二つの発言共、昨30日午前の閣議後の記者会見で飛び出した発言。
一つ目は菅首相が29日の両院議員総会で、「9月の代表選で改めて私自身の行動を含めて判断いただく」(asahi.com)と代表選に立候補することを正式表明したことに対して前原国交相が支持する発言をした中での言葉。
前原「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張っている民主党のカルチャーから早く脱しないといけない。仮に菅総理大臣が辞めても、コップの中で権力闘争をやっていることになれば、日本の国を変える大きな絵姿を描ける政党には脱皮できない」(NHK記事)
二つ目は両院議員総会の欠席理由を問われて述べた発言。
記者の質問の部分と前原国交相の返事の箇所は《前原国交相、議員総会欠席「海老蔵さんの挙式に出席」》(日本経済新聞電子版/2010/7/30 10:58)の動画から。
記者「昨日(?)、先の参院選を総括する両院議員総会を欠席されました。私は会場の方で大臣をお見かけできなかったんですが、えー、ご出席をされたのでしょうか?」
前原「えー、きのうの両院議員総会は欠席をいたしました。あー、結婚式の招待状をいただいて、おりまして、えー、その出席というものを、私は早くから、明確にしておりましたし、えー、鏡開きを、をー、させていただくというお話も、おー、ございましたので、えー、そのことについて、最初から決めていた、アー、予定を優先させていただいたと言うことでございます」(動画はここまで)
「結婚式の招待状」とは、歌舞伎俳優の市川海老蔵の挙式・披露宴の招待状だそうだ。
記事は、〈そのうえで「批判は一切私の耳に届いていない。冠婚葬祭は人生の一大セレモニーだ」と釈明した。〉と書いている。
欠席に関して、〈両院議員総会には小沢一郎前幹事長も欠席しており、前原氏欠席の真意が関心を集めていた。〉そうだ。
先ず最初の前原国交相の「民主党のカルチャー」に関する発言。
立派な戒めの言葉に民主党議員の殆んどは耳が痛い思いをしたに違いない。前原国交相自身はそのカルチャーに染まってはいないが、「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張」り合う程度の低い権力闘争が「民主党のカルチャー」だと断定しているのだから、身に覚えのない議員はそうはいまい。
尤も自覚しないまま程度の低い権力闘争に現を抜かす輩(やから)もいるだろうが、それが国民の負託を受けた天下の国会議員だとなると、その無自覚性の問題が新たに生じる。
いや、自覚しようがしまいが、日本の国会議員が例え民主党に限ったことであっても、「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張」り合う程度の低い権力闘争を「カルチャー」としていること自体が問題で、民主党は程度の低い議員の集まりと言うことになる。
そのような議員の中で菅首相や前原国交相、その他がお山の大将として君臨しているわけである。何とも情けない議員集団ではないか。
つまり、前原国交相は民主党は「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張」り合う程度の低い権力闘争を「カルチャー」としている議員ばかりだと批判したことにもなる。
まさか小沢グループだけがそうだと言っているわけではあるまい。小沢グループに限った「カルチャー」であるなら、「民主党のカルチャー」とは言えない。
大体が「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張」り合う「カルチャー」としてある権力闘争を開始したのは菅首相自身ではなかったのか。それに枝野幹事長や野田財務相、そして言っているご本人の前原国交相が追随した。
いわば小沢グループ排除である。これも一種の“足を引っ張るカルチャー”の権力闘争と言える。適材適所、それが能力ある議員なら、小沢グループ云々は関係なかったはずだ。「短兵急に結論を求め」た排除、“足の引っ張り”だったから、参院選に大敗して民主党及び内閣の立場を悪くしたことから自身の存在理由を大分小さくした途端、6月3日の代表選出馬記者会見で、「小沢幹事長についてもですね、ある意味ではしばらくそうした国民の皆さんにとってのですね、ある種のこの不信を招いたことについて、少なくともしばらくは静かにしていただいたほうが、ご本人にとっても、民主党にとっても、日本の政治にとっても良いのではないかと、このように考えております」(MSN産経)と言っておきながら、自分の方から会談を求めて関係修復を図る動きを見せなければならなくなった。
合理的判断も何もない愚かしい話ではないか。
そもそもからして「短兵急に結論を求め、お互いの足を引っ張」り合う程度の低い権力闘争を「カルチャー」としていて、それが民主党の実体だということなら、程度の低い権力闘争を「カルチャー」としていることと矛盾する「日本の国を変える大きな絵姿を描」く資質・能力ということになって、当然そういった政党への「脱皮」はないものねだりの期待不可能となる。
却って国民からしたら、「お互いの足を引っ張」り合ったり、「コップの中で権力闘争」を露骨にやってくれた方が見切りをつけ易くなって有り難いのではないだろうか。
「お互いの足を引っ張り合ったりするのが民主党のカルチャーではないはずだ」といった言い方でとどめておくべきではなかっただろうか。そのように言えば、否定を通した戒めの言葉となるが、間接的に民主党のカルチャーだと断言することにはならない。
前原は、「日本の国を変える大きな絵姿」などと言うことは大層立派だが、言葉の矛盾に気がつきさえしない。合理的判断能力もなく、自身の才能に自信過剰であることから生じている小賢しさが仕向ける大層な言い回しに違いない。
《前原氏、両院総会欠席し海老蔵披露宴に》(デイリースポーツ/2010年7月30日)が前原国交相の両院議員総会欠席の記者会見の遣り取りをより詳しく伝えている。
前原「冠婚葬祭は人生の極めて大事なセレモニー。数カ月前に招待状が届いており、どちらを優先するかは政治家が判断する。(総会欠席に)批判があれば甘んじて受ける」
何を言っているのか意味不明。自分は正しい、間違っていないと頭から決めつけているから、こういったことが言えるのだろう。「政治家が判断する」とは何のことを言っているのだろうか。「政治家として判断した」ということなのだろうか。
他の記事を調べてみると、「政治家の判断」、「政治家として判断」もある。それで動画がないかと調べてみると、「TBS」の動画記事、《前原氏、海老蔵さん披露宴で両院総会欠席》(2010年07月30日)を見つけることができた。
前原「冠婚葬祭っていうのは、人生に於いて極めて、大事なセレモニーでございますし、えー、ああいう結婚式の、ご案内というのは、数ヶ月前から届いていて、社会通念として、どちらを優先するかと、いうことを、政治家が判断をすると。それについて批判があるんだったら、甘んじて受けます」――
「が」になっている。政治家が判断するのだから、正しい、間違っていないということなら、政治家を何様の位置に置くことになり、尊大さを内に隠した発言となる。
例えばの話だが、市川海老蔵から大枚の政治献金を前原に提供している都合上、結婚式への出席を優先させたということは政治の世界ではよくあることかもしれないが、だとしても、「社会通念」としてある優先行為ではない。あくまでも「政治上の通念」としなければならない。
正確には「政治上の利害通念」と言わなければならないかもしれない。
「冠婚葬祭っていうのは、人生に於いて極めて、大事なセレモニーでございますし」と言っているが、式当事者、もしくはその近親者にとっては「大事なセレモニー」であっても、前原本人にとっては交際上のセレモニーに過ぎないのだから、絶対的に優先させなければならない出来事だったろうか。
式当事者の「冠婚葬祭」は当事者の出席は欠かすことはできない。特に本人の葬式は、世の中に少なからずあるかもしれないが、本人の遺体の出席がないと異例中と異例となって困るに違いない。
両院議員総会開催の目的は参院選敗北の最終総括にあった。菅首相ばかりではない、菅内閣全体、あるいは執行部全体で受けるべき総括の場であった。前原国交相にしても、内閣、もしくは執行部を構成する一閣僚、一員として選挙敗北の責任の一端を担っているはずだから、総括を受ける現場に出席していなければならなかったはずだ。
にも関わらず、「人生に於いて極めて大事なセレモニーでございます」と結婚式に出席して、両院議員総会を欠席した。
菅首相の9月の民主党代表選立候補正式表明に前原国交相が支持する発言をした。菅首相の立候補表明は総括を経過させた上での立候補表明であったはずだ。当然前原国交相の支持発言も総括を一部始終見届けた上での支持発言でなければならなかったはずだ。
あとで同僚の誰かに聞けばいいという問題ではあるまい。
だが、「政治家が判断」したこととして、菅内閣の閣僚の一員として、執行部を構成する一人として一部始終を見届けなければならない両院議員総会を欠席し、市川海老蔵の結婚式への出席を「社会的通念として」優先させた。
例え市川海老蔵が大事な友人・知人の類であったとしても、「人生の極めて大事なセレモニー」が前原にとって当事者としての「セレモニー」ではない以上、夫人が代理で出席しても足りる式であったはず。本人が出席しなければ始まらない式ではあるまい。
前原国交相の知性に子どもっぽさを感じる。子どもっぽさを隠すために、強がった表情や態度、強がりの言動につながっているように見えてしまう。
内閣としての、あるいは執行部としての責任を見極めなければならない両院議員総会を欠席して、「人生に於いての極めて大事なセレモニー」だ、「社会通念としてどちらを優先するか」だ、「政治家が判断をする」だなどと言って結婚式の出席を優先すること自体が子どもの言動としか言いようがない。
確実に言えることは、合理的判断能力を欠いている点については菅首相と優るとも劣らないいい勝負の状況にあるということではないのか。
積極的選択からの続投支持ではないということ――
昨29日午後、民主党が参院選大敗総括の両院議員総会を東京・永田町の憲政記念館で開催。予定の1時間が2時間になったということだから、荒れたことは荒れたのだろうが、これまでの党内対立と両議員総会の模様を伝えるテレビを見ていると、9月の代表選を見据えて、首相派と反首相派である小沢グループとの駆引き、前哨戦に否でも見えてくる。勿論、参院選大敗の責任を負う現執行部たる首相派に勢いはないが、勢いを見せたなら、何だ開き直りかと再批判を喰らうばかりだから、ひたすら低姿勢、反省の顔を予定の行動としてだろう、演出していたが、首相自身引き下がるつもりはないから、敵の攻撃に対してじっと耐えて時間の経過を待つ、これも予定の行動に違いない隠忍自重を用いた駆引きで応じていたといったところだろう。
両者とも主戦場はこのままの態勢で雪崩れ込むことになる9月の代表選だと承知の、それぞれの前以ての役割を果たした一芝居だったはずだ。
《首相 代表選で党内審判を》(NHK10年7月29日 21時8分)
以下、「NHK」記事動画から――
菅首相「私の、消費税を巡る、不用意な発言によって、大変、重い厳しい選挙をみなさんに、強いることに、なったことについて、深く、反省をし、惜敗された、候補者の方々、そしてご支援をいただいた方々に、心より、お詫びを申し上げます。・・・・」
中津川博郷衆議院議員「官総理の、本当に不用意な思いつき、ま、民主党が、消費税増税路線に走ったんじゃないかと。この支えるべきはずの幹事長が、まーた、他党と連携するなんて、とんでもないことを言って足を引っ張って、これ、幹事長、選対委員長、これは当然であります、責任を取るのは。
しかし、菅総理自ら、責任を取るべきだと、私は思います」
川上義博参議院議員「最高司令官が戦争で大敗北したんじゃありませんか。責任をどのように取るんですか。責任を取るのは当たり前の話なんです。あまり総理を代えたくない、それは国民の声でありますけれども、これ以上続けるとですね、段々それは力強い内閣ではなくて、力強い政治が発揮できないんじゃないですか」
(結束を訴える首相派の発言)
杉本和巳衆議院議員「民主党全員、岡田ジャパンに学ぶべきじゃないかと思っています。え、負けが続いて、そしてサッカーの本場に行きました。先ず、上を向かなければならない。そして、チームワークを考えないといけない。いま、我々が求められているのは結果であります。全体を纏めていただいて、何とか勝ち点を上げるチームに、仕立て上げていただきたいと思います」
最後に。
菅首相「9月に予定されている代表選で、改めて、えー・・・、私自身の行動を含めてですね、みなさんに、いー・・・、判断をいただくということは、当然、えー・・・、予定されてもいますし、そうあるべきだと、考えております。代表選では、是非、この体制の中で、対応を、させていただきたい。――」
全議員、全党員、全党友の審判を仰ぐことを以ってして責任の判断に代えたいと代表選を前倒ししてできる限り早い段階に行えば、小沢前幹事長自身は検察審査会の「不起訴不当」の議決を受けた東京地検特捜部の4回目の事情聴取の問題があって直接的には前面に出ることができないこと、小沢グループには小沢全幹事長に代る相応の大物が存在しないこと、国民が続投を支持していること等の有利な状況を利用すれば、再任されないことはないはずだが、そう決断するだけの判断はないようだ。
杉本和巳衆議院議員が、「岡田ジャパンに学ぶべきじゃないか」と言っているが、岡田ジャパンと決定的に違う点は、例え選手の入れ替えはあったとしても、常に11対11の同じ頭数の戦いであり、あとはボール回し、あるいはシュートのテクニック、駆引きの能力差の戦いであったが、参議院の頭数の点で民主党は違いを抱えることになっている点であろう。政治の場合は政治能力、あるいは政策に少しぐらい優劣があっても頭数が補ってくれる。自分たちの政治をスムーズに行うためには対等以上は必要な頼みの綱である頭数が対等でもなく、対等以下という劣勢の状況にある。
その点を無視した発言であるが、お互いの立場に添った利害からの発言でしかないから、利害上、立場に都合のいい発言しか出てこない。
川上義博参議院議員が「あまり総理を代えたくない、それは国民の声でありますけれども」と言っているが、国民ばかりか有識者や菅首相派の閣僚、党幹部も同じ趣旨の発言を繰り広げて、それを以て菅首相続投理由としている。
いわば、「国民の声」としてある「あまり総理を代えたくない」という消極的選択で菅首相は命拾いをしていると言える。
「国民の声」とは、勿論世論調査に現れている「声」であるのは断るまでもなくい。
大方が既に承知していることだが、参院選後の世論調査を改めて二三例挙げてみる。
7月20日記事の「NHK世論調査」――
菅内閣を「支持する」 ――39%
「支持しない」――45%
菅首相の続投「賛成」――47%、
「反対」――17%、
「どちらともいえない」 ――34%――
7月12、13日実施「朝日新聞社世論調査」――
菅内閣を「支持する」 ――37%
「支持しない」――46%
菅首相の進退
「辞任すべきだ」 ――17%、
「辞任の必要はない」――73%
12~13日実施の「読売新聞社世論調査」――
菅内閣の支持率――38%
不支持率――52%
菅首相の続投「賛成」――62%
「反対」――28%
閣僚の中では両院議員総会は29日午後開催だったが、その午前中に行われたTBSの番組収録で岡田外相が「国民の声」と同一歩調を取る発言をしている。《菅首相再選を支持=民主代表選、自らは出馬せず-岡田外相》(時事ドットコム/2010/07/29-12:46)
岡田外相「(首相が短期間で代われば)日本の存在感が小さくなりかねない。長い間やってもらいたいと国民も感じている」
岡田外相「(菅政権が)スタートしたばかりなのにまた代えるといえば、自民党と一緒だ」
民主党大敗の要因についての発言――
岡田外相「米軍普天間飛行場移設や『政治とカネ』の問題、マニフェスト(政権公約)で約束したことがどれだけできたかで評価された。菅さんだけの責任にするのは明らかに違っている」
記事題名の「代表選、自ら出馬せず」とは、「わたしは菅内閣の閣僚だというのが基本認識」と述べた発言を根拠としている。代表選で菅代表が再任されて菅内閣を再度組閣することになった場合、自身を閣僚と位置づけたと言うわけである。
菅二次内閣で閣僚から外されたなら、どうするのだろうか。外される確率は低いとしても、自身が外相として関わった普天間移設問題を敗因の一つに挙げて、「菅さんだけの責任にするのは明らかに違っている」と第三者的責任問題とし、自身はその責任から距離を置いている。この感覚はどう説明したらいいのだろうか。
「(首相が短期間で代われば)日本の存在感が小さくなりかねない」とも言っているが、指導力のない総理大臣が日替わりよりはちょっとましの年替り、菅首相の場合は月替りといったところだが、短期間に次々と入れ替わるのが日本の政治の等身大なら、それを表面的に取り繕うことの方が危険であろう。
国際会議に出ても、珍しく長く続いている日本の首相であったとしても、内心、指導力のない男だなとせせら笑われるのがオチだからだ。
6月25日からカナダ・トロント開催のG8首脳会議で日本の菅首相は「G8として北朝鮮に毅然とした態度で臨むべきだと私から申し上げ、G8のみなさんの合意を得た」とさもG8をリードしているかのように発言、「G8の正式な宣言の中で、北朝鮮の行為を強く批判したことの意味は非常に大きい。今、進行している国連の議論にも何らかの形で反映されると思う」と自身のリードによるG8北朝鮮非難が安保理の議論に大きく影響するかのような見通しを述べていた。だが、安保理の結末は強制力のある非難決議ではなく、強制力がないばかりか、間接的には北朝鮮の名前を上げていたものの直接的には名指しを避けた議長声明で終っていて、この菅首相の見通しの不確かな実態は問題解決の障害は中国の対北朝鮮ガードであり、その点についての合理的判断能力を欠いていることからきているものであって、決して先進国をリードするに足る指導性を発揮するとは思えない首相を日本は今後とも総理大臣としていただくことになるのである。
岡田外相はこの是非を抜きに発言している。
自民党政権末期の当時の麻生首相にしても、09年4月1日から開催のロンドン開催の金融サミット(G20)を前に英紙フィナンシャル・タイムズのインタビューを受けて、「日本は欧米諸国に比べて(100年に一度の金融危機では)それほど傷が深くない。G20の中で積極政策をリードしていかなければならない」と大見得を切ったが、結果は金融危機脱出レースでは先進国の中で殆んどビリにつけているアップアップ状態にある。
この散々の体たらくにしても日本の経済構造や経済状況、財政状況等々を自己省察するに十分な合理的判断能力を持たなかったことからの大見得であり、日本の総理大臣がその程度の指導性しかなかったことの証明であると同時にそれが日本の総理大臣の等身大の才能だということの証明でもあるに違いない。
今度新しく中国大使に就く伊藤忠商事元社長の丹羽宇一郎氏も短期間の首相交代に反対する発言を行っている。《丹羽中国大使、相次ぐ首相交代「外交で信頼されない」》(日本経済新聞電子版/2010/7/26 12:58)
着任を控えた7月26日の日本記者クラブでの記者会見。記事は「リリーフ」という言葉は使っていないが、ここ数年の1年前後の短期間首相リリーフに関して。いわば首相が完投型エースではなく、リリーフをつないでいく形で終わっている状況について。
丹羽宇一郎駐中国大使「これでは外交の場でどんなに立派な事を言っても信頼されない。少なくとも数年間は世界のリーダーとお付き合いして初めて(日本の首相の)発言が信頼される」
発言力、あるいは発信力は在任期間で決まる問題点ではない。判断能力によって備わる言語力を条件とするはずだ。
丹羽氏は首相続投を支持しながら、これと矛盾する丹羽氏の辛口の発言を、《「これ以上勉強しても…」 丹羽・新中国大使が首相にチクリ》(MSN産経/2010.7.22 18:54)が伝えている。
7月22日の首相官邸での菅首相と丹羽宇一郎駐中国大使の会談。
菅首相(日中経済について)「10年近く勉強している」
丹羽宇一郎駐中国大使「長いですね。これからは何をするかの方が問題です」
記事はこの発言を、〈机上の空論よりも実行力が重要だと強調した。〉と解説している。
「10年近く勉強して」も、その「勉強」を具体的成果、具体的な外交成果、経済成果につなげなければ意味はない。だが、10年近い「勉強」の方を誇る。何が問題となっているのかの合理的に判断する能力を欠いているからだろう。トロントのG8自身のリードを実体あるが如くに誇っことと同じ轍を踏んでいる。
菅首相は次のように言葉を継ぐべきだった。
「10年近く中国を勉強している。今後はこの勉強を実際の政治につなげていくことができるかどうかが私自身の政治生命にかかってくる」と。ここまで言ったなら、丹羽氏の「これからは何をするかの方が問題です」は出てこない。次に出てくる言葉は「私にできる協力は惜しみません」といった言葉だろう。
米国防総省の東アジア担当グレグソン次官補も、日本の首相交代状況に一言物申している。《米高官“日本は負担増やすべき”》(NHK/10年7月28日 9時4分)
記事は日本の「思いやり予算」について7月27日に議会下院軍事委員会開催の日本の安全保障に関する公聴会での遣り取りの中で首相の交代にも述べている発言を伝えている。
先ずは思いやり予算について。
グレグソン次官補「同盟の鍵となる戦略的な柱であり、負担のさらなる削減は、地域の友好国や潜在的な敵に日本が安全保障に力を入れていないという誤ったメッセージを送る」
アメリカ側としたら、なるべく減らしたくない当然の発言であろう。自分たちの懐(=財政状況)を痛めたくないのは人情だろうから。
>質問の議員
グレグソン次官補「総理大臣や大臣がたびたび交代するので人間関係を築くのがとてもたいへんだ。政府といっても大事なのは個人なので、大臣になった人の仕事の進め方を理解できるようになるまで苦労している」
こういう発言を聞くと、首相は簡単に代えるべきではないと思わせられる。
菅首相が長く務めることになって、諸外国と人間関係を築くことになったとしても、丹羽宇一郎新中国大使が図らずも指摘した、問題がどこにあるか満足に把握もできない合理的判断能力の欠如の問題はついてまわるだろう。
このことは日本が置かれている諸状況を的確に把握する能力もなく、「日本は欧米諸国に比べて(100年に一度の金融危機では)それほど傷が深くない。G20の中で積極政策をリードしていかなければならない」と言っていた合理的判断能力を欠く麻生太郎を何年も長く総理大臣として務めさせることを考えたなら、容易に理解できることである。
あるいはアメリカで信頼されなかった鳩山前首相のような人物が長く首相を務めることになっても、人間関係さえ築くことができればアメリカは構わないということになる。そうなった場合、アメリカはきっと、いい加減代って欲しい思うに違いない。
問題としなければならないことは在任期間の長い短いではなく、諸課題に対して的確合理的に判断する能力に依拠した強い指導力だからだ。
そこに本質を置かない、単に期間だけを問題とする首相続投・交代論はさして意味はない。
にも関わらず、菅首相は1年交代でコロコロ変わるべきではないという「国民の声」、それと歩調を合わせた閣僚や様々な識者の消極的選択に助けられて現状では命拾いしている。
法務省は28日、2人の死刑を執行したと発表。〈民主党政権下の千葉景子法相による執行命令は初めて。〉と、《死刑執行:1年ぶり、2人執行 政権交代後初、千葉法相立ち会い》(毎日jp/2010年7月28日)が書いている。
千葉法相は超党派でつくる「死刑廃止を推進する議員連盟」のメンバーだったということ。法相就任後は「政府の一員となり距離を置く」としてメンバーから外れていたということ。刑事訴訟法は「死刑の執行は法相の命令による」と定めていて、信念よりも法相の職務を優先させたとみられるということ。
指揮命令を確認するためとして、東京拘置所で自ら執行に立ち会ったということ。法相が立ち会ったのは初めてとみられるということ。
東京拘置所の刑場を報道機関に公開するよう省内に指示したことを明らかにしたということ。
民主党枝野幹事長が千葉法相が死刑執行命令書に署名したのは参院議員の任期(7月25日まで)が切れる前の24日だったことを明らかにしたということ。
執行は07年12月の鳩山邦夫法相(当時)下での死刑執行以降、ほぼ2カ月ペースが維持されていたということ。但し、今回の執行は09年7月28日に森英介前法相下で執行されて以来、ちょうど1年ぶりだということ。この間も死刑確定は相次ぎ、今回の執行後の確定死刑囚は前回執行後の101人から107人に増えたということ。
執行された尾形英紀死刑囚(33)(東京拘置所収容)は03年8月、交際していた少女を巡ってトラブルになった飲食店従業員の男性(当時28歳)を埼玉県で刺殺。様子を見に来た同じアパートの住人(同21歳)も絞殺し、他の2人にも重傷を負わせて死刑判決を受けたということ。死刑確定から執行までの期間は3年であるということ。
篠沢一男死刑囚(59)は00年6月、宇都宮市の宝石店を訪れ宝石を用意させ、6人を縛って休憩室に押し込み、ガソリンをまいて放火。全員を殺害し、指輪など293点(計約1億4025万円相当)を奪い、死刑判決を受けたということ。死刑確定から執行まで3年4カ月であるということ等々を伝えている。
記事解説――
1.死刑廃止論者とも指摘される千葉景子法相だが、法が定める執行命令の職責を重んじた結果、09年9月の就任から参院選落選を経て11カ月目にして死刑執行命令に踏み切った。
2.就任後、「死刑の在り方について論議の場を」と繰り返したが、法務省内には「議論を呼びかけるにはまず執行を経験すべきだ」との意見が根強かった。
3.廃止派の反発は必至だが、今後は死刑を含めた刑罰論議が加速する可能性がある。
4.就任後、執行するかどうかについては言及を避けてきた。信念と職責のはざまで揺れていたとみられる。
5.法務省は大量執行期からの大幅な後退を不安視していたが、これで事実上の執行停止状態に入る懸念は免れたと言えるだろう。
6.同時に、千葉法相は「国民に目を向けて考えてもらう議論の場を作りたい」と、刑罰論議に意欲をのぞかせている。執行の職責を果たした以上、執行方法や執行順などの情報公開を進める可能性が強まった。――等々と解説している。
千葉法相が死刑廃止論者でありながら、7月11日の参議院選投票の結果、落選が確定、7月25日に参院議員の任期が切れる前の24日に死刑執行命令書に署名した上、指揮命令を確認するためとして、東京拘置所で自ら執行に立ち会った事実と「国民に目を向けて考えてもらう議論の場を作りたい」と言っていることを併せ考えると、出てくる答は記事が書いているように〈法が定める執行命令の職責を重んじた結果〉というよりも、大臣の身分を優先させ、優先させたことを隠すために「国民に目を向けて考えてもらう議論の場を作りたい」という問題提起を持ち出したということではないだろうか。
なぜなら死刑廃止論者として最後まで死刑執行の署名を拒否することも可能だったはずで、拒否を貫くことで死刑廃止論者としての自らの信念を貫くことができた上に最後まで署名に抵抗した法務大臣という稀有な実績を以ってして、「国民に目を向けて考えてもらう議論の場を作りたい」という問題提起も可能だったからだ。
選挙に落選して議員の身分を失った。議員の身分がなくても大臣にはなれる。菅首相から要請を受けて法務大臣留任を引き受け、代表選の9月までとされているが、菅首相が再選されたなら、議員の身分がないまま再任の可能性も期待できる。法務大臣の身分に欲が出た代りに、欲だけ出したのでは格好がつかないからと死刑執行に協力、死刑廃止論者である手前、死刑廃止の是非を問う議論の場を設けることを提案して死刑執行署名の整合性を演出した。例え議論の場が実現したとしても、今年2月公表の死刑制度の是非を問う内閣府の09年11、12月実施の「基本的法制度に関する世論調査」では死刑容認が04年調査より+4・2ポイントの85・6%に達した事実からすると容認の議論が大勢を占める可能性があり、そうなった場合、死刑執行署名の最終的な正当性を手に入れることができる。死刑廃止論の主義主張を以てしても、国民世論を無視するわけにはいかないという。
これは100%近く勘繰りで成り立たせた主張だとは自覚している。
「議論の場」について、千葉法相はインタビューに答えている。
《死刑執行の立ち会い「指揮命令を確認する意味」千葉法相》(asahi.com/2010年7月29日1時31分)(一部抜粋参考引用)
・・・・・・・
――27日の記者会見で「国民的議論を深める具体的な行動について知恵がない」と語っていた。なぜ執行してから議論を深めようとしたのか。
どのような形で行えばいいのか、私なりに考え続けてきた一つの結果だ。
――国民的な議論は起きていないが。
これまでなかなかそこまで至らなかったことは確か。私たちも真正面から議論し、国民の皆様にも様々な場で(議論を)展開していただくことを願っている。
・・・・・・・
――在任中に勉強会で一定のめどを出すのか。
そんなに簡単に結論が出るとは思わない。やって何にもならない、ということがあってはならないので、できるだけ精力的にご意見も聞き、発信もし、議論を進めたい。
――執行を見て、想像と違っていた点は。
執行について私の個別のコメントは差し控える。
――執行したのは、国会での問責決議案が出される動きがあることについて、批判をかわすねらいがあったのか。
まったくない。
記事の〈国会での問責決議案が出される動き〉とは自民党内に「国民の信任を得られなかった人物が閣僚を続けるのは問題だ」として臨時国会で問責決議案提出を唱えている動きがあることを指す。民主党が2007年7月の参院選で与野党逆転を果たしたとき、民主党は参院選を直近の民意だと言って衆院解散を求め、自民党は衆議院の議席が民意だといって解散に応じなかった。このことからすると、千葉氏が国民の信任を得られなかったと言っても、神奈川選挙区という一選挙区の事態であって、法相は一選挙区相手が任務範囲としているわけではなく、日本全体を任務対象としている上に民主党自体は第一党を守ったのだから、日本全体では信任を得たとする理論も可能とすることができる。
2007年参院選自民党敗北は当時の安倍首相不信任の民意でもあったわけだが、政権を問う選挙ではないからとその民意を否定していた。
いわば衆院選の民意と参院選の民意を使い分けていた。一選挙区の民意と日本全体の民意の使い分けも可能となる。
その使い分けを可能とすることができたなら、議論の場については9月までに立ち上げ、そんなに簡単に結論は出ないから、最終的な結論が出るまで見届けたいという姿勢を見せて、再任に意欲を示した結果の死刑執行署名と推測することも可能となる。
これも勘繰り。
善意に解釈するなら、東京拘置所の刑場を報道機関に公開するよう省内に指示したということだから、死刑の残酷さを確認するために死刑に立ち会い、その残酷さを目の当たりにした法務大臣として、残酷さを訴えることで劣勢にある死刑廃止論に勢いをつけようとしたと考えることもできる。そうすること自体が自身の死刑廃止論に添うことになるからと。
但し死刑の残酷さを目の当たりにするために死刑の現場に立ち会ったなら、公平を期すために殺人の現場にも立ち会うべきだろう。
今回死刑執行された篠沢一男死刑囚(59)も死刑の残酷さを口にしている。《「法相自ら執行すべき」 尾形死刑囚、アンケートで注文》(asahi.com/2010年7月29日1時37分)
記事は死刑廃止団体「フォーラム90」が2008年に死刑囚77人から集めたアンケートの回答に含まれている今回死刑執行の尾形英紀死刑囚(33)と篠沢一男死刑囚(59)の回答を紹介している。
尾形死刑囚「求刑した検事、判決を出した裁判官、それに法務大臣らが自ら執行すべきだ。それが責任だ。・・・・ほとんどの死刑囚は反省し、被害者の事(こと)も真剣に考えている。(自分については)死を受け入れるかわりに反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族のことを考えるのをやめた」
「死を受け入れるかわりに」以下は自ら控訴を取り下げた心境を語ったものだという。
篠沢一男死刑囚「いつ死刑になるのか、きもちのせいりがつきません。死刑はざんこくなものです。まい年、確定の日などはねむれません」
尾形の自身と対比させた「ほとんどの死刑囚は反省し、被害者の事(こと)も真剣に考えている」は、反省し、被害者のことも考えているから、死刑は受入れ難い、不当だという意味になる。
そして自身に関しての「死を受け入れるかわりに反省の心をすて、被害者・遺族や自分の家族のことを考えるのをやめた」は開き直りか不貞腐れ以外の何ものでもないだろう。自身が「考えるのをやめ」ることができたとしても、社会に今後とも生きていく、あるいは生きていかざるを得ない「被害者・遺族や自分の家族」は「考えるのをやめ」ることは決してできないだろうからである。
いわば尾形は利己主義にも自分だけのこと、自分の命しか考えていない。だから、上記「毎日jp」が伝えるように、〈交際していた少女を巡ってトラブルになった飲食店従業員の男性(当時28歳)を埼玉県で刺殺。様子を見に来た同じアパートの住人(同21歳)も絞殺し、他の2人にも重傷を負わせ〉ることができたのだろう。
自分だけのこと、自分の命しか考えていないのは篠沢一男にしても同じである。自分の命のみを考えた場合、「いつ死刑になるのか、きもちのせいりがつきません」ということになる。宝石店を訪れ宝石を用意させ、6人を縛って休憩室に押し込み、ガソリンを撒いて放火、6人全員を殺害した自らの残酷さは頭にはない。殺された人間の殺された事実は残酷ではないこととしている。
さしずめ千葉法相はこういった殺人現場に立ち会ってみるべきだろう。
篠沢一男はそれとも突然訪れる殺人は被害者にとって突然ゆえに残酷さ、恐怖を感じる時間が短いが、死刑は裁判で確定してから執行されるまでの時間が長い分、恐怖に襲われている時間も長く、残酷だと考えているのだろうか。だから、死刑は廃止されるべきだと。
だとしたら、殺人だけが社会に残ることになる。
殺人に見舞われなければ10年20年、あるいは30年40年生きるであろう人間がある年齢で突然命を奪われる。単に一人の人間の一つの命、あるいは複数の命を奪ったということだけではなく、それぞれがその背後に背負うはずの10年20年、30年40年の命まで奪ったのである。この倫理的に膨大な残酷さは死刑確定者が死刑執行を待つ恐怖感、その残酷さとは比較することができるだろうか。
なお言えば、死刑確定者の恐怖、残酷さは自分が種を撒いて自ら招き寄せた責め苦であって、殆んどの殺される者の恐怖、残酷さは自ら招いた突発的感情ではない。
社会的にも倫理的にも正当な理由なく人間の命を奪った者が死刑は残酷だという理由で自らの命の正当性を訴える。あるいは死刑は残酷だからと、死刑廃止を訴える。矛盾していないだろうか。他人の命を奪うという行為は殺した相手の人間の命を粗末に扱ったということだけではなく、自分の命をも含めた人間全体の命、生命そのものを粗末に扱ったことにならないだろうか。生命なるものへの思いが余りにも安易・不遜だからだ。
死刑廃止を訴えるのは自由である。千葉法相は今回の死刑執行署名と死刑執行立ち会いが死刑廃止論者として整合性ある態度だというなら、そのことを分かり安く理解できる説明を行うべきだろう。そうしなければ、邪悪な憶測を呼び寄せることになるばかりか、民主党の支持率にも影響する事態を招きかねない。
この説明に関して、同じ死刑廃止論者の亀井静香が28日午後の記者会見で逆の把え方で似たようなことを言っている。《法相は国民に説明を=死刑執行、変節を批判-亀井国民新代表》(時事ドットコム/2010/07/28-18:12)
亀井静香「(千葉景子法相が)死刑をすべきではないという信念を変えるのであれば、考え方が変わったと国民に説明しないと(いけない)。今は政治家が日ごろの言動、信念と関係ないことを簡単にやっちゃう。千葉法相までもかと(思う)。政治家の信念や公約を国民が信じられなくなっている。私は死刑執行そのものが、けしからんと言っている。国家による殺人に個人の立場では強い憤りを感じている」
個人が死刑という形で罰を与えることができないから、「国家」が代って死刑を与えている。それが現在の日本の制度となっている。
勿論、国民の力で、それが大勢意見となったとき、変えることはできる。
初当選から15年目だという社民党の辻元清美が離党した。最初の印象は副大臣の味を忘れることができなかったのだろう、であった。例え一省庁に限った副大臣という立場からのものであっても、人を指示・命令して動かし、最終的な中身の成果は別にして、政策を形にしていく権力の行使、その達成感は何ものにも代え難いものがあるだろうからである。
社民党本部や大阪支部で後輩や事務員に指示・命令する権力の行使とはわけが違う。副大臣の場合はときには知事に対しても指示・命令する権力の行使もあったに違いない。
あるいは野党時代に国会で与党の総理大臣や閣僚を追及する場面では味わえない権力の行使であり、追及で得るのとは比較にならない達成感を与えてくれたに違いない。
一旦味わった権力行使の心地よさを再び味わうには民主党に戻ることで実現させることができる。
「MSN産経」記事が辻元清美の離党記者会見の詳細を伝えている。(主なところを抜粋、参考引用)
《【辻元氏離党会見詳報】「現実との格闘から逃げずに仕事進めたい」》(MSN産経/2010.7.27 22:35)
辻元「私自身、今の日本の政治状況をみて、政権交代を逆戻りさせてはならないとの思いや、さらにはかつて私も「総理!総理!」と言いながら批判の急先鋒として反対を唱えたり国会で活動をしてきた。しかし一方、今の日本の政治状況は非常に危機的で、私自身、かつて野党として批判や反対の急先鋒に立ってきたが、それだけでは日本を変えることはできない。政権の中で働く中で、今すぐにでもいろんなことを具体的に解決しいく方向の政治を進めていきたいとの思いが強くなった。昨日は一睡もできなかった。果たして今の政治状況の中で私がどんな役割を果たせるのかとか、進むべき道がこれでいいのか、何回も考えた。しかし本日離党届を出す決断をした。今日は文書にまとめて今までの思いや経過をつくってきたので読みたい」
辻元「私は今日まで、社民党で政策実現を果たしたい、果たすためにはどのようにすればいいのか考え続けて行動してきました。それは、小さな政党にとって決して容易なことではありません。いつも現実を1ミリでも前に動かそうと苦悩を抱えながら毎日、試行錯誤をしてきました。
しかし本日、私は離党の決意をするに至りました」
辻元「これからは無所属議員として活動を始めます。願うところは、参議院選挙後の流動的な政治情勢の中で、私の政治信条を果たすべく、新たな挑戦に進みたいということです。
辻元「この間、連立政権への参加、普天間問題をめぐる政権離脱、そして参議院選挙という一連の出来事がありました。振り返って社民党の政権離脱は基本方針に照らしてやむをえなかったことでありました。私は、政治の場で筋を通す意義を大切に思います。市民の運動と連携していく重要性も十分認識し、共に行動してきました。
一方で小さな政党にとって政権の外に出たら、あらゆる政策の実現が遠のいていくことも心配でした。何がこの先、社民党の正しい方向なのか最後まで悩みました」
辻元「参議院選挙では、社民党は比例区で2議席を確保したものの、残念ながら大きく得票を減らしました。これは一体なぜなのか。おそらく社民党の筋を通す行動は認めつつも、しかし政権とかかわりながらそれを実現していく道を、もっと真剣に辛抱強く探るべきだという有権者のご批判もあったかと思います」
辻元「今後も私は、憲法9条を守り、弱い立場の人たちのための政治を目指すこと、それはいささかも変わりません。また私は20代のピースボート時代から、沖縄の方たちと戦争と平和の問題に取り組んできました。普天間基地問題の解決のために沖縄の皆さんと力を合わせてこれまで以上にがんばっていきたいと思っています」
辻元「私はいま、現実政治のなかで政策の実現の可能性をギリギリまで求めていく政治活動に出発したいと思います。それは、大海原に丸太で乗り出すことかもしれません。しかし、精いっぱい前に進みたいと思います。
辻元「またもう1つ、一番気になったのが沖縄問題。沖縄基地問題はいささかも考えは変わっていないし、これからも一議員として今まで政権にも働きかけを必死にやってきた者として、沖縄のみなさんの厳しい声をしっかり厳しく政権に届けたい。一番気になったのは、沖縄の基地問題で頑張っているみなさんに、離党することで沖縄の皆さんに間違ったメッセージになったらいけない。私はおとといから沖縄に行ってきて、昨日帰りに幹事長に会ってきた。今日、届けを出したが、社民党の皆さんで議論いただいて結果を待ちたい」
質疑応答(以降全文参考引用)
--離党はいつごろから本格的に考えたのか。相談した人はいるか。
「参院選の前から自分なりに色んな事を考えてきた。地元の皆様と相談した」
--先輩議員でだれか相談したか。
「1人で決めた」
--土井たか子には相談したか。
「土井さんにはこの後ご報告したいと思っている。私の政治の母であり、決断が鈍るというか辛くて事前に相談することできなかった」
--今朝、福島党首と会談した際に具体的にどのような話をしたか。
「福島党首への面会は今日実現した。数日前からお願いしていたが時間が取れないということで今日になった。私の思いを伝えた。その中で私は福島党首には頑張ってほしいと伝えた。福島党首とは20代からの友人関係にある。福島党首が立候補するとき、土井たか子さんと一緒に私が口説きました。政権の中でも、毎日電話をしながら仕事をしてきた。しかし、野党となった社民党がこれからしっかりと主張していくためには、やはり社民党の独自性を大切にして、反対すべきところは反対し、批判するところは批判すると、政権にいるときはなかなか言いにくいこともあるが、はっきりと主張し社民党の存在感を発揮してほしいと申し上げた。
しかし私自身は社民党の独自性を発揮するということになると、野党での対応ということになる。ただ、私の場合は、地元の有権者に選んでいただいた過程も、社民党だけでなく、民主党や国民新党、力合わせて3年前の与野党逆転から積み上げて野党協力で政権交代をしてきたという小選挙区出身の議員。地元をはじめ有権者は社民党の主張だけで私を選んだのではないと理解している。そういう有権者の声を私が受け止めて国会活動するには、社民党の独自性を発揮していくというだけでは、私が有権者から選ばれた過程や立場からして難しくなってきているということも伝えた。
福島党首は全国比例区で社民党の顔としてがんばった。選挙もくたくたになってがんばった。社民党は日本で非常に大事な、権力の暴走をチェックしていき、批判すべきものはしっかり批判する勢力として大切だと思っている。だから福島さんには頑張ってほしいと申し上げた」
--文書の政権とかかわりながら実現する道をもっと真剣に探るべきだ、と書いているがあくまで連立政権にとどまることが正しかったという辻元さんの考えがあるからか。「小選挙区で私は勝ちたい」と話したと福島党首から聞いたが、社民党では次は勝てないと考えたからか。
「社民党が沖縄の問題で連立から離れたことは私は間違ってなかったと思う。一部報道で批判的だったと流れていますが、間違っていなかった。ただ、いろんな声を聞くと、もっと政権の中で粘って、国民新党は食らいついてでも離れへんぞという姿勢でいますが、政権の中にいていろんな沖縄のみなさんの声などを届けたほうが効果的だったのでは、というたくさんの意見があった。これはまっぷたつだったと思う。
小選挙区の話ですが、私たち議員は選挙という厳しい洗礼を受ける。大阪10区で選んでいただいた過程は、3党で積み上げるように協力関係を作り上げてそれぞれ立場や主張が違うところがある人たちとも政権交代ということで協力してきた過程がある。与党と野党に分かれたといって、普天間問題で分かれてしまったが、お互い批判したり、攻撃したりすることもあるが、選挙をやっていくのは非常に難しいと苦悩していた。苦悩していたのは事実」
--前原大臣が今回の離党を受け「ぜひ一緒の会派で」というように述べたが、今後一緒にやる気持ちがあるか。
「まだ今日、先ほど離党届を提出したばかりなので、これからのことはまったく白紙だ。党もどのように検討いただけるかわからない。やりたいことはいっぱいある。待ったなしで進めたいと思っているのは湯浅誠さんたちと生活困窮者への総合的なサポートシステムを作ろうという話があった。動き出してはいるが、まだまだ雇用が厳しい中、これは何かお手伝いできることがあればお手伝いしたいし、経済の立て直しということで、国交相の中では観光立国推進本部の事務局長をやっていたが、関西だと関空の活性化とか、経済政策、私自身はNPOを作ったが、これも超党派で活動したいと。やりたい政策はたくさんある。党派を超え、内閣の中外をこえて私からも積極的に働きかけたいと思っている」
--社民党を離党することで、政権とかかわりながら実現する道は社民党より無所属の方が遠のくとも考えられるが整合性は。先の参院選で社民党新人候補を立てながら民主党の個人演説会に行った。真意を聞かせてほしい。
「1点目は私も随分考えた点。しかし一方、社民党という立場の枠を超えてもいろんな活動していきたいとの思いも強くあったので、離党ということに至った。参院選の対応だが、私は党対党、尾立さんにも前の衆院選は応援していただいた。政権交代を一緒に果たした仲間でもある。特に大阪10区での選挙では一生懸命応援してくださった。私はお返しもしっかりしたいと思っていた。大阪10区の政権交代を果たした国会議員は1人。尾立さんの会で国政報告したいとの思いで参った」
--尾立さんの応援で民主党に秋波を送ったのでは。
「社民党府連合と相談して行った」
--これまで自身は社民党の党勢拡大にどのようなことをしたのか。
「党勢拡大は、大阪だと国会議員だけでなく、大阪で市会議員、全国で3人作った。20代、30代の女性議員を作った。小選挙区で1人何としても新しい議員を作りたいと、服部議員が当選した。こつこつやってきた青年議員だ。次の選挙で社民党が頑張るには独自色を伝えるのが非常に大事だ。それが私自身の立ち位置、選挙基盤とずれてしまったのは否めない」
--やぶからぼうで、なぜこの時期の離党だったのか。参院選敗北の党の総括は終わったのか。福島党首の責任問題も含め離党が関係あるのか。
「参院選前から考えていたのは申し上げた通り。次の国会が始まる前に態度表明した方がいいと考えた。離党も考えながら一緒にいるのは適切でないと思う。何か一緒にするのもいかがかと思ってこの時期になった」
--党から慰留されているが、政権とのかかわりを密接にやっていくとかがあれば思いとどまる可能性があるのか。国交副大臣の経験、国会議員の少ない辻元の離党は打撃だが。
「党の皆さんには本当に申し訳ない。しかし私たちは党のために政治をするのでなく、国民のために政治をする。有権者の思いを受けてやる。そこを総合的に考えて踏み切った。決意は非常に固い」
--民主党に入りたいと思うか。
「先ほど申し上げたとおり、今日決断した。これから政界もどうなるかわからない。流動的になる可能性もある。今言うことは難しい」
--離党届はいつどこでどう出したのか。無所属で活動するギャップを埋めるにはアクションが必要だ。社民党連立離脱は間違っていないと評価する一方で離党。社民党に見切りをつけたと判断する有権者もいると思う。
「私はそうは思っていない。非常に重要な勢力だと思っている。政党に所属すると、ある意味政治姿勢に枠がかかる。本日大阪10区幹事長に提出し、そこから大阪府連に提出した」
社民党辻元清美の民主党入党を前提とした自己利害からの離党(2)に続く
これから挙げる発言はすべて民主党入党を前提とした、もしくは入党を欲求する発言となっている。
「沖縄のみなさんの厳しい声をしっかり厳しく政権に届けたい」はのち程説明するが、「政権交代を逆戻りさせてはならないとの思い」は最終判断は国民が負っているものの、その判断をどう導くことができるかは政権の中にいる者のみが可能とする出来事である。
いわば既に自身が政権の中にいることを前提とした発言となっている。
「小さな政党にとって政権の外に出たら、あらゆる政策の実現が遠のいていくことも心配でした」も政権にとどまりたい欲求を表している。
「参議院選挙では、社民党は比例区で2議席を確保したものの、残念ながら大きく得票を減らしました。これは一体なぜなのか。おそらく社民党の筋を通す行動は認めつつも、しかし政権とかかわりながらそれ(政策)を実現していく道を、もっと真剣に辛抱強く探るべきだという有権者のご批判もあったかと思います」――
「社民党の筋を通す行動」よりも、「政権とかかわりながらそれ(政策)を実現していく道を、もっと真剣に辛抱強く探るべきだという有権者のご批判」に重点を置いた発言となっていて、明らかに入党前提、あるいは入党欲求を示している。
「私はいま、現実政治のなかで政策の実現の可能性をギリギリまで求めていく政治活動に出発したいと思います」――
政権に参加していてこそ可能となる「政策の実現」であって、既に政権に参加する気でいる。
「社民党が沖縄の問題で連立から離れたことは私は間違ってなかったと思う。一部報道で批判的だったと流れていますが、間違っていなかった。ただ、いろんな声を聞くと、もっと政権の中で粘って、国民新党は食らいついてでも離れへんぞという姿勢でいますが、政権の中にいていろんな沖縄のみなさんの声などを届けたほうが効果的だったのでは、というたくさんの意見があった。これはまっぷたつだったと思う」――
「社民党が沖縄の問題で連立から離れたことは私は間違ってなかったと思う」と言いつつ、「もっと政権の中で粘って、国民新党は食らいついてでも離れへんぞという姿勢でいますが、政権の中にいていろんな沖縄のみなさんの声などを届けたほうが効果的だったのでは、というたくさんの意見があった。これはまっぷたつだったと思う」と賛否両論だったとしながら、前後の発言から実際は後者の「政権の中にいて」の意見に賛成していることは明白なことも民主党入党前提、あるいは入党欲求の発言と言える。
それを隠す必要からだろう、自身は前者・後者のいずれの意見に組みするかは直接的な言葉では明らかにしていない。
社民党の支配的理念は護憲・非軍事・革新であろう。いわば護憲・非軍事・革新をバックボーン(背骨)としている。バックボーン(背骨)とは、それなくして全体が成り立たない中心の柱としてある最重要の信念・信条を意味するはずである。
全体が成り立たない関係にあるなら、社民党という政党に所属する以上、例え国民生活に身近などのような政策を訴えようとも、バックボーン(背骨)としている信念・信条から離れることは許されない。例え世間目にはそうと映らなくても、常にバックボーン(背骨)の信念・信条を背負った上での各政策でなければならない。
辻元清美は色々と自己正当化の弁を施しているが、単なる物理的離党ではなく、要は社民党がバックボーン(背骨)とし、自身もバックボーン(背骨)としていた信念・信条から離れるということを示している。
そのことは次の発言に現れている。
「私は今日まで、社民党で政策実現を果たしたい、果たすためにはどのようにすればいいのか考え続けて行動してきました。それは、小さな政党にとって決して容易なことではありません」――
人間は利害の生き物であり、最大の利害が自身の生活である。朝日新聞社の2010年5月2日記事の憲法世論調査によると、憲法9条を変えない方がよいが67%(変える方がよい 24%)でありながら、そのような国民の圧倒的多数の護憲意識が選挙で社民党に有利に働かないのは、憲法問題が現在のところ直接的な生活利害とはなっていなくて、国民生活に深く関わる年金問題や景気問題等の生活利害を優先して、そのことに力ある政党に投票が向かうからであって、直接的な生活利害に程遠い護憲・非軍事・革新をバックボーン(背骨)の信念・信条とし、それで名前が通っている以上、小さな政党であり続け、当然、政策実現が「小さな政党にとって決して容易なことでは」ないのは覚悟していなければならない事態だったはずだ。
だが、「小さな政党にとって決して容易なことでは」ないと困難を訴えている。覚悟を失ったか、自分から捨て去ったからだろう。このこと自体が既にバックボーン(背骨)としていた信念・信条から離れていることを物語っている。いわば、「小さな政党」のバックボーン(背骨)としている信念・信条から離れた自由な場所で生活利害に関係する政策実現に意欲を持ち出したというわけである。勿論政権に関わらなければ、可能とすることはできない。
尤も本人はそうではないようなことを言っている。
「今後も私は、憲法9条を守り、弱い立場の人たちのための政治を目指すこと、それはいささかも変わりません」
「一番気になったのが沖縄問題。沖縄基地問題はいささかも考えは変わっていないし、これからも一議員として今まで政権にも働きかけを必死にやってきた者として、沖縄のみなさんの厳しい声をしっかり厳しく政権に届けたい」――
「沖縄のみなさんの厳しい声をしっかり厳しく政権に届けたい」は、民主党に入って色々と意見を言うことが可能となることを前提とした発言である。だが、社民党自身も辻元自身も届けることはできなかった。沖縄県民の声に反する形で移設問題が進んでいる以上、今後とも届けることはできないだろう。いくら「一議員として今まで政権にも働きかけを必死にやってきた」としても何ら効果がなかった結果責任を負っていながら、さも沖縄県民の期待に応えることができるような発言は不遜であり、無責任である。
今後とも憲法9条を守るという発言にしても、護憲・非軍事・革新をバックボーン(背骨)」としていない立場での「守る」は守れないを前以ての予定調和とした「守る」の形式的な反対姿勢も可能となる。
次の記事がこのことを証明している。断っておくが私自身は改憲論者で、集団的自衛権の行使も賛成する立場にある。
《「核持ち込ませず」見直しを提言 新安保懇の報告書案》(asahi.com/2010年7月27日3時1分)
菅首相の私的諮問機関「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長=佐藤茂雄・京阪電鉄最高経営責任者)が作成した報告書案の全容を伝えている。
1.日米同盟の深化のため、日本の役割強化を強調
2.非核三原則の見直しと米国の核の傘の積極的容認
3.必要最小限の防衛力を持つとする「基盤的防衛力」構想の否定
4.集団的自衛権行使の限定的容認
5.専守防衛の見直し
6.武器輸出三原則の見直し
〈報告書は8月上旬にも首相に提出され、今年末に民主党政権として初めて策定する新しい「防衛計画の大綱」のたたき台となる。〉という。
〈自公政権時代の主要な論点をおおむね引き継いだ上に、長く「国是」とされてきた非核三原則に疑問を投げかけた内容が議論を呼ぶことは必至で、菅政権がどこまで大綱に取り入れるかが焦点になる。〉と解説しているが、アメリカの要請・圧力、あるいはアジア全体を含めた地域情勢の要請・圧力を勘案しつつ、時代はこの方向で進むことは間違いないはずだ。社民党の前身である旧社会党が自衛隊違憲を党是としながら、時代の流れに抗し得ず、合憲とするに至ったように。
〈米国による日本への「核の傘」について、「地域全体の安定を維持するためにも重要」「究極的な目標である核廃絶の理念と必ずしも矛盾しない」と評価。非核三原則について「一方的に米国の手を縛ることだけを事前に原則として決めておくことは、必ずしも賢明ではない」と指摘し、事実上、三原則のうちの「持ち込ませず」を見直すよう求めている。 〉
〈日本周辺の安全保障環境について、中国の海洋進出や北朝鮮の核・弾道ミサイル開発などに触れ、「米国の力の優越は絶対なものではない」と位置づけた。そのうえで「日本を含めた地域諸国が、地域の安定を維持する意思と能力を持つかが、これまで以上に重要」とした。〉
これは防衛力の増強を促す報告であろう。
さらに、〈こうした認識を背景に、報告書案は、米国に向かうミサイルを日本が撃ち落とすといった形での集団的自衛権行使に言及した。
武器禁輸政策で国内防衛産業が「国際的な技術革新の流れから取り残される」とも指摘。先端技術に接触できることや開発経費削減などのため、米国以外の国々との間でも装備品の共同開発・生産をできるようにするため、武器輸出三原則を見直すよう求めた。
冷戦時代に採用された「基盤的防衛力」という考え方について、「もはや有効ではない」と明言。この考え方に基づく自衛隊の全国への均衡配備を見直し、中国海軍が頻繁に行き来する南西諸島周辺を念頭に置いた部隊の配備や日米共同運用の強化などの必要性に言及。潜水艦の増強も「合理的な選択」とした。ミサイル防衛に関して「打撃力による抑止をさらに向上させるための機能の検討が必要」として、「敵基地攻撃能力」の必要性にも言及した。 〉と、専守防衛の見直しを謳っている。
例え辻元が無所属にとどまっていたとしても、あるいは民主党に入党していたとしても護憲・非軍事・革新をバックボーン(背骨)としない民主党政権下にあって、あるいは再度自民党に政権交代したとしても、議員個人の中にはバックボーン(背骨)としている者がいたとしても、大勢を占めるわけではなく、時代的状況を受けて報告書の方向に進む中で、このような進展をどう阻止するというのだろうか。阻止不可能を予定調和とした個人的な反対にとどまることは明らかである。
勿論、社民党にしても阻止不可能を予定調和とした反対にとどまるだろうが、あくまでも個人を出て、護憲・非軍事・革新のバックボーン(背骨)を貫いた党としての反対である点、小さな政党であることを承知して踏みとどまらせようとする点が辻元の予定調和と大きく違う。
社民党のバックボーン(背骨)である信条・信念としてある護憲・非軍事・革新に添う当面の具体的最重要な行動は沖縄基地の、鳩山前首相が唱えた「国外、最低でも県外」移設に同調する動きであった。鳩山前首相は変節したが、社民党にとってはバックボーン(背骨)としているタテマエ上、変節という選択肢はない。それが鳩山前首相から社民党党首福島消費者相が罷免を受け、連立離脱という形となって現れた。
節を守った結果の、「政策実現」の困難性、あるいは不可能性であろう。
辻元がどう言葉を繕おうとも、民主党入党を前提とした、あるいは入党を欲求した「政策の実現」となっている以上(入党もしくは連携・連立を組まないことには不可能である)、例え民主党の支持を必要とする自身の選挙区の事情があったとしても、このことを上回って社民党が党のバックボーン(背骨)としている護憲・非軍事・革新に関係ない業務を担当している国土交通省という役所で副大臣として政策を進めてきた経験が仕向けることとなった、護憲・非軍事・革新への思いよりも、副大臣としての権力の行使、その達成感の味を忘れることができない「政権交代を逆戻りさせてはならないとの思い」であり、政策実現が「小さな政党にとって決して容易なことではありません」であるのは間違いないように思える。
場所前野球賭博で揺れた大相撲名古屋場所で横綱白鵬が年6場所制が始まった昭和33年以降初の3場所連続の全勝優勝、昭和以降では双葉山69、千代の富士53に次ぐ単独史上3位の連勝記録47の偉業を成し遂げた。
暴力団を胴元として多くの力士と数人の親方が関わって引き起こした野球賭博問題の反省表明として天皇賜杯のない、優勝旗を手渡すだけの僅か15分のみの表彰式という異例ずくめの名古屋場所を唯一盛り上げたのが白鵬の圧倒的強さで達成したこれらの大記録であった。
《白鵬全勝Vに安堵、無念の涙/名古屋場所》(日刊スポーツ/2010年7月26日9時46分)
優勝インタビュー。記事は、〈何度も声を詰まらせた。〉と書いている。
白鵬「一番うれしいのは…この会場。15日間応援してくれた名古屋のみなさんに感謝です。大変な場所で…心と体をひとつにして頑張ってきました」――
確かに初日から千秋楽までの15日間、「心と体をひとつにして」の、隙のない充実した取り口を見せ続けた。下手な相撲は取れないぞという気持があったに違いない。一番でも横綱として無様な負け方をしたなら、野球賭博問題で多くのファンに与えた失望を更に失望させるに違いないぞという思いもあっただろう。ここで横綱が優勝できなかったなら、何のための地位か分からなくなるぞ、大相撲でなくなるぞといった危機意識も働いたに違いない。
千秋楽から一夜明けた26日朝、名古屋市内のホテルで記者会見を行っている。《白鵬“大きな責任を感じる”》(NHK/10年7月26日 11時29分)
〈野球賭博問題のなか、異例の場所での優勝について〉次のように発言している。
白鵬「15日間経って、結果が出せたんで、ま、本当に、ホッとしたなあっていう、気持で一杯です。ま、正直、中途半端なね、あの、気持で、場所に臨んでいけないって思いましたし、千人近くの力士を引っ張っていけないって、いけないなと、いう、また改めて、その大きい責任を感じております。
日頃のね、相撲に対する、あのー、努力と、精神が、まあ、今日生きているんじゃないかと思いますし、一つ一つでもね、あの憧れの、双葉山にね、近づけるよう、努力します」(NHK動画から)
場所中、白鵬をして「心と体をひとつに」させたモチベーションは横綱としての責任感と努力の気持、精進の気持が背景にあり、それを抜きにあそこまで高めさせることはできなかったろうが、横綱としての責任感と努力の気持、精進の気持を直接的に凝縮、高揚せしめた直近の理由は何と言っても野球賭博問題であり、問題ないとされたものの、自身の花札賭博問題であり、この花札問題で相撲協会が用意した記者会見で謝罪したことの横綱としての体面であったろう。
このことを逆説するなら、もし野球賭博問題や自身の花札賭博問題が世間に洩れないまま普段どおりに名古屋場所に入っていたなら、連勝記録達成が勝負へのモチベーションとなったとしても、横綱としての責任感その他は他の場所と比較して格別のものはなく、却って今日連勝が途切れるのではないか、明日で終わるのではないかと1日1日を過ごしていく些細な不安がモチベーションを削ぐ働きをしない保証はなく、果して場所中見せた充実した取組みを続けることができただろうか。
言って見れば、野球賭博問題や自身の花札賭博が横綱としての責任感と努力の気持、精進の気持等々を尚一層のこと高めて、今までになく「心と体をひとつに」させた特別なモチベーションが成就させることとなった年6場所制が始まった昭和33年以降初の3場所連続の全勝優勝、昭和以降では単独史上3位の連勝記録47の偉業であったと言えるはずである。
いわば野球賭博問題、花札賭博問題がなかったら、成し遂げることはできなかった白鵬の偉業、モチベーションの高まりであった可能性は捨てきれない。
このような背景はさして問題にされることなく、記録だけが日本の国技、大相撲の伝統・文化・歴史の中に書き加えられていく。
今後とも、外国人力士、日本人力士を問わず、何か偉大な記録を成し遂げようとする場所に差し掛かったとき、記録達成へのモチベーションを高めて「心と体をひとつに」仕向ける契機として、野球賭博問題に優るともと劣らない事件発生を期待するのも一つの手かもしれない。
何しろ日本の伝統・文化・歴史、日本の国技に新たに書き加えることとなる一大記録達成の契機となるかもしれないのだから。
「朝日新聞社」が7月12、13日実施した世論調査の消費税関連の質問と回答。(カッコ内は7月3、4日前回調査)
◆消費税の引き上げに賛成ですか。反対ですか。
賛成 35(39)
反対 54(48)
◆今回の選挙で投票先を決めるとき、菅首相の消費税をめぐる発言や対応を重視しましたか。重視しませんでしたか。
重視した 32
重視しない 57
◆消費税引き上げの議論は進めた方がよいと思いますか。進めない方がよいと思いますか。
進めた方がよい 63
進めない方がよい 29
「NHK」が7月17日~19日に行った世論調査の同じく消費税に関する質問と回答。
消費税率の引き上げへの賛否
「賛成」 ――30%、
「反対」 ――31%、
「どちらともいえない」――35%
菅総理大臣が税制の抜本改革について超党派で議論を始めたいとしていることをどう思うか
「始めるべきだ」 ――60%、
「始めるべきではない」―― 9%、
「どちらともいえない」――26%
超党派議論は「朝日」が肯定は「63%」、「NHK」が「60%」のほぼ同じ傾向の過半数以上を占めているのに対して、増税に関しては「朝日」が賛成「35%」、反対「54%」、「NHK」は賛成「31%」、反対「31%」、どちらともいえない「35%」。
超党派議論は増税方向の議論を目的としているもので、減税方向の議論を目的としているものではないことは国民は百も承知しているはずである。にも関わらず、増税へと進む議論に賛成を示していながら、議論に賛成する程には増税には賛成を示していない。
この矛盾する方向の意思表示は誰が見ても、消費税増税の議論は構わないが、消費税が上がるのは生活上の実際問題としては反対だという意思表示の現れであろう。
議論は構わないということは日本の財政悪化状況からすれば、消費税増税は必要だと頭では理解していることを示している。ギリシャの財政破綻を持ち出して、日本も遠からず多くの国民の生活が破綻し、社会保障が多くの面で破綻すると盛んに言われれば、誰だって頭では理解せざるを得ない。
だが、頭の理解と生活上の実際問題とは別利害だと言うわけである。
民主党は2009年衆院選マニフェストで、「衆議院の比例定数を80削減する。参議院については選挙制度の抜本的改革の中で、衆議院に準じて削減する」、そして議員歳費に関しては、議員定数削減による歳費カットを打ち出した。
2010年参議院選マニフェストでは、議員定数に関しては、「政治改革 参議院の定数を40程度削減します。衆議院は比例定数を80削減します」を掲げ、議員歳費と国会議員経費に関して、「国会議員の歳費を日割りにするとともに、国会の委員長手当などを見直すことで、国会議員の経費を2割削減します」と謳っている。
自民党の2010年《自民党政策集 J-ファイル》(マニフェスト)には、国会議員削減に関しては、「衆議員・参議院の国会議員定数を3年後に722名から650名、1割削減し、6年後には国会議員定数を500名に3割削減します」、「総人件費改革」について、「平成17年にわが党で決定した10年で国家公務員を20%、81000人を純減する計画(過去4年間で実施済み:約45000人)について可能な限りスピードを速めて取り組みます。
また民主党政権は自民党政権時に策定した22年までに5.7%、約19000人の純減計画を16000人に下方修正しましたが、これを復活させ、断行します。
更に中小企業の実情を踏まえてた公務員給与の引き下げ、道州・自治体との重複排除による国の出先機関の廃止、各府省共通の間接業務の一括外部化、業務の無駄撲滅により、総人件費を2割削減します」としている。
但し、調べた限りでは議員歳費の日割りについての言及はない。
先の当ブログ《どうも仙谷官房長官の言う議員歳費カット「低い方に合わせるように足を引っ張り合う」が理解できない》で次のように書いた。
〈菅首相の「議員自らが血を流す姿勢をきちんと示す」にしても、民主党マニフェストの「政治家自らが身を削る」にしても、消費税増税に対する代償行為と位置づけているからだろう。国民のみに犠牲を強いたのでは不公平感を拭えず、政治不信を高めるばかりである、政治家も何らかの犠牲を払って、国民の犠牲に応えなければならないと。
みんなの党のアジェンダ(選挙公約)も最初に、「増税の前にやるべきことがある!-まず国会議員や官僚が身を切るべきだ-」と謳って、消費税増税に対する代償行為と位置づけている。
どの党のどの政策、法案が代償案として明確な根拠に基づいて構築されているか、その妥当性を問う検証・議論を経た最もふさわしい政策、法案を国会が採用できなければ、いわば議員歳費の適切なカット、適切な定数削減が実行できなければ、消費税増税もやめるべきだろう。
実行できないまま消費税税増税を行った場合、国民にのみ一方的に犠牲を強いる政策となり、国会議員にも犠牲を求める代償策を実行しないまま不公平を残すからだ。〉――
このブログでは、どちらが先に「身を削る」かの優先順位に関しては書かなかった。政治家が先なのは当然なことだが、少なくとも菅首相の最初の消費税発言にはそのことを自覚した節が見当たらなかった。
国民に最初に「身を削る」ことをさせて、後から政治家が「身を削る」ことをしますでは国民に対する政治家の責任が果たせないから、「身を削る」ことを国民に求める前に先ず政治家自身が「身を削る」ことが必要だろうし、当然、その趣旨で政治家は菅首相を除いて発言していたはずだ。
まさか逆の趣旨で発言していたわけはあるまい。もし逆で果たせると言うなら、果たせることを説明して、消費費税を先に上げればいい。そんな勇気のある、あるいはバカな政治家はいまい。
当然、「身を削る」の言葉は重い。軽いはずはない。言葉に対する責任の点からも守らなければならない“公約”とも言える言葉のはずだ。少なくとも国民との約束と言える。
民主党の樽床国対委員長も7月6日夜、さいたま市内開催の集会に上田埼玉県知事と共に参加し、「鳩山前総理は『次の衆院選挙まで消費税を上げない』、菅総理は『色々議論したうえで次の衆院選挙で真を問う』と発言しており、同じ意味であり、方針は変わっていない」と菅首相の消費税発言の影響を打ち消す趣旨の発言をしてから、次の臨時国会で衆院議員の定数を削減する方針を決めていることを明かにして、「隗より始めよ、自分たちの身を切ることなしに全てのことは始まらない」(民主党HP)と消費税増税の犠牲よりも議員定数削減の犠牲の方が先だと言っている。
まさしく国民が「身を削る」ことよりも政治家(国会議員)が「身を削る」ことの方が先だと優先順位に言及した発言となっている。
また民主党も自民党もみんなの党も、公務員の削減を掲げている。公務員にしても職業上の身分・収入は違えても、日本社会の生活者として存在している点では一般国民と条件を同じくしている。
公務員削減という名目で人員整理したとしても、社会の生活者として存在していけるだけの保障を設けなければならないはずだ。「百年に一度の金融危機」真っ盛りの間は民間企業が我先に非正規労働者のクビを切り、生活の保証もないままに社会に放り出した。その結果、セーフティネットが問題となり、自民党麻生政権、民主党鳩山政権共に取り繕いの様々な手を打った。
当然、公務員の人員整理に於いてもセーフティネットは必要となる。第一番のセーフティネットは失業手当の給付期間を伸ばすといった従来どおりの政策ではなく、自分たちで短時間に再就職先を見つけることができる景気状況であろう。
ということなら、消費税を増税するにしても、公務員を削減するにしても、議員定数削減等、国会議員が「身を削る」政策実現を先に持ってきた、消費税増税を条件としない景気回復が必要となる。
景気回復が消費税増税による国民の「身を削る」犠牲にしても、公務員削減による人員整理された公務員の犠牲にしても、より軽くすることができるより有効な条件となるということである。
また、こういった展開を用意することこそが政治家の国民に対する務めであるはずだ。国会議員が国民に負った責任の履行となる。民主党としたら、「国民の生活が第一」の約束を果たすことができる。
景気回復後の消費税増税と言うことなら、各政策の、特に社会保障関係の実行不足分の手当に用いるとしても、財政再建にまわすことが主たる目的となるのではないだろうか。
「一律1割削減」は2009年7月23日の当ブログエントリー記事――《事業仕分け/予算圧縮は官僚のコスト意識の観点からムダの存在を絶対前提とすべし》でも言ってきた。
7月23日に判明した、11年度予算の概算要求基準原案を伝えている記事――《11年度予算:概算要求、総額2.4兆円削減へ 各省庁「一律1割」要求》(毎日jp/2010年7月24日)
月内の閣議決定を目指しているという。基本的なテーマは「歳出の無駄の排除を徹底し、思い切った予算の組み替えを行う」としている。
原案の内容――
1.国債費などを除く歳出を10年度と同じ約71兆円に抑制。
2.このうち社会保障費と地方交付税交付金などを除いた経費約24兆円を対象に各省庁が一律で10年度比
1割(総額約2・4兆円)を削減した額を要求額とする。
3.新規国債発行額を10年度の約44兆円以下とすること。
4.一律1割削減分は成長戦略やマニフェスト(政権公約)関連の事業を盛り込み、要求とは別枠の「要
望」として財務省に提示できる。
5.1割を超えて削減した省庁には、超過分の3倍の額を要望枠に上乗せすることを認める。
記事は最後に、〈野田佳彦財務相は23日中に、各省に原案を提示することを表明していたが、調整が難航したため、この日は見送った。【坂井隆之】〉と書いていて、一律1割削減が歓迎されていないことを窺わせている。
歓迎しない急先鋒は前原国交相、山田農水相といったところを挙げることができる。
一方、民主党の政策調査会が政府の一律1割削減とは別の提言を行っている。《11年度予算:「政治主導」の編成強調 民主政調、2兆円の「日本復活枠」提言》(毎日jp/2010年7月23日)
11年度予算編成の概算要求基準に2兆円程度の「元気な日本復活特別枠」を設けるとする政府への提言である。
これは財務省検討の「一律1割削減」とは一線を画す「政治主導」の予算編成だと位置づけているらしい。財源は「無駄遣い根絶」と「総予算の組み替え」によって捻出。捻出方に関しては財務省原案と何ら変わらない。
捻出した2兆円の財源はマニフェスト(政権公約)の実現や経済成長、雇用拡大などの事業に重点配分するとしているが、この点に関しても財務省の成長戦略やマニフェスト(政権公約)関連の事業を盛り込み、要求とは別枠の「要望」として財務省に提示できるとしている「一律1割削減」の財源捻出による配分と行き着く先はほぼ同じとなっている。
2兆円程度の「元気な日本復活特別枠」提言についての党側の発言――
玄葉政調会長「実現には相当の労力が必要。既存の予算は見直さざるをえない仕組みを作った」
枝野幹事長「我々の従来の考え方を整理し、政府に要請するのは大変分かりやすい」
枝野の発言は何を言っているのか意味不明。「我々の従来の考え方」が各省庁の「考え方」と一致しなければ、政府としては要請されたとしても「大変分かり」にくいことになる。また一致を前提とするなら、同じ考え方に立っていることになり、提言する必要はなくなる。「予算編成に党の考えも反映させて貰いたいから、我々の従来の考え方を整理し、政府に要請することにした」と言うべきだろう。
「大変分かりやすい」には自分たちを絶対正とする独善的なニュアンスが立ち込めている。
大体が玄葉が「既存の予算は見直さざるをえない仕組みを作った」と言っている以上、対立する内容の構成としていることになって、「大変分かりやすい」は自分たちのみの「分かりやすい」となる。
記事は解説している。〈「提言」の形を取ったのは、党政調が政府の方針を了承する自民党政権時代の手法が「族議員」を生んだと批判してきた経緯から、政策決定を政府に一元化する民主党の主張を崩さないためだ。〉と。
その具体的な動きとして、〈玄葉氏は事前に首相官邸と緊密に調整。22日朝、提言をまとめる政調の会合に先駆けて仙谷由人官房長官と会談した。党側は「独立行政法人などへの補助金を0・5兆円削減する」など数値目標の採用も検討したが、仙谷長官らが「政府の手足を縛ってほしくない」と難色を示したため撤回。政府側への配慮を示した。〉と書いている。
だとしたら、「既存の予算は見直さざるをえない仕組み」は言葉程の力を持たない、多分に虚勢を込めた発言となる。
虚勢に近いことを記事も言葉を違えて書いている。〈具体的な財源捻出策は政府側に委ねたため、結局は財務省主導の一律1割カットがベースとなりそう。党政調で作成した提言の素案には「公共事業費は基本的に10年度予算並みの要求を認める」との記述があったが、5兆円を超える公共事業費に切り込まなければ2兆円の財源確保は難しいというのが財務省の立場。素案には公務員人件費の5%削減という数値目標も盛り込まれていたが、提言ではこれも見送られ、一律カットと矛盾しない形に落ち着いた。〉――
記事はこれを、〈見切り発車の側面も否めない。〉としている。「既存の予算は見直さざるをえない仕組み」が財務省の「一律1割カット」と「矛盾しない形」と言うことなら、後追いの性格となり、正体見たり枯れ尾花といったところではないか。
玄葉のギョロッとした目がハッタリの表現だとしたら、問題だ。
記事は既存予算の削減によって確保する財源の配分が今後の課題だと書いているが、削減の如何が決定する財源の配分である以上、財源配分以前の課題としてムダの削減が控えていることになる。その難しさを記事は指摘し、結びとしている。
〈提言は「特別会計の事業仕分け」などで無駄遣いの根絶を求めているが、昨年からの無駄削減の取り組みは思うように進んでおらず、各閣僚がどれだけ切り込めるかに成否がかかっている。〉――
財務省の「一律1割削減」にしても、党の政策調査会の「元気な日本復活特別枠」にしても、如何にムダの削減ができるかが出発点となっている。
だが、「ムダ削減」を不必要な事業(=ムダな事業)の削減、あるいはある事業に対して予算規模が大き過ぎるから、そのムダな金額部分の削減と把えて、そういった「ムダ削減」を図ることと、すべての事業にムダが存在すると把えて、その「ムダ削減」を図ることとでは違った様相を取ることになる。
事業仕分けはほぼ前者の視点から行われていた。
後者の「ムダ」とは役人の民間情報に頼った(依存した)金額の算出と事業方法の構築に存在する「ムダ」である。
民間情報に頼って金額(=予算)を算出した場合、民間は多くの利益を得るために事業方法も往々にして余分を付け加える。
民間情報に頼らない政府事業は果して存在するのだろうか。
勿論、民間情報に頼った(依存した)金額の算出と事業方法にムダが存在するとする、その必然性の正当性が問題となる。
民間情報に頼ったムダの最たるものは公共事業に於ける談合であろう。目に余る程の談合の横行を受けていわゆる「官製談合防止法」が2003年1月6日に施行されたが、それ以降も公共事業に於ける官製談合、あるいは民製談合が発覚、結果として民間情報に頼った予算算出を許している。
ムダな予算算出に併せたムダな事業方法の存在の可能性も考えなければならない。
2007年に防衛省の事務次官だった守屋武昌が防衛事務次官時代に防衛商社山田洋行等からゴルフ接待や旅行接待を受けて兵器調達に便宜を図った官製談合と商社側の水増し請求が発覚したが、兵器や装備品の選定、その価格が商社任せだったことは民間情報に頼った(依存した)金額の算出だったことを物語っている。
ムダな装備品を買わされたといったことはなかったろうか。
その後防衛省は防衛装備品の輸入調達適正化に向けた組織再編と防衛商社を通さない外国防衛産業との直接取引を図ることにしたが、果して民間情報に一切頼らない情報収集を確立できたかどうかである。
各省庁の各事業遂行上必要としている民間、あるいは公益法人等との契約に於ける随意契約も民間情報に頼った金額の算出に当たる。特例を除いて随意契約が禁止されながら、最初から入札先を決めた複数社入札・一社応札の形も随意契約と何ら変わらない形態であって、民間情報に依存した予算の高値算出を許していることになる。
こういった契約に於いて、下請をいくつも通し、中間はペーパー契約のみで利益を落としていく事業方法も当然そこにはムダが存在することを証明する。
2006年に発覚したタウンミーティング事業の民間委託も複数者入札・一社応札の形式を取った談合の疑いが濃かったが、06年11月22日の教育基本法参議院特別委質疑で現在人気の高い民主党の蓮舫議員は談合ではないかと疑いもせずに会場に於ける送迎等が4万円、アルバイトで雇った臨時従業員のエレベーター運転代金が1万5千円、エレベーターから控え室までの誘導が5千円等々、すべてに細かく仕事が分けてあって一般常識からして高い値がつけてあることのみをおかしいじゃないかと追及していたが、談合があった場合、入札を果たした会社から談合に協力した会社に謝礼を払う義務上、すべての仕事に亘って高値設定を必要とすることからの常識外れの金額ではないかとは考えなかったらしい。
このタウンミーティングの高値設定は民間情報に頼ったか、官も協力した談合か、いずれかによって生じたものとしなければ説明がつかない常識外れの価格となる。
前原国交相の財務省「一律1割削減」反対の発言を、《概算要求基準 調整が本格化へ》(NHK/10年7月25日 4時38分)が伝えている。
前原国交相「国土交通省は、マニフェストにしたがって、農林水産省とあわせて、1.3兆円の公共事業費をすでに削っている。4年でやると言ったことをすでに削っているわけだから、達成したところが、達成していないところと同じように削減努力をするのはおかしい」――
一見正当に聞こえるが、この削減が不必要な事業(=ムダな事業)の削減、あるいはある事業に対して予算規模が大き過ぎるから、そのムダな金額部分の削減なのか、緊急必要性はないとして先送りしたことによって生じた削減なのか、あるいは国交省のすべての事業に亘って民間情報に頼った(依存した)金額の算出と事業方法までを洗い出した、そこまで踏み込んだムダ削減なのかが問題となる。
民間情報に頼った(依存した)金額の算出と事業方法まで踏み込んだムダ削減なら、問題はないが、そうでないなら、削減余地を残していることになる。
これまでのムダ削減が民間情報に頼った(依存した)金額の算出と事業方法にまで厳密に踏み込んだ形式のものではないなら、財務省の「一律1割削減」は不可能ではないはずだ。
その根拠は単に民間情報に頼っている以上ムダが存在するという理由からではない。
民間企業は石油ショック時や円高時に、特に外需依存の輸出産業は国際競争力を維持するために下請け企業に対して製品コストのカットを強制した。下請け企業は生き残るために知恵を絞ってコスト削減の方向で製品の改良を行い、元請企業(親企業)の無理難題とも言えるコストカットに応えて、乗り越えてきた。このことは結果的に技術の向上・発展をもたらした。
この民間が可能とした“ムダ削減”に相当するコストカットと、官で言うと、事業運営の改良に当たる製品改良を官が可能とすることができないだろうか。
民間の情報に頼った金額の算出にしても、事業方法の構築にしても、民間の情報を断つか正確化することによって改良の余地が生じる。
いわば民間情報に頼った(依存した)金額の算出に含まれているムダの削減と事業運営の改良を併行させたなら、「一律1割削減」は不可能ではないはずだとの予測可能性から言っている。
ムダ削減によって捻出した財源を成長戦略やマニフェスト(政権公約)関連の事業に配分するとしても、成長戦略やマニフェスト(政権公約)関連の事業自体も民間情報に頼った部分のムダを削減し、事業運営の改良を図る必要がある。
そうしない以上、いつまで経っても財政の健全化に向かわない。
7月22日のBS11の番組収録で鳩山前首相が内輪の話を明かす形で出てきた菅首相の財務相当時からの主張だそうだ。記事はそれを「内幕暴露」だとしているが、それ程大層なことではない。なぜなら、菅首相の主張の裏側に透けて見える愚かしさ、小賢しさだけが浮き立つからだ。
《鳩山氏「首相は反省示して」 内幕暴露しつつ代表選支持》(asahi.com/2010年7月23日4時0分)
菅首相の主張「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」
この主張に鳩山前首相は小沢前幹事長と二人してこぞって反対したと打ち明けたという。
だが、反対は実を結ばなかった。菅首相が消費税発言で支持率を下げたとき、鳩山前首相も小沢前幹事長も、やってくれたよなあ、と思ったに違いない。
そして菅首相への忠告。
鳩山前首相「消費税の議論を生煮えで出した反省を示し、党内をまとめるべきだ」
さらに鳩山氏肝いりの国家戦略局構想に対する菅首相の縮小方針への苦言。
鳩山前首相「(首相は)私に『法案がなかなか通らないから』と説明したが、最初からあきらめてもらいたくない」
さらにさらに菅政権の「脱小沢」の人事登用について批判。
鳩山前首相「幅広く取り込む人事をしたら良かった」
尤も批判、苦言に反して、9月の代表選では菅首相の続投を支持。
鳩山前首相「代わったばかりで(首相を)降ろすという話にはならない」――
総理を辞した者はその後影響力を行使したなら、政治に混乱をもたらす。だから、「次の総選挙に出馬はいたしません」と議員引退声明を夏の高校野球甲子園大会の選手宣誓並みに高らかに宣言していたが、7月17日に地元北海道苫小牧の会合で、結論は来春の統一地方選挙を目安に結論を出すと先送り。
7月20日、大韓航空機爆破犯の金賢姫来日の宿泊場所として自身の別荘がマスコミに登場、インタビューを受けて、「国益のためになるならと引き受けた」と発言、7月22日夜には都内の日本料理店で小沢前幹事長と民主党参院議員会長に無投票4選を果たしたばかりの輿石東と計3人で、会長再任祝いを口実に、祝いだけで済むはずはない会合を持ち、その話の内容にマスコミの憶測が集中、同じ日の昼には上述のBS11の番組収録での菅内閣に対する批判、苦言等々を発言。
最近のこういった一連の活動は議員引退を先に置いた政治家の、そのことを常に意識した活動ではなく、影響力を持った者としての、そのことを常に心身に意識させた政治家の活動であって、そのような活動からは議員引退完全撤回に即した姿しか窺うことができない。
首相として指導力を発揮できなかった政治家が引退を撤回することが国益に適うかどうかは分からない。
問題は、「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」とした菅首相の財務相当時からの主張である。
菅首相のこの発想には与党と野党の立場の違いの視点がない。与党の指導性・責任性と野党の指導性・責任性の立場上の違いである。与党は野党の指導性よりも上回る指導性を常に発揮するよう務めなければならない。与党は野党の責任性を上回る責任性を発揮するよう、常に心がけなければならない。いずれも下回ったとき、政権交代の審判を国民から受けなければならない。
与党の指導性が野党の指導性を下回るといった状況を想定することはできないからだ。あるいは与党の責任性が野党の責任性を下回ると言った状況を。指導性・責任性の与野党逆転は倒錯そのものであり、政権党として国民の選択を受けた意味を失い、国民には受け入れがたい状況となる。
子どもが大人の悪い真似をした場合、大人の責任になるが、大人が子どもの悪い真似をした場合でも、大人の責任となる。
また、大人は子どもが大人の悪いことを真似しないように子どもを指導しなければならない。大人の指導性と責任性は子どもの指導性と責任性とは比較にならない程大きいからだ。
与党は常に野党よりも大人であることが求められる。それが逆となった場合、与党は与党としての存在意義を失う。
例え消費税増税を超党派協議で推し進めるプロセスを取ろうとも、その場面に於いてどう決めていくか、与党は野党よりも指導性を発揮しなければならないはずだ。そして決定の結果に対しても野党以上に与党は責任性を引き受けなければならないはずだ。
指導性にしても責任性にしても野党任せであったなら、政権党としての意味を失う。
そうでなければならないはずなのに、菅首相は財務相当時から、「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」だと、政権与党としての指導性、責任性を自らの考えの中に入れていなかった。
具体的には、菅首相は6月17日の民主党参議院選マニフェスト発表記者会見で、「なお当面の税率については自由民主党が提案されている10%という、この数字、10%を一つの参考とさせていただきたいと考えております」と言っていた「10%」はあくまでも「自民党と一緒の主張」をするために出した争点隠しの「10%」であり、民主党なりの根拠を持って算出した税率ではなかったことになる。
同じ10%の税率にしておけば、反撥を一身に受けずに自民党と二等分に分け合うことができ、無難に遣り過ごせるのではないかという予測のもと決めた「10%」だったというわけである。
与党民主党を率いる内閣の長でありながら、何という指導性、責任性に立った“自民党10%参考”だったのか、呆れる話ではないか。
しかし、「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」の財務相当時からの主張に反して、参議院選の一大「争点」と化し、民主党大敗の原因となった。否、菅首相自らが大敗の原因をつくった。小賢しさがつくり出した大敗とも言える。
「消費税で自民党と一緒の主張をすれば争点から消えるから大丈夫」の主張自体が合理的判断能力を欠いていたからだろう。政権与党として担うべき指導性・責任性の視点を欠いていたこと自体が既に合理的判断能力を失っていたことを物語っている。
指導力は偏に合理的判断能力に負う。合理的判断能力を欠いた指導性、責任性の上に築かれた指導力なるものは考えることはできない。
菅首相が首相として必要な資質であるにも関わらず、指導性、責任性の視点を欠いた合理的判断能力を持たない指導力なき政治家であるなら、鳩山前首相が言っている「代わったばかりで(首相を)降ろすという話にはならない」にしても合理的判断を欠いた発言となる。
指導力のない政治家を首相という職にとどめておくのは国民に対する冒涜であるばかりか、必要として求められながら、求めに応じることができていないという点で、指導力に関して逆説そのものを演じることになるからだ。
今回の金賢姫来日に野党からパフォーマンスだ何だと批判が出ている。正当なる批判か、不当なる批判か。私自身は一昨日の当ブログで、《金賢姫訪日は何ら拉致解決策を見い出せない日本政府の無策を隠し、それを埋め合わせる単なる儀式》だと書いた。
《「政権のパフォーマンス」=金元工作員来日、自公が批判》(時事ドットコム/2010/07/22-20:59)
谷垣自民党総裁「(拉致問題解決に向けた)新しい進展がないという話もある。全くパフォーマンスのためにしたもので、極めて疑問が多い」
鳩山前首相の別荘を滞在先としたことについて――
谷垣自民党総裁「(元工作員が関与した)大韓航空機事件で115人が亡くなった。こういうテロ事件の実行犯を日本に迎えるときにVIP待遇というか、国賓待遇といったら言い過ぎかもしれないが、国際的に、日本がテロをどう考えているのか理解を得られないのではないか」
山口公明党代表「何が目的で、どういう効果を狙っているのか定かではない。税金を使う以上は国民に対し説明する必要があるが、(政府の説明は)不十分だ」
確実に言えることは、もし自民党時代の出来事だったなら、民主党は野党の立場から同じ批判をしていただろう。
野党は批判を専らの仕事としているということを言っているのではない。野党時代は批判しているようなことを与党となると、批判したことも忘れて二の舞を平気で演ずるということである。あるいは逆に与党時代に自分たちがしていたことを、野党となって与党が同じようなことをすると批判する。勿論、与党の立場であろうと野党の立場であろうと、ハイ、そうですかと批判を素直に受け付けるようなことはしない。
軽井沢の鳩山別荘から東京への移動にヘリコプターを使用したことが、特にマスコミからの批判の対象となっている。《遊覧!?金賢姫元工作員が40分間ヘリ搭乗》(日刊スポーツ/2010年7月22日22時10分)
午前9時半頃 ――金元工作員、軽井沢鳩山別荘を車で出発。
午前11時45分頃――東京都調布市調布飛行場到着。
午後0時15分頃 ――ヘリコプター搭乗・離陸。
午後0時55分頃 ――東京へリポート(東京都江東区新木場 )到着。被害者家族が待つ千代田区のホテル
へ車で移動。
但し、調布飛行場から東京ヘリポートまで直線で30キロの距離を神奈川県江の島上空、横浜市上空を経由、40分の飛行時間を要して東京ヘリポート着だったとのこと。
ヘリコプターの時速は約200キロからだというから、200キロとして30キロの距離は9分程度の飛行時間で済む。9分では呆気なさ過ぎるから、時速200キロで40分の飛行、133キロ相当を飛んだということではないのか。
これを以て記事は、〈移動だけが目的とは考えにくく“遊覧飛行”ととられかねない行動だ。〉と、遊覧飛行に仕立てたい衝動をあからさまに見せている。
何、どうせ国のカネだ。それが例え国民の税金を原資としていたとしても、自分の懐を痛めるわけではない。
金賢姫が政府チャーター機で来日したのは7月20日未明。その日、中井拉致担当相は記者会見で次のように述べている。《中井拉致相「証言得られれば、大きな前進」》(日テレNEWS24/2010年7月20日 14:32)
中井「新しい証言が得られれば、大きな前進になる。元気な(拉致被害者の)横田めぐみさんを直接見聞きした人に初めて会うことは(横田さん夫妻への)一つの励ましにもなるだろう」
金賢姫来日の主目的はあくまでも拉致解決の「前進」であって、「元気な(拉致被害者の)横田めぐみさんを直接見聞きした人に初めて会うことは(横田さん夫妻への)一つの励ましにもなる」は従目的としていた。後者が主目的化したなら、主客転倒となる。
前者の目的に適ってこそ、国のカネ(=国民の税金)を投入することが許される。国民も納得する。
但し、「新しい証言が得られれば」の条件付の話で、最初から確証はなかった。「新しい証言が得られ」ない場合も想定した訪日要請であった。当然、「新しい証言が得られ」ない場合に備えた用心深さも前以て準備していたはずだ。無闇矢鱈とカネを使ってはいられないぞという用心深さである。勿論、カネの出し具合で決まってくる「新しい証言」といった案件であるなら、出し惜しみしていられないが、そういった案件ではないはずだ。
米中央情報局(CIA)はイランの原子力科学者にイラン核開発の情報提供の見返りに500万ドル(約4億4千万円)を支払っている。カネの出し具合で決まってくる情報提供だったからだろう。尤も口座に入れたそのカネは本人がイランに帰国したために、イランからでは引き出せないそうだ。
無闇矢鱈とカネを使ってはいられないぞという用心深さとは、例えば「新しい証言」が得られないと分かったなら、態度をガラッと変えて、早々に帰国していただくとかの態度である。そんな失礼なことはできないと言うだろうが、それくらい計算高くなれなければ、中国の強かな外交にいつまで経っても敵わないことになる。
拉致被害者の横田めぐみさんの家族が21日夕方から鳩山別荘に宿泊予定で金賢姫と共に時間を過ごし、翌22日の朝、記者会見を開いている。《横田さん夫妻「特別新しいものない」 金元死刑囚と面会》(asahi.com/2010年7月22日8時32分)
横田夫妻「特別新しいものは出てきませんでした」
中井拉致担当相が期待した「新しい証言」はなかった。この時点で主目的たる拉致解決前進の希望は断たれたのである。尤も政府チャーター機でお出迎えの来日招請といった面倒な手間をかけずとも、韓国で事情聴取したとしても同じ結果――「新しい証言」は出なかったろう。本人は元々韓国及び日本の警察機関に話した以上のめぼしい「新しい証言」など持っていなかったのだから。持っていたなら、既に吐き出していたはずだからだ。
このような素地の元、記事が書いている、〈滋さんによると、金元死刑囚はめぐみさんの写真は何度か見たことはあるが、会ったのは1度だけだと話したという。早紀江さんは「めぐみと近しいところにいた金さんと会えて、夢のようだった」と話し、金元死刑囚にベージュ色の上着をお土産としてプレゼントしたと話した。 〉辺りの状況から、従目的たる横田夫妻“励ましの会”が前面に出てきて主目的化の様相を呈してきた。
いわば金賢姫訪日要請の主目的が横田夫妻を励ます彼女との面会となり、実質的には「新しい証言が得られれば、大きな前進になる」は面会を実現させるための口実に過ぎなかったということである。だから、簡単に主客転倒を許すこととなった。
もしも中井本人が「前進」だと信じていて、張り切っていたとしたしたら、冷静合理的な客観的判断能力ゼロの政治家だからできた、鳩山前首相の別荘のお膳立てまでして舞台を用意した金賢姫訪日劇のパフォーマンス(=儀式)といったところだろう。
だからこそ、「新しい証言」がなかったことが判明した時点で拉致解決前進に何ら期待できないことが判明したにも関わらず、なるべく税金を投入しないよう、撤退を図るだけの臨機応変の措置さえも取ることができずに時速200キロ何がしかのヘリコプターで江ノ島くんだりまでの“遊覧”飛行サービスのお膳立てまでするムダ遣いのさらなるパフォーマンスを続けることができた。
金賢姫の口からただ単に「新しい証言」が出なかったでは格好がつかないから、その埋め合わせに中井本人が「新しい証言」を用意することになったのではないのか。
《6~7年前まで元気との情報》(NHK/10年7月22日 13時19分)
22日の記者会見――
――韓国の拉致被害者の家族会の代表が「田口八重子さんが今も北朝鮮にいる」と話しているが、情報はあるのか。
中井「韓国の家族会の代表が言ったような状況とは別に、田口八重子さんが、6~7年前まで北朝鮮で元気でいたという情報がある。誰からどういう情報を得たかということについて、お話しできる事柄ではないと考えていますが、家族にはそれとなくお伝えしています」――
韓国の拉致被害者の家族会の代表の情報とは、《田口八重子さん生存情報、被害者団体代表が伝える》(YOMIURI ONLINE/2010年7月22日 10:59)が伝えている。
〈北朝鮮に拉致された韓国人被害者の家族らでつくる「拉北者家族の会」の 崔成龍(チェソンヨン)代表は22日、「信頼できる北朝鮮の情報源」から、日本人被害者の田口八重子さんが現在、平壌の 万景台(マンギョンデ)区域にある集合住宅で生活しているとの情報を聞いたと明らかにした。〉
情報源は、〈脱北者ではなく、平壌で働き、海外にも行き来する関係者〉であり、〈日本政府関係者にも、こうした情報を伝えた〉としている。
記事は、〈崔代表は2004年、横田めぐみさんが韓国人被害者と結婚しているとの情報を入手し、日韓両政府が2006年、事実と確認したことがある。〉とその情報把握の確かさを遠まわしに保証している。
中井は北朝鮮に拉致された韓国人被害者の家族らでつくる「拉北者家族の会」の情報とは別の情報だとして、自身が入手している情報を明らかにした。
だが、入手した当時は「新しい証言」に当たるその情報を活用して、拉致解決に「大きな前進」を図ることができなかった。できていたなら、それを突破口に横田めぐみさんの手がかりを得る可能性まで期待できたはずであるし、韓国で事情聴取すれば片付く金賢姫をわざわざ来日させるまでもなかったはずだ。
ところが家族に伝えておくだけで、それ以上は必要でないとして入手当時に公にしなかった情報を、いくら韓国の「拉北者家族の会」の情報があったからとしても、この場に及んで公表したのは、いわば必要でないとしていたことをここに来て必要としたのは金賢姫から「新しい証言」が出なかった埋め合わせに中井本人が用意した「新しい証言」としか理由を見つけることができない。
すべてがパフォーマンス(=儀式)に彩られた訪日劇であったから、カギとなっている「証言」を用いた形の策を弄する必要性が生じる。中井の一世一代のパフォーマンスのために税金が使われた。
勿論、日本政府が拉致解決に何ら有効な拉致解決策を見い出せない無策が冷静合理的な客観的判断能力ゼロの政治家中井をして、ゼロであるがゆえに唆すこととなったパフォーマンスの側面を否応もなしに持つはずである。
《【金元工作員来日】「パフォーマンス」「税金使う目的と効果は」“厚遇”に批判続々》(MSN産経/2010.7.22 23:14)
記事は上出「時事ドットコム」とほぼ同様に谷垣自民党総裁や山口公明党代表の批判を載せた上で、鳩山前首相の別荘貸与の発言を伝えている。
鳩山前首相「拉致は国として措置をとるべきだからそれなりのコストは許される。別荘は私だけが住むような場所ではないので多くの方に使ってほしいと思っていたのでよかった」――
相変わらずの単細胞だ。あくまでも国民の税金である以上、「それなりのコスト」は少しでも拉致解決に資すると予測可能な事柄に計画立てて消費される「コスト」でなければならない。訪日の手間を取っても「新しい証言」が出なかったということは、訪日の手間を取らなくても出てこなかった「新しい証言」であり、韓国にいてもそのことは証明された“証言劇”だったということなら、拉致解決に資する事柄とはならないとする逆の予測可能を持つべきで、許されない「コスト」と言わざるを得ない。
金賢姫訪日目的を拉致問題に関わる世論喚起と拉致被害者家族を慰めることに目的を絞るべきだたったろう。そうすればパフォーマンスとなる余地はなく、当然、コストもそれなりに抑えた支出となったに違いない。わざわざ前首相の別荘を宿泊先に用意することもなかったはずだ。勿論、ホテルよりはカネはかからなかっただろうが、パフォーマンスをパフォーマンス足らしめる騒ぎ立ての対象ともならなかったはずだ。
中井としたら、「新しい証言」が得られなくて却って幸いしたのではないだろうか。「新しい証言」が出た場合、拉致担当を担っている立場上、拉致解決進展に向けた結果責任(=成果)を否応もなしに求められることになるからだ。それを見越したパフォーマンスだったとしたら、冷静合理的な客観的判断能力ゼロの政治家であることとは別の意味で、なかなかの判断能力を持った政治家と言わざるを得ない。