当該団体との関係を絶つということ、従来はそれぞれ点検をし、そして、それぞれが見直しをするという指示を出してきたわけですが、それぞれに任せるのではなく、党の基本方針として絶つということを明らかにし、そして、党として所属国会議員にそれを徹底させるということ、これを今一度確認した、ここに大変大きなポイントがあるのではないかと認識しています。是非こうした点検の結果の取りまとめと併せて、これから当該団体との関係について疑念を招くことがないように、党として徹底していきたいと考えております。

 以上です」

 委員長山口俊一「泉委員、本日の議題は国葬の儀でございますので、それを考えながら……(泉委員「ええ、当然です。安倍総理に関わることについてお話をしていますので」と呼ぶ)

 泉健太「改めてですけれども、今の総理のようなお話が私はこの世の中の反発になっていると思いますよ。どう見たって、岸家、安倍家三代にわたってやはり統一教会との関係を築いてきたし、それを多くの議員たちに広げてきたというのは、もう多くの国民は分かっているんじゃないでしょうか。

 そういう中で、今、総理は、調査、点検とおっしゃった。安倍元総理御本人に聞くことはもうできない。でも、安倍元総理がどういうふうなスケジュールで動いていたか、これは事務所は分かっておられるはずでしょう、秘書だって分かっておられるはずでしょう。それであれば、なぜ、今回、党の調査では安倍事務所を外しておられるんですか。これはやはりおかしいですよ。

 国葬にふさわしいかどうかということの中に、今多くの国民が、統一教会との関係をやはり頭の中に入れている。そういうときに、まさにその御本人がどうだったかというのは、本人に聞くばかりじゃないですよね、調べることが可能じゃないですか。私は、是非、自民党は、岸田総裁はそれを約束するべきだと思います。

 もう一つ加えて言えば、これもお答えいただきたいですが、全国の自治体で、自民党の自治体議員が行政に何かを要請して統一教会系の団体の様々な会合に出るとか、そういうことが出てきています。自治体議員も外されていますよね、調査対象から。

 この二つ、約束していただけませんか」

 岸田文雄「まず一点目の御指摘については、先ほども申し上げましたが、具体的な行動の判断、これは当時の本人の判断でありますので、本人がお亡くなりになった今、確認するには限界があるという認識に立っております。

 二点目は、地方議員についてでありますが、党としては、今回、点検を行い、まずは党所属の国会議員を対象として取りまとめを行っておりますが、地方議員についても、今後、社会的に問題が指摘される団体との関係を持たないという党の基本方針を徹底していただくことになると考えております」

 泉健太「やはり残念ながら非常に後ろ向きである。

 今回しっかりとこの統一教会との問題を正すということ、これもやはり私は国民の理解に今つながっていると思いますよ。今、総理の姿勢では、限界があるとおっしゃったけれども、限界までいっていないんじゃないですか。限界までいっていない。まず、この調査をするべきだ。これは、安倍事務所も、そして自治体議員もそうである
と思います。

 そして、今、私たちは、この統一教会絡みの中で、実は、信者の二世と言われる方々から直接ヒアリングを行っています。その方々から聞くと、やはり、安倍元総理のメッセージによって励まされた、会場が大きく盛り上がった、そんなことをお話しされる方もありました。

 改めて、被害者救済ということ、今どうしてもこれを取り上げたい。実は、その当事者の皆さんからは、多額の献金や家庭崩壊で苦難を抱えていると。いたじゃなく、いるというのが今の現状です。だからこそ、私たち立憲民主党は、マインドコントロールによる高額献金を禁止する、規制する、こういう立法を作ってほしい、この求めに応じて、カルト被害防止、救済法案を国会に出そうと考えています。

 総理、こうした声、まだ聞かれていないと思うんですが、法整備が必要だと思いませんか」

 委員長山口俊一「議題に沿っての答弁で結構でございますから」

 岸田文雄「御指摘の点については、まず一つは、政治と社会的に問題になっている団体との関係という論点がありますが、もう一つの論点がまさに委員御指摘の被害者救済という論点であると思います。

 共にしっかりと対応しなければならないということで、政府としましても、社会的に問題が指摘されている団体に関して、私の方から既に関係省庁に対し、宗教団体も社会の一員として関係法令を遵守しなければならない、これは当然のことであるからして、仮に法令から逸脱する行為があれば厳正に対処すること、また、法務大臣を始め関係大臣においては、悪質商法などの不法行為の相談、被害者の救済に連携して万全を尽くすこと、この二点を指示を出しているところであります。

 これを受けて、法務大臣を議長とする「旧統一教会」問題関係省庁連絡会議を設置し、この問題の相談集中強化期間を設定し、合同電話相談窓口を設ける、こうした対応を行う、さらには、消費者庁において、霊感商法等の悪質商法への対策検討会、こうしたものを立ち上げ、議論を開始する、こうしたことであります。

 そして、委員の方から法整備の必要性ということの御指摘がありましたが、まずは、私の方から出した指示に基づいて始めた取組、これをしっかりと進めていきたいと思います。それをまずやった上で、すなわち今の法令の中で何ができるのかを最大限追求した上で、議論を進めるべき課題だと思っております」

 泉健太「私は新しい法律も必要だと思いますが、今ほど、今の法令で何ができるのかというお話がありました。是非ここをやっていただきたいですね。

 なぜかというと、総理は8月31日の記者会見で、この旧統一教会を社会的に問題が指摘される団体として、党として関係を絶つ、そこまでおっしゃった。党として関係を絶つとまでおっしゃった団体であれば、相当な問題意識をお持ちだということだと思うんです。そのときに、党として関係は絶つが、政府としては何もやらなくていいということでは絶対ないですよね。総理もうなずいておられます。

 その意味では、まさに現行法に基づくこの団体の調査、そして解散命令、こういったものも検討せねばならないと思いますが、いかがですか」

 委員長山口俊一「泉委員、何度も議運の理事会で、議題を逸脱するような質問はないようにとのお話でありますから、気をつけてください」

 岸田文雄「今申し上げたように、政府としましても、問題意識を持ち、取組を進めています。

 今の法律の範囲内で何ができるのか、これをしっかりと詰めていきたいと思います。そして、その上でどういった議論が必要なのか、引き続きしっかりと取り組んでいきたいと思っております」

 泉健太「ありがとうございます。

 是非、この点は、今回、統一教会の問題をしっかり清算しなければ、またやはり被害者が多く生まれてしまう。残念ながら、今回の非業の死にこうして統一教会の様々な動きが絡んできてしまっていたということもあると思います。

 さて、改めて、国葬の問題でありますが、経費です。

 式典費の本当にコアのコアの部分で、最初、二・四九億円とおっしゃった。しかし、やはりこんなに少ないわけないんじゃないかという話で、次に出てくると十六億円ということになった。

 しかし、総理、今回発表した総額、例えば、来年のG7サミットでは、民間警備会社には十二・四億円かかる、こういう概算要求が出ております。民間警備会社の経費は今回の発表の額に含まれていますか」

 官房長官松野博一「松野国務大臣 会場等の民間警備に係る経費に関しましては、式典の経費の中に入っております」

 泉健太「会場だけではないと思いますが、全部含まれていますか。

松野博一「会場外の警備に関しましては、既定予算に計上されております警備、警察上の予算に含まれております」

 泉健太「先ほども話があったように、五十か国ぐらいから、いわゆる首脳だけではなく、外交使節団として来る。この経費も今の額ではとても収まらないんじゃないかというふうに言われている。こうして過小の試算でコンパクトな国葬に見せるということで、またこの後もし額が膨らめば、国民の不信はやはり募ると思いますよ。

 更に言えば、やはり国民生活が苦しいという声は今数多く寄せられています。そこにどれだけ税金を使うのかという話になっている。

 そこでいいますと、歴代の内閣葬では自民党が半額負担していましたよね、今回は自民党は負担をしないのですか、全額税金ですかという声を聞きます。総理、自民党は半額負担するべきじゃないでしょうか」

 岸田文雄「先ほども答弁の中で申し上げさせていただきましたが、世界各国の国挙げての弔意、様々な弔意のメッセージ等を国としてしっかりと受け止めさせていただく際に、国の行事としてこうした葬儀を行うことが適切であると判断したことによって、今回の決定を示させていただいたということであります。

 合同葬についても、もちろん国の税金は支出することになるわけです。しかし、何よりも大事なのは、国として、どういった形で国際的な弔意を受け止めるのか、日本国民全体に対する弔意に対してどう応えるのか、こうしたことが重要であると認識をしています。そのために、国葬儀という形が適切であると判断をした次第であります」

 泉健太「改めて、元総理の死というのは大変重たいものであります。その意味で、私は、内閣による一定の儀式というものは必要だと思う。だからこそ、これまで内閣葬というものが行われてきたと考えています。

 そういった意味では、今回、今ほど質問の中でも触れましたが、やはり特別扱いをするということについては大きく見解が分かれていると思いますよ。総理の方は安倍元総理はそれに値するというが、しかし、これまでも様々な元総理がおられて、様々な業績がある中で、我々からすれば特別扱いに見えるし、多くの国民もなぜ今回だけ国葬なのかという疑問を抱いている。私はそれをお伺いしましたが、やはりそこは、なかなか平行線、総理から納得いく答えは得られなかったと思っています。

 改めてですが、国会や司法も関与させずに、前例を変えて、内閣の独断で国葬を決めた、これは戦後初だということです。そして、三権分立や民主主義、立憲主義を旨とする我々立憲民主党からしても、こうした強引な決定や、あるいは選考基準がない状態を放置して、安倍元総理の負の部分を語らずに、旧統一教会との親密な関係そして膨らむ経費などを隠して、元総理を特別扱いしている、こんな国葬には我々は賛成できません。反対をします。

 二か月たってようやく国会の声を聞く場を設けましたが、これで、今日この場で、これ以降、総理が何も変えないというなら、この質疑の意味はありません。是非、独断の国葬や分断の国葬ではなくて、改めてですが、内閣葬とする。そして、私は、こうした論争を毎回起こすような話じゃなくて、今後も元総理は内閣葬とする、こういうシンプルで一定の基準をやはり作るべきだと思いますよ。

 改めてですが、総理には、是非、内閣法制局との再検討、そして統一教会に対する自民党の調査、また経費の更なる公表、これを行動で見せていただきたいと思います。その姿勢によって私も判断をしてまいります。恐らく国民も判断をしていくでしょう。

 質問を終わります」

 泉健太は後半冒頭部分で安倍晋三の在任中の活動のうち、功罪の“罪”の部分について尋ねているが、自分の方から問い質すのではなく、「岸田総理は盛山委員に対して安倍元総理の在任中の活動のうち、功罪の“功”の部分だけを並べましたが、“罪”の部分はなかったのですか」と岸田文雄の口から直接言わせるべく努力はすべきだったろう。泉健太が尋ねたアベノミクスの負の部分や「森友、加計問題」、「百回を超える虚偽答弁」について答弁無視しているが、「“罪”の部分はなかったのですか」と問い質して、何もなかったと答えた場合、それが虚偽答弁となることあ承知しているだろうから、「“罪” の部分は確かにあるが、それに遥かに優る“功” の部分は国葬に値する」とでも答弁するだろうが、こ手の答弁の妥当性は国民の6割方が国葬に反対している世論調査を持ち出せば、簡単に打ち破ることができる。その上で“罪”の部分を並べれば、国葬への疑義を一層際立たせることができただろう。

 泉健太はさらに安倍晋三と統一教会との関係を取り上げ、「安倍元総理が最もキーパーソンだった」と“罪”の部分を突きつけるが、岸田文雄は次のように答えている。

 「安倍元総理の統一教会との関係については、それぞれ、御本人の当時の様々な情勢における判断に基づくものであります。ですから、今の時点で、本人が亡くなられたこの時点において、その実態を十分に把握することは限界があると思っております」

 泉健太は「御本人がどうだったかというのは、本人に聞くばかりじゃない、調べることが可能だ。調査を約束して欲しい」と迫るが、同じ文言の"限界"で片付けられてしまい、何ら追及できずに、「やはり残念ながら非常に後ろ向きである」と切れ味効果のない一太刀を浴びせることぐらいしかできなかった。

 この"限界"という言葉は泉健太自身が質問で取り上げた2022年8月31日の記者会見中に既に用いているのだから、同じような質問を目論んでいたなら、同じ繰り返しを予想して、前以って理論武装していなければならなかったが、この点についてもその形跡を窺うことはできない。

 岸田記者会見質疑(首相官邸/2022年8月31日)

 石松朝日新聞記者「朝日新聞の石松です。よろしくお願いします。
 
 旧統一教会と自民党との関係についてお尋ねします。総理は、先ほどのぶら下がりで、旧統一教会との関係を絶つことを党の基本方針にするという説明がありましたが、旧統一教会との関係の中心には、常に安倍(元)総理の存在があったりとか、選挙の協力に関しては、安倍(元)総理が中核になっていた部分があると思いますが、今後、旧統一教会との関係を絶つ上で、安倍元首相との関係を検証するなり、見直すなどの考えは今のところございますでしょうか。よろしくお願いします」

 岸田文雄「先ほども申し上げましたが、今日までの関係については、それぞれ既に点検するようにという指示を出しているわけですが、その点検の結果について、党としてしっかり取りまとめることが大事だということを申し上げています。その中で、党としてそれをどのように公表していき、国民の皆さんに説明をしていくのか、これが重要なポイントになってくると思います。

 御指摘の点については、安倍(元)総理がどのような関係を持っておられたのか、このことについては、御本人が亡くなられた今、十分に把握するということについては、限界があるのではないかと思っています」

 だが、理論武装せずに似たような答弁で遣り過させる収穫を手に入れただけだった。

 泉健太は「岸田総理はなぜ旧統一教会との関係の絶縁を自民党の基本方針にすると決めたのですか」と質問するところから入るべきだった。8月31日の記者会見では岸田文雄は「政治家側には、社会的に問題が指摘される団体との付き合いには厳格な慎重さが求められます」との理由のみで関係を絶つことを求めている。当然、「社会的に問題が指摘される団体だからだ」との答弁が予想されるが、「どのような問題が指摘されているのか」とさらに突っ込んで聞かなければならない。「委員もご存知のはずです」と応じたなら、「総理の口から直接お聞きしたい」と言えばいい。

 関係の絶縁を自民党の基本方針にすると決めるについては旧統一教会を相当に悪質な反社会的集団(一般社会の秩序や道徳、倫理観から著しく逸脱した集団)だと評価していなければ矛盾が生じる。官房副長官の木原誠二が2022年7月29日の記者会見で旧統一教会を「政府として反社会的勢力ということを予め限定的かつ統一的に定義することは困難」と述べているが、岸田文雄がその線に添って同じように答弁するようなら、「反社会的勢力と定義づけ困難なら、今の段階で関係の絶縁を自民党の基本方針にすることは罪が確定しない被疑者の段階で犯人扱いするのと同じようなもので、人権問題に関わりはしないか」と追及できる。

 あるいは1997年に最高裁が霊感商法や高額献金勧誘に対する損害賠償請求訴訟でその違法性と勧誘信者に対する教団側の使用者責任を認め、教団側の敗訴が確定しているが、使用者責任は教団側そのものに対する連帯責任の認定であって反社会的行為の主体と位置づけ可能となり、反社会的勢力を意味しないかと迫ることができる。

 反社会的勢力であるとの認識に持ち込むことができたなら、安倍晋三の旧統一教会との関係性の悪質さだけではなく、旧統一教会と接点を持った国会議員106人のうちの8割に当たる自民党国会議員に関しても、同じ悪質さを炙り出すことができる。もしかしたら、安倍晋三の旧統一教会との関係性の悪質さを炙り出されることを警戒して、定義づけ困難説を持ち出した可能性は疑うことができる。炙り出されでもしたなら、安倍晋三が一人で歴代最長任期を成し遂げたわけではなく、自民党一丸となってのことだから、歴代最長という金字塔を傷つけるだけではなく、同時に自民党という政党そのものの評価を泥まみれにしかねないことと、これらのことが来春の統一地方選に悪影響を与えかねないこと、ただでさえ低下している内閣支持率にさらに低下の打撃を与えかねない先行きを考え、何としてでも安倍晋三の経歴を守ることを最優先事項にして岸田文雄は、いわば本人死亡による実態把握可能性限界説を持ち出したということも考えることができる。

 旧統一教会は反社会的勢力であるとの答弁に持ち込むことができなかった場合は社会一般が反社会的勢力と見ている認識を拝借して、「社会一般は安倍元首相がそのような反社会的勢力と深く関係していたと見ていて、そういった見方が国葬反対の意思となって現れているのではないのですか。例え本人が亡くなっているにしても、両者の関係を検証しない限り、過半数以上の国葬反対の国民は納得しないでしょうし、例え時間が経過して、国葬問題が風化したとしても、岸田総理が安倍元総理と旧統一教会との関係の究明に後ろ向きであったこと、あまりにも消極的であったことはネット等に何らかの記録の形で残るでしょうし、そのことは総理の評価に跳ね返ってくるでしょう。もしかしたら、岸田総理は安倍元総理の旧統一教会との関係究明に関するご自身の後ろ向きの姿勢から世間の目を逸らすために同じく関わりのあった、安倍元総理の関係から比較したら大したことはない自民党国会議員を調査・公表し、絶縁を迫って話題をこちらの方に向ける一種の生贄の羊に仕立てたということですか」といった質問に持っていくことができたなら、岸田文雄の調査拒否に対抗して旧統一教会と代表格の立場で関係を持った安倍晋三自身の悪質性を強く印象づけることができる。

 かくこのように岸田文雄が8月31日の記者会見で安倍晋三が亡くなっていることを理由に旧統一教会との関係を調査することには限界があるからと既に発言しているにも関わらず、泉健太がその発言に何ら理論武装することなくほぼ同じ質問をしてほぼ同じ答弁しか引き出せなかった点はかなりの減点を見込まないわけにはいかない。

 泉健太は結局のところ、質疑全体を通して思い通りの展開に持ち込むことができなかった。

 泉健太「改めてですが、国会や司法も関与させずに、前例を変えて、内閣の独断で国葬を決めた、これは戦後初だということです。そして、三権分立や民主主義、立憲主義を旨とする我々立憲民主党からしても、こうした強引な決定や、あるいは選考基準がない状態を放置して、安倍元総理の負の部分を語らずに、旧統一教会との親密な関係そして膨らむ経費などを隠して、元総理を特別扱いしている、こんな国葬には我々は賛成できません。反対をします」

 岸田文雄の内閣府設置法及び閣議決定とその他を根拠とした国葬実施の論理を打ち破ることも脅かすこともできなかったのだから、何を言っても犬の遠吠えにしかならない。質疑全体の採点はせいぜい30点程度にしかつけることはできない。30点にしてもつけ過ぎかもしれない。

 この30点を妥当な線と見るかどうかは数少ない読者の判断にかかることになる。

 立憲民主党のみならず、他野党の政府に対する追及力不足が「立憲は批判ばかり」、「野党は批判ばかり」の評価を手に入れることになっている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

文科省の旧統一教会実体不問の名称変更認証と前川喜平氏の下村博文認証関与説、橋下徹の名称変更門前払い対応の前川喜平氏批判のそれぞれの正当性

2022-08-31 06:55:20 | 政治
 当ブログ記事とは無関係だが、安倍国葬についての付録。

 《安倍晋三の国葬がふさわしい理由:高潔な人格、国民に対する無私の精神》

 2014年8月

 19日夜から20日明け方にかけて、広島市の一部地域に記録的な集中豪雨が発生した。

 20日午前3時20分頃、広島市安佐南区山本の住民から住宅の裏山が崩れて、2階建ての住宅の1階部分に土砂が流れ込み、5人家族のうち子ども2人の行方が分からなくなったと広島市消防局に通報。

 20日4時0分、政府は首相官邸危機管理センターに情報連絡室設置、情報収集に当たる。情報連絡室は関係省庁からの情報を集約し、内閣総理大臣等へ集中的に報告を行うこととされている。また任務とする情報収集は人的被害にしても、物的被害にしても、記録的な集中豪雨による土砂災害や洪水等を前提とした情報処理を以ってして行う災害の進行に基づくことになる。土石流が発生した場合、土砂崩れで土石に埋まるのと地震等で倒壊した建物に閉じ込められるのとでは体に打撲や出血等の損傷を受けていない場合でも呼吸できる余地は前者はゼロに近く、特に土石に水が混じっている場合、土石と水で密閉される状態になるから、呼吸できる余地はほぼゼロとなり、後者はときには柱や壁が交錯した隙間から酸素の供給が十分に可能となるケースが生じ、生存の可能性はそれなりに期待できるが、双方の違いによって政府や行政の危機管理の一環として収集した情報の行く末を想定せざるを得なくなる。

 20日午前4時過ぎ頃から広島市消防局に土砂崩れと住宅が埋まって行方不明者が出たという通報が相次いで寄せられる。直後か、直近の救助・救命が期待できないケースも想定される以上、政府・行政側は死者の発生を伝える情報に接する覚悟をせざるを得なくなる。

 20日午前5時15分頃、広島市消防局は同日午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まった子ども2人のうち1人が心肺停止の状態で発見されたと発表。午前3時20分頃の土砂崩れで土砂に埋まって約2時間後の心肺停止状態の発見だから、残念なことだが、医師の死亡宣言を待つ心肺停止の類いということであったはずで、最初の死者であるなら、1人目の死者としてカウントされ、最初でなければ、何人目かにカウントされることになる。

 20日午前6時頃、内閣の情報連絡室に「行方不明者が多数。子供2人も生き埋めとなり、うち1人が心肺停止状態」とする情報が入ったと、2014年8月21日付「どうしん電子版」が伝えている。情報連絡室は自らの役目として内閣総理大臣を始め、関係閣僚に逐次伝達することとなり、安倍晋三は夏休み滞在中の山梨県の別荘から同日午前6時半に被害状況の把握などを関係省庁に指示した。

 20日午前7時26分、高潔な人格、国民に対する無私の精神で誉れ高い内閣総理大臣安倍晋三は同別荘から向かった先の富士河口湖町のゴルフ場「富士桜カントリー倶楽部」に到着、元首相森喜朗、経済産業相茂木敏充、外務副大臣岸信夫、官房副長官加藤勝信、自民党総裁特別補佐萩生田光一、自民党衆院議員山本有二、日本財団会長笹川陽平、フジテレビ会長日枝久らとゴルフを開始。

 20日午前8時半頃、安倍晋三のゴルフ続行を問題視する指摘を周囲から聞いた官房長官菅義偉が首相側に電話、中断するよう求めた。

 例え国民の一部であっても、過酷な自然災害に遭遇し、困難な状況に巻き込まれている真っ只中にゴルフを愉しみ、その事態を"問題視"しなかった、事故ではあるものの、同様の事例は2001年2月のハワイ・オアフ島沖の米原潜が浮上中、愛媛県立宇和島水産高等学校練習船えひめ丸に衝突沈没させて教員と乗組員と生徒の9人を死なせた際、連絡を受けながらゴルフを続行した当時の首相森喜朗を挙げることができ、安倍晋三が遅れを取って2人目となるが、"問題視"せずの仲間に茂木敏充や岸信夫、加藤勝信、萩生田光一等を加えることになる。

 20日午前9時19分、菅義偉の連絡から約50分近くあとに安倍晋三はゴルフを中止。ゴルフ場から別荘に戻り、別荘から首相官邸へ出発。午前10時59分、官邸着。

 「広島市の土砂災害で政府の対応は」の報道各社のインタビューに安倍晋三「政府一体となって、救命救助の対応に当たるように指示を出しました」(時事通信2014年8月20日首相動静)

 防災担当相古屋圭司「最終的に死亡者が出た8時37分とか8分に総理にも連絡をして、その時点ではこちらに帰る支度をしてます」 

 この発言は死亡者が出たら連絡するという態勢になっていたことを意味する。但し実際には広島市消防局に土砂崩れと住宅が埋まって行方不明者が出たという通報が相次いで寄せられた8月20日午前4時過ぎ以降の時点で死者発生を想定した危機管理体制となっていなければならなかったし、内閣総理大臣も同じ体制下にいなければならなかった。

 さらに20日午前6時頃に内閣の情報連絡室に「行方不明者が多数。子供2人も生き埋めとなり、うち1人が心肺停止状態」とする情報が入っていて、この情報は安倍晋三にも伝えられていたはずで、だからこそ、同日午前6時半に山梨県の別荘から被害状況の把握などを関係省庁に指示することになったはずである。

 政府高官「(首相が)6時30分に指示を出した後に被害が拡大した」

 2014年8月19日夜から20日明け方にかけて、広島市の一部地域に記録的な集中豪雨が発生していた状況下で住民を巻き込んだ土石流災害発生が20日午前4時過ぎ頃から広島市消防局に寄せられていた。土砂災害発生地域の一つ広島市安佐北区三入東の雨量は20日午前2~3時に90mm、午前3~4時に121mm。この情報は情報連絡室も把握することになるはずで、例え6時過ぎに雨が上がっていたとしても、山に降った雨が絞り水となって山間地の住宅を連続的に襲う危険性は残されていて、内閣総理大臣が指示を出す出さないに関係なしに、あるいは危機管理が最悪の事態を想定して、想定した最悪の事態に備えることを言うことからも、前以って被害拡大は想定事態の一つとしていなければならなかった。だが、高潔な人格の持ち主である上に無私の精神で国民の上に立つ内閣総理大臣安倍晋三は指示を出しただけで、後は情報連絡室に任せてゴルフに出かけ、広島土石流災害地の住民の厳しい試練をよそに1時間以上、ゴルフを愉しんだ。

 まさに国の予算を何十億出しても惜しくない、国葬中の国葬にふさわしい人格の持ち主と言える。この広島土砂災害では77人(直接死74 +関連死3)(Wikipedia)の死者を出している。安倍晋三のゴルフの愉しみから比べたら、何のことはない。

 《文科省の旧統一教会実体不問の名称変更認証と前川喜平氏の下村博文認証関与説、橋下徹の名称変更門前払い対応の前川喜平氏批判等それぞれの正当性》

 世界基督教統一神霊協会(略称統一教会)は2015年6月に世界平和統一家庭連合へと名称変更を申請。7月に受理、8月に変更の認証を受けた。複数の都道府県に施設を持つ宗教法人の名称変更申請先は文科相宛で、実務は文科省外局文化庁の宗務課が担当。名称変更申請を受けた当時の文科相は「政治とカネ」の問題で錬金術師の疑惑濃い自民党下村博文である。

 この名称変更の経緯を巡って2022年8月5日に立憲民主党や共産党などが合同でヒアリングを前川喜平元文部科学事務次官に対して行ったと同日付「NHK NEWS WEB」記事が伝えていた。前川喜平氏は旧統一教会から名称変更問題が持ち上がった1997年(平成9年)当時は文化庁宗務課長を務めていた。「Wikipedia」によると、文科省の前身文部省から文化庁へ出向の形を取っていたという。前川喜平氏は旧統一教会から名称変更の相談が寄せられたことを部下の職員から報告を受け、「宗務課の中で議論した結果、実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない。当時、『世界基督教統一神霊教会』という名前で活動し、その名前で信者獲得し、その名前で社会的な存在が認知され、訴訟の当事者にもなっていた。その名前を安易に変えることはできない。実態として世界基督教統一神霊教会で、『認証できないので、申請は出さないで下さい』という対応をした。相手も納得していたと記憶している」と合同ヒアリングで述べた。

 いわば前川喜平氏は旧統一教会こと世界基督教統一神霊教会がその“名”を用いて彼らなりの宗教活動の陰で霊感商法とか、強制献金とかの組織的な反社会的"体"(たい)をつくり上げていき、一般社会に"名" は"体"を表すようになって、旧統一教会と言えば霊感商法、強制献金とまで言われるようになり、"名" と"体"が相互性を取るまでに至った以上、"体"をそのままに"名"だけを変えて、その相互性を破り、"体"を隠すような真似はさせることができないとしたということなのだろう。

 このような「対応」は「宗務課の中で議論した結果」の結論であった。前川喜平氏が自身の考えを上意下達式に宗務課の結論としたわけではなかった。ではなぜ名称変更の申請書を提出させた上で、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」との理由で公式に名称変更を却下、非認証とする決着をつけなかったのだろう。こうできない理由は名称変更申請の形式にあるが、このことはあとで見てみる。

 決着をつけることができなかったためにだろう、18年後の平成27年(2015年)に前川喜平氏は〈文部科学審議官を務めていた際、当時の宗務課長から教会側が申請した名称変更を認めることにしたと説明を受け、認証すべきでないという考えを伝え〉ると、「そのときの宗務課長の困ったような顔を覚えている。私のノーよりも上回るイエスという判断ができるのは誰かと考えると、私の上には事務次官と大臣しかいなかった。何らかの政治的な力が働いていたとしか考えられない。当時の下村文部科学大臣まで話が上がっていたのは、『報告』したのではなく、『判断や指示を仰いだこと』と同義だ。当時の下村文科大臣はイエスかノーか意思を表明する機会があった。イエスもノーも言わないとは考えられない。結果としては、イエスとしか言っていない。下村さんの意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」
 
 かくこのように下村関与説を打ち出した。当然のことだが、下村博文は否定している。「文化庁の担当者からは『旧統一教会から18年間にわたって名称変更の要望があり、今回、初めて申請書類が上がってきた』と報告を受けていた。担当者からは、『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う。私が『申請を受理しろ』などと言ったことはなかった」

 また前川喜平氏は文化庁が旧統一教会の名称変更認証に関して形式上の要件以外を理由として申請を拒むことはできないなどと説明していることについて、「書類がそろっていれば認証というわけではない。申請内容に実態が伴っていない場合は、認証しないという判断をして宗教法人審議会にかける道があったはずだ」とこのような方策で、あくまでも認証に持っていかない道を選択すべきだったと主張している。

 一方、文化庁が形式上の要件以外を理由として名称変更の申請を拒むことはできない等と説明していることと、下村博文が口にした文化庁の「担当者からは、『申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある』と説明もあったと思う」としている文化庁担当者の説明に対して補強材料の役目を果たしたのが現文科大臣の末松信介の2022年8月8日の記者会見発言である。

 「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある。担当者に確認したところ、当時、旧統一教会側から『申請を受理しないのはおかしいのではないか』という違法性の指摘があった。教会側の弁護士が言っているという話だった」

 さらに〈形式上の要件が整っていたとしても申請を認証せず、文部科学大臣の諮問機関である「宗教法人審議会」で判断すべきだったという指摘が出ていることについて〉、末松信介「申請の内容が要件を備えていることを確認して認証を決定したと認識していて、宗教法人審議会にかける案件ではなかった」(以上、2022年8月8日付NHK NEWS WEB記事)

 要するに下村も末松も、文化庁も名称変更届(正式名「宗教法人変更登記申請書」)の記載に関しての「形式上の要件」の具足を名称変更認証の唯一の条件としている。法律が要求する形式に則った記載内容であるならば、速やかに認証しなければならない、しなかった場合、行政上の不作為として訴えられる恐れがあるとの手続きを優先させている。但し「形式上の要件」には法律上と実体上の違いが現れないという仕掛けが隠されることになる。“名は体を表す”の関係に於ける"体"そのものは隠しておくことができ、名称変更届上に現れることはないという仕掛けである。

 宗教法人の名称変更に関しては、何らかの規則変更であっても、その届出には宗教団体の体裁を成していることのみが要求され、信教の自由を逸脱した不法献金強要や強制入信を行っているといった"体"の部分に当たる反社会的実体は届出で問われることはない。そうであるから、旧統一教会の2015年8月の名称変更は受理・認証を受けることができた。

 下村も末松も、文化庁も、名称変更届出の記載に不備がないことを前提に名称変更を認証した事実は旧名称時代から続いている反社会的実体が名称変更届出に現れることのないことを幸いとして、その実体に目を向けることなく不問に付したことを意味する。なぜなら、名称変更認証の2015年8月以前に既に裁判で旧統一教会の社会的違法性は何例も糾弾を受けていて、マスコミも取り上げていたはずだからである。要するに前川喜平氏が文化庁宗務課長であった1997年(平成9年)当時、旧統一教会から名称変更の相談が寄せられた際、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」云々と名称変更の相談の段階で阻止したこととは真逆の対応を取ったことになる。繰り返しになるが、下村も末松も、文化庁も、名称変更届出の書類が求めている形式の要件どおりの記載内容となっていることの一事のみに正当性を置いて、旧統一教会が名称変更申請段階時に於いても反社会的存在であったその実体に関しては問題外の不問扱いとしたということである。

 当然、「国民の生命と財産を守る」、あるいは「国民の命と暮しを守る」政治家を名乗っている以上、前川喜平氏と同じ理由を用いて申請そのものを阻止するか、どうしても阻止できない事情があるなら、申請書受理後に宗教法人審議会に対して社会的実体の有害性・無害性を検証の上、受理判断するようにとの指示のもと諮問させ、その判断に任せるべきだったし、諮問自体が「国民の生命と財産を守る」、あるいは「国民の命と暮しを守る」政治行為の一環に即していたはずである。だが、名乗りに反する政治行為に出た。前川喜平氏が名称変更認証に「下村さんの意思が働いていたことは100%間違いないと思っている」の発言はその信憑性を色濃くするばかりで、その対応の正当性は認めることはできない。

 ジャーナリストの松谷創一郎氏記事、「忘れられていた統一教会──激減した報道と34年前の“正体隠し”」(Yahoo!ニュース/2022/8/12(金) 6:06)によると、元信者が霊感商法被害で旧統一教会を訴えた、原告被害期間2001年~2011年の裁判では2017年に東京地裁が教団側に1020万円の賠償命令の判決を出し、原告被害期間1998年~2013年の同様の裁判は2021年に同じく東京地裁が1億1600万円の賠償を命じる判決を言い渡している(読売新聞朝刊2021年3月27日付)と出ている。訴えの元となった被害時期と裁判係争、そして地裁結審はどちらも世界基督教統一神霊協会の世界平和統一家庭連合へとの名称変更届出受理の2015年7月と認証の2015年8月を間に挟んでいる。

 「Wikipedia」の「青春を返せ裁判」の項目には次のような記述がある。

 〈2000年9月14日 - 広島高裁岡山支部第一部で、元信者の訴えを棄却した一審を破棄し、統一教会/統一協会の伝道の違法性を認定する全国初の判決が出た。 原告に対し、実損害額72万5000円に加え、100万円の慰謝料請求を認める。日本において、宗教団体による勧誘・教化行為の違法性を認めた全国初の判決。教団は信者組織に対して実質的な指揮監督関係があると認定し、計画的なスケジュールに従い宗教選択の自由を奪って入信させ、自由意思を制約し、執拗に迫って不当に高額な財貨を献金させ、控訴人の生活を侵し、自由に生きるべき時間を奪った」などと判断した。

 2001年2月9日 - 「青春を返せ訴訟」で統一教会/統一協会側の敗訴が最高裁で初めて確定。最高裁は「上告理由の実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって、上告の事由に該当しない」として教団の上告を棄却し、教団の詐欺的入信勧誘と献金の説得について組織的不法行為が認められるとして、献金70万円と修練会参加費相当額の損害及び100万円の慰謝料の支払いを命じた二審・広島高裁岡山支部判決が確定した。〉――

 前者の裁判では「宗教選択の自由を奪って入信させ、自由意思を制約し、執拗に迫って不当に高額な財貨を献金させ、控訴人の生活を侵し、自由に生きるべき時間を奪った」などと、その実体が反社会的な域に到達しているとの宣告を受けることになった。後者にしても、〈教団の詐欺的入信勧誘と献金の説得について組織的不法行為が認められる。〉と教団の実体が反社会性を纏わせていると断罪された。

 当然、名称変更認証に向けた2015年7、8月の時点に立って旧統一教会を取り巻く各種状況を眺めたとき、裁判が炙り出しているその社会的実体を有害性の観点で見るか、無害性の観点で見るかを求められた場合、前川喜平氏は有害性の観点で眺めたことになり、下村も末松も、文化庁も無害性の観点で眺めて、その有害性を問題視しなかったことになる。特に政治家や官僚としたら社会的常識に真っ向から反する受け止め方を以ってして結果として旧統一協会の意図に添う認証を答として出したのだから、前川喜平氏の見立てどおりにその意図が働いた下村博文の認証と見ないわけにはいかなくなる。

 以上、野党ヒアリングで元文部科学省事務次官の前川喜平氏が1997年(平成9年)当時に旧統一教会から名称変更の相談が寄せられたときに見せた、実体は世界基督教統一神霊教会と何も変わらないのだから、申請書は出さないでくれと、いわば門前払いを食らわす対応をしたのだが、このような対応を正義の味方、有名弁護士の橋下徹がテレビ番組で「違法」だと厳しく批判したという。「橋下徹氏 旧統一教会の名称変更問題で前川喜平元次官を「違法」とバッサリ」(東スポWeb 2022/08/07 11:05)

 2022年8月7日の「日曜報道」(フジテレビ系)でのコメンテーターとしての発言。記事の発言を纏めて見る。

 橋下徹「正義の味方みたいになっているが、前川さんが違法です。統一教会がトラブル団体なので、名称変更を認めなかったと結果オーライで正しかったように見えるが、法治国家なので、ルールに基づいて判断しないといけない。名称変更の問題とトラブルを分けて考えないといけない。変更に関しては、前川さんの胸突き三寸で勝手に拒否してはいけない。

 こんな官僚のやり方を認めたら、国民は官僚にゴマすりばっかりやらないといけなくなる。また官僚天国になって、中国と同じようになる。

 感情で動くんじゃなく、きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき。前川さんの違法性も検証してほしい」

 記事は、〈ゲストで出演していた立憲民主党の小川淳也政調会長も「前川さんのこの手続きを橋下さんのいう論点から検討する必要はある」と認めざるを得なかった。〉とオチまで付けている。

 橋下徹は前川喜平氏のことを「正義の味方みたいになっている」と言っているが、ナニナニ、正義の味方という点では橋下徹の右に出る者はいない。強いて挙げるとしたら、志半ばで旧統一教会関連で天に召された安倍晋三ぐらいのもので、「俺の方こそ正義の味方だ」と張り合ったら面白かっただろうが、もはや張り合うことはできない、橋下徹の一人勝ちといったところだろう。
 
 記事は橋下徹が前川喜平氏の対応を「違法」と断定とした根拠を、〈1993年に成立した行政手続法の観点から前川氏や文科省に非があるとした。〉と解説している。「行政手続法」(1993年法律第88号)の「第5章 届出」を見てみる。
      
 〈第5章 届出

 第37条 届出が届出書の記載事項に不備がないこと、届出書に必要な書類が添付されていることその他の法令に定められた届出の形式上の要件に適合している場合は、当該届出が法令により当該届出の提出先とされている機関の事務所に到達したときに、当該届出をすべき手続上の義務が履行されたものとする。〉――

 旧統一教会の名称変更届に即して説明すると、宗教法人法によって宗教法人としての地位と身分が認められていることを前提とした取り扱いとなるために何らかの届出をする場合、名称変更の届出であっても、代表者役員変更の届出であっても、記載事項に不備がないことや必要な書類が添付されていることなどの「届出の形式上の要件」を満たしていさえすれば、その書類が関係機関の事務所に到達した時点で宗教法人は「当該届出をすべき手続上の義務」を履行したものと看做されるという建て付けとなる。当然、関係機関の事務所は宗教法人側の果たした義務に対して認証を以って応えなければならない。改めて断るまでもなく、届出認証の要件は届出の際に要求される書類上の形式(=書類上の手続き)を満たしているかどうか、唯一その一点に尽きることになるからである。

 先に触れたが、名称変更の申請書を提出させた上で、「実態が変わっていないのに名前だけ変えることはできない」との理由で公式に非認証の決着をつけることができない理由がここにある。
 
 下村博文が「申請に対応しないと行政上の不作為になる可能性がある」と発言したことと文化庁が形式上の要件以外を理由として名称変更の申請を拒むことはできない等と説明していること、さらに文科相の末松信介が「形式上の要件に適合する場合は受理する必要がある」と発言していること全てが1993年成立行政手続法の「第5章届出」の条文に基づいた発言となる。

 かくこのように法律に忠実に基づいて判断するなら、正義の味方橋下徹の前川喜平氏「違法説」は正しい。だが、名称変更届出認証の要件が唯一書類上の形式(=書類上の手続き)を満たしているかどうか、その一点のみであることによって、既に触れたように信教の自由を逸脱した不法献金強要や強制入信を行っている旧統一教会の反社会的実体は不問に付すという仕掛けを結果的に認証の陰に閉じ込めることになってしまったという結末を迎えることになった。

 となると、橋下徹がのたまわっている、「感情で動くんじゃなく、きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき」が一見、正当性を持ち、この正当性に立つなら、前川喜平氏の違法性はより重くなるが、その一方で下村博文や文化庁、末松信介たちの旧統一教会の反社会的実体性、あるいは違法と認める裁判所の数々の判断を我関せずに無頓着とした事実は名称変更認証の背景に限りなく追いやることになる。

 昭和26年の「宗教法人法」の「第81条 解散命令」は、〈裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。

一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
二 第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。〉等と規定している。

 要約すると、裁判所は「著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をした」宗教団体、あるいは「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする」と規定した「第2条」のその「目的を著しく逸脱した行為をした」宗教団体、あるいは「第2条」規定の行為を「一年以上にわたつて」行わなかった宗教団体を「所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる」ということになる。

 だが、裁判所は教団の入信勧誘を「詐欺的」とし、高額献金問題を「組織的な不法行為」と断じ、信者に対して「実質的な指揮監督関係」にあるとして、これらの不法行為に於ける旧統一教会の使用者責任を認め、個々の裁判で損害賠償請求等を認める判決を下しているにも関わらず、どこからも解散の請求を受けることはなかった。結果、教団の不法行為を野放し状態にしてきた。"名は体を表す"うちの"名"の変更も認めて、"体"とは縁がないかのように装わせることになった。なぜなのだろう。

 この“なぜ”は次の記事を読むと、深まる。「宗教法人審議会(第141回)議事録」(文化庁宗務課/ 2001年6月20日)

 要約すると、和歌山県に主たる事務所を持っている宗教法人「明覚寺」(みょうかくじ・複数の都道府県を跨いでいるから所轄庁は文部科学省)は名古屋別院満願寺が中心となって全国的に霊視商法詐欺事件を行っていて、詐欺罪で告訴され、既に8名が有罪判決を受けている。明覚寺側は和解金約11億円を支払い、被害者等とは全て和解が成立しているものの、1999年(平成11年)7月の地裁段階の判決で組織的、計画的かつ継続的に実行された大規模な詐欺事案と認定されていることから、文化庁では解散命令を請求する事由に該当するとして1999年(平成11年)12月16日に解散命令の請求、申立てを和歌山地方裁判所に行った。

 次に翌2002年6月18日の「第143回宗教法人審議会議事録」(文化庁宗務課)を同じく要約してみる。

 宗教法人明覚寺について宗教活動の名のもとに組織的、計画的、かつ継続的に詐欺行為を行ったことから私ども(=文化庁及び宗教法人審議会)は解散命令を請求してきたが、今年(2002年)1月24日に和歌山地裁から解散の命令が出された。明覚寺側は今年(2002年)1月31日付で大阪高裁に即時抗告を行ったが、4月時点で当方側からも答弁書の提出をして、お互いの主張が基本的には出尽くしている段階にあり、いずれ決定が出ると思うが、高裁でも現決定が維持されることを求めていきたいと考えている。

 この結末は「Wikipedia」の「霊感商法」の項目に出ている。

 〈明覚寺は最高裁まで争ったが棄却されて解散になった。犯罪を理由にした宗教法人の解散命令としては、オウム真理教に次ぐ2番目のできごとであった。〉

 かくかように宗教法人法は第81条で「解散命令」は裁判所が行うこととしているが、解散の請求は所轄庁、利害関係人若しくは検察官が行うと定められているうちの所轄庁に関しては上記2つの宗教法人審議会議事録によって複数の都道府県に施設を持つ宗教法人の場合は文部科学省ということになり、解散請求までの手順は何らかの宗教法人に対して著しく公共の福祉を害すると明らかに認められるか、宗教団体としての目的を著しく逸脱した違法・不法行為に関わるかして訴訟が提起され、その訴訟に対して裁判所が有罪判決を下す結果等を受け、文科大臣の諮問機関である宗教法人審議会が解散請求の該当性の有無を議論し、解散相当と結論した場合はその請求を文科大臣宛に提出、文科大臣が裁判所に解散請求を行うという手順を取ることになる。
 
 だが、文部科学大臣の諮問機関である宗教法人審議会は旧統一教会が裁判で数々の有罪判決を受け、教団の使用者責任を認める判決がいくつかありながら、音無しの構えに終止した。この理由を推測するために2022年8月5日の野党ヒアリングで前川喜平氏が旧統一教会から名称変更問題が持ち上がった時期としていた1997年(平成9年)を挟んで「Wikipedia」を参考にしながら、世界基督教統一神霊協会(旧統一教会)の教祖文鮮明が1968年1月13日に韓国で、同年4月に日本で創設した国際勝共連合と日本に於けるスパイ防止法の国会提出を軸に当時の自民党首脳と旧統一教会との関係を眺めてみることにする。国際勝共連合とはその名の通り、反共主義の政治団体である。1968年の日本の首相は岸信介の実弟佐藤栄作であり、兄弟揃って反共主義の立場を取っていた。

 日本で創設の国際勝共連合の発起人は自民党の元首相岸信介、さらに両者共に政界黒幕で自民党に対して強い影響力を持った笹川良一と児玉誉士夫らが名を連ねている。会長は久保木修己統一教会会長、名誉会長は笹川良一(1995年7月18日 96歳没)が就任。この一事のみで旧統一教会と自民党がズブズブの関係にあり、そこに国際勝共連合が加わったという図になる。

 1974年5月7日、帝国ホテル(東京)で岸信介を名誉実行委員長として、『希望の日』晩餐会と題する文鮮明の講演会が行われた。当時の大蔵大臣福田赳夫が「アジアは今、偉大な指導者 を得ることができました。その指導者こそ、そこにおられる文鮮明先生です」と賛美し、韓国形式の挨拶で抱擁を繰り返したという。講演会には安倍晋太郎、中川一郎、保岡興治、中山正暉、石井公一郎、(ブリヂストン副社長)、笹川了平(『大阪日日新聞社長、笹川良一の末弟)、笹川陽平(富士観光社長、笹川良一の三男)らのほか、40名程の小学校、中学校、高校の校長達が出席。

 1985年6月6日の第102回国会「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」(スパイ防止法)が議員立法として衆議院に提出されたが、この年を約6年遡る1979年2月24日、国際勝共連合その他の反共団体が「スパイ防止法制定促進国民会議」を結成。各県に県民会議、さらに市町村にそれぞれ母体をつくり、地方自治体へスパイ防止法実現のための要望、決議を行う戦略を取り出した。さらに国際勝共連合は1979年11月からスパイ防止法制定3000万人署名国民運動を展開している。

 そしてこういった動きの背景となったのが1957年に訪米した岸信介が米側から秘密保護に関する新法制定の要請を受け、「いずれ立法措置を」と応じ、社会情勢が熟すのを待ったのだろう、1984年4月、「スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会」を発足させ、岸信介自身が懇談会会長に就任した。

 こうして見てくると、佐藤栄作をも含めた岸信介を主導者とした日本側一派が国際勝共連合を伴走者として旧統一教会と二人三脚で事を起こしていたことが理解できる。国際勝共連合は地方自治体へスパイ防止法実現のための要望・決議を行う戦略によって、〈1984年12月末までに「スパイ防止法制定の意見書」決議を行った県議会は27、市議会1122、町議会983、村議会366、合計2498に達した。1985年後半から反対運動も活発化し、地方議会での反対決議も増えた。〉と「Wikipedia」には出ている。このような攻防を経たものの、スパイ防止法は1985年12月21日の国会閉会に伴い、審議未了廃案となり、安倍内閣下の2013年第185回国会に於いて「特定秘密の保護に関する法律案」(特定秘密保護法案)として提出され、同年12月6日の成立によって国際勝共連合を伴走者とした旧統一教会との二人三脚が実を結ぶことになる。

 そのほかの状況としてアメリカでの脱税によって実刑を受けていたことから日本入国禁止の旧統一教会創始者であり、総裁の文鮮明が上陸特別許可によって1992年3月26日に日本入国、3月31日に金丸信、中曽根康弘と会談している。金丸信は当時自民党副総裁、法務省に対する政治的圧力により入国させたと噂が立ったという。さらに1994年8月には勝共連合幹部の誘いで朴普煕(パク・ポヒ:「世界基督教統一神霊協会」(統一教会)の古参幹部)と中曽根康弘元首相が会談。金丸信が失脚したので、北朝鮮と日本を結ぶパイプ役をお願いしたとされている。

 安倍晋三の2013年の特定秘密保護法案成立を除いた、以上書き出した両者間の親密関係が進行しつつあった情勢下で旧統一教会の名称変更問題が持ち上がった1997年(平成9年)である。旧統一教会が霊感商法や強制入信問題で全国的に有罪判決が出ているにも関わらず、宗教法人審議会が解散請求に向けた議論をしなかったのは旧統一教会と自民党首脳との関係から触らぬ神に祟りなしで自らに縛りを掛けていた可能性を疑うことができる。前川喜平氏自身もそのことを感じ取っていて、名称変更届を受理したなら、事務的に認証処理されてしまうこと、宗教法人審議会が音無しの構えでいる事情も弁えていて、本人が当時できたことは変更届出に門前払いを喰らわすことぐらいだったと考えることもできる。

 しかし最近の旧統一教会に対する最大の協力者であった安倍晋三が名誉の死を遂げた現時点で、旧統一協会の名称変更認証の2015年8月当時の事柄を「申請内容に実態が伴っていない場合は、認証しないという判断をして宗教法人審議会にかける道があったはずだ」と指摘することができたとしても、現実問題として、当時の時点で同じ指摘をしたとしても、宗教法人審議会側が指摘に応じて動くことができたかどうかは疑わしいし、前川喜平氏自身にしても、旧統一教会と自民党首脳との当時の親密な関係を感じ取っていただろうから、同じ指摘ができたかどうかも疑わしい。

 但し宗教法人審議会にかけるか否かの判断材料はあくまでも名称変更届の形式に合わせた記載内容にあるのではなく、変更届に決して現れることはないし、表すことも要求されていない社会的実体の有害性・無害性であって、初期的には有害性・無害性如何に判定を下すのは裁判所である。そしてその判定にどう対応するかが第一義的には宗教法人審議会自身の問題となる。対応次第で不作為の誹りを受けるのは文化庁宗務課ではなく、宗教法人審議会自身でなければ、その存在意義を疑われることになる。

 このように見てくると、当然、現文科大臣の末松信介の記者会見発言、「申請の内容が要件を備えていることを確認して認証を決定したと認識していて宗教法人審議会にかける案件ではなかった」は事実誤認そのもので、形式的な要件を供えていなければ、宗務課が変更届を出し直させるだけのことで、名称変更届の形式的要件の具備・不備という点に限って言うと、宗教法人審議会の与り知らないことであろう。

 与り知らなければならなかったことは名称変更によって社会的実体の有害性の点がどのような影響を受けるか、受けないか、想定することであろう。前川喜平氏の「当時、『世界基督教統一神霊教会』という名前で活動し、その名前で信者獲得し、その名前で社会的な存在が認知され、訴訟の当事者にもなっていた。その名前を安易に変えることはできない」との指摘に直接関係する事柄である。尤も裁判所の判決によって社会的実体の有害性が既に明らかになっているにも関わらず、旧統一教会の自民党上層部との関係の深さから自らに自己規制の縛りを掛けて、我関知せずの態度を取っていたとしたなら、名称変更によって社会が受ける影響そのものを考えることはあっても、縛りは縛りとして、旧統一教会の社会に対する影響を阻止する、自分たちのできる行動に出ることはなかっただろう。

 橋下徹が2022年8月7日のテレビ番組で前川喜平氏の、いわば門前払いの対応を批判して「きちっとルールが足りないなら、しっかりつくるべき」と発言しているが、「ルール」は既に出来上がっていたのである。断るまでもなく、「宗教法人法第81条解散命令」である。記憶に新たにして貰うために改めてここに記す。

 〈裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を命ずることができる。

一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
二 第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたつてその目的のための行為をしないこと。〉――

 少々寄り道するが、野党は2022年8月18日の日も文化庁宗務課に対して合同ヒアリングを行っていて、その様子を同日付「asahi.com」記事、「旧統一教会の名称変更、『詐欺的行為』は調査せず 野党に文化庁説明」が次のように伝えている。

 当たり前のことを最初に断っておくが、いくつかの地方自治体に跨って宗教団体として活動していることから文科省所轄となっている旧統一協会を対象としたヒヤリングである。

 〈文化庁宗務課の担当者は宗教法人法の審査基準について説明。宗教法人として新しく認証する場合は「布教方法に社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないかの調査を行う」と定められている一方、名称を含む変更の場合は「宗教法人法の根拠となる条文が違う」として、詐欺的な行為をしているかの確認などは求められていない現状を明らかにした。〉

 立憲民主党参院議員小西洋之「設立の時に調査を行うと定められているなら、名称変更の際にも調査を行う必要があったのでは」

 文化庁の担当者「基本的に設立の時に宗教団体性を認めて認証しているということ」
 
 〈当時の名称変更の経緯や関係書類については「確認を進めている」と答えた〉――

 文化庁宗務課の担当者は宗教法人設立認証のケースと認証後の名称等変更認証のケースを分けて、前者の場合は「布教方法に社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないかの調査を行う」こととしているが、後者の場合はそのような調査は求められていないと説明したことになる。となると、宗教法人の資格を一旦与えられたなら、以後、如何ような犯罪集団に豹変しようともお構いなしだということになる。事実そのとおりのことになっている。

 何よりも問題なのは文化庁宗務課が説明した宗教法人として新しく認証する場合の審査基準にかかる規定は宗教法人法のどこを探しても見当たらない。「宗教法人法第2章第13条 設立 設立の手続き」は主として宗教団体としての体裁を成しているかどうかの審査を行うに過ぎない。上記文言をネットで検索、「愛媛県宗教法人規則認証審査基準(平成13年1月25日制定)」の中に、〈宗教法人法(昭和26法律第126号。以下「法」という。)に基づく規則、規則の変更、合併及び任意の解散の認証に関する審査にあたっては、法の規定の外、特に以下の点に留意して行うものとする。〉との決め事の中に存在する。

 「規則、規則の変更、合併及び任意の解散」の認証審査は「法の規定の外」、いわば宗教法人法以外に、つまり宗教法人法には規定はないがの断りで独自の留意事項を設けている。もし実際に宗教法人法に同様の規定が設けられていたなら、「法の規定の外」の断りは必要とせず、「法の規定を厳格に守って」等の表現になったはずである。ここでは上記文化庁担当者の発言に添った基準のみを取り上げる。文飾は当方。

 〈3 当該団体について、法令に違反し、公共の福祉を害する行為を行っていると疑われる場合には、以下の点に特に留意しつつ、その疑いを解明するための調査を行う。

(1)布教方法に、社会的に相当と認められる範囲を逸脱詐欺的、脅迫的手段を用いていないか。
(2)暴力的行為、反社会的な活動又は公序良俗に反する行為を行っていないか。

 同様の文言は、「新潟県 宗教法人の認証に関する審査基準(留意事項)」にも示されている。

 〈宗教法人法(以下「法」という。)に基づく規則、規則の変更、合併及び任意解散の認証に関する審査に当たっては、法の規定の外、特に以下の点に留意して行うものとする。〉

 〈申請団体について、法令に違反し、公共の福祉を害する行為を行っていると疑われる場合には、次の点に特に留意しつつ、その疑いを解明するための調査を行う。
 ア 布教方法について
   布教方法に、社会的に相当と認められる範囲を逸脱した詐欺的、脅迫的手段を用いていないか。
 イ 活動内容について
   暴力的行為、反社会的な活動又は公序良俗に反する活動を行っていないか。

 新潟県の場合は「平成6年10月1日制定」で、「平成9年5月15日一部改正」となっていて、愛媛県と制定年月日が異なっていることから宗教法人法の規定以外に各自治体が独自に決めた審査基準であることが分かる。但し右へ倣えの形式を踏んでいるが、自治体ごとに違いがあっては困るからだろう。

 「Wikipedia 世界平和統一家庭連合」の項目に、〈1964年には東京都知事の認証で宗教法人となった。〉と出ているが、「東京都 宗教法人の認証に関する審査基準(留意事項)」なるものが存在するのではないかと思ってネットで探してみたが、見つけることはできなかった。国や自治体の規則や慣習の右へ倣えの慣例からすると、国を除いた自治体の場合は首都東京が先例となるケースが多いが、旧統一教会宗教法人認証の1964年は昭和39年で、その際に"詐欺的、脅迫的"云々
の認証審査基準が存在していたとしたら、一方の新潟県と愛媛県の「審査基準」が平成に入ってからというのは遅すぎることになる。「詐欺的、脅迫的手段」云々の基準は設けられていなくてフリーパスだったか、あるいは宗教法人資格認証時は“詐欺的、脅迫的”云々の"体"をなすに至っていなかったどちらかと考えられる。

 愛媛県と新潟県の両自治体の宗教法人に対する審査は「規則」――いわば新規設立関わる「規則」を対象としているだけではなく、名称変更を含めた「規則の変更」をも対象とした “詐欺的、脅迫的”云々であり、あるいは “暴力的、反社会的”云々だが、これに対して文化庁担当者が野党合同ヒアリングで自治体独自の審査基準を持ち出して新規認証の場合のみ社会的実体の有害性の有無を調査をするが、名称変更の認証については宗教法人法はそのような扱いとはなってはいないと説明したことは自治体独自の審査基準と宗教法人法のうち、自分たちに都合のよいいいところ取りをして、旧統一教会の名称変更を形式的要件のみで認証したことの正当性を謀りつつ、その認証が法律どおりであっても、実質的には社会的実体の有害性("詐欺的、脅迫的"等々)を不問に付して認証したことになる仕掛けを隠蔽する働きをしていることになるのだから、この巧妙性・狡猾性はさすがと言わざるを得ない。

 立憲民主党の小西洋之は文化庁担当者の前記発言を受けて、宗教法人法の何条に「詐欺的」云々といった規定が設けられているのか聞くべきだった。聞かなかったのは旧統一教会問題に取り組んでいながら、「宗教法人法」を勉強していないからだろう。「設立の時に調査を行うと定められているなら、名称変更の際にも調査を行う必要があったのでは」の小西洋之の発言そのものが宗教法人法に疎いことを示しているが、小西の発言に対する文化庁担当者の発言「基本的に設立の時に宗教団体性を認めて認証しているということ」と言っていることは前に触れたように宗教法人法によって宗教法人としての地位と身分を認められていることのみを前提として対応する法解釈となっているから、以後の団体の何らかの変更を申請する届出が形式上の要件に適っているかどうかだけを見ることになっている。

 自治体独自の「宗教法人規則認証審査基準」にしても、何らかの宗教団体が宗教法人としての新規設立認証を受ける場合は「詐欺的、脅迫的手段」、その他の方法を用いた布教活動を行っている事実を調査されたら困るのを承知で認証申請するという手順よりも、最初に法人の資格を取ってから、徐々に金儲けに走るといった手順を取るのが一般的だろうから、どれ程の効果があるか疑わしい。勿論、悪徳宗教法人は規則の変更を迫られた場合は審査基準に引っかかることになるが、それを避けるためにどのような変更もしないで済ませるか、代表者の死亡等による変更等の届を申請する必要に迫られた場合、新たな宗教団体を立ち上げて、設立要件となる3年間の活動後に宗教法人としての新規申請に持っていって、宗教法人資格を得たのちに実質的には悪徳宗教団体を引き継ぐという手段も残されている。

 やはり最終的に鍵を握るのは「宗教法人法」「第81条 解散命令」であろう。宗教法人審議会がこの条項を旧統一教会のいくつもある違法とする裁判判決を前にして教会と自民党上層部との関係を考慮して自らに縛りをかけ、空文化させていたのか、させていなかったの、その白黒を求め、前者・後者いずれであっても、解散命令を裁判所に請求しなかったことの正当性ある根拠を提示させるところから始めなければならない。

 安倍晋三やその側近の立場への気兼ねから、あるいは忖度から解散請求を控え、音無しの構えを守り通していたことが万が一にでも判明したなら、宗教法人審議会は裁判所に対して解散を請求する手立てを構築しなければならなくなるが、旧統一協会が特に自民党政治家に対して選挙での利害関係の点で深く食い込んでいた状況を利用、宗教法人審議会の解散請求の動きを妨害する目的で彼ら自民党政治家を外堀に仕立ててそこから攻める一手として握っている秘密を暴露する報復戦術をチラつかせた場合、選挙でお世話になった多くの有力議員は自己規制を働かせて、宗教法人審議会のメンバーに圧力を掛けない保証はない。

 ここで出番は正義の味方、正義の弁護士橋下徹となる。旧統一協会が文化庁宗務課に名称変更の相談をした際、前川喜平氏がいわば門前払いにした措置を「前川さんの胸突き三寸で勝手に拒否してはいけない」と批判、違法性ある行為だと断じた手前、自身に縁のある日本維新の会に依頼、宗教法人審議会に対して裁判所の旧統一協会を被告とした各種有罪判決を社会的実体の有害性の観点から捉えるべきなのか、捉えるべきでないのか、前者なら、解散に値するのか、値しないのかを審議するよう求めて、国民の納得を得ることができるいずれかの決着に持っていくべきだろう。

 但し日本維新の会も所属議員13人が旧統一教会と関りがあったことを調査・公表した。今回の新代表戦に立候補した馬場伸幸(2022年8月28日投票の結果、新代表に選出)も足立康史も仲間に入っている。幹事長の藤田文武も連座している。旧統一協会が秘密暴露報復戦術を日本維新の会にも向けとしたら、自らも大きな傷を負うことを覚悟で解散実現へと向けて敢然として立ち向かうことができるかどうかである。

 橋下徹の、少々言葉が軽いところがあるが、持ち前の断固とした正義感は口先だけではないはずだから、その点に期待する以外にない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする